ヴェルディ、代表、二次元、女子バレー 他
Kindle Unlimited 読み放題漫画単行本たちの感想 (第三回)
2019年12月17日 (火) | 編集 |
第一回第二回
無料体験期間中としては、これが最後
掘っても掘っても出て来ます。(笑)
期間中他の事が全部おろそかになっていたので、いったん離れていずれ常客として帰って来る予定。


今回もほぼ読んだ順。




『オーレ!』 能田達規

ここで登場の能田サッカー漫画
JFL降格寸前のおんぼろJ2クラブを、嫌々出向して来た市役所職員(のち球団職員)が立て直す話。
こういうストーリーに付き物のお馴染みのメニューを一揃い忠実に揃えつつ、その一つ一つに"あるある"に留まらないディテールの力強さと創意のある傑作。
ただ"傑作"であればあるほど、主人公の"仕事"が優れていればいる程、そもそもその仕事自体に"行きがかり"や"こだわり"以上のどんな意味があるのか、零細"プロ"スポーツチームの価値なんてものを「情」(じょう)や「洗脳」以外でどのように第三者に認めさせられるのかという根本的な疑問も湧いて来なくはなく、だから作者もまず自治体職員の立場からの「町おこし」という目的を公的に軸に据え、そしてある意味蛇足にも思える「世界的クラブ」までの出世という慌ただしいエピローグを付け加えたのかなと。
つまり本来それくらいの目標が無いと、一般的には存在価値が無い、税金投入や出資を依頼する名分は無いものなのではと。そうでなければ、本当に出したい人だけが金を出して細々と続けるのが分相応なのではないかと、スポーツチームなんてと、そこまで言っては"読み"過ぎかもしれませんが。
まあ他の作品を読んでないので、想像です。




『カナヤゴ』 日笠優

少女刀鍛冶師の話。
漫画としては、"素直に描いた"という以上のものではない部分はありますが、それだけに逆に、「日本刀」「刀鍛冶」の世界そのものの凄みが、"素直"に伝わって来ます。
以前こんなの



も読んだことがありますが、(日本)刀鍛冶の世界ってほんと独特の"神"(しん)の入った迫力があって、伝統的に神職と深い関係があるのも納得が行きます。日本が「神国」である可能性を、束の間考えさせるというか。(笑)




『癒やしのエステ風俗嬢』 犬原みーたん

"風俗"(嬢)ものというジャンルには独特の難しさがあって、最低限人の興味は惹けるし(だから僕も読んだ(笑))分かり易い"裏表"があるからドラマは作り易いし、ある程度のものにはすぐ出来る。でもそれ以上のものにするのは逆に難しくて、そもそも求められているのかも怪しい。
そんな中でこの作品は、恐らくは作者自身のセンス・感性によるのでしょう、現代的な風俗嬢が直面する様々な葛藤や、もう一つの軸であるヒロインとその元カウンセラーとの間の洗脳的ストーカー的な"恋愛"関係(とそこからの解放)を、単に取材しました勉強しましたという以上のはっとさせる洞察力やリアリティで描いていて、ある種"不意打ち"的なインパクトにしばしば見舞われました。「実録」ではないけれど「迫真」というか。
今のところ同種の作品しか見当たりませんが明らかに才能のある作家さんで、ヒロインが風俗を嫌になったからではなく、風俗嬢生活を通して得られた成長によって風俗の枠に収まり切らなくなって卒業して行ったように、作者自身もいずれこういうジャンルを"卒業"して行くんだろうなと、そんな予感に駆られた読後感でした。





『麻酔科医ハナ』 なかお白亜

こちらはまあ、「麻酔科医」という珍しい世界が覗けるという以上の取り柄は特に無い作品。(笑)
でもそれだけでも、読む価値はあると思います、読み難いところもありませんし。



『B(べー)ブラームス20歳の旅路』 留守key

後の大作曲家ブラームスの青春時代を、史実を基に想像して描いたストーリー。(のよう)
音楽的な素養はしっかりある作者で色々興味深くはあるんですが、作品としては明らかに分量と設定が合ってなくて、未完成以下というかこれで評価しろと言われてもなという感じ。
むしろ一番面白いのは、折々に挿入される当時の音楽事情についての解説文の方かも。



『流水さんの霊能者行脚』 流水りんこ

第一回で取り上げた霊能者斎(いつき)&小林薫ペアの周辺人脈の人による霊能物で、世界観的な共通性が多いので、補完的に読むと面白いです。あっちが面白かった人は是非。



『KIMURA~木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか~』 作・増田俊也、画・原田久仁信

こちらも第一回で取り上げた梶原一騎の自伝的昭和格闘技界漫画『男の星座』を、作者(増田俊也)自ら"引き継ぐ"つもりと公言して書かれている作品。元はノンフィクション本。
ただこちらの主人公はあちらではやや引き立て役的だった柔道家木村政彦の方で、読んだところまででは最終的に力道山とどういう感じになるのかはまだ不明。ともかく木村政彦がいかに不世出の実績を誇る柔道家なのかと、そしてこれは意外でしたが"神経質な天才柔道家"とかではなくてむしろ豪放磊落な大馬鹿タイプであった様子がたっぷり描かれます。基本「力」の柔道なんですよね、意外。




『ちゃんと描いてますからっ!』 星里もちる

父親が漫画家なんだけれど、ネームを切るところまでしかやらないので、幼い時から作業に慣れ親しんでいる上は中学生の娘たちが(密かに)絵を描いて仕上げて連載をこなしている一家の話。(笑)
まあ別に虐待とかではなくて、単に駄目なお父さんの話なんですが、背景には恐らく「絵を描くのめんどくさい!!」という漫画家としての作者の血の叫びがあるんだろうと思います。(笑)
それが切実だから、嫌な感じを受ける話にはならないというか。
漫画家の日常みたいなものも当然見れて、楽しい作品。




『牌賊!オカルティ』 片山まさゆき

麻雀における"デジタル"(純粋確率)派と"オカルト"派(「ツキ」「流れ」「経験則」等)の対立を描いた作品。
直接的には、隆盛しているデジタル派に対するオカルト派の逆襲を描いているわけですが。
勿論体裁はギャグ漫画ですし、意外と淡々とストーリーは推移するんですが、型通りの「デジタル」に対する作者の深く静かな怒りというかやり切れなさみたいなものが感じられなくはないです。
サッカー界では、そもそもちゃんとデジタルにやれるチームの方が圧倒的に少数なので("プロ"でも)、今のところはほぼ理論的な遊戯のレベルに留まっている議論だと思いますが。
何にせよ毎度この人の麻雀漫画には、独特の迫力がありますね。デジタルな実力があった上でのオカルトというか。




『コンビニいちばん!!【完全版】』 作・末田雄一郎、画・人見恵史

今回一番驚いた作品、ですかね。
大手コンビニ・チェーンのエリア別巡回指導員の世界を描いた作品で、まあ業界物としてコンビニあるあるにでも触れられたらいいかなくらいの感じで読み始めたんですが、"仕事漫画"として出色の出来で、堪能しました。
面白かったのは「ストーリー」と「キャラ」の構造で、基本的には"ケーススタディ"として主人公が担当各店舗の"問題解決"に当たる一話完結型のストーリーなわけですが、ただ定期的に出張や新規開店などはあるものの職務形態上主人公は担当エリア内を"巡回"しているわけで、結果的に同じ店舗、同じ店長なりアルバイトなりが、それぞれ違うタイプの"例"として何度も出て来るんですね。つまり「解決」はしてもやり捨てにはならなくて、"その後"がちゃんとある。店舗とそれを取り巻く人間関係が、それ自体一つの"キャラ"として成長していくわけです。

例えば探偵もので、特別な依頼人なり被害者なりが、主人公に救われたのち助手としてレギュラーに繰り上がるみたいなケースはよくあると思いますが、この作品の場合はそういうことがあちこちで日常的に起こって、「一話完結問題解決」型にしては異例の分厚いストーリー&キャラ構造を形成している。多分それは狙ったものではなくて主人公の職業形態から結果的に生じたものだと思いますが、それをやりこなせる原作者の確かな技量もあって、非常に読み応えがあります。例えば最初の"問題解決"が内在させていた別の問題やその解決のその後の影響なども結果的にフォローされることになって、「仕事」の描写としてなかなか無い本格的なものになっている。
繰り返しますがこうした特徴は必ずしも計画的なものではなく偶発的なものだと思うんですが、ストーリー作りの一般的技法としても面白いものだと思うので、是非他ジャンルの他の作家さんもやってみたらいいと思います。(笑)

