東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
U-22四カ国対抗北朝鮮戦
2007年08月01日 (水) | 編集 |
U-22四カ国対抗  日本 ○2-1● 北朝鮮(中国・瀋陽)

オシムについて書かないとなあと思ってる内にもう次の”代表”の試合が。


メンバー的には明らかに”バックアップのチェック試合”で、前回の同様の試合、二次予選マレーシア戦はレギュラーチーム同様の3バックでやったわけですが、今回は4バック。

新機軸またはそれ(4バック)を含めてのテストなのか、目玉である(?)カナダU-20メンバーへの気配りなのかは知りませんが、勝ちはしたものの終始北朝鮮にペースを握られて、4バックどうしの比較でどうしても吉田&オシムとの監督力の差を感じざるを得ないというそういう結果に。
・・・・と言って言えなくもないんですが、まあそんな目くじら立てるような試合でも(笑)。ただメンバー的には重なるところの多いそのマレーシア戦と比べても、やはり4バックらしい”緩さ”というのは感じられたかなと。そしてそういう要素が技量の足りない監督にかかると・・・・。やっぱ怖いよね。

カナダ組から抜擢された安田、梅崎、森島(と福元)は、あのメンバーの中でも特に身体的な強さは際立っている顔ぶれなので、一つ上の世代の試合に入っても家賃が高くなったようなところは全く無し。ていうかまあ、そもそもがそういう基準で選んでるんでしょうけど。
左サイドでの安田と梅崎のコンビプレーは、U-20の時でもこんなに冴えてたかなという(笑)”黄金”ぶりで、即席チームの中でほとんど唯一のそれらしい攻撃の形となっていました。目論見通り「五輪チームに新しい武器が」と言いたいところですが、でも3-5-2を基本としているはずのレギュラーチームとのすり合わせはどうなるんだろうと、やっぱりそこが気になっちゃいますね。

システムだけじゃなく、基本的に二つの世代のやって来たサッカーが余りに違うというか、二次予選までのチームが余りにも「あのメンバー」用の落としどころだったので、ミックスすると言ってもそう簡単には。”バックアップの充実”程度なら問題ないとしても。

恐らくは反町監督自身もこの前までのチームには全く、むしろ時が経つにつれて満足感が薄いでしょうから、”カナダの衝撃”も受けて一度ちゃらにして、出来れば4バックで作り直したいとそういう希望は持ってるんじゃないですかね。表立っては言わないにしても。
カナダのあのチームだって結構ギリギリのバランスで出来ていましたから、そう簡単に作り直せるとは思わないですが、いざとなったら勝手知ったる3-5-2に逃げ込むくらいの割り切りを持てるなら、まあやってみたらいいと思います。

確かになんかねえ、二次予選のあのチームの”続き”をやるモチベーションて上げ難いですよねえ。あれはあれで楽しいところもありましたが、今日はベンチスタートでしたが「平山・カレン」なんて名前を見ると、どうもまたかとか思っちゃう(笑)。もういいよ、飽きたよと。
その間直接何があったというわけではないのに、時間というのは恐ろしいわ。(笑)


しかし北朝鮮って結構いいチームですね。
「伝統の機動力」というか。


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今週のモーニング(’07.8.2)
2007年08月02日 (木) | 編集 |
ブログ拍手のコメントを読んでいてふと思ったんですが、ひょっとしてこっちのブログ
『今週の所長さんblog』
http://blog.livedoor.jp/at_lanta/
の存在を知らない人って意外と多くいたりします?告知したの結構前ですからねえ。
まあある意味後追い用・バックアップ用のツールなので、それも本願ということで知らなかった人は今からでもどうぞご利用&ご鑑賞を。(笑)



mor070802

オフィシャル

今週は合併号で、来週は代わりにモーニング2。
だったら『ひまわりっ』は定例の休みを取らないで欲しかったなあ。寂しい。


『バガボンド』

「よくぞここまで 武蔵ありがとう」とのことですが、肝心の「その深み」が僕にはさっぱり感じ取れないのが困りもの。
ちゃんと専門性のあるディテールを描くのが当たり前になっている格闘系漫画が百花繚乱という状況下で、ちょっと古いんですよねこの人のスタンスは。通用しないと言うか。そういうつもりはなくても、”精神論”と分類されて終わりになってしまう。するのは僕ですけど。(笑)

『GIANT KILLING』

ふむふむ。面白そうな展開ですね。”サッカーテニス”練習法の狙いは何か、何を測ったのか。次回、乞ご期待。
それと「黒田」または黒田のようなタイプの選手、人格を、切り捨てるのか拾い上げるのか。拾い上げるのならどのように必要性があると性格付けるのか。
・・・・そういえば「杉江」の方はもう、くだんの練習法の意味に気付き始めているみたいな描写もありましたね。ちなみに僕はまだです。(笑)

『じょなめけ』

こちらも分岐点というか予告編的な回。
最後の方で明らかになった、「伝蔵」のシンプルな上昇志向とその揺らぎは何を意味するのか、作品にどういう効果をもたらすのか。具体的には伝蔵の性格に新たな厚みを加えるのか、それとも単なる主人公サイドへの擦り寄り、陳腐化となるのか。
正直僕は今のところ「重三郎」にあまり魅力を感じていない、あるいは伝蔵がインパクトを受けるほどのスケールの”馬鹿”には感じられないので、危惧の方が大きいですが。
独断ですが『絵』から感じられる印象としては、作者の生地はむしろ「伝蔵」(の合理性)の方にあって、作品的な都合や大衆性の為の便宜として重三郎を描いている、そちらに寄っているように感じるんですよね。なるべく自分の資質は素直に出した方が、作品のダイナミズムは大きくなると思いますけどね。

『イカロスの山』

つらい。熱気だけしかない演劇の客席にいて、帰るに帰れない時みたい。
「次号、イカロスの翼が闇に折れる!!」とのことですが、個人的にはハッピーエンド以外受け入れる気はありませんね。本当につらいだけ。

『僕の小規模な生活』

これは言ってはいけないことなのかもしれませんが、ぶっちゃけこの人は奥さんを愛していないんじゃないでしょうか。描写を見てるとそう感じます。全部貧乏が悪いのよ。(?)

『エレキング』

みそなんか入ってないわよ!!

『ムーたち』

お、「複数自分」の話が珍しく継続追求されてますね。やっぱり面白いですよこのアイデアは。


・・・・少ないな。ひょっとして最近面白くない?
定番とベテラン率が高過ぎるかも知れないですね。「空気」漫画ばかりというか。


『クレイモア』以下、4月期中間報告
2007年08月03日 (金) | 編集 |
いやあ、ほんと平均レベル上がってる気がしますね、今までになく。テレビアニメ。
ヤマトなりガンダムなりエヴァンなりという「化け物」がポツンポツンとあるのではなく、「シーン」と呼ぶべきものがようやく形成されて来たという感じ。信頼度でコミックに近づいたと_うか。

というわけで今後もフォローしたいですが、コミック並に毎週追いかけても埒が開かないのは経験済みなので(笑)、各改編期のアタマと中とケツに1回ずつコメントして、視点や評価の変遷を追うというそれくらいのバランスがいいかなと。
というわけで第1回中間報告。4月の評価から7月のそれが変わったものを中心に。



『クレイモア』 (公式)

「僕は足手まといかもしれないけど、クレアと一緒にいたいんだあ」とまとわりつくクソガキが退場してから、俄然歴然、面白くなりました。お前か?お前が犯人か。足手まといなら消えるんだよ、これ理の当然、自然の摂理。大宇宙の法(ダルマ)。
剣術描写も含めた世界観も、当初の予想より遥かに多彩でわくわくさせられますし。

一言で言うとこの人(原作者八木義広)は、並々ならぬ「女好き」だと思います。(笑)
クレア
これはヒロイン”クレア”ですが、大量に登場する半人半妖の女戦士”クレイモア”たちは、全員が全員こうした黄色い髪の細身のクールビューティーというルックスの持ち主です。性格自体は熱血だったり天然だったり、一応色々に分かれてはいるんですが、それを上回る視覚的統一感があります。

このいかにもなルックスや統一感から、当初僕はこれを単なる中世ゴシックロマンの様式美だと思っていたんですが、そうとも言えないようです。
正直こちら側としてはリアルタイムでキャラを区別して覚えるのは至難の業ですが(笑)、だからこそ逆にこの傍目にはあるかないかの違い、狭い幅の中で丹念に膨大に、それぞれのクレイモアたちを描き分けて行く作者の情熱には妙な感動を覚えます。本当に”こういう”女たちが好きなんだなあ、キャラを愛しているんだなあと。

好きこそ物の上手なれではないですが、ある分野に本当に関心がある人は、余人には計り知れない細かさで、それぞれのニュアンスの違いを感じ取って行くものです。

ここらへんは冒頭のクソガキ(笑)の話にも繋がっていて、つまりそのクソガキのまとわりつき行動というのは実はヒロインクレアの幼少時の”テレサ”というクレイモアに対する行動の再現であって、だからこそ”足手まとい”も許すわけですが。
でもその少女クレアの時には感じなかったウザさというのが、クソガキ”ラキ”には感じられる。これはつまりクレアについては描けていた、ウザさを補うだけのかわいさが、”少年”ラキについては描けていないということだと思うんですよね。”少女”についてなら描ける。なぜなら好きだから。少女が。女が。

今は毎週楽しみです。女だらけの大剣闘大会。(笑)
いや、実際、”女どうし”ならではの人間関係の描写は魅力だと思います。単にドロドロとかいう意味じゃなくね。
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さらばJリーグナイト07プレビューショー?!
2007年08月04日 (土) | 編集 |
つうかさらばノノさん

野々村芳和

というか大竹野々村黄金コンビ(参考)というか。そりゃないよスカパー、BJ(バッジョブ)!

最初に「野々村が”アフターゲームショーの方に移籍”」と聞いた瞬間は、直感的に「ああ、エンマサリストラするのね?やっぱり評判悪かったんだ、あいつうざいもんね理屈っぽい松木みたいで」と勝手に了解&歓迎していたんですが、半分だけ当たっていました。

エンマサ(遠藤雅大)の位置に野々村が入るというのは当たりで、そこにリストラというかアフターゲームショーのテコ入れという意味合いは恐らく入っているとは思うんですが、弾かれたエンマサは消えるのではなくて、逆にプレビューショーの方の野々村の位置に

交換トレードすか?何その地味な人事。どうせ改革するなら新しい人材入れろよ・・・・とかそういうことではなくて。駄目なところ(アフターゲームショー日曜版)の為に上手く行っているところ(プレビューショー)をいじるというのは、ありがちだけどやってはいけない犯しやすいミス、アブハチ取らずになったらどうすんだ・・・・とかそういうことでもなくて。

とにかく、大竹野々村の、プレビューショーを、俺から、取り上げ、ないでくれ。
倉敷・幸谷や鈴木啓太・長谷部にも匹敵する(?)、日本サッカー界が誇る宝石級のコンビなんだ。
最悪エンマサのアフターゲームショーは、俺が見ないでスルーすればいいだけの話だ。我慢するから。我慢するから。

あーあ。


新体制のお披露目に出演してきたエンマサは早速厚かましさウザさ全開で、なんか奈美さんが獲られるというか汚されるような気分になっちゃいましたよ。奈美さんも「乗っ取られる~」とか切なそうにしてましたし。
まあ奈美さんは僕と違って清い人なので(笑)、エンマサが嫌というよりひとえにノノさんと築き上げたものへの愛着ということでしょうが。でもなんか、売られて行く少女みたいに見えて仕方がなかったですけど。(笑)
大丈夫、今度の旦那様もお優しい方だよとなだめるスタッフ、的な。

うー、見たくねえ。でも奈美さんには会いたい。どっかにエンマサだけあぼーんするソフトとかないですかね。NGワード指定決定。


そうだよなあ、どうせならせめてコンビ丸ごと交換すればいいのに。
何かあの相方の女に悪さでもしたのか?エンマサ。(すっかり叩きモード)
・・・・そう言えば李時代にちょっとだけ在籍してましたよね、遠藤。コーチか広報かに、ウチが急遽回収するとか。駄目?日本サッカー界全体の利益の為に。

一つの時代が終わった。グスン。


愛媛戦(3rd)
2007年08月06日 (月) | 編集 |
この試合分けはヤバいだろうとアワアワしてたら、仙台も付き合ってくれたそうで。

J2第30節 東京V △1-1△ 愛媛(愛媛陸上)

・・・・と思ったら岡山?嫌な名前だなあ。大人しくお得意さんでいて下さいよ仙台さん。
ていうかむしろウチにこそ是非是非欲しいポジション、タイプの選手ですよね。
ちなみに徳島は阿部祐太郎。こんなところまで落ちちゃうのが不思議な選手でしたが、何事もなかったように本来の素質を発揮したりしたら悔しいですね。誰かいないかウチも。


さてさて色々と微妙な試合でした。

CBに離脱者続出ということで、晴れて念願の(ラモスのね)4バックでしたが、これは・・・・。
”ダイヤ4-4-2”というより”4-3-3”?いやむしろ”2-3-2-3”
ともかくディエゴが中盤の一人というより、左右に流れる2トップの間に進出することに最初から重点を置いた3トップ気味のやり方で、しかも圧倒した前半は両サイドバックが常に上がり気味でだいたい菅原のラインがスタート地点、守備専菅原に守られたゼ・ルイスと大野も2人して攻撃メインの役回りで、バルサ的4-1-2-3というかファン・ハール的2-3-2-3というか、とにかくそんな感じの並び。

       ディエゴ
  廣山   ↑↓    井上
       ディエゴ

    大野     ルイス

服部     菅原      海本

    戸川     土屋

        高木

それでも心配性のディエゴは下がって来ることも多かったですから、平均(?)すると2-3-3-2あたりで手を打ちますか。(笑)

