ヴェルディ、代表、二次元、女子バレー 他
"戦後民主主義"との距離感 (栗本慎一郎と呉智英) ~"右"と"左"についての個人史的考察:大学生編 [2]
2019年07月12日 (金) | 編集 |
(はじめに)(小学生編)(大学生編[1])

大学生編目次

PMRCとポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
( 渋谷陽一の音楽批評 "左""右" 双方 )
栗本慎一郎と現代思想 であり
呉智英の「封建主義」 
大本教への興味 
"市民運動家"との出会い 反左


3.栗本慎一郎と"現代思想"

(1)栗本慎一郎と『鉄の処女』

栗本慎一郎。元明大教授、国会議員、経済企画政務次官。
本人は"経済人類学"(者)という名乗りを最も好み、また大学で主に受け持っていた講座は"法社会学"らしかったりしますが、結局は「哲学者」と紹介しておくのが、一番実態に合ったラベリングになるだろうと思います。'80年代初頭の日本における所謂「現代思想」ニューアカ」ブームを代表する一人。(栗本慎一郎Wiki)

経済・歴史から生物学・オカルトまで、多岐に渡り言及した著作があり、僕も余裕で二桁冊数読んでると思いますが、一番印象に残っていて今でもたまに開くのは、結局一番最初に読んだこの本だったりします。



『鉄の処女 血も凍る「現代思想」の総批評』(光文社カッパサイエンス、1985年)。
タイトル通り、当時の主に日本の思想状況の概説・評論書ですが、僕が手に取ったきっかけは例によって(?)偶然に近くて、「鉄の処女」つまり"Iron Maiden"(イギリスのヘヴィ・メタルバンド) のファンだったからです。(笑)
メイデンの曲以外で、「鉄の処女」なんて日本語を見たのは初めてで、妙に嬉しかったです。(笑)
そこで取り上げられている思想家たちをその時点では僕はほとんど知らなかったですが、それでも書いてあることはあらかた理解・想像出来て、そういう意味では僕の"潜在需要"に結構ぴったりはまっていた本だったんだろうなと思います。(勿論その後この本を手掛かりに、あれこれ読んではみました)

数ある概説的な本の中でこの本の大きな特徴を挙げてみると、思想家・学者の思考対象領域を大きく二つ、秩序的理性的な"Aゾーン"非秩序的非理性的な"Bゾーン"に分け、

AゾーンとBゾーン

各思想家がそのどちらをどの程度重視しているかの割合を数値化した「思想の品質表示」一覧として示す

思想の成分表示

という、自ら"暴挙"と称する思い切った単純化を行ったこと。
ま、具体的には、見てもらうのが一番ですね。むしろ何にも言わずにこの二つの図表だけを置いておいても、良かったかも知れない(笑)。勿論個々の"数値""評価"に対する説明も、本文ではありますが。
ちなみに興味があるだろうと思うので僕自身の思想の"Aゾーン"と"Bゾーン"の割合を自己評価してみると、だいたい「3対7」くらいかなと。「4対6」の吉本隆明と「2対8」の栗本慎一郎の間。自己評価する資格が僕にあるかは謎ですが、それぞれを読んだ時に感じる"違和感"を手掛かりに、ある意味客観評価してみるとそんな感じ。

なお表では「3対7」の席には"ハイデッガー"が座っていますが本文では特に触れられていないので、これは同じドイツ現象学系の哲学者でこちらは本文でも触れられている"フッサール"の誤記である可能性があるかと思います(または単にフッサールとハイデッガーを同割合と評価しているか)。いや、僕ハイデッガーは余り好きじゃないんですけどフッサールは好きなので、"同居"相手としては出来ればそっちの方が嬉しいなという、そういう動機の話ですが(笑)。ハイデッガーは、なんか色々濃そうでヤなんだよなあ。(笑)

とにかく、そういう本です。


(2)「理性主義」としてのマルクス主義

その中から今回の記事("右"と"左"の個人史)に直接関連しそうな内容を探すと、まずはここらへん。

p.157

弁証法は、表層あるいは体系内の思考の試みである。(中略)
ヘーゲルの弟子、マルクスの雑駁な議論をさらに単純化したマルクス主義者たちは、歴史の流れを、体系内部の意図的な努力(イコール理性)でコントロールできるという、楽天的な物語を作り出した。

「社会主義」(共産主義)が人間の理性の能力への非常に"素朴"な信頼に基づいた思想であるという認識は、既に"小学生編"の「計画経済」の項で述べました。・・・当時の自分の"素朴"さの回顧・反省と共に。
「計画」すれば、何でも出来る。だから全て「計画」して「計画」通りにやるべきだ。

その後も例えば"プロレタリア独裁"という発想を聞いた時に、いや、元は"プロレタリア"だったとしてもいったん上に立っちゃえば結局ただの"権力者"じゃね?"政治家""官僚"じゃね?どんだけ性善説なの?人間・大衆に希望を持ってるの?と、ほぼ単に語感からの連想ですが、子供ながらの疑問を社会/共産主義に対して重ねていたりはしたわけですが、この本でそれらの背景にある「哲学」としてのマルクス主義と、その元となったヘーゲル哲学自体が理性主義である、理性("表層あるいは体系内の思考")で世界は完全に理解出来て、歴史も理性的必然的に推移する(体系内部の意図的な努力でコントロールできる)という思想であることを教えられて、なるほどと。
実務者が考え無しだから素朴だったのではなくて、元々の構想からして素朴だったのかと、納得したというか位置づけが"確定"出来たというか。

マルクス主義は理性主義、それを中心or源とする"左翼"の基本も理性主義、そう性格を確定することは後々も自分の思考の経済にとって大いに役立ちました。それでたいていある思想がある人がなぜそのようであるかの"理由"が理解できるし、"限界"も予測出来るので。
ちなみに栗本慎一郎自身も、マルクス経済学(宇野派)から出発した人ですね。その経験・反省の元に、こういうことを言っている。


(3)「戦後民主主義」と左右知識人

(2)は言ってみれば「その当時の自分」にとってのみ、特に重要だった気付きで、内容的には初歩的と言えば初歩的なんですけど。
こちらは今日の状況に至るまで、普遍的に重要性があるように思える話。

p.132

ことに渡部昇一、竹村健一、小室直樹、谷澤永一らの人々は、戦後民主主義が生み出したパターン的な思考、硬直した思考へのはっきりしたアンチテーゼとして存在しているのは事実だ。そのことだけとれば、吉本隆明、蓮實重彦、山口昌男らと同じである。


渡部昇一、竹村健一、小室直樹、谷澤永一。
未だに存在感があるのは"ネトウヨの教祖"の一人、渡部昇一くらいではないかと思いますが、とにかく(吉本隆明、蓮實重彦、山口昌男らによる)"現代思想"や"ニューアカ"ブームので、主に"ビジネスマンに人気のあった"(らしい)思想家たち。現実主義的実用主義的で、それゆえに保守的体制寄り"右"寄りでもある。
"らしい"というのは当時的にも僕には単純にピンと来ない名前だったからですが、今回の後半で紹介する呉智英も似たような問題提起を行っているので、恐らくは結構重要で大きめな思想状況的"盲点"に位置していた人たち。それ(問題提起)が見過ごされたことによって、今日の"総右傾化"的状況が引き起こされた。
(ちなみのちなみですが、上記のような"ビジネスマン向け"思想家たちの「読者」のなれの果ての代表として、幸福の科学の大川隆法主宰などを、今ならば個人的には挙げたいです。そこからの"極右"への流れも含めて)

ここで何が言われているかというと、まずは"知的"と自負する階層からは通俗的だと馬鹿にされがちなこういう思想家たちも、「戦後民主主義が生み出したパターン的な思考、硬直した思考へのアンチテーゼ」という"知的"な機能、目的意識をはっきり持っている"立派"な思想・知性であること、そのことを偏見なく認めるべきであること。そしてまたそうした"機能"や"目的意識"は、「吉本隆明、蓮實重彦、山口昌男」らバリバリの"現代思想"家たちも("左寄り"という)方向は違えど共有しているということ。

さらっと書きましたが後半部分が実は凄く重要で、つまり今日主に右サイドからの総攻撃を受けている所謂「戦後民主主義」的なもの、西欧型の民主主義や西欧近代思想直輸入型の常識や"正論"の、批判者として「現代思想」もあったということ。今日の状況だと、まとめて「左翼」「リベサヨ」などとして、マルクス主義者やら"進歩的文化人"全般(例えばこの本で批判的に取り上げられているのは、立花隆小沢遼子)やら、極左やら社会党やらPTAやらと一緒に片付けられてしまいそうな勢いではありますが。
問題なのはいち「現代思想」ブームの取捨では勿論無くて、それらを尖鋭的な代表とする、(民主主義や社会主義もその一部とする)西欧近代の"成果"を受け止めつつその難点や形骸化を知的に乗り越えようとする、つい最近までほとんど当たり前だったアプローチの総体。

それに対して渡部昇一らのアプローチはより"否定"的かつ"先祖返り"的で、(戦後)民主主義なんてほんまは要らんかったんやまとめて綺麗事やおとぎ話や、男は黙って腕力と伝統と"男の本音"に物を言わせとりゃあええんや(なぜ関西弁?)と言いたがっているようには見えますが、それもまた一つの"アプローチ"であり、(当時は)少数派であることを前提としたポーズでありスタイルであり逆張りであり、本質的にはまだ知的なものではあったはずです。実際には両者の間にはそこまで深刻な知的断絶は無く、極端に言えば業界内でのキャラ付けの問題でしかないところも。

p.135

新宿ゴールデン街の元左翼どもが、左翼のポーズで友だちを得るのが好きなのに対し、渡部たちは右翼のポーズで友だちを得るのが好きだ、というだけなのである。


言いたいのはつまり、日本では「戦後民主主義」のような形で直輸入的に確かにいささか矮小な形で受容された西洋近代思想の難点や堕落、それら自体は左寄りの知性にとっても右寄りの知性にとっても「共通敵」としてあったということです。・・・前回の"ポリティカル・コレクトネス"のところでも、「言葉を狩られて嫌なのは右だろうが左だろうが同じだろう」ということを言いましたが、つまりはそういうレベルの話。
要は右か左かよりも、知的か知的でないか、言葉の使用に意識的かそうでないかという、そちらの方の違い。

それがどうして今日のような真っ二つに分かれるような状況になったかですが・・・。
これ以上書くと次の「呉智英」のパートで書くことが無くなりそうなので(笑)、いったん締めます。
まとめてとして栗本慎一郎は、「現代思想」の中でもひときわ強くマルクス主義の限界と否定を主張して、"ここから左"には決して行かないというライン・目安を僕に一つ与えてくれた人ですが("右"的影響)、一方で今日総体として「左翼的」とみなされることの多い「現代思想」の世界に僕を導き入れた人ではあるので("左"的影響)、影響の性格付けとしては、『左であり右』(冒頭)としておきます。

