地上波(U局含む)ベスト10
1.『咲-Saki-』 (テレ東) ・・・・正に天才の所業。
2.『君に届け』 (日テレ) ・・・・冷徹無比。ドクトルの腕の冴え。
3.『獣の奏者エリン』 (NHK教育) ・・・・ケタ違いの基礎体力。
4.『みなみけ おかえり』 (テレ東) ・・・・絵に描かれた幸福。
5.『はじめの一歩 New Challenger』 (日テレ) ・・・・予定通りの満点解答。
6.『GA』 (関東U局) ・・・・世界観は好きだが、詰めが甘い。ちょっとお約束に頼り過ぎ。
7.『真マジンガー衝撃!Z編』 (テレ東) ・・・・興味は無いが(笑)、突き抜け方は見事。
8.『狼と香辛料Ⅱ』 (関東U局)・・・・内容は面白いんだけど、なんかパッとしない。
9.『蒼天航路』 (TBS) ・・・・"映像化"成功。
10.『東のエデン』 (フジ) ・・・・滝沢は興味深いキャラ。
"ベスト"とは言うものの、心からor安心して楽しめたのは前半の5つまでかな。
総体的には多分、期待外れの年。特に近年のアニメブーム/ラッシュを支えていた関東U局作品の劣化というか、オタクユース安直化が著しくて、腐ってもメジャー局の信頼感の高さばかりが、目立つことに。
あえてエントリー立てする機会はありませんでしたが、『咲』で示されている人間洞察は実にスペシャルなレベルのもので、僕の分類(笑)だとほとんど富樫・福本クラス。・・・・まあ多分原作への評価となるんでしょうが。(読んでないんですが)
最終的に素晴らしいのは、それが120%の"人間賛歌"として提示されていることで、ここらへんの飛翔力は富樫や福本にも無い要素。ある種「真実」以上の作品というか。日曜の夜の奇跡でした。
『君に届け』は近い内に書きます。『エリン』も賛辞の方は余り丁寧にやってませんが、まあ何と言うか「止めて、蹴る」動作をエジムンド、ドゥンガばりにきちんとマスターしている、基本に忠実な本格派の作品という感じ。普通のことをやっているようで、一つ一つが威力抜群。
『はじめの一歩』は王道メタルの傑作という感じですね。鷹村・ホーク戦はやっぱり凄かった。
同じく『蒼天航路』も、意外性は無いけど単純に楽しめました。
『空中ブランコ』もなんだかんだ悪くなかったです。"大人の"アニメ。『エレメントハンター』(NHK教育)をちゃんと見なかったのは失敗だったかもなあと、ちょっと思ってる、今日この頃。
その他BS,CS,再放送
僕が(たまたま)初見の、その他の面白かった放送作品。
新作
・『花咲ける青少年』
・『こばと。』
旧作
・『ツバサクロニクル』
・『新機動戦記ガンダムW』
・『涼宮ハルヒの憂鬱』
・『スターウォーズ/クローンウォーズ』
・『ひまわりっ』
『ひまわりっ』以外は一回は触れてますね。『ツバサクロニクル』は近い内書きます。
『ひまわりっ』はファミリー劇場で始まったのを何となく見てましたが、か、かわいい!!
時代はメイドより忍者ですよ(笑)。同じ"ご主人様"でも、真剣味が違う。
潔く素人な声優陣も、にも関わらずそれなりに統一された演出も、僕は好きです&評価します。
・・・・なんか抜けてないよな。
来年はまた、僕のアニメ熱が再燃するような年になればいいですね。
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NHK教育アニメ、『獣の奏者 エリン』終了。(Wiki)
いや、凄い作品でした。重いというか。
一言で言えば、「豪球一直線」。
これは作中で主人公エリンにつけられたあだ名、「王獣一直線」の、いかにも文字りに聞こえるでしょうが、実際にはそれと無関係に(それ以前から)僕の頭に自然に浮かんで来たキャッチフレーズで、それが作中の趣向としてのエリンのあだ名にここまで被ってしまうところに、いかにこの作品がぶっとい一貫性を持った完成度の高い作品であるかが、やや手前味噌ですが窺えると思います。
言ってみれば、作り手が見せたいと思った正にその方向に、実際に僕が見たということで。
そんな完結性の高い作品世界の中で、僕が唯一どうもしっくり行かなかった表現、言葉遣いがあって、それはエリンと"同志"半分"男女"半分的な控え目な愛を育むセザンのイアルや、ダミヤのスパイとしてカザルムに送り込まれた教導師キリクがエリンを評して言う、「穢れなき少女」という(類の)もの。
勿論エリンはその独特の(「一直線」な)"純粋"性に最大の特徴のあるキャラであるし、年齢的に"少女"年代が舞台になっているのも間違いはないわけですが、だからといってエリンのプロフィールを、「穢れなき少女(乙女)」というようなある意味よくある表象でまとめるのには、僕は少なからず抵抗があります。
・・・・改めてWikiを見ると、その亡き妹の悲しいエピソードと重ねることでエリンの"乙女"性を強調する役割を果たしている「キリク」は、アニメ独自のキャラだそうなので、恐らくは原作ではそこまであからさまに推されているイメージではないのだろうと思いますが。
それに軽く勇気を得て、僕のエリンのイメージをまとめてみると、一つは「最初から完成された存在」というものがあります。物理的に幼女だったり少女だったりはしても、彼女はある意味最初から"大人"であって、完成された存在であって、変化したり成長したりは、ほとんどしない。だからある種の"未満"の"未熟"の、危うい美しさをまとうものとしての「少女」性のようなものを、僕がエリンに感じることは基本的に無い。(たまにはあるけど(笑))
エリンがなぜそうであるのかは、とりあえず分かり易いところでは、その厳しい生い立ちが理由でしょう。
共同体の中でほぼ(闘蛇の世話能力という)職能のみを基盤とする、限定的な生存権で肩身狭く生活する母親の元に生まれ、しかもその母親すら、早い時期に無残な形で奪われ、安穏と「子供」でいることを許されなかったエリン。現実世界でも、発展途上国や貧しい地域などではしばしば見られる、「早く大人にならざるを得ない」子供たちの逞しくはあるけど哀しくもある、そういう類型の一つとして、エリンも見ることが出来ると思います。
