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欅坂46:推しメン診断
2017年06月21日 (水) | 編集 |
"総論"に対する、各論的な。
思ったより記事の需要は無い感じなんですけど(笑)、もう止まらない。(笑)

と言ってさすがに愛を語っているだけではキモ過ぎるので、1期メンバー全21人を、(僕にとっての)タイプ別機能別に、分類・紹介してみます。
並びは基本、五十音順です。(Wiki)

積極的天才

織田奈那
小林由依
渡邉理佐

消極的天才

平手友梨奈
渡辺梨加
(鈴本美愉)

有能・芸達者

尾関梨香
長濱ねる

人柄の味わい

佐藤詩織
志田愛佳
米谷奈々未
(鈴本美愉)

駄目だけどOK

上村莉菜
長沢菜々香
原田葵

普通の人A

今泉佑唯
齋藤冬優花



普通の人B

小池美波
菅井友香

出たがり

土生瑞穂
守屋茜

単に駄目な人

石森虹花

多過ぎるのでいちいち画像は貼りませんが、一応公式ページはこちら
以下解説。


「積極的天才」

一挙一動、爆笑を呼んだり背筋が寒くなったりする、何らか天才的なコたち。
織田奈那のしばしば通り越して悲哀を伴う、爆発的な健気さ、小林由依の魔性/"女"としての才能/不動の平常心、渡邉理佐の時にこの世の"底"の更に底を刺し貫いて見ているかに感じられる、謎の諦念、いわゆる"少女"的な神秘性。
まあ理佐は行動としてはおよそコンスタントに"積極的"とは言い難いですけど(笑)、美貌そのものは既にストレートに売れているので("non-no"モデル)、タレントとしての将来性含めての評価・分類。

「消極的天才」

平手と渡辺梨加については、前回も"最年少"と"最年長"のグループ内アイドルとして、取り上げましたね。
そういう"可愛がられ""いじられ"系の、受け身の天才。
平手友梨奈はご存知デビュー曲以来の不動のセンター、ほとんど永久政権確定ではないかというくらいの大エースなんですが、しかしいったんそういう(歌やドラマのような)「公」的局面を離れると常軌を逸してそういう緊張感が無いというか、ボーイッシュでさっぱりしたルックスもあって"欅坂"という場以外で見たら本当に本当にただの中学生(笑)というか、"お兄ちゃんの妹"というか。(笑)
「大器」なのか「迷い込んだ一般人」なのか、ほんと分からない不思議なコ。(笑)
渡辺梨加は"美しさ"という意味では多分上記こちらもワタナベの理佐と並んで随一で、最年長ながら極端な社会性の無さで早くから(ポンコツ)キャラもついている目立つコ。単品CMも既にやってますね。
このコの面白いところは、良く言えば内弁慶ですが裏では世間に見せない積極的な邪気もあって、たまにそれについてクレームは出るんですがそのことで決して"天然"キャラが壊れたりはしない、全部分かっててもみんなやられる、メンバーも許してしまうという、ブラックホール的な吸い込み力。正に"消極"の天才という感じ。
ただその"CM"を見ても、「欅坂」という揺り籠を離れてその魅力が発揮出来るかは、ちょっと未知数ですね。

「有能・芸達者」

"素朴""無芸"が基調となっている欅坂メンバーの中で、割りと分かり易く「才」や「芸」を出して行ける二人。
尾関梨香は容貌や動作の不細工さをいじられるのは、最初は多分、意外だったり不本意だったりしたと思うんですが、しばしば口にする物欲や金銭欲の獰猛な強さというモチベーションもあって、すぐ切り替えて「芸人」道を邁進している感じ。割り切り過ぎて、たまに嫌味というか、グループのトーンから浮く傾向は、無いでは無いですけどね。"一匹狼"的ニオイというか。(笑)
ねるねる長濱ねるは、ルックス的には図抜けて"アイドル"的に優秀な美貌の持ち主で、親の承諾が取れずに遅れて特例で入って来たというスタートへの引け目から大人しくしていた頃は、僕も割りと普通に「美少女」として愛好していたんですが(笑)、そこらへんが時効になって吹っ切れた最近は、専らこちらも多分抜けた地頭(じあたま)の良さを駆使した策士ぶりというか"MC"的な能力で活躍していて、当初心配した二期メンバーリーダーとの兼任も全然大丈夫というかむしろ適役というか。ほんとすっかり、悪いヤツ。(笑)

「人柄の味わい」

"欅坂"という揺り籠の中だからこそ、"味"が出て来るまで待ってもらうことが出来たある種幸運なコたち。
佐藤詩織と米谷奈々未は、ほんとそうですよね。一応美人だけど基本的には地味な美術系学生でしかない佐藤詩織に、ブスとまでは言わないけど何でアイドルになろうと思ったんだろうという疑問は否めない、若くしておばさん感も満載な"米(よね)さん"。
最初は気にも留めてなかったんですが、今では結構好きというか、その"タレント"感の薄さが逆に"女"としてのリアリティにも繋がって、「抱きたい」ランキングなら実は1,2を争っている二人です。(笑)
志田愛佳をここに並べるのは意外かも知れませんが、確かに最初は渡邉理佐とセットで"クールビューティ"扱いされていたコですし、かつその後は欅坂の"宴会部長"(?)として各種物真似に大活躍の"芸"達者ではあるんですが、その芸がおよそ「芸能界」というよりは「水商売」的で(尾関やねるの"芸"とは異質のもので)、すっかり通称"チーママ"として、こちらも「女」の味わいが定着してしまった人。
"抱きた"くはないですけどね(笑)。「玄人」過ぎて(笑)。でもたまに自信の無い芸に本気で照れる時は、凄く可愛いです(笑)。盟友理佐の"天才"ぶりに、ついて行けんわあという顔をする時も。わし言うても一般人じゃき。

「駄目だけどOK」

駄目なんですけどね。OKなんです(笑)。ちゃんと"商品"になってるというか。
煮え切らない美少女ですが、その煮え切らなさが結構笑える上村莉菜。
ちょいちょい見ていて居たたまれない気持ちになる"変人"だけど、たまに大ヒットも飛ばす長沢菜々香。
"いじめられっ子"ぎりぎりなんだけど、踏み止まってちゃんと「キャラ」になった原田葵。
いずれも欅坂を離れてどうにかなる気は全くしないコたちですけど、今はとりあえず楽しい。

「普通の人A」

積極的関心は無いんだけど、まあまあいつも楽しいコたち。
今泉佑唯は割りと単品人気のあるコみたいですけど、僕はどうもピンと来ません。ただ本人に"可愛い"意識があんまり無いようなのが、逆に好感度かなという。適度にアホだし。(笑)
齋藤冬優花は「みんなに頼られるお姉さんキャラ」「アイドルとしてはブスなので人一倍頑張る」という属性は織田奈那とほとんど同じなんですけど、それを突き抜ける瞬発力で表現する織田奈那に比べて、醒めて"素"に戻るタイミングが少し早過ぎるので、こっちも素になってなかなか笑えるところまで行かないのが問題。
嫌いじゃないけどね。頭もいいようだし。ダンスが上手いというのは、意外でした(笑)。だから受かったのかな?


後は・・・鈴本美愉か。
難しいんですよね、このコは。
笑いの神はバンバン下ろすんですけど、芸とも言えないけどでも偶然にしては率が良過ぎるし、得意の「変顔」もそれ自体に確実性はあるんだけど狙ってやってるものじゃないし。置き所が難しい。
でもかなり好きだしどこかには置いておきたい。ちなみに結構、"女"だと思います。(笑)

ここまでが言わば、ポジティブコメントゾーンです。(笑)
ここから下は微妙な感じになるので、ファンの方はスルー推奨。
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テーマ:欅坂46
ジャンル:アイドル・芸能
欅坂46、および『欅って、書けない?』(テレ東)について
2017年06月19日 (月) | 編集 |
そろそろ書いておきますか。(笑)


keyakake
keyakake1


日曜の深夜に"欅"(けやき)のタイトル画像

keyakake_title

が出て来ると、半分寝ててもとりあえず「バゴーン」と唱和してしまう立派な中毒者です。(笑)
(番組公式)(Wiki)

初めて見たのは・・・確か3rdシングル「二人セゾン」発売の少し前だったから、2016年の10月くらいかな?
まだ1年も経ってないのか。番組自体の歴史は、それにちょうどプラスして1年くらいですね。
勿論過去の放送も、遡って全部見ました。ちなみに『KEYABINGO!』の方も一応。(笑)


ケヤキザカの衝撃

この番組、及びそこで伸び伸びと息をして、それぞれの魅力を輝かせる欅坂46のメンバーたちを見ていて僕が思うのは、思ってしまったのは・・・
大人は子供に、どんな環境を与えてやったらいいんだろうという、妙に教育的な命題だったりします。(笑)

あるいは、こちらは場合によっては「差別的」のそしりを免れないかも知れませんが、"男"は"女"に。

それくらい、この番組での欅坂46の"アイドル"メンバーたちは、類似グループが沢山ある中で、またそれにとどまらずあらゆる女性"アイドル""タレント"たちの日々の活躍を見慣れた僕の目にも、ちょっと類例の無いレベルの"深さ"で"解放"されて"伸び伸びと"しているように見えて、それに伴って女の子の、僕が見たことが無いような「顔」を頻繁に見せつけて、驚かしてくれたのでした。



見ての通り、最初はただただびっくりしていたんですよね。
そして見ているものの理由を、素朴に彼女たちの「才能」と解釈してしまったんですが・・・

しばらくして少し冷静になって(笑)、どうもそういうことでもないらしいなと。確かに何割かの理由はそうであるだろうし、あるいは何人かは「天才」も含まれてはいるだろうけど、しかし全員に近くそうであるなんてことは、確率的にあり得ない。(笑)
いや、あり得てもいいですし、僕の中では彼女たちは今でもただただ天才なんですけど(笑)、より普遍的にはやはり彼女たちをそうさせる構造・環境があって、そこに("選りすぐり"ではあっても)たまたま集められたある意味幸運なコたちが、彼女たちなのだろうと。
言い換えると、「欅坂46」及び「けやかけ(欅って書けない)」という環境さえ与えられれば、同レベルで輝いて、形は別でも同じように僕を魅了することの出来る同年代の女の子たちは、多分無数にいる。

・・・実際問題、この天国とも地獄ともつかない、昨今の"アイドル戦国時代"にあって、楽しそうな欅坂46を見ながら「どうしてあそこにいるのがワタシではなくてあのコなんだろう。あれくらいワタシでもやれるし、なんならもっとやって見せる」と歯噛みしている"アイドル"たちは、欅坂の場合、特に沢山いるだろうと思います。
僕の"天才"認定とは裏腹に。(笑)


ノギザカとの比較

勿論、満更偶然でもない部分も、間違いなくあるだろうとは思います。
今正に「時代の顔」として華やかに咲き誇っている最中の"乃木坂46"の妹分、"坂道"プロジェクトの第二弾として、さすがにそこらのご当地アイドルなどとは比べられない厳しさで選りすぐられたメンバーではあるわけでしょうし、また一方で"華"やかな乃木坂とのコントラストとして、比較的"素朴"なタイプが集められ、そのようにあるようプロデュースもされているんだろうと思います。

