ヴェルディ、代表、アイドル、漫画、アニメ等
よしながふみ対談集『あのひととここだけのおしゃべり』
2014年04月28日 (月) | 編集 |
漫画評論系レポ第二弾。
特に繋がりは無いですが。

全体テーマは・・・・「少女漫画」「BL」かな。
『大奥』『きのう何食べた?』のよしながふみさんホステスによる、女性作家対談集。


よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべりよしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり
(2007/10/04)
よしなが ふみ
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やまだないと&福田里香編

"少女漫画におけるタバコ"

福田 キャラに吸わせるとほんとのほんとのことは態度でも言葉でも言いたくないんだ、っていう強烈なテレがあるっていう意味になるんだよね。(中略)
福田 キャラがタバコを吸うっていうことは食べ物を食べなくてすむっていうことなのよ。そうすると腹の底が見えないんだよね。
(中略)
よしなが これだけ日本人の喫煙率が下がったのに、あいかわらず少女マンガの中ではタバコ吸うんですよねえ。
やまだ でもあいつらさ、タバコ吸うけど箱もってないんだよね。魔法のタバコ(笑)。だからあれは記号のタバコでしょ。あれはイワキの葉っぱと同じなのよ。(笑)
(p.34-35)

(モー2に描いてた)やまだないとって女だったんだ、という程度の認識ですが。
なるほどねえ。多いか少ないかはともかく、男漫画より女漫画の方が遥かに喫煙シーンの印象が強いのは、やはり"男"の記号として未だにタバコが強い存在感を持っているということなんですね。
実際に今喫煙の女ウケがどうなのかはよく分かりませんが、たまに堂の入ったタバコの吸い方をしている人を見かけると、かっこいいとまでは思いませんが同性として微妙なプレッシャーを感じるのは確かです。(笑)
そのぶんセックスアピールも健在でも、おかしくはないだろうという。
"イワキの葉っぱ"というのはこれですね、念の為。(笑)

岩鬼

水島新司の名作野球漫画『ドカベン』の名物キャラで、いつも口に咥えた葉っぱを手離さない、草食男子の先駆け。(最後のは嘘)

"オタクと世代"

よしなが 福田さんによるとオタク憎み世代だっていうんですよね、岡崎京子さんの世代の人たちは。
福田 (中略)岡崎さんはすごく憎んでるの。オタク・フォビアみたいな感じで。そういうインタビューも残してるんですよ。
でも、それが羽海野さんになってくると全部並列なんですよ。おしゃれなこともオタクも。
(p.37)

まあ"世代"というか、(当の漫画業界の人にすら)嫌悪される理由は確かにあって、それは未だに解決も克服も別にされてはいないとは思うんですけど、時代が一回りして単純に既成事実化する、気が付いたら"オタク"的なものが周りにあった"世代"になると、意識性が薄れるのはまあ、理の当然世の常ですよね。
Jリーグの"サポーター"も、同様の理由で「空気」化しつつ、しかしそのことによる増長が逆に意識・反感の先鋭化を改めて招いているという、比較すると少し複雑な状況ですが。


こだか和麻編

"「ゲイ」と「男」と「BL」"

よしなが (前略)女の人がいかにもゲイの人らしいゲイが苦手なのは、憧れないからだと思うのね。ゲイの人たちは差別されていて、女である自分たちと同じように差別されている人たちだから(中略)
こだか なるほどね。だから、BLのように、男の人同士の話になる、と。
(p.120)

昨今猖獗(しょうけつ)を極める"BL"に対する、「何で女はそんなにホモが好きなのか」という、大多数の男による素朴で野蛮な(笑)疑問に対する一つの回答例。
特殊性、あるいは"第三の性"的な「ゲイ」が好きなのではなくて、あくまで「男」どうしの関係に興味があるのだという。
それは翻ってそれを好んでいる女性自身も、普通にヘテロである可能性が高いということにもなりますが。

"女の恋愛と男の恋愛"

よしなが 女の子は、本当は男の人とそういう関係になりたいんだろうな、と思うのよ。
こだか 同志的な
よしなが 同志的な。本当は、男の人と同志で恋人になりたくて、でも男の人は女の人にそんなものを求めてはいないから・・・・・・。
(p.121)

僕は求めてるよ!!だからおいで!!(笑)
いや、まあ、どうなんでしょうか。
ここらへんは、確信的"フェミニスト"であるよしながさんの個人的好みが、強めに出ている意見という気もしますが。
ただ後で出て来る「やおい」の話と合わせて、要するに伝統的教条的"恋愛"からの脱出を、女性(漫画読者)が様々に求めているという、そういう実態はあるように思えますね。その表現の一つとしての、BLというか。


三浦しをん編

よしなが (前略)オタクの子たちが非オタクと話していてもつまらないって言うのは、自分の趣味の話が通じないというのももちろんあるんだけど、「話にオチがない」からなんですって。たとえ日常の話でこれといったオチがないにせよ、人に話すんだからきちんとした物語にしろ、と。あまりにも「それで?」という話が多い、と。(笑)
(p.367)

この場合の「オタク」は広く取って自分も入れちゃいますが(笑)、"オチ"はともかくとして「普通(非オタク)の人」というのは、社会通念や慣習的思考・言い回しを、右から左に受け流すことの繰り返しだけで一生を送る面があるので、今言っているそれがどういう特定の文脈に属している話や観念なのかという意識が希薄な場合が多いわけですよね。(それで日々通用する)
「物語」というのは文脈そのものですし、「オチ」というのはその文脈を前提にした意味の逆転ですから、そういう意味で比較して、"非オタク"の人の話し方が漫然としているということはあるだろうと思います。
・・・・まあどちらかというとこれは、「オタク」云々よりもお笑い・バラエティの世界でよく言われる話ではありますけどね(笑)。要は日常性以上の世界とその意味の意識的捉え直しの経験・習慣をどれだけ持つかということで、そういう意味では"ロック""お笑い""二次元"も、同じような「機会」になるということは言えると思います。勿論他のものも。"趣味"全般というか。
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伊藤彩子『原作者インタビューズ』
2014年04月19日 (土) | 編集 |
最近まとめて漫画評論系の本を読みまして、まあ「読書日記」的な軽い感覚なんですが、量的にいっぺんにやるのが厳しいので。
まず第一弾。


まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!まんが原作者インタビューズ―ヒットストーリーはこう創られる!
(1999/10)
伊藤 彩子
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田島隆(『カバチタレ』)編

----それじゃあ、どうして東風さんに?
田島 編集長と担当が呉までぼくに会いに来てくれたとき、メシ食いながら「ウチのいとこを使ってくれんか」と直談判やったんですよ。
(中略)
田島 キャラクターを決めるまでには、本当に時間がかかりました。東風もさんざん悩んで・・・・・・。(中略)結局『ナニ金』の亜流でいってしまえと。「『ナニ金』に似てて何が悪い、正統継承者たぞ」と(笑)。
----半端に似せるよりも、そのままでいいじゃんって感じですね(笑)。
(p.46-47)

単なるこぼれ話ですけど。(笑)
余りにも露骨に似てるので、てっきり青木雄二の"院政"か、『ナニ金』の後釜を作る為の編集主導の"プロジェクト"なのかと思ってたら、勿論原作・作画それぞれに青木雄二との縁はあったんですが、ああなったのは飽くまで結果的にだという、驚きの真相。(笑)
しかし思い切りいいにも程があるだろうという(笑)。語弊があるかもしれませんが、ボランティアでレイプされに行ってるような感じ、"表現者"としては。「原作者」発の企画だから、出来たことというか。漫画家には無理なんじゃないか、あそこまでのは。

これは、『モーニング』でも『S』でも言われたんですが、実社会でも、その情報だけで食っていけるくらいのレベルじゃないと、生半可なものでは、まず無理だと。
----専門家じゃなくても、取材して書くっていうやり方もありますよね。
調べた程度でやってるものだったら、一話、二話が完成度か高くても、その後続けるのが難しい。
(p.50)