ただ僕にはそれすら最終的には些細なことのように思えて、エリンの強さ、頑固さ、強情さ、人並み外れた伸びやかな知性を持ちながら、優柔不断や線の細さとは無縁な、いざという時真っ直ぐに、感情と直観の赴くままにしばしば苛烈な結論と決断にたどり着いて小揺るぎもしない、その言ってみれば"かわいげの無さ"は、到底「少女」だの「乙女」だのといった甘っちょろい総括を許すものではないと思うし(笑)、発達過程的特性や生い立ちには還元できない、彼女の「魂」、本来の性質そのものに根差すようにしか見えません。
要はエリンは最初からエリンであって、最後までエリンであると。
例えば"動物使い"(広い意味での)という「職業」選択についての早熟も、別に早く成長することを環境に強いられたからではなくて、単に"答え"が最初から分かっていたというだけのことのように見えます。子供か大人かなどということに、エリン自体が最初から余り興味が無い。彼女の"純粋"さも、青さではなくてむしろ余計なものを取り去って研ぎ澄ました結果の、"成熟"の極みの方に、性格としては似ている。
で、それを踏まえて更にエリンを見ていると、しまいにはエリンは、その"かわいげの無"さは、少女子供どころか、 「人間」ですらもないのではないかと、思えるくらいで("二つ"目のイメージ)。・・・・つまり彼女は余りにも「正し」過ぎて、普通の意味での"人間味"のようなものを感じ難いという。
やや突飛なようですがここで作中に戻ってみると、それこそキリクは「守るべき清いもの」(とその為に使われるべき「力」)の現世的象徴として『真王』(一族)を再発見して、それでもってダミアの余りに自我的な企みに疑問を抱き、またその構造をエリンにも重ねて彼女をも守るべき対象として認識して、ダミアを裏切るに至るわけです。だからそういう意味でエリンが"純粋"で"穢れない"というのなら、逆に分かるんですよね。現世を越えた"神"的な存在として。あんまり"かわいそうな妹"とか、人間的な次元で言われるとうーむという感じになるんですが。
『FAIRY TAIL』 (テレ東月曜19:30) (Wiki)
原作 真島ヒロ
監督 石平信司
シリーズ構成 十川誠志
正直楽しいです。似たようなストーリーは数多ある中で、どこがと言われると非常に困るんですが。(笑)
何かこれといった"創作の秘密"が見えたら、いずれ報告させていただきます。
浅い時間帯ということで、とりあえず見逃さないように気を付けなければ。
原作は有名作ですが、講談社漫画賞(少年部門)を取っていたとは知らなかった。
監督はキャリアの浅い人で、TVシリーズの監督作としては2作目のよう。
"絵コンテ""演出"は沢山ありますが、それぞれへの関与の深さが分からないのでそれだけでは何とも。
ただ『ソウルイーター』に関わっていたのは予想通りというか見た目通りというか、なんかこう、画面の中のキャラの配置のバランスとか動き方とか、思い出さずにいられないですね。
構成は割りと見覚えのある名前ですが、"シリーズ構成"扱いで関わっているアニメはそんなには多くなくて、それでも『ギャラリーフェイク』『テニスの王子様』『BLEACH』あたりは有名作か。
むしろ実写の方の『少林少女』とか『ヤッターマン』とか『大奥』とかの名前の方が、目を引きます。これから相当に活躍しそうな感じの、ライターですね。
『こばと。』 (NHKBS2 火曜20:00) (Wiki)
原作 CLAMP
監督 増原光幸
アニメーション監修 浅香守生
シリーズ構成 横手美智子、大川七瀬
順調に楽しいですね。お目付け役のぬいぐるみ(笑)の突っ込みが、いちいち的確でかつ過不足無いのが、地味にいいと思います。突っ込みは間違えると、ただの厭味orいじめですから。
監督は新しい人で、これの前の初監督作は『チーズスイートホーム』・・・・て、シリーズアニメだったの?!しかもテレ東で2期も?!知らなかった。
どっかでアニメになったという話は、勿論モーニング誌上で見かけてはいたんですが。知ってたら一応覗いたはずですが。どこで見落としていたのか。
とにかくそういうキャリアの浅い人のせいか、別に"アニメーション監修"という人が付いていて、これは『ガンスリンガーガールズ』や『カードキャプターさくら』の監督さん。ということはやはり、助監督というか総監督というか、スーパーバイザーなんでしょうね監督の。
シリーズ構成は2人いて、1人はお馴染み横手美智子さん。・・・・え?そんな説明は独りよがりだって?じゃあ言います、パトレイバーの時は下手糞だったけど、今はすっかり上手になった人です!!(よっぽど独りよがり)
それでなぜもう一人いるんだろうと思ったら、なんてことはない、原作者(集団)"CLAMP"からのお目付け役でした。CLAMPでもストーリーを、特に担当している人だそう。
全体的に、慎重なのかリキが入ってるのか、とにかく厚めの布陣という感じですね。
『君に届け』 (日テレ火曜24:59) (Wiki)
原作 椎名軽穂
監督 鏑木ひろ
シリーズ構成 金春智子
超絶好きですね。基本的には、今期はこれで満足しておいていいんだと思います。
やっぱりもう、原作のレベルが違うというのが、ビンビン伝わって来ます。原作ファンがアニメをどう言ってるかは知りませんが。ま、どのアニメにおいても、「原作ファン」の意見(特に批判)というのは、基本無視でいいと、最近は強く思うようになりましたがそれはともかく。
・・・・しかし好きだけど、"痛い"ですねえ。うっかり"切ない"とか、決まり文句で口に出来ない。
でも要するにこれは、全ての「感情」が基本的に持っている、"痛さ"なんですよね。それを生々しく、しかし下種に落ちずに抽出して見せる、作者は見事。情を尽くし、理を尽くし、しかしそれらが分離せずに常に一体となって迫って来て。"特別"、て感じの人です。
監督はまたも新しい人ですね。監督デビュー作『全力ウサギ』??知らんな。
シリーズ構成の金春さんは、前も書いたかも知れませんが能の名門の「金春」(こんぱる)の、正にその一族の人。
のだめのシリーズ構成で初めて名前を意識したので、てっきり若手なのかと思ったらとんでもない、初のレギュラー脚本が『花の子ルンルン』('79)て、いやあ、その節はお世話になりました(笑)。毎週楽しみに。
