東京V等サッカー、漫画、アニメ、アイドル 他
’05.1月~3月のみどりのろうごく
2023年07月21日 (金) | 編集 |
体調不良で2週間以上のお休み。
なんか書かないとなまるので書きますが、まだ完調ではないのでストレスの少ないものから。


1月

I Wish You Were Here ,石塚啓次。(2005年01月01日)

Jリーグでも異例なほどに主力選手の出入りの少なかったここ最近のヴェルディにおいて、どのみち年齢的に無理な北澤&本並さんを別にすればあのチームの主力メンバーで結果的にこの場に欠けているのはほぼ石塚だけなわけで。

元旦磐田との天皇杯決勝を制した後の、記事。
「Jリーグでも異例なほどに主力選手の出入りの少なかった」
そうなのか。ここらへんは当時の体感・相対なので、そう言うならそうだったんだろうと思うしか無いですが。
ただ確かに言われてみれば、"'02.8月"分から始まったこの回顧シリーズの中でも、入りはともかく出は少ない感じはして、エジムンド、エムボマらの外国人を除けば、主力で出て行ったのは相馬直樹や田中隼磨のような元々他チームに根を持つ選手くらい。問題の石塚は・・・なるほど'02.7月に戦力外通告を受けていたので、ぎりぎり扱い対象から外れていたのか。
"あのチーム"、李ヴェルディの主力メンバー。(除く外国人)
GK本並、DF中澤、米山、山田卓、MF林、小林慶、北澤、石塚、FW桜井、飯尾あたり。(平本はまだ)
この内中澤は(松木体制スタートの)'02シーズンが始まる時にかなり強引に自ら出て行った感じなので、通常の移籍にはカウントしていないのかな?ちなみに'02シーズンは飯尾もフロンタに期限付き移籍してますね。まあそもそも李政権当時はユースから抜擢された若手で、同じスーパーサブの桜井に比べても主力感は薄いですが。

一度完全にメルトダウンしかかったチームを今に至るまで支え続けてきたのは間違いなく”李の血脈”なわけで。
だから、やっぱり、残念だなと。ただ単純に。彼にもいて欲しかったなと。林健太郎を筆頭に、山田卓也、小林慶行、米山篤志といった李の遺産を実に巧みに、喜びを持って使いこなせるオジーなだけに。

「喜びを持って使いこなせる」。確かに。
山田卓也も小林慶行も、正直オジー下の方が活き活きしてたと思いますしね。ただ一方で就任前年大主力だった(サイドの)ファンタジスタ田中隼磨を不思議なくらいに使いこなせなかった事例もあるので、石塚も案外どうだったかなとも。どちらかというと小回りの利く選手が好きみたいだし。2003年なら故障がちだったエムボマのバックアップ的にFWで使うかなというイメージは湧きますが、2004年の3-5-2ハイプレスチームだと、居場所が難しそう。
とにかくそこにいない石塚の思い出を前面に押し出すくらいに、凄く感極まっていたらしい(笑)天皇杯優勝時の僕でした。
実際夢物語でしたね。1997年同じく元旦のレオンによる天皇杯制覇から8年、正直二度とタイトルなんかに縁は無いんじゃないかとそう思いかけていた自クラブに対する評価でしたから。レオンの優勝自体、かなりクラブ的には異例感のある、"レオンの"優勝でしたし。
あれから18年。その後それに比較し得る体験としては、2007年フッキ・ディエゴを擁しての、J1昇格のみ。さて今年は?(笑)


頭冷やして(2005年01月02日)

草津戦あたりでも書きましたが、前へ、速くという部分がしっかりして来た反面、落ち着いて回すとか誤魔化すとかいう元々得意だった部分がやはり少し覚束なくなっていますね。

改めての天皇杯決勝レビュー。
"草津戦"というのはこれですね。天皇杯準々決勝。
「落ち着いて回すとか誤魔化すとかいう元々得意だった部分」が覚束なくなっていると。
そうだったのか。
ヴェルディらしいテクニカルなショートパスサッカーの魅力を損なわずに、よくもたった半年でハイプレスサッカーなんか仕込んだものだよなという印象の鮮烈なチームでしたが、その陰でやはり失われたものはあったと。

この部分を前へ速くの本線を損なわない程度に並行して修得するのか、もしくはこれも草津戦で書いたように攻める時と守る、カウンター態勢の時とをはっきりさせるというゲームマネジメントでクリアするのか。一つ、新シーズンの注目ポイントだと思います。

後者は今で言うところの「トランジション」みたいな概念ですね。
「局面」を分けて、それぞれに対処すると。
若い人からすると当たり前に聴こえるかもしれないですが、この当時の感覚だとそれはむしろ"次善"の策で、分けないで統一的に連続的に処理出来るのが本当の強いチームで、だからまずそちらを先に書いている訳ですね。
とにかく純情緒的な前日の記事を補完するような(笑)、一夜明けて"頭冷やし"た早速の"来季への展望"記事。


雑ネタ(2005年01月07日)

ちなみに昨年1年間のウチのユニークアクセスのリンク元の総計を見てみますと、
 1位 お気に入り/ブックマーク 35.3%
 2位 さっかりん 17.8%
 3位 Verdy U-23のリンクページ 9.7%
 4位 切腹倶楽部の左フレーム 3.7%
 5位 Verdy Thingsのリンクページ 2.8%
 6位 ヴェルディウェブリング 2.2%
 7位 ややいやな目ブログ 2.1%
 8位 ややいやな目のリンクページ 2.0%
 8位 三光鳥の話トップ(リンクランキング+”敵を知る”) 2.0%
10位 ヴェさんのひとりごとのリンクページ 1.8%
と、いう感じになっています。

当時を知る人以外には何の意味も無いですが、面白いので貼っておきます。


舌の根も乾かぬ内に?(転載)(2005年01月23日)

ブログ作りました。

ここか!
やっと確定した。(笑)
確か"excite"ブログだったような。

さっかりん経由で来ている人は分かると思うんですが、とにかくもう全然更新を拾ってくれなくって。

そんなこともあったっけ。
さっかりんで使っているテクノロジーと、htmlでのアップロードとの相性が悪かったらしく。
それでブログ/CSSへと。

まあぶっちゃけあんまりブログが独立して認知されるのも微妙に困るので、補助的な扱いで。
なぜって・・・・だってウチはトップページから入ってもらってナンボですから(笑)。認知が向上してトップのアクセスが逆に減ったりしたら今度こそ本当に泣きます。

何を言ってるか分からないと思いますが。(笑)
つまり当時は"所長さん"グラビア画像は、htmlの"サイト"のトップページに貼っていたんですよね。さっかりんに伝わるのは文章部分の更新なんですが、さっかりんに表示されているのはあくまでトップページなので、文章を更新する→その更新情報をさっかりんで知った人がトップページで画像を見ながら文章部分に行きつくと、そういう視線の誘導(?)が成り立っていた訳です。でもさっかりんでブログ部分が表示されるようになると、直接そっちへ行ってしまうので、画像が見てもらえないという、そういう悩み。(笑)
結果的には、観念してブログに直接画像を貼る今の形に行きつく訳ですけど。


ブログとサイト その2(2005年01月29日)

「サッカー景気の悪い話」さみーさんのこの記事を再度引くとJ.B.アンテナ の登録数は2004年11月21日の段階でこう。

鹿島アントラーズ 54
浦和レッズ 137
ジェフ市原 37
柏レイソル 74
FC東京 124
東京ヴェルディ 25
横浜Fマリノス 165(MAX)
アルビレックス新潟 37
清水エスパルス 39
ジュビロ磐田 56
名古屋グランパス 30
ガンバ大阪 66
セレッソ大阪 59
ヴィッセル神戸 51
サンフレッチェ広島 15(MINI)
大分トリニータ 35

"J.B.アンテナ"というのは、""サイト""ブログ"ごちゃまぜのさっかりんに対して、当時本格的に増えて来た各チームサポによる"ブログ"のみを集めたアンテナ。
これもまあ、ある種の"記録"なので、掲げておきます。
サポ自体の数からするとヴェルディはむしろ多い方ですが(それこそ浦和との差はねえ、こんなもんじゃないんです!(笑)。もう一桁は違う)、これは当時スポンサーに加わっていたサイバーエージェントがアメブロにヴェルディサポ専用のテンプレを用意してくれて、それを使ってブログを始める人が一気に増えた、その影響ですね。



2月

サイトとブログ その3(2005年02月01日)

・・・・ここまで書いて来て気が付きましたが、僕の視点はあくまでサイト>ブログまたはサイトの変形としてのブログという見方に凝り固まっているようですが、違う見方も可能なわけです。別にサイトを作ろうとしているのではなくて最初からブログなのだと。

更に言うと特に誰の定義でもないですが、根本的なデザインや性格付けからああでもないこうでもないと作り上げる今までの「サイト」という概念の場合、意識するにしろしないにしろ、そこにはどうしても”総体としてのその人自身の表現”というような大げさなニュアンスが入って来るわけです。
(中略)
しかしその同じ人がその2 で書いたように、掲示板では割りと書き捨てご免のような感じで日夜平気で”文章”を晒している。そしてブログという形式にはその延長というニュアンスを強く感じることが多いのですね

「”総体としてのその人自身の表現”」としての『サイト』と、「"掲示板"的"書き捨てご免"の純粋な”文章”」としての『ブログ』。
これ今だとそのまんま、前者(その人自身)を担うものとして「ブログ」が、後者(純粋な文章)を担うものとしてtwitter等の「SNS」が当てはめられる記述ですね(笑)。「ブログ」の位置が横滑りして。
結局は二種類の欲望、二種類の表現形式があって、それぞれをどんなテクノロジー/ツールが担うかは単に時代の選択肢によると、そういう話ですね。僕自身も含めて"今"ブログをやっている人は、かつて個人サイトをやっていたタイプの人という。"書き捨て"では物足りないタイプの自己愛を持っている人というか。(笑)


甲府戦行って来ました(1)(2005年02月23日)

ヴェルディの先発メンバーはGK高木DF右からカンジン、林、戸田、MF1ボランチにコバ、その前に右から山田、大悟、平野、相馬、FWワシントン、平本

よみうりランドでのプレシーズンマッチ
"カンジン"はイ・カンジン/李康珍(現在は李ウジンとか)、スピードのある(身長も184あるらしいけど特に高さの印象は無い)CB兼右SBで、名前似てるついでに言えばシティの"アカンジ"っぽいと言えばアカンジっぽいかも。でももっとはっきりスピードはありましたね。足元はそれこそアカンジ並かな?(リーグ相対で)
以前にも噂のあった戸田和幸がいよいよ加入、最初は清水でのデビュー当時と同じ左CBか。まあ監督も(元清水監督の)オジーだしな。前年平本とのコンビでプレッシングの先兵となっていた飯尾は、どういう経緯か覚えてないですが上でも言ったようにフロンタに期限付き移籍中で、すんなりとワシントン平本の2トップ。
あと相馬にポジションを奪われたアツがオフに移籍。

数は少なかったですが足元でのポストプレーにおいてもそれなりにタイミングに遊びを持たすようなそういうプレーも出来てましたから、標準程度の期待はしていいと思います。ただ今のところ定型ポスト以外で組み立てに参加させるメリットは余り感じられなかったので、そういうプレーとずばりシュートそこに限定して使うのが無難かなと。

ワシントンの第一印象ですが。結局このまんまですね。後の浦和時代も含めて。
足元の技術も体格もありますが、ポストプレーヤーとしては平凡ないし少し遅過ぎて、Jリーグレベルでもあえて使う価値は無かった。その他色々出来るしやる気もあるんだけど、シュート及びそれに直接繋がるプレー以外には参加させる必要の無い選手。(と、割り切るまでがチーム的に大変でした)

次に目についたのがじかに見るのは初めての相馬でしたが、いや凄いねこの人は。球際の強さ、というよりは要領の良さ、駄目かなと思ってもすぐ切り替えてまた別のタイミングや角度でチャレンジして結局はマイボールにしてしまう執念深さ、深いエリアに入り込めば必ずセンタリングの態勢に持ち込んでしかもそれを絶対敵に当てずにしっかりゴール前に送り込む細心さ、文句無いです。
僕の周りはなぜか甲府サポが多かったんですが、序盤の1,2回のプレーでもう、以後相馬にボールが渡るたびに「またコイツかよ、ウゼエな、死ねよ」という空気になるのが分かって面白かったです(笑)。

本当に"がむしゃら"時代の相馬崇人はいい選手でしたね。
大別すれば別に働きバチではなくて、単騎突破が武器のウィングではあるんですが、その自己意識に変に目覚めて骨惜しみするようになってからは、ウィングプレー自体の効率も逆に落ちてしまった印象。とにかく動き回って物理的にウザい(笑)のがいいところだった選手が、自己主張ばかりする精神的にウザい(一方で物理的にはプレーの読み易い)選手になってしまったというか。


甲府戦行って来ました(2)(2005年02月23日)

もう一人はやはりというか何というか戸田。判断が遅いのか、ヴェルディの基準にずれてるのか、それとも単に技術が足りないのか、正直一人でリズムを崩してるような感じはありました。同サイドの相馬あたりからはかなり注文がついてましたが。

1日2回更新らしい。
まあみんなが見られる試合でもないので、書く意義はあったんでしょう。
相馬崇人に注文を付けられまくる戸田和幸(笑)。近年のカリスマ評論家ぶりしか知らない人からすると、意外な光景かもしれませんが。
まあユース代表とかには選ばれてましたがCBとしてはそこそこ強くてそこそこ器用という以上の選手ではなかったですし、トルシエに抜擢されたアンカーとしても、基本的には"潰し"の選手で繋ぎや細かい状況判断を評価されていた訳ではなかったですしね。(実際にはこの当時は既にそれなりのレベルのボランチには成長していたようですが)
足元が無い、繋ぎのサッカーに適性が無いのは、これはもうしょうがないこと。桐蔭時代の師匠李国秀の指導にも、結局どうにも染まらなかった頑固者のようですし。

一方で元気はつらちゅう?だったのが平本。大悟とは対照的に判断がとにかく積極的で相手の先先行っていて、預けときゃ間違い無いと、そんな信頼感も沸かなくもないプレーぶり。しっかりと去年からの継続性が感じられます。どうもオジーからは第2FW”候補”みたいな扱いのようですが、ヴェルディへの馴染みから考えてもむしろ平本を軸としてワシントンはおまけ(デッカイおまけだけど)、上積み分くらいな感じで組み立てた方が、チームのイメージとしては奥行きや安定感が出るように思います。

平本の"成長"についてはまた後で書きますが、結局オジーは僕の提案とは裏腹にワシントン軸というのを変えずに、失敗というか心中というか、そういう結果に終わったシーズンでした。エムボマの扱いに比べても柔軟性に欠けていた印象でしたが、余程評価していたのかスポンサー筋のプレッシャーでもあったのか。


画蛇点睛? ~ゼロックス雑感(2005年02月27日)

ワシントンは本当に「欠けていた1ピース」でした。

ゴール前の煮詰まったスペースにおける判断・選択・実行が、簡潔で剛直で迷いの無い収束型のFW。確実に成長して彼なりに信頼感の高まっている平本が、それでも恐らく一生かかっても到達しないタイプの存在感。

盤石のボールキープから豪快に蹴り込んで、これは凄いのが来たとみんな思った、結果的に"ヴェルディのワシントン"のピークだった思い出のゼロックス。(スーパーカップ)
僕も人並みに興奮していますが、実際ある種の"ゼロトップ"だった前年の天皇杯制覇チームのFW陣から、はっきり差別化は感じた"リアルストライカー"ぶりではありましたね。頭の中がそもそも違う感じ。ゴールに近づけば近づくほど、正確さの増すプレー。

・・・ゼロトップで成功していたチームにスーパーストライカーが来るという、最近どこかで聞いたようなあれですが(笑)。(結末は・・・)



3月
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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
’04.8月後半~12月のみどりのろうごく
2023年06月22日 (木) | 編集 |
今週末にブリットポップについてのドキュメンタリーがまたやるようなので(見たやつかも知れない)、『ラウンジ・ミュージックとブリッポップ』の後編は、念の為にそれも確認してからということで後回しに。


8月後半

2nd開幕新潟戦(2004年08月17日)

FWとして投入された広山が、フィットしないと見るやさっさと右サイドの得意位置に腰を据え直してとりあえず持ち芸を見せることに専心していたのは笑いました。さすが外人。緑ユニ着るとどことなく林健太郎に似てるし(?)、エゴがしっかりしてるのは間違い無さそうですね。逆に人間的には知的な選手であっても、プレー的にはむしろ職人的なタイプなのかなという疑いもちょっと感じましたが。とりあえず依然として誰主導で何の為に獲って来た選手なのかは見えず。


1stステージ後の中断期間に、割と唐突な感じで加入して来た廣山望選手。
そうでした。最初は"FW"(ウィングという意味ではなくて)扱いでした。
実績のあるサイドで使われなかったのは謎ではありましたが、この年最後まで結局廣山はチームで居場所が定まらず翌年はセレッソにレンタルされてしまうので、"FWで使う為に獲った"というよりもフロントが勝手に獲って来た(それなりに)大物選手を、オジーが使いどころに困ってとりあえずFWに置いたという、そっちの方だったかなと。
引用部分は廣山が試合中に自主判断でポジションを変えていて、さすが海外クラブ(パラグアイ、ポルトガル、フランス)を渡り歩いてきた選手とある意味での感銘を受けたというそういう話。
・・・特に重要な記事ではないんですけど、好きな選手の埋もれがちな過去の姿なので、単純に書き留めておきたくて。(笑)


何やら(2004年08月21日)

僕も現行の五輪サッカー自体不要という説には賛成です。少なくとも男子については。
23歳にもなって年代別大会なんてやってる場合じゃないでしょう、基本的に。OAなんて入れたって結局会場はガラガラだし、大会全体から何か浮き気味なのも変わってないし、もう手放してくれませんかねIOCも。プチW杯化が望みなら確かにもう一方の不人気大会コンフェデと合併するのはいい案かもしれない。