数字はともかくとして、これ案外ありな部分があったと思いますね。

1.ディエゴをCF的に使うことで、そういう選手が船越以外、極端にいないという弱点をケア。
・・・・最近の先発で出た試合を見てると、船越は先発では今一つ信頼性が。広がりが。
2.ディエゴに3トップ/”前の3人”という新たな位置付けを与え、”中盤”でのゼ・ルイスとのバッティングという、ここのところの問題を自然解消。
・・・・システムごと変えてしまえば、(司令塔からの)「降格」という感じも出ませんしね。
3.ラモスがどうしても使いたいらしい(笑・怒)、絶賛劣化中の大野により攻撃的&自由な役割を与えて負担を軽くする、もしくは悪影響を小さくする。
3’.ゼ・ルイスだって役割が良く分からない、頼りにはなるけど穴にもなるという選手なので、こういう中途半端なポジションはお似合いかも。
4.復帰したフッキをこの日の左トップ(廣山)のポジションにそのまま当てはめれば、奔放な動きをそれでも左寄りに限定できて、何とか”11人の1人”として計算が立つようになるかも。
・・・・フッキを利き足左サイドに閉じ込めるというのは、開幕当初からの僕の念願でもあります。
5.どうせ2バックならコンビというより個力なので、(4に対応できる)カバーリング・タイプがいないというCBの選手層に合うし、足だけは速いor身体能力は高いという選手は揃っている。

5.は若干やけくそ気味ですが(笑)、3とか3’は真面目に言っています。

実際の試合はディエゴの動きを軸に左右にうまく選手が散って、ラモスになってから一番というくらいにスムーズにパスが回って人も動き、開幕当初のような力ずくの、ハッタリ半分ではない、なかなかの中身の濃い”圧倒”ぶりだったと思います。
しかし「攻めてナンボ」のやり方でなぜか受けに回ってしまった後半は逆にやられまくって立ち往生状態、最後まで修正も出来ずにラモスの野望はジ・エンド。
油断したかなあ、僕もちょっとしたし(笑)。まあ修正出来ないのはほとんど仕様だから仕方がないですが。「3バックにする」以外の守備戦略は事実上ないですからね。

”ラモスの野望”というのは冒頭の”微妙”に繋がっていて、つまり前半の攻勢を僕は非常に複雑な気分で見ていました。
ディエゴ-ゼ・ルイス問題、あるいはFWの構成/フッキの位置付け問題を本気で憂いている僕は、何らかこんなやり方の可能性というのはかなり検討の余地があると考えていました。恐らくたまたまの構成だろうけど、いいきっかけかなと。

でも一方で4バックアレルギーと、どんなやり方であれヴェルディが意図的にあるやり方の完成度を高めて行けることに全く自信が持てないというので、やはり3バックの大枠で安全第一、後はその時々マイナーチェンジやラッキーやフッキーで誤魔化し切る耐え切るというのが現実的な唯一の道なんだろうなあ、この試合このまま勝って変にラモスが自信を持つとやばいなあという、その板ばさみ。
でもまあいいや、とりあえず勝っとこうと思い切っ・・・・たのに勝てませんでした(笑)。ギャフン。


何でこんな上っ調子なんでしょうね僕。うっかりドライかけたまま寝て、体温調節がおかしいからですかね。ああ、なんか頭が熱い。
来週はフッキ復帰ですね。なんかもう何年も前の話のような気がします。


U-22四カ国対抗ボツワナ戦
2007年08月07日 (火) | 編集 |
えらい評判が悪いようですが、基準の取り方次第かなと。

U-22四カ国対抗 日本代表 ●0-1○ ボツワナ代表(中国・瀋陽)


その前の中国戦(0-0)は余りの何もなさに途中で気絶してしまいましたが、それに比べればかなりマシ・・・・というか、一応溌剌としていた立ち上げ当初を除けば、反町ジャパンとしてはベストゲームの一つに僕は感じました。

具体的には中国戦の3-5-2からもう1回第1戦北朝鮮戦の4-4-2に戻したこの試合では、(反町)3-5-2仕様の「単純足し算」「並べただけ」状態から一歩進んで、何やら個々の自発性に基づいた連動性のようなものがうっすら垣間見えて、さながら「劣化版カナダU-20」という体裁。

「劣化版」が褒め言葉で、”ベストゲーム”というのも酷い話ですが(笑)、別に冗談や厭味を言っているわけではありません。つまり(U-20の)青山隼が「似てるけど足りない」という意味のことを言っていますが、その「似てる」の方に着目するとこうなるわけですね。
二次予選の3-5-2のチームはそもそも全く「似て」いない。それがちょっと4-4-2にするだけで、大してU-20の選手が出ているわけでもないのに(梅崎もいない)うっすら似て来た、それらしく見えて来ただけでも上等じゃないか。少なくとも僕はこの程度の内容すら、期待も予想もしていなかったですから。

これなら本当に今から作り直しても、あの身動きの取れない3―5―2のチームに比べてそんなに成算が無いわけでもないんじゃないのと。やって損はないよ。あのチーム自体は多分メンバーさえ揃えば、いつでも作れるし。
どのみち反町で「完成度」とかは無理でしょう。だったらせめて裾野でも広げよう。


とにかくアジア杯のオシムに続いて、またしても負けた監督が捨て台詞的に選手の責任を声高にあげつらってるのは聞きたくないです。例え責任があったとしてもね。
Jリーグの、少なくとも日本人監督の口からそういう言葉を聞くことってまずないと思うんですが、代表監督だと違っちゃうんでしょうか。

まあ反町監督が追い詰められているのは分かりますけど。必ずしも同じタイプの人だとは思わないんですが、状態としては4年前の山本昌邦監督と同じようになってますね。「俺にはどうも出来ん。何とかしてくれ。どっかに救世主はいないか」。
山本監督の場合は悪口を言うというよりも、片っ端から抜擢して新加入の選手にその都度いきなり「中軸」としての働きを期待する(二つ飛び級の平山とか、長期故障明けの駒野とか)というおねだりモードだったわけですが。そのたびやり方をガラリと変えたり、それまでの主力を忘却したり。

それに比べれば反町監督の理性は保たれている、やり方もせいぜい2種類で、大きくはぶれてないように思いますが。
ただメンバー的にどう見ても「勝たなくてはいけない」大会ではなかったはずが、アジア杯敗退からの流れとカナダ・チームからのプレッシャーで、「さあ、俺の(叩かれる)番か」とナーバスになるのは何となくは分かります。

とはいえ根本的には自分のせい、それまで上手くチーム作りが出来ていなかったのを、なんか変なタイミングで爆発させてるなという感じ。選手だ中国だ日程(召集可能メンバー)だと、恐らくそのつもりもないのに気が付くと片っ端から文句言ってるだけになっている。
とりあえず落ち着けと。本大会とかはともかく、性根据えれば予選突破くらいは出来ない理屈はないぞと。


しかしこうして見ると西野にしろ加茂にしろ岡田にしろ、少なくとも発言・出処進退に関しては立派だったよなあ、プロだったよなあとか思いますね。プレッシャーは今以上だったろうに。
勝っても負けてもいいけど、見苦しくなくやろうよと、最近とみに思います。そんなに代表を取り巻く雰囲気って嫌な重圧感があるんでしょうか。あるいは具体的な脅迫とか。

とにかく変な最終予選になりませんように。(祈)


よう言うた
2007年08月08日 (水) | 編集 |
反町監督断った…川淵キャプテンの“温情”(報知)

U―22(22歳以下)日本代表の反町康治監督(43)が7日、東京・文京区のJFAハウスで日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(70)と会談。川淵キャプテンは22日の北京五輪アジア最終予選初戦、ベトナム戦の直前合宿前倒しを提案したが、反町監督は固辞した。
(中略)
川淵キャプテンは、ベトナム戦に向けて、J1の第21節(18、19日)をU―22代表抜きで開催し、直前合宿を16日前後から行うことを提案したが、反町監督は「Jリーグで試合に出ることが次につながります」と、18日夜集合の従来通りの日程を主張した

すでにJリーグに根回しをしていた協会トップの申し出を断った指揮官は「その代償として勝つ」と厳しい表情。


現状での指導力自体には多々疑問はありますが、基本的には”分かっている”というか人間的には信用できるというか、ちゃんと言葉が通じそうな人ではありますよね反町さんは。だから嫌いではないんですが。

この件に関しては「前倒し合宿」そのものの効果やそれとJでの試合出場の強化への役割との関係そのものとは別に、川淵の悪あがきや”根回し”が敷いた流れにそのまま乗っかることへの抵抗感というか美意識というか、男の意地みたいなものがこうした態度のメインの理由なんじゃないかなと思ったりします。

今のところはそういう個人としては美質と言うべき品の良さ、客観性が、サッカーの、特に代表監督という一筋縄ではいかない仕事においての曖昧さ、通り一遍さに繋がっているところがあるかなと少し思います。
クラブチームとは違って選手の選択などの制限がほとんどない更地において、「これ」というものを確立したり貫いたりする上での弱さ、物足りなさみたいな。知っている、分かっているつもりだった「理論」や「戦術」が、自分で思うほどには具体化・血肉化されていなかった。何かあったり言われたりすると、すぐ揺らいだり迷ったりする程度のものだった。

元々あった「作戦厨」みたいな評判も、要はすぐ聞き分けて相手に合わせることの方にばかり気が行くということだったのかなとも少し思いますが。
それならそれで極めれば別にいいと思いますけどね。なりたいものや自己イメージと、実際の向き不向きや自分の活かし所というのは違う場合も多いですから。八方気を配ってどっかで聞いたことがあるような、「正しい」ことばっかり言ってても仕方がない。


反町監督メンバー大幅入れ替え示唆(デイリー)

同監督は、選手選考に関して「厳しい選考をする。どの世代も代表は同じベクトル(方向)を向いている。中国でもいい感触は持っている」と宣言。4カ国対抗戦でも活躍したMF梅崎、DF安田に加え、下のカテゴリーであるU-20世代からの招集人数を増やすことを示唆した。


そこらへんからするとこういう(緑部分)発言は、はいはいみたいな感じもしますけどね。嘘ではないけれどほんとでもないという程度の話。
”協会”とか”制度”のレベルならともかく、現場のレベルでそう簡単に「同じ」なんてことはあり得ないですよ。オシムはオシム、吉田は吉田、反町は反町。・・・・アマルはアマル。(笑)
トルシエの時に一貫性があったのは、トルシエ本人が実際に全カテゴリーやったからであって。

最終予選は日本U-22が五輪出場をかけて戦うと同時に、若手監督反町康治の自己発見の戦い・・・・になるようなら成功だし、ならないようなら失敗するんじゃないですかね。
前代山本監督よりは期待が持てると思っていますが(しつこい?)。人間力の差で。


大熊さんなんかは逆に固まり過ぎてて、”再発見”が出来なかったクチ?(笑)
気が付くと得意のミニマムな手癖の方に、選手ごと引きこもっていたという。


今号のモーニング2(’07.8.9)
2007年08月09日 (木) | 編集 |
morning2_05

オフィシャル

毎回新作、新連載が加わるたびに、「編集長が個人的嗜好で選んでいる」という話が納得出来ます。雰囲気ほとんど”アンソロジー”ですよねえ。悪くはないけどちょっと引きかけているというか、勝手にどうぞという感じはやはり少し。
具体的には「買ったからにはなるべく全部読む」という他の雑誌なら沸く義務感というか緊張感が、ほとんど解けてしまいました。『商品』という感じがあまりしないんですよね。

”男だてらのフェミニン”という意味では大きく言えば似た資質は感じるんですが、僕に選ばせたらもう少し、いやだいぶ中道寄りというか、見かけの(いい意味での)猥雑感みたいなものは確保されるんじゃないかなと思いますが。(”みどりのろうごく”的に?)
”基準”と”嗜好”は違うというか、仮に嗜好でもそれを露骨に感じさせない努力は商品としては意外と必要なんだなということを、具体的に確認させてくれた雑誌。

勿論いくつかの素晴らしい作品を読む機会を与えてくれたことには、多いに感謝していますが。
ただちょっと、とりあえず表紙は割りとうんざり。ここまで統一感なくていい。


『世界の終わりの魔法使い』

いかにも『モーニング2』な絵のタッチ(笑)に一瞬またかと思いましたが、あれ?面白い、というか意外と健全。”少年漫画”というか。(笑)
不良系第一王子、弟クン系第二王子、路地裏系チビネズミ娘それぞれのタイプのかわいさ/萌えが、鼻につかない程度の溺れ具合でうまく収まっていると思います。
てっきり第二王子が悪魔の彗星で覚醒するものだとばかり思ってましたが、直の新キャラでしたか。溺れ過ぎないように、第二王子の「恋」がウザくならないように望みます。魔女の笑顔はちょっと類型的で、嫌な予感もするんですが。あと「世界の終わり」が、あまり恋の”背景”になり切らないように。

『BEATTITUDE』

四畳半な感じに慣れて来て、楽しくなってきました。ウジウジもアナクロも、狙いというよりは天然なのがこの作者のいいところというか、確保されているラインだと思います。
ついでにいうと同性愛的ユニセックス的なのも天然で、またウジウジしつつも意外と人物の体の線がシャープだったり小尻だったりするのも、この人の基本的なフットワークに信頼感を感じるところ。
天然なりに、あんまりメリハリの利いた展開とかは期待しちゃいけないんだと思いますけどね。

