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’20年12月の東京V & いくつかの思い残し
2020年12月23日 (水) | 編集 |
12/2 38節 千葉△1-1 [得点者 : 藤田譲瑠チマ]
12/6 39節 町田●0-1

12/13 40節 長崎●0-2
12/16 41節 松本△1-1 [得点者 : 山下諒也]
12/20 42節 水戸●0-1

・2引き分け3敗で勝利無しですか。
前月に比べるとあからさまに点が取れなくなって(失点の方はそれほど変化は、元々あんまりそういうタイプのチームには見えないですが、確かにパッション的なものの減退は感じられる気がします。"原因"の一つとして。
・ベクトルを揃えるだけの集中力というか。(集中にはまず気力が必要)
「永井サッカー」の実践自体を最大のモチベーションにしているようにも見えていたチームでしたが、なんだかんだ"昇降格"という外的目標も、人並みに重要ではあったのかなと、そう感じさせる割りと急激な落ち方。
・シーズンの落ち着きどころが定まって、普通にダレたというか。
・"打算"で手を抜いたとかではなくて(そんな器用な選手たちでは逆に)、入れた気合が入れた先からどこかから漏れるのをどうしようもなかったという、そんな感じ。一生懸命集中力不足。(笑)
「チームの経営危機」問題とかは、どうなんですかねえ。
・どこまで聞かされているのか、聞かされたらプレーに影響が出るのか、出るとしたらどちらの方向に?
・例えば「奮起」したくとも、自分自身が固まっていないと、その意気込みに自分が耐えられないみたいなこともあるわけですし。(特に若い選手には?)
・最終盤の各選手の突発的に出るプレーの脆さも、そうしたタイプの影響の表れだと、考えられたらある意味幸せなんでしょうけどね。(少なくとも"無気力"よりは)
・大久保が「選手」として元気だったら、何か明確で"強い"言葉を聞かせてくれそうではありましたけど、さすがに今年の状態では。

・永井ヴェルディ全体について、僕なりに言いたいことが無いわけでは勿論ないですが、続投も既に決まっていることですし、僕自身の思考も"中途"という感じなので(その一部についてはこの後)、「総括」的なことは今年は特に書きません。
・経営問題についてもまあ、現時点で僕が言うべき何かも思い当たらないので、パス。
・では"思い残し"とは何かと言うと・・・

・ここのところ思うところあって、web版 footballista の記事を集中的に読んでるんですけど。
・その中で(永井)ヴェルディについて僕が過去に言ったことよよく言われることの、理解や発展や解決(?)のヒントになりそうな記事がいくつかあったので、シーズン終わりにあたってメモ的に紹介しておこうかなと。
・言ったってfootballistaの記事数も膨大ですし、有料化したことでそんなに誰もが気軽にアクセス出来るものでもなくなってしまったので、書き留めておかないとなかなか知られることも無く終わりになる可能性が高そうですし。
・といってもやっぱり有料(笑)なので、得意の"引用"書法は使えないので、「記事紹介」+「僕の問題意識」+(それとの関連での)「記事内容の"目次"的紹介」みたいな形になると思いますが。それくらいが多分限界というか。
・...ぶっちゃけ不便ですねえ。ほとんど「公共財」みたいなサイトだっただけに。「図書館」というか。または大学の「書庫」。
「本」なら誰か買った人読んだ人が、かなりの程度内容の紹介を具体的にしていいという、何となくの慣習はありますが(僕がよくやるように)、webだとほぼ半永久的に駄目な感じになりますし。
・中の人たちには感謝もしているし尊敬もしているし、いち営利企業(?)に過大な要求は出来ないわけですけど、何かもうちょっといい形は無いのかなと、考えてしまいます。
・いっそwebは完全新装開店で、別の名前・形態でやってくれた方が、すっきりしたかもという。
・footballistaだと思うから、欲求不満になるという。(笑)
・別に自分がお金払うのは構わないんですけど、人に紹介しづらいのがどれくらいの人が読める環境にあるのかが分からないのが、何とも困る。


・思い付きで言っただけですけど、この"時限付き"方式駄目かな。
・まあ多分これは「各記事課金」方式の場合の方がはまって、実際はサブスク方式なので払わなければ(有料記事については)0で払った人は過去ログ読み放題という、今の形な訳でしょうけどね。


・ともかく(笑)本題。
・まず最初は、この間のメキシコ戦で見られた日本代表の「対応力」(の不足)について論じた前・後編に渡る対談記事。

【戦術対談】五百蔵容×山口遼。メキシコ戦で見た日本代表の「対応力」問題 (2020.12.15)

五百蔵「日本はメキシコを丸裸にして、その情報をいつもよりインプットされて戦っていて、前半からガチンコで挑んだ試合、今までのそういう試合――アジアカップ準決勝のイラン戦やウルグアイと引き分けた試合など――は大体良い結果が出ていたんですけど、この試合は内容的に全然だったなと思いました」


山口「僕が思うのは、日本では攻撃は攻撃、守備は守備と、同じ局面として捉えてトレーニングをしがちだと思うんです。でも守備と言っても、例えばハイプレスをかける時とミドルプレスをかける時、あるいはブロック守備になった時で、ボールにどの程度チャレンジするかの度合いは変わってきます。これまでの日本代表の試合を見ていて感じるのは、攻撃も守備も局面ごとの原則が分かれていなくて、ハイプレスの局面もブロック守備の局面も同じ原則でプレーしているように見えるんです。自陣に押し込まれた時にボールに行き過ぎてしまったり、逆にマンツーマンで人に行き過ぎてスペースを開けてしまったりという綻びが常に見られる。


【戦術対談】五百蔵容×山口遼。日本サッカーには「マクロな戦術行動」がない? (2020.12.18)

五百蔵「今まで議論してきた相手の戦術に対するピッチ上の対応能力とは別に、マクロな部分の対応、例えば相手が4バックに変えてきたらこうする、と決まってくることがあるじゃないですか。まずは『4バックにしたらSBとCBの間のスペースが空くことに対してこのチームはどうするのか』を見ておけばいいとか、構造上で見るポイントが決まってくる。
 ロシアW杯の壮行試合で、どの相手かは失念してしまったのですが、日本が途中で4バックから3バックに変えたんですけど、『SBがウイングバックに変わったぞ』『相手の立ち位置が変わってくるからこういうふうに変えよう』と、かなりオートマチックに2、3分しないうちに相手の対応が変わっていたんです。
 一方、日本の場合はアジアカップ決勝がわかりやすいですけれど、カタールが3バックというのはあり得たのに南野や大迫が始まってから10分ぐらい『どうしようか』と試行錯誤しているうちに、点を取られてしまった。フォーメーションの噛み合わせで生じる問題はマクロな問題なので、少なくとも初手の対応は始まる前から準備できるはずです。事前の落とし込みにしろ選手の判断にしろ、そのマクロな部分が弱いままなのかなと。その理由というのが、戦術行動をマクロなものとミクロなものに分離していないからなんじゃないかなと」


・...引いたのは「無料」部分からだけですが、見てみるとこれに関してはこれだけでも、まあまあ何とかなるかなという感じ。
・日本代表(または日本人選手)について昔からよく言われる、「試合中の相手の変化への対応力が無い」という問題について、その内実や原因を、二人の論者がそれぞれに推論しています。僕なりにまとめてみると・・・

五百蔵
1.日本代表は事前に対策を練ったある試合ピンポイントの「対応」は実は(昔から)上手い。
2.しかし"ピンポイント対策"以前の、(4バック時と3バック時のような)"一般原則"的な対応の仕込み/共有が甘くて、試合中の変化への対応には問題が出て来ることが多い。

山口
1.日本は局面の細分化が不十分なままトレーニングしているので、当然「対応」の細分化も不十分で、試合中の変化への対応に戸惑うことが多いのではないか。


・記事全体は「マクロ」と「ミクロ」として括ってあるわけですが、二人の言っている「マクロ」と「ミクロ」は一応別のことで、五百蔵氏は一般原則というマクロと個別の対策というミクロの問題の区別を、山口氏はサッカーの"局面"の(「攻撃」と「守備」のような)大まかな把握というマクロと、より細分化した把握というミクロを問題にしています。
・ちなみに"有料"部分では(笑)、山口氏は五百蔵氏と同様の議論もしています。
・「日本代表」についての二人の議論、特に五百蔵氏の言う日本代表の"特徴"にどれほど同意できるかは人それぞれでしょうが(山口氏のは練習状況の純粋な推測なので余りそういう問題はない)、今回の問題はそこではなく。
・ここでは日本代表について言われている
 「一般原則」(と)
 「ある試合ピンポイントの対策」
 「そもそもの試合状況の局面の認識の細かさ」

という問題意識、問題の区分が、今季永井ヴェルディについても界隈でよく言われていた「対応力」の問題と重ならないか、理解の助けにならないかという、そういう話です。
・永井監督自身が、「相手に合わせる」「局面に合わせる」("相手と対話する""相手のいないところを狙う")ということをかなりテーマ的に言っている人なだけにね。
・チームとしてマメに「対策」は練っているようだけど、そのゲームプランがハマらなかった時あるいは相手が(多くはハーフタイムに)変えて来た時に、再度の対応が出来ずにずるずるやられるということがよくありましたよね。
・それは
 1.対応の「一般原則」が仕込まれていないせいなのか。
 2.仕込んでも選手が修得出来ていないせいなのか。
 3.「一般原則」という考え自体を監督が重視していないのか。
 4.全ての場合に共通して、局面の想定の細分化が不十分で、実戦に対応できるレベルに(練習が)達していないのか。


"3"は何か突然出て来たように見えるかも知れませんが(笑)、"有料"部分で日本は対策と一般、特殊と普遍を別のものと考えてしまっている傾向があって、"対策"の人は対策をやる、そうじゃない人は"自分たちのサッカー"をやると対立的になってしまっているということが語られていたので。
・仮に2分するとしたら永井監督がどちらなのかは、難しいところがあるかもしれませんが。
・"狂気のポゼッションサッカー"の人として「自分たち」派の究極として、特に"批判"される場合も多いですが。
・ただその"スタイル"の構築自体の中に「対策」「対応」の思想が色濃く入っているとも思うので。
・僕自身は、あえて言えば「対策」「対応」派の監督だと思っています。
そっちのタイプの"弱点"が目につく場合が多いというか。
・あるいは「自分たち」派としては、良い意味での執着が弱過ぎるというか。
・まとめて"どっちつかず混乱"派、あるいは"弱いスタイル"派である可能性もありますが。
・どうなんでしょうね。
・そもそも僕自身が「対策」「対応」に余り関心が無くて、上で挙げたような問題意識自体が借り物なので、これ以上の問題の特定は出来ません。
・得意な人関心のある人の、問題整理のヒントにでもなればと、一応書いてみました。(紹介してみました)


・・・次は僕自身が、特に最近関心を持って論じて来た問題に関して。
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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
’20年11月の東京V & 通り魔的リカルド・ロドリゲス考
2020年12月01日 (火) | 編集 |
11/1 30節 新潟△2-2 [得点者 : 藤田譲瑠チマ、端戸仁]
11/4 31節 金沢△2-2 [得点者 : 佐藤優平、佐藤優平]
11/7 32節 徳島●1-2 [得点者 : 藤田譲瑠チマ]
11/11 33節 京都〇2-1 [得点者 : 山下諒也、井出遥也]
11/15 34節 群馬〇3-1 [得点者 : 山下諒也、端戸仁、井上潮音]

11/22 35節 山口〇2-1 [得点者 : 端戸仁、端戸仁]
11/25 36節 福岡△1-1 [得点者 : 山下諒也]
11/29 37節 琉球●0-4


・結局8試合やったか、凄いな。週2ペース。ご苦労様ですね。
J草創期の2ステージ制の時以来ですけど、あの時が"弾丸"だとすれば今回は"流れ作業"という印象が若干あるのは、サッカーの変化と日本人選手の(良し悪し含めての)成熟ということなんでしょうね。
魂より頭というか。(笑)

・特に"まとめる"気はないですが、月一くらいでは何かサッカーのことを書かないと、さすがに色々義理が立たない気がするので。
・前回/先月はほぼほぼ山形戦について書きましたが、今回はほぼほぼ徳島戦で。

・かなりお手上げ気味に圧倒された前半と、その割にはスコアも内容もそれなりに拮抗した後半という試合でしたが。
・正直逆に、弱えな徳島と思ってしまいましたが。(笑)
「内容」と「結果」の結びつきの効率が悪い、相変わらず。
・といっても僕が熱心に見ていたのはリカロド体制の最初の二年、'17年と'18年だけで、最終順位的に"結果"を出し始めたここ2年は余り見てないんですけどね。上はその"当時"感じていた不満。
・もっと結果出してくれないと、"日本代表監督"に推薦できないじゃないかと、そんな余計なお世話を考えてました(笑)。好きでしたね。
・まあ今季の"永井ヴェルディ"観戦のあるあるとしては、「直接対決の手応えとそのチームのトータル成績が余りリンクしない」というのが大きな特徴だったと思うので(笑)、その徳島が現在J2首位でいよいよ昇格が秒読みな位置にいる事には、特にこの試合一つから言えることは僕からはありません。
・"強く"なってるのか何かが変わったのか、ぶっちゃけ去年から、よく分かんねえなあと、思い続けていたりします。それはともかく。

・その"圧倒"された方の前半について。
・まずは僕の感想。

・奇しくもほぼ同時刻の(笑)、らいかーるとさんの感想。

・やや時間を置いてトータルでの、あ.さんの感想。

・僕が言ったのは、1."戦術"自体の差というよりも"個々""局面"の判断・選択の厳密性&スピードの差が大きくて、その積算が全体としての大きな差になっている。ということと、2.その"個々""局面"のぼんやりの具体的な様子としては正にらいかーるとさんが後半部分で言っている「状況を認知してどのようなプレーがいいかなって考えながらプレーしている」というそういうことですね。
・"ですね"と言っても僕にしか分からないですけど(笑)。ないしその時シンクロしてた人にしか。
・まあ基本僕試合中はツイッタラーじゃないので。普段は画面すら開いてないので、慌てて開いてかなり衝動的にタイピングしてます。(笑)
・補足するとだからあの時のヴェルディと徳島の差は「戦術」の差ではない、というかそれ以前の差が大き過ぎて、そこを比べるまで行ってないというそういう含意があります。
・そしてらいかーるとさんの"前半"部分、「選択肢」化が進んでいるかどうかというのは、後半部分のヴェルディが(悪い意味で)「考えながら」プレーしなくてはならないその理由・内容として示されていると思いますが。
・それ自体も、同意です。
・同意なんですけどただ、恐らく多くの人は、これをヴェルディと徳島の「完成度」の差だと、読むと思うんですよね。
・"選べばいい"ところまで"詰めて"ある徳島と、いちいち考えなくてはいけない段階のヴェルディと。
・現象としてそうではあるし、後で述べるように最終的にもそうである可能性はあると思いますが、ただ原理原則的に言えば、この認識は少し正確でない、フェアでないと、僕は思います。
・そういう意味での「完成度」を、ヴェルディ(永井秀樹)は徳島(リカルド・ロドリゲス)と、そもそも競ってはいない。
・そうではない、少なからず別物なのだと、そういうことを、その後のあ.さん(「ヴェルディと徳島はサッカーの構造が違う。」)も言っているのかなと、少なくともツイートを見た時は思いましたが。(違ったらごめんなさい)

・具体的にどう違うかというと、言い方は色々あるというか容易に用語が錯綜するところなので難しいですが、今回出て来た用語を使えば「選択肢」化、「選択肢」を整備する、「選択肢」として限定化を進めることによって判断・思考を自動化迅速化する方向を、永井ヴェルディは向いていない。
・対してリカルド・ロドリゲスの徳島は、向いている、比較的に。
・この「選択肢」化を言い換えると「パターン」化ということでもあるし、更に言えば"伝統的"な意味での「組織」化でもあるだろうと思います。
・ここらへんはふかばさんが最近も複数回問題にしているところで、