「23歳にもなって年代別大会なんてやってる場合じゃない」「OAなんか使って(スター選手入れて)も大会の格は全然上がってない」という、約20年前の文句が今でも(それどころかますます)通用するように見える五輪サッカー。一方で今日のU-20W杯の注目度もあんまりパッとしないので、何とか中を取る方法は無いかなと思ったりはしますが。
コンフェデと合併という話が出てたのか。検索しても出ては来ないんですが、どういうプランなのかな。出場国を思い切り絞ったW杯?ただ逆にコンフェデの存在意義は"W杯開催国が予行演習的に大会運営をしてみる"ことにあった筈なので、それを五輪開催地でやっては意味が無い気が。・・・なるほど最初はサウジ開催の私的な大会だったのか、その意味では"ミニW杯"の枠組みだけ残してそれを五輪開催地が主催してもいい訳か。(コンフェデWiki)
いずれにしても昔の話ですね。コンフェデ自体もう無いですし。(2017年が最後)
「ミニW杯」というフォーマット自体は、意外と面白い時もあったような記憶。本物みたいに試合数が多くて見切れないなんてことも無いですし。


ヴェルディは普通のチームになる?!(2004年08月24日)

とりあえずオジー版3-5-2ヴェルディを見ながら僕が思ったのは、口で言うほどカスタマイズ、エッセンスをある文脈から別の文脈に移し代えるのは楽じゃないかもな。”ヴェルディらしいサッカー”というのは例えば生態系のように様々な要素が分解不能にひとつの大きな全体として存在しているもので、それを望みの部分だけ抽出しようというのは金の卵を生むガチョウの腹を裂く危険を伴う行為なのかもしれないなということです。


サッカーにおける"生態系"≒"エコロジカル"という概念を、既に20年前から使っていた先見性!・・・なんて話では特になくて(笑)、他に表現が難しいようなあやふやな相互関係を、今も昔もその語を使って呼んでいるというだけですね。
具体的にここで言っているのは、4-4-2から3-5-2への変更による、つまり人によっては"本質"(エッセンス)的ではないと見なすような"形"の変更が、思いの外大きく"生態系"にダメージを与えているようだなというそういう観察。
最終的にその年度の天皇杯優勝という大きな成功に至るこのチームで、ではどのようなエッセンスが"移し代え"られたように見えるのかという話は、またその時に。



9月

アジアユース予選リーグ(2004年09月30日)

アトランタチーム~’02ツーロンあたりまではある意味トップ代表よりも様々な発見や希望があって見所満点だった年代別代表も、今やすっかり単なる子供の大会というものでしかなくなって。日本サッカー全体の成長の頭打ちと、山本・大熊両監督の個人的資質の問題の両方が理由だと思いますが。


98年フランスW杯初出場に先立つ95-96年のアトランタ五輪チーム。(のブラジル撃破の快挙)
2002年日韓W杯のフル代表監督トルシエが、それ以前に99年のワールドユース準優勝と翌2000年シドニー五輪の特にアジア予選の快進撃で見せた可能性。
更に遡れは93年Jリーグ開幕の年に一足先に"世界"を垣間見せた、日本開催のU-17世界選手権の"財前・船越・一木"の日本代表チームに、まだ注目度が低くて結果の報道だけでしたが97年のワールドユースベスト8入り、そして締めとして、ツーロン'02の内容的にも各国関係者の間で話題になった3位入賞のチーム。
日本リーグ時代からの選手や習慣・慣性が残らざるを得ないフル代表と違って、新しい教育を受けて来た新しい選手たちが若手指導者によって率いられる年代別代表チームは、フル代表よりも常に先行してかつより純粋な形で、当時の日本サッカーの右肩上がりの"進歩"をディスプレイする場所となって来ました。
それが「すっかり単なる子供の大会」とは2年で随分な様変わりですが、それは一つにはまず、"最後の輝き"'02ツーロンチームを引き継いだ(と見せかけて壊した)山本アテネ五輪チームの低調&本大会での惨敗と、'03大熊清ワールドユースチームの、結果こそベスト8とそこそこではあったものの、先進性のかけらも感じさせない個人技根性サッカーが余りにも見るに堪えなかったというそれぞれの具体的なチームのありようの問題。
そしてもう一つはトルシエの後の(現)代表監督ジーコが、「欧州を手本とした組織化緻密化」というそれまでの日本サッカー/代表サッカーの基本から大きく外れた南米個人技路線を独自に歩み始め、またその"独自"性がアンダー世代への無関心/断絶という形でも表現されてしまった為に、U-23やU-20というカテゴリー・年代のサッカー/チームの意義やフル代表との連続性が失われて"孤立""独立"してしまって、それぞれの年代のそれぞれのサッカーつまりは"子供の"サッカーでしか無くなってしまったと、そういうことでしょうね。
それが「日本サッカー全体の成長の頭打ち」を背景としているというのは、ジーコ・ジャパンの実際の"失敗"までまだ2年も残したこの時点では、いささか臆断的というか悲観的な気分に流され過ぎなような気もこの時点ではしないでもないですが。(笑)
まあ好きだったんですよね、年代別代表サッカー。楽しかったんですよ。ヒントだらけで本当に面白かった。だから、悲しかったんでしょうね。(笑)
現在は・・・どうなんでしょうね。フル代表は保守化してるかもしれないけど年代別代表もそれ以上に迷走しているところがあるので、どっちもどっちで最早本当にただの"参考資料"という感じ。選手ウォッチの場?



10月

まずは(2004年10月04日)

オジーの談話はすっかりノイローゼorキレ気味なのが恒例となってしまって、そんなに無茶苦茶な成績ではないけどナビスコ優勝でもしないと(しても?)まず間違いなく辞任しそうに思います。解任、ではなくね。

共に低調な内容で終わったらしい、ホーム神戸戦後の記事。
そうだったんだ。オジーと言えば飄々ユーモラス、という印象ですけど。
平塚と柏の実績を引っ提げてやって来たニカノール('98在任)なんかも僕の目には不可解なくらいに心細げというか四方八方遠慮しながらやっていた印象でしたが、清水→Fマリのオジーにも"外様の実績監督"特有"名門クラブ"の無言の圧でもあったんでしょうか。内外からの。必ずしも温かくない。(全くの想像です)

相馬はどうもホントに上手い選手らしく。この試合で気が付いたのは印象としては単にがむしゃらにやってるように見えるけど、実はかなり技術的に完成度の高いボールを奪われ難いドリブルの仕方を心得ていることで。
粘っこくて上手くカバーしてる感じが桜井と少し似てますが、桜井が行きつ戻りつの蛇行運転の変化と併せてるのに対して相馬の場合は前へ前へ一直線が前提ですから、むしろこっちの方が凄いとも言える。

今正に出世街道を登っている最中の左WB相馬崇人
桜井(直人)との比較は、同じ"失わない"ドリブルでもある程度自由なコース取りで敵のプレッシャーを誤魔化せるFWの桜井に対して、サイドという性格上、どこに向かっているかは自明だし、ひとたびオーバーラップを始めたら途中で気ままに戻ったりも出来ない(笑)相馬の方がある面難易度の高いことをやっているという話。
同ポジションのアツと比べても、この時期の相馬の厳しいと分かっているところにも怯まず突っ込んで行って敵に対応させて味方を楽にする勤勉性、自己犠牲性は際立っていて、利き足の違いもありますがすぐカットインに逃げるアツと、そこが最も大きな違いでポジションを奪い取る要因となったのではないかなという、当時の観測。
いいコ(笑)だったんですよね相馬も、最初は。じきに"我れが""我れが"の選手になっちゃいますが。


ある種完璧(2004年10月24日)

ではなくてコバが中盤の中心になったこと、相馬、平野、大悟動ける選手がその前に揃って自ずとプレーの色が統一されたことがこういうプレー内容になっている原因もしくは条件だということは普通に想像出来ますが。

小林慶行の1アンカーの前に右大悟左平野のインサイド、左WBに相馬という、そういう布陣。
それまでは3-5-2でも、林健太郎が主にアンカーの位置に入ってたようですね。
小林慶行は・・・覚えてないですけどどうせ怪我してたんでしょうね、例によって(雑(笑))。それが本格復帰して来たと。

実際昔ランドによく行っていた頃に林抜きでコバが全権握った試合を何度が見ましたが、何か覿面にテンポが変わるんですよね。当時のコバは今の7割程度のコンディションだったと思うんですが、それでもあからさまに意欲的になって積極的にチームを動かすようになる。そういえば今よりもっと方向性模索中だった大悟も、嬉々として使われるプレーに徹してかえって天才振りが引き立っていたっけ。コバの復活の可能性は五分五分くらいという状況でしたが、こんなヴェルディいいよなと近未来に希望を描いていたものでした。

"ランド"とはよみうりランド内のヴェルディの練習グラウンド。(一応注釈)
小林慶行は中盤のどんな役割も無難にこなすようでいて、実際ははっきり中心として使った時に初めて真価を発揮する選手。(だということを練習で見て知った)
逆に大悟はむしろ"中心"のプレッシャーから解き放ってやった方がいい選手。という当時の観測。
李政権(99-00)時代から評価は高かった小林慶行ですが、実際問題本当に中心として使って見せたのはオジーが初めてだったんですよね。怪我がちということもあって、そういう"未来"が実現するという当ても余り無かったという、そういう回顧。本当にオジーの選手の使い方は上手。



11月

磐田戦(2004年11月02日)

戸川のケガの功名もあるんでしょうが最終ラインに林、その前にコバ、そのまた前に大悟という3大パサーの住み分けは凄く幸せなものですね。あ、ハマった、という感じ。このハマり感はオジー・ヴェルディの第1期完成形(例の中盤フラット4-4-2)の、左サイド前後の平野とアツ、中盤両サイドの平野とタク、それから真ん中ちょい下がり目のコバと上がり目のラモンのあの見事な住み分け感に通じるものがあります。

引き続き3-5-2オジー・ヴェルディの形成/完成過程の話。
3大パサーとは何て素敵な響き。(笑)
とはいえこれは別に銀河系とか黄金の中盤とかの贅沢案件ではなくて、ごくごく合理的ですっきりした役割分担ですけど。
"戸川のケガの功名"とは何かというと、清水でもマリノスでも3バックをやって来たオジーですが、クラブ文化の違いかヴェルディでのそれには何やら独特の"緊張"感を持って臨んでいて、この年の最初の3バック導入は新人CB戸川の特殊技能的とも言える俊足を利したカバーリング能力ありきで初めて行われたようなところがあり、戸川が健在な限りその"セット"は動かしづらいところがありました。だからたまたま戸川が離脱していたから林のリベロ転属がスムーズに行われ、それに伴った小林慶行と大悟の適所配置も叶ったという、そういう"玉突き"的な話。戸川には若干申し訳ない、文字通りの"怪我"の功名。


ふと読み返してみたところ、(2004年11月05日)

簡単に言うとヴェルディの”ブラジル”セレソンのブラジルですね。それに対して鹿島の”ブラジル”はより日常の、国内のクラブサッカーのブラジル。夢のサッカーとサバイバルのサッカー。
別な言い方をするとヴェルディの”ブラジル”はラモスやジョージのような流れ者・半端者が、故郷を物理的にも心理的にも遠くにありて思った美化/理想化したブラジル。鹿島の”ブラジル”はド本流のジーコが直接移植したリアルでハードなブラジル。

多分ね。そんなブラジルサッカーに詳しいわけでもないですが。でもたまに見ると上手いことは上手いけど地味でコスいですよねブラジルのクラブサッカーって、たいてい。ブラジル人がセレソンに絶え間なく突きつけるご無体な要求も、そもそもが「夢」で普段関わっているそれ(サッカー)とは違う次元で捉えているからじゃないですかね。

ほんとかどうかは分からないけど色々上手いことを言ってると思う。
知り合いにブラジル人がいる人は聞いてみて!(笑)
まあでも、確か当時は関東UHF局とかでもやってた気がするんですが、初めて見たブラジルの国内リーグがえらく地味でびっくりした記憶はあります。思ってた"ブラジル"と違うなあと。


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ジャンル:ブログ
’04.5月~8月前半のみどりのろうごく
2023年05月31日 (水) | 編集 |
Mリーグの追記を書く予定を取りやめたので、困った時のこれ。
元々そういう枠として、始めたものだったりしますし。
8月"前半"で切ってるのは、後半に2ndステージが始まるからで、つまりその直前のインターバル期間まで。


5月

断念(2004年05月01日)

5月になりました。

が、余りに忙しくて落ち着いて考え事が出来なかったので、結局今回のサイト再編成は見送り。

というわけで大枠は変わらないとしても後もう少し考えてることがあるんですが、折り悪くというか良くというかここ一日以上ADSLが繋がらなくて調べ物とかそういう作業が出来ないので今日はここまで。


まだやってたらしい。
そしてADSLだったらしい。(笑)


ていうか(2004年05月03日)

ありていに言えばリーグぐるみの”死のロード”、まさかオジーが平野を途中で引っ込めるとは。
疲れてないわけはないんだけど、本人も結構意外そうでした。これをきっかけに急に我に帰って、怪物平野が疲れ知らずじゃなくなったりしたら困っちゃうんですけど(笑)。


GW日程の話。
そう、この時期(オジー期)の平野は、怪物的な身体能力と超人的なスタミナ・運動量と、万能の戦術遂行能力と勿論左足の技術を備えた、何というか本当にありがたい、素晴らしい選手でしたね。しかもそれでエゴとかかけらもなく、"三度の飯よりサポートが好き"みたいな奇特な性格で。まさか後年、あれほどピンボケ発言で集中砲火を浴びるような人になるとは。
アツはまあ、昔からあんな感じでしたけど(笑)。それをオジーと平野が上手く介護してた。(神戸では出来てないらしい)


(新潟戦)[実際は無題](2004年05月04日)

おまけ。FWの起用法について。
前の試合に先発した飯尾、この試合に先発した桜井、それと両方で途中出場したボマ。実はこの3人はオジー的には同カテゴリーなんじゃないかと思うんですよね。小柄ながらポストプレーの要領を心得ている飯尾、最近キレは今ふたつだけどとりあえずキープ力のある桜井、そして言わずと知れたボマは3人とも「前線のポイント作り」という同じ役割を担っている。
それがなぜ取っ替え引っ替えかというとそれぞれに総合力なりコンディションなりに不安を抱えているからで、言わば質の不足を数で補っている状態。だからボマの途中投入は戦術の変化というよりももっと単純にクオリティアップという意味合いが強いと思います。

逆に言うと常にその全てのパートナーとなっている平本にはそういうプレーは全く期待されてないということですが、それはそれで割り切りがいいのかこの試合の平本のパフォーマンスはかなり上等で、平野と並んで予感のあるプレーをしていました。森本との交代もこれまでの”見切り”というよりお役目ご苦労というニュアンス。
まあだからと言って次も期待出来るとは全く限らないがのが平本ですが(笑)。


ロリ時代には不器用ながらも、"ポストプレーヤー"としての職能をそれなりに確立していた(確かその時期に代表の候補にも一瞬挙がってたような)平本でしたが、オジーにはそこらへん全然評価されず、再び"ドリブラー"(&ストライカー)としての位置づけに回帰して、でもかえって解放されていいプレーをしていたというそういう試合のよう。
そしてこのシーズンの終盤には・・・と、それはその時に。
"チビ"飯尾(一慶)はポストプレー上手かったですよね。その一方で、見た目から連想し易い"小兵ドリブラー"としての瞬発力は、李時代に初めてユースから抜擢された時をピークに、その後は影を潜める一方という。ドリブルの肉体的接触に耐えられないのもありましたが、性格的な問題が大きかったと思います。おっとり真面目な優等生で、ドリブル突破のような"不確実性"プレーは苦手。


ジェフ戦(2004年05月06日)

そういやあオジーの基本理念として「全員の運動量が均等なサッカー」なんてのもありましたね。


ありましたありました。
なるほど、その理念や美意識が、選手の自由を最大限に近く尊重しつつも絶妙にバランスの崩れないオジーのチームの良さの源となっていた。どこかが歪んでたり誰かが無理して支えてたりするのが、嫌なんですよね多分この人は。それを"醜い"と感じる。(上の平野の"怪物"プレーも、基本的には平野の"自由"の発露。確かにチームの不調時には、結果的に"支えて"もらうこともありましたが)
で、ふと思ったんですけど、オジーって実は、広義のというか少なくとも感覚的には、"ポジショナル"派なんじゃないかなという。李さんのようにはっきりそういう「方法」「理論」を使っていた訳ではないとしても、発想や(チーム作りの)目標に通じるものは少なからずあったのではないかという。細かい"組織化"や"パターン"化はしないのに、オジーのチームの攻撃が物凄くスムーズである種(動的)秩序的だったのは、言うなればオジーの"魔法"の陰には、何らかポジショナル的な準備、配置の配慮があったのではないかなと。
・・・前に所謂"エコロジカル・トレーニング"について取り上げた時に、ポスト現代サッカー(ポジショナルを筆頭とする)としてのそれがオジーの魔法の正体かと、一瞬引き合いに出しかけて、でも結局違うんじゃないか(エコロジー/熟成型ではない)という結論に辿り着きましたが。
いや、その、ペップシティの(特にハーランド"前")各々が伸び伸びと自分の能力を発揮しつつ、それが決してチームを壊さない(壊す時もある(笑)。ウォーカーとか(笑))、チームがあって自由があり自由によってチームが更に拡張するみたいな感覚に、割と似たものを感じるんですよね、オジーのチームは。だから"ポジショナル"一般というよりも、人格含めた"ペップ"のポジショナルに、親近性があるのかも。
ピンと来る人います?思い付いたばかりで、これ以上の説明は今は出来ないんですが。(笑)


6月

アイスランド代表戦(2004年06月01日)

4-4-2版ジーコジャパンの”黄金の中盤”への僕の一番の違和感は、小野稲本の総合力が売りの2選手がホントにただ並んでるだけのだらしないドイスボランチにあったのだけど、それが3-5-2になった途端最大の武器になるとは。組み合わせも含めて2人の生涯ベストポジションではないだろうか。中途半端×中途半端=∞。器用貧乏は世界を救う。(中略)
余りに見事な機能ぶりに早くも小野不在の時はどうするかなんて心配の声も出てるけど、その場合はいわゆる”ボランチ”の選手に代わりを期待するよりはむしろそこに中田ヒデを持って来るべきですね。今から小笠原や俊輔を真剣にバックアッパーとして育成するのもあり。そういうポジション。