『ファンタジウム』

無視してるわけにもいかないので書きますが、今だどう論じていいのかよく分かりません。日本橋ヨヲコさんなんかは割りと分かり易く心理学者体質というか、僕と似たところもあってポイントを見つけ易いんですが、この人は浮かんで来る切り口切り口、どれも合ってるようで違う、言い過ぎて作品の味を損ねている気がして、うまくまとまりません。過去作も読んでみようと思っていますが。
とにかくそれくらい、興味を覚えている、感銘を受けている作品。日本橋さんともども、いつかまとめて論じたいと思っていますが。
今回は今までは基本的に対立はありつつも「いい人」「善意」だけで構成されていたのが、初めて下司野郎も登場して来たある意味新展開の回。とはいえそれも大人限定なんですよね。いじめっ子も「悪意」というほどの描かれ方はしていない。「人のせいにしない」「人を裁かない」というこの人の基本がさせている手加減でしょうが。下司野郎も結局許しちゃうのかなあ。

『授業』

あれ、面白いぞ。どこが「ロリコン漫画」なんだとは思いますが。(笑)
(これまでの作品の)「SF」と「シュール」には、ジャンル的に近親性があるんだよなということを、再確認させる作品。キューブリックが優れたSF監督である理由というか。
大人に毒されて馬鹿になる前だったら、子供の死に対する態度って意外とこんなもんかもなという気もしますね。

『変ゼミ』

「共依存」の描き方は、悪くはないですがこの人ならもっと鮮やかに、説得力・インパクトを持って描けたんじゃないかという気もします。どうやるのかは僕も知りません。(笑)
・・・・明るく描く、かな。とりあえず。
コムギ先輩はいいように見た場合の僕の姿です。あんなにかっこよくはないですが、その分あそこまで本格的変態ではありません。キミならどっちをとる?(あ、とらない。そう。)

『荒呼吸』

「2回目からはただの迷惑」に吹きました。
経験ないですが僕も割りとこのテの現象はすぐ慣れる、または飽きる自信があります。ていうか心理的垣根が低過ぎて、起きてても適当に通常の現象と了解している可能性も。好き嫌いは激しいですが、基本的に何でもすぐ受け入れる人です。でもってすぐ通り抜ける。(笑)
松本英子さんの「理論」は体感的限定的、必要十分的で説得力ありますね。この範囲では正しい。「正しさ」というのはなるべくこういう風に求められるべきだと思いますが、人々の忍耐力の限界や欲しがりーがそれを許さない。すぐに唯一絶対神を呼ぶな鬱陶しい。出番まで寝てろ、あんたは。


その他
『前夜祭』  普通。ほんとにこっから百合?うーむ。
『聖おにいさん』  ”ネタ”ごとに当たったり外れたり。基本的にはわざとらしいと思います。
『不思議な少年』  世界を壊そうとしているらしいがうまく着地できるか。
『群青』  技術が足りない分、疲れる。風通しが悪い。
『小田原小鳩』  陳腐。しかし”共感”を呼ぶだろうことが憂鬱。悩みの縮小再生産。
『アースカイザー』  凡庸。「こんなもんでいいだろう」と舐めて描いている感じが。

未読
『Danza』  始まる前に終わってる。無理。
『×天』  絵に落ち着きが無さ過ぎる。
『サイバー越中』  読みかけたけど放棄。汚いだけ。『アースカイザー』同様、(”ナンセンス”という)ジャンルに甘えてると思う。


男の目と女の目?
2007年08月10日 (金) | 編集 |
そう言えば書いてなかったので忘れない内に。
多分期末には他に書きたいことがまたありそうですし。


以下はアニメ版『おおきく振りかぶって』を見ての、僕の”萌えアンテナ”の反応の変遷。

・うわあマネージャーかわいい。

マネマネ2

・ついでに犬もかわいい・・・・けど、ぶっちゃけ犬と人間の女の子のかわいさが、同じ次元で描かれてないか?(笑)

犬と女


・いやあ、男の子もかわいいなあ。特に田島クン最高。

田島

・それはそれとして・・・・やっぱり・・・・そうだよね。
女の子のかわいさと男の子のかわいさも、同じ次元で描かれているよね。例えばいとこにしても同じ過ぎのこの2人。↓

女と男


・というわけで論理的帰結として、男の子も女の子も犬も、全く同じ次元でかわいく描かれている作品だというわけでありました。(笑)

犬と女と男


以上は要するに、基本的にはひぐちアサさん独特の感受性、ものの見方、ユニセックス的であり、汎性的でもあるという特徴の話なわけですが。
目線の優しさと透明さというか。穏やかな冷徹。

ちなみに『おお振り』と言ってヴィジュアル的にまず思い浮かぶのは勿論、モモカンの爆乳

モモカン・ユニ

なわけですが、余りにも要素として「女」過ぎて本来の美意識からずれるのか、はっきり言って余り魅力的に描けているとは言い難いと思います。物理的に膨らんでいるだけで。サイズ的には恐らく超絶スタイルなんでしょうけど(笑)。下手すると根本はるみ。

まあ野球のユニフォームそのものが、そもそも女性を魅力的に見せるのに適していないという感じもします。ソフトボールのイメージも含めて。だから私服の時

モモカン・私服

とかはまあまあ。
ちなみにサッカーのユニの方も残念ながら、僕の目には。おしゃれに気を配るだけ無駄という感じが。いっそ荒川ガンちゃんみたいなのの方が、潔くて映えて見えるような。(笑)
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今更「脳内イメージ」メーカー
2007年08月12日 (日) | 編集 |
『やりすぎコージー』でやってて面白そうだったからつい。
ソースここ
http://maker.usoko.net/nounai/
です。
結果は・・・・なんか、笑いづらいんですけど。(笑)


まずHNの”アト”の結果。

”アト”の脳内イメージ

アト脳内

・・・・うわあ、そのまんまだ。


同じく右脳左脳別ヴァージョン

アト正面

・・・・どんだけ秘するねん。


続いて本名(伏字)ですが、普段使っている新字と戸籍の旧字、両方でやってみました。

”新字名”の右脳左脳別

新字正面


”旧字名”の右脳左脳別

旧字正面

何となく”新字”=後天的な自分”旧字”=先天的な自分と考えていいかなとか思うんですが、どっちにしろ左脳は「疲」れています(笑)。頭使い過ぎ?
右脳は先天が「金」で後天が「悪」とは、どういうことですかね。本来は金に興味ありまくりなのに、満たされないので良からぬことを考えて復讐を企んでいるということか。(”前世”の項↓参照?)

ここまでは踏んだり蹴ったりですが、そこにやおら一筋の救いの光が。

”新字名”の脳内イメージ

新字脳内


”旧字名”の脳内イメージ

旧字脳内

後天的な自分(”新字”)は「金」と「欲」にまみれてその「罪」「悩」んでばかりですが、本来の先天的な自分(”旧字”)は「愛」に満たされているらしいです。(笑)
やはり生まれて来たこと自体が失敗だったか。基本的に現世は合わんのよ。これ以上汚れない内にさっさと帰ろう。
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水戸戦(3rd)
2007年08月13日 (月) | 編集 |
J2第31節 東京V ○2-0● 水戸(西が丘)

風邪だか冷房病だかで(どっちでもいいや)しんどいので、箇条書き。


・少なくとも立ち上がり、水戸がベタ引きしてくれて助かった。
・1試合だけでなく2試合休んだこともあって、フッキ1人が戻っただけで、何やらインターバル空けのような”仕切り直し”感。
・もしくは「難敵」水戸に対して、満を持してというか。
・CLの為に、その前の国内リーグは休ませたんだよ。(笑)
・とにかくリフレッシュしたフッキの元気さは異常&反則
・プレーの必然性としてどうというよりも、内側から湧き上がるエネルギーに任せてウキャキャキャキャキャーーーッ。
・ああ、結局敵も味方も、フッキをコントロールするなんてのは夢物語でしかないのか。
・してみたい。誰かがうまくフッキを「はめ込んで」使うところを見てみたい。
・と、言うわけで、前節の3トップ的なやり方のインスピレーションの余韻は実はまだ残っているんですが、それはそれとしてディエゴは早くも「”前の3人”の1人」という地位を受け入れたらしい。
・ちょうどいい具合にお疲れ気味というのもあり。(笑)
・菅原と組ませたことによって、ゼ・ルイスの”司令塔”ぶりにも比較的安定感がありましたし。
・スポット的/責任レス的起用で嬉々とする大野、というのも含めて。
・お久しぶり斉藤は、上手いとか上手くないとか、決まるとか決まらないとか以前に、『FW』であるという自覚・雰囲気が旺盛なので、そこだけでも飯尾や廣山とは違う存在価値がある。
・妙に落ち着くというか、クラシックな安心感があるというか。
・井上平はどっちのラインで行くの?出来ればオンリー飯尾タイプにはならないで欲しい。

・総体としては、かなり楽な試合でした。
・水戸のチャレンジャー精神↓によって、本来の地力の差がようやく素直に出たと言うか。
・それか”仕切り直し”によって、開幕当初のようなはったりというか威厳が束の間戻ったと言うか。(笑)
・次にどう繋がるかとかはよく分かりません。
・実効性はともかく、ハッパがかかった直後に勝つというのは、流れとしては悪くない。(笑)
”ハッパ”そのものはむしろ、社長の親会社向けのポーズ/アリバイみたいな臭いが凄くしますが。わざとリークしたっしょ?違う?


今号のイブニング(’07.8.11)
2007年08月14日 (火) | 編集 |
eve070811

オフィシャル

相変わらずダルいですが。
発熱に対してなら有効な冷えピタが、効かないというか冷えてるのかどうかすら、よく分からないのが冷房(ドライ)病の気持ちの悪いところ。火照ってるけど熱いわけではないのねえ。

表紙。
漫画というのは基本的にモノクロ(?)で目にするものなわけですが、『もやしもん』の場合は単に”色がない”という以上に、独自のくすんだ色彩感が特徴の漫画なので、こうしてカラーで見るとひときわ華やかな印象を受けます。うーん、悪くない。

ただちょっと・・・・『サトラレ』っぽくはあるか、どっちかというと。(笑)


『K2』

(治したら)「フォークが落ちなくなる」というのは、実際プロ選手にとってはかなりの恐怖かも。
この残酷なジレンマを、どうやってハッピーエンドに持って行くつもりですかね。

『ロッキー』

『クロ号』に続いてこっちも死亡最終回なのか。クロ=猫の場合は、例え飼い猫でも「自分の人生」を生きている感じがするので、その死にも”詩情”みたいなものを持たせることが出来ましたが、こっちはどうか。

『食いタン』

いかん、乳(とクビレ)にしか目が行かん。(笑)
作者確信犯の悪ノリに、まんまと乗せられてます。
得意の手馴れた作業なんでしょうが、絶妙の角度で描くんだもんなあ。
脳が反応するんですよ、脳が。自分の瞳孔がキュッと収縮する音が聞こえるようです。
理屈じゃないんです。音楽みたいなものですね。

『GOLD DASH』

しっかりした(?知らん)技術論と定番だけど板についた人情模様、堅実そのもの。
一言で言えば”フィジカル”な作品。
自分の体を道具として、客観的に、理に適った使い方をする悦び、それによって日常的な”恣意”だけでは決して越えられない限界を越える飛翔感みたいなものが、早くも伝わって来ます。
素直に先が楽しみな作品。

『まんが馬鹿幸福論』

同様に”セルフプロデュース”では決して越えられない類の限界を越えさせる、「編集」という作業の重要性は理解していますが、それにしても掲載権を盾に人生を質に取られたような絶対的な現行の関係には、少なからぬ疑問が。取り替えの利く”記事”とかならともかく、自己表現の色彩の強い、”作品”というジャンルでは。
最近のイブニングで言えば、『米吐き娘』という既にそれなりに確立した世界と一定のファンを勝ち得ていた作品が、担当編集者の一存で回を追うごとに、見るも無惨に破壊されてしまったということには多くの読者の意見の一致するところだと思います。気の毒過ぎてたたく気も起きない。ていうかあれは僕の知ってた同名作品とは、別のものだと考えています。
根本的には発表・商品化・流通の形態を多様化させるというのが、今後の主要な問題になって行くんですかね。小説なんかだと逆に雑誌の読者などという存在はむしろマイナーなわけで、色々やりようはあるんだろうと思いますが。

『ZOOKEEPER』

タイトルバックに僕が狂喜したと思った人、甘いです。(笑)
露出すりゃいいってもんじゃないというか、なんか描き慣れていない感じで誰のどういう体なんだかよく分かりません。そう言えば新人だったんだなあと、今更思い出しましたが。(『食いタン』の)寺沢先生のような「職人芸」に到達するのはいつのことか。ていうかその前にそもそもの女体に関する美意識を確立することが先決かな。どう見せたいのか、それが決まらないと。同性なりに、ちゃんと欲情しないと。
でもアスリートかモデルかという、不自然なくらいのお腹の締まり方には、基本的な美意識は現れていますけれどね。全体として焦点を結んでいないだけで。

『イブニングパブのこりび』

毎度息子ネタは面白い。でも・・・・終了?