この件については、後でまとめて。


さいとう・たかを(『ゴルゴ13』)編

原作者の登場は、おもに二つの理由に支えられていたようだ。
ひとつは、漫画を商業ベースで考えたとき、一人ですべてを仕上げるには、仕事の量的にも時間的にも無理がある。(中略)もう一つは、まんが家からは絶対に出てこないようなアイデアや情報を含んだストーリーを提供してもらい、まんがにバリエーションを持たせようというものだ。
こうした考え方は、週刊誌、とくに青年誌が急激に増えてきた六〇年代後半に顕著になってくる。
(伊藤p.64)

以上が漫画原作及び、漫画製作の"分業"体制の歴史の基本。
そしてその草分けの一人が、さいとう・たかを氏。

さいとう その頃は、ストーリー物の世界を"漫画物語"とか"ストーリー漫画"なんて呼んでいた。(中略)
(活動写真)が"映画"という名前が付いて呼ばれるようになったように、"ストーリー漫画"も、一つの名称を付けてやるべきじゃないかと。それで、『劇画』と呼ぶようになったんです
(p.67)

なるほどね、僕らは今日では単に「ギャグ漫画」等との区別で使ってるだけですが、当時的には「写真が活動する」「漫画がストーリーする」という具合で説明的に感じたんですね。
逆に再び今日では、むしろ『劇画』の方が、特殊な用語というか、"劇"の部分がわざとらしく説明的に感じてしまうわけですが。

コマ割りは、映画でいうなら絵コンテを描くようなもので、監督の仕事だ。分業体制を取ったのは、絵はダメでもコマ割りの仕方が上手い人もいて、そこに最適な絵を入れれば、作品としての完成度が高まることを狙ったからだという。
(p.67-68)

この件も、また後で出て来ます。


木内一雅(『代紋TAKE2』)編

いつもぼくは、「オレはプロデューサーと脚本家と、監督の半分までやる」ってい言うんです。「君ら("作画"担当)は残り半分の監督と、照明とカメラと俳優と美術と道具周りだ」と。
(p.96)

"半分の監督"の部分が無いと(あっても?)、言われた作画担当としてはあんまりいい気分ではないでしょうね(笑)。救いが無いというか。
まあ作家主義的な原作者というか、文芸主義者なんでしょうね。
僕もほとんど絵に興味が無い人なので、分からんではないですが。(笑)
とにかく、一つの「分業」例

講談社は、まんがの中で句読点使っちゃいけないっていう決まりなので、改行を句点、代わりに「!」を読点代わりに使うようにしています。
(p.97)

へええ。
そうだったっけか。

今のまんがの体制っていうのは、ものすごい歪みがあるんですよ。つまり、大友先生が登場してきて、絵のレベルが極端に上がった。そうなると、あそこまではいかないにしても、ソコソコのレベルの絵を描かないとダメっていう世界になっちゃったんです。当然、絵にかかる時間が長くなると、まんが家さんがしっかり話を作り込む時間がなくなってくる。
(p.103)

まあ1999年なので、「大友克洋」という焦点の当て方になりますが。
でも僕なんて、アニメでしか知らない。今やほとんどの人は、そうだと思いますが。
ただ言われている状況としては、今日でも通じないことはないのかなと。"週刊連載ペース"という問題ほど、大きな問題ではないとしても。
・・・・どっちかというと、「絵」に偏執的なある種の漫画家たちが、そこで引っかかって自滅しているというような感じも、しないではないですが。あるいは絵の「脳」に偏り過ぎて、話の「脳」が働いていないように見えるというか。止め絵と共に、話も止まる。

----ところで、最近の青年誌はジャンルまんがが多い関係で、専門知識をもった原作者の方が増えてきてますが・・・・・・。
木内 (中略)「どんなことでも書けます、調べれば」っていうくらいのほうが、いいような気がします。だって人殺しやらなきゃ人殺しのシーンを書けないのかっていったら、違うでしょ。それと同じですよ。
(p.104)

上の田島隆さんとは、反対の見解。
ただ一般論としては、明らかに田島隆さんの方が正しいように思えます。"書け"ればいいというのは書き手の視点であって、これだけ作品のある中で読み手がお得感を求めるという視点からは、やはりちょっと"調べた"以上のスペシャリティは、あるに越したことは無い。どうせなら、人を殺したことがある人の人殺しのシーンを読みたいというか。(笑)
まあそれは極端な例としても。
最終的には、勿論個別の問題であるし、その原作者の才能・センスの問題ですけどね。
つまり薄めのバックボーンでも説得力や専門家以上の洞察力を示せる人はいるだろうし、逆に専門知識を持ってれば誰もが"原作者"になれるわけではない。小説だったら、ゴーストライターに書かせるという手もありますが、漫画"原作者"は言わば自身が"ゴースト"の一種なわけでね。
この問題は、後で更にもう一回出て来ます。


城アラキ(『ソムリエ』)編

商業誌の場合、原作家ってバッティングピッチャーなんですよ。まんが家はバッター編集者は審判かな。(中略)
まず、まんが家さんが打ち返せない----理解できないとか、つまんないと思うような球は投げたらダメ。かといって、まんが家さんに合わせた球だけ投げてればいいかっていうと、そうじゃない。
(p.125)

なるほどね。"審判"というのは今いちよく分かんないですけど(笑)、(表に出る)漫画家中心に考えると、こういう例えはありかも。
ていうかこの人は、多分"バッティング・ピッチャーの快感"が分かっているんですよね(笑)。"合わせる"主体性というか。自分が合わせることによって、相手の中の何かが働き出すのを見る快感というか。
もっとフラットに、"コーチ"の快感と言ってもいいかも知れないですけど。

作品における三人の力関係って、原作家三〇、編集者三〇、まんが家四〇だと思っています。
(p.128)

ふむ。逆に「分業」という感覚じゃないですよね、この人は。
真に「共同作業」的というか、バンドのアンサンブルに近い感じ。漫画家がヴォーカル?リードギター?(笑)

たとえば、三人いると必ず誰かか疲れるわけ。(中略)
でも、三人のうち二人がヤル気があるときは大丈夫なんだよね。
(p.129)

まあ、そうかも。一般的にも。
多数決じゃないですけど。(笑)

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古林海月 著 『わたし、公僕でがんばってました。』
2011年09月20日 (火) | 編集 |
わたし、公僕でがんばってました。わたし、公僕でがんばってました。
(2011/06/24)
古林 海月
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以前当ブログのコメント欄にも降臨して下さった、猫狂いという意味でもお仲間(参考)の漫画家、古林海月さんの新作。

米吐き娘 1 (イブニングKC)米吐き娘 1 (イブニングKC)
(2005/01/21)
古林 海月
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米吐き娘大吟醸 (イブニングKC)米吐き娘大吟醸 (イブニングKC)
(2007/06/22)
古林 海月
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・・・・目下の代表作は『米吐き娘』、と、あえて言っておきましょう。
現在は鋭意変化(へんげ)作業中のようですが、いつか必ず大きくなって、化けて出る(?)人だと、僕は信じています。(笑)

ほんとにねえ。
古林さんの書くものなら、どんな題材でも今すぐにでも、またイブニング等で読みたいくらいですけどね。
4コマでも、モー2とかでも、適当に場所を与えれば、必ずなにがしかの存在感を出せる人だと思うんですが。
講談社の得意そうな漫画家というか。
どうも、ツキが無い印象。
蒸し返すようですが何でまた『米吐き』は後半はよりによって、"集英社"みたいな描かせ方をしようとしたのか。バトルなんて要らねえし。ていうか既にナチュラルにバトルだったし。未だに納得が行きません。


さて問題の本作は、なんかいかにも「実用書」のコーナーにでもありそうな装丁ですが(笑)、中はちゃんとした漫画です。
と言っても所謂"ストーリー"でもフィクションでもなくて、題名にある通り古林さんご自身の地方公務員としての就業経験を基に、"公務員"という仕事の実際を、そのパブリックイメージの数々と照らし合わせつつ、様々な側面から紹介した内容です。