へええ、小野稲本が機能してたのか。しかも華々しく。
ドイスボランチというより3列目のダブル司令塔
まあ小野がフェイエでやっていた役割に似てるのかな。その前に"半FW"トマソンを置いての。
別な言い方をすればアンカー抜きのインナーハーフ×2みたいなイメージ。
南アの遠藤長谷部とも、そういう意味では似ている(あれもその前にあったアンカー阿部を抜いた形)気がしますが、稲本は長谷部より遥かに"ゲームメイカー"性が強いので、"ダブル"性も濃厚。(長谷部もデビュー当時は繊細な司令塔だったんですけど(笑))
まあ小野も稲本もね、とにかくどういう選手なのか単独でどういう機能を期待出来るのか、生涯はっきりしない選手でした(まだ現役ですけど(笑))。その点では遠藤と長谷部の方が立派、監督孝行。


・フル代表イングランド戦(2004年06月02日)

小野は何て言うか、キックの足が長くなった感じ。技術的・パワー的には大して変わってないんだろうけど、低いポジション(とオランダサッカー?)に慣れて長いキックの間合い/イメージを自分のものにしたというか。長いパスもシュートも、インパクトの瞬間やたらリラックスしてるんだよね。


その小野の"使いづらさ"の理由の一つとして、後方ポジションが基本なのに長いキックが無いというのがありましたが、そこら辺もこの時期には改善している部分があったという話。


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’04.1月~4月のみどりのろうごく
2023年05月16日 (火) | 編集 |
1月

ちゃんとそのうちサッカーの話もします。(2004年01月05日)

大騒ぎした挙句見掛けがほとんど変わっていないのは、別に密かにやる気が復活している訳ではなくて結局今の形態が1番様々なタイプの画像に対応出来るからなのです。大きい/小さい、縦長/横長、スタイリッシュ/お下劣(笑)。

正直僕自身覚えてないんですけど、前年末騒いでいたのは「サイトをやめる」ということではなくて「ヴェルディサイトをやめる」という話だったのかもしれないですね。
("所長さん")画像の貼り場所としてのサイトを無くすという可能性は、全然無さそうな書き方。(笑)
あるいは「閉鎖」か「縮小」かで縮小を選んだという結末なのか。
そもそものことを思い出すと、一番最初のサイト開設("midori law"とかいう名前)は当時ヴェルディについて書きたかったテーマの長文を、まさか公共の掲示板に投稿する訳にもいかないので誰の迷惑にもならずに置いておく為の場所としてでしたが、それについてひと通り書き終わってからは、今度は当時好きだったモデルさん(黒澤優さん)の画像を貼って眺める為の場所として改装した"midori prison"というのを作って、引き続き色々な人の画像を貼り続け半ばついでにヴェルディについても書くみたいな、そんなスタンス/行きがかりだったんですよね。
だから上のような話になる。(笑)

ここは今までよりもはっきりと、ジャンルを問わずたまたまその時に関心のあることを書く場所になると思いますが。あえて言えばテレビとサッカーとアイドルと読書の日記?(なげえよ)

別の日の記事を見ると、どうやら当時「名無しの日記」というタイトルで、テキストスペースを運営していたようです。勉強になった。


で、結局(2004年01月16日)

戸田は来ないの?まあ影響力の大きな選手だけに、なまじレンタルなんて半端な形で来られても困るような気もするからそれはそれでいいんだけど。
しかし松井獲得に名乗りを挙げているということは、ラモンの後釜に外人は取らないということなのかな。

攻撃陣ということで言うなら、とりあえずそこそこの選手でいいから日本人FWを1人は獲らないと編成がいびつになると思う。ボマは当てにならん。基本2トップならチビや玉乃は本当の意味ではFWとして数の内に入らん。

戸田(和幸)が来るという話があったのか。縁としてはやはり監督が清水時代に一緒にやったオジーだということか。当時もエスパルスで、結局この年は来ずに翌2005年にこの移籍は実現しますね。
戸田が現役選手だてらに自分のサイトで大胆に意見発信し始めるのはもう少し先だったように思いますが(2005年の記事で分かるかも)、言っても2002年W杯チームのレギュラーですし、若手の頃から必ずと言っていいほど時の監督と"揉める"に近い激しい議論を戦わせる選手として知られていたので(笑)、やはり迎え入れる側にはそれ相当の準備が必要であるという認識は、既にあったようですね。
"松井"は松井大輔。当時京都のテクニシャンMF。後でも出て来るのでコメントはその時に。
FW陣の話を見ると、ロリ時代に一回高まったFW平本の評価は、この時かなり落ちているようですね。最終的には年末の天皇杯優勝の、立役者の一人になる筈ですが。


単純さの勝利(2004年01月30日)

図書館で読んだサカマガの反町インタビュー。
J1での戦いの展望を聞かれて、「戦術には個人戦術、グループ戦術、チーム戦術、ゲーム戦術の4つがあって、チーム戦術つまりいわゆる”自分たちのサッカー”は変えないがゲーム戦術は相手に合わせて臨機応変に変える」と。

多分より一般的には前の3つを「戦術」として総称して、4つ目は去年ウチで何度か話題になった「戦略」とか「作戦」とか、一応別個に語られることの方が多いように思います。ただ反町さんの意図は知らないけどこうして4つ並列するメリットというのは感じるところがあって、一つは用語の混乱に一気にけりがつけられること。いやまったく、こんな方法があったとは。ていうかこれでいいじゃん。

もう一つはチーム戦術つまり”自分たちのサッカー”を語る時に、予めこうして4つ並べておけば常に4つ目の要素も視野に入れながら語ることが出来るということ。

「個人」「グループ」「チーム」「ゲーム」の4つの"戦術"。
これいいじゃないか、分かり易いぞ。20年前の発言ですが、明日から使えそう。(笑)
メリットについてはまあ、文中のある通り。さすがたなあ、反町さん。あるいは松本を筆頭とする反町さんのチームの「ゲーム戦術」の強さは、そもそもがこの"4戦術"論的な視野が最初からあってのものだったのかも。
ちなみに前半の"3戦術"論を、最初に聞いたのは1999-2000年の李国秀総監督の口からでしたね。まああの方の力点は、最初の「個人戦術」に一番重くあったと思いますが。それの教育に突出して熱心な人だった。


2月

フル代表マレーシア戦(2004年02月07日)

1トップの下に攻撃的MF3人というのは、スキル第一主義のメンバー編成で中盤の流動性を確保するには1つの模範解答ではあるわけで。まあそれなりに形は見えていた。どのレベルまで通用するのかとか、ヒデや俊輔が入ると逆に滞るんじゃないかとかそういう疑問はあるにしても。

ここで4-2-3-1が初登場していたのか。
文脈からすると、国内メンバーでは"黄金の中盤"はどのみち組めないのでという理由もあったようですけど。4-4-2絶対でスタートして3-5-2を導入して、更に今ここという話。

やまたく。
良かったですね、楽しそうでしたね。パートナーが今回は福西じゃなくて遠藤というのも幸せだったし。
松木/小見/ロリ下での”ボランチ”やまたくというのが必ずしもパッとしていなかったというのもあって、オジーと比較してジーコにサイドで、あるいは2列目で使えと文句を言っている人が多かったけど、この人の場合はむしろチームの中での位置付けの方が問題なので。

キャプテンシーはキャプテンシーでいいとしても、戦術的/純サッカー的には中心ではなく周縁、物理的にも精神的にも使うより使われる立場でこそ生きるので。そういう意味でちょっと一時のやまたくは頼られ過ぎだった。

やまたく。山田卓也
ジーコジャパンではドイスボランチの片割れとして使われていたようで。まあジーコのサイドバックは攻撃力/テクニック重視ですし、"攻撃的MF"やまたくというのはオジー一流の独自工夫なので、ジーコに求めるのは無理がありますからね。
正直代表でどういうプレーをしていたかは全く覚えてないんですけど・・・。遠藤と組んでたということは潰し役だったのかな。それとも遠藤のパスに"飛び出す"プレーが冴えてでもいたのか、"使われる"という内容からすると。
身体的に無理は利くけど、じゃあ具体的にプレーでどう"頼"ったらいいのか、終始分かり難い選手だった気がします、"ヴェルディ"の山田卓也。"武骨な器用貧乏"みたいな語義矛盾的選手。(笑)


ああ、これいいですね。(2004年02月08日)

僕も前から思ってました。

ヒデ復活でジーコの「中田ボランチ構想」加速(サンスポ)

ベタに2列目に並べてヒデ&俊輔にお願い!よりはぐっとチームとしてのイメージに奥行きが出来ますね。ジーコ自身の言葉から引っ張ると、ヒデの影響力を一番有効に生かす方法の1つ。逆にぶっちゃけ2列目やトップ下の”細工屋”としては世界的には勿論、日本代表の中でも実はそれほど抜けた存在でもないですし。

小野と組ませて並べたりしてね。本当の意味での「W司令塔」が出来るかも。ちょっとオランダっぽいですが。マレーシア戦の4-2-3-1との整合性もいいし、2列目に置いた布陣よりはいない時の代替・調整も簡単でしょう。

去年の末あたりから色々見てると、何というかジーコは徐々に強迫観念やこだわりが解けてとりあえず”普通の”監督にはなって来ている気がします。システムとか選手起用とか、思考のプロセスがフォローしやすくなってる感じ。

2004年というとパルマ最終年。余り高く評価してくれなかったプランデッリ監督(後のイタリア代表監督)の下規律に縛られまくった窮屈なプレーに終始し、すっかり"ファンタジー"や"インスピレーション"の枯れ切った印象のヒデさんでした。長年のウェイトレでか年齢でか、どうも体も重く固くなり過ぎている印象でしたし。>"細工屋"の件
それでも"ボランチ"起用というのは多分一歩踏み込んだ"コンバート"で、だからあえて小野と組ませるとかいうアクロバットを、ついでに考えてるんだろうと思います。(笑)


五輪代表イラン戦(2004年02月09日)

>山本監督は、戦術やら人員配置やらの枝葉末節にこだわって、幹をつくることを疎かにし過ぎなイメージが。西野、早野あたりとそのへんは似てる。意外と日本人監督にはありがちなのかも・・・。

これは僕の文章ではなくて、今は亡き当時の有名サイト内の記述です。ご本人今更アピールしたくは無さそうですから(笑)、あえて名前は出しませんが。(元記事には一応あります)

まあ何というかネット上の自称戦術通とかと区別がつけられないんじゃマズかろうと。

これは僕の。
まとめて何が言いたいか何が見えるかというと、現在は日本サッカー指導部の"頑迷固陋"が問題視されることが多いですが、この時期まではむしろ日本のトップor協会系監督たちの"節操の無さ""オタク性"の方が問題視されていたということ。逆にもっと"オタク"になってくれと、どちらかというと今は望まれている訳ですが。
結局オタクになり切れずにorそれが上手く行かずに、"節操"の方に舵を切った"ジャパンズウェイ"になったというのが、その後の流れかもしれません。(あくまで源の一つでしょうけどね、代表における度重なる選手vs監督の力関係問題の方が、より直接的な契機だろうと思いますが)


選手総とっかえ?(2004年02月10日)

よく「選手系」の人とかがチームとかクラブとか、そんな組織や集団なんて信用できない、愛着を持てない、自分は選手個人についてくというようなことをおっしゃいますが。

選手系。チームではなく、個別の選手の応援をメインにチームを渡り歩くタイプのファン。"井上潮音"に関しては、最近僕もすっかりそうですが。(笑)
主に女性ファンからなるそういう集団は、SNSだと自然に棲み分けが行われているんだろうと思いますが、"サイト"時代は明確に「~選手応援サイト」として可視化されるので、ヴェルディ系では特に揉めてはなかったと思いますがやはり"生態"の違いに驚くことはままありましたね。
という記録。
まあでも"井上潮音が出ている"というだけで目に見えて高まる試合への集中力・感情移入の熱を見ると、案外自分はそっちなのかなと思わなくもない今日この頃ではあります。


一応何か書いとくかね(2004年02月14日)

ここらへんに関して返す返すも気の毒だったなと思うのはフランスW杯の城彰二。つまり岡田監督からの期待・指示というのはあくまで何を置いても戦術的貢献の方であったのは間違い無く、例の「城をFWの軸とする」発言というのも全くそういう意味のものであったのだと思う。”軸”ではあるがエースでもストライカーでもない。
それがまだ理論家肌の色が濃かった岡田青年監督の説明不足、それにタイミング的にキングカズとの王座交代という劇的効果を伴ってしまったことによって突如として誰にもこなせないような空想的期待に曝されてしまった。
もし今の岡田監督があの地位にいたら、戦力的な期待はさほど出来ないとしても城を守る為にカズをメンバーに残したのではないかと思ったりするのだけど。

純粋な思い出話。要点は2つ。
1.岡田監督が"FWの軸は城"と言ったのは、"エース"という意味ではなくプレッシングやポストプレー等の戦術的な軸という意味。
2.城に過大なプレッシャーをかけない為にも、岡田監督は無駄なセンセーションを避けてカズをメンバー入りさせておくべきだった。

やはり"FWというのは点を取る人"という観念は日本ではまだ素朴に生きてましたし、「城と岡野の2トップにしてくれればチャンスはいくらでも作ってやる」という、"チャンスメイク"の方に割り切ったヒデの発言には、僕自身もついて行けない部分が正直あったそういう時世でしたね。城はさておき岡野を先発で使う?そんな邪道なと。
その後"FWなんてタイヤだ"(使い潰して適宜交換するものだ)というトルシエの発言があり、いったんはそれに驚かされたもののその後結局そういう扱いが常態化して、近年では世界的潮流もあって再び"得点力"重視の傾向は出て来ているもののやはりまずは走れ献身しろというのが、日本代表のFWではあります。「岡野」が沢山というか。(笑)


一応何か書いとくか2(2004年02月14日)

1つ目についたのは田中ハユマの孤独感。再三のコメントなどを見ても、一人だけ高圧の上昇意欲、要求水準の高さを抱えてそれを受け止めきれないチームから遊離して勝手に自分の基準でプレーしている感じ

山本五輪代表の話ですけど。
へえ、そうだったんだ。
ロリ・ヴェルディで大活躍している時も、オジーに冷遇されている時も、ハユマの"矜持"の高さ、俺は高級な選手で高級なプレーをするんだという存在感は、確かに独特なものがありました。
山本ジャパンではどうだったんでしょうね、ドリブラー中心のせせこましくて落ち着かない攻撃の編成の中、サイドでキープできるハユマがアクセントになるという組み合わせもありそうに思うんですが、そういう信頼を監督から得ることは出来なかったのか。
ハユマについては、また後でも出て来ます。


次号が出る前に感動を書きとめておこう(2004年02月16日)

天才レフティー?とんでもない。むしろ田舎の秀才がいかに全国レベルでサバイバルするかのハウトゥーとして読まれるべきサッカー人生だろうよ。

ただ名波の面白いところはこういうことを僕なんぞが何を言う必要もなく完璧に把握していて、しかもそれを現役選手の身空で一般メディア上でクリア過ぎるほどクリアに言語化してみせるところ。全くもって僕は彼のインタビューの、言葉の大ファンである。友達になりたい/なれそうだなと思える数少ないJリーガー。いつもいつもご馳走ありがとう。

これは今の"名波サン"とは別人の話。
いつからか彼は"天才レフティー"という過剰な持ち上げを受け入れて、"名人"化してしまって、ご存知のような「名監督になれない"名選手"」の現代を代表する一人になってしまった訳です。名選手的理想主義派の代表というか。

同じジュビロの田中誠のインタビューも並んで載っていて、「今時の若いモンは!」みたいな感じて菊池直哉のプレーの軽さに文句をつけていたのでなんか笑ってしまった。”巧いけど軽い”DFの代表みたいだったある時期までの田中誠の印象がどうしても強くて。

アトランタ当時の田中誠の華麗な"リベロ"ぶりと、一方での対人の頼りなさと言ったら。(笑)
ただその後ジーコに割と常連的に呼ばれるようになった時は、華麗さも頼りなさも両方程々になっていたので、彼なりに"成熟"してはいた頃だったんでしょうけどね。


もういいよ日韓戦は(2004年02月22日)

いや、あるか、突出したもの。平山。ある意味この選手のチームへの影響力というのは、代表レベルでの比較で言えば中田英寿を越えてかつてのラモスに迫るものがあると思う。
元々中盤の構成力に重きを置かない(置けない)山本ジャパンにとって、1人の確実なポストプレイヤー/頼りになるセンターフォワードの存在の有無が状況を劇的に左右するというのは予想できたことだが、一方でこの日本にそんな人材はいまいというのも99%の人の「予想」であったわけで。いやはや。

ラモスとまで言うか。
それくらい、平山がいるといないとでは別チームになっていたということですけど。
更に言えば唯一の"タメ"ポイントであり、ある意味ではパスの出どころでもあった。
同様なことをサイドでハユマも出来たらいいのになと言うのが、さっきの話でもあります。


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’03.10月&11月&12月のみどりのろうごく
2023年04月28日 (金) | 編集 |
10月

今日のレアル(2003年10月02日)

面白いのはペレス会長の言う”ジダンヌ”、高給取りのスーパースターたち以外のレアルの言わばポルトの選手と個人的には大差ない選手たちまでもが、前者とおんなじようなプレー態度でプレーするんですよね。それは舐めてるとかいう情緒的かつ悪い意味ではなくて、要は裁量権およびそれに伴う責任が極大だということですが。

つまり個々の技量の差とは別に「レアルマドリーの選手のプレーの仕方」というものがあるので、この試合でも頭数が減ってマークがきつくなってジダンヌたちが足掻く中、チームを救ったのはエルゲラソラリといった選手の予想外に大胆なプレーだったわけで。
態度だけは立派にスーパースターですからね、ポルトの選手も面食らったことでしょう。元々それぞれに好選手ではあるんですが、そこから予想される範囲を越えた大きくて深いプレーを当然のような顔でするので、慣れないとピントのずれたマニュアルで対応するような格好になる。

今回もレアルの話でスタート。そんなに書いてたか。ちなみに題材はCLのポルト戦ということ。
"ジダンヌ"というのは記憶違いで、実際は「ジダネス」。レアルのペレス会長がチームの編成を、ジダンを代表とする国際的スーパースター("ジダネス")と、パボンに象徴される下部組織出身の若くて安い選手("パボネス")の二層に単純化すると宣言していた、その話。
実際にはそうは行かなくて、ここで活躍を称えられている「エルゲラ」や「ソラリ」というのは、そのどちらでもない中堅/中間的選手な訳ですけど。
そういう選手たちが、ある種のレアル的文化に沿って"スーパースター然"とプレーすることの思わぬ効果という話。


と、いうようなことを踏まえつつ(2003年10月04日)

一言で言って成長期は終了したと認定。言い換えるとオジーのチーム作りは基本的に終わり教えられることは全部教えた、ベースは今以上にアップすることはない。
え、もう?と思うかもしれないけど、一般にそれぞれの監督の教えられるものの幅、奥行きというのは意外に限られているもののように思う。少なくともある特定のチームを素材とした限りにおいては。勿論監督としては何かあるぞまだ何かあるぞとほのめかし続けて求心力をキープしなければならないが。
・・・・そういえばトルシエの教科書は3000ページあるんだっけ(笑)。あれで?

