2008年07月08日 (火) | 編集 |
今月のスカパー無料開放デーの収穫。今ならニコ動にも上がっています。
「第1話:作られた天才」「第2話:偶発的な天才」「第3話:生まれながらの天才」の3部構成ですが(番組公式)、特に興味を引かれたのが第1話の史上初のチェスの女性”グランドマスター”の脳の研究の話。
と言って別に”女性”であるとか(男性脳と女性脳)”作られた”天才であるとか、番組の本題とは直接関係無くて、ただひたすら彼女の(チェスをする上での)思考の実態とその解明された生理学的機構のディテールの話が、非常にインスパイアされるものだったということです。
以下なるべく長くならないように。(笑)
前提1:究極的には全て直観である。
これは実際に、彼女やそれ以外のチェスマスターたちの証言で、彼らは無限に近いチェスの”手”の可能性の中から「正着」を導き出す作業を、論理的に順序だって”考え”るのではなく、直観で(瞬時に)導き出しているということ。これはレベルが高ければ高いほどそう。
よく知りませんが、どうもチェスは日本の将棋に比べて、競技形態として「早指し」の重要性が高いようなので、特にそういう面が強調されるのかもしれません。
また番組では、「各界のマスタークラス」の一例として、これまた毛色の変わったところで(笑)消防士の”思考”を取り上げていて興味深かったですが、そこで語られていたのは一つは
直観で瞬時に適切な消火法を導き出さないと、間に合わない。
と、これはまあ当然ですが、面白かったのは次の
理屈で”考え”た消火法では、その方法の適切度という意味でも、直観より遥かに落ちる。
という話。・・・・聞いてるかい?日本のFWたち?(笑)
前提2:”紡錘状顔領域”
これは文字通りに、人が他者の”顔”の認知を行う時に働く、脳内の”紡錘状”の”領域”のこと。
これまでの研究で分かっているのは、この領域が顔の認知を、よく科学捜査系のドラマで出て来る(笑)警察のコンピュータの顔認知ソフトがやるように、いくつかの特徴点を元にデータベースを機械的網羅的に全検索して、一致するものを導き出すという地道な作業とほぼ同じことを、実際にやっているということ。(時間的には約0.1秒)
なるほど脳はコンピータ。それはともかく。ここまで前フリ。
検証:チェスマスターの脳の働きと、”紡錘状顔領域”
さて本題ですが、問題の女性チェスマスターにMRIに入ってもらい、映像上のチェス盤でチェスをやっ(たつもりになっ)てもらい、その時の脳の働き(活性化部位)をモニターしてみたところ・・・・。
何とその”紡錘状顔領域”が(顔の認知の時と同様に)、非常に活発に活動していることが分かったんですね。それがどういうことかと言いますと。
詳細は省きますが番組の説明はこう。
ゲームの時は”直観”の赴くままに突っ走る彼女ですが、幼少時からの父親の英才教育(と本人の自発的努力)で、10万というオーダーの過去の棋譜(って言うのかな?)がしっかり記憶されていて、基盤となっている。
そしてその「データベース」から、目の前の局面に対応・合致する戦略戦術の「検索」作業を、彼女の”紡錘状顔領域”は行っていて、その間約0.4秒(かな、違うかも)。・・・・ともかく人の顔の認知と大差ないスピード。
ただしこの過程を、彼女は「意識」はしない。自分でうーんうーんと過去の棋譜を想起して、照らし合わせたりはしない。それで戦略や正着を考えたりはしない。それでは遅過ぎるし、無理だし、多分決められない。
で、「直観」なわけですね。あたかも陽の目を見ない脳の地道な作業(笑)の成果を、ひょいと横取りするように答えだけを一発で拾い上げて提示する。
・・・・ここまで書いて思い出しましたが、これひょっとしてあれか。
いやちょっと前にナガラ見していたNHK『爆問学問』で、とある日本人の情報科学の先生が、「最近の研究によると、人間の『直観』は、予め脳が用意した限られた中から選んでいることが分かって来た」(だから別に「神秘的」なものでも単なる「恣意」でもない)ということを言っていまして、これが実はここ数年の僕の、それこそ直観(笑)と非常に合致していて、結構興奮したんですね。