スタンスとしてはそうですねえ、「エッセイ漫画」「教育漫画」の、中間くらいでしょうか。
古林さんご本人がキャラとして語り手となって、基本的にはオーソドックスにジャーナリスティックに(?)レポートを進めて行くんですが、随所に古林さん独特の脱力したボケというかユーモアセンス(とあえて言うと最近恥ずかしい)も挟み込まれて、ファンとしては嬉しいというか懐かしいというか。

・・・・まあ、細かく言うと古林さんの"ユーモア"というのは、別にあえてボケたから面白いとかシリアスだから面白くないとかそういうタイプではなくて、普通に語っている中にもどうしようもなく染み出して来るというか、語っているそばから溶解が進むというか(笑)、そういう類のものなんですけどね。
真面目になればなるほど、脱力感が止まらないというか。(笑)
どこだ、どこが漏れているんだ。

そういう意味では今回は、見た感じ、"シリアス"(『夏に降る雪』米吐き1巻所収)でデビューして主にイブニング編集の意向であのゆるふわ路線を開拓されたらしい古林さんが、あえて言えば初めて自分の"采配"で意図的にボケなども入れてみたと、そこらへんが新境地というか"実験"性なのかなとそういう印象。
まあそんなに無理して、「漫画批評」的に読むタイプの作品でもないんですけどね。(笑)

個人的には、「(公務員時代)結構もらってたんだなあ」というのと、「そうか相方のトッコさんは辞めるの反対だったのか」と、そこらへんが意外でした。
"公務員"については、とにかく部署異動をそんなにするものなのかというのが、知らなかったのでびっくりしました。何となく一生同じ仕事をしてるような偏見が、やっぱりあったもので。

『米吐き』読者的には、その方針の是非は別にして、イブニング/商業漫画誌の編集が入らないと、なるほどこんな感じのバランスになるのかあとそういう興味でも読めるかと思いますが、あんまりこういうことばっかり言ってると嫌がられるでしょうから(笑)、これくらいで。


以上、ご紹介まで。
感想はこちらで受け付けているそうです。

http://ameblo.jp/komehaki/entry-10941980521.html

現在は"ハンセン病の漫画を執筆中"とのことで、出来れば今回一瞬期待した、(公務員漫画である)『夏に降る雪』的なストレートにシリアスな(ストーリー)作品も、それはそれで面白いので期待したいところですが、どういう作品なんでしょうか。

ともかく今後のご活躍を、心からお祈りしています。


非理想主義的理想?
2011年07月13日 (水) | 編集 |

ブータンへ行ってみたいもう一つの理由がある。それはブータンの若き王、ジグメー・シンギエー・ワンチュックのお人柄である。

最近、アメリカの雑誌に王のインタビューが載った。イギリス留学の経験もある王が、鎖国政策に触れて、「われわれは別に東洋のスイスになりたいと思っていない」とおっしゃった。ブータン人は特に勤勉じゃないし、オーソドックスなものの考え方は好きじゃない、と。
「東洋のスイス」という、かつての日本にマッカーサーが託していた夢を、王は頭から拒絶している。鎖国政策によって、自国文化のいったい何が保存されるか。王は答える。
「われわれは遊びゲームレジャーが好きなんだ」と。


"リービ英雄"という妙な名前の、大人になってから本格的に日本語を覚えて、それで日本語で書いた小説が評価されて少し脚光を浴びた、名前は変だけど(笑)ハーフでも二世三世でもない純粋な白人作家のエッセイ・評論集『日本語の勝利』

日本語の勝利日本語の勝利
(1992/12)
リービ 英雄
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の一節より。

なかなか面白いと思いますね。
「国民総幸福量」という、そのジグメー・シンギエー・ワンチュック現在は"元"国王が掲げたスローガンというか指標が有名な、そのブータンの政策の根底にある考え、メンタリティ。
イタリア人スペイン人が言うなら普通ですが、名うての仏教国ブータンの国王に言われると、あれ?という。(笑)

何も大層なことをしたいわけじゃない。特段理想的国家体制を発明しようとも、それでもって人類を救おうとしているわけでもない。むしろ何もしたくないのだ。余計なことを。・・・・そしてそれが、"幸福"であると。
その"余計なこと"の最たるものが、「近代化」であり、またそれをモデルとした「社会の発展」的な発想であり、それをブータンは拒否すると。その為の鎖国。

何かをしたいから鎖国するのではなくて、近代化をしたく"ない"から鎖国する。
理想主義的なものや積極的な「理想」を拒否するという形の、理想。資本主義タイプの近代国家という理想を、更に超越する別の「理想」を掲げた社会主義・マルクス主義との、それが違いか。
"発展"しないミニスケールなら、それが可能であるという、そういう意味も含めて。

・・・・ま、例によって思いっ切り僕の意訳ですけどね。(笑)
要するにさ、ダりぃんだよ、近代化って。ヤボなんだよ。ほっといてくれよ。
粋なブータンっ子は、宵越しの近代国家は持たないのさ。


リービさん自体は、こんな風にまとめています。

文化は「遊び」である。文化が破壊されるとき、まず「遊び心」が抹殺されてしまう。
破壊された遊び心に代わって、陰鬱な近代ナショナリズムがはびこる。それと同時に、自発的に行われていたゲームが見せ物となって、見せるという意識のあまり、「ネイティブ」が「ネイティブ」以外のものに変貌してしまう。


どうしていきなり"ナショナリズム"という言葉まで飛び出すのかは、全文を読んでも実は不明なんですけどね。でも"陰鬱"というのは分かる。
あと言わんとしていることを"正しい"和製英語で表せば、「ネイティブ」のところは「ナチュラル」じゃないかと思います。(笑)

太字部分はなんでしょうね、"プロスポーツ"批判?(笑)
ちなみにアメリカ人です。アマチュア礼讃の、英国紳士ではありません。
まあ観客の為にプレーするなんてのは、下品というか邪道だとは、僕も思います。そういう話ではないのかな。(笑)
ゲームはゲームそのものの為にある。汝の敵(対戦相手)は愛せよ。でも観客なんてほっとけ。
それをまた外野が、自分の甲斐性で鑑賞するのも楽しむのも、それはまたそれぞれの勝手です。
近代以前の戦記ものとかを読むと、文字通りに観「戦」をする無関係の庶民とかがいたりして、面白いです。当然飛ばっちりを食って死ぬこともあるわけですが(笑)、それがいちいち"なんちゃらの悲劇"とか言って問題にされることは、勿論無い(笑)。自己責任で、よろしく。

プロスポーツっていったいなんなんだろうと、最近よく思いますね。実は相当、不思議なものなのではないかなと。


ちょっと唐突に聞こえるかも知れないですが、所謂スウェーデン/北欧的な"福祉国家"の「理想」というのも、むしろブータン方面に引きつけて考えた方が、本質が分かり易いのかもなとか。
「保守」(小さな政府)か「革新」(大きな政府)かみたいな、"近代"的な枠組みとは、少しずらしたところで。
"どちら"というよりも何よりも、"一抜けた"なのではないかと。資本主義的"発展"も、社会主義的"理想"も、勘弁してくれと。がつがつしたくないと。ちんまりと内輪で、上手く回して何とかするよという。

そういう言ってみれば"厭世"観というか、"憑き物落"ち感(笑)抜きで、例えば日本に持って来ようとしても、そうそう上手くは行く当てが無いだろうなという。
思想や国民性が先にあっての、社会体制というか。・・・・逆に"アメリカニズム"が、「国民性」的に少し厳しいだろうというのも、これは広く認められるところだと思いますけどね。

それこそ社会主義だって、"そういう"人が集まれば、意外とあっさり機能するのかも知れない。
実は僕は学生時代に男3人くらいで、社会人になってからもある仲の良い女の子と、「財産の共有」じみたことをしていたことがあります。
要は金の貸し借りなんですけどね。ただしかなり無頓着な。"現金"なんか、その時必要な奴が持ってればいいという感じで、特に使う当てが無ければほぼ無制限に貸し続けたり(まあ原資は限られてますが(笑))、あるいは僕も借りたりしていました。

ちゃんと関係を解消する時に、全額回収・整理はしましたけどね。
みんな無頓着だったので、額が合ってるのかどうか実は微妙な部分もあるんですが。(笑)