それとビジュアルイメージや楽曲/パフォーマンスのスタイリッシュ&クールな"ユニフォーム"感との関係は少し不思議ですが、何となくですが"ロック"好きな人が深めに関わっているのかなとか思っていますが。
つまりロックの"攻撃的""強面"な部分と、"作る"よりも"自分自身"であること、自分自身、その人自身が「表現」であるような精神、そういう意味での"素朴"志向とが、同時に出ているという解釈ですが。
まあ半分こじつけで、ほんとのところは分かりませんが。単に担当者が別なのかも知れない。(笑)

乃木坂との比較に戻ると、上で言ったようにそう意図もされているんでしょうけど、それ以上に何か「別物」になっているというか、特に欅坂の方を基準に見てしまうと、"グループ"としてはもう、ほとんど比較の対象にはならない感じ。欅坂みたいなのを「グループ」というなら、乃木坂は「グループ」ではない。
これはどちらかというと、欅坂の"グループ"感の方が異常なのであって、乃木坂は単に大人数なりの在り方をしているだけだと思いますが。ある意味他の"AKB系"多人数グループと同様に。

・・・ええと両方のファンの顔を立てる為に(笑)、早めに一つの割り切り方を提示しておくと、

 乃木坂46=レアルマドリー ・・・"スター"の集合体
 欅坂46=バルセロナ ・・・"カンテラ"とティキタカ

と、とりあえずこういう対比で、どうでしょう。(笑)
まあレアルもバルサも時期によって様々ではあるんですがそれは置いておくとして、とにかくこういう"グループ"としての質感の違いがあると。バルサの特殊性と、その比較においての、レアルの普通性という。
まあ乃木坂のキャラクター性も徐々に構成されて行ったものではあるでしょうし、これでも気に入らない人は気に入らないでしょうけど(笑)、とりあえず"欅坂ファン"から見ると、こう見えるということです。乃木坂にも好きなコは何人もいますが、"グループ"として意識することはほとんど無いですね僕は。少なくとも欅坂のようには。

実際の成り立ちとしては、欅坂だって"寄せ集め""集合体"以外の何物でもないんですけどね。"カンテラ"というなら、本家AKBグループの方がよっぽど大規模にそのシステムを実践しているわけですが、逆に規模が大き過ぎるせいか乃木坂と比べても、統一したイメージは余り伝わって来ない。

まあ何よりも、やはり欅坂が特殊なんだと思いますけどね。特殊な親密感。多人数グループにあるまじき。
"内向"感とも、言えるかも知れませんが。
とにかく仲がいいですね。仮に"悪い"としても、その"悪さ"にくだけたところがある。構えたところが無い。
基本の部分で、"結び付いて"いる。
例えば毎度笑うのは、「最年少の不動のセンター」平手友梨奈と、「最年長の末っ子」渡辺梨加に対して飛ばされる、その都度純度の高い、瞬発力絶大な『かわいい~』の声。

keyaki_hiratekeyaki_rika

無垢かよという。無防備かよという。(笑)
二枚目は渡辺梨加本人が写っていなくて失礼ですが(笑)、とにかく二人とも、可愛がられている、甘やかされている。最年少センターに対する悔しい気持ちや、最年長ポンコツに対するしょうがねえなあという感情が無いわけではないんでしょうけどね。それでもそれぞれの"可愛さ"に対する、素直な賛美の念が勝つような、良い雰囲気というか。
まあ乃木坂の西野七瀬さんなんかの周りにも似たような空気はありますから、本人たちの資質の問題も、大きいは大きいんでしようけど。

一方で最近は、数人のメンバー間(織田奈那、小林由依、鈴本美愉、志田愛佳、渡邉理佐ら)における、複雑な"百合"的関係なども盛んにフィーチャーされているわけですが・・・。
あれはどうなんでしょうね。どの(多人数)グループにも実はありがちなことが、たまたま欅坂の場合は、これもまた無防備にオープンになっている、そういうことのような気もするんですが。


けやきフレンズ

別に殊更時事ネタに乗っかろう

けものフレンズ

ということではないんですけどね(笑)。微妙に旬過ぎたし。(笑)
ただ実際『けものフレンズ』における増殖する"フレンズ"たちを見ていて、「欅坂みたいだな」と思っていたのは事実です(笑)。逆に言うと、ああいう"それぞれかそれぞれに"居場所を与えられている伸び伸び感幸福感が、欅坂46にも存在しているという、そういう話ではあります。

まあ"けもの"は言い過ぎとしても(笑)、それに近いかなり「こども」的な"伸び伸び"感ではあるんですよね、欅坂及びけやかけという番組に充満しているのは。こどもフレンズ?
と言って実際に世の子供たちが、そんなに伸び伸び"フレンズ"しているのかと言えばそれは疑わしくて、だからこそああいう作品が反響を呼んだわけでしょうし。
そこらへんが欅坂/けやかけという環境の面白さ特殊さでもあって、つまりあそこで展開されているのは、ミドルティーンから20代前半までのもう純粋に"子供"とは言えない、その年齢なりの世知や経験や屈託も抱えたでもまだ"大人"とも言えない年代の女の子たちが、ある種時間差で、そうしたモヤモヤごと"子供"性を、恐らくは子供時代には出来なかったような「完全な」形で解放している姿。それがそうは言っても立派に「性」を売っている存在である彼女たちの"アイドル"性"女"性と混ざり合って、何とも形容し難い状態が出現して、既知の「女」や「少女」や「アイドル」という型では引き出せなかった"顔"を次々に引き出して僕を驚かせたと、簡単に言うとそういうことかなと。

知恵をも伴った最強の自由というか童心というか、人工環境における反則的解放というか。

こうしたことを可能にしているのは、基本的には勿論、彼女たちを選んで見抜いて、環境を与えて、そのように機能させているグループないし番組のプロデュース側の力なんでしょうけどね。
ただそれに加えて欠かせない、功績大なのは、MC陣特につっちーこと土田晃之の能力・資質、気の若い子沢山パパ(笑)の「お父さん」力「お兄さん」力かなと。
あれほど番組に相応しいMCはいないというか、メンバーとの完璧な組み合わせは無いというか。

例えば『乃木坂工事中』のバナナマンなども十分にいい仕事をしていると思いますが、あくまであれは"プロ"の仕事であって、プロとしてのバナナマン自身のアピールや我なども当然残っていて、そこらへんがけやかけにおける欅坂メンバー&土田晃之の完璧な"疑似家族"感とは、やはり違う。端的に言って、バナナマンの前では欅坂メンバーは、あそこまで「子供」にはなれないでしょう。
増して『KEYABINGO!』のサンドウィッチマンでは・・・。あれはあれで、逆に欅坂メンバーの"プロフェッショナリズム"が見えて面白かったりはするんですが。(笑)

とにかく意図と偶然と天の配剤が絶妙に組み合わさった、唯一無二の特別な空間なんでね。
なるべく長く、続いて欲しいですね。壊れないで、変わらないで。
まあ前身番組『乃木坂って、どこ?』と現『乃木坂工事中』の間に配慮された連続性などを見ても、恐らく坂道スタッフはそこらへんのデリカシーは外さない人たちなのではと期待・信頼していますが。


だいたい言いたいことは言いましたかね。
各メンバーへのコメントとかは、やり出したら膨大になるでしょうから、また機会を改めて。(笑)
とにかくね、驚くんですよ、見てると。女の子って、本当に自由にさせたら、こんな顔をするの?こんな発想をするの?こんなに可愛いの?
いやあ僕もね、この「可愛い女の子」文化大国日本に生まれ育って、人並みに、時に人並み以上に(笑)、"女の子の可愛さ"の発見・追求には研鑽怠りなかったつもりなんですが。
でも知らなかった。こんなレベルがあるなんて。まだまだ甘かった。

真面目に女の子にしろ子供にしろ犬猫にしろ(笑)、僕は基本的に可愛い生き物が自分の影響下でリラックスしているのを見るのが好きなので、これでも随分心がけて生きて来たつもりなんですが、でもあんな顔(たち)は見たことが無かった。僕の前では見せてくれなかった。割りとマジにショックです、それは。(笑)

冒頭の話に今更戻ると、だから子供たちにもまた、これくらい"伸び伸び"出来る環境を与えることが出来たら、どんなにいいだろうとは思うわけですが、しかしその一方で僕が目にしたのは業界でも一流のクリエイターやキャストによって作られた人工的な理想郷なわけで。そんなレベルのものに慣れてしまうのは、その後の子供の為になるのかかえって酷なのではないかと、そういう常識的な揺り戻しも頭の中に起きては来るわけですが。
しかしいいものはいい!捨てるのは惜しい!というかこうして"最高"のものを目撃してしまって、今更"程々"のものに真面目な関心を持てるものか。

例えばある種の野生的環境に育った子や帰国子女などが、その後日本の堅苦しい文化に放り込まれた場合、一時は確かに苦労するわけですが最終的には"伸び伸び"育った"幹"の太さが物を言う・・・ケースも、有名人などではよく見かけますね。ただそれは、たまたまの成功例である可能性もある。
・・・とまあ、子供も彼女もいなければ、猫すら飼ってない僕が悩んでも、しょうがないんですけどね。(笑)
でも考えちゃいますね。"伸ばす"ことはどれくらい必要なのか、どれくらい可能なのか。

差し当たっては、欅坂メンバーのこの後(ご)の成功と幸福を、祈るのみです。
何人かは少なくとも、今限りの"思い出"に変わるだろうとしても。


以上です。
"欅"は書けません。(笑)

『推しメン診断』につづく。


テーマ:欅坂46
ジャンル:アイドル・芸能
神田愛花というあり方
2017年01月17日 (火) | 編集 |
神田愛花zap.jpg


今年もバリバリ変なこと書きますから、ついて来て下さいね?(笑)


神田愛花さん。
元NHK、現在フリーのアナウンサー。(Wiki)
色々出ている(た)ようですが、僕が知ってるのはBSスカパーで毎週月~木17:55からやっている、『ニュースザップ』ほぼ一本です。
後は「バナナマン日村の彼女」として、ちらっと見たことがあったかなというくらい。
・・・まあその一事だけでも、それなりのインパクトではありますが(笑)。さぞかし個性的な人なんだろうな、物事にこだわりがないorまたは逆に独特のこだわりのある人なんだろうなと、想像はつきますが。(笑)
実際そういう人ではあります。


神田愛花old1.jpg神田愛花old2.jpg

メイクの違いとかもあるんでしょうが、少し前の写真でも随分脂っこく見えますね。
イメージ違うなあ。
ていうかこういう顔のコ、学生の時いた。あのコも年取ると、今の神田愛花みたいな感じになるのかな。


神田愛花zap2.jpg

「ニュースザップ」はバリバリ"ホーム"でリラックスしてるというのもあるんでしょうね、随分すっきりした、優しい感じの顔になってますね。何なら若返ったというか、赤ん坊みたいというか。(笑)

実際の番組での発言は、おとぼけ"直言"キャラとMCとしてのプロフェッショナリズムが、折衷・・・というより上手く相乗効果されてる感じ。
その場の誰もが分かっている"直言"キャラを、力ずくで抑え込んで瞬間回しと接待に徹する感じが、逆に「MC」としての品格を生んでいる。"妥協"の次元が高いというか、内圧を殺さない"お仕事"というか。

現在36才。
言われればそういう歳には見えますが、歳と共に突っ張ってる部分が抜け落ちて、"生地"が前面に出て来てむしろ「生命力」を感じさせるようになってると思います。自然の息吹というか。(笑)
統御された野性。


