ヴェルディ、代表、二次元、女子バレー 他
"右"と"左"についての個人史的考察 ~僕は"右"なのか"左"なのか(はじめに)
2019年05月01日 (水) | 編集 |
令和一発目!

いやあ、新元号に、噂されていた「安」がつかなくて、正直ほっとしました。今後何十年かもやもやしながら元号を使うことになるところでしたから・・・と、いきなり"政治的"発言(笑)をかましつつ。

その"安"倍政権周りを中心に、ここ日本でも平成の特に後半はおよそ政治的に鈍感・無関心な人たちも含めて、様々に意識をかき乱していた「右」(翼)と「左」(翼)という問題について、僕自身の個人史的"心当たり"を手掛かりに少し整理してみたいなという、そういう企画です。
定義は特にしません。以下の実例で語りたいという意味と、そして結局は要するに"感性"的問題であるという、予定的な結論という理由で。

ちなみに少し前にtwitterで流れて来た政党座標テストというものをやってみたら、こうでした。

政党

「左派」と「右派」は、こんな感じかなあ。真ん中というよりも、両方あって打ち消し合ってる感じ。
「自由」と「共同体」は、もっと「自由」寄りかと思いましたが。僕が嫌いなのは、「右」というより「共同体」
安倍政権でも本当に嫌なのは、「防衛」(軍事・外交)とか憲法9条とかではなくて、「家族」主義や「道徳」の押し付けの方(内政)。(経済はそもそもよく分からん)


さて今回は「実例」主義ということで、先に"メニュー"を挙げておく形にしてみたいと思います。
僕の「思想」形成、特に"右"や"左"に関連しそうな内容に関する、思想的な経験の一覧。
思い出せる限り。

1.幼少期~小学校時代

「計画経済」と「国連軍」 (と、イスラエルのキブツ) 
『太陽にほえろ!』('72~)と『大草原の小さな家』('75~) 
日本SF(星新一、筒井康隆、半村良ら) 
本宮ひろ志『硬派銀次郎』('76~) 
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』('78)への反発 反右

2.大学時代

PMRC('85設立)とポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
渋谷陽一の音楽批評 双方
栗本慎一郎と現代思想 であり
呉智英の「封建主義」 
大本教への興味 
"市民運動家"との出会い 反左

3.大学卒業以後

とあるセレッソ系ブログ やや右
米ドラマ『ボストン・リーガル』('04~) 極右
とある徳島系ブログ 極右
西部邁と「保守」 やや右

・・・これくらいかな。おおよそ"経験"順。「左」とか「右」とかいうのは、経験の方向性。
大学の後半から「右」ばっかりですけど(笑)、それは右に染まったのではなくて"右"的なものも受け入れて、思想的に完成というか中庸化して行ったプロセスと、そういうことにして下さい。(笑)
「中学」「高校」が丸々抜けてますが、この時期は何というか、意図的に外界からの影響を遮断して、意識して本を読まないようにしていた謎の時代なので。(笑)
ネットも無い時代、そうなると本当に空白になるというか、純粋培養・独自思考が進む。(良くも悪くも)
"とある"ブログ二つは、本文を書く時には実名を挙げる予定。


「小学生」につづく。


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ジャンル:政治・経済
"右"と"左"についての個人史的考察 : 小学生編
2019年05月01日 (水) | 編集 |
(はじめに)より。


小学校時代

「計画経済」と「国連軍」 (と、イスラエルのキブツ) 
『太陽にほえろ!』('72~)と『大草原の小さな家』('75~) 
日本SF(星新一、筒井康隆、半村良ら) 
本宮ひろ志『硬派銀次郎』('76~) 
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』('78)への反発 反右


1.「計画経済」と「国連軍」(と、キブツ) ~原始的理性主義・素朴理想主義

今も大して無いですし、増して子供の頃に政治や経済や社会に対する関心は無きに等しかったと思いますが、その中で記憶にある最も古い、関連項目としてはこんなものがありました。
小学校の・・・4年生くらいですかね、学校で歴史の授業が始まる少し前に親が買い与えてくれた、和歌森太郎監修『学習漫画日本の歴史』。(1967年、集英社)



その現代史のパートでソビエト連邦(当時)についての紹介があって、社会主義国ソ連では、「計画経済」というものが行われていて、"三ヶ年計画"や"五ヶ年計画"が次々に施行されて経済が運営されていると。
その成否についての記述はあったのかも知れませんがとりあえず僕は覚えていません(笑)、僕が覚えているのは「計画経済」という響きそのもの、経済を「計画」的に行うなんてなんて素晴らしいんだ、さぞかし上手く行くのに違いない日本もやればいいのにという、とてもとても素朴な感想でした(笑)。(戦後日本の"傾斜生産方式"云々についての記述は、あったのか無かったのか、どのみち覚えてはいませんが)

