東京V等サッカー、漫画、アニメ、アイドル 他
’24.1月期の地上波アニメ
2024年02月10日 (土) | 編集 |
漫画原作

ダンジョン飯 (Wiki)

原作 - 九井諒子
監督 - 宮島善博
副監督 - 佐竹秀幸
シリーズ構成 - うえのきみこ

また食い物系異世界(?)かよと引き気味に見始めましたが、凄く面白い。"食い物"に関しても"異世界"に関しても、「斬新」というよりは「成熟」という感じで、先行作品たちからの論理的帰結をじっくり腰を据えて深めたみたいなそんな印象の作品。とても見易い。
そもそもが仲間が"食われた"という始まりを、ちゃんと悲しみはしつつそれはそれとして淡々とその現実的処理・対応に話を進めてるのが、最初から凄いと言えば凄いですけどね。魔物食に対する好奇心のドライさ含めて、見ようによってはサイコっぽくもある作者さん。(笑)
原作者は漫画家で、「『ひきだしにテラリウム』で第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞」などという実績が既にあって、実力は確かな人のよう。
監督はTVアニメ初監督のようですが、映画版『ダンジョン飯』と『劇場総集編 SSSS.DYNAZENON』と、映画の方では経験のある人。副監督は助手/弟子タイプ。
構成は『王室教師ハイネ』『うちタマ?!』の人。どちらかというと子供向けアニメとかが多くて、深夜アニメ最前線という感じの人ではないよう。何となく分かる。


魔女と野獣 (Wiki)

原作 - 佐竹幸典
監督 - 浜名孝行
シリーズ構成 - 百瀬祐一郎

原作はヤンマガサード連載時はちらっと読んだことがあってそこそこ面白いと思ってはいたんですが、雑誌自体の廃刊→移籍のごちゃごちゃで気持ちが離れてそれっきりになっていた記憶の作品。
ただドロドロゴシックロマンという感じの原作に比べてアニメのここまでは意外と軽い感じで、こんなんだったのかといい意味で。最初の方は読んでないんで、原作との比較は分かりませんが。それなら見ようかなととりあえず見ています。(その内ドロドロし出すのかも)
監督は・・・『テニスの王子様』『図書館戦争』『獣の奏者 エリン』『魔術士オーフェンはぐれ旅』(シリーズ)と、なんか随分大物。エリンの人かあ、あれは名作だった、作風全然違うけど。ただ他の過去作も違うので、個性というよりは合わせるタイプの監督さんなのかなという。
構成は数は結構やってるけど僕は覚えてはいない作品ばかりの人で、去年の『六道の悪女たち』と『冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた』なら、さすがに見た記憶くらいはあるけどもという。
出来ればこのまま軽い感じで言って欲しいですね。原作も黒いユーモアはあるんですけど、作画がおどろおどろしくて少し辛かった。そこらへんがさっぱり出来るのが、ある意味"アニメ化"のいいところ。


小説原作

即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。 (Wiki)

原作 - 藤孝剛志
監督 - 菱田正和
シリーズ構成・脚本 - 青葉譲

チート能力付き異世界転生、"非人間的"ぎりぎりの合理主義者の主人公と、昨今の有力な流行りを踏まえた作りですが、振り切ったいい出来で、〇番煎じ的なことは気になりません。むしろ("〇番煎じ"であることを)楽しむ余裕すら感じる作者さん。・・・というか回を追うごとに"非人間的"という印象は薄れて、単に当たり前のことを当たり前に言える素直な奴という感じに。あんまり柔らかくなるのもそれはそれであれなんですけど。
更にというか、「即死」という邪悪の極みみたいな能力を、いかに"道理"や"良識"の文脈で使うか的な、そういうトライをしているようにも見えますね。能力自体は、別に主人公が望んで身に付けた訳ではないようですし。"たまたま持った能力の最も合理的な使い方"の話で、そういう意味では他のもっとマイルドな(笑)能力とも変わらないと言えば変わらないのかも。
相方の女の子も謎と言えば謎な役で、超絶能力を持った主人公と視聴者の間を取り持つ常識家というのが基本の役回りなんでしょうが、そこになぜ「壇ノ浦流」(のご先祖)が絡んで来るのか(笑)。今のところ必然性はよく分からないんですけど、その内大切になって来るのかな。とりあえず面白いですし、とりあえずいい奴ではあるようですが。
過去作で一番似ているのは『ワンパンマン』でしょうが、あちらがシュールやスタイリッシュ(ハードボイルド?)にやや凝固気味に収斂していくのに対して、こちらは割と普通にストーリーが"展開"して行く感じ。"異常"な能力を"普通"の文脈に乗せ続ける、そのミスマッチ感が今後も楽しそうだなと。期待しています。
原作は小説。なるほど、「壇ノ浦流」は壇ノ浦流で、独立したストーリーになってるのね。道理で。なんか変だと思った。自立性の高過ぎる属性で。
監督はベテランのようですが、一つも心当たりが無い。初監督は2004年の『陰陽大戦記』。
"構成・脚本"は実は監督の別名(笑)。ややこしいことすな。構成の仕事を単独でやるのではなく、自分の監督作の脚本を全部やっちゃうので自然にそうなるみたいな仕事の仕方。こだわりは強いんでしょうね、正直そこまでの個性は今のところ感じてませんが。


治癒魔法の間違った使い方 戦場を駆ける回復要員 (Wiki)

原作 - くろかた
監督 - 緒方隆秀
シリーズ構成 - ヤスカワショウゴ

「治癒魔法の間違った使い方」というタイトルを見て、ギャグ系か下手するとエロ系かなと期待せずに見始めましたが、ローズ団長のスパルタをめぐるやけくそ的なギャグ感覚などはありつつも、根本的には大真面目な作品でへえと思いました。
そもそもの転生させられた"3人"の関係からして意外でしたね。学校の"スター"美少女は変な意味で変節(笑)はしつつもいい意味では変わらずみんなのアイドルの善性は保ち続け、どうせ偽善者なんだろうと思った男の方の"スター"は異世界に移動してむしろますます善良さを増して行く爽やか展開。落ちこぼれ主人公の虐げた周囲に対する復讐譚という、大方の予想を裏切る展開だったろうと思います。
ただそうした"裏切り"自体が目的というよりも、「友情」ということ「善良」ということ、そしてそれは(元の世界のような)こんがらがった社会関係から外れることによってより機能する純化するものなんだということを、かなり真面目に描いている作品だと思います。逆に言えば「社会」こそが人間悪の根源というか。いやあ、意外でした。
原作は小説。
監督は『かいけつゾロリ』シリーズの人。そう言われてもなという感じですが。(笑)
構成は『テラフォーマーズ』『食戟のソーマ』『江戸前エルフ』などの人。


望まぬ不死の冒険者 (Wiki)

原作 - 丘野優
監督 - 秋田谷典昭
副監督 - 福島利規
シリーズ構成 - 菅原雪絵

何だろうな、これは。面白いと言えば面白いんだけど。テーマが分からん。
何か別にあるんだろうと思いますが、当面はアンデッド化した主人公のわらしべ長者的な(?)出世・パワーアップのプロセスを楽しむ作品ですね。他の冒険者たちとの意外にリアル系な関係性や、親友の女魔法使いとの実は結構熱いんだろうと思う友情関係が魅力的。
そしてこの主人公も善良で、その善良さのあり方自体が一つの(小)テーマではあるようですね。
原作は小説で、特には知らないですが作品歴はかなり豊富な人のよう。
監督はなぜかいつまでたってもWikiが出来ない(笑)サンライズのエース監督。『バクマン。』『城下町のダンデライオン』『自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う』など。副監督はその監督とよく組んでいるらしい、コンテマン。
構成は『オーバーロード』シリーズ、『キノの旅 the Beautiful World』『ノー・ガンズ・ライフ』シリーズなどの人。
あんまり書くことは無いですが、細々(こまごま)とした表現(多くは上で言った他の冒険者との関係の中で表れる)に面白さの詰まっているよい作品だと思います。


その他

俺だけレベルアップな件 (Wiki)

原作 - Chugong(原作小説)、h-goon(漫画版脚色)
監督 - 中重俊祐
シリーズ構成 - 木村暢

CMで盛んに"世界"をアピールするのでそこまでの作品なのかなと不思議に思ってましたが、韓国発だったとは。韓国は世界というか、最初から"国際"ですからね(笑)、そういうことかと。
"原作"の部分が韓国。小説版とそれの漫画版があるようですが、そのどちらに準じてのアニメ化なのかはちょっと分かりません。
日本版の監督は、『女神寮の寮母くん。風紀まもるくん』シリーズの人、て知らねえ。(笑)
構成は『刻刻』『ガンダムビルドダイバーズ』『這いよれ! ニャル子さん』シリーズなどの人。
こちらは"善良"系ではなく、落ちこぼれ主人公の虐げられ方が型通りおぞましい系ですが、何度かやめようかなと思いつつ"レベルアップ"システムの趣向への興味でとりあえず見ています。でもそれが理解出来たら、やめそうな感じ。
時代は善良ですよ!!むしろ!!(笑)


『キングダム』新シリーズは、今のところオリジナルストーリーなので正直くそつまらないです。はっきり言って、「時代」や「中国」との取り組み方に面白さがあるだけで、少年漫画としてのベースはそんなに高い作品(作者)ではないと思います。早く史実ベースの話に行って欲しい。
継続の『薬屋のひとりごと』は変わらず面白い、『ラグナクリムゾン』ますます面白い。


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井上潮音とはどういう選手か2023
2024年01月31日 (水) | 編集 |
書いてるのは2024年ですが。
潮音自身については多分1年後にも同じことを書け(き)そうな予感はしているんですが、引き合いに出す"例"の方の旬の問題があるので、今書きます。
"前編"的な、2023シーズンのプレーの振り返りはこちら


改めて井上潮音とはどういう選手か(だったか) ~オスカー・ボブとの比較

周り、ピッチ全体、相手がどこにいるかどの角度から寄せて来ているか、その見え方が素晴らしくて、脳内でピッチ全体のイメージを描いて、ボールが来る前にどう受けるべきか、相手からターンしてどこにボールを出すか、どこに動けばいいか、その判断の速さに正直驚きました。

これはヴェルディでのデビュー年2016シーズンの後半、完全な主力に定着してチームを切り回しまくっていた当時19歳の井上潮音選手のプレーを評した言葉・・・ではなくて!(笑)
2023年のマンチェスター・シティ、直前カラバオ杯ニューカッスル戦で敗戦の中光を放っていたオスカー・ボブ選手(20)

OscarBobb

のプレーについての、プレミアウォルバーハンプトン戦(9/30)解説中のベン・メイブリー氏の表現。
でもこれそのまま潮音のプレーに対しても使えますよね、読んでて違和感無かったですよね、2016年の井上潮音を目撃した同志諸君!(笑)(当時の潮音のプレーには、僕の知る範囲でも千葉・広島などの他チームサポ間にもファンがいた)
ここ数試合いよいよブレイク間近という感じのボブ選手ですが、実際初見から強い"井上潮音"性を僕は感じてはいました。