で、もっとよく知りたいと思ったんですがその先生も伝聞的に引いて言っていただけで自分の研究じゃないので、グーグル程度では手がかり不足で結局分からなくて悶々としていたんです。
これか。これだな?多分。少なくとも関連した研究でしょう。いやあ、すっきりした。
話戻して結局直観とは何か、または脳と直観はどういう関係にあるかですが。
彼女の例から見える構図としては、
「脳が”考えた”こと」を「直観」が表現する。or「脳が考えた」結果が、「直観」として表現される。
これは言い方/見方を変えると
「脳≒無意識の作業の結果」が、「直観」として意識にもたらされる/「直観」として意識化される。
ということになるかと。
直観がひと足飛びに”答え”だけをもたらす神秘的なものに感じられるのは、その前の思考・演算過程の方は意識されないから。
更にこの構造の範囲で、「直観とは何か」を定義してみると、要するにそれは、「情報の(一)形式である」ということになるかと思います。
意識されない脳の膨大な思考・演算過程を集約する、あるいは脳の”思考”の「結果」を集約して意識に伝える情報(伝達)の形式。
この「形式」という意味をよりはっきりさせるように試みてみると、例えばコンピータ/プログラミング言語、例えば(高等)数学の数式、それらはれっきとした「言語」であり、一定の意味内容と利用可能性を確かに持った、「情報」の形式なわけです。
しかし、それらを理解・利用するには特殊な訓練と知識が必要で、大多数の人にとっては、そのままでは事実上意味不明で利用価値が無いか、あるいは面倒でかさばるだけで、実用性の低い「情報」の形式なわけです。
だからそれを一般的な認識・理解、利用の可能な形式の情報に変換する必要があるわけで、また脳が一種のコンピュータであることを考えれば、上の比喩は比喩であって比喩でないわけですが、つまり
そうして変換された、利用可能な情報の形式が「直観」である。
か、あるいは
意識に利用可能な形式に、情報を変換する機能が「直観」である。
か。
この二つは論理的には別のことなのですが、僕にも現状どちらとも言えないというのと、「直観」という言葉の(僕が認識している)受容されている用法の範囲に、それぞれそれなりに収まるように思えるので、今はこのままにしておきます。
(補)思考と直観
ここまでは基本的に、思考と直観を対立的に位置付けながら書いて来たわけです。しかし実際のプロセスとしては、この二つは切り離せるものではないんですよね。
つまり「直観」で正着を選ぶチェスマスターが、思考放棄してぼんやり神のお告げを待っているのかと言うと勿論そんなことはなくて(笑)、意識的にやろうとしている行為は、必死に正着を探す思考の努力そのものであり、しかしただその内容が明示的にはならず、答え・結論だけの「直観」としてのみ、示されるということで。
あるいは同じことですが逆方向から言うと、直観もしくは当面証明/説明する気も当てもない、直観的思考を懸命に働かせている時、その影で僕の与り知らない何かの「作業」「過程」が、猛烈な勢いで回転・進行しているのを、確かに感じます。・・・・まあこれは個人差があるまたは(そういう内観の)経験の無い人には、分かりづらい話でしょうが。
その時翻って直観が何をしているかと言うと、そうした見えない「作業」を集約しているか、または方向付けている、そういう感じ。作業が迷走しないように駆り立てつつ、かつ現場に直接口を出して混乱させないように(笑)。上の者は上の者としての職務に専念する。
ちなみになぜあれこれ下手に考えるより直観に従うのが正解の近道(消防士の例)かというと、要はそういう意味での”考え”は、既に脳≒無意識というスペシャリストのスーパーコンヒュータがやり尽くしてくれているので、後はそれに従うかそれが提供してくれている選択肢を選ぶなり運用するなりすればいいので、そこに更に素人考えで(笑)半端な計算理性を介入させるのは、時間の無駄という以上に害悪、逆戻り/劣化だからですね。
・・・・と、ここまでが番組の内容(とその元になった研究)から直接的に書けること。
ただこれだけでは多分抜け落ちて納得できない部分が残るだろうと思います。
僕なりに整理すると、それは
・直観と意識の関係
・直観と言語の関係
・いわゆる「論理的思考」の立場は?
