東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
’15.11月のブログ拍手
2015年12月02日 (水) | 編集 |
これからチャンピオンシップですね!
と盛り上がって見せたいところですが、まだH&Aの第一戦だし、ウィークデイにドタバタやるし、所詮チャンピオンシップだしとなかなか微妙ではありますが(最後のはなんだ)、一応イベント試合ではあるので皆さんの(ツイッター)実況を楽しみに(笑)僕も見てみたいと思います。
それにしてもでもほんとにぴんと来ないレギュレーションで、参加チームも昇格プレーオフより少ないし、それなのに昇格プレーオフがきっちり1週間間隔を開けてるのにこっちは変に過密日程だし、"色々中取った"挙句に誰も得しない感じになっちゃったんだろうなと、どうしてもそういう感想ですが。
まずはやってみないとと、協会に気を遣った"評論家"たちは一様に口にしますが、"やってみる"までもないアラが多過ぎると思いますね。
トライアル&エラーのスピード感が、20年前くらいの感じというか。
時代を"追"ってるだけで、"作る""リード"する気合が感じられない。「サッカー」関係者としての「当事者」感というか。まず"説明"ありきという感じ(株主への?(笑))。川淵さんの"豪腕"が懐かしい?(笑)


1位 浮浪系サポの見たジェフ千葉 (11/26) 23+5

2位 最終戦、まとめ、展望 (11/24) 12

3位 東京V-磐田(’15) (11/3) 
3位 M・スコット・ペック 『平気でうそをつく人たち』 (11/5) 
3位 千葉-東京V(’15) (11/10) 

6位 アウェーカンボジア戦(メモ) (11/18) 

7位 アウェーシンガポール戦メモ (11/13) 
7位 今季の回顧(ヴェルディ) (11/16) 

9位 『平気でうそをつく人たち』 ~「軍隊」編 (11/20) 


そういえば最初の方は、"紫"は"その他サッカー"(ヴェルディでも代表でもない)だったんだよなと、今月の1位を見ていて思い出しました。
昔はそんなに他チームのことを色々と書いてたんだっけ。
意外と"力作"ではないというか流れで長くなっちゃった感じだったんですが(笑)、おかげさまでリツイート等も沢山されましたし、色々と感想も見られてツイッター様様というところではありました。
ジェフ的には多分、僕に面白がられてるようではあかんのでしょうけどね。ネタを提供してるようでは(笑)。今のところは、とりあえず関塚体制徹底強化の方向に、"改革"は進められているようではあります。
また1年後?!(笑)

ヴェルディは・・・どうなんでしょうかねえ。
とにかく長い一年でした。
長過ぎてつい、最後はとうとう冨樫監督も、どちらかというと"叩かれ"るターンに。(笑)
今年はさすがにやらないつもりだったんですが、余りにも"後日"談が長過ぎて。"終わった"後になかなか終わらなくて。
まあ"監督"というよりも、"ヴェルディ"の変化力成長力に期待する感じで、来年も見て行きたいとは思っています。(ジェフには無い?!)
叩きたくないなあ。いやマジで。(笑)

ハリルさんは当座もう、叩かれる緊張感というか当事者感を、失ってる感じですが。
誰もあんまり期待してないというか、期待されない感じがむしろ新しいというか。(笑)
まあまずは五輪の方ですかね、"代表"関連としては。
こちらはより真剣に、"敗退"の危険性もありますし。
武蔵とか大島とか、微妙に定番メンバーから外れかかってる選手とかいますが、それがチームの進歩なのか何なのか。
いずれにしてもあんまり"楽しい"試合は、当分どちらもやらなそう。(笑)
噂される本田のFW転出をきっかけとして、起きるかも知れないチームの再度の流動化には、少し期待しています。

読書関連はこの後も既にいくつかネタは控えているので、お楽しみにという感じです。
なんだかんだ、意外とサッカーネタは切れないんですけどね、オフシーズンになっても、例年。
試合日に集約されない分、日数が埋まるというか。
マガトねえ・・・。(笑)
マジすか。なぜすか。なぜそこにそこまでの金を。大丈夫すか。(笑)
禍人。勾人。


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ジュリアン・コープ『ジャップ・ロック・サンプラー』
2015年12月04日 (金) | 編集 |


ジュリアン・コープとは。(はてな)

イギリスのミュージシャン。サウスグラモーガン州のデリで生まれ、タムワースで育る。
いくつかのグループを結成後、イアン・マッカロク(のちにエコー&ザ・バニーメン)と曲を共作したのちに、1978年、ゲイリー・ドワイヤーとティアドロップ・エクスプローズを結成。
また、ロックについての研究書を執筆。

ティアドロップ・エクスプローズは聴いたことが無いですが、エコー&ザ・バニーメンの方は今見たら3枚聴いています。いつの間に?特に好きでも嫌いでもないです。(笑)
後はルースターズのラストアルバム『FOUR PIECES』に入っている"Land Of Fear"は、ジュリアン・コープのソロの曲のようですね。これもまあ、好きでも嫌いでもない。
・・・という程度の予備知識の人が書いた、日本のロックの"前史"的な本('08)。最近のも聴いてはいるようですが、取り上げられているのは基本'70年代までです。
"前史"というか結果的に現代には直接繋がらなかった、ある時期のピーク・隆盛についての話。"あったかも知れない日本のロック"。
当時活躍して現代でも一般に名前が知られている人としては・・・内田裕也、と、喜多郎くらい?この本だと。内田裕也は随分凄い人だったんですね。"ロックンローラー"というよりは"プロデューサー""仕掛け人"として。見かけ通りの直情天然さんではないというか。むしろ腹黒い。(笑)


本文中で取り上げている中で、例えば以前紹介した「”snoozer”2007年12月号 『日本のロック/ポップ・アルバム究極の150枚』」に載っているバンド、ミュージシャンで言うと・・・

 村八分、裸のラリーズ、ジャックス、久保田麻琴と夕焼け楽団、フラワー・トラベリン・バンド、頭脳警察

と言ったあたり。同様に「”Rolling Stone日本版”2007年9月号 『日本のロック名盤 BEST100』」も引っ張り出すと

 外道(ただしネガティブに)、カルメン・マキ(名前だけ)、ブルース・クリエイション

あたりも。
基本的にはアンダーグラウンド/アート志向で、しばしば現代音楽やフリージャズの方にも脱線します。
しかしプログレは嫌いで、(知性はともかく笑)純音楽的にはハードロック好き。
フォークは"アンダーグラウンド"の文脈に乗っかれば評価しますが、"ソフト・ロック"的な脈絡では嫌い、無視。はっぴぃえんどにも好意的ではありません。


実際のところ、ほとんどは僕も音を聴いたことの無いバンドの話ばかりなんですけど、面白かったです。
当の日本人も含めて、今まで誰もちゃんと調べたことの無い時代・シーンについてかなり徹底的に掘り下げた労作であるということと、それを行っている"ジュリアン・コープ"という謎の(笑)イギリス人の知性の働きそのものが、興味深く、かつ感動的でした。"何者?"という感じでした。(笑)
まあ、「奇書」ですね。"奇書"の一つのパターンに乗ってるというか。
つまり「在野」「個人」という立場で、しかしにも関わらず誰に求められているわけでもない高度に緊張感のある「アカデミック」「学究的」なスタイルで書くという。その情念と理性の混じり合いと、なぜあえてそこまで律儀にという"酔狂"さが、正に「狂」を生むという。

訳者によると実際には少なからぬ誤情報や、単なる想像の言い切りが含まれているらしいんですが、しかし著者の態度は一貫して剛球一直線という感じで(笑)、"ネタ"感や"方便"感は微塵も無いです。文体の陰影というか。変な人です。
一応言っておくと、詳細は分かりませんが主に"文化人類学"という形で実際のアカデミズムとの関わりはある人のようです。つまりこれも広くは、"フィールドワーク"の一環ではあるわけですけど。
それで納得出来る感じでもない(笑)。やっぱ謎の人だなあという印象。

とにかくよくぞここまで、こんなマイナーなシーンを限られた情報から調べ上げて全体像を構成して見せるものだな、しようとするものだなと、それ以前によくもここまで興味を持ったものだなと言う。
感じとしては、「西洋の研究者にとってのみ興味深い、"現地"の文化」みたいなところは無くは無いんですけどね。ただ多分特に、"現代音楽"との関連である時期の「日本のロック」に意義や必然性を持たせた、"現代音楽"(と各種左翼的運動)の世界性によって「日本」の音楽を「世界」と繋げた、その視点の提供には、少なからぬ意義があるのではないかと。
・・・結局それは十分に花開かずに、"J-POP"的なガラパゴス化によって、後に日本にロックは「定着」するわけですけどね。
個人的には、所謂"バンドブーム"に乗っかってるような乗っかってないような、ルースターズローザ・ルクセンブルクという僕の好きな二大異色バンドの位置付けが、ジュリアン・コープが描写したようなシーンの"残り香"として理解出来たような気がしたのが、収穫ですかね。
まあ"ブーム"以降のも十分に好きなんですけど、僕は。
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今週のモーニング(’15.12.3) &CS決勝?
2015年12月06日 (日) | 編集 |
mor151203



