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Mリーグ2023-24ドラフト会議指名女流3選手寸評
2023年07月02日 (日) | 編集 |
Mリーグ2023-24シーズン、ドラフト会議開催および指名選手のお知らせ (Mリーグ公式)
【Mリーグ2023-24ドラフト会議】結果発表 新たなMリーガーが決定!!【速報】(キンマweb)

一昨日行われたMリーグの23-24シーズンを戦う(補充)選手を指名・お披露目する"ドラフト会議"で、"各チーム4人"の選手枠に空きのあった3チームが、男子4人女子3人の計7人の選手をそれぞれに新たなMリーガーとして指名しました。
下交渉の結果を披露するだけの"会議"なので、普通に行けばこのまま決まる筈。

M2324draft

そこで指名された女流3選手が、それぞれ自分的にもそれなりに馴染みのある選手だったので、日頃女流メインに見ている身として取り急ぎ簡単にコメントをつけておきたいと思います。
・・・つい最近、そのよく知っている筈の女流たちの成長力を見誤っていた反省したばかりなので、あんまり偉そうなことは言えませんが(笑)。あくまでこれまではこう見えたという話で、活躍予想とかは話半分で。正直活躍"出来ない"絵なら容易に浮かんでは来る(笑)んですけど、これまでも何だかんだ、指名する側はよく見てるなと感じさせられることは多かったので、僕に見えてないポテンシャルがあってもそれはそれで驚かないです。(つもりです(笑))
まあそれでも"予想"はしてしまうものなので、ここで書いておいて後で答え合わせをしましょう。


「BEAST Japanext」2位指名 菅原千瑛[ひろえ]選手(日本プロ麻雀連盟) [Wiki]

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先頃行われた今年度Mリーグ新規参加チーム"BEAST Japanext"の、ドラフト会議指名オーディションで優勝して、すっかり知名度爆増の困り顔のプリンセス。
ひろえ(千瑛)って珍しい読み方ですよね。彼女を放送対局を見始めてからかれこれ5年は経っている筈の僕ですが、そう読めるようになったのは割と最近で、それまでは"菅原さん"とだけ呼んでました。
名前の方は・・・千(せん)なんとかいうコみたいな。(笑)
それだけ活躍が目立って、"名前"を呼ばれる機会が増えて来たということで、ふわふわした見た目ですがそれなりに十分に、"ついに""満を持して"感はあります。

"女"のプロという感じで、少し邪悪な感じもしますね。
でも可愛いです。しっかり"網"に捕まります。(笑)
打ち方は・・・ですね。"プロ"という前提が無いと、ぶっちゃけ下手に見えます。基準がよく分からない、解説者泣かせの打ち筋。多分頑固ですね、今まで指摘されても、容易には変えて来なかったんだろうなという感じ。
喋りが結構達者で、今後活動範囲は広がるんじゃないかなという予感。


その約5年前、ほぼ初見時だろう感想。
"邪悪"と感じてたんだ。(笑)
確かに未だに彼女の一番の通り名は「清純派黒魔術師」なんですけど、最近の菅原さんを見ていてそういう印象を受ける人はほとんどいないんじゃないかなという。
いかにも男受けしそうな"甘い"感じのルックスと、割と濃い目のメイクがくっきりはっきりよりは"正体不明"の方に作用していて、そういう印象を受けたんだと思います。性格的な"悪"さは特に感じないんですけど、「種族」として悪魔とか魔女とかそういうものを連想させる。・・・なるほど、だから"黒魔術師"だけど"清純派"なのか、要するに同じことを感じていた人がつけたようですね。(笑)
未だに"媚び"自体は強めな人だと思うんですよね。"男"の方を向くことに躊躇が無いというか。ただそれが"腹黒"とか"策略"というよりも、一生懸命な健気さとかシンプルに優しいとか、時が経つ程そういう風にのみ見えて来るようになった人。これが更にもう一枚かぶっている"仮面"だとしたら、いよいよ魔女ですけど。(笑)
いや、そんなことよりも麻雀の腕の酷評の方が問題だろという感じかも知れませんが(笑)、でも本当に解説者がフォローに困る場面の印象の、当時は強い人で。どんな選択にもそれなりに理屈はつけられるものですが、そもそもどんな"選択"なのかよく分からないみたいな一打がちょいちょいあって。
多分凄く感覚的体感的な打ち方の人で、ただそれは直感的に天才的に打つということではなくて、理屈を自分の体に落とし切るまではなかなか使えない、むしろ"地道"で"篤実"みたいな打ち手なのではないかなと。一つ一つ納得しながら、じりっじりっと出来ることを増やして、結果的に用意されている"答え"としての理屈・正論にもすんなり乗れるように段々なって来て、"上手い"女流の部類にちゃんと見えて来たという。5年前に感じた"頑固"という印象の、中身は一つにはこういうことなんだろうなと。
閃き型ではないので当然守備と粘りが中心の打ち方になって、その派閥の代表多井隆晴(たかはる)プロの贔屓を受けたり
もするわけですが、プラスして言うなら最近話題の"ボディ麻雀"的な部分も、特に勝負どころの押しや集中力決定力には感じますね。理屈以上の何かを背景に、ここという場面に全身でぶつかる感じ。この前の指名獲得オーディションの時もそうですが、ほんと大きな試合で勝つ時は、初見の人には"運に恵まれた"だけにも見えるくらいの、謎の決定力を発揮します。
それをすぐMリーグで発揮出来るかというと・・・まあなかなか難しそうではありますね、普通に見れば。「ボディ麻雀は緊張しちゃうと打てない」と、誰か言ってた解説者がいましたが。"緊張"というか"場"にちゃんと入れないとね。初めての(超)大きな舞台でそれが出来るのか。トーナメントや短期のタイトル戦で出せる決定力を、長期のリーグ戦でも出せるのか。息切れしないのか。
ただここまででも十分苦心惨憺舞台を上げて来たように見えるので、Mリーグだからといって今更怯まない、意外とすぐに適応して見せる、そんな絵も浮かべられなくはないかも。正直もう1,2年後の方が、良かったような気はしますけど。いずれ来てもおかしくないと思ってはいたんですが。
まあ努力家ですよね。他のプロもみんなそうだと言うかもしれないですけど、上で言った"媚び"みたいな部分も含めて、変なスタイル意識が無いというかやれることは何でもやる感は、凄くあるコです。若い時のオーディション映像などを見ても(なんかR-1かみたいにがっつりネタを仕込んで来ていて笑いました)。それで煙たがられたり同性の反感を買っている様子も無く、ちゃんと広く可愛がられているようだから大したものだなと。5年前の最後に予測していたように、メディア仕事も実際かなり達者にこなしています。その割に自分自身のインタビューはさほど面白みがまだ無いので、そこはこれから要改善。(笑)
頑張ろうひろえちゃん(最近はそう呼んでいる笑)、あなたは成功に値する人だよ。(でも"出来る"かどうかはそこまで自信無い。やはりまだ少し早い気もする)


「BEAST Japanext」4位指名 中田[だ]花奈選手(日本プロ麻雀連盟) [Wiki]

ご存知元乃木坂46一期生のプロ雀士中田花奈さん。

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"まだ少し"どころかだいぶ早いと、多くの人が思うだろうし言っているでしょうが、僕もやはり現時点ではそう言わざるを得ません。
だいたい乃木坂っつってもさあ、だいぶ"端っこ"の人だしさあ、地上波時代('95-'08)の『われめDEポン』で、マイナー芸能人を引き込んで必死に"普及"活動していたような時代を思い出して、あんまり嬉しくはないんですよね麻雀界での今の中田花奈さんの"お姫様"扱いは。
岡田紗佳はいいのよ、"グラドル"としてはマジに役満ボディ(笑)

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相当のレベルの人だったし。"あの"岡田紗佳が!とストレートに僕も反応してました。わざわざ麻雀界にねえという。
正直中田花奈さんでは僕は・・・テンションが・・・。好き嫌い以前の問題として。

フォーチュン!

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・・・突然ですが、元は『乃木坂工事中』で始まったらしい(うっすらしか覚えてない)

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"フォーチュン中田"という(タロット)占いキャラが中田さんにはありまして、TBSCSの冠麻雀番組「かなりんのトップ目とれるカナ?」では毎回その回のゲストアイドルの運勢を、どうやら完全ガチで占うのがオープニングのお決まりのコーナーになってまして。

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それが滅茶苦茶いいんですよね。むしろそっちを目当てに僕は番組を見ていて、その後の麻雀パートは余程興味深いゲストが卓についてない限り、ほぼ見ません。(笑)

まず上で言ったように占い自体がガチなのが良くて、悪い結果もまあまあ出ることがあって、それをどう伝えようと中田さんが悩んだりするのがいい。さほどまだ密ではなく気を遣う関係の相手への占いで、良い結果が出た時に心底ほっとしたりするのも。(笑)
そうやって時に深刻な占いの時間を過ごした後に、唐突にカメラ目線で「フォーチュン!」で終わって見せる

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のも、毎回来ると分かっていても笑ってしまいます。(笑)
占い内容も馬鹿に出来ない説得力があったり妙に示唆に富んでいるように感じられたりすることも多くて、"占い師"としての才能も真面目にありそうだなと。ならば"運"の作用する比重の大きい麻雀にも、中田さんには何かしらの才能が・・・とそこまではっきりした繋がりはまだ感じたことは無いですが。(笑)
分かるのは中田さんが飄々とした存外面白いパーソナリティの人で、一つ一つの言葉のチョイスなどにはドライな割り切りの良さや質のいい理性などを感じる瞬間もあって、ここらへんが麻雀でちゃんと出て来るようになれば魅力のある雀士になるかもなあと、そういう感想。
ただ現実には飄々どころか四方八方気を遣って何者でもないような(退屈な)麻雀になっている時間が圧倒的にまだ長くて、最初見た時はこりゃ駄目だと普通に思ってしまったんですが、何度か対局を見る内に追い詰められたり何かの弾みで吹っ切れると急に変な爆発力を見せたり、なんかよく分からないけど結果として勝つ時は妙に勝つなあみたいなシーンもちょいちょい見るようになって、若手の女流としてはとりあえず放送対局に出せる感じにはなって来たのかなというそういう近況。とはいえ何が特に出来る訳でもないので、どんだけネームバリューで下駄を履かせてもMリーガーはあんまりだろ、だいたい中田花奈の宣伝力を必要としているのは"麻雀界"一般であって、既に十分ブームなMリーグじゃないだろうとか思ってはしまいますが。外でやれ外で。

雀風自体は"守備型""バランス型"のような言い方を解説の人にはされることが多いですが、果たしてそれが彼女の固有の何かから来るものなのか気を遣った"日和見"の結果なのか、まだよく分かりません。どちらかというと攻撃力の方が、勝つ時には貢献しているように見えますが。
どうするんでしょうねえ、どうなるんでしょうねえ、将来はともかく直近のシーズンは。赤坂ドリブンズの"育成枠"丸山奏子プロの試合数抑制が相当評判が悪かった中(参考)、同じことをするのも空気的にやり難そうですし。一方で雀力的には、丸山プロどころじゃない"育成"枠相当な筈ですし。

尊敬している M リーガーの皆様とはまた違ったベクトルで M リーグに貢献ができると信じて、M リーガーにして良かったと思ってもらえるよう精進してまいります。


公式の本人コメント。違ったベクトル麻雀以外ということ?
などと割り切ってのコメントならある意味天晴な気もしないではないですが、成長途中の若手にそんな気の遣わせ方するのもなあという感じですし、何らか上手く行けばいいけどそもそもよせばいいのにと、名前が発表された瞬間からどうしても暗い方に気持ちの行ってしまう今回の指名でした。
裏ドラカンドラ沢山乗っけて"フォーチュン!"(幸運)なんて瞬間も、一年やれば一回くらいは、あるかも知れませんね。(笑)
頑張れフォーチュン中田!("中田花奈"の方は、特には応援していない)

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「赤坂ドリブンズ」1位(1巡目)指名 浅見真紀選手(最高位戦日本プロ麻雀協会) [Wiki]

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向かって右。左はくだんの"育成枠"の丸山奏子プロ。
探したけどソロより人と写ってる時の方が、表情がいい感じ。そういう人なんでしょうね。

CSのモンドTVでよく見かける人で、その看板タイトル戦である女流モンド杯初登場はプロ2年目の2011年のようですから、12年前の姿から僕は目撃していることになりますし、つい最近も夕刊フジ杯2023で見たばかり。
だからよく知っていると言いたいところですが・・・。はて。
どんな人だったっけ。(笑)
細身で小動物的なルックスは好きな方ですし、さばさばした爽やかな人柄の印象もありますし同様の印象のこの前見た麻雀実況も良かった。
ただどんな雀士なのかと聞かれると・・・。はて。(笑)
びっくりする程特定の印象が無い
それだけ多分、そつが無いタイプというか女流的な大振りをしない、少なくとも悪目立ちはしない冷静なタイプなのかなと思いますが。プロ2年目の分際で、得意技は「テンパイ取らず!」とか言ってますし。(笑)
でもWikiだと"プロ入り直後のキャッチフレーズは「守備を忘れた特攻シンデレラ」"だったとある。どっちやねん。
まあこういうキャッチフレーズはぱっと見だけのいい加減なものも多いですし、"特攻"は恐らく元ヤンの方の経歴(?)から来ているんだろうと思うので(笑)、自分で言っている「テンパイ取らず!」の方が当時の本質に近いのではないかなと。

更に言うならば同時に指名された渡辺太プロがネット麻雀メインの人で、浅見プロも対象となったドリブンズの女流オーディションでは論理思考力のテストが特に強調されていたということなので、まあそういう人選なのかなと。デジタル系の、平均値重視の。
正直女流の中でもフレッシュでもないレジェンドでもない微妙な位置の人ですし、実況者としてMリーグに初登場して来ててっきり競技プロとしては諦めてる人なのかと思ってたくらいで(笑)かなり意外な指名でしたが、よっぽどそういう(デジタル?)面で、特長(この場合こっちの字の方が良さそう)を認めてのことなのだろうなと。
今言えるのはこれくらいですかね。実況や解説が良いプロは、むしろプレーヤーには回って欲しくないと思ったりする人なので指名にはええとなりましたが。渋川さん、解説席に帰って来て?(笑)。悪いけど今のところ麻雀は解説程面白くないよ?
まあ人柄は好きなので、頑張って欲しいとは思います。
・・・あ、なんか思い出して来たぞ。女流モンド初登場時から"野口恭一郎賞"受賞という聴き慣れない(レジェンドの名を冠した業界内輪の賞のよう)経歴を引っ提げていて、「女流にしてはしっかりした打ち方をする」的なコメントを解説からいただいていたような(それだけ"しっかりしてない"女流が当時はまだ多かったんです)。そういうタイプか。(ほぼ自分だけ納得している)


まあ知っている人が3人も新たに入って来て、モチベーションは当然更に上がり目ではあります。
フォーチュン中田が大惨事に見舞われなければ・・・
ひろえちゃんの"困り顔"を、笑えないような事態にならなければ・・・
心配だ。(笑)
浅見さんはまあ、別に。何とかするんじゃないかと思いますし、ならなくても割と平気そう


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テーマ:麻雀
ジャンル:ギャンブル
Mリーグ2022-23反省会 ~僕を裏切っていった女たち
2023年05月24日 (水) | 編集 |
渋谷ABEMASの初優勝で幕を閉じた5年目のMリーグ
僕の推し自体は別のチームでしたが、一方で一番麻雀的に好きな/尊敬しているチームはABEMASだったりするので、それはそれで喜ばしいです。妥当でもありますし。妥当過ぎて"応援"するような対象ではあんまり無いんですけど(笑)。普通に行けば勝つだろうという、実力のチームだと思うので。
とにかく4人とも揃って隙が無くて、年齢背景バラバラなりにそれぞれに"成熟"した麻雀を打つと思いますし、さりとて単に無難という訳ではなく個性化もしていて見所があって、誰が出てもABEMASの出場試合は退屈するということが無い。
比べると(あくまで比べるとですけど)その他のチームには一人二人はあんまり認めてない選手がいたり、露骨に成績の上がらない選手がいたりします。ABEMASに次ぐ"粒の揃った"チームは今年はパイレーツだったかなと思うんですが、ちょっと色々と恵まれなくて、セミファイナルで敗退となりました。
・・・ちなみに僕の"応援"チームはKONAMI麻雀格闘倶楽部で、最終的にも準優勝ですし勿論実力が無い訳ではないんですけど、挙げた2チームなどに比べるとどちらかというと危うさや可愛げがあって、それが応援ポイントというチーム。(笑)
と、(Mリーグの)ヘビーユーザー以外には通じそうもない、雑な総括はこれくらいにしてと。

