ウッダード『GHQの宗教政策』/信教の自由と「予言者」マッカーサー

前回まで。


第六章 「信教の自由」の奨励

宗教界からの追放はなし

p.220

バンスは宗教界からの追放の実施に反対する議論のほうが、これに賛成する議論を上回っていると判断したのである。彼は、アメリカの世論神道にかんしては追放の実施を支持するだろうと考えたが、もし追放を他の宗教にもおよぼした場合どうなるかについては確信を持てなかった。

日本の宗教人の公職追放について。
はっきりとは書いてませんが、後半を見る限りここでバンスが慮ったのは、日本での「議論」というよりアメリカでのそれのようですね。
それにしても、何度も言いますが当時のアメリカ国民が「世論」のレベルで日本の「神道」にそんな明確な"意見"を持っていた(らしい)というのは、驚きというか違和感というか。現代のアメリカ人だって、どれだけ日本の国内事情に知識を持っているか怪しいものなのに。
それはそれとして、やはりここにおいても当時のアメリカ人の、"宗教"全般についての好意的態度は、見ては取れますね。(元)敵国の宗教人に対してすらも、バンスがこれだけ気にしなければならないほどに、同情が予想されたという。


神社の「宗教法人」化/神社本庁の結成

p.228

神社の連合体形成にかんする提案をバンスが支持するかという重要な問いは、直接には行なわれなかったのである。

これも何度も言いますが、むしろ"指示"を欲しがっていた各宗、ここでは神道側に対して、バンス及びGHQは、あくまで不干渉を貫いたという、そういう話。直接的な"問い"を行うところまですら、行っていない。勝手に腹を探っていただけ。
神社本庁が結成されたというのは、そうした"政府"側の沈黙に対して、自ら完全に民間のいち宗教(法人)として、神社界が再出発することを決めたという、基本的にはそういう出来事なわけですね。神社組織が強化・結束することに、今日見られるように「国家神道の復活」という臭いは感じられるとしても、宗教政策上の原則論としては、あくまでそういうこと。神社界が自ら決める、つまり「信教の自由」「政教分離」


新宗教の温室としての日本

p.247

占領初期の数年間、信教の自由の結果として、多くの新しい教派とカルトが出現した。しかし、(中略)アメリカの政策決定者が予測していたことを、わずかでも示唆するような記録はまったくない。民間情報教育局の誰一人として(中略)日本の宗教に精通しておらず、宗教課は日本の宗教の一場面としてそれらを扱うこと以外には特別な政策を持たなかった。
(中略)
訪問者は決まって、日本人がどのように新宗教に食いものにされているかに注意を向けさせ、しばしば新しい運動を抑圧するように求めた。

へえという感じ。
まあ元々江戸末期以来、近代日本は"世直し"を求める無数の宗教運動("尊王"思想自体が一種の宗教)に彩られては来たわけで、「国家神道」の統制のたがが外れたらそうなるかという感じではありますが。
アメリカ人がそれを予測出来たかと言えば、それは出来なかったかなと。ただここまでのGHQの態度を見て来れば、そういう有象無象含めて"良し"と、恐らくはハナからそういう対処しか可能性は無かったろうなとも。
ちなみに「訪問者」というのは、日本人の宗教関係者たちです。日本人はアメリカ人程には、宗教性善説ではないという。そこまで「自由」を有難がっていないというか。(笑)


信教の自由と検閲

p.273

検閲はたえず非難の的となったが、その非難の多くは、かなり正当性のあるものであった。多くの場合、記事削除は、短い抜粋だけを材料に、電話で決定されていた。(中略)
占領初期の数年間、ある程度の安定が確立されるまで多少の検閲は明らかに必要であったが、一九五〇年についに検閲が廃止されたことは、関係者全員にとって喜ばしいことだった。

これしか書いていないので、検閲の全体像とか経緯とかは分からないんですが。
とにかく実情はそうであったと。
ただまあ、いかにもウッダード自身が検閲が嫌で嫌で仕方が無いような雰囲気なので、"関係者全員"というのは多少偏った言い方かも知れません。(笑)


宗教指導者訪米の大企画

p.273

一九五一年夏に、日本の宗教指導者の再教育のために八人の宗教指導者から構成された代表団をアメリカに派遣し、九〇日にわたって諸宗教の中心地を見学させ、またアメリカの宗教指導者と会談させるという(中略)企画があった。(中略)
文部省の宗務課長と神社神道、仏教、天理教の代表者がふくまれていた。

へえええ。これは初耳。そんなことが。
それはそれとして、天理教の地位高いですね。(そもそも西洋由来で"教育"の必要の無い)キリスト教を除けば、神道・仏教に次ぐ"第三"の宗教と目されていたということですかね。

p.274

仏教徒の日本宗教連盟の代表者は、五月下旬にこの企画書を見せられて歓喜し、宗教課にたいして全力を尽くして最良の代表を選考とする請け合った。

これがねえ・・・。どうなんでしょ。
"屈辱的"という感覚は無かったんでしょうか。まあ無いはずは無いとは思いますが、少なくとも人によっては。
戦前・戦中に統制に苦しんだ、それは分かるんですけど、どうも戦後民主主義に対する日本の仏教界の余りに迎合的な態度は、それはそれで気に入らないところがあります。それはGHQの直接の圧力が去った後でもそうというか、今日ますますそう感じるというか。"民主主義"より遥かに古い思想としての、誇りはどうなってるんだろうという。仏教は好きだけど、坊主は嫌いだ。死んだのはともかく、生きている坊主に説得された試しが無い。
まあ仏教が骨抜きになるのは仏教の勝手ではあるんですけど、でも結局それを含む"受容"する日本人側に何のカウンターも無かったから、(戦後民主主義の)受容自体が安易になって、今日の思想状況を生んでいるとは思うんですよね。ただの反動にも、ろくな反論が出来ない。
まあいいけど。

代表団は、クリスチャン・サイエンス・モルモン教、ファーザー・ディバイン運動などをふくむカトリックおよびプロテスタントのキリスト教ばかりでなく、ユダヤ教の諸団体を訪問した

うーん、なんか香ばしいラインアップ。(笑)
まあメジャーどころは、"ふくむ"以外のところに入っちゃってあえて名前は挙がっていないんでしょうけど、それにしてもそんな連中に教えを請うたのかという。やっぱ屈辱だろう、これ。
クリスチャン・サイエンスは、教勢は大きいもののアメドラなどを見る限り、今日では完全にカルト扱いされている感じですが、書き方からするとこの本が書かれた1972年時点では、必ずしもそういう認識ではなかったようですね。ちなみに日本にも、実は明治の時代から入っては来ていたようです。(クリスチャン・サイエンスWiki)
モルモンは逆に、19世紀には一夫多妻制問題等、アメリカの主流キリスト教社会とかなり血みどろの戦いなども繰り広げていましたが、19世紀末にはユタも州として正式に認められ、半世紀後のこの頃にはすっかり落ち着いてはいたんでしょうね。(モルモン教Wiki)
ファーザー・ディバイン運動は・・・出て来ないですね、検索しても。この本くらいか。


いずれにしても、相当な非主流派も含めたラインアップで、なんか「西洋」なら何でもいいというような感じで、ますます屈辱的です。(笑)
何を教わって来たんでしょうね。

この章はこれで終わりです。

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