2008年02月27日 (水) | 編集 |
さてと。
いいかげん、読んでる方も疲れて来ている気配が無くは無いですが(笑)ラストスパート。
優先すべきは単純さ/明快さ
もう一度岡田さんの基本理念を整理すると、それは日本人選手の
「欠点」を修正して「総合力」を上げる
ことによって世界と戦うのではく、”本場”基準で「欠点」と言われているところまで含めて、一回価値観をチャラにして、現状&本来的に日本人選手が持っているプレーの
「特徴」を結集して積極的全面的に打ち出す
ことによって戦う、”世界を驚かす”と言うことですね。
その類例・ヒントとして岡田さんがサッカー界で挙げるのが、「パク・チソンの動きっ放しのプレー」(に対する欧州での賞賛)と、そうしたものを全面的に活かした’02W杯でのヒディング・コリアの『成功』なわけです。
”3位”という最終結果に対する判定問題の影響とかはとりあえず置くとして(笑)、実際イタリアやスペインに一歩も引かずに立ち向かい、手を焼かせたのは確かな韓国代表の戦いを思い返すに、実は内容的にはそれほど斬新でも画期的でもなかったわけですね。
3-4-3または3-5-2で、左右のウィング(バック)がひたむきに、しつこく、倒れるまで走りまくりえぐりまくるああしたある意味単純なサッカーは、誰が監督だろうとほとんど常に韓国代表が実行して来たお馴染みの、得意のスタイルなわけです。
違ったのはヒディングという世界的にも一級の監督を迎えて、それがより効率化精緻化され、またW杯本大会という舞台でもそれでやっていいんだやれるんだという自信と覚悟が与えられた。それと元々の激情的な国民性が合わさって、ああいう敵ながらあっぱれと言いたくなる勇敢な、列強を慌てさせる戦いが実現した。
似たような例として僕が思い浮かべるのは、’04年のユーロを制したレーハーゲルのギリシャ代表。
こちらはもっと露骨に「斬新」でない(笑)、いかにも弱小国の専守防衛的な戦いで、ただそれをレーハーゲルの指揮の元、徹底的に効率的にやり切ったことによって、誰も予測しなかったような偉業に結びつけた。
ヒディング・コリアもレーハーゲル・ギリシャも、目覚しい戦績の割には世界のサッカーの潮流に大きな影響を与えたりはしなかったようですが(笑)、中途半端に「先端」に色目を使ったり”スタンダード”に合わせるよりは、画期的でなくても見え見えでも、出来ること得意なことを照れずにやり切る方が、少なくとも瞬間的な戦闘力という点では上である可能性を示したということは、言えるのではないかと思います。我々二流・三流国(?)の国民に。
ポイントはシンプルであることと、既に/最初から出来ること、出来ると分かっていること。
それをいかに改めて組織するか。
「接近」と「無常」、混ぜるなキケン
「接近・・・・」「大西」や「日本人」と共に、代表監督就任前後から岡田さんが各インタビューで繰り返し口にしていることに、「無常」という概念があります。
だから「フォーメーション」を筆頭とする『形』にはこだわらないと。今回は特に。
似たようなものとして、「サッカーはジャズだ」ということも言っているようです。(笑)
それ自体はまあ分かるんですよ。「無常」ということも、”ジャズ”でもいいですがそれをサッカーに対する考え方に適用するのも。
ただそれと、今回の仕事の目的である、「日本人の特徴を全面的に強調して、列強に一泡吹かせる」ということとの相性はどうなのか。
僕の考えではそれは悪い、ほとんど相反するものだと思います。上に述べたように優先すべきは単純さ・単純化、つまり「常」を固定する方。
「無常」で「ジャズ」でニュートラルというのは、”日本人”という枠を取っ払ってサッカーそのものを包括的に捉える際により有益な視点であって、強化の方向性としては「総合力」を上げる方、グローバル・スタンダードに合わせて行く方。ていうかむしろオシムが言いそうなことだと思いますけどね(笑)、サッカー=ジャズなんて。ジャズというのは”一人一人が考えて走る””トータルでポリパレントな”音楽で、”ローテーション・ミュージック”ですから。(笑)
