ヴェルディ等サッカー、漫画、アイドル 他
アメリカドラマの放送局の歴史 [~2013:Netflix,Amazon本格稼働開始まで]
2023年01月25日 (水) | 編集 |
・・・「制作会社」について扱った『アメリカの映画・TV産業の集散離合概観』に続き。
今度はそうして制作されたテレビ(ネット)ドラマの放送(配信)形態/会社について。(カテゴリー:海外ドラマの制作会社・放送局(アメリカ編)より)


1.いわゆる"地上波"局

・・・原題で表記されている作品名は、確認出来た最初のオリジナル連続ドラマ(コメディ含む)作品。その後の邦題の作品名は、僕が実際に見たその局の最初期の作品。以下2,3も同様。


CBS "Studio One"(1948) ヒッチコック劇場(1955)
NBC "Mary Kay and Johnny "(1948) ララミー牧場(1959)
ABC "The Lone Ranger"(1949) ブロンコ(1958)

FOX "Werewolf"(1987) ビバリーヒルズ高校白書(1990)

PTEN (Prime Time Entertainment Network) "Kung Fu: The Legend Continues"(1993) バビロン5(1993)
UPN (United Paramount Network) "Star Trek: Voyager"(1995) スタートレック ヴォイジャー(1995)
The WB (The Warner Bros. Television Network) "The Wayans Bros."(1995) バフィー 恋する十字架(1997)

FX[インタラクティブTV→地上波] "Son of the Beach"(2000) ハーシュ・レルム(後半)[FOXから引き継ぎ](1999)
The CW[UPNとThe WBが合併] "Runaway"(2006) ギルモア・ガールズ(S7)[The WBから引き継ぎ](2006)


とにかくCBS/NBC/ABCの俗に言う"3大ネット"の時代が長く長く続いて、それに次ぐ"第4のネット"の座を多くの争いの中からついにFOXが掴んで現在に至るという感じ。野党連合的な"The CW"も健在は健在なようですが、名前的にはむしろ"FOXの裏アカ"的存在のFXの方がよく見かけますね。
FXは変わった歴史を持っている局で、最初はリアルタイムで視聴者からのメールでのリクエストに反応しながら番組を作っていく今でいうライブ配信的なインタラクティブ・ショーを売りにしていた放送局で、それが商業的に破綻してFOXに吸収されてしばらくはFOXの再放送専門局として活動しますがそれも上手く行かず、一念発起して商業ベースぎりぎりの際どいオリジナル作品を作り始めたらそれが評価されて独自の地位を築いて現在に至るというそういう局。
なお地上波放送ドラマとしては全国ネットである3大ネット等の番組を、通常は日本で言う"系列局"的に流す("syndication")だけの地方局に、直接オリジナル番組を持ち込んでそこから人気が出れば全国展開して行くというパターンがありますが("First-run syndication")、「放送局」として特に名前が挙がる訳ではないので今回は取り上げません。


2.ケーブル&衛星局

・・・基本的には地域/対象限定ケーブル局として立ち上がり、その後全米or海外展開/配給に衛星システムを利用するという順番。稀に最初から衛星局として出発する場合も。


Showtime[ケーブル] "Faerie Tale Theatre"(1982) 官能のダイアリー(1992)
HBO[ケーブル] "Philip Marlowe, Private Eye"(1983) OZ オズ(1997)
USA Network[ケーブル] "Sanchez of Bel Air"(1986) 超音速攻撃ヘリ エアーウルフ(後半)(1987)
Lifetime[ケーブル] "The Days and Nights of Molly Dodd"(1989) 私はラブリーガル(2009)

Cinemax[ケーブル] "Erotic Confessions"(1992) 最強ビッチになる方法(2012)
AMC(←American Movie Classics)[ケーブル] "Remember WENN"(1996) マッドメン(2007)
TNT (Turner Network Television)[ケーブル] "The Lazarus Man"(1996) バビロン5(1998~)
Syfy(←Sci-Fi)[ケーブル] "Mission Genesis"(1997) トゥルー・コーリング(episode 26)[FOXから引き継ぎ](2005)

A&E[ケーブル] "100 Centre Street"(2001) スティーヴン・キング 骨の袋(2011)
Bravo[ケーブル] "Breaking News"(2002) ブレイキング・ニュース(2002)
ABC FamilyFreeform(改名)[ケーブル] "Beautiful People"(2005) カイルXY(2006)
Spike TV[ケーブル] "Blade: The Series"(2006) キル・ポイント(2007)
Starz[ケーブル] "Head Case"(2007) マジックシティ 黒い楽園(2012)

Reelz[衛星] "The Kennedys"(2011) トゥルー・ジャスティス(2011)
SundanceTV[ケーブル] "Rectify"(2013) レクティファイ 再生(2013)
Audience Network[衛星] "Kingdom"(2014) ダメージ(後半)[FXから引き継ぎ](2011)


個人的に"Showtime""Starz"両"S"の区別がようやくついたのが収穫(笑)。結構古さが違う。
HBOも『OZ』で名を上げた当時は"彗星の如く出て来た革命勢力"感があったんですけど、会社自体は遡れば結構古くて、かつ最初から割とビジネス優位で多業種展開しての業界支配を狙っていたような雰囲気があって、意外でした。その中からたまたまクリエイティブ的な成功も生まれて来た、という感じなのかもなと。
旧Sci-Fiはあのアシモフなども創設に関わっていたというSFファン期待の星だったらしいですが、割とすぐに大衆路線に進んでしまって悪評が。(笑)
ABC Familyは僕も完全に勘違いしてましたが、3大ネットの"ABC"とは無関係で、元々は衛星を使ったキリスト教のテレビ伝道のネットワークだったものが後に商業化したまず何よりも"Family"向けの健全志向のケーブル局で、それをFOXが買い、その後FOXを買収したDisneyが買い、その時に理由は分かりませんが"ABC Family"という名前になって、今は更にFreeformという名前になっているというそういう歴史の局。区切りが難しいんですが、挙げた作品はDisneyが買って以降のものです。


3.ストリーミング局

Yahoo! Screen[動画共有サイト→ストリーミング] "Burning Love"(2012) コミ・カレ!!(S6)[NBCから引き継ぎ](2015)
Hulu[ストリーミング] "Battleground"(2012)[webドラマ?]、"East Los High"(2013) ヴェロニカ・マーズ(S4)(2019)
Netflix[ヴィデオレンタル→ストリーミング] "House of Cards"(2013) ハウス・オブ・カード 野望の階段(2013)
Amazon Prime Video(←Amazon Instant Video)[ストリーミング] "Betas""Alpha House"(2013) ベータス(2013)、アルファ・ハウス(2013)

Yahoo! ScreenはYouTube的なユーザー投稿型サイトだったものを改変して、ストリーミングサービスになったもの。Netflixが元はレンタルビデオ会社だったのは結構有名ですね。その後既存作品のストリーミング業に転じて、2013年以降、現在のような意欲的にオリジナル作品を制作する業態に。
現Amazon Prime Videoは名称が二転三転してますが、"Amazon Instant Video"というのはこれも2013年にオリジナル作品を制作し始めたその当時の名称。


・・・最後に3形態まとめて並べてみます。赤・地上波青・ケーブル/衛星紫・ストリーミング

1940年代
CBS "Studio One"(1948) ヒッチコック劇場(1955)
NBC "Mary Kay and Johnny "(1948) ララミー牧場(1959)
ABC "The Lone Ranger"(1949) ブロンコ(1958)

1980年代
Showtime[ケーブル] "Faerie Tale Theatre"(1982) 官能のダイアリー(1992)
HBO[ケーブル] "Philip Marlowe, Private Eye"(1983) OZ オズ(1997)
USA Network[ケーブル] "Sanchez of Bel Air"(1986) 超音速攻撃ヘリ エアーウルフ(後半)(1987)
FOX "Werewolf"(1987) ビバリーヒルズ高校白書(1990)
Lifetime[ケーブル] "The Days and Nights of Molly Dodd"(1989) 私はラブリーガル(2009)

1990年代
Cinemax[ケーブル] "Erotic Confessions"(1992) 最強ビッチになる方法(2012)
PTEN (Prime Time Entertainment Network) "Kung Fu: The Legend Continues"(1993) バビロン5(1993)
UPN (United Paramount Network) "Star Trek: Voyager"(1995) スタートレック ヴォイジャー(1995)
The WB (The Warner Bros. Television Network) "The Wayans Bros."(1995) バフィー 恋する十字架(1997)
AMC(←American Movie Classics)[ケーブル] "Remember WENN"(1996) マッドメン(2007)
TNT (Turner Network Television)[ケーブル] "The Lazarus Man"(1996) バビロン5(1998~)
Syfy(←Sci-Fi)[ケーブル] "Mission Genesis"(1997) トゥルー・コーリング(episode 26)[FOXから引き継ぎ](2005)

2000年代
FX[インタラクティブTV→地上波] "Son of the Beach"(2000) ハーシュ・レルム(後半)[FOXから引き継ぎ](1999)
A&E[ケーブル] "100 Centre Street"(2001) スティーヴン・キング 骨の袋(2011)
Bravo[ケーブル] "Breaking News"(2002) ブレイキング・ニュース(2002)
ABC Family→Freeform(改名)[ケーブル] "Beautiful People"(2005) カイルXY(2006)
The CW[UPNとThe WBが合併] "Runaway"(2006) ギルモア・ガールズ(S7)[The WBから引き継ぎ](2006)
Spike TV[ケーブル] "Blade: The Series"(2006) キル・ポイント(2007)
Starz[ケーブル] "Head Case"(2007) マジックシティ 黒い楽園(2012)

2010年代
Reelz[衛星] "The Kennedys"(2011) トゥルー・ジャスティス(2011)
Yahoo! Screen[動画共有サイト→ストリーミング] "Burning Love"(2012) コミ・カレ!!(S6)[NBCから引き継ぎ](2015)
Hulu[ストリーミング] "Battleground"(2012)[webドラマ?]、"East Los High"(2013) ヴェロニカ・マーズ(S4)(2019)
Netflix[ヴィデオレンタル→ストリーミング] "House of Cards"(2013) ハウス・オブ・カード 野望の階段(2013)
Amazon Prime Video(←Amazon Instant Video)[ストリーミング] "Betas""Alpha House"(2013) ベータス(2013)、アルファ・ハウス(2013)
SundanceTV[ケーブル] "Rectify"(2013) レクティファイ 再生(2013)
Audience Network[衛星] "Kingdom"(2014) ダメージ(後半)[FXから引き継ぎ](2011)

新業態であるケーブル局が軒並み台頭した後に、ようやくFOXが第4の地上波全国ネット局として地位を確立するという順番で、いかに3大ネットが強かったかという。


今回はここまで。
今後も随時足して行くことになるとは思いますが。


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映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』より ~三島由紀夫の「反知性主義」&"エロティシズム"と"暴力"の違い
2022年08月18日 (木) | 編集 |


2020年の映画。日本映画専門チャンネルにて。

「日本映画」はともかくとして、挑発的/ユニークなドキュメンタリーを沢山やってくれるので、最近すっかり固定契約になっている日本映画専門チャンネル。と、感謝の宣伝をしておいてと。

1969年5月13日、同年1月に"安田講堂陥落"を経験したばかりの東大全共闘側の招きに応じて、反共民兵組織「楯の会」の活動も活発化させ、"右翼天皇主義者"の定評が既に確立していた作家三島由紀夫(Wiki)が駒場キャンパスの大教室で1000人の学生聴衆を相手に行った"討論会"の模様を、TBSが撮影した素材から編集したもの。

"政治討論"としては、個人的には正直物足りないというか見る前の緊張感からすると拍子抜けという感じでしたが、その大きな理由はこの会の形式にあって、壇上常にいるのは三島由紀夫のみで司会者らしい司会者のプレゼンスも無く、学生側は入れ替わり散発的に質問を投げかけるのみで、要は質疑応答多めの講演会、場所柄も考えれば"授業"でしかない(笑)感が強くて、"討論"としての中身は薄かったと思います。(まあ編集にもよるのかも知れませんが)
唯一中盤に登場した学生側ナンバー1論客らしい芥正彦が、学生ながらの自分の赤子を抱えて芝居気たっぷり(?)に三島に挑みかかって来た時(上写真2枚目)だけは、議論が白熱し、三島もたまに黙り込みつつも好敵手登場にむしろ嬉しそうにしていたように見えましたが。

そういう意味では思想以前にやはり大人と子供でしかない部分はあって、70代になった芥正彦の「自分(だけ)は"学生"のつもりはなくて一人の表現者として三島という表現者に対したつもりたった」という当時を回顧してのコメントに、そこらへんは集約されている気がします。三島vs芥を両者着座してじっくりでもやれば随分違ったろうとは思いますが、この映像の範囲内では、うん、細かいとこは本読もうというある種身も蓋も無い感想になってしまいますかね。

ただでは三島は一方的に語ったのか独演会だったのかセミナーだったのか洗脳だったのかというとそれも違って、作中で内田樹氏が言っているように、三島は本当に学生たちに分かってもらおうとして語りかけている、テクニカルな論破論駁は全く目指していない、終始オープンな態度でい続けていて、そういう意味で討論が盛り上がらなかった(と僕には見えた)のは三島の責任ではなく、形式及び学生側の力量の問題だと、そういう評価になる訳ですが。
まあ"優し"過ぎて殺伐としなかったのが逆に問題だったという言い方も、あるいは出来るかも知れませんが。(笑)
vs1000人だから不利かというと、意外とそうでもないよなというのも。逆に"1000人"側は何を言ってもヤジやいじめにしかならない所があって、要求を訴えたいだけの陳情会とかならともかく、仮にも"論客""思想家"という自負で集まっている集団としてはそういう訳にもいかないので。そういう意味でやはり"形式"を何とかすべきだったんじゃないかなという、そういう話。


という訳で僕が興味を惹かれたのも、議論の行く末ではなくて序盤三島が行ったとりわけ"独演会"的だった部分から。

1.三島由紀夫の「反知性主義」

「私は今まで、どうしても日本の知識人というものが、思想というものに力があって、知識というものに力があって、それだけで人間の上に君臨しているという形が、嫌いで嫌いでたまらなかった」
(全共闘運動の)「ある日本の大衆教養主義から来た知識人のうぬぼれというものの鼻を叩き折ったという功績は絶対に認めます」


後者は三島の言う"日本の大衆教養主義から来たうぬぼれた知識人"の代表とされる東大法学部教授丸山真男に対して、
・東大を筆頭とする全共闘の学生が「欺瞞に満ちた戦後民主主義」の象徴として激しい批判を向け、
・1968年の東大紛争の際には研究室に侵入して研究資料等を損壊するに及んだ
あたりのことを言っているようです。(全てWikiから)

「私はそういうものの、反知性主義というものが、実際知性の極致から来るものであるか、あるいは一番低い知性から来るものであるか、このへんがまだよく分からない」


先に言っておくと、三島由紀夫"反知性主義"者である、あるいはそれを自称しているというそのこと自体には、僕は特に驚きはありませんでした。大きくは"戦後民主主義"意気軒高な時代下での、小さくは左翼学生運動がまだリアリティを持っていた時代に、どう見ても"知識人"の部類であるノーベル賞候補作家があえて"右翼天皇主義者"を名乗り鍛え上げた肉体を殊更人前に誇示するような振る舞いに及んでいるからには、それくらいの居直りはあってしかるべきと予想はつきます。ただ近年になってドナルド・トランプの出現によって俄かに目に入るようになったその言葉が、この時代でもそのまま使われていたんだなという、そっちの驚きというか意外感。
そのトランプの"反知性主義"と三島由紀夫の"反知性主義"に、共通性があるかと言えばそれも大いにあるだろうと思います。トランプがCNNを全否定的に侮蔑する時の感情と、三島由紀夫が丸山ら当時の「進歩的知識人」(やその影響下にある大新聞マスコミ)に向けていた感情、学生の言ってみれば特に意味は無いただの不法行為による暴挙まで含めてあっぱれと褒めたたえるようなそれとの間に、そんなに大きな違いは無いだろうと。無茶苦茶は無茶苦茶なんだけど、とにかくそれらの通り一遍な"正しさ"イライラしていると、それはトランプの支持者じゃなくても理解は出来たろうし(だからあれ程の影響力を持った)、当時を知らない50年後の僕にも、特に説明の必要なものには感じられません。・・・直接は知らなくても、その残滓や後継はそれぞれの時代に見ようとすれば見出せるものですしね。

一方で違いを見出すことも出来るは出来て、例えばトランプが敵視したのは言ってみれば国(アメリカ)の"半分"なのに対して、三島の"敵"は恐らく8割とかそれ以上(だから抗し得ずに"割腹"するしか無かった?)。あるいは結果支持はそこに留まらなかったとはいえ、トランプが主に呼びかけたのが(自分自身も含む)知的でない大衆なのに対して、三島の呼びかけの対象はそれよりはだいぶ知的な自負を最低限持った層で、それこそ東大生の説得にもわざわざ出かけて行く。
そこらへんは引用部分の「知性の極致」「一番低い知性」という対照にも、表れているかもしれませんね。どちらのチャンネルからも、"反知性主義"には到達出来る。上の三島の言葉を真に受けるならば、どちらが本質なのか本来的なのか、三島は悩んでいたということですが。
「知性の極致」としての反知性主義とは何かと言えば、それはつまりただの"教養"としての、当世のモードに追随的なだけの無反省な"知性"に飽き足らない知性が、より根源的な問いを発しようとする時に生じる"反"性。"所謂"的知性に対する"反"、"半端な"知性に対する"反"。この映画内の討論でも散見出来るように、当時の学生運動家たちがそういう意味で"知的"であろうとしていたのは明らかで。ここら辺になると、さすがに"トランプ"という類例では語れなくなる。

そしてそういう意味での「反知性主義」でもって、"右翼"三島由紀夫と"左翼"東大全共闘も立場の違いを越えて同質性を見出すことが出来て、それもあって笑いの絶えない存外和やかな集いにもなったわけでしょうけど。まず相手が馬鹿でなく話を聴く気があり、立場を越えた対話の可能な"真理意思"の持ち主であること、それが右左よりも優先した。三島はともかく、特に学生たちにとっては、そうであったでしょうね、それこそ"丸山真男"との違いとして。(注・僕自身は丸山真男思想に対して、噂話以上の知識は持っていません)
ありていに言えば、(戦後民主主義という)共通敵の存在を、改めて認識したというか。

一方でしかし三島は、「一番低い知性」の本来性の方にも、同等に近い可能性を見ている(た)らしい。これは別な言い方をすると、"ある種の""所謂""半端な"知性に絶望する(「知性の極致」からの反知性主義)にとどまらず、知性そのものへの丸ごとの絶望の可能性ということだと思いますが。後者があったから強かったからこそ、後年の三島は"楯の会"の活動等の極端な行動主義や肉体主義にたどり着いたと、そういう想定は出来そうではありますが。
正直個人的に違和感を禁じ得ないところはありますが。知性が駄目だから行動?その分け方って本気で検討に値するようなものなの?そもそも人間の意識的活動で"知的"でないものなんてあるの?ああそうかそれは分かっているから、「一番低い」とはいえ"知性"という言い方をしているのか。ならばその場合の"低さ"には"高さ"の欠如以上の積極的な意味合いや"契機"としてのダイナミズムが存在しているのか、それとも単に"なるべく"ミニマムな知性ということでしかないのか。

楯の会的活動があれはあれで"表現"活動であったのか、それとももっと実利的物理的な"祖国防衛"行動そのものであったのか、それによってもまた見方は変わって来そうではありますが。映画ではそこまでは分からないので、いずれ機会を作って三島由紀夫の後期の著作のいくつかでも読んでみたいと思っていますが。(前期の作品のいくつかは中学の時に読んだ記憶(笑))
なかなかいきなり(純)"文学"を読めと言われても今更辛いものがありますが(笑)、そういう別な興味があれば。



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テーマ:ドキュメンタリー映画
ジャンル:映画
アメリカの映画・TV産業の集散離合概観
2022年08月14日 (日) | 編集 |
カテゴリー:海外ドラマの制作会社・放送局(アメリカ編) より。

