東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
人を”食べる”ということ。 ~ドラマ版『ハンニバル』
2017年05月15日 (月) | 編集 |
"海外ドラマ"ネタですが、割りと普遍性のある内容なので、こちらでも。





『ハンニバル』(AXN) (ドラマ版Wiki)

内容

世界を震撼させた連続猟奇殺人犯、ハンニバル・レクター。語られなかった"空白の過去"が今、明かされる…。

ある日、若い女性ばかりを狙う連続殺人事件が起き、FBI捜査官のジャックは、FBIアカデミーで教鞭をとるウィル(グレアム)に協力を依頼する。彼は、殺人犯に共感し、頭の中で犯行を再現できるという特殊な能力を持っていた。そして、不安定な彼の精神状態を心配したジャックは、著名な精神科医であるハンニバル(レクター)を招聘する。

映画「羊たちの沈黙」シリーズにインスパイアされ、史上最悪の殺人鬼の“空白の期間”が、描かれる! (AXN公式より)

ハンニバル・レクター

『羊たちの沈黙』等、作家トマス・ハリスの複数の作品に登場する架空の人物。
著名な精神科医であり猟奇殺人犯。殺害した人間の臓器を食べる異常な行為から「人食いハンニバル」(Hannibal the Cannibal、ハンニバル・ザ・カニバル)と呼ばれる (ハンニバル・レクターWiki)


感想

映画版



の方も見てはいますが、余り覚えていないのでほぼドラマ版オンリーの感想になります。シリーズ全体については、ハンニバル・レクターWiki を参照。
一番有名な映画『沈黙』では、ハンニバル・レクター博士は既に収監・拘束された状態で登場しますが、最終的にそこに至る、博士が"シャバ"にいて殺しまくっていた時代が、主に描かれています。

"ドラマ"としては、とにかく演技&俳優陣、及び演出の圧倒的な"クラス"感で押しまくる作品で、余りにも"押され"るので面白いのか面白くないのか、時々よく分からなくなる作品。(笑)
多分、面白いんですけど、全然面白くないという人がいても、それはそれでそうかなとも思う。(笑)


それはそれでいいとして、ではそもそもこの作品は、何を言おうとしている作品なのか。言いたいことが、あるとして。無いかも知れない、"クラス感"自体が、目的である可能性も。(笑)
でもまあ、あるんでしょう、多分。それが何かと言えば・・・

 なぜ人を殺してはいけないのか。より正確には、なぜ人"だけ"、殺してはいけないのか。

ということかなと。
で結局、作品的な"答え"としては、

 別にいけなくはない

ということになるんだろうと思います。
"答え"というか"主張"、"問題提起"ですかね。レクター博士の。


ここで「殺人」そのものの是非・意味に焦点を当ててしまうと、人類の中で歴史上何千回何万回と繰り返されて来ただろう、抽象的ないしは感情的議論・対立に収斂してしまって、収拾がつかなくなる。

ドラマ的ないしフィクション的妙味としては、そこに「食人」という要素が加わること、"殺す"ことよりも"食べる"ことに中心がずれる、そのことによって"抽象"や"感情"が回避されるところに、巧妙さというか面白味があるのだと思います。
つまり、我々現代人は、日々(意識的に)生き物を殺したりはしていませんが、しかし生き物を殺したものを、食べてはいるわけですよね。日々
そこに"食通"であり、"料理の達人"であるハンニバルが、丹念に、他の生き物に対するのと全く同様の手順と意識で「食材」化した人肉・人体を提供して来ることで、「食事」という行為の日常性を通してその"前処理"としての「殺人」が、倫理的慣習的抵抗をスルッとすり抜けて日常化してしまう、受容可能なものになってしまう、そういう危うさ、知的葛藤が、このドラマの中心にあるだろうと思います。

同じ「食材」、同じタンパク質、何も違わないだろう。出て来ているのはほらこのように「料理」であり、日々食べているものであり、その背後には常に、そういう"前処理"プロセスがあるのだ。人と他の生き物と、何の違いがある。なぜ人についてだけ「殺人」という禁忌が成立するのだ、なぜ人"だけ"殺してはいけないのだ、そうハンニバルは語りかけて来る、こちらを揺さぶって来るわけです。

そうしてハンニバルが破壊した禁忌、開けてしまった"地獄の窯"は、ハンニバル自身をも飲み込もうとします。
そういう本質を持っているというか。
シーズン3で、かつてハンニバルに顔を"食われ"、その復讐に燃える大富豪メイスンが、多額の懸賞金をかけたハンニバルを晴れて捕まえたらどうするかという話題になった時に、彼を「北京ダックにして食う」とうそぶき、その"残酷"な"調理"プロセスを嬉々として語る場面は秀逸でした。

元々ねじくれた性格ではあったメイスンですが、しかし彼を食人に"覚醒"させた、(不要な)禁忌を取り去ったのは正にハンニバルの論理の普遍的な説得力であったわけですし、またハンニバルに対して施されると想像するといかにもゾッとさせる"調理"プロセスも、しかし「ダック」に対しては日々実際に行われているものなわけで、そのことが頭をよぎると果たしてメイスンを非難していいのか嫌悪していいのか、観客は立場に窮するわけです。
メイスンの人格や"復讐"という動機の正当性の問題は、おくとしても。


勿論ハンニバルは動物愛好家などではありませんし、ベジタリアンなどでも全くない、バリバリの美食家です。だから決して、そのことで人類の残虐性を「告発」しているわけではありません。
・・・強いて言えば人「だけ」を除外する、人についてだけ"残酷""禁忌"を言い立てる、その人間の偽善と矛盾は、「告発」しているかも知れない。
ただいずれにせよ彼が求めているのは「正義」ではない、"論理的整合性"という意味での"正しさ"は求めているでしょうが、それでもってもっと"素晴らしい"世界を何か構想しているわけではないでしょう。

言っているのはただ論理的にはこうなるよということであって、その禁忌には根拠が無いよと言っている。後の面倒は特に見ない。目的は若干の悪戯心を含んだ人心のかき乱しと知的優越/正当性の誇示と、だからつまり"間違った"ことはしていない、俺の殺しと食事の邪魔をしないでくれという、言ってしまえばそれだけのことだと思います。

この"収拾"のつけなさ加減が、彼を"カリスマ"的ではあっても「教祖」ではなくて「犯罪者」にとどめおく要素だと思いますが(笑)、とにかくそういう人。一見いかにもサイコパス風の"犯行"ではありますが、果たして彼は"欠落"しているのか、それとも人並み以上の情操は備えつつ、その上で人間が抱える論理的な矛盾を意志と知性で"克服"した卓越した人なのか、そこらへんが作品内的にも、評価の分かれるところ。

実際には"禁忌"の"廃棄"という消極的な主張だけでなく、お得意の「食」に加えてその近隣にある「性」、更に「愛」や「友情」のそもそもについてより積極的な主張も行っているようではありますが、特には取り上げません。
結局どうして欲しかったんでしょうね、ハンニバルは。親友であり心の恋人であり宿敵でもあるウィル・グレアムに、何を求めていたのか彼の何がそんなにハンニバルの心を捉えたのか、そこらへんは終始分かるような分からないような、深堀りしてもドツボにハマるだけな感じ。

ちょいちょいウィルの窮地を助けに入る、"殺人鬼"ハンニバルの「味方」としての頼もしいこと頼もしいこと。(笑)
ドラマとしては、そんな感じです。


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『MM9-MONSTER MAGNITUDE-』 ~脚本家・伊藤和典の再発見
2016年12月17日 (土) | 編集 |
mm9.png



ファミ劇での放送を録画していたのをすっかり忘れていた、『MM9』という日本のドラマを見ました。
『シン・ゴジラ』の樋口真嗣監督の製作総指揮(各話毎に、樋口監督自身も含めた複数の監督が代わる代わる監督するスタイル)による、特撮ドラマシリーズです。2010年製作。全13話(Wiki)
かなり、良かったです。


一言で言えば、"ウルトラQ meets パトレイバー"という感じですかね。
「気象庁特異生物対策課」(通称"気特対")という特殊捜査機関(?)による怪獣退治の話なんですが、各話の"怪獣"どうしにはほとんど関連は無く、また"敵"を退治するというよりも"現象"を解明&対処するという感じで、そこらへんが『ウルトラQ』的。
また"特殊捜査機関"ではあるんですけど、エリート部隊というよりは外れ者公務員の寄せ集めという感じで、それなりに優秀でないこともない彼らが限られた支援やお役所どうしの縄張り争いにも翻弄されながら、何とかかんとかドタバタと、知恵と勇気とまあまあ科学で事に当たって行く、その奮闘ぶり及び地味に豪華で芸達者揃いの俳優陣による妙に生活感溢れるつまるところは"大人のお仕事"ドラマというそういう感じ。(が、"パトレイバー")

俳優陣はほんと、地味豪華ですよ。"特撮"ものですがニチアサ的な感じではなく、深めのゴールデンで普通に民放のレギュラードラマでやれそうなメンツ。

mm9_cast.jpg

尾野真千子、松重豊、加藤貴子、皆川猿時、etc。

実は尾野真千子という人、名前は勿論知ってましたが動いてるのは僕初めて見たんですけど、めっちゃ上手いというかめっちゃいいですね。

尾野真千子1.jpg尾野真千子2.jpg

"強さ"と"弱さ"のバランスの表現が絶妙で、地味だけど色気がある・・・ような無いようなギリギリの感じも、またいい。(笑)
とにかく演技力のある人のようですから、作品によっては、もっと「女」も出したりするんでしようけど。今回はまあ、"おひとりさま"体質的な役どころ。若干のニアミス的ラブアフェアもありつつ。
昼ドラでお馴染みの加藤貴子さんも、"学者"役なんですけど頭でっかちのようなでも意外に堅実で実はねちっこいような独特の性格で、それも「個性的」というよりは「普通の人」がほんとはみんな持っている"複雑さ"を表現している感じで、なんかいい。