というあたり。
実はこれについては過去に散発的にかつ長々とさる箇所で書いているので(心当たりのある人もいるでしょう(笑))、それを再確認する形で、次に少しまとめて書いてみようと思います。
「第1話:作られた天才」「第2話:偶発的な天才」「第3話:生まれながらの天才」の3部構成ですが(番組公式)、特に興味を引かれたのが第1話の史上初のチェスの女性”グランドマスター”の脳の研究の話。
と言って別に”女性”であるとか(男性脳と女性脳)”作られた”天才であるとか、番組の本題とは直接関係無くて、ただひたすら彼女の(チェスをする上での)思考の実態とその解明された生理学的機構のディテールの話が、非常にインスパイアされるものだったということです。
以下なるべく長くならないように。(笑)
前提1:究極的には全て直観である。
これは実際に、彼女やそれ以外のチェスマスターたちの証言で、彼らは無限に近いチェスの”手”の可能性の中から「正着」を導き出す作業を、論理的に順序だって”考え”るのではなく、直観で(瞬時に)導き出しているということ。これはレベルが高ければ高いほどそう。
よく知りませんが、どうもチェスは日本の将棋に比べて、競技形態として「早指し」の重要性が高いようなので、特にそういう面が強調されるのかもしれません。
また番組では、「各界のマスタークラス」の一例として、これまた毛色の変わったところで(笑)消防士の”思考”を取り上げていて興味深かったですが、そこで語られていたのは一つは
直観で瞬時に適切な消火法を導き出さないと、間に合わない。
と、これはまあ当然ですが、面白かったのは次の
理屈で”考え”た消火法では、その方法の適切度という意味でも、直観より遥かに落ちる。
という話。・・・・聞いてるかい?日本のFWたち?(笑)
前提2:”紡錘状顔領域”
これは文字通りに、人が他者の”顔”の認知を行う時に働く、脳内の”紡錘状”の”領域”のこと。
これまでの研究で分かっているのは、この領域が顔の認知を、よく科学捜査系のドラマで出て来る(笑)警察のコンピュータの顔認知ソフトがやるように、いくつかの特徴点を元にデータベースを機械的網羅的に全検索して、一致するものを導き出すという地道な作業とほぼ同じことを、実際にやっているということ。(時間的には約0.1秒)
なるほど脳はコンピータ。それはともかく。ここまで前フリ。
検証:チェスマスターの脳の働きと、”紡錘状顔領域”
さて本題ですが、問題の女性チェスマスターにMRIに入ってもらい、映像上のチェス盤でチェスをやっ(たつもりになっ)てもらい、その時の脳の働き(活性化部位)をモニターしてみたところ・・・・。
何とその”紡錘状顔領域”が(顔の認知の時と同様に)、非常に活発に活動していることが分かったんですね。それがどういうことかと言いますと。
詳細は省きますが番組の説明はこう。
ゲームの時は”直観”の赴くままに突っ走る彼女ですが、幼少時からの父親の英才教育(と本人の自発的努力)で、10万というオーダーの過去の棋譜(って言うのかな?)がしっかり記憶されていて、基盤となっている。
そしてその「データベース」から、目の前の局面に対応・合致する戦略戦術の「検索」作業を、彼女の”紡錘状顔領域”は行っていて、その間約0.4秒(かな、違うかも)。・・・・ともかく人の顔の認知と大差ないスピード。
ただしこの過程を、彼女は「意識」はしない。自分でうーんうーんと過去の棋譜を想起して、照らし合わせたりはしない。それで戦略や正着を考えたりはしない。それでは遅過ぎるし、無理だし、多分決められない。
で、「直観」なわけですね。あたかも陽の目を見ない脳の地道な作業(笑)の成果を、ひょいと横取りするように答えだけを一発で拾い上げて提示する。
・・・・ここまで書いて思い出しましたが、これひょっとしてあれか。
いやちょっと前にナガラ見していたNHK『爆問学問』で、とある日本人の情報科学の先生が、「最近の研究によると、人間の『直観』は、予め脳が用意した限られた中から選んでいることが分かって来た」(だから別に「神秘的」なものでも単なる「恣意」でもない)ということを言っていまして、これが実はここ数年の僕の、それこそ直観(笑)と非常に合致していて、結構興奮したんですね。
で、もっとよく知りたいと思ったんですがその先生も伝聞的に引いて言っていただけで自分の研究じゃないので、グーグル程度では手がかり不足で結局分からなくて悶々としていたんです。