単に"シリーズ構成"はほとんどやってなかったということですね。逆になぜ今頃という感じもしますが。急に上手くなったりするとも思えないし(笑)。人間関係かしら。
「感動」させられるんだけど、同時に罠にはめられるような、コツリコツリと立体パズルでも組んでいるような、そういう印象を受ける、テクニカルな作品でもあると思います。
『空中ブランコ』 (フジ木曜24:45) (Wiki)
原作 奥田英朗
シリーズディレクター 中村健治
キャラクターデザイン・総作画監督 橋本敬史
シリーズ構成 石川学
相変わらずアニメは面白いとは余り思わないんですが、原作の狙いは何となく見えて来た気がします。
心理学・精神医学の、通り一遍なようでしかし逆にその淡白さで鋭さを出すような、心理学精神医学の表皮を剥ぐような、そういうトーンをメインに、しかしそれで終わるのではなくて意外と個人的直観的な理解というか解釈も、踏み込んで打ち出す、それでまとめる努力もするという、二段構え。
ま、結論としては、あんまり面白いと思わないんですけど(笑)。でもくだらないとかつまんないとも、思わない。そういう微妙な感じ。
監督は・・・・ああ、『モノノ怪』(ノイタミナ)の人か。言われてみれば。
あの時も感じたんですけど、"斬新"と言えば斬新なんですけど、それも含めて予定調和的な印象を受ける演出で、あんまり僕は感じるものが無いです。絵に描いた「前衛」というか。逆に安全というか。
いつかはこの技術が、有効に活かされることはあるんだろうなとも思いますが。何かの抑制が取れて。
普段取り上げない「キャラデザ・作監」を記するのは、さすがに実写とコンビネーションしたこの作品のそこらへんの独特さに、敬意を表して。監督とはモノノ怪以来のコンビで、これは予想通り。
エロ看護婦の"マユミ"は、杉本有美なんですね。パッと見原紗央莉かと思いましたが。(笑)
シリーズ構成は・・・・ああ、この人も『モノノ怪』ファミリーか。
『White Aibum』 (テレ玉24:30他) (Wiki)
監督 吉田泰三
シリーズ構成・脚本 佐藤博暉
監督はこれが初監督みたいです。なかなか暗いようで鮮やかなようで、乾いてるようで湿ってるようで、面白い絵を撮る人だと思います。僕は好きです。
構成・脚本はこちらも初に近い人ですが、パチスロ「吉宗」のアニメ化作品で、監督まで務めているというのが、過去では最大の経歴?(笑)
・・・・と、思ったら、『AKIRA』の助監督なんだそうで、なんじゃそりゃ。よく分からない人だ。色々大変なんでしょうね、この業界も。
・・・・『青い文学シリーズ』は、連作の一つ一つでスタッフが変わって面倒なので、全部見て何か語りたくなったら、改めてまとめてやります。
(早版)はこちら。
『White Album』 (10/3(土)24:30~ テレ玉) (アニメ公式)(Wiki)
なるほどね、どうもいきなり話/状況が勝手に複雑でよく分からないなと思ったら、シーズン2だったんだ。
・・・・何?ゲームなの?恋愛アダルト?
特にそんな感じはしなかったなあ。それなりによく出来てる、orアニメとして意欲的ということなのかな?
見た範囲では、芸能界/アイドルビジネスの裏側のドロドロギスギスした人間模様を描いた冷んやりしたストーリーで、興味深いことは興味深いけれど、それ以上に鬱な感じで何度も挫折しそうになりましたが、今のところ見続けるつもりでいます。
女の子どうしのカラみがなんかいい(潜在百合?)のと、それを筆頭に時々変に人物描写に、深い/鋭いものが感じられるので。
・・・・ただし、気のせいである可能性もあります(笑)。保障はしません。
ただあれです、新し目のアニメで「ハードボイルド」とか「クール」とか「ダーク」とか「スタイリッシュ」とかを標榜しているものは、十中八九、子供orオタクが無理してカッコつけてるだけで、その”抑えた情感”の”裏”に、実は何も「秘めて」なかったりするのが常なんですが、これはなんか感じるというか、ちゃんと感情のある/表現の仕方を知ってる人が作っているような、そんな感じがします。
でも、気のせいかも知れません(笑)。まだ気配だけです。
『「青い文学」シリーズ ~人間失格』 (10/10(土) 25:50~ 日テレ) (アニメ公式)(Wiki)
「人間失格」「桜の森の満開の下」「こゝろ」「走れメロス」「蜘蛛の糸」「地獄変」の、日本文学の名作たちをアニメ化、という企画。
最初の2回(「人間失格」)を見た限りでは、悪くはないかなと。特に良くもないけど。(笑)
まあ勉強ついでという考えもあるでしょうが、でもやっぱり鬱です。(笑)
鬱は鬱でもいいんですけど・・・・深夜なので。寝ちゃうんですよね、どうしても。(笑)
6作合わせて12話で、一つ一つが短いので、何とか完走したいですけど。
『FAIRY TAIL』 (10/12(月)19:30~ テレ東) (アニメ公式)(Wiki)
(漫画の方を)絵柄で『ワンピース』の人かと思ってたら、違うのか。(笑)
銀魂なりプリーチなり、それから勿論ソウルイーターあたりまで含めた、”テレ東元気系アニメ”の新作。(という位置づけで問題無いだろうな)
好きですね。楽しいですね。ストレートな娯楽性という意味では、ソウルイーターより上っぽい。
その分普通過ぎるというところは、あるかも知れませんが。
馬鹿で熱血な男の子も、お転婆で正義感の強い女の子も、パターンはパターンなんだけど”手癖”には落ちずに、パターンの楽しさを素直に感じることが出来ます。
まあまだ一回ですけど。とりあえず見るつもり。鬱ばっかりでは、どうも。(笑)
他ノイタミナ『空中ブランコ』は、TVガイド誌の表記から放送時間が変更していることに気付かなくて、ちらっとしか見れませんでした。
画面の感じからダイバスターかと思って(笑)、後でああ、あれだったのかという。
その範囲の印象ですが、うーん、基本的にギャグアニメって、あんまり好きじゃないんですよね。凄く、気取って見えてしまう。
まあもう一回は、見てみますけど。
既報『君に届け』はなんか、やたらめったら涙腺が緩みます(笑)。素晴らしい!この作者上手い!