サンフレッチェ広島さんおめでとうございます。
広島及び森保監督がほとんどこれ以上無いほど立派にやっておられることには疑問は無いですが、ただ"Jリーグ"的にはもう少し弁証法的に後のレベルというか螺旋階段の高い階で優勝争いをしてもらたいものだなと、どうしても僕としては思ってしまいます。

それを覆すには・・・この後のCWCで、問答無用の試合を、結果を、見せてもらうしかないですね。
少なくとも、前回出場時よりは、他国との相対として強くなってると思わせてもらわないと。
ただしそれが出来なくても、何ら批判は無いですし、もっと言うと不満も無いです。単に予想通りなだけです。期待というか。
頑張って下さい。


『グラゼニ』

に愛情を注いでいる人を見ると、マジに人種が違うなと思う。
まだを愛好している人の方が理解出来る。
間を取って"戦車"でも。(笑)

『サ道』

結局"合法ドラッグ"という理解でいいんだろうか。(笑)

『からまる』

框(かまち)さんだけが頼みの綱というか、好意を持てる対象の可能性というか。(笑)

『グランドステーション』

逆にこの作品の場合、この主人公でこの先"もつ"のかなと少し心配。
いつものイケダ節ではあるのだけど。
熱血でない、イケダなんて。

『インベスターZ』

なんだかんだこちらの主人公は、「頭がいい」ということと主人公らしい「無茶やってぶっ壊す」という属性を、上手く両立させていると思います。

『カバチ』

豪腕(強引)社長の方が"被害者"になるという、意外な展開。
ならば当然同情も引いて、住吉さんとは結ばれるのか?

『4D』

(四次元)「時空」と「空間」の区別は初耳。
独自理論なのか定説なのか。
爆乳が醜くないのはグッド。(笑)

『決マネ』

終わって悲しいけど納得のラスト。
お幸せに!(笑)
でも出来れば帰って来て

『セケンノハテマデ』

可愛い女の子に蹴られて、何の不満がある?


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今号のイブニング(’15.12.8) &お知らせ
2015年12月08日 (火) | 編集 |
eve151208



ちょっと前に予告した海外ドラマ専用(ないし隔離(笑))ブログを何とか年内に立ち上げることが出来たので、一応お知らせしておきます。

死ぬまで海外ドラマ
http://atlanta2015.blog.fc2.com/

アホみたいな名前ですが、趣旨はそういうことです。(笑)
"死"ぬまで"海"外ドラマで、「死海文書」とか捻ろうとかも思ったんですが、絶対恥ずかしくなるのでやめました。(でも略称では使うかも知れない。「死海の方」とか。(笑))
肩慣らしにいくつか書いてみましたが、まあしばらく試行錯誤は続くかも知れません。
気が向いた時にでもどうぞ。


『少女ファイト』

気持ち悪い。(最近これしか言ってない)

『海賊とよばれた男』

頑張れ。(基本これしか感想が無い)

『妖怪番長』

子供の代表は「番長」なのか。(笑)

『ペン太のこと』

これ新作?再掲載?
まあどっちでもいいけど(笑)。どっちでも同じというか。
猫に罪は無い。(笑)

『学生島耕作』

ひとんちならまあいいんですけど、基本自分ちでやる気にならないんですよね、僕。
共同のヤリ部屋なら・・・どうかな。
やはりホテルがベスト。スイッチ切り替えるタイミングが欲しい。

『オールラウンダー廻』

うーん、かわされるのは見えてたと思いますけどね。
それに対する、カウンターのカウンターという展開かと思いましたが。

『秋月あきひろ』

なんか妙に設定が具体的な気がするんですが、モデルでもいるんですかね。
「育成選手」「打ちたがり」「怪物」と一遍にいくつも設定が重なってる理由があんまり自然に見えない。
"企画"としてのすっきり感が無いというか。
とりあえず育成ブルースなのか怪物物語なのか、そこらへんの焦点をちゃんと合わせて欲しいかなという。

『すいぶ』

"兄貴"関係はただただうざい。
もう弟の"天才"の開花の方に、焦点絞ってもいいんじゃないかなと。こちらも

『がんぼ』

正直人物が多過ぎてついて行ってないです。(笑)

『おとしもの』

シンプルだけど悪くないと思います。
連載にも・・・出来なくはないと思いますが、珍しいくらいに読み切り向きの素材でもある。
"唐突な終わり"感が無いというか。


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読書日記(’15.12.10) ~冲方丁、田中芳樹、山本兼一
2015年12月10日 (木) | 編集 |
雑然と。



パロットは、なぜ自分がこんなにも穏やかなのかを理解した。
今いる部屋に対し、不安がないのだ。言い換えれば、部屋をくまなく認識していた。不安をもたらす死角がどこにもない。皮膚に触れる空気を知り、空気が触れる全ての物体を感じ取ることができた。
(p.37-38)

危うく焼き殺されかけた主人公(女)パロットが、サイボーグ手術によって命を救われ、昏睡から覚醒した時の描写。
「穏やか」というからてっきり"トラウマ"とか"メンタル"とかいう話かと思ったら、純粋に「知覚」の話で意表を突かれました。(笑)
・・・まあ、最終的には"メンタル"に繋がる話ではあるんですけど。
人間の"不安感"のおおもとに、視覚野における「死角」の存在が大きく関わっているのではないかという話は、フランス哲学のどこやらかで小耳に挟んだことはあります。
まあそこまで哲学的に遡らなくても、ある分野における自分の認識に、とりあえず"死角"がほぼ存在していない感触があれば、例え全能ではなくても、あるいは状況の不利が小さくなくても、意外と人間は落ち着いていられるものだという、そういうことは言えると思いますね。
ここの醍醐味は勿論、むしろ"哲学"的なレベルの話。サイボーグ手術なり何なりで、人間の知覚能力が大幅に向上すれば、人間の「精神」は変わるのではないかという、SF的な問題意識というか。

「僕らは昏睡中の君の識閾野に接触した。具体的な記憶ではなく、君の潜在意識に。そして全ての技術とプランをぶつけ、コンピュータ上で議論させたんだ。
よく植物状態の患者に安楽死を与えるかどうかの判断基準に使われるものだよ。」
(p.62)

頭の中で複数の"自分""議論"するというシチュエーションは、特に多重人格についての証言ではよく語られる風景で。・・・時に"セックス"すらするらしいですけど、"人格"どうしが。頭の中で
もう一つ、昏睡状態の人の少なからぬ割合が、喋ったり動いたり表現したりは出来なくても、知覚や思考自体は普通の人と同様に出来ていたという話も、これも割りとよく聞く証言で。
これらを併せて、"潜在意識"の「思考」(や「議論」)の実在が技術的に検出可能なものとして認められて行けば、昏睡患者の延命措置の可否を「本人」に決めさせるという医療行為は、実際に実現の可能性が十分にあると僕は思います。
実現されるべきというか。

「マリッジブルーって知ってるか、ウフコック」
「なんだ、それ」
「一度決めたことについて、後からぐだぐだぬかすことさ。個人的な感情がどうとか、自分は大丈夫なのかとか、何が必然で何が偶然なのかとか、そういったことをだらだら考えるんだ」
(p.307)

いや、特に意味は無いですけど、なんかおかしかったので。(笑)
"ウフコック"というのはネズミをベースに作られた、人工の知性体です。
人工知能・・・ではなくて、ネズミの頭脳を人間的に大発展させたもの、なのかな?さらっとしか読んでないので自信無いですが。
とにかくそういう人工の、しかし高度な知性体が、「マリッジブルー」"学習"する様子がおかしかった(笑)。その身も蓋も無い定義も含めて。(笑)



この男は、これが尋常ならざる事態であることをとっくに悟っている。だから自然と真相には触れず、真相が落とす影絵をなぞるような問い方をした。
(中略)
だがこのときも光圀はただ、さらさらと本心とはかけ離れたことを口にした。むしろ共感を与えてもらったことで、ますます真相を語る必要はなくなったと感じた。
(p.12-13)

先ほどのSF『マルドゥック・スクランブル』の同作者(冲方丁)による、今度は時代もの。まだ読み始めたところですが。かの『天地明察』とそういえば同時代の話か。好きなのかな?
察しているどうしの、"察する"能力の高いどうしの、対話の風景。恋人どうしの?(笑)
「この男」というのは、主人公水戸光圀の家臣の一人ですね。
「影絵」という表現がいいなと思います。「影」、でも同じことだとは思いますけど。
"像"や"光"を正確に捉えていれば、その"影"だけでも対話は可能。むしろそれ(をなぞること)によって、より正確に明確に、"像"を浮かび上がらせるような面も。