加藤貴子.jpg


こういう基本"大人"系のキャラクターの中で、唯一の"女の子"役が石橋杏奈なわけですが、最初は若いのに華無えなあと思ってて、最後まで"華"自体は無かったような気もするんですが(笑)、

石橋杏奈.jpg

一方で"若さ""新人類"(古)感の方は思いっ切り発揮していて、これも大変良かったです。尾野真千子と"ダブル主演"という触れ込みで、実際このコを中心にしても十分に回せるだけの魅力はあるんですが、位置的にはやっぱり"脇"だと思います。(尾野真千子の)ライバルというよりは、トリックスター的な。
最初はライバルにするつもりだったのかも知れませんね、割りとストレートに気に障る感じで、"わがままでわけの分からない新入社員"(役所ですけど)として登場して来ましたから。
ただわがままなりに尾野真千子との馴染みが意外に良かった

石橋杏奈尾野真千子.jpg

のと、"新世代"の合理主義の説得力が余りにも鮮烈で、逆に作品の相対秩序には収まり切れずにトリックスター化したという感じ。
とにかく"正しい"んですよ。若くて無鉄砲ななりに、成熟してるというか。最近で言えば、"藤田ニコル"的な感じ?(笑)。おバカだけど間違ったことは言わない的な。ちょいちょい、大人よりも大人的な。まあもっと遥かに、弁は立ちますけど。
男優陣も申し分なくいいです。とはいえ主役はあくまで女優陣という感じは、『あまちゃん』的な構造。ちなみに橋本愛も、いかにも"橋本愛"的な感じ

橋本愛mm9.jpg

で登場しています。(笑)


最初はぱっと見ていかにもパトレイバーだなあ、そういえば伊藤和典脚本だしなあと、いいんだけど逆に(脚本家として)ワンパターンなのかなという感想もありつつ見ていたんですが、ふと見ると原作が「山本弘」で、"パトレイバー"的味とは個人的に結構遠い印象の人だったので、こんなのも書けるんだあ認識改めないといけないのかなと思ったら、「原作とは基本的な設定が共通しているだけで、ストーリーもキャラクターの設定も全く異なったドラマオリジナルとなっている」とWikiに。
それでじゃあもうほぼ完全に「伊藤和典」作品として見ていいんだとすっきりして、かつそういう借り物設定でもここまで"パトレイバー"出来るんだそれはそれでやっぱり凄いなと思い直して(笑)。そして見続けているとさすがに(アニメではなく)実写でかつ俳優陣も本格的なメンツを揃えただけあって、"ドラマ"の濃厚さはやっぱり更に一段深いなと段々のめり込んで、かつその"オリジナル"エピソードの魅力と特に"オリジナルキャラ"である石橋杏奈演じる"朏万里(みかづきまり)"の存在感・説得力に圧倒されて。やっぱこの人凄いんだなと。
ゆうきまさみと共同で『パトレイバー』世界を構築して見せた後は、押井守に信頼されて重用された(『映画版パトレイバー』『攻殻機動隊』『アヴァロン』)のが逆にあだになったところがあって、何となく「職人」的な印象が強くなってましたが(でも『絶対少年』は凄かった。震えた)、本来はもっと/十分に「作家」な人なんだろうなと、認識&尊敬を新たにしたという、そういう話。

いや、この人はね、僕に「脚本」とはなんぞや、いかにあるべきかいうことをはっきり意識させてくれた、多分初めての人なんでね。(TV&新OVAシリーズ版)『パトレイバー』という作品を通じて。そこらへんを語り出すと終わらないので、今回は控えますが。(笑)
富野由悠季さんとかはさすがにもうとっくに賞味期限切れでしょうけど、この人にはまだまだ、もう一つくらい、自由に大きな仕事をしてもらいたいなと思っています。
アニメでも実写でも、それはどちらでもいいですけど。
ていうか普通に実写でいけるじゃんと今回確認した、出来たと、まあそういう話です。
"押井守の実写"とかが、ちょっとうーんと感じるのに対して。(笑)


とにかく良かったです。おすすめ。
機会があったらどうぞ。
特撮も勿論、"さすが"の出来ですし。(そこ最後かい(笑))


テーマ:特撮
ジャンル:テレビ・ラジオ
『劇場版 艦これ』 & 『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅/3D版』
2016年12月05日 (月) | 編集 |
11月で切れる株主優待券を二枚もらったので、慌ただしくダブル・ヘッダーで見て来ました。
まあ『艦これ』の方は、前々から騒いでいたように(笑)、元々見に行くつもりではあったんですけどね。

多分7年ぶりくらいの映画館での鑑賞で、次もそれくらいになるだろうと思うので(笑)、せっかくだから感想を書き留めておきます。
いや、実際二本とも良かったし。






まず『劇場版 艦これ』
TV版絶賛、かつ珍しく絵的映像的なクオリティにいたく感銘を受けていたので、劇場版が出来ると聴いてほんとに珍しく、「大画面で見たい!」という健全欲望が沸きました。(笑)

ふむ。期待通りでした。
「大画面」については、別にどっちでもいいかなという感じでしたが。"TVと同じように"、楽しめたという感じ。同じように綺麗だった。
基本"迫力"には、余り反応しないタチ。小は大を兼ねるというか、"小"で感じないものは"大"でも感じないというか、"大"でのみ感じるものは、それは幻というか単に雰囲気で誤魔化されてるだけというか。
"大"を"生"(なま)とかに置き換えても、いいと思いますが。

まあそんなことは、どうでもいいんです。(笑)
相変わらずの、謎の官能性と、冴え冴えとしたかつ染み入るような情緒に、没入しました堪能しました。
「官能性」と言っても、別に"艦娘"(かんむす)たちアニメ的美少女が、露出度の高い制服を着ていたり戦闘でそれがボロボロになるからとか、そういうことでもないんですよね。そうではなくて、映像全体が、何かのたうつように終始官能的な印象。声の無い声が聞こえるというか。ベースの印象を形成しているのは、多分、独特の暗く彩色された海の色波の動きなんでしょうが。

そこにおいて艦娘たちの"肌"は、むしろ「覚醒」要因というか、"素肌"の清冽さで官能の暗い海にを点しているような、そういう印象。
まあ彼女たちの存在や奮闘ぶり自体が、"戦争状況"においてそのように機能している、"健気"要素であると、そうざっくりアナロジー出来なくもないですが。

・・・深海棲艦たちは、もっとストレートに暗く"官能的"ですけどね。

深海棲艦1.jpg深海棲艦2.jpg


特にそれまで無言無表情だった彼女(?)たちが、艦娘にやられて一瞬"恐怖"の表情を浮かべるところとかは、かなり"イケナイ"感じだと思います。(笑)
やってるのが"正義"側だというのがね、何とも。「残虐」感があるというか。

ただし作品全体の中では、そういうシーンは少し"切り離された"印象ですが。
分かり易い「二重構造」ではない。
それがまた、世界観の得体の知れなさというか"謎"感を与えて、そそるという。(官能をではなくて(笑))

今作ではその世界観についての"種明かし"がなされるわけですが、それ自体はまあ、そうなるだろうなというか、納得はするけど若干の予定調和感というか。少し気は抜けた感じ。
だから"ピーク"は、その直前の、"深海棲艦"化した「如月」が助けに来る場面ですかね。来るだろうなとは思ってたけど、それでもゾクゾクしました。"深海棲艦"特有の「無表情」も、狙い通り効いていたと思います。

その後は何か、"賢者モード"で見ていました。(笑)
ティッシュティッシュ。


追加の感想としては。
ご存知この『艦これ』という作品は、帝国海軍の実在の艦艇たちを美少女に擬人化した「艦娘」たちの活躍(?)を描く、広い(かなり広い(笑))意味の擬似戦記ものというか、ミリタリー趣味ものなわけですが。(Wiki)

僕もそういうものに特に詳しいわけではないですが、その"擬人化"の奇想天外かつ意外に忠実なディテールや、「作戦」展開やそれにまつわる議論・言葉遣いの妙な真剣味や「本格」感、あるいは彼女たち"帝国海軍"が展開している「南方」の風土感や施設のデザインなど、単にオタク趣味コレクター趣味とも、また"考証の正確性"とも少し次元の違う、独特の"入り込み"方"掴み"方を感じさせられて、それがまた僕が気が付くと真剣に見てしまう、そういう一因なわけですが。

「魂」を感じるというか。あるいは「深海」の存在を。わだつみの声が聞こえるというか。(笑)
それは方向としては、"戦争の悲惨さ"みたいなそういうタイプのものではなくて、基本的にはやはり"ミリタリー趣味"ではあるわけなんでしょうが、ただそれを突き抜けて、何かはっとさせるほど純粋に、素朴に、「自分たちの過去」への愛情、慈しみ、そうしたものを感じさせる。

例え本当にそうだとしても、"悲惨"や"間違い"という紋切型で固定して捨て置かれる、そのことへの哀れというか心残りというか。
そんなに「意図」的なものは感じないんですけどね、"作者"のことは知りませんが、何か「思想」があって描いているというよりも、もっと集合的な何かに"描かされている"ような、そんな印象を与える作品。

だからこそこれだけ(ゲームが)ヒットした、"艦娘"たちが愛された、というか。
その冠された艦艇たちの、「名」と共に。


やはり何というか、方向性としては逆に近いかも知れませんが、僕が最近今更国家神道」及び戦時体制について調べているように、日本人には知らなければいけない埋められなければいけない「過去」が、「空白」が、存在している、存在しているということを現代の日本人が心の底で感じていると、大げさに言えばそういう印象です。

それに導かれて『艦これ』も僕の"研究"もあり(笑)、僕は『艦これ』を愛していると、そうまとめておきます。(笑)