1950年代から2004年までの各アメリカドラマの制作会社と放送局を調べる作業を先月までしていましたが、(放送局は置いておいて)制作会社の度重なる名称変更や改編と、背景にある親会社/企業グループの組織転変に頭がついて行けなくなったので、主だったケースについて一回まとめて整理してみました。
あくまで"2004"年まで(の作品について)なので今後また増えて来るかも知れませんが、その際はまたまとめ直して更新する予定。
・・・大変でした。(笑)
(海外ドラマブログ用に書いたものですが、一般的視点でもそれなりに興味深いかなと思うので、こちらにも)


各制作会社の名称・組織の変遷

20th Television (現在) [日Wiki][英Wiki]

TCF Television Productions (1949–1958) ・・・20th Century-Fox傘下
20th Century-Fox Television (1958–1985)
20th Century Fox Television (1985–1989)
20th Television (1989–1994) ・・・子会社化
20th Century Fox Television (1994–2019) ・・・再吸収
20th Television (2019–) ・・・20th Century FOXグループ本体がWalt Disney Companyに買収され、20th Century Fox TelevisionはWalt Disney Televisionの一部に編入され、"FOX"の名前が取り除かれた。


ここはほぼ一本道で単純。
「-」が入っていた時期と無くなった時期があるんですね。


Universal Television (現在) [英Wiki]

Revue Productions (1943–1958) ・・・MCA(Music Corporation of America)傘下
 Universal Pictures Television (1956–1964)
 Universal-International Television (1957–1963)
Revue Studios (1958-1963) ・・・Universal Picturesの上記テレビ制作部門を買収して改名。
Universal Television (1963-1998) ・・・Universal Picturesの親会社Decca RecordsをMCAが買収。諸々整理して改名。
Studios USA (1998–2002) ・・・MCAが"Universal"として再ブランド化して後に行われた改名。
Universal Network Television (1999–2004) ・・・(新)UniversalがPolyGram(PolyGram Filmed Entertainment。イギリスの会社)を買収して作ったもの。
NBC Universal Television Studio (2004–2007) ・・・NBCとUniversalが合併したことにより設立。
Universal Media Studios (2007–2011) ・・・改名
Universal Television (2011-) ・・・改名


MCAは最初部門を、次に全体をと二段階でUniversal Picturesを吸収したと。


Sony Pictures Television (現在) [日Wiki][英Wiki]

Pioneer Telefilms (1947–1948) ・・・Columbia PicturesのTVCM制作会社からTV番組制作に進出。
Screen Gems (1948–1974) ・・・Columbia Pictures傘下のアニメ制作スタジオだったものをPioneer Telefilmsと併せて実写用に改編。
Columbia Pictures Television (1974–2001) ・・・Screen GemsをColumbia本体に吸収、改名。
・・・1982年、Coca-ColaがColumbia Picturesを買収
 旧TriStar Television (1986–1988) ・・・ColumbiaとCBSとHBOの合弁会社Tri-Star Picturesが設立
・・・1987年、Coca-ColaがColumbia Picturesのエンターテインメント事業の一部をTri-Star Picturesに売却。Tri-Star Picturesは"Columbia Pictures Entertainment"と改名。旧TriStar Televisionも改編されたColumbia Pictures Televisionの一部となり活動停止。
・・・1989年、SonyColumbia Pictures Entertainmentを買収。
 新TriStar Television (1991–1999) ・・・Sonyの下でColumbia Pictures Televisionが事業拡張した時に再稼働。
Columbia TriStar Television (1994–2002) ・・・Columbia Pictures Televisionと新TriStar Televisionを統合。(一部作品の著作権管理の為に"TriStar"もしばらく残存)
Sony Pictures Television (2002-) ・・・改名


"Television"と"Entertainment"が交互に出て来るので注意。
Sonyが買収したのはColumbia Picturesそのものではなくて(それはCoca-Cola)、その一部が改めて"Columbia Pictures"(Entertainment)を名乗り直した会社だったようですね。


CBS Studios (現在) [英Wiki]

Desilu Productions (1950–1967) ・・・個人所有の独立系テレビ制作会社として設立。
CBS Productions (1952–2006, 2008–2012, 2015–2016) ・・・CBSの社内制作部門として設立。
Paramount Television (1967–2006)・・・1967年、Paramount Pictursを買収したGulf+WesternがDesilu Productionsも買収。Paramount Pictursのテレビ制作部門に改編し、Paramount Televisionと命名。
・・・1971年、CBSからViacomが分岐。
・・・1989年、Gulf+WesternがParamount Communicationsとして再編。
・・・1994年、ViacomがParamount Communications(=Paramount Picturs)を買収。
・・・1999年、ViacomがCBSを買収。
・・・2004年、Viacom Productions(Viacomのテレビ制作部門)とCBS Productionsが統合してParamount Network Televisionに。("CBS Productions"の名称は残って時々使われる)
CBS Paramount Television (2006–09) ・・・ViacomとCBSが会社分割、Paramount Televisionの遺産(分割前Viacomのテレビ部門)はCBSが継承し、CBS Paramount Televisionと改名。
CBS Television Studios (2009–20) ・・・"Paramount"の使用権を(分割後)Viacomに返却、改名。
・・・2019年、ViacomとCBSが再統合、"ViacomCBS"に。
CBS Studios (2020–) ・・・改名


これが特に大変でした。各社のWikiを何周もしてもどうにも呑み込めなくて、見切り発車で書き出したらようやく理解出来るようになりました。(書くのは大事(笑))
"Viacom"て日本ではあまり聞かない名前ですけど、"CBS"や"Paramount"というビッグネームを向こうに回して完全に主導権というか陰の主役を演じていて驚きました。



各メディア企業/ブランドの買収や統合の系譜

20th Century FOX→(Twenty-First Century Foxの傘下に)→Walt Disney Companyが買収

Universal Pictures→デッカ・レコードが買収→MCAが買収→NBCと合併、NBC Universalに。

Columbia Pictures→Coca-Colaが買収後、事業の一部を元々Columbia Picturesの出資会社だったTri-Star Picturesに売却、のちTri-Star PicturesはColumbia Pictures Entertainmentと改名→Columbia Pictures EntertainmentをSonyが買収、Sony Pictures Entertainmentと改名。

Paramount Picturs→Gulf+Westernが買収→Viacomが買収
CBS→Viacomが分岐→ViacomがCBSを買収→CBSとViacomが分割→再統合、ViacomCBSに→Paramount Globalに改名


今回はここまで。


趣味としての海外ドラマはもう死んだのかも知れないという話 ~Part1 地上波/BS/CS/ネット、海外ドラマの視聴環境の歴史まとめ
2022年07月14日 (木) | 編集 |
倍速視聴問題番外編。
"倍速視聴"そのものには肯定的な僕は、しかし一方でやはり今日の状況に、ある面絶望も感じているというそういう話。


「Netflixとアマプラに絶望した」人気アニメ脚本家が明かした「本音」(稲田豊史/作り手が語る倍速視聴 後編)

小林 多くの映画ファンはNetflixAmazonプライムビデオが普及しはじめたときに喜んだと思うんですけど、僕は絶望の方が大きかったんです。
稲田 なぜですか?
小林 「ああ、これで観たい映画やドラマやアニメを一生かけても全部観きれなくなった……」って。
稲田 (笑)。
小林 あともうひとつ感じたのは、「自分がこれから脚本を書く新作も、この膨大な作品群の中に埋もれていくんだな」という絶望です。


筆者の稲田氏は、専ら後半の"作り手としての絶望"の方から、これを文章全体のタイトルとして引っ張ったんだと思いますが("作り手が語る倍速視聴"ですし)、アニメ脚本家小林雄次氏の"絶望"本体、より体重が乗っているのは、あくまで前半の"視聴者としての絶望"の方だと思います。
より面白く、より一般には奇妙(笑)で、より僕に刺さったのも。(笑)

どういうことか。
日本における「海外ドラマ」視聴という趣味(の置かれた環境)の歴史を振り返ることで、説明したいと思います。


地上波オンリー期(1950年代後半~'80年代)

「NHK放送史」というNHKオフィシャルのサイトによると、日本の地上波テレビで初めて「海外ドラマ」が放送されたのは1956年のNHKによるアメリカドラマ『口笛を吹く男』(原題:The Whistler)だそうで、放送時間は日曜の20:30、その後も続々とNHKは海外ドラマを放送して行き、民放もそれに続いて行きます。
最初期の有名なところでは
 日本テレビ ヒッチコック劇場('57放送。以下全て日本での放送年)、トワイライト・ゾーン('60)
 テレビ朝日 ローハイド('59)、ララミー牧場('60)
 TBS ブロンコ('61)
あたり。

以下各年代の代表的な作品を、知名度メインで挙げてみます。(参考:僕が見た作品リスト[米][英他])

'60年代(本国放送が)作品
 コンバット('62TBS)
 奥様は魔女('66TBS&毎日放送)
 刑事コロンボ('72NHK)

'70年代作品
 刑事コジャック('75TBS)
 大草原の小さな家('75NHK総合)
 チャーリーズ・エンジェル('77日本テレビ)
 ルーツ('77テレビ朝日)

'80年代作品
 将軍 SHOGUN[米日合作]('81テレビ朝日)
 ナイトライダー[米]('85テレビ朝日)
 シャーロック・ホームズの冒険[英]('85NHK総合)
 特捜刑事マイアミバイス('86テレビ東京)
 L.A.ロー 七人の弁護士('86以降[不明]TBS系)
 冒険野郎マクガイバー('88TBS)
 名探偵ポワロ[英]('90NHK総合)
 天才少年ドギー・ハウザー('92NHK教育)

'80年代になると'70年代までのような"国民的""お茶の間"作品は無くなりますが、個性的で見応えのある作品の数は増えて来ますね。


地上波メイン期(+レンタルビデオ期)(1990年代~2000年代初頭)

1989年にはNHKBSが、1991年にはWOWOWがそれぞれ衛星放送(BS)を始めますが、NHKBS(2)の海外ドラマの多くは時間差で地上波に下りて来てましたし、海外ドラマ目的でWOWOWにお金払って加入するというのは当時はまだまだ相当にマイナーな行為だった(僕は実際に会ったことが無い(笑))ので、ほとんどの海外ドラマファンにとって依然として海外ドラマは地上波で見るものだったように思います。
・・・下で見るようにWOWOWも一般レベルの話題作を出してはいるんですけど、だからWOWOWに加入するというよりもその作品だけを、既に映画とAVを中心に'80年代に定着していたレンタルビデオで見るという方が、行動としてはより一般的だったかと。
そんな時期の作品群。

'90年代前半作品(全てアメリカ)
 ツイン・ピークス('91WOWOW)
 ビバリーヒルズ高校白書('92NHKBS2)
 Xファイル('95テレビ朝日)
 フレンズ('95WOWOW)
 ER 緊急救命室(96NHKBS2)

・・・Xファイルはレンタルビデオでのヒットが先だったそうで、なるほどそういう時代か。

'90年代後半作品
 犯罪捜査官ネイビーファイル('95以降[不明]、テレビ東京)
 アリーmyラブ('98NHK総合)
 ザ・ホワイトハウス('02NHK総合)

・・・'90年代"後半"と時代がより新しくなっているのに微妙に作品の層が薄く見えるのは、地上波&BS初出の作品に絞ってのピックアップだからです。前後して始まっているCS放送作品については、次の項で。


CS放送(スカパー)本格化期(1990年代後半)

CSの歴史は少しややこしくて、そのほとんどイコールとも言える代名詞的存在のスカパー自体が統合合併を繰り返して出来上がった会社であるのは勿論ですし、"NHKBS"や"WOWOW"が自社で買い付けたり制作した番組を流しているBSと違って、スカパーは言わば小さなNHKや小さなWOWOWのような各チャンネル/制作局を束ねて提供しているサービスなので、それぞれのチャンネルにもそれぞれの歴史がある訳ですね。・・・実際スカパーで見られるチャンネルの多くが、各地方の"ケーブル"局や"ひかりTV"などといった別の形で現在も提供されている訳で。
ただまあ"CSと言えばスカパー"ということが誰の目にも分かるように確定して、スカパーと契約すれば大量のありとあらゆるCSチャンネルが視聴出来るとなって初めて一般への普及が始まったので、結局はスカパーについてだけ考えれば足りると、今回の文脈では言っていいかと思います。

ということでかいつまんだ年表。(出典)
 '96.10月 パーフェクTV!本放送開始
 '97.12月 ディレクTV本放送開始
 '98.5月 パーフェクTV!とJスカイBが正式に合併。スカイパーフェクTV!誕生
 '00.3月 スカイパーフェクTV!とディレクTVが事業統合を発表
   9月 ディレクTVが放送終了

ディレクTVの終了に関しては、CS未使用者の僕の耳にも何かしら大きいニュースとして入っては来てましたね。それだけ業界的なインパクトはあったんでしょう。
とにかく"何やら色々ある"(ってめんどくさそう)から"スカパー一択"という分かり易い状態が、ここで確立した訳ですね。

それでもそれなりに時間的幅はあったので、パーフェクTV&ディレクTV期も含めて、各人のCSデビューの時期はそれぞれだろうと思いますが、僕自身は'01年の中田英寿のパルマ移籍を契機にスカパーに加入しました(その前のローマと違ってレギュラー確定が予想されたので、それならば"英雄"の活躍を金払ってでも見たいなと(笑))。・・・今見るとスカパーの"王座"が確定した割と直後で、道理で駅前でガンガン営業していた訳だと。(笑)
当時のタイム感としては"先取り"というより"満を持して"という感覚の方が強かった記憶ですから、"CSを見る"という行為自体は日本でもそれなりに既に行われてはいたんでしょうね。
入ってみたら定額ではなくて見たいチャンネルを見れば見る程(契約すればする程)お金がかかるというそれまでの"テレビ"では知らなかったシステムで、営業のおっちゃん曖昧な説明しやがってと恨んだりしながら(笑)、パルマの試合が見られるセットと海外ドラマチャンネルをまとめた安めのセットを、契約したんだと思います。後は"無料開放デー"のチラ見。長尺シリーズだと月1話ずつでも、まあまあ見た感じにならないでもないんですよね(笑)。(LaLaTVの『ギルモア・ガールズ』とか)

そんなCS/スカパー契約者だけの、"裏"'90年代後半ドラマたち。(各チャンネルエンドレスで再放送を行っていて地上波ほど初出年にこだわる必要が無いので、本国の初放送年でカウントします)

 ザ・プラクティス ボストン弁護士ファイル('97FOXチャンネル)
 バフィー 恋する十字架('97FOXチャンネル)
 OZ オズ(''97スーパーチャンネル[現・スーパー!ドラマTV])
 スターゲイト SG-1[米・加合作]('97AXN)
 ザ・ソプラノズ('99年作品。日本ではWOWOW→スーパー!ドラマTV)

どの作品もCS起点でそんなに一般レベルでヒットしたわけではないので、今までより主観的と言えば主観的なチョイスにはなってしまいますが。
ソプラノズはWOWOW初出ではあるんですが、本国/世界各国での絶賛をよそに(この前見たスウェーデンドラマでも『ソプラノズ見てるから出迎えに行かないよ』と世相を表す作品として登場していました)その段階では日本でほとんど話題になっていなかったと記憶しているので、CS移植で本格的に認知された作品として勝手に分類。


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"倍速視聴"問題その後2
2022年05月27日 (金) | 編集 |
その後1より。
今回は"その後"に出た(稲田豊史氏が書いた)新しい記事についてのコメント。


[一覧]

[早送りする大学生たち]
(前編) 『鬼滅の刃』『イカゲーム』も早送り…大学生が「倍速視聴」をする理由 (2021.12.30)
(後編) 「なるべく感情を使いたくない」映画やドラマを「倍速視聴」する大学生の本音 (2021.12.30)

[Z世代のコンテンツ視聴]
(前編) ドラマも「切り抜き動画」で観る…「倍速視聴派」Z世代の視聴実態 (2022.04.19)
(後編) SNSで「無邪気に」感想が言えない…Z世代の「奇妙な謙虚さ」 (2022.04.19)

[作り手が語る倍速視聴]
(前編) 「倍速視聴」は進化か退化か。「プリキュア」「銭天堂」脚本家が抱く危機感 (2022.04.25)
(後編) 「Netflixとアマプラに絶望した」人気アニメ脚本家が明かした「本音」 (2022.04.25)



[早送りする大学生たち]

(前編) 『鬼滅の刃』『イカゲーム』も早送り…大学生が「倍速視聴」をする理由 (2021.12.30) より

コロナ禍でリモート授業が増える中、録画型のオンデマンド授業は容赦なく早送りされる。その理由は「効率的に授業を受けられるから」が多かったが、「その方が集中して聞けるので、頭に入る」というものもあった。


倍速にすると手っ取り早く「構造」が浮き出て来る(「構造」がより見え易い広い範囲が一望出来る)ので、特に「論理」的な内容は理解し易いかも知れませんね。感情・情緒が削げ落ち易いのも、この場合は純粋な利点か。
ただ一方で俳優・声優・アナウンサー等の"喋りのプロ"が語っていないものは、リズムや発語が不安定で倍速にするとかなり聴き辛く感じることも僕はあるので(逆に"プロ"のプロ性に改めて感心する機会にもなった)、そこらの大学の教員の喋りだとどうなるのかなという心配も。(笑)

「Netflixの社会派作品を好んで観るが、興味があるのは社会的なメッセージであって表現方法ではないので、会話シーンは飛ばす。」


僕の倍速視聴本格デビュー作『絢爛たる一族 華と乱』が、"表現としてはやや凡庸だけど社会背景等の内容に興味を感じる"作品だったのを、思い出しますが。まあこちらは"倍速"ではなくて"飛ばし"のケースなのかな?そもそもドラマなのかドキュメンタリーなのか、ここの記述では分からないんですが。ドラマの会話部分を会話だという理由で飛ばしたら、後はナレーションくらいしか残らない筈なので、ドキュメンタリーの話なのかなと思いますが。
間を取ってよく"ドラマ仕立てのドキュメンタリー"(またはその逆)で、"ドラマ"部分がダルいことは僕もままありますね。"見易く"したつもりなんだろうけど、インタビューとナレーションの方が話が早くて結局いいという。NHKのとか、多くの人に見てもらいたい"力の入ってる"ドキュメンタリーほどそのパターンが多くて、閉口しますが。その寸劇どうしても見ないと駄目?(笑)
まあこれは余談。

筆者がヒアリングした別の大学の女子学生も、韓国ドラマ『愛の不時着』(全16話)を「早く結末を知りたかった」という理由で途中話を飛ばし、いきなり最終話を観ていた。ただ彼女の場合、最終話で結末を知って満足したので、改めて第1話から「2周目」を1話ずつじっくり堪能したという。


ほお。これは。
倍速視聴も言ってみれば"早く先を知りたい"見方ではある訳ですが、順番を変える訳ではないので作り手が用意した「展開」に沿ってハラハラドキドキする、その流れに身を任せるそういう作法としては、オーソドックスと言えばオーソドックスな訳ですよね。
でもこれは単に流れを速めるのではなく、「結末」を知ることでまずその作品の「性格」や「価値」を確定して、それに基づいて見る/見ないを決めかつ結末を知ってある意味"展開のドキドキ"を排した(少なくとも比重を低めた)上でじっくり見るという、また別の行為に思えますね。
・・・「ストーリー」「展開」に頼らないという意味では、非エンタメ的芸術主義的な見方とも言えないことは無いかも(笑)。僕が「小津安二郎」を見ている時にも似た。まあ実際は、"結末"によって"好き嫌い"を先に決めて、"好き"と決まった作品だから安心して感情を乗せられるという、そういうことなんだろうと思いますが。前回の"人につく"行動にも近い、"キーワード「安心」"行動。

倍速視聴と併用されることも多い10秒飛ばしは、大学生にとって倍速視聴以上に「当たり前」の視聴スタイルだ。


繰り返し言っているように、僕は「倍速視聴」は多用しつつも(少なくとも初見時の)「10秒飛ばし」はやらない人なわけですが、そこらへんはどれくらい意図的な"選択"なのかなという。
つまり世代的にも僕のスタートは「録画映像の"早送り"」だった訳で、そこに「飛ばし」機能は物理的に存在していなかった訳ですよ。
無かったからやらなかったのかあればやった(習慣付いた)のか、逆に彼らは最初からあったからやっているだけなのかもし無かったら僕のように「倍速」化の方がメインになったのか。
記憶によると、youtube等のネット動画には"飛ばし"("戻し")機能は早々についていて、"飛ばし"は出来るけれど"早送り"は出来ない、それを不便に感じて"テレビ"の方を引き続きメインにした、そういう選択の記憶も僕はあるのでね。
要は"早送り"の無い状態である意味仕方なく"飛ばし"の活用に熟達した、その影響が"早送り"可の時代になっても続いている、そういう面はあるのではないかなという。