「兄弟たち、昔からいうだろう。『教わった言葉は話せない、銭があれどもみずからの主張は買いがたい』とな。」
(p.278)

そうなんだ。
これは『三国志』における張飛や、『水滸伝』における黒旋風の李逵のような脳筋ズッコケ系のキャラのせりふなんですが。
そういうキャラですらこんなせりふを口にするんだというのと、そもそもそういうキャラに言わせられるくらいに、こういう言葉が一般に定着してるんだというのと。
中国は「教養」の国であるので"教わ"ることは前提として大量にあるわけですが、一方で「詩」の国でもあるので、自ら言葉を紡ぎ出すこと、あるいは"言葉"そのものへの意識というのは、日本に比べても相当に高い部分がありますよね。
日本の言語文化も、十分に豊かで繊細ではあるんですけど、残念ながらそれに対する意識や批評精神、それによって何かを定式化したり定着させたりという習慣が、どうも決定的に足りないような気がします。
日本語は素晴らしい。しかし日本人は今いち。
とりあえず上(↑)の作者(原作)による『銀河英雄伝説』



でも、基礎"教養"として共有しましょう。(笑)
言葉を"しっかり"使うということの、お手本に溢れた作品です。
・・・ガンダムでもいいんですけど、ちょっと派閥争いが色々と生臭いので。(笑)



琵琶湖では、船の転覆事故が多かった。
急がば廻れ、という諺は、じつは琵琶湖の水難事故の多さを警告したものである。
(p.400)

そうなんだ。(笑)
ただのトリビア。(笑)
2014年に亡くなった山本兼一氏の、最後の単行本作品より。
江戸時代の発明家の一代記ですが、要所要所に、間近に迫った死を意識していたせいでしょうか、ある種の"宗教"心というかそういう世界への関心のようなものが漏れ出ている感じで、興味深かったです。
ちなみに一般には『利休にたずねよ』の直木賞受賞&映画化



で名前が通っている人かと思いますが、あれは愛読者である僕からすると不思議なくらいに、むしろ断トツでつまらない&下らない、少なくとも持ち味の発揮されていない作品に思えるので、もしあれだけで見切った人がいたとすれば短気を起こさないで下さいと、それだけはお願いしておきたいです。
・・・いや、どうもかなり評判悪いみたいなんでね(笑)、映画が。
映画はともかく、"直木賞"ってそういう不思議なところがありますよね。"直木賞作家"はたいてい面白いけど、直木賞の"受賞作品"が面白いとは必ずしも限らない、色々な作家を見ての経験から言うと。

まあ同じ映画化&受賞(松本清張賞)作品でも、『火天の城』



の方は、問題無くお勧めです。


今回は小説づくしでした。


テーマ:本読みの記録
ジャンル:本・雑誌
今週のモーニング(’15.12.10)
2015年12月12日 (土) | 編集 |
mor151210


おっ、このモーニングは合併号なのか。
忘れないようにしておかないと、来週とても寂しい思いをすることになる。(笑)


『ジャイキリ』

大きいクラブが甘いとは言っても、だからといって小さいクラブの選手の"メンタル"が強いなどという事実は無い
むしろ負け犬根性。

『グラゼニ』

なかなか見応えのある"ディベート"でした。(監督と投手コーチ)
やっぱり数字との相性がいいのが、野球の強みですよね。

『終電ちゃん』

この作品そのものにはそんなに乗り切れないんですが、作者の異能は感じるので他の作品で読みたいです。

『会長島耕作』

とはいっても社長にしないと、話が転がらないと思うんですけど。
自由な人が自由にやってるだけでは。
放し飼いかよ。(笑)

『からまる』

なるほどね。これは納得感。
さすが框さん・・・ではあるけど、逆にもう主人公要らなくね?(笑)

『インベスターZ』

"自分の声"が最終解答・・・ではないですよね、まさか。(笑)

『ル・ネ』

これは連載化希望。
設定は揃ってるしね。

『カバチ』

ああ、展開としては分かる。
分かるけど、奴の性格の問題は、"社員に裏切られた"話で処理終わり?
他の"天罰"とか無いの?(笑)

『4D』

天狗の腕の"理由"は予想出来た。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック
松島花さん(’15)
2015年12月14日 (月) | 編集 |
matsushimahana_s1
an・an (アン・アン) 2014年 6/25号


松島花さん。
僕もこの資生堂の"dプログラム"とやらのCM

matsushimahana_s2b

でしか見たことがありませんが。

1989.8.5生まれの26才。
意外とお年というか(笑)、モデルとしてのキャリアも10年以上あるみたいですね。(Wiki)

あのCMだと結構幼く見えるんですけど、画像を見てると割りとアダルトな感じというか、"淑女"っぽいパターンが多いような気がします。



matsushimahana_s3


活動自体はミドルティーンからですが、挙げられている雑誌はあんまりティーンぽいものが無いので、要は遅咲きで売れたのがある程度の年齢になってからなんだろうなという。
元来"落ち着いた"顔で、ティーン時代は苦戦したとか?

逆に"成長"して大人になったわけでもないので、年齢の割に幼さが残るとか、そういうパターンはありますね、これは別にモデルさんに限らずですが。
自分は変わらないのに、年齢によって周りの見方が変わるという。


ただいずれにしても、顔には多様性があるというか、"甘い"感じと"ハード"な感じが、かなり「別人」に近い印象で混在しています。

matsushimahana_s4

所謂駆け出しアイドル的な"不安定"感ではないので、内面自体がそうな人なんでしょう。
・・・上は名テレの『ミステリアスなふたり』というドラマのシーンのようですが、もっとメジャー(笑)なのにも出ているようです。

matsishimahana_drx

『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』より。真ん中ですね。
うーん、言われないと同一人物に見えないような。(笑)


他。

松島花のスタイルの秘訣はバレエ?結婚してる?大学やハーフの噂も (のぶトピ)
松島花、映画デビューは「怖かった」モデルとしての葛藤を乗り越え“女優業”へ挑戦 モデルプレスインタビュー (modelpress)

今度映画『天空の蜂』に出るようですね。
上の看護婦姿もそうですが、ちょっと稲森いずみに似てるかな?
作りはね。
中身はもう少し、"引いた"感じですが。
(若い時の)稲森さんは、ぐいぐい来る感じが面白かったので。


T173 B83(A)-W58-H87
173cmあって"A"っていいですね。良くないですか?(笑)
獅子座のO型
割とがさつ系?(笑)


テーマ:女性タレント
ジャンル:アイドル・芸能
F・アルベローニ『宇宙をつくりだすのは人間の心だ』
2015年12月17日 (木) | 編集 |





この(↑)本で日本でも有名になったらしい人(コトバンク)の、かなり哲学的なタイプの本。
「道徳哲学」というか。
タイトルからすると、科学主義的な"全ては人間の思い込み"的な本か、逆に"心がけ次第だ"という説教臭い本のどっちかという感じですが、どっちでもないです。
「道徳哲学」とは言いましたが、"道徳的"な哲学ではなくて、"道徳を哲学する"という感じ。
肯定でもあるし、否定でもあるし。


第3章 「役割を演じる」ことの害悪 より

『平気でうそをつく人たち』 ~「軍隊」編で言っていた"「専門化」と「モラル」"問題が、つまりはこれ(この章)です。
逆にあちらを引くならば、"兵士"という役割演技の元、上官の命令一下個人としてはとても出来ないような残虐行為を平気で行ってしまう、そのような状態を一つは言っているわけですが。

p.37
私たちは、職業的な役割体系の上に身を置いているわけだが、その理由は、それがもっとも簡単であるからである。

宗教の社会の表面からの退場や、"民主主義"や"価値相対主義"の一般化によって絶対の基準を奪われた状態で、道徳的判断や責任の回避や留保、あるいは代用の為に職業倫理や時に職能そのものに頼るという行動に無縁でいられる人は、恐らく現代社会ではいないでしょう。
その方が、"賢く"も見えますしね。道徳を正面から問うより。
一種の知的な「市民権」の証明というか。

p41
私たち各人は、数々の役割を演じ、さまざまな方法で習得したいくつもの社会的仮面をまとい、さまざまな自我を生みだしながら、別の役割を演じている自我が行っていることについて無知であるように見える。しかし、これらの分離されたそれぞれの自我のあいだでの接触あるいは一致なしに、道徳が存在しうるだろうか。