とにかくスウェーデン/北欧的なそれを、右が馬鹿にするのも左が理想化するのも、どっちもちょっと、違和感があります、僕は。
そういうことじゃ、ないと思うんだよなあ、なんか。
ベースとなっている経済観(感)・社会観(感)そのものが、最初から少し違うのではないかと。(逆に言えばその場合の右と左は、実は同じ構造内の住人)
システム的には、大文字の独創性までは持っていないんでしょうけど。

そういう微妙なものなので、ブータンが変容してもスウェーデンが困難に陥っても、それ自体はまあ仕方が無いなという感じですが。
束の間面白いものを見せてもらって、満足というか。
"諸行無常"というまとめでは、少し雑過ぎるかも知れませんが。(笑)
むしろ世代間の認識や感覚の継承の、絶望的に近い困難の方かな。気が付いた時には存在していたものの、意味や有難味の認識に、普通若者は失敗する。必ずというか。(笑)


ちょっと引用して紹介するつもりが、こんな話になったか。(笑)

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最近読んだ漫画  ~『さらい屋五葉』『サプリ』 他
2010年04月07日 (水) | 編集 |
暇じゃないんだけど暇なんですよ。状況が整理出来なくて、なすすべもない時間帯があるというか。


オノナツメ 『さらい屋五葉』

さらい屋五葉 1 (IKKI COMICS)さらい屋五葉 1 (IKKI COMICS)
(2006/07/28)
オノ ナツメ
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来週からノイタミナ枠でアニメが始まるわけですが、実は全く知らずに、レンタル漫画で読み始めました。
すぐ気が付いたは気が付いたんですが・・・・。まあいいかなと、そのまま読んでいます。

どのみちオノナツメという人は、本質的に何よりも「演出家」だと思うので、「内容」が同じだからといってアニメで見て分かったつもりになっても、およそ意味の無いタイプだと思いますし。
・・・・逆によくそんなのアニメ化する気になるよなとも思いますが。既に"演出"そのものみたいな作品を更に演出するって、どこまで自分のセンスの底の底というか、ケ○の穴をさらけ出す(笑)羽目になるのか。僕はようしませんね。まあそんなことは思っていないのかも、だから出来るのかも知れませんが。

ちなみに僕がそもそもこの作品を読み始めたのは、勿論「モーニング2」誌上の『つらつらわらじ』で、"時代劇でのオノナツメ"にベタ惚れしたからですね。
読み比べてみると違いはあって、簡単に言えば古い作品の『五葉』の方が、オーソドックスというかリアルなタッチだと思います。『つらつら』の方は、絵柄も微妙にデフォルメがきつくなってるし、演出の研ぎ澄まし感というか、"演出ありき"感も、より濃厚というか行くところまで行っているというか。

・・・・ていうか『五葉』は、今まで見たどのオノナツメ作品よりも「内容」がある(誤解を招く言い方だな(笑))、ある意味"熱い"作品で、そういう意味では上ではああ言いましたが、アニメ化には比較的向いてるのかもしれない。

あと、読んでて気が付いたのは、この人は時代劇に向いてはいるけれど、別に特に詳しいわけでも細かいわけでもないということ。割りと現代の常識と当て推量で、何となく描いている部分も多い。
そこらへんはまあ、了解した上で、それこそ『つらつら』も読むべきだろうなと。
まあ当然と言えば当然なんですよね。この前まで描いていたNYコップもの

COPPERS [カッパーズ](1) (モーニング KC)COPPERS [カッパーズ](1) (モーニング KC)
(2008/11/21)
オノ・ナツメ
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なども含めて、基本的にこの人はフィクションの視聴体験を基に、それを消化・再構築することを"創作"の本義としているのは読んでいれば明らかなわけで。だからこそ、一種メタ演出的になって、「演出が本質」という特徴が出て来るわけで。

まあ、結構面白いですよ。『つらつら』ほど痺れはしないけれど、このクール&スタイリッシュ(笑)で売っている人の、何かしら中核的なこだわりが、中心人物たちの心情や距離感に、割りと剝き身で表れているように見えるところもありますし。


おかざき真里 『サプリ』

サプリ (1) (FC (335))サプリ (1) (FC (335))
(2004/06/30)
おかざき 真里
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最近読んだ漫画その2。オノナツメの次にこれって、なんかどっかのオサレ系の人みたいですね僕。(笑)
西村しのぶが好きだったと言えば、何となく手を出した意味というか、傾向は理解されると思いますが。(笑)
これも勿論レンタル。

内容的には・・・・『働きマン』

働きマン(1) (モーニング KC)働きマン(1) (モーニング KC)
(2004/11/22)
安野 モヨコ
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ですね、要するに。
時期的にはほぼ同時期なのか。ふーん。
月9でドラマ化もされたらしいですが、そんな文化的カースト外の話題は、僕には関係ありません。(笑)

かなり好きですね。ちゃんと痛いというか。
同じような内容でも、モーニング本誌掲載で、根っからのオヤジ女安野モヨコが、四方八方気を配って作り上げた「総合娯楽漫画」(?)『働きマン』とは違って、もっとこうストレートというか、真剣勝負というか。切れ味勝負というか。
所謂"女性的感性"ものではあって、逆にそうはならないように安野さんが努力したというのも、それはそれで分かるんですが。

でもその結果の働きマンは、僕にはどうも出来過ぎというか、予め答えが用意されている作品みたいなクサ味が感じられて、どうにもそそりませんでした。登場人物の"苦悩"ですらも、悩んで見せているだけというか、最初からフリ/伏線の一つとしか見えないところがある。真剣味が足りない。(笑)
結局マーケティング・サンプリングでしかないんですよね、女子高生ものとかならまだしも、アラサーのワーキングウーマンものという、かなり作者本人に近いはずの世界観を描いていてすらも。大した克己心だとは思うけれど、それが作品そのものの限界というか、あと一、二歩で島耕作になりそうというか(笑)。そういう印象。

・・・・という豪傑安野モヨコと比べてしまうと"女性的"の範疇ではあるんですが、おかざき真里『サプリ』自体も、十分に骨太というか、「社会」や「仕事」、女だてらに「サラリーマン」であることのリアリティを、並々ならぬ迫力で感じさせる作品で、そこらへんは、"感性"一本みたいなところのある、上で引き合いに出した西村しのぶとは、ちょっと比べられないレベルのもの。
むしろ"感性"的であることを抑えないことによって、一つ一つの事象に対する"感じ"方が深くなって、結局はより濃厚に「社会」を感じられる気がします。最初から「社会」の方を向いている、『働きマン』よりも。仕事って凄えな、会社って凄い所だなと。「個人」が「個人」としてちゃんと活きているので、逆にどこまで落ちるのか分からない、(社会の中に)回収先があるのかどうかも分からない、そういう怖さがある。

まあ多分、やろうとしていることはほとんど同じなんだろうと思うんですけどね。資質が違うだけで。
逆にセックスの描写にリアリティが感じられないというのは、悪い意味で"共通"してますし。(笑)
結局分かんないんだよね、女には。男の苦労が。"自然"に出来るもんじゃないんだ、ヒトのセックスなんてのは。そっちは基本寝てりゃあいいんで、実感出来ないんだろうけど。(笑)
「出来事」として流れたりはしてくれないんだよ。あくまで具体的な、「行為」なんだよ、男にとっては。不断の注意と努力を要求される。(笑)
そこらへんははっきり言って、「少女漫画」の延長でしかない感じですね、このレベルの作品・作者でも。
まあ未だスポーツや暴力をきちっと描ける(別に専門的でなくても)女性作家が極少数であることからしても、こういうギャップはほぼ半永久的なものなんじゃないかという気がしますが。


こんなことを書く予定ではなかったんだけどな。(笑)
まあおかざきさんの場合は、例えばどうもスーツの女の尻に、能動的なフェティッシュを感じているらしいところとか、割りと具体性・共感性を持って"性"を感じさせてくれる瞬間は、比較的あります。『働きマン』松方の"隠れ(元)巨乳"も悪くはないんですが(笑)、あれは何と言うか、女目線の純然たる造形美と"読者サービス"の、合成というか一挙両得辻褄合わせ的な手管というか。まあ乗りますけど。(笑)

