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ラウンジ・ミュージック/イージー・リスニングとブリットポップ(2)
2023年08月18日 (金) | 編集 |
(1)6/9か。
関連番組の確認や長期の夏バテによる体調不良で、気が付けば2か月以上経ってしまいました。

[前回の内容]

1960年代にジャンル化された「ラウンジ・ミュージック」(国際空港や高級ホテルのラウンジでかかっているような専用のインストゥルメンタル音楽)に代表される「イージー・リスニング」ミュージックの歴史とそのロック/ポップシーンにおける再評価、特に1990年代中頃にイギリスで隆盛を極めた"ブリットポップ"はかなりの部分「ラウンジ・ミュージック」を自ら及びロック自体の隠れた原点として意識していたという(当該番組の)主張。


では続きを。


改めてラウンジ・ミュージック/イージー・リスニングとは

ラウンジ・ミュージックとその母ジャンルとしてのイージー・リスニング。
欧米ではともかくここ日本では"ラウンジ・ミュージック"自体特に馴染みがある用語ではないと思うので、ここからはほぼ"イージー・リスニング"についての話として読んでもらった方がいいと思います。

改めて"イージー・リスニング"とはというと、番組が取り上げているのは主に3種類
1.ポール・モーリア『恋はみずいろ』等の世界的大ヒットでポピュラーになった、既存ポップ曲をオーケストラ的アレンジで"イージー・リスニング"なインストゥルメンタル曲化する手法によるもの。狭義のイージー・リスニング
2.映画音楽
3.ソフト・ロック/MOR ・・・カーペンターズ等


1。世代的に"イージー・リスニング"というワードと"ポール・モーリア"は分かち難く結びついて記憶されているんですが(笑)、そういう記名性はともかく手法としては、現在でも日々ひどく馴染みのあるものですね。別に"ラウンジ"まで行かなくても、各種店舗の"BGM"として。
特にコンビニでは、最近益々馴染みのある洋邦ロック/ポップのヒット曲クラシック曲がイージー・リスニング化されたものがガンガン流れて来る機会が増えている気がして、うわあとなるというかそんなんまでするかあと苦笑させられて困るというか。(笑)
2.はそのまま。特に映画本体と切り離された形で流される時に、"イージー"感は増すかも。
3.ロック史が主題なので"カーペンターズ"なんて名前が出て来てますが、日本的に言えば"歌謡曲"とか、ロック以前のポップスとか、そもそもの有象無象全部ひっくるめたカテゴリーとして捉えた方が、いいと思います。"親や大人が(も)聴くポップ・ミュージック"というか。

・・・と、だいたいこれで、イメージは掴めたと思いますが。


"ロックの原点としてのイージー・リスニング"という主張の意味

前回(1)では60年代ロックの所謂"進化"、具体的にはサウンドやアレンジの幅の広がり"イージー・リスニング"化として表現してあって驚きましたが(笑)、ビートルズや60年代"アート・ロック"やそれを母体とした70年代ハード・ロック&プログレ等が、"イージー・リスニング"であることを主眼としてサウンドの幅を広げたとは歴史的に見てどうしても思えないので、これはまあストリングスやオーケストラ的ビッグアレンジと言った音楽要素を文脈度外視(またはイージー・リスニング寄り)で純粋抽出した時の、意外性を狙った一つの言い方でしかないかなと。

そうではなくでは(イージー・リスニングの)何が僕にも刺さるような意味で「原点」である(可能性がある)のかというと。
それは簡単に言うと、個々のミュージシャンの、「音楽体験」の問題。原体験というか。
更に言えば、それらの"盲点"の。

つまりあるミュージシャンが自分の音楽性の背景や原点について語る時、たいていは自分が少年時代に熱中したアイドルや特別な出会い方をしたインフルエンサー(?)や、自分なりの研究で改めて認識したレジェンドやクラシックの尊敬すべき点について語る訳です。
あるいはロック全体で言えば、職業作曲家による白人ポップスの箱庭的世界に飽き足らずに目を向けた、黒人ブルースのエモーションやジャズの演奏テクニックや、あるいはクラシックの複雑な曲構造や、時には白人音楽全体のオリジンとしての広義のフォーク・ミュージックや、そうしたものの"影響"が語られる訳です。
それらはそれぞれに嘘ではない訳ですが、ただ共通して言えるのは、いずれも彼らがある年齢になって音楽的に"物心"ついて後に、特定の問題意識と共に"あえて"聴いた音楽だということ。

でも当たり前過ぎてあえて言うのもあれな感じですけど、子供が意識しての自分の選択でor自分のお金で(笑)音楽を聴くようになる聴けるようになるまではには、生まれてから結構な時間が必要な訳です。そしてそれまでの間にも日々大量の音楽を、それと意識せずに聴き続けている聴き重ねている。親の好み(笑)や最大公約数的なチャートミュージックや、"子供の夢"としてはたいてい音楽より早いかもしれない"映画"の、あるいはアニメ等の子供番組の印象的な挿入/背景音楽や、それこそコンビニですが街中で流れるBGMの類や。
中には特別に"音楽"的な環境に生まれ育つ子供もいるでしょうが、ほとんどの子供にとってはそれらあえて"名前"を挙げたりは余りしないタイプの"音楽"の影響こそが、長じての推しバンドなどよりも時間的には先行している訳です。

勿論聴いたもの全てが同じように影響を与える訳ではないですし、繰り返しになりますが当たり前の事実過ぎて逆に屁理屈みたいに聴こえるかも知れませんが、つい最近も(「ミュージック・グラフィティTV」の兄弟チャンネル)ミュージック・エア『偉大なるソングライターたち』というシリーズで、"ザ・ヴァーヴ"というブリットポップの一角も担っていたらしい'90年代の有名バンドのリーダーが、自分で音楽を聴き始める前に親などから受けて"しまった"音楽的影響について割と苦々しく(笑)語っていたりしているのを見たので、当時のイギリスのミュージシャン/若者の間でそうした問題意識、そうした"陰の"原体験的なものへの注目が実際あったんだろうことはうかがえると思います。

デーモン・アルバーンは、戦前のミュージック・ホールの音楽やジョン・バリーなどの映画音楽などに、自分の原点を見出した。ディヴァイン・コメディはオーケストラを配したポップスやマイケル・ケインが主演した映画の音楽に、ルーツを見出した。

(1)より

ここらへんは、もう少しポジティブなニュアンスですけどね。デーモン(ブリットポップの代表バンド"Blur"のリーダー)もディヴァイン・コメディの人(Neil Hannon)もかなり音楽的な育ち方をしているようなので、そこらへんで違いが出るのかも。

・・・ここらで一回まとめると、イージー・リスニングが"ロックの"原点であるとはさすがにストレートには言えないと思いますが、ただロック・"ミュージシャン"の原点として、原体験の物理的に大きな一部として、イージー・リスニング的な音楽が存在するだろうことは、それ自体は明らかと言えば明らかな訳ですね。
言われてみれば、ですが。そんなところまで、普通は目配りしませんが。
それがまあ、"ロックの原点としてのイージー・リスニング"(の可能性)の、とりあえずの意味。


ブリットポップがイージー・リスニングを"原点"として認めることの意味 ~ロックを"諦めて"しまったロック?

以上、番組の論旨を僕なりに頑張って代弁してみましたが、一応筋は通っていてもどうも釈然としないというのが、大多数の人の感想ではないかと思います。(笑)
だってロックですからね。むしろ"イージー"に"リスニング"されないような音を出すのが大目標みたいなところがある(笑)ジャンルなのに、その原点がイージー・リスニングだなんて、論理的可能性としてもそんな馬鹿なという感じ。あるいは所謂イージー・リスニングであろうとなかろうと、親世代や世間が(垂れ)流す音楽への不満や反抗を契機にそれとは違う音を出すというのが、ロックやそれ以降の若者世代発のポップ・ミュージックの、基本的な姿勢の筈。

前者はある程度"趣味"の問題かもしれませんが後者は多分重要で、どんなに広義に影響を受けてはいても、ロック的ポップ・ミュージックがそう簡単に(ここで言うところの)"イージー・リスニング"を原点とは認められない構造的理由だと思います。
反抗云々は置いておくとしても(笑)、ある程度以上意識的に選択した影響源を組み上げて"あるべき"だと思う音楽の姿を意思的にシーンにぶつけるというのが、ロック的ポップミュージックのほとんど有史以来やり続けて来たことで、上ではブルースやジャズやクラシック(やフォーク)という"影響"源を挙げましたが、その後もソウルやレゲエやアフリカ音楽や、あるいは電子音楽/楽器やダンス/クラブミュージックなど様々に影響源を刷新しつつも、そういう意味でのアプローチは大きく変わりは無かったと思います。

今回"イージー・リスニング"として総称されている音楽要素のどれかを、改めて解釈して"影響"源としてロック的ポップ・ミュージックに組み込むこと自体は可能ですし実際にやっている人もシーンを見渡せばそれなりにいると思いますが、そうした意識的作業抜きの"イージー・リスニング"というのはやはり何というか、同じ「音楽」という名前の元にはあっても枠外要素というか、影響と言っても影響"以前"の影響というか。スタート地点にも立っていない。選択肢として土俵に乗っていない。担ってる人たちだって、ロック・シーンに影響を与えたり音楽性を競ったりすることなんて、基本的には考えもしていない筈。それぞれ別世界の出来事。

だから番組(の筆者)が言うようにブリットポップが自分たちの影響源として、イージー・リスニングという雑多な日常的自然的"音楽"を名指ししているのならば、それは結構本当に新しい、単に最新流行ということではなく、ロックの枠組みを"後ろ"方向に(笑)広げたというかスタートラインを思い切り引き"下げた"というか、そういうインパクトはあると思います。少なくとも僕は、読んでいてゲッと思いました。そんなところまで問題にしないといけないの?そんなものと競争しないといけないの?その発想は無かったわあ。
発想は無かったけど、それは新たな次元が開けるワクワク感というよりも(笑)、ぶっちゃけ過ぎてそもそもの枠組みの存立自体が危うくなるような不安感。

ある意味ロック(的ポップ・ミュージック)の"敗北宣言"みたいにも見えるんですよね。"特別"や"非日常"や"新しさ"を追求して来た売り物にして来た音楽文化が、匿名的な職人的"音楽"の、正直ではあるけれど安易でもある通俗/日常そのものの"気持ち良さ"にわざわざ道を空けてしまっている。音楽なんてそれだけのものだと、言ってしまっている感じ。
"言って"いるのが職人側でも業界側でもなく、"新進気鋭"の筈の若手(ブリットポップ)ミュージシャンたちなだけにね。「わざわざ」感は強いですね。極端に言えば、もう"若者の"音楽や"新しい"音楽自体要らないと。
パンクのスローガンが「ロックは死んだ」だとすれば、ブリットポップのそれは、「ロックは溶けた」?(笑)

まああくまでこの番組の論ではということで、ブリットポップをずばりこういう文脈で語っているものは、文章でもドキュメンタリーでも他に見たことが無いので、そこら辺は注意して欲しいですけど。ただブリットポップ系ミュージシャンたちがラウンジパーティー("ブロウ・アップ")に足繫く通っていたなどというくだりは満更嘘とも思えないですし、むしろ"他の"論の方が研究不足である可能性の方が高いと思います。いつもいつも"イギリス独自のセンス"というだけの説明じゃね。
こうしたブリットポップが立脚しているらしい"非ロック的"なスタンスが純音楽的には何を意味しているのか、それはより広い歴史的視野の中ではどういうことである可能性があるのかみたいな話は、また次回にしたいと思います。既に論理構成の難航が頭の中で予感ビンビンなので(笑)、一遍にやるのは気力的に厳しい。


(余談)ヒップホップ/サンプリング・ミュージックの場合

番組中でこういう話があった訳ではなくて、純粋に僕の連想。

こうした"影響"の選別が問題になる時に、"サンプリング"という形で正に「影響」を引用することが重要な表現手段になっているヒップホップの場合はどうなんだろうと、ついでに考える人もいると思います。
結論的に言うと、そこらへんは意外と自由というか、融通が利くジャンルなのではないかなと。
つまり影響を"スタイル"としていちいち昇華してぶつけなくてはならない(という言い方も変ですけど(笑))ロック等に対して、そういう部分はそういう部分として別にあるかもしれませんが、とりあえずサンプリングという形で影響を直接引用出来る形態の音楽の場合は、重大な影響は重大なように軽い影響は軽い影響のように(笑)、サンプリングの仕方自体で無理なく濃淡が出せるので、逆にどんなソースもどんと来いで、ロックや他の一般ブラックミュージック程そこらへん神経質になる必要は無いのではないかなと。