"無知"というか、"無視"でしょうね、実際には。
勿論分離がこじれて"無知"になっちゃってる人も、中にはいますが。知的能力的に矛盾した複数の状態を一遍に視野に入れることに耐えられないか、あるいは「役割」への没入の結果得られた「力」「権力」への執着後戻りの出来ないレベルに達して正気を失ってしまった人か。
ほとんどの人は、内心では分かっている。「接触」や「一致」の欠落が問題であることに気付いている。そのことに、"良心の呵責"を感じている。・・・感じている"瞬間"がある。(ただしすぐに忘れる)

p.42
二十世紀のすべての過誤、さらにおそらくは歴史のすべての過誤を許したのは、この役割道徳、細分化された道徳、私的、公的、政治的な領域間の分離、家族とイデオロギー間の分離、分裂した自我だったのである。

うーむ。"原因"論としては分かる気がするけど、ちょっと疑問もある。
つまり我々の自我や道徳感覚が分裂している、そのことに社会の高度化巨大化による役割分化が大きく関わっている、それ自体は確かなことだと思います。・・・加えて言うならば、そのことを「正当化」する諸"理論"の洗練も。著者が(後に)挙げる、ナチズムやマルクス主義を筆頭とする。
ただその「二十世紀」のそれが、"統一"されたものの"分裂"なのか、かつて存在した天国状態からの"堕落"なのかというと、それは一概にはどうなのかなと。
むしろ自然状態では一種生態学的に各生活環境に対して緩やかに"分離"していたものが、人間の社会や思想の「進歩」によってそれ以上のもの、それ以上の正当性を持った「統一」を志向し始め、「一致」が観念され、それによって現代的な問題としての"分裂"が意識されることになったのではないかと。
我らの可愛い飼い猫たちは(笑)、飼い主の前でと巡回中に出会った哀れな獲物たちの前では違う"自我"を示すでしょうが、それはただそうなのであってあるべき「統一」が「分裂」したものでも増して"堕落"したものでもないわけでね。
だから特に「歴史のすべて」とまで言ってしまうと、それは遡っての断罪に過ぎるというか、人間に期待し過ぎというか。
"これから"の問題としては、分かりますけど。

一方で、動物ならぬ人間の子供を見てると、積極的に統一はされないまでも、"分裂"はしていない、つまり「大人」の"使い分け"が理解出来なくてしばしば戸惑うわけで、そういう意味での原初的統一状態というものは、無いわけではないんでしょうね。またそれに類するある種の「田舎の素朴な人々」という類型も、満更嘘ということでもない。
ただじゃあ、彼らが積極的に「道徳」的なのかというと、いざ何か選択を迫られた時に意志的に道徳的に振る舞えるのか、その為の基準を持っているのかというと、それもまた期待し過ぎだろうという。
併せて言うと、つまりは「統一」や「一致」を意識出来るような知性を獲得したり、あるいはそういう段階の社会・文化に属している人々が、にも関わらず怠惰や妥協や権力欲やその他様々な理由によってそれを無視するような行動を取る、更にはそのことへの内心の良心の呵責から、それを正当化する詭弁を編み出してより徹底的に逆方向に行って被害を極大化する、それが問題・事態の本態であると、そうまとめていいような気がしますが。

p.43
分離された自我は無責任の根源である。私たちは、道徳が"統一された自我"を要求することを知らなければならない。それゆえに、自我の統一を否定したり、それをおとしめるようなすべての理論を、道徳の見地から警戒する必要がある。

事態としては、まあその通り。
"自我"と言ってしまうと人によっては少し遠く感じるところがあるかも知れませんが、"セクショナリズム"「無責任の根源」であるというのは、分かり易過ぎるほど分かり易い話でしょう。前掲『平気でうそをつく人たち』 ~「軍隊」編では、「良心の分散化」などという言い方もされていました。
結局まあ、ある種の"覚醒"以来、「どの」道徳を取るかという選択を人類は争って来たわけですよね。ユダヤ・キリスト教から、マルクス主義まで。その他諸々。
その闘争自体は今も続いているわけですが、どうやら"どれ"を取っても駄目らしい、結局同じような惨状を招く、失敗を繰り返すらしいという認識から、一方では道徳的判断自体の拒否・廃棄を標榜する思潮がうっすら広まってはいるわけですが、一方では数々の失敗を繰り返して来たからこそ、道徳の「構造」を可視化する材料も揃っては来ていて、それに基づいて再度、今だからこそ「道徳」をきちんと人類文化の中に位置づけし直そうという思想的営為も可能ではあって、それをこの人もやっているということですね。
ただの「復権」ではない、ということです。既存の道徳体系の、"選択"の問題ではないというか。
他方、"統一の否定"というのは、ある意味では正当なリアクション、"ある"大文字の道徳に大きな力を与えない為の安全策でもあるわけですけど、しかし「理論」的には間違っていると、この人は言います。


第4章 悪人とは

p.52-53
政治闘争の場でもずっとそうだった。なぜなら、誰もが、自分たちの敵対者を不快で悪意を抱く者であり、残酷で、非情な存在とみなしているからである。
(中略)
政治闘争はすべて、背徳であるという非難の下に行われた。道徳という観念そのものを軽蔑し、それを愚弄したマルクス主義者やナチスさえもが、敵対者(資本家とユダヤ人)が寛容、同情、兄弟愛、弱者や無防備な者たちへの援助といった価値観を侵犯していると糾弾したのである。

これは本当にそうでねえ。傍から見ると、お笑い草だったりはしますが。
半ばプロパガンダではあるでしょうが、半ばは常に本気でもある。
相手を道徳的に劣位であるとみなした時ほど、人は徹底的に残酷になれると、これもよく言われることですが。・・・というより残酷になる為には、前提として相手を(無意識にでも)道徳的に断罪するプロセスが必要なんですよね、実際には。
章タイトルは「悪人とは」ですが、つまり結論的に言うと、"悪人"はいないんです。
みな"善"なんです。主観的には。
「自らが悪であるということに耐えられる程、人間は強くない」と、ヤン・ウェンリー

ヤン・ウェンリー

言ってました。(笑)
だから結局、「道徳」という問題から逃れることは、出来ないんですよね。人は。
ならば立ち向かおうと、立ち向かう為の思考を続けようと(それがこれだと)、著者は言うわけです。


以下更に縷々続きますが、今日はこれくらいで。
こういうシリアスな題材は、本当はむしろ一気に書いてしまった方が読む方も書く方も疲れなかったりするんですが(笑)、まあオフシーズンでネタ枯れ気味でもありますので、今回は小出しで失礼を。
よろしくお付き合い下さい。


テーマ:本読みの記録
ジャンル:本・雑誌
2015年の地上波アニメ(まとめ)
2015年12月19日 (土) | 編集 |
完走したもの。(予定も含む)
は純新作、は続編(的なもの)。


1月期

『暗殺教室』『艦隊これくしょん -艦これ』
『蒼穹のファフナー EXODUS』『黒子のバスケ 第3期』『ジョジョの奇妙な冒険 第三部 スターダストクルセイダース』


4月期

『電波教師』『アニメ 英国一家、日本を食べる』
『ベイビーステップ2』『長門有希ちゃんの消失』


7月期

『乱歩奇譚』『城下町のダンデライオン』『Charlotte(シャーロット)』『それが声優!』『GATE(ゲート) 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』『オーバーロード』
『WORKING!!!』『うしおととら』


10月期

『進撃!巨人中学校』『ワンパンマン』『学戦都市アスタリスク』
(『蒼穹のファフナー EXODUS』)『終物語』『ハイキュー!! セカンドシーズン』



・・・『死ぬ海』の方(笑)にでも倣って、ランク付けしてみますか。

大好き(Sランク)
『暗殺教室』『艦隊これくしょん -艦これ』
『ベイビーステップ2』

好き(Aランク)
『アニメ 英国一家、日本を食べる』『進撃!巨人中学校』
『WORKING!!!』『終物語』

まあまあ好き(Bランク)
『電波教師』『オーバーロード』『ワンパンマン』

普通(Cランク)
『城下町のダンデライオン』『Charlotte(シャーロット)』
『蒼穹のファフナー EXODUS』『黒子のバスケ 第3期』『ジョジョの奇妙な冒険 第三部 スターダストクルセイダース』『長門有希ちゃんの消失』『ハイキュー!! セカンドシーズン』

とりあえず見た(Dランク)
『乱歩奇譚』『それが声優!』『GATE(ゲート) 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』『学戦都市アスタリスク』
『うしおととら』


『ワンパンマン』はよく分かんないんですよね。
見てる時は楽しいんだけど、どうも騙されてるような気がしてならない。(笑)
まんまハッタリというか。
『オーバーロード』も若干見定め中。"アニメ"としては少しチープなので、この先の内容次第というか。今のところはもう一つ上でもいいくらい、面白いオーラは感じてます。
『蒼穹のファフナー EXODUS』はちゃんと見れば面白いのかも知れないけど、設定が複雑過ぎてついて行けない。小説で読みたい。(笑)
『電波教師』は内容もそうですけど、曲がみんな好きだった。
『Charlotte(シャーロット)』は大風呂敷をちゃんと畳み切ったのは偉かったなと思います。なまじ畳んじゃうとわざとらしく見えちゃったりするものですけど、それも含めて、努力賞ものかと。