しっかし『働きマン』人気あるな。関連して改めてググってみての感想。
あれが"リアル"ねえ。説明上手なだけだと思うけど。
君たちとは友達になれんようだ。(笑)


『ワンピース』 も1巻

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だけ読んでみました。うーん、何の意外性というか期待感も、この時点では少なくとも無いですが。
超オーソドックスの"コケの一念"で、この後"岩"が通るんでしょうか。

それよりも星野浩字 『月賓(ビン)』

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の方が、もっとがんがん話題になって欲しい。
前にも取り上げましたが正に少年漫画的"熱血""正義""友情"の、純度を薄めず高級化したものというか、中華史劇的大倫理と、違和感なく接ぎ木に成功したものというか。

だからと言って近年のブームに乗って実写映画化とかは、しない方がいいと思いますけどね。高い確率で、単なる「歴史」や「異時代」「異文化」の、乱暴な現代ヒューマニズムへの引きずりおろしにしかならないでしょうから。
むしろ中国人の方が興味を持ちそうな感じはしますが、『墨攻』

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以上に、ニュアンスを汲み取るのは難しそう。日本漫画も、民主主義すら、本当に経験しているとは言えないわけですから。

意外とそういう、隠れた"文化史"的な性格の濃い、作品だと思います。
"萌え"もあるし。(笑)


・・・・何やら膨大になっているらしい、『カイジ』シリーズに手を出すかどうか悩み中。
おっと代表戦、代表戦。


BSマンガ夜話第37弾"遠"感
2009年12月25日 (金) | 編集 |
ふう。
何だかんだ、こういう世間的に大きなイベントがあると、良くも悪くも気持ちに変な"区切り"が発生しますね。
連続性が途切れるというか。

今週何があったっけ、おお、『HUNTER×HUNTER』 出てる

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じゃん。これは何ともクリスマスプレゼント。しかも表紙ジジイかよ(笑)。後で買って来よう。

というわけで(?)マンガ夜話とか。


『リアル』『犬夜叉』『青い花』
実はどれもちゃんと読んだことの無いやつなんですが、かえってでもそれなりに伝わって来るものがあるんだなあと、興味深かったです。

井上雄彦『リアル』。
前に言ったと思いますが、"オタキング"岡田斗司夫は少なくとも漫画については、ほぼ代弁してもらっても問題ないくらい、僕は意見も視点も似ているんですよね。ちなみにアニメについては、六割くらい。
どのように似てるかというと一つの言い方ですが、例えば岡田さんが「いしかわじゅんと噛み合わなかっ」たり「夏目房之介と対立してい」たりする時は、ほぼ100%僕は岡田さんの立場で、ある種同じような疎外感を味わったりしている。(笑)
・・・・まあ、いつも見ている人にしか、てんで分からない説明ですけど。(笑)

とにかくその岡田さんが、僕が日頃酷評している『バガボンド』の(とあえてここでは言っておきましょう)井上雄彦の、同時期に並行して描いている『リアル』を絶賛しているので、正直えええーーーっと思って見ていたんですが。・・・・いや、読んでませんよ、『リアル』は。読む気も無かったというか。
ただその後で岡田さんが、『バガボンド』について、「絵の為の絵になっている」「自足的でつまらない」(さっさと終わらせてしまえ!!(笑))という意味のことをコメントしていて、ああなんだやっぱり同じなんだ、だとすれば逆に、『リアル』はほんとに面白いんだ、そういう欠点を免れているんだと、俄かに期待感が高まったという、そういう次第。

だから何だということではないんですけど、「評論家」というものの一つの"使い"方の例としてね。
"正しい"か"間違ってる"かではなく、「自分」との関係を確定しておくと、相当に類推が効いて便利だという。
もう一つ面白かったのは井上が「演技」の好きな作家だという話で、これは「絵」にこだわるという定評とリンクして、僕の抱いていた違和感や感覚的なずれを、一つ言い当ててくれる表現だったなと。そう意識はしてなかったんですが。
つまり僕からするとどうでもいいところにこだわっている、あるいは見当違いな重点の置き方で、漫画表現をやろうとしているということですが。早い話、頑張ってくれてもそんなとこ読まねえから、最初からという、そんな感じ。話が止まるだけだ。

・・・・直感的にはこれは、アニメにおける声優の「演技力」にこだわる見方(&再びそれとリンクして絵のクオリティ)とも同期しているように思いますが、面倒なのでここではそれは結論だけで。
ほんと分かんないですよね、僕。上手い人はちゃんと上手いと思うんですけど、「下手」(特に"棒読み"系)の方は、誰かが指摘してるのを見るまでは、てんで。作品として機能していれば、いっさい気付かない。(笑)


高橋留美子『犬夜叉』。
これも何となくは知ってますが、さっぱり触手の動かない作品でした。
勿論読めばそれなりに面白いだろうというのは、力量的に予想は付くんですが。そそらない。
その原因は今回の夜話の、特に非ファンのおじさん論者(笑)たちが少し引きながら語っていた、"高橋留美子総集編"的な作品の性格で。つまり既視感というか、読まなくても分かりそうな感じ。それが僕だけのものではないというのが分かって、一つ安心しました。(笑)
なんかね、極端に言うとセルフパロディというか、"高橋留美子が高橋留美子メソッド/キャラを使ってある種の「製品」を作っている""「プロジェクト」を主催している"みたいな、変に遠い感じはあるんですよね。"リアル"な作品として見づらいというか。

で、それを批判したいというのではなくて面白いなと思うのは、討論の中でも繰り返し出て来た高橋留美子の「メジャー指向の強さ」「(過剰とも言える)バランス感覚」みたいなもの。"オタ/同人"や"民俗"といった自分の「資質」に、走りそうで決して走らない、違う意味での"資質"。それがどこから来るのかなあという。
ぶっちゃけ少し、不自然なブレーキに感じることもあって、それであんまり、僕はこの人にのめり込めないんですが。それこそ『うる星』の時代から通じて。

一つは同人/腐女子系(笑)元祖世代ならではの、緊張感というか気負いというか、責任感というか、そういうものはあるだろうと。そう簡単に見切られないぞ、後ろ指さされないぞという。・・・・次の『青い花』とかになると、そういう律義さはもうほとんど無くなってしまうわけですけど。
そしてもう一つは、もっと根本的な話。多分。討論でも結論的なものとして出て来た、"るーみっくわーるど"の包容力、良くも悪くもの。戦っても戦いにならない、ぶつかるようでぶつからない、「母性的」であり、予定調和的であり。

それがこの文脈でどう働くかというと、どれか一つの「資質」が走る、とんがる、それによって何か世界や価値観を瞬間的にも限定して切断して、単純化・抽象化して提示する、そのことの"大人げな"さ、その耐え難さ。気が付くと、「丸」く、包んでしまう。角を取ってしまう。
だからつまり、高橋留美子は、「資質」に走ることを"我慢"しているわけではなくて、走る"欲望"は欲望として、しかしそれを更に上回る"包む"欲望が必ず発動するので、それで結果としてこうなるのではないか。あるいは今更、こんな(『犬夜叉』のような)メジャー志向な作品を、自ら積極的に描けるのではないかという、そういう話。欲望ではある。しかしその形が独特。


で、志村貴子『青い花』。これは僕は、アニメでしか見てません。
ただその時に感じていた特有の"置いてきぼり"感が、再びおじさん論者中心(笑)の討論で、ある種丹念に追求されていて、面白かったです。

一つは勿論、ガールズラブそのものや、思春期少女の生活感ですが、しかしこれは、あのレベルの論者にとっては、実はそんなに問題ではないわけですよね。はばかりながら僕も。ストレートな感情移入に困難が生じることが無いとは言いませんが、いずれ想像類推の範囲であって、逆にむしろ、それ以上ではないので退屈させられるところもあるくらいで。で?という。