続いては『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅/3D版』

ファンタスティック・ビースト1.jpgファンタスティック・ビースト3.jpgファンタスティック・ビースト2.jpg


『シン・ゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』といくらでも選択肢がある中で、なぜこれを"もう一本"に選んだかというと・・・"3D"ですね。(笑)
上で言ったように、次いつ映画館なんか行くか分からないので、この機会を逃さずにとりあえず体験しておこうと。
次また7年後とかだったら、今度は"4D"になってるかも知れないですし。(ならんと思う)

まあハリポタはそもそも好きですし。信頼してますし。ハーマイオニーがいないという、不安はありましたが。(笑)
上の"代わり"のおねえさんは、一見いかにも色気の無い感じですが、それが逆説的な色気というか、"文化系こじらせ"ガールというか、それはそれで可愛げがあって、良かったです。
基本的にはでも、「正義感が強い」タイプですね、ハーマイオニーと同じく。それが作者の好みなんでしょう。(笑)

ま、いい意味で、大人版ハリポタです。シリーズが好きな人は、期待を大きく裏切られることは無いと思います。


さて問題の"3D"ですが。
予想以上でした。正直期待以上。

「建物」とか「文字」とか「CGモンスター」とか、そういう"仕掛け"の部分は生理的に驚きはしても、ああそうねというところではあるんですが。
「人間」「人物」が3次元で見えるというのは、2次元とはかなり質の違う経験に感じました。
当たり前ですが、"実在感"が全然違う。見終わってから早速、「AV 3D」で、検索かけてしまったくらい。(笑)
残念ながら、まだまだ一般化は遠そうですけど(笑)、ハード/ソフト両面で。
"ポルノ映画"なら本格的なのがあるらしいですけど、みんなで見るもんでもなあ(笑)。せいぜいデートで使うとかくらいしか。

それはともかくとして(笑)、でもほんとに結構、画期的かも知れないと思いました。
現行の「3D映画」がそのまま発展してそうなるかはともかくとして、いずれはとってかわるかもしれない、新たな"主流"になるかもしれないと、そう思わされました。
分かり易く言って、現在存在する"問題点""障害"が解消されれば、はっきり言って「2D映画が優る」点というのは特に思いつかないということです。2Dでも別にいいけど、3Dであるに越したことはないというか。まあ「固定電話」と「携帯電話」みたいなものというか。それくらい"必然的"な、技術革新に感じられました。
「モノクロ」と「カラー」なら、今でも「モノクロ」の方が美しいと感じる部分が僕はあったりしますが、「カラー」どうしなら、断然3Dの方がいいです。
まあ「映画館に出かける」という"体験"の、特別性という意味でもね。行くのが当たり前の人には、ピンと来ないかも知れませんが。

実際この先も、いい3D映画があったら見に行こうかなと、僕は思ってるところで。眼鏡も買ってしまったし。(笑)
VRゲームとかも、俄然興味出て来てしまったかなあ。自分でも意外ですが。


ま、繰り返しますが、映画としても良かったです。
やっぱりこの人(J・K・ローリング)は凄いですね。
「典型」「紋切型」を駆使しつつ、でも"様式美"に収まらない活力を、常に作品に与えている。
それは多分、それら「典型」の起源・おおもとについての、独特の/この人一流の理解・直観があるからだろうと思いますが。
"後発""模倣"だけど、"古く"はない。"オリジナル"に等しい「使用権」を、その手に握っている。"流派"の正当継承者なのかダライ・ラマ的な転生者なのか、理由はよく分かりませんが。(笑)

とにかく"全てが既に表現し尽くされている現代"という罠を、悠々とすり抜ける特権的な人だと思います。
ただ・・・タイトルはダサい気がします、今回(笑)。分かり難いしピンと来ない。
まあ小説ではなくて「脚本」として関わってるので、決めたのは別の人かも知れませんが。


今日はそういう話。(笑)
なお、3DAVの機材等持っている人がいたら、密かに連絡してくれても怒りませんよ?(笑)


テーマ:映画館で観た映画
ジャンル:映画
『ウィンター・ソルジャー ベトナム帰還兵の告白』 (ドキュメンタリー)
2015年06月22日 (月) | 編集 |

ウィンター・ソルジャー
ベトナム帰還兵の告白 [DVD]



最近ヒストリーチャンネルで見た映画。1972年作品。
副題通り、ベトナム帰還兵たちの証言が次々と流されるだけのシンプルな構成のドキュメンタリー映画ですけど、インパクトがありました。
その陰の作り手のセンスやメッセージも、よく伝わって来たというか。

その中の特に印象的だった証言を、僕もまず黙々と列挙してみます。
順番は製作者の意図を尊重して、あえてテーマ化はせずに、単純収録順です。ただ証言兵士の区別だけは、分かるようにしてあります。


兵士A(移送途中のベトナム人捕虜をヘリコプターから突き落とす常習的な事例について聞かれて)

上官からはこう命じられた。"捕虜を乗せる時は人数を数えるな。降ろす時に数えろ"。
若い兵士が"なぜです?"と尋ねると、"数が合わないと困る"と中尉は言った。


兵士B

村には敵はいなかったが、包帯をした女性がいた。
彼女は6人の共和国陸軍兵に尋問され、包帯をしていたという理由で撃たれた。20発もだ。(中略)
国際開発庁に勤めていた男は(中略)彼女の服を脱がすとナイフを出し、女性器から胸まで切り裂き、内臓を取り出した。そして投げ捨てたんだ。
次に彼はひざまずき、女性の皮膚をはぐと、戒めのように置き去りにした。


兵士C(カルミニ)

武器を使ったゲームをやった。
迫撃砲を使うチームは、まず友好的な村に行き、数軒の家を選ぶ。そして1軒の家が倒壊するまで、迫撃砲を撃つ。
大砲を使うチームも、1軒の家を破壊し尽くす。
少ない弾薬で倒壊した方が勝ち、負けた方がビールをおごる。

中佐も参加したストーン作戦で、ベトナム人の頭を切断した。2人の頭を棒に刺し、原っぱに立てた。
だが記者が取材に来たので、2度と行わなかった。


兵士A(再)

ジュネーブ条約に関しては、講義で指示書きが配られこう言われた。(その後捕虜に"された"場合に主張すべきことのレクチャー内容が続く)
捕虜の扱いについては、何も教わらなかった


カルミニ

ベトナム人の女性が我々の隊の狙撃手に撃たれた。彼女は水をくれと言ったが、上官は殺せと命じた。
彼女は服を脱がされ、乳房を刺され、腹を切り開かれ、女性器にスコップを刺し込まれた
女性は水を求め続けたが、木の枝に吊されて射殺された。

彼らを人間として見ていなかった。それに国のためになると信じて、命令に従ってた。国のためなら許されると。東洋人や共産党員なら、撃ってもいいと思った。


兵士D

彼らは東洋人だ
南ベトナム民族解放戦線の東洋人であるうえに、つり目の不細工な連中だと思ってた。東洋人は我々より劣ると思ったし、アメリカ人を文明人だと思ってた。だから好きなように扱った。


カルミニ

アメリカ人は、国家や政府が正しいと思っている。
神も味方につく、世界最強の国だと。
(中略)
僕は国のためだと思って、ベトナムに行った。二度目の派遣の時は、完全にそう洗脳されてた。

食前食後に荷物を背負って5キロ走らされるので、僕は毎日食事を吐いてしまった。
訓練所では話すにも許可が要る。"カミルニ二等兵です、話してもいいですか?"と。
教官は"何だ?"と言う。"便所に行かせてください"と言うと、"我慢できんのか?"と言う。
"はい"と答えると、"サイレンの口まねをしつつ部屋を3周しろ"と。僕は"ウーウー"と叫びながら走る。大声で速く走らないとダメだ。
またはこう言う。"1時間待て。我慢できたら、ケツを蹴ってやる"。つまり漏らすか、ケツを蹴られるかだ。
あんな異常なシゴキは、精神に悪影響を及ぼす。

ランニングの時は、"殺せ殺せ殺せ"と歌った。(中略)柔道やナイフや銃剣の訓練中にも、"殺せ殺せ"とかけ声をかける。
訓練が終われば敵(東洋人)を殺せると思うと、楽しみになっていった。


兵士E(尋問、つまりは拷問について)

尋問者は監視されたんだ。
ヒル29で行う僕の尋問は憲兵に監視され、彼ら憲兵隊はしばしば尋問に手を貸してくれた。


兵士F

外に出ようとして、上官の靴を踏んでしまった。彼は僕の首をつかんで言った。"俺の靴をきれいにしろ"。
"靴みがき道具を取りに行きます"と言うと、"お前の舌があれば十分だ"と言う。結局彼のホコリだらけの靴を、なめるハメになった。そんなのは日常茶飯事だ。

ベトナムでは役を演じる。プロの海兵隊や殺し屋の役を、正確に演じねばならない。


兵士G

ベトナムから帰国するとようやく、あの戦争や政府の方針が異常だと気づくんだ。
夢を見続けていたような気がしたし、記憶が飛んだような気もした。全部夢だったような感じだ。


兵士F(再)

我々はゲラゲラ笑い、そのことは忘れてしまった。そして僕は1年後に、その一件を思い出した。
まさにベトナムにいる米軍兵の典型だ。ベトナム人を憎みはしないが、軽んじている。彼らを人間として見ていないばかりか、存在を無視していた。


兵士H

村人は米兵の残虐さを知っていたので、若い娘を隠した。だが我々は防空壕に隠れた女性を見つけ、家族の目の前で6~7人でレイプした。村人もそこにいた。(中略)同じような暴行が、10~15回あった。


兵士I

軍では兵士は、心を堅い殻で覆う。洗脳され、人間性を奪われているからだ。
無防備ではベトナムで生きていけない。一瞬でも心を覆う殻を開いてしまえば、正気を失ってしまうだろう。自分が苦しむことになる。