以上。


ちなみに(最後まで)見るつもりで取り上げておいて脱落したのは、『俺物語!!』(4月期)、『クラスルームクライシス』『がっこうぐらし!』『アクエリオンロゴス』(7月期)、『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』『すべてがFになる』(10月期)。
『ロゴス』は1クールは付き合ったんですけど、内容的にもてっきり終わると思ったらまだ続いたので、ギブアップ。(笑)
ではよいお年を。(アニメ上の区切り)

テーマ:アニメ・感想
ジャンル:アニメ・コミック
今号のイブニング(’15.12.22) & 今月のモーニング2(’15.12月)
2015年12月22日 (火) | 編集 |
eve151222



『オールラウンダー廻』

細かくて申し訳ないけど、"もろ手"突きじゃないよね?(笑)
まあミスしたのは担当だろうけど。

『海賊とよばれた男』

弟なんていましたっけ。(笑)

『少女ファイト』

"守備の方が向いている"というのは、なんか面白い。
この先どう活きて来るんですかね。
実はチームプレイヤーだとか、いずれ全日本で守備版の練として、相補的にポジションを得るとか。

『プロメテオ』

弟の登場で、なんか話が転がりそうな予感はあります。
あの女記者では非力で。

『妖怪番長』

楽しそう。作者が。(笑)

『学生島耕作』

カンニングとかもそうですけど、慣れない奴根が真面目な奴がやると、なんかバレるんですよね。(笑)
悪事って。
しかもなんだかんだ、大人はバレたものしか見てなかったりするし。
躊躇しないことが大事。

『神様のジョーカー』

第二の神なのか、それとも神の"正体"追求の新たなアプローチなのか。
正直あんまりそこらへんは掘って欲しくないんですけど。
あくまで人間側の動きだけを、見ていたい。

『がんぼ』

面白かったけどラストの展開はなんか唐突。

『山賊ダイアリー』

来年は勿論、別に今年が猪だったわけでもないし、新年号の表紙としてはどうも不適格な気が。
考えても落ちが無いというか。
どうせ動物間違いなら、例えばこれくらいやって欲しい。



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『BOX』

うーん、"嵐の山荘"みたくなって来たな。
あんまりかっちりした"ミステリー"にはして欲しくない。
むしろさっさと脱出して欲しい。

『神様の横顔』

監督(?)の駄目出しは面白いけど、"恋心"が必要なのかは微妙。

『ゴールデンゴールド』

簡単に言うと、「ヨソ者」だけに見えるということですよね。

『メタラブ』

先生の"悪さ"が復活してまた面白くなったのに、終わりか。
もったいない作品でした。
勘どころを間違えてしまった。
主役であるべき人を脇役にしてしまった。

『ギュウしたい』

"食い物"ネタも"ラブコメ"展開も飽き飽きしてるはずが、面白い。
仕込みによるものなのかそれともパワーで押し切ってるのか。
いかにも読み切りっぽいのに連載なのも意外。(笑)

『アニメタ!』

温泉より水着が好き。
"乳揺れ"は、よっぽど上手く揺らしてくれないと、わざとらしくてうっとうしくしか感じません。
グラビアが見たいのにDVD見させられている感じ(笑)。動けばいいというものではない。

『おしりマカロン』

最終話必要?しりはどうしたの?(笑)

『フロイデ』

天然という以上に病的な感じが。シューベルト。
自分の曲忘れるのはいくらなんでもおかしい。
多重人格?(笑)
人を操作するというのは、多重人格者の特徴でもありますし。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック
今週のモーニング(’15.12.24)
2015年12月24日 (木) | 編集 |
mor151224


昨日休み中頑張ってアルベローニの続きを書いたんですけど、改めて見てみるとこんな背景で真面目な話をしても誰も読む気にならないだろうと気付いたので、こっちでお茶を濁しておきます。(笑)
まあせっかく凡田もコスプレしてくれてますし。(笑)

年内にはアップします。


『グラゼニ』

球速が出ていないことは、どういう理由付けなんでしょうね。
答えは来年!!(笑)

『ジャイキリ』

東京のサッカーね。
"ユース"とかならあるかもね。
地の利で集まる傾向が強いみたいだから。
でも高校だと、あんまりもうそういうイメージは無い気が。

『セケンノハテマデ』

たまに姉ちゃん欲しいなと思う時あるけど、こういう"イベント"の時にいじられることを考えると、やっぱり要らないなと思う。(笑)

『終電ちゃん』

へえ。
終電がダイヤ乱れるイメージは無いですけどね。
むしろ安定したイメージ。
乱れるならその前というか。
混むのは確かですけど。(笑)
そういう意味では、乗りたくない。

『きのう何食べた』

うーん、個人的には髪を切るのも美味しい(贅沢な)ものを食べるのも、お店じゃなくて家だと楽しさ半減という感じなんですが、この感じだと作者はおウチ大好きみたいですね。
家族仲が良かったんでしょうか。
逆に家で食べるものは、どんなに貧しくも平気です僕は。(笑)
餌だとしか思ってない。

『からまる』

割と好きなエピソードだった。

『へうげもの』

古織甘くね?
そろそろ要らなくね?(笑)
なんかもう、単に事件を追ってる感じですね、最近は。実際のところ、もう重要人物ではないんでしょうね、時代的に。

『インベスターZ』

ほう。
家買うなキャンペーンか、今度は。
実際くそ高いですよね。
賃貸は"保証人"制度が鬱陶しいけど(歳取って来ると該当者がいなくなるし)、基本的には現金持ってた方がいいような。
余るなら買ってもいいけど。
ていうか金があるなら、むしろポンポン引っ越したい。究極はホテル暮らし

『カバチ』

元々社長が悪かったどうかはともかくとして、情勢としては最早移られても仕方のないところかも。
問題はどの程度、社長個人の"アイデア"に頼っていたかですよね。

『4D』

アセンションね。あったねそういうの。
そう言えば幸福の科学はその言葉は使わないね。何でもありの割りには。
ちなみに何で二人はあのビルの近くにいたんでしたっけ。たまたま?
・・・どうもあれですね、"密教"の件もそうだけど、「4D」を軸にこれからも色々とそこらへんのものをまとめにかかって来そうですね、この作品。


メリークリスマス。(笑)


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック
F・アルベローニ『宇宙をつくりだすのは人間の心だ』(つづき)
2015年12月26日 (土) | 編集 |
というわけで(?)つづきです。
今回は少し長くなりましたが、これで終わりです。






第6章 ニヒリズムの効用

p.73-74
しかし、そのような"土台"がもはや存在しないということは、私たちが信じるものをもたないということではなく、私たちが価値観や高貴と思えるような目標をもっていないということでもない。私たちが道徳を失ったということでもない。

"土台"が存在しないというのはつまり、前回期せずして(笑)僕も言ったようなことです。

  「宗教の社会の表面からの退場や、"民主主義"や"価値相対主義"の一般化によって絶対の基準を
  奪われた状態」

言ってみれば知的な側面からの、強制力を持った道徳の排除ということですが。
根拠の明示出来ないものに、公的な力を与えないという。

ただそれでも

p.74-75
私たちも、良いこと、より良いことを信じ、夢見、願っている。
(中略)
私たちの司法組織は無数の権利を認め、擁護しているし、つねにその裾野を広げようとしている。

少なくとも西側社会を実際に動かす動因として、ある種の"道徳的"な(あえて言いますが)バイアスが強く存在しているのは確か。理論的根拠が希薄であるにも関わらず。
・・・今「権利」と言い、「西側」と言いましたが、ここに"自由"という概念を絡めて行くとまた論じ方は変わって行くんですけど、ややこしくなるので今は止めます。


ニヒリズムのあとに登場する新たな価値観

p.76
実際、まったく虚無的な文化というものはかつて存在したことがない。(中略)
ニヒリズムは少数者、概して、批判的少数者、あるいは革新的少数者の贅沢なのである。

p.77
今日、ニヒリズム的文化はまったくニヒリズム的でなく、自分が深淵に立っているなどとはつゆほども感じていない人々からなる社会に、居心地よさそうに存在している。

切羽詰まっていないから、追い詰められていないから、ニヒリズムなどを言い立てられるのだという。
絶望していないからこそ。
かつて西部邁が、浅田彰とその友人たちを、"えせニーチェ主義者"と切り捨てていたのを、思い出したりしましたが。(笑)
坊ちゃんたちのお遊びだろう?と。