この作品・作者が本当に恐ろしい、僕らおじさん論者を戸惑わせる可能性があるとすれば、それは実はその無反省さ、無思慮さ、それこそで?と問われて特に答えが無くても、恥じたり気にしたりしないかも知れない、そういうディスコミュニケーションにあると、言うとすれば言えると思います。
言葉で言えば夏目さんの言った、「輪郭の無い」世界。最初から最後まで"過程"であり、それ以上でもそれ以下でもない。

それは正確には描かれている「世界」がということではなくて(それ自体はそうだとしても、主題としては実はありふれたもの)、それを「作品」として表現する・構成する、作者の意識/自意識のあり方の"無"さ、これが不思議というか不気味というか、何じゃこりゃというか。(笑)
例えば「アンチドラマ」とか「アンチテーマ」みたいなのは、広い意味の相対主義やポストモダン的な脈絡で、既にさんざんやられているというかお馴染みのものではあるわけです。むしろ今は更に一回転して、その上でいかに「ドラマ」を作るか「テーマ」を構成するかというのが、"チャレンジ"としてはメインの勘所となっているかと。

ただこれは、そういうのとも違う。「伝統」に「反抗」してるのでも、「絶対」を「相対」化してるのでもなく、ただ、そうなんですよね。
一言、いい加減だと、言ってしまいたいところですが(笑)それを言ったら負けの気がするし、その割りには良い作品でもあるので、それで夏目さんなんかは「分からない」とあえて完全に撤退した言い方をしているわけでしょうけど。
あれは否定の代わりの、撤退なわけですね、要するに(笑)。僕に言わせると。喉元までは出てるんですけど、否定の言葉が。でもそこは慎重に敬意を表して、抑える。

ただなんか、絶望的な感じはあります。話、通じねえだろうなあという。
女だからか、若いからか。
色々違いはあっても、物を作る(orそれに関心のある)人間どうしで自然と最低限噛み合って来るはずの何かが、上手く形成されない気持ちの悪い感じ。
尊重してるのは本心ではあるんだけど、でもやっぱり物足りなくはある。自分たち世代まで積み上げて来た営為が、余りにスルーされている勿体ない感じが。

無理にとは言わないけど、何とかならんかね。(笑)


基礎教養としての「相対主義」の価値を体感出来るのって、どれくらいの世代くらいまでなんですかね。
最近とみに、不安になります。
「ネットが保守的だ」みたいな話とも、関係して来ると思いますが。

まあいいです。
メリークリスマス。(え?)


なんにも書く気がせん
2009年09月15日 (火) | 編集 |
落ち着かないよ、とにかく。(笑)


相変わらず「レンタルコミック」を満喫(j漫喫じゃないよ)していますが、借りたいものはあるようで無くて、気が付くと福本伸行ばっかりになったり。


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(2003/06/30)
福本 伸行
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天&アカギ、カイジはまあ、言うまでもなく。
まず外れが無い、というのと、改めて見ると、結構多作&多彩だなというのと。

内容的資質的に、読んでて僕が似てるなと感じるのは、実は富樫義博だったりするんですけど。
(『幽遊』『ハンター』)

1.「人間性」、特に”暴力”や”悪”を中心とするそれについての、冷徹な掘り下げ方分解の仕方。
2.パズル的な論理志向、簡単に言えば”ゲーム”大好き。


という点において。
それに2’として、一方で非常に直観的情念的でもあるというのも、付け加えてもいいですが。

ま、ゲーム大好き。(笑)


・・・・違うのは勿論、「多作」の部分ですね。(笑)
比べるべくもない。富樫は富樫でもいいけど、とりあえずありがとう、福本先生。(笑)

この違いがどこから生まれるのかですが、一つはまあ、絵の美麗さにこだわるタイプ(富樫)と、ハナから放棄している(笑)タイプ(福本)という違いは、あるかも知れませんが。それに象徴される、「描く」という行為についての、スタンスの違いというか。
ただどうも立て続けに福本作品を一つ一つ感心しながら読んでいると、結局似た傾向のテーマについての把握の簡潔さ、明快さという点で、福本さんが大幅に際立っているという、そういう可能性もあるかもなと。

つまりあっさり分かっているから、量産も利くという。(富樫がウンウン唸っている間に?)


それでもやっぱり、ハンターハンターの新刊の発売というのは、一大イベントですが。

ハンター×ハンター (NO.26) (ジャンプ・コミックス)ハンター×ハンター (NO.26) (ジャンプ・コミックス)
(2008/10/03)
冨樫 義博
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購入した帰り道は、期待感で足が地に着きません。(笑)
たいていは前の展開を忘れていて、読み返す羽目になりますが。(笑)


ああ、素晴らしきジャパニーズコミック。
何はともあれ。

『ハチワン』と『シグルイ』の続きが読みてえぞ。


雑読感想
2009年08月12日 (水) | 編集 |
昨日お試しで借りて来た漫画たち。
いいね、コミックレンタル。値段的には別にブックオフでも、なんなら新刊本買ったって別に惜しいようなものではないんだけど、やはり”レンタル”という気楽さと、それとも関連しますが借りて返して、部屋に物が増えないのが嬉しい。(笑)
書籍類はそれがねえ。後で売りに行くのもダルいし。安くてみじめだし。(笑)

ではそれぞれ、1,2巻だけの感想。


『ハチワンダイバー』

ハチワンダイバー 1 (ヤングジャンプコミックス)ハチワンダイバー 1 (ヤングジャンプコミックス)
(2006/12/19)
柴田 ヨクサル
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将棋漫画だったのか。”ダイブ”ってなんか、美術品の背負う過去をサイコメトリーする、そんなような話があってそれとごっちゃになってた。(笑)
9×9=81(ハチワン)マスの局面に深く潜入する、”ダイブ”するというそういう話。

将棋はよく知らないけど面白いですね。知らないなりに、強さや攻防に色んな質があって、それが将棋の無限の深さで、それを掴む為、浅い強さから深い強さにグレードアップする為に”ダイブ”するというその必然性が、上手く表現されていると思いました。
読んでてしきりに思い出したのはサッカーのことで、ここで描かれている将棋における”攻め”とか”受け”とか、”我慢”とか”スキを見つけてねじ込む”攻防の感覚が、結構サッカーに通じるものがあるというのと、同時に日本人が将棋で普通に達しているレベルに、日本人のサッカーが全然達していないなというのと。
主人公の(奨励会時代の)師匠の言う「浅瀬でパチャパチャ」って、なんか日本サッカーのことみたいだなという。やってる方も、見てる方も。狙いがハナから浅い感じがするんですよね、どうしても。かといって当面の理が厳しく問われているわけでもないし。

漫画としても、例えばこの『ハチワンダイバー』と『GIANT KILLING』との間には、”潜り”具合に大きな差がある気がして、それがそのまま、「日本将棋」と「日本サッカー」の差というか。
改めて言うけど、サッカー漫画はクソつまらない。どうしたら面白くなるのかも、よく分からない。

他に「将棋に負ける心の痛み」「女に振られる心の痛み」との対比から、”道”と(たかが)”人生”の価値観の差という、僕好みの問題も印象的に取り上げられていますし、恐らく編集発の趣向だろうと思われる”アキバ””メイド”要素の、非常にざっくりした解釈(笑)も、それはそれで逆に本質を捉えているような感じで面白いです。


『シグルイ』

シグルイ 1 (チャンピオンREDコミックス)シグルイ 1 (チャンピオンREDコミックス)
(2004/01/22)
南條 範夫山口 貴由
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シグルイ=”死”狂い。
かなりマニアックかつグロい、剣術/武士道漫画。
これもまた、”道”によって浮かび上がる人間の様々な面のそれぞれの「究極」を描いています。
とにかく具体的。容赦なし。
こういうのと同時代に、『バガボンド』みたいな微温的で抽象的なものが”傑作”として流通してしまうのには、やはり僕は違和感を覚えます。何を求めているのか、(作品に)何を求めたらいいのか、とにかくぼんやりして中途半端。
まあ実は何も求めていない人が、沢山いるということでしょうけど。「人生」だけで満足しているというか。
でも今なぜ剣術なり格闘技なりが、日本文化の中でここまでの位置を占めているのかという答えは、『シグルイ』の方にあるだろうと。