カルミニ

5分前は元気だった友達の死を、受け入れるのは難しい。(中略)そして"お前のためにベトナム人を殺す"と誓う。
そうなると狩りにでも来た気分だ。滞在先や銃の心配をせずに毎日狩りに行けて、無制限に好きなだけ獲物を撃てる。まさに狩猟旅行だ。


兵士J

我々は村で小さな子供の死体を見た。(中略)それに3歳くらいの女の子の死体も見つけた。ヘリの乗員が退屈したから殺されたんだ。
大隊にこれが報告されると、殺したのが2人では少ないと叱責された。(中略)こういうことは一度ではない。大勢の帰還兵が同じような光景を見ている。


兵士K

隊には憎しみが漂っていた。友好的なベトナム人など、いるはずないと思った。
彼らは東洋人だ。"ベトナム人"ではなく、"東洋人"と呼ばれた。

我々が見つけた村の半数は、完全に焼き払われた。
焼く村を選ぶのに、基準は無い。時間があれば、焼き払う。


兵士L

"ハンターキラー"というチームでも、任務に就いた。そのチームで他の操縦士から、ベトコンの見分け方を教わった。
"米軍を見て逃げたら、ベトコン"。"逃げなかったら、よく訓練されたベトコンだ、そいつも撃て"。


カルミニ

ベトナムを去るころ、隊に召集兵がいた。彼らの考え方は、他の連中と違った。(中略)
だが彼らに同意もできず、僕は大学に進んだ。法学専攻だったので歴史を取り、政治科学や歴史の授業で、世界を理解し始めた。
ジュネーブ条約を知った時は、驚いたよ。

(記者)
自分のしたことを理解した?
(兵士)
ああ、すべて間違っていた。人を肌の色で差別せず、人間としてきちんと扱うべきだ。主義で差別するのも正しくない。
そういう話をする時はよく笑う。軟弱に思われないためだ。
男なら情に流されない強さが必要だと育てられた。
(中略)
(記者)
あなたにとって男らしさとは?
(兵士)
今はもう定義がない。
でも僕は以前より、感受性が強くなった。(中略)
でも別のことを考える。表面的な男らしさなど意味がないのに、どうしても涙をこらえてしまう。

心から信じていた組織などを、信じられなくなるのはとてもつらい。(中略)
家族などにその悩みを話すと、"お前はどうかしてる、気は確かか?"なんて言われて腹が立つ。
でも学校の友達は理解してくれる。


兵士M

ステージに上がったら、緊張したよ。自分が冷たい人間になったと、想像した。でないと泣き出しそうだった。
(なぜ泣くのが怖かったの?)
兵士だという感覚が消えないからだ。刷り込まれている。その感覚は簡単に消えず、コントロールするのは難しい。
一度に感覚が戻るのではなく、徐々に戻って来る。
いつか消えてくれるといいんだが、今も感覚は残っているし、受け入れてるよ。


兵士N

本当におかしな話だ。教化や訓練で、人間を思うように操れるなんて。
僕らはウソの人生を生きていた。自分の人生ではない。誰かが決めた道を進んでいた。彼らには僕らの行き先も分かってたんだ。
だが僕らはウソに気づき、闘うことにした。

敵が目の前に現れると、撃たなくてはいけない標的に見える。正直言って、人間ではなく、標的に見えるんだ。
撃ってから思う。"なぜ撃った?"。"僕はこんなことする男じゃない"。来たことを後悔するが、遅い。
だから正当化しようと、躍起になる。間違ってると知りつつ、そうしていた。


(字幕)
1971年1月31日~2月2日、冬の兵士証言集会が、ミシガン州デトロイトで開かれた。
そして4月6日~7日、すべての証言記録が、連邦議会議事録に載った。



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劇場用映画ベスト50[殿堂]
2014年11月11日 (火) | 編集 |
最初は思いの外好評のようだった「小説」二匹目のどじょう的な感じでやろうと思ってたんですが(笑)、あれもあるこれもあると思い出している内に収拾がつかなくなって、気が付くと作品数がちょうどそれくらいになっていたので、じゃあベスト50でいいや、それで「殿堂」だあと、そういう次第です。(笑)

まあ小説に比べると、映画はそこそこ網羅的に見ている方だと思いますし、少なくとも古めのやつは。
そういう意味では、個人的ながら「殿堂」を称しても、そんなに首筋は寒くない。(笑)
とはいえかなり、独自基準だとは思います。余り人に話して理解された経験は無い。
あとまあ、それなりの分厚い歴史を持ったジャンルなので、"殿堂"ということで年代順に並べてみると、結構面白いというかそれぞれの映画の空気感が分かって、認識を新たにするだろうというか。

そんな感じです。
基準は小説版と基本的には同じで、歴史的意義とか客観的評価というよりも、僕に"特別"な印象を残している作品、ということ。
では古い方から。


1920年代
『メトロポリス』(1927独)
『裁かるるジャンヌ』(1928仏)
1930年代
『砂塵』(1939米)
1940年代
『わが谷は緑なりき』(1941米)
『脱出』(1944米)
『紳士協定』(1947米)
『自転車泥棒』(1948伊)
『赤い河』(1948米)
『第三の男』(1949英)
『三人の妻への手紙』(1949米)
1950年代
『ミラノの奇蹟』(1951伊)
『裏窓』(1954米)
『奇跡』(1955ベルギー・デンマーク)
『十二人の怒れる男』(1957米)
『戦場にかける橋』(1957英・米)
1960年代
『荒馬と女』(1961米)
『ナヴァロンの要塞』(1961米)
『アラビアのロレンス』(1962英)
『奇跡の人』(1962米)
『しとやかな獣』(1962日)
『鳥』(1963米)
『小間使の日記』(1963仏・伊)
『未知への飛行』(1964米)
『ベトナムから遠く離れて』(1967仏)
『銀河』(1968仏)
『ワイルドバンチ』(1969米)

1970年代
『小さな巨人』(1970米)
『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973米)
『エクソシスト』(1973米)
『サブウェイ・パニック』(1974米)
『タワーリング・インフェルノ』(1974米)
『悪魔のいけにえ』(1974米)
『ミスター・ノーボディ』(1975伊・仏・西独・米)
『ネットワーク』(1976米)
『ナヴァロンの嵐』(1978英)
1980年代
『普通の人々』(1980米)
『E.T.』(1982米)
『ポルターガイスト』(1982米)
『危険な年』(1982豪)
『ニール・サイモンのキャッシュマン』(1983米)
『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985米)
『ガラスの動物園』(1987米)
『友だちのうちはどこ?』(1987イラン)
『ダイ・ハード』(1988米)
1990年代
『五人少女天国行』(1991中国・香港)
『そして人生はつづく』(1992イラン)
『オリーブの林をぬけて』(1994イラン)
『ショーシャンクの空に』(1994米)
『ブギーナイツ』(1997米)
2000年代
『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001米)[に始まるシリーズ]


・・・と、小津安二郎のどれか、という感じです。(笑)

とりあえず製作国で分類してみると、米31英3、仏3、伊2、その他独1、日1、豪1と、中・香1にイラン3
それから合作がベルギー・デンマーク1、英・米1、仏・伊1、伊・仏・西独・米1。
ヨーロッパ系も結構見てるはずなんだけど、見てる時は浸ってても、見終わるとどれがどれだか記憶に残らないのが問題(笑)。まあ元々その"代表"たるフランス映画は好きじゃなくて、今回の"3"本も内2本はデンマーク人とスペイン人の監督によるもので、残った1本もドキュメンタリー系。要はキミたち向いてないから映画なんて作らんでいい、批評だけやっとれというのが、僕の心の声かも(笑)。ヨーロッパ映画に苦手意識のある人は、とりあえずフランスを外しながら見てみると、思いの外に素朴で愉快なのが多くていいと思います。ロシア人とか天才だよね、やっぱり。入ってないけど。(笑)
イランは3本とはいっても一人の監督(後述)によるシリーズもの。ただし「イタリア、ロシア、イラン」を3大天才的演劇国と言ってる人などもいて、それはそこらの素人捕まえて来て演じさせてもいきなり様になるからとか。"イタリアン・ネオレアリスモ"などもそうした土壌あってこそという。分かる気がする。

次にジャンルで分けてみると、
サイレント
『メトロポリス』『裁かるるジャンヌ』
西部劇
『砂塵』『赤い河』『ワイルドバンチ』『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』『ミスター・ノーボディ』
西部劇系人間ドラマ
『わが谷は緑なりき』『十二人の怒れる男』『荒馬と女』『小さな巨人』
社会派1
『紳士協定』『ベトナムから遠く離れて』『ネットワーク』
社会派2
『危険な年』『刑事ジョン・ブック/目撃者』『ブギーナイツ』
リアリズム
『自転車泥棒』『友だちのうちはどこ?』『そして人生はつづく』『オリーブの林をぬけて』
サスペンス
『第三の男』『脱出』『裏窓』『鳥』
ホームドラマ
『三人の妻への手紙』『普通の人々』『ニール・サイモンのキャッシュマン』『ガラスの動物園』
ファンタジー
『ミラノの奇蹟』『五人少女天国行』『ハリー・ポッターと賢者の石』
ヒューマンドラマ
『奇跡』『奇跡の人』『ショーシャンクの空に』
戦争映画系
『戦場にかける橋』『ナヴァロンの要塞』『アラビアのロレンス』『ナヴァロンの嵐』
シュール系?
『しとやかな獣』『小間使の日記』『銀河』
SF系
『未知への飛行』『E.T.』
ホラー
『エクソシスト』『悪魔のいけにえ』『ポルターガイスト』
パニック・アクション系
『サブウェイ・パニック』『タワーリング・インフェルノ』『ダイ・ハード』