また仮に知的エリートによる言説上の問題に限ったとしても、

p.76
そして、この場合でも、否定のあとには価値をもつものへと続く肯定的プロセスが存在しているのである。

p.77
ロシアのニヒリストたちは平等主義的革命を夢見ていた。マルクス主義者たちは(中略)すぐに新しい社会主義的人間が生まれると考えていた(中略)
ハイデッガーは、一九二九年から三〇年にかけての講義のなかで、哲学的省察を生むことになる根本的な精神状態を模索し、それを"深い倦怠"のなかに見出したのである。しかし、それから数年後、ドイツが危険な陶酔の時代を迎えると、「ドイツの文学の自己肯定」という論文で、彼の言葉は熱狂的になり、予言者的になるのである。

結局主張している当人でさえも、実際には"ニヒリズム"などというものに耐えることは出来ないのだ、必ず希望と理想を求めるのだという、そういう話。
・・・前回第4章で言った、悪に耐えられる人などいないという話と、似ているかもしれません。
元々強く"求め"るタイプだからこそ、一回は失望して、"ニヒル"になるのだと、そういう可能性もありますが。
それにしてもハイデッガーってみっともない。何人かいる"ナチスに同調した"と後に批判されたドイツ圏の思想家の中でも、際立って見苦しいという印象。基本の性根が、甘く出来てる感じ。

そして勿論、事実としても、ニヒリズムが完遂された社会など存在したことが無いし、学者たち(マルサスやマルクスやジョージ・オーウェル)の虚無的な予想が当たったことも無いと、著者は言います。

p.79
もし仮に、まったくの利害関係やまったくの競争しかなかったなら、社会組織はばらばらに分裂したかもしれないし、資本主義も自己崩壊していただろう。しかし、そうはならなかった。そのわけは、ある程度まで混乱に陥ると、再編成する力が出現したからである。

p.80
そして、一九八四年(*)のヨーロッパには、過去数十年にも勝る民主主義と個人主義が存在した。

で、結局章題の「ニヒリズムの効用」とは何かというと、それが流行することがむしろ、我々がいかに根本の部分で道徳的であるかニヒリスティックではないかを再確認する手段となり、また一方で我々の道徳を洗練させて社会をリニューアルして固める為のいい機会となっていると、そういう話。

ふむ。どうですかね。
ちょっと楽観的に過ぎる感もありますが。
"人間はニヒリズムには耐えられない"という意味で"道徳的"であるというのは、消極的ながらその通りだと思いますし、価値観が稀薄化する一方で長期的には人類社会が高度に道徳的な方向に向かっている、それもまあ、事実だとは思います。(少なくとも今までは)
ただ(道徳についての)理論的難点はそのままですし、だからこそでもありますが要は"本能による揺り戻し"に期待するという折衷的な態度は、何らか最終的なものと言えるのか。
・・・例えばそれこそ日本型の"社会主義"、資本主義や自由の自主規制的な不徹底みたいなものは、この著者はどう考えるのかなとか。ポジティブに評価するのだろうか。
つまりあれは、西洋型の弱肉強食(日本からすれば)というニヒリズムに対する、日本人の本能による「道徳的配慮」であると言えると思うので。



第7章 過去にどんな意味があるのか

p.92
イエス・キリストは、過去との関係を保つことにつねに努めていた。彼はなにも失われることを望んでいない。彼の伝えたいことは明白である。律法を廃するためではなく、それを完成させるために彼はやってきたのだ。

えらいところから入って来ましたが。(笑)
まあ、確かにそんなようなことを言ってはいました。あるいは"キリスト教"をユダヤ教から"独立"させてあまつさえ対立させるように仕向けたのは、弟子たちの勇み足(または陰謀(笑))だという主張も、まま聞くものではあります。
ユダヤとキリストとイスラムが、無事"一つの宗教"に収まっててくれたら、どんなに世界は平和か!(笑)

p.92
ところが、新たな愛、新たな信仰、新たなイデオロギーが、完全に過去との関係を絶つとき、新たな人間はもはや、義務も責務ももっていない。(中略)
そして、限界に対する完全な拒否に向かって、抑えがたい征服の欲求に向かって、不寛容と狂信に向かっていく。

結局ね、"過去との関係を絶つ"という形で新しい何かが主張される時、そこに隠れている動機は、そうして"切り取った"「正しさ」を「独占」したい「私有」したいということなわけですよね。・・・あらゆる"革命"を望む気持ちの中に、特有の卑しさがあるというか。
そして勿論、正しさを私有したと確信した人間は、"正しくない"他者に対してどんなことでもするわけです、出来るわけです。
それを防ぐのが、つまりは"過去"とのつながり。章題に従えば、"意味"
・・・何か今回持ち上げるようですが(笑)、西部邁が自らの立場を「保守」と位置付けるのも、こういう意味の、"新しさ"や"革命"に対する構造的根本的な不信によるわけですね。新し過ぎる福音は、全て間違っていると。構造的に。道徳的に。
勿論そんな態度はダルいですから、好き好んで西部邁も取っているわけではないわけで。意図して、努力して、自制している。「自覚的な」保守とは、そういうものですね。「保守」思想を「革命」的に熱狂的に標榜している類の連中は、また違いますが。

p.93
絶対であってほしいと願うあらゆる再出発や、絶対的で無条件に純粋であってほしいと願うどんな法則にも、道徳性はまったくないことを私は断言する。
道徳性は、ただ、このような過去の放棄や、棄教や、単純化が容認されない場合にのみ生じるのである。

"絶対"の批判を"断言"するということに、微妙な齟齬感を感じなくはないですが(笑)、それだけつまり、著者が熱を入れて語っているということ。
道徳を強く激しく求める人間の営みこそが、最も確実に効率的に道徳を破壊するというパラドックス、飽きもせず繰り返される"パターン"の虚しさ、繰り返す人間たちの哀しさ、それを眺めているしかなかった今までの悔しさ、そうしたものが込められているのを感じますが。
これに気付かない限り、"誰か"が持ち出す"新しい"道徳(運動)は必ず失敗するし、ひいては「道徳」そのものが信用を失い続ける。


第9章 なんのために進化するのか

p.108-109
道徳の領域には、したがって、二つのタイプの力が存在する。まず第一のものは、現行の社会をそのまま維持していく力である。(中略)
個々人はいずれも、自らの社会と結びついており、組織を構成する細胞のように、その社会に有利になるように行動する義務感を抱いている。彼の行動は、主観的には利他主義であるが、実際には、つねに集団のエゴイズムの内部に包含されていて、そこから抜け出ることはできない。

p.109
第二のタイプの道徳がある。生の飛躍が、既存の種や社会を乗り越えて新たなものをつくりだすように、開かれた道徳は社会の利害関係の境界を乗り越える。そのとき、この道徳は、個人のなかに形をとって現われる。
(中略)
ソクラテスの場合がそうであったし、イエス・キリストの場合も同様であった。彼らの開かれた魂は、普遍的理念に向けて、生命を超越して存在している。

またこれは少し別の話、ではありますが。今までとは。
"あるべき道徳"論の。
でも実は一番シンプルな話でもあって、"道徳"を"集団的暴力"に飲み込ませない為の、基本的な心掛け。
常に「個人」であること、「個人」としての自分の内心を問い続けること。・・・まあ前回の「"役割"に甘んじない」という話とは、重なるところが多いかもしれません。
集団的道徳不在の現代において"道徳的"な人というのは多かれ少なかれこういう人であろうと思いますが、同時にだからこそ"集団"的な"閉じた"道徳への忌避感は強くなって、結果道徳への"攻撃"もやまないという。
道徳心が強いからこそ"非道徳"に見える人というのは、実はとても多い気がします。特に現代では。

一方で前章で言ったように、「過去」「伝統」との繋がりという意味での"集団"性も必要なものなのでややこしいんですが、言葉としては「集合」性という言葉もあって、そういう区別でも設ければ、多少は理解し易くなるかなと。
目の前の"集団"の意識ではなくて、その背後(の更に背後)にある"集合"の無意識の方に、を降ろす。
故きを温ねて新しきを知って、それでも足りない部分について発明する、"飛躍"する。くらいのバランス。
まあ単純に「集団」の動きは常に遅いので、探求の成果はまず「個人」の中に現れるわけですね。歩調を集団の方に最初から合わせていると、イノベート出来ない。


第15章 献身することの意味

p.168
男性も女性も私たち人間は、誰もが他の人に、あるいは他のなんらかのものに尽くしたいという、やみがたい欲求を抱いているということである。私たちは、自分自身を愛や関心や配慮、留意の対象とすることができないということでもある。

p.169
単純かつ明瞭な事実は、私たち人間がどうしようもなく道徳的な存在だということである。
 このことは、私たち人間が善良であることを意味するのではなく、ひたすら自分自身のためだけにする行為は道徳的価値をもたないし、私たちの心の奥底には満たされない思いが残るということなのである。
 またについても、私たちは、なにか他のものを口実にして正当化しなければならない。