上で出て来た『偉大なるソングライターたち』シリーズには、伝説的ヒップホップ・グループ"パブリック・エナミー"のリーダーのチャックD編なんかもあるんですが、その中でチャックDが影響を受けた音楽、子供の頃聴いていた音楽として、様々な黒人音楽と共に「アイアン・メイデン」(イギリスのヘヴィ・メタルバンド)や「ピーター・ポール&マリー」(アメリカのフォーク・グループ)の名前を、それもごくすらすらという感じで挙げていて、意外の念に打たれると共に随分自由だなあと感じました。

Chuck_D

なかなかヒップホップ以外のジャンルの黒人ミュージシャンには、挙げづらい名前なんじゃないかと思いますね。基本的に音楽においては"黒人が上、白人が下"というのが彼らのスタンスですし、マイケル・ジャクソンのビートルズ好きくらいなら例外×例外みたいな感じで誰も特に文句は言わないでしょうが(笑)、メイデンやPPMは到底そんな"公認"の名前ではないですし、それぞれに「白人音楽」の極みみたいな音だと思いますし、うっかり口に出すと馬鹿にされるか裏切り者扱いでもされかねないような名前かと。
ただヒップホップなら、あらゆる音楽資源は基本的に平等に"利用"対象ですし、仮に引用(サンプリング)した時は上でも言ったようにその引用の仕方で、直に自分のスタンスの説明が出来ますし、色々垣根は低いのではないかなあと。
まあ話してるのを見てると、チャックD個人も、凄くオープンマインドな人には見えましたが。
ちなみにパブリック・エナミーの音を聴いていて、"アイアン・メイデン"を感じることは特に無いですが(笑)、"フォーク"を感じることは実はあります。何か独特の繊細さが。白人的というか。攻撃的黒人的な音の中に。("政治性"とかは・・・どうなんでしょうね。アメリカン・フォーク得意のそれと、関係があるのか無いのか)


そんなこんな。
一応続きも書く予定。(笑)


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ラウンジ・ミュージック/イージー・リスニングとブリットポップ(1)
2023年06月09日 (金) | 編集 |
いつにも増して誰が/どのくらいの人が興味を持つ内容なのか見当がつかない感じですが、「伝えたい感動がある。だから伝える!」精神でいつも通り書きたいと思います。(そういう方針だったらしい)

スカパーでしか見られないっぽいんですが「ミュージック・グラフィティTV」というチャンネル

music_grafiti_tv

があって、簡単に言うと古今洋邦のあらゆるポピュラー・ミュージック(ほぼクラシックとジャズ以外の全て)を、テーマ別年代別アーティスト別様々なアングルで取り上げて、それにちなんだ風物やジャケットの静止画像(!)をバックに実際に音を流しながらひたすら字幕で解説して行くというそういうチャンネル。固定枠として「洋モノ」(海外音楽全般)「〇〇s POP/ROCK」「〇〇s ニュー・ミュージック」(〇〇にはそれぞれの年代が入る)「フォーク大百科」などがあり、その他個々の有名アーティストのバイオ「紙ジャケ天国!」シリーズや、たまに例えば「シティ・ポップ」だけを特別に紹介したりすることもあります。
"PV"とかではなくて静止画背景の簡素な絵作りで一見すると"環境ビデオ"っぽいんですけど、誰が書いてるのか(クレジットなし)字幕解説の内容は毎回マニアック/詳細で僕自身知らないことばかりで、題材にもよりますが基本食い入るように僕は見ています。比較対象は"MTV"ではなくて、むしろ"放送大学"というイメージ。BGMつきの放送大学というか。(でも"講義"は講師のつたない喋りじゃなく字幕なので放送大学より見易い)

その中でも特に面白くて録画してしまった(再放送は無限にやってるので見逃しても安心)、ロックの歴史観やアイデンティティに関して意表を突いた示唆を与えてくれて特に所謂"ブリットポップ"と言われる1990年代のイギリスのムーヴメント(内容は後述)についての僕の長年の疑問の解答になっている感じの回(具体的には"洋モノ"#37 ラウンジ・ミュージックの回)を、今回は紹介したいと思います。
ほとんどの内容が僕にも初耳だったので、"解説"とか"考察"とかえらそうなことをする前にまず読者と対等な立場での情報共有をすべきだと思ったので、直接関連する前半分部分を先に全文書き出し(字幕なので簡単(笑))して、そこに予備知識的な注をつけたものを(1)では。

尚過去に"ブリットポップ"関係のドキュメンタリーは複数見てますし、今回改めて検索でネットに上がってる文章もひと通りチェックしましたが、この番組のようなアングルで語られているものは他に見当たらなくて、一般性については疑問もありますが逆に紹介する価値も確実にあるだろうと、そういう感じです。信憑性についてはまあ、各々判断してもらうとして。(これだけ語るならさすがにクレジット欲しいなとは思いますが)

では行きます。60分番組の前半部分。(結構放送枠きつきつにいつも制作されている)
小見出しは僕が付けたもの。
画像の背景の曲名はその時流れているもので、その他のキャプションは"背景"として使われている事物(今回の場合は車)についてのもの。


「軽音楽」と「イージー・リスニング」(1) 定義 (1930年代~)

RoungeMusic1

日本で「軽音楽」と呼ばれている音楽の中には、イージー・リスニング・ミュージックを指す場合と、クラシック音楽以外の大衆的な音楽全般を指す場合とがある。

はじめて軽音楽という言葉が登場したのは、1938年のNHKラジオだといわれている。
当時はクラシック音楽以外の大衆音楽を軽音楽と呼んでいたという。当時考えられていた軽音楽の定義は、現在における「ポップス」とほぼ同義だったと考えられる。その中にはジャズ、シャンソン、タンゴ、ハワイアン、カンツォーネから、イージー・リスニングから映画音楽にいたるまで、クラシック音楽以外の流行歌はすべて含まれていた。
高校や大学のクラブ活動でも、クラシックやブラスバンド以外のポップス演奏を目的とするクラブのほとんどは、軽音楽部と呼ばれている。
ラジオ番組「軽音楽をあなたに」は、1970~80年代にNHKFMの夕方4時台~6時台ころ放送されていた。洋楽アーティストを中心に、毎回1アーティストを中心にして放送、FMラジオ全盛期を支えた音楽番組のひとつだった。

随分古風な番組タイトルですけど、80年代までやってたんですね。


「軽音楽」と「イージー・リスニング」(2) "イージー・リスニング"の台頭 (1950~60年代)

RoungeMusic2

60年代には映画音楽やラテン音楽、イージー・リスニングも、軽音楽の花形だった。
マントバーニ・オーケストラによる「シャルメーヌ」、ビリー・ヴォーン楽団による「波路はるかに」や「峠の幌馬車」など、オーディオ・セットが普及しはじめた1950年代ごろから、イージー・リスニングのヒット曲が生まれ始めた。
1968年にはポール・モーリアが「恋はみずいろ」を大ヒットさせ、イージー・リスニングは世界中で浸透していった。

なるほど、オーディオ・セットの普及は1950年代か。
「恋はみずいろ」はさすがに誰でも一度は聴いたことがありますね。(YouTube)
「みずいろ」はひらがななんかいと一瞬思いましたが、むしろそっちが正式表記のよう。(Wiki)


「ラウンジ・ミュージック」の誕生 (1960年代)

RoungeMusic3

1960年代初頭、世界各国で航空会社が運行をスタート、同時に世界各国で国際線を持つ空港が誕生した。
世界各地では国際的な旅客をもてなすホテルも作られた。空港やホテルには、旅客を快適にもてなすための、ラウンジ・ルームが作られた。空港やホテルのラウンジ・ルームには、リラックスできる心地良い音楽がBGMに流れていた。ラウンジで主に流れていたイージー・リスニングは、後にラウンジ・ミュージックとも呼ばれるようになった。

国際空港や高級ホテルの"ラウンジ"ルームの誕生と共にそこで流される音楽(の需要)は生まれたが、"ラウンジ・ミュージック"という概念/呼称自体は再評価時の後付けのもの。
そもそもそうしたラウンジ・ルームに音楽的に"影響を受ける"程年中滞在するような人が沢山いるとは思えない(笑)ので、ラウンジで"流された"というよりラウンジで流れている"ような"音楽というそういうくくりでしょうね。(Wiki)もそんな感じですけど。
ただ逆に大抵の人には華やかで特別な経験ではあるので、"あの感じ"で意外と比喩としては通用するんだろうと思いますが。それこそ実際はドラマでしか見たことが無かったとしても。


ラウンジ・ミュージックの再評価 (1990年代)

RoungeMusic4

90年代にはラウンジ・ミュージック再評価に伴い、ラウンジ・ミュージックを専門に発掘、プレイするDJも登場した。
イギリスのDJチームカーミンスキー・エクスペリエンスは、96年にコンピレーション「Inflight Entertainment」を発表、ドイツのベルト・ケンプフェルトやイギリスのジョン・シュローダーなど、ヨーロッパを中心としたグルーヴィーなイージー・リスニングを発掘した。レア・グルーヴ・ムーブメントの発祥の地イギリスでは、レコードの発掘が日常的に行われていたこともあり、ラウンジ・ミュージックに関してもクラブ・シーンが発達、ストーンズやビートルズのカヴァーを多くレパートリーにしたパラフィン・ジャック・フラッシュや、「追撃者」などのサントラでも知られるロイ・バット、イギリスでモータウンレコードを配給したプロデューサーなどさまざまな顔を持つ作曲家ジョン・シュローダー、キンクスの頭領と同名のサックス奏者レイ・デイヴィスなど、続々とイギリス産のラウンジ・ミュージックが掘り起こされた。

"レア・グルーヴ"(ムーブメント)
1980年代後半に、音楽ジャーナリズムやディスコ、クラブを中心に注目されるようになった。インターネットが登場する以前は、見つけ難い音楽という意味合いもあった。
過去の音楽を後年の価値観で捉え直す際、当時には評価されなかった楽曲の価値が新たに見出される場合がある。その楽曲は、新しい音楽シーンにおいては、音楽面において珍しく入手可能性の面でも希少価値がある。このように、新時代の価値観で「踊れる、ファンキーである、グルーブ感がある」として発掘され、再評価を受けた過去の楽曲を、レア・グルーヴと呼んでいる。(Wiki)

カーミンスキー・エクスペリエンスだけではなく、ラウンジ・ミュージックのクラブで活躍するDJたちが、自身が発掘した音楽を紹介するコンピレーション・アルバムを競い合うよう続々とリリースした。フレックス・ロンバード、ニック・ハリウッドなどのDJは、Le Club Mでのラウンジ・ミュージックのパーティクラブモンテプルチアーノを主宰しながら、「Bongo Beach!」シリーズや「Showgirls&Sugardaddies」などクラブで人気の高い曲を集めて、コンピレーションCDを発売している。クラブモンテプルチアーノのDJの一人、レモンも、個人名義でコンピレーション・アルバムを発表している。
数あるラウンジ・ミュージックの編集盤の中でも草分け的な存在が、96年にイギリスで発売された2枚組LP「The Sound Gallery」。アラン・ホークショウ、アラン・パーカー、キース・マンスフィールドなどのイージー・リスニングが収録されていた。この「The Sound Gallery」がブームの火付け役となった。




"音楽"としてのイージー・リスニング

RoungeMusic5

イージー・リスニングと呼ばれる音楽の多くは、職業作曲家による緻密な作曲や編曲がほどこされ、実力ある演奏者が在籍する楽団によって演奏された。

それゆえの後の再評価。(の余地)
特に後者の部分が、改めて聴いた時の"不朽""普遍"の価値を、後年のロック・リスナーにも届けるんだと思います。僕も今回聴いてて"これやばっ"という瞬間が何度もありました。


ロックンロール/ロックの"イージー・リスニング"化 (1960年代~)