オシムとメディアリテラシー・・・・的な話(前)
2007年08月15日 (水) | 編集 |
連休でもないのに試合は木曜とはね。というわけで取り置き(?)しておいた代表ネタ。


前に「取り巻きや通訳の質が悪いのか」と書いたのは、基本的には冗談というか、特に根拠のない憶測ではあるんですが、とにかくオシムの”メディア”関係の発言のあれこれに僕が非常に違和感・・・・もっと言えば不快感を感じているのは、繰り返し仄めかしてきた通りです。
それについてのある程度公平な立場での説明の試み。

そもそもオシムが具体的にどんな”メディア”報道に対してワアワア言ってるのかという問題があって、それに対して例えば有力なオシム擁護者の1人(笑)酩酊さんのところでもこんな風に話題になったりしていますが(コメント欄、”サッキ好き?”さんとのやりとり)、正直そんなに酩酊さんの例示に説得力があるようには僕には感じられません。
ただ事実事実は真実の敵でござる(”ラ・マンチャの男”)というか、個人ブログなんてレベルであんまり文字通りの実証性なんて追求してもおおむねつまらない話にしかならないので、そこらへんはまあ、それくらいで勘弁してやれよという感じですが。(笑)

ただ「新聞」なのか、「テレビ」なのかというのはある程度確認可能な問題だと思うので、一度誰かちゃんと聞いてみて欲しい気はしますね。まあんまりオシムが日本のテレビをマメにチェックしている様子は想像しにくいので(笑)、基本的には新聞なんだろうと思いますが。
例えばそう思って気にして読んだナンバーの最新号なんかでは、はっきり(彼が気にする)『新聞の論調』となっていますね。それについても日本語の読めないはずのオシムがどの程度のチェックの仕方をしているのか、いちいち翻訳させて読んでいるのか、それこそ”取り巻き”が折りに触れてかいつまんでご注進しているというレベルなのか。

実際にはユーゴ時代からの言わば「一般論」としての長年の経験、日本で耳に入って来る折々の情報、それらを元にした印象論というか世界観みたいなものを元に、時に教育的意図を持って、時に単なる苛立ちや問答の癖に任せてオシムが発した言葉の断片が、更に各メディアのバイアスを経て僕らに届いているというわけでしょうが。


でまあそれらの正確な事実関係とかオシムの見解の内容とかは、ある意味どうでもいいんですけどね。僕の違和感や不快感の本体は多分そこにはない。
では何かというと、新聞であれテレビであれ、更に具体的に言えばスポーツ新聞の記事であれ情報番組のコメンテーターのコメントであれ、そういうものも確かに”メディア”の小さくない一部であるし、日本の”論調”をある面代表していないことはないんでしょうが、ぶっちゃけどうなのよ?という。現代の日本のサッカーファンのマジョリティが、そういうレベルの”メディア”をどれほどまともに受け取っているのか、どれほど自分たちの代表と認めているのか。そこんとこをオシムはどう考えているのか、そもそも考えているのか

結論としてはさして説明の必要がないように思います。ちょっとでもまともにサッカーに興味のある人なら、スポーツ新聞の売らんかなのヘッドライン系の”論”なんて話半分/4分の1(笑)、あるいは話のタネくらいにしか最初から受け取っていないし、現存する解説者やらコメンテーターやらの言うことも、まあよくも懲りずに通り一遍のつまらないことを、愛読してるプロガーの誰それの爪の垢でも煎じて飲めよと、それくらいの勢いで舞台装置の一部程度にしか見ていないことが多いんじゃないでしょうか。(勿論優れた人もいます)
これがむしろ、日本のサッカーファンの平均的なメディア・リテラシー。特にネット時代になってからは決定的にそうなっていると思います。

だからオシムが仮に”メディア批判”をするにしても、そうしたサイレント・マジョリティと「共犯」するような形でやるべきだろうと思いますが、実際には特に何の考えもなしに(そうとしか見えない)勝手に新聞などに日本人を「代表」させて、結果的にそれらの背後にいる僕らを、僕らのメディア・リテラシーをも虚仮にしている。その乱暴さが不愉快。
”挑戦”なら受けて立ちようがありますが、”無知”や”無意識”が相手ではね。横向くしかない。

つまりそもそもの”メディアの問題”を否定するわけではないですが、オシムにそれを的確に扱う資格が、能力があるのかはある意味それ以上に疑問だということです。やるならちゃんとやらなきゃ意味がない、「問題」に更に問題を付け加えるだけです。
問題自体は別に昨日今日発見されたことではないわけですからね。・・・・ああ、でもひょっとしたらオシムは自分が”発見者”だと思っているのかも知れないですね。それくらい無知なのかも。

(後編)につづく


オシムとメディアリテラシー・・・・的な話(後)
2007年08月15日 (水) | 編集 |
(前編)より。


『無知』というのはかなり挑発的な言い方かも知れませんが、ついでに例えばオシムの『無知』の背景・理由としては、こんなものが考えられると思います。
・高齢または大量の経験の蓄積による、偏屈・自信過剰。
・一方での日本の実情に関する知識・経験不足。(にも関わらずの「日本化」などという大仰な公約)
・同様に、「ネット時代」の実情に関する不可避的な無知
・ジーコ同様、”大物”ゆえの潜在的な日本サッカーに対する侮り、本当の意味での興味不足
などなど。

これらはオフト、トルシエといった言わば”小物”系の代表監督(笑)には感じられなかった特徴で、その比較もあって僕は苛ついているわけでしょうけど。
例えばオフトは日本リーグというドブ板時代から日本サッカーに関わり、また当時の日本のサッカーシーンの余りの未整備や民度の未発達から、外国人ながらも「最もよく日本サッカーを理解している」と言っていい、期待していい存在で、一つ一つの施策や言動を、染みこませるように僕は注視していました。

またトルシエはかなりの部分個人的な資質として、非常に柔軟というか興味本位(笑)というか、意図的なコワモテとは裏腹にオープンに日本サッカーに接していて、ジーコやオシムのような天から託宣が降りて来るような距離感をほとんど感じませんでした。フランス人らしくというか、どことなく「文化人類学者」的なセンスの持ち主だったような気がします。むしろ蛮地で生き生きとする、”白い呪術師”。(笑)
だから実際にどれほどのリサーチをしていたのかは知りませんが、トルシエの観察や指摘は国籍を越えて常に痒いところに手が届くというか、少なくとも同一の地平に立っている感触がありました。


・・・・ただ「今後」ということまで考えると、むしろこれらの外国人代表監督は、結果的に例外的な存在になって行くんじゃないかなということも最近は感じています。
彼らは黎明期ならではの言わば「当たるも八卦」な監督で、一応の国際的地位を得た日本が今後わざわざ招く代表監督としては、どうしてもそれなりの名前や実績を携えたタイプにならざるを得ないでしょう。当然そういう人は基本的に上から物を言うでしょうし、なんだかんだと確立されたやり方にはめ込むことが中心になるでしょうし、オフトやトルシエのようにのんびり日本に馴染む暇も柔軟性も期待出来ないでしょう。

だからむしろジーコやオシム(ファルカンも一応そうか)のようなのが、そういう意味では標準で、現在感じているような違和感・距離感に、僕は慣れなくてはいけないのかなと思います。
今思うと幸せでしたねえ。オフトやトルシエのような、「友人」や「同志」と共に戦えた時代は。経験出来なかった人はご愁傷様。(笑)


話戻して「ネット」とそれによる全体的な民度の上昇に関しては、”不可避”と書きましたがさすがにオシムがそれを汲むことを期待するのは無理な注文です。これに関してはオフトもトルシエも、時代的な差で比較的問題化を逃れたという、そういう面の方が大きいと思います。
それは今後来るどのような外国人監督も基本的には同様で、彼らに「2ちゃんを読め」とはなかなか言えない(笑)。いや、見ないよりは見た方がいいだろうと真面目に思いますが。

日本人ならそろそろねらー監督が出て来てもおかしくはないですし、外国人でも世代的にはいずれそうした”空気”を背景にした人は出て来るかもしれません。
いずれにしても最近のJの日本人監督のとんちんかん度はかなり低く感じて(ウチのとかは除く)、”納得感のある運営”を期待するなら代表監督は日本人という考え方は当然あるでしょうね。必ずしもその為に代表はあるわけではないのでナンですが。でも何らか空気も読めないで「日本化」などと口にするのは、正直ちゃんちゃらおかしいと思います。まともに聞いてられません。

これらは要するにオシムが殊更「批評的」を売りにする監督だから出て来る問題で、彼のコーチングの腕やそれが日本代表にもたらすものとかとは、一応別です。でも尊敬されるのは監督の重要な資質ですからね。自ら口でミソつけてるようではなんだかなという感じです。


・・・・どうなんですかね?例えばカワブチが「新聞」の見出しを指差して、ほらこんなこと言われてるぞ、どうするんだ、何とかしろ。さもないと・・・・みたいなそういう戯画的直接的なアレとかが、ここまで露骨じゃなくてもあったりするんでしょうか。カワブチみたいな人が見ている「現実」や「メディア」というのがこういうレベルのものであろうというのには、それは特に異存ありませんから。
最後に残るのはこういう問題。それならまあ、オシムの空回りも理解は出来る。有効だとは思わないにしても。


今週のモーニング(’07.8.16)
2007年08月16日 (木) | 編集 |
mor070816

オフィシャル

J.B.アンテナで空気を読めない感じにならないように(笑)、さっさと書かないとね。
オシムの件も思ってるのは僕だけみたいですから、さっさと流し流しと。
とはいえこの企画自体もねえ、求められてるのかどうなのか。アンテナからは一応決まった数、人は来るんですが、単なる習慣かも。

それはそうと石屋製菓&コンサどうなるんでしょうね。”白い恋人”だけはマズかったよなあ。
そう言えばひんやりしてますね、今日は。(笑)


『特上カバチ!!』

親の権利がここまで大きいとは・・・・という驚きはともかくありますね、今回のエピソードは。
ならば少なくとも「筋論」としては、例えば”少年犯罪”みたいなのは本人への追及を厳しくする前に、親の責任がもっと法的に問われるべきという話になりそうですが。じゃないと権利は奪われているのに責任だけ問われるという、バランスを欠いた状態になってしまう。ま、民法と刑法の違いはありますが。
僕がそう思っているというより理屈の問題ですが、でも法律なんて所詮決め事なので、こういう辻褄あわせというか一貫性は凄く大事、というより”根拠”そのものとも言える部分が。じゃないとただの感情に任せたリンチになってしまう。

『バガボンド』

このエントリーの為に読み返して気付いたんですが、原作では実際には吉川英治は、「一乗寺下り松」は序盤しか描いてないんですよね。その後いきなり結構時間が飛んで、”改めて”あの時を振り返るみたいになっている。
だからここしばらくのは井上雄彦の独創なわけですが、うーむ、何が描きたかったのか。描きたいことがあった、というよりも、吉川英治が”避けた”描写に正面から取り組んでみたという、そういう性格のものと理解した方がいいんじゃないかと思います。一種の腕試しというか、個人的なチャレンジ。まあ『バガボンド』全体がそういう作品だとも言えるかも。成功した作家の個人的な趣向の実現。だから衝動で引っ張られるというより、ちんたら付き合っているような感じが強い。

「疲労の極限を超えたらぬたあぬたあと強くなりました」って、カンフー映画ですかみたいなところはありますが(笑)。どうにも素人の思い付きレベルで、こういうジャンルを愛している/通じている沢山の人たちの鑑賞に耐え得るものとは。
基本がリアリズムなわけで、マジかよという。「分かった」けど勝負としては「やられる」、疲労には勝てずに斬られるみたいな結末が用意されてるならともかく。

『GIANT KILLING』

おお、早速のご回答、ありがとうございます。(笑)
Q.「黒田」または黒田のようなタイプの選手、人格を、切り捨てるのか拾い上げるのか。
A.拾い上げる。必要としない監督なんているわけがない。
Q.拾い上げるのならどのように必要性があると性格付けるのか。
A.黒田みたいな闘志むき出しの選手は、相手にとって脅威に決まっている。

そもそもの
Q.”サッカーテニス”練習法の狙いは何か、何を測ったのか。
の方は、意味があるのは当然としても、まだ全貌は明らかになっていません。

『ディアズポリス』

うーん、”システマ”の描写はなかなか見事ですねえ。リアリティがあるし効きそう。
元々上手い人でしたっけ、気が付かなかったなあ。
ともかく今時これくらいはやらないと、ただの「精神論」なわけですよ、井上さん。

『はるか17』

日野自体はいいと思うんですけど、それでも結局はるかの恋愛エピソードは常に茶番、ままごとにしか見えないという。「作家」的洞察力が溢れている中で、突如出て来る作者「個人」の未熟ということなんだと思いますが。描けないこと以外は描けてるんですけどね。もどかしい。
まあ作品に変に「自分」なんか出すと下司に落ちるという、一般原理ではあります。

『誰も寝てはならぬ』

ははは、血筋を感じますね、桃子ちゃん。
なんていうか全体として非常に”女系”家族的な世界なのに、その中で男どもがむしろ生き生きと個性を発揮しているという。ちょっと『おお振り』にも通じる性の別の幸福に克服された世界。

『ライスショルダー』

てっへっへっ。なんかもう、棟方志功か南方熊楠かという(例示適当)、生命感溢れる、自由闊達な世界。堅実味と遊び・小ネタのバランスが最高というか。・・・・うーん、うまく言えん。
もっとウジウジキャラなのかと最初は思ってたんですけどね、おこめちゃん。こんなんでいいのかというくらい、快調過ぎるくらい快調。
”天海ルビー”さんはちょっと、永井豪先生の描く女戦士系のルックスですね。(笑)

『イカロスの山』

だあ。登れないと分かり切っているルートをあくまで真面目に登ろうとする塀内さん。
意地なのか勘違いなのか。まあ真面目なんでしょうね。
・・・・勿論靖子ネタの話です。こうやってここでボヤいてないと、こっちが持ちません。

『ブンむくれ』

ほんとやな奴コザカシ・・・じゃない、コザカイ先生。
これはダメ教師というよりも、嫌な性格を教師という職業により、うまく社会的に正当化しているクチですね。威張りたがりが警察官になるみたいなもので。そういう意味では本人にとってはむしろ”天職”。いずれは順調に出世して、どこぞの校長先生とか。
駄目な大人にあった時に子供は自責して潰されることが多いわけですが(ウン10年後かに初めて自分が悪かったわけではないと気が付く)、そういう時に力で勝てない子供が身を守る為に”軽蔑の自由”(つまり価値判断の自由)というのは重要だと思うんですが、この作者はそういう強硬手段は用いずに、上手く前向きというか本人に対する教訓も加えて、まとめて/救ってあります。
敵(コザカイ)を攻撃するのではなく、無視・無化するという方向性かな。前向きな機会として利用するというか。健全ですけどたまたま良いお父さんがいるから出来たことという気もします。子供の力だけでは、自責か萎縮にしかならない可能性が高い。
いいんですよ、馬鹿にしても。それで時を稼ぎつつ、克服・完全勝利の力を蓄える。