信じてたんですけどね、"3000ページ"(笑)。期待してたというか。
それぞれの監督が個性・個体性で(まだ)勝負していた時代は、特にこういうことが言えたと思いますね。この前提で、ネタが尽きた監督はさっさと交代すべき論をよく僕は主張してたものでしたが。
今はマニュアルがそこら中に溢れているので、"個性"よりもそれらの使いこなしで監督たちは競っている部分が大きいと思いますが。含めて&最終的に個性でないことはないんですけど、ただ優先順位としてはまずは普遍性一般性。

とにかくこれからは今持っているものを基準に、より細かく具体的な状況に合わせて対応、調整を繰り返す作業がメインになるはず。言わば戦略モード期

自分たちのサッカーと相手に合わせたサッカーの択一ではなくて、時期で分けてたのか。

僕としては立ち上がり方の意志統一が図りやすいこと、”オジーヴェルディ”のアイデンティティを大事にしていざという時にまた最高の状態が再現されることを期待してフラット/プレス型の再確認の方を望むが。ただその場合の不安はボマの常時出場がある程度条件になってしまうこと。当て所がないと早く攻める形が作れないから。

"預け"どころは桜井の方だという話を先月分まででは強調していましたが、ダイレクトプレー的な"当て"どころとしては、依然エムボマは重要ではあったようですね。


ちぇっ、つまんねえの(2003年10月09日)

トルシエで思い出したけどここんところのジーコの永田だの加地だの茂庭だのといった選考は、勿論例によって思い付きだとかJのリサーチが行き当たりばったりだとかいうのもあるんだろうけど(笑)、それ以上にトルシエ的なピンポイントのチョイスをやり出したなあという感が強い。

つまりJでの実績だとかレギュラーだとかいうのは要するに「べき」論のきれいごとでしかないので、その監督のチーム作りのイメージが明確であればあるほど「こういう選手が欲しい」というドライブが先に立って飛び級だろうが勇み足だろうがやらずにはいられないので、それはある意味でジーコの成長ということで好意的に見ることは出来ると思う。
ただそれは言い換えれば代表監督という重責を担う前に、一人の監督としての自己形成が十分に済んでなかったということであるので。やはりまあ、何だかなと。

カタログスペックと実績メインで選んでいた"並べて"いたジーコが、より自分の感覚的必要に従ったピンポイントの選手チョイスをするようになったという話。ようやく本物の"監督"らしく、なって来たというか。
日本代表を素人監督の練習台に使うなという、話でもあります。(笑)


戦術/戦略論の締め(前)(2003年10月16日)

Variety Footballseriさんの2つのコラム「チーム戦略上の左サイド攻撃とレフティーの関係に関する考察」,「現代サッカーにおけるモビリティーとスペースの関係」での戦術/戦略という言葉の使い方が、僕がサッカーにおいて考えているものとほぼ一致しているようなので紹介しておきます。
例えばもう一人のGAITIさんのを読むとこれはまた少し違うんですよね。もっと戦略寄りに戦術という言葉が使われている。ことほどかように言葉の統一は難しい。

"Variety Football"というのは今日の"戦術"の時代をかなり先取っていた、伝説的な考察サイト。
そしてその筆者の1人"GAITIさん"というのが、現在のフットボリスタ編集長の浅野賀一さんな訳ですね。
僕と用語法が合っていたのは、そうでない方の(笑)"seriさん"のようですが。
より"戦略寄り"につまりここの文脈で言えば"相手への対応"的なニュアンス強めに、既に「戦術」という言葉を当時から使っていたGAITIさんが現在のサッカー論壇のゴッドファーザー的な役割を果たしているのは、今振り返ると成程ではあります。
なおこの前後何回にも分けて「戦術」と「戦略」という言葉の使い分けについて僕は論じているんですが、正直ややこしいだけで余り面白くないので、お勧めしません。(笑)


祝・首位(2003年10月20日)

・・・・というムードに水を差すようでナンですが、今季限りでこのサイトにひと区切りつけます。時期とか規模とか、具体的なことはまだ決めてません。2nd終了の11月一杯なのか、分かりやすく今年一杯なのか。閉鎖なのか、休業なのか。

何もこれから盛り上がろうというこのタイミングにというような話ですが、別に天の邪鬼を気取っているわけではなくてこのコーナーを立ち上げた9月頭の時点で既に決めていたことだったのです。突然の精力的な更新(笑)には”最後のご奉公”みたいな意味あいもあったということでして。

こんなにはっきり閉鎖宣言してたのか。まあ何回かしてたような記憶はあるんですが。(笑)
それでどうなって今日まで続くようになったのか、全然覚えてないので僕も顛末が楽しみです。(笑)

で、理由ですが、何とも簡単というか身も蓋もないというか、要はサッカーに興味がなくなった・・・・というより生活の中でのサッカーに対する関心の優先順位が著しく下がってしまったということです。それとサイト運営の物理的精神的負担との兼ね合いがちょっともう限界というか、自分を偽らないと続けていけないというか。

基本的にこの状態は今も変わってないんですけど、「仕事みたいになっちゃってる」というのが当時の悩みなら、その「仕事」の意味や需要の程度に悩んでいるのが近年ですかね。「仕事」なのはもうとっくに受け入れた。(笑)


柏戦(1)(2003年10月22日)

固定点を思考の中心に置くというのは頭の整理には役に立つので、力的に劣勢のチームや諸事情で混乱しているチームにとりあえず安定感をもたらす為に「しっかり」や「じっくり」が戦略的/戦術的(笑)に導入されるのはよく見られる。
ただし安定しているだけでは、あるいは安定にかまけているとむしろ点が入らないというのが(現代の)サッカーなので、世界中のほとんどの強豪たらんとするチームは何らかの形で流動性を上手く組み込むように、変な固定点で流れを堰きとめないように努力している。

「固定」に頼らずに流動性とちゃんと向き合ってるのが強いチームだと、ある種「常識」のように書いていますが、(ポジショナルプレー以降の)現在だと、整然とした「固定」を前提として、そこにいかに流動を組み込むか、もしくは組み込まずに強くするかというのが、強いチームの主なテーマになっていますかね。



11月

勝ち過ぎでんがなレッズさん(2003年11月04日)

しかし中嶋っていつ見ても急所を突いたいい動きをするのにどうしてもシュートだけ入らない。言葉の上だけだと例の先輩と同じだけど(笑)、中身はだいぶ違う。もうちょっと力の抜き方を覚えてきたらという感じですが、案外その頃には普通の選手になっちゃってたりするんで若い選手の育て方は難しい。
あんまりチーム事情で大きな期待をかけるのもね。ウチにも飯尾一慶という微妙な前例がいますが。

"中嶋"というのは誤記で「中島裕希」、鹿島出身で仙台山形を経て現在も町田でプレーしているFWですね。出て来た時は"ストライカー"としてのセンスに、何か日本人離れしたものを感じていた・・・んだけど思ったように点が取れていないという事態について書いています。へえ。(笑)
飯尾一慶云々というのはヴェルディでは李政権で10代で抜擢されて以降、"ストライカー"という期待メインでしばらく見られていたのが、どうもそんな感じではない、むしろ守備や繋ぎに本分のある世話焼き系の選手なのではないか?というのが分かりかけたバレかけていた時期の話ですかね。期待の方向を間違えると本人が大変という。そもそも怪我体質でもあるし、期待し過ぎた面もあったろうという。


ここは浦和サイトか(2003年11月05日)

つまり前に僕はヴェルディについて「勝ち負けそのものよりも成長のプロセス自体に興味がある」という意味のことを書きましたが、別に負けても降格したり存続の危機に晒されたりしない日本代表チームについてはもっとそうで、勝ちゃいいってものでは全くないと思っています。
あくまで狭い意味での日本人がその人種的民族的限界を引き受けた上で、いかに創意工夫奮闘努力自己啓発奇想天外四捨五入・・・・とにかく色々やって列強と伍していく、その過程で大げさに言えば自分たちを見つめ直していく為の一種の条件を統制された実験場として意義付けているので、前提を変えてしまうような変数の導入は喜べないのです。

日系だとか日本で生まれ育ったとかいうならもう諦めます。いずれ移民が増えて国の形自体が変わって、”狭い意味での日本人”という言い方が本当に意味を成さなくなったら何をか言わんやですし。(バスク選抜みたいなのでも作るか。)

浦和の怪物FWエメルソンに日本帰化話が持ち上がったことに刺激されて書いた、僕の"帰化"選手観。今も基本的に変わってないかなあ。代表の目的は勝利ではなく実験。
まあ現実には、これだけ非黄色人種系帰化or混血選手が増えて来ても、容易に大勢に影響を与えることは無いようですけどね。
本当にゲームチェンジャーになったのは、今のところ闘莉王だけでしょう。"中澤・闘莉王"コンビ抜きで、"最終ラインで耐える"2010年南ア岡田ジャパンの戦いは無理だったと思います。それも今では"黄色い"日本人だけで出来ますし。


一応見たので何か言う(2003年11月13日)

アジアユース時の今野大悟成岡の黄金のトライアングルを中心とした既に十分な水準に達しているある意味出来上がっていたチーム。そこから主に大悟に冷や飯を食わせつつ、さんざん人を入れ換えて色々試行錯誤した挙句、結局特に進歩も変化もしていない感じ。

あえて言えば当時は今イチ分かり難かった菊池直哉の恐るべき万能のゲームアイ/ゲームコントロール能力が、メンバーが変わるほどに疑いようもなく存在感を強めて来たこと。それも単に僕の目が節穴だったからかもしれないけど。
なんかね、形容の難しい選手。「司令塔」という言葉では足りない、むしろ「ゴッドファーザー」とか言いたい(笑)。深いんだよね、ゲーム関与が。いなくてもいる。調子のいい時の林健太郎とかもこんな感じか。ラモスも勿論。

こういうのって例えばヒデは持ってるけど俊輔は持ってない。シンジも怪しい。同年代での比較で言えばあんなに巧いのに小林大悟がどうしても信頼性で一歩も二歩も譲ってしまう理由だと思う。

2002年アジアユース(つまりアジア予選)後に大熊監督がチームを引き継いでワールドユースに向かおうとしているチームの"惨状"(の始まり)について書いた文章。
前年チームの今野小林大悟のボランチコンビの上にトップ下成岡を戴いたトライアングルは機能的で美しかった。そしてリベロに入った菊池直哉。未だに結構忘れられない"天才"感の印象の残る選手ですね。"未成年淫行"の不祥事で挫折しなかったら、どんな選手になっていたのかな。まあどのみち生まれたのが少し早過ぎた感もある、高級なユーティリティープレーヤーでしたが。
俊輔はまあ、中田への気後れもあったんでしょう、本当にいい選手になるのはもう少し先だったと思います。まだまだ上手いだけの選手の範疇。大きく言えばね。


いい試合でした(2003年11月23日)

いや、何ていうかね、初めてFC東京とちゃんとサッカーをやったような気がするんですよね。これまではどっちが勝つにしろ一方的だったり噛み合わなかったり、何か同じスポーツをやってる感じが全然しなかったので。
スタイルの違いが歴然としてることに変わりは無いんですが、今回は凄く相手の顔がよく見えて、やや乱戦気味ながらも自然に高まるテンションの中で互いの持ち味を引き出しあって、サッカーらしいサッカーが出来ていたように思います。

これほんとそうだったんですよね。ある時期までのFC東京との試合には、異様と言いたいような緊張感があった。それは"ダービー"とかいったお座なりな物語性ではなく、サッカー自体の質・思想の余りの違いによる、"文化戦争"的なもの。異種格闘技というか。まあルール自体は同じなので、どちらかだけが関節技を使うなんてことはなく(笑)、空手とキックみたいな違いですが。(いやでももっとだな)

今回うまく噛み合ったのは両者のリーグ内での位置付けやコンディションが本当に接近していたということと同時に、ある種の歴史的サイクルの同調のようなものを感じました。古豪と新興という大枠は大枠として、ロリ→オジーのヴェルディと原のFCが積み重ねたそれぞれに見るべきもののある”歴史”はだいたい同じくらいのもので、ようやく同じリーグで切磋琢磨する相手としての互いの顔を正面から見る自然な心の準備が出来ている、そういうタイミングでの対戦だったのではないかなと。

成程ね。ヴェルディの東京移転による一区切りによって、古豪と新興との間にある種の"同期生"性が生まれたと。


柏戦(2)(2003年11月24日)

あの躊躇なくかつ容赦なく、こちらの予想の常に先を行く鋭いクサビのパスで縦へ縦へと迫るスリリングなパスサッカーの慣れの果てがこれですか?

しつこくオジーヴェルディ回顧。
そうだったそうだった。全員の足元に止める能力の高さによって実現していた、短いクサビを次々に打って、あれよあれよと縦に進行/侵攻して行く鮮烈苛烈な"パスサッカー"。最初はね。


なるほど(2003年11月27日)

P.S.
すみません、僕が前半戦の試合評でハユマを褒めるのを忘れたばっかりにこんなことに・・・・。いやあ全く、久しぶりに彼特有の”間合いの天才”とプレー選択の納得性の高さを満喫させてもらいました。やっぱ好きだなあ。行かないで、お願い。

"こんな"というのは移籍というか、レンタル元のマリノスへの帰還ですね。
チーム構成の都合でその(↑)素晴らしいチームに加われていなかった右SB田中隼磨が、直前の試合でようやく前年に発揮していたような能力を披露した・・・ものの時既に遅しというそういう流れだったらしい。
同時代だったら内田篤人より余裕で能力上だった気がするんですけどね。好きだったなあ。


話変わって(2003年11月30日)

まあ逆説的に個々の日本人選手の世界大会慣れを実感して嬉しくないこともなかったですが。

酷い状態のままワールドユースの初戦でイングランドに勝ってしまったらしい大熊ユース代表の話。
まだ海外移籍の一般化は進んでいないものの、シドニー世代('77年以降生まれ)以後の年代別代表の充実もあり、"世界大会慣れ"みたいなものはこの頃から生まれて来てはいたかも。


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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
’03.8月&9月のみどりのろうごく (2ndステージ開幕しばらく)
2023年04月21日 (金) | 編集 |
8月

マドリー来日

1点取られるまではFCを応援してたけど・・・・(2003年08月05日)

ベッカムがボランチに下がってレアルが落ち着いてからは、途端にFCの技術的粗さが目立って得点の臭いが全くしなくなったので、それならそれで虐殺ショーでも見せてくれと願う羽目に(でも中途半端)

1stステージと2ndステージとの間の、中断期間というかプレシーズンというか。
"FC"東京とレアルのお祭り試合の話。
【回想録】日本でのレアル・マドリー激闘史――Jリーグ勢との5試合(2003~2005)[サカダイ]によると、フィーゴトップ下ベッカム右サイドのダイヤ(?)4-4-2でスタートして、途中からベッカムがボランチに下がってボックス4-4-2に変更したというそういう流れのよう。
ジダンは欠場、マケレレはまだいる。

しかしFCの応援は素敵でした。やっぱり攻撃性というのはしかるべき相手に向けられてこそさまになるものだよなと痛感した次第。

僕は今も昔も応援に特に興味があるタイプではないですけど、対レアルだと状況に嵌まって妙に感動したという話。"大敵"だというのと、やはり"代表戦"に準じるものがあったんでしょうね。冒頭で僕自身も"応援"で入ったと書いていますが、要は「日本人が列強外国人に対してどのように挑むか」というテーマ性の方が、応援対象クラブかどうかの方より優先したという話。
一方で国内チーム、日本人どうしでそこまでピュアな対抗意識を持つことは僕は難しいので、余程タイトルがかかったビッグゲーム(のお祭り気分)とかでもないと、なかなか煽り合いに感情移入することは難しい。日産/マリノスだけは、さすがに例外でしたけど。(過去形なのが寂しい)
・・・そう言えば「もっと真面目に対抗意識を持ってくれ」と、F東サポの友達に"説教"された記憶が(笑)。難しいことを言う。好きになる努力は出来ても嫌いになる努力は。人として。(笑)


ヴェルディ

ところで2nd展望(2003年08月16日)

一言。優勝を目指しましょう。

ほお。

既に専門誌上では変に前評判が高くなっていて痛し痒しですが、時期尚早だという意見はもっともだし現実に出来るか出来ないかと言われれば出来ないだろうと僕も思います。
ただ今の(レギュラー)メンバーを見渡してみると基本的には完成された選手ばかりで、そうそう悠長に伸びしろを期待してもいられない。いい若手も控えているし、かつてのニカノールの無理矢理オールスターチームによるなんちゃって優勝争いの時ほど後がないわけではないにしても、割合待ったなしで勝負時は迫っていると思います。

そういう意味か。
"この"チームの優勝タイミングとしては、今しかないと。多少無理でも。
まあ"ステージ優勝"なので、目標としての現実性も多めなので言えたことではあったでしょうね。
「ニカノールの無理矢理オールスターチーム」というのは、1998年、読売新聞撤退直前のヴェルディ川崎が、既に財政難は隠し切れない中前年の緊縮路線から一転しての最後の"賭け"だったんでしょう、高木琢也や"風の子"エウレルや"1億円CB"エンリケといった大物選手をかき集めて作ったチームで、雇われたニカノールもベルマーレやレイソルで見せていた成功手法よりもそのメンバーを何とか破綻せずに組み合わせることに忙殺され、それでも1stステージでは優勝を争うところまでは頑張りましたがそれを逃すと一気に無理の反動が来て崩壊、ニカノールも途中解任の憂き目に遭ったというそういうチーム。(そして讀賣には撤退の最終的な名分が)