作者自身コンビニ店長体験を持っていて、勿論"業界"ものとしても十分過ぎる面白さ。
時代的には「ビデオ」と「プリクラ」と「ブラウン管テレビ」の時代ですけど、特に古さは感じませんでした。




『トリック・スター』 作・末田雄一郎、画・高梨みどり

というわけで同じ原作者のものを、探してみたのがこれ。
改めて見てみると実はかなり売れっ子の原作者(末田雄一郎Wiki)のようで、モーニングの『駅員ジョニー』あたりは見覚えもあるんですけど(他『蒼太の包丁』など)、割りと泥臭い作品が多くて食指が動かない中、これは"アイスホッケー"という素材が興味深くて読んでみました。
面白いです。これも泥臭いは泥臭いんですけど、セリフの切れ味というか冗談のセンスが訳の分からない突き抜け方をしていて、スポーツ選手の世界という事もあって、ひょっとして「頭のいい脳筋」みたいなものが存在するのかな、存在するとこんな感じなのかなこういうスポーツ選手って結構いたりするのかなと、想像したりしました。
ま、基本的には原作者のセンスだとは思うんですけど。ほんと硬軟自在というか、それこそデジタルオカルト(アナログ)両方強い感じの人で、底が見えません。いずれ片っ端から読んでみたい感じですが。
ストーリーとしては、アイスホッケーのプロ化問題を背景とした話で、結構意図的にJリーグをめぐるあれこれを陰画にしている感じで(オリジナルは94年)、それはそれとして書く目的だったのかなという感じ。二巻しかないので慌ただしくはありますが。


以上。
ではまた。(笑)


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ジャンル:アニメ・コミック
Kindle Unlimited 読み放題漫画単行本たちの感想 (第ニ回)
2019年12月10日 (火) | 編集 |
間隔置かずに第二弾。(前回)
それだけ読んでるということですけど。まだ無料期間一週間あるけど、またやるのかな。(笑)
"レビューの評価の高い"順に検索して行って、それがちょうど100ページ目までというのが今回分。


今回もほぼ読んだ順。

まずは"かっぴー"作3作品。




『原作版 左ききのエレン』(既刊16巻。14巻からシーズン2)

ちょうどドラマをやっているのは全然知りませんでした。(未見)
少しややこしいですが本人作画によるこの"原作版"web漫画がまずあり、その好評を承けて作画を別の人がやったジャンプ+連載の"リメイク版"が描かれ、それの重版出来を待って(本人談笑)シーズン2が開始され、そこにドラマも挟まるというそういう流れのよう。

そういう予備知識は無しに読み始めましたが、まず度肝を抜かれたのは絵ですね。

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上は最初の3ページですが(なか見検索より)、天才画家と代理店のデザイナーを主人公とするらしい要は"絵""美術"を題材とする漫画を、上手い下手は置いておいて(ま、下手なんでしょうけど当面(笑))この絵柄で描いてしまうという思い切りというか意識の澄明さに圧倒されました。
実際内容もその通りで、美術をめぐる、それを中心とする"才能"をめぐる(副題「天才になれなかった全ての人へ」)、更にそれを取り巻く広告代理店&ファッション業界の"先端"的で"華麗"かつハードでハイソサエティなビジネスの世界という、抽象的で極度に知的で関係するあらゆる人の自意識の暴風雨が渦巻いているような題材を、恐ろしく明確にさっぱりと、尋常じゃない読み易さで読ませる力量というか"デザイン"力に驚きました。相当鬱陶しい題材なはずですけど、スパッスパッという感じで読めます。かと言って単に"読み易さ"に主眼が置かれているわけではなくて、才能とは何かビジネス・仕事とは何かという"テーマ"の追求自体にはド直球の厳しさのある作品。(というかそれが目的。"文体"の問題は付随的)

余りに全てがピタッとハマっているので、何だろうこれは、単に天才という事なのだろうか(でも副題からすると天才"ではない"という自意識で描かれているっぽい)、仮に天才だとしても、これは自分が正に描きたい自分自身の中核に近い素材を新人が怖いもの知らずの勢いで描いた(絵からはそう想像しますよね(笑))、その"時期"だから生まれる特別なバランスなのではないかとか、色々考えながら読んでいましたが。(その時点では7巻まで)




『アイとアイザワ』(全2巻)

で、てっきりUnlimitedでは7巻までしか読めないと勘違いしていたエレンの続きは放っておいて(実際は全部読めます)、何の気なしに手に取ったこの作品。

視界に入る情報を瞬時に記憶する“カメラアイ”の持ち主である女子高生・アイ。彼女は人工知能の研究機関・NIAIが開発するAI「アイザワ」に恋に落ちてしまう。そこから始まる人類の存亡を賭けた恋と戦いの冒険譚。

という話ですが、読み終わるまでそのかっぴーの原作作品(作画は別)だとは全く気づきも連想もしなくてびっくり。
これはこれで間違いなく優れた作品で、題材としてはある意味よくある"AIと意識/意識・自我とは何か""そのAIの人類への反乱"的なあれですが、それを巧みな設定とクリアな思考・説明で、類似他作品と比べても抜群といっていいレベルの徹底性と網羅性と精度で、しかも全2巻というかなり狭いスペースで一通り描写し切っている非常に優秀な・・・何というか"脚本"で、言われてみればさすがかっぴー氏(笑)という気にはなるんですが。
ただ面白いか面白くないかというと、さほど面白くない。面白くないというか・・・興奮しない。頭でっかちというのとは違うんですけど、知性だけで読んでしまう感じ。通り過ぎるというか。





『金子金子(きんこ)の家計簿』

こちらはかっぴー氏本人作画による、僕もそうと知った上で(笑)読んだ作品。
面白い。文句なく面白い。
"お金"をめぐる、現代おしゃれ人種群像的なギャグ漫画であり、また『左きき』の"ビジネス"パートだけ少し持って来たような、実際に代理店業界で働いていた作者のある意味最も得意というか、ホーム的な内容を気楽に描いた作品のようですが。
これだよねという。この"スパッと"感。この説明尽くして余り無しの、"そういうものとしてそこにある"感じが、かっぴーだよねという。
今度は"新人の勢い"的なニュアンスはまるでないので、要はそういう人なんでしょう。
内容は全然違うけれど、『左きき』の時にあった生理的快感・興奮が、この作品にもあります。

それを可能にしているのは・・・結局"絵"かなという。つまり『アイとアイザワ』との比較で言えば。
上手いとか下手とかではなくて、"本人の絵"であることが大事。原作者・脚本家単独としての可能性は、『アイとアイザワ』においてもある意味十分過ぎる程見えるわけですけど、それはそれとして&それにも関わらず、"かっぴー"が本領を発揮する為にはやはりかっぴーの絵が必要で、つまりかっぴーはなんだかんだ「漫画家」であると、「アーティスト」であると、知性だけではなく生理の表現が必要な人であると、そういう話。

・・・突飛なようですが(笑)、なんかジミヘンとか連想しちゃったんですけどね。ジミ・ヘンドリックス。
曲がいいとかスタイルが革新的とか、色々な褒められ方はするけれど、結局"ジミヘンがああいう風にギターを弾く"ことによって、初めて成立する芸術という意味で。
それを取っちゃうと、つまらないとは言わないけれど、単なる知的なものになるという。分析的というか。
曲だけだと批評、ギターも弾き出すといきなり"爆発する天才"になるという。

なんか変な事言ってますけど、それだけ表現としての"一体感"があるという話ですね、前提として。
ジミヘンで言えば曲と演奏の、かっぴーで言えば内容と絵の。"知的"な内容を単に"知的"で終わらせない。"生き物"として動かす。
かっぴーの絵はジミヘンのギターであると。ないしがっぴージミヘン説。左ききだけに!(お後がよろしい?)