今年のテーマは"僕を裏切っていった女たち"
要は今季のMリーグで、僕の予想を大きく上回るような活躍や成長・変化を見せた女流プロたちについて、舐めてましたどうもすみませんという、"反省会"です。(笑)
まあ何というか、手前味噌気味な言い方にはなりますが、人生でここまで予想外のものばかりを見せられた経験は、ジャンルを問わず記憶に無いです。どうも人間の成長力というものを舐めていたらしいと言うべきか、それとも俺は"女"が全く分かっていないらしい(笑)と言うべきか。


ともかくでは成績下位チームから順番に。

・東城りおプロ(セガサミーフェニックス)
・二階堂瑠美プロ(EX風林火山)

昨年度、2021-22シーズンに同時に加入した二人ですが。
そのニュースを聞いた時は、正直「何で?」と思いました。
他にもっと実力や魅力のあるプロは女流にもいくらでもいるだろう、Mリーグが興行である以上人気や知名度をある程度重視するのは仕方が無いとしても、この人選はいくら何でもブランド価値を下げ過ぎではないかと。
同様に怒っている、茶番だと毒づいている人は当時結構ネット上でも見られて(参考)、それらを引いてのブログ記事を書く寸前まで行ったんですが結局書かないで、まあ良かったなと今は思いますが。
具体的にまず東城プロは確かに放送対局の常連で、単体で水着DVD



なども出している人気美人雀士ではあるんですが、はっきり言ってそれありきの人で、麻雀的に何か特筆するようなものを持っている人には見えませんでした。一応"強気"という売りにはなっていましたが、それは女流でよくある"細かいことが苦手"ゆえの開き直り的なものでもあって、しかもそこまで発動率も高くなく、同じ売りの高宮プロや岡田プロの露骨に下位互換という感じ("グラビア"的にもそうですけど(笑))。はっきり言えば、個人的に最も退屈な女流雀士の1人でさえありました。
一応直前の2021年初頭に「夕刊フジ杯麻雀女王決定戦」(の個人戦)というそれなりに知られた放送対局タイトルを獲得はしていたのでそれきっかけではあるんでしょうが、それも"正当性"というより何とかしてアイドル雀士をねじ込みたい主催者側の"口実"に使われたという、むしろそういう印象でした。
そして実際に加入初年度2021-22シーズンでのパフォーマンスも、まあ予想通りというか縮こまってこそいなかったものの、なんか大人の試合に子供が一人紛れ込んでるようなそんな印象のもので。
一方の二階堂瑠美プロは、妹の亜樹プロと共に"女流"という業界自体を切り開いて来た功労者であって、"知名度優先"とはいってもさすがに東城プロと同列に並べるのは失礼な存在ではあります。ただキャリアが長い分、色々と"落ち着いて"しまった人ではあって、女だてらに職人的な渋くて緻密な打ち筋で女流の枠を越えた尊敬を集め、掛け値なしにトッププレイヤーである亜樹プロに対し、"三色好きの華やかな手役派"というキャラ自体は確立しているものの、逆に言えばそれだけの人でシリアスな戦闘力では妹より一枚も二枚も落ちるという印象が拭えず、今更成長も望み薄な分、期待感では若手以下で、かなりがっかり感のある"新加入"選手に思えました。とりわけ僕が嫌だったのがその加入先が妹のいるEX風林火山だったことで、二階堂"姉妹"の看板はそこらの花麻雀ならいい引きになりますが、究極の真剣勝負のMリーグではむしろ"不謹慎"な雑音にしか思えず、並べられては今更セット売りされては亜樹プロだって不愉快だろう、口には出さずとも内心ではと。勿論そんな理由で貴重な"枠"を奪われた(としたら)、他の実力者プロたちもと。
そして瑠美プロもまた、初年度の戦いは概ね予想された通りであり、さすがに"花麻雀"仕様は抑制してリアリズム志向で打とうとした、その努力自体は理解出来ましたがさりとてそこから何か個性や強みを発揮するには至らず、若くも強くもない平凡なベテラン女流雀士が何となくそこにいるだけの、そんな1年だったと思います。風林火山の渋めのチームカラーも、いかにも似合ってなかったですし。

そして二年目。"コネ入社"組2人の今年はどうかなと冷笑的に開幕を迎えた僕を待っていたものは・・・
まず東城プロ。元気でした。元気どころの騒ぎじゃありませんでした。大暴れ。高宮まりの・・・上位互換?(高宮プロ自体の変貌は後で書きます)
早くから"バーサーカー"(ベルセルク)の二つ名を持つ高宮プロは、"大胆"と言われることが多いですが実際は人一倍素朴誠実な性格で、"暴れる"というよりも"決死"の覚悟で捨て身の一点突破を愚直にかけ続けるそれが定期的に思わぬ結果を生むというそういうタイプ。何なら額には日の丸の鉢巻きでも巻いてそうな(笑)そういうイメージで(僕は笑)、重いというか湿度が高いというか、"アイドル"雀士の代表ではありますが正直決して"明るい"雀風ではないと思います。
ところが東城プロは、軽いんですよね。ぴょんぴょん跳ね回ってブンブン振り回す(笑)。こちらは"大胆"というより無執着かな?そういう軽さ、明るさ。性格の違いはあるので個性の違いは個性の違いでいいんですが、問題はそれが二人の共通の特徴であるある種の"素人"打ちの、「効果」に与える影響。女流どうしならいざ知らず、男子も含めた名手の集まるMリーグの中では時折爆発はするものの基本的には流れについて行くのが精一杯(だった)の高宮プロに対して、東城プロの明るい"素人"打ちは、"玄人"たちのペースを根本的に乱し、先の見えない恐怖の戦い(東城プロにとっては遊び場?笑)に誘うことしばしば。"素人"打ちというと馬鹿にしているようですが、ゲーム構造的にランダム要素の多い麻雀にはどこまで行ってもそういう打ち方の存在出来る余地があり、そうでない計算可能な部分の精度を高める努力を日々"プロ"たちが行う一方で、実は「棒テン即リー全ツッパ」が結局最強であり、素直に運を掴んた人が勝つのが競技の本質なのではないかという疑い、実際は心の底ではみな"確信"しているのではないかとも思いますが(笑)それを言ってはおしまいなので言わない(笑)、とにかくそういう競技に見える面がある訳ですよね。
ただじゃあみんな素人打ちすればいいかというとそれは色々知った後には実際は難しい、ビギナーズラックはビギナーにしか使えないと、これは麻雀に限らず色んなジャンルで言えることだと思います。でもそれに近いことをプロ歴10年になんなんとする東城プロはやってしまう。やれてしまう。特に2022-23シーズンにおいては"コンスタント"と言っていいくらいの頻度で。そうしてついにシーズン通したMVPを現実的に視野に入れるところまでのし上がり、俄かに"確実"な結果を期待されるようになったこともあるでしょう最後は息切れしましたが、とにかく最高峰の舞台での予想だにしなかった"素人"打ちの限界突破の姿を見せてくれました。
正直滅茶苦茶ファンになりましたね。滅茶苦茶応援してました。加入前の低評価も開幕前のせせら笑いもどこへやら(笑)。自分でもびっくり。"評価"が上がったというよりも見方が変わった、見えていたもののポテンシャルを見誤っていたことを認めたという感じですが。・・・実は初年度の後半にも、既に"変化"の予兆は感じていなくはなかったんですけどね。象徴的には繰り返される髪色の大胆な変化っぷりに。

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今時髪色を変えたりチームカラーに染めるなんてのはよくあることではあるんですけど、東城さんのそれは一瞬現実感を見失うレベルの何か規格外の吹っ切れ方で、"嫌い"な筈なのに(笑)毎回つい笑ってしまって。相変わらず打ち方は素人臭くはあるけれど、そういう自分を受け入れて思い切り"遊ぶ"ことに、どうも覚悟を決めたらしいなというそのこと自体は感じてはいました。(翌年のその"成果"については全く予想外でしたが)
なぜ東城さんがそういう心境に至れたかについては・・・長くなりそうなので他の人の件ともまとめて別の機会に。

とりあえず次に二階堂瑠美プロの二年目に話を移すと、こちらも初年度に比べれば確実な進歩を見せて、お荷物感の否めなかった前年から一転風林火山の確実な戦力/ポイントゲッターとしてコンスタントに機能して、やや不調だった妹の成績も大きく上回ることに成功しました。打ち方としてはそこまで何かが目覚ましく変わったという感じはしませんが、"花麻雀"モードから"シリアス"モードへの転換が、2年かかって完了したという、そういう印象です。
結局"求め"られてなかったという面はあると思うんですよね、"女流"であることそのパイオニアであるという以上のことが、M以前の放送対局においては。なまじパイオニアであるゆえにというか。
ぶっちゃけそれで食えたでしょうし、求道者風味の生真面目な妹(彼女は彼女で話すととても面白い人ではありますが)に比べてサービス精神の豊富な陽性の性格もあって、ある種の"タレント"としての表現に収まり切っていた部分が。僕もその範囲でしか判断していなかったきらいがありましたが、今季は意外な巧みさやむしろ"腹芸"に近いもの、いい意味での"ベテラン"の底力を随所に感じることが出来ました。やはり場の要請に従って発揮される/引き出される能力は変わるんだな、簡単に見切ってはいけないなと、反省させられた次第。実は本人にとっても"新しい自分"であった可能性は無くは無いのかなと思いますが、それについては自団体での(放送されない)日々の麻雀を知らないので、本人に確認してみないと何とも言えませんが。


瑞原明奈プロ(U-NEXTパイレーツ)

前年21-22シーズンの堂々たるMVP選手。
ではあるんですが、正直何が/なぜ強いのか僕にはどうしても分からなかったんですよね。壮大なま〇゛れ、と言いたくなる時もありましたが、いくらランダム要素の強い麻雀でもトップリーグの1年通しての結果にそんな馬鹿なとは思いますし、何とか言わずに我慢みたいなそんな日々。(笑)
そして今年も強かった瑞原プロ。むしろ益々というか余裕を持ってというか。その"秘密"の核心については相変わらず僕は分からない、仮説の一つも立てられない感じなんですけど、とりあえず受け入れはしました。やけになって諦めた訳ではありません(笑)。ちゃんと認めてます。ただ分からないだけで(笑)。ある意味Mリーグ32選手中、最も難解な選手。(僕には)
印象的に一言で言えば、究極の優等生という感じではありますけどね。地頭はしっかりしていて詰められる理についての追求・研鑽は怠りなく、ただ同じ女流のトッププロの中でも亜樹プロ的な"求道"感や魚谷プロ的な鋭敏なスタイル意識は無く、むしろ"常識"の範囲である種"事務"的にそれらを扱ってる感じ。その一方で、だからこそなのかもしれませんがここぞという時に意外に大胆というか我儘(笑)というか、根拠のよく分からないと言えば分からない意志のはっきりした選択をし、それが高い確率で成功し続けているそういう印象のここ2年間。正直結果が出ているから注目しているだけで、それ以前の2年間はほとんど積極的な関心を持ってはいませんでした。今は逆にその"無個性"ぶりが不気味に見えてはいる訳ですが。
どうなんでしょうね、特にインタビューとかを聞いていると、品のいい真面目なお嬢さん(既婚子持ち)ではあるんですけど意外と放胆というか呑気というか、状況関係無くいつもやけにリラックスしている

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という(笑)印象の人で、ある意味東城プロに似た無執着なところはあるのかなと。ただ基礎の強さは東城プロを大きく上回るというかアイデンティティの"入口"が違うというか、無執着は"プラスアルファ"として発揮しているので気付かれ難い。"気配"抜きに突如爆発する厄介さというか。そこで引き寄せた運に、今度は理の強さを活かして確実に効率的に乗っかって最終的に手が付けられなくなる。
・・・僕が描写出来るのはこれくらいですけど。
いかにもワセジョ(?)らしい、美人だけど女感はあんまり無く(笑)、まあなんかスペック相応に真っすぐ育ったんだろうなという感じの人。国際教養学部、理系ですらないのか秀才ではあっても、ほんと背景ストーリーを付け難い感じの人。それゆえのニュートラル?ニュートラルゆえの無限成長力?
来季こそは、もう少し正体に迫りたいものだと思っています。(笑)


高宮まりプロ(KONAMI麻雀格闘倶楽部)
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女流とMリーグ : Mリーグ2021-22感想個別編
2022年05月11日 (水) | 編集 |
全体編はこちら


Mリーグはリーグの規定として、3-4人で構成される各チームの内1人以上の女性選手を含むよう定められていて(Wiki)、その女性雀士たちの戦いを見ていての感想。
具体的には

 赤坂ドリブンズ 丸山奏子(最高位戦)
 EX風林火山 二階堂亜樹(連盟)、二階堂瑠美(連盟)
 KADOKAWAサクラナイツ 岡田紗佳(連盟)
 KONAMI 麻雀格闘倶楽部 高宮まり(連盟)、伊達朱里紗(連盟)
 渋谷ABEMAS 日向藍子(最高位戦)
 セガサミーフェニックス 茅森早香(最高位戦)、魚谷侑未(連盟)、東城りお(連盟)
 TEAM RAIDEN / 雷電 黒沢咲(連盟)
 U-NEXT Pirates 瑞原明奈(最高位戦)

というのが今季のメンバー。
"最高位戦"というのは「最高位戦日本プロ麻雀協会」、"連盟"というのは「日本プロ麻雀連盟」という競技麻雀のプロ団体の略称。(参考:競技麻雀Wiki)
競技プロ団体としてはもう一つ「日本プロ麻雀協会」("協会")が有名ですが、女流は今のところ実況の方で松嶋桃プロが頑張っているのみ。佐月麻理子プロあたりは実績もスター性もありますし、いつ入って来てもおかしくない気がしますが。男子は堀慎吾・松本吉弘両プロが、既に活躍していますね。

各団体細かい違いはありますが、女流は女流同士で戦い、+して"無差別級"的に男子プロとの混合戦/リーグにも臨むというそういう形が基本。
将棋や囲碁程ではありませんが、麻雀においてもやはり男性プロの方が実力優位というのが少なくとも従来の見方で、それがMリーグの言わば"特別枠"的な規定にもなっているわけですね。指定しておかないと男性プロばかりになりかねないから縛りは入れる、でも入れるのは1人でとりあえずOKというバランス

蓋を開けてみれば4年間のリーグで2年目の魚谷、今季の瑞原と個人スコアトップを2回女流が取っている訳ですが、ここらへんの総体的な話については、最後に書きたいと思います。

とりあえずは今季の女流Mリーガーで、特に気になった選手について。


岡田紗佳(さやか)プロ ~現状と将来

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ご存知有名グラドル(モグラ?)出身で、今日の麻雀メジャー化に少なからぬ貢献をしていると思われる若きスタープロ。

19-20シーズン -152.8ポイント 22/29位
20-21シーズン +33.6ポイント 13/30位
21-22シーズン -261.8ポイント 26/32位