イギリスのEU離脱特番がきっかけでしたから、ええと去年の6月か。まだそんなもんか。
とにかくそれ以来、ほとんど毎日欠かさず放送を生ないし録画で見て、すっかりこの人の顔を見るのが生活の一部になってしまいました。(ちなみに"特番"自体は別の人がMCだったんですけど)

毎回冒頭に神田さんが、自分の生活上の出来事に基づいた掴みの小話(?)をかますんですが、うっかりそれを見逃すと悔しくてね(笑)。その後ずっとモヤモヤしてます。(笑)
また結構面白いんですよそれが。そこらの若手芸人の前説よりかは、遥かにアベレージは高いはず(笑)。連日ネタを用意して来ること自体も大したものだと思いますし、そして"面白い"と思わせる、仮に外し気味の(笑)ネタでも"面白い"という雰囲気がその場を支配するまでやり切るクソ度胸というのも、なかなかに人並み外れていると思います。(笑)

それはいいとして、で、要するにどういう人か、どこらへんに僕が感銘を受けているのかですが・・・。
難しいな。色んなパターンに、当てはまりそうで当てはまらない。
逆に雑に理解して流すのは簡単そうで、本人もそれでいいというかそれほど強い承認欲求は持っていないように見えるんですが、でもいちいち少しずつ"パターン"からずれて行く感じが、興味を持って見ている僕のような人にはとても面白い。飽きずに見ていられる。


僕が最初におや?と思った、何だこの人はと思ったのは、"金銭感覚"でしたかね。
お金の話は大好きです(笑)。"国際ニュースのダイジェスト&解説番組"という性格上、株価やら為替やらの経済関連の話題もちょいちょい出て来るんですが、キャスターとしての職務と一石二鳥という感じで(笑)、目を爛々と輝かせて食い付きます。実際本人もちょこちょこ投資はやっているようなんですが、ただし"スペシャリスト"という立場で口を出すのではなくて、あくまで一般人として、「何か美味しい話は無いですか?」とスタジオの専門家におねだりするのが基本的なスタンス。(笑)

この限りだといかにもいいとこの出で現在も高額所得者の、そもそもお金と仲良しな違う世界の住人という感じなんですが、ところがその一方で、かなりのケチ・・・というかケチなことを隠す気の全く無いケチです。(笑)
番組の流れでこれこれの国はこういう風に興味深い、知られざる部分がある、神田さんも一度訪れてみて下さいみたいな話題になった時に、「番組として行きましょう」とこれ自体はよくあるかわし方なんですけど、誰が来ていつそういう話題になっても何回言われてもそうなんですよね(笑)。「あくまで番組で」「~さんがお金を出して下さるなら」と、"自費では行かない"という態度が徹底している(笑)。社交辞令で流すことすらしない。(笑)
番組のレギュラーコメンテーターで美術の好きな人がいて、毎回たいてい国内の美術館や展覧会の紹介をする人がいるんですが、「神田さんは勧めても絶対に行ってくれない」とマジクレームがついてました(笑)。「ネットでいいです」あるいは「画集で」と、涼しい顔で断ります。(笑)

基本的には正直なんでしょうし、"無駄なことはしない""興味の無いことには関わらない"ということではあるんでしょうが、そこに最後に、「怠け者」というのが加わります。(笑)
フリーになってデイリーなMCをこなして、さぞかしやる気満々なんだろう、上昇志向が強いんだろう、それで"お金大好き"でバリバリ稼ごうと思ってるんだろうと思いきや、「お金があったら仕事なんて絶対しない」と真剣な顔で言います。
働きたくない、でもお金は欲しい、楽して稼ぎたい、だから投資、美味しい話は無いですか?と、分かり易いと言えば異常に分かり易いというか、ほぼほぼろくでなしというか本能に忠実にも程があるというか。(笑)
誰もが心の底で思ってはいるだろう身も蓋も無い本音ですが、それをスパンと人前で、しかもひな壇の芸人とか集団アイドルの一人とかではなくて、番組を支えるMCの発言として周囲を白けさせず成立させられる"人格的勢い"というのは、なかなか珍しいものだと思います。それでちゃんと、"有能""成功者"というオーラを出せるのもね。ケチだけど貧乏臭くないというか。
実際"貧乏臭い"話題は結構多いんですけど、華は失いません。(笑)

"可愛い女の子"に生まれなかったら、どうしたんだろうなとは思いますけど(笑)。ヒモとか怪しい金融業者とか、結構屈託なくやってそうな底の抜けたところは感じますが(笑)。その屈託の無さが怖いというか。
"可愛い女の子"という前提があれば、「本音で話せるいい女友達」や、「おねだり上手な憎めない奴」ということで収まりはつくでしょうけどね。

という、何はともあれ"偽善"とは最も遠いところにいる人というのが、基本性格。そういう人が、"アナウンサー""キャスター"という、ある意味「偽善の権化」みたいな仕事をてきぱきと日々こなしている面白さ、これは想像が出来ると思います。


その(報道番組の)"キャスター"としての能力ですが・・・これもまた、多少難解。
まず"博識"ではないです。お世辞にも。(笑)
上記のように自分の興味のある(笑)"お金"の話には結構ついて行きますし、最近ニュースとして扱った事柄については、"プロ"としてしっかり押さえてはいます。ただそれ以外の、あるいはそれ以前の、要は自分が経験的に知る機会の無かったことについてはびっくりするほど無知です。推測される地頭の程度から考えても、少し知らな過ぎるかなと思うところもあります。"歴史"とか全然駄目ですね。そこらへんはなんか、"女子"的というか、そこらの"OL"風です(笑)。理系(理学部)というのもあるのかも知れませんが。

これだけだと結局、よくいるお飾りのカワイ子ちゃんキャスター(滝川クリステルあたりも含めて言ってますが)の範疇という感じですが、なかなかどうして、それだけの人では。
知識は無い。知識は無いんですけど、しかしその限られた最低限の知識を論理として組み立てる正確性的確性、"武器"として使いこなす戦闘力というか体術、反応の良さには、天性のものがあります。・・・ここらへんは逆に、"理系"の良さなども出ているのかも知れませんが。
とにかく無知な女の子と侮って、別に侮らなくても無防備に自説を垂れ流すだけの"専門家"は、この人の的確な返し、勘どころを衝いた疑問に、一瞬ぎょっとなる、あるいは自説の構えの甘いところをなし崩しにさらされます。
といって別に、"攻撃"の意思は無いんですよね。納得の行かない時には納得が行かないという表情を崩さずにプレッシャーはかけますが、それは彼女がやってるというよりは納得が行かないようなことしか言えない"専門家"が悪いので。あくまで"リアクション"と(視聴者の代表としての)"整理とおさらい"が彼女のやっていることで、そういう意味ではMCとしての職分からは一歩も出ません。

まあ「王様は裸だ」みたいなものかも知れませんが、(ニュースザップにおける)彼女の場合はそこになかなかに強靭な"プロフェッショナリズム"という要素が加わることで、独特の表れ方になります。"勝つ"気はハナから無いので、コーナーの時間切れと共にさっさとまとめて次へ行ってしまうんですが、その際の"まとめ"方、仮に納得が行ってない決着が全くついていない議論についてもそれなりにさっと落としどころを見つけて言語化する反射神経は見事で、「今のを俺に出来るかなあ」と考えて出来ないなあという結論になってうーんみたいこともしばしば。(笑)

まあ何というか、自分で言うのも何ですが僕も含めた(笑)「知的な男性」が、興味を持ち易い、ある種の劣等感を抱きやすいタイプの女性像、「野生の思考」ではあるとは思いますけどね。パターンというか、ツボというか。
本能で生きている人ならではの、要領の良さ、果断、優先順位の瞬時の判断。
それが華のある美人だっつうんだからまあ、引っかかり易い罠ではあるとは思うんですけど。(笑)


・・・ということなんですがどうも言い尽くせていない感。なんだろう。
とりあえずはだから、リアクションの良さ、勘の良さ、嘘の無い性格による外れの無さというのが、彼女の"商品価値"ではあるとは思います。「万能テスター」「生きたリトマス試験紙」などと、僕は勝手に呼んでますが。彼女を「通す」ことによって、理論や思想のある種の"品質チェック"が行える。
それだけでも立派なもので、"報道キャスター"として稀有な性能(多少番組は選ぶでしょうが(笑))を持っていると言えると思いますが、ただそれだけではない。そういう"マスコミ"的な機能だけでは。

やはり地頭もそれなりのレベル、"自由奔放"ではあっても"おバカ"属性には収まらないというのと、"リアクション"の良さが際立ってはいても決してそれでもって定義出来る「性格」ではないのではないかという。
つまり、"思想""思索"とも、恐らく無縁なタイプではない。

それを思うのは、番組で繰り広げられる専門家コメンテーターたちの議論に、彼女が分を弁えつつも頑固に抵抗や違和をその時々呈する、それを見る時にそれら「議論」のもう一つ深層の領域が、僕に見えて来ることがあるからですね。
「万能テスター」に、秘められた別のスイッチがあったというか使い方があったというか。
まあ本当に"独創的"な思想領域ということはさすがにないんだけれど、ただ「右」と「左」に代表される、公的な"議論"の土俵がどうしても掬えない領域、そこに彼女はしっかり(本能で)気付いてかつ自分の知識的知的不足にも関わらず、専門家たちが何を言おうと臆せず錨を下ろして容易には揺らがない、その知的態度が実に立派だな根本的だなと思うのと、僕自身、"おしゃべり"に流れそうになるところをがっと引き留めてくれて、ありがたいというか怖いというか。(笑)
逆にそれくらい深いレベルにまで行かないと、彼女自身は"悩まない"んですけどね。報道しつつも他人事というか。でもたまにある"悩む"瞬間は、なんか僕もきゅーっとなります。

上で言ったように「本能的知性」を(男に対して)示す女性というのは、"タイプ"と言ってもいいくらいにまあまあいる存在です。
ただそこに彼女のような配合で程々の知性を、「理論」まではいかない、あるいは自ら「頭のいい人」というポジションには立たない、でも強靭で端倪すべからざる知性をギリギリのバランスで示している人というのはちょっと初めて会った感じで、不思議な人だなあ、珍しい生き物だなあと(笑)、日々興味深く見、しばしば感動・尊敬の念を抱いたりしています。
恐らくは"本能"の強さの方が半端無いんだと思うんですよ。それでかなりの知性をまぶしても、変な"知的"な押し出しにならないで済んでいるという。まあブラジル人ストライカーみたいな感じ?(笑)

後はまあ、育ちの良さかな、やっぱり。"持てる者"の強さというか。
強いですよね、彼女は。根本的に。そういう意味では、卑怯。(笑)


最後の方はちょっと、微妙過ぎて見てない人には何のことやらという感じになってしまったでしょうが。
見てる人にもかも(笑)。あるいは本人にも。(笑)
まあ僕にはそう見える、そういう"触媒"として働くということです。

やはり「ニュースザップ」という番組に出会って、開花したという面は大きいんだろうとは思いますけどね。彼女自身も言っているように、いつまでも続いて欲しい番組です、featuring 神田愛花で。(笑)
恐らくは製作サイドは、「そこそこニュースも読めるカワイ子ちゃん」としてキャスティングしたんだろうと思いますけどね元々は。それが思わぬ波及効果で、隠れた人気番組名物番組に。神田さん自身のファンである、"専門家"も少なくないことだろうと想像します。(笑)
本来相当に相容れないタイプの人たちが、彼女の人徳のおかげで割りと平気で同居しますからね。