『ひまわりっ』

いやあ・・・・。
「あてもなく髪にコテを当てる日々にサヨナラだ」
「オーライ エビちゃん。エビちゃんの魂の叫び オーディエンスのハートにビンビン響いちゃったと思うよ」
「ボ・・・・ボタンは・・・・」
今週はいつにも増して、アンドいつもながら酷いですね。むしろ節子ネタはいらなかったようにも思います。じっくりモードでリアル合コンで悲哀を炙り出した方が。
僕は基本Sですが、東村先生にならいじめられてみたいような気がします。恐ろしく手際良くいじめてくれる気が。(笑)

『そこもまた魅力』

確かにバス買っちゃったらそれはそれで”魅力”かも。(笑)
そこまで行けば。


鳥栖戦(3rd)
2007年08月18日 (土) | 編集 |
早くも昔の話のような感じですが、一応書いときますか。

J2第32節 東京V ●1-3○ 鳥栖(鳥栖)


・なんか色々と、緩んでいるというか傷んでるというか、疲れてるというか。
・3バックの、機能性そのものというよりリフレッシュや緊張させる効果が。
・ていうかまあ、疲れてるのか、やっぱり。(笑)
・オートマティックに動けるチームじゃないから、それによって個々の積極性や判断力が厳しく問われて、それらの鈍りの影響がモロに。
・フッキ自身は孤軍奮闘に近い活躍ぶりですが、その”孤軍”と結局のところ誤魔化し誤魔化し合わせるしかない負担というのも、こういう時は殊更感じるもので。
・常に余計な神経を一つ使わなくてはならない。
・非常にヴェルディらしいというか、個力本位のチームならではの、単に”怠惰”というより”当惑”が大きな比重を占める「運動量」の低下。久々に見ました。
・総合判断は脳の負担が大きいんですよね。だから自動化・断片化で、それをサポートする必要があるわけですが。

・鳥栖のパスサッカーは去年後半のトップフォームを取り戻しつつ、それに余裕(慣れ?)を加えたような見事なもので。
・正直去年のアレは前・松本育夫監督の功績だと思っていた、”昇格””継承”する岸野監督は、似て非なる劣化版を作るくらいが関の山だろうと思っていたので、お見それしましたという感じです。
・開幕当初はほらなと思ってたんですけどね(笑)。ていうかそのままでいてくれた方が良かったんですけどね。
・1点目の藤田も2点目の金信泳も、共に期せずして「来ると信じて走った」というコメントが眩しいですが。
・信じてる、分かってるから走れるということで。
・まあ、言い尽くされてることですけどね。書いてて照れるのでやめときましょう。
・記憶が定かでないんですが、尹晶煥のようなタメやスローな要素、これが去年のヴァージョンの鳥栖にはまだうまく組み入れられてなかったもののような気がします。
・高地はウチのサテ在籍時から上げろ上げろと個人的には言っていましたが、でも鳥栖だから今日の姿があるんだろうなという気もします。
・とにかくJ2で戦っていると、日本人のほとんど契約とれるかどうかというクラスにさえ、普通にいい選手が結構いるというのがよく分かりますね。
・何とか力のある選手には満遍なく職場が与えられるようなリーグにと、何回目かの想い。
・草津の松浦も頑張れ。

・それが”3トップ”かはともかく、あるいは3か4かというほとんどイデオロギー闘争的なものとは別に、本当は全てのやり方の可能性、その時々のベストを求めて、システムの組替えという自由な選択肢の可能性は常に開かれているべきなんですけどね。
・ていうかフッキの飼い馴らしという宿題を含めて、少ないようでそうでもない残り試合に向けて、本当はもう一回、本格的に頭を絞らなくてはいけない時期に来ているような気はします。
・でもいっさい無駄・無謀だから、黙って今まで通り3バックの堅実さのみを手がかりに、1試合1試合誤魔化して行くしかないような気もします。
・ああ、ちなみに柔軟性とかポリバレントとか、そういう眠たい話をしているわけではありません。
・あくまでベスト/基本形を求める作業のことです。そのレベルの話です。
・残り試合数的には、もう一回ピークを作ればそれで十分っぽいですしね。

・とりあえず最近のフッキの動きを見ているとむしろトップ下的、エジムンド的な使い方の方が自然なのかなと少し。
・それはそれとして度重なる”先発”船越の不調が体調以外のものなら、そろそろスーパーサブに専任させた方が効果は確実なのではないかというのも。
・これまでのところ”2トップ”のフッキのフルタイムパートナーの可能性を示したのは船越のみだつたわけですが、ちなみに走るけどFWな斉藤と組ませてみたらどうなるのかなと。
・廣山よりFW、廣山よりアバウト(笑)な分、案外スッポリ収まるかもなと。
・まあ雑談です。正直まとまった展望が見える状態ではありません。
・腰の悪いらしいフッキが次(京都戦)いるかどうか知りませんが、とりあえずは3バックの守備力が健在なのかどうかをまず確認したい。


タイトル浮かばない
2007年08月19日 (日) | 編集 |
例の「オシムとメディアリテラシー」の話その後。
題材は一応僕のTBを承けて書かれた形の、酩酊さんの『代表なんて見なけりゃいいじゃん』

そもそも僕のあれは酩酊さんに向けて書いたものではない(コメント欄のやりとりがありそうでない、サンプルとして面白いものだったので紹介したかっただけ)ですし、酩酊さんのも言及部分について以外は僕に向けて書かれたものではない、もっと不特定多数に向けて元々書く予定だったのを僕がつついて(笑)早めたという性格のものだと思うので、スルーでもいいようなものなんですが。

それでもいくつか行きがかり上コメントしておきたい、その方が色々と視界が良くなるだろうと思われる点があるので、やっておきます。


(大きな問題)

>それ(メディア対応の拙さ)が何か問題なの?監督業と関係あるの?

監督業一般は置くとしても、(代表監督)”オシムの監督業”には関係があると思います。
なぜならオシム自身が、そういう日本のメディアやサッカー世論や民度の向上をライフワーク的に位置付けている、今回の自分の代表監督業の重要な一部として打ち出そうと意図的にやっているように見えるからです。

勿論これは全ての(代表)監督に多かれ少なかれ関わることで、例えばオフトは「個別の選手についてコメントしない」というポリシーを有言実行して、ともかく一つの見識を示しました(加茂も形としては同じ)。あるいはトルシエはもっと積極的にメディアを通した発言を利用して、特に協会との駆け引きや選手・ファンの教育・啓蒙をやろうとしたところがあったと思います。
ブラジル人2人は・・・・基本的に顔が本国の方しか向いてないのでよく分かりません。

オシムのやっていることも内容的にはトルシエとさして変わらないと思いますが、トルシエのそれがあくまで自分の代表運営を円滑にする為の方便というニュアンスの範囲に留まっている(大部分の監督はそうでしょう)のに対して、オシムにはそれ以上のもの、”使命感”とでも言うべき意気込みを僕は感じます。年齢的に最後の大仕事だと位置付けているのかなとか思いますが。

その意気込みに対してその効果や是非を自分なりに判断・反応するのは、むしろオシムに対する礼儀というか敬意の表し方だと思うのですがいかがでしょう。
・・・・まあ最初の(段落の)段階で「見えない」と言われてしまったら、この話はそれで終わりですが。


>私には理解不能なのだが、日本代表は「我々の代表」らしい。

うーん、難しく考え過ぎ、あるいは僕の知らない(笑)特定のタイプの”敵”との戦いに疲れ過ぎなんじゃないでしょうか。
各国の代表チームがそれぞれの国の(関心ある人々の)、「我々の代表」であるのは単なる定義でしょう。その内実は国情や時代状況によって様々だとしても。実際には代表チームが勝とうが負けようが、それによって直接の利害が生じるのはごく一部だとしても、これはそういう”態”のゲームです。ゲームのルールです。いかにそのルール下で有意義に遊ぶか、あるいは生きるか。
まあクラブチームでもそれは基本的に同じですね。

そういう緩い定義からすれば、代表が「我々の代表」であったとしても、そこから即ち、

>>代表を率いる監督も「我々」の代表でなくてはならない。
>>彼は「我々」のことをよく知り、その心が分かる人でなくてはならない。


ということにはなりませんね。これはより細目の、あるいはルールを元とした”ゲーム”の解釈・プレイスタイルの問題です。その一つです。
「代表への感情移入」という一事でもって、余りにも色んな人を一括りにし過ぎてるんじゃないでしょうか。

>>しかし「我々」っていったい誰だ?
>>そこにおいて「我々」は成立していない。
>>人々の多様性を考えると、否定的にならざるをえない。


だから「我々」は「我々」です。特に”成立”の要件はありません。むしろ”多様性”を緩く一括りにした(ここは括っていい。定義だから)ものが「我々」であって、否定の理由にはならないと思います。


(中くらいの問題)

>ただ単にオシムの物言いや立ち振る舞いが気に入らないというだけで、
>感情的にサッカーの内容にまで文句をつける輩が後を絶たない。


そうなんですか。幸いにして僕の生活圏には見当たりません。(笑)
2ちゃんですか?mixiですか?まあいいですけど。(笑)
ここらへんはターゲッティングというか、モチベーションの方向付けの問題ですが、後で書くようにそのレベルにいちいち反応するのは非生産的だと思うというのと、そこに怒っている最中だからこそ、逆にオシムの方の問題には目が行かないんじゃないかなという感じもします。言わば対立構造のステージの問題ですね。


>では、なぜ代表を見るのか
>>それは単純にオシムのサッカーが好きだから。
>>面白いからそれをより深く理解したいと思っているだけだ。


これは。個人のスタイルの問題として言っているなら構わないですが、上の「我々」性への極端な否定を念頭に置いて読むと、「こういう見方こそが正しい」と言っているようにも読めます。そうなんですか?
仮に酩酊さん個人の問題だと限定したとしても、ならば逆にそこまで言うならば、いっさいの「代表論」という切り口は封印する方がいいのではないかということになるかと思います。”たまたまオシムが監督に就任した1チーム”として、技術・戦術論のみを語る。『嫌なら見るな』という酩酊さん自身の煽り(笑)をそのまま援用すれば、『「代表」チームとしての関心が無いなら「代表」チームとしては語るな』という話。

ま、売り言葉に買い言葉というだけですが。
ただそれぞれのチームの存在意義に、一応の定義というか枠があるのは当たり前で、例えそれが『幻想に基づいた協会のドル箱・広告塔』であったとしても(笑)、ないよりはマシなわけです。定義を持つ気が無い人が持っている人に定義について議論を吹っかけるのは、最初から成立しない話のような気がしますが。
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京都戦(3rd)
2007年08月20日 (月) | 編集 |
まだだ、まだ終わらんよ。(by ディエゴ)

J2第33節 東京V △1-1△ 京都(国立)

・・・・いやあ、さすがに瞬間燃えましたわ。今年は万歳ポイントだけは沢山あるなあ。

ちなみにあのまま負けていた場合用のコピーは

ここですか?(to フッキ)

に決まっていました。(笑)
正確にはここ”で”ですか?、または今ですか?
このタイミングでついに封印していた得意技出されて、それで負けて数試合出場停止とかかまされたら、さすがに終戦の2文字が重くのしかかって来たところ。


さて試合。
色々他のチームの前節と今節を見比べたりとかしても、やっぱり極限的に暑かったようです前節は。だから鳥栖に負けていいということはないですが、負けて気も引き締めた今節京都戦は、少なくとも3バックヴェルディのスタンダードだけは回復していたようで、とりあえずひと安心。
・・・・ていうかなんで京都強いんだろうなあ、他のチームに。強いもんは仕方ないですが。直接対決の感じだけを基準にすると、個人的にここに昇格の席を奪われるのが一番納得行かないです。
割りと似たような体質のチームで、ヴェルディに組織力を2.5割増しして、そこからフッキを抜いてパウリーニョを足した感じ(?)。タイプが違えば諦めもつくんですけどね。

そんな両チームがぼちぼち攻め合ってぼちぼち守り合ってという、のどかな(?)45分を過ごした直後に起きたフッキのあの”何となくやっちゃいました”イエロー2発の退場劇。
「悪質」というのとは違うけど「言い訳の利かない」「不必要」なものなのは間違いなく、では怒り心頭に発したかというとそうでもない。要はいつも決めているスーパーゴールと基本的には同質の「なんじゃそりゃ」感で、しょうがないよ、フッキだもん。深い意味はないんだよ、どのみち。

ああいうシュートを決められたらいいなあと誰もが思うけど実際にはやらない(やれない)、ああいう風にボール蹴り出しちゃいたい気分になることあるよねやらないけど、あ、やっちゃうんだ、ああそう。
規律委員会もそこらへんを汲み取って、穏便に済ませてくれるといいんですけどね。(笑)
まあ腰を痛める前が余りにも絶好調だったので、さぞかし歯がゆい気分では元々いたんでしょう。


とにかくそうして一人少なくなったわけですが、だからといって別に追い詰められたとか京都の圧力が強くなったとかそういうことは特になくて、船越→斉藤への的を射た選手交代もさくさくと行なわれ、どっちかというと勝てそうな方が強い気分でいたところで失点。
真面目な話京都がヌルいせいというのはあったと思うんですけどね。守ると決めた時の今年の(3バックの)ウチの集中力はなかなかのものですから、最初は緊張していたもののこれといった圧も無くて少し惰性になったところに、その日いくつかあった京都の攻撃のいいやつの一つがすっぽりはまって来てしまった。決して”力尽きた”という感じではない。