以上がMリーグ3年間のレギュラーシーズンの個人成績推移。(Wiki)
2017年のプロ入りから僅か3年目でMリーガーとなり、トッププロの壁に苦しんだ1年目、舞台に慣れて攻撃的な持ち味を発揮し始めた2年目、序盤からややめぐり合わせに恵まれない感もあり、また2年目と同じように打ってもリーチしてツモれず和がっても裏ドラのらずという場面が目立ち波に乗れず不成績に沈んだ3年目、ここらへんがまあ一般的な見方でしょうか。
岡田さんは(プロor放送対局)デビュー当初からいかにもな地頭(あたま)の良さと旺盛な闘争心で、"男子並み"(またはトップクラスの少数の女流並み)とも感じさせる妥協の無い息の長い思考力計算力で、従来の"若手女流"のイメージとは一線を画した印象を与える選手でした。Mリーグでもそれは健在で、具体的にここがマズいと指摘されるような手筋はまずなく、そういう意味での"人事"は既に尽くしているので逆にこれ以上どうしたらいいんだろうと本人も悩んだシーズンだったかもしれません。
岡田さん個人/個性の問題に目を向けると、上では"攻撃的な持ち味"と書いてはおきましたが、デビュー当初はむしろ"守備"的な印象がとにかく強くて、持ち前の"思考力計算力"を駆使(笑)して細心に細心に先回りしてほとんどプルプルと怯えながら降りまくる回りまくる姿が何よりも目に付く選手でした。よく読むなあクソ真面目に対応するなあと感心はしつつも、正直かなりイライラもさせられる選手で、逆に今日はどんなイライラを味わせてくれるんだろうという、そういう変わったアングルでの"ファン"に。(笑)
岡田さんがそういう打ち方になっていたのは、一つにはむしろなまじ変に"読める"から思考力が高いからというのがあったろうと思います。そこに駆け出しプロとしての当然の怯えと裏腹に最初から注目度の高いスター雀士としてのプレッシャーや責任感が相まって、ああいう悪い意味でも新人らしからぬ慎重居士な打ち方が出現していたのだろうと。
そうした主に1年目から、3年目Mリーグ入りするまでの約1年間の間に、岡田さんはかなり急激なスタイルチェンジを遂げて、ビッグマウス/スターオーラ満載の"持ってる"天運/相手を見下ろして圧巻の打撃力で圧し潰す攻撃麻雀の選手としてのイメージを確立して、見事ドラフト指名対象選手にもなった訳です。
ただ・・・僕は未だにデビュー当初のイメージが強いというかそちらの方に特有の魅力を感じるというか、あれこそが本性なのだと思っているところがあります(本人も折に触れて守備型だとは言ってますね)。"本性"だからこそ、"特有"の魅力も出て来る訳で。逆に言えば"チェンジ"後の岡田さんには、イメージ作りというか"攻撃的"イメージありきでそれに寄せて行った結果という以上の個性・魅力を感じない。そうやって自分を駆り立てて行った、"プロ"としてのキャラ作りをして行った、それは分かるんですけどね。ただそれは言うならば"はったり"に近いものなので、"女流"という、サイズの見切れる"コップ"の中では通用しても、男子相手のMリーグでは通用しない。・・・ありていに言って、岡田の"はったり"に男子は誰もびびってくれない訳で(笑)。また岡田さん自身も舞台が変わったことで、もう一回"細心""慎重居士"の素が出て来てしまった感じで、自分を駆り立てるのに若干無理をしている"スタイル"の設定に悩んでいる、そういうところはあると思います。
後でも書きますが、僕が思うに結局"本性"を"特有"の力に変える一種の人間力勝負的な部分が、どうしても男子相手の戦い本当のトップの戦いでは必要となると思うのでね。そういう意味で、"ビッグマウス"岡田が僕には最終形に思えないというかそれでは強くなり切れないだろうと、そう個人的には予測しています。現状でもまあまあやれてはいるので、それでいいならそれでいいんですけど。ただそれでは男子はおろか後述するような伊達プロや日向プロが到達する境地にすら、及ばないのではないかなと。むしろ"プルプル"岡田(笑)のパワーアップしての何らかの再来を、望みたい感じ。それこそが完全体ではというか。


伊達朱里紗(ありさ)プロ ~"超"新世代

失礼ながら僕は認知していなかったんですが、人気声優からの岡田プロ程ではないですがそれなりの話題性を持ってプロ入りした選手。(参考)
・・・『終末のハーレム』とか出てるのかよ。どんな役か知らないけど見たくねえー。(笑)
あんまり伊達さんを"女"として見たことは無いんですよね僕。(笑)

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上で書いたようについこの間まで(笑)岡田プロの"新世代"ぶりに瞠目していた僕なんですが、それを更に/早々に超えて来たなという、そういう個人的感慨。新・新世代とかでもいいのかも知れないですけど、年齢的には1991年生まれの伊達プロの方が1994年生まれの岡田プロより3歳上でややこしいので(笑)、年齢ではなくあくまで麻雀の質的な"新世代"として、規定。ちなみにプロとしては、岡田プロが2年先輩。(伊達2019~、岡田2017~)

21-22シーズン +269.5ポイント 4/32位

というのが伊達プロの最終成績。岡田プロと同じく3年目での大抜擢ながら、一時は個人成績トップをひた走り(同時に3部門も)、さすがに出来過ぎな感はありつつもでもこのままゴールしても満更不思議ではない実力の確かさも感じさせていた、スーパールーキーな1年でした。
既に岡田プロの段階で"男子並み"の基礎能力を僕自身認めていて、その岡田プロの(予想はしていましたが)Mリーグでの苦戦を見ていてだいたいあそこらへんが若手女流の標準なんだろうと了解したつもりのところに、あのどう見ても偶然や一時の勢いではない大活躍だったので、正直何が起きてるんだろうと僕もびびってたんですけど。(笑)

だからなぜ伊達プロがあれほど活躍できるのか、その理由はぶっちゃけ僕には分らない訳ですけど。
ただ似たようなキャリア・年齢・バックボーン(芸能人という)の岡田プロとの体感的な比較で言うと。
一つ感じるのは伊達プロの方が、思考・選択がより能動的というかいい意味で個人的に感じるかなというのはあります。
頭が良くて真面目な岡田プロが、一般論や常識/定石や確率との照らし合わせで選択を行っている部分が多いと感じるのに対して、伊達プロには余りそういう瞬間を感じない。定石や確率と照らし合わせた選択、それ自体はとても大事でまずそれらを淀みなく行えるのが一流へのスタートではあるんですが、それは別な言い方をすると既存の選択肢の中から選ぶ、既知の"正しさ"に身を寄せる/頼る、そういう態度でもある訳で。定石は使いこなせて当たり前のトップレベルの戦いの中で、では何で勝負するのか無限に近い選択肢をどのように狭めてしばしば確率以上/外の勝ち筋を捕まえて他のプレイヤーを出し抜くのか、そこら辺の決定力(?)にどうしてもひ弱さを感じてしまいます。
でも伊達プロに関しては、そういう"ちらちら教科書を見ている"ような段階は、既に通り越しているように見えるんですよね。Mリーグ登場当初から、プロ3年目にして。最初からそうだったのかプロ生活の早期のどこかでその段階を卒業したのか、初年度からメディアに出まくっていた岡田プロと違ってMリーグ以前の伊達プロの対局は数える程しか見ていないので、それについては何とも言えませんが。
最初からならパーソナリティ的な意味合いが強いでしょうし、プロセスが可視的なものなら"習熟"度合いやスピード感的な理由が濃くなるでしょうし。ただ学習に終わりは無いのでいずれにしてもどこかで"お勉強"から訣別する覚悟/思い切りのようなものが必要で、それが伊達プロには既に見えるけれど岡田プロにはまだ見えない、そういう差はあるように僕は感じています。そして岡田プロのその段階への到達を一つ妨げているのが、前の項で言った"本性"との乖離ではないかと、そういう風に論としては繋がるかもしれません。

つまりは既に"自分自身"であるように見える伊達プロ。そういう意味では異形の怪物揃いの男性Mリーガーと並んでもほとんど遜色ない、女流同士ならそれこそ二階堂亜樹・魚谷らのトップオブトップ、彼女たちが長年に渡る経験と研鑽でたどり着いた境地に、スタート間も無くたどり着いている、正に"超"新世代ではないかなと。"若手"とか言ってらんない。(笑)
まあまともに見たのは今季のMリーグが初めてだったので、来季以降も(伊達プロの)観察・研究は続けて行きたいですが。(笑)



結局女性雀士と男性雀士の違いは何なのか

・・・Mリーグを見て感じる。

僕の"見る"麻雀は元々"タレント"岡田紗佳のファンだったことがきっかけで始まったので(普通で申し訳ない(笑))、必然的に女流中心で流れて来ました。モンドTVを筆頭とするCS各局の放送対局で、ある時期までは(最近はさすがに過去の対局の再放送も見尽くしてしまった(笑))ほとんど毎日のように誰かしらの顔を見ていた女流たちが、男女混成(男子中心)の超真剣勝負であるMリーグでどのような麻雀を打つのかどれくらい通用するのか、あるいは単に贔屓の女流たち頑張れと(笑)、そういう思いを中心にMリーグも基本見ています。

冒頭で言ったようにMリーグには、見ようによっては"アファーマティブ・アクション"的な女流プロに対する優遇/特別措置が取られていて、それに対する逆方向からの抗議(屈辱的だという)の声が特に出たりしないくらい、男女の平均的実力差は周知の事実として認められて来た訳です。
僕のようなタイプ(笑)のファンも多いので、"集客"力的にも明らかに女流がいた方がいいのでウィンウィンではある訳ですが、それでも男子だったら入れてないだろうなという実力の女流は今季のメンバーでも・・・うーん、名指しは避けますが僕的に見て半分くらいはいるので(笑)、まあ特別待遇なのは間違いのないところ。

それ(実力差)についてある時期までは、シンプルに"女は計算が弱い"から、牌理/牌効率、各種の確率計算といった基本的な思考力やその持続力の部分で差があるからだと、そういう常識が受け入れられ、またそれを感じさせる女流"プロ"の割合は実際十分なものだったと思います。
それが・・・いつからでしょう、恐らくはネットも含めた放送(配信)対局の環境が充実して"見"て学ぶことが容易になって以後、またそれらによって麻雀界のイメージが明るくなって参入して来る人材の量とその分質も豊かになることによって、そこらへんを標準装備した女流(の若手・新人)の率がぐっと上がって来て(岡田紗佳プロはその代表)、少なくともMリーグを筆頭とするトップレベルの対局でそうした単純な男女差が感じられることはほとんど無くなりました。

しかし、にも関わらずやはり男女差は依然として余り変わらず存在すると、総体的にはそう感じざるを得ません。Mリーグでもレギュラー~セミファイナル~ファイナルと舞台が煮詰まるにつれて、圧倒的に男子中心の起用が増えて来ることに、残念ながら違和感はないというか別に男のプライドやベテラン男子プロの既得権益(笑)でそうなっているとは、ある程度以上麻雀を知っている人なら感じることはないでしょう。
逆に大事な試合きついメンバーに下手に贔屓の女流が出て来ると、ひーやめてー、いじめないでーみたいな気持ちになってしまうことが多いというか。(笑)

・・・まあ、"女流"にもよるんですけどね。気にならない人もいます。今季のメンバーで言えば、二階堂亜樹、伊達、日向、茅森プロあたりなら別に男子プロと横並びで何も気にしないで見れます(伊達はさすがにキャリアが浅過ぎるので大事な一戦では若干心配はしますが)。魚谷プロは本来は文句なくこのランクなんですけど、今季はどうもMリーグは片手間にやってるような印象でエンジンのかからない試合が多かったので微妙。黒沢プロは好不調次第なので今季はちょっと。個人最高成績の瑞原プロがここに入らないのは意外かも知れませんが、成績は上がったものの正直見た目ではまだまだ僕には小綺麗なだけの"女流"麻雀に見えて、極端に言うとたまたま勝ったような印象。勝っている自信の力は感じつつも、一手一手にそこまでの迫力は。(来季以降に注目)

話戻して、つまり長らく"女流の弱点"だと思われていた麻雀の基本的な「理」の部分、その穴が埋まった筈なのになお存在する"差"はいったい何か。埋まってみて初めてor改めて浮き彫りになる。
理でなければ理外、または理"以上"のものと、言語的にはなりそうですが。
実際そうだと思います。言葉にしてしまうと、どうも怪しい感じですけど(笑)。勿論別に、"超能力"とかいうことを言っている訳ではないです。(中にはひょっとするとそれに近い人もいるかも知れませんが(笑))

今まで出て来た言葉で言えば、選択肢、の中の単に"どれ"を選ぶかではなく、選択肢そのものをどう設定するかどう作り出すか、それ以前にどう性格づけるか、そういうただの見た目の理/効率からは直接出て来ないような判断・選択・イメージ・ヴィジョン。そういった部分。
あるいは実況中によく出てくる言葉で言えば「構想力」などもその類かもしれません。手組みの方向性のまだ手がかりの少ない段階からの大きな判断・戦略、更に言えばそれの臨機応変な変更力咄嗟の再構想力。
はたまたよりシンプルに、雀ゴロ的な駆け引きやトラップや、おっさん的な腹芸や。(笑)
教科書的には同じ判断基準しか示されていない中での、ある場面ではある牌を切らないけど似たような同じ場面では切るというような、限りなく"勘"に近いような細かい判断。
それら色々まとめての、大きくは似たような方向の手牌進行のまとめ方だとしても結果として出て来る決定力の違い。

"大学生どうしでは結構強い方だった"程度の打ち手である僕ではトッププロの頭の中を到底上手く表現はし切れませんが、とにかく何らかそういうそれこそ言語化が困難(おそらくそれはご本人たちにも)な部分にこそ、現在の男女差の本体がある、依然として小さくない差があると、それが僕の印象です。
まあ"言語化困難"であるのなら学ぶのも困難な訳で、キャッチアップが後回しになるのも理屈ではありますが。真面目な(笑)岡田さんなんかは、今後も人一倍苦労する部分かも知れません(笑)。伊達さんとかはもっと自分勝手で頑固な感じなので、すいすい行けそうですが。先輩の中だと茅森プロと少し似てる部分があるか(負けん気はもっと強いと思いますけど)。日向さんはちょっと横着というか見切りのいいタイプで、若くして(1988年生まれ)随分現実的というか直線的でない進退を身につけて、男子プロと互角に渡り合ってますね。

まあ"解明"出来たとかには程遠いですけど、一応僕が考える問題の"領域"としては、こういう感じになります。
ほんと男子プロたちの思考の複雑さには、毎度驚かされます。囲碁・将棋的な"高度さ"、演算能力の直接的な超人性とは、少し種類の違うものだと思いますが。
そういう"理屈"じゃない言語化困難な能力をではどういう風に身に付けたらいいのか、それに対する僕なりの一つの答えが、岡田伊達比較論のところで述べた、"自分自身"になること、"本性"に従うこと本性の延長線上にスタイルを構築すること、そういうことになります。得意なこと感情移入し易いことに集中することによって、見えない選択肢が見えて来る選べない判断に選ぶ基準が見えて来る。踏み込みの深さ速さが敵の(常識的な)読みを上回る先回る。そうして生まれるのがトッププロたちの"ビッグプレー"、そういうことのように見えます。
・・・仮に"供託泥棒"が本性(白鳥プロ)なら(笑)、その方向に徹することで、供託泥棒なりの誰にも負けない凄みが出て来る訳ですよ。実際ほんと厄介ですよねあの泥棒さん。敵としては大嫌いですけど尊敬はしています。(笑)

僕が今言えるのは、これくらいですね。
地味に面白いなと思うのは、今回述べた"女流の弱点"の古い常識なんかも正にそうですが、"理屈っぽい男""感情的感覚的な女"という通俗的類型に反して、男こそが理屈じゃないところで勝負していた女の勘ならぬ男の勘(笑)を駆使していたという、そういう風景。結論。
ただの世渡りならそりゃ男は理屈に合わないことを盛大に得意げにやっていますが(笑)、仮にもルールのある論理的ゲームにおいての話なので、面白く思うというかより総合的な"類型"の構築を考えたくなるというか。
逆にでは女流プロはいつ"女の勘"を使って来るのか言われるところの男の浮気を鋭く見破る慧眼でもって、どのように男子プロを恐れさせる未来があるのかそれとも無いのか。(笑)

今後の経過を見守りたいと思います。(笑)