現代においては、エリア前まで運ぶのが監督の仕事、そこから先は選手の仕事、と言われるように崩しの形を監督が用意する時代ではありません。
いつからやねんって?
2009年の時点でパターン、オートマチズムじゃなくコンセプトの時代と言われてましたよ。

(『ミゲル・アンヘル・ロティーナを取り巻く騒動に思う』 '20.11.22)


・誤解を恐れず単純化すれば、リカロド徳島には「パターン」「オートマチズム」の性格が結構残ってるけど、永井ヴェルディはかなり「コンセプト」純血に近い。(と僕は思う)
・...ふかばさんのこの書き方は、ここらへんをより包括的に書いた別記事が前提になっているんですが、たった今(笑)判明したところによると管理上の都合で現在その記事がネット上に存在しない(復活予定はあるとか)ようなので、可能ならば再アップ後に謹んで補足させていただきます。(笑)
・とにかくリカロド徳島のプレーのクリアさにはある程度"オートマティック"に"形"に従ってプレーする性格の助けがあるのに対して、永井ヴェルディはそもそもが「コンセプト」、一般的なプレー原理・原則の自然的展開としてその都度"形"も発生するという性格が強いので、"考えながら"プレーするのがデフォルトみたいなところがあって、単純に「完成度」の差では言えない部分があるという話。
・極端に言うと、「完成」を目指さないのが永井流というか。宇宙の法則は最初からただそうあるのであって、徐々に完成したりはしない。

・その永井流やその元になっている現代ポジショナルプレーについては既にさんざん書かれていることなので今回は割愛するとして、余り誰も言わないだろうリカルド・ロドリゲスの"伝統"性について少し書くと。
・一つには"システム""フォーメーション"の捉え方、位置づけ。
・例えばこの試合についてのサカダイwebの記事('20.11.7)。

「正直なところ我々にとっては違いはない。相手によって3枚、4枚と使い分けている」と語るものの、相手のかみ合わせもあって採用した3バックがハマり前半は圧倒的にペースを掴む。


・言葉尻のようですけど、「使い分け」という感覚が健在である、言い換えればシステムがシステムとしてまとまったものとして認知され続けているのを、濃い目に感じます。
・これはJリーグで言えば、3バック(3-4-2-1)を主戦にしているチームに、より強い傾向かなとも思いますが。
・対して永井ヴェルディもそうですが、4-3-3を主戦にしている今風のチームは、もうほとんど"システム""フォーメーション"という感覚は無くなっていると思います。
・本当に「便宜」というか、相手への対応と"11人"という縛り(笑)からなんだかんだたいてい落ち着く人の配置というだけで。
・または永井ヴェルディが各ポジションにつけている独特の名称(フリーマン、ワイドストライカー、フロントボランチ等々)に表れているように、11人それぞれに割り当てられた役割の集合体間の位置関係。

・リカルド・ロドリゲスの"システム"観については、約3年前にも面白いなと思ったインタビューがあって。
・こちらはフットボリスタ('18.1.30)。

「逆に言えば、システムが重要なわけではないのです。大切なのはチームのアイデンティティです。(中略)それを実現する手段としてシステムがあるわけです。そして重要なのは相手があるということです。だから、『このシステムでしか戦えません』という選手ではダメでしょう。これはしかし、チームが機能しやすい『快適なシステム』の存在を否定するわけでありませんよ」


・前段で(3&4等の)"使い分け"の話を一通りして後、"コンセプト"に近似(イコールではないと思いますが)の"アイデンティティ"という一般性の話をしつつ、最後に言ったのが「『快適なシステム』の存在」、つまり"ベストの形"という、伝統的なチーム作りの目標を否定しないということ。
・少し背景を説明すると、"リカルド・ロドリゲス"ファン(笑)としての僕がこのインタビューの2カ月ほど前に終わったリカロド初年度2017シーズンの徳島に(途中から)感じ続けていたのは、いや、リカロドさん、ちょこちょこちょこせわしなくやり方変えて、一つ一つはそれなりに見事でかつそれなりに目先のメリットはあるんだろうけど、でもどれかを突き詰めた方がor少なくとももう少し一つのやり方の限界まで行ってから次に行った方が、蓄積するものはあって最終到達点は高いのではないかな結果としてどれをやっても同レベルで終始してない?という、ある種"伝統"的なチーム作りの見方からの不満でした。
・だから「『快適なシステム』の存在を否定(しない)」という、言わば"伝統への配慮"をリカルド・ロドリゲスが持っていることを知って、おや?と思ったんですけどね。(笑)
・別な観点から言うと、そういう"フォロー"を問わず語りに(?)リカルド・ロドリゲスが入れたくなるくらい、この時点では"ベスト""究極""完成"を目指す伝統的チーム作り観と、相手・状況への即時的対応の効率を徹底的に重視する近年的チーム作り観がまだ拮抗していたということだと思いますが。
・そこから約3年経って、少なくとも表面的には、更に後者への傾斜が進んだ気がしますが。今ならリカルド・ロドリゲスも、こんな"フォロー"をわざわざしないかも。(笑)

・と、若干ぼやけた気もしますがこのような"葛藤"も抱えつつ、未だに"固体"(誤字ではない)としてのシステムの"使い分け"などにも日常的に言及しつつ、それらに根差したある程度パターン化された人の動きという旧世代的特徴の引力圏内で、リカルド・ロドリゲスはサッカーをやっている/チームを作っているように見えます。
・ここ2年の徳島の成績からすると、「だから強いんだ」(ヴェルディより)という論理展開もありそうではあるんですが、残念ながらそれについては僕は空白です。マジに何も言えることが無いです。(威張るな)
・最初の2年については、そうした伝統と革新の程良い融合、"伝統"というリソースの有効活用が、当時の徳島のサッカーの多くの日本のサッカーファンを引き付けた鮮やかさ及びその驚くべき"速成"ぶりの、一つの理由だっただろうということくらいは言えますが。
・ちなみにだから、浦和なり何なり舞台をJ1に移しても、割りと難なくリカロドさんは成果を上げそうな気がします。そんなに特別な教育・素養は、日本人選手に要求しないタイプではないかと思います。
・あるいは実は相性がいいのか。それこそかつてのトルシエのように。
・逆に"世界の"サッカーでの位置づけは、あんまりよく分からない所のある人だと思います。指導歴もアジア中心で、微妙っちゃ微妙ですし。
・でも日本人にはちょうどいいかも、という意味も含めて、かつては代表監督就任を望んでいたりもしたんですが。(笑)
・話戻して例えば永井監督には、リカロドが抱えているような"葛藤"は、知る限りほぼ見当たらない気がします。監督としての世代が新しいせいか、もっと素朴に"新しい"サッカーを信じている感じ。
・一方で世代的にはリカロドよりだいぶ古い筈のロティーナは、こちらは純理論的によりはっきり"伝統"とは決別している感じですね。
・ともかくこの二人(師弟)がいったん"個人"のレベルまでサッカーを分解してから、そこに一般原則・汎用プログラムを与えて個々を連動させる(に任せる)のに対して、リカロドの場合は最初からある程度"集団"や"組織"のレベルに基礎を置いてその動きをあれこれするという、比較すればより伝統的な、長らく"知的""良心的"と主流的にされて来たイメージで、サッカーを構築しているように見えます。
・...どちらも広い意味では"ポジショナル"なプレーシステムの素養を共有はしつつ。
・一方で前者には極度に作為的な(監督の)「将棋」の局面もあるんですけど、そこはややこしくなるので今回は無しで。

・改めての今回のまとめとしては。
・11/7、32節徳島戦で露わになったヴェルディと徳島の個々のプレーにおける"厳密さ"の差(ヴェルディの劣勢)は、単純に両者の完成度進捗度に差があるのとは別に、そもそも両者のチームデザインの違いによる面も少なくないのではないかという話。
"厳密""完成"を目指す傾向目指し易い傾向を持つ徳島に対して、それとは少し違う機能性構築性を目指しているヴェルディの。
・だから"模倣する必要はない"(あ.氏)しそもそも出来ない。どんなに"完成"しても徳島にはならない、現在のヴェルディの延長線上に徳島はいない。
・と、いうことは当然分かりつつ、しかしそれでも尚僕がわざわざ(笑)ツイッター開いてまで上のようなつぶやきを漏らしたのは。
・それにしても、という危機感が若干あったからでしょうね。
これでいいのかという。
・それは一つの、"基準"の問題でもあると思います。
・つまり永井流という"やり方"自体には一定の権利・承認を与えつつ、普段は程々の相手とやったりやられたりしながら個々の原因・要因を云々して過ごしつつ、しかしたまにこういう突出した相手とやってみるとそれまで"許"していたプレー水準が急に許されないもののように見えて来る。・・・親善試合や同地区のあからさまに格下な相手との試合も多い代表チームだと、割りと馴染みの光景・瞬間ではありますが。
・いきなり"基準"が与えられる。急に背筋がしゃんとする。
「~までは出来ているけど~が、そこから先が」的な言い方を慣用していたものが、あれ?本当に「出来て」るの?出来てると言っていいの?という不安に駆られるというか。
・やり方や特徴はそれとして、そうはいってももう一回り二回り厳密さ、あえて言えば"狭さ"を獲得しておかないと、現象として無理なんじゃないのある程度以上の相手には通じないんじゃないのという。
・そしてここまでの監督選手たちの努力成長を一定程度評価するからこそ、逆に今の"延長"で必要なレベルに達するのかという、そういう不安も。もう構造的なものなんじゃないの?という。
・ここでいう"構造"というのは、原理原則の事ではなくてそれを"永井秀樹"という個人が実行する時に必然的結果的に生まれる内容みたいな意味ですが。分かり難くてすみません。

・...そうですね。例えばペップが就任して以降のシティ、作り始めの時から強くなってプレミアを席巻した時、そこからちょっと落ちて来た現在に至るまでの時、それぞれどの時期を見ていても、実は「厳密」性という意味では余り印象は変わらないんですよね。("組織"的には)
・だいたいいつも似たような感じで、厳密じゃなかったから弱かったわけでも厳密になったから強くなったわけでもない。
・どちらかというと個々の選手のプレーのクオリティ("戦力"というだけではなく)でチーム力が決している感じで、そういう意味ではやっぱりそういうサッカーなんだろうなとは思います、永井監督のも。
・"組織"より"個人"が大事なサッカーというか。(言い方ですが)
・まあ見てみるしかないんですけどね、それこそまだ"伝統"になってないやり方なので。
・当てになる経験則も乏しい。"ケーススタディ"のバリエーションが。
・それぞれに思うところ予感するものはあるでしょうけど(笑)。経験則に基づいて。
・トップレベルや理想状態においては、確かに旧来的"組織"の固体性が、"原則×個人"の連続が織りなす流動速度に追いつかないで瓦解する様は、ちょいちょい見られるのは確かなので。
・「完成度」競争には付き合わないまま、そういうチームたちを越えて行く未来も待っているのかもしれない。
・リカルド・ロドリゲスの"折衷"性を笑える日が来るのかもしれない。(笑)


おまけ(11月全般)
・前からですけど、祥平シュート上手過ぎませんか?
・足も頭も、当て勘もそれに従って乗せる"威力"も抜群。この選手をDFとして育成してしまったヴェルディは、実は大きな間違いを犯してしまったのではないかとまで。(笑)
・強い、(そこそこ)高い、速い、CBとしては多分国際水準ではないのかもしれないけど、FWとして日本トップになれそうな資質は十分にあったような気が。
・"気性"も含めて。(笑)
潮音第二の、そしてより深刻な成長の"踊り場""伸び悩み"疑惑?
・"適応"はしてしまった後で、それ以上のモチベーション、現状打破のマグマを、自分の中に見つけられない感じ。
・"天才"肌ながらも性格の良さに定評のある選手ではありますが、さすがに最近は少し"くさ"ってるのではないかほっとくと鬱っぽくなってしまうのではないかと、割りと真面目に心配です。
・結局はサイドでは無理があるよなあという事なのかもしれませんが。
・いや、必ずしも(サイドで)限界とは僕は思わないんですけど、何より本人がそう思っちゃってる感じがします。
・少なくとも永井体制の"よい子"でい続けようとする限りは。
・その潮音のある意味活きる場を奪っている格好の、大活躍の端戸ですが。
・単純に比較すると、やっぱり最低限の"ポストプレー"は出来ないといけないということはあるんだろうなとは思いますねあのポジションは。
・本当に単純ですけど。(笑)
・一応ぐーちょきぱー全部出せてこそじゃんけんというか。
・特殊戦術とはいっても限度がある。
・一回離脱後のマテウスは、スーパーセーブは挟みつつも、なかなか前ほどの安定感が出てないというか、結局"神"が"神"でないことが、大量失点複数失点の言いたかないけど小さくない原因にはなってしまってるように見えますね。
・股とか脇とか、簡単に抜かれ過ぎな気がしますし。シチュエーション的な同情は、都度都度あるにしても。

永井監督の続投については、まあ当然としか言う事が無い感じです。
それによる前途にそんな大きな希望・期待を抱いているわけではないですけど、クラブの状況とここまでの一応の"成果"を見る限りでは、いずれ交代することがあるにしても今ではない。
そして交代するにしても、永井監督の成果を"収穫"出来そうなタイプの監督にして欲しいと、そう希望する程度には既に色々な物を見せてはくれていると思います。・・・"見せて"いるだけと思うところも、あるんですけど(笑)。永遠にデモンストレーションが続くのではという。

でもぶっちゃけペップのシティ続投の方が、よっぽど閉塞感ありますね(笑)。"好奇心"の刺激という点でも、永井ヴェルディの方が上ではないのかなという、天下のペップよりも。


テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
サッカーにおける"グループ"について (’20年10月の東京V)
2020年10月28日 (水) | 編集 |
もう10月も終わりですか。

10/3 24節 大宮〇3-1 [得点者 : 平智広、山下諒也、平智広]
10/11 25節 岡山●0-1
10/14 26節 愛媛〇4-1 [得点者 : 新井瑞希、高橋祥平、小池純輝、佐藤優平]
10/17 27節 栃木△0-0
10/21 28節 磐田△0-0
10/24 29節 山形●0-4

6試合?意外と少ないなと、一瞬思ってしまう慣れが怖い。


・試合内容としては、とにかく点が取れないというのが、数字として出ているところ。
・固め取りはしてますけど、点が取れないチームが固め取りだけしてると、尚更"弱さ"が引き立つ感があるという。
・トータルの数字はそこそこ残すけれど、実質余り役には立ってない外国人大砲的な。(主に野球。サッカーでもたまに。(笑))
・そういう選手は、どのチーム行っても同じなんですよね。所変われば軸として活躍し出したりはしない。常に"楽"なところでだけ活躍する。
・話戻して。
・要するに形は持っているけれど、その形を出せる状況を自力で作り出せないチームというか。
・形は持っているので必要なのは"上積み"や"新オプション"ではなく、その"形"を含めた"持っているもの"をきちんと状況適応的に回転させる有機的なチームの内実・・・て、何言ってるのか分からないな。(笑)
・とにかくプログラムだけ増やして行っても、その時々やることが"変わる"だけで、一向に向上したり強くなったり"成熟"したりはしない感じ。
・Aを上手く使えなければBも上手くは使えない。あるいは同レベルでしか使えない。
・ひと昔前はこういう"選択肢"志向のチームに対してよく浴びせられた、「順列組み合わせ」という皮肉そのものの状況というか。
・ちなみに最近は「順列組み合わせ」であること自体はある意味当たり前になったので、その中での優劣に焦点が移動している、そういう感じだと思いますが。

・こうしたことに関係する・・・のかどうかよく分かりませんが、最新山形戦で興味深かったのが、解説の越智隼人氏の82分頃のこの解説。

ヴェルディは相手を広げる為にポジションをワイドに広げながら、長い距離のパスも多用しながら、ボールを相手から離した時に個の強さとかを出して行くという狙い。
逆に山形はもう(ヴェルディとは)両極端で、ボールの近くにグループを作ると言うんですか、ちっちゃいグループを作って数的優位を常に維持して行くというところで、大きな違いがあって。
似たようなサッカーを志向しているなとは思いつつも、形は全然違いましたね。