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イージー・リスニングが注目されはじめた60年代には、ポップス界でも似たような動きが生まれていた。
1950年代半ばに粗野なイメージで生まれたロックンロールは、コーラス・ハーモニーを生かしたフォーク・ミュージックや、職業作曲家の手によるポップスの影響を受けて、ドリーミーなサウンドが作られるようになった。
60年代後期になるとロックは政治的な色彩を帯び、反戦や反体制のメッセージを打ち出すようになった。そんな中で純粋に音楽としてのクオリティを求めたロックは、既存のポップスにもロックにも分類できない存在として、MOR~ミドル・オブ・ザ・ロードと呼ばれるようになった。カーペンターズやクリス・モンテスなどMORと呼ばれたサウンドは、後に日本でソフト・ロックと呼ばれて再評価されたものが多い。

60年代のロックの所謂"進化"を、"イージー・リスニング"化という概念でくくるとは。(笑)
確かにメロディ豊かに、アレンジ華やかに多彩に、"聴き易く"なったとは言える訳ですけど。リトル・リチャードやらジェリー・リー・ルイスみたいな、獰猛な"本能の叫び"50年代ロックンロールとの比較において。(プレスリーはまた少し違うかも知れません)
・・・ビートルズから"ジョン・レノン"要素を引いたら、と考えると、分かり易いかもしれません。ポール・マッカートニーとジョージ・マーティンによる"イージー・リスニング"が、そこには現れるのかもしれない。

"MOR~ミドル・オブ・ザ・ロード"
日本語Wikiだと"イージー・リスニング"と区別されてないようなので、英語Wikiから。
「ミドル・オブ・ザ・ロード (頭字語 MOR としても知られる) は、商業ラジオの形式であり、ポピュラー音楽のジャンルです。この用語に関連する音楽は非常にメロディックで、ボーカルハーモニーと軽いオーケストラアレンジメントのテクニックが使用されています。 このフォーマットは最終的に、ソフト・アダルト・コンテンポラリーとしてブランド名を変更されました。」(google翻訳)
 カーペンターズ "(They Long to Be) Close to You"(1970)、"Top of the World"(1973)
 クリス・モンテス "Nothing To Hide"(1968)
クリス・モンテスって僕初めて聴きましたけど、これカーペンターズと同じカテゴリーでいいのかな?(笑)。カーペンターズは曲にもよりますが、ほぼ"ロック"の耳で聴けますけど、こちらは・・・。


イージー・リスニングとロック(シーン)

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MORやイージー・リスニングが注目された60年代後期や70年代は、ビートルズの台頭にはじまり、フラワームーヴメントなどロックのシーンにおいても革命的な時代であった。MORやイージー・リスニングは、既存の社会規範への反抗を打ち出すロックのリスナーにとって反抗すべき対象、仮想敵と看做されることもあったが、90年代以降、ロックのミュージシャンやリスナーによって、MORやイージー・リスニングは再評価されはじめた。

"ラウンジ・ミュージック"というくくり/ラベルだと"90年代以降"ということになるのかも知れませんが、実際にはもっと早くそういう動き自体は見出せそうですね。特に日本の場合は日本語ロックの草創期('70年代)から、既にそういう要素が濃い目に・・・という話は後編で。


・・・ここからが、あえて言えば本題。


ロックの「原点」の見直し ~「原点」としてのイージー・リスニング (1990年代)

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70年代のパンク・ムーヴメントや80年代のニュー・ウェーヴ、90年代のオルタナティヴ・ロックのムーヴメントを経て、ロック・シーンは次第に新しい展開を見出すことが出来なくなった。やがて進化することが困難になったロックの表現者の中から、自分たちの原点となる立ち位置を改めて見直したり、書き替える機運が盛り上がっていった。先鋭的なロック・ミュージシャンたちは、ロックのスタート地点をチャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーなどワイルドなロックンロールとする呪縛から解き放たれていった。

行き詰った"から"原点を見直したという繋がりは、よくある批評的な話法でどこまでまともに受け取っていいのかというところはなくはないですが。
別に解説者の見方を批判したい訳ではなくて、ここで見るべきはほとんど40年来伝統として受け入れられていたロックの"原点"についての概念に、新たな可能性/選択肢が見られるようになったらしいというそのことそのものだと、それが言いたいこと。
動機やきっかけが何だったかは、一応別の話として。


"ブリットポップ"と原点見直し運動

RoungeMusic9

90年代半ばにイギリスで盛り上がったブリットポップも、立ち位置の見直し運動のひとつとして捉えることができる。
デーモン・アルバーンは、戦前のミュージック・ホールの音楽やジョン・バリーなどの映画音楽などに、自分の原点を見出した。ディヴァイン・コメディはオーケストラを配したポップスやマイケル・ケインが主演した映画の音楽に、ルーツを見出した。

"ブリットポップ"(ムーブメント)
1990年代ロンドンやマンチェスターを中心に発生したイギリスのポピュラー音楽ムーブメント
・90年代初頭のイギリスでは、ハッピー・マンデーズやストーン・ローゼズなどを中心としたマッドチェスターが次第に終息に向かい、ニルヴァーナを筆頭とするグランジ・ロックが流行し始める。これにより、アメリカ中心のバンドがチャートの上位を賑わしていたことから、しばしイギリスのロックは再び停滞気味になっていた。
・(ニルヴァーナのカート・コバーンの自殺による)グランジ・ブームの終焉によって開いた穴を埋める、ブリットポップという言葉を生み出すきっかけとなったのが、ブラーの3rdアルバム「パークライフ」のイギリスでの大ヒットと、オアシスのデビューだった。ロック・ファンが本来のイギリスらしいロックの原点回帰を望んでいた中で登場し、脚光を浴びたのがブラーとオアシスだった。
・いつしか「ブリットポップ」なる言葉が誕生することとなった。多くのレコード会社は、新人バンドを次々とデビューさせた。それが翌年のブリットポップ・ブームの到来へと繋がっていった。
・ブリットポップ・ブームは社会現象と化し、メディアは音楽のみならず、ファッション、芸術などイギリスのポップカルチャーの特集を組み、商業主義の「クール・ブリタニア」と呼ばれるこれらの状況を指す用語が登場し、広く用いられるようになった。

・・・というのが、諸説ある中Wikiから抜き出してみた定義というか、ムーブメントの一応の外形。
"デーモン・アルバーン"はこのブームの中心バンド"ブラー"のヴォーカル。
"ディヴァイン・コメディ"は僕も初めて聴く名前で、Wikiを見て下さいとしかとりあえず言えません。(今見たら図書館で借りれるようだから聴いてみよう)
この時期を経験していない若い人や、興味なく見ていたろう大部分の年配者(笑)にとっては、一にも二にも"オアシス"の存在が、ブーム自体の認知の元だろうと思いますが、実は今回の解説にはオアシスの名前は一度も挙がっていません。それがどこまで意図的なものなのかは分かりませんが、とりあえずオアシスを除いては最も有名なブラーの1994年の代表曲"Girls & Boys"を。



・・・まあこれだけ見て初見で何が分かる訳でもないだろうとは思いますが。一応イメージ。
注に戻って"ミュージック・ホール"とは、「19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで盛んに行われた大衆芸能,またそれを上演する場所。18世紀にパブで客をもてなすために歌を歌ったりしたのが起源で,しだいに複雑化した。」(コトバンク)
"ジョン・バリー"は007シリーズなどで知られる映画音楽家。(Wiki)


ブリットポップと「ラウンジ・ミュージック」シーン

RoungeMusic10

事実、ブリットポップとラウンジ・ミュージックとは、密接な関係があった。ブラーやパルプ、スウェード、ステレオラブのメンバーたちは、ラウンジ・シーンで重要なパーティ「ブロウ・アップ」の常連だった。
「ブロウ・アップ」はカムデンのパブ「The Laurel Tree Pub」で93年にDJのポール・タンキンがスタートさせたパーティ。行列が出来るほどの人気のパーティとなった「ブロウ・アップ」は、96年には会場を人気クラブ「Wag Club」に移した。「ブロウ・アップ」ではモッド・ミュージックを中心に、インディ・ポップ、ノーザン・ソウルなどがプレイされていた。パーティのラウンジ・フロア"Jet Set Floor"では、当時ロンドンに在住していた池田正典(マンスフィールド)、カーミンスキー・エクスペリエンス、マーティン・グリーンなど、名うてのラウンジ・ミュージックのDJたちがプレイしていた。「ブロウ・アップ」のDJたちは、ブラーやパルプなどブリットポップのバンドの会場でもDJを務めた。
ブリットポップとラウンジ・ミュージックは、共に刺激し合いながら発展した。やがてマイク・フラワーズ・ポップスのように、ラウンジ・ミュージックを演奏するユニットも登場、ブリットポップ・シーンの中で活躍した。

"モッド・ミュージック"は"モッズ"のモッドなのか、ちょうどこの時代に盛んだったらしい音楽ファイルの"MOD"のことなのか、どっちでもあり得るように見えるので正直分かりません。(多分前者)
"ノーザン・ソウル"は主にイングランドの北部で流行っていたソウル・ミュージックの形態。(参考)
とにかくブリットポップとラウンジ・ミュージック(再評価運動)との間には、人的交流含めて密接で具体的繋がりがあったと。


エルヴィス・コステロとイージー・リスニング (1970年代後半)

RoungeMusic11

ブリットポップのムーヴメントが起こるはるか以前から、ラウンジ・ミュージックにまったく偏見を持たず、むしろロックンロールと等価に接していた音楽家もいた。
70年代後半にニューウェーヴ・シーンの中から登場したエルヴィス・コステロは、後にMORの代表的な音楽家バート・バカラックと競演している。"歩く音楽百科事典"とも呼ばれ幅広い音楽に造詣の深いエルヴィスは、戦前~戦中のミュージック・ホールの音楽にも詳しかった。トランペット奏者でもあるエルヴィスの父ロス・マクマナスは、イージー・リスニング楽団ジョー・ロス&ヒズ・オーケストラでも活躍した。「She」などバラードを歌うエルヴィス・コステロの歌には、ジョー・ロスの楽団が演奏を務めたヴェラ・リンなど1940年代の歌手の演奏や歌からの影響が窺える。

確かにコステロのロックンロール(または激しい曲)って、凄く"相対的"に聴こえるんですよね。盛り上がってるようで別に盛り上がってないというか。音楽の一要素として淡々と演じてるというか。
この項はまあ、上で言った(イージー・リスニングの)"再評価は90年代より以前から始まっている筈"という話の、やや特殊属人的ではありますが例示ではありますね。だいたい"始まった"のが90年代では、(それを基にした)ブリットポップを作り上げるも無い訳で。


・・・舞台をアメリカに移して。


アメリカにおけるラウンジ・ミュージック再評価 (1990年代)

RoungeMusic12

イギリスでブリットポップが盛り上がっていた1990年代中ごろから、アメリカ合衆国でもラウンジ・ミュージックは再評価されていた。グランジ・ミュージックの聖地だったサブポップ・レーベルは、ラウンジ・ミュージックを演奏する新世代バンド、コンバスティブル・エディソンをリリースした。
1990年代に入ったころからアメリカ合衆国のシカゴでも、ロックの立ち位置を見直すアーティストが増殖していた。90年に1st「Hip Hop Hoorey!」を発表したしたカクテルズは、ジャズやワルツ・ジャズを基調としたゆるいサウンドを提示。コンバスティブル・エディソンやカクテルズの台頭を受けて、メディアは当時の風潮を、「グランジからラウンジへ」と表現した。

へえ、サブポップが。ほんとグランジのイメージしか無い会社ですけど。
こういうのを見ると確かにこの時期「ラウンジ・ミュージック」(イージー・リスニング)がポップ/ロックの主流に影響を与えていたんだなということが実感出来ますし、この人のいう"ロックの立ち位置を見直す"動きも、実在したのかなと思えて来ますね。
「グランジからラウンジへ」上手過ぎるだろ(笑)。初めて聞いたけど。
めっちゃ説得されたくなる。(笑)


ここまでが約半分で、この後はアメリカや世界各国におけるラウンジ・ミュージックの再評価やポップ化や新たな展開について語られますが、僕の関心からは離れるので割愛。
今回提示・説明した内容を踏まえて、次回は結局僕が何に関心を持っているのか何に感動したのか、そもそも"ロックの原点がラウンジ・ミュージック"とはどういうことなのか、そういうことについて話をする予定。