この時点で僕に何らか予備知識なり何かからの思想的影響があったという記憶は全く無くて、これは本当に純粋に、「物事は"計画的"に行えば上手く行くものだ」という、"理"性的なもの、理性の能力への素朴で無邪気な信頼を僕が抱いていたということを表しているんだと思います。そしてこれは後年の知識ですが、所謂"マルクス主義"的なものへの支持の中心にあったのも、実はこういう正に"子供"じみた信頼・楽観なのだと、僕は思うわけですが。社会(経済)は完全に計画可能であり、そしてその"計画"は概ね善意に基づいて実行されると期待し得るいうことへの。

今"善意"ということを言いましたが、恐らくは同時期か少し前の、別のイメージ。
どこで知ったのか分からないんですけど、世界には「国連軍」というものがあって、どこかに悪いことをする国があったらその「国連軍」が出動して、みんなで協力してその国を懲らしめるらしいということを聞いて、「それは素晴らしい、みんなで協力するなら無敵だね、悪い奴なんてひとひねりだね」とほとんど何の疑いも無く、"国連軍"の絶対的善意と絶対的戦闘力に安心感信頼感を抱いた、そんな記憶があります。
案外素直いいコでしたね(笑)。僕が特別にそうなのか、それとも同時代の(日本の)子供はだいたいこんなもんだったのか、特にこういう話を友達としたことも無いので分かりませんが。

さて"社会"的なトピックスの中でこの時期もう一つ特別な印象に残っているものとして、これは完全に授業でやったんでしょうが、「イスラエルのキブツ」というものがあります。

キブツ (ブリタニカ国際大百科事典)

・イスラエル独特の集団農業共同体
・構成員間の完全な平等,相互責任,個人所有の否定,生産・消費の共同性の原則に基づいて組織
・衣食住など生活に必要なものはすべてキブツが提供,夫婦の家,子供の家,青年の家などが別々にあり,両親と子供は寝食をともにせず,育児や教育も集団で行われる

色々書いてありますが、小学生の僕の印象に残ったのは3つ目の項目のみ、「両親と子供は寝食をともにせず,育児や教育も集団で行われる」の部分。
それに対する僕の反応は・・・「いいな」というものでした。
子供が「親」や「家庭」に縛られないなんて、なんて素晴らしいんだと。素直に。(笑)
"集団"自体がいいとは思いませんでしたが、それに伴うだろう「計画」性の方にも惹かれましたかね。「計画経済」の理想視と、同じ回路で。

ただし、志向としての共通性はあっても、これに関しては若干の偏りや"曇り"が自分で感じられて、「計画経済」や「国連軍」に対する憧憬ほど、純粋で素朴な反応ではなかったと思います。
つまり個人としての(小学生の)僕が「家族」や「親」に余りポジティブな感情を抱いていなかった、そのことが反映されての"偏り"のある反応だろうなと。
だから「計画経済」や「国連軍」に対する子供時代の自分の反応が『思想』だとは特に思わないけれど、「キブツ」に対するそれには幾分かの『思想』性を感じるという。"左傾"化というか(笑)。伝統的共同体(この場合は家族)を忌避する傾向。


2. 『太陽にほえろ!』と『大草原の小さな家』  ~"弱者"への視線と社会的公正性の希求

(1)は一応"理論"的な話ですが、次はもっと感情的に、幼少期の僕の人格・思想に影響を与えたと考えられるTVドラマの話。

『太陽にほえろ!』・・・放送開始は1972年ですが、僕がはっきり覚えているのは"ロッキー"の登場前後からなので、多分1977年以降
『大草原の小さな家』・・・日本では1975年からNHKで放送。