そもそもサッカーのチームの良い状態の持続性というのは悲しいくらい儚いものなので、やれる時にやっておかないと駄目なのです。ましてやウチのようなメンバー構成の場合は。
ここで何か一つ結果を出しておけばしばらくは持つニカノールの時はそれが出来なかった)ので、その間にもう少し長期的な枠組を固めることも出来ますし。

チームのピークの儚さというのは、もうほんとに何というか、儚いものですね。(繰り返してるだけ)
「ここで何か一つ結果を出しておけばしばらくは持つ」
成程ね、そういう問題意識か。メンバー的に将来性が無いのも前回の最後に言ったようにある種"たまたま"揃った狂い咲きチームなのも承知はしているけれど、それはそれでここできっちり咲いておくことがチームの中長期的生存の役にも立つと。立たせてくれと。
移籍引き抜きが当たり前になった現在と違って、この頃のJリーグだとどのチームもある程度の継続性は当たり前に期待出来ていたので、だからこそあえての、"その場限り"チームへの思いがつづられています。


Fマリ戦(2003年08月20日)

それにしても元エスパの向島建解説。当時のアルディレスのサッカーの特徴はと聞かれて「攻撃は割りと自由、個々の創造性に任せる。でもまず簡単にトップに当てるという約束事は決まっている。中盤の選手はどんどん中に入っていって開けたスペースをサイドの選手が使う」。まんまじゃん。

草創期エスパルスの小兵ウィング向島さんによる、貴重(?)な証言。
エスパルスでも"トップに当てる"サッカーしてたっけ。"創設"監督のレオンは確かにやってましたが。オリバなどのドリブラーに自由を与えていた方の印象しかない。


鹿島戦(2003年08月25日)

ボマがいないのは確かに辛かったけど、少なくとも組み立ての段階で特にボマに依存していた記憶はないんですけどね。負けないで良かった。

これも前回言った、「ボールの預け所はむしろ桜井の方で、エムボマは純然たるストライカー/飛び道具化している」という状態が、そこまで続いていた模様。


海外サッカー

サッカー、エッチ論争「蹴りつかず」(2003年08月26日)

ちなみにベルギー紙の調査によれば、同国でプレーする281人の選手のうち「試合前日、よくセックスする」と答えた選手は65%。うち3%は「試合当日もする」と答えた。」(夕刊フジ特電)

試合前のセックスはプレーにプラスかマイナスかという"科学的"調査の結果、マイナスだという結論が(科学者からは)出たという報道についての記事。(笑)
当日やってるやついるんだ!と驚いてましたが、今見ると3%なのでそれくらいならまあいるかという感じ。(笑)


・・・・というのが準備原稿でしたが(2003年08月30日)

我が家にリーガエスパニョーラはやって来ないらしい。わうわう
お前か?お前のせいなのか?おベッカム。この万年鼻詰まり声のサクソンの小倅が。許さんぞ。
(中略)
あーあ、仕方ない。本腰入れてアルゼンチンリーグでも見るか。一番似てるのここだし。倉敷さんはいないけど、金田土居コンビもなかなかだし。

シーズン開幕のそのタイミングで、リーガの放送権がJskyスポーツ(スカパー)からWOWOWに移った"強奪"された衝撃の記録。
当時はオンデマンドは勿論のこと、スカパー経由でWOWOWを見ることも出来なかったので、かなりの大ごとでしたね。スカパーの時はベーシックなサッカーセット見られて、とても安かったですし。
"金田"は金田喜稔さん、"土居"は多分土居壮さんで、この二人の解説実況コンビによるアルゼンチンリーグの中継も、リーガに次ぐ楽しみとして当時のJskyスポーツでよく見ていました。スペイン系のサッカーが好きだったんですね。一方でブラジル/ポルトガルはあんまり。なんか"重"くて。



9月

清水戦にまつわるエトセトラ(2003年09月05日)

もう一つはステージ単位の話で、つまり過去のJの例を見ると15試合の短期決戦で推進力となるのは客観的なクオリティよりもそのチームの内部的なブレイクスルーが生み出す勢い、緊迫感であって、だから例えば李さん就任直後のウチなんかもあの戦力、あの得点力で危うく優勝しそうになった。

(外形的な体裁ではなくて)内部的なブレイクスルー。こういう議論好きですね今も昔も。(笑)
まあ実際そう思っている、そう"見える"からですけど。
強いチームはなぜ強いのか、勝てる/勝ち切れるチームは何が違うのか、どういう時に、チーム作りの努力はタイトル獲得レベルまで届くのか。
戦術もクオリティも大事だけれど、それだけではそれ自体では、そこまではいかない(ように見える)という、経験論運命論。

その点で(去年の同じ時期のロリ/エジのチームと比べても)早くもフレッシュさが無くなって下手すると緩やかな下り坂に差し掛かりつつあるようにも見えるウチの状態は、1試合単位のクオリティという観点から見える以上にまずいのではないか。底力がつくもうしばらくまでの間は勢いの方に頑張ってもらわないと。

底力がつくもうしばらくまでの間は勢いの方に頑張ってもらわないと。
(笑)。
ここらへんはもう、チーム関係者への要望ではないですね(笑)。運不運も含めた周辺状況が、チームにとっていいように働くようにという"祈り"。
ただ実際そうしたものに恵まれないと、なかなか大きな結果は出ないように、これも経験的には思えて仕方がないという。

ただ一つ言えるのは”ヴェルディ”という名前にはやはり他の普通のJチームには無い特殊な魔力、場合によっては呪詛の力があって、優勝できないまでも上位争いで自尊心をキープできる状況にチームが無いと中位を通り越してあっという間に下位争いのレベルまでテンションが落ちてしまう。中位の力だから中位でコツコツというのは、少なくともリアルタイムのモチベーションとしてはなかなか難しい。
優勝か降格か、上位常駐か下位低迷か。それがヴェルディ

最近のヴェルディには、もう当てはまらないですかね。
もっと謙虚に分を弁えて、「中位の力だから中位でコツコツ」は出来る。一方で"自尊心"に基づく"勝者のメンタリティ"的なものとも縁遠くなって、まあ普通のチーム?
・・・ただし特別に"技術"的なサッカーをしようとした時に、"何か"が目覚める感じはありますね、「栄光」を知らない世代でも(代わりに下部組織が温床?)。目覚めて解放されて伸び伸びやる部分と、放埓になって締まらなくなる部分と、同時に出ちゃいますが。まあプラスマイナストントンで、最終成績にはあんまり関係無い感じですけど。


ブレイクスルーとスローダウン(前)(2003年09月10日)

成長パターン話その1。
(中略)
鹿島戦及びそれに続く清水戦で、僕はヴェルディの攻撃に一時のスピード感、勢いが無くなったことを嘆いた。
しかし個別の原因論はとっぱらって1つのパターン認識としてこれは当たり前のことでもあるので、つまりその”一時のスピード感、勢い”というのは正に「チームの内部的なブレイクスルー」によって生み出されたものであるからだ。
具体的にはそのいい流れが始まる前の混乱していた状態とのコントラスト、抜け出してくる過程で生じる昂揚感、暗闇から見えた共通の希望の光へ向けたある種無心な意志統一、こういったものが「客観的なクオリティ」を越えて敵をひるませ、観客に鮮烈な印象を与える。
(中略)
それがどれだけ持続出来るかは準備にどれだけの厚みがあったかや、その過程でどれだけ具体的な結果がついてきて勇気を補充してくれたかによるが、いずれにしても早晩そんな時期が終わってしまうのは避けられない。

「内部的なブレイクスルー」の効果・役割と限界・寿命。


ブレイクスルーとスローダウン(後)(2003年09月16日)

こうした半ば必然的な失速の後何が起こるか。当たり前だが一度崩れる、言い方を変えると前編で述べたような力強く美しいスペシャルな状態を日常的に実現するのが難しくなる。

ここからは「スローダウン」後の話。

話戻してスペシャルというのはつまりトップ、それもトップ中のトップフォームということであるが、そもそもあるチームの強さをトップフォームのみで測るのは長期的には危ういことであろう。むしろオーディナリーなフォーム、あるいは「底力」という言い方があるくらいだからボトムで測った方が見誤る危険は少ないかもしれない。
それは1つは単純で、オーディナリー以下の状態で実戦に臨むケースの方が多いのであるから、その時に一定以上の強さを発揮出来なかったらいくらトップフォームが強くても勝ち点の獲得が間に合わないからである。

チーム状態の「トップ」「オーディナリー」「ボトム」
今に至るも僕の関心は、サッカーの"トップ"や"先端"よりも、"オーディナリー"や"普通"がどのように形成されているのか、そちらの方にあるという傾向はあると思います。
単純にどうなっているのか知りたい、真に理論的な"課題"は"謎"はそっちだというのと("エコロジカル"なんかもまあ一つのそっちサイドの例)、そちらに基準を置いて、チームの行く末や方針の是非を考える方が実効性があるように思えるというのと。

もう1つは理想的な状態というのは本質的に自己中心的なものであり、行った行ったで押し切れればいいがそうならなかった時の状況や相手の変化への対応という点では脆い、もしくは融通が利かない部分があるからだ。そういう意味ではオーディナリー/ボトムな状態の方がより冷静でタフな戦いが出来、結果的に多くの実利を獲得出来る可能性がある。
ただこれは難しい面があって、対応・対策にかまけているだけではいつまでたっても突き抜けられないでしまいに緊張が切れてジリ貧というパターンも多々見られる。(中略)やはりまずは多少自己中心的でも自分のスタイル、ペースを確立して押し切ることを考えるべきであろう。

牽牛星さんとの議論でも話題にした、対策かスタイルか問題。
"スタイル"が「自己中心的」だという問題意識はちゃんとある訳ですけどね。だからこそ"理想的な"状態/スタイルではなく、より日常的一般的な状態の方に軸足を置いてその身軽さを利しての柔軟な対応を身に付けるのが、"勝てる"(タイトルに届く)チームを作る為には必要だと。
ただどちらが優先かと言えば圧倒的に"スタイル"だと"自分たちのサッカー"だと、対策優位では大したチームにはならん、ここらへんの常識(という前提で語っている)ないし比重は、今とは少し違うところ。でも本当に"常識"はこっちだったんですよね、少なくとも日本国内の論調は。"対策"監督では勝てないと、経験的にはかなりの自信を持って言えた。


代表/海外日本人選手/海外サッカー

それはそうとセネガル戦(2003年09月11日)

これは身体能力だけじゃなくて技術的・戦術的に上回る相手とやった時いつも感じることですが、日本はもっと意思のはっきりしたプレーをしなくてはいけない。大きなプレーはもっと大きく、細かいプレーはもっと徹底的に細かく。なんとなく、とかこれでいけるんちゃうかなみたいなプレーの数を減らさなくてはいけない。

同じようなことでさっき「流れの中で展望が立てられない」と言いましたが、ならば流れが始まる前、もっと早く、もっと遠い間合いから展望を描いておけばいいわけです。作業の裾野が大きくなるので、これは自動的に一種の凝縮された圧力の強さとして意思の明確さにも繋がります。走り出したら止まらないぜ 土曜の夜の天使さ というわけで(?)、気がついたら局面の敵のプレッシャーも「今忙しいんだ、どけ」とあっさり弾き飛ばせるかもしれない。
・・・・いや、まじめに意志統一のはっきりしたチームの強さというのは1つにはこれだと思うんですよ。目先の作業をああでもないこうでもないとやっているのと、その先の到達目標へのプロセスとしてサクサクやっているのとでは、見かけは同じプレーでもスピード感とそこから来る迫力が全然違う

もっと大きくはっきりプレーしろ。卑近なプロセスの連なりではなく、遠目の目的に対する手段として、一つ一つのプレーを位置づけろ実行しろ。
今に至るまで言われ続ける、「和式」批判


補足セネガル(2003年09月12日)

キーワードは「個人」「海外進出」「自由」。(中略)
つまり確かに海外、あるいはよりレベルの高いリーグでプレーすることによって日本人選手の能力が伸びることは今までも、これからも、普通にあるでしょう。でも具体的にそこで何をすることによってその選手は伸びているのか。
個人練習?ノン。むしろそういう時間は制限されるので技術的に落ちてしまう危険をヒデなどは感じているという話(イタリアの例)。
ではジーコよろしく向こうの監督は選手に大きな自主性を与えてくれるので、それで個々の判断力が鍛えられて伸びるのか。言うまでもなくノー。事態はその逆。日本でのような特別扱いや理解を奪われて持ち味を発揮出来ずに苦しむというのが日本人選手のまず見せる姿。
ただ”監督との軋轢”みたいなものは1つの側面・構図でしかなくて、要は色々な監督、色々なサッカー、色々な戦術やタスクを経験し適応して行く過程で総合力を上げ、「持ち味」をブラッシュアップして位置付けし直してそれの効果的な発揮の仕方を学んで行くというのが、基本的な「海外進出によって成長する」プロセスであるように思います。
ジーコが日本人選手に植え付けたがっている時々の試合状況への自発的な対応というのもそういったものの中で、あるいはそれを基盤として行われるものであって、選手に自由を与えることはそれに逆行するとまでは言わないけど特に有効な方法として一般に認められているとは思えない。
つまりあえて図式的に言えば、「組織との関連においてこそ個人は成長する」わけ。少なくとももうほとんど絶対能力は伸びる余地がない、フル代表に選ばれるような年代の選手に関しては。

少し長いですが、
1.海外で日本人選手が成長するとしたら、それは海外チーム/監督の組織/規律への適応を通してだ。
2.所謂"自主的な判断力"も、「自由」を通してではなく「規律」との対応の繰り返しによって得られるものであって、ジーコの方法は完全に間違いとは言わないが限定的な効果しか望めないものである。
という主張。
2.に関してはカタール森保ジャパンの例だと、"ジーコ"式が有効だったという形に、今のところはなっている感じですけどね。(笑)
どうなんでしょうね。

・・・以上、まとめて「和式」問題 in 2003


マケレレ自体は要らないかもしれない(2003年09月17日)

ベッカムは要るか要らないかと言われれ(レレ?)ばこれも要らないけど、ベッカム自身は出来ることを精一杯やっていると思う。プレー自体は別に不快じゃない。特にロベカルが上がりっ放しの時はちょうどマンUでのギグスとのに似た互いに活かしあう両翼の関係が出来ていて、結構脅威を与える存在になれる。

ロベカルのギグス化
なるほど。
右のベッカムに左のギグス(ロペカル)。勝手知ったるポジション。(関係)


ヴェルディ&Jリーグ

季節はめぐる?(2003年09月18日)

余談だけど実は本当に有効なメディア&オーディエンス向けのテクニックというのは、一つ一つの巧妙な論破(ああ言えば上佑?)ではなくて積極的に問題を絞りこんだシンプルなメッセージを出して問題構造自体を自分のペースで作り上げてしまうことなのだと思う。オジーとか上手いよねそういうの。レオンも。李さんは意外と下手。人が良過ぎる。

サッカー監督(の会見テクニック)とポピュリズム。(え?)
必要なのは「論破」(議論)ではなく「メッセージ」。
李さんていかにも"ズバッと"言ってるようで実はそうでもないというか、言ったつもりでもズバッと"届"かないというか。人柄のせいなのかテクニックのせいなのか。
そしていざ本当にズバッと言うと(審判についてとか(笑))、リーグから注意の対象になってしまったりする。(笑)
まあ政治家ではないですね、論客ではあっても。評論家というか。


おやおや?(2003年09月21日)

1.セットプレー問題の解決。

いや、別に解決はしてないのかもしれないけど。
ただ僕は気が付かなかったんですが、前の神戸戦で誰もが思っていたラモンのヘナヘナキックに業を煮やしたエムボマがFKを強引に蹴ってしまってひと悶着というシーンがあったそうなんですが、この試合でも自分で獲ったPKをさっさと蹴ろうとするボマに「ちょっと待ったー」しかけたラモンをみんなで取り押さえるというシーンがありました。
別にPKくらい誰が蹴ってもいいとは思うんですが、選手たちが結果を出せていないラモンから自主的に特権を剥奪して、それで結果(PK成功)さえ良ければラモンもそれ以上ごねるでもなく、その後もFKやCKを大人しくアツと分けあって何やらそれはそれで落ちついてる感じがアダルトだなあと。つわもの揃いの大人のチームだなあとそういう印象を受けました。・・・・これかい?これが欲しいのかい?ジーコ。

そんなことが。
まあラモンはいかにも人がいい感じではあったけど、エムボマもエムボマで決して傍若無人なタイプではなかったので、よっぽど腹に据えかねたんでしょうね。(笑)
それでも再度ラモンがプレースキッカー(PKですが)をやろうとしたのは、監督にはそう言われていたということかな?