彼女自身は、"自分の意見を言えない"不満やいら立ちも、全然溜めていないことはないようにも見えるんですが。去年年末(12/14)の("差別"をめぐる)モーリーアーサーのダブルアタックには、かなりストレス溜めたまま何とか意地で収録を終えたように見えましたし。
あれは失礼だったよ、モーリー、アーサー。彼女が"反論"出来ない立場なのをいいことに。"在留外国人"の"日本人"に対する隠れた驕りも、垣間見えた気がしたし。


まあ曜日による当たり外れは多少ありますが、見て損は無い番組なので暇な人は見てみて下さい。
あと日村氏とはお幸せに(笑)。どちらかというと、別れて欲しくない。


なぜか菊地亜美が好きなのである
2014年08月15日 (金) | 編集 |
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"なぜか"というのも失礼な話かも知れないですが。(笑)
アマゾンの画像が小さめなのは、アップに耐えられるほどのアレじゃないからという、そういう配慮からだなんてそんな滅相も無い。
いや、好きなんですけどね。
ただ余り大きな声では言い難いというか、少なくとも黒澤優に始まる数々の"アイドル好き"の履歴の、その"系譜"の一部として考えられてしまうと、ちょっと辛いという。
ああ、奥歯にモノが。(笑)


まあほんと、好きは好きだったんですよ、最初から。
・・・"最初"というのは、"アイドリング!!!"という意味ではなくて、ロンハー等、各種バラエティで主に「おバカ」「にぎやかし」系のバラドルとして、イジられクサされ、"その他大勢"の一部としてリアクションコメントを中心での活躍が、僕の目に映るようになって来て以来ということですけど。

そういう場所では完全に"ウザい""バカ"という設定・ポジションで、かなり酷いあしらいを受けていたわけですが、僕はいやあ、そんなこともないだろう、確かにかなりけたたましくてグイグイ前には来るけど、ウザいというよりは勇ましい、潔い、なんなら清々しいくらいの印象をウケるコじゃんこのコはと、そんな風に。
バラエティのお約束は分かるけど、それで掬い切れてないよね、ちょっとこのコはと。有吉仕事雑だぞ!とか。(笑)
特にこのコの"前"への出方は、バカだから身の程知らずだから、空気を読めないから出るのではなくて、もっと弁えた割り切った位置から、討ち死にも折り込み済みで出て来る、やっぱり何というか、"潔い"というそういう出方に感じました。
"身の程知らず"系のバカは、僕も結構容赦なく嫌う方ですから。それとは違うというのは強く感じました。
ただ今のところ、それしかポジションが無い、処理のしようがないんだろうなあと、そういう当時の感想。


そこらへんのモヤモヤを解消してくれたのが、『キリウリ$アイドル』(水曜22:30)『チャリーズエンジェル』(第3土曜21:00)という、今年MXで始まった二つのMC番組。
一言で言って・・・上手い!驚いた。
"回しも出来る"とかいうレベルではなくて、非常に自然体。天性。もう10年もMC稼業やってるような感じ。
バカではないだろうとは思っていた、僕の予想・期待すら、軽く飛び越えるレベルというか、むしろやっぱり俺バカだと思ってたのかなと反省するレベル。(笑)
とにかくストレスが無いんですよね。スムーズに場を進行させつつ、しかし一つ一つの反応は非常に自然というか、"進行"に囚われないというか。(その為の)"技"に。

別な言い方をすると、MC番組で改まって気取ってるのではなく、"おバカ""リアクション"タレントとしての「菊地亜美」も、矛盾なくそこに存在しているという感じ。そのまんま席を移動しているというか。そういう意味では"堂々"とはしているけれど"低姿勢"のままでもあり、好感度は高い。
番組によって違いは多少ありますけどね。
サブMCとして長谷川豊アナがついている『キリウリ』の方だと、その安心感からかたまにいち出演者いち"アイドル"としての感想や反省の弁とかがポロッと出て来て、それこそ我々のよく知っている「菊地亜美」に近い感じも見え隠れする。(それがまた自然でいい)
一方完全に一人MCで、素人さんである女子競輪選手の相手をする『チャリーズエンジェル』では、"プロフェッショナル"というのとも少し違うんですが、ホスト(ホステス)としてきっちり場を取り仕切って、体張り系の企画なども交えつつも「バカ」の臭いはもうほとんどしない。ある種"アネゴ"肌みたいな面も覗かせますし"ファッションリーダー"的な役回りも当たり前にこなしますし、出るところへ出れば(地元?)それなりの"地位"を持っているコで、実は本来は自尊心の高いコなんだろうなあと、そういう部分も感じさせます。

で。でですよ。
そういうむしろ"天性のMC"とでも言いたい資質を持った、しかも結構女としてのプライドを本来は持っているコが、逆によくあんな("おバカ"系リアクション系の)仕事が出来るな今までやって来たなと、そういう感想も持つわけですが。
・・・まあ一般論としても、こういうジレンマを抱えながらやっているタレントは少なくないんでしょうが。
典型的には、"ひな壇が苦手な芸人"みたいな。そこでは間抜けに見えても、回す側に回ると俄然キレがよくなったりとか。
ただ菊地さんがそういう一般的な"不本意"系(?)の人と少し違うのは、「不本意」だろうと「不得意」だろうと、得意なことと何ら変わらない勢いでグイグイ参加するので、普通に見てる分には"本来の姿じゃない"感みたいなものは感じられないということですね。だからこそ額面通り受け取られて、額面通りバカだと思われ(笑)たり、あるいは便利使いされる。そして更に、"本来"じゃないものについての印象が固定する。
フテくされながら仕事するよりはよっぽどいいわけで、だからこそ使われてそういう意味では良い循環なんですが、誤り(?)が固定するという意味では、循環。なんかやっばりちょっと、モヤモヤしますが。(笑)
Wikiでは

「(菊地は)その番組で求められた振る舞いをしている。」

というバカリズムの寸評が載ってますが、まあそういうことなんでしょうね。
決して"自分"が無いわけではないのに、振られた役割に過激に従順というか。

そういう目で改めて見ると、別にこの人は集団芸が"上手い"わけではないんですよね。
はっきり言ってしまえば、必ずしも面白いわけではない。
面白くなくてもグイグイ参加するから、余計バカだとかウザいとか、また思われるわけでしょうが。(笑)
いや、ある意味では上手いんですよ?きっちり乗るという意味ではね。ただきっちり過ぎて、面白くは無いことは、ままあるという。
ただこの人は、面白いか面白くないかは、あんまり気にしてないんですよね。・・・ていうとバラエティタレントとしては語弊がありますが(笑)、一つ一つの、すべったり外したりするのは余り気にしてないというか、もっと違う次元に自尊心を置いているというか。少なくとも、"失点"は恐れていない。それよりも、攻めること、参加すること、前向きな勢いそのものを、重視しているというか体現しているというか。
「質より量」と、本人は言ってるそうですが(笑)。また身も蓋も無い。(笑)

そこらへんがまとめて出ていて面白かったのが、この『ナカイの窓 次世代ゲストMCスペシャル』(動画)とか。
前半、菊地さんを含む5人の"次世代MC"(山里も入れれば6人)でワイのワイのやってる時の菊地さんは、てんで面白くない。番組のフォーマットに従って、調子良く合いの手を入れてるだけで。まあ唯一の非芸人、唯一の女子として、乗るのに精一杯ということもあったんでしょうが。勿論、遠慮はしてません、全然(笑)。少なくとも表面上は。フィーチャーされてない割りに、音声は拾われているというか。(笑)
そして番組後半、"次世代MC"候補のテストとして、仮想トーク番組でゲスト中居正広をMC菊地亜美がもてなすハイライト場面。
これも・・・ある意味では面白くはないんですよね(まだかい)。当座というか。次々繰り出されるどうでもいい質問に、中居苦笑、周囲不評みたいな。
ただその"次々"が、半端無い。苦笑されようがウケなかろうが、気にせずとにかく次々行く。結局最後まで特にウケはしないんですけど、あくまで次々行く。勢いが衰えることは決して無い。
結果的に僕は、腹抱えて笑ってましたね。一つ一つが面白いとか気が利いてるとか、そういうのとは別の次元の笑いを、"MC"菊地亜美の駆動力は生んでいたと思います。
これが菊地亜美的、「質より量」かという。(笑)

「バカ発言自体は本当にバカ発想だが、レスポンスの速さなんかは頭が切れる、聡明である。」

同じくWikiから、伊集院光ですが。
内容ではないという、上のは好例(笑)。内容はバカでも結果的に当たっているというか、必要なこと"正しい"ことをやっているというか。"聡明"。
まあ"本能"に近いかもしれませんが。(笑)
あるいは拙速は巧遅に勝るという、孫子理論?(笑)

とにかくバカなことを言っても、少なくとも白けないんですよね。寒くならないというか。すべらない、とは言わない(笑)。でもすべっても寒くはならない、少なくとも場は暖まる、それが菊地亜美の長所というか、使い勝手の良さというか。どんな状況でもまあ、何とかしてくれるだろうな、変な穴だけは空けないだろうなという、安心感。
勿論上の二つの実際のMC番組では、別にすべってはいません。基本思ったことを素直に言うタイプですから、"仮想"トークとかはあえて言えば苦手だったろうと思います。苦手にも関わらずの、あの勢い(笑)。苦手ゆえに無内容ではあっても、苦手な事をしているさせているという居心地の悪さを、周囲に微塵も感じさせる暇を与えない。やっぱ凄いというか、変な安心感があるというか。(笑)

何でしょうね、3点取られても5点取ればいいという精神というか。サッカーで言えば(笑)。それどころか多分、9点取られても全く動ぜず10点目を取りに行くと思います、この人は。それ競技変わっとるやろと言われても、気にしない。(笑)
あるいはボール取られても取られても、飽くなきネガテイブトランジションで、さっき取られたことすら覚えてないような勢いで、即座にまた取りに行く。取られるんですけどね(笑)。いくら何でも取られ過ぎやろ、というくらい。でも気にしない。何なら自分で別のボール持って来て、相手が茫然としている間にそれでゴール決めそうな勢い。(笑)
かと思えば、妙に悠然とポゼッションしたりするし(MC番組)。"使い分けてる"という感じはしないんですよね。内蔵されている"メカニズム"が、必要に応じて即座に最大効率で、常に自然に発揮される感じ。日本代表も見習いたい。(笑)
自尊心はある。でも自意識の邪魔は入らない。
余りに見事過ぎて、どこまで考えてやってるのかという疑問は、改めて湧いたりしますが。
やっぱり・・・バカなのかなあとか(笑)。いや、いい意味でですよ、いい意味で。偉大なるというか。大いなるというか。(笑)
だって、"考え"たらやっぱりどうしても入って来るでしょう、自意識の邪魔が。バカリズムとか伊集院とか、人一倍"考える"タイプの人が高く評価するのも、そこらへんの不思議感があるからだと思いますね。どういうからくりなんだよという。
結果やってることは、"クレバー"なんですけどね。だからまた嫌われたりして。(笑)


まあ、ただそもそもの今回の言いたかったことに帰ると、この人は決してひな壇系集団芸系の人ではないと、それは言っておきたいと思います。"勢い"でカバーはしても。(笑)
MCは勿論そうですが、単純に言って、主役なら主役なほど、あるいは出演者が少なければ少ないほど、本領を発揮するタイプ。それに気づいてしまって以降は、逆にまだまだ主体の"その他大勢"系で出ている番組は、余り見る気がしないというか、見ても不完全燃焼というか。
むしろローカルでただの旅番組ですけど、これとか面白かった。
『わがまま!気まま!旅気分! 菊地亜美 6月28日』

