たまたま図書館にあったので借りてみました。 本としての評判はあまり良くないようで(笑)、実際僕も無闇な礼賛調と、他人の褌(サポーターのノート)を丸々借りて、自分が全く経験していないオシムのジェフ時代を再現するという企画の大胆さ(?)にはびっくりしましたが、収録されている証言自体は色々と示唆的で興味深かったので、僕自身の過去の考察とも照らし合わせてオシム像構築作業の一助にしてみようと。
基本
ミリノビッチ(当時ジェフ。オシム来日以前の発言) 「(オシムにとって)サッカーはボールを持っていかに速く走れるかだ。走力のない選手はサッカー選手として認めない。」(p.24)
基本、ですが。ただここで注目すべきはこれがジェフ以前の時代のオシムについてのミリノビッチの発言だということで、つまりジェフだから日本代表だからそうさせているわけではない、元々オシムのサッカー自体がそうなんだということ。 ・・・・いや、ぶっちゃけジェフの”蟻んこ軍団”性(失礼・笑)の印象が余りに強いので、同じことを例えばユーゴの技巧派巨人たちがやるということがどうも上手く想像出来ずにいたもので。(笑)
オシム 「日本人は『頑張って戦う』ことを強調するが、単にそれだけなら別のスポーツをやればいい。(中略)試合の中でそのゲームを決定づけられる選手が必要なんだ。」(p.128)
一方での技術、スペシャリティの重視。 まあ内容としては当たり前ですが、”日本人”云々の言い回しが面白かったので。(笑)
崩し/パス/シュート
岡田監督(当時横浜Fマリノス) 「ジェフは走力を武器に、全員が攻め上がる戦術を採っている。(中略)ミドルゾーンから自分たちのアタックゾーンまで、何人もの選手にパス回しで持ち上げられる。そのとき、踏みとどまったところで、ポンとシュートを決めてくるのがジェフの戦術だ。」(p.45)
’03年初対戦時の岡ちゃんの一種直感的な把握ですが、「踏みとどまったところで」という表現が面白いと思います。前段の”パス回し”の、ある意味の「停止」のような印象の言葉。 回して(走って)崩して、完璧に崩すことを目指しながら、その方策が完遂なり行き詰まりなりで尽きたところで、仕方なく(笑)、最後の一手としての”シュート”。 かの憲剛のミドルシュートへの叱責も、要は「まだ崩せた」じゃないかというそういうことかと。
オシム 「(前略)チーム全体のコンビネーションでゴール近くまで持っていき、一番間近にシュートを打つチャンスのある選手が打つ。」(p.76)
オシム&高部 「前線でしっかりボールをキープすること。簡単にボールをつなぐこと。ディフェンスはしっかり防ぐこと。」オシムサッカーの基本三原則を口にして送り出した後半のピッチ。 (p.111)
”前線”ということはつまり”中盤”ではないということ。ボールキープは重視するが、それはなるべく敵ゴール近く。前の項の岡ちゃんの「持ち上げ」るという表現もそれっぽいか。 なるべく高い位置で押し込む「攻撃的」サッカーというのは、教科書的にはトータルフットボール直系のサッキ・ミランのゾーン・プレスでキーワード的に使われた概念ですね。 現在のいわゆるアジア杯仕様だと、どうしても「中盤ポゼッション」のイメージが強いですけど。狙いor妥協なのか、諸事情(例)による不徹底/押し込み不足の結果なのか。
”一番間近に~”というのは正にトータルフットボール的な言い方。 前項の話と併せると、寄ってたかって回して崩して、いよいよ後はシュートしかないという時にたまたまそこにいた選手が打つという。 ・・・・何となく椅子取りゲームを連想してしまいますが(笑)。あ、音楽終わった。シュート!
オシム(inレアルマドリー戦) 「トップクラスの選手たちは、シンプルにプレイすることを第一にしている。それが一番美しいものだ。観客はドリブルを期待していたかもしれないけど、それはサッカーではない」(p.114~115)
あくまでパス(とラン)であると。ドリブルではない。バクチではなく、完璧に崩すということでもありますか。
(2)へつづく。
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