ちょっと憎い。
というわけで更に『こばと。』と合わせて、今のところ最大で5つくらい?
フェアリーテイルがよっぽど弾けてくれないと、基本的には不作という、印象です。
皆さんよいアニメライフを。(笑)
へえ、20話から最終話まではオリジナルだった(Wiki)んだ、言われても分からない。
まとまった感想とかは、いつか原作読んだ時に書きたいと思いますが、一つだけ言っておくと、1週間で一番幸せな時間でした。(笑)
”真のヒューマニズム”作品、かな。人間讃歌というか。これくらいで。
ハーハーハーの人(蒲原智美というらしい)と、なぜか語尾が「~っすよ」になる”ステルス”の人が好きでした。ま、みんな好きです。(笑)
まだいくつか新作が控えてますが、明日以降はしばらくサッカー三昧になるはずなので、これまでの分をやってしまいます。
といっても今のところほとんど壊滅状態で、2つしかありませんが。
『こばと。』 (10/7(火)20:00~ NHKBS2) (アニメ公式)(Wiki)
またNHK、またCLAMPですが、良さそう。
CLAMPは再放送中の『ツバサクロニクル』もメロメロ状態で、前に『×××HOLIC』のことボロクソに言ってごめんという感じですが、でもほんとに駄目だったんですよね、アニメも漫画も、両方。無性にイラッと来る作品でした。
”深そうで浅い”(僕にとってね)という、一番僕が不機嫌になるパターンで、逆に”浅そうで深い”のは大好物というか、しばしば勇み足気味に高く評価する傾向があるので、だから僕への最初のプレゼンテーションは、「浅いよ浅いよ」と言っておくに限るかも知れません。(笑)
要するに想像力過多の人なので、勝手に価値を決められると怒るんですよ。
”美しい”サッカーとか、”楽しい”サッカーとかも、禁句ですね。それは俺が決める!と、怒り出します。(笑)
さてこばと。ですが。まだ何だか分かりません(笑)。一回だし。
ただそれでも早くも、キツ目にデフォルメされたキャラが品良く静かに、むしろ”自然”に振る舞っている感じのバランス感覚は、『ツバサクロニクル』と同様にとても好きです。おかげてお約束に、素直に乗れるというか。
まあこの”静か”さは、NHKアニメ独特とも、言えるかも知れませんが。内容を問わず、あるべきものがあるべきところに、ちゃんと収まってる感覚。別な言い方をすると、”収まる”まで、ちゃんと「待って」、世に送り出されているというか。
ここらへんについては僕もまだ考え中ですが、今のところ一つ言えるのは、NHKアニメが基本的文化的に、「子供」「教育」を強く意識していること、錦の御旗にしているというか。そしてその分、職人的であり、プロフェッショナルであるということ。そういうプレッシャーが、暗黙にかかっているというか。そういう理由が、あるだろうなと。
それに対してある時期以降の民放(特に深夜&12ch&U局系)のアニメが、オタクなりアキバなり、要するに広義の「大人」・・・・というか”非・子供”を相手にしているという、そういう違いはあるでしょうね。”分かってくれる”ことを当てにしたり、内輪の悪ふざけ的であったり。
元はと言えばアニメは明らかに子供のものであったわけで、そういう意味でNHK的なものの方が王道と言えば王道なわけですが、ただ近年の、いつとは言えないですが僕が意識し出してからのNHKアニメの面白さ、クオリティの高さ・粒の揃い方、バランスの良さは、そういう伝統的「子供」アニメ性と、末世的(笑)「オタク」アニメ性がいい感じにブレンドされている、そこらへんにあると、一つは言えるだろうと。
「職人」性と「作家」性という言い方でも、いいですけどね。無名性と記名性というか。
最近の主なところで僕が唯一に近く”駄目”だった神山健治『精霊の守り人』なんかは、あれは要するに作家性記名性が強過ぎて、NHKアニメならではのバランスが失われていて、僕の期待感のせいもあるんでしょうがなんか浅はかに見えてしまうんですよね。エゴ的というか。”NHKアニメ”という土壌で見ると。
『電脳コイル』なんかも十分に作家的ではあるんですが、一方で紛れもなく”子供”アニメでもあったわけで。そこでハードルが、クリアされている。自動的にというか。『絶対少年』などもかなりダウナーでアーティスティックではあるんですが、それでもどこかでガッチリと、「子供」(に見せる)というバランス感覚/緊張感が、担保されている。
ただそういうことを(NHK内の)”誰か”が命じている/仕切っているのかというとそうとも思えなくて、具体的にどうなってるんだろうなあと、ほとんど神秘的な印象(笑)すら抱きながら、それぞれの”NHK印”の作品を、楽しんでいます。
『君に届け』 (10/7(月)25:14~ 日テレ) (アニメ公式)(Wiki)
”女の子の気持ち”。
自分で書いて、ちょっと気持ち悪いですが。(笑)
でも黒沼の”一喜一憂”の愚直さは、本当に”それ”を、表現しているなと。
こんな受動性には僕は耐えられないですけど、実際に少なからず、こんな感じなんでしょうね。ご苦労様です。(笑)
ああ、気持ちのいい人物の描き方をする作品だなと思いつつ、でも少々ダルいかと流し見していましたが、最終的には落涙寸前でした。(笑)
良かったねえ。
でもいきなり実っちゃって、この後どういう話になるんですかね。知ってる人はしーっですけど。(笑)
まあ僕と違って忍耐力のある少女漫画作家の方々は、ここからまた粘り強く、山も谷もこさえて来るんでしょうけどね。
僕の感情なんて単純なもんです。(笑)
動物的というか。メシ!風呂!寝る!(ちょっと違う)
少ないおかげてNHKアニメのことを書くまとまった場所が取れて、それはそれで良かったですかね。
”今期”の問題としては、ちょっと困りものですけど。
他にもう一回見ようかなと思ってるのは、『WHITE ALBUM』とか。
『うみものがたり』(9/18)
”面白い”、とまでは行かなかったけど・・・・。
楽しかった。好きだった。
宮守母娘の方言セリフが、果てしなくキュートで色っぽいのと、OP/ED共に音楽が至福なのと。
至って感覚的な理由ですが。(笑)