将来的にはというか、だからこそさっさと出世して、本領の発揮出来る仕事の割合を増やして行って欲しいですね。
MCとして、本人は"島崎和歌子"目標とか言ってましたが、もっと普通にポスト久本を狙えるポテンシャルは十分あると思います。かなり際どく"下げ"られても平気、という意味でもね。
問題はやはり張り付いた"おバカ"のレッテルで、久本の"下品"よりもある意味タチが悪くて、基本ツッコミ役であるMCを正面切ってこなすには。周囲の抵抗感が。
まあ徐々に実績積んで行くしかないでしょうね。一回ちゃんと見れば、回しの実力そのものは、誰の目にも明らかだと思いますし。・・・ズケズケも"おバカ"のカテゴリーなら安全ですけど、"直言""毒舌"に移行するには、一つ越えなくてはいけない("尊敬"という)ハードルがある。

とりあえず明日はちょうど、月に一度の『チャリーズエンジェル』

チャリエン
の放送日なので、興味がある方はどうぞ。
MXの21:00、J1中継終わりからの流れででも。(笑)
かなり、イメージ変わると思います。
(追記)
ちょっとこの週は、ゲストも構成も特殊でバラエティバラエティした緩い回でした。
出来れば過去の回をどうぞ。

(菊地亜美のチャリーズエンジェル 動画)
(『キリウリ$アイドル』 動画)

女としては・・・・・・。うーむ。(笑)
健気で可愛らしいとは思うんですけど、どうも引っかかりませんね。
最近好きなタイプが『サイレーン』イノ『ベイビーステップ』ナツな僕ですから、グイグイ前向きなコは好きなはずなんですけど、何かがちょうどギリギリ圏外に、彼女を押しやってるらしいです。(笑)
残念!!(笑)

ま、身近にいたら、可愛がるとは思いますけど。(笑)
応援してます。
マジに出世、期待してます。


純然たる芸能ニュース
2011年02月21日 (月) | 編集 |
単なるこぼれネタ拾いですが。
草津戦は行ってません。さいたまシティカップはの方に書きます。(更新しました)


ダウンタウン、フジ系日8に帰ってくる! (サンスポ)

ごっつ縁のある日曜午後8時枠で、浜ちゃんと松ちゃんが「アカン警察」にふんし、国民の爆笑を取り締まる!

“日8”といえば、1991年12月にスタートした「-ごっつええ感じ」が有名。ダウンタウンをお笑い界のスーパースターに押し上げた出世作は、97年11月に惜しまれつつ終了したが、約14年ぶりに2人が同枠に帰ってくることになった。

「アカン警察」は浜田演じる署長の指揮下、人気芸人たちが刑事となって、視聴者から投稿された「思わず笑ってしまう日常の“アカン事件”」を徹底捜査するバラエティー。「都内のマンスリーマンションに設置された洗濯機が、あえぎ声のような音を出す」事件などの爆笑ネタを、お笑い刑事たちが巧みな話術で報告。松本扮する警視総監とゲストが“アカン”か、“アカンくない”かをジャッジする。


へえ、という感じ。
楽しみか不安かと言えば、不安の方が大きいですが。

その"特番"は見てませんが、今更日曜ゴールデンかよという照れ臭さ(?)と、そもそもあんまりもうダウンタウンには、年末のあれ以外は張り切った企画をやって欲しくないというか、スベり気味になるのを見たくないというか。
ゲストのトークをだらだら回してるだけで十分というか、それが一番面白いというか。

結局ダウンタウンって、スーパースターだトップランナーだ天才だとか色々形容されつつも、一番の持ち味は人柄の良さだと思うんですよね。そういう意味では、戦友のウンナンと同じ枠。僕はウッチャン&内P系も大好きですけど。
・・・・そう言えばやたらとダウンタウン特に松本をこき下ろすある有名お笑いブロガーが、さまあーずの面白さが分からないと言っていたのは、逆になるほどなあという感じでしたが。僕からすると、最も外れが少なくて包容力のある、お笑いのあり方に見えますけどね。

やや受け気味の安定感のあるパスサッカーの中で、定期的に松本の個人技がさく裂するというのが(笑)、要はダウンタウンのスタイルで、だから"ドリブラー"松本が突出すると確かにチームバランスはおかしくなるんですけどね。
ただ松本個人の技術やセンス自体に、(東京)デビュー以来特に盛衰は無いと思います。常に面白い。他人(それも多くの人)が現に笑ってるものを、そこまでクサすかねという。サッカーは必ず欧州トップモードじゃないと、価値が無いのかねという。

まあガキ使のかつてのフリートークの緊張感には、さすがにもう耐えられないでしょうけどね。少なくともリハビリorミニキャンプでも張らないと(笑)、往時の奇蹟的なクオリティは。
というわけで?、結構不安な新番組ですが、一応楽しみにはしています。でも今更ハイテンションサッカーが、出来るのかしら。(笑)


「ちょっと飛んだら下乳が…」胸派もオシリ派も大満足 (スポニチ)

グラビアアイドルの平山藍里(18)らがDVD「My Girl スペシャルオムニバス」(ラインコミュニケーションズ、3990円)をPRするため、東京・越中島のスポーツニッポン新聞社を訪れた。

平山に加え、小出真衣(21)、黒川結衣(21)ら8人のグラビアアイドルが出演。「水着の面積が小さくて、ちょっと飛んだだけで下乳が出てきちゃう」(平山)、「体操着から水着になるまでの展開を見て欲しいです。カメラがかなり寄っちゃって」(小出)とそれぞれ見どころを紹介した。

また、8人も出演するだけに「それぞれの女の子で、胸押しなら揺れるところが見られるし、オシリ押しの子はシリを楽しめます。誰か好みの子が見つかるはず」と黒川は太鼓判を押した。


たまに組まれるグラドル"ユニット"ですが、ほぼ成功した試しが無いですね。
強いて言えば、歴代日テレジェニックかなあ。
非水着アイドルユニットのあれそれが示すように、"女の子が沢山いる"楽しさというのはそれはそれで素晴らしいものなんですけど、グラドルに関してはなかなかそういう「集合」の良さというのを、出し切れないでいる。所詮主張の強い個人の寄り集まりというか、中国代表というか。(笑)

今回はそれ以前に、集合写真無しかよ!!駄目だなあ。
一人一人の写真を順番に見てるだけで、楽しいは楽しいんですけどね。
まあ「見」るだけで一応済む一般アイドルと違って、グラドルの場合は一人一人より時間をかけて、その「先」も考えたいこちらの心理が、"集合"をうるさくしてるんでしょうか。(笑)
コンビのショットとかでも、邪魔だからそっちの一人見切れてくれないかなと、画像集めていて思ったりしますものね。3Pも乱交も、今のところ興味は無いっす。要はそういうことか。


優木まおみ 意外なバイト歴「毎週通ってました」 (スポニチ)

タレントの優木まおみ(30)が18日、千葉・幕張メッセで20日まで開催中の業務用ゲームイベント「AOU2011 アミューズメント・エキスポ」内で行われた、セガの業務用競馬ゲーム機「スターホース3」のプロモーションイベントに登場した。

JRA-VANのイメージキャラクターで、フジテレビ系競馬中継「みんなのケイバ」でキャスターを務める優木は競馬好きで有名
(中略)
実際に馬券を買うようになったのは番組のキャスターを始めた1年半ほど前だというが、東京学芸大出身の優木は学生時代、京王線の府中競馬正門前駅近辺に住んでいたという。「大学3年の土日に府中競馬場でアルバイトをしていたことがあって、毎週通っていたんです。ただ、アルバイト中は買うことはできなかったんですけど、馬が走るところを真ん中から見ていて、こうやってキャスターをやらせていただいて、不思議な感じがします」と意外な過去を告白した。


なんとまあ。(笑)
しかしこの人の"好感度"たるや。
ここ数年の女性タレント全体の中でも、屈指の安定感ですね。この先の加齢も、特に問題になりそうに無いですし。
"おやじ"や"おたく"が、入りそうで入らない、でも物分かりが良くて単なる「女」ではなくてという。
つまり「人間」でという。

ちなみに、特に興味はありませんけど。(笑)
正に、"好感度"というやつ。

女の子が"パチンコが趣味"と言われると、正直引きます。元ヤンを疑うというのもあるし。
でも競馬ならいい。競輪・競艇はうーむ。麻雀はまあまあ。
結局お馬さんという要素が大きいわけでしょうね。あっさり"ギャンブル"と割り切れない部分が。
麻雀がOKなのも、ゲーム性の中に不確定要素が大きいから?全部理詰めで推理・計算されたりすると、かわいげがないというか本気度が過ぎるというか。(笑)
真剣に儲けたければ、競馬より競輪・競艇なんでしょうけどね。

競馬場は楽しいです。本業(?)のサッカーを差し置いてなんですが、ライブならではの楽しみというのも、確かに感じますし。
・・・・まあサッカー選手より馬の方がかわいいという、それを言われてもという問題も、あるかも知れませんが。(笑)
デートコースとしても、吉ですね。雀荘はさすがに、アレですが。(笑)


「非出会い系」被害の子供、GREEが突出 「特定社が増やす」と業界怒り (産経新聞)

不特定の人と連絡が取り合えるゲームサイトなど「非出会い系」と呼ばれるコミュニティーサイトを通じて昨年1年間に犯罪の被害に遭った18歳未満の子供は、前年より9・1%多い1239人に上ったことが17日、警察庁のまとめで分かった。

まとめによると、被害の罪種別は、青少年保護育成条例違反が772人(6・2%増)、児童買春214人(8・5%減)など。関係者によると、きっかけになったサイト別では、携帯ゲームで有名なサイト「GREE」が突出していた。
(中略)
GREEは昨年1年間で、一昨年を212人上回る378人の子供の被害者を出した。全体(約350サイト)では、対前年比で103人増の1239人。GREEの増加分がその他のサイトの減少分をのみ込んでいる。また、全体の3割を占め、2番目に多かったサイト(102人)の3・7倍と、突出ぶりが分かる。

大手SNS(ソーシャルネットワーキング・サービス)役員は「特定の会社のせいでSNS全体が悪く見られると、一生懸命やっている事業者が救われない」と話す。


ちょっと前まではこのテの代表はモバゲータウンだった気がするんですけど、セキュリティ強化されたんでしょうか。
最後はあんまり"芸能"ではないですが、僕自身近頃、GREEのなりすましメールに悩まされているので。他の大手はこんなことなかったぞ。チェック甘いんじゃないのか?(仕組みはよく分かりませんが)

別に僕は"出会い"を求めてるわけではなくて、特定の短時間で出来るゲームをやってるだけですが、GREEの方からはそんなのそっちのけで、交流しろ交流しろ、日記書けと、うるさくお知らせが来ます。(笑)
なぜそんなことせにゃあならん。ゲームぐらい一人で出来るわい。

まあ更に言えば、上で"非出会い系"が問題にはされてますが、そもそもSNSでそれ以外の目的が究極的にあるのかという偏見(笑)も、一方ではありますけどね。仕様だろう?という。
基本おかしなことやってると、思うけどなあ。明らかに"匿名"のネットの方が、「健全」だと思いますけど。2chバンザイ。(?)