・ヴェルディと山形の志向するスタイルが似ていて、そしてこの試合で山形がその"理想"形を示してくれたというような言い方は、この完敗の試合を承けてのヴェルディサポのツイートの中にもいくつか見られましたが。
・"似ている"事は肯定しつつもの、越智氏のこの解説。

・まず僕は山形のサッカーをそこまで注意して見たことはない。
・あとヴェルディが「長い距離のパスも多用」しているのは、比較的最近のことですよね。
・だからそこまで2チームのサッカーに「両極端」と言う程の違いがあるかについては何とも言えないところはあるんですが、それはそれとして、面白い指摘だと思いました。思い当たるところもある。
・要は『グループ』ということだと思うんですよね、越智氏の直観の中心にあるのは。
・ヴェルディが"グループ"を作らないということについては実は前半でも一回越智氏は述べていて、その時もびくっと(笑)はしたんですがとりあえずはこの日のヴェルディが"コンビネーション"が上手く行ってないと、そういう一般的な指摘として流してありました。
・ただその後のこの指摘を聞いて、やはりそれ以上の何かを言おうとしていたんだなと。

・越智氏の解説の解説(笑)を続けると、"ボールの近く"に"ちっちゃいグループ"を作って"数的優位"というと、思い浮かぶのはやはり最近だと何と言っても森保ジャパンのサッカーで、つまり所謂"和式"的なものの中心的な特徴。
・対して永井ポジショナルはなるべくスペースを広く均等に効率的に使って、無駄な密集を作らないようにボールと人を動かして行くスタイル。
・それが結果的に最少人数の敵味方の"やり合い"に繋がるのであって、別に「個の強さ」に自信があるからそれを前面に出しているという事ではないと思うんですけど(笑)。そんな言い方されると照れるぜというか。(笑)
・ヴェルディはオランダでもリバプールでもないよという。
・勿論ウィングを中心に特定の選手(例えば小池)については、意図的に1対1的な状況を作ろうとしている場合もありますが。
・ただ全体としてそこを押し出しているわけではなくて、ヴェルディはヴェルディなりに、"集団"でボールを運ぶことが中心にはある。
・その一方でじゃあ石丸モンテディオが森保ジャパンなのかと言うとそんなわけは明らかにないので、ここで越智氏が言っているのはつまり、2チームのポジショナル的な共通のスペース使用の感覚に"加える"ものとして、山形には"グループ"の感覚・意識が強くあると、そういう事だろうと思います。専従解説者として、日々見ている中での観察として。
・逆に言うとそれが(少なくともこの日の)ヴェルディには欠けている/薄いと、越智氏は感じた。

・で、多分それは基本的に当たってるだろうと、僕も思います。
・つまり伝統(というほど古い話ではないかもしれませんが)的に「個人」「グループ」「チーム」(全体)の3階建てで語られることの多かった"戦術"の中で、永井ヴェルディを主に構成しているのは全体/チーム戦術とそれを遂行する個人の二層であって、そこに「グループ」という層を特に介在させる必然性現実性は薄いだろうと。
・ただそれは別にあえてそうしようと永井監督がしているということではなくて、"ポジショナル・プレー"を筆頭とするサッカーの戦術、よりはっきり言えばチーム戦術全体戦術の高度化徹底化の中で、広範に自然に起きている現象だと思います。その一例としての、永井ヴェルディ。
・サッカーが必ずしもそういうものでなくてはいけないそうでないと勝てないというものではないという身近な例としては、Jリーグにおける鹿島アントラーズなどというものがありますね。
・これといった大文字の(全体)"戦術"があるわけでも資金力やそれに伴う選手の質がそこまで突出しているわけではなくても、結果的に長期に渡り、"突出"して安定した好成績を収め続けて来た鹿島。
・それを可能にして来た有力な一つが、正に"グループ"の強さだと思うわけですけど。受け継がれる。
・「個人」と「全体」の、言わば"中間"にある。
・その背景に"ブラジル"サッカーの強固で特定的な伝統があるのは確かですけど、ただこれは別にブラジル特殊の現象という事ではないので。
・上で言ったように「全体戦術の世界的発展」により「グループ」の影が薄くなったのであれば、それ以前はむしろ「グループ」が強いのが当たり前というか、そこで勝負が決する可能性が高かった。(だから鹿島も"常勝"だった)
・そこまで徹底的なチーム戦術を持っている監督の割合も限られていたし、またこれは現在でも同じことですが、そうそうチーム"戦術"なんてものは狙い通りには上手く行かないものなので、それを補完したり補強したりセーフティネットを張ったり、場合によっては(挫折後に)代替するものとしてのグループの強さの重要性は、ごく当たり前のものだった。"事実"として。
・まあブラジル/南米/ヨーロッパでもラテン寄りの方が、より"グループ"が主役である度合いは大きいという事は言えると思いますけどね。
・オランダなんかは割りと昔から、ほとんど「全体」と「個人」の印象しか無い。
・ちなみに我らがヴェルディも勿論というか何というか、ある意味鹿島と双璧に"グループ"の主役性の強い伝統を持っていて、そこにはやはり「ブラジル」という共通性は小さからぬ役割は果たしているわけでしょうが。
・それを"強み"として継続利用に成功して来た鹿島に比べると、弱みというか偏りというか、逆にチーム戦術の"弱さ"として表現してしまう事も少なからずあって、両者の成績・現状の差の一因にもそれはなっているわけだろうと思いますが。
・ただそれでも定期的に訪れる、たいていは"チーム戦術"的な整理が上手く回転している時には、他のチームにはなかなか無いようなグループ/コンビネーションの強さ濃密さで、(チーム)戦術が保証する以上の戦闘力をヴェルディが発揮することは、その歴史の要所要所であったように思います。

・そのヴェルディに"グループ"の影が薄い、むしろそれが"特徴"にすら見える、基本の戦術に共通性の多い山形との直接比較においてと、越智氏は言うわけですけど。
・それが本当なのかだとしたらなぜなのかという話をする前に、そもそも"グループ"は必要なのかあるとどんな役に立つのかという話を、一回してみた方がいいかも知れません。
・一つにはやはり"普遍"的な現象として上でも言ったように、全体戦術のその時々の状態に応じて、局面の威力を追加したりそれ以前にチーム戦術のスムーズな進行を補助したり繋がりのぎくしゃくしたところを調整したり、一定の範囲でずれを"吸収"したり、そういう機能は果たすと思います。
・崩壊時には勿論代替で動きのベースを提供するわけですが、そこまで行くと別の話になるのでおくとしても、例えばそのチームが元々持っていたコンビネーションやグループ性と、新たなチーム戦術が要求する機能性が上手く"結婚"したりすると、単に"学習"する以上の活き活きとした様相をそのチームのサッカーは呈することになりますね。
・より大きな構図で言うと例えばこういう視点。
・以前、去年、永井ヴェルディの特徴/問題点として、「空間性については緻密だが時間性については無頓着だ」という話をしました。("時間"の問題。/東京V-鹿児島(’19)、東京V-山形(’19)』)
・その時に空間性について近年のサッカー戦術の精度が大きく増したのは確かだが、そのように皆が空間性に気を配るようになったのなら、逆にプラスして時間性についても繊細であればより競争性が高くなる理屈だ、あるいは"空間の時代"以前の世代の監督であるロティーナには正に空間に加えて時間についても一定の繊細さがあって、それが空間一本の永井監督との違い/差として見えるという話をしました。
・同じ論法で、皆がチーム/全体戦術に腕の冴えを見せるようになった時代において、そこでいったん置き去りにされた"グループ"という要素が、差別化・横並びからの抜け出しの逆に鍵を握るという可能性も、論理的には大いにあるのではないかという。
・この1試合の結果(笑)だけを踏まえるならば、今回の越智氏の観察・分析も、見ようによってはそう言うことを言っている、"グループ"の有る無しが山形とヴェルディの差だと言っているとも取れる。(そこまでの意図は無いでしょうけど。(笑))

・そういう"敗因分析"の可能性を受け止めつつただ僕が越智氏の解説から一番強く思いを馳せたのは、実は今回の冒頭で述べている"成熟"の問題、(永井)ヴェルディが順列組み合わせを繰り返すだけで余り蓄積したり成熟したり熟成したりしないようにここまで見える問題について。
・要は「成熟」「熟成」というのは、専ら"グループ"に宿るものなのかもしれない。
・監督とその頭が司るチーム/全体戦術は、その性格からどうしても「計画」と「理屈」の型通りというか一面的なものになる。ある意味それこそが目的でもあるし。
・個人は勿論、勝手に熟成することは出来ないというか出来たとしてもそれは言わば"独自解釈"が深まるだけなので、下手すると断絶孤立の元になる。進歩が進歩になるのは、"共有"されてこそ。
・となると「成熟」などという曖昧なもの、成果や経験の一定の遊びを持った保持、そこからの蓄積や化学反応とその継続のようなものが発生するのはそれらを抱え込めるのは、"グループ"の領域なのではないかと。あえて特定すれば。
・「チーム」戦術とそれを遂行する「個人」という直線的垂直的な関係ではなく、その間に挟まって監督の意向とも個人の欲望とも、一定の距離一定のずれを構造的に持ちながら、それらを現実と接合したり吸い上げたり柔軟に運用したり時にデリバティブを利かせたり("戦術が保証する以上の戦闘力")する"グループ"。
・勿論"邪魔"することもあるんですけどね(笑)。ザックやハリルホジッチと、「本田・香川」(グループ)のように。
・だからこそ「戦術」化の進展と共に、どちらかというと消えつつある領域な訳ですけど。
・かなり思いつき&独断的ではありますが、監督の頭が司る"チーム戦術"が、専らAという状況に対するBという対処の並列的集合で形成されるとしたら、それら"横"とは違う"縦"方向つまり時間的変化が主に存在する場所としては、「個人」「グループ」「チーム」の3分類の中では"グループ"が有力というのは、とりあえずそんなにおかしい考えではない気がします。
・その3分類自体の妥当性や、"グループ"と呼んでいるものの中身については、新しい知見にも基づいて更なる検討が必要でしょうが。

・という一般論から"ヴェルディ"と"山形"の対置にもう一回話を戻すと。
・まあ分からないことだらけというか仮定だらけというか。
・ヴェルディで言えば、現在のヴェルディの主な問題が時間的蓄積(ととりあえず総称しておく)の不足にあるという仮定。それからその更に主な原因が永井監督による"全体"戦術の施行ないしはそのやり方にあるという仮定。
・山形で言えば、山形の"ちっちゃいグループ"志向自体は部外者であるので越智氏の観察を信用するとして、それがどの程度監督が意識的に採用しているものなのか。
・...このタイミングで言うのはちょっと遅きに失する感じはするんですが思いついたので一応言っておくと、「全体戦術がグループを破壊・阻害する」ということについては、"FW"というポジションの変化が特に分かり易いかなと。
・長らく主流だった"2トップ"というシステムにおいては、2トップ(+1,2人)自体のコンビネーション("グループ")が重要でそれがチームや攻撃の動きの大きな基準になっていることも多かったそういう状態から、近年の主流システム3トップにおいては、それこそ永井ヴェルディの「ワイドストライカー」と「フリーマン」のように、チーム戦術からのダイレクトな指令によって個々の動きが決められていて、当事者間(グループ)の関係性は副次的なものにとどまるわけです。"チーム"からの直接な"個人"の繋がり。"グループ"を介在させない
・...逆に言うと、そうなったから、高度にプログラム化したからこそ日本でも3トップなんてものが一般的に使われるようになったわけですよね。つまり前時代的3トップ、左右ウィングがゴリゴリ単騎突破して上げたクロスをドカンとヘッドで叩き込む的なタイプのものは、およそ日本の人材タイプ的に一般化しえなかったわけで。
・だから永井ヴェルディでも時に0トップはもう沢山的な悲鳴(笑)はサポ間で上がったりするわけですが、そう簡単にそこらへんの調整はつかない事情。
・とにかくこんな感じの"全体"から"個人"への直接指令的な関係が、多かれ少なかれ各ポジションで成立しているのが昨今の趨勢だと思います。それによる、"グループ"の希薄化

・ああどうやって終わろう。書こうとすればまだまだいくらでも書けるテーマですけど、このままだらだら書き続けてもさすがに読み難いだけだろうしな。
・とりあえず話戻して山形の"グループ"性は、実際どういうものなんでしょうね。
・監督が意識的に、(永井ヴェルディとも共通のベースの上に)"あえて"付け足しているものなのか、元々あった何かを利用したものなのか。
・あるいはいち"山形"というチームを仕上げる上での方便としてやってる事なのか、それとも上で"森保ジャパン"などという例も挙げましたが、"洋式"に"和式"を接合する、何らかの可能性的な問題意識の元に行っていることなのか。
・詳しい人がいたら、教えてもらいたいですが。
・ヴェルディにとっての当面の問題としては、やはりヴェルディと山形の間の少なくともこの試合で見えたような習熟度の差が、"ヴェルディにはなくて山形にはある「グループ」という要素"に起因する、その可能性ですけどね。
・繰り返しますけど、越智氏自身は、単に"違う"と言っているだけですけどね。
・そこからこちらが、心当たりを勝手に探っているだけで。
・まあ「距離が遠すぎる」とか(監督の指示なのかもしれないけれど)「関係性が薄い」という意味の指摘は何度かしているので、それ以上のことを言いたい気持ちはあったんだろうと思いますが。そこはまあ、お互い外交的なあれが。(笑)


・諸々書き残しはやはりあるんですが、最後にひょっとしたら参考になるかもしれない、ちょっと変わった事、畑違いの引用で気分を紛らわしてみて、今回は終わりにしたいと思います。

デュルケムの「国家―中間集団―個人」

この論点は,2段階に分けて,とはいえ一対のものとして考えることが重要である。
①国家という普遍的権力が中間諸集団を否定することによってはじめて個人が解放されるという主張,
②肥大症的な国家と未組織の無数の個人の無媒介的接触は社会学的怪物であり,中間集団の再建が必要であるという主張,
のふたつである。①は〈中間集団の存続の問題性〉であり,②は〈中間集団の不在の問題性〉である。デュルケムは〈中間集団の存続の問題性〉と〈中間集団の不在の問題性〉をともに考えようとしていたのである。

(『デュルケムの「国家―中間集団―個人」プロブレマティーク』/中島 道男(奈良女子大学))


・デュルケムというのは19世紀末から20世紀初頭に活躍した「社会学」の始祖的人物。(Wiki)
・個人的には昔文化人類学の学史について勉強した時に、そのはしりの一人としてちらっと読んだことがあったかなというくらいの人。
・そのデュルケムがこういうことを言っているのは知らなかったですが、まあいかにも言ってそうではある、社会学/国家論のかなりテーゼ的に巷間に流布している内容。
・つまり僕は今回、この図式における②"〈中間集団の不在の問題性〉"について、特に論じたわけですね。(笑)
・と冗談めかしてはいますが、僕が「"全体"から"個人"への直接指令的な関係」などという言い方をしている時に、"全体(主義)に抗することの出来ない裸の個人の脆さ"的なイメージを、ぼんやり浮かべながら書いていたのは実際のところほんとです。
・それを補完・留保させるものとしての、中間集団≒"グループ"。
・中間集団。時代状況によって内容は微妙に変わりますが、簡単に言うと「国家」と「個人」の"中間"にある、(大)家族や地域社会、学校、企業などの中間的なまとまりのこと。(参考)
・尚今回僕は、純粋にサッカーチームとしての機能や戦闘力という観点から"中間集団の不在の問題性"的な事を言いましたが、一般社会、より広い"本物"の社会の問題としては、基本的に中間集団なんてくそくらえ、解体してくれてありがとう近代社会、いいぞもっとやれなタイプの人です。(笑)
・①"存続"の方が問題だというか。
・まあサッカーチームなんて、どんなに社会だ家族だと言っても所詮はむしろ"軍隊"とかに近い、単一目的の特殊集団ですからね、一般論と一緒にする必要は無い。