基本的にキャラクターが一人一人魅力的(”大島”がいいなあ)、特にそれぞれが独自の行動原理を持っていてそれのぶつかりで色合いがクルクル変わって、ポテンシャル的にはとても面白そうな作品だったと思います。ただストーリーや”教訓”的なまとめが、ちょっと手堅過ぎて・・・・。仕上げがというか。
今回はパチ機とのタイアップということでかなり条件が限定されたところがあったでしょうから、このスタッフの別の作品が見てみたいなと。
『狼と香辛料Ⅱ』(9/23)
良い、のだけど、なぜか燃えない。
燃えるのは、現実化されたシーンを通して、やはり原作(者)の視点・表現の冴えを感じる/垣間見る想像する瞬間で、このアニメ作品そのものではないんですよね。
何か駄目なのか。一つはっきりしてるのは、声優の演技の付け方、演出がしっくり来ない、ということ。
下手というのとは少し違うんだけど、何か常に、上滑りして聞こえる。特に他ならぬ、ロレンスとホロの主役2人が。だから恐らく好きな人は萌え萌えなのだろう(笑)、2人の”軽妙なかけ合い”や恋愛的”緊張感”が、状況から認識するだけで僕にはダイレクトに伝わって来ない。
・・・・多分シナリオ直接読んだ方が、感動するかも(笑)。つまりは”演出”の問題ということですけど。
音楽のチョイスやその使い方は毎度素晴らしいし、作中のシーンをパロったお馴染みのDVD宣伝CMの方は普通に爆笑しているので(笑)、基本的な技量に問題があるor僕とセンスが合わないとは、とても思えないんですけど。謎だ。
後者のことから考えると、どこかに「本編」の方には力みがあるのかも知れない。監督か、または僕。(笑)
『真マジンガー衝撃!Z編』(9/26)
あえて論じるようなものでもないですが、なかなかの快作でしたね。
永井原作のおどろおどろしさと、今川アニメのけたたましさの、幸福な結婚というか。
ストーリー的には、最初に「マジンガー」誕生の背景を往年のアニメより丁寧にリアルにやって、その後普通に”毎週”戦うモードに移行するのかと思ってたら、最後まで”サイドストーリー”モードのまま行ってしまって、あれ?という。(笑)
という言い方も出来るし、最初から最後まで「クライマックス」モードの緊張感というか。
メリハリという点ではちょっとあれだったようなような気はしますけど、まあ今川監督が好きにやったら、こうなっちゃうのか。(笑)
”アシュラ”や”ボス”を筆頭に、色んなキャラがそれぞれに救われていましたが、一番救われていたのは、そもそもの「光子力」かなと。そんな大層なものだったのか。(笑)
ピンチに陥るたんびに、ここでグレートマジンガー出て来ないかなと、反射的に期待していたのは秘密です。(笑)
オリジナル(アニメ)のマジンガーZは、とにかく頼りなかったもので。
『GA』(9/26)
あーあ終わっちゃった。
えがいてあ・そ・ぼ。
これも”面白い”とまでは言い切れないけれど、好きな/幸せな作品でした。
淡々としてるのはいいんだけど、ちょっと急ぎ過ぎ削ぎ落とし過ぎ(もしくは逆に強調し過ぎ)で、たまについて行けない時がありましたけど。
あといいかげん僕の乱視が酷いので(笑)、画面の情報量が多過ぎて辛いというか、せっかく美術の各分野の解説をしてくれているのに、ろくに視認出来てなくてごめんなさいというか。
じゃあ何を見ているのかというと、ノダちゃんの髪の毛とか(笑)。画面の端を横切るだけで、なんか幸せな気持ちになりました。
あと・・・・腹減って来るんですよね、これ見てると。特にケーキか菓子パン系が食べたくなる。(笑)
説明は特に必要無いと思いますけど。(笑)
メイン以外のそれぞれのキャラクターにも、そこはかとなくやり残し感があるので、原作の進行を待ってまたやってくれると嬉しいですね。
ちなみに某所よりなぜ僕は「エヴァン」と略すのかという疑問が寄せられて(笑)、特に意識してなかったのでなんでだろうと考えてみましたが、潜在的には多分、”エヴァ”と略した時のある種の周辺文化感というか定着感というか、基本的には「エヴァンゲリオンが好きだ!」or「重大だ!」という気持ちを背景としたそれに、距離を感じているからだと思います。
だからと言ってエヴァ”ン”である必然性は無いわけですが(笑)、それについては多分、「エヴァンゲリオン」という固有名詞を、(後に明らかになった)「アダム」に対する「エヴァ」というよりも、evangel=福音(伝道者)という、より普遍的というか漠然としたキリスト教概念と関連付けて、認識していたからだと思います。
要するにまとめて、ブームとしての”エヴァ”から離れたところで、エヴァンゲリオンという作品について考えて来た年月の、名残りという感じですね。
試しに言ってみましょうか。”エヴァ”。・・・・ううう、駄目だ。気持ち悪い(笑)。こんなの僕じゃない。というわけで今後も多分、僕は”エヴァン”です(笑)。別に間違いではないですよね?では本題。
いわゆる”日本のSF”への、ある批判
僕が小学生の頃に専ら読んでいた小説ジャンルとして、星新一、小松左京、半村良、筒井康隆、平井和正などの、和製SFがあります。他に眉村卓、光瀬龍、豊田有恒、田中光二など。
その中の、関連してエッセイタイプの本で、星だったか小松だったか筒井だったか、その中の誰かもしくは複数がボヤいていたこととして、こうした言わば”新しい”文学に対する日本の既成文学側からのまとまった批判や攻撃、特に「”人情の機微”が描けていない」というタイプのそれについての、繰り返しの言及があって、印象的でした。
それに対する”SF”側の基本的な反論としては、「SFはそもそもそういう目的の元に成立しているジャンルではない」、あるいは「『文学』が”人情の機微”を描くものだと、いったい誰が決めたのか」という、そういうものだったと思います。
時代的にはいつ頃でしょうね。「日本SF作家クラブ」の設立が1963年だそうですから(Wiki)その前後でしょうか、そうした”批判”が盛んになされたのは。
いわゆる”新本格”への、ある批判
時は下って(笑)1980年代後半、島田荘司や笠井潔を音頭取りとし、綾辻行人、法月綸太郎、我孫子武丸らを主たる担い手とする、日本における「本格」派ミステリ(社会・風俗など一般小説的内容の変奏ではなく、謎と解決の論理性を中心に据えたミステリ)の新しい波、「新本格」ムーブメントが起きました。(ということになっています(笑))