#青学大2-4年生の証言

以下は稲田氏調査による、現役青学生に対するアンケート調査の中で出て来た「倍速視聴」についてのコメント

「“間”を楽しめるほど表現に凝った作品がない」


映像劇の比較的ヘビーユーザーと推測される学生の発言。
実際多くの作品は倍速で十分な程度のor倍速なら耐えられるレベルの表現性しか含んでいない訳でね、やってみるとよく分かりますが。作った当人たちには、"可愛い"作品でも。そこらへんはどのジャンルどの時代でも存在する、シビアな"クオリティ"の問題。物理的に見られる作品が増えたことで、より見切りや比較はシビアにもなってるでしょうし。
更に世代的なことを考えると、そもそもが既に"間"の時代ではない、とっくに語りの効率と情報の詰込みの時代であった、「小津安二郎」まで遡るまでもなくという既成事実があって、尚更無駄な抵抗感が増しているだろうことは想像出来ます。

「倍速視聴は視聴者のニーズの変化・進化の現れであり、特に驚くことではない。今までは作品単位で『好き・嫌い』がジャッジされていたところ、現在では作品内のシーン単位、感情単位で『好き・嫌い』が発生し、『嫌い』部分が飛ばされているだけ」


作品単位からシーン単位へ。鋭い。
全体としても、今までも観客は実は散々"我慢"して来たんだよという、"その1"における僕の主張とも重なる気がしますが。それが抵抗の手段を得て、(当然の)反撃に転じたのだという。
まあ厳密に言うと、だから「ニーズの変化」(進化)という1行目の前提は、間違ってるように思いますが。変化はしていない、潜在していたものが目覚めただけ。それを"進化"と言うなら、そちらは合ってるのかも知れませんが。

「そのコンテンツにおいて必要ない、面白くないと感じる部分を、動画編集における“カット”の感覚でやっている。」


当然出て来る発想ではあるでしょうね。
僕の場合"カット"(飛ばしという意味の)はしない訳ですけど、「倍速化ではなく"適"速度化だ」という意味のことは言っていた訳で、そこに言わば"作り手"側の発想、作り手が撮影の後に必ず行う「編集」に似たものを受け手が自分で行う、そう"言いたい"部分はある訳ですね。技術的には、まだそこまでの話にはなっていませんが。
とにかく言わんとすることは、とてもよく分かる気がします。

・・・こうして並べてみるとあれですね、僕の頭の中って現役大学生(青学生)並なのかなという雰囲気も。(笑)
発想が若いと威張るべきなのか、子供っぽいと反省すべきなのか。(笑)


(後編) 「なるべく感情を使いたくない」映画やドラマを「倍速視聴」する大学生の本音 (2021.12.30) より

「たとえばミステリーもので、『この人、殺されるのかな? 助かるのかな?』とドキドキするのが苦手。突然殺されてびっくりさせられるのも嫌だから」。


だから結末まで知ってから見ると。
そんなバカな、という感じはしますが(笑)。じゃあ何の為に見るんだ、他ならぬその"ドキドキ"の為ではないのかと。
エンタメ・フィクションの見方としてはさすがに倒錯している気が僕もするんですが、ただもう少し視野を広げればそんなに理解できない行動でもないかなと。
例えば"フィクション"ではない"エンタメ"であるサッカーの重要度の高い試合について、自分が見る/見ないによる過去のジンクスや似てますが自分の応援態勢による"バタフライ効果"的なものへの漠然とした恐れ(笑)や、単に結果が怖過ぎてあえてライブでは見ないという行動を取ることが、全員とは言いませんが時にサッカーファン(スポーツファン)にはあると思います。あるいはこちらは"フィクション""エンタメ"のRPG系のゲームを、一回以上クリアして"結末"やほとんどの細部を知っているにもかかわらず、繰り返し何度もプレーし直すことは、ゲームファンにとってはむしろ一般的な行動でしょう。その場合"結末"や展開を知っているからつまらないなんてことはなく、むしろ知っているからこその条件プレーや再解釈プレーによって、ゲームの楽しさ味わいは初見時に勝るとも劣らない、そういう経験を多くの人はしていると思います。
僕なんかは正に、"ドキドキ"するのが嫌だから一周目プレーは苦痛なことが多いヘタレプレーヤーなので(笑)、引用部証言者の気持ちはその意味で分かる気がします。あるいは問題の映像劇、ドラマや映画についても、僕自身は基本やらないんですが同じ作品を繰り返し何度も見て楽しむタイプの人は、経験的には女性を中心に日本でもアメリカでも決して少なくない割合でいるようです。だから映像劇の"結末を知ってから"見る動機も"結末を知っているのに"楽しめる心情も、こうして見ると満更そこまで不思議でもないのかなと。

それにしても、とは思う訳ですがそこにはやはり稲田氏が問題にしているような、"現代の若者"が感情を揺らしたくないと思っている、セルフコントロールをたっとびそして何よりもストレス過多で疲れてゆっくり感情を使う余裕が無いからという、そういう理由はあるにはあるんだろうなと。実際感情を動かすというのは想像以上に疲れるものなので、だから人は何かの"問題"に対してことなかれ的に感情移入を避けたり、仕事上の課題を極力"事務的に""ビジネスライクに"済まそうとしたりする。あるいは僕はぜんそく持ちなんですが、不用意に感情を上下させたり笑い過ぎたり(笑)すると、それだけで数十メートル小走りした以上の発作が起きたりします。嬉しくても悲しくても余り変わりなく、体にはストレスなんですよね。だから"平静を保"って暮らしたい気持ち自体は、よく分かります。
とはいえ"ドラマ"な訳で、感情を揺らしたくなければそもそも見なければいいという話にはどうしてもなる訳ですが、それに関しては現代の"ストーリー"エンタメが、かなり知性理性に寄った形で、それで構わないものとして位置づけられているという傾向はあるのかなと。"その1"で取り上げた「ラノベ系の「〇〇〇したら×××した件」的なタイトルで内容を全部説明してしまうスタイル」なんかも、そういう例の一つかと思いますが。"広げ"たり"深め"たり"展開"したり、しない訳ではないんだけどそれよりもまずタイトルで明示したような結論やテーマにいかに帰納的に構成するか、それがまず目的であり内容。『デスノート』などに代表される、高度な推理や駆け引きを呼び物とする(ヒット)作品も、ある時期以降凄く増えてますしね。
言ったように"感情"を使うのは疲れるし億劫なもの(特に使う"前"は)ですし、古今東西新しい世代は古い世代の慣習的な"情緒"を蹴散らす形で自らの立場を主張するものなので、大きくはそんなに珍しいことではないと思いますが、ただそうした作品の質と量と存在感がやや異例に大きくなっている感もあります。例えば「本格ミステリ」(あるいは"新本格")というような形で"人物"や"感情"を最低限の記号的な描写に止めてパズル的な構成美だけで勝負するようなストーリージャンルは以前からありましたが、それらはよく言えばエリート的な悪く言えば単にマイナーで奇形的な存在感にとどまっていたように記憶しています。そうした風景と比べると。

「等速での視聴は作品の微妙なニュアンスを捉えようとする行為ですが、それにはすごくエネルギーと集中力を使いますし、集中できる環境と整った気持ちも必要です」


腰を据えて取り組まないといけないので機会が無いのと億劫なのと。
あと実はある種の"スキル"が必要な部分もあるように思います。"学習"というか。
例えば子供にorライトなポップミュージックリスナーにいきなりブルース(系の音)を聴かせても何だか分からないでしょうけど、慣れて来ると不思議なことに個人的な生活史に存在しなかったその音が"第二の本性""魂の故郷"的に聴こえて来たりするんですよね、実際。それだけ潜在的な普遍性はある訳ですけどしかしそれを呼び覚ます為には慣れる、聴き方ノリ方を学習するプロセスが一定程度必要になる。(普通の日本人は)
映像劇の"ブルース"にも一定の学習が必要な部分があって、その機会の(まだ)無い人・年代が食わず嫌い的に"感情"を避けてるみたいなところも、まあなくはないのかなというそういう話。

上の発言の後半。

「とはいえ、観る作品が多すぎるため、全部の作品にそのような向き合い方はできません。なので、どうしてもエネルギーを使わないで観る倍速視聴や10秒飛ばしが多くなる」


うーん。ただね。
結局感情移入してしまう時は、してしまうんですよね。作品数が多かろうが少なかろうが、その時見ているのは目の前の一本なので。・・・つまり「倍速化」"出来ない"と感じる作品は、どんなに忙しかろうと出来ないと感じてしまう訳で。
だからどちらかというと、影響を受けているのは今まで習慣的に"親切に"見てもらっていたレベルの作品で、作品数が増えて一番増えるのもどちらかというとそういう平均かそれ以下の作品だろうと思いますから、単純に多過ぎるという問題と"向き合う"(べき作品と向き合う)習慣が形成されない問題は、一応別に考えたい気がするんですけどね。(ってまあ蛇足かなと書いていて思いましたが(笑))

しかし結論から言うと、その早口はむしろちょうど良かった。授業後に提出された学生のミニレポートから察するに、少なくとも単位時間あたりの情報量は適正だったようだ。

単位時間あたりの情報処理能力は――少なくとも、筆者を含む20数年前の大学生に比べて――格段に上がっている。そう感じざるをえなかった。


この問題について大学生に(自分的には早口に)講義した際の、筆者の感想。
「単位時間あたりの情報量」って、おい、俺の真似か?と一瞬思いましたが(笑)、"2021.12.30"の記事なので真似したとしたらですね(笑)(2022.4.20記事)。してませんけど。(笑)
まあそういう言葉で表現したくなる現象だということでしょうね。僕にとっても稲田氏にとっても。



[Z世代のコンテンツ視聴]

(前編) ドラマも「切り抜き動画」で観る…「倍速視聴派」Z世代の視聴実態 (2022.04.19) より

稲田 だけど全話一括配信なら、ある1話の最後に何かが解決していなくても構わない。問題の解決をどんどん先送りしていったほうが、むしろ連続視聴してくれる。

稲田 最近だと地上波でも、菅田将暉主演の『ミステリと言う勿れ』(フジテレビ系、2022年1〜3月放映)がそうでした。事件解決型のドラマだから1話完結、あるいは前後編の2話分で完結するというのが定石であるところ、必ずしもそういう構成になっていない。ある話の途中である事件が解決したと思ったら、そのまままったく違う別の事件が始まり、途中まで描いて、続きは次週に続く。こんな感じでした。


なるほど。そういうことだったのか。


引用は中国の話ですけど、日本よりかなり早く"配信"にドラマの主体が移っていた中国において、それに対応した形態ということだったのかと今更分かりました。当時はそこまで"配信"も意識していなかったですし、見かけは普通のテレビドラマででも日本は勿論欧米にも見られない形態だったので、結構戸惑いましたね。


(後編) SNSで「無邪気に」感想が言えない…Z世代の「奇妙な謙虚さ」 (2022.04.19) より

稲田 「飛ばした10秒の中に後の伏線になるような重要なシーンが含まれていたら困るのでは?」という倍速視聴批判派の声に対して、ゆめめさんは「どうせ自分には気づけないので。そういうのはプロに任せればいいやと思っちゃう」と言った。


うーん。結構画期的な発言、なのか実は(特に)女性視聴者は昔からそういうところがあったのか。
どのジャンルでも基本「分かっている」という態を前提に理解力と見栄を競っている(笑)男性ユーザーに対して、そういう競争からは一歩も二歩も引いている女性ユーザー、という。
ただまあ、女性視聴者だって("伏線"等の)物語の繋がり自体には特に"批評"的な意味でなくても興味はあるだろうし、"背景"やら"構造"やら"象徴"やらならともかく"伏線"程度のことは、特別な知識や頭脳が無くても("プロ"でなくても)理解出来るように作り手側は作っている筈なので、やはり何か、意表を突かれる諦めの良さではあるように思います。
やや強引に解釈すると、上で"感情"が捨てられていたようにここでは"知性"が捨てられていると、そういう言い方は出来るかも知れません。ある映像劇という一つのソースの可能性の中から、各々が欲しいものだけをピックアップして、持って行っている風景というか。「作品」(全体)という強迫観念の死というか。
稲田氏自身はこれを、(奇妙な)「謙虚さ」、ネット上にいるいかにも"分かっている"人たちと比較しての自分の"分かる"ことの断念という、そういう文脈で取り上げていますね。これだと僕の"男女"比較論に近いというか、その現代バージョンという感じ。

ゆめめ 作品についての間違った解釈をSNSで発信すると、ダメ出しのリプが来るじゃないですか。
ゆめめ 私も含めたZ世代の子たちにとって、今のTwitterはもう私たちのメディアじゃないんですよ。“論破”したい空間になっている気がして。リプが来ないにしても、自分が好きな作品を自分よりずっと詳しい人がSNS上にはたくさんいるし、目に入る。だから私なんてまだまだ……と思ってしまうんです。だから私たちって、 自分の好きなものを「好き」とSNSで無邪気に言いにくいんですよ。


そんなにリプが来るもんなんでしょうか。羨ましい(笑)。(いやそういう話では)
サッカー界隈だと、批判的ツイートには多少なりとも気は遣いますが、褒める分には別にという感じですけどね。わざわざ"過大評価だ!"と怒って来る人は、まず見かけないと思います(笑)が。「作品」解釈だと、そこらへんもっとデリケートなのかも知れない・・・うーんでも僕も属している(?)アジアドラマクラスタでも、ちょっと心当たりは無い雰囲気ですね。分からん。どこの世界のtwitterなのか。まあネットには自分の知らない世界がいくらでもどこにでも、自分の住んでいる世界のほんの隣とかにも存在しているものですから、どこかにはあるんでしょう。
分からんと言えば"Z世代とTwitter"もそうですね。確かにtwitterは当初思われた"どうでもいいことをつぶやく"ツールではなく、コンパクト評論や大喜利の腕を競うハイインテンシティ空間にはなってしまいましたが、逆に"Z世代"(1990年代中盤から2000年代終盤までに生まれた世代)は"どうでもいい"時代のtwitterを知ってるのかなと、言ってる内容というより「世代」感覚がよく分からない。
僕が始めた2011年には、既にその変化は終わりかけていたようなそんな記憶ですが、その頃はまだ(Z世代の)年長組でもやっと高校生になるかならないかくらいの計算になりますが。
まあちょっとここらへんは、興味はあるんですがなかなか精度の高い議論はいきなりはし辛いですね。受け止めつつ保留。

ゆめめ 私もそうですけど、Z世代は先のわからないことや想定外の出来事が起きて気持ちがアップダウンすることを、“ストレス”と捉える傾向が強いので。Z世代は「体験」より「追体験」を求めるんです。


「体験」より「追体験」
上で言った"RPGの繰り返しプレー"が正にそれですね。上手い言い方だ。"先の分からない初見プレーはストレス"だと、僕自身も告白しましたし。(笑)
逆に世代論としてはどうなるんだろう。"RPG"という例で言うなら僕が始めたスーファミ時代だと、攻略本は勿論ありましたが(薄い奴ですけど)攻略サイトの時代ではまだ無かったので、そういう意味でネット社会が全面化した後に生まれ育った世代は最初から情報が溢れ返っているので、"答えを先に知る"ありきで対応するのが当たり前になってるとか?
ただ一方で更にその後一般化した"オンラインゲーム"って、そう簡単に引きこもらせてくれない/"追体験"に浸らせてくれないシステムじゃないですか。何せ「他人」という予測不能要素が最初からいる訳で。そこらへんはどうなってるんだろうという。
またも保留かな(笑)。面白げな話ではあるんですけどね。「追体験」志向だから"切り取り"や"飛ばし"で「結末」を知ってから見るという、その論理自体の繋がりは分かり易いんですけどね。
ただその主語/主体が少し正体不明。

ゆめめ SNS断ちはできなくても、「友達とつながること断ち」は進んでます。非公開のSNSアカウントを作るとか。もはや私たちは、誰に向かってつぶやけばいいのかわからなくなっていて、SNSがどんどんクローズド化していっていますね。
稲田 アカウントに鍵をかけて、誰も見てなくても構わないわけだ。
ゆめめ はい。私もめちゃめちゃやってます(笑)。
稲田 昔で言うところの、誰にも見せない日記と一緒だ(笑)。若者がやりがちな。


「友達とつながること断ち」。面白い。
(LINEグループで)そんなに四六時中人と繋がってて平気なのかと思いましたが、平気じゃないんだやっぱり。安心しました。(笑)
それにしても鍵かけて誰も見ていない状態でつぶやくとは。確かに"誰にも見せない日記"は僕も書いたことはありますが(笑)、ではその時twitterがあったら非公開でやったかというと、それはやらなかったろうと思いますね。やっぱり読んで欲しい(笑)。"匿名"の方は、断固として守るとしても。
どうなんでしょうね、実態は。やはり「議論」や「評論」に対する態度に無視出来ない男女差はある(少なくとも日本人の場合)ように僕は思うので、証言者のゆめめさんが女性であることが少し構図をぼやけさせるところがあります。つまり女性ならではの行動という面が、ありそうな気がするという。



[作り手が語る倍速視聴]

(前編) 「倍速視聴」は進化か退化か。「プリキュア」「銭天堂」脚本家が抱く危機感 (2022.04.25) より

小林 そもそも、映像作品って小説や漫画とは違う特徴がありますよね。書物を読むのは能動的な行為、映像を観るのは受動的な行為と昔から言われています。特に映画は「時間の芸術」と言われていて、観客は時間の流れをコントロールできないという前提で表現手法が発展してきました。


映像を観るのは受動的な行為。
昔栗本慎一郎が映画批評の神様(?)蓮実重彦を評した箇所で、映画館で映画を見るというのはひたすら受動的に映画に犯され続けるマゾ的な行為で(それに従順なのが例えば淀川長治的評論)、それをサド的に転倒したのが蓮実だと言っていてなるほどと思いましたが。



ただテレビの時代とそれに続くビデオ/録画の時代に入って既に長いわけで、「映画館で見る映画」という、極端に言えば"特殊状況"を前提に映像体験を考えるのは、なかなか厳しいものはあると思います。
ある意味その時点で、視聴者が停止/早送り/巻き戻しボタンを手に入れた時点で、今日の「倍速視聴」状況の運命は定められていたと、そういうことは言えるかも知れません。ネット動画にその機能が"最近"実装されたのは、単なる技術の問題というか時間差の問題というか。

稲田 その高密度の情報に慣れている子供たちが成長したら、説明のないシーンや物語の「緩」の部分で、今の若者が感じている以上に「なんか、かったるいな」と感じるでしょう。その意味でも、倍速視聴や10秒飛ばしの流れは止まりそうもありませんね。


"高密度の情報に慣れている子供たち"というのは、"単位時間あたりの情報処理能力が格段に上がっている大学生たち"と似たような話として。
ただ一般論や世代論はともかくとして、僕自身が元記事(『僕の倍速視聴ライフ』)で言いたかったのは、"物語の「緩」"の部分だからかったるいのではなくて、位置づけ的に「緩」だろうが「急」だろうがクオリティ自体が「緩」だからかったるい、だから倍速にするというそういうことなんですよね。それこそ小津安二郎とか、ほぼほぼ「緩」ですからね(笑)(最後の最後だけ急いで驚かすのが定番の作り)。でもそれは倍速にしない訳で。
で、問題となっている大学生を代表とする新世代も、実は本質的にはそんなに僕と変わらないだろうと思います。ツールが豊富になったことによって、よりシビアにより残虐にクオリティチェックを行っている、その結果だろうと。そういう意味では当面は必然の現象かと。シビア過ぎて入り口を狭くし過ぎている面は、あるにはあるだろうと思いますけどね。更にその次の世代あたりで、そのことは問題になって来るだろうと思いますけど。