まあ「現代思想」が「左」なのかについては、少なからぬ疑問はあるんですけど、今はそれには触れずに世評のままに任せておきます。



4.呉智英と「封建主義」
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テーマ:右翼・左翼
ジャンル:政治・経済
"右"と"左"についての個人史的考察:大学生編 [番外] ~渋谷陽一の「思想」
2019年05月21日 (火) | 編集 |
(はじめに)(小学生編)(大学生編[1])


最初にお断り
なるべく"本流"に繋がるよう努力はしましたが、少なからずこじつけ臭くて結局はただの「渋谷陽一論」でしかないようにも思うので、「番外編」とさせていただきました。
無くてもこの先の話は通じるはずなので、興味がある人以外は読まなくても(笑)いいです。


大学生編目次

PMRCとポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
( 渋谷陽一の音楽批評 "左""右" 双方 )
栗本慎一郎と現代思想 であり
文化人類学 
呉智英の「封建主義」 
大本教への興味 
"市民運動家"との出会い 反左



[番外] 渋谷陽一の音楽批評

"BURRN!"が出たからにはロッキングオンも!と繋げたいところですが(笑)、実際には僕はいきなり渋谷陽一の"著書"(評論集)を読んでしまったので、雑誌ロッキングオンを読むようになったのはその後というか、その流れというか。ついで(笑)というか。
きっかけは覚えてないですねえ。何らかロックへの興味だとは思うんですけど。ネットの無い時代、昔はほんと行き当たりばったりで店頭で本を"買って"、学生の時は金が足りなくてしかたなかったですね。



それぞれ初版1980年、'82年、'84年。
どれかが古本屋でたまたまあった、という可能性もあるかな?(きっかけ)
ちなみにメタル以外の(普通の?)ロックを聴くガイドに最初にしたのは、別の人です。

本題に入って。
渋谷陽一。雑誌『ロッキング・オン』『CUT』の、創刊編集長。1951年生まれ。(Wiki)
渋谷陽一1渋谷陽一2

前回で既に"上野千鶴子"という本格的な"学者""思想家"の名前が出てはいるんですが、しかしより直接的に僕に「思想」的な「覚醒」、刺激をもたらしたのは、こちらの一介の(?)ロック評論家、本人に言わせると"本業はあくまで編集者"な人の方だと思います。
まあ上野千鶴子の"女性学"は、結局思想・哲学というよりも「個別科学」として読まれてしまったということではあるかと思いますね。そのスケールのインパクトだったというか。

さりとて渋谷陽一がそこまで大した哲学者であったとか包括的な思想内容を持っていたというわけではないわけですが、要はタイミングとポジションの問題でしょうね。ある種の「洗礼者ヨハネ」のような役割を、僕に対して果たしたという感じ。(ただし"救い主イエス"には未だに出会っていない(笑))
でも実際なかなかだと思いますよこの人は、読み返しても。自分の頭と体を使った「意識的思考」の、本当に出来る人。もっとつまらない哲学者や無内容なプロ評論家は、腐る程いると思います。有名な中でもね。


1.渋谷陽一の"左"的影響 ~「対象化」論

(1)「批評」と「対象化」

その渋谷陽一が展開する、直接的にはロック/音楽批評の中で、口癖のように出て来ていたワードが、「対象化」というもの。渋谷陽一の「批評」の内容はほぼこれ、あるいはこれの必要性を訴えることに尽きると言ってもいいかもしれない、中心的な概念です。
対象化。文字通りには、何かを「対象」として捉えること、あるいは捉えられるようにすること。特に特殊な概念ではないので耳慣れている人もいない人もいるでしょうが、とりあえず具体的な使い方を見て行きましょうか。
典型的には、所謂"プログレッシブ・ロック"をめぐるこういう記述。

プログレッシブ・ロックとは、ロックがロックそのものを対象化し始めた最初の動きと言える。(中略)
それまでのロックは、一種の初期衝動のみによって突き進んでいた。走り出したいという欲求があれば、すぐに走り出し、そこには対象化の努力も何もなかったのである。

(『ロックミュージック進化論』 p.113)

ロックとはもともと現実との違和を徹底的に増幅し、そのひずみを音にして来た音楽である。その違和を対象化し、原因を露にしていくのがプログレッシブ・ロックであった。

(同上 p.125)

衝動の"対象"化、違和の"対象"化。
簡単に言えば、感覚に名前を与える行為で、そこから例えば"原因を露に"することも可能になる。

今のはどちらかというと内面的事柄に特化した説明ですが、より外面的な事象だと、こんな感じ。

("アメリカ市場"という舞台において)
アメリカのバンドにとってアメリカ自身はあえて批評したり、対象化したりする必要のないものであった。(中略)
イギリスのバンドは自分たちのイギリス的な部分を対象化し、インターナショナルなスタイルを獲得しようとするのである。

(同上 p.145)

ここでは他人の目に映る"自分自身"を自分に対して客体化するみたいな意味ですかね。そもそも"イギリス的"という言い方自体に、「対象化」のプロセスが入っていますが。
客体化して「対象」として扱う。扱えるようにする。内側にぼんやりあったものを外側に引っ張り出すという意味で、"外化"などという言い方をすることもありますね。対象化・客体化・外化、全てほぼ同じ意味。

"客観"化・・・だと"主観"として意識されていたものを客観として意識し直すみたいなニュアンスが強いので、少し使いづらいかなと(使えなくはない)。むしろどういうものとも意識"されていなかった"ものをされている状態にするのが、対象化や客体化。批評の種類(客観か主観か)の問題ではなくて、批評の"無い"状態からある状態にする行為。その最初の一歩というか。

とにかくこの「対象化」というプロセスが渋谷陽一の批評の中心であり、中身であると、そう言っていいと思います。(少なくともこの時期の)
それ以上のことは、その「対象化」の具体的中身からの論理的延長。

(2)「対象化」と相対性

で、ここからが少し分かり難くて、この稿を「番外」と位置付けざるを得なかった由縁ですが。(笑)
こうした渋谷陽一の音楽をめぐる論が、僕に何をもたらしたかというと。
一言で言えば、かつて日本SFがもたらした"懐疑"(相対性)の、「その先」かなと。
世間や慣習や伝統が押し付けて来る意味や価値を、疑って相対化して差し戻す受動的なプロセスにとどまらず、逆に自分から意味や価値を能動的に見出して確定して行く、あえて言えば"押し付け"返す(笑)反撃のプロセスというか。"対象化"作業によって。

つまり"懐疑"というのは、知的にはある種の密かな優越感を持たせたりはするんですけど、一方で"信じる"力を失う分、心理的に"弱"くもさせるわけです。それだけで終わると。
その"後"の、それ(慣習的な価値と意味)に代わるものを作る作業が必要で、その手本が例えば渋谷陽一の言う「対象化」というプロセスであったわけですね。
実際渋谷陽一は、ある種の"サバイバル"戦術として、「対象化」プロセスを位置付けていたりもします。

ジム・モリソンやジャニス(ジョプリン)が死んでしまったのは、彼等が自らの内なるロックを対象化し得なかったためだ。ある意味で生き延びるしたたかさを持ち得なかったために死んでしまったといえる。
ただロックなるものが本当に言葉として対象化され、語られるには少々時間がかかったのである。社会とのかかわりの中で戦略戦術が考えだされるまでには時間が必要だった。

(同上 p.73)

自分がやっているものは関わっているものは、あるいは自分が自分の中に感じているものは要するに何なのか。それを理解・確定する(対象化する)ことによって、それを抱えながらあるいは利用しながら、社会(世界)の中でどう生き延びて行くかのプランが立てられるようになると、そういうことですね。

・・・そう、「批評」的態度というものを学ぶと同時に、「戦略」的思考というものに触れたのも、多分渋谷陽一が初めてだったですね僕は。「性格が悪くなった」と、ごく端的に母親に言われた記憶がありますが(笑)、この時期。

そういう意味でも明らかに影響は大きいんですけど、ただその"影響"の中身を論理的に確定する(それこそ"対象化"する(笑))のは、なかなか難しいんですよね。
それは渋谷陽一のそもそもの記述が断片的なもの(音楽雑誌の投稿原稿)であるというのもありますが、それ以上にその影響が論理的に一つ一つ"教えられた"というよりも、渋谷陽一の(主には"対象化"という)言葉遣いをきっかけとして、僕の中に潜在していた諸々の思考や感情が一気に寄り集まって形を得たという、そういうタイプのものだからです。
何か全く新しいことを知ったというよりも、既に持っていたものの使い方の、手頃な例を示してもらったというか。
・・・そういう意味では別に渋谷陽一でなくても良かったんでしょうが、でもまあ"渋谷陽一"で良かったかなと思っています、結果的には(笑)。十分というか。(笑)

で、"中身"はともかくとして、問題は"影響"の「方向性」なわけですが、この論のテーマとしては。
上で"日本SF的相対主義の「次」"だという言い方をしましたが、「次」である、受動的相対化から、能動的意味確定・発見の作業に移ったという意味ではある意味変貌・転向のプロセスとも言えるわけですが、しかし僕の中の"風景"としては、この2つはどうも同カテゴリーというか、延長線上に位置しているんですよね。
あくまで結果的感覚的なものでしかないんですが、しかしそれはそれとして選びようのない一つの(心理的)"事実"として、それを前提に渋谷陽一的「対象化」を位置付けてみると。

「対象化」によって「相対化」による"心理的弱化"という問題を一部補強出来たことによって、相対主義路線での生存可能性がより高まった、つまり路線堅持と、そういう"効果"(笑)かなと。
実際のところは当の渋谷陽一の論全体が、圧倒的に「相対性」を前提として出来上がっているので、そもそもの「対象化」概念の生息環境自体がそうだったということはあります。そういう意味では、自然な位置づけ。
とにかく結果として"風景"が変わらず意識される"路線"も堅持されているので、これに関しては一応「左」的影響と、そういうことにしておきたいと思います。



2.渋谷陽一の"右"的影響 ~認識と「身体」性
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テーマ:右翼・左翼
ジャンル:政治・経済
"右"と"左"についての個人史的考察:大学生編 [1] ~ポリティカル・コレクトネスとフェミニズム
2019年05月07日 (火) | 編集 |
(はじめに)(小学生編)


"ポリティカル・コレクトネスとフェミニズム"
何て煽情的なサブタイトル。炎上狙いか?(笑)
まあ残念ながら(?)、そういう内容ではないと思います。"期待"にはそぐえないかと。(笑)


大学生編

PMRCとポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
渋谷陽一の音楽批評 双方
栗本慎一郎と現代思想 であり
呉智英の「封建主義」 
大本教への興味 
"市民運動家"との出会い 反左


1.PMRCとポリティカル・コレクトネス

(1)ポリティカル・コレクトネスとPMRC

ポリティカル・コレクトネス

性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用することを指す。(Wiki)