・話をサッカーに戻すと、"①普遍的権力による中間諸集団の否定"的な事を、日本サッカーの歴史の中で華々しくやったのが、代表的にはハリルホジッチ。(本人のつもりは別にして)
・ただその結果が余り"個人の解放"のような明るいものには見えずにまた戦闘力的にもいくつかハマる試合はあったもののさほど純然たるプラスに見えない部分も大きかったので、やっぱグループじゃね?中間集団じゃね?という事で"反動"したのが、西野ジャパン以降のジャパン・ウェイと、まあこんな文脈を考えることも可能かと。(笑)
・うん、意外といいんじゃないですかね、この引用。分かり易くなった気が。
・今回のような僕の観察が正しければ、その後少なくとも"中間集団"(の解体)という観点からは、時間差で日本のサッカーも結局"ハリルホジッチ"の方向に進んではいるのかもしれませんが。
・まあ中間集団と一緒に全体的組織化そのものも否定しているように見えた(むしろそちらに日本人はびびった気がする)ハリルホジッチと違って、こちらは全体的組織化の"副産物"としてひっそり進んでいるものなので、だいぶ印象は違いますけど。
・ただ気が付くとある意味"個人"が剥き出しになっているのは同じ。
・越智氏の目に永井ヴェルディが、"個力"勝負を挑んでいるように見えたように?(笑)


こんな感じです。
『’20年10月の東京V』という元タイトルからは、かなり遠くなって(笑)しまいました。


テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
’20年9月残りの東京V
2020年10月01日 (木) | 編集 |
最後に試合について一応書いたのは、約1か月前、17節の愛媛戦後でした。
その後・・・

9/9 18節 岡山〇1-0 [得点者:山下]
9/13 19節 群馬●1-3 [得点者:若狭]

9/19 20節 山口●1-2 [得点者:小池]
9/23 21節 金沢△0-0
9/27 22節 北九州〇1-0 [得点者:小池]
9/30 23節 甲府△0-0


山下若狭小池、小池。何やら"とにかく前へ"行く感じの選手しか、点が取れないチームといった様相を呈していますが。(笑)
・しかし小池は本当に上手くなりましたね。今年になって更に。
・僕は'07年レッズ時代、デビュー当時の小池も見ていたんですが、正直"FW"の動きが全く分かってないようなおろおろした感じで、程なくサイドバックにコンバートされたのも無理ないなという印象でした。真ん中じゃ使えないだろこの選手というか。
・(復帰した)去年も点は取っていましたが、そんなに柔軟な印象は無いというか中に切れ込む「型」に嵌めたある意味"固い"プレーが特徴だったと思うんですけど、今年はどうしたんでしょうね。
・永井戦術の理解の、何か恩恵なのか。ポジションによる動きの意味を、より掘り下げてかつ明快に考えるようになったとか。合理的な体の使い方とか。

・試合ごとに褒められたりけなされたりかなり忙しい潮音ですが、個人的な"好不調"というよりも、チームと一体化している要になっている、"責任"を持っているがゆえの試合ごとのプレーの(見栄えの)変化という感じがします。
・むしろ好不調の"無い"選手になっている感。
・元々あんまり無いと言えば無いんですけどね。難しいプレーや"個人"としてのイチかバチかみたいなプレーは、基本しない選手なので。(逆に"してる"時は本当に調子が悪い)
・とにかく総じてチームとしての基本的なプレーの流れに忠実過ぎるところはあって、逆に判断の繊細さや個別性に欠けるプレーが目立つ気はします。
・例えば同じ"結論"としては戻して味方に預けるプレーでも、自分にボールがある間はやはり自分でも行くかもよ、あるいはシュートするかもよという圧力を対峙する敵に与えるべきですし、同じことですが"結論"が決まり過ぎているゆえに戻したり渡したりするタイミングが少しずつ早かったりすることがちょいちょいある。
・それでプレーの効果が多少低減するくらいならまだいいですけど、最悪味方の予想まで大き目に裏切って準備不足のプレーにしてしまったりすることも。
・チームプレーが出来ないというかつての問題ではなく、出来過ぎるという問題。それによって判断の自然性が妨げられる。
・ただ"出来ている"事には違いが無いので、別に調子が悪いわけでも自信が無いわけでもない。
・最近二試合の「フリーマン」プレーなんてのは、基本的にはほぼ"出色"と言っていい出来ですし。
・役割を理解し切っている。
・フリーマンのプレーに付きものの"曖昧"さは、「難しい」のではなく文字通りに「フリー」なのだということを、分からせてくれるというか。
・判断基準は目の前の"状況"にちゃんと存在しているので、それに従えば特に難しいことはない。「型」にははまっていないけれど「ランダム」ではない。
・そういえばレアンドロはこんなようにプレーしていたような気がするなあと、若干遠い記憶ですがここ二試合の潮音。
・続ければ"スーパー"になる予感は、ありますけどねえ。ただあんまりそういうタイプのチームでもないんだよなあという。
・化けるなら早めに化けないと、また次の人が。(笑)

・対照的(?)に若干自信喪失気味に見えなくもないのが、森田
・特に1対1とかシュートとか、クリティカルなプレー場面を恐れているというか、また上手く行かないんだろうみたいに諦め半分でやっているように見えて、多少トップの"壁"というか"失敗"経験の蓄積が利いちゃっている感じがします。
・その瞬間変に緊張しているというか。
・戦術的な判断とかは、相変わらずスムーズというかエラーはほぼ犯さないんですけどね。その"スムーズ"の果てに訪れるクリティカル・プレーが上手く行かないので、逆に辛いという。
・足元の弱い選手が、下手にいいスペースでボールを受けちゃった時の悲しみにも似た。(笑)
・しまった、受けちゃった、俺じゃない方がいいのに。
・まあ一時的なものだとは思いますけど。
・全体のスケールアップで克服するか、実は必ずしもオールラウンダーではない自分の"特徴"を、トップのレベルで改めて発見してプレーを成型し直すのか。(それが何なのかは僕も知りませんけど)
・一つ成長の踊り場にいる感は、ここのところはありますね。
・もう一人、壁という程ではないかもしれないですけど多少行き詰まり感が見えるのが、アシスト王福村
・元々ヴェルディの"11人"の中で言えば、"スペシャリスト"感が強めではあるんですけど。
・それを左足のクオリティ1点突破で"武器"にして来たのが、若干慣れられたというか意外にパターンが少ないことがバレたというか、それへの対応も特に進んでないなと感じるここ数試合。
・元々サイドバックとしての守備には目をつむって使っていたところがあるだけに、そうなると急に存在感が。
・あと今までは"通る"前提だったボールが通らなくなって、味方も通る前提で動いているのでそこからのピンチというのも、ちょいちょい見られる気がしますね。
・ただまあそこら辺に関しては、今年はもうしょうがないのかなと思っている部分が大きいです。
・多分最後まで余り対応できないだろうと。そういう前提で使うしかないだろうと。
・福村が最終的にどこまで"永井ヴェルディ"の選手になれるのか"ジェネラリスト"的な能力も見せられるのかは、二年目の来年が勝負かなと。
・奈良輪がいない以上、半ば自動的に出番はあり続けるわけでしようけど。
・少し、気を付けたい感じ。

戦は面白かったですね。
・まず単体としても、新潟戦以来の綺麗な試合というか、潰し合いではなく互いのいいところの"出し合い"みたいな色の強い試合だったと思います。
・ボール支配率には偏りはあっても、意外と"持ち合い"感が強かったというか。
・互いのターンが代わる代わる来る、"札"の出し合いというか。
・総合格闘技ではなくプロレスというか。(笑)
・まあ僕は別にプロレスファンではないんですけど(笑)。むしろ格闘技ファン。でもUFCまで行くと、真面目過ぎてあんまり好きじゃない。
北九州戦からの二試合の流れで言うと、意識して"前から"行く永井ヴェルディが、今更という感じで魅力的に見えました。
・そこまでの3試合などと比べると、"ベクトル"が揃ってる感はあった。
・ベクトルが揃ってる、ないしベクトルが"ある"
・まあ"揃え"易いやり方なのは確かなんですけどね、日本人向きというか。それこそ加茂ジャパンの昔より。(笑)
・でもありじゃないのかなあと、"色々出来ます"じゃなくて、これ標準にしてもいいんじゃないかなあと。
・何なら「プログレッション」と言ってあげてもいいよ?これならという。(笑)
・まあだいたい僕はせっかちなので、すぐはっきりしたやり方をさせたがるんですけどね。
無限の可能性なんて信じない。(笑)
・個人だと結構夢も見ますけど、集団についてはあんまり。
・所詮人間なんて、という感じにすぐなる。(笑)
・とはいえまあ、ないでしょうけどね。永井ヴェルディは"無限"を目指す、あくまで。
・自在を目指すというか。
・多分。

月はまたぎましたが、すぐまた(土曜日に)試合。
すぐ過ぎる。


テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
(備忘録)再開後~現在までの永井ヴェルディ関連記事集
2020年09月21日 (月) | 編集 |
ここのところ試合について書きたいことが余り浮かばないので、頭の整理も兼ねてこんなことでも。
サカマガwebを筆頭とする主要ネットメディアで語られた永井ヴェルディ。その中で僕が面白いと思った(箇所のある)もの。・・・面白いと言っても個人に焦点を当てたものではなくて、何らかチーム戦術的なことに関係のあるもの限定です。
探せばもっとあるでしょうが、とりあえず。見つけ次第(思い出し次第)、足すかも。情報提供歓迎。


6月

永井秀樹が明かす、コロナ危機にオンラインで伝えたヴェルディの戦術 6.6

「(オンラインミーティングは)大きく分けるとMB(攻撃)RB(守備)について、毎回詳細にテーマを決めて、過去の試合や参考になりそうな海外クラブの試合映像やCG加工した動画等を交えて実施した。

例えば、『MBの最後の崩しについて』『サイドからの崩しの型について』といった感じに。我々が目指すサッカー、『ボールを保持してゲームを支配するための方法論』についてさらに深く落とし込んできた。

『RBはどこでボールを奪うのか』『どの位置からプレッシャーをかけるのか』など、映像を見せつつ解説する。週2回、1回あたり2時間ほどで、パソコンの画面に、全選手とコーチ、スタッフまで含めると40人前後が映っていて、みんなの顔を見て、反応を確認しつつ伝えることができたのはよかったと思う。

"RB"は後でも出て来るように"リターン・ザ・ボール"ですが、"MB"は何でしたっけ。どこかに出て来てるはずですけど、検索しても見つからなかった。

大久保嘉人が語る昇格へのカギ「スタートダッシュが大事になる」 6.16

東京Vは、活動自粛中にzoomでチーム戦術の理解を深めることに努めた。今季加入の大久保にとって、それは有意義に時間になったという。

同じ内容ですけど、"zoom"と特定してあるのがなんかツボに入っちゃって。(笑)
やっぱzoomなんだ。アイドルや芸人と同じだね。

△町田 1-1 6.27


7月

△栃木 1-1 7.5
●大宮 0-1 7.11

〇甲府 4-2 7.15

東京Vが甲府に快勝! 永井監督「定位置を壊す意味を理解してくれた」◎J2第5節 7.16

「われわれは70%以上の保持率でゲームを支配をしてやる中で定位置というものを大事にしているんですが、ある意味でフィニッシュゾーンのところは、定位置を壊してやっていい。その意図だったり意味を選手がよく理解してやってくれたと思います」

 これまで練習では、多くの時間を「立ち位置」の理解に費やしてきた。その結果としてベースはできつつあり、実際にボール保持率は上がっている。ただ一方で選手がその枠組みにとらわれて自身の持ち味を出し切れない側面もあった。最後の部分、つまりフィニッシュワークに関しては「個々のアイディアを存分に出してほしい」というのが永井監督の考え方。そこで、この試合(甲府戦)に向けたミーティングでは、あらためて選手にその点を強調したという。

(定位置を)"壊す"のは、"フィニッシュ"ゾーンでという、位置づけの確認。


〇千葉 2-1 7.18

内容も格段に向上。今季初の連勝で示した永井秀樹監督のマネジメント力 7.19 [千葉戦後]

「中断期間を活用し、戦術を整理するとともにベース部分の強化をできたのは大きかったです。おかげでチームの型は7割方完成した」

勿論だいたいなわけでしょうげど、自己認識としては、「7割」なんだなという。

「型破りなプレーをできるのは、きちんとした型を持ってこそ。それがないのに好き勝手やると、形無しになってしまいます。そのあたりの伝え方が難しくてね。(中略)歌舞伎役者の故・十八代目中村勘三郎が好んで使った「型破りと形無し」の言い回しで表現した。


△山形 0-0 7.25


永井秀樹監督はイメージ済み。攻撃サッカーを導く「RB」の重要性 7.28 [新潟戦に向けて]

「このチームの立ち上げから取り組んでいるのが『リターン・ザ・ボール』。ボールを取り戻すということですが、『RB』という名前をつけていて、その質が向上してきています。さらにRBの質を継続して上げていきたいと思います」

△新潟 1-1 7.29


8月

早くも「一歩手前」の感覚あり! 小池純輝がまだまだ高めたいこと 8.1

「そこまで意識しているわけではないですけど、去年なら(パスが)出てきたのに出てこなかった場面もあります。そこで出てくるようになったら、僕自身がチャンスに顔を出せると思います。こういうのって、比例すると思うんです。ボールをもらえるようになればその分、チャンスもいいプレーも増える。いまは一歩手前という感覚ですね。そこは高めていきたいですし、誰からでももらえるようにタイミングを作っていきたいと思います」

ボールを持てる、繋ぎが向上したからこそ、という悩み。正直な。


情熱のポゼッションを! 永井秀樹監督が求める「両手」の意味 8.2 [長崎戦に向けて]

「いまやっているサッカーが一つ上のレベルに行くには、受け手ですね。フィニッシュゾーン(相手最終ラインの裏側)で受ける人数、回数がもっと増えてくることが大事です。試合中で受け手の選手が両手を上げて、いまボールを出すのはオレのところだっただろう! とアピールする回数が増えてくると上に行けるんです。現状ではその回数は少ない」

△長崎 0-0 8.2

●琉球 0-1 8.8
〇福岡 3-1 8.12
〇水戸 2-0 8.16

元バルセロナの重鎮に絶賛された「美しく勝つ」永井秀樹のヴェルディ 8.18

さらに、試みていることがある。「質の追求に終わりなし」と常々話す永井は、おそらくJリーグクラブでは初となる「パーソナル・コーチング」を取り入れた。

「我々らが描きたいサッカーの絵は決まっている。その絵はジクソーパズルと同じように、控え選手も含めた全員、1ピースでも欠ければ完成しない。だからこそチーム全体の戦術判断とは別に、各自のポジションや状況によって、個人戦術の質を高める必要がある。そのあたりをフォローする目的で、選手それぞれに担当コーチをつけて、より細分化して分析やアドバイスができないかと考えた。

 担当コーチは、練習から試合まで、選手のワンプレーに対して『この場面での立ち位置は違う』『この状況では、ここにボールを通した方がよりいい』という感じで、具体的にアドバイスする。『そのプレーでは駄目だ』で終わりにするのではなく、『正しい位置はここ』と具体的に伝えるから、選手もきちんと理解して改善に役立てられるようになったと思う」(永井)

攻撃的なポジションの選手は、フォワード出身の藤吉信次コーチが担当し、守備的な選手は、「現役時代から卓越した技術で、常に考えながらボランチでのボール奪取をこなしてきた守備職人」と永井が信頼を置く菅原智コーチ。内部昇格したばかりの若手はおもに、永井とともにヴェルディユース時代から指導してきた保坂信之コーチ。キーパー陣は、ブラジルでのプレー経験もあり、新守護神GKマテウスとも堪能なポルトガル語でコミュニケーションのとれる沖田政夫GKコーチが受け持つ。

 さらに、担当コーチが各選手にアドバイスするための映像分析だけでなく、永井自身がパズルを組み合わせ全体の大きな絵を描くために必要な資料は、「スペイン・バルセロナ元在住のサッカーフォトグラファー」という異色の経歴を持つ鈴井智彦分析コーチが担当し、現在に至るまでのスタイル構築を支えている。