(後編) 「Netflixとアマプラに絶望した」人気アニメ脚本家が明かした「本音」 (2022.04.25) より

稲田 あえて主人公の素性を最初からは詳しく描かず、何話か観るうちに少しずつ主人公のパーソナリティがわかってくるタイプの作品もありますが……。
小林 配信には向かないと思います。とにかく、一番大事なことを最初に描く。時系列通りでなくてもいい。「どうしてそうなったのか」を、第2話以降で時間をさかのぼって描けばいいんですから。むしろそのほうが、第1話の時間軸に到達するまで観客の興味を引っ張り続けられます。


配信向けの脚本の組み立ての話。
理屈ではそうなりそうなんですけど、これほんとなんですかね。僕自身は、"冒頭に現在が来てその後過去に戻って現在に至る状況を説明する"パターン、大嫌いなんですよね。だるくてしょうがない。
そもそも脚本の世界では、"なるべく「回想」を使わない"、それは説明には便利でも観客にはストレスだから物語のスピード感を落とすからというのが長らく定番的な戒めになっていて、それは実際正しいと僕もいち"観客"として感じて来たんですけど。"配信向けの構造"はその"観客生理"を上回るパワーがあるのかメリットが勝つのか。
まあ僕が言っているのは主に「一話」単位の話で"配信向けの構造"が言っているのは一気見的なものを前提としたシリーズ全体の構成の話でしょうから、そこにずれはあるでしょうけどね。あるいは"タイムリープ"ものの大流行を見ると観客生理そのものが変質しているか、もしくは単位エピソードの短さが時間軸の移動の煩わしさに勝っている、前者が"倍速/飛ばし"世代には殊更重要であるみたいな想定は出来なくは無いですけど。なまじ"一本のストーリー展開に寄り添ってじっくり鑑賞する"能力を発達させ過ぎたから、時間軸の移動が煩わしく感じてしまうのかもしれない。(笑)
まああんまり本気で言ってないですけどね。そんなにベースの感じ方が変わってるとも変わるものだとも、僕は思っていませんが。何かもっと別の説明・分析があるのではないかと、仮に言うところの"配信向け"話法が有効性を持っているとしても。(その部分自体が割と雰囲気だけで語られているような気もします)

小林 多くの映画ファンはNetflixとAmazonプライムビデオが普及しはじめたときに喜んだと思うんですけど、僕は絶望の方が大きかったんです。
小林 「ああ、これで観たい映画やドラマやアニメを一生かけても全部観きれなくなった……」って。


めっちゃ分かるウケた。(笑)
ウケ過ぎたのでこれについては別記事で独立して書きたいと思います。
腹痛い。(一人で勝手にウケてる)

小林 『選択の科学』(シーナ・アイエンガー著)という本には、「人間は選択肢が多すぎるとかえって幸福を感じにくくなる」と書かれています。なぜかというと、「選ばなかった大多数のものの中に、もっと良い選択肢があったに違いない」と未練を抱いてしまうから。


まあとりあえずはそういうことですよね。
Jリーグとかもクラブ数選手数が一定限度を越えた時に、僕は一回興味を失いましたし。(一段階後退したというか)
"俯瞰""把握"出来てる感というのは、大事です。

小林 そうそう。あともうひとつ感じたのは、「自分がこれから脚本を書く新作も、この膨大な作品群の中に埋もれていくんだな」という絶望です。


それはそうでしょうねえ。
当たるにしろ外れるにしろそれなりにダイレクトに観客の存在を感じられていた時代から、中空に向けて弾を撃つような、大海に石を投げ入れるような、"いつか見てくれるかもしれない誰か"に向けて書く/作るような感じに、なりつつあるのではないかなと。個人ブログかよという。(笑)


おや、これで終わりか。
今回はほとんどまとまりとか気にせずに、各個対応した感じでした。
稲田氏のこのシリーズが続くなら、"3"もあるかも知れません。


テーマ:映画関連ネタ
ジャンル:映画
"倍速視聴"問題その後
2022年05月18日 (水) | 編集 |
稲田豊史氏の問題提起に始まる映像コンテンツのいわゆる"倍速視聴"問題についての僕の基本的な考えは、一応一回まとめてはみました。(『僕の倍速視聴ライフ』)
正直生煮え感が強くて(笑)、満足の行く出来とは言い難かったですが、それはそれとしてその後も稲田氏は関連・派生記事を発表し続けていて、それらの記事及び前回は倍速視聴というテーマに特化させて取り上げなかった部分、その合わせてのフォローを行おうという、そういう趣旨です。
映像劇をめぐる様々な論点が、これだけまとめて効率よく出て来る機会も、そんなに無いと思うので。

稲田氏がつけた小見出しに従って、改めて整理すると。(稲田氏の執筆記事一覧はこちら)

[映画を早送りで観る理由]
#0 「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来 (2021.03.29)
#1(前) 映画やドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由 (2021.06.03)
#1(後) 『逃げ恥』『シン・エヴァ』…「リテラシーが低い人を差別しない」作品が時代を制する (2021.06.03)
#2 「オタク」になりたい若者たち。倍速でも映画やドラマの「本数をこなす」理由 (2021.06.07)
#3 失敗したくない若者たち。映画も倍速試聴する「タイパ至上主義」の裏にあるもの (2021.06.12)
#4(前) 若者のあいだで「批評」と「スポーツ観戦」が不人気な理由 (2021.06.22)
#4(後) 「インターネット=社会」若者の間で広がる「セカイ系」の世界観 (2021.06.22)

・・・前回参考にしたのはここまで。


[早送りする大学生たち]
(前編) 『鬼滅の刃』『イカゲーム』も早送り…大学生が「倍速視聴」をする理由 (2021.12.30)
(後編) 「なるべく感情を使いたくない」映画やドラマを「倍速視聴」する大学生の本音 (2021.12.30)

[Z世代のコンテンツ視聴]
(前編) ドラマも「切り抜き動画」で観る…「倍速視聴派」Z世代の視聴実態 (2022.04.19)
(後編) SNSで「無邪気に」感想が言えない…Z世代の「奇妙な謙虚さ」 (2022.04.19)

[作り手が語る倍速視聴]
(前編) 「倍速視聴」は進化か退化か。「プリキュア」「銭天堂」脚本家が抱く危機感 (2022.04.25)
(後編) 「Netflixとアマプラに絶望した」人気アニメ脚本家が明かした「本音」 (2022.04.25)


まだまだ続きそうな気配はありますが、それはそれで必要があればまた。
ともかく行きます。



[映画を早送りで観る理由]

#0 「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来 (2021.03.29) より

たとえるなら、『第九』や『天城越え』や『マリーゴールド』を、倍速で聴いたり、サビ以外を飛ばして聴くようなものだ。そんな聴き方で叙情や滋味を堪能できるのだろうか。


今のところ音楽コンテンツを速度調整して聴くという行為は、技術的理由もあってほとんど一般的ではない筈ですが。
ただ同じ曲をスタジオバージョンと全く違う速度でライブで演奏するミュージションは山ほどいますし(例・クイーンによる「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の"倍速"ライブバージョン)、大幅に原曲の速度を変えたカヴァーが成功することもまた割と見られる光景。(例・シド・ヴィシャスによるフランク・シナトラ「マイ・ウェイ」パンク・バージョン(笑))
だから"音楽"という例は、「構造」(曲)は構造、「速度」(アレンジ)は速度だ、だから倍速化は破壊ではないという主張のむしろ補強になりそうにも思わなくはないですが。ただ演奏自体からやり直すのと出来上がった音源をいじるのとはまた違う行為ではあるでしょうし、視覚を伴わない分より抽象的でありかつ最初からある種の"詩"的表現として言葉を使っている音楽と、"生身の人間"(もしくはそれに擬したもの)の生活言語という態で言葉が使われている映像劇では、倍速という日常形態からの乖離に対する耐性に違いはあるだろうなとも。
・・・と、勝手に反省してますが(笑)稲田氏が言っているのは"倍速がおかしいことの自明な例"としての音楽なので、そこまで自明じゃなくない?というのが僕のとりあえずの反論になります。
"サンプリング"や"リミックス"みたいな例も一瞬考えたんですけどあれは"聴こえ方"を変えてるだけで"速度"を変えてる訳じゃないので、また別かなと。速度"感"は変わりますけど。


#1(前) 映画やドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由 (2021.06.03) より

状況やその人物の感情を1から10までセリフで説明する作品が、近年増えてきた。


らしいんですけどね。それを観客の幼稚化だ創作の自由の制限だという批判的な方向で、基本このシリーズは扱っているんですけど。
ただ時代を問わず、(出来得る限りなるべく)"分かり易く"表現することは常に存在する実作者の永遠のテーマですし、それがどれほど技術的に容易ではない、媚びれば出来るというような単純なものでないのは、よっぽど未熟か中二病的勘違いにでも陥っている実作者でなければ知っている筈。
という前提で。セリフのある部分と無い部分、セリフで説明出来る部分と出来ない部分、その比重をどう考えるかという問題ですけど。

映像劇を見ている時に「映像」そのものやセリフの無いシーンの表現に感銘を受けることは勿論多々ある訳ですけど、ただ観客が何を中心に見ているかと言えばそれはもう、圧倒的にセリフな訳ですよ。読解力があるとか無いとかそういうレベルの問題ではなくて、ジャンルの前提、基本構造として。"何"を見に行くのかということを考えた時に、セリフで言葉で語られるある状況を見に行く、それは確か。ポルノとかアクションとか特撮とか(笑)、"お目当て"が言語以外の部分にあること自体はままありますが、それとてまず言語によって説明される状況設定を前提にして成り立っているので。あるいは"セリフの無い"シーンの味わいも、セリフのあるシーン(で説明されたもの)とのコントラストで、それを前提として存在しているので。ただの"言葉の無いシーン"ではない。
だから・・・というか何というか、これら言葉/セリフのあるシーンと無いシーンは、伝統的に習慣的に混在/共存して来た訳ですが、しかし潜在的には実は観客は100%の説明を言語的表現を、求めている/いたのではないかなと。少なくとも業界の人が思いたがっているよりはずっと。結果的に非言語的シーンの存在を受け止めていたとしても、見る前の漠然とした原初的な期待としては。

あるいは別な言い方をすると、非言語的なほのめかしや象徴的な表現や、それら自体の味わいは味わいとして感じられたとしても、そこで表現されたことの意味(それこそ嬉しいのかとか悲しいのかとか)が言語的部分の手がかりによって確定できないことは、純粋に不快な訳です。象徴と曖昧はやはり違うというか、味わいは味わい、当惑は当惑というか。どんなにリテラシーの高いタイプの観客であったとしても。
そこらへんを曖昧に、意図的なものも単に失敗しているものもごちゃ混ぜに何となく甘えながら作っていたものが、そういう作法を関知しないまたは違う作法で育った若い観客が参入してきたことによって慌てさせられているわけでしょうが、でも実は古い観客も(笑)十分に不満ではあったのであえて味わう程でもないニュアンスはガンガン倍速で(認知はするけど)消化するようになっているという、まあそういう状況でしょうか。

分かり易いは基本だし、言語は基本。
セリフの説明性を言う前に、セリフを使わないことの必然性やその実際の効果の方が、問われるべき場面は多いように僕は感じていますというか感じていましたというか。セリフで説明すれば、少なくとも努力をしたことは伝わって来ますし。(笑)

「当然、観客によって受け取りかたはさまざまになるけど、それでいいんです。受け手には“作品を誤読する自由”があるんだから。誤読の自由度が高ければ高いほど、作品の奥が深い。……というのは、僕の意見だけど」(真木氏)


"誤読の自由度が高ければ高いほど、作品の奥が深い"。『この世界の片隅に』の製作関係者ということですけど、こういう横着というか緩々な人が実際にいるわけでね。そりゃ反撃食らうよなという。
作品が「奥深い」とすれば、それは作品に込められたものやその背景思想そのものが奥深いのであって、表現が不明確なのが"煙幕"として働いて何か深い意味があるように"見える"から"誤読"されるからじゃないでしょう。そういう好意的誤解が生まれることはままあることでしょうけど、それを作り手側が良しとするのはおかしい、伝えたいことがあるならそれは伝わるように努力すべきで伝わらなかったことで人気が出たり評価されるのを、(商売人としての本音はともかく)公に肯定するのはどうかしている。(エヴァンゲリオン的に)謎を仕掛けたとか、炎上商法だというならまだいいですけど。
まあ「誤読」という言葉がおかしいというか、横着なんだと思いますけどね。何らかの理由であえて明確に"語らない"ということはあるし、予め観客に解釈を委ねるという作りもあるでしょう。でもそれらは意図されたあるいは一定の幅を想定された不明確さや曖昧さであるべきで、それを逸脱した"誤読"は単なる誤読でしょう。それが言えないのならそれは単に元々の仕事がいい加減だったということでしかなくて。奥深さと奥深い"風"の区別がつかないような、区別をつけたら化けの皮が剥がれて困ってしまうような。
「誤読する自由」と「奥が深い」、両方言うからおかしいんですよね。「誤読」と言うからには正解(正読?)があるべきだし、あるのならそれが伝わらなかったことを嘆くべきで、「奥が深い」というこけおどしが発生したことを喜ぶべきではない。伝わった上でそれが深いと言われるならともかく。あるいは"伝わった"内容に対する解釈・評価が分かれるならともかく。
こういうなんか、蓄積した業界的気の緩みが嫌がられてというかいい加減見破られて、いささか一方的ではあるけれど説明性明快性への要求の極度の高まりもあるんだろうと思います。

話は変わって。

「ネットで“おもしろい”って声をあげるのは、勇気がいるんです。絶対に否定されないような、あらゆる人が傑作と認めている“勝ち馬”にしか、“おもしろい”って言えない空気がある。誰も評価しない“負け馬”に乗っていることに謎のプライドを持つ昔のオタクとは、真逆なんですよね」(佐藤氏)


へええ、そうなんだ。
むしろ肯定の方が安全というか支持("いいね"?)が簡単に集まる風景が定着して久しいようにも僕には見えるんですが、まあこの件は後(編)でも出て来るのでその時に。
ちなみに僕もよく負け馬に乗る自称"疫病神"ですけど(笑)、それはその都度本当にいいと思って言っているだけで逆張りしているつもりは全然無いんです(だから尚更悲しい(笑))。主流じゃない、多数派じゃないんだろうなという、自覚くらいはありますけど。


#1(後) 『逃げ恥』『シン・エヴァ』…「リテラシーが低い人を差別しない」作品が時代を制する (2021.06.03) より

「しかも、あれだけ画面を文字情報で埋め尽くしても、意外と視聴者は情報過多だとは感じず、問題なく番組を見続けられることも判明しました。結果、各局・各番組がマネをして、どの番組も似たような画面になっていったのです」(森永氏)


いわゆるバラエティの"テロップ"問題について。
やってみたら視聴者は予想よりも情報処理に苦労しなかった、という話は面白いですね。(笑)
今やテロップは単なる"補助説明"ではなくて、それはそれでセンスの見せ所というかテロップ以外の情報と"セッション"的に番組を構成している感じですよね。読みつつ見る、見つつ読む。
・・・ただし、サッカーの地上波中継の上に出続ける"見どころ"説明は、ただただダサいのでやめて欲しいですけど。

つまり、説明セリフを求める傾向は、観客の民度や偏差値の問題というよりは、習慣の問題なのだ。情報過多・説明過多・無駄のないテンポの映像コンテンツばかりを浴び続ければ、どんな人間でも「それが普通」だと思うようになる。


"過多"という言い方に若干の含み・引っ掛かりは残しつつも(笑)、要するにモードの問題だと、「説明セリフ」というかセリフで全て説明するタイプの映像劇の作り方を、ともかくも受容的に位置づけする稲田氏。
まあ基本"正しい"映像劇の形なんてそもそも無いというのと、現実に出て来たもの新しく知った快楽に、人は引っ張られるものだということと。知ってしまったものは戻れない。(笑)
「説明セリフ」とかは正直僕は余り意識してなかったんですけど、例えばラノベ系の「〇〇〇したら×××した件」的なタイトルで内容を全部説明してしまうスタイル、あの"明快さ"にはぶっちゃけ衝撃を受けました(笑)。そこまでやるか、とは思いつつも、逆にここまでシビアな態度でストーリー/フィクションに対して旧来世代は向かい合って来たのかと、結構本気で。みんながあれをやる訳ではないにしても、あれを前提とした世代の書くもの作るものは、それは変わって来るだろうなあと。
「倍速視聴」もそうですね。知ってしまったら、もう知る前に戻れと言われても困る。倍速視聴という技術によって経験によって、今まで何を我慢して来たのか何が誤魔化されて来たのか、分かってしまったからには。


#3 失敗したくない若者たち。映画も倍速試聴する「タイパ至上主義」の裏にあるもの (2021.06.12) より

「信頼している人が薦めている、確実におもしろいと評判の作品しか観に行かない人が、昔よりずっと多い。皆、冒険しなくなっている。だから、当たる作品と当たらない作品の二極分化がはなはだしい」(興行関係者)


サッカーの世界でも、感じてはいたことですね。
各々のインフルエンサー(?)なり人気ブロガー・ツイッタラーの皆さんそれぞれに魅力や説得力があるのは僕も分かるけれど、何か"乗っかり"方に勢いがあり過ぎるよなあとは、昔(笑)と比べて。躊躇いが無い。"乗っかる"相手を探してる/求めてる感は、先行して見えるかなと。


#4(前) 若者のあいだで「批評」と「スポーツ観戦」が不人気な理由 (2021.06.22)

「エンタメに対して“心が豊かになること”ではなく、“ストレスの解消”を求めれば、当然そう[ワガママや快楽主義]なります。心に余裕がない、完全にストレス過多なんですよ、特に若い世代は」(森永氏)


別にどの世代も、エンタメに対して“心が豊かになること”を一義的に求めていたりはしないと思いますけどね(笑)。“ストレスの解消”、現実逃避(代理満足)、動機としてはだいたい常にそんなもんじゃないでしょうか。ただ結果として"心が豊かにな"ったり人間性的なことについて学べたりするような作品が過去多くあって、更に言えばそういう内容のものでもきっちり"エンタメ"化して見せる代表的にはアメドラや日本漫画(の映像化としてのアニメ)などの特筆すべき手腕が伝統的にあって、"心が豊かになる""ストレス解消"体験(笑)というものに、我々が慣れているだけで。
違いがあるとすればそうした目的意識ではなくて、映像劇なりスポーツという体験への接し方の方で、ある程度じっくり腰を落ち着けてそこで得られる全体験(その中には"心が豊かになる"ことも含まれるかもしれない)を受け取ろうという姿勢や余裕(または単に時間)が欠けていることで、そこには"ストレス過多"という要素がなるほど存在しているのかもしれない。
・・・何となく連想するのは、"フーリガン"だったりするんですけどね。(笑)
"サッカー"ではなく"勝つ"こと(または勝てなければ文句を言うこと)や試合に"乗じて"騒ぐこと自分が快楽を得ることストレス解消することが目的というタイプの"観客"。
それくらい、"フーリガン"(の典型像としての極度に鬱屈した労働者階級)くらいに、現実生活に絶望している世代が存在するのかもという。

ネット上のテキストにも、同じことが言える。絶賛テキストのほうが、批評テキストよりもずっと読まれるし、SNSで拡散される。ぬるい大絶賛記事のほうが、切れ味鋭い客観分析記事よりもPVを取りやすい現実は、カルチャー系のライターなら誰もが知るところだろう。


そう、なんですよね。だから上で"おもしろいと言うのが怖い"という証言が出て来た時に、戸惑ったんですけど。
褒めときゃだいたいオッケーなご時世なんじゃないの?僕もたまにやっていいねやブログ拍手を稼ぐぜという。(笑)

ついでの余談ですけど、絶賛テキスト(ぬるい大絶賛記事)⇔批評テキスト切れ味鋭い客観分析記事という並べ方は僕は違和感がありますね。絶賛テキストと対立しているのはあくまで"批評"テキストであって、"客観分析"記事は別のカテゴリーにいるというか、ある意味"絶賛テキスト"と並ぶ現代の人気ジャンルだと思います。批評が煙たがられるのは論点・視点を提示するからですが、しかしそれは"客観"や"分析"とはまた別のものです(重なることもありますが)。逆に"客観分析"記事が批評や論点を読みたい人の需要を満たせているかというとそれが案外そうでもないので、僕のような"主観"的な書き手にもまだ居場所がある訳で。(自分で言うな)
余計な話でした(笑)。まあちょいちょいこの人の言葉遣いは、引っかかることが多いんですけど僕は。全体としては、決して嫌いな人ではないんですけどね。