プレシーズン中のボブ。
遠慮して"名前"自体は出してなかったようですが、脳裏にあったのは。(笑)
ド新人の癖に最初から悠然とマイペースにプレーして("いっちょ前")、特にがっついた絡み方もしていなかった当時のボブですが、それでも"ずっと見てられる"。彼のフィールドの"感じ"方を感じているだけで、退屈しない。井上潮音もまた、そういう選手。(少なくともいい時は)
人並み以上のボールテクニックを持ちながら、決してボールプレーヤーではない、ボールを持って"から"のビッグプレーに狙いの比重が小さい、むしろいかにボールに触るか触る"まで"の流れの方に成功不成功がかかっていてその流れが良ければその後のスーパープレーは勝手に生まれる、逆にそこの機能状態によっては一見"無難"なだけの、チャレンジしない多少イライラさせるようなパスプレーだけを延々したりする、そこらへんも似ていると思います。(同じ"原型"が僕には見えます)
ただ実際問題、潮音のボールテクニックには確実性はあっても華麗さは無いので、それに関してはボブの方が遥かに大きな可能性を持っていますね。シティ加入前の各所の紹介文だと軒並み"天才ドリブラー"的な紹介のされ方をしてた()のは、未だに何の間違いだろうという感はあるんですが。どう見てもパサーだろう、どんだけボブが遊べる余裕のある状況に当時はいたんだという感じですが(子供サッカーなら上手いコは全部スーパーでしょうから(笑))。それともこれから第二形態が見られるのか、それはそれで楽しみですが。
潮音に関しては、"ストライカー"に変態する可能性はあると思っていますが、ドリブラーってことは無いですね。真正"10番"になることも。"ストライカー"ならあり得るというのは、それだけボールプレーがシンプルである、持つこと細工することにこだわらないタイプだということです。それのベクトルの向けようによってはという。

以上、"全盛期"(笑)が8シーズン前の遥かに去ってしまっている選手の"本来の良さ"の説明として、今を時めく(きかけている)世界の有望選手を引き合いに出してみる試みでした。逆にいっとき確かに"世界がその手の中にある"ように見えた潮音のその後のプレーを見た経験から、ボブの未来について少し歪んだ(笑)方の可能性を言ってみると。
上でベンさんが説明しているボブが結果的に行っているプレー自体はその通りだとしても、それが「脳内でピッチ全体のイメージを描いて」「判断の速さ」によって行われているのかについては、若干の疑問というか、"疑問"の可能性があります。つまり今は"マンチェスター・シティ"基準で見てもべらぼうに"賢く"プレーしているように見えるボブですが、それが実は"考え"て"判断"してやっている、"見えて/描いて"やっているプレーではなくて、もっと内部感覚的に何なら"反射"的にやっているだけのプレーである可能性があるということです。ある範囲あるレベルまではそれで十分に状況適合的にプレー出来て"賢く"見えたとしても、周辺状況が大きく変わった時にあるいはより厳格な規律や明示的思考を監督なり戦術なりに求められた時に、対応出来ずに"反射"が空回りする、得意のプレーの有効範囲が大きく狭まる、そしてそれを修正出来ない、(その天才性の元でもある)強過ぎる反射が適応の邪魔をする、そういう未来の可能性はあるかなと。
現在のボブを見てそう思っている訳では必ずしもないです(多少はあります)。潮音がそうだったので、ボブもそうかも知れないな今はそう見えなくてもと、そういうことです。具体的には、2017年に来たロティーナの"ポジショナル・プレー"に基づく要求を消化出来ずに、潮音が輝きを失った、成長が止まった・歪んだ、その辺りを言っています。(ロティーナが潮音の"恩師"だとか平気で言う人が特に神戸で再会した時には沢山いましたが、知ったかぶりもいいとこだと思ってました)
そのプロセスの功罪や意味付けはおいておくとして、実際問題"考えて""全部分かって"やっているように(2016年に)見えた潮音のプレーのかなりの部分が、非常に高次元ではあっても要は感覚的にやっているだけの応用の利き難いものであったというのが、その後の潮音のプレーの観察から得た僕の結論です。表現の程度問題や反論はあるかも知れませんが。潮音は"考える"のは別に得意ではない
ボブに関しては、大きな括りとしての"ポジショナル・プレー"に関しては、既に適応済なのは現在のプレーを見れば明らかですけど。シティの"ポジショナル・プレー"がいっとき程神経質でなくなってるというのはあるにしても。潮音だって"ロティーナ"のポジショナル・プレーには苦戦しても"永井秀樹の"それに対してはそこまでではなかったので、ここらへんは同じ言葉でもかなりのグラデーションはありますね。今季もう一人のシティの"躍進"選手ドク同様、今後本腰入れてペップが仕上げの干渉を強めた時に、今までやって来たプレーが出来るのかという不確定さは、直近の問題としても当然あるでしょうね。ただその時にもボブに関しては、ペップの干渉をはねのけて更に高次元に"自分の"プレーをしてしまうのではないかなという、別の予感もあります。ペップに飼い馴らされる(広義の。輝かしい"協働"も含めて)のでも、消化出来なかったり反発して去る(ザネのように?)のでもない、第三のあり方。それくらいのふてぶてしさとベースの高さは、感じなくはないですが。いずれにしても、他のどの選手に比べても、素直に"改造"される感じはあんまりしないんですよね(笑)。それがいい方に出るか悪い方に出るかはまた別にして。
再度以上、ボブを参考に潮音を理解し、潮音を参考にボブを考える試みでした。



井上潮音とはどういう選手か(補) ~その他のシティ関係選手との比較


・ベルナルド・シルバ

明神智和からベルナルド・シルバまでの狭間(2021年04月13日)

という記事を、神戸移籍初年度の潮音のプレーの"解釈案"の提示として書いて、ごく一部でウケたことがありますが。(笑)

"水を運ぶ"選手としての井上潮音。
・そういう潮音のプレー、プレス/守備のキーマンとして前に後ろに率先して走り回り、攻める時は誰かの走ったコース走りたいコースに対してあくまで従属的に後追い的にそれをサポートするように自分のコース取りやポジショニングを決め、どこかでパス回しが滞っていれば駆けつけてパスを受けてそれを流ししかしそれ以上のプレーはせず、"黒子"というよりはもっとはっきり「脇役」と割り切ったプレーを淡々とこなすその姿。
・それを見ていてどういう選手とイメージが重なるかと言えば、例えば明神智和。(中略)
・あるいは"水"の運び方にも色々あるので、例えば現代を代表する世のサッカー通のアイドル(笑)の一人ベルナルド・シルバは、僕は大きくは"水を運ぶ人"の括りで考えるべき選手だと思いますね。明神の仲間です(笑)。マジで。(中略)
・そしてそこに潮音も入れたいという、そういう話。我ら水運び人仲間。(笑)

というような話。
かつてのイメージからすると、めっきり"決定的なプレー"に関与することの少なくなった潮音のプレーの理解の仕方というか受容の仕方というか。
まあその後ベルナルド氏は、"水を運ぶ"ことの波及効果を怪物的に拡大して行ってしまって、ちょっと今比較するのはおこがましい感じにはなっていますけど。"水を運ぶ"こと即ち"ゲームメイク"みたいな境地に。従を極めて主になる。
とにかくこういい一文が必要なくらい、少なくともこの時期の潮音には、まだ"天才司令塔""ファンタジスタ"のイメージや期待が強かったという事ですね。尚ちなみにそういう("水を運ぶ人"という)解釈が"可能"だと言っているだけで、それでいい、(潮音は)十分だとは、僕も思っていた訳ではないです。


・ジャック・グリーリッシュ

ベルナルド氏が前人未到の謎の領域に到達してしまった現在、こちらの比喩の方がむしろ直接的にはやり易いかも。
上で言ったように、ロティーナ下の2017-2018シーズンの2年間で、期待されたボランチ(2CMF)インサイドMFとしての戦術適合的活躍が出来ずにすっかり輝きとコンスタントな出場機会を失ってしまった井上潮音選手をある種復活させたのは、間にギャリー・ホワイトを挟んで2019シーズン後半にヴェルディの監督に就任した、永井秀樹監督でした。
バルサ/シティ風4-1-2-3を主に使った永井監督でしたが、永井監督がそこで井上潮音に与えたポジションは、前任者たちが与えた"2"(特例として"1"。後述)のところではなく、"3"の左サイドというもの。167cmで細身の儚げな(笑)小兵選手&ヴェルディ・ユース伝統の細かいプレーが得意な"テクニシャンMF"というイメージが自明的前提にあった井上潮音選手からすると、3の左、つまりは左"FW"というポジションは、なかなかショッキングというか意外性に満ちた転身でありました。(本人がどうだったかは知りません。見てる方はという話です)
象徴的な意味でしょうけど"我々のメッシ"と就任当初ロティーナが潮音を評したのに対して、どちらかというと"イニエスタ"だろうと当時ユース監督だった永井氏は言っていたそうなので(笑)、バルサでの"左FW"イニエスタのイメージが先にあったのかなと、振り返って思わなくはないですが、少なくとも現実に左FWとして潮音に与えられた仕事は、イニエスタのイメージとはだいぶ違うものでした。(ちなみに"比喩"競争に僕が参戦するなら、"体質ブスケツ役割シャビ"みたいな選手だったかなと2016年当時は)
左サイドから切り込んで攻撃のアクセントや仕上げに関わるよりも、まずサイドに張り出してボールの一時預け所になり、自己犠牲的なフリーランで味方にスペースを作り、プレスの先兵となりその他攻守様々な面でサポートに駆け付けと、言ってみれば"攻撃/前線"の選手としての"メイン"どころ「以外」のプレーを全てやるみたいなそんなプレースタイル。別に"メイン"に近いプレーを禁じられていた訳ではないんですが、そもそもがボールプレイヤー的な分かり易いエゴが希薄で、勿論新しく与えられた大量の仕事にエネルギーを回していたこともあって、そうしたプレーが可能な場面が回って来てもなかなか積極的な選択はせずに、安全を取ったりあるいは単純に立ち遅れたりする、そういう傾向が強く見られました。その前の2-3年間はチーム戦術に馴染めない苦しみを味わってはいましたが、馴染んだ上でしかし積極性が弱い決定的なプレーが少ないという現在に至る"特徴"の出発点は、この時期だろうと思います。
繰り返しますが、"復活"の時期ではあったんですけどね。このプレーの延長で、神戸移籍初期にはレギュラーポジションを掴んでいた訳ですし。ポジティブ、でも物足りない。逆もしかり。
で・・・。
何が言いたいかはもう分かるでしょう(笑)。この"かつて勇名を馳せた右利きのファンタジスタが、前線左でメイン「以外」の仕事を全てやって、それで評価はされるんだけど一方で決定的なプレーが少な過ぎるという不満を言われ続ける"という状況が、シティ移籍(21/22シーズン)以降のグリーリッシュとよく似ているということです(笑)。役割とは言えファンタジスタの匂いが消え過ぎじゃないのか?シティ移籍当初には確かにあったそれを、もう思い出すのも難しくなってるぞと昨季あたりのグリーリッシュを見ながらは思ってましたが、メンタリティあるいは基本設計的に潮音と近い部分があったりするのかなと、思ったり思わなかったり。とにかく"寂しさ"の似ている2人(笑)。(顔面偏差値も?笑)
"左FW"井上潮音が完成するのは2020年、グリーリッシュが現在のプレースタイルを確立するのは2021年以降ですから、海外サッカー好きの永井監督も、グリーリッシュのプレーを参考に潮音の起用法を決めた訳ではない訳ですけどね。ああいう役割自体が、何らか必要となることの多い戦術だということなんでしょうけど。タイミング的には、"神戸の井上潮音"(2021)のプレーの理解にも、"シティのグリーリッシュ"という例は間に合わなかった記憶。神戸では左"MF"がメインでしたが。


・コール・パーマー

シティ下部組織出身で現チェルシー。
ちなみに現在僕は潮音と並んでパーマーを"個サポ"対象として挙げてチェルシーの試合もフォローしていますが、特に2人を"似ている"とは思っていません。190cmのパーマーと167cmの潮音、左利きと右利きと、身体的特性も全然違いますし。細身で力感の無い、流れるようなプレーをするという意味では、似ているかも知れませんが。・・・力感が"無い"選手が好きなんですよね僕は(笑)。後でする話とも関係して来ますが。右利き左利きで言えば、右利きの方が好き。これもまあ関係がある。
さてそのように、グリーリッシュに比べても然程似た特徴が無いと言えば無いパーマーですが、特にチェルシー加入('23.9.1)当初の、新入りながら何でもかんでもやってチームの面倒を見てしまうようなプレーが、"思い入れ"という共通性にも助けられて、ある時期の潮音を一瞬連想させたかなという話。