概ね新潟戦後くらいの時期の記事。"元バルセロナの重鎮"というのは、新潟のアルベルト監督のこと。
なお"担当コーチ制"のアイデアのきっかけは、永井監督25歳時、'96年あたりのミランの練習見学とのこと。


〇松本 3-0 8.19

異色のルーキー山下諒也がヴェルディに適応できた理由と、偶然だった入団経緯 8.20 [松本戦後]

「昨年、練習参加の段階から、山下はこのサッカーを理解しようという意識を強く持っていました。また、周りのサポートがあったのも適応できた理由。立ち位置や走るタイミングなど、コーチングスタッフからの指導を受ける他、選手同士で話し合う雰囲気がある。そこはこのチームの長所ですね。アカデミー育ちの選手と外から入ってきた選手の融合がうまくいき始めていると感じます」

"野人"ゆえの可塑性ということをこの選手について言って来ましたが、一方でとても頭の良い選手だなということを、最近特に感じています。"考える"ということを本能的に知っている。知識ではなく。
この二つを対立的に置かないように言い換えれば、「教えられ」た以上に「学ぶ」ことの出来る選手というか。
今いる選手の中で将来代表レベルに到達する可能性としては、案外藤田譲瑠チマに継ぐくらいの位置にいるのではないかと。他は・・・どうなんでしょう。

「何かを変えたというより、永井さんやコーチ陣からのアドバイスを受け、自分なりに理解してプレーし、考えながらやってきました。高2の時、ジュビロで大木武さんのサッカーを経験し、それと感覚的に似ている部分があるなというのは感じます」

大木サッカーか(笑)。真逆なところもある気はしますが、基本フォーメーションと"繋ぎ倒す"ところは似てるのかも。


●北九州 1-2 8.23

「それだよ、ジョエル!」ガチムチ大久保嘉人が贈った渾身の拍手 8.27 [北九州戦後]

センターバック2枚がオレを見ていれば前に出てこないので、その2人を引き出さないように前に残るように、という感じでしたね。逆にオレが中盤に下がればセンターバックがついてきて、スペースが空かなくなるので」

 相手を「ピン留め」する役割を与えられたのだが

今に至るまでを考えて、他の選手ではなく大久保がフリーマンで使われ続ける目的としては、ポストというか真ん中でより踏ん張るプレーを期待されてということでいいんですかね。


〇京都 2-0 8.29


9月

「未来を考えている」イニエスタ流思考で永井秀樹監督が得る学び 8.31 [磐田戦に向けて]

「我々の中に“中村憲剛”が出てきてくれると、嘉人のすごさがもっと出てくるのではないでしょうか」

 川崎フロンターレ時代のベストパートナーと同等の選手が東京Vにいたら…。だから「(山本)理仁やジョエル(藤田譲瑠チマ)あたりはだいぶそこを意識してきて、“差せる”ボールが増えてきています。受け手がよくないと出し手は育ってこないので、嘉人がいることで育ってくれればいいなと思っています」

8.2の記事では「受け手」が強調されてましたが、その月末には「出し手」の方が強調されていると、単純に(笑)比較するとそういう話。

△磐田 2-2 9.2

ヴェルディスタイルの次のステージへ。永井秀樹監督「縦に、長く」 9.5 [磐田戦後]

「常にヴェルディスタイルでノーマルな形で崩して点がほしいですし、セットプレーからも、私たちの言うコントラ、つまりカウンターからも点がほしいんです。すべてのバージョンから点が取れるように準備したいと思っています」

「相手を引き出して突く、というのは、実はいま自分の頭の中では一番やりたいことなんです。相手を長い距離で縦に引き込むというのがまさに考えているところで、そうすればなお効率よく点を取れると感じているんです。まさに自分たち主導で、相手を縦に長く引き出してギャップを突く、つまり『自分たちで作り出すコントラ』ですね。それには、より俯瞰で見ながらやれるようになるといいと思います」


●愛媛 0-1 9.5

「怖い選手」へあともう少し。井上潮音のオールラウンドという強さ 9.6 [愛媛戦後]

「マンツーマンで来た相手に対して、判断が悪かったと思います。相手を背負うのではなく、ワンタッチではたいたりフリックではがすことができれば、捕まえきれない状況になっていました。その判断が必要だったと思います」

 マンツーマンディフェンスそのものに脅威を感じていたわけではなく、それに対応する自分たちのミスだったということだ。もちろん、井上は対応策を実践している。

「そういうときにワイドの選手が裏を狙うことは大事だったと思うし、自分たちが定位置を崩すことも必要だったと感じています」

(森田)晃樹と話したわけではないですけど、お互いにそう感じていて、入れ替わりながら多少定位置を崩しながらやりました」


見方を変えればスペースが。永井秀樹監督が伝えたい「発想の転換」 9.8

「愛媛がマンツーマンで来るというプランに対して、どう向き合っていくか。普段の私たちは、なかなか前に出てこない相手を引き出すという難しい作業から入っています。でも、見方を変えると愛媛戦では(相手が出てきてくれるので)引き出す必要がなかったわけです。発想の転換というか、見方を変えることができればスペースはたくさんあった、ということを改めてミーティングで確認しました」



〇岡山 1-0 9.9

●群馬 1-3 9.13

「めちゃくちゃ良くなる!」大久保嘉人の予言がもうすぐ当たる 9.18 [群馬戦後]

中から攻めることがないんですよ。自分がフリーマンで相手のディフェンスを引き出してボールを受けて落としたらサイドへ、そこからセンタリングというのが多いんですけど、どのチームもヴェルディを研究しているので中をもっと使って、守備が締めてきたら外が空くのでそこを崩す、というね。それは非常に大事なことになるんですけど、まだできていなくてもったいないんです。

「結構、似てるんですよね、やり方自体は。フロンターレではそれを選手がピッチの中で判断してやってました。自分が下がってきたら、空いたところに誰かが抜け出したり、自分にボールを当ててくれたときには2枚も3枚もサポートが近くにいるので、ディフェンスは取りにいけないんです。捕まえづらかったと思いますよ。

「いまヴェルディでは定位置があってそこに立つんだけど、ディフェンスの動きを見た動き出しができていないんです。だから、最近増えてきたけど相手がマンマークで来ると苦しんじゃう。そこの違いですかね。監督はそのことを言っていて、定位置はあるんだけどディフェンスと相談しながらやらないと、って」



山口 ●1-2 9.19


・・・以上、9/21現在までの。
せっかくだからシーズン終わりくらいに続きをまとめてもいいかもしれませんね。
それぞれの時期に散発的にツイッターなどで話題になっていたあれこれが、どういう文脈どういうタイミングで発せられた報じられた言葉だったのか。

と、威張って言うほど僕も何か統一的な絵やストーリーが、描けているわけではないんですが。(笑)
何か思いついたら、また書きます。
こうして眺めてみると、やはり大久保の理解の深さないし「理解への"切迫感"」は特別なものに感じるわけですが、それが現状余りプレーでいいようには表れていないのが、どうしたものかどういうことなのかという。


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めっきり涼しくなりました。/磐田-東京V(’20)、東京V-愛媛(’20)
2020年09月07日 (月) | 編集 |
夏の終わりのヴェルディ?


J2第16節 東京V △2-2△ 磐田(ヤマハスタジアム) [得点者 : 小池、近藤]

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北九州戦あたりをピークに、段々集中力が無くなって来たというか燃え尽きかけて来たというか。(僕が(笑))
・たまに誰かのやられる「残り試合の勝ち点計算」の類が、ドラマのネタバレを見せられているような感じになって「やめて!」となったりします。(笑)
・数字的可能性が無くなる瞬間だけ、教えて欲しい。
・今年も終わりかあ。(まだだけど)
・やはり「北九州」と次の「京都」のギャップが、結構がくっと来るところがあったかも。
・緊張からの弛緩。お笑いの教科書か。
・昇格プレーオフはさすがに作為的だったけど、やっぱり3位のプレーオフ/入れ替え戦くらいは、あった方が楽しいなあ。
・結局あのバランスが一番良かったと、未だにというか今更というか。
・そういう"コロナ"シーズン。

・というのが僕の心境ですけど、真面目が身上の永井ボーイズ(含むおっさん)たちには、特にそういう様子は見られません。
・ただやはり"北九州戦"というのは一つの覚醒要因にはなっているようで、その後の京都戦・磐田戦と、同じサッカーの"回転数"が、何か上がっているように見えるところはなくもなく。
・一種の"ウェトレ"効果で強い相手とのギャップで楽に出来るようになっているというのと、北九州ショックを踏まえての意識付けとして、もっと速く鋭くと、そういう指示なのか空気なのか、どちらかは分かりませんがとにかくそういう傾向が、ここ2試合見える気はします。
・それが急ぎ過ぎになっている部分もあるんでしょうけど、殻を破る力になる可能性も見えるは見えて。
・ぶっちゃけ前J1磐田相手のこの試合も、本当は勝って当然くらいの試合ではありましたよね。
・磐田の外国人選手の個人能力が脅威だったのは確かですけど、どちらかというとそれを"出させて"しまったこちらの守備面の迂闊さの方が、先にあったと思います。
・まあ攻撃面で"殻を破"ろうとするとしわ寄せで守備がそうなるというのなら、結局力が足りないという話にはなってしまうわけですけど。
・まだそこまで断じる必要はなくて、もう少し見てみたいという、この試合の時点ではそういう感想でした。

・一方そうした愚直に前進を目指し続ける"ボーイズ"の中の、"おっさん"大久保ですが。
・復帰後ここまで、試合数はまだ少ないですが、意外と苦戦しているなという感じ。
・もう少し、場合によっては調和を乱すくらいの事も含めて、"違い"は見せて来るのかと思ってましたが。
・むしろ"役割"の遂行に、汲々としている感じ。
・大久保をしても、永井式"フリーマン"は難しい役割なのかという。
・そもそもは、メッシの言わずもがなの前への"脅威"を囮としたバルサ式「偽9番」の分かり易さと比べると、単純に永井式フリーマンは、理論的にまだ未整備な感じもしないではないんですけどね。
・(一番適応した)端戸には端戸のフリーマンがあって、森田には森田の、(適応しつつある)潮音には潮音の、(去年の)レアンドロにはレアンドロなりのフリーマンが良くも悪くもあるだけで、その中で大久保はまだ自分なりのバランスを見つけられていない感じ。
・共通するのは"逃げる"という事ですけど、逃げるのが役割のポジションて何よと、どうも騙されてる感は未だにあったりします。(笑)
・伝統的"リベロ"(永井式ではない)のような"フリーマン"の場合は、いかにオリジナルポジションから離れて状況に"参加"するかというそういう役割なので、フリーではあっても分かり易いんですけど。
・勿論永井式フリーマンでも最終的には"参加"するんでしょうけど、意識付けの優先順位としてはやはり。
・ちなみに上の中で一番"CF""ポストプレイヤー"のイメージがあるのは森田だと思って、その森田を永井戦術の一番の"代弁者"だと想定するのなら。
・ひょっとするとまだヴェルディの選手は、"フリー"であること逃げる事を過剰に意識し過ぎなのかなとそういう可能性も考えなくはないですが。
・いずれにしても、メッシ程の無言の存在感の無い選手たちが逃げながら存在感を出すのは、なかなか難しいものがあるんだろうなと、大久保の苦労を見ていると改めて思いますが。
・ある程度本能に逆らいながら行う「理論」的プレー、それが理論自体の余白の多さで、"従う"だけでは指針として現状不十分である、そういう可能性の検討も含めて。
・早くレアンドロのもまた見てみたいですね。逆に。(笑)



J2第17節 東京V ●0-1〇 愛媛(味の素スタジアム)

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愛媛の"ヴェルディ対策"(なんか特別にリスペクトされてたっぽい)に手を焼いて、いつにも増して慌ただしい配置転換が繰り返されたこの試合でしたが。
・その中で特に潮音は、ワイド→インサイド→フリーマン(CF)→また中盤と、大忙しの中の、結局フル出場でした。
便利だ
・いや、井上潮音に対する形容・誉め言葉として、いかにも似つかわしくないようではありますが(笑)、実際今ヴェルディの中での潮音の存在価値の中心は、使い易さ・潰しの利く感と言っていいのではないかと。(笑)
・あのつい最近までどこにも居場所が無くて困っていた選手の、何という境遇の変化。
・それにしても"替えの利かない"藤田は分かるとしても、随分出場時間多いよな頼りにされているよなという感はあるわけですが。
・実際プレー自体が安定してみると、潮音の意外と疲れない、90分のムラが無い、ついでに怪我しそうな危うさも余り無い感は、永井監督をついつい"酷使"してしまう"頼って"しまうという方向に、導いているんだろうなとは思います。
・ある意味あんまり"頑張ってる"感が無いというか(笑)、力が入ってる感が無いというか。
・頑張ってるんですけどね。(笑)
・まあ"ファンタジスタ""司令塔"としての潮音においても、いつ力が入っているのかいつスピードが上がったのか掴みづらい、プレーの一つのシークエンス全体を悠々と"均らして"コントロールしている感は特徴なので、それが使い方によってはこうなるのかという、そういう感じ。
・実際激しく当たられてる瞬間なども、割りとこう猫のようにというか風船のように気軽に(笑)力の抜けた感じで宙を舞うので、そんなに危ない感じはしないんですよね。(とか言っててそれが重傷のフラグになったりしても困りますが)

・プレー内容も"期待通り"とまでは行きませんが、良い水準は保っているかなと。
・正直この試合で久しぶり(?)にインサイドに回った時は、大丈夫かなあとドキドキしましたが。(笑)
・ワイドで得た自信を背景に、以前に比べると随分落ち着いた感じのプレーで。
・割りとポジショニングとかボディシェイプとかは自由で、必ずしも"永井ヴェルディ"の標準的なプレーというか"歯車"という感じはしなかったですけど。
・まあ許容範囲かなと。監督がどう見たかは分かりませんが。
・あれくらいで許されるのなら、このポジションで使われ続けて"司令塔"復活というイメージも、見えなくはなかった気がします。(時間は短かったですけど)
・ただむしろ僕が楽しかったのは、その後の"フリーマン"プレーで。
・上で書いたように少なからず混沌としている永井ヴェルディのこのポジションの現状ですが。
・潮音は潮音なりに、"掴んで"いるものはある気がして。
・具体的には、踏ん張るでも"逃げる"でもなく、"一瞬触る"という感じのセンター「滞在」のタイム感。
・そしてそこで触った瞬間の展開の、他の選手には無い"ファンタジー"の予感。
・ここらへんについてはだいぶ自発的で潮音なりに自信を持っているように見えて、開幕前のインタビューで「今はここがべスポジに感じる」という意味のコメントをしていたのも、満更意気込み表明だけではなかったんだなと今更に。
この前言った松本戦のプレーが特に良かったのもポジションの影響が大きかった気がするという考えに、傾きを深めたというか。
・逃げて戻って来てのシュートや切れ込みの威力が増しているのは、周知の通りですし。
・候補者は多いですが、このポジションで継続的にやらせたら面白いものが見られるんじゃないかという感じはしますが、ただ一方でこんな特殊ポジションに適応してしまうと今後の他のチームでの可能性がなあと(笑)、そういう気の早い心配も。
・やはりインサイド("フロントボランチ")で司令塔として機能できるようになるのが、一番分かり易いというか前途には有利。
・とにかく今後もファンクラブ会長(そうだったのか)として、興味深く見守っていきたいと思います。

・見た通りで言えば、(後半の)愛媛の5-4ブロックを"またも"崩せずに逃げ切りを許した試合になってしまったわけですが。
・それにうんざりするというよりも、はいはいこれねと、そういう"態勢"を寛いで楽しむ感じの方が、実は僕は強かったりします。(笑)
・さあ、ショーの始まりだ。
・チームの方も、もうそういう感じでいいと思うんですよね。
・工夫の手筋はそれなりに持っていて、練習も積んできているわけですし。
・高さが無いのは、若干いらつくところはあるかも知れないですけど。
・ペップシティとかも、それまでの流れが余程悪くなければもう焦るどころか合点承知と相手を飲み込むような気迫を、ある時期からは見せるようになりましたし。(最終盤はやはり焦りも入りますが(笑))
・何か「運命」を受け入れている感じが、ああいうのは見ていて面白い
・ポゼッションのチームには、必要な境地というか。
・それこそ(この前は割りとネガティブな書き方をしましたが)かつての"王者"ヴェルディのように、慌てず騒がず、"勝利"の瞬間を信じて待つという心構え。
・悪くないですよこのチームは。その手のチームの中でも。
・楽しんで待てるだけの可能性は、このチームは持っている。
・...その為にも"プログレッション"という概念は、若干夾雑物に感じるというか不要不急のものに感じるというか。
蒸し返すようですけど。(笑)
・ああいうのは速く攻めずにはいられない、前に行かずにはいられないチームにこそ、相応しい概念というか。
・いいじゃんポゼッションでという。(笑)
・どうせゴールは前にはあるんだし、それをどう"進める"かは各々の甲斐性の問題で、概念の問題にはしなくても必ずしも。

・関連して最近思い返すのは、開幕/再開時の"落ち着いたリサイクル"を特徴としていたチームの基盤としては、"吉武ヴェルディ"がどうこうというよりも(笑)もっと単純に3バック、"3-2ビルドアップ"があったんだろうなということ。
・そこから"改良"を重ねての現在があるわけですが、またやってみたら今やってみたら、たまにやってみたらどうなるんだろうなという興味が。
・いや、引かれて3バックにするというのはおかしいので、この試合そうしろということではないんですけど(笑)、単純に興味としてね。
・チームの変化・成長過程や、形とメカニズムの関係性を見る上での。
・まあ今季(J2相手に)やる機会は、特には無さそうですけどね。
・ただ"忘れて"いるのなら、頭の隅には置いておいて、いつかバランスを崩した時にでもまたやってみたらどうだろうという。
・あの形でスタートしたのは、やっぱり"自信"が無かったんですかね、去年までのチームの戦術遂行上の秩序性に。
・振り返ると。
・...ああ、藤田離脱時とかなら、あるかもしれないなあ、使用の必要性が。このまま代役が見つからなければ。(不吉?)