なんだか偉そうな肩書のついている他人が、自分の愛している作品を勝手に分析したり、腑分けしてああだこうだとかき混ぜたりすることには、我慢がならない。ましてや、良い点だけでなく悪い点まであげつらって、「ここが良くない」などと意地悪に指摘するなんて、不愉快極まりないというわけだ。

彼らは絶賛しか目に入れたくない。だから、ファンブックしか買わない。自分が好きなものを全肯定してくれる言説しか、読みたくない。


"勝ち負け"のあるスポーツではさすがにそこまでてはないですけど、ドラマの世界だとほんとこういう感じはしますね。賛成とか反対とかではなくて、興味が無いんですよね、批評や是々非々に。いかに持ち上げて(持ち上がって)気持ち良くなるか、愛を追究するか、それだけという感じ。ポジティブな材料だけを、ひたすらかき集めるというか。


#4(後) 「インターネット=社会」若者の間で広がる「セカイ系」の世界観 (2021.06.22) より

寄せられたリプの中には、「私が否定された。ひどい!」とでも言わんばかりの、とても傷つき、激しく苛立っている(ように見える)ものが、相当数含まれていた。


ああ、分かる。たまにありますね、自分的には特に批判したつもりもないようなコメントに、激甚に感情的な反応があってびっくりしてしまうことが。"若者"というよりは"女性"という印象が強いですけど、経験的には。そういう意味では、昔からなのではないかなと。
売ってない喧嘩買われるとほんと対処に困りますよね。戦闘準備もしてないし。(笑)
まあ若者なのか女性なのかはともかくとして、批評という"習慣"を持ってない人は確かにいるので注意すべきというか、そういう人と接する時はそういうものとして応対しないと駄目ですね。

それを言ったのが誰であれ、単なるネット記事であれ、ある個人の意見表明を目にした瞬間に、心がかき乱される。押し付けられていると感じる。自分が責められていると感じる。自分が否定されたと感じる。それが、激しい苛立ちと怒りに転換される。

「ただただ、批判に弱いんです。自分の視聴習慣が、もしかしたら誰かにとっては不快なのかもしれない、びっくりされるかもしれない、悪い意味で逸脱しているかもしれないという恐怖。それを言った人が、稲田さんひとりだったとしても、インターネットの記事を通すことで、“社会”に見えちゃう。つまり“社会”からダメ出しを食らったと錯覚してしまう」


ここらへんはあくまで、"最近"の傾向についての話というか、そういうサンプリングに基づいているらしい話。
これも要するに、"批評慣れ"の話ではあると思います。批評というのはつまるところ"距離"を測ったり"位置づけ"をしたりするものな訳で。そうした防壁無しに自分と違う意見やあり方を見てしまうと、いきなりどんと来る。どんと"来て"しまえば、これは誰でも実は結構他愛無く動揺して感情をかき乱されるものなので。それに関して強い人も偉い人も賢い人も、大した区別は無いと思います(笑)。だから防壁が必要なんですよね。"礼儀作法"とかも、要はそういうことだという部分があると思います。直に接しない為の手続き。
後段で面白いのは、自分が他人を不快にさせているかもしれないという恐れという箇所。自分自身が批判に弱いことの、裏腹ではある訳でしょうが、ある意味"筋が通って"るなと。"己の欲せざるところを人に施すことなかれ"的なものを地で行く何か(笑)。確かに批判・批評に耐性のある僕は、他人にそれを向けることにも無頓着ではあるかも知れない。まあでも批評したいですけどね、批評されたいし。(笑)

ただ、発信者の顔が見えれば安心します。以前、テレビを観ないという大学生がワークショップでテレビ局の方と直接話したら、『テレビ局の人がどんな人かわかったので、これからは今日知り合った方が関わっている番組を観てみることにします!』と言っていました。
要は、知らない人が作ったものに博打は打てない。だから、作り手の顔が見えているYouTuberの番組は見る。安心感があるので。コンテンツの良し悪しよりも、作り手の顔が見えていることが優先される。そんな判断基準なんです」(森永氏)


うわあ。
なんか色々腑に落ちるというか、呆気にとられるというか。(笑)
YouTuber人気の、これが正体なのか?(笑)
テレビ局の人がどんな人かなんて、考えたことも無いな。作品論として、作り手(飛鳥Pとか土屋Pとか(笑))を考えることはあっても。
なるほどねえ、ほんとに"人"につくんですねえ。上(#3)の「信頼している人が薦めている、確実におもしろいと評判の作品しか観に行かない」からの流れですけど。
なんか恐るべきコミュニケーション社会というか、コネクション社会というか。
#3の話の範囲だと単に勝ち馬に乗りたいカリスマに頼りたいという感じですけど、ここで求められている"安心感"は何かそれだけではない、根本的な判断基準の違いというか変化というか、そういうものを感じて少し戦慄するんですが、それだけに拙速にまとめるのは控えたい感じ。どういう類型や歴史的視点で、考えたらいいのかなあ。

「何を言うかではなく、誰が言うか」というやつだ。


うーん。こういうムラ社会的な悪弊というか旧弊から、逃れることが出来るのが、我々のインターネット、あるいは"インターネットの匿名性"だった筈なんですけどね。なんか一周回って"戻って"来ちゃったなあという。
まあ別にLINEやSNSじゃなくても、"ハンドルネーム"がついている時点で"誰"性は発生してはいたんですけどね。
そういう意味では、未だに(旧)"2ちゃんねる"がインターネットの最高峰だった感は僕はありますけどね。本当にフラットに発言内容を評価される緊張感が味わえた。スルーされたらそれは自分がつまらないことを言ったからだと、素直に納得が出来た。(笑)


ここまでが前回も取り上げた、狭義の[映画を早送りで観る理由]シリーズの範囲。
今日はここまでで、次回は次以降の記事についてまたコメントして行きたいと思います。


テーマ:映画関連ネタ
ジャンル:映画
僕の倍速視聴ライフ
2022年04月20日 (水) | 編集 |
・・・先月のこれを承けて。

稲田豊史氏による"映画を早送りで観る理由"シリーズ。

#1 「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来 (2021.03.29)
#2 「オタク」になりたい若者たち。倍速でも映画やドラマの「本数をこなす」理由 (2021.06.07)
#3 失敗したくない若者たち。映画も倍速試聴する「タイパ至上主義」の裏にあるもの (2021.06.12)
#4(前) 若者のあいだで「批評」と「スポーツ観戦」が不人気な理由 (2021.06.22)
#4(後) 「インターネット=社会」若者の間で広がる「セカイ系」の世界観 (2021.06.22)

若者/世代論、SNS論、教育制度論(&勿論映像メディア論)等広く現代の世情に言及している内容ですが、今回はより端的に、僕自身の"視聴"体験、映像体験という観点に限定しての、「倍速/早送り視聴」について語りたいと思います。


きっかけ

親と一緒に見た『刑事コロンボ』や『大草原の小さな家』あたりのゴールデン/夕方ドラマに始まり、親元を離れた大学時代からは民放深夜枠や真っ昼間/午前中の暇人枠も加わり、スカパー開通後は勿論爆発的に視聴可能本数も増えて、半生一貫して海外ドラマ視聴をほぼ第一の趣味として来た僕ですが。("配信サイト"以降は「爆発的」のレベルすら越えてしまっているので、逆に利用は慎重に限定的に)
"国籍"的には途中までは物理的にも米英(時々その他西欧)に限定されていた感じですが、NHK『トンイ』('11)きっかけで韓国時代劇もしばらくの間、2017年頃からは大陸中国ドラマも、こちらは結構意図的網羅的に見ていますね、時代物現代物共に。配信サイト普及後は各国輸出向けドラマの製作に力を入れ始め、北欧は勿論東欧から中南米から、ほとんどありとあらゆる国の一定以上の品質のドラマを見られるようになりました。
とにかくもう本当に、時間がいくらあっても。

"ビデオデッキ"すら無い時代からの話なので勿論「等速」視聴(とあえて言うのもあれですけど)が当たり前の世代で、録画やディスクレンタルが可能になってからも「つまらないところを"飛ばす"という目的での早送りは時に応じて当然使ってはいましたが、「見る」為の方法としての早送り/倍速機能を僕が初めて意識したのは、多分この中国歴史ドラマ作品。



『絢爛たる一族 華と乱』[原題:木府風雲](2012)。
明代の中国のある地方政権の権力闘争を描いた作品で、ドラマの出来としては僕的にはまあまあ、見てもいいし見なくてもいいくらいの作品なんですが、ただ舞台となっている「雲南・麗江」の「木氏」というのが"ナシ族"という少数民族の明朝からの委任支配者で(参考)、詳しくは分からないながらも描写される独特の習俗・制度が珍しくて、そこでどのような「歴史」が展開されたのかは見ておきたくなって。

bokufufuun

・・・なんか衣装とか髪型とか変でしょ?架空の国みたい。(最初そう思ってた)

とにかくそういうドラマなんですが、確かその時チャンネル銀河で連日3話ずつというハイピッチの放送をしてたんですよね、それで見(届け)たいは見たいんだけど毎日3話飽きずに見る程面白くは決してないぞ、どうしようということでとりあえず(DVDレコーダーに)録画して、それでも3話ずつの消化はきつかったので何かの拍子にレコーダーの"早送り1"("4"まである)で再生してみたら、あれこれいけるかも?となったのでした。
"早く"先を見(届け)たいという需要と、見たいことは見たいけれど一部始終じっと見続けるほど面白くはないという僕のこの作品への愛と敬意の度合い(笑)に、ちょうどいいペース感。一度やってみるとむしろそれこそが相応しい視聴速度に感じて、たまに等速で見てみるといーっとなって"早送り1"に戻すというそういう体に(笑)。・・・ちなみに"1"だと音声も早送りされますが、"2"以降は映像しか出ません、そのレコーダーの場合。それだとさすがに"視聴"にならない。

結局最後までそれで見て、無事ストーリーを見届けると共に、何か"新しい"経験の領域が僕の中で開けたのでした。


新たな視聴スタイル

勿論『絢爛たる一族 華と乱』の製作スタッフは、作品を"早送り1"で見られることを喜びはしないでしょう。出来れば等速で、自分たちが設定した通りのテンポで見てもらいたいでしょう。
でも仮に「早送り1でだけれど最後まで見てもらう」と、「等速では見てくれるけれどその結果早々に飽きが来てその後を見てもらえない」の二択だったら、どうでしょう。早送りで見られるくらいなら見られない方がマシと言い切る"男前"な人も一定の割合はいるでしょうが(笑)、見てもらえるなら早送り1ででもという派も、そんなに少なくはないだろうと思います。

とにかくこれ以後、僕の視聴スタイルというか各作品の取り扱いは一変します。
簡単に言えば、見るか/見ないかの他に、等速か/倍速かという基準が加わった。
等速でじっと見ていられる上級の作品の扱いはそれまでと別に変わらないですけど、それ以下の(僕にとって)ランクの作品の扱いが。
具体的には等速前提ならば退屈or苦痛なのでもう見ないとそれまでは単純に切っていた作品の寿命が、伸びることが多くなった。『絢爛たる一族』なんかは典型ですが、"出来"はそこまで良くなくても"題材"には興味があったり単純にこの後どう"展開"するんだという好奇心が残ったりする作品などは、"倍速/早送り"のサポートが入る事によって上手くすれば最後まで、少なくとも最終的に飽きるまで更なる話数を余計に見ることが多くなった。・・・一方で倍速視聴が習慣化することによって、早送りで"すら"見てられないという作品の存在も分かって来る訳ですが。(笑)

だから現在は僕には3種類の作品が存在するとも言えます。

1.等速で見ていられるもの。
2.倍速/早送りでなら、見ていられるもの。
3.倍速/早送りですら、見ていられないもの。

まあグラデーションは更に色々ありますけどね。

・等速以外では見る気にならない傑作。(または味わいのある作品)
・等速でも見ていられるけれど、倍速でも見られるもの。(致命的な興趣の欠落は起きないもの)
・等速で見られないことは無いけれど、時間の節約ついでにまあ倍速がベターというもの。
・倍速でなら見られるけれど等速では見ていられないもの。
・倍速でも見るのに忍耐が要るもの。またはわざわざ倍速にしてまで見るような興味の湧かないもの。
・忍耐すら出来ないもの(笑)。"早送り2"以上で音声無しでもやむなしかというもの。(たいていは我慢して最低1話は音声付きで見ますが(笑))
おまけ
・配信動画の場合だと、サイトの設定によりますが同じ早送りでも1.2-3倍速で一応"鑑賞"モードで見る場合と、1.5倍速以上で"内容確認"モードで見る場合みたいな違いもありますね。(注・レコーダーの早送りと違って何倍速でも一応音声は聴こえる)

同じ一つの作品でも、見ながらの評価の上下に応じて等速になったり倍速になったり切り替わることもままあります。
あと目立って特殊なケースとして、こんな作品もありました。

映画『ソーシャル・ネットワーク』。
昔からやっている"つまらない所の早飛ばし"に一見近いですけど、(セリフの)内容自体には興味があるのが違うところ。つまらなくないのに苦痛。だから速度を変えることで、生理的にのみそれを和らげる。

とにかくまとめて言うと、"倍速視聴"という選択肢/"アレンジ"法を手に入れたことで、"見られる"作品の幅や(それぞれの)量は広がったということです。・・・思い返すと結構いくつもありますね、あの時"倍速視聴"を知っていたら、挫折せずに最後まで見られたんじゃないかなあみたいな、それぞれいくばくかの未練を残しつつ脱落した作品群が。(笑)
単純に時間の節約になるので結果的に見られる作品数は勿論増えてはいるでしょうけど、僕が直接的に意識しているのはあくまで個々の作品をいかに見るかいかに個々のいいところを見逃さずに視聴ベースに乗せるかであって、別に量産を意識している訳ではないんですけどね。


"単位時間あたり情報量"という観点 ~「適」速度化としての倍速視聴

結局退屈が悪いのよ、退屈さえしなければわざわざもう一操作加えて早送り/倍速で見るなんてややこしいことはしないのよ、という訳で。(笑)
では退屈とは何かと言うと・・・それは単位時間あたり情報量の不足、なのではないかなと。
ある人の脳の処理能力、それに適切な量の情報が与えられない、その能力の上限を大きく下回る材料しか与えられないことによる、言ってみれば"脳の手持ちぶさた"。
所謂"難しい"話を聞かされたり芸術鑑賞をさせられたりする時の"退屈""居眠り"的な反応(笑)を連想すると、一見この仮説は当てはまらないように思うかもしれませんが、その場合は"難しさ"によってその経験が"処理"可能な情報の範疇に入って来ないので、客観的経験としての情報は膨大でも主観的経験として処理対象となる"情報"は少なくなってしまって、結果的に簡単過ぎる分かり切った経験の時と同じ状態が起きているという、そういう説明になります。簡単過ぎても難し過ぎても、人は退屈する。

以上が一般論ですけど、今回取り上げているTVドラマ/映画等の"映像劇"というジャンルにおいて考えられる「情報」の種類としては。

1.内容≒ストーリー
・設定/世界観、そこでの出来事、その展開、最終的な着地点(の予感)
・ストーリー/作品世界が抱いている思想、そこでの出来事が表現しようとしている意味

2.感情≒キャラクター
・登場人物が経験・表出する感情
・登場人物に対して観客が持つ感情

3.形式と技術≒作品性芸術性
・演出の統一性機能性、意図の実現性、(映像・撮影技術含む)美的な表現性先鋭性、"雰囲気"作り、俳優の演技のコントロール、など。
・脚本の構成的な経済性、やり取りの有機性、(セリフの)言語的的確性、作品のタイプによっては知的な高度性や思想的深遠性、文学的な技巧性なども。

以上が僕が考える、というか実際に映像劇作品を見ている時に僕が主に摂取している"情報"ですが。
これを上の『絢爛たる一族』の例で見てみると。

1."雲南・麗江"という舞台設定には興味がある。中央、明の漢族政府との関わりなども興味深い。
2.権謀渦巻く中でのヒロインのやや度外れた善良さとそれが周囲の人に与えて行く影響には一定の興味を感じる。
その一方
3.演出に関してはやや物足りない。特に破綻は無いが引きも無い。全体としてどう見せたいのかが今一つ伝わって来ない。そして一番の問題は僕の"興味"の対象でもある"ナシ族"の習俗や麗江の風土の描写が、歴史的にどの程度正確なのかは僕には分らないですが、結果的にどうもエキゾチックを通り越して滑稽に、ギャグっぽく見えてしまう部分があって、気が散る、のめり込めないこと。
脚本はよく出来ている部類だと思う。

こうして見ると問題は演出だけとも言えますが、ただ"演出"というのは映像劇の最も感覚的な部分を担っている、言い換えれば"ノリ"を作り出す部分なので、そこが駄目だと他にいい所があっても結局入り込めない、そういう根底的前提的部分だと思います(少なくとも僕にとっては。個人差があるのは知っています)。音楽で言えばノれない気持ち良くない楽しくない音楽の、歌詞だけじっと聴くかというとそんなことは普通無いみたいな話で。歌詞の朗読会じゃあるまいし。
まあ曲は下らないけどギターソロだけいいから聴くみたいな部分的な聴き方も、しなくはないですが(笑)。映像劇で言えば女優さんが綺麗だからそこだけ見るとか(笑)、あるいは自己演出が出来るレベルに演技力が高い人がいてそこだけは見ていられるとか。ただそれで全体の退屈がカバー出来るかというと、それは無理ですね。やはりそもそもの演出/監督にしっかりしてもらわないと。
話戻して『絢爛たる一族』の場合、演出全般としては積極的な魅力が"薄い"程度で本来はとどまっていたのかも知れませんが、そこに"ナシ族ちょいちょいギャグに見える"問題がハンデとして加わって来ると、元々多くはなかった情報量が摂取を阻害されて更に目減りする、または(滑稽という)"マイナス"の価値の情報量が増えてしまって、結果的に脳がポジティブなものとして処理出来るような情報が不足するというそんな感じか。(こういう機会でもないといちいち自己分析したりしませんが(笑)。漠然と退屈だなor不快だなと思うだけ)

そしてそれを「倍速」視聴にかけると、どうなるのか。
「内容」については特に変化なし。「感情」についても基本同じですがヒロインの善良"過ぎる"部分への若干のいらいらが和らぐという効果はあるかも。まあ一般に感情の濃度は薄くはなりますね倍速にすると。逆にそれでは味わいつくせないものがあるなと感じれば、それはその作品の持つ価値なので等速に戻しますが、大抵の作品は等速でも倍速でもそこまで差は感じない。
問題、というか本番は"演出"部門。まず"破綻は無いが引きも無い"基本の演出が、倍速にすることでより「構造」が見て取り易くなって、その構造の"破綻の無さ"が「構成美」という新たな"情報"に、多少なりとも変換される。そして等速で僕を煩わせていた"雲南・麗江の風俗表現の滑稽感"が、回転が速くなることで余り気にならなくなるというかうやむやになるというか、仮に滑稽だとしても作品全体の"情報"の中で比重が小さくなる、それによって忌避対象としての"マイナス"性が小さくなる、結果として情報量にとって"プラス"に働くというそういう感じ。
これらはたまたまこの作品についてそうであるだけで個々に検討すればパターンは色々だろうと思いますが、とくにかくこうした倍速の"効果"によって、『絢爛たる一族』は一日3話ずつたまるハイペースの録画でも、消化にそこまで苦労しないで最後まで見通せる作品になったのでした。

・・・もっと例示が欲しいですね。たまたま話に出しただけで予定は無かったんですが、せっかくなので映画『ソーシャル・ネットワーク』についてもやってみましょうか。

1.内容
・"フェイスブック"誕生の裏話には大いに興味がある。アメリカのエリート大学生たちの日常の描写なども面白かった。
2.感情
・マーク・ザッカーバーグの思想なのか性格なのかそれとも本当に犯罪心理学的分析の対象になるようなレベルの"問題"なのかはともかく、とにかく余りに反省を欠いた臆面の無い、日常的に繰り返される自己正当化の主張(これ自体は厳密には"1.内容"に属する事柄だと思いますが)に、それなりの論理性は認めつつもしばしば不快で耐えられなくなる。
3.形式と技術
・演出も脚本も問題なく優れている、見応え聴き応えがある。(十分に等速視聴相当である)