追記 : 予定では高宮まりプロの成長/苦闘の歴史などについても書くつもりだったんですが、岡田/伊達比較論が妙に収まりが良かったので、今回はこの形で。またの機会に。


テーマ:麻雀
ジャンル:ギャンブル
Mリーグ2021-22感想 : 全体編 ~特にサッカーとの比較において
2022年05月03日 (火) | 編集 |
mleague8


先週4/26に、KADOKAWAサクラナイツの初優勝で4年目の幕を閉じた、Abema主催のプロ麻雀リーグ"Mリーグ"(公式)

人気上昇中の噂はまま聞くんですが、僕のtwitterのTL上だと今いち見られている手応えはさほど無いんですよね。
漠然とした想像としては、学生時代に雀荘に入り浸っていたようなアナログ世代と、オンライン麻雀やMリーグの普及・影響によって新たに増えて来たファン層の、ちょうど中間くらいが僕のTLの主体なのではないかなと何となく(笑)。言わば"谷間"のTL。(笑)

ただたまにタグで見てみると、twitter観戦自体がそんなに盛況でもない(コメント内容も"応援"中心のライトなものがメインに見える)感じなので、「ウィークデイの19:00から23:00頃にかけて2試合」というレギュレーションが、"雀荘"世代の社会人にとっては生観戦の難しい環境だと、そういう影響もある気はします。
僕も正直、楽しみではあった反面フル参戦はきつい、そんなに毎日ゴールデンタイムを潰してらんない、2試合とか見た日には夕方から何も出来なくなるという困難はありましたから。
割と暇人の方ではある筈ですけど。(笑)

だから(Amebaプレミアムで)見逃し配信で見ている人はもっと多いのかなとは思いますが、Mリーグ以前からCS各局(モンド、エンタメーテレ、テレ朝チャンネル2等)での放送対局自体は浴びるように見て来た身からすると、"ライブ"であるということはそれらの"収録"番組とMリーグとの大きな違いであるので、僕自身は割と万難排して見る時はライブで見るようにして、見逃したら諦めるというスタンスで見ていましたがそれはともかく。


Mリーグの競技特性 ~Mリーグの現在と"未来"

"麻雀"が"麻雀"であるアドバンテージ

というような難点(?)はありつつ、ただ面白いか面白くないかということで言えば、とんでもなく面白かったです。
そして恐らく来年も再来年もその後も、基本的には常に同じように、"とんでもなく"面白いのではないかと思います。
時間を潰されて迷惑ではあるけれど(笑)、出来ることならひたすら潰していたくもある、面白さ。
フル参戦はしていない、観戦数は意図的に絞っていた僕ですが、予定外の試合でもうっかり見てしまうと、結局終わるまで容易に席を離れられない、そういう麻薬的な性格のエンターテイメントではありました。

簡単に言えば、麻雀が好きである程度以上の理解力がある人にとっては、面白くない訳が無い、つまらない試合などほぼ皆無に近いだろう、そういう鉄板打率の"リーグ"。
例えばサッカーが好きだとして(実際好きですけど(笑))、リーグやカードをある程度厳選して、具体的にはその国のトップかそれに準じるリーグの贔屓チームの試合/カードという条件で1シーズン見続けたとして("クラシコ"とか"ダービー"みたいな年2試合程度しかない特殊なカードは置いておいて)、こんな"鉄板"性を期待するのはまず不可能なわけで。凡戦駄戦はむしろ日常、贔屓チームが勝てば結果は嬉しいけれど、その中に"内容"的に満足の行く試合の割合まで考えてしまうと、(贔屓チーム贔屓選手が)負けてすらも試合自体はほぼ常に楽しい、"内容"も充実して感じられるMリーグの確度からは、更に遠く遠ざかる。

ではそれはサッカーが麻雀よりつまらないからなのかと言えば、現実/現象としてそうでないとも言い切れない(笑)ですけれど、本質的にはそれは競技特性の違いで。
スポーツ/集団スポーツと、ボード(テーブル)ゲームとの間の。
論理性が高く、インプットとアウトプットとの関係が安定していて、上手い人どうしがやれば上手い試合、緻密で緩みの無い試合にしか、ほとんどなりようがないボードゲームと、その国のトップレベルの選手たちの対戦であっても、ミスや凡プレーが当たり前に起こり意思のコントロール下にない無秩序や緩みが試合のあちこちで絶えず発生し、体力面の不可避的影響も常在し、更にそこに集団競技として「監督」の指揮の当たり外れがそれ自体決定的に近い比重で関与してアウトプットを乱高下させるサッカー(その他類縁競技)と。
今更ですがスポーツ、特に集団競技は、本当にクオリティが不安定ですよね、これが個人競技になるとだいぶ紛れは減る気がしますが。僕自身は興味ないですが、大相撲ファンとかは平均してかなり満足度が高いのではないかなとか。(でも総合格闘技とかになると別の難しさもあるか)

だから応援とか情熱とかそこらへんの嵩上げ要素を別にして、受動的な「観客」としての満足度の平均で言えば、恐らくそもそも(集団)スポーツはボードゲーム系競技にはなから太刀打ちは出来ないのだろうと思います。ここら辺は囲碁や将棋のファンなども、同意してくれることだろうと思いますが。
勝てるとすれば厳密でない故の部分、上手い下手と言ってもやれることはツモって切るだけの(笑)例えば麻雀に対して、運動能力的技術的(&ヴィジョン的に)に結構とんでもない幅の表現が可能なそういう部分かなと。そういう意味では回り回ってやっぱり監督より選手が大事だとも、言えるかも知れない。大きな視野では。僕自身ファンでもありますが公平に見てペップシティの"商品"クオリティが長期安定的に殊更高いのも、ペップの構築する組織の安定性を前提にして、スーパープレイヤーたちの競演による"ディナーショー"(参考)の提供確実性が、試合内容の乱高下とは別に保証されている、そういう構造になってるからではないかなと思っていたりしますがまあそれは余談。


"麻雀"が"麻雀"である限界

今後も向上することはあっても逆は無いだろう日本の(世界の?)プロ麻雀プレーヤーたちの競技能力を考えても、このように目の前の一戦レベルの満足度で言えば現在も未来もほとんど不安は無いように思えるMリーグですが。(少なくとも今季のレベルを是とする立場から言えば)
しかしその将来性特に発展性変化可能性については、構造的な疑念も無くは無いんですよね。
それはつまり他ならぬMリーグの、上でも言った既存の放送対局一般と一線を画する特徴である筈の、「チーム競技」「団体競技」(公式)の部分。

"KADOKAWAサクラナイツ"に"セガサミーフェニックス"に"渋谷ABEMAS"に"KONAMI麻雀格闘倶楽部"に。(以下同様)
4年前の発足当初は正直何じゃそりゃという印象も無くはなかった(笑)Mリーグの各"チーム"(クラブ)たちも、2年目にサクラナイツが加わった以外は大きな変更も脱落も無く、予想外(?)に堅実な活動ぶりで、「チームを応援する」という習慣も満更絵空事でないレベルで根付いて来たようには思います。

ただその一方でそれらのチームの勝ち負けや"優勝"に関しては、4年間各チーム大部分のメンバーが変わらない中でしかし優勝チーム上位チームは毎年変わり、正直運不運というかたまたまというか、玄人好みの"連軸"的な強いチームはいくつか挙げられたとしても(具体的には渋谷ABEMASやEX風林火山)、その時々勝ったチーム/優勝したチームにさしたる"勝因"があるのか勝ったから"強い"と言えるのかについては、個々の選手の技量については心からの敬意を捧げつつも、正直少なからぬ疑問は感じざるを得ません。
"愛着"というレベル以外で、"チーム"競技として本当に成立しているのかという。それこそサッカーなどと比べて。

そもそもチームに何人いたとしても、一戦一戦については各チーム一人ずつお行儀良く対戦するしかない形態の競技において、所謂集団的な"戦術"のようなものが存在し得ない、その事自体は自明ではある訳ですが。・・・せめて武道のチーム戦的に先鋒~大将戦のような総当たり形式でもあれば、多少は変わって来るとは思いますがとりあえず今はそれは無い。
ただ僕が問題にしたいのはそうした本格的な団体"戦術"要素の不在などではなく、もっとシンブルなチーム編成、選手の能力の足し算レベルの話。(実際は"足し算"ですらもないと思いますけど)

つまりあるチームがあるシーズンで(または連続したシーズンで)不成績だったとして、それに対して"けじめ"的な選手の入れ替えを行った(&行おうとしている)例はMリーグでもいくつかありますが、しかしそれが例えば世界中の(プロ)サッカークラブが毎年行っている「補強」や「再編成」、それに比較し得るような規模や本気度や効果の期待のかけられたものであるかというと、到底そうは言えないと思います。サッカーのそれに比べれば気休めに近いというか、なぜ入れ替えるのか入れ替えたら何が期待できるのか、具体的な理由が乏しい。それこそ"けじめ"くらいしか。

それは一つには上でも言ったように"チーム"とは言っても試合に出るのは一度に一人であり、そこでするのは常に同じ"麻雀"であり、得意不得意とか"タイプ"の違いとか、増して"ポジション"の違いのような要素は無いに等しい
つまりサッカークラブがやるように、昨季はCBの弱さが目立ったからCBを補強しようとか、ドリブラータイプに人材を欠いたからそういう選手をとか、そういう具体性個別性がMリーグの場合無い訳ですね。言わば"サッカー選手"("麻雀選手")という一つのざっくりしたカテゴリーしかないというか。
これに関しては例えば公式ルールが複数あれば、つまり今の「一発裏あり赤あり」ルールだけでなく、一発裏無しの純競技ルールや極端に言えば東風戦とか、そういうものでも混じっていれば、そこで初めて得意不得意タイプの違い、それによる「補強戦略」のようなものが、いくらかでもサッカー等のプロスポーツチーム競技に近い形で発生するかもしれません。それが無い現状だと、要は"麻雀"が強いか弱いかというざっくりした基準しかない。

そしてまたそれこそが、"強いか弱いか"こそが、実に麻雀の場合悩みの種というか、これは囲碁や将棋に比べてもはっきりしないという競技特性を持っている訳で。俗に"初心者がプロにも勝ち得る"競技ということで。
長く見ていればこの人は凄いなとか、いつも安定しているなとか計算出来るなとか、この人は少し力が落ちるな家賃が高めかなとか、そういう感想や主観的な優劣の印象はあるにはあるわけですけど。ただもしその印象が正しかったとしても、その印象を抱いている本人であったとしても、それをもって本気の優勝予想が出来るかというと、まあ難しい。せいぜいがセミファイナル進出の(8チーム中の)6位以内くらいですかね、ある程度以上自信を持って、メンバーから予想出来るのは。
結局は運不運やたまたまの(結果的)好不調で結果が決まると、そうとしか言いづらいここまでの4年間だったと思います。特に"優勝"に関しては。

あるいはこんな想定はどうか。
どこかの大富豪なり大資本なりが、Mリーグに投資してクラブオーナーになろうとしたとする、それで新チームを作るのか既存チームを買収するのかは別の問題として、とにかくいざ金に物を言わせようとしたとして、どうしたらいいのか。
金に糸目はつけないとして、では誰を買えばいいのか、麻雀界にメッシクリロナはいるのかファン・ダイクはいるのか。・・・藤井聡太でもいいですけど(笑)。11人ならぬ4人しか枠が無い訳ですから、"最強の4人"(と思うメンバー)を揃えるのは比較的容易な筈ですが、仮に揃えたとしてそれでどれくらい成果が期待出来るのか。例えば多井白鳥勝又二階堂亜樹とでも揃えれば、強いは強いでしょうし玄人目線での一戦一戦の納得感は保証されるでしょうが、それでどれだけ金をかけただけの勝ち目が期待出来るのか。
・・・ぶっちゃけそれこそ前年度最下位チームと、どれほど優勝確率が違うかというと、ううむという感じになります。

つまりそれくらい麻雀プロの勝ち負け強い弱いは当てにならない、"チーム"編成に現状さしたる意味は無い効果の狙いは持ち難いということです。
だからMリーグに投資価値は薄い・・・なんてことはまあ別にいいんですけど(笑)、要は長く見れば見る程"毎年"の違いは無いことに気が付くあるいは毎年毎年いちからサイコロを振るだけになるその年その年どのランダムが出るか出ないかだけの"チーム競技"になる、そういうことが予想される訳で。

それでも前の項で言ったように麻雀自体は安定して面白いでしょうし、個別選手に対する贔屓やそれきっかけのチームへの肩入れなどで"チーム競技"としてのドラマ性もその都度生まれなくはないだろうとは思いますが。ただ構造的には、変化発展、特に意図目的性を持ったそれは、基本的にかなり生まれづらい"リーグ"であると、それは言えると思います。そしてそれを大きな理由とする、将来的な観客の"飽き"の可能性も。

まあ変化発展の"ある"プロサッカーリーグでだから飽きが生まれ難いかというと案外そうでもなかったりする(むしろチームの継続性の無さに嫌気が差すパターンも多い)ので、現時点では余計な心配かも知れませんが。比較の問題としては、こういうことも考えてしまうということです。
とりあえず今は、個人的に実は初めて通年でちゃんと見た昨季は、無茶苦茶楽しかったですけどね。こんな幸せが今後10年20年続いたりするのだろうかと、そんな上手い話があるのかと、逆に疑わしくなるくらいに。(笑)

幸せなんて、信じない!(笑)


今日はここまで。
個別の選手に対するコメントは、記事を改めて書きたいと思います。
今週は各漫画雑誌も軒並みお休みですし。

(個別感想編:"女流とMリーグ")


テーマ:麻雀
ジャンル:ギャンブル
僕の好きな女流プロ雀士たち Part2
2020年06月17日 (水) | 編集 |
"Part1"相当回はこちら2年半前ですね。
その時紹介したのは、高宮まりプロ、岡田紗佳プロ、東城りおプロ、松岡千晶プロ、菅原千瑛(ひろえ)プロ、小笠原奈央プロ、二階堂瑠美プロ、和久津晶(あきら)プロ、いずれも当時の知識の限定性から、全て「日本プロ麻雀連盟」という最大団体の所属プロたちでした。・・・今読むと修正したい箇所も少なからずありますが(笑)、切りが無いので我慢。
その後更に更に女流対局は見まくっているので、他団体含めての追加リストを新たに作成したく。
"癒し"という意味では最大の趣味になりつつあるので、死ぬまで見続けたら・・・Part30とかまで行くかも。(笑)

では以下団体別に。(競技麻雀Wiki)



[最高位戦日本プロ麻雀協会] より (Wiki)

実力派系

茅森早香プロ

茅森早香茅森早香2

早くから頭角を現してもう古株の部類に入りますが、最近一番好きかも。改めてというか。
後述する二階堂亜樹と並んで「天才」と呼ばれることの多い人ですが、どのように天才かというと・・・落合博満かな。いや何となく。(笑)
緩められる限界ぎりぎりまでゆったりと構えて、三次元的な幅のあるボール(局面)の捉え方で無理なくしかし確実に、全方向長短自在に打ち返す。一見どこにも力が入っていないようだけど、"曲げる"時は結構強引に人為的に、状況を"曲げる"事も出来る。
その怠惰ぎりぎり(笑)に淡々と奔放な"俺流"パーソナリティも、「天才」感「落合」感を醸し出しています。女流雀士多しと言えども、不機嫌な時に"不機嫌です"という顔でコメント対応するのは、この人と岡田紗佳くらいじゃないですかね(笑)。質問が気に食わないと、普通に「で?」とか言いかねない勢いです。(中田ヒデ)
ルックス的にも間違いなく美人(むしろ正統派の)なんですが、特に若い頃は自分が美人であることやそもそも女であることを気にしているのかいないのかという感じで、それで少し僕の"アンテナ"に引っかかるのが遅れました(笑)。女子力的なものが低いという言い方も出来る可能性がありますが、むしろ「美人」であること「天才」であることに、いい意味で(笑)あぐらをかいているズボラな感じが、逆に魅力的。放送で「天才」と紹介されても、最早めんどくさそうにはい天才ですと平気で紹介を受けます。(笑)
実際には言うほど勝ちまくっているわけでもないと思うんですが、勝つ時の天才ぶり、あれよあれよとこちらの思考が追い付かないような目まぐるしい手牌の回転の果てに、あっさりと実は最短距離で"正解"にたどり着くような感じは、やはりそう言いたくなる人の気持ちは分かります。
ファンです。付き合いたくは全くないですけど(笑)。死ぬまで理解出来なさそう。

