2008年07月23日 (水) | 編集 |
![]() | 電脳コイル 第3巻 通常版 (2007/11/23) 折笠富美子.桑島法子.矢島晶子.朴路美.小島幸子 商品詳細を見る |
ポニョポニョうるさいんじゃ、本物はこっちじゃ・・・・とかいうのはともかくとして。(笑)
まあ見てもいないですし。でも見なくても分かる気がするし。とりあえず、『スケアクロウマン』もよろしく。
承前。やや今更な感じですが、これを前フリに、非常に書きたいことが一つあるので。
”直観”話は来週かな、今週残りの執筆予定からすると。1日は24時間でいいけど、1週間は10日欲しいです。(笑)
よき”ジュブナイル”(児童文学)としての、『電脳コイル』
再び選評引用。
よくできたジュブナイルであることが、本作を“観やすい作品”にしている。
よくよく考えれば、スタッフのアプローチはまさにその部分にあったのだろう。
タイトルといい、一見して独創的な電脳設定といい、やはり自然な見方としては、まずは”電脳もの””SF”として見にかかるわけですよね、こちらとしては。
それがやがて間も無く、”ジュブナイル”としての真剣味、濃厚さに、ドキッとすることになる。
ああ、そういう作品なんだと。
個人的にはヒロインの小学6年生”ヤサコ”(優子)の、パッと見特徴の無いただの優等生のようで、素直で聡いゆえにいちいち世界の矛盾を引き受けてしまうような感じがかなりツボなので、割りと一発でそっち方面にも引き込まれましたが。暗い影に誘われたというか。(笑)
話戻して、「“観やすい作品”」であるとはどういうことかというと(想像すると)、それはつまり、オーソドックスであるということです。「電脳」部分を除けば、人間関係にしろ出来事のパターンにしろ、変わったことは余りやっていない。
その代わり、ジュブナイル的ストーリーのあらゆるパターンを、一つ一つ丁寧に、意味を確かめるような感じで非常に効果的に実現している。
具体的にその”パターン”を挙げてみると、例えば
・”電脳ペット”デンスケと、ヤサコ姉妹の心の交流
みたいなものがあります。
デンスケというのは電脳空間上に存在する、”メガネ”をかけている時だけ見える仮想の犬(にヤサコと妹がつけた名前)であり、そういう子供用の商品、製品なわけですが、設定された寿命を共に過ごす中で、子供たちにとっては現実の/肉体のある犬同様に大事な存在となって行くわけです。特には描かれていませんが、他の家の子供たちにとっても同様でしょう。
そのデンスケが、姉妹の巻き込まれる様々な電脳空間的トラブルの際に、あるいはキーとなり、あるいはより直接的に、体を張って”主人”たちを守ろうと奮闘するんですね。見た目は不細工なブタ犬なんですが。(笑)
子供たちと動物/ペットの心の交流、飼い主を守ろうとする飼い犬の献身、仔鹿物語かフランダースの犬かってなもんで、古今出尽くしてるパターンですが、クルんですねこれが。今書いてるだけで泣きそうです。(笑)
実はこのデンスケは、ストーリー上元々が非常に重要な謎を隠し持った、決してありきたりではない特殊な個体だということが後々分かって来るんですが、その設定が無くても印象的な存在であるというか、むしろ無い方が良かったかなというくらいで。その方が感動としては純粋というか。・・・・いや、それじゃあ話はまとまらないんですけど。(笑)
ただこういう王道的な”感動”の陰には、やはりこの作品特有の「電脳」設定の効果もあって、つまり電脳ペットという本来電子情報の集積でしかない「動物」(犬)がそういう行動を取ること、その意外性と共に、一回出尽くしたパターンの置かれた(血と肉の世界という)環境がリセット/リフレッシュされて、こちらにそういう物語構造を新鮮に受け止める準備が出来ているということも、基本的な要素として関係していると言えると思います。
・・・・一言で言えば、不意を突かれるということですけど(笑)。ガードが間に合わずにやられる。
ヤサコと並ぶヒロインである、スーパーハッカー”イサコ”(勇子)が、それまで淡々と酷使していた小動物風の”使い魔”(電脳上のね)たちに、最後の最後にかけるねぎらいの言葉などにも、同様の効果が見られますね。
・イサコの自己犠牲
そのイサコは、物語の大部分を一種の”悪役”として過ごして、容易に馴れ合うことも本心を明かすことも、「本当はいいやつ」的な落ち着き方をすることも無いんですが、色々とあって、また論理的必然性も踏んで、クライマックス(が、いくつもあるんですが)のある場面で、最終的には自分の命・・・・電脳上ではなくリアルの、を犠牲にして/危険に晒して、ヤサコを助けようとするんですね。
お馴染みの「自己犠牲」エビソードですが、ニュアンスとしてはいわゆるジュブナイルというよりは、むしろ少年漫画/ジャンプ的な、結構荒々しい生々しい感触の、「自己犠牲」シーン。
まあ「少年漫画」も、事実としては十分に『児童文学』ではあるわけですけどね。
それまで最もそういう”甘い”行動からは遠い存在に見えた、イサコがそういう行動を取るその過程の描写が、説得力があって見事だというのと、その「自己犠牲」の必要性を生じさせる、この作品ならでは複雑で精緻な電脳設定(から来るストーリー展開)を通じて、描き尽くされて来た「自己犠牲」ストーリーが再生されているというか、最大の効果を発揮しているというか。
・・・・つまり、「自己犠牲」ストーリーには、”命を軽々しく捨てていいのか””命を捨てたら(技術的に)どうにかなるということ自体のご都合主義”という問題が常につきまとって、それは描かれれば描かれるほどデリケートになって、今やなかなか描き難いところがありますから。読者の目が厳しいというか。
そこらへんを、なぜ他ならぬイサコの命なのかという部分が、非常に上手く練ってある。
そしてそれ自体が、”電脳”という形で世界構造をある意味いちから作っている強味・効果から来ているところが大きいと、そう思います。
まあ「古くて新しいストーリー」、あるいは新しい設定でのお馴染みの物語というもの自体は、いい意味でも悪い意味でも、この世には溢れてますけどね、特に広く「SF」というジャンルには。
それこそ、『スター・ウォーズ』が(黒澤明の)時代劇を元にしているみたいな。そう言えば『スタートレック』シリーズも、オリジナルの作者は西部劇作家らしいですけど。
ただコイルの場合、その”お馴染みの物語”を語る/見つめる真剣味が、やたら濃いんですよね。これは明日書く予定ですが、作者は子供たちのこと/世界を、本当に真剣な関心を持って考えている。間違っても単にパターンとして利用しているわけではない。
『スタートレック』は好きですけど、『スターウォーズ』見るくらいなら、僕は普通に時代劇や西部劇を見た方がいいです。”SF”という言い訳が無い分、クオリティも独創性も、基準がシビアで本気度が高いですし。
・・・・そうですね、地味なところでは、ヤサコの世間的にはむしろ”親友”的存在であるフミエが、結局常識の許す範囲でしか付き合ってくれない、引くところは引いてしまうあたりも、非常にリアルというか話の奥行きとして好きですね。かといって別にそれを断罪しているわけでもない、その微妙な感じが。
まあここらへんは、明日の話と関係して来ますけど。
![]() | 電脳コイル 第4巻 通常版 (2007/12/21) 折笠富美子.桑島法子.矢島晶子.朴ろ美.小島幸子.斉藤梨絵.鈴木れい子.野田順子.小林由美子.梅田貴公美 商品詳細を見る |
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