ナチス党員には"千年王国"という口実があり、、共産主義者には"プロレタリア革命"が、セルビア人には"大セルビア"があったと、そう著者は続けます。

まあ一応の、まとめ的な章。
人間が「欲求」として、「衝動」としての道徳を内側に持っている、欲求や衝動の「抑制」という消極的な意味ではなくという主張については、一つ個人的に印象的な記憶があります。
大学生の時に通学電車の網棚で拾ったゲンダイに載っていた(笑)ある本の書評で、その後探してもこれかなというのが見つからないんですが。
それはある時期(以降)アメリカを席巻した"ダイエット"ブーム('81オリビア・ニュートン・ジョン『フィジカル』、'82ジェーン・フォンダ『ワーク・アウト』)についての研究書で、その著者が主張するにはそれは"ミーイズム"的な思潮の全面化によって公共道徳を失ったアメリカ人が、行き場を失った「道徳衝動」自分の体に振り向けた結果であると、そういう話でした。
なんか分かる気がした、というのと、道徳自体が「衝動」であるという指摘にどきっとしたというのと。
まあダイエットなり嫌煙運動なりに、その実効性とは別に深層のモラリズム、自己(ないし他者)処罰的な要素があるというのは、明らかなことだと思いますし。"PTA"的なものや"言葉狩り"の類が、要するに内なる道徳的な強迫観念が"叩き易い"ところを見つけて食らいついているものだというのもまた明らか。"道徳的"ではない自分からの、逃避というか。
だからこそ著者も、「善良であることを意味するのではなく」と言っているわけですね。単なる欲求の満足でしかない、部分があると。


こんなところですかね。
"全体"としては、分かったような分からないようなところもありますが、「道徳」についての考察集としては、かなり行き届いたものだと思います。
僕はまあ、要は自分が道徳的に生きられればそれでいいので。人類にはあんまり期待していないというか。(笑)
そういう意味では僕も、「私有」とは違うつもりだけど、"正しい"側にいたいと、それだけなのかも知れない。
いい人が増えればいいなとは思ってますけど、でもあえて"増やそう"とすると失敗するのも、目に見えてるし。過去の人類史から。"道徳"の闇は深い。

著者の名誉(?)の為に言っておくと、実は僕は、著者の非常に重要な、中心と言ってもいいかもしれない論点を、あえて割愛しています。
それは進化論的、生命論的に、「道徳」衝動の必然性を理論づけたものなんですが・・・。
ちょっと手に余るので。この小さくて結構おしゃれな(笑)本からも、はみ出して見えるし。
興味がある人は、読んでみて下さい。


テーマ:本読みの記録
ジャンル:本・雑誌
ヴェルディ退団選手評'15
2015年12月28日 (月) | 編集 |
・・・という感じで、昔はよく書いてましたけどね。(笑)
一応「人事往来」なんですけど、何せ"入り"が特に無いので、"退団"選手評に。


福井諒司選手契約満了のお知らせ

福井 諒司[フクイ リョウジ]選手 DF
【生年月日】1987年8月7日
【出身地】兵庫県
【身長/体重】180cm/73kg
【経歴】
ガンバ大阪ジュニア → セレッソ大阪U-15 → セレッソ大阪U-18 → 福岡大学 → 東京ヴェルディ → ギラヴァンツ北九州 → 柏レイソル → 東京ヴェルディ(2013年に加入)
【2015出場記録】
J2リーグ戦 19試合出場0得点/天皇杯 0試合出場0得点

置いといて損は無い選手だとは思いますが、さりとて積極的に押せるほどの実績でも無しという。
もう28才か。ルーキーイヤー以来、二度目のクビですね。
繰り返しになりますが、安在のU-22やCBの層の薄さを考えれば、(両方出来る福井は)いないよりはいた方がいい選手だとは思います。
高さ強さという意味でも、稀少ではあるし。
まあこのレベルの選手はほとんど常に紙一重で去就が決まるものだろうとは思いますが、強いて意味づけをしてみると、冨樫監督に3バックをする気が全く無いと、そういう意味である可能性はあるかなと。


ブルーノ コウチーニョ選手契約満了のお知らせ

ブルーノ コウチーニョ[BRUNO COUTINHO] 選手 MF
【生年月日】1986年6月21日
【出身地】ブラジル
【身長/体重】186cm/82kg
【経歴】
グレミオ → アメリカFC → ナシオナル(ウルグアイ) → ヤギエロニア・ビャウィストク(ポーランド) → ポロニア・ワルシャワ(ポーランド) → ハポエル・テル・アビブ(イスラエル) → FCアストラ・ジュルジュ(ルーマニア) → ECペロタス → ヴェラーノポリス → 深圳紅鑽足球倶楽部(中国) → 東京ヴェルディ(2015年に加入)
【2015出場記録】
J2リーグ戦 21試合出場1得点/天皇杯 2試合出場1得点

結局リーグ戦1得点か。それじゃあね。
細かい好みは別にしても。
まあ期待は大きかったでしょうね、やっぱり。2015年のヴェルディが、少しだけ背丈を伸ばしてみようとしていた、その象徴というか鍵を握っていた選手。
・・・結局鍵は、開かなかったですけど(笑)。むしろ背を縮めることで、上手くくぐっていっとき部屋に入れたというか。(最後には追い出された)
こちらも意味づけをしてみると、切られるのがブルーノだけで、アランとウェズレイは残留するのなら、強化部はかなり細かい"目"で、今年からの継続性を考えているのかなと、そういう感じはします。
アランやウェズレイの、あのレベルの"活躍"すら、可能性として拾って行くという。


キローラン木鈴選手契約満了のお知らせ

キローラン 木鈴[キローラン コリン] 選手 DF
【生年月日】1992年4月7日
【出身地】東京都
【身長/体重】183cm/74kg
【経歴】
四六SC → スポーツ会館FC → ヴェルディジュニア → ヴェルディジュニアユース → 東京ヴェルディユース → 東京ヴェルディ → ギラヴァンツ北九州 → 東京ヴェルディ(2013年に加入) → ブラウブリッツ秋田(2015年7月より期限付き移籍)
【2015出場記録】
J2リーグ戦 0試合出場0得点/J3リーグ戦 11試合出場0得点
天皇杯 2試合出場0得点

ううむ。
あんまり見ていませんが、悪い選手ではなかったと思います。守りも線は細いですがそれなりには出来るし、フィードの質は確かに高かった。
ただ井林とかウェズレイとか、はたまた田村とかいう、冨樫監督のCBの起用の仕方を見ると、かなり実利本位というか、コリンのプレーでは少し高級過ぎるかなと、そういう感じはします。
まあ単純に、現時点で実力・実績が足りないと、そう評価されたんだとは思いますが。コンディションの不安定さも含めて。
ただ三竿がCBに入ることもあることからすると、コリン自体がもっとちゃんとしていたら、チャンスが無かったわけではないのかなと、そうも思います。
後はまあやっぱり、福井と同じで、「3バックはやらん」という、メッセージかもなと。


安田晃大選手移籍のお知らせ

安田 晃大[ヤスダ コウダイ] 選手 MF
【生年月日】1989年8月8日
【出身地】大阪府
【身長/体重】165cm/60kg
【経歴】
ガンバ大阪ジュニア → ガンバ大阪ジュニアユース → ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → ギラヴァンツ北九州 → 東京ヴェルディ → ガイナーレ鳥取 → 東京ヴェルディ → 愛媛FC(2015年8月より期限付き移籍)
【出場歴】
リーグ リーグカップ 天皇杯
チーム   試合 得点 試合 得点 試合 得点
東京V(J2) 10  0 - - 0 0
愛媛FC(J2) 12   0 - - - -

まあこちらもいたらいたなりの選手ではあるでしょうが、これはどちらかというと、"愛媛に望まれた"移籍と、考えていいんですかね。
ただ前にも言いましたが、今年のヴェルディでのプレーは、地味に良かったと思います。地味に成長したというか。
軽量級のトップ下だったのが低レベルのユーティリティープレイヤーになって、しかし今年は、渋く利くセントラルMFになりかかっていた。
愛媛での評価はどうなんですかね。レンタルで出したタイミングに既に違和感があったことからすると、あの時も木山監督から、かなり望まれて貸し出されていたのかも。
結果それほど活躍したとも聞きませんが、それなりに期待通りではあったのかなというのと、今年の実績を踏まえて愛媛本気だなと、そういう気配も感じます。木山挙国一致体制というか。(笑)
まあ頑張って。


"まとめ"て見てしまうと、ブルーノ以外は要するに「三浦前監督の」選手ではあって、それを言ってはおしまいよという話ではありますが。(笑)
まあ迷わず切り易いというのは、やはりあるかも。

今年中はもう無いよね?上げちゃうよ?(笑)



