2008年07月24日 (木) | 編集 |

オフィシャル
ああ、寝過ごした。もうU−23戦始まっちゃうじゃないか。しょうがない、録画だ。
そう言えば大黒がフル代表の方に呼ばれたそうで、確かに早いなとは思いますが、まあ体は動いているからいいんじゃないですか、どっちみち”発掘”的ニュアンスが濃いみたいですし。
基本的に今のチームには合うでしょうね。「玉田」の位置にしても、「大久保」の位置にしても。
縦の2トップに互換性があるというのも何だか不思議な感じですけど、そういうサッカー。
「大久保」の位置は、田中達也を筆頭に出来そうな選手は結構いるので(金崎はほぼ専門家だし)、「玉田」の位置をこなした方が、生き残りには有利か。
・・・・ああ、でもそれだと平本が呼ばれた時にカブるか、て、どんだけお花畑だよという感じですが。(笑)
真面目な話、巻は勿論、矢野よりも適性自体は遥かにあると思いますから、そういうつもりで頑張って欲しいです。(笑)
『チェーザレ』
お、チェーザレ。
男目線でも女目線でも、そんなに魅力的なカラダには描いてないですが、不自然に筋肉つけずに細くもしなかったのには、作者の真面目さを感じます。・・・・そうね、所謂少女漫画的な(抽象的な)ハダカではないですね、『エフ』の時とかと比べても。
アンジェロの方には、金髪ということもあって軽く天使萌えが入ってる気がしないでもないですが。
ところで、ロベルトって誰?(笑)
『社長島耕作』
腕ずくとは意外でしたが、結局”室長夫人”をある種かわいく描いて救っているのは、さすがというか予想通りというか。決して裁かないんですよねこういうのは、弘兼氏は、
しかし、何の為のエピソードなのか、何で熱心に秘書のことを描いてるのかはよく分かりません。
「社長」はどこにいるんだ?(笑)
『OL進化論』
今時地球温暖化ボケは、もう笑えないネタだと思います。
クーラーはどのみちタイマーにしとけばいいだけじゃないかと思うのは、すぐ冷える狭い部屋に住んでる人間の感覚?(でも自室の話だしなあ)
暑くなると足が遠のくのは、マック等の持ち帰り/歩き食べ食ですね。中で食う分には別に何でも。
ちなみに僕は、暑い時に(巨)乳を見ると疲れますが、(締まった)尻を見ると元気が出ます。体調が悪い時もこれは同じ。
僕自身がどう見えてるかは知りません。元気が出ててくれると嬉しいんですが。(笑)
『特上カバチ』
アロハ薄毛旦那と元ヤン風妻、見てるだけでわびしくなって来る依頼者一家で、セックスくらいしかはけ口が無いのも感覚的には分かりますが、どのみち地獄。
ひたすら争いあう絵しか浮かばないんですが、どういう話にする気でしょう。
『誰も寝てはならぬ』
編みかごがいいというのは、何となく分かります。感触いいし。
個人的にもイメージ的にも、”お母さん”が”買い物かご”を持って歩いていた時代が、デフォルトで大人や社会を信頼できていた最後の時代かなと。なんちゃらバッグとビニール袋じゃなくてね。
うーん、オチが見当たらないな。(笑)
『エレキング』
冷やし中華のネタは、あえて笑いどころ無しにしたんでしょうか。
『エンゼルバンク』
どうでもいいですが髪下ろしちゃうと、水野と井野先生(?)の区別がつきません。
『僕の小規模な生活』
”妻”を見てると、また猫が飼いたくなって来ます。
死んでもいいんですが、その前に病気にならないで欲しいです。僕か住環境のストレスかと、つい考えてしまうので。
『シマシマ』
これこれシオさん。扉絵は”本音全開”なのか、客観視の証拠なのか。
まあ「指名」の問題は、いずれ避けて通れないでしょうねえ。自然な要求だし。
歯止めかけたい気持ちもよく分かるんですが、なかなか客側にそれは通用しない。
・・・・でもHPなんて公開してると、すぐに競合者が出て来てサービス競争になりそうですけど。
見た目単体女優みたいですけど、AV嬢のギャラって手渡しなんでしょうか。(知らん)
で、何がどうというんじゃないんですけど、この作品は基本インプロヴァイズで描いてるんだと思います。あんまり先は考えてない。一種の”アンサンブルドラマ”で、そこから一つ一つ浮かんで来る拾い上げるディテール・ニュアンスを、大切に作っている。
そんなにエゴの大きい人じゃないので、特に”芸術的””前衛的”にもならずに、いいバランスでここまで来ていると思います。ただしエゴはなくてもこだわり、というか”センサー”はしっかりとあって、それがアンサンブルの行く末をきちんと導いている。
今の時期しか描けない作品かも、という気も。
次作になると、逆に自信がスムーズな転がりを邪魔しそう。
『ひまわりっ』
依然としてよく分からない健一2号の件。
一方で副主任の「健一のこととかなんかもうどうでもいい!」というのは、宮崎を離れたら作品は別のものになるということを言い当ててるような気もしますし、単純に今まで言わなかった本当のことを言っているだけだとも。まあ、言ってみたかったんでしょうけど。(笑)
『へうげもの』
言ってしまったと言えばこれも。「己」と「中身」。
価値や意味や趣味というのは、記号体系で出来てはいるんですが、つまりAではなくてB。BではなくてC。またはAに対するB。Bに対するC。
しかし始まりと終わりは記号ではないんですよね、記号では決められないというか。「己」と「中身」という、古色蒼然たる概念が、結局はのしかかってくる。
多くの人は、特に自分が頭がいいと思っている人は、あたかも記号体系が実体で本体であると錯覚する、というか理知的に統御しやすいそれらが本体であると、思いたいわけですけど。ちなみに「己」や「中身」なんて今更直面したくない、”逃げろ”(逃げられる)とアジったのが、浅田彰の『逃走』論。
直観と論理の話も基本的にはこれです。始めと終わりは直観、挟まれた途中を”彩って”るのが論理。
とか何とか言ってる内に、おお試合が終わるぞ。(笑)
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