ジミヘン知らないとかいう人は、別にいいです(笑)。ほんとただの比喩なんで。どちらかというと、分からなくて当然の(笑)。まあ絵ある場合と無い場合との違いを、見比べてみるのは、実際面白いと思いますよ。


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Kindle Unlimited 読み放題漫画単行本たちの感想(第一回?)
2019年12月03日 (火) | 編集 |
8インチタブレットで電子書籍(つうか漫画)を読むコツを掴んで、ほぼ疲れずに無限に読めるようになったので、KIndleの書籍読み放題サービス"Unlimited"一か月無料体験に申し込みました。
まだ二週間くらいですけど、その間に読んだ面白かったものを紹介。あくまで"無料体験"の範囲なので、Amazonアカウントがあれば誰でも確認可能ですし。

ほぼ読んだ順に。


『霊能者ですがガンになりました』 小林薫



からの・・・

『強制除霊師・斎』シリーズ 小林薫




実在の"強制除霊師"斎(いつき)さんのガンとの闘病を描いた漫画をまず読んで、そこでのいつきさんのパーソナリティが魅力的だったのでそもそもの"強制除霊師"シリーズも読んでみたという流れ。
後者の表紙はおどろおどろしくて正直前者が無ければ手を出さなかったと思いますが、内容はどちらも凄くさっぱりきっぱりしていて読み易いです。あえて言えば、生者も死者も、さっぱりきっぱりして余計なトラブルを引き起こさないようにしましょう!という作品。(笑)
前者は特に、お坊ちゃま&理系馬鹿で患者対応が全くなってない主治医に憤慨しつつ、しかしある意味彼の幼稚ではあるけれど嘘のない"合理性"をさっぱりきっぱり(笑)認めてあげるあたりが面白いですかね。


『アンサングシンデレラ 病院薬剤師 葵みどり』 荒いママレ




という流れでもう一つ医療系。
「薬剤師」というレア&日陰の題材を用いつつ、作りとしては「医療」ものとして求められる"医療現場あるある""患者への想い""医学的問題解決過程の知的快感"といった要素をすっきり完璧に典型的に描いた、ある種"模範的"な作品。まあたくまず素直に作ったという感じですけど。とにかく満足度は高いです。
勿論「薬剤師」という題材も興味深いというか、"医療従事者"の世界の中でどういう位置にいるのか、これを読んで初めて知ることは多かったです。例えば"救急医療"の時にどう振る舞うのかとか。



『ナナのリテラシー』 鈴木みそ



『限界集落(ギリギリ)温泉』 鈴木みそ




どちらも広義の"コンサル"業についての漫画。
前者は名物変人凄腕コンサルが社長を務める会社に職業体験に来た天才女子高生が、いきなりの実地でコンサル業務の何たるかを急ピッチで学び、社員化→独立へと至る過程を追った漫画。(と一応紹介しておこう)
飛び切り優秀な女子高生"ナナ"がストレートに出して来る「正解」や「合理的提案」を、"グル"(導師)たるおっさんコンサルがずらして包んで視点を転回して「大人の正解」にたどり着かせるストーリー構造はオーソドックスと言えばオーソドックスですが、その過程で二人が特に暑苦しく(or白々しく)ぶつかったりせずにあくまで論理的に淡々とナナが"成長"していくところが特徴的で面白いところであり、あるいは作者はもう少し長いシリーズにするつもりだったのに打ち切られたらしい、人気が出切らなかった原因でもあるのかも知れません。
ポテンシャルとしては"名作"級のものを感じますけどね。モーニングの"三田紀房"(『ドラゴン桜』)枠は、今度この人にあげて欲しいというか。(笑)
『限界集落(ギリギリ)温泉』はこの人のそれ以前のヒット作で、タイトル通り限界集落の村おこし"コンサル"の顛末を描いたもの。こちらはアイドル&オタクカルチャーの通り一遍でない理解と、それを村おこしの原動力として手段化する工夫のあれこれが面白いです。
二つに共通しているのは書籍/漫画を筆頭とする"コンテンツ"産業の未来、それをどのようにコンサル(笑)して行けば生存可能なのかという、作者の根本の関心。今のところは、「個別にはやりようがあるけれど基本的にコンテンツで食うのはもう無理だ」という結論のようですけど。(笑)


『とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話』 佐倉色



関連して、新人漫画家の受難を通して、「出版」&「編集」(者)業界の宿痾的不合理を問題提起したルポ漫画。
読んでいると"職業倫理"全般の問題として、「ニッポンもう駄目じゃね」という気にさせられますが、一応この作者がかなり"不運"な目にあったケースではあるようです。
漫画としては、内容の割に凄く読み易いです。それ自体"罠"でもあるんですが作者が編集に酷い対応をされる都度何とか踏ん張って感情的にならないようにするので、決してヒステリックでも攻撃的でもありません。(それが逆に切ない(笑)。狂った世界では先に狂った方が強い。(笑))



『サポルト! 木更津女子サポ応援記』 高田桂




ヴェルディサポとしてもお馴染みの高田桂さんによる女子高生サポーター漫画。(対象クラブのホームタウンは木更津ですが、中身はまあまあヴェルディ(笑))
全くの一般人から行きがかりでゴール裏に放り込まれ、そこからスタジアム観戦や声出し応援の楽しさを一つ一つ発見して行くヒロインの姿を中心に、"サポーター"カルチャーを肯定的勧誘的(笑)に紹介しているストーリー。(1巻)
ぶっちゃけ基本安楽椅子観戦(探偵みたいに言うな)の僕が共感し易い内容とは言えないわけですが、不思議に"入って"来ました。ヒロインたちがその"瞬間""瞬間"に感じた事自体は、確かな手応えで伝わって来たというか。(勧誘はされませんけど(笑))
「素直」に描いている(から伝わって来る)という印象と、一方でそれ自体としてはシンプルな設定を、とことん自分の中に落とし込んでから描いている(から伝わって来る)という印象と、両方のある作品でした。
・・・余計な一言ですけど、ジャイキリもこれくらいやってくれれば認めるのになとか。(笑)
その中で最も「批評」的かも知れないのはイギリスからの帰国子女のサポ仲間の存在で、彼女の口にする「地元」(のチームを応援すること)に対するイギリスと日本の感じ方の違いという視点が、この後発展したりすると面白いですけどでもそれだと理屈っぽくなり過ぎるかなとも。(笑)
ま、続きは続きで。面白かったです。


『男の星座』 作・梶原一騎、画・原田久仁信



これも"スポーツ"もの?
梶原一騎の遺作で、梶原漫画の格闘技世界を自伝的に改めてトレースしたというか『大甲子園』したというか、そういう作品。
中心は力道山と大山倍達で、『空手バカ一代』とは結構違う"真実の"大山倍達と、そして何より今までスポット的にしか描かれることの少なかった力道山のプロレスラー人生を、かなり包括的にきちっと描いているところが見どころかなと。
・・・ぶっちゃけ普通の人にとっての「力道山」は、「相撲取り→空手チョップ(シャープ兄弟)→疑惑の木村政彦戦→チンピラに刺殺」くらいで終わっちゃうと思いますが、その"木村政彦"と"刺殺"の「間」に詰まっている実はここが本体の"プロレスラー力道山"の活躍・苦闘がたっぷり描かれています。正直僕も、今更初めて力道山に尊敬の念を抱いた感じでした。そもそもそんなちゃんとした技術(中身)のある格闘家だとも知らなかったですし。

漫画としてはまあ、"梶原一騎"です(笑)。1985年の作品ですし。そういうものとして、十分読み易いですけど。


とりあえず以上です。
"後半"二週間分をまたやるのか、あるいは有料(笑)会員として継続するのか、そこらへんは未定で。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック
よしながふみ対談集『あのひととここだけのおしゃべり』
2014年04月28日 (月) | 編集 |
漫画評論系レポ第二弾。
特に繋がりは無いですが。

全体テーマは・・・・「少女漫画」「BL」かな。
『大奥』『きのう何食べた?』のよしながふみさんホステスによる、女性作家対談集。


よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべりよしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり
(2007/10/04)
よしなが ふみ
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やまだないと&福田里香編

"少女漫画におけるタバコ"

福田 キャラに吸わせるとほんとのほんとのことは態度でも言葉でも言いたくないんだ、っていう強烈なテレがあるっていう意味になるんだよね。(中略)
福田 キャラがタバコを吸うっていうことは食べ物を食べなくてすむっていうことなのよ。そうすると腹の底が見えないんだよね。
(中略)
よしなが これだけ日本人の喫煙率が下がったのに、あいかわらず少女マンガの中ではタバコ吸うんですよねえ。
やまだ でもあいつらさ、タバコ吸うけど箱もってないんだよね。魔法のタバコ(笑)。だからあれは記号のタバコでしょ。あれはイワキの葉っぱと同じなのよ。(笑)
(p.34-35)

(モー2に描いてた)やまだないとって女だったんだ、という程度の認識ですが。
なるほどねえ。多いか少ないかはともかく、男漫画より女漫画の方が遥かに喫煙シーンの印象が強いのは、やはり"男"の記号として未だにタバコが強い存在感を持っているということなんですね。
実際に今喫煙の女ウケがどうなのかはよく分かりませんが、たまに堂の入ったタバコの吸い方をしている人を見かけると、かっこいいとまでは思いませんが同性として微妙なプレッシャーを感じるのは確かです。(笑)
そのぶんセックスアピールも健在でも、おかしくはないだろうという。
"イワキの葉っぱ"というのはこれですね、念の為。(笑)