余り内容は無いですが、一応"ラウンジ・ミュージック"のWiki
今回の解説者とどの程度観点が重なるかは分かりませんが、ラウンジ・ミュージックの熱心なファンらしい方のブログ記事はこちら。・・・「ラウンジ・ミュージックとは?」(SOSEGON魂)
(あ、ラウンジって"L"だったのか、ずっとファイル名を"R"にしてた。もう遅い。笑)
僕にはまだ選びようが無かった"ラウンジ・ミュージック"のブログ主さんの思う代表曲も、こちらでは聴けます。


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『サウンドブレイキング レコーディングの神秘』紹介
2021年05月19日 (水) | 編集 |
Soundbreaking


"録音"(レコーディング)芸術としてのポップミュージックの全史的研究ドキュメンタリー。全8回
WOWOWでやっていたのを録画しておいたのを見たら、期待通り面白かった。
残念ながらWOWOWオンデマンドには収納されていませんが、DVDとしては普通に売られているようなので紹介。ロックを筆頭とするポップミュージックが好きな人には、断然お勧めしたい興味深い内容。ビートルズのプロデューサーとして知られるジョージ・マーティンが全体の監修を務め、有名ミュージシャンたちも多数出演。特にクラプトンとジェフ・ベックが見たことが無いようなリラックスした出方をしていて、そこらへんはジョージ・マーティンの威光なのかなと。(笑)
原題"Soundbreaking: Stories from the Cutting Edge of Recorded Music"2016年制作。


"要約"・・・はかなり厄介そうなので、全8回それぞれのパートで印象に残った"トリビア""逸話"的エピソードを紹介することで、布教の用を果たすことにします。
面白そうだなというのが伝われば、それで。


#1 レコード・プロデューサー "The Art of Recording"

・ストーンズのプロデューサーとして招かれた('94『ヴードゥー・ラウンジ』?)ドン・ウォズは いきなりミック・ジャガーからはプロデューサーの必要性を、キース・リチャーズからは"不"必要性を滾々と説かれて困った。
・ジョージ・マーティンがビートルズの"Eleanor Rigby"(『リボルバー』['66]収録)のストリングス・アレンジの参考にしたのは、ヒッチコック『サイコ』['60]の劇中音楽のイメージ。
・'70年代、ジョニ・ミッチェルらの女性シンガーソングライターとスティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイなどの黒人ミュージシャンが、ほぼ同時にセルフ・プロデュース型のレコーディング・プロデュースを模索し始めた。(被差別階層ゆえの自己主張の必要性という視点?[アト])


#2 マルチトラック・レコーディング "Painting with Sound"

・ビートルズの『サージェント・ペパーズ』['67]



を聴いて、この先どうすりゃいいと不安が募った。(ロジャー・ダルトリー/ザ・フー)
・その"サージェント・ペパーズ"レコーディング時、スタジオには科学者や電気技師がゴロゴロいて奇妙な風景だった。(リンゴ・スター/ビートルズ)
ボストン(ヴォーカル以外トム・ショルツが全ての楽器を弾いて自宅の地下室の機材で一人で作り上げたアルバム



'76年にレコードデビュー)が"バンド"でないことに、レコード会社も含め当時誰も気が付かなかった。(トム・ショルツ)
・マルチトラック・レコーディングの発明者は、ギターで有名なあのレス・ポール。('50年代)
・そのレス・ポールが自分の妻のヴォーカルをマルチトラック・レコーディングして作った曲を、母親には(いくつもの声が聴こえるけれど)「本当は一人で歌っている、いかさまだから聴くな」と言われた。(ジェフ・ベック)
・磁気テープ(レコーディング)が発明されるまでは、レコード原盤への一発録音。
・ビートルズ"Tomorrow Never Knows"('66『リボルバー』収録)でジョン・レノンが表現しようとしたのは、チベット「死者の書」の世界。
・ビートルズがツアーをやめた理由は、一つには歓声でもう他のメンバーの演奏が聴こえなくなって、単純に続行不可能になったから。
・ビートルズ"A Day in the Life"('67『サージェント・ペパーズ収録』)のオーケストラ部分の録音時に、ジョージ・マーティンは楽団員に他のメンバーの音を聴くなと指示した。


#3 ヴォーカル "The Human Instrument"

電気マイクの発明によって、歌手たちは(録音時に)大きな声で歌う必要が無くなり、細かい情感を伝えられるようになった。
「歌手たちは誰一人自分の声が好きじゃない。」(ロッド・スチュワートは違うかもしれないが)
by ロジャー・ダルトリー


#4 エレクトリック "Going Electric"

・楽器特にギターの電気化(大音量化)によって、突如としてホーンセクションが不要になった。
"(I Can't Get No) Satisfaction"['65]以前のストーンズのギター・リフは、全てブライアン・ジョーンズが考えていた。("Satisfaction"はキース・リチャーズ)


#5 ビート "Four on the Floor"

・「ある日リトル・リチャード(草分け的ロックンローラー)に駅に連れて行かれて蒸気機関車がスピードアップした時の音を聴かされて、こういうのが欲しいと言われた。ああ8分音符(8ビート)だねと俺は答えた。」(リトル・リチャードのバンドのドラマー)
・ウッドストックの時の("ラテン"ロックの旗手)カルロス・サンタナは、LSDで絶不調で間違えないように弾くのに必死だった。
・(映画)サタデーナイトフィーバー以前のディスコは、アンダーグラウンド文化だった。
・そのサタデーナイトフィーバーのサントラで一世を風靡したビージーズは、依頼を受けるまでディスコ音楽は聴いたこともなかった。
・リミックスで3分の曲を6分や8分に引き伸ばしても、客は3分の曲に感じる。(のでDJは楽が出来て助かる)
ハウスとテクノとヒップホップは、'80年代に同時発生した。

・・・最後だけ注。
1979 YMO『SOLID STATE SURVIVOR』 (テクノ)
1986 Run-D.M.C.『Raising Hell』 (ヒップホップ)
1980年代後半~1990年前後 "マンチェスター・ムーブメント" (ハウス)

日本だとYMOの功績により、テクノだけ突出して一般的認知が早くてヒップホップとは結構時間差がある感じ。ハウスに至っては派生ジャンルである"アシッド"ハウスが入り口として大きかったのもあって、丸々一世代違う感も。
いずれにしてもダンス/クラブシーン発ではなく、"聴く"音楽としてロック/ポップスを介した受容になってますね最初は、3つとも。(テクノ"ポップ"、エアロスミス"Walk This Way"、ローゼズ/ハピマン)


#6 サンプリング "The World is Yours"

・ヒップホップの最大のルーツは、カリブ海文化。("トースティング"、カリブからの移民)
・草創期ヒップホップの代表格の一人アフリカ・バンバータは実際にギャングのリーダーだったが、それをラップにはしなかった。(後の"ギャングスタ・ラップ"との違い)
・相次ぐ著作権訴訟によって、サンプリングは(使用料を払える)金持ちの贅沢になった。(最近のヒップホップではあまり使われない)


#7 ミュージックビデオ "Sound and Vision"

・初期のミュージックビデオは、映像作家側の実験という意味もあって制作費は安価だった。
マイケル・ジャクソン(『Thriller』['82])ブレイク以前のMTVは、はっきりと"ロックしか聴かない白人の若者"をターゲットにしていて、黒人ミュージシャンが登場することはほぼ無かった。
・MTV"アンプラグド"シリーズは、当時絶大な影響力を持っていたMTVのゴリ押しでアーティスト側が渋々出演を承諾することも少なくなかった。(ニルヴァーナ/カート・コバーン等)
・衰退し(て多業種化し)た最近のMTVでは、点けた瞬間音楽が聴けることの方が珍しい。


#8 フォーマット "I Am My Music"

78回転SP盤(RCA)→33回転LP盤(コロムビア)→45回転EP盤(RCA)という"レコード"業界のフォーマット争奪戦の流れ。当初の収録時間はそれぞれ3分半、25分、6分
・"若者が集中して音楽を聴けるのは2曲が限界"というRCAのマーケティングの元、2曲入り45回転EPシングルのフォーマットが確立し、「ティーンエイジ・ロック」というジャンルが誕生した。(火付け役はプレスリー"ハウンドドッグ"['56年])
・33回転LP盤の25分という収録時間を活用した初の"コンセプトアルバム"は、フランク・シナトラ『In the Wee Small Hours』['55年]
・(ソロ演奏の長い)ジャズの隆盛にも、LP盤は大いに貢献した。
AMラジオでかかり易いのは2分半以内の曲。("シングル"時代)
・1969年頃からFM局が勃興し、"アルバム"全盛時代が訪れる。
・"カセット・テープ"時代を加速したソニーのウォークマンは、付属のヘッドフォンが非常に高品質だった。
CDの普及に大きく貢献したのは、ダイアー・ストレイツ『Brothers in Arms』['85年]
MP3の開発中に音質テストに使われたのは、スザンヌ・ヴェガ"Tom's Diner"(『Solitude Standing』['87]収録)




・・・という感じの内容です。興味がある人はどうぞ。Netflixでもライブラリに入れてくれないかな。


Soundbreaking2


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歌詞で音楽を聴くということの衝撃 ~"乃木坂"世代の音楽の聴き方?
2018年07月24日 (火) | 編集 |
2016.11.27放送、『乃木坂工事中』#82「バナナマンに教えたい 乃木坂46「私の1曲」より。

動画はここらあたり。

https://n46v-doko.com/1884/(フルサイズ可)
http://nogizaka46variety.com/2130
https://nogizaka46n46.net/archives/4200

出来れば今回は、見ながら/見て、読んでもらった方がいいと思います。
リアルタイムではなくて動画でのキャッチアップでしたが、初見の時は本当に"衝撃"を受けました。今回見直して、少し冷静になりましたが。(笑)
特に洋楽ベースで音楽を聴く(世代の)人は、見てみた方がいいと思いますね。スタジオの雰囲気も併せて見ると、なかなかの"絶望"感が味わえると思います。(笑)


さて番組はタイトル通り、乃木坂メンバーが順番に、MCのバナナマンに「私の1曲」を勧めて行くという内容。

まずは西野七瀬

曲はザ・マスミサイル『教科書』
おすすめコメントは、"なんか共感できる感じの歌詞かなって"

「君にマニュアルどうりの教科書なんかは必要ないでしょ」

そもそも教科書って、"マニュアル"を集めたもののことを言うんじゃないかなあと緩くツッコミを入れつつ、まあ西野さんは魂は高貴だけどそんなに賢いタイプではないからと軽く受け流して次へ。

2番手、中田花奈
曲はCreepy Nuts『刹那』
おすすめコメントは、"歌詞がストレートで、情景なんかがすごく鮮明に描かれてて"
ん?また歌詞ですか。そもそもヒップホップ絡みのユニットらしいですけど。

「何もよけるな 何も恐れるな 何もためらうな 何も恥じらうな」(サビ)

まあ"フリースタイルバトルに向かう前のラッパーの恐怖心"という題材自体は、なかなか面白かったです。

続いて3番手、星野みなみ
曲はワンオクロック『69』(ろっく)
おすすめコメントは、"歌で伝えるというより言葉で伝えるという感じの曲"
んーーーー。
いやいいんですけどね。
ただ"原則"としては、「言葉」(散文)で伝えられないものを言葉の限界を越えて伝えようとするものが、韻文であったり歌であったり音楽であったりするはずなわけですよ。それがあえて言えば、音楽を聴く「理由」というか。
ある曲のたまたまの特徴が「"歌"というより"言葉"」ということはあり得るけれど、こうして"おすすめ"の理由として、つまり"褒め言葉"として「歌ではなくて言葉」というのが"音楽"に対して使われるというのは、どうもやっぱり顛倒したものを感じてしまいます。
それがどこかの"批評家"があえてとかではなく、"星野みなみ"ちゃんがふわっと使う、つまりはこういう言い方が普通に通用する状況があるらしいことには、少し引っかかるものを感じてしまいました。

「ただ一つ言えるのは誰よりも自分を信じてここまでやってきた結果 支えてくれるメンバーや大事な友達 求められる喜び その他諸々お金じゃ買えないものをこれまでに手に入れてきた」