失点時の徳重のマークの甘さは、気持ちが前に行っていたところに慌てて戻ったけど駄目だったという感じでしたが、正直僕もその時間帯はむしろどうやって点を取るかということの方を考えていたと思います。
なーんてことは負けたら何の言い訳にもならないことで、数的不利のタイスコア時に許されることではありませんが。ありがとう、ディエゴ、と、服部。・・・・と、ファールを流さなかった扇谷主審。(笑)

正直形は良かったですが、入ってからの怯えたようなプレーを見てると、飯尾の起点から流れの中で点が入る予感はほとんどしてなかったです、個人的には。
技術や基礎能力だけじゃFWは出来ないんですよね、かわいそうだけど。なんだかんだ国際レベルのFWにはなった柳沢って、実は上出来以上の凄い選手なんじゃないかなとか思ってしまいます。


その他個別の話。
この日も好クロス好キックを連発した服部ですが、開幕当初と比べるとバテるどころかむしろ良くなってますよね。これは多分、要するにリハビリ効果で、ジュビロの最後の数年間あまりコンスタントに(特にサイドでは)出場していなかったのが、ヴェルディで否応なくフル稼動する中で、試合体力プレー勘も戻って来たと、そういう面が大きいのではないかと思います。
勿論それを可能にしたのは元々の陸上選手並の基礎体力の高さと、稀なくらい確実にキャリアを通じてプレーの幅や内実を富ませて来た本人の努力の裏付けがあるわけですが。昔はヘボかったですからね、クロス(笑)。それがいつのまにかジュビロで直接フリーキックとかたまに決めるようにまでなって、練習したんだなあと思ってましたが。

”ユーティリティー”ですが”器用”ではないんですよね、実は。五輪代表でボランチ起用始められた時も、基本スッポンマーカーではありましたが、それにしても「バランス感覚」とか微塵も感じられなかったですから。あらゆることを、「学んで」来た人。
勘でやってるわけじゃないので、年取っても錆び付かないというそういう話。駄目になる時は死ぬ時ですね(笑)。殺さないように使いたい。

の、服部のいる左サイドはいいんですが、元々独走型の海本から相対的にコンビ/バランス型の藤田に代わった右サイドは、絶望的な孤立・過疎がより露わに。なんとういか、なぜトルシエが明神みたいな選手を右サイドで使ったのかが改めて体感的に分かるような(笑)、極端な(左)片翼状態になってしまっています。マジ絞ってスペースを埋めるくらいしかやることないですよ今ここ。
ちょっと前までこんなんじゃなかったんですけどねえ。あれだけ右に流れたがっていたフッキすらお見限り。やはり”ディエゴ・システム”から”ゼ・ルイスシステム”orアザーへの再建作業はまだ途中なんだなということを、再認識してしまいましたが。

とにかくせめてせっかくわざわざ使ってる(右利きの)大野くらい、意識的に右寄りで働かせるとかしないとどうもならないですね。土屋のオーバーラップとかが増えたところで。”使えない”藤田なんて久しぶりに見ました。藤田個人のせいじゃないですが。


フッキは何試合消えるのか、ゼ・ルイスはどれくらい稼動出来るのか。そう言えば萩村もいないぞと色々大変ですが、まあかつかつやっていきましょう。まずは負けないように。
書く前は元気だったんですけど、なんか書いてる内に暗くなって来てしまいました。(笑)
どんまいどんまい。


河野、飯尾ら、ヴェルディのちびっ子系選手
2007年08月22日 (水) | 編集 |
ちょっと変則ですが、京都戦のエントリーであまりにもバタバタと書き過ぎたので移転・加筆・修正。
・・・・それにしても妙に人が来ていて、所長さんの為の客寄せという本来の目的(笑)の為には更新の必要を感じないんですが、その沢山来てくれている人に二日連続空振りさせるのも失礼なのでこんなのでも書いておこうかと。今晩は当然書く暇無さそうですし。
オシム(のサッカー)についても書こう書こうと思っていることはあるんですけど、せっかくなら最新試合を見てからの方が。


まず河野について移転。

河野活躍!、は、いいんですけど、どうも見てると玉乃とダブって少し悲しい気持ちになるところがあります。ウチでモノになり切れなかったなあというのと、早熟の天才を謳われながら、ついぞ代表レベルの活躍の機会に恵まれなかったなあというのと。
実際問題河野にしろ今のウチだと、すばしっこいタイプの選手って使い所が難しいですよね。消費or消耗して終わりという感じが。まあ先の話ですが。
空母が無ければ活きない航空機の機動力、みたいな。廣山とかは補給も指揮も自分でやっちゃうタイプですけど。(笑)


それから飯尾について引用。

正直形は良かったですが、入ってからの怯えたようなプレーを見てると、飯尾の起点から流れの中で点が入る予感はほとんどしてなかったです、個人的には。
技術や基礎能力だけじゃFWは出来ないんですよね、かわいそうだけど。なんだかんだ国際レベルのFWにはなった柳沢って、実は上出来以上の凄い選手なんじゃないかなとか思ってしまいます。


今週のサカダイのインタビューで河野が「愛媛戦はピッチが広く感じた」と語っているのは、基本的には”気圧された”という自らの心理的な問題のことなんでしょうけど。
ただ多くの時期のヴェルディに、このテのすばしっこくて細かいプレーをする選手に「ピッチを広く」感じさせてしまう土壌はあるように思います。京都戦に限らず、藤田もよく感じていることでしょう。

つまり”細かい”あるいは”瞬間的な”プレーが効力を発揮するには、それ以前に大きい部分の作りをちゃんとして、状況を追い込んでおかないといけないわけで。ここまではやっておいた、さあ行って来いと。
いちから細かくてはすぐ躓いて、引っ掛かって、力尽きてしまいますから。文字通り「大勢」は大きく作るもの。

それは河野や玉乃で言えばドリブルや瞬間的な速さの稼動距離や位置の問題になるでしょうし、飯尾のチェイスやスペースメイク力、(ポストの)ポジショニング・センスの繊細さで言えば、それが時のチーム戦術と整合性があるかまともな関連性があるかという問題になるでしょう。豚に真珠というか。(笑)
要はたいていの場合ヴェルディは組織力がない、あるいはチーム作りが雑という言わずと知れた問題ですが。

思い付きですが割りと気に入っている例え(笑)をまた使うと、機動部隊運用の為の空母が足りないか適切に位置付けられていない艦隊のような。今年は特に突出した巨大戦艦が一隻いますけど(笑)。あらゆる作戦を無化する、設計思想自体が我が帝国海軍(?)のものとは根本的に異なる。
・・・・・まあラモスの場合は基本構造が大づかみ、パワー型という隠れた特徴もあるかと思いますが(悪いと言っているのではないです)。”出来不出来”とはまた別に。フッキもそうですが、それ以前に海本というのが象徴的な選手。藤田の押し並べての冷遇がその裏の面。大野もある意味の被害者。

基本的に大きく、はっきりプレーしないとウチでは難しいんですよね。あるいは全部自分で面倒見るか。


で、それはそれとして僕の再三の飯尾への厳しい視線には一つ理由があって、それはデビュー当時の飯尾はもっとちゃんとした”FW”だったからです。別にバシバシ点を取っていたということはないですが、基本的に”前へ””ゴールへ”向かう姿勢があった、”ゴール前”での存在感があった。河野じゃないですが『突貫小僧』的なそういう愛され方を、他サポも含めてされていました。
また今でこそサイドに流れたりスペースを作ったりという、ある意味で「ヴェルディらしくない」プレーが一番の特徴になっていますが、中央密集での凄まじく細かいワンツー・プレーでゴールに迫るような”ザ・ヴェルディ”なプレーを、総体として決していわゆるヴェルディ(というかヨミウリ)らしくはない、李さんのチームの中で披露したりしていました。

それが今日のようなプレイスタイルになったのは、直接的には元々体格的にかなり恵まれない方だったところに(それゆえもあって)数度の故障をして、接触プレーを避ける方に避ける方に意図的にか無意識にか流れて行ったという、そういう面が大きいのだとは思います。瞬発力自体は特に落ちているようには見えませんし。
まあ元々”ストライカー”ではなかったと思いますけどね。かなり神経質なメンタルも含めて。当時セットのように使われ、後に別の意味で(笑)大きく変わって行った桜井同様、李さんの指示、チーム構成の厳密さから、必然的にああいうシンプルさに特化したプレーが導かれていたというのもあったと思います。

ただ経緯はともあれ、余りにも、余りにも、ストライカーでない、FWでなくなってしまった。それこそユース代表時代不動の2トップを組んでいた、当時は双子のようなところもあった佐藤寿人のご存知のリアル・ストライカーへの成長・変貌ぶりなどと比べても、やはりちょっと残念な思いは拭えません。例え今もいいところがあるにしても、全体として「いい」という方向で語る気にはなかなかなれません。
仮にもFWをやってる限りはね。心が折れたままの選手、と映ります。

京都戦についても「ボールのないところ」や「ボールをもらう」プレーまではいいんですよね。確かに良く機能していました。でももらった瞬間から一気にトーンダウンする、「どうしよう」という不安な顔になる。やってやる、攻めてやるではなくて、「いかにこのプレー機会を大過無く終わらせるか」という、そういう発想が優勢になってしまうように見える。
なまじ頭の良い選手なのでね。色々考える、というのと、誤魔化しようを知っているというのと。

とにかく、今年限られたプレー機会の中で、チームの必要に応じて廣山があっという間に見せてくれた”ストライカー”的なプレーの進歩ぶりなどと比べても、もうちょっと何とかしなくちゃいけないんじゃないの?と思わざるを得ません。
点を取る取らないは結果ですが、何らか中央/ゴール前での存在感が無いというのは致命的でしょう。サイドも、CBも、それぞれしなくちゃいけない”勝負”というものがあるわけですよね。それを中心に、その他のプレーの肉付けをしていく。一方で”献身的な”運動量で鳴らす飯尾ですが、ある面では自分の都合だけでプレーしているところがある。厳しい言い方をすると。


ま、雑談です。(え?)
「駒」としては、そういう選手だと分かって使えばいいだけの話ですけどね。
でも体が動く内に、もう一度何か変わるのを見てみたいとは思います。このままじゃ寂し過ぎる。


U-22ホームベトナム戦(一応)
2007年08月23日 (木) | 編集 |
”公式戦”に敬意を表してこっちからにします。・・・・が、こ、これは。厳しい。

北京五輪最終予選 日本U-22 ○1-0● ベトナムU-22(国立)


「嫌だから見ない」
という選択の必然性が、すぐそこまで迫って来る。(笑)


目に見えるものだけで言えば、変わらず3-5-2で、平山の軸も不動で、家長が柏木に変わっただけで、そもそも何かが大きく変わると考えられる材料が見当たらないような気がしますが。「トップ下家長」自体が、元のチームを”変える”為に投入されたカンフル剤だったわけですし。
あれだけ悲愴感溢れる大騒ぎして、仮にも3つも準備試合があって、出て来た答えが結局これというのは自信があるのか発想がループしているのか。

まあ変えりゃあいいってもんでもないんですけどね、ただ例えば”企画”を”審査”される立場たる反町監督(実際そんな風に見える)が、馬鹿な想像ですが仮に事前にこの試合/この予選に向けての「企画会議」に出席していたとして、こんな企画を”プレゼン”しておいそれと通るとはとても思えませんが。(笑)
すいません、馬鹿なこと言って(笑)。でもどうにも不思議というかずっこけてしまったもので、単純に。思い切ったことを”試す”とすれば、逆にこの相手しかいなかったわけですしね。
また逆に前のやり方がこの相手に「通じた」として、それがその後の相手に通じる保証も何ら得られないわけですし。うーむ。

・・・・で、通じたんでしたっけ?


まあいいですよもう、このチーム自体は。何か一定レベル以上のものを見せて来るまで、むしろ放置するのが思いやりという感じ。無理にアングルを探しても。

あのですね。「嫌」だから、あるいは「嫌い」だからというのは「見ない」・・・・というより正確には「語らない」(「見る」だけなら誰にも影響無いわけですし)理由には必ずしもならないと思うんですよね。「嫌」だ「嫌い」だというのは立派な感想・反応ですし、「主張したいこと」の元にもなり得るわけで。ネガティヴではあっても。

では何がいけないか、黙するべきケースかというと、それは「興味がない」「見出せない」場合。余りにも知らない、知る気もない場合がこれに準ずる。
これはまた、スポーツに限らず企業的なタイプの”マスコミ””ジャーナリズム”の一番不愉快な部分、下種に感じる部分でもあります。自分の何らか個人的に思い入れのある対象に対して、何ら興味も見識も知識も無い人間に、「こういうことがありました」という以上の”コメント”をつけられる瞬間の不快感、殺意。『取材不足』みたいなものも、広い意味ではここに入るかも知れません。

ある自分も一家言あることについて誰かが自分とは全然違う、あるいは間違っていると思われる意見を述べているのを聞いた時、そりゃまあぶっちゃけ腹が立つことは少なくないですよ。実際には。人間だもの。(笑)
ただそれが何がしかその人なりの「意見」、個人的なコミットメントのあるものであるならば、腹は立っても怒っちゃいけない。少なくともすぐには。行為としては。大人だもの。(笑)

でもそれが「意見」以前だと感じた場合、てめえ要するに知らないだろ、興味ないだろ、言うてみい、俺の目を見て言うてみい?と感じた時は、これはもう、怒っていいんじゃないですかね。それ以上、その人の魂の堕落を進行させないためにも。(笑)
いや、まったく。興味がないことについて言葉を紡ぐと口が腐りますよ。魂が泣きますよ。それを聞くのも見るのもね。ああ、嫌なもん食った。