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仮想J1?、からのJ2/北九州-東京V(’20)、東京V-京都(’20)
2020年08月31日 (月) | 編集 |
本当は北九州戦の直後に書くはずだった内容ですが、先週からずっと体調が悪くて延び延びに。

J2第14節 東京V ●1-2〇 北九州(ミクニワールドスタジアム北九州)



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依然体調が余り良くないのと、タイミングを外してテンションが下がってしまったので、書こうと思っていた内容の最低限の要旨だけ。

仮想J1?

・戦術的にか個人能力的にか、もし近い将来に永井ヴェルディがJ1に上がることがあったら、これくらい押し込まれる試合も少なくなくなるんだろうなと、そういう想像をさせる北九州戦でした。
・それに関して、「ちゃんと主導権を取れるようにならなくてはならない」というのはそれはその通りなんですが、現実的には"J1残留"して"定着"して、"上位"を窺えるようになるまで、突然大パトロンでも付かない限り数年間は「我慢」の期間が続くだろうことは覚悟すべきなわけで。
・なるべく露骨な戦術変更等をせずに("成長"方向を維持したまま)その期間をやり過ごす為には、「永井ヴェルディ」が「永井ヴェルディ」のままいかに押し込まれる展開を耐えられるかが一つ鍵となると思えて。
・そういう意味では北九州戦の戦いぶりは、そんなに悪くはなかったと思います。
・"覚悟"さえ間違わなければ、意外と耐えられるなこのチームはという。
・少なくとも'18ロティーナヴェルディがプレーオフで磐田と対した時の狼狽に比べると、遥かに堅固な試合ぶりだったなと。
"根付き"度では既に上というか。
・まあロティーナその前から、必ずしも"貫いて"いたわけではないですからね。そういう意味では、自業自得というか自壊的な結果だったかと。
・去年の(プレーオフの)徳島あたりと比べても。
・現実的に永井体制がいつまで続くかそこまで続くかは、予想の難しい問題ですが、とりあえず現在の"延長"で考えるならば、こんな現状と見込みを抱きました。

再び"プログレッション"概念の問題

・前回特集時には、プログレッション"本流"の代表的に名前の挙がっていた北九州

ティキタカと書いたが、眠気を誘うポゼッション(保持)とはワケが違う。急がば急げ。ボールを縦に動かすプログレッション(前進)が売り物だ。とにかく、ワンタッチの鋭い縦パスがガンガン入る。そこから高速のコンビネーションを使ってブロック(防壁)の攻略を試みるのだ。

(必見、ギラヴァンツ! 魅惑のフットボールの正体【J再開後の見所5】(サカマガweb))


・実際対戦してみての感想として。
・何人かの人がつぶやいておられたように、やはり小林監督が元々持っていた「縦」と「サイド」(速攻)の志向を改めて現代的にまとめ直したもののように僕にも思えて。
・それゆえのスムーズでダイレクトな機能性というか。
・練度と強度自体に差があったのは明らかとはいえ、永井ヴェルディが今後どのように現在の延長線上で完成度を高めて行っても、その先に"北九州"があるようには思えない。
・やはりベースは「横」(保持)の方なので。
・それを「ドイツ」式に対する「スペイン/日本」式と、分類するかどうかは別にして。(笑)

・で、どちらが本来かとあえて言えば、それはドイツ/北九州式の方だとは思うわけですが、別に概念闘争をする気はないというかする必要はないというか。
・誰かが「プログレッション」の特許申請をしたとも聞かないですし(笑)、各々使いたいように使えばいいわけなんですけど。
・問題はだから、"道具"としてのその概念の有用性の問題。
・北九州の場合、腕利きなのは知られていても"新しい""冒険的"とは思われていなかった小林監督の得意のサッカーが。
・"プログレッション"という概念及び手本によって、一気に蘇生的に生まれ変わったというか最前線に躍り出たというか。
・遂行する選手側も、単に「昇格請負人」のリアリズムという以上のテンションとモチベーションでそれに取り組んで、それがチームの現在の強さの重要な一部になっているのが見て取れて。
・要は明らかに、"役に立っている"、「プログレッション」という概念を使うことが、チームの強化に繋がっている。
・翻って永井ヴェルディの方は、北九州のそれほど明らかな有用性や必然性は、「プログレッション」概念の使用において今のところは感じられない。
・調子のいい時には、何かかっこいい名前を付けたくなることがないわけではないですが。(笑)
・ただ北九州が「プログレッション」という概念によって支えられているようには、永井ヴェルディがそうであるようには思えない。
「プログレッション」概念抜きの北九州がまず考えられないのに対して「プログレッション」概念抜きの永井ヴェルディは考えられるし、一方で「ポゼッション」概念抜きの永井ヴェルディの方は、こちらはちょっと難しいだろうというそういう諸々の対照
・別に使ってもいいんですけどね、少しでも役に立つのであれば。(笑)
・ただ例えば仮に前の項で言ったような"耐える"数年間がいずれ訪れたとして、その時に拠り所にするものとしてはどちらが相応しいのかみたいなことを考えてみると。
・全然"プログレス"出来ない看板倒れの惨めな状態として現在を捉えるのと、多少劣勢ではあっても要は保持"率"の相対的な問題として状況を眺められそうな"ポゼッション"と、どちらが無難かと言えば後者のような気がします。
・基本構造としている"ポジショナルプレー"自体には、そもそも「コンテ」(チェルシー)型のような必ずしも"前"に行かない類型も存在していたわけですし。
誤魔化しは利き易いというか。我慢はし易いというか。(笑)
・まあ気休めに近いような話かもしれないですけど、「概念」が長期に渡って安定的にチームを支えるか否かという問題において、そういうメンタルコントロールへの有用性というのは重要な一部であるように思います。
自己規定による振る舞いの安定。
・まあ伝統的に言われる「文化」みたいなものの言い換えでもあるかもしれない。

・「要旨」の割りに長くなった気もしますが、だいたいこんなようなことを、北九州と戦いながら、考えていました。
・繰り返しますが、別に使ってもいいんですよ?使っても。(笑)
・小林ギラヴァンツとの比較では、そう見えるという話。



舞台は現実に戻って。

J2第15節 東京V 〇2-0● 京都(味の素スタジアム)


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・......
・北九州戦に比べると特に言いたいことが無い(正確には書きたいテンションになる程言いたいことが無い)ので、ここ2戦で目に付いた個人の問題でもいくつかメモ。
松本山雅戦の真夏の夜の夢から2戦、ビッグプレーこそ無いですが潮音の判断の遅滞の無い感は基本的に継続していると思います。
・ただ山雅戦のプレー内容の良さに関しては、センター(フリーマン)スタートでプレーする時間が長かったことも、なんだかんだ影響しているのかなと後で思い返しました。
・やはり"ファンタジスタ"は中央
・含めて今後も、観察を続けていきたいと思います。
・北九州戦ではそのセンターでやや苦労していた森田
高いレベルで"特徴が無いのが特徴"の、潮音を別にすれば実は一番に近い好きな選手なんですが、それでやれるレベルとやれないレベルが、現状浮き彫りになった感じ。
・自己犠牲的な動きに徹する端戸とか、"逃げ"てからの動きに個人的目標のはっきりしている大久保などに比べて、全て中途半端になってしまった感じ。(潮音だったらどうなったろう)
・最終的には、"偉大な中途半端"になってもおかしくない選手だと思うんですけどね。
・まあスピードも強さも特にはないという、問題はありますが。
・直近の問題だとどうですかね、依然重要課題として捜索の続く藤田の代役候補としての森田は、どうなのか。
・出来そうではありますけど、やったことありましたっけ。
・融通性という意味では、有力候補には見えますが。
・トップデビュー当初は、割りと低い位置メインだったような記憶も。
・フリーマンとしての"モデル"的プレーも、凄く好きなんですけどね。永井戦術のデモンストレーション的機能は、いっとき確実に果たしていたと思います。
・いずれはそれを、高いレベルでも。
山下は多分ですけど、ほんとに"シュートセンス"があるんじゃないでしょうか。
・"中"でのプレー適性というか。
・サイドでのプレーも粗いなりに別に無理しているようにも見えないですし、"両方"あるのって結構珍しい気が。
・"野人"なのがいい風に出ているのか。
・観念ではなく本能でプレー出来るというか。
・ワイド"ストライカー"として益々の活躍を期待したいというところではあるんですが、ぶっちゃけ永井ヴェルディのポジション概念に縛られない方が、普通に大成しそうな気も。(笑)
・気が付いたら(J1経由で)海外行ってたり。(笑)
・なんかあんまり"日本人"的じゃない気がするんですよね。
・前田大然あたりと比べても。
・面白い選手。
・クレビーニョ余ってるの勿体ないなあ。
・思えば贅沢になったものではありますが。


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イノウエシオン is back?/水戸-東京V(’20)、東京V-松本山雅(’20) メモ
2020年08月20日 (木) | 編集 |
言いたいことは、ほぼそれだけなんですけど。(笑)

J2第12節 東京V 〇2-0● (ケーズデンキスタジアム水戸) [得点者 : 佐藤優、山下]
J2第13節 東京V 〇3-0● 松本山雅(味の素スタジアム) [得点者 : 山下、潮音、小池]


・山雅戦後半、山下の先制点へのアシストのパス、続く2点目、ゴール前にするっと入り込んでの自らのゴールの時の潮音のプレーには、久々に純度の高い"井上潮音"感が感じられた気がしました。
・例えばこの試合で初めて潮音を見た人に、「井上潮音ていい選手だね」と言われた時に、「いい選手でしょ?」素直に返せるような。
・じゃあ今までは返せなかったのかと言うと、まあ返せなかったですね、特に言われたことは無いですけど。(笑)
・今季これまでもちょこちょこいいプレーはしてましたし、勿論チームに貢献はしていたわけですが、その中の"ベスト"のプレーを取り出したとしても、僕の残像の中の"井上潮音"とのシンクロ率はいいとこ65%くらいで、別人とまでは言わないけれど少なくともそれを「井上潮音の"いい"プレー」として、誰かに紹介する気にはなれなかった。
・どうせ1年に一回しか会わない親戚になら「そうですね」で構わないけど、少しでも今後もサッカーについて話す可能性のある友達だと、厳しい。
・いきなり滔々と井上潮音論を語り出すわけにはいかないけど、さりとてスルーするのも失礼だしでも嘘はつきたくないし。どうしよう。
・「ヴェルディは若くて上手い選手が多いですよね」と、やる気のない解説者みたいな言い方で話をぼやかしておくか。まさかそれ以上突っ込んでは来まい。
・とにかくこの試合のプレーなら、同意しとけばいいので凄く。今後も頼むぞ潮音。

・具体的に何が"帰って"(back)来たのかと言われると、それはそれで難しいんですけど。
・簡単に言うと、判断とアクションのスムーズさ、自然さ、必要十分最低限感みたいなもの。
・変に考えていない、言われたから教わっているから、このポジションはこうするものだからやるみたいなプレーのぜい肉というか雑情報というか情報の散乱みたいなものが感じられずに、それら諸条件を別に無視しているわけではないんだけれど、最終的に取捨選択して統合する、「井上潮音OS」みたいなものの働きがダイレクトに見えるというか逆に言うとそれしか見えないというか。
・変なソースコードがちらちらしたりしない(笑)。一瞬黒い画面が見えたりしない。(笑)
・サッカーのプレーは簡単なものであり、見た目通りのものであるという、幸福な誤解が出来るというか。
・そもそも井上潮音というのは、言ってみれば独自OSのようなものの働きが抜群に優れた選手だったと思いますしね。それが特徴というか。
・そのOSいいねえ、どこで売ってるの?いえ、売ってはいないです、多分。(一瞬お父さんに相談してから)
・じゃあ自分で組んだの?どうやるの?いやあ、どうやったかなあ、気が付くと使ってましたけど。
・的な。
・逆にだから、もうちょっと"分かってる"部分があった方が良かったのかも知れないですけどね。
・それはともかく、これはまあ必ずしも潮音に限った話でもなくて、成熟した選手完成した選手、あるいは"いい選手"の一つの可能な表象として、OSが(独自ではなくても)安定して稼働している、きちんとカスタマイズされているみたいなことは、特徴として言えない事は無いのかなと思ったりしますが。

・...といったような説明・比喩自体は、人によって響いたり響かなかったり色々だろうと思いますが(笑)、「論」として僕が言っておきたいのは。
・こうした井上潮音の精彩・復活が、どういう性格のものなのかそう見えるのかという事。
・つまり潮音のプレーの今昔比較として今まで標準的に語って来た語られて来たのは、「選手オリエンテッドな4-4-2の中盤での輝き」(2016)、「ポジショナルな4-3-3の中盤でのハマらなさ」(2017-19)、そしてそこからの「3トップ左ワイドへの転身のまずまずの成功」(2020)という概ねそういう流れなのは、周知の通り。
・僕自身もそういう前提に立って、「左ワイドにいかにハマるか」「左ワイドとしてどういうプレーが潮音に可能と考えられるか」ということを主に論じて来ました。
・その"可能性"への不安含めて。
・あるいは単に、"FW"としてどういう未来が井上潮音にあり得るかと。(R・バッジョなどを例に出して)
・ところが山雅戦で潮音が見せたプレーの輝きは、必ずしもその延長にあるものとは見えないところがあって。
・つまり上のような目標が達成されたからor目標の達成として、潮音のプレーが良くなったのではなく。
・むしろそうしたポジション役割や類型からの"解放"として、潮音のプレーの良化があったように見えた。
・そこにいたのはただただ「井上潮音」であって、"左ワイド"とか"FW"とかの条件・状況は、存在はしているのだろうけど二の次三の次で、瞬間瞬間には見えなくなっていた。
・別な言い方をすると、今まで「左ワイドとして井上潮音をどうハメるか」という問題を解いていたのに、それが突然、「"井上潮音"が左ワイドでプレーしたらどうなるか」という"問題"に、すり替わっていた感じ。
・主語が変わっているというか、比重が逆転しているというか。
・人気Youtuber井上潮音が、左ワイドを"やってみた"動画的な・・・ (うーんその比喩は)
・まだ分かり難い?(笑)
・そうですね、例えば2016年までのボックス中盤での潮音も、その範囲で二列目をやったり三列目をやったりという移動はあったわけですよ。
・それによって当然必要なプレーも少しずつ変わるわけですが、それにアジャストしつつ、しかしほぼノーストレスで「井上潮音」は井上潮音であり続けた、「井上潮音」を表現し続けていた。
・その流れでの"第三"のポジションとしての左ワイドというか、あるいはもっと単純に2016年に井上潮音がFWでプレーしたらどういうプレーをしただろうか、それを3年ちょい遅れで見ているような、そんなニュアンス。
・だからこそ、"いいとこ65%"(↑)だったシンクロ率が一気に100%に近くなり、僕も満足した、一見さんに薦められる(笑)納得感を手に入れられた、そういうこと。
・ちなみに恐らく2016年なら、FWとしてプレーした井上潮音にも、僕は満足しただろう魅了されたろうという予測は、結構確信に近いものとしてあります。