岩鬼

水島新司の名作野球漫画『ドカベン』の名物キャラで、いつも口に咥えた葉っぱを手離さない、草食男子の先駆け。(最後のは嘘)

"オタクと世代"

よしなが 福田さんによるとオタク憎み世代だっていうんですよね、岡崎京子さんの世代の人たちは。
福田 (中略)岡崎さんはすごく憎んでるの。オタク・フォビアみたいな感じで。そういうインタビューも残してるんですよ。
でも、それが羽海野さんになってくると全部並列なんですよ。おしゃれなこともオタクも。
(p.37)

まあ"世代"というか、(当の漫画業界の人にすら)嫌悪される理由は確かにあって、それは未だに解決も克服も別にされてはいないとは思うんですけど、時代が一回りして単純に既成事実化する、気が付いたら"オタク"的なものが周りにあった"世代"になると、意識性が薄れるのはまあ、理の当然世の常ですよね。
Jリーグの"サポーター"も、同様の理由で「空気」化しつつ、しかしそのことによる増長が逆に意識・反感の先鋭化を改めて招いているという、比較すると少し複雑な状況ですが。


こだか和麻編

"「ゲイ」と「男」と「BL」"

よしなが (前略)女の人がいかにもゲイの人らしいゲイが苦手なのは、憧れないからだと思うのね。ゲイの人たちは差別されていて、女である自分たちと同じように差別されている人たちだから(中略)
こだか なるほどね。だから、BLのように、男の人同士の話になる、と。
(p.120)

昨今猖獗(しょうけつ)を極める"BL"に対する、「何で女はそんなにホモが好きなのか」という、大多数の男による素朴で野蛮な(笑)疑問に対する一つの回答例。
特殊性、あるいは"第三の性"的な「ゲイ」が好きなのではなくて、あくまで「男」どうしの関係に興味があるのだという。
それは翻ってそれを好んでいる女性自身も、普通にヘテロである可能性が高いということにもなりますが。

"女の恋愛と男の恋愛"

よしなが 女の子は、本当は男の人とそういう関係になりたいんだろうな、と思うのよ。
こだか 同志的な
よしなが 同志的な。本当は、男の人と同志で恋人になりたくて、でも男の人は女の人にそんなものを求めてはいないから・・・・・・。
(p.121)

僕は求めてるよ!!だからおいで!!(笑)
いや、まあ、どうなんでしょうか。
ここらへんは、確信的"フェミニスト"であるよしながさんの個人的好みが、強めに出ている意見という気もしますが。
ただ後で出て来る「やおい」の話と合わせて、要するに伝統的教条的"恋愛"からの脱出を、女性(漫画読者)が様々に求めているという、そういう実態はあるように思えますね。その表現の一つとしての、BLというか。


三浦しをん編

よしなが (前略)オタクの子たちが非オタクと話していてもつまらないって言うのは、自分の趣味の話が通じないというのももちろんあるんだけど、「話にオチがない」からなんですって。たとえ日常の話でこれといったオチがないにせよ、人に話すんだからきちんとした物語にしろ、と。あまりにも「それで?」という話が多い、と。(笑)
(p.367)

この場合の「オタク」は広く取って自分も入れちゃいますが(笑)、"オチ"はともかくとして「普通(非オタク)の人」というのは、社会通念や慣習的思考・言い回しを、右から左に受け流すことの繰り返しだけで一生を送る面があるので、今言っているそれがどういう特定の文脈に属している話や観念なのかという意識が希薄な場合が多いわけですよね。(それで日々通用する)
「物語」というのは文脈そのものですし、「オチ」というのはその文脈を前提にした意味の逆転ですから、そういう意味で比較して、"非オタク"の人の話し方が漫然としているということはあるだろうと思います。
・・・・まあどちらかというとこれは、「オタク」云々よりもお笑い・バラエティの世界でよく言われる話ではありますけどね(笑)。要は日常性以上の世界とその意味の意識的捉え直しの経験・習慣をどれだけ持つかということで、そういう意味では"ロック""お笑い""二次元"も、同じような「機会」になるということは言えると思います。勿論他のものも。"趣味"全般というか。
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伊藤彩子『原作者インタビューズ』
2014年04月19日 (土) | 編集 |
最近まとめて漫画評論系の本を読みまして、まあ「読書日記」的な軽い感覚なんですが、量的にいっぺんにやるのが厳しいので。
まず第一弾。


まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!
(1999/10)
伊藤 彩子
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田島隆(『カバチタレ』)編

----それじゃあ、どうして東風さんに?
田島 編集長と担当が呉までぼくに会いに来てくれたとき、メシ食いながら「ウチのいとこを使ってくれんか」と直談判やったんですよ。
(中略)
田島 キャラクターを決めるまでには、本当に時間がかかりました。東風もさんざん悩んで・・・・・・。(中略)結局『ナニ金』の亜流でいってしまえと。「『ナニ金』に似てて何が悪い、正統継承者たぞ」と(笑)。
----半端に似せるよりも、そのままでいいじゃんって感じですね(笑)。
(p.46-47)

単なるこぼれ話ですけど。(笑)
余りにも露骨に似てるので、てっきり青木雄二の"院政"か、『ナニ金』の後釜を作る為の編集主導の"プロジェクト"なのかと思ってたら、勿論原作・作画それぞれに青木雄二との縁はあったんですが、ああなったのは飽くまで結果的にだという、驚きの真相。(笑)
しかし思い切りいいにも程があるだろうという(笑)。語弊があるかもしれませんが、ボランティアでレイプされに行ってるような感じ、"表現者"としては。「原作者」発の企画だから、出来たことというか。漫画家には無理なんじゃないか、あそこまでのは。

これは、『モーニング』でも『S』でも言われたんですが、実社会でも、その情報だけで食っていけるくらいのレベルじゃないと、生半可なものでは、まず無理だと。
----専門家じゃなくても、取材して書くっていうやり方もありますよね。
調べた程度でやってるものだったら、一話、二話が完成度か高くても、その後続けるのが難しい。
(p.50)

この件については、後でまとめて。


さいとう・たかを(『ゴルゴ13』)編

原作者の登場は、おもに二つの理由に支えられていたようだ。
ひとつは、漫画を商業ベースで考えたとき、一人ですべてを仕上げるには、仕事の量的にも時間的にも無理がある。(中略)もう一つは、まんが家からは絶対に出てこないようなアイデアや情報を含んだストーリーを提供してもらい、まんがにバリエーションを持たせようというものだ。
こうした考え方は、週刊誌、とくに青年誌が急激に増えてきた六〇年代後半に顕著になってくる。
(伊藤p.64)

以上が漫画原作及び、漫画製作の"分業"体制の歴史の基本。
そしてその草分けの一人が、さいとう・たかを氏。

さいとう その頃は、ストーリー物の世界を"漫画物語"とか"ストーリー漫画"なんて呼んでいた。(中略)
(活動写真)が"映画"という名前が付いて呼ばれるようになったように、"ストーリー漫画"も、一つの名称を付けてやるべきじゃないかと。それで、『劇画』と呼ぶようになったんです
(p.67)

なるほどね、僕らは今日では単に「ギャグ漫画」等との区別で使ってるだけですが、当時的には「写真が活動する」「漫画がストーリーする」という具合で説明的に感じたんですね。
逆に再び今日では、むしろ『劇画』の方が、特殊な用語というか、"劇"の部分がわざとらしく説明的に感じてしまうわけですが。

コマ割りは、映画でいうなら絵コンテを描くようなもので、監督の仕事だ。分業体制を取ったのは、絵はダメでもコマ割りの仕方が上手い人もいて、そこに最適な絵を入れれば、作品としての完成度が高まることを狙ったからだという。
(p.67-68)

この件も、また後で出て来ます。


木内一雅(『代紋TAKE2』)編

いつもぼくは、「オレはプロデューサーと脚本家と、監督の半分までやる」ってい言うんです。「君ら("作画"担当)は残り半分の監督と、照明とカメラと俳優と美術と道具周りだ」と。
(p.96)

"半分の監督"の部分が無いと(あっても?)、言われた作画担当としてはあんまりいい気分ではないでしょうね(笑)。救いが無いというか。
まあ作家主義的な原作者というか、文芸主義者なんでしょうね。
僕もほとんど絵に興味が無い人なので、分からんではないですが。(笑)
とにかく、一つの「分業」例

講談社は、まんがの中で句読点使っちゃいけないっていう決まりなので、改行を句点、代わりに「!」を読点代わりに使うようにしています。
(p.97)