これの"2.感情"面に突出してある問題を、倍速にすることによって見易くしていたというのは上のツイートにある通り。『絢爛たる一族』のところで「倍速にすると感情の濃度は一般に薄くなる」と言ってますが、その特殊な例というか。元々等速相当だった"1"と"3"の情報量が倍速視聴によって増えた感じは特にしませんが、"2"のマイナス要素が軽減されることによって元々有していた十分な単位時間あたり情報量を、よりスムーズに受け取って脳の処理に委ねられるようになったと、そういう感じでしょうか。


更なる例示。
いい作品の悪役やアンチヒーローは"悪い"ことをしてもそれはそれで魅力のあるものですから、『ソーシャル・ネットワーク』のザッカーバーグ(役)のような例はレアケースだと思いますが、より一般的に「感情」面の問題で視聴に困難を来す例としては、特に男性視聴者にとっては"恋愛"シーン/パートというものがあるかと思います(笑)。興味を持って見ていられる場合も勿論ありますけど、見てられないこともしばしばある(笑)。作品全体の面白さの水準に比して。
それで思い出したのがまた中国ドラマで大多数の読者には申し訳ないですが、"倍速視聴"の効果を実感した最初期の例(その後はやりまくってるので一つ一つあんまり覚えてない(笑))としてよく覚えている作品として、『独孤伽羅 皇后の願い』[原題:独孤天下](2018)というものがあります。



隋唐両王朝成立前の過渡的時代を、実在した"独孤"家の三姉妹の運命を通じて総合的かつパズル的に描写したなかなか見応えのある歴史ドラマですが、知徳兼備の女傑である長女はいいとして、僻みっぽい次女の嫉妬を主な動機とする政治恋愛双方に渡る陰湿で矮小な策謀のあれこれ(個人的には加えてその役の女優の表情の癖)と、主人公である三女の、快活と言えば快活なんですけど僕の目には少なからず子供っぽ過ぎる演技と挙動、特に"恋愛"パートの付き合ってられなさには閉口させられて、でも歴史状況は興味深いし脚本のレベルは低くないし、次女と三女の該当パート以外の部分の演出にも大きな不満は無かったので、見たいは見たい作品だったんですよね。
それで結局最初は次女パート、次に三女パートと倍速視聴を始めて、その内もういいやと長女が活躍するパート以外は全て倍速で見ることにして最後まで見ました。倍速にせずに挫折していたら、ラストの"歴史パズル"がはまる快感も味わえなかった筈で、まあ良かったなという感じ。

全体としては良い作品でも純粋に興味が無くて恋愛パートを早送りすること自体は今も昔もよくありますが(男の子なので(笑))、この作品の場合は次女や三女(の恋愛を中心とする感情生活)にスポットが当たる、そのことによって根本のクオリティの方にも疑念が生まれてしまったのが、一つ特徴的でしたでしょうか。
具体的には上で「大きな不満は無」かったと言った演出の基本ライン、ただそれはそれ自体として特に優れている/緊張感があるというものでもなかったので、"長女"役やその他の成熟した演技の出来る俳優のシーン、あるいは恋愛だのただの個人的嫉妬だのではないある程度硬派な内容のシーンにおいては見る上で支障が無かったものが、軟派(笑)な俳優(女優)や内容のシーンになった時に潜在していた弱さ甘さが露呈してしまって急に見苦しくなった、そしてそこで抱いた不信が他のシーンに対しても波及して、結局"長女"(と厳密にはその運命の恋の相手である悪役)関連シーン以外は等速で見る価値無しとそういう判断になってしまったというそういう話です。
まあ様々な理由でシーン間のムラなんてものはどの作品でもあり得るものですが、この作品の場合は特に「"三"姉妹の物語」であることが、そのパートごとのムラを際立たせてしまった見過ごせないものにしてしまったと、そういうケースですかね。まあいいんですけど。(笑)


ここまでの例示をまとめると、"1.内容,2.感情,3技術."の3側面の内、
・"3.技術"面に不足のあるケース(『絢爛たる一族』)
・"2.感情"面に阻害要因のあるケーズ(『ソーシャル・ネットワーク』)
・2と3に横断的に問題のあるケース(『独孤伽羅』)
と3つのパターンが見えました。
・・・『独孤伽羅』については"恋愛エピソード自体に興味が薄い"という意味では"1.内容"面にも問題があるように見えるかも知れませんが、ただより大きく「三姉妹の("恋愛"も含む)それぞれの運命を通じて歴史状況を活写する」という意味での"内容"には興味がある訳で、もし次女役と三女役の感情表現やそれを支える演出の技量・センスにもっと研ぎ澄まされたものがあったなら、そんなに興味はなくてもストーリーの大きな構図の一部としてさほど気に留めずに見ることが出来た筈。そういう意味でやはり、1というよりは2と3の問題と分類すべきだと思います。
ちなみにずばり"1.内容"に(だけ)特に興味が無い場合というのも、無くは無いんですけど・・・。それについては次の項で。
普通はまあ単純に見ませんよね、興味を感じなければ(笑)。それが自然というか。

例示は多分に行き当たりばったりでしたが、まとめて言いたいのはつまり。
「内容への興味」なり「感情的な誘引性」なり「演出や脚本の技量」なり、これら映像劇を見る時に受け取る"情報"の総計の単位時間当たりの量が、十分ならばそのまま等速で見ればいい訳ですが、何らかの理由で足りないがしかし見続けたい気持ちはある時に、倍速/加速視聴という方法は大いに役に立つということ。
メインとしてはシンプルに加速による情報密度増ということを考えていましたが、こうして改めて事例を見てみると等速だと気になった"マイナス"の情報への注意を加速によって薄めるという間接的な効果も意外と大きいようだなと。

そしてこうして必要に応じて倍速視聴を習慣的に繰り返していると、いつしか「等速か/倍速か」の二分法というよりも、その作品にとっての・・・という言い方が横暴だとすれば(笑)僕にとってのその作品の、最も適切/快適な速度を探す、選択する、そういう感覚に変わって来るんですね。連続的な速度基準のどこかから。
そこから「単位時間当たり情報量」などという抽象化も発想された訳ですが。
遅過ぎず速過ぎず。
単位時間当たり情報量が、少な過ぎず多過ぎないように。

上で言ったようにレコーダーによる録画の再生だと、少なくとも僕の家にある二台の場合「早送り2」以上だと音声が聴こえなくなるのであれですが、各種動画配信サイトだと1倍、1.25倍、1.5倍、1.75倍・・・というようにかなりの選択肢があるので尚更この感覚("「適」速度化")は強くなります。速度レバーを上げ下げしている感覚というか(笑)。それで各パラメータがなるべく綺麗に揃うように。


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テーマ:海外ドラマ
ジャンル:テレビ・ラジオ
中国史を学べる中国歴史ドラマ20選 (後半)
2021年07月14日 (水) | 編集 |
「春秋」~「北宋」時代を扱った(前半)より。

春秋 『中国儒学の始祖 孔子』(1990) or 『復讐の春秋 臥薪嘗胆』(2007)
戦国 『キングダム 戦国の七雄』(2019)
秦~前漢 『項羽と劉邦 King's War』(2012)
前漢 『漢武大帝』(2005)
後漢~三国 『三国志 Three Kingdoms』(2010)

南北朝 『独孤伽羅 皇后の願い』(2018)
隋~唐 『創世の龍 李世民 大唐建国記』(2009)
唐(武周期まで) 『則天武后』(1995)
唐(武周期後) 『楊貴妃』(2007)
北宋 『大宋少年志』(2019)

南宋1 『射鵰英雄伝 レジェンド・オブ・ヒーロー』(2017)
南宋2 『神雕侠侶 天翔ける愛』(2014)
元~明 『大明帝国 朱元璋』(2006)
 『大明王朝 嘉靖帝と海瑞』(2007)
明~清 『大清風雲』(2006)

 『康熙王朝』(2001)
清~中華民国 『西太后の紫禁城』(1998)
中華民国 『功勲』(2007)
中華人民共和国(改革開放以前) 『プロット・アゲインスト』S1 or S2(2005)
中華人民共和国(改革開放以後) 『絶対権力』(2003)


後編は「南宋」以降、女真人の「金」に始まり「大日本帝国」に至るまで(?)の、異民族侵入期的な。

引き続き中国史については「中国の歴史」日本語Wikiを、
時代別中国ドラマ一覧としてはこちらを参照。



11.「南宋」1 (金との戦い)



『射鵰(ちょう)英雄伝 レジェンド・オブ・ヒーロー』[射雕英雄伝](2017) 全52話

いや、難しい(笑)んですよ、は。(「北宋」編から引き続き(笑))
とにかく少なくとも中国人の自意識的には、歴史上初めて「遼」「金」「モンゴル」と立て続けに"異民族"の一部ないし全面的な内地の定着的支配を許してしまったエポックメイキングな時期なので、これら"民族"の日本人にとっての区別の難しさの問題も含めて、なるべく一つ一つの対決をきちっと(作品で)拾いたい。
一方でそういう中国人/漢民族としては"屈辱的"な時代であるので、あんまり描きたくないのか他の時代に比べて作品の層が薄いんですよね。そもそもの「宋」の"建国"自体、一本もまともに描いた作品が無いという有様。

そんな中で孤軍奮闘的に先鋭的な"歴史"意識を持ってこの時代と向き合っているのが現代武侠小説の大家金庸で、「北宋」についても"生まれは遼、育ちは宋"という意図的に歴史的なバックボーンの主人公を配した『天龍八部』という作品があって、『大宋少年志』が登場しなければそのドラマ化作品が恐らく第一候補でした。
そこでは"落選"となった(笑)金庸作品ですが、続く「南宋」期の「金」との対決期については・・・お世話になるかなと。この代表作に。
『天龍八部』も含めて基本金庸作品は全てそうですが、ありていに言えば奇想天外カンフーアクションストーリーなので、歴史の"全体像"を描いているとまでは到底言えないんですけど、他に無いんですよね、「金」の圧迫をある程度以上主題的に扱っている作品が。
・・・いや、あることはあるんですけど。ずばり『岳飛伝』(2013)という、金と戦い続けた有名な将軍を描いたドラマが。ただ序盤を見た限りやけに"アクション・ヒーロー"もの的外伝的な作りで歴史ドラマとしての正統性や包括性は期待出来そうになく、にも関わらず(?)70話もあって到底付き合う気にも他人に薦める気にもならないので、却下。
というわけで主人公の両親が侵入して来た兵に殺され、もう一人の主人公も父親を殺されるが母親が金の皇族に見初められたことによって"仇"の義理の息子として複雑な人生を送るストーリーの『射鵰英雄伝』、その何回かある映像化の中でも決定版的な2017年の作品を、採用。
("歴史の勉強"としての)内容的な無理、不十分は承知の上ですが、ある程度「中国ドラマ」のショーケースも意識している企画なので、中華フィクションの代表の一つ金庸のドラマ化作品も、どこかで入れておくのは悪いことではないだろうと。(若干言い訳(笑)。でもほんとに無い)


12.「南宋」2 (モンゴルとの戦い)



『神雕(ちょう)侠侶 天翔ける愛』[神雕侠侶](2014) 全52(54)話

・・・で、終わっておけばいいものを、なぜかもう一つ金庸ドラマ。(笑)
これも苦渋の選択。(笑)
モンゴル/元ということではこちらもずばり『フビライ・ハン』(2013)という作品はあるんですけど、内容を見ると要はモンゴル内部の権力争い(&兄弟喧嘩)の話で「元」の建国は最後に後日談的にちょろっと出て来るだけなんですよね。今回の企画はあくまで「中国史」の勉強であって、世界史でもモンゴル史でもないので、その点で不採用。・・・これが「元」"建国後"の権力闘争なら、例えモンゴル人どうしの話でも採用可能かもしれませんが。
となると・・・もうほんとにこの時代、これしか見当たらない。(中国内の)"モンゴル"を扱っているのは。
タイトルから想像つくように、この作品は上の『射鵰英雄伝』の続編で、前作では金に対して服属的な位置にいたモンゴルが、いよいよ取って代わって"主役"として南宋を圧迫して来ている時代を描いています。
ただし「元」建国までは話は進まないので、一般にはさほど重要でもメジャーでもない「南宋」時代で2作品を使うのは本来はバランス的におかしいんですけど、次の「元」が(仮に『フビライ・ハン』を入れたとしても)ほぼ空白なのでその分も併せて、ここで枠を使っちゃおうという感じです。あと付加的な意図としては、せっかく続き物なので二つ見ると楽しみが倍加することはするので、それも含めてまあ"金庸紹介"的にはいいかなと。(笑)
ちなみに『神雕』ドラマとしてはもう一つある2006年版を推すファンも多いとは思いますが、企画的に(2017射鵰から)"続けて"見ることを想定した時に、映像的な連続性としては2014年版の方がスムーズだろうという配慮もあって、こちらにさせていただきました。2006版の映像だと、過去の話に見えちゃうのではないかと(笑)。2017射鵰は動かせないでしょうしねえ。


13.「元」末~「明」



『大明帝国 朱元璋』[朱元璋](2006) 全46話

というわけで、時代は一気に「元」の末期まで飛びます。
元末に各地で起きた(モンゴル人の支配に甘んじていた)漢人反乱の一つから、「明」を建国するに至った朱元璋の話。貧民出身の荒くれ男朱元璋の成り上がり記的な序盤の印象からは意外でしたが、明建国後の話も結構長くて、"成り上がり"な前半と皇帝になった朱元璋の統治の苦労が描かれる後半とで、ほとんど別の二つのストーリーになっています。
馬鹿正直ですらある男気溢れる親分だった朱元璋が疑い深い皇帝になって行くのは嫌な感じですが(笑)、状況に強いられて仕方なくという説得力はありますし、"功臣の処遇"や"官僚の管理"という普遍的な政治・統治の問題としての、リアリティもあります。普遍的過ぎて「これは"朱元璋"なのか?」と前半の人格との繋がりを見失うところも若干僕はあったんですけど、一般的にはアクが強くてダーティなイメージがむしろ強い人だと思うので、そこらへん色々とバランスを苦慮して、なるべく"全部"を描こうとしたヒーロー像ではあるんだろうなと思います。


14.「明」



『大明王朝 嘉靖帝と海瑞』[大明王朝1566](2007) 全46話

その朱元璋によって開かれた明王朝の、普通なら"最盛期"などを紹介する流れになりそうなんですが、僕自身の印象も中国人が作っているドラマも、ほとんどは乱れていた爛熟・堕落していた汚職まみれだったみたいなみたいなものばかりで(笑)、紹介するのもそうした汚職・腐敗の構造と絶望的な戦いを繰り広げた実在の有名な官僚・地方行政官の話。
汚職の余りに高度に組織化されている様子も唖然としますし、それとの戦いの中で描かれる、中国の内政のメカニズムの分厚い描写も見事な傑作。
更にこのドラマの特徴としては、例えばそうした汚職の温床となっている"官僚"システムと皇帝権力の関係を独特の繊細さを持って描いていることで、歴史的には"汚職を許した""政治に無関心な"暗君的評価の多い十二代嘉靖帝が、実は資質的には優れた人で政治を正常化したい意思も十分にあって、しかしうっかり自分が手を出すと国のシステム全体が致命的に崩壊することが分かっているので、いかに遠回しに、自分の意思をぼやかしながら主人公たちを助けるべく苦心した、複雑で高度に知的な人物(その分やはり卑怯でもある(笑))として描かれています。
嘉靖帝の擁護自体も割と本気なんだろうなという感じはしますが、描きたかったのは恐らく「皇帝」vs「システム」の普遍的関係そのもので、だからこそ"汚職"も根絶し難い容易に制御は出来ないと、そういう話になって来る訳だろうと思います。色々なことがありつつ、しかしそれら起伏の全てを一枚の知的緊張のベールですっと覆って落ち着かせているような、独特の印象のある作品です。
・・・なおほとんど同じ時期のかつ同じく"腐敗"を重要なテーマとして描いている『少林問道』(2016)というより最近の作品もありますが、時代状況の描写の包括性という点ではやはりこちらの作品の方に大きく分があると思います。


15.「明」末~「清」



『大清風雲』[大清風雲](2006) 全42話

建国はしたもののまだ中国本土を征服し切ってはいない時期の、前出"金"と同じ女真人(のち"満洲人"と改称)の王朝「清」(後金)内部の権力闘争を描いた物語。
モンゴルの(「南宋」2の箇所参照)に倣えば「"中国"史ではない」と対象外にしてもおかしくないところではあるんですが、明から清に帰順した漢人官僚とそれを多くの場合支持する、序盤に死んでしまう二代皇帝ホンタイジの未亡人(皇太后)と、ホンタイジの弟ドルゴン率いる清(女真人)の伝統勢力との物理的思想的対決で全編が貫かれていて、場所はまだしばしば草原でも否応なく中国/漢文化をめぐる物語になっているのが違うところ。
また後の清朝の「中国」への定着の仕方がモンゴルを筆頭とする他の異民族/征服王朝とは比べものならない徹底的なものなので、この時期の話でもまあ十分「中国史」ではあるかなと。
とにかく迫力のある政治ドラマで、見応えがありました。(ただしラストのどんでんはやり過ぎかと思いましたが)
またこの"後"の時期を舞台にした中国ドラマが本当に大量に作られているので(笑)、その"準備"という意味でも、格好の作品かなと。


16.「清」



『康熙王朝』[康熙帝国](2001) 全50話

上のホンタイジ未亡人が必死で守ろうとしていた幼い息子の三代順治帝の、更に息子で、次の雍正帝・乾隆帝と続く清の黄金期を開いた四代康熙帝の一代記。
少年皇帝が我がもの顔でまとわりつく年長の親族や功臣たちを押さえて皇帝の絶対権力を確立して行く過程、周辺民族や台湾含む明の残党勢力を駆逐もしくは懐柔しながら清の軍事的支配を拡充・安定させていく過程、疲弊した国内の民生問題を解決して行く過程、そしてそれら困難な事業を通してかつての少年皇帝が善悪容易に定まらぬ複雑な王者の人格を形成して行く過程と、およそ"歴史ドラマ"を構成するあらゆる要素をきっちりと抜けなく描き切っている、「教科書」的なドラマでもあります。
康熙の最良の理解者であった愛妃を政治的理由で切り捨てて、苛酷な境遇に落としていく"悲恋"のストーリーも切なかったですね。まあ腹は立ちましたけど(笑)。何とかせえよ、皇帝だろう?男だろう?(憤慨笑)
なお前回「前漢」期『漢武大帝』同様、立ち上がり結構スロー(最初は順治帝の"出家"の話を延々やってる)&康熙帝役が2回も変わるという、この時期の中国ドラマ独特の作り方に戸惑うかもしれませんが、ちゃんと盛り上がるので気にせず見て下さい。(笑)


17.「清」末~「中華民国」

その康熙に始まる、その最後乾隆期には"世界最強"(最盛)すら自負するに至る盛期も過ぎ、繁栄に胡坐をかいた濫費や増長による鎖国/世界の潮流への立ち遅れを西洋植民地主義勢力に付け込まれたのもあって衰退・崩壊した王朝が、"共和制"(非王制)を旗印とする「中華民国」に支配権を譲っていく時期の話。