日本において「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が普通に聞かれるようになった・・・"普通"というのはつまり、インターネットは普通(笑)にやるけれど特別政治や社会問題に関心があるわけではなく、立ち寄り先は専らニュースサイトやツイッターや趣味関連のブログ程度という僕のような人の目にも触れるようになったという意味ですが、それを"普通"と言っていいならそれはいつ頃のことでしょうかね。
"大統領候補"ドナルド・トランプの言動が話題になるようになったのは2015~16年頃でしょうが、さすがにそれでは最近過ぎるか。Wikiに載っている目立つ用例として、「スチュワーデス→キャビンアテンダント」が1996年、「看護婦→看護師」が2002年ですから、そこらへんでは既に"実態"としては認知されていたはずですが、言葉としてはどうだったか。
・・・「トルコ風呂→ソープランド」(1984)は、それはまた別枠な気がするぞ?Wiki編者(笑)。ところで「ジンギスカン」はいつまで使われ続けるのか。「セクシー女優」という言い換えには、何の意味があるのか。
とりあえずじゃあ"実態"(「キャビンアテンダント」)と"ブーム"(トランプ)の中を取って、2000年代末くらいと想定しておきましょうか。

発祥の地アメリカでは1980年代ということになっていますが、実は僕個人としては、それとほとんど時差なくこの言葉に触れている、意識する経験をしているんですよね。
それは別に僕が事情通だったからでも意識が高かったからでもなく、ヘヴィ・メタルファンだったからです(笑)。この"ポリティカル・コレクトネス"的潮流の中で生まれた「PMRC」というポピュラーミュージックの歌詞表現に関する検閲組織(1985年設立)が、ヘヴィ・メタルの人気バンド"ジューダス・プリースト"や"トゥイステッド・シスター"を標的にし(「最も不愉快な15曲のリスト」)、それを問題視したヘヴィ・メタル専門誌"BURRN!"



が外部ライターに依頼した比較的本格的な特集記事を何度か載せていたからです。その中で"ポリティカル・コレクトネス(PC)"という言葉も、背景の話として出て来ていた。・・・"PC"という略語は割りと使われていましたかね。"ポリコレ"は記憶に無い。

1985年というと僕はまだ高校生ですし(つまり"BURRN!"は小遣いでは買えない)、アメリカと日本の時間差を考えると1986~88年頃の話ですかね。PMRCをディスったジューダス・プリーストの曲"Parental Guidance"('86)をアルバムで聴いた時はまだポカーンとしていた記憶がありますから(笑)、'87年以降が有力。
とにかくまあだから、約20年後に再び身の周りでこの言葉が比較的頻繁に聴かれるようになった時は、「あ、懐かしい、あったねそんなの」というのがまずもっての感想でした(笑)。「まだそんな話してるの?」とまでは思いませんが、"言葉"として現役である(むしろホット(笑))ことには少し驚きました。


(2)"ポリコレ"は「右」なのか「左」なのか

当然「左」なわけでしょうけどね、現在の文脈では。理論的にも多分どちらかと言えばそう。

ただ当時大学生の僕がジューダスらに加えられていたこうした圧力をどういうイメージで見ていたかというと、むしろ「右」サイドのイメージでしたね。だからPMRCの旗振り役として主に名前の挙がっていた"ティッパー・ゴア"というおばさん(失礼。でもほんとにそういう、少女漫画に出て来る三角眼鏡でガリガリのキンキンうるさいおばさん教師のイメージ)が、後に"民主党"の副大統領アル・ゴアの夫人であると知った時は、え?共和党じゃなかったの?と結構びっくりしました(笑)。悪いことをするのは、うるさいことを言うのは、全部共和党かと思ってた。
(実際のティッパー・ゴア

Tipper Gore

"三角眼鏡のキンキンおばさん"というより、"肝っ玉母さん"とかに近いイメージかな?(笑)
尚更「右」的でもあるかも)


より正確には、「左」と「右」、ではなくて、「リベラル≒価値寛容」「全体主義・国家主義≒画一的正義の押し付け」という対立のイメージでしょうけどね。日本において「リベラル」という言葉・概念が「左」と結び付けられるようになるのは、かなり最近。あえて右左で言うなら、「中道左派」と「極右」の対立というイメージ?それこそ『太陽にほえろ!』(前回)は思想的にはリベラルですけど、社会における"位置"的にはどう見ても真ん中へんですから。

こうしたイメージの元には、PMRCが単なる民間団体というよりワシントンの有力政治家夫人たちによるほぼ「政府」側の活動として存在していたというのは、当然大きいと思います。最初から"権力"を持っていた。またゴア夫人の夫は民主党ですけど、次に名前の挙がるベイカー夫人の夫(ジェイムズ・ベイカー)はバリバリの共和党。やはり直接の"党派"というよりも「体制側」であることに特徴のある運動だったのは、間違いないと思います。
とにかくだから、当時の僕としては"リベラル"な立場として"ポリコレ"と敵対していた認識だったので、後に「リベラル」と「ポリコレ」がセットで槍玉に上がる形で再登場して来た時には、え?え?え?何のこと?俺はティッパーおばさん側なの?と、かなり当惑させられました。

まあこういうある種ナチュラルな"リベラル"の社会的位置づけが途中から激変して戸惑うという経験は、僕前後の世代のある程度以上"知的"と自負する層の人の多くが、経験していることだと思いますが。
真ん中ないしニュートラルだと思っていたら、「左」にされた。単なる"良心"、人類普遍の理想だと思っていたら特定の「思想」にされたというか。
そうなったことについては、(理論的に)正当な部分と不当ないし過剰な部分と、両方があると思いますが、まあそれは結論的な話になるのでまた後で。


(3)「ポリティカル・コレクトネス」と「言葉狩り」

当時の話に戻って。

PMRC/ティッパー・ゴアによる"検閲"的運動が、かなり具体的な政治権力として、また戦後日本が正に手本とした"リベラル"の本家、"自由の国"アメリカ発の動きとして登場したことにはそれ相当のインパクトはあったわけですが(アメリカの根っこの部分の保守性や宗教的原理主義の存在に気付くのはもっと後)、ただ「戦い」の性格としては、「敵」としてのポリティカル・コレクトネスの本質性については、一方で実は"既視感"のある部分もあったりしました。

これ知ってる。要するに「言葉狩り」だよね?

"言葉狩り"

特定の言葉の使用を禁じる社会的規制を否定的に表現した言葉。
1993年に起きた筒井康隆の作品「無人警察」における一連の事件の中で扱われ世間に浸透した。(Wiki)

あからさまに不十分な記述として運営に叱られていますが(笑)、結構これでイメージは伝わると思います、特に「筒井康隆」の名前が出て来たあたりで。
ただし'"1993年"というのは随分と新しい話で、つまりこの『無人警察』



における"てんかん"描写をめぐるある種のバッシング、筒井康隆の立場からすれば「言葉狩り」によって"断筆宣言"という決定的な事態に至った(筒井康隆Wiki)、それをもって「言葉狩り」という"言葉"が認知浸透を見たという編者の記述ですが、ではそれ以前はどうだったかというと少なくとも僕が筒井康隆を読み始めた小学校時代(遅くとも'80年代)には、既に随所で筒井康隆は各種メディア・勢力による自分の作品への表現規制の文句を直接間接に書いていたはずですし、「言葉狩り」という言葉自体も筒井康隆本人(の発案)によるかどうかは定かではないですが目にしていた記憶があります。・・・実際その"集大成"(笑)というか"堪忍袋の緒が切れ"た事態として、「断筆宣言」もあったわけでしょうし。いきなりぶち切れたわけではない。(笑)

"時期"の問題として更に付言するならば、これは今回気付いたことですがとりあえずこの"1993年"の時点では、こうした問題は「言葉狩り」の問題として扱われていたことがこの件で分かりますね。まだ"ポリティカル・コレクトネス"ではない。
ならば1996年の"キャビンアテンダント"も、そうかな?2002年の"看護師"だとどうだろう。"ブロードバンド元年"が2001年だそうですから(ADSLWiki)、そろそろアメリカの状況(言葉)がダイレクトに入って来てもおかしくない頃かも。まあいいや。

一応言っておくと、「言葉狩り」というのは"狩られる"側の言い方で、「ポリティカル・コレクトネス」というのは"狩る"側ないし中立の概念なので、最初から非対称と言えば非対称なんですけどね。
ただそれはそれとしてこの二つの言葉がほぼ同じような意味同じような事態について言っている、あるいは違う時代背景における連続的な問題意識を扱っているのは明らかだと思います。

そこから何が言えるかというと、一つは勿論、今日言うところの「ポリティカル・コレクトネス」、言葉の"正しさ"という問題は、別にアメリカ発の問題ではなくて日本にも昔から存在していた問題であるということ。
そしてそこから更に踏み込むと、「ポリティカル・コレクトネス」(を目指す事)は必ずしも今日のように"左"と結び付けられる問題ではなくて、今"右"側という自意識を多く持つ人たちが抵抗しているように、昔の日本の知識人、総じて現在の観点からは"左翼的"とされるだろう知識人たちも、同じように抵抗していたということ。(その代表として筒井康隆が相応しいのかにはいささか疑問もあるんですけど、ややこしくなるので今回は割愛。)
右翼にとっても左翼にとっても、「ポリティカル・コレクトネス」は敵であると。(笑)
まあ「言論統制」されて喜ぶ"知識人""知性"というのはちょっとどうかしてますから、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。(笑)

とにかくだから恐らく「ポリティカル・コレクトネス」や「言葉狩り」の問題を解く、説明するには、"左""右"とは別の視点が必要となるはず。"左右"の違い自体はあると思いますが、ただそれは左だから賛成するとか右だから反対するとか、そういう単純な話ではない。・・・これ以上書き出すと本論の目的からずれてしまうので、そこらへんについては余裕があれば、最後にでも論じてみようかなと思いますが。


2.上野千鶴子とフェミニズム
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テーマ:右翼・左翼
ジャンル:政治・経済
"右"と"左"についての個人史的考察 : 小学生編
2019年05月01日 (水) | 編集 |
(はじめに)より。


小学校時代

「計画経済」と「国連軍」 (と、イスラエルのキブツ) 
『太陽にほえろ!』('72~)と『大草原の小さな家』('75~) 
日本SF(星新一、筒井康隆、半村良ら) 
本宮ひろ志『硬派銀次郎』('76~) 
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』('78)への反発 反右


1.「計画経済」と「国連軍」(と、キブツ) ~原始的理性主義・素朴理想主義

今も大して無いですし、増して子供の頃に政治や経済や社会に対する関心は無きに等しかったと思いますが、その中で記憶にある最も古い、関連項目としてはこんなものがありました。
小学校の・・・4年生くらいですかね、学校で歴史の授業が始まる少し前に親が買い与えてくれた、和歌森太郎監修『学習漫画日本の歴史』。(1967年、集英社)