へええ。
そうだったっけか。

今のまんがの体制っていうのは、ものすごい歪みがあるんですよ。つまり、大友先生が登場してきて、絵のレベルが極端に上がった。そうなると、あそこまではいかないにしても、ソコソコのレベルの絵を描かないとダメっていう世界になっちゃったんです。当然、絵にかかる時間が長くなると、まんが家さんがしっかり話を作り込む時間がなくなってくる。
(p.103)

まあ1999年なので、「大友克洋」という焦点の当て方になりますが。
でも僕なんて、アニメでしか知らない。今やほとんどの人は、そうだと思いますが。
ただ言われている状況としては、今日でも通じないことはないのかなと。"週刊連載ペース"という問題ほど、大きな問題ではないとしても。
・・・・どっちかというと、「絵」に偏執的なある種の漫画家たちが、そこで引っかかって自滅しているというような感じも、しないではないですが。あるいは絵の「脳」に偏り過ぎて、話の「脳」が働いていないように見えるというか。止め絵と共に、話も止まる。

----ところで、最近の青年誌はジャンルまんがが多い関係で、専門知識をもった原作者の方が増えてきてますが・・・・・・。
木内 (中略)「どんなことでも書けます、調べれば」っていうくらいのほうが、いいような気がします。だって人殺しやらなきゃ人殺しのシーンを書けないのかっていったら、違うでしょ。それと同じですよ。
(p.104)

上の田島隆さんとは、反対の見解。
ただ一般論としては、明らかに田島隆さんの方が正しいように思えます。"書け"ればいいというのは書き手の視点であって、これだけ作品のある中で読み手がお得感を求めるという視点からは、やはりちょっと"調べた"以上のスペシャリティは、あるに越したことは無い。どうせなら、人を殺したことがある人の人殺しのシーンを読みたいというか。(笑)
まあそれは極端な例としても。
最終的には、勿論個別の問題であるし、その原作者の才能・センスの問題ですけどね。
つまり薄めのバックボーンでも説得力や専門家以上の洞察力を示せる人はいるだろうし、逆に専門知識を持ってれば誰もが"原作者"になれるわけではない。小説だったら、ゴーストライターに書かせるという手もありますが、漫画"原作者"は言わば自身が"ゴースト"の一種なわけでね。
この問題は、後で更にもう一回出て来ます。


城アラキ(『ソムリエ』)編

商業誌の場合、原作家ってバッティングピッチャーなんですよ。まんが家はバッター編集者は審判かな。(中略)
まず、まんが家さんが打ち返せない----理解できないとか、つまんないと思うような球は投げたらダメ。かといって、まんが家さんに合わせた球だけ投げてればいいかっていうと、そうじゃない。
(p.125)

なるほどね。"審判"というのは今いちよく分かんないですけど(笑)、(表に出る)漫画家中心に考えると、こういう例えはありかも。
ていうかこの人は、多分"バッティング・ピッチャーの快感"が分かっているんですよね(笑)。"合わせる"主体性というか。自分が合わせることによって、相手の中の何かが働き出すのを見る快感というか。
もっとフラットに、"コーチ"の快感と言ってもいいかも知れないですけど。

作品における三人の力関係って、原作家三〇、編集者三〇、まんが家四〇だと思っています。
(p.128)

ふむ。逆に「分業」という感覚じゃないですよね、この人は。
真に「共同作業」的というか、バンドのアンサンブルに近い感じ。漫画家がヴォーカル?リードギター?(笑)

たとえば、三人いると必ず誰かか疲れるわけ。(中略)
でも、三人のうち二人がヤル気があるときは大丈夫なんだよね。
(p.129)

まあ、そうかも。一般的にも。
多数決じゃないですけど。(笑)

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古林海月 著 『わたし、公僕でがんばってました。』
2011年09月20日 (火) | 編集 |
わたし、公僕でがんばってました。わたし、公僕でがんばってました。
(2011/06/24)
古林 海月
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以前当ブログのコメント欄にも降臨して下さった、猫狂いという意味でもお仲間(参考)の漫画家、古林海月さんの新作。

米吐き娘 1 (イブニングKC)米吐き娘 1 (イブニングKC)
(2005/01/21)
古林 海月
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米吐き娘大吟醸 (イブニングKC)米吐き娘大吟醸 (イブニングKC)
(2007/06/22)
古林 海月
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・・・・目下の代表作は『米吐き娘』、と、あえて言っておきましょう。
現在は鋭意変化(へんげ)作業中のようですが、いつか必ず大きくなって、化けて出る(?)人だと、僕は信じています。(笑)

ほんとにねえ。
古林さんの書くものなら、どんな題材でも今すぐにでも、またイブニング等で読みたいくらいですけどね。
4コマでも、モー2とかでも、適当に場所を与えれば、必ずなにがしかの存在感を出せる人だと思うんですが。
講談社の得意そうな漫画家というか。
どうも、ツキが無い印象。
蒸し返すようですが何でまた『米吐き』は後半はよりによって、"集英社"みたいな描かせ方をしようとしたのか。バトルなんて要らねえし。ていうか既にナチュラルにバトルだったし。未だに納得が行きません。


さて問題の本作は、なんかいかにも「実用書」のコーナーにでもありそうな装丁ですが(笑)、中はちゃんとした漫画です。
と言っても所謂"ストーリー"でもフィクションでもなくて、題名にある通り古林さんご自身の地方公務員としての就業経験を基に、"公務員"という仕事の実際を、そのパブリックイメージの数々と照らし合わせつつ、様々な側面から紹介した内容です。

スタンスとしてはそうですねえ、「エッセイ漫画」「教育漫画」の、中間くらいでしょうか。
古林さんご本人がキャラとして語り手となって、基本的にはオーソドックスにジャーナリスティックに(?)レポートを進めて行くんですが、随所に古林さん独特の脱力したボケというかユーモアセンス(とあえて言うと最近恥ずかしい)も挟み込まれて、ファンとしては嬉しいというか懐かしいというか。

・・・・まあ、細かく言うと古林さんの"ユーモア"というのは、別にあえてボケたから面白いとかシリアスだから面白くないとかそういうタイプではなくて、普通に語っている中にもどうしようもなく染み出して来るというか、語っているそばから溶解が進むというか(笑)、そういう類のものなんですけどね。
真面目になればなるほど、脱力感が止まらないというか。(笑)
どこだ、どこが漏れているんだ。

そういう意味では今回は、見た感じ、"シリアス"(『夏に降る雪』米吐き1巻所収)でデビューして主にイブニング編集の意向であのゆるふわ路線を開拓されたらしい古林さんが、あえて言えば初めて自分の"采配"で意図的にボケなども入れてみたと、そこらへんが新境地というか"実験"性なのかなとそういう印象。
まあそんなに無理して、「漫画批評」的に読むタイプの作品でもないんですけどね。(笑)

個人的には、「(公務員時代)結構もらってたんだなあ」というのと、「そうか相方のトッコさんは辞めるの反対だったのか」と、そこらへんが意外でした。
"公務員"については、とにかく部署異動をそんなにするものなのかというのが、知らなかったのでびっくりしました。何となく一生同じ仕事をしてるような偏見が、やっぱりあったもので。

『米吐き』読者的には、その方針の是非は別にして、イブニング/商業漫画誌の編集が入らないと、なるほどこんな感じのバランスになるのかあとそういう興味でも読めるかと思いますが、あんまりこういうことばっかり言ってると嫌がられるでしょうから(笑)、これくらいで。


以上、ご紹介まで。
感想はこちらで受け付けているそうです。

http://ameblo.jp/komehaki/entry-10941980521.html

現在は"ハンセン病の漫画を執筆中"とのことで、出来れば今回一瞬期待した、(公務員漫画である)『夏に降る雪』的なストレートにシリアスな(ストーリー)作品も、それはそれで面白いので期待したいところですが、どういう作品なんでしょうか。

ともかく今後のご活躍を、心からお祈りしています。


非理想主義的理想?
2011年07月13日 (水) | 編集 |

ブータンへ行ってみたいもう一つの理由がある。それはブータンの若き王、ジグメー・シンギエー・ワンチュックのお人柄である。

最近、アメリカの雑誌に王のインタビューが載った。イギリス留学の経験もある王が、鎖国政策に触れて、「われわれは別に東洋のスイスになりたいと思っていない」とおっしゃった。ブータン人は特に勤勉じゃないし、オーソドックスなものの考え方は好きじゃない、と。
「東洋のスイス」という、かつての日本にマッカーサーが託していた夢を、王は頭から拒絶している。鎖国政策によって、自国文化のいったい何が保存されるか。王は答える。
「われわれは遊びゲームレジャーが好きなんだ」と。