『西太后の紫禁城』[日落紫禁城](1998) 全30話

朝廷を牛耳る守旧派の西太后(太后とは現皇帝の実母や前皇帝の正妃などとにかく"母親"的地位にある最高権威女性)と義理の息子にあたる光緒帝とその知恵袋の愛妃ら改革派の対立を軸に、行きがかり上両方に忠誠を尽くし両方から可愛がられたある女官の視点も噛ませながら、どん詰まりの清の宮廷の混乱と人間模様を描いた作品。
実際にはこの光緒帝が早世した次に即位(一瞬ですが)する宣統帝溥儀の代が清の最後で、この作品自体はそこまでは行かないんですが、"日落紫禁城"と原題にあるように"滅び"の気配は既に濃厚で、確定済みの緩慢な死を、だからこその精一杯の王朝的"中国"的な様式美である種淡々と描いている退廃的な作品。西洋人の目を通したベルトリッチ『ラストエンペラー』とはまた違う、中国人にとっての(当時の)"中国"が実体化されている感じで、西太后も守旧派なりに落日の王朝を一人支える責任感と賢明さの持ち主として描かれています。(『ラストエンペラー』ではただの気色の悪い因業婆でしたが(笑))
とにかくドラマとして見事な作品で、背景としてのくだんの"様式美"の一方で、西太后・光緒帝妃・女官三者三様の人としての存在感、それぞれに瑞々しい名演が刺さりまくる、魅力的な作品です。この作品が作られた1998年から20年以上たって、最早当の中国人にすら二度とこんな"中国"は描けないだろうなという"落日"への哀惜もこめて(笑)、リスト入り/紹介しておきます。


18.「中華民国」



『功勲』[功勲](2007) 全33話

日中戦争(第二次世界大戦)期に在留日本軍の中枢深くに潜入した中国人スパイの話。
が終わったと思ったらいきなり日中戦争というのも殺伐とした感じですが(笑)、「中華民国」建国の1912年から満州事変の勃発(1931年)までは僅か19年、所謂"日中戦争"開始とされる1937年でも25年しかないので、中国四千年(?)の中では僅かな年月。
「中華民国」の統治も不安定で、初代総統(袁世凱)が勝手に皇帝を名乗ったりそれとは別に溥儀が一瞬だけ皇帝にまたかつがれたり終始ごちゃごちゃしていて、ともかくも清朝/帝政を終わらせたという以上の歴史的意義を強調しにくく。
更に言えば現在は台湾に存在する"中華民国"/(元)国民党政府、それを倒して/追い出して作られたのが現"中華人民共和国"である以上、"中華民国"を積極的に描く動機が乏しくなるのは推して知るべしで。
それでも何か一つ挟みたい気持ちはあったんですが、薄い作品層の中でこれと言った作品を見出せずに、こういう選択に。・・・一応『ラストエンペラー』の中国TVドラマ版というのもあるんですが、視点が溥儀個人に寄り過ぎているのと時代的に戦後の結構先(人民共和国二桁年代)まで行ってしまうので、"それぞれの時代をそれぞれのドラマで"見るという今回の僕の意図からするとハマり難くで不採用。単に状況知りたいだけなら、映画版で2時間で見た方が簡単ですし。

というわけで、"日中戦争"期の話。
日中戦争期ドラマそのものは、中国国営CCTV製作のものを含めれば大量にあるんですが、それらは"CCTV大富"チャンネルの番組として日本語字幕付きでスカパー等で見ること自体は出来ますが、DVD化等はされていないのでその時放送されているものしか基本的には見られない。ドラマとしては面白いものが沢山あるので紹介出来ないのは残念ですが、とにかく企画に従って日本で自由に視聴可能なものの中から選ぶとすれば、これかなと。
・・・これかな、というかほぼこれしか無いんですけどね。僕が紹介したくなるようなこの時期の"歴史ドラマ"作品は。実はこれの主演を務めている"柳雲龍"という役者さんは次に紹介している同じくスパイものの『プロット・アゲインスト』の監督・主演も務めていて、ほとんどこの人一人で、この人個人の近代諜報戦への興味と情熱で、この時期の"市販歴史ドラマ"の世界は支えられている感。(笑)

時代と中国ドラマ状況の説明がえらく長くなりましたが、作品。
リンク先の作品紹介では"ラブストーリー"となってますが、そういう味付けもありつつ実際はシリアスなスパイものです。"007"等の影響もあってむしろ「王道エンタメ」ジャンルの一つとして確立している感のある欧米のスパイものとは違って、中国もの(CCTVも沢山作っている)は諜報活動本来の身も蓋もない残酷さや民族的な特殊性すら疑わせる偏執的に緻密な駆け引き・戦略の描写を第一とした、はっきり言えば陰気な(笑)作風が基本で、この作品も大きくはその類。"スパイ"ものだと覚悟して見ても、見慣れないと最初ぎょっとするかもしれない、西洋的なリアリズムとはまた違う独特の暗さです。
その中では一般販売を念頭に置いたメジャー感のある作りにちゃんとなっていて見易いですし、加えて言えば当然基本"悪役"ではある日本軍軍人たちの描写も、そういう場合にありがちな戯画的な表現に流れないようきちんと制御されていて、そういう意味でも見易い作品。"潜入"先の当時の在中国日本軍の、日本製創作物でも目にした記憶が無いタイプの日常活動の描写なども、物珍しくて良かったです。
勿論スパイもの自体としても一級品で、今回紹介出来ない多くのCCTV製諜報ドラマの傑作たちの無念も、この作品を見てもらえれば一応は晴らせるかなという感じです(笑)。特に前半の、主人公(側)の策がバシバシはまる順境期の快楽はちょっとしたもの。そこにリアリズムの重みも伴っているのが、また独特な感じで。


19.「中華人民共和国」(改革開放以前)



『プロット・アゲインスト』S1盲目の少年 or S2天才数学者[暗算](2005) 各10話、12話。(+S3としてもう12話)

二つ挙げていますがこれは迷っているのではなくてどちらでもいい、お好みで、何なら両方見るのもOKという、緩いリストアップです。
作品のあらましとしては、まずこれは共産党の諜報活動において長期にわたって指導的役割を果たした一人の名スパイを一貫した主人公に据えた全34話の『プロット・アゲインスト』というドラマであり、かつそれぞれに重要なサブ主人公を置いた3つのシーズン「盲目の少年」「天才数学者」「赤い国民党員」の内、中華人民共和国建国後の台湾国民党政権に対する防諜活動を描いた時間的に連続する最初の二つのシーズンそれぞれを、独立した作品として並列したものです。連続はしていますが各々完結した内容の全くの別物で、どちらか一つだけ見ても両方見ても全然構わないという、そういうことです。
ストーリーとしてはまずS1は、盲目無学で幼児的な人格だけれど超人的な聴力を持つ一人の少年が、それを見込まれて共産党諜報部の暗号通信員としてスカウトされ、国民党側暗号通信の常人では不可能な僅かな音の聴き取りや聴き分けからパターンを解明し、中国本土に敷かれた国民党側暗号通信網の壊滅に成功する話。続いてS2は、それから数年後、ソ連出身の奇才女性数学者が考案した解読不可能とも思われる暗号システムをアメリカ経由で台湾国民党政権が手に入れたのに対して、こちらはアメリカ帰りのこれも女性の中国人天才数学者を主人公がスカウトし、彼女との恋愛的関係への対処に大苦労(笑)をしながら何とか協力して最終的には暗号解読に成功する話。
それぞれに「暗号」(通信)の世界の、"詳細"という言葉では表現しきれないような圧倒的な"実物"の迫力に満ちた描写に呆然とさせられますが、ドラマとしても各々相当にクセが強いです。S1では要は耳がいいだけで知的でも人格高潔でもない"英雄"のしょうもない振る舞いにちょいちょい引かされますし(でもこんなもんだよなあ教育が無いとと変な納得感も)、一方でS2の女性数学者は当然頭脳明晰でありまたその頭脳に相応しい鋭敏な感受性とアメリカ帰りらしい率直な感情表現をためらわない性格の魅力的な人物ではあるんですが、いささか異常にも思える過度な"恋愛"体質で主人公を筆頭とする周囲を盛大に振り回し、頼むから暗号だけ解いててくれよと中国共産党関係者と一致した見解を観客である僕も持つに至ることしばしば(笑)。後者はまあ熱のこもった「恋愛ドラマ」だと評価すること自体は可能なんですが、ドラマの全体像としては少し奇妙というかいびつな印象を受けるバランス(まあ彼女の多情多感も能力の一部ではあるんですけどね)。かなりの部分事実/実在の人物に基づいた話らしく、そうした"諜報"に身を捧げた人間たちへの監督(上で言った柳雲龍)の特殊な愛情の深さが感じられると、そういう言い方をしてもいいかも知れません。
というわけでどちらもお勧めでどちらもお勧めではないので(笑)、お好きにという感じです。(笑)

・・・なお作品の紹介としては以上ですが、本来このドラマの前提には、『功勲』で描かれた日中戦争の終結後の激烈な国共内戦(国民党"政府軍"と共産党"反政府軍"の争い)とその結果の共産党軍の勝利・人民共和国の建国・国民党政権の台湾への脱出というプロセスがあるわけですけど、残念ながらその時期をちゃんと描いている市販ドラマは今のところ皆無で、それこそこの『プロット・アゲインスト』のS3が部分的に描いているくらい。
また"「中華人民共和国」(改革開放以前)"という時代区分そのものからすると、本来はむしろ毛沢東の"大躍進政策"(の失敗)や"文化大革命"、あるいは朝鮮戦争について描いたドラマでもあれば、より「時代」としては分かり易いわけですけどね。CCTVの方ではぼちぼちそういうドラマも最近では作られ始めてはいるんですが、それが市販ドラマの世界に降りて来るのはいつのことになるやらそもそも降りて来るのか、何とも言えない感じ。
そういうわけでいささかマイナーな内容の作品のチョイスにはなりましたが、それでも"改革開放"以前の中国の生活感や貧しさ、思想的統制の厳しさやその一方での純朴さなど、時代の空気はそれなりに感じ取れる作品だと思います。


20.「中華人民共和国」(改革開放以後)



『絶対権力』[絶対権力](2003) 全27話

僕が通常「歴史ドラマ」として分類しているのは中国で言えば毛沢東時代まで(を始点とするもの)で、鄧小平による"改革開放"(1978)以降は経済体制も風俗も急激に西洋化グローバル化する中で、それを舞台に作られるドラマはここ中国でも大雑把に言えばどの国で作られてもおかしくないようなタイプのいわゆる"TVドラマ"として、ある種脱歴史化して行きます。"現代劇"化と言い換えてもいいですが。
そうした作品群の中でなぜこの現代中国の地方行政(の汚職構造とその改革)を描いた作品を取り上げるかと言うと、一言で言えば「時代」を感じるからです。「歴史」を。例外的に。特殊に。

知る限り1990年代末から始まった中国の"現代劇"ドラマの歴史の中で(参考)、単に今見ると"古い"もの"古臭い"だけのものならば他にいくらでもあるわけですが、ただこのドラマに刻まれている"歴史"の刻印はそれとは少し異質なものに感じて、恐らく時間が経てば経つほど、「現代」という「時代」を舞台にした「時代劇」として見えて来るのではないかなという、そういう感じ。
理由は多分、地方"行政"という扱い内容が取り分け中国共産党指導体制という現代の"王朝"との近しい関係、強い緊張関係にあるからで、実際製作当時当局と厳しめの交渉があったという事が、中国語版Wikiには書かれていますが。
具体的にどこがどのように検閲の対象になったかとかは勿論分からないわけですけど、とにかく結果としてこの作品が他の"現代"ドラマには無い独特の厚み、視点の立体性複層性を感じさせる作品になっているのは確か。
・・・つまり所謂"歴史ドラマ"において、作っている現代人の持つ"常識"と描いているその時代の"常識"との批判的擦り合わせが必ず行われるように、この作品においては"現代"(中国)人としてのある種普遍的一般的な価値観と"共産党/マルクス主義"の奉じる現状相対的には特異で非"現代"的な価値観とが、同様に批判的に擦り合わされていて、それが「現代」における「時代劇」、"中国共産党王朝"時代を描いた「歴史ドラマ」的な感触を、このドラマに与えているのだろうと思います。

まあ上の書き方だとまるで"検閲されたから"そうなったという風に読めてしまうかもしれませんが(笑)、実際には元々この作品は、現代の経済的現実に直面しながらも基本的には党の理想・指導を受け入れながら、良い政治良い社会を実現しようと苦闘するある地方の政治家と役人たちを描いたもので、腐敗を批判し現実を嘆いてはいても体制を否定しているわけではないそういう作品なんだろうと思います。・・・検閲によって、多少"建前"性が強化されたとしても。
"否定しない"というのは重要で、つまり古代中世のある時代の政治体制を(民主主義ではないと)ハナから否定してしまったり、そこで大事にされている封建道徳の類を"時代錯誤"(笑)だと切り捨ててしまったら、そもそも感情を込めた歴史ドラマなんて作れないわけですからね。その"チャンス"を「中国共産党」王朝にも与えているのが言わばこのドラマで、そういう意味での「歴史ドラマ」感があるという。

ただの"プロパガンダ"では馬鹿馬鹿しいですけど、かといって批判一本でよくある"社会派ドラマ"にしかならない。
その微妙なラインを渡り切っている珍しいドラマ、中国でも他に例が思い浮かばない。
"CCTV"の政治ドラマだと、やはりプロパガンダ色が強過ぎるのでね。
まあ普通にかなりよく出来た見応えのある大人の人間ドラマ(ほぼ"社会的地位のあるおじさんとおばさん"しか出て来ない(笑))で、でも見た目地味過ぎてほっといたら誰も見そうにないのでこの際ねじ込んでおけという私心も多少あってのチョイスですが(笑)、でも例えばもし将来"共産党王朝"が崩壊する時でも来たら、それこそ貴重な「歴史ドラマ」としてカウントされるのではないかなという。他の"現代劇"ドラマには無理でも。


以上のべ20作。
興味を感じたら見てみて下さい。
一部無理やり/不本意な時代は無くは無い(笑)ので、今後より趣旨に合った作品に出会えたら、随時入れ替えはして行きたいですが。


テーマ:中国ドラマ
ジャンル:テレビ・ラジオ
中国史を学べる中国歴史ドラマ20選 (前半)
2021年07月10日 (土) | 編集 |
前々から一度作ってみたいなと思っていたリストなんですが、最近立て続けに"時代"を説明するいい作品に会えて、何とか駒が揃って来た感があるのでここらで実行。
基準としては、既にDVD化されていて見ようと思えばネットレンタル等で安価で見ることの可能なもの。勿論新しめの作品については、各映像配信サイトで見られる場合も少なからずあります。
それから内容的に、まずはその「時代」をなるべく包括的に描いていて"歴史"が分かるような内容で、なおかつクオリティ的にも一定以上で僕的にお勧め可能なもの。

"20本"という本数についてはそこまで要らないと言えば要らないんですが、さりとて"10本"では到底無理なので、切りのいいところで余裕を持って、この本数にしました。
尚歴史区分については、「中国の歴史」日本語Wikiに基本的に準じています。
また僕が見た限りの中国歴史ドラマ全作品を、背景時代別に分類したものはこちら

まずは先に一覧を。時代順に。

春秋 『中国儒学の始祖 孔子』(1990) or 『復讐の春秋 臥薪嘗胆』(2007)
戦国 『キングダム 戦国の七雄』(2019)
秦~前漢 『項羽と劉邦 King's War』(2012)
前漢 『漢武大帝』(2005)
後漢~三国 『三国志 Three Kingdoms』(2010)

南北朝 『独孤伽羅 皇后の願い』(2018)
隋~唐 『創世の龍 李世民 大唐建国記』(2009)
唐(武周期まで) 『則天武后』(1995)
唐(武周期後) 『楊貴妃』(2007)
北宋 『大宋少年志』(2019)

南宋1 『射鵰英雄伝 レジェンド・オブ・ヒーロー』(2017)
南宋2 『神雕侠侶 天翔ける愛』(2014)
元~明 『大明帝国 朱元璋』(2006)
 『大明王朝 嘉靖帝と海瑞』(2007)
明~清 『大清風雲』(2006)

 『康熙王朝』(2001)
清~中華民国 『西太后の紫禁城』(1998)
中華民国 『功勲』(2007)
中華人民共和国(改革開放以前) 『プロット・アゲインスト』S1 or S2(2005)
中華人民共和国(改革開放以後) 『絶対権力』(2003)


一部決めかねている時代もが無くは無い(笑)んですが、とにかく20時代のべ20本。

以下解説・注釈を。


1.「春秋」(東周)時代

初っ端からいきなり悩みます。

例えば韓国だと「高句麗」「新羅」「百済」三国を筆頭に様々な"国"のしばしば神話的な起源や時代について割と大真面目な歴史ドラマがよく作られる(『朱蒙 チュモン』[高句麗の祖]、『鉄の王 キム・スロ』[伽耶の祖]など)んですが、中国人には余りそういう関心は無いようで、「夏」や「殷」は勿論「周」についてすら、まともに描いた作品は現在までのところ見当たりません。
・・・一応殷末から周の建国期を舞台にした『封神演義』[封神榜之鳳鳴岐山](2006)



などもあるにはあるんですが、中身はひたすら妖術合戦やってるだけですし40話使ってまだ半分、続編の『逆襲の妲己』まで見ないと周の建国には辿り着かないので、とてもお勧め出来ません。(笑)

というわけでその周の300年に及ぶ盟主支配が緩んで(西を根拠としていた周が東に遷ったので「東周」時代とも)各諸侯国が歴史の主役になり、所謂"諸子百家"も登場して今日に至る中国「文化」の創始期とも言える"春秋戦国"時代の前半「春秋」時代を、リストのスタートとします。

作品候補(1)



『中国儒学の始祖 孔子』[孔子](1990) 全16話

少年時代から始まる孔子の生涯と思想を、("中国ドラマ"という)ジャンル草創期ならではのピュアさで真正面から描いた力作。孔子の遍歴を辿ることで(孔子の出身国)"魯"を筆頭とする当時の春秋各国の国情もひと通り見ることが出来ますし、概ね定説的なよく知られるエピソードをなぞりながらも思想の"内部"に踏み込もうとする真剣さも十分ですし、内容的な文句は無いんですけど。
ただ・・・映像が(笑)。そもそも孔子一行が基本貧乏だというのもありますが(笑)、ようやく'80年代中盤に始まったばかりの中国ドラマの歴史の浅さと今のようにリッチではなかった経済事情の問題もあって、これ今の"ドラマ"ファンに見せていいんだろうかというクオリティ、見映えで。

kousi1990kousi1990_2

なんか全体的に黄色っぽいですし、裏"ビ〇オ"ですか?なんてことを、世代的に思ってしまう瞬間もありました。(笑)
古い映画やドラマも好んで見る、映像の見映えには余りこだわらない僕でも若干びびりましたから、なかなか一般には。内容はいいんですけどね。古くて古典的だけど、"古臭く"はない。


というわけで作品候補(2)も。



『復讐の春秋 臥薪嘗胆』[臥薪嘗胆](2007) 全41話

こちらも画面の暗さの印象の強い、決して映像的に"きらびやか"な作品ではありませんが、こちらはまあ、"蒼然"とした"古色"を狙った"古代"感の「演出」という見方で、基本いいと思います。(お金がありそうな感じもしませんが(笑))
この作品に問題があるとすればそれは題材が"臥薪嘗胆"、つまり「呉越」戦争だということで、故事は有名でも呉越自体は当時の中国の南方の辺境の二国なので、上の"孔子の遍歴"に比べると歴史のメインストリームの描写とは言い難いということ。
それを気にしなければドラマとしては、まるで"漢籍"そのものを読んでいるような古代的な様式美に溢れた傑作なので(俳優陣最高です)、この"時代"の代表的表現として何ら問題はありません。

というわけでどちらを見てもらっても構わないんですが、出来れば『孔子』の方にトライしていただくと、内容的にも映像的にも、普段余り出来ないようなタイプのドラマ体験は出来ると思います。(笑)


2.「戦国」(東周)時代

"春秋戦国"の後半。各諸侯が続々と"王"を名乗り始め、いよいよ「周」室(周王)の存在価値が失われ、やがては滅ぼされる時代。



『キングダム 戦国の七雄』[風雲戦国之列国](2019) 全7話

燕、趙、楚、韓、魏、斉、秦の順で"戦国七雄"各国を、それぞれの歴史的理念的淵源から語り出し、どのように興亡したかそこにそうした"理念"がどのように関与したかを、多分に倫理的儒教的な観点で語り通した最近では珍しい(クソ)真面目な歴史ドラマ。有名な故事や人物を各国満遍なくおさらい出来る便利ドラマですが、特に最終的な"勝者"である秦の分析などは長所と短所の表裏性をかなり突っ込んで分析していて、はっとさせられました。含めて七国全てを一話ずつ公平な分量で描いているところも、見識というかこだわりが感じられて好ましいです。
僕が今回の記事を書く直接のきっかけになった作品の一つ。