その現代史のパートでソビエト連邦(当時)についての紹介があって、社会主義国ソ連では、「計画経済」というものが行われていて、"三ヶ年計画"や"五ヶ年計画"が次々に施行されて経済が運営されていると。
その成否についての記述はあったのかも知れませんがとりあえず僕は覚えていません(笑)、僕が覚えているのは「計画経済」という響きそのもの、経済を「計画」的に行うなんてなんて素晴らしいんだ、さぞかし上手く行くのに違いない日本もやればいいのにという、とてもとても素朴な感想でした(笑)。(戦後日本の"傾斜生産方式"云々についての記述は、あったのか無かったのか、どのみち覚えてはいませんが)

この時点で僕に何らか予備知識なり何かからの思想的影響があったという記憶は全く無くて、これは本当に純粋に、「物事は"計画的"に行えば上手く行くものだ」という、"理"性的なもの、理性の能力への素朴で無邪気な信頼を僕が抱いていたということを表しているんだと思います。そしてこれは後年の知識ですが、所謂"マルクス主義"的なものへの支持の中心にあったのも、実はこういう正に"子供"じみた信頼・楽観なのだと、僕は思うわけですが。社会(経済)は完全に計画可能であり、そしてその"計画"は概ね善意に基づいて実行されると期待し得るいうことへの。

今"善意"ということを言いましたが、恐らくは同時期か少し前の、別のイメージ。
どこで知ったのか分からないんですけど、世界には「国連軍」というものがあって、どこかに悪いことをする国があったらその「国連軍」が出動して、みんなで協力してその国を懲らしめるらしいということを聞いて、「それは素晴らしい、みんなで協力するなら無敵だね、悪い奴なんてひとひねりだね」とほとんど何の疑いも無く、"国連軍"の絶対的善意と絶対的戦闘力に安心感信頼感を抱いた、そんな記憶があります。
案外素直いいコでしたね(笑)。僕が特別にそうなのか、それとも同時代の(日本の)子供はだいたいこんなもんだったのか、特にこういう話を友達としたことも無いので分かりませんが。

さて"社会"的なトピックスの中でこの時期もう一つ特別な印象に残っているものとして、これは完全に授業でやったんでしょうが、「イスラエルのキブツ」というものがあります。

キブツ (ブリタニカ国際大百科事典)

・イスラエル独特の集団農業共同体
・構成員間の完全な平等,相互責任,個人所有の否定,生産・消費の共同性の原則に基づいて組織
・衣食住など生活に必要なものはすべてキブツが提供,夫婦の家,子供の家,青年の家などが別々にあり,両親と子供は寝食をともにせず,育児や教育も集団で行われる

色々書いてありますが、小学生の僕の印象に残ったのは3つ目の項目のみ、「両親と子供は寝食をともにせず,育児や教育も集団で行われる」の部分。
それに対する僕の反応は・・・「いいな」というものでした。
子供が「親」や「家庭」に縛られないなんて、なんて素晴らしいんだと。素直に。(笑)
"集団"自体がいいとは思いませんでしたが、それに伴うだろう「計画」性の方にも惹かれましたかね。「計画経済」の理想視と、同じ回路で。

ただし、志向としての共通性はあっても、これに関しては若干の偏りや"曇り"が自分で感じられて、「計画経済」や「国連軍」に対する憧憬ほど、純粋で素朴な反応ではなかったと思います。
つまり個人としての(小学生の)僕が「家族」や「親」に余りポジティブな感情を抱いていなかった、そのことが反映されての"偏り"のある反応だろうなと。
だから「計画経済」や「国連軍」に対する子供時代の自分の反応が『思想』だとは特に思わないけれど、「キブツ」に対するそれには幾分かの『思想』性を感じるという。"左傾"化というか(笑)。伝統的共同体(この場合は家族)を忌避する傾向。


2. 『太陽にほえろ!』と『大草原の小さな家』  ~"弱者"への視線と社会的公正性の希求

(1)は一応"理論"的な話ですが、次はもっと感情的に、幼少期の僕の人格・思想に影響を与えたと考えられるTVドラマの話。

『太陽にほえろ!』・・・放送開始は1972年ですが、僕がはっきり覚えているのは"ロッキー"の登場前後からなので、多分1977年以降
『大草原の小さな家』・・・日本では1975年からNHKで放送。

国民的人気ドラマとして、今でも知られる名作刑事ドラマ『太陽にほえろ!』。若い人もゆうたろうによる"ポス"石原裕次郎の物真似や、芸人が好んで引用する"ジーパン"松田優作の殉職シーンなどで、見たことは無くても何となくは知っているはず。先頃亡くなった天才俳優"ショーケン"萩原健一さんも、"マカロニ"役でオリジナルメンバーでしたね。
番組の表の看板は、それこそ松田優作や萩原健一などの若くかっこいい刑事たちの活躍する、やたら"走る"シーンが多いことで知られる(笑)"アクション"を強調した青春ドラマ的性格にあったわけですが、しかし『太陽にほえろ!』がここまで国民的ドラマとなった、別な言い方をすれば老若男女に広く見られる、我が家でもそうてしたが家族団欒のお供的役割を果たすことになった理由は、その生真面目で丹念な"ヒューマニズム"性格の濃いドラマ性にあったと思います。若手刑事たちは毎度イキってぴょんぴょん跳ねるんですけど(笑)、視聴者が見ていた/支持していたのはむしろそれをたしなめるベテラン・中堅刑事たちの慎重な事件・犯人の取り扱いの方だったのではないかと。それは子供の視聴者も含めて。

その『太陽にほえろ!』的ヒューマニズムの軸となっていたのは、一言で言えば"犯罪を犯す側にも事情がある"ということかと。そういう状況へ追い詰められた、あるいは単純に愚かで軽挙な犯人への憐み・同情心、結果としての犯罪という一つの事実よりも、事件の構造や背景を理解する努力、多くは社会の矛盾や不公平への問題意識への視線も含んだそういう"慎重"な態度、"公平"であろうとする努力、それがドラマとしての『太陽にほえろ!』やそこで描かれる"七曲署捜査一課"の刑事たちの行動を貫く基本的な姿勢であったと思います。(勿論違うタイプの事件・エピソードも時にはあります)

ただこれは別に『太陽にほえろ!』のみの特徴ではなくて、米英含めた洋の東西を問わない「警察ドラマ」の王道的パターンであって、それは簡単に言えば、"犯人側の事情"を描かないとドラマとしての必要な葛藤を作り上げるのが困難だからだと思いますが。悪い奴がいた、やっつけろ!捕まえた、わーい!ばっかりでは、継続的にまともなドラマは作れない(笑)。桃太郎にすら、鬼側の事情はありますからね。(笑)
その中で『太陽にほえろ!』が際立つのは、肩肘張らないエンターテインメントドラマという枠の中で、子供も含めた視聴者が自然に納得するような形でそれを行ったこと、同じことですが端的にエピソード・脚本の出来が圧倒的に良かったこと、あるいは上でも言った「若手」と「ベテラン・中堅」の対比が分かり易い構造として非常に有効だったこと、そういうことが挙げられるかなと。
そして結果として"国民的人気ドラマ"であって誰もが見たという、影響力。"時代精神"とまでいうと、少し大げさかもしれませんが。

更にそして・・・山さんかなと。僕が付け加えたいのは。露口茂さん演じる、"山村精一"刑事。

山村精一

彼の特権的な人格的説得力。
同じヒューマニズムでも、例えば"ゴリ"さんだと少々暑苦しくて馬鹿っぽくも見えるし、"長"(ちょう)さんだといくら何でもおじいちゃん過ぎるし(笑)、"殿下"は殿下だしとそれぞれ一つのパーソナリティ傾向、"価値観"でしかないように見えてしまうところがあると思いますが、それが山さんになると、彼の飄々とユーモラスに知的ででも底無しに優しくて、かつそれらが刑事としての圧倒的な現実的"有能"さに裏打ちされている人格的「完成」感は、そのまま彼の体現する『太陽にほえろ!』ヒューマニズムの"正解"感に繋がっていたと思います。山さんが言うんならそうなんだろうなと。難しい所のある問題だけど、とりあえずそこらへんで納得しておこうという。

構造としての『太陽にほえろ!』ヒューマニズムは、山さんという"個人"をとどめとして完成する。それを言葉少なながら常にバックアップする、"ボス"石原裕次郎との「二頭体制」の厚みも頼もしかったですね。
これ以上は単なる『太陽にほえろ!』論になってしまうのでやめますが、とにかくある世代からある世代の日本人にとって、『太陽にほえろ!』が示していた価値観物の見方人間観は、個人差はあれど確実に一つの国民的"基調"として機能していた部分があったと思います。
勿論子供時代の僕も、それを信じていた・・・という程積極的自覚的なものでは多分なかったですが、少なくとも社会的目標としておおまか目指すべき方向性としては、疑う必要を特に感じてはいませんでした。山さんみたいな大人ばかりでないということはそれこそ『太陽にほえろ!』を見ていれば分かるわけですが(笑)、しかし出来ることならば、誰もが山さんのような想像力や優しさを持って(犯罪者も含む)他者に接するべきであるし、大人たるもの出来ればみんな山さん(笑)になるべきだと。

・・・その"当たり前"を後にひっくり返す言説を目にして僕は驚くことになるわけですけど、それはまた後の話。


似たタイプの影響力を持っていたものとしては、米ドラマ『大草原の小さな家』があったと思います。
むしろ『大草原』が代表するアメリカン・ヒューマニズムを手本として『太陽』等戦後の日本のドラマは作られたと言った方がいいのかも知れませんが、大人になってから全話見直した時に、具体的には一つのエピソードも自分が覚えていなかったことが分かってしまった(笑)ので、細かい語りは控えようと思います。見た時に湧き上がる"感情"自体には、確かに覚えはあるんですけどね。子供時代にどの時期の何回目の放送の『大草原』を見たのか、どうにも確定出来ない。

ともかく『大草原』で描かれた、"犯人"ではないですが(笑)"反抗児"ローラ

ローラ・インガルス

の、大人社会の無慈悲や矛盾や不公平に対する怒りや抗議への共感やある種の「正当」性の感覚、そしてその無鉄砲を時にたしなめつつも受け止めるべきは受け止めて、大人の知恵で共に戦ってくれるチャールズパパ

チャールズ・インガルス

圧倒的な包容力と信頼感の記憶は、時期は不確かなれども『太陽にほえろ!』と同様の"原風景"として、確かに自分の中に見出すことが出来ます。

日本に山さんがいれば、アメリカにはチャールズパパがいる(笑)。大人がみんな二人のようであれば、子供はどんなに安心して育つことが出来るでしょう!
比べるとチャールズパパの方は、時代背景もあって結構パターナル(父権的)ですけどね今の観点で見ると。
ともかく山さんやチャールズパパが体現するような思いやりと汲み取りを基本とするヒューマニズムが、時代を代表するストーリーのど真ん中にあって、堂々とモデルであった時代が確かにあったということです。
まあ別に『はぐれ刑事』でも『相棒』でも、人気ドラマの基本はそんなに変わってないんだろうと思うんですけどね、上でも言ったように。ただ影響力というか社会の中での位置は、だいぶ変わった気がします。アメリカなんかの場合は、「警察ドラマ」の作り方自体がある時期以降変わってしまっていますが、その話はまた後で。

いやあ、難しいですよ、山さんやチャールズパパを疑うのは。(笑)
そういう人(子供)もいたんでしょうけどね。友達にはなれなかったでしょうね(笑)。もしくは際立って不幸な子供か。


3.日本SFの影響 ~懐疑主義、(文化)相対主義の目覚め
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テーマ:右翼・左翼
ジャンル:政治・経済
"右"と"左"についての個人史的考察 ~僕は"右"なのか"左"なのか(はじめに)
2019年05月01日 (水) | 編集 |
令和一発目!