それに対しても既成、または一般小説側は、ある意味”SF”の時と似たような反応を示し、似たような批判を繰り広げたようです。いわく、「”人間”が描けていない」。
反論としては、「そもそも”人間”という概念自体、優れて時代文化相対的なものであり、そして『探偵小説』(ミステリ)はその概念の屍の上に成立したものだ」(笠井)、「いやあ、特に描けてないとは思わないけどなあ」(島田)といったものがあります。(雑?(笑))
勿論”SF”同様、メインの目的orジャンルの独自性が、「人間」を描くことにあるわけでないのは、こちらも当然ですね。
TVアニメ『エヴァンゲリオン』に対する、旧世代作家の批判
そしてエヴァンゲリオン。時代は初回放送時で、1995年。
それに対する、まずはガンダムの富野監督の、当時のコメント。
「本来、たとえば今話題になっている『エヴァンゲリオン』なんていうアニメは、作品じゃないはずなんだと」(”作品”未満だ)
「僕みたいな年代とか、僕みたいな感覚を持つ人間から見たときに、あのキャラクターは生きてるキャラクターではない、と感じます」
「かくも腺病質なキャラクターとメカニックで、ドラマらしいことを描けるというのは、頭の中で考えたことだけを描いていることで」
「頭だけでやっていると劇にならない」
以上全て、別冊宝島293『このアニメがすごい!』(’97)中、ロングインタビュー記事より。
強調及びカッコ内は、僕です。ちなみに最後のは直接エヴァンゲリオンに対してではなく、一般的な問題意識として語られたもの。
続いて同じ出典から、押井守監督のコメント。
「彼(庵野監督)は、アニメや特撮などの世界にしか原体験がないという点で、非常に鬱屈していますよ。
(中略)
だから、何を作るかというときの「何を」の部分を求めるのに、割りと性急だなという気がします。そういうことを、本人にさんざん言った時もあったんですが、たぶん伝わっていないでしょう」
同じく強調とカッコは僕。
富野さんに比べると、友達ということもあってか”批判”という調子は極力控え目ですが、最後の切り捨て方にポジティヴなニュアンスは、到底感じられません。
文脈からすると要するに、バックグラウンドが狭い/貧困なので、表現が生(なま)に過ぎると、そういうことになりますか。そういう意味では、”頭だけだ”という富野さんの批判と、通じるところは少なからずあるかと。
と、エヴァン(笑)そのものに立ち入るのは、後回しにして。
言いたいのは、こうして見ると、新しい/若い、野心的で何らか先鋭性(いい意味でも悪い意味でもない)の目立つフィクションジャンル/ムーブメントに対して、ほとんど必ず、決まって似たようなタイプの批判が、既成シーン側から浴びせかけられるのが、よく分かると思います。
いわく”人情”が描けてない、”人間”が描けてない、”キャラクター”(劇)が描けてない。
勿論ここに挙げた例が、特に知的もしくは神経的(笑)なタイプの表現だからというのも、あるとは思いますが、”新しい”ものというのはたいていそういう形で、古いリアリティの情的な部分を切り捨てる形で出て来るものですから、探せば古今東西、あらゆるところで、こういう”パターン”は、見られるだろうと思います。
そういう意味では、卑俗に言えば、「今どきの若いもん」叩きの一例と言えばそうなんですけど。
というわけで、一つの”ジェネレーションギャップ”の、ある種ありふれた問題ではあるんだよということを示して、一応今回は終わりです。
映画館で映画を見ること自体かなり久しぶりで、最初は轟音がしんどくて、ティッシュで耳栓しながら見ていて、何しに来てんだかという感じでしたが。帰るよりいいでしょ?(笑)
そう言えばヘッドホンステレオ系の機材ももう何年も使ってないし、ある意味聴覚というか音量に対する感受性が、「正常」に戻ってるんだと思いますが。
難聴にはお気を付け遊ばせ、現代人の皆さん。古代人からのお願いでした。(笑)
10分前後で慣れましたけどね。アスカ登場のあたり。
さて感想ですが。
製作者の意図とかは正直よく分かりませんが(どこまでネタなのかマジなのか)、見る側としてはこれは、深く考えずに「映画的快楽」を堪能すべき作品なのではないかと思います。”作品”と考える必要すら、あんまり無いというか。
相も変わらずの戦闘描写の異能(神経的なような肉感的なような)、笑うくらい見事な”使徒”たちの造形、そしてチューンナップされた(笑)女性キャラたちの肉体への、開き直ったようなあられもない、さもしい目線。
それらのビュンビュン飛び交うダイナミズムやスピード感、と、更に今回決定的に特徴的に感じられるのは、基本的に全てが「映画」サイズ、映画の「スクリーン」サイズで最初から構想されている、その空間感覚映像感覚、それがやはり、当たり前過ぎるかも知れませんがTV版との決定的違い。
旧映画版2作も見ましたが、(TV版の続きの)”ストーリー”的な問題がまだホットな時期なのと、同じことですが今回はある意味ストーリーはシャレで、また程よくほとぼりが冷めてより伸び伸びと(映像勝負で)やってることで、凄くそのこと、解放感を感じました。
伸び伸び、とも言えるし。大雑把、とも言えるし。ま、大胆、でもいいですけど。
で、その感じが何に近いかというと、映画館ということで上映前の予告編でやっていた”ハリウッド大作映画”たち、例えばローランド・エメリッヒの『2012』(マヤの終末予言の実現を描くいつものパニック映画)であるとか、例えばシックスセンスのシャマラン監督の『ラストエアベンダー』(西洋風カンフーファンタジー巨編?)であるとか、あるいはローナ・ミトラ主演の『アンダーワールド:ビギンズ』やら言う、いかにも駄目そうな”真・救世主伝説”風アクション映画とかも含めて。
ラインアップに他意は勿論なくて、たまたまやっていたからというだけですけど。
エメリッヒと庵野監督を、まともに並べる気も無いですけど。少なくとも5倍(?)は、後者の方が才能あると思いますし。(笑)