『キングダム』

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)キングダム 1 (ヤングジャンプコミックス)
(2006/05/19)
原 泰久
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少年始皇帝の開花過程に合わせて、架空の少年(たち)の夢と成長を描くビルドウンク歴史ロマン?
基本的には王道少年漫画だと思いますが、風俗背景が色々と面白い。


『センゴク』

センゴク 1 (ヤングマガジンコミックス)センゴク 1 (ヤングマガジンコミックス)
(2004/11/05)
宮下 英樹
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上の”少年始皇帝”を、”若き信長”に置き換えて下さい。(笑)
まあこちらは、漫画としてどうこうというよりも、戦場/集団戦のディテールの描き方が面白い作品。


『ジョジョの奇妙な冒険』

ジョジョの奇妙な冒険 (1) (ジャンプ・コミックス)ジョジョの奇妙な冒険 (1) (ジャンプ・コミックス)
(1987/08)
荒木 飛呂彦
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うーん、なんでしょうね。
19世紀イギリスを舞台にしたゴシックロマンというのが、普通の表現なんでしょうが、独特のねちっこい文体がそれを”スタイリッシュ”や”古典の香り”に結び付けるのを許さないという、そういう感じ。(笑)
読んでる雑誌に連載してあれば、苦笑いしながら毎週楽しんで読むと思いますが、あえて読みたいという魅力は1,2巻の範囲では感じられませんでした。
何よりジョジョが好きになれない。ディオ頑張れ。(笑)
無理に勧善懲悪的にすることで、何か”解放”されないものがくすぶってる感じ。これから面白くなるんでしょうか。


”お試し”の結果としては、『ハチワン』と『シグルイ』は、次回から早速続きを読んで行こうと。
『センゴク』は上記の特殊な面白さがあるのでいずれ追い追い、『キングダム』と『ジョジョ』は気が向いたらという感じ。


明訓の敗戦
2009年08月08日 (土) | 編集 |
Number734の甲子園特集号で取り上げられていて、懐かしかったのでちょっと当時の思いを。
内容的には、前にどっかで見たような気のするものでしたけど。
ドカベン世代じゃない人は、ハナから気にしないで下さい。(笑)

問題となっているのは、山田太郎たちが入学/入部して以来、夏・春連続全国優勝して「常勝」の名を恣(ほしいまま)にしていた神奈川県の明訓高校野球部が、その山田たちが2年の夏、前人未到の3季連続優勝をかけて3たび出場した夏の甲子園二回戦で、初出場の無名校、岩手県代表の弁慶高校

benkei

に敗れた大波乱の顛末について。
連載当時はスポーツ紙にも堂々と取り上げられた、ちょっとした”スポーツ界の”大事件として、大きな話題となりました。

この敗戦について作者の水島新司先生は、書いてしまって間も無く後悔の念にかられて、それは未だに続いていると述べておられるとその記事にありましたが、当時の僕(小学生)も、別に怒りはしませんでしたが(笑)、何とも納得の行かない、気持ちの悪い読後感を持ったことを、覚えています。


ポイント1 ”リアリズム”

水島先生の”後悔”の基本的なポイントとしては、明訓を負けさせてしまったことそのもの、つまり「明訓だって負ける」という当時こだわった”リアリズム”が、更によく考えてみるとどうもわざとらしいというか、浅薄な気がする、”常勝”明訓ロマンは明訓ロマンで別に良かったじゃないかと、そういうことのようです。

これについては僕は何とも言えないというか、勝ちっ放しは勝ちっ放しでもそれはそれで良かった、漫画的にもいいチャレンジだったと思いますが、「負け」は負けで、それも”常勝”明訓擁する『ドカベン』なればこその衝撃で、決してそれ自体として興趣の殺がれるものではないと思います。

ただ問題はその負かせ方で、「決勝でも準決勝でもなくて二回戦」「決め技は”豪打”でも”剛球・魔球”でもなく、(地味な)ベースランニング」という”リアリズム”の禁欲性が、どうもやり過ぎで読者として拒絶された感じがしたのと、作品自体の根本的な構成とも、合わないような気がするというそういうことです。

つまり『ドカベン』という作品はどういう特徴を持った作品かというと、名高い殿馬の「秘打」や岩鬼の「悪球打ち」に代表される、大げさでやや現実離れした要素をふんだんに盛り込みながら、しかし全体として非常にしっかりした野球漫画である、十分に”リアル”だと言える、そういう複合的な性格の漫画だと思います。
荒唐無稽でもあるけど、読めばちゃんと野球が上手くなる、野球漫画というか。『アストロ球団』とは違うというか。(笑)

言い換えればドカベンのリアル/非リアル(ドラマ)というのは、余り直接的な個別要素には還元されない性格を持っているということで、明訓敗北という”リアル”を追求するのに、「二回戦」という舞台設定や「ベースランニング」という決定要素のような、明からさまに寒々しい”現実”性を持ち出して、作品が根本的に持っている『華』を損なうのはいかがなものだろうということ。もっとそれらしい、あえて言えばベタにドラマチックな枠組みで、正々堂々と(?)負かせて欲しかった。
それがドカベンらしいというのと、ドカベンならそれが出来たろうというのと。あんな不意打ちのような負け方は嫌だ。現実は甘くない、て、知ってるよそんなの、わざわざドカベンで教えられなくても。(笑)

直前の一回戦の、(打倒明訓の大本命)高知代表土佐丸高校の弁慶への敗戦なんかは、明訓との対戦を目前にして足元をすくわれた、土佐丸の苛立ちが凄く”リアル”で良かったので、全体的な流れとしては分からなくはないんですけどね。
でもちょっとやり過ぎたかなと。何よりも明訓の敗戦が、あまり「必然」に見えない、弁慶が勝者として正当とも美しくも感じられないのが、問題だと思います。


ポイント2 弁慶ナインの”キャラ”

同じく水島先生の弁によると、「明訓敗戦」という筋書きが決定した根本の理由としては、武蔵坊数馬(上左)と義経光(上右)という自らの作り出したキャラクターに、こいつらなら明訓を負かせる/負かせるに相応しいと、水島先生が直観・納得したことが大きいとのことです。
これについては、僕は大いに不満ですね。

大会が始まるまではなるほど、2人とそれに率いられた弁慶高校には、ただならぬ雰囲気があって、結末を知らなくても明訓ピンチの予感は既に十分感じていましたが、いざ蓋を開けてみると武蔵坊の怪人・超人ぶりこそ期待通りだったものの、義経はちょっと球が速いだけの軽薄な二枚目に過ぎず、残りのメンバーに至ってはザコキャラもいいとこ。
前年に戦った犬飼小次郎”キャッチボール投法”時の、土佐丸ナインの不気味さや、いわき東ナインの地味ながら骨太な野球巧者ぶりや結束力が、懐かしく思えるばかり。

そんな弁慶に負けるのは納得が行きませんし、しかも決め技はよりによって義経の”八艘飛び”(それが「ベースランニング」ね)、呆然とする明訓ナインやその前の交錯プレーで”仁王立ち”したままの悲愴感たっぷりの武蔵坊を尻目に、ニヤけた二枚目がピョンとひと跳ね、手を叩いてホームインて、そりゃ”リアリズム”というより”ニヒリズム”だろうと。
なんちゅう後味の悪さ。

・・・・ていうかさあ、知らねえって子供は”義経の八艘飛び”なんて。”弁慶の仁王立ち”でもどうか。
その一事を見ても、やや読者を置いてけぼりにして、筆を走らせてしまった結果であると、言っていいのではないかと思います。この主従にどんな思い入れがあるのかは、知りませんが。