国民的人気ドラマとして、今でも知られる名作刑事ドラマ『太陽にほえろ!』。若い人もゆうたろうによる"ポス"石原裕次郎の物真似や、芸人が好んで引用する"ジーパン"松田優作の殉職シーンなどで、見たことは無くても何となくは知っているはず。先頃亡くなった天才俳優"ショーケン"萩原健一さんも、"マカロニ"役でオリジナルメンバーでしたね。
番組の表の看板は、それこそ松田優作や萩原健一などの若くかっこいい刑事たちの活躍する、やたら"走る"シーンが多いことで知られる(笑)"アクション"を強調した青春ドラマ的性格にあったわけですが、しかし『太陽にほえろ!』がここまで国民的ドラマとなった、別な言い方をすれば老若男女に広く見られる、我が家でもそうてしたが家族団欒のお供的役割を果たすことになった理由は、その生真面目で丹念な"ヒューマニズム"性格の濃いドラマ性にあったと思います。若手刑事たちは毎度イキってぴょんぴょん跳ねるんですけど(笑)、視聴者が見ていた/支持していたのはむしろそれをたしなめるベテラン・中堅刑事たちの慎重な事件・犯人の取り扱いの方だったのではないかと。それは子供の視聴者も含めて。

その『太陽にほえろ!』的ヒューマニズムの軸となっていたのは、一言で言えば"犯罪を犯す側にも事情がある"ということかと。そういう状況へ追い詰められた、あるいは単純に愚かで軽挙な犯人への憐み・同情心、結果としての犯罪という一つの事実よりも、事件の構造や背景を理解する努力、多くは社会の矛盾や不公平への問題意識への視線も含んだそういう"慎重"な態度、"公平"であろうとする努力、それがドラマとしての『太陽にほえろ!』やそこで描かれる"七曲署捜査一課"の刑事たちの行動を貫く基本的な姿勢であったと思います。(勿論違うタイプの事件・エピソードも時にはあります)

ただこれは別に『太陽にほえろ!』のみの特徴ではなくて、米英含めた洋の東西を問わない「警察ドラマ」の王道的パターンであって、それは簡単に言えば、"犯人側の事情"を描かないとドラマとしての必要な葛藤を作り上げるのが困難だからだと思いますが。悪い奴がいた、やっつけろ!捕まえた、わーい!ばっかりでは、継続的にまともなドラマは作れない(笑)。桃太郎にすら、鬼側の事情はありますからね。(笑)
その中で『太陽にほえろ!』が際立つのは、肩肘張らないエンターテインメントドラマという枠の中で、子供も含めた視聴者が自然に納得するような形でそれを行ったこと、同じことですが端的にエピソード・脚本の出来が圧倒的に良かったこと、あるいは上でも言った「若手」と「ベテラン・中堅」の対比が分かり易い構造として非常に有効だったこと、そういうことが挙げられるかなと。
そして結果として"国民的人気ドラマ"であって誰もが見たという、影響力。"時代精神"とまでいうと、少し大げさかもしれませんが。

更にそして・・・山さんかなと。僕が付け加えたいのは。露口茂さん演じる、"山村精一"刑事。

山村精一

彼の特権的な人格的説得力。
同じヒューマニズムでも、例えば"ゴリ"さんだと少々暑苦しくて馬鹿っぽくも見えるし、"長"(ちょう)さんだといくら何でもおじいちゃん過ぎるし(笑)、"殿下"は殿下だしとそれぞれ一つのパーソナリティ傾向、"価値観"でしかないように見えてしまうところがあると思いますが、それが山さんになると、彼の飄々とユーモラスに知的ででも底無しに優しくて、かつそれらが刑事としての圧倒的な現実的"有能"さに裏打ちされている人格的「完成」感は、そのまま彼の体現する『太陽にほえろ!』ヒューマニズムの"正解"感に繋がっていたと思います。山さんが言うんならそうなんだろうなと。難しい所のある問題だけど、とりあえずそこらへんで納得しておこうという。

構造としての『太陽にほえろ!』ヒューマニズムは、山さんという"個人"をとどめとして完成する。それを言葉少なながら常にバックアップする、"ボス"石原裕次郎との「二頭体制」の厚みも頼もしかったですね。
これ以上は単なる『太陽にほえろ!』論になってしまうのでやめますが、とにかくある世代からある世代の日本人にとって、『太陽にほえろ!』が示していた価値観物の見方人間観は、個人差はあれど確実に一つの国民的"基調"として機能していた部分があったと思います。
勿論子供時代の僕も、それを信じていた・・・という程積極的自覚的なものでは多分なかったですが、少なくとも社会的目標としておおまか目指すべき方向性としては、疑う必要を特に感じてはいませんでした。山さんみたいな大人ばかりでないということはそれこそ『太陽にほえろ!』を見ていれば分かるわけですが(笑)、しかし出来ることならば、誰もが山さんのような想像力や優しさを持って(犯罪者も含む)他者に接するべきであるし、大人たるもの出来ればみんな山さん(笑)になるべきだと。