シャマランだったらまあ何とか。予告編でも一つ、オオッというカットがあった。
要するに、”ザ・映画”ということですね。アメリカ風のというか。
あのサイズを、あの視聴環境に合わせた、使い切ることを前提とした。スケールが大きいと言えば大きいし、スカスカと言えばスカスカだし。(笑)
例えば音楽などでも、アメリカのチャートものの多くは「車」「ドライブ」「(昔風に言えば)カーステ」で聴くことを前提に作られていて、部屋で折り入って聴くとなんか大味に聴こえたりするけど、いざ車で聴いてみると、エンジン音等に負けずにちゃんと聴こえる/伝わる、逆に輪郭のクリアさがかっこ良く聴こえる、そういったことが実際にありますが。
ともかくそういう「大きな」、そして確信犯的に「外面的」で「分かり易い」、そういう天下のアメリカ映画たちと、通じるものを、庵野エヴァンに感じたと、そういうことです。
褒めてるのかと言われるよく分かりませんが(笑)、特有の快楽があるのは、確かです。
誰にでも出来ることではないのも。特に日本人には。
ただこれは別に新しい感想ではなくて、微妙に懐かしいですが庵野監督の実写第1作、『ラブ&ポップ』
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を見た時点で、既に感じていたこと。’98年作品。
セル画の意味性、”アニミズム”性を取り去った状態で見た庵野監督の映像は、一言で言って、「薄い」「浅い」「無意味」。別にそれは必ずしも悪い意味ではないんですが、とにかく他の「日本映画」の監督たちで見た記憶の無いもので、へえと思いました。
勿論”援交女子高生の空虚な日常”やらを描いた題材の影響はあると思いますが、むしろそれは、資質と題材が引き合った結果と見るべきかなと。
今回のエヴァンでは、その軽薄さが、思いっ切りダイナミックな方向に表現されていると、まあそういうことになりますか。
庵野監督/エヴァンの”文体””描写”論については、いずれ別稿でやる予定ですが、とにかく『ラブ&ポップ』以来の庵野監督の特徴として僕が感じるのは、「映像」が、単なる「映像」である、ということ。あくまでこれは、他の監督/作家さんたちとの相対でですが。特に日本人の。
別な言い方をすると、庵野監督は優れて&徹底的に、映像的な監督であるということ。映像的な表現そのものに、得手があるというか。
「演出」という言い方でも、思わせぶり過ぎると思います。もっと末梢的。
少なくとも「物語」の人ではない。勿論「人物」の人でも。
誤解を恐れず言えば、「外面的」な人。外側から、見た目から把握する人というか。
アメリカ人的に。
そういう単純さを、持っている、持てている人。そういう”浅さ”から、更に追求したり、構築したり。
ただ出発点としては。
これに納得が行かない人が少なからずいるだろうと思うのは、つまりはエヴァンが世間的には、”心理描写”が一つの大きな売りの作品だったりするからですが・・・・。
何て言うんでしょうね。それもまた「外」側からなんですよね。ある程度「大」きな分類としての、”メニュー”や”カテゴリー”から発想されているというか。「内」という名の「外」というか。こちらから切り分けて見たあちらであって、”そのもの”から来ているものではないというか。そういう限界があるというか。
・・・・俗化された”心理学”の使われ方などを、思い浮かべてもらいたいですが。嘘じゃないけどほんとでもない。
アメリカものなら、それは当たり前です。その中でまた、ならではの骨太で論理的な”心理描写”に成功しているものもあれば、単に紋切型に終始しているものも、無数にある。
庵野監督が自分の”資質”をどう思っているのかは不明ですが、狙いとしては、望みとしては、必ずしもそれで満足しているわけではない、それ以上の/そうではないものを描き出そうとしているのは、僕は感じます。だからこそ不全感も付きまとうんですけど。「形式」や「型」に意識的に徹した表現自体が、決して嫌いなわけではないだけに。中途半端だなあと。やるならやってくれよ。やれないなら出来るような、クオリティが高くなるような、やり方をしてくれよと。発見しろよと。”自分探し”しろよと。(笑)
やはり誤解されている(している?)気がしますけどね。
アニメなだけに。オタクなだけに。日本人なだけに。そしてエヴァンが、もろもろそこらへんの需要や鬱屈に、結果としてまとめて応えてしまったゆえに。ある意味”大雑把”だから応えられた、という部分も、実はあるのかも知れませんが。正にハリウッド映画が持つ、「普遍性」のように。
暗くて、コミュニケーションスキルが低いからといって、それは「内面的」だということでも(いい意味で)「繊細」だということではないんですよね。増して”心理”が分かっているということでは。病気は病気でしかないですし。
あるいはもっとフラットに、「絵」の人と「物語」(or言葉)の人という、クリエイターとしての分類の方を、強調した方が無難かも知れませんが。
例えば宮崎駿なんかでも、最終的に「絵」の人である限界を、少なくともあの人の語ろうとしていることの野心からすれば、感じてしまうことは僕はままあります。そういう意味で富野さんはやはり、バランスのいい人ですね。良過ぎてなんか、偉そうですけど(笑)。押井守なんかは基本的には、自分の資質的偏り(誰でも持ってますが)に自覚的な人だと思いますが、最近調子こいて、守備範囲外の説教をしたがるんで嫌だなと思ってるところがあります。
言いたいのは庵野さんは思っている/思われている以上に、映像の人であり絵の人であり、「外」の人であり、それは時に、ハリウッド的ダイナミズムとも比べ得るような素っ頓狂なレベルのものであるということ。
だからいっそアメリカ進出・・・・というよりもアメリカに生まれた方が素直にやれたような気すらしますが(「外」用の脚本・演出技法も整備されてますし)、しかし現実には非常に日本的な製作姿勢を貫いている。
「アニメ」(や特撮)という意味でもそうだし、”映画祭”(笑)や”一般性”を目指してる様子のほとんどない作り方も、そうだし。