9/27カラバオブライトン戦のプレーに対する、チェルシーサポ氏のコメント。具体的な状況は余り覚えてないんですけど、まあ似たようなことはこの前後ちょいちょい言われていたような記憶。
継続的な選手大幅入れ替え&若返り、ついでに監督(ポチェッティーノ)も新監督でしかもどちらかというとモチベーター型というこの当時の(今もかもしれませんが(笑))チェルシーは、"いい選手は沢山いてその組み合わせである程度は何とかなるけれどこれといった基準が無い"という状態で、シティ仕込みの(というだけではないでしょうけど)オールラウンドな能力を持つパーマーが、目一杯職域を広げておせっかいを焼いて、生きた"基準"となるのを、むしろ歓迎するような状況にありました。それにしてもこれだけ色々な事が出来る、特に低い位置に下りても出来る選手だとは、シティ時代には分かりませんでしたが。
そしてかつて潮音も似たような役割を負っていたことがあって、それはロティーナ2年目2018シーズンの末期、J1昇格プレーオフに進んではいたものの、"ポジショナル"ロティーナのチーム作り自体は袋小路というか打つ手無し上がり目無し的な状態で、そこでお鉢が回って来たのがそれまで埋もれていた潮音の個人能力、個人的"感覚"的部分で、中盤の底、時によっては1枚アンカーポジションに据えられた潮音は、守備から攻撃からチームビルディングをいちから自分のイマジネーションで作り直し作り上げ、昇格プレーオフの最後の最後、決勝まで行ったチームを支えました。(参考1参考2)
その仕事ぶりを、"インフラ"作りと評したのは、ふかばさんでしたが。

"生きた基準"のパーマーと、人間インフラ潮音。
潮音の場合は逆に、"人間インフラ"くらいさせてもらわないと、なかなか上手くプレー出来ないという問題が大きい訳ですが。多分感覚的過ぎて&その感覚が包括的過ぎて、部分的に他人に説明したり協調したりというのが、難しいんでしょうね。どうすればいいのかは全体として分かるんだけど、なぜそうなのかは自分でもよく分からない。だから切り取り不能。"全盛期"(しつこい(笑))2016シーズンのヴェルディも、冨樫監督の下チームは崩壊気味で、逆に潮音は好きに出来た。この時は二列目左を出発点に、前後左右あらゆるところに顔を出して、流れないチームのプレーを流していた。その"一部"として、華麗なアシストなども決めていた。
そこら辺に関して面白いと言えば面白いのが、2023シーズンの横浜FCでの使われ方で。前後分断的なロングカウンターチームの、"攻守の唯一に近い繋ぎ役"として膨大な仕事量を任されるという使われ方は、かなり"人間インフラ"的なところはあったと思います(だからこそ結果に関わらず固定されてたんでしょうし)。ただとはいえ基本的な設計図は監督が引いているので、自由はありつつも潮音のチーム関与・イマジネーションの発動(の深度)にも一定の限界は予めあり、そこら辺が"2016"Ver.や"2018"Ver.に比べての、特に攻撃関与のスムーズさに欠ける部分に、反映されていたのかなと。(ほとんど)"0"から始まるイマジネーションの流れに乗って一気に攻撃の最終局面まで行く(2016や2018)のではなく、途中で何か我に返って遠慮したり変に自分のプレーを意識し(て他人の基準でプレーし)たりと、そういう場面が多々見受けられました。
・・・という潮音とパーマーとの間に、言う程の共通性は無いような気がするというのは冒頭で言った通りですが(笑)、とにかく2023年のパーマーのプレーの記憶の力を借りて、井上潮音という選手が過去に見せていた顔の一つを、説明させてもらったという、そういう話です。まあ任されれば誰でも人間インフラになれる訳ではないので、そういう意味での技術的内面的共通性は、何らか無くは無いんでしょうけどね。(ただしパーマーは"駒""部分"としても十分に優秀)
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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
女子春高バレー2024雑感 ~分散の時代?
2024年01月17日 (水) | 編集 |
今年も東京体育館AコートDコート(男子がB・C)でやっている試合は、全部見ました。別会場Eコートの試合については、スカパーの契約の関係で後日追加で見ることになる予定。(隠れた逸材いたらごめん!と、読者ではなく本人に予め謝っておく(笑))


大会総括 ~上位層の沈没

僕が女子春高バレー全試合視聴マラソン(?)という正月の愉楽を発見したのは2018年のことですが、その時僕はこんなことを書いていました。

一つの言い方ですがCランク、Bランク、Aランクと各校の実力が積み上がって、既に十分に立派なAランクチームの、その更に上に文字通り"スペシャル"なSランク高校、ベスト4+αが存在しているという感じで、実に分厚く、かつ健康的な"ピラミッド"という印象でした。
Aランク以下のチームの"健闘"にも、Sランク高校の"面目"にも、等しく敬意を捧げられる。
(『"頂"(いただき)の高さとは ~春高バレーをヒントに』)

ここで"Sランク"と言っているのはこの大会の時点では金蘭会(大阪)、東九州龍谷(大分)、下北沢成徳(東京)、それに誠英(山口)が加わるかどうか。後に優勝校になる就実(岡山)[2021,2022,2024]や古川学園(宮城)[2023]はまだ視野に入ってませんが。
とにかく一回戦からこつこつと見て来て最終的に感じたブログタイトルにもある「"頂"(いただき)の高さ」上位層の上位層たるゆえんや貫禄が、この当時に比べるとだいぶここ2,3年で色褪せて来たかなという印象。金蘭会は2020年以降決勝に進めていませんし、東九州龍谷に至ってはベスト4が1回のみ。その両校に2018-19時点で若干後塵を拝していた下北沢成徳は今年久しぶりに決勝に進出しましたが、"三冠王者をかけて"という前振りからすると随分とあっさりとストレート負けで、結局今時(その得意とする)オープンバレーは雑魚専でしかないのではないかという疑惑が引き続くことに。気迫的なものも何か全然感じませんでしたし。一方で対極的なスピードバレーの東九州龍谷の凋落も去年の時点から見た目に明らかで、まとめて時代が変わったな感は。(参考:春高バレー女子戦績)
最近4大会で3回優勝している就実やベスト4以上常連の誠英は安定していますが、そもそも両校は上記3校に比べると名脇役的な安定感が特徴のチームで、"スター"チームの凋落でそれらが相対的に上位に押し上げられている印象。・・・それはそれとして就実の安定ぶりはやはり特筆すべきで、昨年のコロナ禍欠場が無かったら本当に3ないし4連覇してたかもなという感じではありますが。西畑美希監督の指導は、注目すべきかも。

このように勢力図が変わった理由としては、金蘭あたりは2018年メンバー(西川姉、曽我、林琴奈)をピークに(特に中心)人材の小粒化か年々増している気がしますし、古川学園の躍進がバルデス・メリーサ、タピアという二代に渡る留学生"助っ人"の存在ありきなのも疑いの無いことですし、たまたまの人材の当たり外れというのは、毎年メンバーの入れ替わる学生バレーでは当然あることではありますが。それでも少なくも3回戦くらいあたりまでなら金蘭も成徳も毎年"圧倒的な人の質"は感じさせるスターチームではあり続けていますし、東九州龍谷あたりも中川美柚、室岡、飯山エミリと各代それぞれに超高校級の逸材は輩出し続けています。大局的に見て"スターチーム"とそれ以外というコントラスト自体は、そんなに変わっていない気はするんですけどね。古川の"反則"外国人は別にしても、素材的には10年に1人級(以上)だろう"男子"的な怪物笠井季璃を擁した今年の旭川実業にしろ、"神様仏様堤亜里菜様"(?)を擁した2年前の共栄学園にしろ、単体の突発的な充実で上位陣の厚みを突破出来る感じは実際に対戦してみてもまるで無かったですし。やはり地力にはだいぶ差はある筈。
ただその"地力"が高い水準で(憎らしいくらいに)安定的に結実する、その信頼感や圧の強さみたいなものが、どうも失われている気がします。通常通り"準備"はしてある。でも"実現"があやふや。片鱗は見えるけれど片鱗しか見えないというか。
そうしたことがなぜ起きたかですが、考えられるのはこれも初年度2018年に書いたことですが、高校バレー特有のチーム・監督への帰属感・忠誠度の高さから来る戦術なりチーム作りなりの徹底性求心性が、かつてほど強力には働かなくなっているということかなと。いち早く(?)東九州龍谷が顕著に衰退したのは相原監督が全日本や年代別代表の方にかまけ過ぎて、それまでのような睨みが利かなくなった、人格的影響力を与えられなくなったせいなんじゃないかなと思ったりしていたんですが、気が付くと金蘭でも成徳でも、余り見たことが無かったタイプの淡白さが、各代のチームに感じられるようになった。え?それで終わりという。そこでもう一段ギアを上げられるのが、伝統強豪校なんじゃないの?という。
理由は何でしょうね。"パワハラ""モラハラ"が社会問題化し、その前からですがバレー界でも"怒らない指導"が称揚されたりするようになり、伝統的なド根性指導に躊躇いが生まれ易くなったとか?情報化が進み&各世代の代表活動が活発化して"国際的視野"が身近になり、高校生年代でもそう簡単に"方法的視野狭窄"に囲い込めなくなった?同時にハーフ系選手も爆増してますしね。
そもそも"高校チームの勝利"自体に、特に代表級選手を抱えるランクの高校ではさほど情熱を注げなくなっている可能性も無くはないですが、そこは高校生でやはりそれなりに純粋でもあるようですし、ロマンは生きていると信じたいところではありますが(笑)。それが魅力でもありますし。ただ逆に指導者側が育成重視になっている可能性は、普通にありそう。
理由はどうあれ、とにかくこれ以上実力/戦力優位校の"淡白"化小粒化が、進まないことを望みたいですが。セカンドランク以下チームの熱闘と裏腹に、それが100%?と疑問が残るような戦いでファーストランクチームが敗退して行くのは見たくないです。"集めた"責任を果たしてもらいたいというか。
だからパワハラ指導を復活させろとは言えないですけどね(笑)。でも何らかその中にあった"信念"なり多少なりとも盲目的な"信頼"なりに、実体的な力はあったんだろうなあと、やはり思わされるここ2,3年ではあります。

大会があり過ぎて全体像はよく把握していないんですが、苦戦する全日本を尻目にアジアや世界での健闘が近年頻繁に報じられる各年代別系代表のジャパンたち。
その関係なのか、今大会は"学年"とは別の次元での、年代別代表経験者や国内でも国体チームなどの選抜チーム経験を紹介される選手たちの、センスの良さや妙な"成熟"感が目立った気がしました。
「年代別代表の活躍」と同時に、「学校」(高校)をベースとした女子バレーの強化体制というかヒエラルキー自体が、少し緩くなっているのかなという印象も無きにしも非ず。

体力とかはやっぱり上級生の方が厚みは感じるんですが、何か状況を見る目というかバレーの把握の仕方というか、"解決"策を捜すルートが、高校ベースの選手よりも細かいというか意外性があるように、感じる事が多いんですよね、漠然とした印象ですが。
"上手いなあ"と思わず唸ってしまう。「職人」的な完成度という意味でなく。"ずるいなあ"でもいいですけど(笑)。そんなとこ通すのかという。

(『春高バレー女子2020まとめ ~3年目の感慨』)

へええ、2020年に既にこんなことを書いてたんですね。
ここに書かれている"傾向"が更に進んでいる感じ。グローバル化による淡白化とクレバー化。
チームの話はもうしましたが、もう一つ"1年生選手の成熟度の高さ"というのも、今回これは学校のランクを問わずあちこちのチームで感じられたことでした。何なら体もやや大きかったりするし。Vリーグの苦戦やバレー人気の停滞とは裏腹に、選手たちのレベル、少なくともベースの高さは、ちゃんと年々上がっている感。それだけにそれを受け止めて活かす力が、バレー界自体に欲しい所ですが。
余り見てませんがVリーグでも、代表に呼ばれてやれそうな選手自体の数は、昔より増えている感がありますしね。