瑞原明奈プロ

瑞原明奈

Mリーグで初めて知りました。爽やかかつ可憐な、ボーイッシュかつ女性的という感じの人。
現在"トッププロ"の一つの目安であるMリーグに選ばれているくらいですから雀力は高いんでしょうが、まだ2,3試合しか見てないのでそっちの方はよく分かりません。女流どうしで一回見ると、より特徴は分かると思うんですが。(Mリーグは混成)

陰性美女系

中野ありさプロ

中野ありさ1中野ありさ2

ド新人ながらメジャーな放送対局、去年の夕刊フジ杯を勝ち切った時の、つぶらな瞳のお人形さん的なルックスを、極度の緊張に歪めて苦悶しながら打つ様に多くの男子が色々と(?)鷲掴みにされたろうプチアイドル雀士。(笑)
意外なハスキーボイスもチャームポイントですが、普段の彼女は特に陰も無い、普通のイマドキのコのようですね。

足木優プロ

足木優1

写真はにっこり笑ってますが、この若干古めというか昭和感(?)のある美貌自体が、覇と個性を競い合う競技プロの世界に入ると自然に哀愁を醸し出して、そこが好きです。(笑)
勝ってても負けてても。

陽性美女系

与那城葵プロ

与那城葵

実は性格には少しネガティブなところがあってそこも可愛いんですが、割りとがっちりした感じの体格とくっきりはっきりした顔と、素直で嫌みの無い性格が陽性の存在感をいつも感じさせる人。

塚田美紀プロ

塚田美紀

小柄という以上に"子供"感のある体型で、麻雀の技術的にもちょいちょい稚拙さをまだ感じさせますが、余り気にせず何かと(笑)ぐいぐい来る感じが笑えるコ。
多分自分の事を、相当"可愛い"と思っているはず。
いや、いいんじゃないですかね、別に。(笑)



[日本プロ麻雀協会] より (Wiki)

実力派系

水口美香プロ

水口美香1

真っ黒髪の似合う地味目のルックスで雀風も"守備型"と言われることが多いですが、ずっと見ていると秘めた負けん気(ルックス面も含めて)とそれゆえに時々変に"行き"過ぎてしまうことのある打ち筋に、段々愛を感じて来るするめ女子。(おい)
攻撃時の鳴き仕掛けの多用が目立つ特徴ではあるんですが、やはり受けた時の我慢強さ、特に一回失敗した後のリカバリーのしぶとさが、一番のリスペクトポイントですかね。

佐月麻理子プロ

佐月麻理子

美人なのかそうでないのか割りと微妙な造型(失礼)だと思いますし。元ヤンorロック系っぽい押し出しなのに喋るとふわふわ不思議ちゃん系というキャラ付けも結構戸惑いますが(笑)、打ってる時のそんなに"上手い"感じではないけれど潔い進退でなんだかんだと好成績を挙げて来る姿は、素直に好感が持てて、応援したくなります。そういう時は"微妙"(だから失礼)な造型も、「野生動物」的なかわいらしさ美しさに。(笑)

キャバ嬢系

都美(とみ)プロ

都美1

元々美人は美人なんでしょうけど"素材"感より"デコレート"感が強くて、かつ(美人に生んでくれたことを)「両親に感謝する」とまで言い切られると[某確か"てんパイクイーン"]、「そこまでかあ?」というお節介な感想をついつい抱いてしまいますが。(笑)
逆にでも"人間の愛を無心に確信している猫(犬)"のようなほっこりする無心な可愛らしさもあって、なんだかんだ好きです。まあ美人ですし。(多分)

夏月美勇

夏月美勇

足木さんと同カテゴリーのトラディショナル系。ただしケバめ寄り。
でも性格すっごく良さそうなんですよね。なぜか対局中の姿に"母性"を感じたり。(笑)

個性派系

たじまなみプロ

たじまなみ

Abemaプレミアムで見られる女流プロアイドルグループ"More"センター争奪麻雀バトル(2016)とやらでしか見たことのない人ですが、なかなか印象は強烈でした。
非常に純度・完成度の高い"二次元"系のルックスと、ネット麻雀育ちというのがうなずけるドライ&独特の押し引きの打ち筋で、しかも結果優勝してしまったので。一方で好んで麻雀番組のADもこなすという、意外に地道な麻雀愛。(笑)
いいキャラだと思うんですけどね、他の番組で見ないですね。

秋瀬ちさとプロ

秋瀬ちさと

写真じゃ伝わらないだろうなあと思うんですけど、実は岡田紗佳に負けないくらいのナイスバディを隠しているのではないかと思っている人(笑)。身長もありますしね、ガイジン体型というか。
自発的に水着姿を披露する女流プロも少なくない中で、本業はOLだという秋瀬さんはそこらへんに制約があるのか、なかなかそういう画像が出て来ません。残念です。(笑)
放送対局自体には結構登場する、まあまあ実力派の部類かと。



[日本プロ麻雀連盟] より (追加分) (Wiki)

大久保朋美プロ、古川彩乃プロ。

大久保朋美古川彩乃

愛嬌のあるセクシー系二人。
溌剌糸とお姉さん系?(笑)



[実況・解説枠]

"プレーヤー"としてよりも裏方、"トーク"に魅力のある選手たち。ルックスより知性というか。(笑)


日向藍子プロ (最高位戦日本プロ麻雀協会)

日向藍子日向藍子2

いい表情するでしょ?(笑)。ほんと馬鹿みたいにいいコです。
かなり長いこと素朴で真面目なその分少し退屈なコという印象しか無かったんですが、AbemaのRTD Girl's Fight(の1)で実況をやっているのを聴いて、印象が一変しました。何て機転の利く、内面そしてそこからの言葉の豊かなコなんだろうと。相手の振りに対して、ナチュラルに期待を上回る返しがどんどん飛び出すんですよね。必ずしも"噛み合って"るわけではなくて、所謂"上手い"ことを言っているわけではないんですけど、人並み外れた獰猛な性善説で(笑)、予想外の溌剌とした返しが返って来るので聴いててわくわくします。(笑)
普通に如才ない返しも出来るので、麻雀実況の枠を越えて今すぐでも色々な番組のMCやアシスタントが出来そうに思います。
所謂"知的"とは少し違いますが、言語能力は本当に高いと思います。そして本当に、ご両親に愛されて育ったんだろうなという感じの性善性。(笑)
個人的に"女"として見られるかというと、少し難しいですけどね(笑)。「とてつもなく懐っこい犬」みたいな感じ。(笑)
雀力も懐の深い受けからの思い切りのいい攻撃でじりじりと成績を上げて、いつの間にやらMリーガーに。正直スタイル的にはただの"カウンターサッカー"みたいには見えるというか、攻撃の方にさほどの個性は無い気がしますけど、ともかく戦えてるのは凄いですね。凄い成長というか。

松嶋桃プロ (日本プロ麻雀協会)

松嶋桃

京大法学部卒という半端ない学歴で、プレーヤーとしても見たことはありますが特にこれといった印象は無し。ルックスも美人と言えば美人なんでしょうけど引っかかるものは無かったんですが、実況は良いですね。真面目モードの時は、多少クドいですが初心者視聴者に丁寧なポイントを押さえまくった質問を解説者に投げかけて優秀、でも面白いのはそれと変わらない口調でおじさん解説者を転がしにかかる時(笑)。代表的には上の土田浩翔プロとかですけど。終始とにかくアナウンサー口調(笑)を崩さないまま、甘えたりあやしたりシビアに突っ込んだり自由自在で、ああこの人ほんとに頭いいんだなとそこで初めて思いました。
・・・ちなみに元々麻雀実況は専門性が極端に高いので、"プロ"の肩書を持つ人が起用されることが多いんですが(無名でも)、Abemaは更にそこに女性プロを積極的に投入して、格段に番組の聴き易さやメジャー感を上げることに成功していると思います。(Mリーグ等)

二階堂亜樹プロ (日本プロ麻雀連盟)

二階堂亜樹

こちらは「解説」の方。
上で言ったようにプレーヤーとしても"天才""美人""パイオニア"として不動の地位を築いている人なんですが、個人的にあんまり打ち方は好きではないんですよね。茅森プロとよく似た柔軟な麻雀の捕まえ方をしつつも(だからこの二人が"天才"と)、その後が違うというか若干理が勝ち過ぎていて味が薄い。本人も自嘲的にそのことに触れることがよくありますが。
ところが解説で喋っているのを聴くと、現実の打ち筋が与える印象より遥かに繊細な感性と広がりのある思考を亜樹さんが持っていることが分かるので、尚更惜しいというか「二階堂亜樹」の麻雀は本当にあれでいいのかという疑問を、改めて感じさせられたりします。
まあもう20年選手ですから、変えられるものならとっくに変えてるでしょうけどね。何か理由があって、今のスタイルになっている・ならざるを得ないんでしょうけど。
とにかく、「解説」は魅力的です。プレーよりも(笑)。個人的には。対局者の名前に"二階堂亜樹"の名前があってもそうなのかと思うだけですが、"解説"者のところにあるとわくわくします。(笑)


今回は以上です。
何が"以上"だという感じですけど。(笑)
念の為に言っておくと、基本ルックスチョイスで雀力はその後の話です("実況・解説"枠はまた別ですが)。その基準では入って来なかった名手たちのファンの方、ごめんなさい。(笑)


テーマ:麻雀
ジャンル:ギャンブル
アメリカドラマの右傾化&とある極右ブログ ~"右"と"左"についての個人史的考察:大学卒業後編
2019年09月25日 (水) | 編集 |
(はじめに)(小学生編)(大学生編[1])(大学生編[2])(大学生編[3])


大学を卒業してからの話。
「社会人編」・・・と言いたいところですけど、別に職業上の経験とかでは全然なくて(笑)、専ら学生時代より自由になったお金と時代的なテクノロジーの進化の恩恵を受けた、スカパーやインターネットでの"経験"の話なのでちょっと掲げ難い。(笑)
まあ余り本を読んだり友達と学問・思想の話をしたりする機会は無くなって、影響ソースが変わった(通俗化した?)という意味では、「社会人」ぽいかも。


大学卒業後編

1.アメリカドラマの右傾化

1997 スターゲイトSG-1
1999 ザ・ホワイトハウス
1999 LAW & ORDER:性犯罪特捜班
2000 CSI:科学捜査班
・・・2001.9.11 アメリカ同時多発テロ事件
2002 CSI:マイアミ
2003 NCIS ネイビー犯罪捜査班
2004 ボストン・リーガル
2005 クリミナル・マインド

とある時期のアメリカの有名ドラマたち。
ランダムなようですが、いずれも何らか僕が"政治"的なヒリヒリ感を感じる(た)作品群です。

(1) 『CSI:マイアミ』(2002)

「小学生編」『太陽にほえろ!』の項で、「犯罪を犯す側にも事情がある」という同情心やその"事情"つまり「社会の矛盾や不公平」への問題意識が太陽にほえろやそれを代表とするある時代までの警察・犯罪ドラマの基本的な視点であり、それは洋の東西を問わないということを言いました。
しかしいつからか、その前提・お約束は微妙に崩れ始めます。特に"西"の洋、アメリカにおいて。
それを最初に強く感じたのが、『CSI:マイアミ』だったような気がします。

大ヒットした『CSI:科学捜査班』(2000)のスピンオフで、舞台を砂漠のギャンブルタウンラスベガスからビーチリゾートタウンマイアミに移して、より陽性の"アクション"ドラマ的な面を強調したこちらもヒット作。
1993年の伝説的な刑事ドラマ『NYPDブルー』の名物人情刑事"ケリー"役で有名になったデヴィッド・カルーソを主人公"ホレイショ"として起用し、ケリーの役柄のイメージも引き継いだ強きをくじき弱きを助ける男気刑事として好調にスタートしたように思いましたが、どうも途中から僕はその"正義感"の独善性粗雑性、悪は悪であって自分は正義だ、"成敗"してやる的な見得の横行にうんざりし始めて、見なくなりました。

ケリーホレイショ

・・・ケリーからホレイショへ。まあ元々個人としての悪評はあった人で、単に"独善性"の方向が変わっただけという話もありますがそれはともかく。

勿論悪いのは所詮演者でしかないデヴィッド・カルーソ個人ではなくて、ドラマ自体が余りにも"警察"視点に寄り過ぎている、警察官的正義感をストレートに表現し過ぎていることにあると思うわけですが、ただなまじ"NYPDブルーのケリー"のイメージがあるだけに"似て非なる"感に憎悪に近い感情を持ってしまいました(笑)。ドラマとしても、本家『CSI』がチームの基本的には理系オタクたちをメインにしたある種"非マッチョ"な雰囲気に特徴があっただけに、差別化するにしても程があるだろうという感じでした。

その是非はともかくとして、60年代のコロンボ以来連綿と続いて来たアメリカの警察ドラマの伝統の中で、かなり違和感のある"強い正義"を表現していた作品だったと思います。もう「社会の鏡」はやめる宣言というか。
たまたま警察関係者が内部に多く入っていた作品だったという話も、どこかでは聞きましたが。

(3) 『NCIS ネイビー犯罪捜査班』(2003)

海軍案件専用という特別な捜査機関を舞台にした今も続く人気シリーズで、舞台から自然ではあるんですがしばしば軍ないし海軍への敬意・忠誠・愛情が積極的に表現され、また主人公リロイ・ギブスの相当にパワハラ的な部下マネジメントを基本的には肯定的に描き続ける、マッチョな作品。
この作品も特に先行作品と比べるとその性格が分かり易いと思って、まずこの作品のメイン製作者ドナルド・ベリサリオには既に1995年に"海軍"法務部を舞台にした『犯罪捜査官ネイビーファイル』という作品があるわけですが、見かけは大部分普通の"刑事ドラマ"であるNCISに対して登場人物のほとんどが制服の軍人であるネイビーファイルでは、「軍隊的価値観」はあくまで「軍隊」内部のものであるということが割りと明確に表現されていましたし、また軍人であると同時に弁護士である主人公たちは「法の支配」に当然忠実で、横紙破りは日常の極端に言うと私刑(リンチ)主義的なNCISとは大きな違いがありました。
更に言うとNCISで"リロイ・ギブス"を演じるマーク・ハーモンには1991年に『リーズナブル・ダウト 静かなる検事記録』という出演作品がありますが、こちらでも役柄自体は実は基本的に同じで、ただ違うのはまだリベラル的な価値観が社会の主流を占める中で、ある種"負け"前提の孤独な美学としてそれが表現されていたこと。それが『NCIS』になると"職務"上の特殊な立場に守られつつも、ドラマ自体が全体として彼を支持する形で構成されているわけです。

遂にマーク・ハーモンの"時代"が来た!というか(笑)。まあ臭味は別にして、魅力的な人・役であるのは間違いないと僕も思いますけど。
ベリサリオも非常に優れたドラマ作家なのは間違いなくて、ただ『ネイビーファイル』では嵌めていたを、『NCIS』では外してしまった。それをドラマの評価としてどう考えるか、というのもありますがそれ以上に、ある意味これ(『NCIS』)が"本音"というか、本当は表現したいとNCIS以前の時代にも心の底で思っていたことなんだろうなという感はありますね。そういうプリミティブなものが表現される時代になったというか。

(3) 『ボストン・リーガル』(2004)と"ドナルド・トランプ"

こちらは右傾化ドラマというよりも、"右傾化"ということを研究・描写したドラマかな?
『アリーmyラブ』『ザ・プラクティス ボストン弁護士ファイル』などのヒット作で知られるアメリカドラマ屈指の人気製作者&脚本家のデビッド・E・ケリーが、映画スタージェームズ・スペイダー