いやあ、新元号に、噂されていた「安」がつかなくて、正直ほっとしました。今後何十年かもやもやしながら元号を使うことになるところでしたから・・・と、いきなり"政治的"発言(笑)をかましつつ。

その"安"倍政権周りを中心に、ここ日本でも平成の特に後半はおよそ政治的に鈍感・無関心な人たちも含めて、様々に意識をかき乱していた「右」(翼)と「左」(翼)という問題について、僕自身の個人史的"心当たり"を手掛かりに少し整理してみたいなという、そういう企画です。
定義は特にしません。以下の実例で語りたいという意味と、そして結局は要するに"感性"的問題であるという、予定的な結論という理由で。

ちなみに少し前にtwitterで流れて来た政党座標テストというものをやってみたら、こうでした。

政党

「左派」と「右派」は、こんな感じかなあ。真ん中というよりも、両方あって打ち消し合ってる感じ。
「自由」と「共同体」は、もっと「自由」寄りかと思いましたが。僕が嫌いなのは、「右」というより「共同体」
安倍政権でも本当に嫌なのは、「防衛」(軍事・外交)とか憲法9条とかではなくて、「家族」主義や「道徳」の押し付けの方(内政)。(経済はそもそもよく分からん)


さて今回は「実例」主義ということで、先に"メニュー"を挙げておく形にしてみたいと思います。
僕の「思想」形成、特に"右"や"左"に関連しそうな内容に関する、思想的な経験の一覧。
思い出せる限り。

1.幼少期~小学校時代

「計画経済」と「国連軍」 (と、イスラエルのキブツ) 
『太陽にほえろ!』('72~)と『大草原の小さな家』('75~) 
日本SF(星新一、筒井康隆、半村良ら) 
本宮ひろ志『硬派銀次郎』('76~) 
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』('78)への反発 反右

2.大学時代

PMRC('85設立)とポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
渋谷陽一の音楽批評 双方
栗本慎一郎と現代思想 であり
呉智英の「封建主義」 
大本教への興味 
"市民運動家"との出会い 反左

3.大学卒業以後

とあるセレッソ系ブログ やや右
米ドラマ『ボストン・リーガル』('04~) 極右
とある徳島系ブログ 極右
西部邁と「保守」 やや右

・・・これくらいかな。おおよそ"経験"順。「左」とか「右」とかいうのは、経験の方向性。
大学の後半から「右」ばっかりですけど(笑)、それは右に染まったのではなくて"右"的なものも受け入れて、思想的に完成というか中庸化して行ったプロセスと、そういうことにして下さい。(笑)
「中学」「高校」が丸々抜けてますが、この時期は何というか、意図的に外界からの影響を遮断して、意識して本を読まないようにしていた謎の時代なので。(笑)
ネットも無い時代、そうなると本当に空白になるというか、純粋培養・独自思考が進む。(良くも悪くも)
"とある"ブログ二つは、本文を書く時には実名を挙げる予定。


「小学生」につづく。


テーマ:右翼・左翼
ジャンル:政治・経済
イスラム教について
2016年02月15日 (月) | 編集 |
ふと思ったこと。
特に独創的ではないかも知れませんが。
でもなんか一つ、自分的に"風景"が見えた気がしたので。


戦後民主主義教育を受けた"無宗教"な日本人を勝手に代表して言うと、「宗教」としてのイスラム教の総体としての印象は、比較的新しい(新しく広まりつつもある)宗教として、熱心ではあるし、熱狂的でもあるし、行動として厳格な信者の比率が多いのは確かだと思うんですが、一方でそれはある意味"行動"としてであり、行動の不寛容性として"宗教"的ではあるけれど、折々に伝え聞く教義そのものは、何と言うか非常に実際的というか、現世的というか、直接的というか、さほど"深遠"であったり"難解"であったり、"形而上"的な印象は受けないわけです。
ただそれらの戒めや命令の、"根拠"づけとしての神/アラーの持ち出し方、"あの世"の生活の説明の仕方に、非常に厳格性強制性があって、それをもって「宗教」となっているという感じ。

主張の内容というよりは主張の構成の仕方に、"宗教"性の本質があると。
ただ「目的」としては、それ以前の例えば儒仏道やユダヤ&キリスト教に比べて、それほど「宗教」的ではない、つまり"宇宙の真理"を掴むことや、道徳・倫理の究極的基盤や無謬性を目指すことなどは、それほど目的とされていない。していないわけではないんでしょうけど、「本気」度が低いというか。
それよりはそのそれなりに一貫した思想体系を梃子に、社会を作ること国家を作ること、民族の興隆を図ることの方が、(無意識下の)目的。
勿論先輩宗教/古代思想も、結果的に社会・国家・民族等々に大いに関わってはいるわけですが、それはあくまで結果論というか広がり方受け入れられ方の一側面でしかないのに対して、イスラムの場合はその密着度が非常に高いということ。目的手段性というか。


それがいけないと言っているのではなくて(民族主義を問題にしたいのではなくて)、何が言いたいのかというと、イスラム教が(他の大宗教との比較において)優れて"行動""実際"的、"社会"的宗教だということ。ここまではいいですね?

イスラム教のそういう性格から僕が連想するものとしては、例えば儒教における「陽明学」

陽明学は”物を格(ただ)す心”の学問ともいわれており、
・心即理
・致良知
・知行合一
を説き、朱子学の主知主義に対して実践を重視しました。
(「朱子学と陽明学の違い、日本陽明学とは!」)

や、あるいは仏教における、日蓮宗を筆頭とする法華経系の宗派、

日蓮は、天台教学を「迹門の法華経」であり「理の一念三千」と呼んで、その思弁性・観念性を批判し、みずからの教えを本門として「事の一念三千」を説き、実践的・宗教的であらねばならないとした。
(日蓮宗Wiki)

があります。
念仏系も"庶民の生活に密着"はしていますが、ただあの盲目性にはキリスト教の"愛"にも似た逆説的な哲学性・現世超越性があって、影響力はともかくとして必ずしも「社会」的とは性格付けし難い部分も強く感じます。"行動"ではあるけれど、その行く先が"逃避"的というか。(笑)
とにかくその本義はともかくとして、しばしば革命・改革運動の基盤理論とされた陽明学や、単に(鎮護仏教的に)体制に取りこまれたのではなく自ら積極的に「国家」を問題にした(戦中戦後の右翼思想の一つの中心も形成した)日蓮系の仏教教派の優れて"社会"的な性格には、イスラム教と比較し得るものがあると思います。

ただ大きな違いもあって、それは例えば陽明学は、儒教の改革運動であり、特に朱子学とは激しく対立しましたが、しかしそれはあくまで「内部」の問題であるという限定はあって、つまり「儒教」そのもの、あるいは遡って「孔子」まで否定するというところまでは、行かないわけです。
内心個々にどう思っていたかは分かりませんし、あるいは古過ぎるのであえて問題にしなかったのかも知れませんが(笑)、ともかく少なくとも"争い"としては、「儒教」の枠内で、儒教という枠を尊重する形で、収まっているわけです。
一方の法華も、なるほど日蓮は「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と四方八方仏教各派に喧嘩を売りましたが(笑)、しかし「仏教」そのものや釈迦までは、否定しなかったわけです。「仏教」という枠は担保したまま、革命運動をしたというか。

対してイスラムは、勿論ハナから独立した宗教であって陽明学や日蓮宗のような"一派"ではないと言えばそうなんですが、そうは言っても周知の通り、所謂"旧約聖書"をユダヤ教と共有しており、またイエスもキリスト教が言うほどではないにしても偉大な先達的預言者の一人として認めているわけで、例えばそれこそ「儒教」と「仏教」のようには、完全に別の、独立した宗教でないのは確か。
だからもしユダヤ教が世界宗教化したり、あるいは儒教や仏教のように該当地域の普遍的な尊敬を集めていたり、ないしは「バイブル教」とでも言うべき一つの大きな流れや枠組みを想定した場合には、その"一派"として「イスラム教」があったとしてもおかしくなかったはずです。
・・・「イスラム派」なり浄土(経)宗ならぬ「コーラン宗」、または"日蓮"に倣って「ムハンマド宗」とか。"大ユダヤ教"なり"バイブル教"の一派としての。

実際教えの規模というか、狙いの根本性としても、そのくらいのものだと言えば最初からそうなのだと思います。陽明学や日蓮宗が、"そもそも"については孔子や釈迦が説いたことを前提として、自らは実践編応用編を担ったように、イスラム教も"天地創造についてはバイブルにお任せ"した上で、日々の生活規範社会規範を主に説いたように。
というかムハンマド自身は、少なくとも最初はそのくらいのつもりだったかもというか、その可能性が高いというか。それが色々な行きがかりで、キリスト教も含めた先輩"バイブル"宗教と決定的に決裂対立して、独立した「宗教」の地位を期せずして得てしまったというか、放り出されて独力でやって行かざるを得なくなってしまったというか。・・・"本山に破門された"とは言いませんが。(笑)

もっとざっくり言えば、イスラム教は陽明学や日蓮宗に"似てる"と言うよりも、ある一つの大きな思想の流れが、一定の期間と広がりを経た後に当然起きる"現代化""現世化"(または"現地"化)の、それぞれある種自然な形態であって、そういう意味では特段儒だから仏だからユダヤだからという、そういうことでもないと言えばそうなのかも。
・・・その文脈だと、キリスト教における所謂"プロテスタント"も、同列に並べられるかも知れませんが。

とにかく言いたいのは。
陽明学が"儒教"の枠内に、日蓮宗が"仏教"の枠内に収まっていたように、もしイスラムが"大ユダヤ(仮)"なり"バイブル"教の「枠内」の改革運動として収まってくれていたら、人類は随分、あったよりは平和な歴史を持っていたかもな、現代社会の悩みは大幅に減っていたかもなあと、そういうことです。(笑)
その喧嘩、もう少し何とかならんかったのかと。("儒教"や"仏教"のような)"ルール"ある喧嘩の枠内でも、言いたいことは言えたのではないかと。
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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
芸能人ペニオク詐欺関係まとめ(わらい)
2012年12月19日 (水) | 編集 |
記事が出た(見た)順に。