サビの前はずーっと語ってるので抜き出すのが難しいんですが、とりあえず曲(詞)のトーンを分かり易く表していると思うところを抜いてみました。

4番手、生田絵梨花
曲はGLAY『LET ME BE』
グ、グレイ?!生田が?意外。(笑)
おすすめコメントは、まず"メロディがAメロもBメロもサビも全部いいというところ"
おお、やっと"音"の話が出て来た。さすがに乃木坂屈指の"音楽家"生田先生。
続いては、"私の為に歌ってくれてるのかなという感じがするところ"
これはやっぱり、歌詞の話だな。
まあ好意的(?)に解釈すれば、「おすすめの1曲」ということで"特別"な曲あるいは"紹介しやすい"曲という基準でチョイスした時に、こういう(言語的な)思い入れメインのチョイスになる傾向が出て来るのは仕方ないかなと。生田ちゃんだから思うことではあるけれど。(笑)

「LET ME BE かけがえのない 君からの手紙を読めば」

はいサビです。
グレイのピアノバラード。正直歌番組を見ている時だったら、イントロが流れた時点でトイレタイムですけどね(笑)。いい悪い以前の問題。紅白の演歌ゾーンの時の子供みたいなもので。ごめんね生(いく)ちゃん。(笑)

5番手高山一実
曲はUVERworld『Ø choir』
おすすめコメントは、まずUVERworld自体について、"曲がいい"。ほっ。
続いて"歌詞がいい。具体性があるのに比喩とか使ってて"
曲自体については、"ライブで一緒に歌って盛り上がる為の曲"

「(choir) Let's go !(oh oh oh... Hey!)」

かずみんに関しては少し注意が必要で、「歌詞」について語ってはいるけれどそれは単なる文字通りの意味内容ではなくて、"歌詞"としての技術的側面も込みで語っていること、それからおすすめの「ライブで一緒に歌って盛り上がる」曲も、強調しているのは"oh"の連呼の部分の快感なので、つまりは全体として十分に「音楽」的な聴き方をしているらしいことが分かります、最初の3人と比べて。

まとめて「西野・中田・星野」と「生田・高山」を比べると、やはり普通ないし賢くはない(笑)コと賢いコとでは、音楽の聴き方も少し違う傾向があるらしいことは、確認出来る気がします。前者は意味内容にストレートに、後者はより音楽的総合的に。


・・・そして次のコから、ある意味話は核心に入ります。
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KUNI 『Masque』
2015年12月30日 (水) | 編集 |



特にどうという話、どうというアルバムではないんですけど、Amazonで10000円も払って買ったので、少し元取ろうと思って。(笑)
今年最後の更新のネタに。

無名のギタリストであったKUNIは1983年に渡米し、現地で一流のミュージシャンと交わりながらソロ・アルバムを制作、 1986年に『Masque』を発表した。

Wiki より。
"無名"というのは日本でですね。数奇な音楽生活を送っている、変わり種の日本人ギタリストのデビュー・ソロアルバム。
まあ何でしょうね、日本での無名っぷりと、えいっと出てみた"本場"での認められっぷりが、何となく三浦知良的な部分のある人です。特に"凱旋"はしてませんけど。(笑)

このデビュー盤に参加したのは、ビリー・シーン、フランキー・バネリ(英語版)、チャック・ライト(英語版)、カル・スワン、ケヴィン・ダブロウ、ニール・タービン(英語版)、ジョン・パーデル(英語版)、奥本亮(英語版)など。

メインに支えているのは、交友関係の深かったらしい、フランキー・バネリ(ds)、チャック・ライト(b)の"クワイエット・ライオット"組ですが、アルバムの売りとしてはむしろゲスト的に参加した、当時ようやくD・L・ロスバンドへの参加



で名前の知られ出した、バカテク・ベーシストのビリー・シーンと、直後('87)に"ライオン"という歴史に少しだけ(笑)残る愛すべき好メタル・バンドを結成



する、カル・スワン(vo)とマーク・エドワーズ(ds)のコンビの方かなと。
名前にインパクトがあるというのもそうですし、全体としてはLA/アメリカンなメタルサウンドな中で、ビリー・シーンの"クラシック"気質やカル・スワンのイギリス(スコットランド)人魂と、言ったって日本人であるKUNIの情緒豊かなギターが"異郷"で魂の邂逅を果たした的な、そういう風情はあります。
特にカル・スワンと絡んだ8曲目、ソウルフルな『Restless Heart』は、人気の高い曲ですね。ビリー・シーンとの絡みは、いかにもまだ"ゲスト"的な部分も大きいですが。

といって別にKUNIは無理にアメリカン・サウンドに合わせているわけではなくて、自分を認めてくれたアメリカのメタル・シーンの空気、ストレートで軽快なメタル・サウンドを伸び伸びと表現しながら、そこにナチュラルに彼のギターの陰影感が絡んで行く感じはとてもいいです。なんだかんだ僕は、上の大物"ゲスト"陣の絡まない、捻りなくストレートな1曲目『When We Rock』~2曲目『Love Taker』の流れが一番好きかな。

その"アメリカン"な部分を、今度はより商業的に"バンド"として、意図的に全面展開したのが、次の『Lookin' For Action』('88)。



これは結構評価も高い、確かに完成度は高い作品なんですけど・・・僕はちょっと。あんまり。
誰でも作れそうというか、余りに日本人ギタリストの、"就職活動"的というか。不自然な感じ。


その後は・・・

1993年に帰国。ギター演奏から離れてA&Rとしてヴァン・ヘイレン、エアロスミス、オジー・オズボーン、キッス、B'z、ボン・ジョヴィ、Mr. Bigらを手掛けた。



へええ、そんなことになってたんだ。
ちなみに年代的には、上のアルバムにはまだ関与していません。有名なので挙げておきましたが。(笑)
とにかくビリー・シーンとの縁は続いていたということで。

1988年にはレコード・レーベルとしてZAIN RECORDS下にBIG M.F.を起ち上げ、ビリー・シーン、シェーン・ガラース、ジョージ・リンチ、ポール・ディアノ、イナフ・ズナフ、バリー・スパークス、MR. ORANGEらの作品を制作。
また自身の作品としてアルバム『FUCKED UP!』2000年に発売した。




これはエリック・シンガー、デイヴ・スピッツ(英語版)、デレク・セント・ホルムズ(英語版)らと1990~1992年にかけて録音した音源に、松本孝弘、山口昌人、ビリー・シーン、カル・スワンらと1999年に録音した音源を加えたもの。

松本孝弘?どれだろう。B'Z知らないんで分かんないですけど。
久しぶり(12年ぶり)の自作品ですが、録音の経緯もあって"アウトテイク"集的な感じで、'80年代の作品に比べて特に曲調に大きな変化は無いです。『Lookin' For Action』の外向きな感じと、『Masque』の内向きな感じの、中間くらいですかね。何てことは無いですけど(笑)、全然悪くはないです。
1つ過去の作品に比べた特徴、聴き所としては、さすが10年以上の付き合いを経た後だけあって、ビリー・シーンとの絡みが格段に有機的になっていること。元々相性はいいと思いますし。お互いクラシック的ヨーロッパ的なバックグラウンド・資質を持ち、かつそれゆえというのもあって、生粋の"メタリスト"である、"アメリカン・ロック"ではなく。
Mr.BIGで興味を失って以来、ビリー・シーンの近況は追ってませんが、いっそ初期TALAS



的なバンドを、二人でやってくれないかなという感じ。
クラシック、メタリック、かつポップ。
とにかくこのアルバムは、曲のコンパクトさとビリー・シーンの伸び伸びとしたベース・プレイが聴きものという感じで、あんまり"ギタリスト"アルバムではないですね。裏方歴が長かったからかな。(笑)

再びギタリストとしてティアーズ音楽事務所と契約し、2010年にLOUD PARKの舞台へ立った。その翌年、レコード・デビュー25周年を記念する2011年に、過去に録音した音源と、ギルビー・クラークやジョン・コラビ(英語版)、マーク・ボールズらと録音した未発表音源、さらにAnchangらと新たに録音した音源を加え、『KUNI ROCK』を発表。




これは聴いてません。まあ気が向けば。
しかし不思議なキャリアですね。
業界での人望があるというか、色々な人から総合的な音楽センスを認められてるんだろうなあという感じは凄くしますが。
一応まだ現役?


・・・さて最後にようやく『Masque』レビューというか、"ギタリスト"KUNIの解説ですが。
それなりに"速弾きギタリスト"の類なのかも知れませんが、テクニック的には全然大したことはありません。(笑)
デビュー当時としても、そうだったと思います。
上手い上手くないで言ったら、同じ"アメリカで知られている日本人メタルギタリスト"でも、高崎晃あたりの方が遥かに上です。ただ逆に"日本人"である意味としては、高崎晃より遥かに上です。
徹底的に"国際的"になろうとした高崎晃と、"異邦人としてアメリカに溶け込んだ"KUNIとの違いという感じですかね。

その"異邦人"性も加味して似たギタリストを探すと、マイケル・シェンカーとかかな。
KUNIの方がよりアメリカンでメタリックではありますが、ソロもバッキングも、全フレーズが満遍なく"メロディック"な感じは、よく似ています。似てるというか、"稀少"なタイプ。
オランダのエイドリアン・ヴァンデンバーグやノルウェーのジョン・ノーラムなんてのもいますが、彼らはちょっと、"メロディ"の押し方が露骨ですね。KUNIやマイケル・シェンカーはメロディックではあっても、それが曲として機能的に必要とされるフレーズに、"溶け込んで"いる感じが特徴。

そうね。技術的な中途半端さも含めて(笑)、マイケル・シェンカーとリッチー・ブラックモアの間みたいな感じのギタリストでしょうか。+"ヘヴィ・メタル世代"感。
"アルバム"としては、イングヴェイの1stに少し似てるかも。



"ギタリスト"アルバムではあるんだけど、不思議にゲスト・ヴォーカルのヴォーカルの乗りがいい感じが。
イングヴェイはあれですよね、この後に作ったどんな"バンド"アルバムよりも(笑)、この1st"ソロ"の方がそこらへんが素直で聴き易い感じがします。


・・・はて。
何か5000円台の、もっと安いのがあるな。(笑)



こんなのあったかなあ。
僕が上のを"売り切れ"にしちゃったから、出て来たのかな。(笑)

まあ何せそれでも高いので、それほど強くは薦めませんが、オーソドックスなメタルが好きな人マイケル・シェンカーが好きな人、僕の解説に興味を抱いた人は、良かったら聴いてみて下さい。
"凄く"はないけど、何かと"琴線"に触れる可能性はある、アルバム、アーティストだとは思います。


よいお年を。


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ジャンル:音楽
ジュリアン・コープ『ジャップ・ロック・サンプラー』
2015年12月04日 (金) | 編集 |


ジュリアン・コープとは。(はてな)

イギリスのミュージシャン。サウスグラモーガン州のデリで生まれ、タムワースで育る。
いくつかのグループを結成後、イアン・マッカロク(のちにエコー&ザ・バニーメン)と曲を共作したのちに、1978年、ゲイリー・ドワイヤーとティアドロップ・エクスプローズを結成。
また、ロックについての研究書を執筆。

ティアドロップ・エクスプローズは聴いたことが無いですが、エコー&ザ・バニーメンの方は今見たら3枚聴いています。いつの間に?特に好きでも嫌いでもないです。(笑)
後はルースターズのラストアルバム『FOUR PIECES』に入っている"Land Of Fear"は、ジュリアン・コープのソロの曲のようですね。これもまあ、好きでも嫌いでもない。
・・・という程度の予備知識の人が書いた、日本のロックの"前史"的な本('08)。最近のも聴いてはいるようですが、取り上げられているのは基本'70年代までです。
"前史"というか結果的に現代には直接繋がらなかった、ある時期のピーク・隆盛についての話。"あったかも知れない日本のロック"。
当時活躍して現代でも一般に名前が知られている人としては・・・内田裕也、と、喜多郎くらい?この本だと。内田裕也は随分凄い人だったんですね。"ロックンローラー"というよりは"プロデューサー""仕掛け人"として。見かけ通りの直情天然さんではないというか。むしろ腹黒い。(笑)