再び海外サッカーと日本人

ううむ。(2003年09月24日)

題して”登り坂下り坂理論”
なぜ日本人(FW)はゴール前で緊張してしまうのか。それはゴールというものを登り坂の頂点としてイメージしているから。

お馴染み"日本人FWの決定力"論。

つまり”ビルドアップ”というくらいで、途中までは確かにサッカーの攻撃というものは1つ1つ積み上げて登っていくものなんですよ。そして上に行けば行くほど要求される精度は細かくなって(一つ一つのパス、プレーのレンジが狭くなって)、難易度は高くなっていく。そしてゴール前となればそれは究極となって、あ、駄目だオカアチャン、緊張で漏れそう。何か気が遠くなって来た、コメンナサイ・・・・。これがだいたいの日本人選手の姿。

ただそれはそれとして点を取れる選手、チーム、国、状態においては、ゴール前は緊張/圧迫のエリアではなくて、むしろ解放/弛緩のエリアとしてイメージされているように思うんです。
「坂」の話に立ちかえると、ゴールへ向けての登り坂は実はペナルティの手前くらいで終わっていて、そこからゴールまでは逆にそれまで登って来た位置エネルギーを利用して一気に下って行く、むしろやれやれこれで楽が出来るというそういう過程でありうるのではないかというそういう話。

ゴール/シュートを最終"課題""難題"と捉えて縮こまる日本人FWと、課題(登り坂)を終えた後の"解放""爆発"(下り坂の疾走?)と捉えてリラックスする外国人FWという対比。
今僕があえてこの対比/比喩を使うかというと使わない気もしますけど、ただゴール前で必要なのは「集中」や「責任感」よりも「気楽」「呑気」場合によっては「無責任」なのではないかと、ハーランドを筆頭とするトップ選手たちを日々見ている最近でも、感じることではありますね。ゴールはそんな頑張って取るようなものではない、むしろ頑張ると取れない。(笑)
まあ技術的身体的ベースあっての問題ではありますが。


UEFA杯でもいい。逞しく育て。(2003年09月25日)

to バルサ。・・・・ただし優勝するように。

レアルの大風呂敷を楽しみつつ、バルサも"応援"はしていた。

何というか、アイデンティティの不明瞭さというのが今のバルサの特徴、ポイントだと思うのだけど。具体的に言うとドリームチームなのか、ただの強いチームの一つなのか。当分の間どちらの自意識で戦って行くのか。

ちょうど今のチャビのバルサも、割と似たような位置づけ/ジレンマの元にはありますね。
お金も無いし、カリスマ的リーダーもいないし。でも名前はある。
ただ目指すものとしては結局、"スペシャル"チームでしか多分あり得なくて(それでどんなに失敗しても)、この時の僕も基本的に同じ結論。

とりあえずメンバーを見渡してみる。地元スペインからルイス・エンリケ、シャビ、プジョール、第2の地元オランダからはクライフェルト、オフェルマウス、コクー、ファン・ブロンクホルスト、EU外からサビオラ(アルゼンチン)、ロナウジーニョ(ブラジル)、ルストゥ(トルコ)、マルケス(メキシコ)。有名どころ、目玉的選手を並べるとこんな感じ。これにまだ無名だがレギュラー格のビクトール・バルデス(スペイン)、クアレスマ(ポルトガル)などが加わる。
全然悪いメンバーではない。来日の予定があるそうだが、ガイジンなら何でもありがたがる日本の民放のスポーツアナなら「凄いメンバーですね、正に世界選抜!!」と煽ることも不可能ではないだろう。ただ白いチームと比べちゃうと・・・・普通。ね?

懐かしい。ちゃんと見てたんだなあ、俺。
クアレスマとか、へなちょこなんだけどなんか好きだった。
むしろクリロナよりも。(勝てると思ってた訳ではないですけど(笑))


ブログの歴史

取り急ぎガンバ戦(2003年09月27日)

急ぎついでにラテラルの箇条書き手抜きヴァージョンをパクってみたり。

ここが"箇条書き"スタイルのスタートか!
慣れてないのでまだ読み難くて、自分でも読み返すのが苦痛だったので引用はしませんが。(笑)
ラテラルは当時懇意にしていた浦和系ブログ。tkqさんと知り合った(直接対話はまだしていない)のもここを通じて。


なんか9月頑張ってますね。(笑)
"コラム"一杯。
まだhtmlらしいんですけど。


テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
’03.6月&7月のみどりのろうごく (オジー途中就任~1stステージ終了まで)
2023年04月19日 (水) | 編集 |
"週サイクル"から離れる宣言はしたものの、既に溜め込み済の「今"週"の所長さん」用の画像はせっかくだから使いたいので、"書きかけ"シリーズの中で一番手っ取り早く更新頻度を稼げるものと言えばということでとりあえずこれを再開します。まあ需要自体は底々堅いシリーズのようですし。


6月

レアルマドリー

ワッ、決まったか。(2003年06月20日)

ベッカム個人の問題としては面白いんじゃないですかね。興味あります。マンU、プレミアでは要求される脳の機能が限定されている感じがするので、新しく負荷をかけることによってどのように才能が開発されるのか。
ただレアルとしてはどうなんでしょう、一線を越えてしまった感じもするんですが。(中略)去年でぎりぎりのバランスで、しかもそこからそれを支えていたマケレレと調整していたデル・ボスケが流出の方向と聞きますから。

Jの1stステージの中断期間だったらしく、最初はフィーゴ、ジダン、ロナウドに続く、"銀河系"第4の男としてのベッカムのレアル入団の話。
ベッカム獲得と入れ替わりにマケレレを放出してたのか、凄いな(笑)。自殺志願としか思えない。(でも死なないレアル)

ベッカム個人に話を戻すとそれにしてもちょっとステップを飛ばし過ぎという危惧はあります。小さい方から
1.マンUを出る。
2.イングランドを出る。
3.真ん中にポジションを移す。
4.それも天下のレアルといういきなりのトップレベルで。
5.フィーゴとの共存云々を筆頭とする誰にとっても難しい綱渡り的なチームバランスの中でのプレー

・・・・こんな感じで難関が山積し過ぎ。

いや、ほんと、今でも全く同じこと思いますけどね。"ファーガソン組のクロス職人"という固定的役割から、一気に解き放たれ過ぎだろうと。
それと入団当時はどうも、"トップ下"で使うというのが割と強めの前提の話として、聴こえていたようですね。ベッカムトップ下で、フィーゴ右、ジダン左、アンカーグティあたりのダイヤモンド?または4-1-3-2?いずれファイヤーには違いないですけど。
細かい経過は覚えてませんが、最終的に2列目はジダン左フィーゴ右の前年型で落ち着いて、ベッカムはその後ろでドイスボランチの一角として支える/調整する役割を黙々と結構上手にこなすことになって、随分と意外な結末でした。


ヴェルディ

書きたいことは沢山あるんだけど(2003年06月24日)

2.今更だけど富山選抜との練習試合では3-5-2らしいこと。

やはりそこから始めたか。何だかんだそれぞれの監督が実際に使いこなせるフォーメーションというのは割りと幅があるようで無いと思うので、とりあえずはいいんじゃないでしょうかね。ただいかにも中断前までの流れは完全無視、ないしは単に知らないという雰囲気ではありますが。
ロペまん中とかやまたくトップ下とかは・・・・今のところはまあ何とも。

そしてオジーことオズワルド・アルディレス監督就任。開幕時のロリ監督の解任、を承けてのレアンドロ代行体制、を更に承けての。
清水でもマリノスでも3-5-2を基本として(成功して)いただけに、やはりヴェルディでも、という話。3バックの真ん中にヴェルディの歴代ブラジル人CBの中でも一番に近く武骨なロペスを、トップ下にこれも"武骨"さが特徴の山田卓也を配して、驚きを呼んでいた模様。
なお"中断前までの流れ"というのは、4バック3ボランチで守って攻撃はラモン、桜井、エムボマの3人にお任せでそれなりに上手く行っていた、レアンドロ代行方式のこと。


日本代表(オフトジャパン)

おんもしれえ~(2003年06月28日)

P.S.
井原によると堀池のあだ名は「スッポンタクミ」だったんだそうな。イメージないなあ。”エレガント”派じゃなかったっけ。顔だけですか?

'93ドーハ最終予選、初戦サウジアラビア代表戦の振り返り放送を見ての感想記事から。
解説は元"アジアの壁"井原正巳氏。
堀池の"スッポン"はまじで意外過ぎます。そんなプレーあったっけ。本人(堀池巧氏。念の為)もドーハで都並の負傷で勝矢が左に回ったことに対して、"器用な自分が左に回って勝矢はそのまま右の方が良いと思っていた"的なことをおっしゃってたように思いますが。"スッポン勝矢"ならば、イメージ的には。(笑)
関係無いですけどあの時江尻篤彦現当方強化部長も、左の代役候補として代表に呼ばれてましたね。本職はMFで、スピードとセンスはあったけど守備は紙の如くで、それもあって勝矢左という苦し紛れが発動したのでした。
その反省を活かして(?)ヴェルディでは堅実路線を推し進める江尻氏。(笑)


ヴェルディ

ヴェルディは(2003年06月30日)

練習では4バックだそうで。あとやまたく2列目はマジなようで。ふむふむ。

ふむふむ。
いや、特にコメントは無いですけど。チーム立ち上げ途中の臨場感が伝わって来て、なんか楽しいです。(笑)



7月

オジーヴェルディ

やばいなあ(2003年07月02日)

ナビスコ浦和戦。
スタートのフォーメーションは事前情報通り中盤フラット気味の4-4-2。その良し悪しは置くして、こうなると3-5-2で戦ったFマリとのプレシーズンに行かなかったのがちょっと悔やまれる。何がどうしてこうなってるのか、脈絡がさっぱり分からない。

富山選抜の後に、マリノスともプレシーズンをやったらしいですね。
"1stステージの中断期"なので、"プレ"というのは若干違う気がしますが。とにかくそこではまだ3-5-2だったらしい。

さて実際に1試合見た印象としてはヴェルディの歴史の中で言えば李さんのチームに良く似た、バランスと約束事重視の形はきっちりしているけど流動性はあまり無い、勝てなかったり点が入らなかったりするといかにもジリジリしそうな慎重なスタイル。ちょっと意外、かな。清水でもマリノスでも、もっと個々の選手の特徴をそのまま生かしてシンプルでオーソドックスな役割分担でやる人という印象だったから、アルディレスは。全体の形から決めて来るとは思わなかった。よっぽど駄目だったのかな3-5-2が。

これはまた意外な第一印象。オジーの本領とはむしろ真逆の、ポジション重視の堅いサッカーに対して僕がよく言っていたタイプのコメント。その事を意識しながら書いてはいるようですけど。

まあ分からないですけどね。「慎重過ぎる」というハーフタイムコメントからすると、まだ選手たちが約束事をこなすのに精一杯な段階なのかもしれない。基本的にバランスはうまく取れてたと思いますが、それだけってところも。

その次の記事では"過剰反応気味"だったと反省しているので、やはりどちらかというと試運転期の一時的な状態ないしはそれ以前の(李以後の)松木・小見・ロリ・レアンドロ期との対比で、(静態的)秩序感を強めに感じていたということのようですね。


1st再開初戦セレッソ大阪戦 その1(2003年07月07日)

具体的にここまでのヴェルディのやり方を見ると基本形は確かにフラットで、特に守備時は意識して4人がラインを揃えて対応するようにしているように見える。だから一見押しこまれてズルズル下がっているような時でもちゃんとが2枚あって最終ラインが裸になる危険が小さい。なるほどこりゃ便利だわいというのが初めてまじまじと見た素朴な感想。

それなりの秩序感はあった小見・ロリ期でも、そういう"ライン"や"ゾーン"的な感覚はほぼ皆無だったと思うので、それだけにシンプルな約束事でも秩序感が強かったというのはあるでしょうね。

攻撃に関してはおおむね選手に自由にやらせてる感じ。自然フラットからちょっとラインをずらせばボックスになるので、そんなように見えることも多い。フラットラインを活用した派生的な攻撃パターンを煮詰めて行くと言うより、スタートライン(とその背後)はきっちり決めて後は流れで、各々相談して、個人の裁量でという感じ。

別の記事では「守備時フラット攻撃時ダイヤモンド」という専門誌記者の評も紹介していますが、まあ概ねそういう感じでしょうか。


セレッソ戦 その2(2003年07月08日)

目に見えて今までと違うのは「まずプレスから始まる」というのがはっきりしていること。別に組織的に囲いこんだりはしていないが前から順番にきちんきちんとチャレンジしていって、それにあわせて無理なく中盤のラインも作れている。で、そこで落ち着いてからまた攻撃も始められる。
ありきたりと言えばありきたりだが取りあえずチームに一本芯を通すのにはやはり有効な方法で、まあ結局積み上げるより逆算していく方が簡単だと言うことか。ヴェルディの場合は今までが今までだけにカルチャーショックというか心理的覚醒みたいな効果も出ているようで、なかなかいい緊張感である。

そうだったっけか。
"オジーヴェルディ"と"プレス"と言えば、その翌年の天皇杯制覇に繋がったハイプレスサッカーの印象が強烈過ぎて、この時期のそれは全然記憶にありません。"逆算"とまで言ってるので"ハイプレスからのショートカウンター"をイメージしますが、それはさすがにこの時期に関しては言い過ぎで、(逆算性も)嘘ではないんでしょうけどあくまでそれまでとの対比で言っていると、そう考えた方が良さそう。
"囲いこ"まないで"前から順番にきちんきちんとチャレンジ"するプレス。("ゾーン"ではなく)"マンプレス"というやつかな?当時は概念の存在自体知らなかったですが。スペイン系のサッカーでよく使われるという話ですから、アルゼンチン人のオジーならあり得る話?(それとも単に一人一人が真面目に"フォアチェック"をしているだけ?)


日本代表関連

見直したこと3(2003年07月11日)

前に書いたフジテレビ739の「日本代表黄金伝説で」’96年アジアユースの総集編を見た。生年で言えば’77&’78年の世代、つまりワールドユース準優勝の一つ前の年代でこのチームも本大会でベスト8には進んでいるのだが、思いの外凡戦続きでちょっとがっくり。
それはともかくそのスタジオゲストで柳沢が呼ばれていたのだが、これがなかなか良かった。生意気盛りで意気軒昂だったのだろう、あの顔で(笑)結構毒舌と言うか青島アナが無理矢理日本びいき/熱血志向でまとめようまとめようとするのを片っ端から当事者コメントでぶち壊していって気持ちが良かった。
(中略)
まあせいぜいサンプで頑張りや、ヤナギ。

当時サンプドリアに移籍直前の柳沢敦(26)についての話ですが、"生意気盛り"という年齢ではないのでスタジオゲストに呼ばれている"柳沢"は何歳なんだろう。(笑)
'96アジアユースについての回顧番組に出場選手の柳沢が呼ばれて喋って、その更に再放送を僕が見ているという状況。最短'96年だと19歳ですけど、そんな若造スタジオゲストで喋らせるかな。"生意気盛り"ではあるかもしれないですが。(笑)
まあ特に女性関係には派手な部分も多い柳沢氏ですから、必ずしもプレー程優等生ではなくて喋らせると結構毒舌なのかもしれないですね、記憶には無いですが。(笑)


再びオジーヴェルディ

ふう。(2003年07月18日)

J柏戦とナビ磐田戦。今更感想でもないので2試合を通じて見えて来た今後の観戦に向けての僕なりのチェックポイントをまとめてみる。

1.フォーメーションの表記の問題

とにかく劇的なフォーメーションチェンジをチームとしてしているわけじゃないのに、これだけ短期間に様々な表記のされ方をされるのも珍しい。字面としては4-4-2に違いはないのだがその中盤の「4」の中身が各誌各記者微妙に違う。羅列すると(1)完全フラット(2)フラットからコバ一人下がり気味(3)ラモンも下がってスクエア(4-2-2-2)(4)ラモン頂点コバボトムのダイヤモンド。差し当たってこんなところか。

初めての生観戦を経て僕のまとめだけど、(中略)
実際にはコバ一人がはっきり下がり目になっている時間帯が明らかに多いし(MFラインのスイーパー?)、「前半は守備に専念しろ」とラモンが言われていたというセレッソ戦、またお馴染みとなった終盤のハユマ投入時は普通にドイスボランチのスクエアと見た方が自然な気もする。

面白いので諸説を羅列しましたが、特に結論は。
とにかく小林慶行が下がり目だという部分だけは、決まり事のよう。
ちなみにその他は右に山田卓也左に平野孝真ん中にラモンというのが基本メンバー。


続き。(2003年07月19日)

2.守備の仕方

まずプレスから始まるという約束事がはっきりしているように見えるという意味のことを前に書いたが、その後の観察を元に言いかえると「始まりだけはプレスである」というちょっと違ったニュアンスのものになりそうだ。つまり確かに前からは追い込む、でもそこを抜けられた後は全くと言っていいほど仕掛けるディフェンスはせず、中盤の選手たちはボール保持者に一定の距離を保ってジリジリ下がってボール奪取の機会を窺う。ラインは違うがちょうど初期のトルシエフラット3のように。

「始まりだけはプレスである」
なるほど(笑)。やはり"プレッシングサッカー"ではさすがにないと。
逆にじゃあ2004年バージョンはどうだったんですかね、かいくぐられての逆襲に苦しんでいた印象は全然無いんですけど。美化してるのかな。それとももうひと手間加えてたのか。

3.”タメ”の問題

よくプレミアは攻守の切り替えが激しくてスピーディーでダイナミックなリーグであるという。僕にはそれは単に「一本調子で退屈」と映ってしまうのだが、それはともかくそうしたプレミアの特徴の大きな原因として挙げられるのがフラットな中盤の宿命である。
(中略)
現象としてはオジー・ヴェルディにも似たような傾向が見られる。とにかく速い、かつテンポが一定。田沼の濁りの話ではないがある程度は慣れの問題なのだろうとは思うが、攻め合いとなったジュビロ戦などはカップヌードルのCMの原始人の戦争でも見てるようで、個々のテクニカルなレベルの高さにもかかわらず途中で思いっきり飽きてしまった。

"カップヌードルのCMの原始人の戦争"。これのことか。(笑)



正確には"戦争"ではなく"狩り"のようですね。(笑)
とにかくワーワーせわしなく行ったり来たりしているということ。

単純にタメるタイプの選手を中盤から前に配していないというのも大きいだろう。せめてポスト役のエムボマくらいそういうプレーをしても良さそうなものだが、技術的な高さからは意外なようだが事実上そういう引き出しはエムボマは持っていない。

エムボマはポストプレーの名手ではあるけれどほとんどダイレクト専門でタメない。
ラモンも名司令塔ではあるけれどタメない。
どちらもオジー以前からいる選手ですから、オジーはそれに合わせた形ではある筈。
ならばフラットな中盤というそもそもの選択も、それを前提としたものだったのかな?