落札装い、ブログ書き込み 女性タレント (日刊)

入札のたびに手数料がかかるペニーオークションサイト「ワールドオークション」手数料詐欺事件で、有名女性タレント(35)が落札していない商品を落札したかのようにブログに書き込んでいたことが12日、京都府警の捜査関係者への取材でわかった。
捜査関係者によると、タレントは2010年のブログに、新品の空気清浄機を落札していないのに「1080円で落札した」と書き込み、ワールドオークションを利用したと宣伝していた。

発端
そしてまずはその「有名女性タレント(35)」とはいったい誰かということに興味が向くわけですが、その前に。

府警によると、ペニーオークションは入札のたびに少額の手数料がかかる。ワールドオークションのサイトは自動的に、会員の入札額を上回る入札ができるシステムが組み込まれ、会員はほとんど落札できない仕組みだった。

つまり頑張れば/運が良ければ市価より大幅に安く(例えば”1080円”)新品の売れ筋商品が手に入る可能性があると思うから会員はいちいち手数料を払って(実際はプリペイド購入のコイン)入札するのに、事実上運営側のサクラ or botしか落札出来ない仕組みになってたという”詐欺”
そこに更に、「ほら頑張れば私でも落札出来ますよ」「こんな有名人が参加しているんだから安心ですよ」という誤情報を流すのに報酬貰って加担していたという、罪・共犯ということですね。


話戻して。

「1080円で落札したの(^O^)/」――ペニオク詐欺で波紋 ほしのあきさん30万円で“ステマ”請け負う (ねとらぼ)

ほしのさんはブログで、空気清浄機の写真とともに「お友達から教えてもらったワールドオークションってサイトでお買いものしてみたょ♪」「1080円で落札したの(^O^)/」などと書き、「よかったら見てみてね♪」と、今回摘発されたサイトに読者を誘導していた。(中略)
今回のエントリはほしのさんが独自に掲載したもので、事務所側も内容については把握していなかった
(中略)
なお、記事の内容については言われたとおり書いただけで、サイトの中身については知らず、ワールドオークション側の人に会ったこともなかった。ステマについては認めつつも、詐欺と知っていてサイトへ誘導したわけではない、というスタンスだ。

「有名女性タレント(35)」の正体は、ほしのあきだったでござるという話。
三浦皇成ーーーーっ!(涙)
次の問題は、その「教え」た「お友達」とは誰がですが、それは次の記事で。


松金ようこ依頼でほしの、熊田がブログ掲載!…ペニオク詐欺事件 (報知)
嘘ブログ斡旋の松金ようこ府警に事情説明 (日刊)

タレントほしのあき(35)が13日、約2年前に自分のブログにペニーオークションで落札していない商品を落札したとうその記述をした件についてブログで謝罪した。タレント熊田曜子(30)も同時期に、うその落札をブログに掲載していたことを認めた。2人ともタレント松金ようこ(30)から依頼されたと説明している。(中略)
松金はこの日、ワールドオークション関係者を詐欺の疑いで逮捕した京都府警に事情を説明したという。所属事務所の担当者は「現在は警察との話し合い中だと聞いています。出てくる結果によっては、松金との契約を解除する可能性もあります」と話した。

松金ようこ(洋子)という名前だけで既に泣けるので、あんまり真面目に責めたりはしたくないんですが。(笑)

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松金ようこ
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タイトルが。(笑)
まあ生活大変なんだろうなという。僕も使ってあげなかったし。(笑)
一線を退いて、遣り手婆で生計を?という。(笑)
熊田曜子はまあ、何か存在自体がステマっぽい(?)ので、今更という感じ。


詐欺オク…防止策ない アメブロ運営会社 (日刊)

芸能人が、落札していない商品を落札したかのようにブログに書き込んだ件について、アメーバブログを運営するサイバーエージェントは13日、今年2月に健全化の対策をとっていたと説明した。
同社の関係者は(1)広告や商品紹介の案件は基本的に同社を通す(2)芸能事務所及び芸能人本人に、広告依頼主との関係性の明示を要請し、賛同した場合のみ掲載、という2点の内規を設けたという。
ただ、芸能人ブログも一般のブログ同様、投稿や削除は本人の自主性に任せており、友人や知人から直接依頼があった場合などについては、防止策がない“グレーゾーン”があることも認めた。

言い訳臭いですが、まあでも実際そうだろうなという。
むしろアメブロが獲得している”芸能人御用達”、それこそ”存在自体がステマ”(まあ”ステ”てない場合も多々ありますが)的な「悪評」が、この場合には”罪”を軽減することにもなるかなと。(笑)
読んでる方もそもそも分かってるだろう?という。


「ペニオク」虚偽紹介の芸能人20人以上 報酬見返りに (朝日新聞)

捜査関係者によると、ほしのさん以外にも、人気お笑いコンビの男性や、グラビアアイドル、俳優ら20人以上が、摘発されていないものを含む複数のペニーオークションのサイトで、低価格で商品を落札したとの書き込みをしていたのが確認された。多くは「低価格で落札できた。そのサイトはこちら」とサイトのリンク先を紹介していたとされる。

拡大。
まあ沢山あるんですよね、このテのサイトは。
一時ほんとに流行って、僕も無料の範囲でなら、結構遊んだことはあるんですが、その当時は特に芸能人が宣伝してるなんてことはなかったと思います。
そして早く食い付いた層が概ねからくりが分かって離れて行った後に、よりネットにライトな層を引っ張り込む為に芸能人を使うようになったと、そんな感じではないかと思います。
僕もこのニュースを初めて聞いた時は、まだそんなのやってる人いたの?と、それがまず一番の驚きでしたから。


永井大「深く反省」ペニオク紹介で謝罪 物品は返却 (報知)

インターネットのペニーオークションの手数料詐欺事件で、俳優の永井大(34)が14日、自身のブログで同オークションを利用し物品を受け取ったことを認めた。
永井は「何も考えず安易に物品を受け取ってしまった事、それをブログに掲載したことによりブログ読者の方々に多大なご迷惑をおかけする事になってしまった事を深く反省しております」と謝罪した。


永井大も謝罪「ペニーオークション」騒動で (サンスポ)

所属事務所によると、永井は10年末、飲み会の席で知人から同サイトの話を聞き、知人の携帯電話で登録してiPadを855円で落札実際に料金を支払った。その後、ブログに、自分で登録して落札したかのように掲載したという。

その”拡大”した中でよく分からないのが、このケース。
何がいけないの?これ。
つまり勘違いしてはいけない(?)のは、別に”ペニーオークション”自体が違法なわけではないんですよね。
謳われているシステムの実行・運営について、特定サイトでインチキがあったというだけで。
知人のIDだろうと落札出来たというならそのサイトは健全だったということですし、確かに”自分が登録”したと書いたこと自体は嘘ですけど、”永井大”の名前を使っていない分、むしろ「モニター」としては確度の高い情報ではないかというくらいで。(笑)
スネーク乙という。
まあ飛ばっちりが来る前に、理屈は通らなくてもとにかく先に謝っとけという、日本的な危機管理なのかなという。


1回の商品紹介で350万円? おいしい商売、タレントブログ商法 (J-CAST)

問題の背景として、ファンとの交流や情報発信を目的にした芸能人ブログが、いつのまにか広告媒体に変容してしまったことが指摘されている。タレントの「ブログ広告料金ランキング表」まで存在するというのだ。

ランキング上位はママタレが独占

1位は「今年出産した元グラビアアイドル」のY・Oと、「アイドルグループ出身のママタレ」のN・Tで定価350万円、2位は「モデル出身のタレントで2児の母」のA・H、「モデル出身のセレブタレント」のU・Kらで定価300万円――。
タレントやモデルのブログ広告の価値をランキング付けしたリスト表を報じたのは、2012年12月18日発売の写真週刊誌「フラッシュ」だ。同誌によると、この資料は広告代理店が作成したもので、今年上半期段階での順位という。
ここでの広告とは、普通の記事を装ったステルスマーケティング(ステマ)という種類の「一見、広告とは分かりにくい広告」を指す。大幅な値引きもあるとはいえ、タレントが「某社のダイエットグッズや美容品を愛用している」といったステマ記事を書くだけで、楽に稼げる実においしい商売なのだ。

結構取るのねえ。
それでも(依頼側は)ペイしてるということですが。

謝罪タレントのほぼ全員がアメーバブログ

またステマとは微妙に異なるものの、アメーバブログを運営するサイバーエージェント社によって、タレントブログ上での商品紹介はすでにオモテのビジネスとして確立されている。「Ameba芸能人・有名人ブログ記事マッチ」で、売り込みのキャッチコピーは「認知拡大、ユーザー誘引、ブランドロイヤリティの向上効果は、1つのメディアに匹敵するほど」となっている。
「芸能人・有名人ブログ記事マッチ」はアメーバブログの人気芸能人ブロガーに商品を提供してブログで紹介してもらう仕組み。掲載料はタレントによって異なるものの1記事で40万円~400万円となっている。

なるほどね。
むしろ”オモテのビジネス”として確立しているからこそ、それと誤認される可能性もある今回のようなケースは、タチが悪いと判断される可能性はあるか。
逆に”紹介”する側も、いつもサンプル品やら身内料金やらで美味しく頂いている”役得”と同種のものとして、「落札」商品をもらったりそれを宣伝してしまったと、そういう可能性もある。

いずれにしても、実際にどこまで大した事件なのか、どこまで”被害”があるのかは、謎なところもありますが。
たまたまサイト自体が詐欺で刑事で取り上げられてしまった、それとの関連で大きな問題になってしまっただけで。


こんなところで。
個人的に心当たりも少しあったので、燃えてしまいました。(笑)
なおこの件で名前が挙がった有名どころの中で、ピース綾部について取り上げていないのは、かばいたいからではなくてむしろ例えネガティヴな記事でも取り上げたくないくらい、元々嫌いだからです。(笑)
なんだかんだ女子人気は高いらしいんですが、それもステマだと信じています。(笑)


単なるメモ
2012年06月06日 (水) | 編集 |
特に目玉は無いんですが、いつの間にかクリップ記事がたまってしまったので。
機械的に古い順に。


アサヒがカルピスを買収飲料業界再編の幕開け (ダイヤモンドオンライン)