ジェームズ・スペイダー ボストン・リーガル

の主役起用という話題と共に、ウィリアム・シャトナー演じる"デニー・クレイン"という

デニー・クレイン

ドラマ史上屈指の強烈なキャラクターを放し飼い的に暴れ回らせた怪作。

このデニー・クレインがどういう人物かというと、元凄腕の今も名声はあるが一部認知症が始まっているらしい老弁護士で、スペイダー演じるアラン・ショアの巧みな"介護"を受けつつまだ弁護士としても時折活躍はするんですが、元々のパーソナリティと認知症含む老人的な横着さで、セクハラはやりまくりポリティカルにコレクトではない発言を日常でも法廷でもしまくり、とにかく暴れ回ります。ただ別に悪意があるわけでもあえて時流に反抗してスタンドプレー的にそういうことをしているわけではなくて(一部怪しい?)、基本的にはただただ素朴に素直に、欲望に忠実にあるいは長年の慣習に従っているだけで、何が"悪い"のかもいちいち説明してもらわないとたいていは分からない。・・・まあ"説明"してもらわないと何が悪いのか分からないというのは、広い意味のポリティカル・コレクトネスと高齢者の間では起きがちな齟齬ではあるんですけど、それが非常に極端で笑えるというか、しばしばむしろ微笑ましいというか、そういう存在。また同時に元は凄腕の弁護士だけに、にわかに反論の難しいような妙に説得的な自己弁護なども時にして、視聴者を困惑させます。

それに対するアランの立場は複雑で、事務所の為にクレインの名前を利用したいという大前提がありつつも、やはりこの"歩く不適切"のしかし愛すべき点を認め、また時にその身も蓋も無い剥き出しの本音の中に「真実」性を認めるからこそ友人であり続け庇護もし続けるわけですが、最終的にはとはいえやっぱりマズいんですよとやんわりとクレインを"説得"する方向で大部分のエピソードはしめくくられていたように思います。
それがデイブ・ケリー自身の立場でもあるんたろうと思いますが、そこら辺は割りとケースバイケースで、思想の自転車操業でやっていた印象のドラマ。

当時は面喰いつつ大笑いしつつ、結局なんなんだろうこれはと思いながら見ていた作品ですが、後にああ!と思ったのがドナルド・トランプの登場で、要するにデニー・クレインじゃないかこれは、直接参考にしたかどうかはともかく('00年最初の大統領選挙出馬、'04『アプレンティス』)、リベラリズムやポリティカル・コレクトネスをめぐる2004年当時の状況から、いずれクレインのようなパーソナリティが広くリアリティを持つ時代が来るということを、ケリーが予感していたのは間違いないだろうと思います。
今見ても、いやむしろ今見ると更に面白い作品だろうと思うので、改めてお勧めしておきます。(笑)




・・・余談(ではないかも知れない)ですが、その"デニー・クレイン"を演じたウィリアム・シャトナーというのは初代スタートレックの"カーク船長"役

ウィリアム・シャトナー

の人で、そして『スタートレック』シリーズ及びアメリカの"SFドラマ"というのは、アメリカにおける価値多様性/寛容性の一つの橋頭保みたいなところがあった。

Taku:やっぱり人間の可能性を信じているっていうのが僕がジーン・ロッデンベリーを尊敬しているところですね。『TOS』が放送されていた時期って、なんか変なこと言ったら、すぐに「お前は赤だ」って共産主義者のレッテルを貼られる時代じゃないですか。でも舞台を未来にしたら、現実ではタブーな話も入れ込める。それが『TOS』のコンセプトだったと本人も言ってて。
("Fuze"海外ドラマ特集#4 より)

"TOS"。カーク船長の出て来るオリジナル・スタートレックのこと。
つまりその"カーク船長"にこういう真逆の役をやらせるというのは、時代の変化を表す意図的な皮肉だったのかな?という話。

(4) テクノロジーと犯罪捜査

これは割りと結果論的な話ではあるんですが。
"科学捜査"というものが確立し(『CSI:科学捜査班』('00))、一方でインターネットを筆頭とする個々人が手に出来るテクノロジーの質と量が格段に向上すると、「警察・犯罪ドラマ」における"捜査側と犯人の知恵比べ"の比重・描写が、平均して恒常的に、大きくなるようになりました。そこでは"社会的弱者である犯人への同情"のような牧歌的なものの入る余地は相対的に小さくなり、それよりはまず欺かれないことが優先(笑)であり、またしばしばドラマ上個人で政府機関を翻弄するような大きな力を持つ犯人は怪物的"邪悪な天才"的に設定されることが多くなり、捜査側と犯人側の関係はますますドライになって行きます。
今も続く人気シリーズ『クリミナル・マインド』などは、所謂"科学捜査"ものとは少し違いますが、FBIの天才たちと主に連続殺人犯たちとの知恵比べが毎度展開され、さながら"異常性格者たちの見本市"の様相を呈していて、もう『太陽にほえろ!』とは全く違う世界です。(笑)

これらは直接的に何かの"ポリシー"から出ているものではないと思われますが、世相の変化の一つの反映であり、また程度はともかく「犯罪」(者)観自体の変化の影響の元にもなっているのではないかと、個人的には思っています。

(5)その他

『スターゲイトSG-1』(1997)

「地球の諸文明の起源や神話における宇宙人の関与」を扱った大ヒットSFシリーズですが、"ドラマ"としての焦点はほとんど対等な二人の主人公、"オニール大佐"の軍人的実力行使主義&伝統的男性社会主義と考古学者・言語学者の"ダニエル・ジャクソン"の多文化主義寛容主義の二つの価値観の対立が、最初から最後まで緊張感を保ち続けていたことにあったと思います。
別な言い方をすると、上のスタートレックの例にもあるように、この"SF"ドラマも本質的には後者の価値観で作られてはいるわけですが、その中で前者を最後まで否定しなかった、単なる"悪役"や"克服すべき誤り"として位置付けなかったのが、大きな特徴というか時代の変化を感じたというか。
ちなみにオニール役のリチャード・ディーン・アンダーソンが、それ以前の当たり役『冒険野郎マクガイバー』の"マクガイバー"では、徹底的な暴力嫌いの、むしろリベラルな理想主義の権化みたいな役柄を演じていたのも、面白いコントラストだと思います。

『ザ・ホワイトハウス』(1999)

NHKでもやっていた、アメリカのとある"民主党"政権の奮闘を描いた傑作ドラマ。その"大統領"役
ジェド・バートレット

マーティン・シーンが、しばしば現実の民主党の代弁者やトランプ批判の急先鋒の役割をその後果たしていることからも分かるように、イデオロギー的にならないように気を付けながらも、かなり直接的にリベラルの理想を表現していた作品だったと思います。
ただ全体としては&結論的には、そういうものがいかに実現困難かアメリカの現実の中でマイナーな位置にあるかを表現していたドラマでもあって、ドラマとして見事であればある程、ある種壮麗な"敗北"の予感というものが印象に残る作品だったと思います。

『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』(1999)

こちらも今も続く長寿作(シーズン20まで放送中)。アメリカの犯罪ドラマの典型の一つである『LAW & ORDER』のスピンオフで、アメリカに実在するらしい性犯罪専門の捜査班の活躍を描いた作品。
それ自体に政治的意図はないだろうと思いますが、何せ「性犯罪」というものがデフォルトで陰惨というか押しなべて被害者たちが気の毒過ぎるので、それを専門に扱うこのドラマの中では「犯人への純度の高い憎しみ・嫌悪感」というものが自然際立つことになり、それはそれまでのアメリカの犯罪ドラマの伝統の中でも少し浮いて感じられるように思いました。上で言った"犯罪の知能犯化"というのと、ある意味似た話ですが。
そういう暗い作品がここまでの長寿シリーズになったのは意外だったんですが、逆にその"犯人の事情汲み取り"型の枠に収まらない「正義」の手応えが、良い意味での差別化になったのかなと思わなくはないです。
・・・ただし現在も続いてるこの作品の近年の位置づけとしては、むしろ「伝統的」なアメリカの犯罪ドラマ技法の最後の希望というか"良心"として機能しているように見えるのが、面白いところです。"犯人の事情"への汲み取りに重点が無いだけで、「とにかく短絡せずにあらゆる人の事情をよく聞きましょう」という根本の姿勢は、"伝統的"なんですよね。そういう意味でも、元々別に政治性は無かったんだろうと思いますが。


以上が僕が"スカパー"時代に入って爆発的に数の増えたアメドラ視聴生活の中で、感じていたアメリカ社会の保守化・右傾化・非寛容化のサインです。
改めて"年表"として整理してみると、2001年の同時多発テロとそれに続く愛国者法の施行などによる社会の変化で潮目が変わった感は強いわけですが、ただドラマの中でそのことが直接言及されるようになるまでには少しタイムラグがありましたし、それ以前から実は"予兆"があったというのが今回の発見でもあるので、そういう一連の流れとして、全体を把握しておきたいかなと。
"影響"としてはどうなんですかね、所詮外国の話だという前提はありつつ、『スターゲイト』や『ボストン・リーガル』で"いち"人物として相対的に右翼的な人物が魅力的説得的に描かれると少しそっちに引っ張られ、一方で『CSI:マイアミ』のように全体が保守化したり犯罪者を単純に断罪的に描くドラマが増えて来ると、それへの違和感危機感から逆側に寄ったりという、そういう感じですかね。


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テーマ:右翼・左翼
ジャンル:政治・経済
"右"と"左"についての個人史的考察:大学生編 [3] ~"学生"的正義感の右と左?
2019年09月03日 (火) | 編集 |
大学生編の残り。

(はじめに)(小学生編)(大学生編[1])(大学生編[2])


大学生編目次

PMRCとポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
( 渋谷陽一の音楽批評 "左""右" 双方 )
栗本慎一郎と現代思想 であり
呉智英の「封建主義」 
大本教等への興味 
"市民運動家"との出会い 反左


5.右寄り神秘主義への興味

大本教と復古神道

ここまでのところで何度か「本屋でのタイトル買い」の話が出て来ましたが(笑)、普通の真面目な少年(?)だったある時期までの僕にとって、本というのは「大きな本屋の立派な書棚で定価で買う物」であってそれによってある程度"ちゃんとした"本だけが自ずと選別されて来るところがあったわけですが、とはいえ貧乏大学生のこと、いつからか"古本屋"で買うという知恵を身に付けます。
・・・大した知恵ではないですけど(笑)、でも気付くまでは意外とすっぽり盲点でした。
それによって本の購入価格は一桁下がり、外れて結構、多少下らなそうないかがわしそうな本も含めてかなり雑食的な読み方に変化して行って、入って来る知識のタイプも良くも悪くも広がって来ます。
まあ大げさに言うと、"インターネットに繋がった"くらいの感覚です、当時的には。

その中にあったのが、例えばこういう本。

出口王仁三郎の霊界からの警告出口王仁三郎の大降臨

武田崇元
『出口王仁三郎の霊界からの警告 - 発禁予言書に示された破局と再生の大真相』(光文社・カッパホームス、1983年)
『出口王仁三郎の大降臨- 霊界の復権と人類の大峠』(光文社・カッパホームス、1986年)

戦前戦中に一世を風靡した神道系新興宗教大本教とその2代目教祖出口王仁三郎については、名前だけは知っていたんですかね。"霊界からの警告"や"大降臨"と銘打ってはいますが、これらの本は所謂「霊言」本ではなくて、大本教の歴史とその意義や持っていたかもしれない可能性を、若干の神秘的エピソードと共に紹介した学術的とまでは言えないけれどそこそこ真面目な本。
その中で大本教自体と共に僕が興味を惹かれたのが、大本教(というか出口王仁三郎個人)もそのソースの一つとしてるらしい、古神道」(復古神道)というものの存在。
一言で言えば江戸時代後期に専ら学者主導で立ち上げられた("古"の名とは裏腹の)"新"神道・神道ルネッサンスであり、神降ろし等の秘教的体系を前面に出した裏神道であり、しかし"裏"と言いつつ近代日本における国家主義と神道の結びつきの端緒の一つとなって戦前戦中の国家神道は勿論、遠く現代のネトウヨや"安倍首相のお友達"系宗教勢力にまで直接間接に影響を及ぼしていると見ることも可能な、宗教思想・運動です。

主題となっている大本教自体はむしろ国家神道体制に"潰された"側の、神道タームを用いつつも見ようによっては左翼的コスモポリタン的でもある宗教で、本の構成も戦前の日本の"失敗"に焦点を当てたものなんですが、それはそれとして"復古神道"という近代的かつ秘教的な神道の存在とそれが持ったらしいそれなりに現実的な影響力の示唆は、それまで「神道」や日本神話などを真面目な思考の対象にした経験が無かっただけに、単純にインパクトがありましたし、「ひょっとして自分は(知的に)大きな落とし物をして来たのではないか」的な妙な"焦り"の感情を掻き立てられた部分もありました。・・・"全く知らない"というのは危険なんですよね。色々と。
勿論そこには、神秘主義全般のロマン的な魅力や、神道タームや日本神話の神々の名の"活躍"を見る時に否定し難く刺激される、日本人としての自意識や自己愛の高揚のようなものも、伴っていたと思います。

雑誌『月刊アーガマ』

"復古神道"によって何か変な物が開きかけて(笑)しばらくして、こちらは正規の(?)本屋の店頭で手に取ったのが、「アーガマ」という雑誌。ガンダムともアニメとも全く関係はありません(笑)、そうではなくてそもそもの"アーガマ"、つまり「阿含」宗の出版局が発行していた商業誌です。
いよいよヤバいところに行ったと思うかもしれないですが(笑)、そうではないんです。確かに密教系新興教団阿含宗の発行している右寄りで神秘主義寄りな思想誌、ではあるんですけど、別に阿含宗の宣伝誌ではなくて、仏教は勿論扱いますが同じように神道もイスラムも扱いますし、執筆陣も神秘思想や右翼思想プロパーの人は勿論いますが、一般に知られた"表"の論者・学者も普通にいる。

・・・例を挙げると栗本慎一郎、橋爪大三郎、伊藤俊治、秋山さと子、山下悦子、大塚英志、中沢新一、芹沢俊介、竹田青嗣と、このまま『現代思想』誌のある号を構成していてもおかしくない顔ぶれが揃っています。
鎌田東二とかは、"表"でありつつ"プロパー"な存在ですかね。
あと突然石原慎太郎が降臨したりするのはやはりならではではあって(笑)、確かこの人と栗本慎一郎の対談という妙なものが載っていた号が、僕がアーガマを手に取ったきっかけだったと思います。

agama1agama2

ついでに目次も載せておいたので、それを見れば誌面のだいたいの感じは掴めるのではないかと。
「神秘思想」とは言っても、例えば『ムー』読者が好んで読むようなタイプのものとは思えないですし、やはり"裏『現代思想』"みたいな位置づけが、一番相応しいような気がします。実際「あれ?お前も読んでたの?」みたいなことが、思想友達との間であったこともありますし。
読んでいて阿含宗を意識したりすることも全くと言っていい程無くて、逆に阿含宗信者はどう考えていたんだろうと、聞きたいくらいでしたが。経費はお布施なんでしょうし(笑)。不思議な雑誌でした。

で、この雑誌を読むことが僕にどういう影響を与えたか、ですが。
一方では確かに、芽生えた右寄り神秘主義への関心を強化した固定したという面はあるわけですが、と同時にそうした関心を孤立したトンデモ本とかではなく、それなりの形式の整った論文群によって構成された誌面という形で視野化することによって、増して上記のような執筆者群によって"表"の思想との接続性も自然に確保することによって、ある種の沈静化というか現実への着地を可能にした、そういう面も大きいと思います。
怪しい論文はちゃんと怪しかったですから(笑)、両方ではあるんですけど。制限付き認定というかブレーキ付きアクセルというか。"こういう言論空間があり得る"ということを、ともかくも知ったという感じ。

まあ面白い雑誌だったのは確か。面白過ぎて、毎月隅々まで読もうとすると他の読書に差し支えるので、読むのをやめたくらい(笑)。さすがにこういうのばっかりじゃまずいだろうとは、思ったので。(笑)
今何が残っているかというと実はあんまり何も残ってないんですけどね。"右"自体がありきたりなものになってしまったのもあって。案外仏教やイスラムについての地味な連載の方が、記憶に残っていたりします。