出会う為のSNSと、隠れる為のそれ以外のネット?勿論"隠れる"ネットの方も、何らか「交流」は求めているわけですけど、ただそれは隠れたなりの交流ということで、そこに変に従来のリアルの感覚を持ち込むのは、台無しというか意味が無いというか。
せっかくコミュニケーションの種類を増やしたのに、自分が不安だからって統一しようとするなよこのネットオンチの実名派どもがという。

限りなく選択肢を増やして行くというのが、良くも悪くも文明化ということですよね。
それで社会心理的には不安定になるかも知れませんが、個人の救われる可能性は増えるというか、少なくとも多様化はする。結局"個人"で踏みとどまれる人と、まとめないと落ち着かない人がいるのかなという。

本題の"非出会い系"的な行動やその低年齢化には、マズいところがあるのは感じつつも、その衝撃力の魅力の方に、正直興味を惹かれる自分がいます。
このまま放っといたら、どうなるんだろうという。
どれだけ特に「性」についての伝統的虚飾が、剥がれて行くんだろうという。

"剥がれ"ればいいというものでもないというのは、おととい書きましたが、興味は興味として、やっぱりあります。
自分の子供だったらどうするか?そうですねえ、騙されてるようだったら、止めますかね。でも確信犯のようなら、とりあえずやらせてみるかな。(笑)

子供なんて死ぬものですよ。ははは。
なんて容易に同意されなさそうなことを言えるのは、犬や猫で"保護"の対象に死なれることには、変に慣れてるからかも知れません。車が迫っていたら助けますけど、それと外に出さないというのは、ちょっと違う。
あんまり説得力無いか。(笑)

やってみて伸びてみてこその、人生というか。結果なんか知らんよ。
僕にも野垂れ死にする自由があるということに、ようやくウチの親あたりも、諦めてくれた気がする、今日この頃。そこまでやってこその、"人格を認める"ということというか。
なんの話だ。(笑)


今日は書くことが無かったんです。(笑)


反・普遍 ~サンデル教授の"コミュニティ"
2010年10月28日 (木) | 編集 |
『ハーバード白熱教室総括』その1その2

続きないし締め部分を書きかけたんだけどピンと来ないまま放置して、早4ヵ月。
その間にあれよあれよと結構なブームになって、"東大版""日本版"なども、催されているようですが。

たまたま残してあった(ハーバード版の)最終回を見直したら、いくつか気付いたことがあったので、書いておきます。
その上でモチベーションがあったら(笑)、予定していた"締め"も。


"敵"は「自由」や「個人」というより、「普遍」

さてこれまでは(そして討論の中でも)、主に「個人」と「自由」との、「コミュニティ」の対立、またはそれによる前者の制限という文脈・構図をメインに話を進めて来ましたが、講義をよく聞くともう一つの項、もう一つの構図、もう一つの遠近法が存在しているのが分かります。

それは『普遍』というもう一項を、めぐるものです

君たちの内の何人かは、集団の構成員としての義務はあっても、それは普遍的な義務、つまり私たちが人類に対して負っている義務に、いつも劣るに違いないと論じたが(中略)、それは正しいのか。


啓蒙思想家モンテスキューは、この容赦なく普遍化しようとする傾向が、道徳的想像力をどこに導くのかについて、恐らく最も強力で、最も正直な説明をしている。
「本当に有徳な人は、もっとも遠い他人を助けるためにも、友人に対するのと同様に迅速に駆けつける。」
そして彼は、こう付け加えた。
「完全に有徳な人に、友人はいないだろう。」


人類愛は気高い感情だが、多くの場合、私たちはもっと小さな連帯で暮らしている。


・・・・最終講義より。

結論として「個人」を制限しつつも、一方で功利主義の最大多数の最大幸福」論に対しての異議から講義を始めたサンデル教授であるわけですから、本当の敵はこちらではないかと、そんなようにも思うわけで。
または「個人」主義の、「普遍」主義に繋がる部分というか。

「個人」がどのようにして、一見反対語のような「普遍」に繋がるのかについては、後でいくつか挙げたい面白い例示的説明があるんですが、ここではとりあえず、サンデル教授自身の言葉で、補強をしておきましょう。

(カントやロールズの個人の自由意志主義について)
更に魅力的なのは、その普遍的な念願、つまり偏見や差別無しに個人を個人として扱うという、考え方だ。


簡単に言えば、"偏り"が無いから、"普遍"だということ。
友人に対する感情的依怙贔屓や、地縁血縁国籍等の帰属先という"偏り"から、切り離された「個人」という、そういう個人がその延長上として次に考える単位としての「普遍」、または"人類"ということ。


我々の"反・普遍" (笑)

なぜ(笑)なのかは、すぐに分かります。(わらい)

実はこういうタイプの「反・普遍主義」というのは、我々日本人、特にある世代以降の日本人には、非常に馴染みのあるものだと思います。
ありていに言えば、漫画やアニメを見て、育って来た世代。教育勅語でも、資本論でもなく。(笑)

例えば多くの(ジャンプ系?)少年漫画の主人公たちは、言います。

仲間を傷つける(た)奴は、許さねえ、と。

あるいはガンダムを筆頭とする、数多の宇宙戦争系のアニメにおいては、最初迫り来る敵を単に"敵"として扱っていた、あるいは自らの"正義"や"大義"を素朴に信じて戦っていた登場人物たちが、やがて敵も同じような人間であることに気付き、あるいは信じていた正義や大義に疑問を抱き、それに代わる普遍的な正義を捜し求めるも多くは得られず、断念して、代わりにより身近な人々や愛する人の存在、あるいは普遍的な正義からは遥かにミニマムな感情や良心の中に、行動原理や存在基盤を見出して行きます。

同様のものとして、"人類"に絶望した傷付き易い天才的人物が引き起こした「悪の計画」、典型的には人類を滅ぼして地球や宇宙を救おうというようなそれを、彼の絶望は理解するが、いくつかの卑近な善や愛を手掛かりに、それでも僕は/私は人間を信じると、そう叫ぶ主人公たちが阻止するストーリー。
まあほんと、そんなんだらけですよね、ぶっちゃけ。(笑)
たまにほんとに絶滅したりすると、いっそすっきりしたりしますがそれはともかく。(笑)

ちょっと言葉足らずかも知れないので補足すると、最初の「仲間を傷つける奴は許さねえ」発言の前には、
・何が"正義"かなんて知ったこっちゃねえが
あるいは
・"正義の味方"を気取るわけじゃねえが
というようなセリフ・前提が、省略されているわけですね。
"普遍"は知らないが、ともかく俺は、目の前のこれを信じると。

サンデル教授の"反・普遍"主義と、代わりに置かれた"コミュニティ"というのも、基本的には同じようなもの、同じような絆、あるいは同じような感情を背景とした概念だと思います。
ただのエゴじゃしょうがないけど、でも軽々しく語られる"普遍"はもっと怪しいと。
だからそれらの中間で、目の届く、責任の取れる範囲で、何か確かなものを見つけようという。


サンデル教授のコミュニティと、"我々"の正義観

このように、サンデル・コミュニタリアニズムの"コミュニティ"と、日本の少年少女及びそのなれの果て(笑)たちの正義観や絆(きずな)観には、実は見ようによっては非常に理解し合える共通性があると、そう言っていいと思います。
ただ・・・・一方で無視出来ない違いもあって、それが"なれの果て"の一人でもある(笑)僕の違和感を、終始くすぐり続けるんだろうと思います。

それは何かと言うと、一言で言って方向が違うんです。ルートが。(同じ)結論に至る。
それによる力点やニュアンスの違い。

つまりサンデル・コミュニタリアニズムの場合は、最初に紹介したように、直接的には極論的リベラリズムとしてのリバタリアニズム、そのエゴイズムの暴風雨に対するカウンターとして、提起されているわけです。
だから原則性や哲学的純理論性はともかくとして、実用的にはやはりこれは、"反・個"という方向性をメインとする思想であり、勢力であり、そのように機能するわけです。

ところが上で挙げたようなタイプの日本の漫画やアニメにおいては、明らかに敵は「個」ではありません。
個を押し潰す普遍・全体、あるいは逆に奪われた普遍性が与える存在的不安、それらに対する防御や救済として、絆や小コミュニティは、形成されるわけです。
だから動機としては、主導的な感情のタイプとしては、どうしても「個人主義」の色合いが濃くなるわけですね。

まとめて別な言い方をすると、ポジション的には似たようなものでも、サンデル製の"コミュニティ"が「小さな普遍」なのに対して、日本(のサブカルチャー)製の"コミュニティ"は、「拡張された個」なわけです。
中身にそんな大きな違いは無いと思いますが、構えている方向が違う。そしてそれによって恐らく、その先の成長の仕方も違う。

結局サンデル・コミュタリアニズムは、全体主義や前近代的共同主義への先祖帰りを招くだけではないのか、そういう不安・不満が、どうしても僕にはあります。
講義を聴いた学生たちに対する影響としてはともかく、その思想が一つの勢力化して、社会一般にメッセージとして伝わる段階ではという。

・・・・まあ既に講義でも、どう見ても単に素朴に「愛国的」だったり自分の所属している学生寮への「忠誠心」を自明のように語るようなタイプの学生が、上機嫌で教授の話を聴いているというようなシーンがありましたね。いいのか?それでいいのか教授?と、その時の僕の内心の声。(笑)

対してジャパニーズサブカル版コミュニタリアニズム(?)の場合は、そうした盲目的"普遍""共同"性への警戒心はよりしっかり保存されているというか、「個」と「普遍」の緊張感はより高い次元で存在しているというか、そういう風に僕の目には映ります。登場人物たちの行動や態度に、背景にある"思想史"が、より確実に刻まれているというか。
一つにはやはり、どうしても「個」の方が脆弱なので、より力点を置いておかないとすぐに消し去られてしまうという、カ関係の問題もあると思いますが。


ちょっと先走り過ぎたかな。
結構結論を、言ってしまったような気もします。(笑)


『ハーバード白熱教室』総括(その2)
2010年06月23日 (水) | 編集 |
その1

ええ、悩んでたのはですね、備忘録程度のつもりで書き始めた前回のエントリーに、(母集団の規模を考えれば)意外な反応があってその理由を考えてみるに、どう見ても大したことは書いてないので(笑)、要するに前提的な"議論の整理"の部分に隠れた需要があったんだろうなと、そう考えざるを得ないということで。

だから予定では(前回の末尾に書いた)自分の主張の結論的な部分だけをさっさと書いてしまうつもりだったんですが、悩んだ挙句まずは今回も前置き部分を、少し丁寧に書いてみることにしました。
・・・・全然読みが違ってたら、ごめんなさい。(笑)


コミュニタリアニズム v.s. リベラリズム

まずはリバタリアニズム・コミュニタリアニズムと同様に、Wikiを基にしたリベラリズムの定義を。

liberalism(リベラリズム、自由主義) Wiki

・啓蒙思想から生まれ、政治的・法的には政府からの自由である自由権や個人主義、政府への自由である国民主権や参政権などの民主主義、そして経済的には私有財産と自由市場による市場経済や資本主義などの思想や体制の基礎となり、また総称ともなった。
・アメリカ合衆国などでは「リベラル」(liberal)は民主党などの社会保障や平等を重視した中道左派的な思想や勢力を呼称する事が多いため、政府や議会など干渉を最小限にすべきとする伝統的な自由主義思想を「リバタリアニズム」(libertarianism)と呼んで区別する場合も多い。
・現代のリベラリズムは、自己と他者の自由を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。レッセフェール(自由放任)を基本原理とする古典的自由主義や自由至上主義(リバタリアニズム)とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。