かなり適当ですけど、こんな感じ。
社会派の"1"と"2"というのは、社会問題を直接的にテーマ化しているのと、メインのモチーフに据えつつも基本はドラマを見せるものと、そういう分類です。
キリが無いので控え目にしましたけど(笑)、フェイバリットは何と言っても、"西部劇"です。やってりゃ見ます。9割方面白いです。まあ"内容"や"オリジナリティ"というより、要はグルーブ、スウィングだという意味で、ブルースに似てると思います。とにかく気持ちいい。(笑)

・・・ちなみに小津さんが好きなのも、多分同じ系だと思います。(笑)
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ハウス終わっちゃった
2014年02月19日 (水) | 編集 |
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結局シーズン8で終了。まあよく続いた方かなと。(Wiki)
人気作には違いないんですが、かなりアクが強くて癖があって、ダラダラ定番的に続かせるタイプの作品ではないし、毎回毎回医学的"ミステリー"を構築するのも、ネタ的に大変だったろうし。
後半の「中毒」「恋愛」「服役」という"燃料"投下も、それ自体としては個人的にはあんまりピンと来なかったです。ただただ、ハウスとそれを取り巻く人々との、日々のやりとりや葛藤が面白かった、実は"日常"系ドラマではないかと。(笑)
そういう意味では実はあんまり書くことが無いんですが、とはいえ歴代でも個人的ベスト10には確実に入って来るだろう、思い入れ深い快作なので、何か一回はまとめて、書いておこうかと。
多分多くは以前書いたことの焼き直しになるかとも思いますが、ご容赦を。(笑)


1.「診断」とは、独立したアート<技芸>である

ドラマ『ハウス』が教えてくれたこと、その1。
昨今でも、例の「医薬分業」「調剤薬局」の独立という出来事によって、何となく「医学」「医者」としてまとめて認識していたものが改めて分けられて、そうなの?という思いにかられた人は多いと思いますが。
言い換えると薬を出したり注射をしたりして治療をしてくれる人が医者で、診断はそのための下準備であると。(でしかないと)
ただものの本に拠ると(出典忘れ)例えば西洋医学の原点である古代ギリシャにおいては、「医者」というのは『診断』をする人のことであって、『調剤・投薬』どころか『治療』全般は、弟子というか下働きというか、医療分野における"労働者"のやることであって、("労働"全般がギリシャにおいてそうであるように)余り社会的に高く評価されなかったとか。
診断だけして治せなきゃしょうがないじゃないかと現代の我々としては奇妙に思いますが、恐らくは「医者」の更に前身であるシャーマン的職業の人々が、共同体に降りかかった異変の呪術的"意味"を確定して、それによって社会に安定・安心をもたらしたその職能の、多分に延長線上にあるのではないかと推測は出来ますが。・・・・実は現代でもありますよね、そういうことは、とりあえず「病名」がつくと、診断がつくと、"安心"するという心情が。治る治らない以前に。とにかくこの苦しいor訳の分からない症状の、"意味"は分かったと。分かったような気になると。
それを教えてくれた人をこそ「先生」と尊敬するというのは、"宗教家"的なニュアンスも含めてまあ理解は出来る。訳の分からないものは怖いですから、ほんとに。

そうした社会的文化的な位置づけの話はともかくとして、現代医学においてもやはり「診断」そのものに高度な、あるいは独自の専門性を認めるという考えはあるようで、日本では余り聞いたことが無いですが、このドラマではアメリカのさる大病院における"診断"のみを専門に行う、更に言えば対外的に"花形"である部門のトップとして、天才医師ハウスが登場します。・・・・あんまり注意してませんでしたが、他の病院にもちらほらと似たような部門自体はあるようです。
勿論外来患者がふらっと風邪の診断におとずれたりはしなくて(笑)、他の病院の一般医などには手に負えなかった難解な症状を示す患者のみが、特別に回されて来るわけです。ここらへんはあえて言えば、刑事捜査における「所轄」「FBI特別捜査班」的な、そういう分類・分担かなという。
ちなみにこの病院にも普通の外来はあって、天才ハウスも退屈だとぶーぶー言いながら、たまにそうした患者の対応をして、稀にその中に隠れた難症例を発見して大喜びしたりします。(笑)

まあ考えてみれば、日本でもある医者が解明出来なかった、ありきたりなor別の病気と誤認してしまった症状を、セカンド、サードオピニオンで別の医者が正しく診断するなんてことは、ままあるわけですからね。
そこらへんを行き当たりばったりではなく、制度化した感じでしょうか。
とにかく「"診断"という能力の独立性超越性」というものを、誰よりも体現しているのがハウスであり、このドラマが再認識させたことであるということです。

2.「診断」は難しい

"1"と同じことではあるんですけど。
それにしても、実に"難しい"ということを見せつけられて、正直医者にかかるのが怖くなります。(笑)
そうそう難解な病気にかかったりはしないわけでしょうが、例えば僕は本当に気管支喘息なんだろうか。何か別の病気と誤認されたまま、30年も対症療法を続けているだけなのではないだろうか、とか。

まあ僕に医学的知識は特に無いですし、ドラマの為に殊更トリッキーで複雑な症状を作り出しているのは勿論分かるんですが、それにしてもこれだけ一流の、あるいは最新の知識を持ってるらしき医者が何人も知恵を出し合って、ここまで何の病気の症状か分からないことや、誤った"正解"にたどり着いてしまうことがあるんだなあという。論理的に、あり得るんだなあという。
しかもしばしば、「この診断が間違っていればこの治療によって、患者は死ぬ可能性がある」というような場面が訪れますし。そしてそういう時は大概、ええい、とやっちゃってるだけ。(笑)
逆になまじ知識が豊富だから迷うという面もあって、日頃決まり切った症例しか扱わない医者がそうでない症例にもついいくつかの特徴から決まり切った診断をして、それで間違うということは多分当たり前にあって、更に言えばハウスたちのような知識があるわけではないけれどそれなりのセンシティビティを持った一般医が、とりあえず通例ではこう診断するけれど、ほんとにこれでいいんだろうかと内心結構びくびくしながら医療活動を行って、どうやら治療が効いたようだから診断も間違ってなかったらしいと胸を撫で下ろすみたいな、そんな場面も僕らの知らないところで日々繰り広げられているのではないかと、そういうことはこのドラマを見ているとかなりビビッドに想像出来ます。怖いです。(笑)

少し先走っちゃいましたが、だから実際には、「症状」「診断(病名)」のミステリーに加えて、「原因(治療法)」のミステリーも存在するんですよね。ある一つの症状が様々な病気に当てはまる可能性があるのと同時に、ある局部的直接的"原因"の存在が、これも様々な病気の可能性を構成している。・・・・ありていに言えば、ある症状の抑制・治療、原因の除去が"成功"したとしても、それが「診断」の正しさは保証しないという。その限りではたまたま効いたけれど、その奥にある真の原因はそのままであったり、あるいはこのドラマで結構出て来た状況として、ある"病気"(A)にかかったことによってそれ以前に存在していた"病気"(B)が抑制されていたのを、なまじ医者が病気Aを"治して"しまったものだからより致命的な病気Bが目覚めて活動し始めて大騒ぎ、みたいな。(笑)

まあ実際にこんなことが、どれくらい起きるものなのかは、知らないですけど。
ただ"現実"もこんな感じなんじゃないかなみたいな、そういう感想もありますね。「原因」と「結果」の直線的な連鎖が成立していることなんて滅多に無くて、ヘボ医者としての我々がたまたま目に見えているところを切り取って認識しているだけで、実態/総体はもっと全然違うものなのを気付かずにいたり、あるいは誤った「原因」の除去("犯人"の告発)によって、気が付くとより致命的な事態を招来していたり。
それでも医療の場合は、まだけりがつく可能性が高いからいいわけですけど。ハウスじゃなくても(笑)、一応"専門家"もいますし。
「現実」の"専門家"は、いったい誰なのか。政治家?科学者?宗教家?(笑)

3."天才"の内面

前に書いたことですね。
サバンなりアスペルガーなり、特にコミュニケーションに障害を抱えた、つまりは我々一般人の目には奇妙に見える"天才"たちを研究・描写した映画・ドラマは結構ありますし、あるいは"協調性の無い異能のヒーロー"を主人公としたドラマに至っては、むしろ王道の一つと言っていいくらいに数多あるわけですけど。
ただそれらがそうした人たちを、"外"から、しばしば物珍しげに描いている、別な言い方をすると「一般人」である製作者が「異物」である"天才"を描くというスタンスであるのに対して、このドラマの優れている、特徴的なところは、ぎりぎりまで"天才"であるハウス側の生活実感に寄せてドラマを進行させることに成功していることだと思います。
再び言い換えれば、脚本家は"天才"ハウスと一体化しているということです。自分も天才という態で描いているというか、実際それに近い知力の持ち主なんだろうというか。

まあ多くは寡黙訥弁な上記サバン系天才とは違って、ハウスは性格が極端にひねているだけで(笑)コミュニケーションスキルに特に問題は無いので、自ら喋りまくる自分のことを説明解説しまくるという、単純なスタイル的問題もあるとは思いますが。
それにしても、新鮮な感覚でした。こんなんありなんだという。
と同時に、今までの不満が解消されたという面も。
・・・・どういう不満かというと、従来のドラマでは頭のいい人が頭のいいゆえに"差別"されている、「鼻持ちならない仇役」として類型化されたり、実際には頭の余り良くない脚本家によって(笑)、本当に頭の良い人なら言わないせりふを言わされたり、あるいはそれによってかえって馬鹿に浅薄に見せられたりという。意図的にもしくは結果的に。