・・・その"当たり前"を後にひっくり返す言説を目にして僕は驚くことになるわけですけど、それはまた後の話。


似たタイプの影響力を持っていたものとしては、米ドラマ『大草原の小さな家』があったと思います。
むしろ『大草原』が代表するアメリカン・ヒューマニズムを手本として『太陽』等戦後の日本のドラマは作られたと言った方がいいのかも知れませんが、大人になってから全話見直した時に、具体的には一つのエピソードも自分が覚えていなかったことが分かってしまった(笑)ので、細かい語りは控えようと思います。見た時に湧き上がる"感情"自体には、確かに覚えはあるんですけどね。子供時代にどの時期の何回目の放送の『大草原』を見たのか、どうにも確定出来ない。

ともかく『大草原』で描かれた、"犯人"ではないですが(笑)"反抗児"ローラ

ローラ・インガルス

の、大人社会の無慈悲や矛盾や不公平に対する怒りや抗議への共感やある種の「正当」性の感覚、そしてその無鉄砲を時にたしなめつつも受け止めるべきは受け止めて、大人の知恵で共に戦ってくれるチャールズパパ

チャールズ・インガルス

圧倒的な包容力と信頼感の記憶は、時期は不確かなれども『太陽にほえろ!』と同様の"原風景"として、確かに自分の中に見出すことが出来ます。

日本に山さんがいれば、アメリカにはチャールズパパがいる(笑)。大人がみんな二人のようであれば、子供はどんなに安心して育つことが出来るでしょう!
比べるとチャールズパパの方は、時代背景もあって結構パターナル(父権的)ですけどね今の観点で見ると。
ともかく山さんやチャールズパパが体現するような思いやりと汲み取りを基本とするヒューマニズムが、時代を代表するストーリーのど真ん中にあって、堂々とモデルであった時代が確かにあったということです。
まあ別に『はぐれ刑事』でも『相棒』でも、人気ドラマの基本はそんなに変わってないんだろうと思うんですけどね、上でも言ったように。ただ影響力というか社会の中での位置は、だいぶ変わった気がします。アメリカなんかの場合は、「警察ドラマ」の作り方自体がある時期以降変わってしまっていますが、その話はまた後で。

いやあ、難しいですよ、山さんやチャールズパパを疑うのは。(笑)
そういう人(子供)もいたんでしょうけどね。友達にはなれなかったでしょうね(笑)。もしくは際立って不幸な子供か。


3.日本SFの影響 ~懐疑主義、(文化)相対主義の目覚め
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"右"と"左"についての個人史的考察:大学生編 [1] ~ポリティカル・コレクトネスとフェミニズム
2019年05月07日 (火) | 編集 |
(はじめに)(小学生編)


"ポリティカル・コレクトネスとフェミニズム"
何て煽情的なサブタイトル。炎上狙いか?(笑)
まあ残念ながら(?)、そういう内容ではないと思います。"期待"にはそぐえないかと。(笑)


大学生編

PMRCとポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
渋谷陽一の音楽批評 双方
栗本慎一郎と現代思想 であり
呉智英の「封建主義」 
大本教への興味 
"市民運動家"との出会い 反左


1.PMRCとポリティカル・コレクトネス

(1)ポリティカル・コレクトネスとPMRC

ポリティカル・コレクトネス

性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用することを指す。(Wiki)

日本において「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が普通に聞かれるようになった・・・"普通"というのはつまり、インターネットは普通(笑)にやるけれど特別政治や社会問題に関心があるわけではなく、立ち寄り先は専らニュースサイトやツイッターや趣味関連のブログ程度という僕のような人の目にも触れるようになったという意味ですが、それを"普通"と言っていいならそれはいつ頃のことでしょうかね。
"大統領候補"ドナルド・トランプの言動が話題になるようになったのは2015~16年頃でしょうが、さすがにそれでは最近過ぎるか。Wikiに載っている目立つ用例として、「スチュワーデス→キャビンアテンダント」が1996年、「看護婦→看護師」が2002年ですから、そこらへんでは既に"実態"としては認知されていたはずですが、言葉としてはどうだったか。
・・・「トルコ風呂→ソープランド」(1984)は、それはまた別枠な気がするぞ?Wiki編者(笑)。ところで「ジンギスカン」はいつまで使われ続けるのか。「セクシー女優」という言い換えには、何の意味があるのか。
とりあえずじゃあ"実態"(「キャビンアテンダント」)と"ブーム"(トランプ)の中を取って、2000年代末くらいと想定しておきましょうか。

発祥の地アメリカでは1980年代ということになっていますが、実は僕個人としては、それとほとんど時差なくこの言葉に触れている、意識する経験をしているんですよね。
それは別に僕が事情通だったからでも意識が高かったからでもなく、ヘヴィ・メタルファンだったからです(笑)。この"ポリティカル・コレクトネス"的潮流の中で生まれた「PMRC」というポピュラーミュージックの歌詞表現に関する検閲組織(1985年設立)が、ヘヴィ・メタルの人気バンド"ジューダス・プリースト"や"トゥイステッド・シスター"を標的にし(「最も不愉快な15曲のリスト」)、それを問題視したヘヴィ・メタル専門誌"BURRN!"