今大会のアイドルたち

もう"注目選手"とも言わない。(笑)
まあ今大会結構かぶってる傾向もあったので、バレー面の注目とアイドル性面が。(笑)
全般的な傾向として、小綺麗というか垢抜けた(コの多い)学校が増えて来た気がしますが、その分逆に目立つコは見つけづらかった感。〇番だと思ってたら〇番のコだったみたいなことも頻繁に。(笑)


東京都市大塩尻[長野] 北村萌恵選手(3年 オポジット 168cm)

KitamuraMoeKitamuraMoe2

"颯爽"
代表での活躍でお馴染みのJTの林琴奈選手二世とも言われる、スピード溢れるライトのオールラウンダー。(右利き)
林選手よりはだいぶ攻撃寄りに感じますけどね。最終段階の急加速で攻撃方向や強度をまとめて一気に決める感じの、躍動感溢れるライト打ち/速攻が武器。「プレーだけでなく判断が早い」と大林さんが言ってたのは納得。いつ決めた?という感じのプレーが多い。
"オールラウンダー"と言えばオールラウンダーなんですけど、器用というよりはとにかくスピードと運動量と学級委員長的な(笑)真面目さで、あらゆるプレーに関与しまくる感じ。林選手の代名詞でもある、サーブレシーブ力はどうなんですかね。僕の持論としてサーブレシーブの特別上手いアウトサイド(木村-新鍋-林)には、共通して飄々とひねくれたS寄りのパーソナリティがあるように思うんですが(笑)、そういうタイプかな。少し真面目過ぎる気も。
という訳でプレーヤーとしての将来についてはよく分からないなという感じのところもありますが(身長も身長ですしね)、とりあえず今大会一番長い時間目を楽しませてくれた選手ではあるかなと。
そもそも都市大塩尻のユニフォーム自体が抜群に爽やかでおしゃれで、それに合わせたように(笑)歴代細身の溌溂と動く選手を集めてスピーディなシンクロバレーで近年各大会で安定した好成績を収めている高校ですが、ある意味そのイデアを具現化したような印象の選手。どの瞬間どの角度で見ても爽やかに美しくて目は喜ぶんですが、反面これといったカットが見つけ難いというか、とにかく動き回って止まることが無い&プレー特性なのか正面を向いている瞬間が少ない選手で、少し困りました。(という訳で冒頭の"横顔"2枚を)

KitamuraMoe3KitamuraMoe5

動き過ぎて(?)試合中に足を攣りかけてチームメートにストレッチをしてもらう北村選手。余り見たこと無い光景。期せずして満天下にたっぷりと"脚線美"を披露することに。(笑)
現時点で進路は不明ですが、なんか凄く大学バレーが似合いそうなイメージの選手。"部活"の"キャプテン"がというか。(笑)


金蘭会[大阪] 井上未唯奈選手(3年 ミドルブロッカー 182cm)

InoueMiina

既に久光への入団も決まっているらしい、世代屈指のミドルブロッカー。
身長は伸びてる最中っぽいですが、いずれにしても単純な高さやパワーというよりは、ジャンプ力やスピードや、運動能力全般の高さに特徴のある、こちらも"躍動感"系の選手。
飛び切り"美人"というタイプではないですが、天真爛漫な明るい笑顔が、プレーそのもののイメージとも重なって、"人柄自体が才能"みたいな、そんなプレーをする選手だと思います。
そんな井上選手のルックス面の最大の特徴は・・・足の長さ。(笑)
182cmあるのである程度は当然なんですが、それにしても腰の高さ、足の付け根の位置が、決して低い訳ではないチームメイトたちと比べても一目瞭然で高い。(6番)

InoueMiina2InoueMiina3

ちなみに2枚目で右隣に立っている1番の西村美波選手も、登録は178cmあります。
その長い足で右に左にぴょんぴょん飛び回る井上未唯奈(みいな)選手のプレーを目で追っていると、脳裏に"足の残像が残る"という、僕の春高観戦史でも稀な経験がしばしば発生して、不思議な気持ちになりました。(笑)
そういう意味でも、"見"てるだけ(笑)で楽しい選手です。
いずれ代表に選ばれて一般の目に触れれば、そこら辺も話題になるのではないかなとか。(笑)
今後の活躍をお祈りします。


川崎市立橘[神奈川] ベヌッチ美伊奈選手(3年 ミドルブロッカー 179cm)

ベヌッチ・・・イタリア系か、やっぱり。

Benucci


高身長から来る"宝塚"感というか、"王子様"感を醸し出すコの多いミドルブロッカーポジションの選手の中でも、その掘りの深い顔と相まって満点の"王子様"感のベヌッチ選手。

Benucci2Benucci3
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井上潮音と横浜FCの2023シーズン+退団選手たち
2024年01月11日 (木) | 編集 |
2021年から2年間在籍した神戸ではおよそ主力選手とは呼べない扱いで、"当事者性"の問題で書き難かったこういう"普通"の記事を、晴れて(と言い切るにはチーム成績的に微妙なところもありますが)不動のレギュラーの座を勝ち取った2023年の横浜FCについてなら書いてもいいだろうと、少しガードを緩めてみる個サポの図。
元々は"井上潮音論"的なもののマクラ部分として書き始めた内容ですが、全体が思ったより長くなりそうなのでどうしようかな、要るのかな要らないのかなとまとめて放置していたものを、少しだけ書き直して再利用。尚今回のメインはあくまで"横浜FC"の方なので、"井上潮音"論の方はこの後別稿で、改めて。(多分)


横浜FC、J1残留ならず

ますば横浜FCのJ2降格/J1残留失敗、残念でした。
自身主力選手として出続けていただけに、もし残留に成功すればこれまでプロ選手として優勝にも昇格にも関与したことの無い潮音にとって、一つのそれなりに"タイトル"的経験になるかなと期待していたんですけど。
チームとしても、実力的に妥当な面も大きいとはいえ、別にずっと最下位(今季唯一の"降格圏")に沈んでいた訳ではなく、逃れる可能性も十分にあったように見えていただけに、残念でした。
1トップとしてJ1水準でもスペシャルな能力を示していた小川航基選手がいてくれていた開幕当初はチームの戦い方が全く安定しておらず、ようやく安定した時には小川選手はオランダに旅立って(7月)しまい、代わりに台頭した"スペシャル"なFW山下諒也選手も終盤の肝心な時期に故障離脱してしまいと、それでも最終節の一つ前までは残留の現実的可能性を残していた訳ですから、何かもう一つかみ合わせが良ければな運に恵まれればなと、そういう思いは残ります。これまでに見て来た数多のJ1リーグの"降格"チームたちと比べても、「崩壊」感は希薄な方で、それたけに惜しかったともシンプルに実力不足だったとも、両方のことが言えるでしょうけど。
戦い方としては、4バックでポゼッション志向の序盤と、3(5)バックで走力勝負のカウンター、(カタール)"森保ジャパンスタイル"ともみなしうるかもしれないそれ以降と、大きく2つの時期がありました。その中で潮音自身は前者ではトップ下/2列目とボランチ/3列目を行ったり来たり、後者ではボランチ固定で攻守の唯一に近い繋ぎ役として、結果としてほぼ1年通してスタメンとして出続けました。チーム内の立場も最初は先発でとりあえずは出るものの後半点を取りに行く時は決まって真っ先に替えられるような立場から、替えられるとしても最後の最後、フル出場の方が基本という立場まで、地位を上げたシーズンでした。・・・(同様のポジション適性の)三田(啓貴)中心のチームから潮音中心のチームへ、はっきりと変わった時期が一つありましたね。
四方田監督の用兵も、上の"スペシャルな"FWとボランチ潮音(と、一応GK。後述)のところはチーム構成の前提として固定で決めてあって、後は時々の調子の良い選手や多少の味付けの変化の為に替える/選択するという、誰の目にも分かり易い方針で行われていました。結果として岩武、ユーリ・ララ、山根永遠あたりも、ほぼ固定ではありましたが。(特に山根永遠は"固定"感が強かったですか。潮音に次ぐアンタッチャブル感というか)


2023横浜FCでの潮音の"実際"の存在感

このように、出場機会/時間的に、そして役割の唯一性という意味でも、外面的客観的には押しも押されぬ中心選手であった2023シーズンの井上潮音選手ですが。それに相応しい充実したシーズンという手応えが、2016年のヴェルディでのデビュー以来毎年プレーを注視して来た僕にあったかというと、残念ながらそうでもない。また横浜FCサポの間で、潮音の評価が高かったか、そのフル稼働の中軸性に相応しい"貢献"への言及の声が多かったかというと、僕の知る限りではそれも当てはまらないように思います。
評価が低かった、批判の声が大きかった、というのとは、少し違うんですけど。どちらかというと高い低い以前にそもそも言及自体がほとんどされない、関心自体を持たれてない(笑)のでないかという、そういう印象。・・・そういう役割と言えばそうなんですけど、"黒子"にも程があるというか。(笑)
ぶっちゃけ出場機会の限られていた神戸時代の方が、遥かに言及されていたしあえて言えば"愛されていた"、期待されていたという手応えはありましたね。批判も(個サポの立場から見れば)誤解も勿論ありましたけど、前提として"熱"を感じたというか。そういう意味での寂しい思いは、正直感じることの多かった一年でした。今日も出勤して、9時5時で帰った来たなあという感じの毎試合。次もまたそうなんだろうなあという。(笑)
では横浜FCサポが神戸サポに比べて熱量が低いのか、井上潮音のような選手に対して特別に関心が低いのかというと、少なくともそう考える理由は特に無い。在籍時期がそれぞれのチームの概ね不調期であるという条件も共通なので、そこら辺でバイアスがかかっていたとも思えない。
ならば何が理由かと言えば、一言で言えばそれは潮音のプレーが、良くも悪くも"無難"に終始していたからでしょうね。・・・"終始"。本当に"終始"。見ていた人は分かると思いますが(笑)。特異なくらいに無難というか。無難なのに特異というか。
試合ごとにやや流動的だった4バック期を経て、主軸に完全定着した3バック移行後の潮音の基本的役割は、後ろに重い撤退守備と前線のスピード頼みのカウンターアタックの間で、上でも言ったようにほとんど唯一に近くそれらを繋げる存在。DFラインの補助から攻撃の最終局面への顔出しまで、仕事の範囲は膨大と言えば膨大で、逆に攻守の"両極"の間でプレースタイルの表現の可能性には大きめの幅があったと思いますが、それを潮音はかなり守備寄りというか、安全寄りに表現していたと思います。それが証拠に・・・という訳でもないですが、ある時期以降2ボランチのパートナーとして定着したユーリ・ララ選手は、デュエルが趣味(らしい笑)で潰しの得意な、本来は"守備"的なタイプの選手の筈。だから彼の定着によって三田などがパートナーだった時に比べてより潮音は解放されて、攻撃関与を深めて行くという予想をした人も当然多いでしょうが、最終的にどうなったかというとむしろユーリ・ララの方が攻撃のスイッチャー役になっていた感。それは多分そう決めたとかいうのではなくて自然にそうなったので、潮音がやらない仕事を潮音がやらない分、ユーリ・ララがやるようになったと、そういうことのように見えました。
勿論潮音も低い位置にへばりついている訳ではなくてボールを受ければ普通に上がっては行く訳ですけど、それで自ら決定的な仕事を狙うというよりはまず味方に無難に繋げることが第一というか、これは特に神戸移籍以後に強まった傾向ですが、位置に関わらずプレーの優先順位としてバックパスや横パス、あるいは一人味方を飛ばせそうな時でも飛ばさずに安全に繋げるという選択がほとんど"機械"的に多いので、段々と周りの味方もチャレンジングなプレーを潮音に期待しなくなるというか、DFラインの選手も含めて基本フィールド上で一番セーフティなプレーを選択するのが井上潮音みたいな相対状況が、むしろ常態化していた感があります。
で、その"味方の認知"ということに絡んで言うと、そういうプレーをある意味頑固に続ける(その内実については"井上潮音論"の方で書くかと思いますが)潮音が、上で言ったようにほぼアンタッチャブルな感じで勝っても負けても固定起用されている訳で、それはつまりそれでいいと監督が言っている、それが監督の求めるプレーだと解釈せざるを得ない訳で、ならばとサポの方も沈黙するしかない、不満はあってもあえては言及せず、かといって興奮して声を上げるようなプレーもほぼしないのでそういう意味でも言及せず、とにかく言及"されない"選手になってしまった(笑)んだと思います。