本文中で取り上げている中で、例えば以前紹介した「”snoozer”2007年12月号 『日本のロック/ポップ・アルバム究極の150枚』」に載っているバンド、ミュージシャンで言うと・・・

 村八分、裸のラリーズ、ジャックス、久保田麻琴と夕焼け楽団、フラワー・トラベリン・バンド、頭脳警察

と言ったあたり。同様に「”Rolling Stone日本版”2007年9月号 『日本のロック名盤 BEST100』」も引っ張り出すと

 外道(ただしネガティブに)、カルメン・マキ(名前だけ)、ブルース・クリエイション

あたりも。
基本的にはアンダーグラウンド/アート志向で、しばしば現代音楽やフリージャズの方にも脱線します。
しかしプログレは嫌いで、(知性はともかく笑)純音楽的にはハードロック好き。
フォークは"アンダーグラウンド"の文脈に乗っかれば評価しますが、"ソフト・ロック"的な脈絡では嫌い、無視。はっぴぃえんどにも好意的ではありません。


実際のところ、ほとんどは僕も音を聴いたことの無いバンドの話ばかりなんですけど、面白かったです。
当の日本人も含めて、今まで誰もちゃんと調べたことの無い時代・シーンについてかなり徹底的に掘り下げた労作であるということと、それを行っている"ジュリアン・コープ"という謎の(笑)イギリス人の知性の働きそのものが、興味深く、かつ感動的でした。"何者?"という感じでした。(笑)
まあ、「奇書」ですね。"奇書"の一つのパターンに乗ってるというか。
つまり「在野」「個人」という立場で、しかしにも関わらず誰に求められているわけでもない高度に緊張感のある「アカデミック」「学究的」なスタイルで書くという。その情念と理性の混じり合いと、なぜあえてそこまで律儀にという"酔狂"さが、正に「狂」を生むという。

訳者によると実際には少なからぬ誤情報や、単なる想像の言い切りが含まれているらしいんですが、しかし著者の態度は一貫して剛球一直線という感じで(笑)、"ネタ"感や"方便"感は微塵も無いです。文体の陰影というか。変な人です。
一応言っておくと、詳細は分かりませんが主に"文化人類学"という形で実際のアカデミズムとの関わりはある人のようです。つまりこれも広くは、"フィールドワーク"の一環ではあるわけですけど。
それで納得出来る感じでもない(笑)。やっぱ謎の人だなあという印象。

とにかくよくぞここまで、こんなマイナーなシーンを限られた情報から調べ上げて全体像を構成して見せるものだな、しようとするものだなと、それ以前によくもここまで興味を持ったものだなと言う。
感じとしては、「西洋の研究者にとってのみ興味深い、"現地"の文化」みたいなところは無くは無いんですけどね。ただ多分特に、"現代音楽"との関連である時期の「日本のロック」に意義や必然性を持たせた、"現代音楽"(と各種左翼的運動)の世界性によって「日本」の音楽を「世界」と繋げた、その視点の提供には、少なからぬ意義があるのではないかと。
・・・結局それは十分に花開かずに、"J-POP"的なガラパゴス化によって、後に日本にロックは「定着」するわけですけどね。
個人的には、所謂"バンドブーム"に乗っかってるような乗っかってないような、ルースターズローザ・ルクセンブルクという僕の好きな二大異色バンドの位置付けが、ジュリアン・コープが描写したようなシーンの"残り香"として理解出来たような気がしたのが、収穫ですかね。
まあ"ブーム"以降のも十分に好きなんですけど、僕は。
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テーマ:邦楽
ジャンル:音楽
佐藤滋 『ロックの世界』
2015年07月21日 (火) | 編集 |
ロックの世界

ロックの世界―エルビスからクラッシュまで (1983年)


僕が買って読んだ最初で最後の、"ロック通史"的な本。
この前ボブ・ディランニール・ヤングを借りた時に、久しぶりに手に取って再読して、今見ても全然面白いなと思ったので少し紹介してみます。

著者は1940年生まれの、仏文卒の元音楽旬報記者。
発行は1983年で、取り上げられているのはぎりぎり'82年発表までの作品。"パンク"から"ニューウェイブ"が発展して、それもしかしそろそろ終わりかな、とても永続的な動きには見えないというような状況の中で、ある意味"終わった"ものとしてロックを総括する的なスタンスで書かれたものと、一応言っていいと思います。

泡沫的なものまで含めて"ニューウェイブ"もかなり広く紹介しながら、著者の主軸はやはりビートルズ、ストーンズからグラム・ロックあたりに流れるイギリス主流派、それにアメリカのフォーク・シンガーソングライター系あたりか。
プログレやサザン・ロックのような趣味的にサウンド志向なタイプには少し距離がある感じで、ハード・ロック系となると更に遠くて、ほとんど義理で取り上げてる感じ。(笑)
ニュー・ウェイブやテクノなどはさすがに年齢的に(当時43歳)熱狂したりはしませんが、"実験"としては一つ一つ興味を持って、フェアに評価しているという印象。
まあ至って王道というか、真っ当だと思います。しかし評価の仕方はきちっと個人的。いい本です。

以下特に面白かった記述をいくつか。


"ロックと階級"(p.7-8)

ロックは、主に、アメリカとイギリスの、白人中産階級及び比較的豊かな労働者階級の子女たちによって作られ、受け入れられてきた大衆音楽である。

"不良"の音楽、とはいうものの、"下層"の音楽ではないんですよね。
バネになっている"逆境"は、とぢらかというと精神的文化的なもので、ある意味では優雅。高級というか。
このある意味中途半端な「階級」感覚が、最早"ヤンキー"のレベルにまで大衆文化の主体が降りて来てしまったここ日本でも、今更主流にはなれない理由の一つではあるかも。


"ロックと黒人音楽"(p.9)

しかし、ロックがジャズやポップスと違っているのは、ジャズは黒人が作り出した黒人の音楽であり、ポップスが黒人の要素を一部に取り入れた白人の音楽であるのに対し、ロックは黒人音楽をそっくり真似した上で、そのまま自分たち白人の音楽にしてしまったことにある。

この感じはほんと独特で、たまに呑気な(笑)黒人ミュージシャンが、「やってるのは要は黒人音楽なんだから、ロックは本来黒人のものだ」などとのたまって揚々とロック・シーンに参入して来たりもするんですが、むしろ黒人ゆえに実に中途半端なものしか作れずに返り討ちに遭うみたいなことを、繰り返してる気がします。・・・Living Colorとかね。1stしか聴いてないけど、クソつまんなかった。
プリンスが面白いのは、誤解を恐れずに言えばむしろ十分に"白い"からだと思います。"黒"に頼ってないというか。黒のままではロックは出来ない。ロックは断固として"白人音楽"である(またはアングロサクソン)と、僕は思ってますが。
ジミ・ヘンも・・・どうだろう?個としては面白いけど、"ロック"として面白いのか?あれ。


"ロックとポップス"(p.10)

さらに、この国(注・イギリス)のポップスに強力なジャンルがなかったことも、逆にロックの成長に幸いしたのではなかろうか。
フランスではシャンソン、イタリアではカンツォーネの存在が、それぞれの国のロックをして、中和されたポップスへと導いて行った。日本でも歌謡曲が、ロックを吸収してしまった。これらの国では、伝統の方が強かったのである。

まあなんか、"確立"はしてるんだけど、"特例"でもあるんですよね、ロックは。本質的に。
掛け値なしに"20世紀の大衆文化に不滅の足跡を残"して、ロック以前と以後とでは"世界が違って見え"ると僕自身の経験からも思いますが、しかし現象としては、ミニマムには非常にローカルです。"黒人音楽"どころか、"ポップス"の普遍性の方に、むしろ軸足を置きたがる評論家業界人が次第に増えて行ったのも、無理のないことというか。(渋谷陽一を筆頭に。(笑))
国としても、ようやくもう"終わった"頃に、日本が本格的に"第三極"になれたかな、なれてないかな、というくらいかなと。・・・終わったからこそ?(笑)かも。リアルタイムだと、あいつらすぐ人の邪魔するし(笑)。ルール変えたりして。
とにかくアメリカですら、王道"芸能"の圧力は強くて、実は常にロックは"吸収・消滅"の危機にさらされて来たと思います。正に"プレスリー"が、うやむやにされたように。


"プレスリーとチャック・ベリー"(p.25)

この二人の差は、いわゆる大衆音楽民俗音楽の違いのように見える。ベリーが成熟や変化と無縁であるだけでなく、彼の歌が他の歌手によって歌われても同じ様に楽しく生命力が溢れてくるのは、いかにも民俗音楽的である。

まああんまり本論とは関係無い気がしますが、チャック・ベリー論として面白かった。
ただこういう"誰のものでもない""誰がやっても同じように盛り上がる"というのはロック以前のブルース、R&Bの段階ではむしろ当たり前な特徴なので、これは何というか、ペッラペラで"黒人音楽"的深みを思い切って断ち切ったかに見えるチャック・ベリーが、それでも黒人であるというそういう話として理解してもいいかなと思います。


"ビートルズのアメリカ進出"(p.28)

彼等のアメリカ進出は、実際には六四年になってからだが、既にアメリカ国内にはロックンロールの生命力を持った実力者は一人も見られず、迎えられるべくして迎えられた観があった。

"ブリティッシュ・インヴェィジョン(侵略)"とは言うものの、という。
上で言った、アメリカにおいてロックが"消化・吸収"された、その後に(母国の特殊事情に助けられて)より強固なジャンル意識を持ったビートルズが、アメリカに消えないクサビを打ち込んだというか。
まあ"ポップス"だけでなく、"黒人音楽"も、常に吸収しようと待ち構えてますからね、アメリカは。イギリスには基本的にそのシーンが存在しない、そういう強みはある。


"ボブ・ディランの歩み"

むしろ、ディランは、フォーク歌手のまま、ロックの領域に入って行ったと言った方が当っているのではなかろうか。(p.35)

ディランは"転向"したのか、否という話。

たしかに、ロックの歴史の中に位置づけてみれば、このアルバムが革新的であることは勿論だが、ディラン個人の歩みの中で考えると、革新というより自由を、さらには気楽さを感じてしまう。(p.44)

ディランの"本格"ロック転向作、『追憶のハイウェイ61』についての評価。

こうしてみると、ディランは、ロック、カントリーを通して、一貫して気持ち良さ、心地良さを追求してきたような気がする。時にはふてぶてしさを装うこともあるが、実際には、自分の気持ちの拠り所を努力して求めてきたのではないか、と思えてくる。(p.47)

更にのち、"カントリー"時代を経て。

こうしてディランの歩みを辿って来ると、自己主張から解放へ、さらにアイデンティティの探索から神への献身へ、と筋の通った足取りで進んできたのが解るだろう。(中略)彼の血筋であるユダヤ人的であったことが見えてくるのである。(p.50)

ボブ・ディランのユダヤ性という評価は初見だったので、当時はびっくりしました。(笑)
言っているのはつまり、
 ・ボブ・ディランの音楽活動が、"伝道者""革命家"的な世評とは裏腹に、しごく個人的な解放と安心を求めるものであったということ。
 ・その道筋が、出来過ぎなくらいに論理的であるということ。
 ・その論理性、及び予定調和的に"神"にたどり着く屈託の無さが、「ユダヤ」的に見えるということ。

ですね。
だからボブ・ディランが凄いという話ではなくて(笑)、むしろ神格化・過大評価の相対化を、ここでは試みているわけですが。

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テーマ:洋楽ロック
ジャンル:音楽
バンプ・オブ・チキン『ジュピター』、軽くレビュー
2015年04月09日 (木) | 編集 |
jupiterjupiter
(2002/02/20)
BUMP OF CHICKEN

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1 Stage of the ground
2 天体観測
3 Title of mine
4 キャッチボール
5 ハルジオン
6 ベンチとコーヒー
7 メロディーフラッグ
8 ベル
9 ダイヤモンド
10 ダンデライオン

ぽすれんの毎日引けるおみくじが結構当たって、最初に当たったポイントが期限切れになる頃にはだいたい700円分くらいいつも溜まってるので、それで半年に一回くらい新譜を仕入れています。(笑)
その内の一枚。バンプ・オブ・チキン初体験。'02年の作品。
他に今回聴いた中では、ケン・イシイ『ガーデン・オン・ザ・パーム』とかも良かったです。