・簡単に言えば、今までになくリラックスしてプレーしているように見えたということですけどね、潮音が。
・例えば水戸戦で多くの人が指摘していた"献身的なプレスバック"云々という話も、"守備意識が向上した"とかいう個別の話というよりは、今までも言われていた心がけてはいたことを、よりスムーズでビビッドな状況判断で出来るようになった、そういう現象なのではないかと思ったりしますが。
・"自分自身"(井上潮音)になることで。
・元々守備は全然下手な選手ではなかったですし。
・で、とにかくなぜそんなことが起きたのか(起きたとすれば)、潮音が突然ケツをまくって全てのしがらみを断ち切って明日なき暴走を始めたのかと言えば、勿論そんなことはないでしょう。
・やはり前提には今季の新しいポジションへのフィッティング作業があり、それが一定レベルを越えて自信がついて、余裕が出来て、それが逆に潮音を久しぶりに自分自身に立ち帰らせて、単なる"延長線""プログラム"ではない自由なアイデア、別角度の前向きさをプレーにもたらした、最大公約数的にまとめればこういう感じかなと。
・他にどんなきっかけや心境の変化があったのか、それはまあ何があってもうかがい知れないところですけど。
・例えば"悪いオジサン"大久保の囁きとか。(笑)
・まあチーム自体が好調である、いい状態であるというのも、真面目ないいコである潮音には大きそうですけどね。
・自分がコンスタントに"参加"しているチームが。
・"責任感"というような意味で。
・ほんとね、もっと我儘でもいいような気すらするんですけど、"天才"型の選手としては。
・ボディは我儘なのに心は従順。(笑)
・あの長い低迷期間に、誰かと衝突したり腐ったり、移籍を希望したりとかそういう話をついぞ僕は聞いてないんですけど、何にも無かったんでしょうか。逆に不思議ですけど。

・...という真夏の夜の夢じゃないといいんですけどね。(笑)
・本当に。
・ほんとーーーに。
・頼みますよ。
・本格復活、よろしく。
・逆に"役割"の方に引き付けて改めて左ワイド井上潮音の"好調"のその先を考えてみると、これはあれかも知れない、前にちらっと言った「左利きの藤本が右ワイドで(特にロティーナの時に)果たしていた起点機能を、右利きの潮音が左ワイドで単純に左右反転で果たせないものか」という、一回は断念しかけた希望を、また引っ張り出してもいいかもというそういう話かもしれないなとも。
・つまり我々は"ゲームメーカー"を新たに手に入れる、"永井ヴェルディのワイドストライカー"としての基本的な職能を果たしつつ、それを遥かに越えた起点機能を左ワイドで果たす井上潮音を見られるかもしれない。
・そこそこ現実的な"夢"だと思うんですけどね。
・そしてその時、高い確率でチームはより強くなっているはず。
・そうなるといいですねえ、見たいなあ。

以上。



・...で終わってしまうとさすがに"ファンクラブ"に過ぎるので、申し訳程度に他のカテゴリーの"メモ"も。
山下は決して芸域の広い選手ではないですが、"野人"で良くも悪くも固まってない分、意外と最終的にどういう選手になるか分からない部分が残ってる気がしますね。
・今永井監督がやっている基本的な起用法とは、全然違う開花の仕方をするかも。
・それこそストライカーとか。外よりむしろ中とか。
・水戸戦で森田が入って来た時に、端戸が右ワイドにスライドしたのは、意外と言えば意外な起用でしたね。
・今季は"フリーマン"(CF)としてほとんど究極的な機能の仕方をして来ただけに、わざわざそんな形で残すかねという。
・余り評判の良くなかった最後の方の藤本の右ワイド起用でしたが、やはりどうしてもあのポジションで"左利き"の選手にやって欲しいプレーがあるのかなという。
松橋は短い時間でしたが、ヴェルディの若手の中では比較的"ゴリッ"としたプレーというか、結構目立つゴールへの意識の高さを感じました。
・それこそワイドの方が良さそうには感じましたが、まあこれから。
・井出にしろ福村にしろ、補強当たりまくりというか、外国人含めて永井監督の目が届くようになってからのスカウティングは、相当的確になっている感じはしますね。それだけ命懸けてる(笑)戦術なんだろうというか。

今度こそ、以上。(笑)


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「ドリブル」と「戦術の内面化」の観点からのヴェルディ回顧 (1)
2020年08月18日 (火) | 編集 |
ふかばさんが提起した「ヴェルディとドリブラー意外と縁が薄い」問題と、同じ記事のふかばさんや最近だとuaiohさんが提起している「ヴェルディの戦術遂行ちょいちょい内面的理解が留守になってしまう」系問題(折に触れて色々な人が提起している問題)に刺激を受けて、一度まとめて振り返りたくなったので振り返ります。
過去のヴェルディはどうだったか、それは今のヴェルディと関係があるのかあるなら(無いかもしれない)どう関係があるのか。
古い長い話でもあり、正直着地点は特に見えていませんが、書きながら/書くことによって考えて行こうという、そういう場当たり企画です。

全体の参考として、こちらでも脇に置いておくといいかなと。
 東京ヴェルディ1969の年度別成績一覧Wiki


1.「讀賣クラブ」時代 (1969~1992)

(ドリブル)

この時代は僕自身もほぼ見ていないので、専ら伝聞と想像です。

・昔話した当時を知る人の証言やいくつか読んだ文章の記憶によると、讀賣クラブのサッカーの基本イメージは、「マンツーマンでがっちり守って奪ったボールをドリブルで運んでゴールに向かう」というものだったらしい。
・特に"ドリブル"が強調されているのが印象的。"パス"ではない。
・また指導体制としては、最初期'69~'72年の成田十次郎監督はドイツ留学経験のある体育学者でデットマール・クラマーの発掘者、'74年からコーチを務めて'81年には監督にも就任した相川亮一氏はそのクラマーの弟子、その後も'82年にはご存じ湯浅健二コーチ、'84年にはドイツ人監督ルディ・グーテンドルフを迎え入れていて、日本サッカー全体の趨勢でもあったんでしょうが、かなり"ドイツ"色の強い人選でした。
・一方で与那城ジョージの入団は'72年、ラモス瑠偉は'77年と、選手レベルでの"ブラジル"要素の導入もほぼ並行して進んでいます。
・'86年にはそのジョージが監督にも就任し、以後は監督レベルでも"ブラジル"化が進みます。(日本リーグ末期のペペ等)
・ちなみに三浦知良の入団は'90年。

歴史としては、こんな感じ。
ドリブルなのかパスなのか。
見てないついでに残っている記録だけから大胆に単純化してみると、「ジョージ与那城中心だとドリブル、ラモス中心だとパス」、ということではないかなと。前者は'72~'85'年、後者は86'年以降。

まず"ジョージ中心だとドリブル"とはどういうことかというと、これは特定の"ドリブル中心の戦術"を志向していたということではなくて、「自分で運べるなら運ぶ(ドリブル)し、足りなければ他人も使う(パス)」という、サッカーにおける最もシンプル&ナチュラルなプレー原理・優先順位(の形の一つ)でプレーしていたという事。そしてジョージを筆頭とするブラジル人選手や、後には戸塚・都並等の日本人テクニシャンも揃え日本リーグの中で相対的に個力優位だった讀賣クラブにおいては、自然ドリブルの優先順位も目立つことが多かった、それが上の『讀賣クラブ≒ドリブル』というタイプの証言の、理由があるとすれば理由かなと。
そうして中心選手としてジョージが年月を重ね、またラモスを筆頭とする理解者も集まって来る中で、パスワークの方の緻密さも本国ばりに増しては行ったでしょうが、この時点ではまだそれも自然的な総合性の中で機能していたのではないかと。ドリブル出来る時はドリブルする。その"威嚇"との対照でのパス。

それが"選手"ジョージが監督に退き、ラモス中心に変わって行った時に何が起きたかについては、次の記述を。

「ジョージが引退したことで、読売のパスの出し手がラモス(瑠偉)ひとりに減った。ジョージは長短のパスもドリブルも自在。試合の序盤は、こちらがしっかりとマークしていると、後ろからロングボールを散らして出てこない。ところが少しでも隙を見せると、一気に飛び出して来る。止めようがなかった。でもラモスは5~10メートルのパスは抜群でも30メートルのパスはない。気持ち良くボールを持たせておいても、最後はワンツーに飛び込まず、3人目の飛び出しをケアしておけば良かった」(清水秀彦)


サッカーダイジェストwebということですけど、元ネタは以前僕もレポしたこの本。



とにかくその結果讀賣クラブ/ヴェルディ川崎は、日産/横浜マリノスに全く勝てなくなります。

そんな日産が1987年3月に読売クラブから初勝利を飾ると、プロの時代に変わる1993年11月10日まで読売(ヴェルディ)の天敵であり続けた。引き分けを挟み15連勝の通過点には、当然Jリーグの記念すべき開幕戦も含まれていた。


簡単に言えば(ショート)パス"だけ"サッカーになったことによって、日産のカウンターサッカーの格好の餌食になってしまった。それが'86年以降の"ラモス中心"時代。
この続きはまた次章。


(戦術の内面化)

上で説明したように、専らドイツ系の監督の指導の下で、半ば自然発生的後付け的に、"選手発"で形成されて行ったのが所謂讀賣の"ブラジル"スタイルであろうと思われます。・・・広い意味での技術志向、"高度な"サッカーへの志向は、クラブ創設時から漠然とした目標としてはあったとしても。
だから"戦術の内面化"は最初から問題にならずに、むしろ"内面"が"戦術化"したと、極端に言えばそういう事態だったのではないかなと。
やがてそれは指導陣の選択の方向性まで変えて行き、乗っ取りが完成した(笑)というか一体化が進んだと言うか。
まあ"乗っ取り"とは言っても、輩出された選手たちを見れば分かるように、既に下部組織の方はそちら(ブラジル)の色彩濃く形成されていた(創設は'79年)わけで、クラブぐるみの方針ではあったんでしょうけどね。恐らくは出発点における"ドイツ"系指導者の選択自体が繰り返しになりますが"海外と言えばドイツ"だった時代の趨勢に従った暫定的なものであり、「内面化」すべきドイツ「戦術」のようなものがどれほど明確にあったのか無かったのか。
ともかくトップチームの人の動きだけ見ると、こういう風景が見えては来ます。



2.松木/ネルシーニョ・ヴェルディ (1993~1996)

(ドリブル)

"ヴェルディ川崎"初代監督松木安太郎による「オランダ」化の試み、それを継いだネルシーニョ・コーチ/監督による"ローテーション・フットボール"的な各種合理化と、色々改革も施されたJ開幕後でしたが、結論的に言うと日本リーグ末期"ラモス中心"時代から引き継いだ讀賣クラブ流のパス(偏向)サッカーに、本質的な変化は無かったように思います。

僕がフルに見始めたのもこの時代からな訳ですが、同時にスタートした各Jチームのサッカーと見比べて、極端に"ドリブル"の影が薄いなあという事は、すぐに気が付きました。
まず単純に"人"がいない。ドリブルの出来る人が。戦術的インパクトを与えるレベルで。
中盤の基本的構成は、柱谷哲二、ラモス、北澤、戸塚哲也という組み合わせが一番多かったですかね。松木監督期待のオランダ人DHハンセンは、スキル不足ですぐCBに下げられて、加藤久のポジションを"無駄に"奪っただけでしたし。哲さんは勿論そういう選手ではないし、ラモスは前項で述べられたように"ドリブルの出来ない"ジョージでしたし、北澤は"走る"けれどボールは扱えない、戸塚哲也は若い時はまた違ったのかもしれませんが33歳になっていたこの時点では専らパスでたまにアクセントをつけるだけの選手になっていました。永井秀樹はベンチが定位置、出ても"テクニックはあるようだな"と確認は出来るけれどそれ以上の実効性のあるプレーは出来ず(むしろ北澤的汗かきプレーの印象の方が強い)。菊原志郎が健在ならまた違ったのかもしれませんが、故障がちなのもあってほとんど出番は無し。
前線ほぼ固定の武田・カズコンビ(まあマイヤーというのもいたはいましたが)は、武田は勿論抜け出しとこぼれ球専門の"ボールに触らない"選手、一方カズは・・・ちょっと説明が難しい

プロデビューしたブラジルでは、「ブラジル人なら代表に入れた」と言われることもあったらしい、ハイレベルな"ウィング"だったらしいですが、そもそもそのブラジル的な"ウィング""11番"というポジションが、代表でもヴェルディでも、どうも見当たらない。基本的には"2トップ+1(ウィング)"みたいな組み合わせで、数え方によっては3トップなのかもしれないけど幾何学的にそんなにすっきりしたものではなくて、なかなか今のサッカーのイメージでは捕まえずらい(僕もよく分からない)。比較的最近の選手だと、2000年前後にブラジル代表で活躍したデニウソンとかが、近いイメージなのかなと思いますが。ああいう細身で左利きのサイド専門選手。間違っても"ストライカー"ではなく、デニウソンも今見たら"MF"という分類になってますね。でも別にゲームメイクに関与するわけでも守備をするわけでもない(笑)。使いづらっ。(今の観点では)
当然帰国当時の代表監督横山謙三氏もそれを引き継いだオランダ人監督オフトも技術は認めつつも扱いには困ったようで、かつクラブの方のぺぺ監督も自身ブラジル人でありながら、しょっちゅうカズに関する愚痴を新聞紙上で吐露していたような記憶があります(笑)。・・・当時の面子的には「トニーニョ・武田の2トップ+11番カズ」で、フォーマットは収まりそうに思うんですけど。サッカー状況的な必然性が無かったのかな。

で、最終的にはご存じの通り、「2トップの一角の"ストライカー"」として自分を作り直すことでカズはスーパースターになって行くわけですが、その分ドリブルテクニックの使いどころは限定的になり、要はシュート直前の最終的な障害回避にほぼ集中されるようになります。
つまりはカズ個人のシュートの助けにはなるけれど、チームとしてのチャンスメイクの一部ではないドリブル。
それにしてもあれほどの確度のドリブラーがいたわけですからもう少しプレゼンスを感じていても良さそうなものですが、ヴェルディがそもそも("ウィング"カズからの)"クロスを叩き込む"タイプの点の取り方を得意としていなかった(そういうFWがいなかった)こと、そして一方でカズの"MF"的なセンスがお世辞にも高くなかったことが、存在を限定的にしたのかなと。(前線のスーパースターではあっても)