実際には岡田監督は「接近」と「無常」を直接関連させてはいなくて、実際彼の中でも論理的な関係は無いでしょう。単に”最近サッカーについて考えていること”として、無意識に並列しているだけ。でも現実にそういう手法でチーム作りが行われ、結果的に「接近」と「無常」が結び付けられてしまうなら・・・・。それはかなり危険というか、効率という点で疑問なことだと思います。
はっきり言いましょう。
岡田さんがこれからやるはずの/やるべきものは、サッカーではないんですよ。サッカーやっちゃったらサッカーの上手い連中には勝てません。それが出発点だったはず。
ではどうするかというとサッカーの可能性をある程度限定して、こちらの得意な範囲に封じ込めて引きずり込むことです。言わば「」つきの「サッカー」をやる。”サッカー(笑)”でもいいですが。(笑)
その場合に必要なのは「型にはめない」ことではない、全然逆。「型にはめ切る」ことです。その「型」を中心にサッカーを限定することです。僕はそう思います。論理的延長として。 (注)
まあそもそもサッカーはこうだということが決まっているわけではないので、そうした岡田ジャパンのゲリラ戦の”成功”の結果として、何らかサッカーの概念/イメージ自体も変質しておかしくないとは思いますが。
とにかく岡田さんが目的にそぐわないように見える方法哲学を標榜していること、またそれに従ってかこれまでのところ岡田ジャパンが至って試行錯誤的な、クリアなヴィジョンの見えづらい戦いをしていること、それが僕が理念には共感するところがありながら、このチームの将来性を悲観している理由ですが。少なくとも”理念の実現”という意味での。
・・・・つまり僕の前段の考えに従えば、完成度はともかくとして大枠自体は、2,3試合もあればあっさり見えるはずのものだからです。元々出来ることをやるだけですから、基本的には。
まあ途中の歩みとかは知らないので、例えばヒディング・コリアやレーハーゲル・ギリシャでも、あれらのスタイルに割り切るまでには迷いの期間はあったのかも知れませんけどね。
ただしコリアやギリシャの例では語り尽くせない要素も実は岡田ジャパン(の目指すもの)にはあって、それも含めてもう一つ書いて、終わりにしたいと思います。
(注)
一方で岡田さんは”日本人の長所と短所”という話の流れで、「日本人は言われたことしか出来ないと言われるけど、逆に言われたことは出来るんだからいいじゃないか」なんて言い方もしています。これなども方向性としては、むしろ「型にはめる」方を向いているはずだと僕は思うんですけどね、本来は。
いいかげん、読んでる方も疲れて来ている気配が無くは無いですが(笑)ラストスパート。
優先すべきは単純さ/明快さ
もう一度岡田さんの基本理念を整理すると、それは日本人選手の
「欠点」を修正して「総合力」を上げる
ことによって世界と戦うのではく、”本場”基準で「欠点」と言われているところまで含めて、一回価値観をチャラにして、現状&本来的に日本人選手が持っているプレーの
「特徴」を結集して積極的全面的に打ち出す
ことによって戦う、”世界を驚かす”と言うことですね。
その類例・ヒントとして岡田さんがサッカー界で挙げるのが、「パク・チソンの動きっ放しのプレー」(に対する欧州での賞賛)と、そうしたものを全面的に活かした’02W杯でのヒディング・コリアの『成功』なわけです。
”3位”という最終結果に対する判定問題の影響とかはとりあえず置くとして(笑)、実際イタリアやスペインに一歩も引かずに立ち向かい、手を焼かせたのは確かな韓国代表の戦いを思い返すに、実は内容的にはそれほど斬新でも画期的でもなかったわけですね。