こうした飽くまで例えばなんですが、二つの読書体験の例が示すものは何かというと、行きがかりはどうあれ、結局当時の僕の中にこうしたタイプの知識や思想への、潜在的な飢えがあったということですよね。
埋められるのを待っている"欠落"が。"死角"の予感が。

という流れで、次項のある"欠落"と"死角"の話に。



6."市民運動家"との出会い

"ある市民運動家"ではなくて、"市民運動家"的なタイプの人との、今思えば初めての出会いの話。
と言っても物理的な"出会い"はそれよりも更に2,3年前で、要は大学の後輩だったんですけど。
ちなみに女子です(笑)。付き合ってはいませんでしたけど、仲は良くてちょいちょい一緒に出掛けていた、そういう間柄。

そのコがある日突然、本当に突然でそれまで政治の話なんて一言も二人でしたことは無かったんですけど、「ジュウグンイアンフ」がどうこうということを言い出したんですね。単語自体初耳で、ぽかーんとしてしまいましたが。とにかく戦時中日本軍がこんな酷い事をして、その被害者を支援する活動を今しているとかしていないとか(いや、してたと思いますけど(笑))、そういう話を滔々とし出した。僕にどうしろという話ではなかったので、はあとか腑抜けた相槌を僕は繰り返していただけでしたが。
その後もいくつか"戦時中の日本(軍)"ネタを彼女は披露していたように記憶していますが、ほとんど覚えていません。松代大本営がどうとかそこに見学に行くとか何とか、多分言っていたと思います。

で、その場はそれ以上の話にはならずに、また別の日。
とあるバーで、二人でカクテルを傾けながら。(いや、マジで(笑))

その時彼女が振って来たネタは、一つ目は"小沢一郎"
時期的にはどうでしたかね、『日本改造計画』('93)が世間で話題になる前だったか後だったか、世事に疎かったので覚えてませんが、とにかく彼女が言うには小沢一郎という悪い政治家がいて、あれやこれやで日本を戦争に導こうとしていると、許せないと、どう思いますかとその時は一応僕の反応を求めるような態勢だったと思います。酒も入ってましたし。(笑)
そう言われても僕は小沢一郎の発言を特に見たことは無かったですし、さりとて彼女の言い分を鵜呑みにするわけにも行かないので、素朴な疑問だったか論争のテクニックだったかよく覚えてませんが、とにかくそもそもその小沢一郎とやらのモチベーションはどうなっているのかということを逆に彼女に聞いたんですね。どうして戦争がしたいのか、あるいは戦争をするとどんな得があるのか、もしあなたの言う通りだったとしたらと。
それに対して、今度は彼女がぽかーんとする番でした。答えは何も無し。そんなことは考えたことも無かったと。小沢一郎に"モチベーション"なんて人並みのものがあるとは。ただただ悪い事を考えている悪い政治家で、そこに理由を考えるという発想は持ったことが無かったと、具体的に言いはしなかったかもしれませんが要するにそういう反応でした。

何だかなあと思いつつ、でもバツの悪そうな顔をしている可愛い後輩(笑)をそれ以上は責めずに(そもそも興味無えしそんな話題)またグラスを重ねて(笑)いると、しばらくして再度彼女が話を振って来ました。
今度のテーマは何かというと、"満州事変"
これも具体的な話は全然覚えていないんですけど、一応"小沢一郎"よりは一般的な歴史知識の話なのでそれなりに対応していましたが、とにかくやっぱり、基本的にはいかに日本軍が悪いかという話ではありました(笑)。ただその中で彼女の語る因果関係背後関係に、何か奇妙な欠落が感じられたので、念の為という感じで「それはだから石原莞爾が・・・」と満州事変の高名な、一般には首謀者の一人とされる人物(石原莞爾Wiki)の名を挙げたところ、再び彼女の反応はぽかーんでした。賛成でも反対でも意見でもなくて、まさかと思って聞いてみると単に名前を知らないとのこと。

「は?」と今度は僕も軽くキレ気味になりました。自分からわざわざ満州事変について議論を吹っかけて来る人が、石原莞爾の評価はともかくとして名前自体を知らないというのはどういうこと?何の冗談?と。
でも本当に知らないようだったので仕方なくいちから説明すると、なるほどそんな重要人物だったんですか、それは知らないのはマズいですね怒って当然ですすいませんでした勉強しますと素直に謝られたので、そこはやっぱり可愛い後輩なので(笑)それ以上は追及せずに、またグラスを傾けましたとさという馬鹿みたいな実話です。


で、結局彼女は何なのかという話ですけど。
まず一応言っておくと、彼女は某国内トップクラスの私立大学に現役合格した、一般的には十分に"頭のいい"カテゴリーに属している女性で、また見ての通り社会問題にも関心のある真面目な学生であるわけですね。
それがどうしてこういう奇妙な欠落のある、空転した思考・知のありようを見せるのかというと・・・。

直接的には恐らく、この時期なにがしかの"刷り込み"を、彼女は受けた状態だったんだろうと思います。善悪・結論の固定した、一連の"ストーリー"的な知識の。
そこにおいては"悪役"と決まっているキャラクター(小沢一郎)の動機を考える必要は無いし、史実にはあってもシナリオには無い重要な人物(石原莞爾)の存在も、知らないでいられる。
"誰か"なのか"何か"(団体)なのか、具体的な主体は分からないですけどね。恐らくは「従軍慰安婦」問題についての"運動"の周辺に、出発点なり中心があるんだろうと思いますが。
それら自体を肯定も否定も当面僕はしませんが、問題は彼女が正常な思考や学習のプロセス外でそうした"ストーリー"に身を委ねていただろうことで、そうでなければあんな空転や欠落は生まれないはず。
他の話題については全然そんなコじゃないですし、また僕に指摘されればその時には気付くことの出来る知性は持っているわけですし。

これらは一般的な"洗脳"の描写と言えないことは無いわけですが、では彼女が一方的な"被害者"なのかいちから深い洗脳を受けたのかというと多分そんなことは全然無くて、結局は"ストーリー"によって強調された、彼女自身の"思想"だったんだろうと、リアルタイムの印象としても感じていました。
彼女やそして勿論僕も受けた、生まれ育った「戦後」(民主主義)的な教育や思想や常識に、安住し切ることによる油断、そこからこぼれ落ちたもの見えなくされたもの、例えば「戦前戦中」や「軍事」的な事柄に対する全般的な侮り、当事者の"動機"について考えることも基本的な"事実"の確認をすることも易々とスキップすることを自分に許してしまう、他の事についてなら当然なされる知的配慮が気楽に飛ばされてしまう。そういうある種の知的な"死角"の存在。

彼女のことはともかくとして本筋に戻って、そうした彼女の振る舞いに接することが僕にどういう影響を与えたかですが。
言い方難しいですが、"戦後民主主義"的な常識・正義感を、戦後50年前後経った時点においてストレートに延長して正義を組み立てることの危うさの体感、かな?そして更には、そうしたものへ"信頼"に基づいているのだろう、彼女も参加していたらしい市民的な「運動」の独特のいかがわしさの目撃というか。
一例でしかないと言えば一例でしかないんですけど、殊更そういうものに関心のあるわけではなかった僕には十分に強い影響と言えて、その後より世間的に目に触れる機会の多くなる、日本における様々な「市民運動」的なもの全般に対する、これはこれで一つの「偏見」と言えなくはないんですけど(笑)避け難く懐疑的な態度・心情を構成したと、そういうことはあると思います。


最後に5,6合わせた今回全体のまとめとしては。
一言で言えば、極右やリベラル嫌いの心情・動機には、実は僕自身も理解・共感出来るところは少なからずあるという事です。あった。気持ち自体は分かるところも多い。神秘(道)主義や陰謀論的なものまで含めて、広い意味で極右的なものに惹かれた時期は、少なくとも大学生時代にはあった。
逆に「極左」に惹かれたことは基本的に無いので、そういう意味で言うなら僕は"右"寄りなのかも知れません。ただ"極"まで行かない範囲だと結構左寄りだと思うので、そこらへんは難しい。
まあ"難しい"とは言っても、そもそも"判定"する必要自体、別に無いと思いますけど(笑)、「右」か「左」かなんてことを。

ともかく大事なのはこれは単に僕個人の遍歴の問題ではなくて、戦後的な教育や思想自体が持っている偏りや欠落、それらがかなりの部分構造的に引き起こした反応ではないかと、そういうこと。僕という、フラットとは言いませんけど基本的にはノンポリないち学生に。だからある程度普遍的に同じ構造が、今日の問題にも当てはまる部分は少なくないように見えると。

"穴"はある。後はそれにどう反応するか。
僕は僕なりに、彼女は彼女なりに反応していた。それだけと言えばそれだけなのかも知れません。


以上で大学生編は、終わりです。
次は卒業後


テーマ:右翼・左翼
ジャンル:政治・経済
"戦後民主主義"との距離感 (栗本慎一郎と呉智英) ~"右"と"左"についての個人史的考察:大学生編 [2]
2019年07月12日 (金) | 編集 |
(はじめに)(小学生編)(大学生編[1])

大学生編目次

PMRCとポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
( 渋谷陽一の音楽批評 "左""右" 双方 )
栗本慎一郎と現代思想 であり
呉智英の「封建主義」 
大本教への興味 
"市民運動家"との出会い 反左


3.栗本慎一郎と"現代思想"

(1)栗本慎一郎と『鉄の処女』

栗本慎一郎。元明大教授、国会議員、経済企画政務次官。
本人は"経済人類学"(者)という名乗りを最も好み、また大学で主に受け持っていた講座は"法社会学"らしかったりしますが、結局は「哲学者」と紹介しておくのが、一番実態に合ったラベリングになるだろうと思います。'80年代初頭の日本における所謂「現代思想」ニューアカ」ブームを代表する一人。(栗本慎一郎Wiki)

経済・歴史から生物学・オカルトまで、多岐に渡り言及した著作があり、僕も余裕で二桁冊数読んでると思いますが、一番印象に残っていて今でもたまに開くのは、結局一番最初に読んだこの本だったりします。



『鉄の処女 血も凍る「現代思想」の総批評』(光文社カッパサイエンス、1985年)。
タイトル通り、当時の主に日本の思想状況の概説・評論書ですが、僕が手に取ったきっかけは例によって(?)偶然に近くて、「鉄の処女」つまり"Iron Maiden"(イギリスのヘヴィ・メタルバンド) のファンだったからです。(笑)
メイデンの曲以外で、「鉄の処女」なんて日本語を見たのは初めてで、妙に嬉しかったです。(笑)
そこで取り上げられている思想家たちをその時点では僕はほとんど知らなかったですが、それでも書いてあることはあらかた理解・想像出来て、そういう意味では僕の"潜在需要"に結構ぴったりはまっていた本だったんだろうなと思います。(勿論その後この本を手掛かりに、あれこれ読んではみました)

数ある概説的な本の中でこの本の大きな特徴を挙げてみると、思想家・学者の思考対象領域を大きく二つ、秩序的理性的な"Aゾーン"非秩序的非理性的な"Bゾーン"に分け、

AゾーンとBゾーン

各思想家がそのどちらをどの程度重視しているかの割合を数値化した「思想の品質表示」一覧として示す

思想の成分表示

という、自ら"暴挙"と称する思い切った単純化を行ったこと。
ま、具体的には、見てもらうのが一番ですね。むしろ何にも言わずにこの二つの図表だけを置いておいても、良かったかも知れない(笑)。勿論個々の"数値""評価"に対する説明も、本文ではありますが。
ちなみに興味があるだろうと思うので僕自身の思想の"Aゾーン"と"Bゾーン"の割合を自己評価してみると、だいたい「3対7」くらいかなと。「4対6」の吉本隆明と「2対8」の栗本慎一郎の間。自己評価する資格が僕にあるかは謎ですが、それぞれを読んだ時に感じる"違和感"を手掛かりに、ある意味客観評価してみるとそんな感じ。

なお表では「3対7」の席には"ハイデッガー"が座っていますが本文では特に触れられていないので、これは同じドイツ現象学系の哲学者でこちらは本文でも触れられている"フッサール"の誤記である可能性があるかと思います(または単にフッサールとハイデッガーを同割合と評価しているか)。いや、僕ハイデッガーは余り好きじゃないんですけどフッサールは好きなので、"同居"相手としては出来ればそっちの方が嬉しいなという、そういう動機の話ですが(笑)。ハイデッガーは、なんか色々濃そうでヤなんだよなあ。(笑)

とにかく、そういう本です。


(2)「理性主義」としてのマルクス主義

その中から今回の記事("右"と"左"の個人史)に直接関連しそうな内容を探すと、まずはここらへん。

p.157

弁証法は、表層あるいは体系内の思考の試みである。(中略)
ヘーゲルの弟子、マルクスの雑駁な議論をさらに単純化したマルクス主義者たちは、歴史の流れを、体系内部の意図的な努力(イコール理性)でコントロールできるという、楽天的な物語を作り出した。

「社会主義」(共産主義)が人間の理性の能力への非常に"素朴"な信頼に基づいた思想であるという認識は、既に"小学生編"の「計画経済」の項で述べました。・・・当時の自分の"素朴"さの回顧・反省と共に。
「計画」すれば、何でも出来る。だから全て「計画」して「計画」通りにやるべきだ。

その後も例えば"プロレタリア独裁"という発想を聞いた時に、いや、元は"プロレタリア"だったとしてもいったん上に立っちゃえば結局ただの"権力者"じゃね?"政治家""官僚"じゃね?どんだけ性善説なの?人間・大衆に希望を持ってるの?と、ほぼ単に語感からの連想ですが、子供ながらの疑問を社会/共産主義に対して重ねていたりはしたわけですが、この本でそれらの背景にある「哲学」としてのマルクス主義と、その元となったヘーゲル哲学自体が理性主義である、理性("表層あるいは体系内の思考")で世界は完全に理解出来て、歴史も理性的必然的に推移する(体系内部の意図的な努力でコントロールできる)という思想であることを教えられて、なるほどと。
実務者が考え無しだから素朴だったのではなくて、元々の構想からして素朴だったのかと、納得したというか位置づけが"確定"出来たというか。

マルクス主義は理性主義、それを中心or源とする"左翼"の基本も理性主義、そう性格を確定することは後々も自分の思考の経済にとって大いに役立ちました。それでたいていある思想がある人がなぜそのようであるかの"理由"が理解できるし、"限界"も予測出来るので。
ちなみに栗本慎一郎自身も、マルクス経済学(宇野派)から出発した人ですね。その経験・反省の元に、こういうことを言っている。


(3)「戦後民主主義」と左右知識人

(2)は言ってみれば「その当時の自分」にとってのみ、特に重要だった気付きで、内容的には初歩的と言えば初歩的なんですけど。
こちらは今日の状況に至るまで、普遍的に重要性があるように思える話。

p.132

ことに渡部昇一、竹村健一、小室直樹、谷澤永一らの人々は、戦後民主主義が生み出したパターン的な思考、硬直した思考へのはっきりしたアンチテーゼとして存在しているのは事実だ。そのことだけとれば、吉本隆明、蓮實重彦、山口昌男らと同じである。


渡部昇一、竹村健一、小室直樹、谷澤永一。
未だに存在感があるのは"ネトウヨの教祖"の一人、渡部昇一くらいではないかと思いますが、とにかく(吉本隆明、蓮實重彦、山口昌男らによる)"現代思想"や"ニューアカ"ブームので、主に"ビジネスマンに人気のあった"(らしい)思想家たち。現実主義的実用主義的で、それゆえに保守的体制寄り"右"寄りでもある。
"らしい"というのは当時的にも僕には単純にピンと来ない名前だったからですが、今回の後半で紹介する呉智英も似たような問題提起を行っているので、恐らくは結構重要で大きめな思想状況的"盲点"に位置していた人たち。それ(問題提起)が見過ごされたことによって、今日の"総右傾化"的状況が引き起こされた。
(ちなみのちなみですが、上記のような"ビジネスマン向け"思想家たちの「読者」のなれの果ての代表として、幸福の科学の大川隆法主宰などを、今ならば個人的には挙げたいです。そこからの"極右"への流れも含めて)