割りとTL上での推薦が激しい(笑)バンドなので、正直期待よりも警戒心の方が大きかったんですが・・・。
良かったです。残念(?)ながら。予想に反して。ちょっと悔しい。(笑)
ざっくり言うと、スピッツ('87デビュー)の後のデビュー世代のロックバンドとしては、唯一に近く本気でいいと思ったかなあという。初めて、というか。ちなみにデビューは'94年。(バンプWiki)
ブリグリ('95デビュー)(or川瀬智子関係)とかも好きは好きですけど、内容的にはよく出来たロック同窓会という以上のものではないし。気持ちはいいけど、"感動"するようなものでは。他のバンドはそれ以下。
ロックにこだわらなければ、中田ヤスタカ的なあるいは初音ミク的な企画ものなども含めれば、快感サウンド自体は時代時代、切れ目なくあるわけですけど。上のケン・イシイとかもテクノですし。ただ"本業"はあくまでロック聴き、バンド聴きなもので。(笑)
ま、基本的に、ある世代のものはある世代のもので、余り口出しする気は無いので、あくまで僕の体感というかポジションでの話です。スピッツで最後かと諦めてたら、まだいたか!という。スピッツも別に"画期的"なものは特に無いと思いますけど、既知のもののコンビネーションの中でも、"本気"になれる瞬間が少なからずあるので。この"終わった"ジャンルにおいて。(あえて言えば)

さてバンプですが、一枚しか聴いてない範囲での感想としては、サウンド的には割りと普通というか、素直というか、ロックの快感原則に屈託なく従ってる感じ。"ストレート"というよりも、"器用"という感じですかね。まあこれはある世代以降のバンドに共通して言えること。そうならざるを得ないというか、そうでなければただの無知か馬鹿である可能性が限りなく大きい。(笑)
まあサッカーの育成と同じような話ですかね(笑)。若ければ若いほど、耳年増になるのは避け難い。
ただこのヴォーカル、藤原基央というらしいですが、この人の才能は本物ですね。特別というか。
歌詞と、それを音楽として表現・実現する能力。それを素直でカラフルな快感ロックサウンドが"彩って"いるというのが、このバンドの基本的な構造に思えます。
まあスピッツだって草野マサムネがいなければ、みたいなところはありますし。ちょっと回転数を速くしたフォーク・ロックじゃん的な。(それはそれで面白いか(笑))
元々ロックは"パーソナリティ"ミュージックですから、特に革新的でなくても個人的天才が一人いれば、十分"特別"なものにはなり得るという。

その藤原基央の描く世界ですが、字面的には結構ウェットというか、甘いというか、スピッツよりもむしろ軟弱(笑)とさえ感じるところがあります。
上でスピッツを"フォークロック"と言った時の"フォーク"は、主にアメリカ、バーズとかそこらへんのことをイメージして言っているんですが、こちらはむしろ日本の、"四畳半フォーク"とかそっちの"フォーク"をイメージさせる瞬間がある。かぐや姫とか(笑)。さだまさしとか。(笑)
清志郎ですらない。
でもそれが実際に"音楽"として響いてみると・・・ロックなんですよね。他にいいようがない。
余りにナチュラルにロックだから、逆に無防備にストレートに、"ウェット"で"甘い"歌詞が描けるのかなというか。まあ意識してるわけではないでしょうが、この人の中のバランス感覚というかジャイロスコープというか。
清志郎の"ロック"は、結構意図的というか頑張ってやってるところがあったと思いますけど。"フォーク"や"プルース"の深い淵に、そのまま沈んで行きそうなところを。
ただまあ、"フォーク的な歌詞をロックとして響かせることが出来る才能"という意味では、清志郎的という言い方は出来ると思います。
草野マサムネはメロウですけど、でもあれは最初から"ロック"の範疇内のメロウという感じですから。ある意味安心して聴ける。
とにかくそういう資質を感じます。才能というか。
・・・例えばミスターチルドレンとか、逆にどんなに頑張って"辛(から)い""ドライな"ことを歌ってみても、全く"ロック"に聴こえないんですよね僕には。そういう人たちもいる(笑)一方で。
近頃甘口の酒が多いとお嘆きの貴兄に、甘口のばんぷおぶちきんを贈ります、あえて。

もう一つ今回"アルバム"として聴いてみて思ったのは、ああ"音楽"だなあということです。ピンポイントで言うと、半年くらい前に予習的に動画で見てみた『天体観測』よりも、今回音だけ聴いた時の方が断然良かったということ。
正直言うとですね(笑)、その時はそれで聴かなかったんですよ(笑)。つまんね、と思って。普通じゃんと思って。今部屋で聴いてると、アドレナリン出まくりますけど。
・・・どうですかねえ、Wikiでは『特に「映像的な音楽」という点では藤原も自覚している面があり』とありますが、場合によってはそれが過剰というか、過度に機能してしまう面があるのかなあと。陳腐にというか。(具体的過ぎて)
上で僕が言ったような、"四畳半フォーク"的な「情景」性というのも、その一環かも知れませんが。
同じようなことですが、その『天体観測』を筆頭にキャッチーな曲も少なからずありますが、多分単品ではなくアルバムで聴いた方が、いいというか本質が理解し易いバンドなんじゃないかなと。
バラだと「甘く」「ウェット」な曲が、まとめて聴くと妙な迫力をもって迫って来るというか。
そういう意味では、ほんと"ロック"バンドですよね。「ヴィジュアル」ではなく「音」、「シングル」ではなく「アルバム」。オーソドックスというか、伝統的(笑)というか。

その代表曲『天体観測』を別にすれば、僕の特にお気に入りは、T6『ベンチとコーヒー』とT10『ダンデライオン』ですかね。
前者は僕の言う"四畳半フォーク"性というか、"ニューミュージック"性のある意味究極みたいな曲。
実体験を元にしているらしいですが、"市井の人の哀歓"的なものを、物凄くストレートに、歌詞の意味をそのまま受け取れる感じで歌っていますが、それが音楽的な快感を邪魔しないというかそれ自体が快感化しているというか。
それを特に可能にしている、曲中繰り返されるキラーフレーズ"まいるね"のマジックワードぶりはどうよ。どこまで意図的なのかよく分からないんですけど、正に清志郎的な"魔法"が使われていると思います。まいるね
後者はダンデライオン(タンポポ)という英語から、ライオンとタンポポの友情(?)という寓話的なモチーフで描いた・・・でもかなりストレートな(あえて言いますが)"ラブソング"だと思います。ほとんど"愛"を「定義」しちゃってる感じの。
モチーフ的に思い出すのは、木村カエラの『ワニと小鳥』ですが。('07)

 木村カエラ/ワニと小鳥
 ワニと小鳥(補)

まああちらは関係の破綻の話で、こちらはど真ん中なので直接の関係は無いですが。
ただこういうモチーフだからこそ描ける、"ストレート"な愛の話という、共通性はあるかなと。
・・・ていうかまあ僕が、こういう"異種"感の友情・愛情や、"異形"の者の恋みたいな話に、滅法弱いんですよね。(笑)
聴く度しつこく泣きそうになって困ります(笑)。動物好きの血が騒ぐというか。
「濡れた頬の冷たさなど生涯お前は知らなくていい」「濡れた頬の冷たさなど恐らくお前が奪ったんだ」
・・・なんかあんまり考えてないというか、一貫性は無いというか、勢いで書いた感じもする歌詞なんですが。(笑)
それもまたいいという。"感謝の有頂天"というか。

ちなみにそれが5年後に、「ライオン」が「タンポポ」への感謝を忘れた姿が、「ワニ」と「小鳥」の姿です。多分。(笑)
まあどちらも真実です。多分。(笑)


他のアルバムも、その内聴くと思います。
半年後かも知れませんけど。(笑)
とにかく良かった。『キャッチボール』も絶妙だよなあ。(話が尽きない)
ほんとは宮崎駿『風立ちぬ』とかと併せて"色々レビュー"とかにする予定だったんですが、案の定長くなっちゃった(笑)ので単品で。


テーマ:邦楽
ジャンル:音楽
映画『ジョン・レノン、ニューヨーク』
2014年12月30日 (火) | 編集 |
ジョン・レノン、ニューヨーク [Blu-ray]ジョン・レノン、ニューヨーク [Blu-ray]
(2013/09/04)
ジョン・レノン、オノ・ヨーコ 他

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BSプレミアムでやってたのを録画視聴。
正直アーティスティックなセミ・ドキュメンタリーとかかなとか思って気が重かったけど、とても良かった。

・・・いや、"アーティスティックなセミ・ドキュメンタリー"でないことはないんですけどね。やたらと見易かった。音楽的にも快適。監督分かってるなあという感じ。
マイケル・エプスタイン監督。ググってもこの作品以外出て来ませんが。音楽の方の関係者なのかな。
ブライアン・エプスタインと、何か関係が?


主に70年代の、ソロのジョンがニュー・ヨークで暮らしていた時代を、オノ・ヨーコとの関係を中心に追った作品。
と言っても余りそそらなそうというか、"オノ・ヨーコ"という時点で拒否反応が出る人が多いと思いますが、そういうのが一つ一つ"ほぐれ"て行く感じの作品。
「擁護」とか、そういう単純なことではなくてね。

言葉としては当たり前ですが、"人間"としてのジョンやヨーコが、凄く自然に入って来る感じ。
多分「ニュー・ヨーク」という、一見迂遠なテーマ設定が、良かったんだろうなという。
ジョンがニュー・ヨークという町を、どのように愛したか。
"ロンドン"でも"リバプール"でも、"ロサンゼルス"でもなくてね。
ニュー・ヨークという町に、どのように救われたか。
その"愛"と"救い"に重なる形で、オノ・ヨーコもいるというか。

そうして生活者としてのジョンが、ジョンとヨーコの関係が、要するに"本人たちの問題"として還元されて、そのフラットさを基盤として、ソロのジョンの音楽活動や政治活動も描かれているという。
なるほど、そういう文脈で、そういう流れで一つ一つの作品や活動が生まれて行ったのかと、非常に納得感が高いというか、それを支持するとか信じるとかではなくて、そういうことはあるよねという感じで、時代も境遇も違う僕にも、認められるというか。


そして改めて、いい曲が多いよなと。凄いよなと。"政治性"への忌避感が取れてみると。
ちょいちょい挿入されるレコーディング&セッションシーンでの、ジョンのギターと声が鳴った瞬間の、世界が震える感じとジョンが何かを瞬時に"掴む"感じと。
やっぱ別格よねという。

つまり「人間」ジョン・レノンと、「天才」ジョン・レノンを、両方余すところなく、味わえる作品という感じ。
ヨーコの曲(歌)も、悪くない感じに聴こえましたけどね。
作中でジョンが、(当時売り出し中の"ニュー・ウェイヴ"ユニットの)B-52'sのケイト・ピアソンのヴォーカルを聴いて、"ヨーコが歌ってるのかと思ったよ""時代が追い付いたんだね(笑)"と楽しそうに語っていたのが印象的。

まあでも、ジョンのアルバムでは、出来ればジョンの声だけ聴きたいですけどね。(笑)
おかしかったのはジョンが『ダブル・ファンタジー』

ダブル・ファンタジーダブル・ファンタジー
(2009/07/01)
ジョン・レノン
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での"カップルによるヴォーカル・アルバム"というアイデアを誰かに先越されないか焦っていて、でもヨーコが「そんな(気持ち悪い)こと誰もやらないのにね」と笑ってるシーン。
ヨーコの方は、割りと常に正気というか、まともというか。(笑)


まあでも、やっぱり凄いねジョン・レノンは。
日本で近いものを持ってるとすれば、やはり清志郎くらいか。あの"掴む"感じは。
そこに例えば桑田佳祐などの、メロディーのヴァリエーションでも加えれば何とか。
清志郎ベースで、7:3くらいのフュージョンが出来れば。(笑)
忌野清志佳祐くらい。(笑)