3-4-3または3-5-2で、左右のウィング(バック)がひたむきに、しつこく、倒れるまで走りまくりえぐりまくるああしたある意味単純なサッカーは、誰が監督だろうとほとんど常に韓国代表が実行して来たお馴染みの、得意のスタイルなわけです。
違ったのはヒディングという世界的にも一級の監督を迎えて、それがより効率化精緻化され、またW杯本大会という舞台でもそれでやっていいんだやれるんだという自信と覚悟が与えられた。それと元々の激情的な国民性が合わさって、ああいう敵ながらあっぱれと言いたくなる勇敢な、列強を慌てさせる戦いが実現した。
似たような例として僕が思い浮かべるのは、’04年のユーロを制したレーハーゲルのギリシャ代表。
こちらはもっと露骨に「斬新」でない(笑)、いかにも弱小国の専守防衛的な戦いで、ただそれをレーハーゲルの指揮の元、徹底的に効率的にやり切ったことによって、誰も予測しなかったような偉業に結びつけた。
ヒディング・コリアもレーハーゲル・ギリシャも、目覚しい戦績の割には世界のサッカーの潮流に大きな影響を与えたりはしなかったようですが(笑)、中途半端に「先端」に色目を使ったり”スタンダード”に合わせるよりは、画期的でなくても見え見えでも、出来ること得意なことを照れずにやり切る方が、少なくとも瞬間的な戦闘力という点では上である可能性を示したということは、言えるのではないかと思います。我々二流・三流国(?)の国民に。
ポイントはシンプルであることと、既に/最初から出来ること、出来ると分かっていること。
それをいかに改めて組織するか。
「接近」と「無常」、混ぜるなキケン
「接近・・・・」「大西」や「日本人」と共に、代表監督就任前後から岡田さんが各インタビューで繰り返し口にしていることに、「無常」という概念があります。
これまでは目的があって、こういうチームを作るために、こういう練習をしようという具合に逆算方式でチームをつくってきました。(中略)でも今回は何も準備していません。
なぜかと言えば、人間が生きていく上で「常」ということはないんだと考えるようになったからです。仏教では「無常」と言いますけど、こうだからこう、という決まったものではなくて、このやり方を貫くとか、そういうことも考えていません。
(サッカーマガジン’08.2.12号)
だから「フォーメーション」を筆頭とする『形』にはこだわらないと。今回は特に。
似たようなものとして、「サッカーはジャズだ」ということも言っているようです。(笑)
それ自体はまあ分かるんですよ。「無常」ということも、”ジャズ”でもいいですがそれをサッカーに対する考え方に適用するのも。
ただそれと、今回の仕事の目的である、「日本人の特徴を全面的に強調して、列強に一泡吹かせる」ということとの相性はどうなのか。
僕の考えではそれは悪い、ほとんど相反するものだと思います。上に述べたように優先すべきは単純さ・単純化、つまり「常」を固定する方。
「無常」で「ジャズ」でニュートラルというのは、”日本人”という枠を取っ払ってサッカーそのものを包括的に捉える際により有益な視点であって、強化の方向性としては「総合力」を上げる方、グローバル・スタンダードに合わせて行く方。ていうかむしろオシムが言いそうなことだと思いますけどね(笑)、サッカー=ジャズなんて。ジャズというのは”一人一人が考えて走る””トータルでポリパレントな”音楽で、”ローテーション・ミュージック”ですから。(笑)
実際には岡田監督は「接近」と「無常」を直接関連させてはいなくて、実際彼の中でも論理的な関係は無いでしょう。単に”最近サッカーについて考えていること”として、無意識に並列しているだけ。でも現実にそういう手法でチーム作りが行われ、結果的に「接近」と「無常」が結び付けられてしまうなら・・・・。それはかなり危険というか、効率という点で疑問なことだと思います。
はっきり言いましょう。
岡田さんがこれからやるはずの/やるべきものは、サッカーではないんですよ。サッカーやっちゃったらサッカーの上手い連中には勝てません。それが出発点だったはず。