"リービ英雄"という妙な名前の、大人になってから本格的に日本語を覚えて、それで日本語で書いた小説が評価されて少し脚光を浴びた、名前は変だけど(笑)ハーフでも二世三世でもない純粋な白人作家のエッセイ・評論集『日本語の勝利』

日本語の勝利日本語の勝利
(1992/12)
リービ 英雄
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の一節より。

なかなか面白いと思いますね。
「国民総幸福量」という、そのジグメー・シンギエー・ワンチュック現在は"元"国王が掲げたスローガンというか指標が有名な、そのブータンの政策の根底にある考え、メンタリティ。
イタリア人スペイン人が言うなら普通ですが、名うての仏教国ブータンの国王に言われると、あれ?という。(笑)

何も大層なことをしたいわけじゃない。特段理想的国家体制を発明しようとも、それでもって人類を救おうとしているわけでもない。むしろ何もしたくないのだ。余計なことを。・・・・そしてそれが、"幸福"であると。
その"余計なこと"の最たるものが、「近代化」であり、またそれをモデルとした「社会の発展」的な発想であり、それをブータンは拒否すると。その為の鎖国。

何かをしたいから鎖国するのではなくて、近代化をしたく"ない"から鎖国する。
理想主義的なものや積極的な「理想」を拒否するという形の、理想。資本主義タイプの近代国家という理想を、更に超越する別の「理想」を掲げた社会主義・マルクス主義との、それが違いか。
"発展"しないミニスケールなら、それが可能であるという、そういう意味も含めて。

・・・・ま、例によって思いっ切り僕の意訳ですけどね。(笑)
要するにさ、ダりぃんだよ、近代化って。ヤボなんだよ。ほっといてくれよ。
粋なブータンっ子は、宵越しの近代国家は持たないのさ。


リービさん自体は、こんな風にまとめています。

文化は「遊び」である。文化が破壊されるとき、まず「遊び心」が抹殺されてしまう。
破壊された遊び心に代わって、陰鬱な近代ナショナリズムがはびこる。それと同時に、自発的に行われていたゲームが見せ物となって、見せるという意識のあまり、「ネイティブ」が「ネイティブ」以外のものに変貌してしまう。


どうしていきなり"ナショナリズム"という言葉まで飛び出すのかは、全文を読んでも実は不明なんですけどね。でも"陰鬱"というのは分かる。
あと言わんとしていることを"正しい"和製英語で表せば、「ネイティブ」のところは「ナチュラル」じゃないかと思います。(笑)

太字部分はなんでしょうね、"プロスポーツ"批判?(笑)
ちなみにアメリカ人です。アマチュア礼讃の、英国紳士ではありません。
まあ観客の為にプレーするなんてのは、下品というか邪道だとは、僕も思います。そういう話ではないのかな。(笑)
ゲームはゲームそのものの為にある。汝の敵(対戦相手)は愛せよ。でも観客なんてほっとけ。
それをまた外野が、自分の甲斐性で鑑賞するのも楽しむのも、それはまたそれぞれの勝手です。
近代以前の戦記ものとかを読むと、文字通りに観「戦」をする無関係の庶民とかがいたりして、面白いです。当然飛ばっちりを食って死ぬこともあるわけですが(笑)、それがいちいち"なんちゃらの悲劇"とか言って問題にされることは、勿論無い(笑)。自己責任で、よろしく。

プロスポーツっていったいなんなんだろうと、最近よく思いますね。実は相当、不思議なものなのではないかなと。


ちょっと唐突に聞こえるかも知れないですが、所謂スウェーデン/北欧的な"福祉国家"の「理想」というのも、むしろブータン方面に引きつけて考えた方が、本質が分かり易いのかもなとか。
「保守」(小さな政府)か「革新」(大きな政府)かみたいな、"近代"的な枠組みとは、少しずらしたところで。
"どちら"というよりも何よりも、"一抜けた"なのではないかと。資本主義的"発展"も、社会主義的"理想"も、勘弁してくれと。がつがつしたくないと。ちんまりと内輪で、上手く回して何とかするよという。

そういう言ってみれば"厭世"観というか、"憑き物落"ち感(笑)抜きで、例えば日本に持って来ようとしても、そうそう上手くは行く当てが無いだろうなという。
思想や国民性が先にあっての、社会体制というか。・・・・逆に"アメリカニズム"が、「国民性」的に少し厳しいだろうというのも、これは広く認められるところだと思いますけどね。

それこそ社会主義だって、"そういう"人が集まれば、意外とあっさり機能するのかも知れない。
実は僕は学生時代に男3人くらいで、社会人になってからもある仲の良い女の子と、「財産の共有」じみたことをしていたことがあります。
要は金の貸し借りなんですけどね。ただしかなり無頓着な。"現金"なんか、その時必要な奴が持ってればいいという感じで、特に使う当てが無ければほぼ無制限に貸し続けたり(まあ原資は限られてますが(笑))、あるいは僕も借りたりしていました。

ちゃんと関係を解消する時に、全額回収・整理はしましたけどね。
みんな無頓着だったので、額が合ってるのかどうか実は微妙な部分もあるんですが。(笑)


とにかくスウェーデン/北欧的なそれを、右が馬鹿にするのも左が理想化するのも、どっちもちょっと、違和感があります、僕は。
そういうことじゃ、ないと思うんだよなあ、なんか。
ベースとなっている経済観(感)・社会観(感)そのものが、最初から少し違うのではないかと。(逆に言えばその場合の右と左は、実は同じ構造内の住人)
システム的には、大文字の独創性までは持っていないんでしょうけど。

そういう微妙なものなので、ブータンが変容してもスウェーデンが困難に陥っても、それ自体はまあ仕方が無いなという感じですが。
束の間面白いものを見せてもらって、満足というか。
"諸行無常"というまとめでは、少し雑過ぎるかも知れませんが。(笑)
むしろ世代間の認識や感覚の継承の、絶望的に近い困難の方かな。気が付いた時には存在していたものの、意味や有難味の認識に、普通若者は失敗する。必ずというか。(笑)


ちょっと引用して紹介するつもりが、こんな話になったか。(笑)

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最近読んだ漫画  ~『さらい屋五葉』『サプリ』 他
2010年04月07日 (水) | 編集 |
暇じゃないんだけど暇なんですよ。状況が整理出来なくて、なすすべもない時間帯があるというか。


オノナツメ 『さらい屋五葉』

さらい屋五葉 1 (IKKI COMICS)さらい屋五葉 1 (IKKI COMICS)
(2006/07/28)
オノ ナツメ
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来週からノイタミナ枠でアニメが始まるわけですが、実は全く知らずに、レンタル漫画で読み始めました。
すぐ気が付いたは気が付いたんですが・・・・。まあいいかなと、そのまま読んでいます。

どのみちオノナツメという人は、本質的に何よりも「演出家」だと思うので、「内容」が同じだからといってアニメで見て分かったつもりになっても、およそ意味の無いタイプだと思いますし。
・・・・逆によくそんなのアニメ化する気になるよなとも思いますが。既に"演出"そのものみたいな作品を更に演出するって、どこまで自分のセンスの底の底というか、ケ○の穴をさらけ出す(笑)羽目になるのか。僕はようしませんね。まあそんなことは思っていないのかも、だから出来るのかも知れませんが。

ちなみに僕がそもそもこの作品を読み始めたのは、勿論「モーニング2」誌上の『つらつらわらじ』で、"時代劇でのオノナツメ"にベタ惚れしたからですね。
読み比べてみると違いはあって、簡単に言えば古い作品の『五葉』の方が、オーソドックスというかリアルなタッチだと思います。『つらつら』の方は、絵柄も微妙にデフォルメがきつくなってるし、演出の研ぎ澄まし感というか、"演出ありき"感も、より濃厚というか行くところまで行っているというか。

・・・・ていうか『五葉』は、今まで見たどのオノナツメ作品よりも「内容」がある(誤解を招く言い方だな(笑))、ある意味"熱い"作品で、そういう意味では上ではああ言いましたが、アニメ化には比較的向いてるのかもしれない。

あと、読んでて気が付いたのは、この人は時代劇に向いてはいるけれど、別に特に詳しいわけでも細かいわけでもないということ。割りと現代の常識と当て推量で、何となく描いている部分も多い。
そこらへんはまあ、了解した上で、それこそ『つらつら』も読むべきだろうなと。
まあ当然と言えば当然なんですよね。この前まで描いていたNYコップもの

COPPERS [カッパーズ](1) (モーニング KC)COPPERS [カッパーズ](1) (モーニング KC)
(2008/11/21)
オノ・ナツメ
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なども含めて、基本的にこの人はフィクションの視聴体験を基に、それを消化・再構築することを"創作"の本義としているのは読んでいれば明らかなわけで。だからこそ、一種メタ演出的になって、「演出が本質」という特徴が出て来るわけで。