仙台戦&名古屋戦合評(2003年07月29日)

・桜井は落ち着いたか?
一つには僕の見方が変わったというのもあると思う。つまり前回は”ポストプレーヤー&ゲームメーカー”エムボマを軸に、そのパートナーとしての桜井の適性を疑問視していたわけだが、その一方で僕は桜井がいなかったナビ磐田戦のエムボマについても、タメるプレーの少なさにチーム構成上の物足りなさを表明していた。
実はこの2つの問題を一気に解決する方法があって、それはむしろ桜井をボールの落ち着きどころ、前線の司令塔と考えて、エムボマは専らストライカー、気楽に使われる側の選手として考えるということ。で、実際それほど明確な決まり事があるとは思わないが、だいたいそのような関係で落ち着いているようにも見える。ここんところのエムボマが派手で遊び心満載の、飛び道具性全開の得点を連発しているのもこうしたチーム内の位置付けの問題と無関係ではないのではないか。

世に出した李さんの手を離れてから、どんどんタメる方向で"一人で全部やる"方向に進化/変化して行ったゆえに、オジーの"タメ"ないハイスピードパスサッカーへの適応に苦しんでいた桜井と、"タメない"ポストプレーヤーエムボマの、回り回っての組み合わせの妙。

・ヴェルディは変わったか?
変わったといえば変わったが、変わってないといえば全然変わっていない。
つまり勿論慢性的な機能不全は解消されているが、それは不調時に決まって言挙げされていた「スペース」「フリーラン」「サイド攻撃」等々、まとめて言うと自己否定的教科書的なヨーロッパ化の方向性とは違うということ。持ち味が中央突破であり、柳沢など一部の例外を除いて第1の選択肢が足元であるのは実は何も変わっていないと思うのだ。

では何が変わったのかというとその足元パスの強さ、速さ、狙い目の厳しさである。いやほんと、見ててたまに冷や冷やする、少し手加減してやれよというような容赦無く強く速いパスが足元にボンボン出て、またそれをウチの選手たちは簡単に処理しやがる。

南米/ブラジル/ヴェルディ的なこねくり各駅停車サッカーからは脱したが、それは"ヨーロッパ化"ということではなく、むしろ南米式の進化・改善によるもので、やっているサッカーの構造的には実はそんなに変わっていないという認識。
ちなみに"柳沢"と言っているのは右サイドバックの柳沢ですね。彼だけはスペースへの走り込みに特徴を見せていて、そういう選手を一人置くのも多分狙いで、それもあって前年大活躍した田中隼磨は出番を失ったんでしょうね。

「中間の人」アルディレス(アルゼンチンは南米と欧州の中間であり、またオジー自身はアルゼンチンとイングランドの中間)ならではというと単純化し過ぎかもしれないが、まあとにかく今のところは特に注文をつけることはない。
(中略)
いや、ホントね、こんな裕福でもないチームに色々な行きがかりでこんなに優れた選手が一度に集まるというのはそう滅多にあることだとは思えないから、せいぜいいい夢を見せて欲しいものですよ。勝ちまくっていい軌道に乗せてまたビッグなクラブに、なれないかなあ。

時にせわしないとか、タメが無いことへの戸惑いも口にしつつも、結論的には絶賛。
ほんと夢のサッカーでした。
小林慶行も平野も山卓も(左SBの)アツだって、総合的にはこの時期のプレーが生涯ベストだったように僕は思います。アツや平野というのは東京移転以来繰り返された目的の曖昧な無駄豪華補強のある種"遺産""在庫"的な選手なんですけど(エムボマとラモンもそうと言えばそう)、全部ひっくるめてまるで狙って編成したような"パズル"を一瞬で完成させたオジーのセンスを、今でも僕は愛してやみません。


・・・ビッグクラブ。まだ希望を持ってたんですね。(笑)
ちなみに実際には7月の1か月しかオジーでやってないので、1stステージの順位自体は10位。そんな低かったか。

ここで再び、2ndステージまでの中断期に入ります。


テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
’03.4月&5月のみどりのろうごく
2022年10月19日 (水) | 編集 |
なぜか"ですます"調が"だ・である"に戻ってますね。何やってんだかという感じですが、どうも書く場所自体がまだ転変していたようで、その都度仕切り直ししてたのかも。
ヴェルディ的には、ロリ政権末期の迷走期間。


4月

山本アテネチーム

U-22コスタリカ代表戦(2003年04月04日)

失われた継続性1。ワールドユース延期によって下からの継続性が変則的になってしまったこと。

「イラク戦争」の影響で。なるほど。
2003年3月開催予定だったものが、結局その年の11月に延期されて開催。

山本昌邦は、僕には分からない理由でシドニー以来の馴染みのオーソドックスな2トップ&1トップ下を基本としたスタイルをとっている。その結果、と言い切っていいのかどうかは分からないがとにかく現象としては個人個人の能力にかかる比重が大きくなってパス回しのスピード・精度は落ち、大久保なり石川なりの単独突破からしかほとんどチャンスが生まれなくなってしまった。また初めからわかっていたことだが司令塔不足の影響もより強く出ているように思う。

この試合に関しては攻撃はサイドからばかりで、それはサイドを使えているというよりもサイドしか使えない、中央が貧弱というように僕には見えた。特に中山のポストから始まる攻撃が全くと言っていいほど記憶にない(突貫タイプの原竜太に途中交代)。

やろうとしてもやれないという部分と、そもそも中央突破やポストプレーをやろうとはしていなかったという部分があって、だからこそ後に平山相太を引っ張り出して来てその個人能力任せでそのオプションを足す・・・どころかむしろそれ頼みになって行くというプロセスがかなり極めつけに醜悪に見えた訳ですね。ポリシーとは。文脈とは。
その癖恐るべき鈍感力(多分悪気は本当に無い)で日本サッカーに足りないもの必要なものを、教師面して語るという。
困った人でした。


"銀河系"レアル(マドリー)

願わくば(2003年04月05日)

”過密日程によるコンディション不良”なんてつまらん、でもいかにもありそうな理由でレアルがタイトルを獲り逃がしませんように・・・・。と、いうような気にさせられるCLマンU戦でありました。

"銀河系"時代のレアル。
00/01にフィーゴ、01/02にジダン、02/03に"大五郎"の方のロナウドを獲得して迎えたシーズンのCL準々決勝第1戦、マンUを3-1で下した試合の後の感想。の筈。
ただWikiだとその試合が4/8となっているので、どうもこの記事の投稿記録(4/5)が間違ってるらしいですね。どうせ何回目かの移し替えなので、そういうこともあるか。(笑)

だいぶ前に掲示板の方で「頼れる仲間に囲まれてそれぞれが8割の力で適当にこなしながら勝ってるようでどうもそそられない」というようなことを書いた
(中略)
最近はそれどころか8割の力だからこそ出せる12割の力(?)みたいなものがあるんだなと、ほとほと感心させられる。

とにかく走らなくても必要なスペースがちゃんと確保できてるのが不思議だ。基本的には個々の能力とあうんの呼吸というくくり方になってしまうんだろうけど、サンプルがもっとあればある程度は「方法」「スタイル」として定式化することも可能なのかもしれない。

8割を組み合わせていったら12割になった。
走らなくても必要なスペースが不思議に確保できている。
面白いですね。具体的な絵としては、残念ながら覚えてないんですけど。(どこかに映像あるかな)
ていうか準々決勝とか見れたんだ、決勝やってたのはよく覚えてますけど。当時の放映権はWOWOWですが、TBSの深夜でやったのを見たようですね、記録によると。
当時の僕は基本的には、とにかく組織組織だ属人はやめろとヴェルディにも代表にも要求していた訳ですけど、一方である種の"ドリームチーム"フェティッシュもあり(だから代表=選抜チームが見たさにサッカーを見始めた)またこの前書いたエジムンドの件に見られるように"属人"とは言っても並の属人とそうでないものを区別する見方もしていたので、"原理"的には銀河系に抵抗感を覚えつつ、実物には感動もしていたようですね。
とにかく異次元の個人たちの組み合せから、何かしら見慣れない、定式化の難しい機能性が生まれていたらしい。
結局このレアルは準決勝のユベントスにトータル3-4で敗れてしまう訳ですが。まあユナイテッドにも第2戦では4点取られてるし、やはり守備には問題があったらしい。

しかしジダンだのフィーゴだのラウールだのといった本物のサッカー選手と並べてしまうと、ベッカムというのはいかにも貧相だ。機能的な部品に過ぎない。こんな奴にバロンドールをあげてはいけない。

酷いこと言ってますね。反感バリバリ。(笑)
まあイケメンだったからとかではなくて、単純にプレーが退屈だった、好みでなかったからなんですけどマンU時代のベッカムが。(サーのチーム自体は好きでしたが)
ベッカムの加入自体はのシーズンで、結果としてボランチ的に脇役に回ったベッカムのプレーに、僕は知らなかった側面を色々見てうならされることになります。今は尊敬してますよ。(笑)


ジーコジャパン

あはは(2003年04月16日)

なんか今までになく楽しめたジーコジャパンの韓日戦でした。
”黄金”不在で変なしこりがとれて、むしろ日本人選手たちの個人能力がとても素直に発揮されていた感じがします。

この試合は単に欧州組が招集できない試合だったようですが、"黄金の中盤"でやってない時のジーコはそんなに嫌いじゃなかったというかシンプルな設計のチームならではの良さも感じてなくはなかった気がします。・・・いずれ低レベルの比較ではありましたが。
それは上で言っているこだわりから離れていることによる風通しの良さというのも勿論ですが、やはり伊達に鹿島アントラーズを"作った"人ではないというか、基本的にむしろ地味で堅実なチームを作る方に本当は資質があったのではないかなという。日本代表監督としては変に張り切って、本来の資質ではない、実は本当の意味では"やりたいこと"ではないことを外向きの承認欲求によってやってしまった、そういう面が強いのではないかなと。
チーム作りのやり方や考え方が合ってる間違ってるという以前に、シンプルに"下手"に見えました、ジーコジャパンの時のジーコは。好きこそものの上手なれの逆というか。"監督"ジーコのリアリティが、"選手"ジーコの、"偶像"としてのジーコに呑み込まれていたというか。自分はこれをしなくちゃいけないんだ!という。


ロリヴェルディ

ナビスコ第3節磐田戦(1)(2003年04月09日)

メンバーはマウスに高木、フィールドに4(柳沢、ロペス、富澤、鈴木)-3(山田、林、小林大悟)-2(飯尾、平野)-1(平本)のサカダイいうところの”ピラミッド型”

へえ、そんなことやってたんだロリ。
4-3-1-2の前年のエジムンドシステムを引き継いでラモンを筆頭とする("1"の)エジムンドの代替選手を探したもののいなくて、前3人の細かい連携で崩すモデルに一新したという感じか。ていうかラモンは?ボマは?アツは単に駄目出しで使われてないみたいですが、本文を読むと。

意外に小回りが利いてパス出しのタイミングもいい平野

名古屋/ベンゲル時代はパワーと左足の純粋サイド(その部分を"欧州的"とベンゲルは重宝していた)という印象の選手でしたが、じゃあというのでSBで使ってみてもハマらなくて、むしろシャドーで、技術系の中盤的プレーに適性が見えて来た初めの方か。この後のオジー政権では、4-4-2でも3-5-2でも、その"中盤"適性が大開花する訳ですけどね。ロリも既に見出してはいたのか。

ナビスコ第3節磐田戦(2)(2003年04月10日)

「ピラミッド崩壊」。サカダイの試合評ならこんなタイトルになるか。ただしこれはヴェルディ中心で見た場合で、実際には十中八九ジュビロ側から試合評は書かれるだろうけど。・・・・ったく、注目度低いんだから。

なんか思い出した。(笑)
そうなんですよね、各サッカー誌がJリーグの試合評を一覧形式で掲載する場合、紙雑誌のスペースの小ささもあってたいてい注目度の高い方のチームの視点からしか描写されなかったんですよね(笑)。そうじゃない方は、最後の一行とかそんな感じ。(笑)

こんなにスムーズにサイド攻撃をするヴェルディは久しぶり・・・・いや、初めてかも。サイド攻撃といってもシンプルに大きくというのではなくて、あくまで細かいパス交換でというのがヴェルディらしくて楽しい。
(中略)
サイド攻撃という課題と鋭角や直線とは無縁なヴェルディのサッカー文化との落としどころとして、それなりの妥当性は感じる。

今でもサイドから単純にクロスを上げてFWの頭に合わせる的なプレーはおっかなびっくりな感じてしか出来ないカルチャーを持つヴェルディですが、この頃だとそもそも"サイド攻撃"自体をレギュラーなものとして使うこと自体に抵抗があった筈。アンチ・フットボールというか(笑)。個人の適性による独力突破でたまたまそうなることはあっても、チームとして狙ってやることはほぼ無かったような記憶。
ここで言っているのは"中央突破"時に行うような細かい繋ぎによる崩しを、(4-3-2-1)システムの誘導によりサイドで行うことが自然に増えて、生理の変更抜きで物理では"サイド"攻撃が出来ていたので、それはなんか可能性を感じたなというそういう話ですね。


J1st第3節横浜Fマリノス戦(味スタ)(2003年04月17日)

それは2列目左の大悟、右に収まるだろうラモンが、共に典型的なトップ下の選手ではなくむしろこのサイドに張り出したポジションに積極的な適性を持っているということ。

どうも選手の欠員により、ボックス4-4-2にせざるを得なかったらしい試合。
大悟はともかくラモンはそういう評価だったのか。次のオジーのチームでは、すっぽり"トップ下"に収まっていた気がしましたけど。

柳沢もねえ、ちょっと痛々しい。北澤の現役時代も僕はよく言っていたのだが、頑張る選手は頼るのでは活かすようにチームを構成したいもの。とりあえず柳沢のオーバーラップをチームの攻撃パターンとしてもう少し意識的に確立して、サポートを早くしてやりたい。

純正サイドバックとしての柳沢の能力・コンディションはこの当時かなり高かったと思いますが、上で書いたように"サイド攻撃"音痴のヴェルディは、それを上手く活かせなくて、"使われる"立場の選手に丸投げするような攻撃にしかなってなかった訳ですね。中盤的資質の高い隼磨の場合は、自然にパスサッカー的なコンビネーションの一部として活かせていた訳ですが。


あ、やばい(2003年04月23日)

・平野はMFとしては今回も(ナビスコに続いて)いいプレーを見せてくれた。ただいざ本業であるはずのウィングハーフ的なプレーをする状況になると、どうも迫力がないというか中途半端というか。そこらへんはアツと大差ない。

ナビスコ鹿島戦の感想。
上では平野の中盤的な能力を褒めてはいますが、それにしてもせっかくヴェルディには歴代ほとんどいなかったサイドのドリブラーな訳だから、もう少しそういう能力も見せてくれよという感じでしたが全くと言っていい程そういうプレーの記憶が無い。(笑)
アツのドリブルもキープの役には立つけど、"突破"は既に出来なくなっていたんですよね、この当時は。

・テレビ的な感慨としては、やっぱりたまに見る人(解説者。誰だか忘れた)にはアツと平本は評判がいいなと(この試合はアツ欠場だけど)。チームとしてのヴェルディの評価が低いと、アツのキープと平本の強引さは分かりやすく「頑張っている」「孤軍奮闘している」と見える傾向があるということだと思うんだけど。

しかしそういう(アツの)プレーが、解説者には褒められると(笑)。さぞかし腹を立てていたろうなという。(笑)
平本の強引さを問題にしているのは、この頃(上述4-3-2-1の)1トップないしポストプレイヤー的に使われることが多くなっていた平本の、無秩序なポジショニングがチームにとって問題になっていたからで、その自分の責任の部分の多い"無秩序"下でいかに頑張って見せてもマッチポンプ以下であるし、そもそも無秩序だから"強引"なプレーをしないといけなくもなっているので、褒めてる場合かというそういう文脈だったろうと思います。


大分戦だゴルァ(2003年04月27日)

平野は今日に限ってはよくやったと思う。あんなにアウトのパスが上手いとは知らなかった。ただ逆にあまりにも気持ちがパスに行き過ぎているので、今はまだ「平野」という名前で相手が縦を警戒してくれるからいいが、それだけでは一巡もしないうちに慣れられてしまうと思う。

この日は4-2-3-1の左MFとして出場。
相変わらず"パサー"な平野とそれに不審・不満を抱いている僕。
次のオジー時代も含めて、結局最後まで"ヴェルディの平野"はパサーでしたね。

ラモン上手し。特にパスを貰う時、出す時、チョコチョコ細かくポジションを修正して有利な態勢を作ろうと工夫しているのは感心させられた。日本人だと名波がよくやるプレーだが、中央が密集しがちなヴェルディの交通整理役として得難い選手だと思う。本人はひょっとしたらもう少しサイドよりの方がやりやすいのかもしれないが。

ラモンもまだ、"サイド寄りの選手"という基本認識。
プレー自体は、既にオジー時代にやっていたものに近くなっていたようですが。

やしけんマンセー。ただし昔からやしけんが奮闘する時はチーム状態が特別にいい時か悪い時と相場が決まっている。今は・・・・言うまでもない。

なんかあったねそういうの(笑)、林健太郎
基本的に組織に嵌めにくいソロプレーヤー体質(単にテンポが独特過ぎて他の選手と合わせづらいのかも)なので、観念して林健太郎のゲームメイク力にお任せするしか無いような状態のチームか、林健太郎の独特さすら組み込めるような次元の高い機能性を持ったチームでないと、輝き難い。
まあ地味な仕事もやれと言われれば普通にやるんですけどね。ちょっとだけ呼ばれた加茂ジャパンでは、3バックのストッパーの位置からの"激しいプレッシング"でボールを奪って素早く前線に展開してチャンスメーク、みたいなプレーもやってましたし/やれてましたし。ほんとですって(笑)。一瞬ですけど。



5月
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’03.2&3月のみどりのろうごく
2022年10月05日 (水) | 編集 |
2003年になるとサッカー以外の記事も混じって来るんですが、こちらの記事を書く都合上当面サッカー記事だけを移植しています。


川淵キャプテン、PR賞の賞金で「動物愛護」(2003年02月01日)
「中田よ協会の幹部になって」川淵氏要請(2003年02月11日)
川淵会長「ドイツW杯までジーコ」(2003年02月15日)

こういうのってどういう意図があってこの時期に言うんですかね。僕にはよく分からないんですが。例えばジーコが世論の集中砲火を浴びていて協会幹部としてそれを沈静化する為とかいうんならまあよく見られるタイプの発言だと思うんですが、特にそんなことは無いし。分からん。