言及される場合もありますけどね。それは限度を越えて"不満"なプレーをした場合(笑)。代表的にはセットプレーのキッカーとしてですけど。あれは無しだわと、僕でも思いますが。多くはないチャンスを活かさないといけないランクのチームのキッカーとしてはかなりあんまりな"無難"ぶりで、多少恣意的にでも三田なりカプリーニなり(近藤なり)の期待感のあるキッカーを常時"11人"の中に入れておくメンバー選択をすべきではないかと、つぶやいたことも何回かあった記憶。
あるいは潮音が完全主軸化する時期のには、その"消極性"への批判ももっとあからさまに言われることも多かった。だからやはり、四方田監督の無言の断固とした支持を背景に、変更したチーム戦術と一体化することによって、ある意味"個人"でなくなることによって個人としての言及が沈黙させられることになった、そういった面は強いのではないかなと。別に嫌われてるとか(笑)あるいは"不当な贔屓だ"という批判がある訳ではないようですが、黙認/承認されているだけで積極的に愛されている訳ではないと、そういう感情のありようは広くあった気がします。
・・・ルヴァンのどれかだったと思いますが、数少ない完全欠場試合の後に、"井上がいないと全くボールが落ち着かない"的なコメントが複数人のサポの口から出ていたことがあって、あれが一番"熱"が生じた瞬間というか、2023年のハイライトだったなという。(欠場試合ですけど(笑))
挙げた3ゴールの中になかなか鮮やかなものも複数含まれてはいたんですが、日頃の行い(笑)との関係でどうも"浮いた"感じに見えて、余り"代表的なプレー"感は。
念の為に言っておくと、チームメイトとの間に冷たい空気が流れている的な様子は、全く見られません。終盤の残留争いの白熱していた時期には、潮音なりに感情を強く出すシーンなんかも、それなりに増えていましたし。2023シーズンの横浜FCにとって、替えの利かない貴重な選手だったことは間違いないでしょう。ただ稀少性の割にはそれほど高い値段はついてない的な、"お店"の中での存在感だったという。(笑)
具体的なプレー面で言うと、"シュート意識"に関してだけは、シーズンの中で結構強化されたように思います。仕掛けの意識も、僅かながら。一番変わらないのはパスですかね、長いのも短いのも、もう少し"狙う"意識を持てる余裕は、基本の役割との兼ね合いで見てもあるように思いますが、本人の意識はまた違うようで。
とにかくカテゴリーを変えて今度は"昇格"を目指す立場のチームの中心選手として、2024シーズンも更なる活躍を期待したいところ。(と、一応締めておきます。"無難"に(笑))



次のパート。
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’23.10月期の地上波アニメ [追加分]
2023年12月27日 (水) | 編集 |
前回(11/9)ひと通り挙げてから、更に無視できない作品が二つ出て来てしまったので、今期の最後に追加分とついでにその他目立った作品についてのコメントを。


薬屋のひとりごと (Wiki)

原作 - 日向夏
監督・シリーズ構成 - 長沼範裕
副監督 - 筆坂明規
音響監督 - はたしょう二


10/21とやや遅めに始まったせいでしょうか、"1話を見て切った"、のではなく、そもそも見ていなかった作品。
番組欄で名前を見た記憶はかすかにあるので、似たようなコンセプト("薬屋""薬師"や"後宮"それぞれ)のファンタジー系作品と、混同していた可能性も。(笑)
これも架空の中国風宮廷を舞台にしているという意味ではファンタジーですが、魔法も転生も出て来ない、内容的にはリアルな"歴史"ものの方に近いですね。
原作は小説。「小説家になろう」出身の所謂"なろう系"ではある訳ですが、そういうタイプの人というよりもたまたまそこを窓口にしたというか、たまたまそういうものがある時代に生まれただけの、無印の"小説"家という感じですがこの作品を見る限りでは。(これがデビュー作で、しかしその後も10年間活躍し続けている他の作品は知らないので自信は無いですが)
監督・構成を兼ねている長沼さんは・・・おお、『魔法使いの嫁』(1st)の人じゃないか。どうりで。レベルが違う。この前も「むしろこの時代の日本の"ドラマ"の代表作」とその内容の本格感を絶賛していた"嫁"ですが。共通する何か"地に足の着いた"感というか、無駄にぎゃあぎゃあ騒がず、ひたひたと地力と内実で迫って来る感のある作風ですよね。監督の作風なのか、作品"選択"の時点での違いなのか、まあ両方ではあるんでしょうが。・・・改めて調べてみると両作音響監督も同じ人(はたしょう二)なので、その影響もありそうというか、そもそもそういう作品としての大きな意図でもって人材を集めて、作られていそう。なお"脚本"家としては他に『鬼灯の冷徹』しかクレジットが無いので、基本的には"演出"家の人のよう。>長沼氏
副監督はまだ監督歴は無い人で、副監督としては他に『徒然チルドレン』。

さて作品。

12月初頭、存在に気付いて慌ててWOWOWオンデマンドで一気見キャッチアップ後の第一声。
ご存知のように僕は中国ドラマのヘヴィユーザー(参考)で、そちらの所謂後宮もの宮廷ものも飽きる程(本当に飽きる程ある(笑))見ている訳ですが、それを踏まえてこの作品の印象をまとめると、

「後宮ものを筆頭とする中国歴史フィクションをよく知っている人が、そこに日本の女性漫画の感性とラノベ世代のタイム感と効率主義を持ち込んで作った作品」

というもの。
"薬学"(科学・化学)を大きく軸にするのは近年の日本のラノベやアニメの一つの流行りでもありますが、実は中国史劇の方でも女医や女性検視官などが大人気だったりしますし、後宮の女どうしのの哀切(しばしば陰湿)な"ドラマ"含めて、直接的な内容的に驚くようなもの新鮮なものは、実はほぼ無かったりします。作者もそこらへんは、むしろ"パターン"と割り切って書いている部分が大きいのではないかなと。
そしてその"割り切った"後の描き方というか向ける視線や距離感が、いかにも日本人(つまり"女性漫画"や"なろう系ラノベ"を教養として持つ)的でそこが面白いし同じく日本人である(笑)僕のツボにも入り易い。特に主人公猫猫の、一応境遇から来たものでもある極端に醒めたというか現実や運命に対して淡々とした感じ、自嘲的なユーモアや世界に期待しないゆえに曇りなく研ぎ澄まされている知性などは、日本の現代の女性漫画の登場人物の多く(及び背後の作者)に感じられるもので、中国フィクションでは余り発達していない独自の感覚だと思います。・・・中国人はとにかく主張すること喧嘩することが大好きですしね。(笑)
と同時にその主人公の問題解決能力ゆえではあるんですが、後宮の陰湿な人間関係からの基本的には陰惨な展開が、上のツイート(ポスト)にもあるように毎度意外なスピード感でコンパクトに立ち上がっては収束する感じは、やはりラノベ的とは言えるのではないかなと。構造の提示も簡潔ですし。だるいことに耐えられない世代というか(笑)。正直いくら何でも簡単過ぎるように感じる時もありますけどね。確かに中国(&韓国)もののしつこさにはうんざりしている僕ではありますが、さすがにもう少し粘らないとドラマとしての重みが足りな目かなと。もう少しだけ中国に寄せて?というか。(笑)
最終的にはだから、その"簡潔"の方の快楽が、メインな作品かも知れません僕にとっては、ドラマの感情的な"重み"や"味わい"というよりも。的確堅実には展開されている後宮(陰惨)ドラマの、しかしその本来の重みを切り裂く猫猫の批評力の快楽というか。
・・・ちなみに実は中国の方でも、"簡単"化の試みは現代のこのジャンルでも随所で展開されてはいるんですよね。どちらかというとシンプルな"善良"化"淡白"化という方向で、この作品のような"鋭い"タイプのものではありませんが。(日本でそれを可能にしているのが、だから(中国には無い)漫画の存在かなということですが)


地球外少年少女 (Wiki)

原作・監督・脚本 - 磯光雄
音響監督 - 清水洋史


こちらは記事を書いた11/9の後にNHKで始まったので、不可抗力的なスルー作品。(笑)
2007年の伝説的なオリジナルSFテレビアニメ『電脳コイル』の同じく原作・監督・脚本者の磯光雄氏による、その間色々あったんでしょうけどとにかく15年ぶりの新作。『電脳コイル』はMHK教育での30分×全26話でしたが、こちらはNetflixでの全6話とだいぶコンパクトになっています。
前作は一応近未来(2020年代)設定ながらむしろノスタルジック寄りの昭和的風景違和感無く(インパクトはある(笑))重ねられる、当時まだその言葉も知られていなかった拡張現実(AR)の表現に仰天魅惑され、また主要登場人物である小学生の男女たちが、しかし子供なりにリアルにシリアスに展開するドラマの説得力にも大いに唸らされた、日本の(テレビ)アニメの歴史の中でも異様とも言える程突出した作品でした。
比べて今作はどうかというと。
まず「AIやインターネットが普及した2045年の宇宙空間」(Wiki)が舞台ということで、AR表現は当然より多彩になり、その機知やしゃれっ気にはははと笑わされる場面なども無くは無かったですが、正直あんまりインパクトは感じませんでした。その理由は多分簡単で、舞台が2045年の宇宙ステーションの、当然の如く最初からデジタルテクノロジーが全面化した世界ということで、前作の"昭和の日常性"との間にあったような「コントラスト」の面白みが存在しないということ。それはたまたまの部分もあるでしょうが、単に"テクノロジー"やあるいは(いちから全て作り上げる)"VR/仮想現実"ではなく、"拡張"現実を表現する妙味としては、案外本質的なものなのではないかなとも。ギャップこそが味というか。だから問題は表現されるテクノロジーや表現するアニメの技術の(15年間の進歩の)絶対レベルではない訳ですよね。要は技術が進んだんだねという以上の感想が無かったという。
ここらへん、逆に『電脳コイル』での"ギャップ"がどこまで意図的なものなのか、一方の主題でもあったように見える都市伝説的な和風の異空間/異次元性を描くこととの、副次的な複合効果だったのかなという疑問も多少抱きました。何も無ければもっとストレートに"SF""未来"の人なのかなという。この作品のように。
そしてもう一つの"ドラマ"としての部分なんですが・・・。うーん、どうなんでしょう。正直普通というか、平凡に感じました。子供がわちゃわちゃしてるだけというか。(例えば)前作のような"児童文学"的な暗い魅力のような、こちらがちょっと緊張して真剣に見たくなるようなものは。特に"インフルエンサー"(ユーチューバー?)の女の子のキャラがただただ鬱陶しい&類型的に感じて("厨二病"とうやもちょっと)、見るのやめようかなと何回か思いました。6話しかないんで見ましたけど、"26話"だったら怪しかった。
あくまでちなみにですが、音響監督は違いますね。今作が清水洋史氏で、前作は百瀬慶一氏。
作品歴としては、前者は『ユーリ!!! on ICE』『啄木鳥探偵處』『すばらしきこのせかい』が僕が見た筈の作品ですが、『ユーリ!!! on ICE』しか記憶には無い。
後者は音楽プロデューサー出身という変わった経歴ですが、こちらは・・・駄目だ(笑)『電脳コイル』しか知らないというか、地上波以外(WOWOWやNHKBS等)でよく仕事をしている人のようですね。映画だと『スチームボーイ』とかも。(見てないけど)
まあ音響監督の作品歴を見てもほとんど何も分からないというのは学習済みなんですけど(笑)、一方でこの前見た進撃最終話のアテレコのドキュメンタリー番組では、音響監督が声優に付けている注文がその声優の直前の演技を見ながら正に僕が感じていたことばかりだったりしたので、やはり何らか音響監督のセンスと結果出来上がる"芝居"の好みとは関係ある(ことが少なくない)筈なんだよなあと、また未練が(笑)。何が欠けてて相関関係が見いだせないんだろう。ぶつぶつ。
とにかく二作の芝居を付けた人は違うと、その事実だけ念の為メモっておきます。
内容・ストーリーの方の話をすると。
"AIの知能リミッター"という話は面白かったですね。
理論的には僕は知りませんが、今後AIを益々人間社会に取り込んで行く上で、現実的に出て来る可能性なのかも知れません。
その"リミッター"が外れて行くにつれての知能上昇の描写も、"6話"にしては頑張っていたような気はします。別に書いている人が限界AI並みの知能の持ち主ではない訳で(笑)、なかなか端的には難しいだろうと思いますが。どちらかというと人間が既に行った哲学的思索などを参考に、"高知能"がしそうな思考を設置してみたという、そういう印象でしたが。
"宇宙人"(とうやたち)から見た"地球人"というテーマは、まあ伝統的というか、それこそガンダムの時代あたりから繰り返し出て来るモチーフですね。地球を食い潰す前に(ゆりかごから)離れろという。その問題意識に対する非常手段としての、地球人類強制削減計画というのも、これもまあ割とある発想。人類の何が悪いとか社会制度がどうとかひと通り考えてみた後に、結局"規模"の問題なのではないのか多過ぎるのが根本の問題なのではないかというのは、少なからぬ人が到達する結論なのではないでしょうか。環境破壊が悪いのではなくて(それはむしろ"生きる"ことそのものなので)、環境破壊をし過ぎる、そのスケールが"大き過ぎる"のが問題なのだ、だからスケールを縮小すればいいし、むしろそれしかないと。それが出来ないからああでもないこうでもないと今もやってる訳ですけど、それでどうにかなるの?という疑問は、過激派ならずとも一度は考えない方がむしろ迂闊に過ぎると思います。(作品内的にも結局予想外の形でですが、人口削減自体は実現してますよね。それだけ磯さんがこの考えを間違ってないと考えているということだと思いますが)
で、それを"限界AI"の結論として出させたのが、この作品の新味と言えば新味なのかな?新たな"説得力"源というか。(もしその結論が本当に出たら。これから出るかも知れないですけど)
"AI"絡みで言えば、「"人"という単位でしか考えていなかった(新)セブンが、"人"という単位も思考の範囲に取り入れるようになった」という流れは色々と示唆的というか面白くなりそうな感じはしましたが、残念ながら余りそこら辺を追求する暇は無かったようで。