まあ、結構面白いですよ。『つらつら』ほど痺れはしないけれど、このクール&スタイリッシュ(笑)で売っている人の、何かしら中核的なこだわりが、中心人物たちの心情や距離感に、割りと剝き身で表れているように見えるところもありますし。


おかざき真里 『サプリ』

サプリ (1) (FC (335))サプリ (1) (FC (335))
(2004/06/30)
おかざき 真里
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最近読んだ漫画その2。オノナツメの次にこれって、なんかどっかのオサレ系の人みたいですね僕。(笑)
西村しのぶが好きだったと言えば、何となく手を出した意味というか、傾向は理解されると思いますが。(笑)
これも勿論レンタル。

内容的には・・・・『働きマン』

働きマン(1) (モーニング KC)働きマン(1) (モーニング KC)
(2004/11/22)
安野 モヨコ
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ですね、要するに。
時期的にはほぼ同時期なのか。ふーん。
月9でドラマ化もされたらしいですが、そんな文化的カースト外の話題は、僕には関係ありません。(笑)

かなり好きですね。ちゃんと痛いというか。
同じような内容でも、モーニング本誌掲載で、根っからのオヤジ女安野モヨコが、四方八方気を配って作り上げた「総合娯楽漫画」(?)『働きマン』とは違って、もっとこうストレートというか、真剣勝負というか。切れ味勝負というか。
所謂"女性的感性"ものではあって、逆にそうはならないように安野さんが努力したというのも、それはそれで分かるんですが。

でもその結果の働きマンは、僕にはどうも出来過ぎというか、予め答えが用意されている作品みたいなクサ味が感じられて、どうにもそそりませんでした。登場人物の"苦悩"ですらも、悩んで見せているだけというか、最初からフリ/伏線の一つとしか見えないところがある。真剣味が足りない。(笑)
結局マーケティング・サンプリングでしかないんですよね、女子高生ものとかならまだしも、アラサーのワーキングウーマンものという、かなり作者本人に近いはずの世界観を描いていてすらも。大した克己心だとは思うけれど、それが作品そのものの限界というか、あと一、二歩で島耕作になりそうというか(笑)。そういう印象。

・・・・という豪傑安野モヨコと比べてしまうと"女性的"の範疇ではあるんですが、おかざき真里『サプリ』自体も、十分に骨太というか、「社会」や「仕事」、女だてらに「サラリーマン」であることのリアリティを、並々ならぬ迫力で感じさせる作品で、そこらへんは、"感性"一本みたいなところのある、上で引き合いに出した西村しのぶとは、ちょっと比べられないレベルのもの。
むしろ"感性"的であることを抑えないことによって、一つ一つの事象に対する"感じ"方が深くなって、結局はより濃厚に「社会」を感じられる気がします。最初から「社会」の方を向いている、『働きマン』よりも。仕事って凄えな、会社って凄い所だなと。「個人」が「個人」としてちゃんと活きているので、逆にどこまで落ちるのか分からない、(社会の中に)回収先があるのかどうかも分からない、そういう怖さがある。

まあ多分、やろうとしていることはほとんど同じなんだろうと思うんですけどね。資質が違うだけで。
逆にセックスの描写にリアリティが感じられないというのは、悪い意味で"共通"してますし。(笑)
結局分かんないんだよね、女には。男の苦労が。"自然"に出来るもんじゃないんだ、ヒトのセックスなんてのは。そっちは基本寝てりゃあいいんで、実感出来ないんだろうけど。(笑)
「出来事」として流れたりはしてくれないんだよ。あくまで具体的な、「行為」なんだよ、男にとっては。不断の注意と努力を要求される。(笑)
そこらへんははっきり言って、「少女漫画」の延長でしかない感じですね、このレベルの作品・作者でも。
まあ未だスポーツや暴力をきちっと描ける(別に専門的でなくても)女性作家が極少数であることからしても、こういうギャップはほぼ半永久的なものなんじゃないかという気がしますが。


こんなことを書く予定ではなかったんだけどな。(笑)
まあおかざきさんの場合は、例えばどうもスーツの女の尻に、能動的なフェティッシュを感じているらしいところとか、割りと具体性・共感性を持って"性"を感じさせてくれる瞬間は、比較的あります。『働きマン』松方の"隠れ(元)巨乳"も悪くはないんですが(笑)、あれは何と言うか、女目線の純然たる造形美と"読者サービス"の、合成というか一挙両得辻褄合わせ的な手管というか。まあ乗りますけど。(笑)

しっかし『働きマン』人気あるな。関連して改めてググってみての感想。
あれが"リアル"ねえ。説明上手なだけだと思うけど。
君たちとは友達になれんようだ。(笑)


『ワンピース』 も1巻

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尾田 栄一郎
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だけ読んでみました。うーん、何の意外性というか期待感も、この時点では少なくとも無いですが。
超オーソドックスの"コケの一念"で、この後"岩"が通るんでしょうか。

それよりも星野浩字 『月賓(ビン)』

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(2010/02/04)
星野 浩字
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の方が、もっとがんがん話題になって欲しい。
前にも取り上げましたが正に少年漫画的"熱血""正義""友情"の、純度を薄めず高級化したものというか、中華史劇的大倫理と、違和感なく接ぎ木に成功したものというか。

だからと言って近年のブームに乗って実写映画化とかは、しない方がいいと思いますけどね。高い確率で、単なる「歴史」や「異時代」「異文化」の、乱暴な現代ヒューマニズムへの引きずりおろしにしかならないでしょうから。
むしろ中国人の方が興味を持ちそうな感じはしますが、『墨攻』

墨攻 [DVD]墨攻 [DVD]
(2007/07/27)
アンディ・ラウアン・ソンギ
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以上に、ニュアンスを汲み取るのは難しそう。日本漫画も、民主主義すら、本当に経験しているとは言えないわけですから。

意外とそういう、隠れた"文化史"的な性格の濃い、作品だと思います。
"萌え"もあるし。(笑)


・・・・何やら膨大になっているらしい、『カイジ』シリーズに手を出すかどうか悩み中。
おっと代表戦、代表戦。


BSマンガ夜話第37弾"遠"感
2009年12月25日 (金) | 編集 |
ふう。
何だかんだ、こういう世間的に大きなイベントがあると、良くも悪くも気持ちに変な"区切り"が発生しますね。
連続性が途切れるというか。

今週何があったっけ、おお、『HUNTER×HUNTER』 出てる

HUNTER×HUNTER NO.27 (ジャンプコミックス)HUNTER×HUNTER NO.27 (ジャンプコミックス)
(2009/12/25)
冨樫 義博
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じゃん。これは何ともクリスマスプレゼント。しかも表紙ジジイかよ(笑)。後で買って来よう。

というわけで(?)マンガ夜話とか。


『リアル』『犬夜叉』『青い花』
実はどれもちゃんと読んだことの無いやつなんですが、かえってでもそれなりに伝わって来るものがあるんだなあと、興味深かったです。

井上雄彦『リアル』。
前に言ったと思いますが、"オタキング"岡田斗司夫は少なくとも漫画については、ほぼ代弁してもらっても問題ないくらい、僕は意見も視点も似ているんですよね。ちなみにアニメについては、六割くらい。
どのように似てるかというと一つの言い方ですが、例えば岡田さんが「いしかわじゅんと噛み合わなかっ」たり「夏目房之介と対立してい」たりする時は、ほぼ100%僕は岡田さんの立場で、ある種同じような疎外感を味わったりしている。(笑)
・・・・まあ、いつも見ている人にしか、てんで分からない説明ですけど。(笑)

とにかくその岡田さんが、僕が日頃酷評している『バガボンド』の(とあえてここでは言っておきましょう)井上雄彦の、同時期に並行して描いている『リアル』を絶賛しているので、正直えええーーーっと思って見ていたんですが。・・・・いや、読んでませんよ、『リアル』は。読む気も無かったというか。
ただその後で岡田さんが、『バガボンド』について、「絵の為の絵になっている」「自足的でつまらない」(さっさと終わらせてしまえ!!(笑))という意味のことをコメントしていて、ああなんだやっぱり同じなんだ、だとすれば逆に、『リアル』はほんとに面白いんだ、そういう欠点を免れているんだと、俄かに期待感が高まったという、そういう次第。