要するに、アングルが、興味を感じる/面白いと感じるポイントが探せるのなら、語る価値、資格は最低限あるんじゃないかという話ですけどね。

まあ出来れば好きなものについて語った方がベターだとは思います。ポジティヴな方が。
そして『ヴェルディ』なり『日本代表』なり、ぶっちゃけ名前くらいしか同一性が保証されていないような対象に「定点」的にへばりつくことによって、ネガティヴな、あるいは本当には興味の無い事柄について語る危険性や不健康がかなり増大するのは確かなことだと思います。

僕だって”サッカーブログ”というのを基本定義としていなければ、かなりの確率で褒める記事ばかりになると思いますし。それこそ”所長さん”みたいに(笑)。あれはむしろ、無理矢理褒めてるきらいすらありますが。(笑)
好きで語っているはずの「漫画」でも、”モーニング”という「定点」を持つことによって知らずネガティヴな内容が増えてますし。あるいはその時たまたま思い付きで書いた記事の方が、明らかに反応もフレッシュで好意的なようですし。(笑)

だからアングル以前に、語るべき”対象”自体をその都度「発見」して行くのがやはり理想なんでしょうけどね。ただそれだとなかなかベース/ペースが出来ないし、傑作を書くプレッシャーで(?)すぐ煮詰まるし。そうしてどれくらいの良サイトが消えたり更新不定になったりして来たか。(まあそれ以外の理由もあるでしょうが)

まあ「定点」だからこそ掘り出せるディテールがあるのも確かですしね。継続性自体が一種の目的、サッカーは(も)ブラッドロマンだ的な主張も出来なくはないと思いますし。
語るべき対象はあるか、語るべき対象なのかどうかなんてことをいちいち考えてると、実は「ない」んじゃないかという結論にどんどん、重力に引かれるように落ちて行く傾向もありますし。(笑)


ええ、何の話でしょう。まあだいたい分かりますね。(笑)
ともかく反町ジャパンを語るべき対象として認定するのは、現状非常に難しいということです。その前の山本ジャパンの時点で、既に「定点」性の力をかなり借りていましたし。そろそろ注射の効果が。燃料投下、お願いします。(笑)

念の為、以上全てこれを承けての話です。


今週のモーニング(’07.8.23)
2007年08月24日 (金) | 編集 |
mor070823

オフィシャル

カメルーン戦が待たれてるだろうなとは思いますが、既にかなり眠い状態なのでこっちで。
・・・・という扱いもなんだかなという感じですが(笑)、それでも書けるというのはある意味とても貴重な枠だよなと言い聞かせてみたりするてすと。ムニャムニャ。


『働きマン』

菅野美穂
は却下。理由、”元・巨乳”じゃないから。(勿論”現”も。)
まあそれ以外でも菅野美穂では原作のイメージを追う気がハナからないのは明らか(素直に追えば今なら篠原涼子?)ですが、偉大なる”マーケティング派”作家安野モヨコが、青年誌連載に当たって男性読者へのお愛想という意図なしに「元・巨乳」設定を入れているとはとても思えないので、その心意気(笑)に応える意味でも、ここは原作読者としてきっちり抗議の声は上げておきたいと思います。元・巨乳じゃない松方なんて松方じゃない。

まあドラマなんて見るのはどのみち女でしょうけどね。巨乳は置くとしても(笑)、メインの狙いは女性の共感ではあっても、それをいかに男性読者にもそっぽを向かれず描くかというバランスには結構作者は苦心しているところだと思うので、その意味でも別ものにはなりそうですね。
ま、みんなで幸せにお金が儲かればいいですねと、ドラマに関しては常にそれだけですが。
にしてもアニメはしょぼかったなあ・・・・。言葉にはなっていないけど、はっきり描かれていた原作の独特の空気感みたいなものが、きれいさっぱり抜け落ちていました。あれがあるから”働きマン”化に意味が出て来るんだと思うんですけどね。まあ初回しか見てませんが。

『ひまわりっ』

ああそうか、電源落としたのは別にハプニング狙いとかトチ狂ったんじゃなくて、(”フィーリング・カップル”の)ボタンを押させないという、合理的な理由(笑)がちゃんとあったのか。
だから「暗い」というのが予想外だった。凄いなこのディテール。悪魔的な冷静さ。友達になって下さい、東村先生。
「トン」はねえ、”行為”そのものというより、あの角度から見る女の子の頭頂部の吸引力というのが、確かに独特のものがあるんですよ。猫の脇腹か何かのように。それもあって男は一般に(自分より)背の低い女を求める?

『GIANT KILLING』

うーむ。ここまでかなあ。
DFラインの上げ下げとマインドの関係、”頭で思ってること”と”身体の反応”の違い、それなりによく説明されていると思いますが、そもそもの説明しようとしている内容、ディテール自体にこれといった面白味や新鮮味が無いので、おさらい的な感想しか持てない。
とてもとても、『おおきく振りかぶって』などのディテールのきらめきと比べるようなレベルには。
連載当初はもう少し期待してたんですけどね。

これはこの作品の問題というよりも、サッカー漫画というジャンル、あるいは現時点での日本人のサッカー理解そのものの限界という感じが凄くしますね。
僕はこれまでの半生のちょうど約半分、前半を野球、後半をサッカーに大きく思い入れしながら生きて来た日本人(笑)の1人ですが、例えば『おお振り』など数多ある優れた野球漫画を読んで、一つ一つに感心しつつも、ある意味では驚きは無いんですよ。作家の特別な目ではなくても、普通に野球はああいう魅力のあるスポーツだし、ああいう風に見えるスポーツなんです。それをうまく表現した人というだけ、ある意味では。
ところがそれらと引き合いにサッカー漫画の出来に不満を漏らしつつも、じゃあどうすればいいのか、何を描けばいいのかというのが、正直今は分からない。ただただ、「救世主」の到来を期待しているだけで(または新世代)。だから作家が悪いんじゃなくて、その母集団たる日本のサッカーファン/サッカー文化そのものの貧困・未熟の問題に思える。彼らの限界は僕らの限界。
サッカーそのものの表現しにくさという問題も確かにあるかと思いますが、それはまあ、もっと後かなと。

まあこの作品でも”ジーノ”の描き方とかはかなり魅力的に感じるので、この作者自身の向き不向きや能力もあるとは思いますけどね。この作品自体は、監督もサポーターも含めて、「全部を描く」という企画だろうと思いますけど。

『とりぱん』

へー、「息を吹きかける」かあ、やってみよう。
ちなみに猫限定の愛撫法としては、「撫でる」より「トントンと軽くハタく」方が漏れなく喜ばれます。・・・・ただし、胴体ですよ、それもどちらかというと後ろの方。顔・頭は駄目です。あとあんまりやると喜んで興奮して来て襲われます。(笑)

『モダンタイムス』

「シニタイヤツハシネ シニタイトキニシネ」。まさかTheピーズも、加藤課長みたいなタイプに喜ばれるとは思いもよらなかったでしょうね。彼どちらかというと『デブジャージ』タイプだし。
こんなのもありましたね。「危ねえのは君と僕かも知れないから 検査には行かねえ検査には行かねえ(行くもんか~)」。エイズの話ですけど。(”世紀末のうた”)
しかし何だこのリアルタイム同窓会小説は。楽しいけど。

『ヨロズ屋がゆく』

この人猫の絵うまいなあ。ラストコマの嫌がりつつ拒否はしない感じとか超リアル。

『そこもまた魅力』

本間さんと田中君。相変わらず目のつけどころが的確な梅吉さん。
ただしどちらかというと”無欲の勝利”みたいなタイプだと思うので、「的確」という表現ではちょっと硬い気もしますが。でもしょっちゅう「やられた~」と思わされます。
ちなみに本間さんも田中君もどっちも当然(?)苦手なタイプですが、どちらか選べと言われたら本間さんと友達になるかな。一応理屈が通じるし、攻め立てても周りに僕が悪者視されなさそうだから(笑)。田中君は2km先から見かけても逃げます。


・・・・お、目が覚めて来た。これなら0時の更新寝過ごす心配無さそうだ。(笑)


フル代表カメルーン戦
2007年08月25日 (土) | 編集 |
アジア杯の我慢大会の後での午後のおやつのような、いかにも優雅で淡白な試合で、二日経つとだいぶ印象が怪しくなったりはしていますが。

フル代表親善試合 日本 ○2-0● カメルーン(九州石油ドーム)


でもやっぱ楽しいなあ、アジア以外のチームとやるのは。サッカー(または国際試合)やってる感じがするなあ。
僕が代表ウォッチのモチベーションをなくすとすれば、時の日本代表がどうというより、『アジア』という主戦場への忍耐が切れた時でしょうね。(この話題しつこい?)
勝っても別に嬉しくないし、逆に負けてもあまり納得が行かない。やりがいがなくてプレッシャーだけがある。地獄じゃ。(それに比べればJ2は楽しい?)



この試合の”目玉”であろう前田、田中達也、大久保の3トップですが、アテネチームに心残りのあるムキ(かくいう僕も)からすると、この3人が元気に並んで、適材適所で一応の機能を見せているのを見るだけで感涙モノというか、軽くオシムを拝みたくなるんじゃないでしょうか。(笑)

当時もこの3人は山本五輪チームの常連ではありましたが、ついぞまともに噛み合うことはなく、特に前田遼一は僕の目には当時から既に「異能のポストプレイヤー」であることが最大の特徴であるように見えましたが、一度として機能したのを見たことがない「トップ下」で終始使われ続け、最後には戦力外的存在になってしまいました。

まあ体格的に頑強とは言い難い前田を第一義的に「ポストプレーヤー」として使うのは確かに難しいことで、どちらかというとこのタイミングであっさりとやってしまうオシムの方がさすがという感じはしますが。
でもせめて”FW”として考えてくれてればなあ。大久保を1トップで使うなんて無茶してる暇があるなら。


オシムの頭の中なんて僕には分かりませんが、ここにはオシムと山本のサッカー観の幅の差、特に”ポストプレー”というものに関する把握の差、イメージの差があるんだろうなと推測します。

僕自身のことを言うと当時、アテネ五輪前の’03~’04年というのは、お膝元ヴェルディにはエムボマがいて、またその少し前にはバルセロナのクライフェルトをまだ放映権を持っていた(涙)スカパーで通年でまじまじと見て、この2人によってちょうど”ポストプレー”というものの概念を大きく広げられたところでした。

広げられた、というのも甘いかも知れませんね。なんか別モノでしたこの2人のは。
来たボールを”落として”とりあえず陣地を確保するにとどまらず、いわゆる「ゲームメーカー」がするごとく、彼らのポストを経由することによって予想外の新たな展開が、新たなメッセージ性が、新たな命がボールに与えられる感覚。単なる敵中で身体を張る汚れ仕事と思われたポストプレーそのものがファンタジーになり得るという驚き。
一言で言えば、”ポストプレー”も立派な「パス」の一種で、それに相応しくヴァリエーションやニュアンスがあり、その為にはテクニックも必要だと言うことです。

こんなことはある種常識なのかもしれませんが、「オフトの高木琢也」以来、ろくなモデルを与えられて来なかった僕ら素人系ファンには結構なカルチャーショックに近いものがあったわけですよ。
現役J選手たちの大部分の、いかにも武骨なとりあえず”落とす”だけのポストプレーを見ていると、案外選手たちも良いモデルが欠落したままやってるんじゃないのかなという感じもします。

ともかく恐らくは世界的にもエムボマやクライフェルトというのは特別に近いレベルの選手でしょうから、すぐにあんなイメージを求めるのは夢物語だよな・・・・と思ったところにひょっこりいたのが前田遼一で。
さすがに前二人のような強さとかは求められませんが、”パス感覚のポストプレー”という意味では、多少の贔屓目も交えれば基本的に同次元のプレーを当時から彼はやっていたと思います。どこでそんなスタイルを身につけたのかは知りませんが。王様タイプにしてはたまたま体格に恵まれていた(180/80)選手がFWとして、ジュビロの筋金入りのパスサッカーの中でプレーする中で自然にそうなったのか。


・・・・書くことがあまりないとついつい思い出話が多くなります。(笑)
ちなみに基本的には「オフトの高木」的なイメージの範疇で、山本監督が軸不在のチームで頼ったはずの平山相太ですが、実際には非常に”パサー”的な繊細さも兼ね備えていた選手で、それが恐らく監督の意図をも越えて劇的に攻撃の連動性を改善して、何とかあのチームを持たしたと、そういう風に僕は認識しています。
次の大熊ユースチームの時には、なせが「オフトの高木」そのものに成り果てていましたけど。(笑)

とにかく山本のサッカー観・ポストプレー観の中では居場所が無かった前田のそれも、より広いオシムの見識の中なら当たり前のものとして存在出来ると、現実的選択肢の少なくとも一つとしてと、そういうことのように思います。
まあ当時の出たての前田と今のジュビロの押しも押されぬ前田とでは違いもあるかもしれませんが、でもアジア杯以降のどちらかというと疑いの目の多いような状況下で、”強豪”カメルーンを相手にいきなりこんなオールスター的な(笑)3トップを当たり前のようにぶつけて来るというのは、大胆というか基本イメージが高いというか、基準にしている現実が何か普通の日本人(監督)とは違うんだろうなという感じはやはりします。(言い換えると特に”大胆”だとは思っていない。リスクの査定も含めて経験に基づいたそれなりの成算がある)

というわけで「当たり前」の部分をあまりいじっても仕方がないんでしょうが・・・・。あ、待てよ。こういう考え方もあるか。
つまりこの試合、カメルーンという「アジアにはいないような(参考にならない)相手」(オシム)に対して、「守備ブロックの耐久力を試す」ことを大きなテーマにオシムは臨んだわけですよね。だから攻撃については実は”おまけ”的な部分もあって、アジア杯でのいわゆる”限界”という世論をむしろ追い風に、ついでだから新しい選手を多少軽薄な(笑)やり方で当たるも八卦でまとめて試してしまおうとした。そしたらカメルーンが元気が無かったこともあって、期待以上に上手く行ってしまってラッキーという、案外そういう試合かもなという。(笑)
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徳島戦(3rd)
2007年08月27日 (月) | 編集 |
フッキのいない試合。