それ自体はどちらかというと、好感の対象ですが。自分の出自を否定したがるのはみっともないし。あくまで、”アニメ界”への忠誠心を持ち続けていますよね。機会があれば、またTVアニメもやってくれそうだし。
ただそれで資質がぼやけたり、余り生産的でない「注文」(自分からのも含めた)に応え続ける宿命に甘んじるような傾向は、あるかも。
と、思いますが。
あんまりね、大げさに考えない方がいいんですよこの人は。ある意味いち演出家としてやった、『彼氏彼女の事情』
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を僕が好きなのも、そこらへんの気持ちに関係があるでしょう。
「作家」だとか思わない方が。でも応え続けざるを得ないんだろうな。
この映画も、アハハと楽しんで、映画館出た瞬間にすっぱり忘れました僕は。(笑)
実際何も残らなかったし。さーて、また篠田節子でも読もうか。
でも本当に、”楽しんでる”のは伝わって来ると思いますけどね。特にこれは。
何でしたっけ、ATフィールドを複雑に展開して来る、爆弾型の”使徒”の来襲の時に(違うところかも知れない)、いつものドン、ドン、ドン、ドン、ドンドンというクラシック調の戦闘テーマが、ハードロック風にアレンジされてたのには、ゲラゲラ笑ってしまいました。気持ちいぃ。周りは全然笑ってなかったけど。(笑)(*)
そう、ゲラゲラ笑う映画ですねこれは。余りのアホらしさに。随所で。
それでいいと思います。駄目?(笑)
出来ればTV由来の「教室」とか「コミカル」とか、お馴染み「鬱展開」とか「親子問題」とか、そういう半端なシーンを全部カットしてくれればもっと良かったけど、それじゃそもそも成り立たないからしょうがないか。(笑)
(*)TV版でもそうなってたら失礼。
女優の戸田恵子(51)と俳優の吉田栄作(40)が14日、都内でWOWOWの連続ドラマW「ママは昔パパだった」(23日スタート、日曜・後10時)の制作発表に出席した。
昨年6月に行われた性同一性障害特例法改正を題材に、性適合手術を受けて父親から母親となって生きる主人公(戸田)と家族のきずなを描く。実際に性同一性障害を抱える友人がいるという戸田は、難役に挑み「手術で付いていたモノがなくなったことが分かる瞬間を演じたのは、初めての経験だった」。
戸田恵子、WOWOW連ドラ貴重な!?初体験(サンスポ)
いやいや、戸田さん。
前にも似たような役やってますよ。ほら、劇場版のオスカル。
(キャスト)
オスカル:戸田恵子
アンドレ:水島裕
マリー・アントワネット:上田みゆき
フェルゼン:富山敬
ジャンヌ:吉田理保子
ジャルジェ将軍:内海賢二
アラン:キートン山田
語り手:武藤礼子
え?オスカルは違う?そりゃ失礼しました。(笑)
でも多分子供の頃のある瞬間には、「なぜ自分にはチ○チ○が無いんだ」と悩んだ時期はあるはず。(笑)
・・・・昨日ちょうど調べものしてて見つけて、なんか笑ってしまって。(笑)
ものは見てませんが。
はいはい、鳥栖戦ですね。集中集中。
今更ですが、「アニ10はなんでショートレビューやらないんですか」(ロック物のように)という(拍手)コメントをもらったので、そう言えばそうだなと。でまあ、どうせなら絞り切れないついでに、ずらずら挙げた中から放送中or通して見てないものを除いた20作品を、ダダダーッと。
各2行ずつ。年代順に。さくさくと。では。
『まんが日本昔ばなし』 (’75)
動きの少ない絵も、演者2人だけ(市原悦子、常田富士男)による声も、ギリギリに簡素化された所謂”象徴的”な表現でいかにも芸術的ではあるんですが、同時に圧倒的に親しみ易い、「TVアニメ」でもあるという。
『ガンバの冒険』 (’75)
出崎統監督の個人的資質でもあるんでしょうが、この”ネズミ”と”イタチ”による「冒険ファンタジー」の、”人間関係”の濃密さや感情表現の妙なリアルさや、そこから来る敵(イタチ)の怖さたるや。昔の人って・・・・
『ベルサイユのばら』 (’79)
その出崎監督の代表作(13話以降)。華麗さや少女趣味と、骨太の史劇であることが稀有なバランスで両立。両方のツボを、同時に押されるというか。オスカルとアンドレの××だけは、キモいですけど。(笑)
『戦闘メカザブングル』 (’82)
1st、イデオンの後に富野監督が手掛けた西部劇&コメディ風の作品。道具立てが地味な分、”混沌”を活写する戦闘描写の天才性が純度高く表現され、また掛け合い的な軽妙な話法も、むしろその後の本領かと。
『機動戦士Zガンダム』 (’85)
2行では語れません(笑)。いつかゆっくり書きたいんですけど。「続編」であることが、富野監督の意識的狙いや本来の偏りや限界を越えさせた、作ろうとしても作れないバランスの、一つのキャリア最高作だろうと。
『機動警察パトレイバー』 (’89)
繰り返しますが吉永監督&伊藤脚本(&勿論ゆうき原作)のが、僕のパトレイバー。一言で言うと伝統的人間観/人間関係と、それに伴う伝統的作劇技術への、”オタク”世代によるほとんど唯一成功した捉え直し。
『楽しいムーミン一家』 (’90)
ファンタジーの底力。ほんわかしているようで、それぞれのキャラが”それぞれ”に生きている、仲良しのようで決して交わらない、その棲み分け感というか、神の視点というか。フローレンの”女”ぶりの描写とか。(笑)
『恐竜惑星』 (’93)
猿の惑星+ET+スタトレ?ジュラシックパークとは言わない(笑)。”恐竜人類”というアイデアの新鮮さとリアリティと、その”人類”の(バルカン人的な)「理性」特化型の”進化”の示唆性と。そして、「モ・エ」。傑作。
『こどものおもちゃ』 (’96)
シリーズ構成高橋良輔?!。なんちゅう意外性。大地監督らしい、けたたましいギャグとトークの切れ味と、その陰で進行する各種コミュニケーション問題の扱いと、キャラの描写と。まとめてとにかく、達人な作品。
『少女革命ウテナ』 (’97)
かしらかしら?ご存じかしら?ご存じじゃなくてもいいわよ。あんまり解説したくない(笑)。無理に薦めるものでは。各種の(悪)趣味の、本気度の高さとクオリティ。よく分からないなりの、「革命」の不思議な切実性。
これで10本。特にまとまりはなし。(笑)