まあほんと、日本のアニメとかでもうんざりさせられることは多いです。頭の良い人を「普通に」描くことが出来ているものは、滅多に無いというか。・・・・例えば『コードギアス』とかは、そこらへんなかなか良かったですけどね。かなり情け容赦なく、頭のいい人(主に主人公)の方の生活感で、作品全体を進行させていた。
ここらへんに関しては、実は主に腐女子系ファンによる男の"美"を鑑賞するという感覚の流入によって、近年かなり改善が見られるというか、従来の"熱血馬鹿""正義漢"寄りのドラマ作りからの脱却の傾向が見られる気がしますがそれはともかく。(笑)

まあ一般論として、「分からない」ことは描くべきではないのであって、ある意味その一例として、"自分より頭のいいキャラ"は描くべきでないというか、そもそも描けないだろうと、そういうことは言えなくもないのではないかと。
・・・・と、言うような積年の不満を一挙に解消してくれた快作が、『ハウス』であると、そういう話です。(笑)
天才の天才による、天才の為の?(笑)
まあそこまでぶっ飛んでるわけでもないですが。見るだけなら、普通の頭で見られますが、感情移入できるかどうかには、人により多少の注文はつくかなという。

4.キャラたち

冒頭で言ったように、このドラマは第一には"医学ミステリー"ではありますが、ここまでの長寿シリーズになれたのは、"ハウスと愉快な仲間たち"的な、強烈に狷介固陋な主人公ハウスをめぐって起きるある種お決まりの(起きるに決まっている(笑))摩擦・人間ドラマを丁寧に描いたこと、それが魅力的だったことが大きいだろうと思います。
もっと言えば、どちらかというと破滅型の主人公ハウスと共に直線的に収束してもおかしくなかったストーリーを、適当に周囲の人物を入れ替えて新しい葛藤を見せることで持たせた、"キャラ"ものであると、そうも言えるかと。そういう意味では少し安易で、一回一回の面白さは毎回文句なしですが、通してシリーズとしてどれくらいの傑作と評価出来るかというと、ベスト10には入るけどベスト1の候補にはならないなと、そんな感じになるわけですが。

ただほんと、楽しかった。
基本的にハウスが"無敵"な人なので、どんな脇をぶつけてもそれなりに成立するので、最初は結構計算して構成されていた人間関係も途中から適当になって(笑)、こんなキャラはどうだ、こんなキャラはどうだと、次々に他のドラマではあんまり見ないようなそれぞれに身も蓋も無い個性を持ったキャラがハウスに挑みかかって、プロレス的というかジャズ的というか、実にスリリングで飽きさせなかったです。(その分初期からいる行儀のいいキャラたちは、割りを食った感じも)
スウィングさえあれば、それでいい、的な。

その中でも特にスウィングしていたというか、僕のお気に入りというか、本当にほんとうに(笑)他のドラマでは見ないようなキャラは、この二人。

アンバー・タンブリン、マスターズ

アンバー・タンブリン演じる純粋培養の天才少女、"マスターズ"。

シャーリーン・イー、チ・パク

シャーリーン・イー演じるアジア系田舎娘?、チ・パク。

基本的には『ハウス』も、脇にはなるべく"美女"を配置して画面を賑やかすキャスティングはしているわけですが、この二人は・・・・。
"子供"ではあるけれど"ロリ"とはとても言えないし、なんか本当に"限界"に挑んだ感じのキャスティング。(笑)
容姿以前にハウスの部下になれるくらいの秀才医師(医学生)であるという条件は付くわけで、そういう意味では実際にはこういうタイプがいてもおかしくないとは思いますが、それにしても揃いも揃っての「ずんぐりむっくりのチビ」で、リアルという以上に下手するとあえて(それなりに"スタイリッシュ"な)ドラマで使うと差別的に見えるようなタイプ。ホビット族ですか?というか。(笑)

そしてその"ホビット"ぶりを情け容赦なくハウスにいじらせつつ、しかしその延長に、きっちり「人間」を描いて見せる腕の冴えには改めて感心しました。何でもありというか、どんなフリにもノレるというか。
勿論ハウスというキャラがいたから、処理出来たとは思いますが。
万人に平等に差別的な。(笑)

まあでもほんとここらへんは、シリーズも終盤に入って(それぞれ第6,8シーズンに登場)ほとんど勘で作ってるというかノリで作ってるというか、別にいつ終わってもいいんだよという自由さがあって、楽しかったです。
スウィング、スウィング。
それに応えて彼女たち自身も、演技なのかほんとに(ハウスに)戸惑ってるのか判別し難い不思議な芝居で、素晴らしい味を出していました。


知的で変わってるけど、結局はひたすら楽しい作品でしたね。
ハウス自身が、そうであるように。


今年の汚れ・・・(アニメ&海外ドラマ編)
2013年12月30日 (月) | 編集 |
本当はサッカー編をやる予定だったんですが、思いの外ネタが無く。
ヴェルディ関係は言うに及ばず。

仕方が無いのでこんなので、今年の締めを。


まずは2013年、地上波TVアニメの、僕的ベスト10。

1位 『ちはやふる2』 (1月期)
2位 『帰宅部活動記録』 (7月期)
3位 『Super Seisyun Brothers -超青春姉弟s-』 (10月期)
4位 『GJ部』 (1月期)


5位 『<物語>シリーズ セカンドシーズン』 (7月期)
6位 『みなみけ ただいま』 (1月期)
7位 『弱虫ペダル』 (10月期)
8位 『サーバント×サービス』 (7月期)


9位 『ブラッドラッド』 (7月期)
10位 『メガネブ!』 (10月期)



全部確認しなくても、今回はこちらを元に出来たので楽でした。安易というか。(笑)
色分けはだいたいのランクというか、面白さインパクトの階級というか。
"赤"ランクは「殿堂」(候補)クラス。既に"1"が入っているちはやは別にして、2位~4位が候補止まりなのは、まあやっぱり似たようなのが沢山あって、いちいち入れてられないというのが大きいか。(笑)
そういう意味で、『みなみけ』('07)は草分け的な作品と言える。特に僕にとって。

そのみなみけの最新作は次の"青"ランクに入ってますが、正直これはこれで沢山あり過ぎて、区別がつかないというか、インパクトはさすがに薄れてるというか。2作目の『みなみけ〜おかわり〜』だけはダントツで詰まらなかった、不愉快だったと、それだけ覚えておけば十分かなという高値安定ぶり。今回も、問題無く楽しみました。(はず(笑))
『<物語>シリーズ セカンドシーズン』は、何せエピソードごとに結構内容が違うのでまとめるのが難しいですが、平均するとこんな感じか。ただハチクジちゃんのエピでは、何回か涙腺が緩みそうになったことは、ここで告白しておきたいと思います。(笑)

"緑"ランクは「面白い」のかどうかはよく分からないけど、とりあえず不快なところは無くて見るのをやめようと思ったことは最後まで無かったランク(?)の作品。

全体として見ると僕の傾向は割合はっきりしていて、「しっかりした原作(主に漫画)のある"熱血"or"名作"系ストーリーもの」(『ちはや』『弱虫』)か、「特に内容は無いけどその分安全な、萌え・日常・ギャグに潔く徹したもの」に二極化している感じ。
"名作"レベルに達しない半端なストーリー作品や、"オリジナル"等アニメとして変に野心的(しかし力量は内輪受けレベル)なものは、たいてい弾かれますね。
そういう意味で、やはり「アニメファン」ではないと思います、僕は。良くも悪くも。あくまで「外」の視点から、一定レベルにきっちり外向けに(も)仕上がったものだけを、ピックアップするという感じ。

この基準で言うと、(オリジナルの)『メガネブ!』は地味ながら健闘した部類かなと。『物語』シリーズも類型としてはやや例外的ですが、これはまあ、やはり西尾維新の神通力か。
なお『進撃の巨人』は、原作は勿論評価しています。純粋に"アニメ"化の(仕上がりの)方が、僕の感性に適わなかっただけ。原作読んでなかったら、違ったのかとも思いますが、どうでしょう。



続いておまけで海外ドラマ編。
"ベスト10"という程新作は無いですが、新たに殿堂入りした作品を紹介。

一つはデンマーク・スウェーデン合作の『THE BRIDGE/ブリッジ』('11年作品)。
最近地味に世界的話題(?)の北欧ドラマの一つで、既にアメリカ版も製作されていますが、内容よりも雰囲気・演出とヒロインのキャラに特徴のある作品なので、見るなら北欧版を見るべきだと思います。
ヒロイン"サーガ・ノレーン"は、英米ドラマでよくいる人格障害ギリギリ(もしくはアウト)orアスペルガー系コミュ障"天才"ヒーローの、ついに出たか女性版という感じ。性的にも"空気読"まずにド直球なので、何とも言えない感慨(笑)を引き起こしてくれます。でも好きですけどね、こういう人は。実際にいても、多分。
残念なのはその美人ヒロインさんのカラダがちょっとだらしないというか、あんまり人に見せるものとして調整(笑)されていないことで、これは英仏のドラマの美人女優さんとかでもたいていそうで、必ず性的オブジェとしてのブラッシュアップ、少なくとも演出を配慮するアメリカ、それからついでに日本とも、性的な「文化」の違いというものを感じさせます。
ヨーロッパは顔とヤる。日米は体とヤる。(笑)
オルタナティヴ・ポップ系(?)のダウナーなテーマ・ソングもかっこいいです。