ここで何が言われているかというと、まずは"知的"と自負する階層からは通俗的だと馬鹿にされがちなこういう思想家たちも、「戦後民主主義が生み出したパターン的な思考、硬直した思考へのアンチテーゼ」という"知的"な機能、目的意識をはっきり持っている"立派"な思想・知性であること、そのことを偏見なく認めるべきであること。そしてまたそうした"機能"や"目的意識"は、「吉本隆明、蓮實重彦、山口昌男」らバリバリの"現代思想"家たちも("左寄り"という)方向は違えど共有しているということ。

さらっと書きましたが後半部分が実は凄く重要で、つまり今日主に右サイドからの総攻撃を受けている所謂「戦後民主主義」的なもの、西欧型の民主主義や西欧近代思想直輸入型の常識や"正論"の、批判者として「現代思想」もあったということ。今日の状況だと、まとめて「左翼」「リベサヨ」などとして、マルクス主義者やら"進歩的文化人"全般(例えばこの本で批判的に取り上げられているのは、立花隆小沢遼子)やら、極左やら社会党やらPTAやらと一緒に片付けられてしまいそうな勢いではありますが。
問題なのはいち「現代思想」ブームの取捨では勿論無くて、それらを尖鋭的な代表とする、(民主主義や社会主義もその一部とする)西欧近代の"成果"を受け止めつつその難点や形骸化を知的に乗り越えようとする、つい最近までほとんど当たり前だったアプローチの総体。

それに対して渡部昇一らのアプローチはより"否定"的かつ"先祖返り"的で、(戦後)民主主義なんてほんまは要らんかったんやまとめて綺麗事やおとぎ話や、男は黙って腕力と伝統と"男の本音"に物を言わせとりゃあええんや(なぜ関西弁?)と言いたがっているようには見えますが、それもまた一つの"アプローチ"であり、(当時は)少数派であることを前提としたポーズでありスタイルであり逆張りであり、本質的にはまだ知的なものではあったはずです。実際には両者の間にはそこまで深刻な知的断絶は無く、極端に言えば業界内でのキャラ付けの問題でしかないところも。

p.135

新宿ゴールデン街の元左翼どもが、左翼のポーズで友だちを得るのが好きなのに対し、渡部たちは右翼のポーズで友だちを得るのが好きだ、というだけなのである。


言いたいのはつまり、日本では「戦後民主主義」のような形で直輸入的に確かにいささか矮小な形で受容された西洋近代思想の難点や堕落、それら自体は左寄りの知性にとっても右寄りの知性にとっても「共通敵」としてあったということです。・・・前回の"ポリティカル・コレクトネス"のところでも、「言葉を狩られて嫌なのは右だろうが左だろうが同じだろう」ということを言いましたが、つまりはそういうレベルの話。
要は右か左かよりも、知的か知的でないか、言葉の使用に意識的かそうでないかという、そちらの方の違い。

それがどうして今日のような真っ二つに分かれるような状況になったかですが・・・。
これ以上書くと次の「呉智英」のパートで書くことが無くなりそうなので(笑)、いったん締めます。
まとめてとして栗本慎一郎は、「現代思想」の中でもひときわ強くマルクス主義の限界と否定を主張して、"ここから左"には決して行かないというライン・目安を僕に一つ与えてくれた人ですが("右"的影響)、一方で今日総体として「左翼的」とみなされることの多い「現代思想」の世界に僕を導き入れた人ではあるので("左"的影響)、影響の性格付けとしては、『左であり右』(冒頭)としておきます。

まあ「現代思想」が「左」なのかについては、少なからぬ疑問はあるんですけど、今はそれには触れずに世評のままに任せておきます。



4.呉智英と「封建主義」
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いくつかのフォローアップ2
2019年05月27日 (月) | 編集 |
元記事

"右"と"左"についての個人史的考察:大学生編 [1] ~ポリティカル・コレクトネスとフェミニズム(2019.5.7)

・・・の中の、主に"(3)「ポリティカル・コレクトネス」と「言葉狩り」"のパートとの関連ツイート。


・・・実はあんまりよく分かってないんですけど。(笑)
ただ「言葉狩り」から「ポリティカルコレクトネス」に至る、"差別糾弾"運動の時代的変化の風景というか雰囲気みたいなものが行間(?)から浮かび出て、興味を惹かれたツイートでした。
それ以上の細かいことは、パッとググっただけでは分からなかったですね、別に勉強しないと無理。

ざっと整理すると、言論的な差別糾弾のやり方・方向には、「逐語的」「文脈的」の二種類があって、当初は逐語的な正に"言葉狩り"が行なわれていたが、その問題や限界から徐々に文脈重視に移行していったと。
この分類で言うと「言葉狩り」も「ポリティカルコレクトネス」も、"逐語的"糾弾の時代的形態ということでいいのかな?
時代も違いますし恐らく「ポリティカルコレクトネス」と言われるものの元になる運動自体には、単に"逐語"という以上のものが含まれていたのではないかと推測しますが、ただ結果的には単なる"言葉狩り"、言の葉レベルでの正しさの追求に見えてしまう部分が大きくて、それが必ずしも「差別的」でない人も含む多くの人の反発を買っていると、そういうことかなと思いますが。

それとは別に「逐語」と「文脈」の変化については、

・70年代は逐語的。
平成(1989年)に入る頃には既に文脈重視。

という"時期"が一つ示されていますね。
一方で筒井康隆『無人警察』事件

・は、1993年。この時広がったのはまだ「言葉狩り」という概念。(言葉)

まあこのつぶやき手も、正確な時期は分からないとは言っていますが。

ていうか"文脈重視"の差別指弾て、どういうことなんですかね具体的には。
差別用語は使ってはいないけれど差別的ないし差別助長効果のある発言や文章を指弾する?
と同時に差別用語自体は使われているがそれが差別的助長的意図で使われていない時は指弾しない、時にはむしろ擁護する、みたいなこと?
事例としてどうも浮かばないですね。「言葉狩り」に比べて分かり難いので、メディアに乗らないから?
分かりません。機会があれば、勉強してみたいですが。


これについては、これだけです。
皆さんも考えてみて下さいという。(笑)
勿論詳しい人がいたら、ご教授を。


"右"と"左"についての個人史的考察:大学生編 [番外] ~渋谷陽一の「思想」
2019年05月21日 (火) | 編集 |
(はじめに)(小学生編)(大学生編[1])


最初にお断り
なるべく"本流"に繋がるよう努力はしましたが、少なからずこじつけ臭くて結局はただの「渋谷陽一論」でしかないようにも思うので、「番外編」とさせていただきました。
無くてもこの先の話は通じるはずなので、興味がある人以外は読まなくても(笑)いいです。


大学生編目次

PMRCとポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
( 渋谷陽一の音楽批評 "左""右" 双方 )
栗本慎一郎と現代思想 であり
呉智英の「封建主義」 
大本教への興味 
"市民運動家"との出会い 反左



[番外] 渋谷陽一の音楽批評

"BURRN!"が出たからにはロッキングオンも!と繋げたいところですが(笑)、実際には僕はいきなり渋谷陽一の"著書"(評論集)を読んでしまったので、雑誌ロッキングオンを読むようになったのはその後というか、その流れというか。ついで(笑)というか。
きっかけは覚えてないですねえ。何らかロックへの興味だとは思うんですけど。ネットの無い時代、昔はほんと行き当たりばったりで店頭で本を"買って"、学生の時は金が足りなくてしかたなかったですね。



それぞれ初版1980年、'82年、'84年。
どれかが古本屋でたまたまあった、という可能性もあるかな?(きっかけ)
ちなみにメタル以外の(普通の?)ロックを聴くガイドに最初にしたのは、別の人です。

本題に入って。
渋谷陽一。雑誌『ロッキング・オン』『CUT』の、創刊編集長。1951年生まれ。(Wiki)
渋谷陽一1渋谷陽一2

前回で既に"上野千鶴子"という本格的な"学者""思想家"の名前が出てはいるんですが、しかしより直接的に僕に「思想」的な「覚醒」、刺激をもたらしたのは、こちらの一介の(?)ロック評論家、本人に言わせると"本業はあくまで編集者"な人の方だと思います。
まあ上野千鶴子の"女性学"は、結局思想・哲学というよりも「個別科学」として読まれてしまったということではあるかと思いますね。そのスケールのインパクトだったというか。

さりとて渋谷陽一がそこまで大した哲学者であったとか包括的な思想内容を持っていたというわけではないわけですが、要はタイミングとポジションの問題でしょうね。ある種の「洗礼者ヨハネ」のような役割を、僕に対して果たしたという感じ。(ただし"救い主イエス"には未だに出会っていない(笑))
でも実際なかなかだと思いますよこの人は、読み返しても。自分の頭と体を使った「意識的思考」の、本当に出来る人。もっとつまらない哲学者や無内容なプロ評論家は、腐る程いると思います。有名な中でもね。


1.渋谷陽一の"左"的影響 ~「対象化」論

(1)「批評」と「対象化」

その渋谷陽一が展開する、直接的にはロック/音楽批評の中で、口癖のように出て来ていたワードが、「対象化」というもの。渋谷陽一の「批評」の内容はほぼこれ、あるいはこれの必要性を訴えることに尽きると言ってもいいかもしれない、中心的な概念です。
対象化。文字通りには、何かを「対象」として捉えること、あるいは捉えられるようにすること。特に特殊な概念ではないので耳慣れている人もいない人もいるでしょうが、とりあえず具体的な使い方を見て行きましょうか。
典型的には、所謂"プログレッシブ・ロック"をめぐるこういう記述。

プログレッシブ・ロックとは、ロックがロックそのものを対象化し始めた最初の動きと言える。(中略)
それまでのロックは、一種の初期衝動のみによって突き進んでいた。走り出したいという欲求があれば、すぐに走り出し、そこには対象化の努力も何もなかったのである。

(『ロックミュージック進化論』 p.113)

ロックとはもともと現実との違和を徹底的に増幅し、そのひずみを音にして来た音楽である。その違和を対象化し、原因を露にしていくのがプログレッシブ・ロックであった。

(同上 p.125)

衝動の"対象"化、違和の"対象"化。
簡単に言えば、感覚に名前を与える行為で、そこから例えば"原因を露に"することも可能になる。

今のはどちらかというと内面的事柄に特化した説明ですが、より外面的な事象だと、こんな感じ。

("アメリカ市場"という舞台において)
アメリカのバンドにとってアメリカ自身はあえて批評したり、対象化したりする必要のないものであった。(中略)
イギリスのバンドは自分たちのイギリス的な部分を対象化し、インターナショナルなスタイルを獲得しようとするのである。

(同上 p.145)

ここでは他人の目に映る"自分自身"を自分に対して客体化するみたいな意味ですかね。そもそも"イギリス的"という言い方自体に、「対象化」のプロセスが入っていますが。
客体化して「対象」として扱う。扱えるようにする。内側にぼんやりあったものを外側に引っ張り出すという意味で、"外化"などという言い方をすることもありますね。対象化・客体化・外化、全てほぼ同じ意味。

"客観"化・・・だと"主観"として意識されていたものを客観として意識し直すみたいなニュアンスが強いので、少し使いづらいかなと(使えなくはない)。むしろどういうものとも意識"されていなかった"ものをされている状態にするのが、対象化や客体化。批評の種類(客観か主観か)の問題ではなくて、批評の"無い"状態からある状態にする行為。その最初の一歩というか。

とにかくこの「対象化」というプロセスが渋谷陽一の批評の中心であり、中身であると、そう言っていいと思います。(少なくともこの時期の)
それ以上のことは、その「対象化」の具体的中身からの論理的延長。

(2)「対象化」と相対性

で、ここからが少し分かり難くて、この稿を「番外」と位置付けざるを得なかった由縁ですが。(笑)
こうした渋谷陽一の音楽をめぐる論が、僕に何をもたらしたかというと。
一言で言えば、かつて日本SFがもたらした"懐疑"(相対性)の、「その先」かなと。
世間や慣習や伝統が押し付けて来る意味や価値を、疑って相対化して差し戻す受動的なプロセスにとどまらず、逆に自分から意味や価値を能動的に見出して確定して行く、あえて言えば"押し付け"返す(笑)反撃のプロセスというか。"対象化"作業によって。

つまり"懐疑"というのは、知的にはある種の密かな優越感を持たせたりはするんですけど、一方で"信じる"力を失う分、心理的に"弱"くもさせるわけです。それだけで終わると。
その"後"の、それ(慣習的な価値と意味)に代わるものを作る作業が必要で、その手本が例えば渋谷陽一の言う「対象化」というプロセスであったわけですね。
実際渋谷陽一は、ある種の"サバイバル"戦術として、「対象化」プロセスを位置付けていたりもします。

ジム・モリソンやジャニス(ジョプリン)が死んでしまったのは、彼等が自らの内なるロックを対象化し得なかったためだ。ある意味で生き延びるしたたかさを持ち得なかったために死んでしまったといえる。
ただロックなるものが本当に言葉として対象化され、語られるには少々時間がかかったのである。社会とのかかわりの中で戦略戦術が考えだされるまでには時間が必要だった。

(同上 p.73)

自分がやっているものは関わっているものは、あるいは自分が自分の中に感じているものは要するに何なのか。それを理解・確定する(対象化する)ことによって、それを抱えながらあるいは利用しながら、社会(世界)の中でどう生き延びて行くかのプランが立てられるようになると、そういうことですね。

・・・そう、「批評」的態度というものを学ぶと同時に、「戦略」的思考というものに触れたのも、多分渋谷陽一が初めてだったですね僕は。「性格が悪くなった」と、ごく端的に母親に言われた記憶がありますが(笑)、この時期。

そういう意味でも明らかに影響は大きいんですけど、ただその"影響"の中身を論理的に確定する(それこそ"対象化"する(笑))のは、なかなか難しいんですよね。
それは渋谷陽一のそもそもの記述が断片的なもの(音楽雑誌の投稿原稿)であるというのもありますが、それ以上にその影響が論理的に一つ一つ"教えられた"というよりも、渋谷陽一の(主には"対象化"という)言葉遣いをきっかけとして、僕の中に潜在していた諸々の思考や感情が一気に寄り集まって形を得たという、そういうタイプのものだからです。
何か全く新しいことを知ったというよりも、既に持っていたものの使い方の、手頃な例を示してもらったというか。
・・・そういう意味では別に渋谷陽一でなくても良かったんでしょうが、でもまあ"渋谷陽一"で良かったかなと思っています、結果的には(笑)。十分というか。(笑)

で、"中身"はともかくとして、問題は"影響"の「方向性」なわけですが、この論のテーマとしては。
上で"日本SF的相対主義の「次」"だという言い方をしましたが、「次」である、受動的相対化から、能動的意味確定・発見の作業に移ったという意味ではある意味変貌・転向のプロセスとも言えるわけですが、しかし僕の中の"風景"としては、この2つはどうも同カテゴリーというか、延長線上に位置しているんですよね。
あくまで結果的感覚的なものでしかないんですが、しかしそれはそれとして選びようのない一つの(心理的)"事実"として、それを前提に渋谷陽一的「対象化」を位置付けてみると。

「対象化」によって「相対化」による"心理的弱化"という問題を一部補強出来たことによって、相対主義路線での生存可能性がより高まった、つまり路線堅持と、そういう"効果"(笑)かなと。
実際のところは当の渋谷陽一の論全体が、圧倒的に「相対性」を前提として出来上がっているので、そもそもの「対象化」概念の生息環境自体がそうだったということはあります。そういう意味では、自然な位置づけ。
とにかく結果として"風景"が変わらず意識される"路線"も堅持されているので、これに関しては一応「左」的影響と、そういうことにしておきたいと思います。



2.渋谷陽一の"右"的影響 ~認識と「身体」性
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テーマ:右翼・左翼
ジャンル:政治・経済