(追記12/29)
ポープ ウィリアム選手期限付き移籍のお知らせ

ポープ ウィリアム[William POPP] 選手 GK
【生年月日】1994年10月21日
【出身地】東京都日野市
【身長/体重】191cm/81kg
【経歴】
大和田SC→東京ヴェルディジュニアユース→東京ヴェルディユース→東京ヴェルディ

もう一つのともども、はてどうなってんのという話ではありますが。
まあ最終的な陣容を見ないとねという。
行き先が同カテゴリー(岐阜)ということは、さすがに他に(GKが)入って来る当てがあっての話ではあると思いますが。


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KUNI 『Masque』
2015年12月30日 (水) | 編集 |



特にどうという話、どうというアルバムではないんですけど、Amazonで10000円も払って買ったので、少し元取ろうと思って。(笑)
今年最後の更新のネタに。

無名のギタリストであったKUNIは1983年に渡米し、現地で一流のミュージシャンと交わりながらソロ・アルバムを制作、 1986年に『Masque』を発表した。

Wiki より。
"無名"というのは日本でですね。数奇な音楽生活を送っている、変わり種の日本人ギタリストのデビュー・ソロアルバム。
まあ何でしょうね、日本での無名っぷりと、えいっと出てみた"本場"での認められっぷりが、何となく三浦知良的な部分のある人です。特に"凱旋"はしてませんけど。(笑)

このデビュー盤に参加したのは、ビリー・シーン、フランキー・バネリ(英語版)、チャック・ライト(英語版)、カル・スワン、ケヴィン・ダブロウ、ニール・タービン(英語版)、ジョン・パーデル(英語版)、奥本亮(英語版)など。

メインに支えているのは、交友関係の深かったらしい、フランキー・バネリ(ds)、チャック・ライト(b)の"クワイエット・ライオット"組ですが、アルバムの売りとしてはむしろゲスト的に参加した、当時ようやくD・L・ロスバンドへの参加



で名前の知られ出した、バカテク・ベーシストのビリー・シーンと、直後('87)に"ライオン"という歴史に少しだけ(笑)残る愛すべき好メタル・バンドを結成



する、カル・スワン(vo)とマーク・エドワーズ(ds)のコンビの方かなと。
名前にインパクトがあるというのもそうですし、全体としてはLA/アメリカンなメタルサウンドな中で、ビリー・シーンの"クラシック"気質やカル・スワンのイギリス(スコットランド)人魂と、言ったって日本人であるKUNIの情緒豊かなギターが"異郷"で魂の邂逅を果たした的な、そういう風情はあります。
特にカル・スワンと絡んだ8曲目、ソウルフルな『Restless Heart』は、人気の高い曲ですね。ビリー・シーンとの絡みは、いかにもまだ"ゲスト"的な部分も大きいですが。

といって別にKUNIは無理にアメリカン・サウンドに合わせているわけではなくて、自分を認めてくれたアメリカのメタル・シーンの空気、ストレートで軽快なメタル・サウンドを伸び伸びと表現しながら、そこにナチュラルに彼のギターの陰影感が絡んで行く感じはとてもいいです。なんだかんだ僕は、上の大物"ゲスト"陣の絡まない、捻りなくストレートな1曲目『When We Rock』~2曲目『Love Taker』の流れが一番好きかな。

その"アメリカン"な部分を、今度はより商業的に"バンド"として、意図的に全面展開したのが、次の『Lookin' For Action』('88)。



これは結構評価も高い、確かに完成度は高い作品なんですけど・・・僕はちょっと。あんまり。
誰でも作れそうというか、余りに日本人ギタリストの、"就職活動"的というか。不自然な感じ。


その後は・・・

1993年に帰国。ギター演奏から離れてA&Rとしてヴァン・ヘイレン、エアロスミス、オジー・オズボーン、キッス、B'z、ボン・ジョヴィ、Mr. Bigらを手掛けた。



へええ、そんなことになってたんだ。
ちなみに年代的には、上のアルバムにはまだ関与していません。有名なので挙げておきましたが。(笑)
とにかくビリー・シーンとの縁は続いていたということで。

1988年にはレコード・レーベルとしてZAIN RECORDS下にBIG M.F.を起ち上げ、ビリー・シーン、シェーン・ガラース、ジョージ・リンチ、ポール・ディアノ、イナフ・ズナフ、バリー・スパークス、MR. ORANGEらの作品を制作。
また自身の作品としてアルバム『FUCKED UP!』2000年に発売した。




これはエリック・シンガー、デイヴ・スピッツ(英語版)、デレク・セント・ホルムズ(英語版)らと1990~1992年にかけて録音した音源に、松本孝弘、山口昌人、ビリー・シーン、カル・スワンらと1999年に録音した音源を加えたもの。

松本孝弘?どれだろう。B'Z知らないんで分かんないですけど。
久しぶり(12年ぶり)の自作品ですが、録音の経緯もあって"アウトテイク"集的な感じで、'80年代の作品に比べて特に曲調に大きな変化は無いです。『Lookin' For Action』の外向きな感じと、『Masque』の内向きな感じの、中間くらいですかね。何てことは無いですけど(笑)、全然悪くはないです。
1つ過去の作品に比べた特徴、聴き所としては、さすが10年以上の付き合いを経た後だけあって、ビリー・シーンとの絡みが格段に有機的になっていること。元々相性はいいと思いますし。お互いクラシック的ヨーロッパ的なバックグラウンド・資質を持ち、かつそれゆえというのもあって、生粋の"メタリスト"である、"アメリカン・ロック"ではなく。
Mr.BIGで興味を失って以来、ビリー・シーンの近況は追ってませんが、いっそ初期TALAS



的なバンドを、二人でやってくれないかなという感じ。
クラシック、メタリック、かつポップ。
とにかくこのアルバムは、曲のコンパクトさとビリー・シーンの伸び伸びとしたベース・プレイが聴きものという感じで、あんまり"ギタリスト"アルバムではないですね。裏方歴が長かったからかな。(笑)

再びギタリストとしてティアーズ音楽事務所と契約し、2010年にLOUD PARKの舞台へ立った。その翌年、レコード・デビュー25周年を記念する2011年に、過去に録音した音源と、ギルビー・クラークやジョン・コラビ(英語版)、マーク・ボールズらと録音した未発表音源、さらにAnchangらと新たに録音した音源を加え、『KUNI ROCK』を発表。




これは聴いてません。まあ気が向けば。
しかし不思議なキャリアですね。
業界での人望があるというか、色々な人から総合的な音楽センスを認められてるんだろうなあという感じは凄くしますが。
一応まだ現役?


・・・さて最後にようやく『Masque』レビューというか、"ギタリスト"KUNIの解説ですが。
それなりに"速弾きギタリスト"の類なのかも知れませんが、テクニック的には全然大したことはありません。(笑)
デビュー当時としても、そうだったと思います。
上手い上手くないで言ったら、同じ"アメリカで知られている日本人メタルギタリスト"でも、高崎晃あたりの方が遥かに上です。ただ逆に"日本人"である意味としては、高崎晃より遥かに上です。
徹底的に"国際的"になろうとした高崎晃と、"異邦人としてアメリカに溶け込んだ"KUNIとの違いという感じですかね。

その"異邦人"性も加味して似たギタリストを探すと、マイケル・シェンカーとかかな。
KUNIの方がよりアメリカンでメタリックではありますが、ソロもバッキングも、全フレーズが満遍なく"メロディック"な感じは、よく似ています。似てるというか、"稀少"なタイプ。
オランダのエイドリアン・ヴァンデンバーグやノルウェーのジョン・ノーラムなんてのもいますが、彼らはちょっと、"メロディ"の押し方が露骨ですね。KUNIやマイケル・シェンカーはメロディックではあっても、それが曲として機能的に必要とされるフレーズに、"溶け込んで"いる感じが特徴。

そうね。技術的な中途半端さも含めて(笑)、マイケル・シェンカーとリッチー・ブラックモアの間みたいな感じのギタリストでしょうか。+"ヘヴィ・メタル世代"感。
"アルバム"としては、イングヴェイの1stに少し似てるかも。



"ギタリスト"アルバムではあるんだけど、不思議にゲスト・ヴォーカルのヴォーカルの乗りがいい感じが。
イングヴェイはあれですよね、この後に作ったどんな"バンド"アルバムよりも(笑)、この1st"ソロ"の方がそこらへんが素直で聴き易い感じがします。


・・・はて。
何か5000円台の、もっと安いのがあるな。(笑)



こんなのあったかなあ。
僕が上のを"売り切れ"にしちゃったから、出て来たのかな。(笑)

まあ何せそれでも高いので、それほど強くは薦めませんが、オーソドックスなメタルが好きな人マイケル・シェンカーが好きな人、僕の解説に興味を抱いた人は、良かったら聴いてみて下さい。
"凄く"はないけど、何かと"琴線"に触れる可能性はある、アルバム、アーティストだとは思います。


よいお年を。


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