だから何だということではないんですけど、「評論家」というものの一つの"使い"方の例としてね。
"正しい"か"間違ってる"かではなく、「自分」との関係を確定しておくと、相当に類推が効いて便利だという。
もう一つ面白かったのは井上が「演技」の好きな作家だという話で、これは「絵」にこだわるという定評とリンクして、僕の抱いていた違和感や感覚的なずれを、一つ言い当ててくれる表現だったなと。そう意識はしてなかったんですが。
つまり僕からするとどうでもいいところにこだわっている、あるいは見当違いな重点の置き方で、漫画表現をやろうとしているということですが。早い話、頑張ってくれてもそんなとこ読まねえから、最初からという、そんな感じ。話が止まるだけだ。

・・・・直感的にはこれは、アニメにおける声優の「演技力」にこだわる見方(&再びそれとリンクして絵のクオリティ)とも同期しているように思いますが、面倒なのでここではそれは結論だけで。
ほんと分かんないですよね、僕。上手い人はちゃんと上手いと思うんですけど、「下手」(特に"棒読み"系)の方は、誰かが指摘してるのを見るまでは、てんで。作品として機能していれば、いっさい気付かない。(笑)


高橋留美子『犬夜叉』。
これも何となくは知ってますが、さっぱり触手の動かない作品でした。
勿論読めばそれなりに面白いだろうというのは、力量的に予想は付くんですが。そそらない。
その原因は今回の夜話の、特に非ファンのおじさん論者(笑)たちが少し引きながら語っていた、"高橋留美子総集編"的な作品の性格で。つまり既視感というか、読まなくても分かりそうな感じ。それが僕だけのものではないというのが分かって、一つ安心しました。(笑)
なんかね、極端に言うとセルフパロディというか、"高橋留美子が高橋留美子メソッド/キャラを使ってある種の「製品」を作っている""「プロジェクト」を主催している"みたいな、変に遠い感じはあるんですよね。"リアル"な作品として見づらいというか。

で、それを批判したいというのではなくて面白いなと思うのは、討論の中でも繰り返し出て来た高橋留美子の「メジャー指向の強さ」「(過剰とも言える)バランス感覚」みたいなもの。"オタ/同人"や"民俗"といった自分の「資質」に、走りそうで決して走らない、違う意味での"資質"。それがどこから来るのかなあという。
ぶっちゃけ少し、不自然なブレーキに感じることもあって、それであんまり、僕はこの人にのめり込めないんですが。それこそ『うる星』の時代から通じて。

一つは同人/腐女子系(笑)元祖世代ならではの、緊張感というか気負いというか、責任感というか、そういうものはあるだろうと。そう簡単に見切られないぞ、後ろ指さされないぞという。・・・・次の『青い花』とかになると、そういう律義さはもうほとんど無くなってしまうわけですけど。
そしてもう一つは、もっと根本的な話。多分。討論でも結論的なものとして出て来た、"るーみっくわーるど"の包容力、良くも悪くもの。戦っても戦いにならない、ぶつかるようでぶつからない、「母性的」であり、予定調和的であり。

それがこの文脈でどう働くかというと、どれか一つの「資質」が走る、とんがる、それによって何か世界や価値観を瞬間的にも限定して切断して、単純化・抽象化して提示する、そのことの"大人げな"さ、その耐え難さ。気が付くと、「丸」く、包んでしまう。角を取ってしまう。
だからつまり、高橋留美子は、「資質」に走ることを"我慢"しているわけではなくて、走る"欲望"は欲望として、しかしそれを更に上回る"包む"欲望が必ず発動するので、それで結果としてこうなるのではないか。あるいは今更、こんな(『犬夜叉』のような)メジャー志向な作品を、自ら積極的に描けるのではないかという、そういう話。欲望ではある。しかしその形が独特。


で、志村貴子『青い花』。これは僕は、アニメでしか見てません。
ただその時に感じていた特有の"置いてきぼり"感が、再びおじさん論者中心(笑)の討論で、ある種丹念に追求されていて、面白かったです。

一つは勿論、ガールズラブそのものや、思春期少女の生活感ですが、しかしこれは、あのレベルの論者にとっては、実はそんなに問題ではないわけですよね。はばかりながら僕も。ストレートな感情移入に困難が生じることが無いとは言いませんが、いずれ想像類推の範囲であって、逆にむしろ、それ以上ではないので退屈させられるところもあるくらいで。で?という。

この作品・作者が本当に恐ろしい、僕らおじさん論者を戸惑わせる可能性があるとすれば、それは実はその無反省さ、無思慮さ、それこそで?と問われて特に答えが無くても、恥じたり気にしたりしないかも知れない、そういうディスコミュニケーションにあると、言うとすれば言えると思います。
言葉で言えば夏目さんの言った、「輪郭の無い」世界。最初から最後まで"過程"であり、それ以上でもそれ以下でもない。

それは正確には描かれている「世界」がということではなくて(それ自体はそうだとしても、主題としては実はありふれたもの)、それを「作品」として表現する・構成する、作者の意識/自意識のあり方の"無"さ、これが不思議というか不気味というか、何じゃこりゃというか。(笑)
例えば「アンチドラマ」とか「アンチテーマ」みたいなのは、広い意味の相対主義やポストモダン的な脈絡で、既にさんざんやられているというかお馴染みのものではあるわけです。むしろ今は更に一回転して、その上でいかに「ドラマ」を作るか「テーマ」を構成するかというのが、"チャレンジ"としてはメインの勘所となっているかと。

ただこれは、そういうのとも違う。「伝統」に「反抗」してるのでも、「絶対」を「相対」化してるのでもなく、ただ、そうなんですよね。
一言、いい加減だと、言ってしまいたいところですが(笑)それを言ったら負けの気がするし、その割りには良い作品でもあるので、それで夏目さんなんかは「分からない」とあえて完全に撤退した言い方をしているわけでしょうけど。
あれは否定の代わりの、撤退なわけですね、要するに(笑)。僕に言わせると。喉元までは出てるんですけど、否定の言葉が。でもそこは慎重に敬意を表して、抑える。

ただなんか、絶望的な感じはあります。話、通じねえだろうなあという。
女だからか、若いからか。
色々違いはあっても、物を作る(orそれに関心のある)人間どうしで自然と最低限噛み合って来るはずの何かが、上手く形成されない気持ちの悪い感じ。
尊重してるのは本心ではあるんだけど、でもやっぱり物足りなくはある。自分たち世代まで積み上げて来た営為が、余りにスルーされている勿体ない感じが。

無理にとは言わないけど、何とかならんかね。(笑)


基礎教養としての「相対主義」の価値を体感出来るのって、どれくらいの世代くらいまでなんですかね。
最近とみに、不安になります。
「ネットが保守的だ」みたいな話とも、関係して来ると思いますが。

まあいいです。
メリークリスマス。(え?)


なんにも書く気がせん
2009年09月15日 (火) | 編集 |
落ち着かないよ、とにかく。(笑)


相変わらず「レンタルコミック」を満喫(j漫喫じゃないよ)していますが、借りたいものはあるようで無くて、気が付くと福本伸行ばっかりになったり。


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天&アカギ、カイジはまあ、言うまでもなく。
まず外れが無い、というのと、改めて見ると、結構多作&多彩だなというのと。

内容的資質的に、読んでて僕が似てるなと感じるのは、実は富樫義博だったりするんですけど。
(『幽遊』『ハンター』)

1.「人間性」、特に”暴力”や”悪”を中心とするそれについての、冷徹な掘り下げ方分解の仕方。
2.パズル的な論理志向、簡単に言えば”ゲーム”大好き。


という点において。
それに2’として、一方で非常に直観的情念的でもあるというのも、付け加えてもいいですが。

ま、ゲーム大好き。(笑)


・・・・違うのは勿論、「多作」の部分ですね。(笑)
比べるべくもない。富樫は富樫でもいいけど、とりあえずありがとう、福本先生。(笑)

この違いがどこから生まれるのかですが、一つはまあ、絵の美麗さにこだわるタイプ(富樫)と、ハナから放棄している(笑)タイプ(福本)という違いは、あるかも知れませんが。それに象徴される、「描く」という行為についての、スタンスの違いというか。
ただどうも立て続けに福本作品を一つ一つ感心しながら読んでいると、結局似た傾向のテーマについての把握の簡潔さ、明快さという点で、福本さんが大幅に際立っているという、そういう可能性もあるかもなと。

つまりあっさり分かっているから、量産も利くという。(富樫がウンウン唸っている間に?)


それでもやっぱり、ハンターハンターの新刊の発売というのは、一大イベントですが。

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冨樫 義博
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購入した帰り道は、期待感で足が地に着きません。(笑)
たいていは前の展開を忘れていて、読み返す羽目になりますが。(笑)


ああ、素晴らしきジャパニーズコミック。
何はともあれ。

『ハチワン』と『シグルイ』の続きが読みてえぞ。