3.「秦」末~「前漢」



『項羽と劉邦 King's War』[楚漢伝奇](2012) 全80話

始皇帝の治世末期から始まり「漢」の建国までの、有名な"項羽と劉邦"による所謂「楚漢戦争」の時代を描いた作品。
・・・ちなみに始皇帝の統一事業と秦の盛期については、『戦国の七雄』の内容でほぼカバー出来るのでいいかなと。そんな長い話でもないですし。
基本的には"最大公約数""総合""網羅"という企図の元で作られている作品ですが、その中でも劉邦の"やくざの親分"感や項羽の"スペックの高い間抜け"的なパーソナリティを無駄なヒーロー感をくっつけずにきちっと描いているところは評価出来るというか、監督頑張ってるなという感じです。後半に出て来る天才将軍"韓信"などは、それでスピンオフ作って欲しいと思うくらい独特で魅力的なキャラに仕上がってますし。(なので長いですが出来れば後半まで見て欲しいです(笑))
勿論上のような意図の企画なので、"教科書"性は申し分ないです。


4.「前漢」



『漢武大帝』[漢武大帝](2005) 全58話

"大帝"と称された漢七代武帝の一代記。
と言いつつ父親の六代景帝の時代を結構長々とやるので最初面食らいますが(一般に昔の中国ドラマ/中国フィクションは立ち上がりが凄くのんびりしている)、"武"ではなく"文"の皇帝であるその時代もそれはそれで味がありますし一方で国内の重要な大反乱なども起きるので、気にせずそういうものとして見て下さい。むしろ満を持しての武帝即位後は、しばらく武帝の直情っぷりが鬱陶しくて父親の時代を懐かしく思うかも。(笑)
武帝になってからの中心は何と言っても北方の匈奴との対決で、それまで延々と複雑な漢の国内事情を描写して来た甲斐もあって、単なる戦場の勝った負けたではなく、「国」と「国」とが総力を挙げてぶつかり合う"戦争"の立体感・重層性が、他の歴史ドラマでは余り見た記憶のないリアリティ・迫力で感じられて、見応えがあります。匈奴は匈奴で生存を賭けて必死に戦っていることもありありと伝わって来て、"決着"後の感慨も深いです。
父→子交代だけでなく、武帝役も大人になってから一回変わったり、また女性監督による妙に湿度の高い演出など変則的なところもありますが、総じて見て損はない作品だと思います。


5.「後漢」末~「三国」



『三国志 Three Kingdoms』[三国](2010) 全95話

『項羽と劉邦』と同じ監督(製作はこっちが先)による、中国史の中でも人気の時代を扱った同種の企画。歴史としては、栄光ある「漢」(前漢)が王莽の「新」による一瞬の簒奪の後「後漢」として復活し、しかしその後漢の統治も末期になり乱れまくったお馴染み"三国志"の時代。
前半は余りにそれこそ"最大公約数"的で、既に「三国志」自体に馴染んてる人には若干退屈だろうと思います(特に孔明の平凡さにはがっかりしました)。ただ後半、特に司馬懿がメインになってからは俄然ダークでアダルトな感じになって面白く、恐らくこちらが(『項羽と劉邦』にも繋がる)監督の本領なんだろうなという感じ。
知名度的に外せない時代ですし決定版と言えば決定版なので入れるとすればこれしかないだろうと思いますが、"おすすめ"度では今回のリストの中では一段落ちる感じ。見る人には赤壁までは我慢してくれ、その後から面白くなるからと、言っておきますか。(笑)
・・・まあ曹操の性格表現の複雑さとかには、最初から作品のポテンシャルは表れていると言えば言えると思いますけどね。


6.「南北朝」

まず"時代"としては、「三国」の後それをまとめた「魏」「晋」、それが分裂した後の「五胡十六国」などとも言われる忙しい時代が続き、その後南北それぞれの地域にいくつかの国々が興亡した時代、それが「南北朝」時代です。
取り上げるのはその最終盤、後の「隋」「唐」両統一王朝の母体ともなった北朝の「北周」を舞台とした作品。



『独孤伽羅 皇后の願い』[独孤天下](2018) 全55話

北周、隋、唐、それぞれの皇帝の正妃や生母を輩出した"独孤"家の三姉妹の物語。母系から見るある時代というか。ヒロインは末っ子で、後の隋初代楊堅の正妃。
上で説明したようになかなか煩雑なこの時代の、"前"とも"後"ともちょうどよく繋がるストーリーで、地味と言えば地味な時代ですけど便利なのでチョイス。・・・特に「隋」の建国を描いたドラマというのが見当たらないので、その代わりという意味もあります。
姉妹たちの恋愛を中心としたストーリーではありますが、恋人たちがみな重要人物なので、「歴史」ドラマとしてもきっちり機能しています。基本女性向けの作りで男性視聴者には厳しいパートも無くはないですが、特に男性形無しの知性と意志力を持った長姉(北周明帝の妃)の周辺を中心に、見応えのあるセリフやシーンも沢山あります。
・・・なお『独孤皇后 乱世に咲く花』[独孤皇后](2019)という紛らわしい作品があるので注意(笑)。そっちではありません。


7.「隋」末~「唐」



『創世の龍 李世民 大唐建国記』[開創盛世](2009) 全44話

隋二代(そして最終代)煬帝の治世から始まり、その臣であった李家が自立して隋を倒して唐を建て、更にその身内の争いを制して太祖李淵の次男李世民が二代太宗として唐帝国を確立するまでを描いた作品。
李世民が裏も表も無いスーパーヒーローに描かれ過ぎているきらいはありますが、それを除けば隋王朝や李家に連なる当時のありとあらゆるタイプの人々の行動がそれぞれにリアリティをもって描かれている、よく出来た群像劇だと思います。戦争ものかと思いきや、官僚のサバイバルものみたいな渋い面も強いというか。ほんと感心する程、色んな人が出て来ます。(笑)


8.「唐」(~「武周」)



則天武后[武則天](1995) 全30話

その李世民/太宗の寵愛をてこに成り上がり、いっときは氏の王朝を断絶させて自らの姓である氏の王朝(武周)を建てて見せた、中国史上唯一の女帝則天武后(武則天)の物語。
"則天武后"(武則天)ものはファン・ビンビン主演の2013年作品を筆頭に他にも沢山作られていますが、後に中国三大悪女の一人とも称される則天武后の"悪女"の部分と"政治家"としての偉大さを、両方きちんと描いているという意味では、結局この1995年作品が一番だと思います。始まりはメロドラマっぽいですが、最終的にはとてもしっかりした、堂々たる歴史ドラマになっていました。則天武后役の人本当に上手いなと思います。


9.「唐」(「武周」後)



『楊貴妃』[大唐芙蓉園](2007) 全30話

その則天武后による一時的断絶を乗り越えて復活・継続した唐王朝の、最盛期とも言われる時代を画した六代玄宗後半の治世を、有名な愛妃楊貴妃の生涯を通じて描いた作品。ファン・ビンビン主演。
楊貴妃の描き方が何か独特で、則天武后のように権勢を求める訳でもなければ玄宗との"愛"にも実は特に積極的ではなく、ひたすら受け身の傍観者に近い時代の被害者、しかし個人としては人格・才覚優れた女性として描かれています。
楊貴妃が傍観者的な分、「恋愛」ドラマにも「宮廷」ドラマにもなり切らず、結果的に"時代"や"歴史"そのものが主役になっているという感じのドラマ。それが意図的でないことはないんでしょうけど、作り手のメインの意図はやはり"楊貴妃"を描くこと、特に彼女の人柄や無罪性を描くことにあるのかなという感じ。クオリティは高いです。


10.「北宋」

まず時代の説明から。
上の『楊貴妃』の後半に起こる"安史の乱"辺りを皮切りに始まった混乱や周辺異民族の勢力伸長の果てに唐が滅亡し、その後「五代十国」と総称される小国乱立期を経て漢人王朝「宋」が一応統一王朝を樹立する訳ですが、その支配力は弱く契丹人の「遼」、それを滅ぼした女真人の「金」、更にそれを滅ぼして最終的に中国全土を支配する「元」を打ち立てるモンゴルと、次々現れる北方異民族(王朝)との戦いに、この時代の"歴史"の多くの部分は費やされます。
その内「遼」に"燕雲十六州"という万里の長城"内"一部領域の恒久的支配を許しつつも、一応全国政権の体裁を保っていた時代を「北宋」、遼を滅ぼした「金」(後にモンゴルにも)に北半分を支配され、南半分に支配地域を後退させた時代を「南宋」と一般に呼びます。

その「北宋」時代を舞台にしているのが、この作品。



『大宋少年志』[大宋少年志](2019) 全42話

北宋期の有名な物語としてはかの"水滸伝"があるわけですけど、あれはそれなりに深い時代背景も秘めつつ直接的には北宋のローカルな"内乱"(暴動?)の話でとても歴史の本流とは言えないので、その関係ドラマはまず却下。次に有名だろう"楊家将演義"はこちらは割と正統的なとの"戦争"の話ではあるんですが、作られているドラマの出来が今一つ&本質的には"内紛"(宋朝内の足の引っ張り合い)の話で若干スケール感に欠けるというか「全体」観が得られ難いので、こちらも却下。他どれをとってもどうも上手くないなあと頭を悩ませていたところで出会ったのが、最近見たこの作品。

宋の子弟の中から選抜されたエリート少年少女からなる特務部隊の活躍を描くコミカル武侠探偵ストーリーとでも言うべき純エンタメ作品で、内容的にはフィクションもいいとこな筈なんですけど、設定上からも"宋への愛国心"を明確に軸に据えつつも、序盤から(東北の)「遼」は勿論、同時期に西北で勢力を誇っていた「西夏」側も含めた全力で魅力的な敵キャラクターたちと盛んに"交流"が行われ、今まで見たどんな「北宋」ものよりも効率的に立体的に北宋(時代)の政治状況が自然に頭に入って来ます。相当よく出来たシナリオだと思います。
いちドラマとしても、ここ最近、2010年代中頃からの「中国(歴史)ドラマ」の美味しいところを寄せ集めて各々磨き上げた上で組み合わせた最高のパズルという感じで、そういう意味でも紹介しておきたい、サンプルとしてリストに入れておきたい作品。変則的な内容ながら。
まああえて言えば、"裏"国防ものとでも言える作品かも知れないですね。"特務"という意味でも裏だし、コメディタッチという意味でも。(笑)


・・・ここまで10時代(約)10作品、ここまでを前半と。
最初から特にそういう計画ではなかったんですが、結果的にこの時代までが、域外・長城外からのあからさまな「征服」という形でなく全国王朝が形成されて来た時代で、次の「南宋」からは上で説明したように金やら元やら、また後には「清」という形で、はっきりした"異民族"による"征服"王朝が次々形成される時代になるわけです。・・・「民族」的に厳密なことを言い出すとややこしいのでやめますが、少なくとも「中国人」の自意識的にはそうなはず。
そういう意味では、いい切りになったなと。あえて言えば・・・「ドメスティック」王朝の時代とでも言いますか。「中華」王朝とか言うと、何かまた違う気が。

続きは後半で。


テーマ:中国ドラマ
ジャンル:テレビ・ラジオ
中国”現代劇”系ドラマの概況
2019年03月20日 (水) | 編集 |
史劇系ドラマについては、こちらこちら

"中国ドラマ"プロパー的にも地味な話題で本来こちらのブログに書くような内容でもないんですが、話の連続性の問題としてついでに書いておきます。

100本越え('19.3.20現在117本)の「史劇」「時代劇」系の作品に対して、こちらは現在25本。データとしては少し覚束ないところはありますが、それでもまあ見ている方でしょうし、とにかく一回整理してみたくなったので。
前回は「年表」→「ジャンル分け」の順番でやりましたが、今回は数も少ないですしいきなりジャンル分けで。見れば分かりますが、それがそのまま"年表"にもほぼなる構造になっていますし。


無印

絶対権力(2003)
中国式離婚(2004)
五星大飯店 Five Star Hotel[五星飯店](2007)
大いなる愛 相思樹の奇跡[相思樹](2008)
メコン川大事件[湄公河大案](2014)


特に"傾向"はなく、純粋に「良いTVドラマ」を作ろうと模索していた時期の主に作品。
基本民間制作で、特に後述する"トレンディドラマ"タイプのものが主流化する「以前」の作品と、そう位置付けておくと分かり易いかなと。

・『絶対権力』 中国の地方行政の内幕とそれをめぐる権力闘争を描いたドラマ。
・『中国式離婚』 勤務医と教師の中流中年夫婦の夫婦関係の危機を描いたドラマ。
・『五星大飯店』 一流ホテルマンとダンサー、それぞれの夢を追う男女の恋愛ドラマ。
・『相思樹の奇跡』 都市に出て来た農村部出身の若者の苦悩と愛。
・『メコン川大事件』 メコン川流域での国際的麻薬組織と中国治安組織との激闘。


内容的にもこのようにバラバラですが、比較的硬派というか"骨太"な作品が多いのは分かると思います。


中国中央電視台(CCTV大富)制作の人情喜劇・メロドラマ

先に結婚後から恋愛[先结婚后恋爱](2012)
独り身の男[大男当婚](2012)
ビッグファミリー[好大一个家](2013)
ママ、頑張って[媽媽向前冲](2014)


中国国営テレビ局中央電視台(CCTV)の、恐らくは内部制作によるドラマ。日本ではそれを日本用に編成した衛星局"CCTV大富"(スカパー)で見ることが出来ます。僕が見るようになったのが最近なだけで、実際にはもっと前、少なくとも上の"無印"ドラマと同時期には放送自体は始まっていたはず。
ただ今のところ確認出来ているのは最近の上の作品だけで、そこに内容的にも共通性が見られるのでこういうカテゴリーにしました。ちなみに他のカテゴリーと違って基本的にDVD化等はされないので、その時放送されているものとたまたまオンデマンド化されているものを見るしかないです。(少なくとも日本語では)

・『先に結婚後から恋愛』 冴えない中年男と美人OLの偽装結婚から始まる一族郎党巻き込んでの大騒動。
・『独り身の男』 40才を前に結婚を焦る行き遅れ男が辿るあれよあれよの意外な恋愛遍歴。(らしい)
・『ビッグファミリー』 中国都市部の深刻な住宅不足を背景に複数組の中年カップルが繰り広げる珍騒動。
・『ママ、頑張って』 不倫ものの昼ドラ。


対象年齢層高めないし家族向けの職人的なドラマですね。人情・喜劇・メロドラマ。昔の"松竹"映画っぽいというか。出演俳優もかなり重なっていて、"一座"感あります。(笑)


所謂"トレンディドラマ"タイプのドラマ

ラブ・アクチュアリー 君と僕の恋レシピ[愛的蜜方](2012)
今宵天使が舞い降りる[今宵天使降臨/Angel Cometh Tonight](2013)
続・宮廷女官 若曦(ジャクギ) 輪廻の恋[歩歩驚情](2014)
星に誓う恋[戀戀不忘/Unforgettable Love](2014)
ダイヤモンドの恋人[克拉恋人](2015)
マイ・サンシャイン 何以笙簫默(2015)
最高の元カレ[最佳前男友/My Best Ex Boy-friend](2015)
私のキライな翻訳官[亲爱的翻译官](2016)
記憶の森のシンデレラ STAY WITH ME[放弃我,抓我](2016)
あの星空、あの海。人魚王の伝説[那片星空那片海](2017)
君は僕の談判官[談判官/Negotiator](2018)
2度目のロマンス[温暖的弦/Here to Heart](2018)


今更"トレンディ"も何も無いもんなんですけど(笑)、結局この言い方が一番分かり易いだろうと思うので。
日本で言えば1980年代後半のバブル期以降に作られ始めたとされる(Wiki)、おしゃれなオフィスやおしゃれなマンションを舞台に、おしゃれな男女がおしゃれな何かをおしゃれにごにょごにょする様を描く専ら社会人女子向けのドラマ。
狭義のブームが去った後も基本的に日本の民放ドラマはこの路線というかこのタイプのドラマが確立したフォーマットをベースに作られていると思いますが、中国でもやはり一つの王道であるらしいこのジャンルの直接的な手本は、台湾を別にすれば日本ではなく、韓国・韓流ドラマのようです。

『ルームメイト 白領公寓』(2002,韓国人俳優アン・ジェウク主演)
『美麗心霊 Beautiful Heart』(2003,韓国人俳優イ・ジョンヒョン主演)
『北京My Love』(2004,中韓合作)
『マジック・オブ・ラブ 魔術奇縁』(2005,韓国人俳優カンタ主演)

と、早い時期にバンバン韓国の血が入って来ていて、しまいには日本の『101回目のプロポーズ』のリメイク(2004)までわざわざチェ・ジウを使ってやるって、どういうことやねんという感じですが。ややこしいわ。そこはむしろ中国で固めろよ。(笑)

こうして初期の韓国系の見るからに"トレンディ"タイプの作品の年代を見てみると、つまりは韓国を手本に始まった初期の民放ドラマの流れに対して、いやいや中国には中国のドラマの作り方があるだろうと、反逆的に作られたのが、僕が冒頭「無印」として挙げたような"硬派"ドラマたちなのかなという感じがしますね。そういう風景が見えるというか。
ただそうした努力にも関わらず今でも明らかに主流が"トレンディ"系で占められているのは、結局はこうしたものが"TVドラマ"についての特に女性視聴者の需要の、動かし難い「ド真ん中」だからでしょうね。


二次元・ヲタカル感溢れる新感覚ドラマ

ときめき旋風ガール[旋風少女](2015)
サンセットストリート 煙袋斜街10号(2016)
私の妖怪彼氏[我的奇妙男友/My Amazing Boyfriend](2016)
シンデレラはオンライン中![微微一笑很傾城](2016)
私のツンデレ師匠様![旋風少女2](2016)


上記"トレンディ"系の基本的には同じ流れの中にありつつも、そこから少年少女的感性漫画・アニメからの影響を取り込んで少し違う流れを形成しつつあるように見えるドラマ群。対象年齢もやや低めか。

・『ときめき旋風ガール』 "元武道"という架空の国民的武術に青春を捧げる少年少女たちのドラマ。
・『サンセットストリート』 ゲイと(その時点までは)ノンケの二人の美青年による模索的BL。
・『私の妖怪彼氏』 現代に目覚めた不老不死の吸血鬼の男とオタク系アイドルの女の子の恋。
・『シンデレラはオンライン中!』 オンラインゲームに熱中する天才理系美少女の、虚実入り混じる恋。
・『私のツンデレ師匠様!』 『旋風ガール』の続編ですが、主要スタッフ入れ替わって少々劣化。


僕の感性に合うというのもあるんでしょうけど、なかなかいい作品が揃った今後有望なジャンルかと。
『旋風ガール』は"二次元"感爆発の、そのくせ格闘描写は痛々しいくらい本格的な面白い作品。『サンセットストリート』はBL趣味が無い僕でも、楽しく興味深く見られました。『シンデレラはオンライン中!』も、オンとオフのリアリティを上手く地続きに捉えている今風の作品で良いです。
このジャンルは多分、男や日本人にも見易い共感し易い要素が揃っているのが、一ついいところでしょうね。ちなみに『サンセットストリート』で飼われているうさぎの名前は、"サヨ"と"一休"です。(笑)


以上がこれまで僕が見た中国の「現代」を舞台にしたドラマの、だいたいの種類・位置付けです。
それらの演出や脚本の、史劇系や日米英のドラマと比較しての特徴なんかも書こうかなと思っていたんですが・・・今回はやめます。いずれもう少し大きな枠組みで、改めて。更に見てみる予定もありますし。
とりあえず最近の僕は、CCTVの人情喜劇(笑)の職人芸・脚本の冴えに、うならされることしきりな日々を送っています。フォーマットは保守的ですが、技術的にはアメドラの脚本に遜色ないレベルかと。
最後の"二次元"系ドラマも、機会があったらもっと見てみたいですね。"トレンディ"系も見ればそれなりに優れた作品はありますが、あえて見たいとはなかなか思えない。これで結構男子なもので。(笑)

ではまた。


テーマ:中国ドラマ
ジャンル:テレビ・ラジオ