まあやはり6話しかないのでね、僕の言う"ドラマ"としての物足りなさも、じっくり描写する余裕が『コイル』のようには無かったという理由も、あるかとは思いますが。
そこら辺の判断は次作への持ち越し課題・・・ではあるんですが果たして"次作"はあるのかあるとしていつなのか。15年はちょっと空き過ぎ(笑)ですね。5年後なら評価も変わったかもしれないし内容自体もまた違うものになったろうと思いますし。Netflixの助けが無いと作れなかった・・・という可能性も、実際ありそうだから怖いですけど。



その他。

既に紹介したものの中では、『ラグナクリムゾン』(の作者の才能)にはかなり痺れてるんですが、まだ続くようなのでそれは終わった時に。
『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』も、萌えアニメみたいな見てくれで(笑)、テーマ的にも展開的にも、予想外にハードで面白かったですね。
『MFゴースト』"見るドラッグ"(笑)ぶり。単純な楽しさで言えば一番は実はこれかなという。遊園地の乗り物みたいなアニメ(笑)というか。VRともまた違う、(2D中心の)"アニメーション"の快楽

そして意外なお気に入りが、『攻略うぉんてっど! ~異世界救います!?』
「純中国人作品なのに日本人が作ったようにしか見えない」と驚きを語ってましたが、最後まで見てもそうというか、それ以上というか。
"日本の二次元文化大好き"、"それの体得者"の部分は、最終回の壮大"スーパーマリオ風ゲーム"攻略シークエンスを見れば、誰もが納得でしょう。特にゲーム好きじゃない僕でも、なんか泣きそうになりました(笑)。愛してくれてありがとうというか。出来れば仲良くしたいよねという。
そして全体としては、一見そういう"二次元"表現物のパターンの寄せ集め&優秀な再編集的作品に見せかけて、実際にはそれらを押しのけて出て来る/それらの向こうに更に存在する作者"個人"のイマジネーションの強力さ堅固さが、強く感じられる作品でもありました。作者が自分で自分をどう考えているかは国籍の違いもあってよく分かりませんが、あくまで「作家」だと思いますこの人は。パロディストでもアレンジャーでもない。オリジネーター体質というか。そういう意味でも、次作に更に期待。
・・・"引用・再編集"タイプの作品というなら、むしろ『薬屋のひとりごと』の方がそうだと思いますね。実際そういう構造ですが、すんなりそう。それ以上の野心は、作者も持っていなさそうというか。そこに自分のセンスがまぶせれば、それで満足そう。


以上、結果かなり充実していた感じの、2023年10月期の地上波アニメでした。


’23.10月期の地上波アニメ
2023年11月09日 (木) | 編集 |
3か月も空けると余計な広告とか出て来そうなので、書きます。(笑)
夏季長期体調不良に始まってそこに眼鏡の不調が挟まり、最終的に(体調不良をきっかけとする)韓国ドラマの封印解除によって、ここ2か月半くらいはほんと廃人してました。(笑)
まだ廃人は廃人なんですけど、体調自体は悪くないのでそろそろ。


新作

原作付き

ラグナクリムゾン (Wiki)

原作 - 小林大樹
監督 - 高橋賢
シリーズ構成 - 赤尾でこ


似たようなタイトルのが過去沢山あった気がする、剣と魔法とドラゴンの物語。
でもこれはかなり変わってるというか、荒々しくハイブリッド。
・まず人類の純粋な敵であるドラゴン/竜(ここまで純粋なのは意外と珍しい気が)たちがいて、そこには絶望的な力の差がある。
・その差を逆にチート的なまでに覆す超戦士に主人公はなって行く訳ですが、その過程自体は冒頭で足早に済まさせる。
・ストーリーはその超戦士が竜を滅ぼした後の、過去への後悔からの(広義の)タイムリープものとして本格的に始まる。
・"ラスボスを倒した後"ストーリーは今期の『葬送のフリーレン』なども含めて結構ありますが、倒す"前"にわざわざ戻っちゃうのはかなり珍しい。(笑)
・一方竜側も妙で、その主人公の竜族撃滅&過去のやり直し双方に助力する参謀役は、他ならぬ竜族の大物の一人(一体)である。
・でもその竜は別に善意で助けている訳ではなくて、"善意"はむしろ"ラスボス"たる竜族の女王の方にあるよう。


なんかもう、あっこっち入り組んでて、情報密度が高くて、なんだなんだと戸惑いながら、飽きずに楽しめてます。単にストーリーが手が込んでるというよりも、作者の物の見方や"善悪"観自体が、既に入り組んでる感じで興味深いです。
その作者/原作は漫画。ラノベかと思った。"ラノベの漫画化作品"ぽいというか。
とにかく周辺ジャンルのパターンを入念に研究して・・・尚それよりも自分の衝動やこだわりが勝ってる感じで、要は才能がある人なんだろうなという感じ。それが"荒々しくハイブリッド"ということですが。
監督は『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ドライ!!』の共同監督の経歴はあるものの、ほぼ初監督と言って良さそうな原画マン出身の人。
構成は・・・沢山やってますが僕の印象に残っているのは『覆面系ノイズ』『メガネブ!』。
ただ"アニメ"としてどうというよりも、とにかく設定・話の面白さでぐいぐい引っ張られる感じの作品。


MFゴースト (Wiki)

原作 - しげの秀一
監督 - 中智仁
副監督 - 高橋成世
シリーズ構成 - 山下憲一
脚本 - 山下憲一、稲荷明比古


原作は『バリバリ伝説』『頭文字D』で有名な人気モーターサイクル漫画家の現在もヤンマガで連載中の作品ですが、そもそも"モーターサイクル"に全く興味の無い僕は完全スルーしてました。
それだけにアニメの楽しさが衝撃的で(笑)。今期一番単純に楽しい作品かも知れない。何でも馬鹿にしたもんじゃないなというのと、こういうのが"アニメ化"の効用だなというのと。漫画は読むのに体力要るから、どうしても選んじゃう。
舞台となっている「公道レース」(カーレース)のレーサーの一つ一つの挙動の意味や凄さが実に分かり易く描写されていて、さすが大家(たいか)だなという感じ。話法の洗練の極みというか。特にレーサーのタイプ論がクリアなので、初心者にも入って行き易い&タイプ論好きの僕の何やらをくすぐってくれます。かなり細身好きらしい、女性(レースクイーン)の趣味も気が合いそう。(笑)
映像的にもかなりかっこいいというか、"カーレース"をかっこよく見せるんだという気合が感じられますが、監督は劇場版『頭文字D』シリーズの人で、さもあらんという。副監督はそこでも組んでいる人で、文字通りの"副監督"という感じ。(後見役や弟子ではなく)
構成はそれなりに実績のある人のようですが、見た記憶あるの無いな。脚本の方で並記されている人は、『老後に備えて異世界で8万枚の金貨を貯めます』の人。


とあるおっさんのVRMMO活動記 (Wiki)

原作 - 椎名ほわほわ
監督 - 中澤勇一
シリーズ構成 - 待田堂子


これまたどこかで聞いたようなタイトルというか、新作なのかどうかも疑わしく一瞬なりますが(笑)、面白いです。
"おっさん"が美少女化するとかスーパーマン化するとかではなく、おっさんがおっさんのままコツコツとマイペースにVRMMOをやっていたら、色々たまたまゲームシステムにハマってスーパープレーヤーに押し上げられてしまって、嫌がりながら活躍する話。
その"押し上げられる"過程が面白くて、所謂パラメーター的なチートではなく、あくまで組み合わせの妙による(たまたまではありますが)論理的帰結の結果なのが、本当にゲームを好き/よく知っている人が書いてるんだろうなという感じ。知らないで沢山頑張るよりも、知っててまあまあ頑張る方が断然強いみたいな風景。
原作はラノベ。アニメ化はこれが初めての人かな?
監督は初監督、構成は『らき☆すた』('07)でブレイク以来コンスタントに活躍し続けて、今年も『異世界のんびり農家』『最強陰陽師の異世界転生記』と僕好みの作品に関わっている人。
これもまあ、話の面白さをのんびり楽しむタイプの作品でしょうね。


16bitセンセーション ANOTHER LAYER (Wiki)

原作 - 若木民喜みつみ美里(アクアプラス)、甘露樹(アクアプラス)
監督 - 佐久間貴史
メインストーリー - 若木民喜、髙橋龍也


原作は同人漫画。なるほどねえ。
とにかくゲーム製作が好きでしょうがないか当時者によるもの感満載な、異常にネタの細かいゲーム業界春秋/発展漫画。(ストーリー)
その中でも中心になっているのは"美少女ゲーム"への愛で、とかく内容が他愛無いと馬鹿にされがちなジャンル(それ自体も繰り返し出て来るテーマ)へのリスペクトなのか、内容のマニアックさに比して作品全体があえて"他愛ない""可愛い"感じに作られていて、屈折してるなあという感じ(笑)。うっかりすると面白さを見逃しそう。
ただここ2,3話で盛り上がりかけているタイムリープで過去に戻ったゲームクリエイターであるヒロインは、歴史を改変しない為に過去のゲーム製作に関わらないべきか問題は、意外と今後ちゃんとした"SF"タームになってもおかしくない気配も感じます。
正直ゲーム製作の特に技術やハード的問題はよく分からないんですけど、定期的にググりながら、でも楽しんでいます。
監督はこれが初監督。それまでは多くの作品で各話演出を地道に務めていたらしい人。"メイン・ストーリー"表記の原作者でもある若木民喜さんは・・・何だ『神のみぞ知るセカイ』の人(漫画家)か。あれも先駆的な"ゲーム"ストーリーでしたよね。
もう一人は『自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う』『ラーメン大好き小泉さん』等の人。『神のみぞ知るセカイ』にも脚本で入ってるので、今回はその縁ですかね。