アサヒグループホールディングス(以下アサヒグループHD)が、味の素の100%子会社であるカルピスを約1000億円で買収する方向で交渉していることがわかった。
(中略)
アサヒはこれまでも、有力な飲料ブランドを買収してきた経緯がある。2010年にはハウス食品から「六甲のおいしい水」を買収し、ミネラルウォーター市場でのシェアを3%から10%に伸ばした。また同年には麦茶市場で80%のシェアを持つ「六条麦茶」をカゴメから買収。「海外のみならず、国内飲料分野においても、強いブランドや事業単位の買収により、カテゴリートップクラスの強い事業を作る」と泉谷直木・アサヒグループHD社長は言う。
両社は07年に自動販売機会社のアサヒカルピスビバレッジを設立しており、協業関係にあった。そのような経緯もあり、今回の買収交渉はアサヒグループHD側が半年ほど前に持ち込み、交渉が続いていた模様だ。


アサヒ?味の素?カルピス?
カゴメ?ハウス?
登場人物が多過ぎて、何が何やら。(笑)

まあ別に社名や資本で買ってるわけじゃないからいいっちゃいいんですけど、”アサヒ”と”カルピス”のイメージにかなりのギャップがあるので、ここは少し抵抗がある。
アサヒ”の”カルピスとか、あんま飲みたくない。不健康(ビール)なのか健康(乳酸菌)なのか。(笑)
ほぼイメージの問題ではありますが。

カルピス好きなんですよね。特にカルピスウォーターは、なぜか喘息が悪い時に和らげてくれるので。医者は納得してなかったですけど。(笑)


最終兵器、ソフトCASは有料放送を滅ぼすか (録画人間の末路)

PCでの視聴録画に限り、B-CASカードが一切不要になる、「ソフトCAS」の配布が始まった、というのです。そのうち出ると言われては来ましたが、早くも登場してしまいましたか。2ちゃんねるの該当スレッドを見ると、やはり従来のカード書き換え同様、全ての有料放送を視聴可能にするようです。しかも、ただのファイルですから一度入手してしまえばカードと違って複製は作り放題、PCとBS対応チューナーだけあれば誰でも無料視聴が可能になってしまいます。

もちろんPCでしか使えませんから数に限界はありますが、拡散能力が前とは段違いになるはずです。もはやBS/110CSを使った有料放送はのど元に刃物を突きつけられたに等しい状態でしょう。BS/110CSはタダ見だけの場所になってしまい、各有料チャンネルは撤退・・・。帯域が開いてもタダ見されるだけだとそれを確保するチャンネルも新規チャンネルも現れず。かと言って124/128だけでは顧客が集まらずに収益が上げられなくなっていきそうです。


かなり気になるけど全く詳しくないので、単に引いてみただけです。(笑)
僕自身はどうしても、PCでTVを見るのは慣れないんですけどね。変な疲れ方をするし。
動画サイトを利用してないとは言いませんが、見られない時も極力自分で録画して見るようにしています。

いずれにしても、もうそういう規模の話ではないようですね。
ついてけない僻みも含めて、どうにも技術革新地獄だなという。
逆にどうせ”次”がすぐ出て来るんだろうという感じで、いちいち追う気になれないという反応の仕方も、あると思います。


交通事故に遭った女子高生に、性的暴行を加えた男らに懲役=韓国 (サーチナ)

韓国・ソウル北部地方裁判所は24日、交通事故でけがをさせた女子高生に性的暴行を加え、特殊強姦の容疑で起訴された42歳の男と43歳の男に、それぞれ懲役10年と5年の判決を下し、10年間の個人情報公開を命じた。韓国の複数のメディアが報じた。(中略)
この事件は、2004年にソウル市水喩洞(スユドン)で発生。当時17歳だった被害者は男らの車に交通事故に遭った。男らは「けがの治療のため病院へ」と被害者を乗用車に乗車させたが、その後、車は病院へは向かわず、男らは少女に性的暴行を加えたという。


真面目な話、最近少しでもガラの悪いorマッチョな韓国人の男を見ると、こいつもやってんのかなあとつい思っちゃいます。まあ見かけの問題では、ないと思いますが。(笑)
イタリア人はナンパし、韓国人はレイプする?
とりあえず刑罰軽くないか?

まるでホラー映画、19歳女性に地獄の虐待 (サンスポ)

ボスニア・ヘルツェゴビナ北東部トゥズラのカラブラーシ村で、8年間にわたって奴隷にさせられ、「ホラー映画のような地獄の虐待」を受けていた19歳のドイツ人女性が救出された。(中略) 警察当局は、女性を奴隷にしていたボスニアの夫婦、ミレンコ・マリンコビッチ容疑者と妻のスラボイカ容疑者を監禁罪などの容疑で逮捕した。
女性は、実の母親によって夫婦の元に連れてこられ、重労働の畑仕事を強いられていた。自由を奪われた女性は外界との接触を断たれ、夜は家畜小屋に寝かせられ、ブタ餌で飢えをしのいでいた。隣人の目撃談によると、少女は馬の代わりになって重い荷車を引かせられ、その荷台にはたびたび夫婦が乗り、汗だくの少女をみて笑っていた。(中略)
母親はカラブラーシとドイツを数年ごとに往来していたが、夫婦の逮捕時はカラブラーシにいた。母親は当局の聴取に「間違ったことは何もない」などと話している。


例え何人(ジン)でもひと皮剥けば、というのは分かってますが、それにしても最後の反応とかは、なかなか日本人からは出て来ないでしょうね。
上の韓国の話とも合わせて、”とっさ””いざ”の時に、民族性や風土が見えるというか。
この件の場合は、何かしら”労働力”やその”所有””売買”についての、土地特有の慣行があったんだろうということは、想像されますが。


<法科大学院>明治学院大が募集停止 入学志願者減で (毎日新聞)

明治学院大(東京都港区)は28日、来年度から法科大学院の学生募集を停止し、在籍する学生の卒業を待って5年後をめどに廃止すると発表した。入学志願者が減少し、改善の見込みがないためとしている。
(中略)
法科大学院は04年度に設置が始まり、現在全国に74校ある。政府は10年ごろに、修了者の7~8割が司法試験に合格する目標を立てたが、11年度の合格率は平均で24%にとどまっている。入学志願者数も減少しており、文部科学省は法科大学院への補助金の支出について見直しを検討している。


そんなことに。
合格率が低いのは、教授システムの効率の問題なのか、そもそも枠がいっぱい(法律家が余ってる)のか。


杉良太郎「男子刑務所に女子職員増やしたい」 (報知)

法務省の特別矯正監を務める歌手で俳優の杉良太郎(67)が1日、東京・北の丸公園の科学技術館で行われた全国刑務所作業製品展示即売会(第54回全国矯正展)の開幕セレモニーに出席した。
デビュー前から刑務所慰問に尽力し、全国55か所を訪問してきた杉は
(中略)
また、特別矯正監としては「高齢化社会が進んでいるので、長期受刑者がホームヘルパーの資格を取って、介護士への道を開けるようにしたい」。さらに「男子刑務所が男ばかりでは精神的に良くないので、できれば女子職員も増やしたい」と訴えた。


杉さま67か。むしろもっと行ってるかと思ってた。
ふーん、そんな活動をね。それで金さんに?(笑)
いや、別に笑いどころじゃないかも知れないですけど。
最後のはどうでしょうね。別な意味で、”精神的によくない”可能性が。(笑)

ま、思い付きで断じていい話ではないでしょうが。
でも争いは、ほんと起きそうですよね。


結構書いたな。
こんなところで。


適当にニュース
2012年03月29日 (木) | 編集 |
貯めといてもしょうがないので。


ラッパーのZeebraが″中二病″の生み親・伊集院光に突撃「クソみてえな文化を助長するだけ」 (トピックニュース)

日本のヒップホップ界を牽引してきたラッパーのZeebraとお笑い芸人・伊集院光のツイッターでのやり取りがネット掲示板で話題になっている。

両者のツイートは、Zeebraが俗語である“中二病”という単語の生み親である伊集院光を名指しで批判するツイートに端を発した。

『今更知ったが、中二病って言葉伊集院光が作ったのか。余計な事しやがって。何にも本気になれない「出る杭を打つ」クソみてえな文化を助長するだけ。島国根性丸出し。』


このZeebraに発言に伊集院光本人も気づきツイッターのダイレクトメッセージ機能を使い直接2人は言葉を交わしたという。その後の2人のやり取りは直接閲覧できないがこのようにZeebraは締めくくった

『伊集院さんご本人とDMしあいましたが、番組当時は全く逆でそういった中二的行為を嘲笑うものでは無かったようです。どこからそうなったんでしょうか? 先ほどから色んな意見が来ますが、どれも定義がまちまちで…。』


この件自体は”誤解”ということで収まったようですが、僕もこの言葉は好きじゃないですね。
ほっとけ、て感じです。どの発育過程にも、それなりに意味はあるはず、というか。
定義は容易に定め難いでしょうが(笑)、一応Wiki

#思春期の少年少女にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向を小児病とからめ揶揄した俗語
#番組内でパーソナリティの伊集院光が「自分が未だ中二病に罹患している」と発言し(中略)以降は自虐の意味合いだけでなく、思春期の少年が行いがちな珍妙な言動に対する蔑称の一つとして


”小児病”自体僕は特に聞き覚えが無いので、”文字り”の意味合いが通じてなかったという。
まあ問題は、”自虐”の意味合いが取れてしまったことかなと。自分で振り返って言うのと、他人がリアルタイムで言うのとでは、大違いなわけで。
伝統的には(作家の)「若書き」なんて言葉もありますね。これは読者は案外、そっちの方が好きだったりしますが(笑)。成熟した分、面白くなるとは限らない。
これなんかはある意味で、”自分が思ってる自分と他人が思ってる自分は、どのみちいつもずれてる”という話かも知れない。

話戻して”普及”後の「中二病」も、結局はいい年してそれっぽい人を叩いてるのであって、中学二年生を嘲笑ってるわけではほとんどないというのは、実際問題言えるかも知れない。
でもなんか、嫌ですね。そういう言葉が流通していること自体。雰囲気的に、陰湿。
多分、Zeebra(知らんけど)が怒ってるのも、最終的に大人も含めての、それによる変な相互検閲的傾向についてなんでしょう。そして”言葉”の存在が、それを助長するという。


小学校の卒業文集で「人殺す」…「もし透明人間になったら」に7人が仰天回答 (報知)

岐阜県関市の市立小学校の卒業文集で「透明人間になったら何をしたいか」との質問に対し、児童7人が「人を殺す」や「強盗する」などと不適切な内容の回答を寄せていたことが27日、学校への取材で分かった。
チェックを怠り、そのまま配布した学校側は保護者の指摘を受け、文集をあわてて回収。問題の部分を差し替えて再配布したが、児童の間には不適切な“思い出”が残ってしまった。
(中略)
7人は反省している様子といい、学校は「みんな普段はおとなしくて素直な生徒」と説明。「決して本心ではなく、悪気なく、おもしろ半分で質問に答えてしまったようだ。こちらのチェックが徹底しておらず、児童や保護者にご迷惑をかけて申し訳ない。