ではどうするかというとサッカーの可能性をある程度限定して、こちらの得意な範囲に封じ込めて引きずり込むことです。言わば「」つきの「サッカー」をやる。”サッカー(笑)”でもいいですが。(笑)
その場合に必要なのは「型にはめない」ことではない、全然逆。「型にはめ切る」ことです。その「型」を中心にサッカーを限定することです。僕はそう思います。論理的延長として。 (注)
まあそもそもサッカーはこうだということが決まっているわけではないので、そうした岡田ジャパンのゲリラ戦の”成功”の結果として、何らかサッカーの概念/イメージ自体も変質しておかしくないとは思いますが。
とにかく岡田さんが目的にそぐわないように見える方法哲学を標榜していること、またそれに従ってかこれまでのところ岡田ジャパンが至って試行錯誤的な、クリアなヴィジョンの見えづらい戦いをしていること、それが僕が理念には共感するところがありながら、このチームの将来性を悲観している理由ですが。少なくとも”理念の実現”という意味での。
・・・・つまり僕の前段の考えに従えば、完成度はともかくとして大枠自体は、2,3試合もあればあっさり見えるはずのものだからです。元々出来ることをやるだけですから、基本的には。
まあ途中の歩みとかは知らないので、例えばヒディング・コリアやレーハーゲル・ギリシャでも、あれらのスタイルに割り切るまでには迷いの期間はあったのかも知れませんけどね。
ただしコリアやギリシャの例では語り尽くせない要素も実は岡田ジャパン(の目指すもの)にはあって、それも含めてもう一つ書いて、終わりにしたいと思います。
(注)
一方で岡田さんは”日本人の長所と短所”という話の流れで、「日本人は言われたことしか出来ないと言われるけど、逆に言われたことは出来るんだからいいじゃないか」なんて言い方もしています。これなども方向性としては、むしろ「型にはめる」方を向いているはずだと僕は思うんですけどね、本来は。
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この記事へのコメント
ネタ先取りされてしまった(笑)。書き直さなくては・・・。
何となくそんな気もしましたが。(笑)
そもそも「日本人のやるジャズ」とういのも、微妙に気恥ずかしいというか気後れするようなところがなくもないですよね。
よーし、ならばJ-POPで勝負じゃ!(笑)
そもそも「日本人のやるジャズ」とういのも、微妙に気恥ずかしいというか気後れするようなところがなくもないですよね。
よーし、ならばJ-POPで勝負じゃ!(笑)
初コメント。いつも更新楽しみにしてます。
話の本筋から外れてしまうんですが、ギリシャ人はああした専守防衛に本質的に向いているんでしょうか。
いままでそういうサッカーをやってるイメージはなかったですし、スラブ人といえばすぐ「切れる」ことで有名ですし。
あれはいったいなんだったんでしょうか。別にギリシャじゃなくてもあれできたんでしょうか。どう思われますか
話の本筋から外れてしまうんですが、ギリシャ人はああした専守防衛に本質的に向いているんでしょうか。
いままでそういうサッカーをやってるイメージはなかったですし、スラブ人といえばすぐ「切れる」ことで有名ですし。
あれはいったいなんだったんでしょうか。別にギリシャじゃなくてもあれできたんでしょうか。どう思われますか
2008/02/28(Thu) 05:01 | URL | popplagith #/cyxfTMs[ 編集]
ども。はじめまして。
そうですねえ、「専守防衛」そのものというより、はっきりした、分かりやすい、男らしい戦いには向いているんじゃないでしょうか。割りとマッチョっぽい民族性に見えますし、トルコあたりと並んで。
「切れる」気性は、矯めて内に秘めれば、我慢強さ・勝負根性につながりますし。(競馬?)