オフシーズンで暇だというのもあって、川淵当時"キャプテン"(サッカー協会会長)記事が3連発。(笑)
それだけ目立つ人であったというのと、ジーコ"お手盛り"代表監督招聘でこの頃めっきり信用を落としていた川淵氏の存在を、割とはっきり日本サッカー"進歩"の阻害要因的なものとして僕が意識していた様子が伺える気がします。その陰には多分、加藤久元協会強化委員長以下の"次"の世代以降のサッカー人たちへの漠然とした好感・信頼があって、だからこの大きな"荷物"(笑)さえ取り除ければ概ね世界のサッカーの潮流に沿った妥当な歩みが出来るのではないかという、そういうイメージがあったんだろうなと。
振り返ってみても&当時的にも、別にそうした(相対的)"新世代"サッカー人たちに特別優れたヴィジョンがあったと考える根拠は無いと思いますが、要は川淵氏や山本昌邦氏、田嶋幸三氏のような変に"自分"自身への関心の高い、特殊なパーソナリティの人さえ絡ませなければ、それ以外の生真面目な日本のサッカー人たちは時々多少右顧左眄しながらも、今に至るまでまあまあ無難な運用は出来たのではないかなという僕感。"政治家"は要らん、(技術)"官僚"だけで十分。
岡田(武史)さんなんかは、どちらとも言いづらい少し変わったタイプですけどね。アイデンティティとしては技術官僚的なのではないかと思いますが、しばしばそれを押しのける勢いで「政治家」的性格が顔を出す。風間さんはどうなんでしょうね、"技術"の人と見るのが普通なんでしょうが、その前提に実は"政治家""思想家"的なポジション意識が先行している気も。そこに教祖性が生じるというか。
まあ"開発独裁"期における川淵氏の有能性・稀有性については、バスケの方でも証明されていますし僕も勿論認めるところは大きいです。ただその時期を過ぎると・・・。田嶋幸三氏の"独裁"の方は、全く本人都合の無用のものに思いますが。
とにかくそういう感じなので、例えば今後本田圭佑が日本サッカーの中心部に入って来たりするのも、タイプ的には凄くですね僕は(笑)。勿論その時々具体的な課題と適材性については、一応公平に検討はしますが。長谷部(誠)もちょっとなあ、世評をよそに余りいい予感が。本田と仲良しなのが不安というか"ミスチル世代"とやらは信用出来んというか。(笑)

ほとんど一週間遅れのサッカーマガジンを図書館で読みましたが、今週号はなかなか面白かったですね。やはりオフトははっきりとパサーが欲しいという意図でエジに声をかけたのかとか、自己評価だとエジの最大の持ち味はスルーパスになるのかとか、他にも色々と面白い記事が。

一番上の"動物愛護"記事より。
前にも言ったように来日前のエジムンドのイメージはまずストライカーで、その次に"ドリブラー"イメージが来て"パサー""司令塔"の面は来日してから僕は知った感じだったんですが、主に日本でのプレーを見ての(浦和の戦力としての)評価であろうオフトはともかくとしても、本人の認識としても真っ先に来るのは"パサー"であるらしいというのが分かるインタビュー記事、が多分載ってたんですね。(笑)
ほんとかしらと思う部分も少しあって、つまりもしそもそもそうであったなら来日1年目の2001年の時も、もっと遠慮なく最初からそういう自己主張をしたのではないかなと。僕の観察だとあくまで監督が代わって2002年にパサー/司令塔として機能し出してから、エジムンド自身もはっきりそう言う面を表して来たような記憶。だからエジムンドのそういう部分は日本に来てから引き出されるようになったか、あるいはブラジル時代のある時点までは好き勝手に全部やってたのが、イタリア(フィオレンティーナ)に渡ってより厳しい戦術的規律の中で限定的にプレーする習慣がついて、それが日本という"優しい"環境で自由を得て改めて全能力が思い出された、そんな感じなんじゃないかなと。
もしくは日本人にゲームメークを任せておけないので、自然そこから自分でやるようになったとか。まあ同じことか。


・・・と、エジムンドの話も出て来たところでここからヴェルディ記事。
まずは開幕前。

練習試合山形戦(2003年02月26日)

急造トップ下の平野はともかく、中盤両サイドのコバとアツは自分の判断で前後左右自由に動いて繋ぎに入ってとてもやりやすそうでした。ただそのやりやすさが強さにそのまま結び付くかというと僕的には結構疑問です。いつも言うようにヴェルディの「自然」はしばしば「安易」と同義語なので。
システム的にはやっぱり林のワンボランチだとどうしても脇が甘くなるので、何回もそこからサイドのスペースにボールを出されてピンチになっていました。ラモンがいない時にトップ下をどうするのか、ホントに平野なのかという問題もありますし。


練習試合川崎F戦(2003年03月02日)

とりあえずこの2試合の練習試合だけを材料に僕が消去法で考えたナビスコ初戦のベストメンバーはこんなん。

    かずき   ボマちゃん

       アチュ

   たく        コバ

       やしけん
スズキィ          ヤナギ
     かんぺー ヨネ

       ヨシナリ

2003シーズン開幕前、懐かしメンバー案件。
2002年途中に就任したロリの2年目で、エジムンドが浦和に去り代わりにかつてガンバで大活躍したスーパーFWエムボマが入団、他にブラジル人ゲームメーカーラモン、神戸から元名古屋の平野孝、山形から左SB鈴木健太郎と、今気が付きましたが(笑)左利きばかり4人も補強しての新シーズン。華やか。
ただエムボマとラモンは怪我がち、平野は次のアルディレスが来るまで使い方がよく分からず、鈴木健太郎に至ってはシーズン途中で新潟に貸し出しと、結局そこまで戦力にはならなかったんですけどね。
前年の主力級だと小林大悟は怪我で出遅れ、共に3ボランチを支えた高木成太は横浜FCに返却、田中隼磨は引き続きマリノスから貸し出し中ですが現状のチームへのフィットで柳沢(将之)の方がいいという、僕判断だった模様。アツも実際のところアルディレスに左SBにコンバートされるまでは大した働きはしてなかったんですけど、とりあえずキープ力だけはあるので擬似エジムンドとしてトップ下にという提案。・・・実際どう使われてたんでしたっけ、ほんと影薄くて覚えてない、この後の自分の記事見て思い出す予定。(笑)


そして開幕後。
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’02.9&10月のみどりのろうごく
2022年09月27日 (火) | 編集 |
まずまず好評だったようなのでシリーズ継続。(笑)


えじむんど in オールスター(2002年09月03日)

噂のオールスターでのエジムンドのプレーをやっと見たが、凄いとか巧いとか以前にヴェルディとはほとんど別人球離れの良さがやはり目を引いた。そういえば来日当初の練習試合ではそんなプレーをしていてさすがセリエA経験者と感心したっけなあとか、そうそう「小倉が一番やりやすい」発言とかもあったなあとか、何かと思い当たるところはある。

(2007年まであったらしいJリーグの)"オールスター"ゲームでのプレー自体は・・・全く覚えてないですね(笑)。見た記憶自体が無い。
ただ"「小倉が一番やりやすい」"(という'01年後半の来日当時のエジムンドの)発言の方は、何となく覚えてるかも。・・・若いサポに一応説明しておくと、'01年のヴェルディ東京移転新体制の呼び物として国内スター選手によるプチドリームチーム的なチーム作りが企画された時に、三浦アツ(これはびっくりした)や復帰の永井秀樹(むしろヴェルディを離れてからスターになった)らと共に元スーパースター候補の"レフティーモンスター"こと小倉隆史選手も獲得され、1年だけ在籍していたんですよね。コンディション不良とチーム戦術(というより特徴)との齟齬で全く活躍出来ませんでしたが。
その活躍出来ない理由の一つでもあった小倉の"ダイレクト"プレー志向が、一瞬"救われた"のが上のエジムンドの賛辞だったように感じた記憶。(その後も結局活躍は出来ませんでしたが)

ならなぜ('02年の)ヴェルディでそういうプレーをしないのか(中略)
というのは去年なら確かに、ダイレクトのパス回しに参加出来るのは事実上小倉1人であった。しかし今年の場合は小林大悟を筆頭に(いつも筆頭だ)、ダイレクトプレー自体を普通に出来る選手は常時何人かピッチ上にいる。にも関わらずエジムンドがこれでもかとばかりにキープし倒すのは、つまりそれがゴールへ向けての最も有効な手段だと考えているからで、逆に言うとウチの手下どもとの見映えのする調子のいいパス回しにエジムンドが実効性を見出していないからなのだろう。

出来る&出来る環境なのにやらないのは、それを無効/不要なプレーだと考えているからだという話。
つまりオールスターに集うようなメンバーならば簡単に味方を使ってゴールに向かうプレーはそのままゴール/勝利に近付くプレーだとエジムンドにも感じられるが、パートナーがヴェルディの(若手)選手たちだと全部自分でやった方が結局確率が高いようにエジムンドは感じているんだろうという話。(勿論オールスターと公式戦という試合の性格の違いはありますが、ブラジル人/エジムンドのとにかく勝利にこだわる性格を考えるとそこらへんの真剣度に本質的な違いは無いような気がします)

要は得点を取る為、チームの勝利の為に必要なことを自分で判断し、それがいわゆる「良いプレー」だろうがなんだろうが、場合によっては監督の指示に逆らってでもやり切ること。それが選手としての責任感の究極である。(中略)
当たり障りなく自分の持ち場を守るプレイは批判は受けにくいだろうが言わば「ガキの使い」であって、状況によっては無責任の形態の一種にもなり得る。エジムンドはそれを自分に許さない

責任感とは。フォア・ザ・チームとはという。
勿論これはかなり原始的(笑)で独りよがりな責任感ではあり、実際彼が(僕が思うに)"良かれ"と思ってやるプレーの多くはしばしばヴェルディに混乱を引き起こしてはいた訳ですが。あるレベル以上の"組織"サッカーの監督の下で、彼がどのような挙動を見せるのかは本当はもっと確認しておきたかったところ。・・・次に移籍したオフトの浦和は、(主に家庭の事情だったらしいですが)3か月で退団してしまいましたからね。
というような問題はありつつも、僕がエジムンドという"実物"を間近に見て学んだ、気付かされたのは、世界的選手もしくはブラジル人(トップ)選手が、いかに"踏み込んだ"プレーヴィジョンで、深いコミットメントでプレーするのかということ、その時に「責任感」や「フォア・ザ・チーム」や「規律」(に従うか従わないかの選択)といったものが、日本人の平均的な感覚とどのように乖離した表れ方をする可能性があるのかということですね。勿論規律にはなるべく従うべきではあるんですけど、目的は規律に従うことではなくて点を取ることや勝つことな訳で。(と言葉にしてしまうと簡単ですが)
まあもっと単純に、Jリーグ開幕以来無数に見て来た見せられて来た(笑)ブラジル人選手の"我がまま"の、中身は質のいいもの悪いものごちゃ混ぜではありますが、ともかくも「正体」が一つ垣間見えた(笑)気がしたという、そういう経験でした。
まあ最近だとデブライネとかもね、能力は勿論凄いんですが何より毎度びびるのは自分の"駆り立て"方の凄さですね。技術的に高いから難しい所を通す/難しいプレーを狙うというだけではなくて、そこを通せばそれが成功すれば最短確実に点になる、そのヴィジョンに向けて"踏み込む"その躊躇の無さが、あのレベルの選手たちの中でも抜けていて、必ず一歩先んじるんですよね。そういう意味では個人的資質も大きいとは言えますが、同時に戦いの中で"抜け出す""先んじる"為には独自の踏み込みの深さが必要である/有効であるという、普遍的な構造の話でもあると思います。


ヴェルディと”足元サッカー”(2002年09月07日)

繋ぐ技術自体が優位でかつ相手が引きこもってスペースを与えてくれないのが常態だったヴェルディが足元パスを多く使うのは、ある種必然だったという話に続き。

問題はその優位が崩れた時、相手がヴェルディを恐れず普通に戦ってスペースも与えてくれるようになってもヴェルディが足元のパス回しに終始するが抜けなかったこと。つまり状況的必然性は無くなっているのだからこれは単なる「癖」である。更に空いているスペースを簡単に使うという、当然あるべき選択肢が狭められている訳だからこれは「悪癖」である。

・・・・余談だが僕が見るに、実際の技術的優位以上に”無敵ヴェルディ”イメージの有効期間は長かった。このタイムラグが状況的必然性を悪癖に変質させる準備期間となった

なるほどね。
手段だったものが目的になり果てたのが現在(2002年)の姿であると。そしてそのプロセスの段階的活写。そういう面はあるかもしれないですね。なかなか面白い。(割と他人事)
そもそもの讀賣クラブの"革命"、これくらい古い話になると僕も見たことより聴いたことの方が多いですが、あれは当時のメンバーがやりたかった"スタイル"、言うなれば「目的」性と、日本サッカーの状況やレベルに対する差別化や優越性/効果、言うなれば「手段」性が、ある意味幸運に一致した、同時実現した現象だったのではないかなと。クラブが志として持っていた革命性や先進性の、手段として意識的に"選ばれた"ものでは必ずしも無かった。技術レベルが低過ぎては話にならないので何らかそういう面は必ず関わっては来たでしょうが、クラマーが正に代表チームに止める蹴る(笑)から教え始めたように、それは"ドイツ"でも良かったかも知れないし"オランダ"でも良かったかも知れないし、とにかくあそこまで"ブラジル"色が強くなったのは偶々という面が大きかったと言えるのではないかと思います。(論理的には。実際に当時日本にまとめて人材をよこしてくれる可能性があったのは、サッカー先進国の中で"ブラジル"だけだったのかもしれませんが)
それが成功体験の常として、分析や対象化のフィルターを経ずにまとめて肯定され、絶対化され目的化され、状況的必然性(≒手段性)とほとんど関係ないレベルで維持対象とされるようになった。・・・"無敵ヴェルディイメージ"などという話が出ていますが、実は周りにもそう期待されている面があって、尚更その気にならざるを得ないなんてところもあった(笑)のかも知れない。
・・・ぶっちゃけヴェルディがJ2に落ちて居ついて、逆に「個性」くらいしか売るものがなくなってからは、だいぶ僕も軟化して(笑)それはそれとして好意的にというかなるべく活かす方向で考えるようにはなったんですけどね。かつては、真剣に(J1での)勝ち負けにこだわっていた時は、ヴェルディ内アンチヴェルディみたいな欧州派でしたが。

湯浅氏の書くものやある種の掲示板上の発言などを見てると、何やら足元でパスを繋ぐのは根本的に悪いことでヴェルディはダメなチームだから足元パスをするのだと聞こえる時があるが、そんなバカなことはない。足元パスにもピンからキリまであるし、足元パスを主体としたスタイルは今でも十分にサッカーの大きな可能性の1つであると思う。

ちなみに広くサッカーの流行的視点で、ここらへんを考えてみると。
最初・・・が意外と定式化が難しいんですが、ヴェルディ自身もそうであったような(そして実は日本中が多かれ少なかれそうであった)"技術"と"プレー"についての素朴で直感的な(足元サッカー的)アプローチがあり。・・・その対極に(ボールを持たない側の)"カウンターサッカー"というものもあった訳ですが、実はこの二つはセットで世界観なので。上手い側は足元、下手な側はスペースという。
それに対して、中田ヒデが主に先導者として切り開いてくれた見せてくれた、上手い側が(あるいは上手くても)"あえて"するスペースベースのサッカー、良いスペースに良いタイミングでまずボールを出して人の側がそれに追いつく/合わせるというアプローチのサッカー、象徴的には!"キラーパス"ですけどそれ一点ではなくてチームが全体としてそういうアプローチで攻撃を行うという世界。それが欧州基準でありトップであり、正義である(半面単体で強いチームは未だあっても原理としては南米式はアウトオブデートである)という時代が次に来た。
その後世界的にはどういう扱いかはよく分からないですが少なくとも日本では、「人もボールも動く」サッカーという言い方が一世を風靡して。"人"が動く(走る)スペースサッカーと"ボール"が動く(走らされる)足元サッカーの、融合・折衷型と言えばそうなんですが、大きなスケールではどちらかというと"スペース"サッカーの変奏というか修正型と言った方がいいのかなと僕感。まず狙いたいスペースがあってそこに人が動くこと(のメカニズム)が第一の関心で、ただその際に足元でのボール処理やキープをなるべく無理なく伴えるように工夫されたサッカーというか。・・・まあ実例があるような無いような類型なんですけど。オシム、ユース~FC東京時代の城福、上手くは行かなかったけどやろうとはしていたらしい北京の反町チームとか。もっと漠然としたイメージとしては、Jリーグでも色々あった気はしますけどね。未だに解説で口にする人もたまにいますが。正直よく分からないと言えばよく分からない。反町ジャパンの選手選考などを見ても、"走力の前にテクニック""テクニシャンが労を惜しまず&システマティックによく走る"サッカーみたいな、基本イメージはあるような気がしますが。
世界に話を戻してその後に来たのが"ペップバルサ"ショック。そこから(なのか僕の海外サッカーの知識では確かとは言えませんが)一気に「足元パス」の復権が始まった印象で、しばらく沈黙していた金田喜稔さん世代(笑)のサッカー親父なども、嬉々としてやっぱりパスはしっかり足元で繋がないとねとそれまでの"スペース"サッカー期間を完全に無かったことのように語るのを見て苦笑いしてましたが(笑)。勿論必要なタイミングで必要なスペースにまずボールを送り込むことの局面的な有効性/優先性が失われた訳ではなくて、それに関する要求水準自体は維持されたままだと思いますが、その一方で足元パスの最大の特徴である「確実性」をポゼッションや所謂ポジショナルなプレーの基盤とし、更には"テーブルゲーム"(チェス/将棋)的な組み立て/戦略性に活かすことの関心が大きく高まった、主流化した、そういう流れで現在に至っていると、概ねそういう整理でいいかなと。
まあ上では擁護的に書いてはいますが、ここまで足元パスが復権するとは、2002年当時全然予想してなかったですけどね。ちなみに"湯浅氏"とは湯浅健二氏、一応讀賣OBながらヴェルディのサッカーのダイナミズム不足を、親の仇のように(笑)繰り返し批判していたライター。


ここまでヴェルディ。次からは海外&代表系。
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