更に年齢下って(笑)小学生。

いや、普通じゃね?本心だろ?というか。
そこに”レイプ”が入ってなかったのは小学生だからかも知れませんが、”覗き”くらいは入ってないとおかしいというか。・・・・まとめて伏せたか?
ていうかどんな回答を期待したんでしょうね。最も建設的(?)なパターンでも、”悪の親玉を殺しに行く”とか?
ま、正直に答えたのは、普通ではないかも知れません(笑)。ちょっと投げやりというか。僕は小学校の卒業文集の”将来の夢(なりたい職業)は?”という質問に、「無い」と答えたいところをぐっとこらえて、何かそれらしいことを書きましたが。(笑)
・・・・いや、「目標」はありましたけど(笑)、職業とは無関係。

とにかく何か、”大人”たちが見苦しいニュース。どっちが病気だ。


英国が「永久国債」の発行検討 財政危機乗り切るための奇策? (産経新聞)

財政再建に取り組む英国のオズボーン財務相は国債市場での資金調達コストを低く抑えるため、100年物国債か永久(無期限)国債の発行を検討している。英国で永久国債が発行されるのは第一次大戦の戦費を支払う「戦時国債」以来。年金基金など国債市場参加者の反応が良ければ新年度内に発行されるが、財政危機を乗り切るための「奇策」ともいえそうだ。(中略)
永久国債の場合、元本は返済しなくてもいいが、一定の金利を永久に払い続ける仕組み。


ふうん。パッと聞きほど、別に破滅的なニュースというわけではないんですね。一応”普通”のオプションというか。
まあ経済に疎いポンビーパンピーの感覚だと、「国債」自体、既に”永久”っぽい感じというか、何だかいつも気楽に発行してるなという感想(笑)も、無くは無いわけですが。

とにかくなんか、一瞬ギョッとしました。(笑)
ちなみに(国民)年金とかも、こんな感じでボンと元本(原資)を買って、その分の金利(?)を後でちびちび払ってもらうというような形には出来ないんですかね。払いともらいの関係が、不透明過ぎるんですよね。”毎月”訳も分からず払う、無限(無間)感が辛過ぎるというか。
逆にその”原資”分を分割で払うなら、「目標」として分かり易いし。保険料を「満額」払わないといくらとか、減点方式だと暗くていけない。


「精子ハンター」、男性ヒッチハイカーを狙う女性たち ジンバブエ (AFPBB News)

最近、ジンバブエでは美女の集団が男性旅行者を車に乗せた後、セックスを強要し精子を奪うという報道があり、タブーや宗教儀式との関連を思わせる異様な事件として受け止められている。
地元メディアによると、一連の事件の被害者は男性で、幹線道路を車でうろつく女性グループに薬を盛られたり、銃やナイフ、時にはヘビを突きつけられて脅され、性的興奮剤を投与されたうえ、何度も性行為を強要され、道路脇に放置されている。その際、女たちはコンドームに精子を「採取」しているという。
(中略)
ジンバブエ大学(University of Zimbabwe)の社会学者、ウォッチ・ルパランガンダ(Watch Ruparanganda)氏は、精子が儀式に使われ「大きなビジネスとなっている」とみている。


なんじゃそりゃ。(笑)
銃やナイフならともかく、蛇だと怖さがリアル過ぎて、勃たなくなりそうですけどね。

理由はともかく、普通に頼めば良さそうなものなのに、と思ったら。

精子ハンターの女たちが自分の恋人に精子をくれるよう頼まないのは、ジュジュに用いた精子の持ち主は悪運に見舞われるという迷信があるから


それは困るな。なんか怖いぞ。(笑)
まああんまり笑っててもあれですけどね。実際にはとても陰惨な状況でしょうし。
(男が)男に犯される”怖さ”の直接性には、及ばないとしても。


長澤奈央、セクシーボディーの秘密初公開 (報知)

女優の長澤奈央(28)がDVD「長澤奈央のラブボディ~愛されるカラダのつくり方~」(21日発売)で、セクシーボディーの秘密を初公開。タイでムエタイや「ルーシーダットン」と呼ばれるヨガに挑戦。また、簡単にできるエクササイズを長澤の解説で紹介している。
(中略)
B83・W61・H91センチのセクシーボディーだけでなく、「体の内側から、心もきれいになるコンセプトでDVDを作りました」と話している。


愛されるカラダね。こっちに手を出しましたか。

長澤奈央のラブボディ~愛されるカラダのつくり方~ [DVD]長澤奈央のラブボディ~愛されるカラダのつくり方~ [DVD]
(2012/03/21)
長澤奈央

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それにしても「B83・W61・H91」とはリアルですね。そそらないというか。
Wikiだと「B88・W57・H87」になってますが。(笑)

まあ男用女用の差ですね。しゅん。
数字に恋する僕たち。


経済ニュース?
2012年01月18日 (水) | 編集 |
新しい部屋の計画でフワフワしてますが、でもよく考えるとなかなか猫のトイレの場所は難しい。
昔どうしてたっけかなあ。
とりあえずまずは、人間用のスペースをなるべく効率的にコンパクトにすることに、努めよう。

まああんまり落ち着いちゃうと、いかな猫様でも、なかなかその生活に入って来るのは難しくなりますけどね。
ちょうどよく、もらい手を探してるのでもいない限り。あるいは猫好きの彼女でも出来るか。(笑)


「深夜営業契約は正当」 セブンイレブン加盟店側が敗訴 東京地裁 (msn産経)

判決で、福井裁判長は「深夜営業を定めたFC契約を締結した以上、義務を負うことは明らか」と指摘。加盟店側は強盗被害の危険性も主張したが、「軽視し得ないものではあるが、契約締結時から現在までに、重大な事情の変更があったとはうかがわれない」として退けた。

収納代行の業務実施要求には、「サービスが提供されなければ、FCチェーンの利便性のイメージが損なわれる」と判断し、独占禁止法で違法とされる「優越的地位の乱用」にはあたらないとした。


仕様だし、ということですね、一言で言うと。(笑)
見る限りは正当な判決に思えますが、訴えた側には何か特別な事情があったのか。勝ち目がというか。
ちょっと前に"弁当の値引き"の問題でセブンイレブン側が敗訴したので、今なら空気的に(笑)イケると思ったのか。

で、ついでに気が付いた記事。

セブンイレブンが来春、秋田県に初出店 (msn産経)

セブン-イレブン・ジャパンは1日、2012年春秋田県に初出店すると発表した。15年2月末までの3年間で約100店舗体制にする。秋田への出店で国内では40都道府県での展開になる。

秋田県南部の横手市を中心とするエリアから出店。すでに出店している岩手県内の工場や配送センターなどを活用する。12年度中に秋田市内での出店に着手する。


無かったんかい、というのが、首都圏にしか住んだことの無い人間としての、素直な感想。(笑)
確かに首都圏でも田舎の方に行くと(那須とか)、デイリーヤマザキしか無かったり、聞いたことの無いコンビニを見かけることはままありますけどね。

ただそれでも"コンビニ"ではあるわけで、別にセブンイレブンじゃなくてもいいような気はする・・・・つまり利用者側としてはあった方が楽しいだろうけど、経営側としてはそれこそ上の記事のような負担を担ってまで、引き受けたり看板代えたりするメリットがどれくらいあるのかなという。何でもあれば、近所の客は大人しく来るんではないかと。(笑)
まあ多分、店舗側の取り分を多くしたりとか、するんでしょうね、新規地域の出店に関しては。


日本の「軽」は不合理・廃止を…米自動車大手 (讀賣オンライン)

米通商代表部(USTR)は13日、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に日本が参加することに対する意見公募を締め切った。

米自動車大手3社(ビッグスリー)で組織する米自動車政策会議(AAPC)は、日本の自動車市場の閉鎖性を理由に「現時点では反対」と表明し、参入障壁となっている軽自動車規格については、「廃止すべきだ」と主張した。(中略)
AAPCは、日本独自の軽自動車規格について、「市場の30%を占めているが、もはや合理的な政策ではない」と批判した。


見出しだけ見た時は、なんちゅう独創的ないちゃもんだ、限りなく(経済的な)内政干渉じゃないかと思いましたが、そうか、TPPとのからみがあるのか。・・・・いずれにしても、"口実"だと思いますけどね。この際やってしまえという。(笑)
別に軽自動車を作れとアメリカに言っているわけじゃないんだから、何作ろうが勝手というか、単なる企業努力の範疇だと、そう答えるしかないですけど。次は小麦が売れなくなるから、米粉パンを作るなとか?(笑)(まあ実際には小麦が不足気味だから、米に目が付けられてるわけですが)

ていうかそっか、"断られる"可能性があるのか、TPPは。
その発想は無かったわ。(笑)


先生せこい! 小学校教諭が女子中学生を○円で買春 (リアルライブ)

神奈川県警港南署は10日、女子中学生に現金を渡して、わいせつな行為をしたとして児童買春・ポルノ禁止法違反の疑いで、東京都世田谷区立太子堂小学校非常勤教諭の赤木比呂章容疑者(27)を逮捕した。逮捕容疑は、昨年7月30日、神奈川県横浜市西区のホテルで、同市立中学2年の女子生徒(14)に現金を渡し、わいせつな行為をした疑い。2人はインターネットの出会い系サイトを通じて知り合ったとみられる。

ここまでは、よくある話なのだが、赤木容疑者が少女に渡した金額が問題。なんと、たった3000円だというのだ。3万円ではありません。3000円です。いまどき、中学生に渡すお年玉の相場も、そんなに安くはないだろう。


これも"経済"問題。(笑)
なんだ3000円て。どこの出会い系?・・・・いや、その。
まあ例がアレですけど、労を惜しまなければどのジャンルにも色々と抜け道や美味しい話があるもんだなと、ある意味感心しました。(笑)
それ以前に"0円"でヤッてる(主にナンパの話ね)奴も当然沢山いるわけですけど、一応別に考えた方がいいように思います。

単に相場が滅茶苦茶になってるだけかも知れないですけどね。
あるいはそのコが気が弱くて押し切られたか、そもそも売るというよりはヤル目的の方が強かったか。


気分は馬場さん?カズ「またぎフェイントは16文キック」 (スポニチ)

フットサル日本代表としてW杯(11月、タイ)出場の可能性が出てきたJ2横浜FCのFW三浦知良(44)が16日、前日15日のFリーグデビュー戦を振り返った。

鮮烈なフットサル・デビューに手応えを感じた様子で「またぎフェイントは(ジャイアント馬場の)16文キックだよね。結果に関係なく盛り上がるでしょ。(体も)切れてたし」と笑顔。


ここに入れるのは問題?(笑)
いやあ、でも商品価値分かってんなあと、感心してしまったもので。(笑)

まあ、カズ=馬場とまでは、割り切ってないでしょうけどね。
あくまで"またぎフェイント"限定。あるいは"カズダンス"か。
カズダンスに関しては、往時から既にネタというか、正味"かっこいい"ものではなかったと思いますけど(笑)。やることに意義があっただけで。稀少・先駆価値が。