暴食のベルセルク (Wiki)

原作 - 一色一凛
監督 - 柳沢テツヤ
シリーズ構成 - 國澤真理子


これもどこかで聞いたことあるどころか"アニメを見たことがある"偽の記憶(笑)まで出て来そうな勢いなんですけど、最近の和製ファンタジー界隈はしょうがないのかな。よろず順列組み合わせ。
原作はラノベ。「暴食」とは言っても食べるのはスキルだけなので、グールゾンビとは関係ありません。(多分それ関係でデジャヴが(笑))
"俺だけレベルという概念を突破する"という副題がついてますが、そこから想像出来るように表のシステムだと最下層クラスの能力の主人公が、"スキルを食う"暴食能力により独自の強さを身に付けて行く逆転ストーリー。世界観的にも上位者による下位者に対する横暴・虐待が常態化している世界で、そこに逆転/勧善懲悪を加えて行く、まあまあよくあると言えばあるタイプの話。
そういう(いずれ逆転するにしろ)暗くなりがちな世界観を緩和しているのが、主人公を補佐する"知性のある魔剣"の存在で、それとああだこうだやり合いながら成長して行く・・・のもまああるパターンと言えばあるパターン。
じゃあ何が面白くて見てるんだろうと、逆に自問したくなりますが(笑)。何でしょうね。"暴食"スキルのもたらす成長を、単純に見守りたくなってるのかな。それと最新話で明らかになった他の"大罪スキル"の存在と、その予告的に出て来た「憤怒」スキル持ち少女の謎感のワクワク?
いずれそんなに強く推す感じでもないんですが、とりあえず次週も見るつもりではあります。
監督は『オリエント』等いくつかの監督作はありますが、どれも特にちゃんと見た作品は無いです。構成はその『オリエント』や『本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません』シリーズの人。そちらも見た記憶はあるけれどという程度。


オリジナル

オーバーテイク! (Wiki)

原作 - KADOKAWA、TROYCA
監督 - あおきえい
シリーズ構成 - 関根アユミ


MXでは『MFゴースト』から続いての時間帯でやっている、"カーレース"シリーズ。前に"ファッション"シリーズとかもありましたね、MXは。(笑)
こちらはドライバーの技術論よりも、レーシングチームの社会的存在のありようみたいなものを主に描いている作品。
Jクラブでもお馴染みの、地元との繋がりとかスポンサー探しとか、"現実"的な話が多く出て来ます。そもそもチームを「応援」する気持ちとはとか。
下町的人間関係を背景にしただいぶ生暖かい話でもあり、そんなに凄く好きとかいうわけでもないんですが、とりあえず見れています。
(架空の)世界トップクラスを描いている『MFゴースト』に対して、"F4"という下級ジャンル(JFLくらい?)の話ではありますが、それはそれで技術論もあって、前述の通りカーレース初心者の僕にはそれなりに興味深いです。
監督は・・・へえ、『ID:INVADED』の人か。全く毛色が違いますが。他に『放浪息子』『Fate/Zero』など、少ないながらも割と個性的な作品の監督をする印象の人。この作品も手掛けている制作会社の取締役でもあり、一つ一つの作品関与が深めの働き方をしている人なんだろうなと。
構成は『アイドリッシュセブン』シリーズの人。今年は他に『テクノロイド オーバーマインド』もやっていますが、何となく共通する、凄く綺麗というか整理整頓されたセリフの置き方をされた作品という印象はあります。
『MFゴースト』とはまた違いますが、映像もすっきり綺麗ですね。やはりそういう良い"プレッシャー"のかかるジャンルなのかなという感じ、カーレースは。雰囲気で作れないというか。


僕らの雨いろプロトコル (Wiki)

総監督・音響監督 - 山本靖貴
監督 - 加藤大志
ストーリー原案 - ⺎⺎
シリーズ構成 - 高山カツヒコ、山本靖貴
脚本 - 高山カツヒコ


eスポーツものであり、また『オーバーテイク』と同様に"零細チーム"物語でもあるよう。
まあだいたいeスポーツは、今のところは全般小規模感は強いですが。
eスポーツシーンは相当かっこいいですね。愛好者にどう見えるのかは、分かりませんが。
ちなみに僕は中国のeスポーツ(実写)"ドラマ"は複数見ていてそこで描かれる3DCGのゲームシーンのかっこ良さにいつも驚嘆していますが、それと比べても十分にかっこいい、"2D"eスポーツ描写(境界微妙なところもありますが)になっているように思います。
話の方はどうでしょうね。多様なバックグラウンドのチームメンバーを揃えて、そこに恋愛要素も配置して、動き出すのはこれからという感じでしょうか。
"総監督・音響監督"とは珍しいクレジットですが、経歴を見ても特に"音響"面に強い人という訳ではないようなので、残りの「声優の演技の演出」の方の音響監督機能を、担っていると考えられます。それが「監督」の見かけ上は上に来ちゃうと言うのは、なんか独特の役割分担ですね。監督が各話演出の経歴しかないほぼ初監督の人のようなので、そっちを絵作りに専念させて音の方は・・・という分担なのかな?いや、むしろ(音響監督として)"演技プラン"まで決める"総監督"が実質的な監督で、事実上"各話演出"に近い従来的な仕事を、今回も"監督"名義の人はやっているという、そういう感じかな。多分そっちだな、シリーズ構成まで(総監督の人が)やっている訳だし。
もう一人のシリーズ構成は、『バカとテストと召喚獣』『それでも町は廻っている』などの人。


攻略うぉんてっど! ~異世界救います!? (百度百科)

監督・シリーズ構成・脚本 - 劉思文


最近割と見かける中国産アニメですが、正直クレジット見るまで全く分からなかったです。3Dメインなのがそれっぽいと言えばそれっぽいかも知れませんが、逆にそれでも濃厚な"日本"アニメ的オタク感というかカワイイ感というか、これを中国人がやってるの?という。
百度百科を見ても普通に中国で制作され中国で配信された作品を、日本に持って来たようで、特に合作的な要素は無し。へええ。
監督等の人は『齢5000年の草食ドラゴン、いわれなき邪竜認定』の人で、言われてみればあれも"日本"感は強めの中国産アニメではありましたが、そもそも原作が日本だしな。対して今回は純中国産なので、やはり驚異。
ちょっと個人データが見当たらないんですけど、何らか日本と縁のある人なんじゃないかなとは思います。そうでないと、ちょっと不可解。
ナンセンスドS異世界ものみたいな内容ですが(笑)、その"ドS"感に、日本に比べていちいち言葉遣いのきつ目な「中国」感を、強いて言えば感じなくはないかなと。普通に面白いです。好きです。



続編

地上波

魔法使いの嫁 SEASON2 (Wiki)

原作 - ヤマザキコレ
監督・シリーズ構成 - 寺澤和晃(←長沼範裕)


監督・構成が替わってますが、OVA版の人なので作品のフォーマットは意識的に継続させてるんだろうという感じ。
相変わらずとんでもなく面白いと思います。
「最近見た日本の面白い"ドラマ"は?」と聞かれたら、あえてこれを挙げたいくらいに、"ドラマ"として本格的


デッドマウント・デスプレイ(第2クール) (Wiki)

原作 - 成田良悟藤本新太
監督(第2クール)- 薩摩良寛
シリーズ構成・監督協力(第2クール) - 小野学
脚本 - 小野学、菅原雪絵冨田頼子


4月期にやった作品が間を置かずに第2クールに。
でもその間に監督は替わってますね。まあ他に作品歴の出て来ない人なので、引き続き第1クールの監督でありシリーズ構成は続けている小野学さんがメインではあるんでしょうけど。ということで、内容も変わり無し。変わらず面白い。


Dr.STONE NEW WORLD(第2クール) (Wiki)

原作 - 稲垣理一郎Boichi
監督 - 松下周平
シリーズ構成・脚本 - 木戸雄一郎


実は「NEW WORLD」の"第1クール"はうっかり見逃してるんですけど、スタッフも変わらないし作風に変化は見られません。
そもそも『ジョジョ』並みこってこてに完成している感じの世界観ですし。(笑)
面白さも変わらず。


Netflixもの

範馬刃牙 (Wiki)
終末のワルキューレⅡ (Wiki)

どちらもメインスタッフ変わらず。
刃牙は相変わらず馬鹿というか(笑)、毎回よくやるよという感じ。
本当はピクルに負けたファイターたちが、"食べられる"所まで描きたいんだろうなとは思いますが。
ワルキューレはちょっと飽きて来たかな。
こんな馬鹿話なのに、釈迦が人類側に立ってくれたのは、やはりほっとしたりしましたが。(笑)


豊作ですね。
なまってもいたし、途中で指が痛くなって休憩しました。(笑)


ラウンジ・ミュージック/イージー・リスニングとブリットポップ(2)
2023年08月18日 (金) | 編集 |
(1)6/9か。
関連番組の確認や長期の夏バテによる体調不良で、気が付けば2か月以上経ってしまいました。

[前回の内容]

1960年代にジャンル化された「ラウンジ・ミュージック」(国際空港や高級ホテルのラウンジでかかっているような専用のインストゥルメンタル音楽)に代表される「イージー・リスニング」ミュージックの歴史とそのロック/ポップシーンにおける再評価、特に1990年代中頃にイギリスで隆盛を極めた"ブリットポップ"はかなりの部分「ラウンジ・ミュージック」を自ら及びロック自体の隠れた原点として意識していたという(当該番組の)主張。


では続きを。


改めてラウンジ・ミュージック/イージー・リスニングとは

ラウンジ・ミュージックとその母ジャンルとしてのイージー・リスニング。
欧米ではともかくここ日本では"ラウンジ・ミュージック"自体特に馴染みがある用語ではないと思うので、ここからはほぼ"イージー・リスニング"についての話として読んでもらった方がいいと思います。

改めて"イージー・リスニング"とはというと、番組が取り上げているのは主に3種類
1.ポール・モーリア『恋はみずいろ』等の世界的大ヒットでポピュラーになった、既存ポップ曲をオーケストラ的アレンジで"イージー・リスニング"なインストゥルメンタル曲化する手法によるもの。狭義のイージー・リスニング
2.映画音楽
3.ソフト・ロック/MOR ・・・カーペンターズ等


1。世代的に"イージー・リスニング"というワードと"ポール・モーリア"は分かち難く結びついて記憶されているんですが(笑)、そういう記名性はともかく手法としては、現在でも日々ひどく馴染みのあるものですね。別に"ラウンジ"まで行かなくても、各種店舗の"BGM"として。
特にコンビニでは、最近益々馴染みのある洋邦ロック/ポップのヒット曲クラシック曲がイージー・リスニング化されたものがガンガン流れて来る機会が増えている気がして、うわあとなるというかそんなんまでするかあと苦笑させられて困るというか。(笑)
2.はそのまま。特に映画本体と切り離された形で流される時に、"イージー"感は増すかも。
3.ロック史が主題なので"カーペンターズ"なんて名前が出て来てますが、日本的に言えば"歌謡曲"とか、ロック以前のポップスとか、そもそもの有象無象全部ひっくるめたカテゴリーとして捉えた方が、いいと思います。"親や大人が(も)聴くポップ・ミュージック"というか。