前二者に比べると歴史が長い&意味が広義なので、まとめ方が少し難しいんですが。
現代日本語としての「リベラル」の語感からすると、上の項目2と3を押さえておくのは必須でしょう。ただ「対リバタリアニズム」ではなく、「対コミュニタリアニズム」ということに限っては、結局問題となるのはそもそもの定義である1項目目だけであると、そう言っていいような気がします。・・・・つまり僕の強調部分、『自由』『個人』の、"総称"ということ。

これらは要するに"近代人"の常識的なものであって、それにあえて名前を付けるのも実情に合わない感じはするんですが(かといって「近代主義」というとまた別の意味になってしまう)、現に講義で使われているのでしょうがない(笑)。ただ講義でも、要は常識という、そういうニュアンスは、きちんと共有されていたとは思いますけどね。それにあえて異を唱える、「リバタリアニズム」や「コミュニタリアニズム」という構図。
まあ現代日本語でも、いわゆる特に頭の固い頑固親父的な"前近代"性や"時代錯誤"に対する時は、「リベラル」という言い方も、割りとそのまま使われなくはないですね。


主意主義または意志主義と、『物語的自己』

リベラリズム的な「自己」(個人)観と、コミュニタリアニズム的なそれの違い。

前者は僕のヒアリング(?)の範囲だと、それらしい用語として「主意主義」という言葉がよく使われていたように思いますが、これもちょっと調べただけでも色んな文脈で使われてしまう言葉のようで。
ただ教授が言わんとするところは講義を見ていた人には割りと明確でしょう、道徳性や社会的義務を、あくまで「個人」(意識的自己)による(意志的)「選択」の範囲で/それを基準に考える広義の(つまりリバタリアニズムも含む)リベラリズムに対して、『物語的自己』という独特の言い方を用いて"個人""自己"の定義を拡張的に、より社会構造(共同体)に埋め込まれた形で予め考えることにより、デフォルトの義務・道徳の範囲をも拡張する、より社会的共同体的なものも含めたものとして再定義するというのが、つまりはサンデル教授の目指すところですね。

・・・・ちょっとややこしいのは、そういう話になる前段、むしろ講義の大部分を使ってサンデル教授が説明していたのは、功利主義的全体主義的な「結果の利益」や「全体の利益」ではなく、個人の「意志」や意志的「選択」そのものに道徳性・行為の正しさの基準を置こうとする、カントを筆頭とする哲学者たちの思想だったということですね。だから僕も最初は、何を言おうとしているのか、よく分からなかったです。

もう一つ『物語的自己』についてですが、これもいったい何を言い出すんだろう、"物語"って何だ?と戸惑った人が多いと思います。僕もこの言葉自体は初耳でしたが、言おうとしていることはだいたい分かります。
要するにこれは、例えば精神分析が「無意識」という言い方で、文化人類学が「文化」という言い方で、あるいは構造主義が「構造」という言い方で(他にも色々と)それぞれの文脈で主張・論証した、"意識"や"個人"や"主体性"といった、近代の理想や近代的人間観の基礎概念及び前提を限定or否定する見方、それをマイルド(笑)に脱色化した形で哲学的に肯定して、新しい自己概念として自分の政治哲学の基礎に置こうとしているという、そういうことだと思います。

上は言ってみれば僕の得意分野(笑)ですから、言わんとすること自体は分かっているつもりです。まあサンデル教授がどういう文脈や背景でこの概念に至ったのかは、講義の範囲ではちょっと分かりませんけどね。
とにかくサンデル教授/コミュニタリアニズムは、「自己」概念自体の改変によって、道徳概念の改変・拡張を行おうとしていると、そういうことです。自己は生まれ落ちた時に、(共同体的)「物語」の一部として既に含まれている/包まれている存在であって、(リベラリズム的な)孤立した自己ではあり得ないと。

人格の有する諸属性本質的なものであって、(リベラリズム論者の)ロールズの想定する偶有性は、無意味な仮想であり、リベラリズム的な個人主義が、家族や地域などとの紐帯を欠いた負担なき自我にすぎないというサンデルらの共同体主義からの批判


Wiki だとここららへんの話。
まあ"科学"的にはそうだと思いますけど、哲学的には少し乱暴というか、文脈が途中から変わっちゃってる気が僕はするんですが、論の趣旨から外れるので今回はこれ以上言いません。・・・・言ってみれば僕の中でも、"心理学者"としての自分と"政治哲学者"(?)としての自分は、当面別個に存在しているんですよね。「事実」の次元と「目標」の次元を、いきなりは混ぜられないというか。


リベラリズム的な道徳的虚無とコミュニタリアニズムによる補償

やはりあえて"リベラリズム"と言ってしまうと、何か狭いというか無駄に政治的な感じでウマくないですが、とにかく近代精神の目覚め以来、我々(少なくとも西側社会の)は様々な道徳や伝統的概念、社会的規制を否定・解体・相対化して来ました。
この講義の主な関心範囲で言えば、「愛国心」「家族」「所属グループ」「コミュニティ」への忠誠心、より卑近な(?)話で言えば、「男は男らしく」「女は女らしく」等々の前提的役割概念など。

こうした流れの根底にあるもの、原理が、"自由"で孤立した(現実的にというより論理的に)「自己」イメージと、それが改めて判断の拠り所としようとする意志的で合理・理性主義的な「選択」なわけですね。・・・・"物語"という言い方も、この"理"とのコントラストだと、そう呑み込むと分かり易いかも知れません。
ともかくそうした「自由」主義や「個("孤"?)人」主義、「合理」主義の徹底化の一つの帰結が、哲学としてのリバタリアニズムや、"納税の義務さえ否定する、個人の権利の侵害だと真っ向から主張するリバタリアン"の姿ではあるわけでしょう、論理的には。より一般的にも、ミーイズムなり幼児的エゴイズムなり、他者への無関心なり、米日問わずいつからか"問題"だと言われるようになった、ある種の傾向性など。
モンスターペアレントなり、学級崩壊なり?(笑)

それらに対して、現実レベルでは、典型的には「『家族の価値』の再生を訴える米共和党の候補」や、時にその背景でもあるキリスト教原理主義的なものの興隆というような形で、リアクションが起きることはままありました。またより大きく言えば、イスラムも中国文明も、そういう"西側社会"のようになるまいという警戒心をはっきりと抱いて、あるいは折に触れ表明していると思います。

ただそういう露骨にイデオロギー的なものや、西側一般人の感覚ではキワモノにしか見えない教条からなどではなく、講義の流れを見れば分かるように、リベラリズム的自由や個人の意志的選択の価値を十分に分かって認めているタイプの論者・哲学者たちが、あえて時に個人より優先する/超越する共同体的なものの価値や必然性を、独立した哲学的立場として主張するというのが、コミュニタリアニズムの言わば"新味"なわけですね。

人としてはむしろ"リベラル"タイプ(つまり"頑固親父"でも"国家主義者"でもない)、しかしあえて言っていることは、そうではない。そこに新たな説得力の可能性は、あるかも。その意外性が、"何事だろう"と耳を傾けさせるというか。
最初に言った、政治運動としての穏健性・非過激性という、担保と共に。


次からがむしろ、僕の言いたいことです。


『ハーバード白熱教室』総括
2010年06月21日 (月) | 編集 |
ハーバード大学の人気講義(サンデル教授の「政治哲学」)をTVショー化した、NHK教育の地味に話題になっていた番組。(公式)

・・・・と、一応説明はしてみますが、はっきり言ってあの長大で豊饒な内容を、見てない人にかいつまんで説明しちゃう資格が僕に(誰かに)あるとも思えないので、結局は見た人だけに向けて、ここからは書きます。

更に言うと、これはあくまで「講義を見た範囲の」感想です。最低限Wikiくらいは見てみますけど、本格的に調べ始めちゃうとまたそれは違う気がします。
つまり「賛成」も「反対」も、それはあくまで"サンデル教授の把握する枠組み・哲学史"に対する/おけるものだということ。

だからものの本にはこうあるとかいうタイプの突っ込みは、ご勘弁願います。
僕が教授の発言をこう誤解しているというのなら、OKです。(笑)


個別の議論はともかくとして、最終的に言いたいのは、僕はサンデル教授の立場=communitarianismに、反対だということです。それがあったから、見流すつもりが書く気になったというか。

communitarianism(共同体主義) Wiki

・20世紀後半のアメリカを中心に発展してきた共同体(コミュニティ)の価値を重んじる政治思想
・共同体主義は、現代の政治思想の見取り図において、ジョン・ロールズらが提唱する自由主義(リベラリズム)に対抗する思想の一つであるが、自由主義を根本から否定するものではない
・共同体の価値を重んじるとは言っても、個人を共同体に隷属させ共同体のために個人の自由や権利を犠牲にしても全く構わない、というような全体主義・国家主義の主張ではなく、具体的な理想政体のレベルでは自由民主主義の枠をはみ出るラディカルなものを奨励することはない


講義では「コミュニタリアニズム」と終始訳されていましたが、「共同体主義」と言ってしまうと非常にあっさりしているというか、いかにも僕が反対しそうな感じで(笑)なんか話の底が見えそうになりますが。
そういうことでもないんですよね。講義の中でこのサンデル教授自身の主張が登場するのは、ほとんど最後の最後ですし、僕が反発を感じたのもあくまで「コミュニタリアニズム」に対してであって「共同体主義」に対してではないんです。この違い分かりますかね(笑)。言うなれば、論理に対してであって観念に対してではないというか。

さてまず第一の批判ですが。それは、コミュニタリアニズムが中途半端だということで。折衷的で、あえて原理として立てる必要を感じない、マイナーだ、立場を増やして話をややこしくするだけのものだということ。
上のWikiの定義で言えば、紫字で表現した部分、
・自由主義を根本から否定するものではない
・ラディカルなものを奨励することはない

という性格。
だったら言うなよ、とは言いませんが(笑)、要は単なる実用的便宜的な議論じゃないか、既存原理の運用や政策上の妥結ですむじゃないかと。こんなのが哲学なのかと。
講義の中でも、サンデル教授(寄り)の主張に対して、「それはリベラリズムのこういう論理の応用で説明できるレベルの問題だ」と反論した学生が、何人かいましたね。僕はあれに賛成です。

コミュニタリアニズムがこういう性格を持つには理由があって、講義も正にそういう流れで説明されていましたが、その前提には現代アメリカにおけるリベラリズム内の(?)過激派、 libertarianism(リバタリアニズム)の台頭があるわけですね。

libertarianism(リバタリアニズム) Wiki

・他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだとする政治思想のことである。この意味の時は、自由意志主義、自由至上主義とも訳される。
・リバタリアンは自律の倫理を重んじ、献身や軍務の強制は倫理的に正しくなく結果的には非生産的であるとし、徴兵制と福祉国家には強く反対する。個人の自由と自由市場を擁護するなどというごく少数の基本事項以外、これが「正式な」リバタリアンであるとするような信条は存在しない。
・個人の自由を尊重する立場としては、元来リベラリズムという用語があるが、この語は社会的公正を志向するがゆえに政府による再分配によって平等を実現しようとする社会主義~社会民主主義的・福祉国家的な文脈で使われるようになった。 そのように変化した概念と区別し古典的な意味での自由主義を現わす言葉として、リバタリアニズムという用語が使われるようになった。