まああんまり”スラブ”という感じもしないんですけどね、ギリシャはギリシャ。確か身長もそんなに高くないですよね。
戦術的には確かに韓国のあれほど固有のスタイルとは言えないでしょうが、地政学的に(笑)常に格上の相手と戦わされる中で、大きく言えば慣れたスタイルでしょうし。
そういう意味では基本的にはギリシャじゃなくても出来たんでしょうが、なんだかんだピタリと”ハマッ”た感じはあるんですよね。プレーヤーの素材と、例えば中・東欧の半端な伝統国より、更に思い切ってアウトサイダーであるフレッシュさとか。
・・・・憶測だらけですいません。(笑)
そうですねえ、「専守防衛」そのものというより、はっきりした、分かりやすい、男らしい戦いには向いているんじゃないでしょうか。割りとマッチョっぽい民族性に見えますし、トルコあたりと並んで。
「切れる」気性は、矯めて内に秘めれば、我慢強さ・勝負根性につながりますし。(競馬?)
まああんまり”スラブ”という感じもしないんですけどね、ギリシャはギリシャ。確か身長もそんなに高くないですよね。
戦術的には確かに韓国のあれほど固有のスタイルとは言えないでしょうが、地政学的に(笑)常に格上の相手と戦わされる中で、大きく言えば慣れたスタイルでしょうし。
そういう意味では基本的にはギリシャじゃなくても出来たんでしょうが、なんだかんだピタリと”ハマッ”た感じはあるんですよね。プレーヤーの素材と、例えば中・東欧の半端な伝統国より、更に思い切ってアウトサイダーであるフレッシュさとか。
・・・・憶測だらけですいません。(笑)
なるほど。
というのは、あれがもしギリシャ人の「特性」云々に関わらずレーハーゲルの手腕とたまたまその時の選手の素材によるものなら、国民性やらに関わらず割と応用が利くものなのかなーと思いまして。
まあ上でアトさんが
「出来ること得意なことを照れずにやり切る」
「ポイントはシンプルであることと、既に/最初から出来ること、出来ると分かっていること。それをいかに改めて組織するか。」
とおっしゃっているように、別に国民性に沿っていることが絶対条件ではないよ、という感じですかね。
確かにギリシャは”ハマった”感はありますね。「東欧のブラジル」とかおだてられてない分選手も柔軟ぽいですし。国名めぐってマケドニアに喧嘩売る甲斐性もあるし(笑)
というのは、あれがもしギリシャ人の「特性」云々に関わらずレーハーゲルの手腕とたまたまその時の選手の素材によるものなら、国民性やらに関わらず割と応用が利くものなのかなーと思いまして。
まあ上でアトさんが
「出来ること得意なことを照れずにやり切る」
「ポイントはシンプルであることと、既に/最初から出来ること、出来ると分かっていること。それをいかに改めて組織するか。」
とおっしゃっているように、別に国民性に沿っていることが絶対条件ではないよ、という感じですかね。
確かにギリシャは”ハマった”感はありますね。「東欧のブラジル」とかおだてられてない分選手も柔軟ぽいですし。国名めぐってマケドニアに喧嘩売る甲斐性もあるし(笑)
2008/02/29(Fri) 01:15 | URL | popplagith #/cyxfTMs[ 編集]
まあ「出来ること」「得意なこと」の中に、あらかじめ「特性」や「国民性」的なことは含まれているんでしょうけどね、出発点の時点で。意識するしないに関わらず。
それを見直せと、オシムも岡田さんもそれぞれに言っているわけですが。
ギリシャ方式は一般化してしまうと当たり前過ぎて、多分ギリシャ自身にとっても2回目以降はさほど力を掻き立てる役には立たない(立ってない)んじゃないかという気もしますが。出来ればもう少し永続性と積極性のある「日本化」を成し遂げたいもの。
それを見直せと、オシムも岡田さんもそれぞれに言っているわけですが。
ギリシャ方式は一般化してしまうと当たり前過ぎて、多分ギリシャ自身にとっても2回目以降はさほど力を掻き立てる役には立たない(立ってない)んじゃないかという気もしますが。出来ればもう少し永続性と積極性のある「日本化」を成し遂げたいもの。
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