まあフュージョンはともかく、桑田佳祐ではなくて忌野清志郎みたいな才能が、"サザンオールスターズ""引き受けて"くれていたら、もっと凄いものが、つまりビートルズに近いものが、出来たのかもなあとか、ちょっと思います。
ソロのジョンを見てると、むしろこの人が"ビートルズ"にいたのは不思議なところがありますからね。あのタイミングだから、実現したことというか。
だから清志郎が"国民バンド"サザンをやっても、不思議でないと言えば不思議ではない。不思議ですけど。(笑)
まあ誰か"ポール"が、上手く助けてくれればね。


とにかく最後まで退屈しない、いい映画でした。
最後はやっぱり、"射殺"シークエンスです。
犯人が何を奪ったのか。偶像?虚名?
いいや、そんなものではない。れっきとした人生と、確かにあった"前途"だ。
そう感じさせる内容になっています。

「人間」と「天才」を、そいつは殺したと。
"そいつ"なのか、"勢力"なのか、知りませんが。(笑)
まあとにかく、ソロ時代のジョンを、もっとちゃんと聴いてみようかなと、そういう気にはさせられました。

おすすめ。(の映画)

ジョン・レノン, ニューヨーク [DVD]ジョン・レノン, ニューヨーク [DVD]
(2011/11/09)
ジョン・レノン、オノ・ヨーコ 他

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テーマ:The Beatles(ビートルズ)
ジャンル:音楽
”Rolling Stone日本版”2007年9月号 『日本のロック名盤 BEST100』
2014年12月14日 (日) | 編集 |
Rolling Stone (ローリング・ストーン) 日本版 2007年 09月号 [雑誌]Rolling Stone (ローリング・ストーン) 日本版 2007年 09月号 [雑誌]
(2007/08/10)
不明

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で、こちらの前ふり・元ネタがこれ。
綾波関係ねえー。(笑)

こちらは"名盤"と銘打ってますね。後世・シーンへの"影響力"を重視したと、そういう説明。
そういう意味もあってか、選んだ100枚を順位とは別に、年表として再配列したページがあるのが、結構親切で有難い。

前回と同様に誌面に従って、こちらは1位から下って行く形式で。

1位~50位

1 はっぴぃえんど『風街ろまん』 ('71)
2 RCサクセション『ラプソディ』 ('80)
3 ザ・ブルーハーツ『ザ・ブルーハーツ』 ('87)
4 YMO『ソリッド・ステート・サバイバー』 ('79)
5 矢沢永吉『ゴールドラッシュ』 ('78)
6 喜納昌吉&チャンプルーズ『喜納昌吉&チャンプルーズ』 ('77)
7 大滝詠一『ア・ロング・バケーション』 ('81)
8 フィッシュマンズ『空中キャンプ』 ('96)
9 サディスティック・ミカ・バンド『黒船』 ('74)
10 コーネリアス『ファンタズマ』 ('97)

11 佐野元春『SOMEDAY』 ('82)
12 荒井由実『ひこうき雲』 ('73)
13 ジャックス『ジャックスの世界』 ('68)
14 山下達郎『SPACY』 ('77)
15 X『BLUE BLOOD』 ('89)
16 アナーキー『アナーキー』 ('80)
17 キャロル『燃えつきる~キャロル・ラスト・ライブ』 ('75)
18 戸川純『玉姫様』 ('83)
19 プラスチックス『ウェルカム・プラスチックス』 ('80)
20 村八分『ライヴ』 ('73)

21 フリクション『軋轢』 ('80)
22 暗黒大陸じゃがたら『南蛮渡来』 ('82)
23 BOWOW『WARNING FROM STARDUST』 ('82)
24 外道『外道』 ('74)
25 ボアダムズ『チョコレート・シンセサイザー』 ('94)
26 矢野顕子『ジャパニーズ・ガール』 ('76)
27 ザ・スターリン『STOP JAP』 ('82)
28 ルースターズ『グッド・ドリームス』 ('84)
29 ミュート・ビート『FLOWER』 ('87)
30 遠藤賢司『満足できるかな』 ('71)

31 憂歌団『生聞59分』 ('77)
32 サザンオールスターズ『人気者でいこう』 ('84)
33 INU『メシ喰うな』 ('81)
34 Dir en grey『Withering to death』 ('05)
35 フリッパーズ・ギター『カメラ・トーク』 ('90)
36 Char『Psyche』 ('88)
37 少年ナイフ『レッツ・ナイフ』 ('92)
38 四人囃子『一触即発』 ('74)
39 カルメン・マキ&OZ『カルメン・マキ&OZ』 ('75)
40 ラウドネス『DISILLUSION~撃剣霊化~』 ('84)

41 RCサクセション『カバーズ』 ('88)
42 ゼルダ『ゼルダ』 ('82)
43 レベッカ『レベッカⅣ~Maybe Tomorrow~』 ('85)
44 シーナ&ロケッツ『真空パック』 ('79)
45 ゴダイゴ『CMソング・グラフィティ・ゴダイゴ・スーパー・ヒッツ』 ('78)
46 たま『ひるね』 ('91)
47 メルツバウ『緊縛の為の音楽』 ('91)
48 カヒミカリィ『MY FIRST KARIE』 ('95)
49 不失者『1st』 ('89)
50 エレファント・カシマシ『エレファント・カシマシⅡ』 ('88)


太字はsnoozerと共通して選ばれているアルバム、紫字はsnoozerがアーティスト自体、選んでないアーティストによるアルバム。



51位~100位

51 ギターウルフ『狼惑星』 ('97)
52 P-MODEL『イン・ア・モデル・ルーム』 ('79)
53 いとうせいこう『MESS/AGE』 ('89)
54 バッファロー・ドーター『キャプテン・ヴェイバー・アスリーツ』 ('96)
55 あぶらだこ『あぶらだこ』 ('85)
56 頭脳警察『頭脳警察1』 ('72)
57 紫『紫』 ('76)
58 一風堂『Lunatic Menu』 ('82)
59 テイ・トウワ『Future Listening1』 ('94)
60 ランキン・タクシー『ワイルドで行くぞ』 ('91)

61 KEN ISHII『JELLY TONES』 ('95)
62 クリエイション『ピュア・エレクトリック・ソウル』 ('77)
63 暴力温泉芸者『NATION OF RHYTHM SLAVES』 ('96)
64 ピチカート・ファイヴ『Happy End of the World』 ('97)
65 ムーンライダーズ『青空百景』 ('82)
66 S.O.B『What's The Truth?』 ('90)
67 The Fantasiic Plastic Machine『The Fantasiic Plastic Machine』 ('97)
68 高木完『Grass Roots』 ('92)
69 小沢健二『LIFE』 ('94)
70 ローザ・ルクセンブルグ『ぷりぷり』 ('86)

71 フラワー・トラベリン・バンド『SATORI』 ('71)
72 電気グルーヴ『A(エース)』 ('97)
73 サロン・ミュージック『ラ・パロマ・ショー』 ('84)
74 スチャダラパー『5th wheel 2 the coach』 ('95)
75 BOØWY『ジャスト・ア・ヒーロー』 ('86)
76 パフィー『Jet CD』 ('98)
77 泉谷しげる『'80のバラッド』 ('78)
78 リノ・ラティーナⅡ『Canival of Rino』 ('01)
79 ブランキー・ジェット・シティ『BANG!』 ('92)
80 藤原ヒロシ『ナッシング・マッチ・ベター・トゥ・ドゥ』 ('94)

81 サンディー&サンセッツ『イミグランツ』 ('82)
82 東京スカパラダイスオーケストラ『TOKYO SKA PARADISE』 ('89)
83 ミスター・チルドレン『Atomic Heart』 ('94)
84 ザ・ストリート・スライダーズ『スライダー・ジョイント』 ('83)
85 サニーデイ・サービス『東京』 ('96)
86 スーパーカー『HIGHVISION』 ('02)
87 ミッシェル・ガン・エレファント『High Time』 ('96)
88 ニューエスト・モデル『プリティ・ラジエーション』 ('88)
89 椎名林檎『勝訴ストリップ』 ('00)
90 リップスライム『FIVE』 ('01)

91 ハイ・スタンダード『アングリー・フィスト』 ('97)
92 ナンバーガール『シブヤROCKTRANAFORMED状態』 ('99)
93 奥田民生『股旅』 ('98)
94 スピッツ『スピッツ』 ('91)
95 V.A.『GO-GO KING RECORDERS original recording VOL.1』 ('06)
96 くるり『TEAM ROCK』 ('01)
97 シアター・ブルック『TALISMAN』 ('96)
98 マキシマム・ザ・ホルモン『ぶっ生き返す』 ('07)
99 宇多田ヒカル『First Love』 ('99)
100 カジヒデキ『TEA』 ('98)


あぶらだこは全アルバムタイトルが『あぶらだこ』だそうで、この'85年の『あぶらだこ』はsnoozer版の'86年の『あぶらだこ』とは別作品です。ちなみに僕は'85年の方を持っている、ということを今回初めて自覚しました。(笑)


さて講評(?)。
一言で言うと、よりポップ、ないしはベタ/ヤボなものにも寛容なのが、ローリングストーン版の特徴というのは言えますね。
『ソリッド・ステート・サバイバー』『ロング・バケーション』『SOMEDAY』『人気者でいこう』、矢沢永吉、レベッカ(!)、ゴダイゴ(!)、BOØWY、パフィー(!)、ミスチル、宇多田ヒカル。
更に言うと、X、BOWOW、ラウドネス、紫と、ハードロック/ヘヴィメタルにも妙に寛容ですが、これは"ローリングストーン"誌ということでアメリカ人も聴くという前提ないしは欧米での和製ハードロックの評価の高さ・人気みたいなものも、関係してるのかなとか。

こうした選出基準についてsnoozer誌では、"全方位"的である無定見であるという批判がなされていたわけですが・・・どうでしょう。
実際に両誌のものを見比べた感想としては、むしろローリングストーン版の方が定見がある、基準がしっかりしているように僕には感じられました。一見すると有名な作品を並べただけみたいに見えるところも無いわけではないですが、"影響力"という基準は公平かつ明確なものですし、チョイスとしてはメジャー・無難でも、しかし「順位」の意味はこちらの方が遥かに内容があるというか、主張が感じられるというか。
snoozerはいくら何でも清志郎とどんとを贔屓し過ぎですし、150枚という枚数含めて余りにも混沌としているというか、複数の選者が思い入れを開陳しているだけという印象がどうしてもあります。"マニアック"という品格にも、達してない感じ。
一方でローリングストーン誌も十分にマニアックなチョイスはなされているわけですし、それと大メジャー作品の"影響力"の順位付けに妙味を感じるというか、主張を感じるというか。
単純に「ディスクガイド」としても、ローリングストーン版の方が優秀だと思いますしね。コンプリートを目指す気になるというか。50枚少ないし。(笑)

どちらも今後参考にはしますが、とりあえず両方買ってみて良かったなと、そういうことは言えます。
言えて良かったというか。(笑)


個別には・・・喜納昌吉6位ってほんとかよ(笑)。ここだけは妙に、こだわりが突出している感じ。だからといってThe ブーム(島唄)とか入れられても、それはそれで困るわけですが。そんなに沖縄影響あるかね。いっそ安室奈美恵ならともかく。(笑)
ルースターズは今回入りましたが、そうか『Good Dreams』か。苦労してるね、選ぶのに、という感じ。(笑)
"ロックンロール"と"サイケ"の、2大体質の中を取ったんでしょうけどね。とはいえ基本的には、「ルースターズ」を入れる為の、あえてのチョイスだと思います。
個人的には、バッファロー・ドーターとサロン・ミュージックを入れてくれたのが嬉しいですね。あとBOØWYが『ジャスト・ア・ヒーロー』なのも。(参考)
スピッツの初期そんなにいいのかね。『ハチミツ』から遡ってって、『惑星のかけら』あたりでリズムがもっさいのに嫌になって止まっちゃったんですけどね。その後リズムが"抜けて"からは、毎回楽しく聴いてますけど。

・・・と、叩き台として語りたくなるような秩序性を、ローリングストーン版には感じるということです。
snoozerのは、あれ審査途中のリストが流出しちゃったんじゃないの?みたいな感じ(笑)。あそこからブラッシュアップして行く予定だったんだよね?という。


両誌の他の記事の方もボチボチと読んでるので、"7年前"から見た"今"みたいな感じで、その内何か書きたいと思っています。


テーマ:邦楽
ジャンル:音楽