これか。これだな?多分。少なくとも関連した研究でしょう。いやあ、すっきりした。
話戻して結局直観とは何か、または脳と直観はどういう関係にあるかですが。
彼女の例から見える構図としては、
「脳が”考えた”こと」を「直観」が表現する。or「脳が考えた」結果が、「直観」として表現される。
これは言い方/見方を変えると
「脳≒無意識の作業の結果」が、「直観」として意識にもたらされる/「直観」として意識化される。
ということになるかと。
直観がひと足飛びに”答え”だけをもたらす神秘的なものに感じられるのは、その前の思考・演算過程の方は意識されないから。
更にこの構造の範囲で、「直観とは何か」を定義してみると、要するにそれは、「情報の(一)形式である」ということになるかと思います。
意識されない脳の膨大な思考・演算過程を集約する、あるいは脳の”思考”の「結果」を集約して意識に伝える情報(伝達)の形式。
この「形式」という意味をよりはっきりさせるように試みてみると、例えばコンピータ/プログラミング言語、例えば(高等)数学の数式、それらはれっきとした「言語」であり、一定の意味内容と利用可能性を確かに持った、「情報」の形式なわけです。
しかし、それらを理解・利用するには特殊な訓練と知識が必要で、大多数の人にとっては、そのままでは事実上意味不明で利用価値が無いか、あるいは面倒でかさばるだけで、実用性の低い「情報」の形式なわけです。
だからそれを一般的な認識・理解、利用の可能な形式の情報に変換する必要があるわけで、また脳が一種のコンピュータであることを考えれば、上の比喩は比喩であって比喩でないわけですが、つまり
そうして変換された、利用可能な情報の形式が「直観」である。
か、あるいは
意識に利用可能な形式に、情報を変換する機能が「直観」である。
か。
この二つは論理的には別のことなのですが、僕にも現状どちらとも言えないというのと、「直観」という言葉の(僕が認識している)受容されている用法の範囲に、それぞれそれなりに収まるように思えるので、今はこのままにしておきます。
(補)思考と直観
ここまでは基本的に、思考と直観を対立的に位置付けながら書いて来たわけです。しかし実際のプロセスとしては、この二つは切り離せるものではないんですよね。
つまり「直観」で正着を選ぶチェスマスターが、思考放棄してぼんやり神のお告げを待っているのかと言うと勿論そんなことはなくて(笑)、意識的にやろうとしている行為は、必死に正着を探す思考の努力そのものであり、しかしただその内容が明示的にはならず、答え・結論だけの「直観」としてのみ、示されるということで。
あるいは同じことですが逆方向から言うと、直観もしくは当面証明/説明する気も当てもない、直観的思考を懸命に働かせている時、その影で僕の与り知らない何かの「作業」「過程」が、猛烈な勢いで回転・進行しているのを、確かに感じます。・・・・まあこれは個人差があるまたは(そういう内観の)経験の無い人には、分かりづらい話でしょうが。
その時翻って直観が何をしているかと言うと、そうした見えない「作業」を集約しているか、または方向付けている、そういう感じ。作業が迷走しないように駆り立てつつ、かつ現場に直接口を出して混乱させないように(笑)。上の者は上の者としての職務に専念する。
ちなみになぜあれこれ下手に考えるより直観に従うのが正解の近道(消防士の例)かというと、要はそういう意味での”考え”は、既に脳≒無意識というスペシャリストのスーパーコンヒュータがやり尽くしてくれているので、後はそれに従うかそれが提供してくれている選択肢を選ぶなり運用するなりすればいいので、そこに更に素人考えで(笑)半端な計算理性を介入させるのは、時間の無駄という以上に害悪、逆戻り/劣化だからですね。
・・・・と、ここまでが番組の内容(とその元になった研究)から直接的に書けること。
ただこれだけでは多分抜け落ちて納得できない部分が残るだろうと思います。
僕なりに整理すると、それは
・直観と意識の関係
・直観と言語の関係
・いわゆる「論理的思考」の立場は?
というあたり。
実はこれについては過去に散発的にかつ長々とさる箇所で書いているので(心当たりのある人もいるでしょう(笑))、それを再確認する形で、次に少しまとめて書いてみようと思います。
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