いちカズの説明にえらい手間取ってしまいましたが、とにかくヴェルディには個の突破を期待出来る選手がいなかった、今も昔もドリブラーの重要な"転職"先であるサイドバックすら、石川康と中村忠ですからね(都並は慢性の負傷)。佐々木博和なんて"元天才ドリブラー"だったらしい選手もいましたが、少なくともJ開幕時点では端的に威力不足。これは藤吉も同じ。一番"期待"出来たのはたまに見せるCBペレイラの攻め上がり・・・というのは笑えない冗談のようですが、事実。あれで状況が動くことは、結構ありました。
他のチームには普通にいたんですよ、チームのチャンスメイクの重要な一部としてドリブルを駆使する選手が、それぞれに。エース級の攻撃手(鹿島・アルシンド、市原・リティ、浦和・福田、清水・長谷川健太&向島建、ガンバ・磯貝、広島・ノジュンユン)なり、スーパーサブ(横M・山田隆&神野、横F・桂、名古屋・平野&岡山)なり、あるいはそこまでの能力は無くてもサイドバックのどちらかはたいていドリブラー要素を持つ選手でした。(鹿島・賀谷、横M・平川、横F・モネール、名古屋・小川、広島・柳本&片野坂)

次の項で述べるように、当時のヴェルディの選手たちは"意地"も含めてその欠落を"欠落"としては位置付けていなかったと思いますが、見ている立場としてはこの流れならここでドリブル、はねえのかよとカックンする(笑)ことがしばしばでしたし、パスでの崩しが手詰まりな時は当然個人で壊してくれる選手を渇望しましたし、何でウチだけ縛りプレイなんだろうと嘆きながら見る部分はどうしてもありました。
開幕シーズン、不振の1stステージを承けて新司令塔としてブラジルから途中補強されたビスマルクでしたが、その"柔"のラモスに対する"剛"のゲームメイクの頼り甲斐もさることながら、"突破"まではしないけれどほぼ100%とられない確実なドリブルで必要なところまで持ち上がってポイントを作ってくれるプレーが滅茶苦茶大きくて、「一つドリブルが入るだけで何て組み立てがになるんだろう」と、一気に視野が開けた感じになったのを覚えています。

翌年以降のネルシーニョ指導下でのヴェルディも、勝っていたこともあってメンバー編成には大きな変化は無く、石川・中村等の"ドリブル出来ない"サイドバックを駆使してのサイド攻撃の構築に、ネルシーニョが変態的工夫を色々凝らすのを、それはそれで面白くは(笑)見ていた記憶があります。


(戦術の内面化)

サッカーもメンバーも基本的に変わらなかったのであれば、日本リーグ時代に形作られた"戦術と内面の一致"の方も当然継続された理屈。
むしろJ開幕後の挫折経験と成功経験を通して、それは更に凝固の度を深めたのではないかと思いますが。
"成功"は分かるとして"挫折"の方は何かというと、初年度'93年二年目'94年のスタート時に、共に経験した不調期間。それぞれビスマルクとネルシーニョという異色人材により最終的に救われたとはいえ、単に"スロースタート"という以上の深刻な「このサッカーでは駄目なのではないか」という不安感を、強気一本の口ぶり程鈍感な人では決してない、"体現者"のラモスだって、心の底では感じたであろうと僕は思いますが。
ただ救われた。結果勝っている。テコ入れはあったけど、表立って自己否定的な変化は被らないままで。そうなると"不安"を感じた分の反動含めて、ますます「これでいいんだ」という自分たちのスタイルへの肯定感情は強くなる、ならざるを得ない、最終的には"救世主"のネルシーニョの更なる変化の提案すら拒否する程にと、末期はそのように見えましたが。

一方で結局のところ、その自信と肯定感、戦術と内面の"癒着"に近い一致こそが、この時期のヴェルディの強さの本体だったのではないか、そのようにも僕は思います。
ここまで書いて来て分かるように(過去に何度も書いているように)、僕個人はこの時期のヴェルディのサッカーに、余り肯定的な感情は持っていませんでした。とにかく攻め手が少ない、華麗なようで単調。安定したボールキープと時折見せる名人芸的なパスワークの技術レベルが他のチームに無いものだったのは確かですが、それだけで勝てる程草創期のJリーグも甘くはない。・・・ていうかまあ、本当に"華麗"な姿を見せられたのは、"お荷物"レッズなどの一部の不調チームを相手にした時のみ。
当然ドリブルはしないし、ヘッドで競れるFWもいないし、まともなFKのキッカーすらいない。(CKはカズがいましたが)
とにかくパスパスパス、ショートで、中央で。どんなに状況が膠着しようが相手がベタ引きしようが、ひたすらボールを回して細かい駆け引きを繰り返し、いつか来るはずの必殺のスルーパスが通るその"瞬間"を待つという感じ。

で・・・来るんですよね、その"瞬間"が。結構。たいてい。90分の中、多くは最後の方には。
ヴェルディの狙い自体はとっくにバレてる、何せ他の事しないし。でも当時のJリーガーの限界なのか、肉体的スタミナ残量の低下と共に精神的注意力的スタミナがどうしても切れて、単純に90分はもたないのかそれとも"終わり"が見えた事による心の隙か、それまで凌いでいたヴェルディの見え見えの狙いを、なぜか通してしまう瞬間が毎試合訪れる。そしてその瞬間を厚かましいくらいの不動心でひたすら待っていたヴェルディが逃さず衝いて、勝利の一点をもぎ取って行く。そんな繰り返し。

勝ちまくりつつも戦術的に勝ってる感じは全然しなくて、じゃあ何で勝ってるかと言えば戦術の「密度」差かな?それも加えた総合的結果的な戦術力と、言えない事はないかも知れませんが。遊びのディベートと、本気の口喧嘩の違いというか。(笑)
前提にはやはり、歴史や実績や成功体験の違いによる「格」の差のようなものがあって、この幻想が壊れるまでは戦術的劣勢が決定的に露わには、なかなかならなかった。逆に日本リーグのある時点からヴェルディを恐れなくなっていた日産/マリノスには当然それは通じなくて、ショートパス中央突破一本やりサッカーに対する嵌め手のカウンターを、その相性通り決められ続けた。上の「時間」のアドバンテージも、むしろあちら側にあった感じですねこの場合は。そろそろやられる頃だな、そろそろペレイラがクリアミスする頃だな、ほらみたいな。(笑)
あのやり方は分かっているのに根負けして注意力が届かなくなって結局やられるみたいな感じを、普段はヴェルディは他のチームに味あわせ続けていたんでしょうね。それはともかく。

まとめるとこの"王者"時代のヴェルディは、技術力そのものではなくてそれに基づいた自分たちのスタイルの"内面化"の深さ、遂行の密度の濃さ、迷いの無さ、的確さ、根気強さ、こうしたものの圧力の総計でもって、あれだけの勝利を積み重ねていたというのが、僕の今の認識(後はやっぱり、カズの"超"決定力)。それは讀賣/ヴェルディの独特の歴史によって形成されたものであって、仮に同レベルの技術力で同じことを他のチームがやったとしても、到底あんな"常勝"チームにはなれなかったろうと思います。上手いチームがまた一つというだけで。上で言ったようにヴェルディの"技術力"自体は、それだけでは雑魚専でしかないというのが、既に当時の僕の観察でしたし。


こんなところですかね。
まだ二つの時期しかやってませんが、今日頑張って終わるものでもないので、これくらいで。"書きながら"考えているので、一つのところで余り書き過ぎると、後で辻褄・・・もとい言葉の対応(笑)が難しくなりそうですし。(笑)
このペースで行くと、次はレオンと李期ですかね。レオン・リー。(over40限定ネタ)
幸福な黄金時代が終わって、「戦術」と「内面」の関係も、もう少し複雑になるはず。


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出来ることと出来ないこと。/東京V-琉球(’20)、福岡-東京V(’20)
2020年08月13日 (木) | 編集 |
この2試合をどう関連付けるべきかそもそも関連付けるべきなのか。
重要なのか重要でないのか。


J2第10節 東京V ●0-1〇 琉球(味の素スタジアム)

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J2第11節 東京V 〇3-1● 福岡(ベスト電器スタジアム)

[得点者 : 佐藤優×2、小池]

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・多くの人が縦に急ぎ過ぎた行けるから(空いているから)といって行き過ぎたということを指摘していた琉球戦
・それに関して僕がいつも参考にしている一人uaoiohさん(@sit013)は、この1試合に限らない"最近の傾向"のようなものの可能性を指摘していました。

個人的には、目に見えて”RB”し始めた頃から”前へ”の意識が強まった気がします
(中略)
前からハメることをオープンゲームと勘違いしてるんじゃないか?っていう。だから前から行ってジョエルの脇ガラガラでしょう、ここ何試合か。

(『雑感。~vsFC琉球(H)~』)


・"RB"は"リターン・ザ・ボール"、ボールを取り戻すという永井語(多分)。(『【東京V】永井秀樹監督はイメージ済み。攻撃サッカーを導く「RB」の重要性』(7/28))
・ここらへんに関しては僕自身も、そう言えば再開当初言っていた吉武式"ポゼッション"寄り'20永井ヴェルディ」説という話はどこへ行ったんだろうとふと考えていたところだったので。(笑)
・とりあえずこういう"ストーリー"で応えてみました。


・言わば"プログレッション"(ただしスペイン/日本式)を焦り過ぎて"ポゼッション"忘れちゃった説。
・これだと僕文脈の"流れ"は俯瞰し易くて便利な解釈ではあるんですが、正直自信は無いというか言ってみただけというか。
・合ってる合ってない以前に、そもそも"流れ"を見るべきなのかこの試合"単独"の現象を見るべきなのか、それ自体決めかねていたので。
・仮に当たっていたとしても、大雑把過ぎる感は否めないし。
・とりあえず次の試合見てからだなと意地汚く保留しておいたんですが、その結果は後で。

・この試合単体で言うとすれば、正直ガチャガチャしていて退屈だったなと個人的には。
・せっかく(?)珍しいボール保持率50/50の"拮抗"が実現したのに、同じく"持ち合った"新潟戦の「楽しさ」とは似て非なるものというか、全然似てないというか。
・やはりポゼッションゲームの"楽しさ"は、「互角」の方には無く「秩序」の方にあるよなと。
・秩序ある攻め合いでないと、楽しさが生じない。
・僕の感受性では。
・ということを確認しました。(笑)



・そして"保留"の後の福岡戦
・これがまた別の試合で。
・違うところに焦点のある試合というか。

・とりあえずは前節チームの要の祥平のラフプレー(というより暴力行為)からのPKでのショッキングな負け、敗戦自体も5試合ぶりでうっかりするとここから一気に我慢が利かなくなる嫌な予感もしなくは無かったわけですが。
・その暗雲を吹き払う、4-2で勝った甲府戦以来こちらは4試合ぶりの2点差以上の快勝でほっと一息という、そういう試合結果ではありました。
・内容的にはその甲府戦と似たところもある伸び伸びと攻撃"パターン"を実現できた試合ではあったわけですが、より僕が直接的に連想したのはその次の千葉戦(2-1勝利)の方。
・前プレの福岡とどん引きの千葉と勿論プランニングは違うわけですけど、"オーソドックスなゾーン4-4-2"という基本の形は同じ。
・その隙間を面白いように衝けた。(福岡戦ではセットプレーの"ゾーン"すら)
・福岡の長谷部監督は、正にそのスタイルの専門家として、千葉で監督業を始めた人ですしね。(2016年)
・とにかくやはり、相性がいいんたなと。(笑)

・確か今のサッカーの源流であるそもそもの現代バルサのスタイルも、4-4ゾーン攻略の為に編み出されたものという話だったような・・・。(違ったっけ)
・ちなみに細かいことは覚えてませんが、その"2016長谷部ジェフ"に対して、当時の"冨樫"ヴェルディもまた相性の良さを発揮していたと、日記には書いてあります。(笑)
・当時はもっと慎重なスタイルでしたけどね、ユンジェフまではいかなくても。

・とにかくやけにすいすいと、やりたいことがやれた試合になりました。
・逆にやれ過ぎてこの試合もまた、位置づけがし難くなってしまったんですが。
・単にカモをカモっただけではないのかという。
・それ以外の要素が無いとは言わないけれど、ランダムの範囲というか。
・勿論、"'20永井ヴェルディの大きな流れとしての「プログレッション」傾斜とその混乱"という前節浮上したテーマについても、ちょっとこの試合からどうこう言うのは難しい。
・また繰り越しで。(笑)

・...で終わってしまうとあんまりなので、せっかくまとめて書いた「2試合」から、何か教訓(?)めいたものを引き出してみると。
・まず"琉球戦"の内容の特徴として、物理的に縦に急ぎ過ぎたというのはそれは勿論なんですが。
・更に内実を言うと縦に進められるスペースが空きそうだという想定の下での"琉球戦用"のゲームプランを、つたない形でしか実行出来なかった。
・特に今季のそれまでやって来たサッカーとの十分な連続性をもって行えなかった、そういう試合だったように見えます。
・ゲームプランは実行した、ただし"別の"チームとして。
・そこから窺えるのは一つは勿論、まだ"柔軟な運用"の出来る程の成熟、戦術の習熟度は達成されていないらしいという、分かり易い可能性。
・もう一つはこれは"吉武ヴェルディ"説的なものとも関係して来ますが、そもそも「縦」や「速さ」に軸足を置いたスタイルをこなせる準備は、将来的にも整わないのではないかという、より深刻な可能性。
・選手がか、監督がか。
・戦術がか技術がか、メンタルがか。
・"メンタル"というのはつまり、落ち着けと言えばとりあえず落ち着ける(ようになった)けど、急げと言われるとただただ急いで取っ散らかってしまう馬鹿正直さということですけど。お馴染みの。
・まあ単に"性格"が正直というよりも、理解が浅いという部分が大きいとは思いますが。深く理解すれば必要なメンタルも、自ずと伴うでしょう。"自分の問題"になるというか。
・それはともかく。
・琉球戦一戦に限って言えば、そうなることを予測出来なかったゲームプラン自体がそもそも間違いだったという見方もあるようですね。
・また永井が策に溺れやがった的な。(笑)
・そして同様の失敗を今後も繰り返すなら、永井監督の見込み自体に根本的な問題があるという、そういう見方にも至るかも知れません。
・まあ先の事は分からないとして、ともかく現状見えている風景としては。
・出来る事は確実にあるし、それがハマれば福岡戦のような鮮やかと言っていいプレーを表現することも出来る。
・一方で出来ない事苦手な事も確実にあって、かつそれは前からそうで今でも変わらずそうであるように見える。
・速くやろうとすると慌てちゃうし、かといってリスクを徹底的に避けて安全にやらせようとすると、それはそれで慌てちゃうし。(笑)
・結局じっくり回して真っ当に攻める"自分たちのサッカー"以外出来ないような気はしないでもない。
・それが一番確実というか。
・バリエーションと言っても、その中でのバリエーション。
・成績的にも試合内容的にも、特に現状を悲観的に考える必要は無いようには思いますが、進化しているのか大きな進歩の"途中"なのかと言われると、やや心もとない。
・この"2試合"も、特に時間性の無い並列的な二試合と、とりあえずは見えてしまう。
・出来る事と出来ない事があります。と、同じことを数カ月後にも言ってそうというか。(あ、"先"の事を言ってしまった(笑))

・まあそれでも昇格出来るポテンシャルが、満更無いとは思いませんけどね。
マテウス-祥平-藤田なんてクオリティのセンターラインが揃ってしまったら、意識するのは当然だと思いますし。
・次いつ揃うんだっていう話ですし。(笑)
・他も十分"多士済々"なのは間違いない。
・藤本はいなくなりましたけど、狙いかどうかは知りませんが途中からずっとワイドで使っていたので、意外と"穴"としてはマイナーなものにとどまった気がしますし。
・潮音もじりじりとですが成長はしている。(ワイドとして)
・ちなみに井出は、もしやと思ってましたがシュートは苦手なようです。(笑)

・一番"いいとこ"だけ先に見ちゃったのか・・・(笑)
・とりあえず潮音が勝てそうなポイント発見?(笑)。(最近シュート勘いいですよね、潮音)
・ただ潮音は、実は現状"藤田のバックアップ"候補のナンバー1でもあるような気もするんですよね。他にいなそうというか。(あくまで藤田の休養用ですけど)
・アンカーシステムにするなら。
・いっそ井出?
・ううむ。


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