およそ水島先生らしからぬ、失敗だった気が。


別にね、リアルでもハードでも、ニヒルですら、あってもいいとは思うんですよ。
例えば『一球さん』”三球士”のヤーな感じとか(笑)、ヤはヤだけどあれはあれでヒリヒリして面白かったですし、正に”ちょっと球が速いだけの軽薄な二枚目”の大友投手なんかも、ほぼ同系のキャラながらこちらでは十分に味を出してると思います。
ただ弁慶高校は・・・・。描き損ないではないかと、あるいは描き込み不足。それをよりによって、「明訓敗戦」という一大イベントでやってしまったという、痛恨。
ま、実際ご本人悔いてらっしゃるようなので、もういいですけど。(笑)

以上、元野球少年の思い出話でした。(笑)



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マンガ夜話『蒼天航路』雑感
2008年09月18日 (木) | 編集 |
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李 学仁王欣太

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BS2公式蒼天航路Wiki


スタジオは盛り上がってましたが、(夜)話としてはそんなに面白くなかった気がします。
”絵”の話が中心になるとどうもね。

ただその”絵”の問題・歴史について、色々と具体名が挙がって比較されて、それほど漫画を数読んでない僕としては頭が整理出来てありがたかったというか、自分の直観と世評の照らし合わせが出来たというか、そういう意味ではとても有意義でした。
・・・・ていうか、鄭問、王欣太、井上雄彦、たなか亜希夫って、全部馴染みというか講談社/モーニング系というか、僕の生活圏にいる人でありがたい(笑)。それに池上遼一を加えれば「止め絵」の歴史が語れるのなら、僕だっていっぱしのエキスパートになれるじゃないか。世間狭いな。(笑)

いしかわじゅんの「井上雄彦は(最近)枯れ過ぎ」発言も、我が意を得たりという感じで嬉しかったですね。
僕の場合は「油断し過ぎ」と、もっと厳しい言い方になりますが。(笑)


『蒼天航路』自体がほんとに漫画として面白かったのは、僕にとっては初期の頃だけかもしれません。
まだ真剣にストーリーを追っていた時期というか。(笑)
単行本を持ってないので、それが具体的にいつのことかあるいはこの日語られていた「李学仁の原作がしっかりしていた時期」と重なるのかどうか、それは不明なんですが。

ある時期を過ぎると一つ一つの絵やキャラやシーンの印象が散発的に飛び交うだけで、一つ一つがいくら充実していても、流れが無いのでかえって食傷してしまうというか。
だからモーニングでの独特の寛容な飛び飛び連載は、この作品に関しては飽きずに読めるという意味でかえって良かった気がしますが、単行本で続けて読んだらどういう印象になるのか、それもいつか確認してみたい気はします。

とにかく最後の方は、何かイラスト集というか、設定資料集でも読んでるような気分にはなりました。


僕が止め絵、またはイラスト的写実細密的な”絵”へのこだわりをあまり歓迎しないのは、「今週のモーニング」シリーズを読んでいる人にはお馴染みのことだと思いますが、誰だったかが言った「大阪モンらしい」「劇画は大阪から出て来たもの」というのは、なるほどと思いました。『ナニワ金融道』なども思い出しつつ。(笑)
逆にむしろ少女漫画的な簡素な線、あるいはもっと広く純漫画的な記号的な淡白な絵が好きな僕は、「東京モン」ということでおk?(笑)。しょってらあ。浦和の生まれですけど。(笑)

それはともかく、例えば上に挙がった名前の中での比較で言うならば、鄭問、王欣太は好きですが井上雄彦、たなか亜希夫は(絵として)好きとは言えない。
その差は何かと考えれば、それきやはり動きの表現や力感の問題。ただそれは狭義の技術や解剖学的運動力学的正確性とかいうことではなくて、結局のところ前者は象徴表現であるというか、自分の観念や衝動を直接二次元に叩きつけているのであって、いかに細密であってもセコセコ写実性そのものにこだわっているわけではないわけですよね。そのダイナミズムが、僕をも満足させる。・・・・たまたま上手く”も”あるロック・ヴォーカリストみたいなものですかね、この前の話と関連付ければ。(笑)

鄭問の印象から自ずと出て来る連想としては、例えば山水画なり水墨画なり、東洋の絵の伝統自体が、基本象徴表現で観念そのものを描くものですからね。そこらへん、言ってみればダ・ヴィンチの子孫である客観主義の井上やたなかとは、同じ止め絵派一枚絵派でも、実は根本的に違うわけで。
勿論鄭問や王欣太の自己形成の中に、近代/西洋絵画の素養も当然、たっぷりと入っているわけで、そこらへんの具体的な構造については、そこまで絵について詳しくない僕には分かりませんが。比較の問題としてはこうだということ。

ちなみに池上遼一は基本的には客観主義だと思いますが、下手というかプリミティヴというか、いい意味でいい加減なところがあるので(笑)、井上やたなかのような堅苦しさは僕は感じません。


あくまで漫画的に言うならば、鄭問や王欣太の「止め」が、怒涛の、滾々と流れるイメージや感情の流れを、エイッと気合い一発一つの決めポーズに刻み付けた感じがするのに対して、井上やたなかの「止め」は、止まった絵のイメージがそれ自体としてあらかじめあって、それがただポツンと置かれてる感じ。極端に言えばどっかの雑誌に載ってた写真を模写しただけじゃないの?みたいな。
そんなことは勿論無いでしょうが、ただ発想として紋切り型というか、既成のイメージに引っ張られやすいのは確かでしょう。客観主義の限界というか。・・・・例えば『高校鉄拳伝タフ』

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とか、筋肉の動きの模写を基本としながら溢れんばかりの内なる力感を表現出来ている格闘漫画なども少なからずあるので、最終的には個人の資質の問題だとも思いますけどね。

最大の問題は、その止め絵が持つ静止感や類型性が、作品そのもののパワーも落としているというか、自然な流れを妨げているように感じられるところですが。井上(やかわぐちかいじ)の場合は、そこに悠々自適の作者の安心感が更に反映して、それを倍加しているというか共犯関係にあるというか。
・・・・ここらへんは一種の演出ないしはプロデュース的な問題でもあると思います。かわぐち『ジパング』のアニメ版

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稲田徹東地宏樹
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が予想外に面白かったように、井上『バガボンド』も腕のいいアニメ作家に自由にアニメ化させれば、原作より遥かに面白く、特にダイナミックになって楽しめるんじゃないかと、密かに思ってますが。
クドいんですよねとにかく。遅いというか。単位当たりの情報量が少なくてイライラする。


『蒼天航路』に話を戻すと、孔明のくだり、または曹操自身の「異界」性というのが、今イチよく分からなかったかなと。異界性を押し隠してあえて現世に徹し切ったのが曹操だ&そのことを最後の方で描いているという、確か山田五郎さんの説明自体には、僕も同意なんですが。
ただそれはあくまで「説明」であって、作品として、特に大枠としての世界観構成として効果的に表現されていた、浸透していたかというと・・・・。いっそいっさい出さない方が良かったかもなという気すらしますが。「天」より「人」だということ自体は、直接的に異界性を持ち出さなくても、十分に言えたと思うのでね。

ちなみに基本史実に忠実らしい酒見賢一『泣き虫弱虫諸葛孔明』

泣き虫弱虫諸葛孔明泣き虫弱虫諸葛孔明
(2004/11/25)
酒見 賢一
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を読むと、実在の孔明は、むしろ『蒼天』孔明にかなり近いんじゃないのかという気が強くします(笑)。少なくとも吉川『三国志』孔明よりは遙かに。面白いので興味ある人はどうぞ。


藤崎奈々子は「高級おバカタレント」として、もっと売れていいんじゃないかと。利口に無駄な未練を残さないことによる直観力と指摘力が、毎度素晴らしい。
許猪の”おっ母さん”ぶりはいいよね、確かに。『蒼天』の弱点は実は曹操が完璧過ぎる、孤独であることにあると思うので、もっと出番が欲しかった。孔明をあんな(ライバルたり得ない)扱いにしている時点で、その「宿命」自体は、引き受けるつもりだったのだろうと推測出来ますが。

あれ、”悪来”典韋が出てた覚えが全然無いな。基本『演義』版の方のスターなのかしらん。
文官中心版『蒼天』は、確かに読みたいですね。地方拠点の地味な武将にも、いいのが一杯いたなあ。