もう一つはアメリカ作品で、『VEGAS/ベガス』('12年作品)。
"勃興期ベガスを舞台にしたマフィアと保安官の対決と友情"的な前宣伝は全くそそらなかったんですが、見てみたら痺れました。ある意味分かり切ってる世界を、豪華名優対決と共に最高のクオリティとソフィスティケーションで見せてくれます。魅せてくれます。さすがと言うしかないです。
それだけでなく、売り文句にある「マフィア・ドラマとカウボーイ・アクションが融合した斬新なクライム・アクション」というのも決して嘘ではなくて、たまに"タイムスリップ"ものに見えるくらい、両者の同居というか"過渡期"的混乱が面白い時代感を醸し出していて、そういう時代だったんだなあというか、アメリカって変な国だなあということを改めて思ったりします。
・・・・つまり「侍」「騎士」が、「現代」の直前までいたようなそんな感覚というか、野蛮の残滓がまだ濃厚にある国だということですが。ついこの間まで中世とまで言ったら、言い過ぎかも知れませんが。(笑)
とにかく成熟した、アダルトな(?)隙の無い作品です。マイケル・チクリスはほとんどどの作品でも同じような役なのに、全て良くてその度に感心させられるという、珍しい人ですね。

以上、スーパードラマTVの2作品を紹介しました。


その他AXNの『ARROW/アロー』なんかも、一見しょうもないヒーロー・ファンタジーのようで、そのしょうもなさオタクっぽさがアメリカのドラマでは珍しいくらいに性根が据わっていて、変に面白いです。
現代なのに主人公の武器が弓矢という奇妙な設定はアメコミの原作由来ですが、"隔絶した小世界での武術修行"エピソードや、基本人間不信の裏切り裏切りのドロドロのドラマ性は、間違いなく金庸等の中国製"武侠"小説のモロ影響下にあると思います。それでなんか、懐かしい気持ちになったんだなという。

FOXでは、ツイッターでもさんざん騒いでますが、『BONES』の最新シリーズが神がかって面白いです。どうしたんだろうという感じです。キラー・エピソードの連打というか。
初期のシーズンが凡庸だったのも間違いないので、タイトルとしての殿堂入りはさせられません(笑)が、正直最近一番"楽しみ"な作品ではあります。8シーズンもやってると、こういうこともあるんだなあという。"劣化""陳腐化"は勿論よくありますが、その逆。
『24』なんかも、1,2シーズンあたりと最後の方は、ほとんど別ものですよね。どのみち面白くはない(笑)んですけど、少なくとも"大人"にはなってる。

今年印象に残ったのは、ここらへんですかね。
『殿堂』アメリカ編はこちら、ヨーロッパ等編はこちら


皆さんよいお年を。(笑)


BSプレミアム『小津安二郎・没後50年 隠された視線』感想
2013年12月14日 (土) | 編集 |
なかなか面白かったです。(番組) (小津安二郎 Wiki)
ちょっと前に、その小津さんの上司だった松竹のカリスマのこんな本

日本映画を創った男―城戸四郎伝日本映画を創った男―城戸四郎伝
(1999/01)
小林 久三
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も読んだりしましたし。

それも参考にしつつ、このドキュメンタリー中で提出されたいくつかのテーゼについて、僕の思うところを書き連ねて行きたいと思います。ちなみに重要度順とかではなくて、基本的に出て来た順です。


まずは「演出」技法編、「創作の秘密」編。

・普通あるはずの映像を"隠す"ところに一つの特徴がある。
(例・「家の外観」「人物たちが見て話題にしている景色」「戦地で亡くなった夫の幸せな頃の写真」)


これはまあ、そうだと思います。"話題"をいちいち映像で補強したり説明したりは、ほとんどしませんね。
そこらへんは独特です。

ただそれを承けて

・『見せることよりも隠すことが力。観客の想像力が主役』(吉田喜重)

というのは、どうなんでしょう。
・・・・吉田喜重さんというのは映画監督です、僕は見たことないと思いますが。(Wiki)

論理的には、それっぽいですし、恐らく普通の映画なりアニメなりだと、"隠す"ことはそういう効果を発揮する、あるいは観客にそういう要求をすることになることが多いだろうと思います。
ただ小津映画を見ていて脳がそのように反応することは、少なくとも僕は無いです。
どちらかというと、小津さんが見せていない映像についての関心がそのまま失われる、そしてそのことによって脳の負荷が取り除かれてリラックス出来る、映画により安心して入り込めるようになる、そういう感じです。

言い換えると、小津さんがある映像を見せないのは、別にそれで何かをほのめかすとか観客に想像させるとかではなくて、単純に見せる価値の無い、どうでもいい映像だからなんじゃないかと思います。
野暮ったいから、というか。(笑)
上の例で言えば、「家の外観」は家の外観でしかない、その階層のその職業の人の家という以上のものではないし、「人物たちが見て話題にしている景色」は、つまりそういう感想を引き起こすようなあるパターンの景色なんだろうし、「戦地で亡くなった夫の幸せな頃の写真」というのも、それこそ定型化された"思い出"写真でしかなくて、別に見せるほどのものではない、そういうものだと分かればいい、もう分かったろ?と、そんな感じではないかと。

そんなことより映画だ映画。
実際"分かっている"ことをわざわざ見せられる苦痛・停滞感というのは日々様々な"映像"作品を見ている中で感じさせられていて、それらをばっさばっさと切ってくれるから小津さんの映画は見易くて、快感で、言い換えるとほとんどの「普通の」映像は実は不要なもので、不要なものだということを堂々と表現してそれでいて別に"前衛"的になったりせずに直感的に自然な作品にして見せるところに、小津さんの一つ凄いというか、稀少なところがあると思います。


・自筆シナリオと人物ごとに色分けされた撮影台本

これは何かと言うと、小津さんはシナリオが脱稿されて既に印刷に回ってるのに、それをわざわざ自筆で筆写したものを必ず用意する。
それから撮影台本(印刷版の台本?)は人物(のせりふ)ごとに、自分で色分けして書き込みをしておく。
・・・・という話です。

つまりは「事前に完璧に具体的に内容を把握してから撮影に入る」ということで、確かに小津映画の特徴として、異様なまでに淡々とスムーズに"予定通りに"、場面が(撮影が)進んでいる感覚はあります。
むしろ「済んだ」ことを、「再確認」している感じというか。


・絵コンテ帳の「目線レンズ」の注意書き、"観客と対峙""役者の生身が観客に投げ出される"

自筆シナリオと撮影台本と共に、絵コンテ帳も用意されるわけですが、その要所要所に「目線レンズ」という注意書きがなされていて、つまりその場面では俳優はカメラに向けて演技することが要求されるわけですね。
実際小津映画でそういうシーンは多い印象で、登場人物二人の結構テンポの良い掛け合いでも、いちいちカットを割ってそれぞれの「正対」図を交互に繰り返して、"掛け合い"が成立しています。

それに関して、証言者の当時の撮影スタッフの一人やナレーションは、「観客と直接対峙させるという意図がある」「役者の生身が観客に投げ出される」と意味づけているわけですが・・・・。どうなんでしょう。
これも「論理的」には(笑)、ありそうな説明ではあるんですが。
僕の実際の視聴体験とは、どうも合わない
小津映画で俳優がこちら(カメラ)に向かって話しかけて来ても、それで自分に話しかけて来ているようだとか、迫力を感じるとか、そういうことは別に無い。通常のクローズアップとかに比べても、無い。
ではそれに他にどういう積極的効果があるのかというと・・・・うーん、特には思い付かないかな。(笑)
ただ"消極的"効果ならあって、それは時間的にカットを割って、更に言えば俳優たちを空間的に分断することによって、"丁々発止"のはずの掛け合いのライブ感をむしろ邪魔すること殺ぐこと、つまり上で言った"「済んだ」ことを「再確認」"しているような本来のトーンにとどめること、そういう効果はあるのではないか。
頭の悪いリアリズムやあるいはメロドラマ感の発生を、未然に防ぐというか。それが"積極的"効果である可能性は、あるかも。まあやや付け足し的な解釈ですが。

・・・・どうですかねえ、今思い付いたことですが、ライブ感ではなくて人物のその発言や行動の意味(主観的なものと客観的なもの双方)を、観客の注意を喚起してよりクリアにする、そういう人物であるそういう発言をする人物であるということをフィルムに刻み付ける、そういう効果は意図は、あるかなあという。
観客に投げ出すのではなくてむしろ客観化する、言い換えれば(元々強い)監督の支配力を増強する、上の証言者たちの説明とはむしろ逆の意味がある手法なのではないかと、そういう感じがしています。
"俯瞰"的な効果のある、"寄り"というか。


・場面もせりふも繰り返しが多い。同期からのずれで事態を表現。(吉田喜重)

これはなんか分かりますね。
似たようなやりとりの繰り返しで、ちょっとずつ違う。それがある時は、決定的な事態の変化を示していたりする。
何も変化しないことも多いですが。(笑)
単純に繰り返しの快感というのは、小津映画にはあります。音楽的なというか。リフ、あるいは主題の変奏。


・サイレント出身で、言葉よりも映像が先・主体。(吉田喜重)

どう、でしょうね。
後でも出て来るように、映像や画面に細かいこだわりがあるのは確かです。
また上で言ったように、劇の"説明"に映像を従属させないのも。
だから「撮影された劇」ではなくて「映像表現」であるという意味では、サイレントからの骨の髄というのは外れてはいないと思いますが、ただそれを「言葉」と比べた場合は・・・・。ううむ。
つまり上で言った「"話題"をいちいち映像で補強したり説明したりは、ほとんどし」ないというのは、言い換えれば「会話が会話として完結している」ことでもあるわけで。むしろ素直に見れば、"密室的な会話劇"でしょう?小津映画は。だからそう簡単に、映像>言葉とは、言えないんじゃないでしょうか。

吉田喜重監督が言わんとしていることを、僕なりに言い換えればこうです。
小津さんは何よりも、"リズム"の人である。
その"リズム"感は事実としてサイレント映画を作る中で培われた/表現されて来たものではあるが、トーキーによって使用可能となった言葉/会話でもそれは十全に発揮され、場合によっては(サイレント映画的)"映像"よりも相性が良かったものかもしれないと。

"繰り返し"も、より簡単に出来ますしね。(笑)

余談ですが、僕がサイレントまで行かなくても古い映画を見る時の楽しみは、一つにはその全般的な"リズム"感の良さにあります。小津以外の古い日本映画は余りよく知らないので、具体的には古いアメリカ映画を主に念頭に置いて言っていますが。
そうですね、概ねモノクロ時代からカラーが始まってしばらく、'30年代後半からぎりぎり'60年代初頭くらいまで、"アメリカン・ニュー・シネマ"で映画がスタジオを飛び出してストレートに"リアル"を追求し出す前までというか。
映画がまだ「演劇」の臭いを残していた期間と、言っていいのかも知れませんが。

余り(リズム感を)"良い""悪い"と言ってても仕方がないかも知れませんが、昔の映画の方がより"意図"が濃い、より音楽的、場面進行や会話が「音楽」としてどのように観客に響くかみたいなことに、より繊細だったように見えます。
剥き出しの"リアル"を要求されないから、出来たことでしょうけどね。映画がまさしく"夢"の体験だった時代というか。

一言で言えば、"粋"なんですけどね。"リアル"に"野暮"は付き物というか。


・映画史上最も繊細な映像作りと、それを可能にした「作家性」が最大限に尊重された時代への、現代の映画監督たちの羨望。("サイトアンドサウンド"誌トニー・レインズ)

"サイトアンドサウンド"とは、先頃世界の映画監督たちによる投票として、小津の『東京物語』を映画史上ナンバー1作品として挙げて話題になった当の雑誌。
トニー・レインズはそこのお付き評論家、なのかな?