講義内では福祉国家どころか、納税の義務そのものを激しく否定するリバタリアンの姿が紹介されて、これは酷く印象的でしたね。
いかにもアメリカ的な徹底自由、徹底個人、徹底市場、ウィナーテイクスオール、詐欺師や大金持ちの自己正当化(笑)論法ではあって、それによる社会の分断・崩壊、貧富の差の極大化や弱者の切り捨ての容認、そして道徳的な虚無への危機感として、真面目なタイプの哲学者たちが"コミュニタリアニズム"なんてことを言い出すのは、分かるのは分かるんですけどね。

・・・・勝手に分かっててもしょうがないので(笑)、一つ駄目押しで、大雑把な図式化をしてみましょうか。
ここまでに出て来た用語を用いて。

1.(前近代的な諸政治体制から近代に出現したそれらも引っくるめた広義の)「全体主義・国家主義」

2.それに対する批判・解放としての「自由主義(リベラリズム)」

3.その極論としての「リバタリアニズム」

4.それに対する抑制・反動としての「コミュニタリアニズム」


イマココ。
ちなみに講義の中で直接的に"1"について取り上げたことはなかったように思いますが、そこらへんは全体にリベラルな場の性格を考慮してあえて語る必要を感じなかったというのと、あるいは講義の一番最初に出て来た『功利主義』「最大多数の最大幸福」論への反論で代用出来ると、そう考えたのかなと。

で、僕の批判としては、"リバタリアニズム"という現象・流行を重視すれば、まともに受け取れば"コミュニタリズム"には必要性があるのかも知れないけれど、そこまでのことには思えない、余りにもアメリカの直近の現実に律義に反応し過ぎて、「哲学」としての慎みというか距離感を失っているように思えるということ。・・・・言ってみれば、リバタリアニズムが無ければコミュニタリアニズムも必要が無い、単なるアンチ・カウンターだと。
また、リバタリアニズムの方は「極論」なりに(だからこそというか)論理的な整合性や美しさは感じなくもないのに対して、コミュニタリズムの方はいかにも"為にする"反論であり、論理構成が曖昧で苦しく感じる、政治家の答弁みたいだ(笑)ということ。

そして更に。これは僕があえて"反動"という言葉で表現した部分ですが、リバタリアニズムを抑制する為のコミュニタリアニズムは、上で述べたようにリベラリズムへの穏健ながら対抗思想でもあるわけですが、実際にはいちリバタリアニズムへの抑制効果以上に、リベラリズムそのものへの破壊効果が大きくて、結果的にはその当初の意図を越えてそもそもの"1.「全体主義・国家主義」"の復活と、大差無い論になってしまうだろう、そういう気がしてならないということです。

それについては、詳しくは次に


R-1
2010年02月24日 (水) | 編集 |
最終結果


伊東四朗さんの、いとうあさこに対する、「芸が明るくていい!!」という賛辞(とそれに対するいとうあさこの涙)が、一番印象的でした。

その基準で言うなら、良かったのは勿論そのいとうあさこと、なだぎ武の一本目と、決勝ならエハラマサヒロの"赤ちゃん"とかかな。
我人祥太は途中でチャンネル変えました。あべこうじも終始僕は駄目だったな。
なだぎさんは一本目が神がかり過ぎていたのと、そこで「自声抜き」のパターンが成功し過ぎていたので、二本目で素で喋られると逆に抵抗を感じてしまう(笑)状態だったのがどうも。エハラの決勝は上記の意味で爆発力があったし、一本目では無意味に感じたダンスがちゃんと今度はネタの一部になっていたので、僕としてはこれを推したかった。


"芸が明るい"というのは、シンプルとか爆発力があるというのもそうだし、もう一つは「ちゃんと自分を捨てている」ということで、客や笑いに対して上から目線で終始していないという。"スタイル"として上からというのは勿論あるんだけど、それだけで終わってしまうとどうも。
そういう意味であべこうじは僕は駄目で、なだぎさんの二本目も、一本目に比べるとなんか嫌な感じがした。エハラの一本目のあるあるなんかも、あるある過ぎて、安全過ぎて、どうしても少し偉そうになる。

ピン芸は難しいですよね、そういう意味で。「コンビ」「突っ込み」という形の相対化やバランス取りというシステムが、存在しないから。自分でちゃんと、自分を監視しないといけない。
そこらへん、はっきり言って、プロ芸人よりアマブロガーの方が、平均値は上なんじゃないかと、感じるところすらあります。

偉そうだと上手く笑えない。声に出されるとまた特にね。


今回審査員は、伊東さんと板尾さん、点数に特徴のある末尾二人が立ち過ぎて、他が空気になってしまいましたね。そこだけ見れば順位が分かるというか。(笑)

麒麟川島はそのメイドインチャイナの説明書が、元々おかしかっただけじゃん。(と、感じさせてしまう)
COWCOW山田の「目で追うのが疲れる」というのも、"偉そう"の一種。(笑)
バカリズムは滑り出しは最高だったんだけどな。"残尿感"あたりからどうも、説得力が。
グラップラーたかしは、芸名が一番面白い。どうしてもアニメの『グラップラー刃牙』の、仰々しいタイトルコールを思い出して、(それに"たかし"を)重ねてしまって。ネタの方はなんで決勝に残ってるの?と感じさせるくらいの、何と言うか"おのぼり"感。


全体的にはなんか、息苦しかったですね。閉塞感があるというか。
M-1に比べて。
ピンは難しい。


佐々木希かあ
2010年01月15日 (金) | 編集 |
ぐるナイごち新メンバー。

意外でしたね。ちょっと"旬"過ぎないか?!
今までの通例としては、優香や井上和香みたいな若干型落ちのアイドルから「人間」としての新たな味を引き出したり、森泉のような"微妙"だけど使いデのいいアイドル(オセロ中島も広い意味ではそう)で手堅く行くか、そういう感じでしたけど。

佐々木希となると、今んところ表芸というか建前一本で、ストレートに押す段階でしょ?
ゲストなら「かわいいかわいい」でいいけど、一年間それというわけにも行かないし。
どうにもなりふり構わず視聴率取りに来たな、何となくFFシリーズの"美麗CGキャラ"みたいで嫌な感じだなあとか思いましたが、結果的には悪くなかったと思います。

何と言うか、度胸の据わってるコですね。
何か芸があるわけでもないけど、白々しいお姫様扱いでも、さらっと受け止める&受け流すので、少なくとも見ててストレスは少ない。
据わり過ぎて初回にも関わらず、岡村への「キモい」「いい年してバカみたい」と思ってる本音みたいなのが、早速出ちゃってるのは、この先どうなるんだろうという感じでしたが。(笑)

ぶっちゃけ岡村がほんとに面白かった時代をほぼ知らない年代のコたちにとって、今の岡村に対する率直な感想としては、出川哲郎と大差ないんじゃないかと思うんですけどね。
共通点は、ブサイクチビで、いじられて下げられてナンボなのに、本人の願望的自己認識では二枚目ということですが。
「ゴリラ」と言われて普通に怒るってどうよ。いくら相手が国分とは言え。猿キャラは基本じゃないのか、あなたは。

既に明らかに国分の方が"腕"があるしね。悲しいわ。



その後のTVK23:00から、もう何回目になるでしょうか『水曜どうでしょう』「次の旅で毎週放送体制は終わります」挨拶を見て、やっぱりしんみりしてしまいました。
この番組の楽しさ、愛しさを、どう表現したらいいものやら。
頼むから関東U局の方々、何十回でも何百回でも、一生再放送し続けて下さい(笑)。何回でも見ますよ。
・・・・出来ればドラゴンボールも、しつこく再放送し続けて欲しい。気が付いたら多分、なんやかんや見てると思います。(笑)

全然分析は出来てないんですが、この番組の特別さは例えば、この中で見ればほとんど天才的に面白い大泉洋が、他のヴァラエティだと無理してはしゃいでる「本当は常識人な人」でしかなくて、さっぱり面白くないという事実が一つ表してるでしょうね。
『水どう』でも、基本常識人だというのはよく見れば分かるんですけど、その常識人をキレさせる(それが芸)番組側の仕掛け・追い込み・いじめ(笑)が、他の番組でちゃんと機能してるのを僕は見たことが無い。全国区になってもう長いわけで、ここまで来ると「大泉洋にはヴァラエティの汎用的反射神経は無い」というのは結論付けちゃっていいと思うんですけど。ホームオンリーというか(笑)。それも厚別限定?!(笑)
それはともかく。

田中真紀子(笑)を筆頭とする物真似芸も、毎度殺人的に面白いけど、じゃあ例えば物真似芸人になれるかというとそういうことでもないだろうし。技術もあって一種の台本力もあって、じゃあ何が足りないのかという。うーん、"場"を作る力か。アピール・プロデュース力というか。自分が力を発揮できるような。

簡単に言えば、今更言うまでもなく、この番組は徹底した「内輪」体質だということですけどね。
例えるならば、"徹夜麻雀の後半の、何を言っても面白く感じる状態"、あるいは"大学の文化系サークル員どうしの馬鹿話"、これを公共の電波に乗せて広く通じるようにディスプレイすることに成功した、奇跡的番組というか。
・・・・僕なんかは正に、"徹麻"と"文化系サークル"で青春を過ごしたクチなので、当然たまらないわけですが。(笑)

お馴染みのこの曲も、きれいにハマった時はほんと泣きそうになるというか、樋口了一さんになら抱かれてもいいという気になるというか。(笑)
やべっ、見てたらまた泣きそうになった。

昨日見てて何となく思ったのは、この番組の場合のそれぞれの"旅"(企画)の終わりというのは、単にある番組のその回の終わりではないし、コーナーの終わりですらないし、ほとんど毎回、好きだった「番組」が終わるくらいの哀惜感が一つ一つあって、それがでも贅沢にはすぐまた"次"が始まってくれるありがたさと、それらが寄り集まった『水曜どうでしょう』という実は巨大番組というか、長尺サーガみたいな存在感と。
だからいよいよ"終わった"時のショックなことよ。未だに受け入れてないので(笑)、つまりは再放送し続けてくれという、話になるわけですが。

年一ヴァージョンの衰えの無さは、あれはあれで勿論嬉しいわけですけどね。
『1×8』は逆に悲しくなるので、見てません。



その後の枠は『博士の異常な鼎談』。ゲストはラッパーの(?)宇多丸。
吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』が、単にラップっぽいのではなくて、本当に吉さんがあちらの当時のラップを聴いて、ああいうのをやろうとしたやった、文字通りの「日本語ラップの草分け」だということを聞いてびっくり。
凄い凄いとは思ってたけど、本当に凄い人なんだな。

演歌やらせてもトークやらせても、どストレートにクオリティ高くて、何らか正真正銘の天才というか、ほとんど何の弱点もないと思うんですが、その割にはどうも、半端な存在感で。
不動産トラブルが無かったら、違う現状もあったのか。
まあテレビに出るのが絶対ということではないんでしょうけどね、今すぐどこの番組でも、使えそうな気がするんですが。・・・・"危ない"のだけ避ければ。(笑)


そんな怠惰な、冬の夜でした。(笑)
デ・ラ・ソウルが日本人ラッパーに勇気を与えたというのは、何となく分かる気がします。
日常聴こえて来るその"成果"には、あんまりぴんと来るものが無いけど。
愛とか絆とか、真顔で歌われると目が点になります。オチの無い話をするなとあれほど。
どこかにはあるんでしょうね、面白いのが。僕が知らないだけで。