・・・と、だいたいこれで、イメージは掴めたと思いますが。


"ロックの原点としてのイージー・リスニング"という主張の意味

前回(1)では60年代ロックの所謂"進化"、具体的にはサウンドやアレンジの幅の広がり"イージー・リスニング"化として表現してあって驚きましたが(笑)、ビートルズや60年代"アート・ロック"やそれを母体とした70年代ハード・ロック&プログレ等が、"イージー・リスニング"であることを主眼としてサウンドの幅を広げたとは歴史的に見てどうしても思えないので、これはまあストリングスやオーケストラ的ビッグアレンジと言った音楽要素を文脈度外視(またはイージー・リスニング寄り)で純粋抽出した時の、意外性を狙った一つの言い方でしかないかなと。

そうではなくでは(イージー・リスニングの)何が僕にも刺さるような意味で「原点」である(可能性がある)のかというと。
それは簡単に言うと、個々のミュージシャンの、「音楽体験」の問題。原体験というか。
更に言えば、それらの"盲点"の。

つまりあるミュージシャンが自分の音楽性の背景や原点について語る時、たいていは自分が少年時代に熱中したアイドルや特別な出会い方をしたインフルエンサー(?)や、自分なりの研究で改めて認識したレジェンドやクラシックの尊敬すべき点について語る訳です。
あるいはロック全体で言えば、職業作曲家による白人ポップスの箱庭的世界に飽き足らずに目を向けた、黒人ブルースのエモーションやジャズの演奏テクニックや、あるいはクラシックの複雑な曲構造や、時には白人音楽全体のオリジンとしての広義のフォーク・ミュージックや、そうしたものの"影響"が語られる訳です。
それらはそれぞれに嘘ではない訳ですが、ただ共通して言えるのは、いずれも彼らがある年齢になって音楽的に"物心"ついて後に、特定の問題意識と共に"あえて"聴いた音楽だということ。

でも当たり前過ぎてあえて言うのもあれな感じですけど、子供が意識しての自分の選択でor自分のお金で(笑)音楽を聴くようになる聴けるようになるまではには、生まれてから結構な時間が必要な訳です。そしてそれまでの間にも日々大量の音楽を、それと意識せずに聴き続けている聴き重ねている。親の好み(笑)や最大公約数的なチャートミュージックや、"子供の夢"としてはたいてい音楽より早いかもしれない"映画"の、あるいはアニメ等の子供番組の印象的な挿入/背景音楽や、それこそコンビニですが街中で流れるBGMの類や。
中には特別に"音楽"的な環境に生まれ育つ子供もいるでしょうが、ほとんどの子供にとってはそれらあえて"名前"を挙げたりは余りしないタイプの"音楽"の影響こそが、長じての推しバンドなどよりも時間的には先行している訳です。

勿論聴いたもの全てが同じように影響を与える訳ではないですし、繰り返しになりますが当たり前の事実過ぎて逆に屁理屈みたいに聴こえるかも知れませんが、つい最近も(「ミュージック・グラフィティTV」の兄弟チャンネル)ミュージック・エア『偉大なるソングライターたち』というシリーズで、"ザ・ヴァーヴ"というブリットポップの一角も担っていたらしい'90年代の有名バンドのリーダーが、自分で音楽を聴き始める前に親などから受けて"しまった"音楽的影響について割と苦々しく(笑)語っていたりしているのを見たので、当時のイギリスのミュージシャン/若者の間でそうした問題意識、そうした"陰の"原体験的なものへの注目が実際あったんだろうことはうかがえると思います。

デーモン・アルバーンは、戦前のミュージック・ホールの音楽やジョン・バリーなどの映画音楽などに、自分の原点を見出した。ディヴァイン・コメディはオーケストラを配したポップスやマイケル・ケインが主演した映画の音楽に、ルーツを見出した。

(1)より

ここらへんは、もう少しポジティブなニュアンスですけどね。デーモン(ブリットポップの代表バンド"Blur"のリーダー)もディヴァイン・コメディの人(Neil Hannon)もかなり音楽的な育ち方をしているようなので、そこらへんで違いが出るのかも。

・・・ここらで一回まとめると、イージー・リスニングが"ロックの"原点であるとはさすがにストレートには言えないと思いますが、ただロック・"ミュージシャン"の原点として、原体験の物理的に大きな一部として、イージー・リスニング的な音楽が存在するだろうことは、それ自体は明らかと言えば明らかな訳ですね。
言われてみれば、ですが。そんなところまで、普通は目配りしませんが。
それがまあ、"ロックの原点としてのイージー・リスニング"(の可能性)の、とりあえずの意味。


ブリットポップがイージー・リスニングを"原点"として認めることの意味 ~ロックを"諦めて"しまったロック?

以上、番組の論旨を僕なりに頑張って代弁してみましたが、一応筋は通っていてもどうも釈然としないというのが、大多数の人の感想ではないかと思います。(笑)
だってロックですからね。むしろ"イージー"に"リスニング"されないような音を出すのが大目標みたいなところがある(笑)ジャンルなのに、その原点がイージー・リスニングだなんて、論理的可能性としてもそんな馬鹿なという感じ。あるいは所謂イージー・リスニングであろうとなかろうと、親世代や世間が(垂れ)流す音楽への不満や反抗を契機にそれとは違う音を出すというのが、ロックやそれ以降の若者世代発のポップ・ミュージックの、基本的な姿勢の筈。

前者はある程度"趣味"の問題かもしれませんが後者は多分重要で、どんなに広義に影響を受けてはいても、ロック的ポップ・ミュージックがそう簡単に(ここで言うところの)"イージー・リスニング"を原点とは認められない構造的理由だと思います。
反抗云々は置いておくとしても(笑)、ある程度以上意識的に選択した影響源を組み上げて"あるべき"だと思う音楽の姿を意思的にシーンにぶつけるというのが、ロック的ポップミュージックのほとんど有史以来やり続けて来たことで、上ではブルースやジャズやクラシック(やフォーク)という"影響"源を挙げましたが、その後もソウルやレゲエやアフリカ音楽や、あるいは電子音楽/楽器やダンス/クラブミュージックなど様々に影響源を刷新しつつも、そういう意味でのアプローチは大きく変わりは無かったと思います。

今回"イージー・リスニング"として総称されている音楽要素のどれかを、改めて解釈して"影響"源としてロック的ポップ・ミュージックに組み込むこと自体は可能ですし実際にやっている人もシーンを見渡せばそれなりにいると思いますが、そうした意識的作業抜きの"イージー・リスニング"というのはやはり何というか、同じ「音楽」という名前の元にはあっても枠外要素というか、影響と言っても影響"以前"の影響というか。スタート地点にも立っていない。選択肢として土俵に乗っていない。担ってる人たちだって、ロック・シーンに影響を与えたり音楽性を競ったりすることなんて、基本的には考えもしていない筈。それぞれ別世界の出来事。

だから番組(の筆者)が言うようにブリットポップが自分たちの影響源として、イージー・リスニングという雑多な日常的自然的"音楽"を名指ししているのならば、それは結構本当に新しい、単に最新流行ということではなく、ロックの枠組みを"後ろ"方向に(笑)広げたというかスタートラインを思い切り引き"下げた"というか、そういうインパクトはあると思います。少なくとも僕は、読んでいてゲッと思いました。そんなところまで問題にしないといけないの?そんなものと競争しないといけないの?その発想は無かったわあ。
発想は無かったけど、それは新たな次元が開けるワクワク感というよりも(笑)、ぶっちゃけ過ぎてそもそもの枠組みの存立自体が危うくなるような不安感。

ある意味ロック(的ポップ・ミュージック)の"敗北宣言"みたいにも見えるんですよね。"特別"や"非日常"や"新しさ"を追求して来た売り物にして来た音楽文化が、匿名的な職人的"音楽"の、正直ではあるけれど安易でもある通俗/日常そのものの"気持ち良さ"にわざわざ道を空けてしまっている。音楽なんてそれだけのものだと、言ってしまっている感じ。
"言って"いるのが職人側でも業界側でもなく、"新進気鋭"の筈の若手(ブリットポップ)ミュージシャンたちなだけにね。「わざわざ」感は強いですね。極端に言えば、もう"若者の"音楽や"新しい"音楽自体要らないと。
パンクのスローガンが「ロックは死んだ」だとすれば、ブリットポップのそれは、「ロックは溶けた」?(笑)

まああくまでこの番組の論ではということで、ブリットポップをずばりこういう文脈で語っているものは、文章でもドキュメンタリーでも他に見たことが無いので、そこら辺は注意して欲しいですけど。ただブリットポップ系ミュージシャンたちがラウンジパーティー("ブロウ・アップ")に足繫く通っていたなどというくだりは満更嘘とも思えないですし、むしろ"他の"論の方が研究不足である可能性の方が高いと思います。いつもいつも"イギリス独自のセンス"というだけの説明じゃね。
こうしたブリットポップが立脚しているらしい"非ロック的"なスタンスが純音楽的には何を意味しているのか、それはより広い歴史的視野の中ではどういうことである可能性があるのかみたいな話は、また次回にしたいと思います。既に論理構成の難航が頭の中で予感ビンビンなので(笑)、一遍にやるのは気力的に厳しい。


(余談)ヒップホップ/サンプリング・ミュージックの場合

番組中でこういう話があった訳ではなくて、純粋に僕の連想。

こうした"影響"の選別が問題になる時に、"サンプリング"という形で正に「影響」を引用することが重要な表現手段になっているヒップホップの場合はどうなんだろうと、ついでに考える人もいると思います。
結論的に言うと、そこらへんは意外と自由というか、融通が利くジャンルなのではないかなと。
つまり影響を"スタイル"としていちいち昇華してぶつけなくてはならない(という言い方も変ですけど(笑))ロック等に対して、そういう部分はそういう部分として別にあるかもしれませんが、とりあえずサンプリングという形で影響を直接引用出来る形態の音楽の場合は、重大な影響は重大なように軽い影響は軽い影響のように(笑)、サンプリングの仕方自体で無理なく濃淡が出せるので、逆にどんなソースもどんと来いで、ロックや他の一般ブラックミュージック程そこらへん神経質になる必要は無いのではないかなと。

上で出て来た『偉大なるソングライターたち』シリーズには、伝説的ヒップホップ・グループ"パブリック・エナミー"のリーダーのチャックD編なんかもあるんですが、その中でチャックDが影響を受けた音楽、子供の頃聴いていた音楽として、様々な黒人音楽と共に「アイアン・メイデン」(イギリスのヘヴィ・メタルバンド)や「ピーター・ポール&マリー」(アメリカのフォーク・グループ)の名前を、それもごくすらすらという感じで挙げていて、意外の念に打たれると共に随分自由だなあと感じました。

Chuck_D

なかなかヒップホップ以外のジャンルの黒人ミュージシャンには、挙げづらい名前なんじゃないかと思いますね。基本的に音楽においては"黒人が上、白人が下"というのが彼らのスタンスですし、マイケル・ジャクソンのビートルズ好きくらいなら例外×例外みたいな感じで誰も特に文句は言わないでしょうが(笑)、メイデンやPPMは到底そんな"公認"の名前ではないですし、それぞれに「白人音楽」の極みみたいな音だと思いますし、うっかり口に出すと馬鹿にされるか裏切り者扱いでもされかねないような名前かと。
ただヒップホップなら、あらゆる音楽資源は基本的に平等に"利用"対象ですし、仮に引用(サンプリング)した時は上でも言ったようにその引用の仕方で、直に自分のスタンスの説明が出来ますし、色々垣根は低いのではないかなあと。
まあ話してるのを見てると、チャックD個人も、凄くオープンマインドな人には見えましたが。
ちなみにパブリック・エナミーの音を聴いていて、"アイアン・メイデン"を感じることは特に無いですが(笑)、"フォーク"を感じることは実はあります。何か独特の繊細さが。白人的というか。攻撃的黒人的な音の中に。("政治性"とかは・・・どうなんでしょうね。アメリカン・フォーク得意のそれと、関係があるのか無いのか)


そんなこんな。
一応続きも書く予定。(笑)