上は『東京物語』の選出理由(の推測)を聞かれての説明。
小津の映像の凝りようはやはり独特であるというのと、あと多分、同じことのようですが酷く"個人的"であるということかなという。例えば"3D"映画やら超絶技術系アニメ映画なんかも、凝ってはいるんでしょうが、それは言わば飽くまで観客に向けての、商売の売りという面の大きいものなわけで、それとの比較として。

そして後半ですが、これは一つは映画特に日本映画の興行的黄金時代に活動した人であるということと、もう一つはこれは冒頭挙げた本に書いてあったことですが、城戸四郎率いる当時の松竹が、城戸のポリシーで極端な「監督主義」を標榜していて、それぞれの監督に無制限に近い自由が与えられていたこと。
更に言えば城戸の"ホームドラマ至上"主義にも、少なくとも表面上小津の作風がぴたりとはまって、はっきり言えば大して当たらなくても、変わらぬ優遇で作り続けられたというのが、あるようです。
「君の映画はなぜ客が入らんのかね」と、折に触れて言われてはいたそうですが。(笑)
のどかなことで。(笑)



続いて「俳優」編、「演技」編。
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殿堂(海外ドラマ米国以外編)
2012年12月16日 (日) | 編集 |
(アニメ編)(米国編)
流れなので、粛々と。


1980年代

『刑事タガート』(’83) [スコットランド]
『シャーロック・ホームズの冒険』(’84) [英]
『ミス・マープル』(’84) [英]
『ホーンブロワー 海の勇者』(’88) [英]

1990年代

『女警視ジュリー・レスコー』(’91) [仏]
『フロスト警部』(’92) [英]
『炎の英雄 シャープ』(’93) [英]
『修道士カドフェル』(’94) [英]
『刑事ウィクリフ』(’94) [英]
『騎馬警官』(’94) [カナダ]
『マクベス巡査』(’95) [英]
『検死医マッカラム』(’95) [英]
『空飛ぶ魔女学校(ミルドレッドの魔女学校)』(’98) [英]

2000年代

『ワイヤー・イン・ザ・ブラッド 血の桎梏』(’01) [英]
『S.A.S.英国特殊部隊』(’02) [英]
『アッシュ&スクリブス ~ロンドン邸宅街の殺人~』(’04) [英]
『リ・ジェネシス バイオ犯罪捜査班』(’04) [カナダ]
『ローマ』(’05) [英米合作]
『ドクター・フー』(’05) [英]
『トーチウッド』(’06) [英]
『太王四神記』(’07) [韓]

2010年代

『トンイ』(’10) [韓]
『ダウントン・アビー』(’10) [英]
『ワイン探偵ルベル』(’11) [仏]
『THE BRIDGE/ブリッジ』(’11) [デンマーク・スウェーデン]

次点

『バーナビー警部』(’97) [英]
『孤高の警部 ジョージ・ジェントリー』(’07) [英]
『THE KILLING/キリング』(’07) [デンマーク]
『魔術師マーリン』(’08) [英]
『ボーンキッカーズ 考古学調査班』(’08) [英]
『Silk 王室弁護士マーサ・コステロ』(’11) [英]
『シャドウ・ライン』(’11) [英]
『クロッシング・ライン』(’13) [独・米・仏]

正直アメリカ編と比べると、若干基準が甘いかも知れません。駒不足へのケアで。(笑)
それとイギリスものは、瞬間的には物凄く面白いんだけど、トータルだと少しダルいみたいなパターンが多いので、難しいんですよね。アメリカものほど、きちんとパッケージされてないので。
”次点”の中では、『ジョージ・ジェントリー』は内容的にはかなり面白いと思うんですが、ただ一つ、「1960年代」という設定の時代感が全くと言っていいほど演出で出ていないので(作中のセリフで初めて分かる)、そこが大きく減点。ほんと、勿体ない作品。『バーナビー』はいいんだけど、なんか平和過ぎるのと、その一方で限られた範囲の田舎町にポンポン殺人が起き過ぎるのがいかんせん納得が行かない(笑)ので、こういう扱い。あんまり事件を真剣に受け止められないんだよね。

いくつか確実に、面白かったけどタイトルの思い出せないものがあるんですが、当面探しようが無いので思い出したら付け足します。


殿堂創設(海外ドラマ米国編)
2012年12月09日 (日) | 編集 |
同様に。
新作や今まで触れた/挙げたことのなかった気がするのを、太字にしておきました。
”参考”作品は、こんなもんでしょうかね。


1970年代

『パートリッジ・ファミリー』(’70)

・・・・(参考) 『刑事コロンボ』(’71)

『M*A*S*H マッシュ』(’72)

・・・・(参考) 『大草原の小さな家』(’74)

『ルーツ』(’77)
『がんばれベアーズ』(’79)

1980年代

『ヒルストリート・ブルース』(’81)
『特捜刑事マイアミ・バイス』(’84)
『こちらブルームーン探偵社』(’85)
『L.A.ロー 七人の弁護士』(’86)
『新スタートレック』(’87)

1990年代

・・・・(参考) 『ツイン・ピークス』(’90)

『LAW&ORDER』(’90)
『リーズナブル・ダウト 静かなる検事記録』(’91)
『ピケット・フェンス』(’92)
『スタートレック ディープスペースナイン』(’93)

・・・・(参考) 『Xファイル』(’93)

『NYPDブルー』(’93)
『ER 緊急救命室』(’94)
『シカゴ・ホープ』(’94)
『アメリカン・ゴシック』(’95)
『犯罪捜査官ネイビーファイル』 (’95)

『刑事ナッシュ・ブリッジス』(’96)
『プロファイラー/犯罪心理分析官』(’96)
『アース2』(’96)
『スターゲイト』(’97)
『バフィー ~恋する十字架』(’97)
『アリーmyラブ』(’97)
『心理探偵フイッツ』(’97)
『OZ/オズ』(’97)
『ザ・ソプラノズ』(’99)
『ザ・ホワイトハウス』(’99)

2000年代

『CSI:科学捜査班』(’00)
『ギルモアガールズ』(’00)

・・・・(参考) 『24 -TWENTY FOUR-』(’01)

『ザ・シールド』(’02)
『Dr.House』(’04)
『ボストンリーガル』(’04)
『Lの世界』(’04)

『グレイズ・アナトミー』(’05)
『ミディアム』(’05)
『クリミナルマインド』 (’05)
『交渉人 ~STANDOFF』(’06)
『MAD MEN』(’07)
『ザ・メンタリスト』(’08)
『ライ・トゥ・ミー』 (’09)
『グッドワイフ』 (’09)

2010年代

『ザ・ファインダー』 (’12)
『23号室の小悪魔』(’12)
『VEGAS/ベガス』(’12)

『ブラックリスト』(’13)

次点

『冒険野郎マクガイバー』(’85)
『ツイン・ピークス』(’90)
『ミレニアム』(’96)
『ザ・プラクティス ボストン弁護士ファイル』(’97)
『霊能者アザーズ』(’00)
『NCIS ~ネイビー犯罪捜査官』(’03)
『クローザー』(’05)
『異常犯罪捜査班S.F.P.D.』(’05)
『BONES』(’05)
『最強ビッチになる方法』(’12)


”ジャンル”分けとかの縛りが完全に無くなったので、同傾向でも気にせず入れて、かなり数が増えました。
ほとんど網羅に近いですね(笑)。それでもまだ忘れている気がしますが。
とりあえず一個、どうしても名前の思い出せない、SFものの面白いのがある。

海外ドラマの場合、そもそも”輸入”されてるのを見ている関係上、ほとんどは人気作話題作ですが、一つだけかなりマイナーなので解説しておくと、『リーズナブル・ダウト 静かなる検事記録』はNCISの”ボス”マーク・ハーモンが昔出ていた作品で、ハーモンがNCIS以上に男臭くてコテコテの保守派の刑事役で、リベラル派の女検事と結構洒落にならない緊張感を醸し出しながら協力して仕事をして行く(そして接近して行く)話で、ハーモンがそのテの役をほとんど”地”でやってる感じが分かって面白いです。(笑)
まあ『プルームーン』のブルース・ウィルスや、『BONES』の”ブース”と、同じような役回りと言えばそうですが。”女の理性””男の情念”、日本のドラマだと、どちらかというと逆の振り分けの方が多い気がしますが。


こちらも随時、”新入り”は紹介して行きます。(笑)