J2第34節 東京V ○1-0● 徳島(国立)

または”J2”の試合。
でもいいの、勝ったから。勝ったよお。


・「フッキがいないと形にならないのは情けない」・・・・というのはなるほどもっともなんですが。
・正直「フッキがいない」という状態に体が慣れるのに、1試合や2試合では足りないです。(笑)
・重しが取れてもしばらく何していいかよく分からない。
・前回のフッキレス試合初戦と比べれば、廣山が船越に変わった分、形らしきもの、形のイメージみたいなものくらいは存在していましたが。
・(船越という)”壁”がある分、ディエゴも多少は気楽そうでしたし。
・ただいずれにしても、本気で形にしようというまでの気迫は。なかなか。
・所詮戻れば全く別のチームになるのが分かり切っているわけで。
・監督によってはむしろチャンスと、ディエゴのトップやゼ・ルイス(他)のトップ下をフルタイムで試したりするところでしょうけどね。増して名波を使う予定があるのなら。
・そしてあわよくば脱・フッキを図る。
・まあ今更無いものねだりはしませんが。
・そうそう、フッキがいないせいか、久しぶりにディエゴも割りと右もちゃんと見て、ボールを出していましたね。

・ここに来て斉藤の存在感が俄然増しているのは、嬉しい誤算というかさすがの選手層というか。
・ただし斉藤はどちらかというと「発掘した」選手で、決して「買い漁った」選手ではないので、その分も嬉しいというか気分が盛り上がるというか。
・これで斉藤・フッキという言わば「最後の組み合わせ」(笑)が期待通りにピタッとはまってくれたりすると、「パンドラの箱の底には”希望”が残っていました」みたいな素敵なお伽話なんですけどね。(笑)
・一方の飯尾の例の”宇宙開発”の瞬間に、多くの人が感じたろうシュートの意欲・心の準備の不足についてはまあ、もう書いたからいいですが。
・正直あのワンプレーだけで次使う気が・・・・いや、だから、まあ。
・今季終了後の平本と飯尾の処遇・進退は、今から少しどきどきします。
・この2人、あまり誉めた記憶がありませんが(笑)、やっぱり完全に籍が抜けたら脱力感はあるでしょうね。
・その前にヴェルディ本体ですが。

・一回追い付かれたら取り返す自信はありませんでしたが、まあ勝つだろうとは思って見てましたよ。
・徳島の攻撃の余りなJ2クオリティ。
・羽地が抜けた分は普通に迫力の不足として感じられましたが。
・長谷川太郎はいい選手ですし、瞬間的にはいい動きしてましたが、今だ衰運を引きずってるような感じでしたし。
・一時ほんと凄かったですけどね。
・中島裕希(仙台)も今の内に一回くらい、代表に呼んでやれないものか。
・まあ田中達也が戻っちゃったんで、タイミング的にはあれですが。


・なんかこう、なるようになるという変に気楽な気分になりつつあります。(笑)
・まだ第3クールなんですよね、そう言えば。
上2つはなんか堅そうですが、一度でも3位にランクインすればまた緊張して来るのかな。


今号のイブニング(’07.8.28)
2007年08月28日 (火) | 編集 |
eve070828

オフィシャル

イブニングが出るということは第4週目ということで、8月も終わりですね。
エアコンではなくて網戸からの夜風で涼めるようになると最高で、ここから開けてられなくなる11月の途中くらいまでが好きな季節。
大学生の頃は平気で11月にTシャツ1枚で歩き回っていたものですが、さすがに年取ると後が怖いからやらない。(笑)

『ロッキー』と『のこりび』をリストラして、イブニングも衣替えの季節?


『GOLD DASH』

いつのまにかすっかり楽しみな作品に。
ゼッケン渡す係のお姉さんまでヤンキー髪型なのはいかがなものかと思いますが(笑)、狭いなりに嘘のない、安定した&善良な情緒の世界が心地良い。
このままトントンとストレスなくお伽話的に進んでもいいかという気分ですが、やはりこの先は山あり谷ありなんでしょうね。でもそんなに嫌な話にはならない、嫌な人は出て来ないような気がします。
ある意味心配(笑)した「巨乳」と「ランナー」の相乗効果は、意外と控え目というか自然な感じで流されていますね。あくまで「脂肪」と「筋肉」でしかないというか。

『ヤング島耕作』

新登場の”綿貫さん”は、大別すればやはり「ツリ目」ではありますが、割りと柔らかいというか中間的というか、この人にしては珍しいタイプの顔。少しかわいい。
・・・・それだけです。(笑)

『ハタキ』

それなりに実績のある人(野中英次)なので期待してはいますが、2話連続新連載の初回は微妙。
あんまり力が入ってるようには。
とりあえず”ストーリー漫画”なんでしょうか(笑)。「ハタキ」が成長して口を利いたり?
お馴染みの”上向き横顔”の羅列も、そろそろ画力向上して欲しいような気になって来ました。

『K2』

えっ・・・・。病気治ってもフォーク落ちるの?説明は?
ジレンマの処理に注目した僕の立場は?

『食いタン』

先週のBS2「マンガノゲンバ」に出て来た寺沢大介さんは、ある意味予想通りですがとても理知的というか意識的というか確信犯で、”料理漫画”というジャンルに対する思い切った見切りのもとに、あえてあの身も蓋も無い大仰なリアクションを登場人物にとらせているということでした。
一種の様式化ですね、島本和彦さんの”熱情”や”圧”みたいなものとはむしろ真逆。効果としては似たようなものになってますけど。漫画は漫画だよと、カッコつけてもしょうがないよと。
ちなみに「『食いタン』はほとんど料理漫画とは言い難い」と作者の弁。逆に言うと料理漫画そのものにはもうあまり興味がないというか、限界を感じているというか。・・・・どっちかというと”大食い漫画”ですかね。(笑)

『少女ファイト』

実は主人公(または最も興味深い人物)は小田切のような気が。次がシゲル。
練はなんか、プレーヤーとしては魅力的だけど、基本的にはいい気なもんというか、ぐだぐだニュータイプというか。(笑)
どのみち”バレーボール”そのものをハードに追ってナンボだと思います、この作品は。新たな超絶プレーヤー(由良木姉)の登場には期待。・・・・にしてもなんかとっ散らかってるなあ。
ちなみに日本橋さん自身のパーソナリティは、割りと小田切に重なります。地味で冴えないけど優れた洞察力で、かっこいい友人たちを心から応援しながら見守る感じ。(そして漫画に描く。)

『まんがバカ幸福論』

なるほど、この程度のストック/リソースしか持っていない漫画家に対してなら、上からガンガン行くしか扱いようがないか。ならば逆になぜそんな奴に描かせるのかという感じもしますが、それでも才能は才能ということなのかな。あるいは「編集・批評の才能と創作の才能は全く別もの」というか。
女の子が裸に見えないのは絵が下手なのか(店側の?)狙いなのか。それにしてもここまでの初心者なら、むしろ”擬似恋愛”度の高いイメクラ/ヘルスの方がいいように思うんですが、これは編集者の趣味か?(笑)
「そりゃキスは勃ちますよ」は確かに”いいネーム”。

『ZOOKEEPER』

「私 この仕事好きだ」
「一生向かいあうものを見つけた人間を しがらみで繋ぐような真似はすまい」

久しぶりの名セリフ。
特に後者について。仮に”家族”が「帰るべき場所」であるなら、そう自負するなら、逆に言えば「帰る」必要もない時に帰ることを求めるのはおかしい。一生帰って来ないくらいでちょうどいい。そしてもし帰って来たなら、それが10年ぶりだろうと20年ぶりだろうと、当たり前のように迎えればいい。不義理・不人情を責めるなんてとんでもない。
これは”恋人”や”友人”でも同じですね。「追う」というのは結局相手を認めていないということです。自分から離れる自由も、行った先で”間違い”を犯す自由も、相手を認めるのなら認めなくてはならない。
・・・・まあどのみち「愛」と「敬意」(尊重)というのは別のもの、ほとんど対立する事柄で、それが何となく「良いもの」として一緒くたにされているというのが根本的な問題なんですが。
ちなみにこの二つがあまり矛盾しないのが動物との関係、動物に対して抱く感情の面白いところ。根本的にどうもならんですからね、アイツらは。”認める”以外に付き合いようがない。でも同時にはかなく弱い。


今週のモーニング(’07.8.30)(と横浜FC)
2007年08月30日 (木) | 編集 |
mor070830

オフィシャル

言ったそばから涼しくはなって来たんですけど、まだ湿気がきついので網戸ナイトライフは本格稼動出来ません。
網戸からの夜風が気持ちいいと、それだけで「ガアーッ」と声を上げそうになってしまうくらい(慌てて抑えます)、僕の幸福感の要求水準は低いというか、猫仕様というか。(笑)

”ブラジル流”と聞いただけでアイタタタという感じの横浜FCの新監督ですが、ながらで見た清水戦は思ったほどは酷くなかったような。それなりに(今までにない)活発さは見えていた。カズも元気でしたし。お散歩とか、サンバとか、上っ調子な精神主義がちょっとエスピノーザを思い出させたりもしますが。(笑)
もっと残り試合があればそれなりのものを見せられるのかも知れないなとも思いますが、本気で残留出来るとは誰も考えてはいないんだろうなというのも少し。
にしてもこのごに及んで平本離脱ですか。気の毒に(横浜がね)。・・・・で、アツは?

でも新監督もそれなりに有名人らしいし、補強費とかってどっからかは出て来るものなんですねえ、単純に不思議。後が怖いという感じもしますが。(笑)


『へうげもの』

「あなたのなさってることはわびではございません」(「過ぎたるはなお及ばざるが如し」)
どこまで行くの?という感じでずーっと来てましたが、存外に常識的な着地点で。
どのみち本来”競う”ようなものとも思えないので、古織のシャニムニ感はいっそ気持ちいいように思うというか、広げた風呂敷に何も包まずに畳まれてしまったような気持ちの悪さも少し。
とりあえず利休の、悪いわけではないんだけれど、存在自体か鬱陶しい感じ、なるほどこれはいずれ(秀吉に)殺されるわけだなという部分は、うまく&ねっとりと表現されている気がします。

『きのう何食べた?』

お久しぶり。やはり至福。
少なくないモーニング読者がこれに激しい拒否反応を起こすらしいことについて何か書こうとずっと思っていましたが、再会の喜びが勝ち過ぎてるのでまた気が向いたら。・・・・まあごくごく簡単に言ってしまえば、『スプリンガルド』が人気あるらしいことの裏っ返しでしょうけどね。
ごった煮が持ち味のモーニングですが、そろそろあまりにも「読者像」というのが見えなくなりつつあるかも。逆に問答無用に「クオリティ」だけで引っ張り続けるのは、凄いと言えば凄いですが。
個人的にはモーニングとモーニング2の中間くらいの雑誌があったら一番いいかな。

今回のハイライトは「ガウーン」という謎の擬音(?)と、そのガウンの持ち主のあっさり書かれてあるすね毛の脱力感。スプリンガルド好きの坊やたちとは違って、この人はもう何も恐れていないんですよ。世界から”ハネ”て逃げる必要を感じていない。(お、うまくまとまった?・笑)

『GIANT KILLING』

ラーメン屋の”切り替え”話が激しく萎え。株暴落中?
こうなって来ると「サッカー漫画」というより作者個人の質の問題がクローズアップされて、逆に慰められる?(笑)

『ひまわりっ』

おお、我が生きる糧。(笑)
「何の才能もないのによくここまで長い文章を」
「いろんなバンドの影響受けすぎさあ」
相変わらず本音というか、”真理”の置き所が絶妙ですが、それ以前にちょっとエリカちゃんの受け止め方が変かも(笑)。「何かイメージ違うさあ・・・・」。”何か”ってレベルか?
一応かわいいのになあ。ていうか、今に登場人物に刺されますよ?東村先生。(笑)

『ライスショルダー』

タイトルページ欄外の”おおきく振りかぶって・・・・・・”に吹きました。
「にーーー」を筆頭に、「ビバッ」「ボフンボフン」「パグッ」とか(パンチの擬音)、「ドブーン」「ズブーン」(空振りの音)とか、あと「帰ってこいおこめ!!(ごさごさ)」とか、感覚的な表現がいちいち秀逸。歌詞もこういう感じで書くべきなんだよ?エリカちゃん。(漫画違う)

『N’s あおい』

「家庭内暴力」の原因は「家庭」に、「校内暴力」の原因は「学校」の存在そのものにあるんですよね。突き詰めれば。
それらの制度化された社会的「強制収容」形態によって、生物的な”適距離”や”個人空間”を恒常的に侵犯された個体の怒り反撃の表現。つまり・・・・そうした暴力の『加害者』を突き動かしているのも実は『被害者感情』で、「よくもよくも、俺の自由を、プライバシーを、尊厳を!」という「復讐」を(仮に標的は的外れでも)彼/彼女は行なっている。
・・・・ところもある。

脅すのとなだめすかす/泣き落とすのは、しばしばセットで行なわれますが、これは「計算されたテクニック」というよりは単に同質の行動、同質のメンタリティから来る行動なんですよね。根本は一つ、「相手の意思/自発性を尊重しない」ということ。別な言い方をすれば「望みの行動/反応を引出す」という一点でしか相手に関心を持っていないということ。
”愛”と称されている感情・行動の中核は大部分これだと思いますが。期待で人を見てはいけないんですよね。難しいですけど。

『モダンタイムス』

”これはもうすでに占いではない”。そうかも。絶対。
井坂好太郎か。うおお、来週面白そうだなあ。絶対。