が外部ライターに依頼した比較的本格的な特集記事を何度か載せていたからです。その中で"ポリティカル・コレクトネス(PC)"という言葉も、背景の話として出て来ていた。・・・"PC"という略語は割りと使われていましたかね。"ポリコレ"は記憶に無い。

1985年というと僕はまだ高校生ですし(つまり"BURRN!"は小遣いでは買えない)、アメリカと日本の時間差を考えると1986~88年頃の話ですかね。PMRCをディスったジューダス・プリーストの曲"Parental Guidance"('86)をアルバムで聴いた時はまだポカーンとしていた記憶がありますから(笑)、'87年以降が有力。
とにかくまあだから、約20年後に再び身の周りでこの言葉が比較的頻繁に聴かれるようになった時は、「あ、懐かしい、あったねそんなの」というのがまずもっての感想でした(笑)。「まだそんな話してるの?」とまでは思いませんが、"言葉"として現役である(むしろホット(笑))ことには少し驚きました。


(2)"ポリコレ"は「右」なのか「左」なのか

当然「左」なわけでしょうけどね、現在の文脈では。理論的にも多分どちらかと言えばそう。

ただ当時大学生の僕がジューダスらに加えられていたこうした圧力をどういうイメージで見ていたかというと、むしろ「右」サイドのイメージでしたね。だからPMRCの旗振り役として主に名前の挙がっていた"ティッパー・ゴア"というおばさん(失礼。でもほんとにそういう、少女漫画に出て来る三角眼鏡でガリガリのキンキンうるさいおばさん教師のイメージ)が、後に"民主党"の副大統領アル・ゴアの夫人であると知った時は、え?共和党じゃなかったの?と結構びっくりしました(笑)。悪いことをするのは、うるさいことを言うのは、全部共和党かと思ってた。
(実際のティッパー・ゴア

Tipper Gore

"三角眼鏡のキンキンおばさん"というより、"肝っ玉母さん"とかに近いイメージかな?(笑)
尚更「右」的でもあるかも)


より正確には、「左」と「右」、ではなくて、「リベラル≒価値寛容」「全体主義・国家主義≒画一的正義の押し付け」という対立のイメージでしょうけどね。日本において「リベラル」という言葉・概念が「左」と結び付けられるようになるのは、かなり最近。あえて右左で言うなら、「中道左派」と「極右」の対立というイメージ?それこそ『太陽にほえろ!』(前回)は思想的にはリベラルですけど、社会における"位置"的にはどう見ても真ん中へんですから。

こうしたイメージの元には、PMRCが単なる民間団体というよりワシントンの有力政治家夫人たちによるほぼ「政府」側の活動として存在していたというのは、当然大きいと思います。最初から"権力"を持っていた。またゴア夫人の夫は民主党ですけど、次に名前の挙がるベイカー夫人の夫(ジェイムズ・ベイカー)はバリバリの共和党。やはり直接の"党派"というよりも「体制側」であることに特徴のある運動だったのは、間違いないと思います。
とにかくだから、当時の僕としては"リベラル"な立場として"ポリコレ"と敵対していた認識だったので、後に「リベラル」と「ポリコレ」がセットで槍玉に上がる形で再登場して来た時には、え?え?え?何のこと?俺はティッパーおばさん側なの?と、かなり当惑させられました。

まあこういうある種ナチュラルな"リベラル"の社会的位置づけが途中から激変して戸惑うという経験は、僕前後の世代のある程度以上"知的"と自負する層の人の多くが、経験していることだと思いますが。
真ん中ないしニュートラルだと思っていたら、「左」にされた。単なる"良心"、人類普遍の理想だと思っていたら特定の「思想」にされたというか。
そうなったことについては、(理論的に)正当な部分と不当ないし過剰な部分と、両方があると思いますが、まあそれは結論的な話になるのでまた後で。


(3)「ポリティカル・コレクトネス」と「言葉狩り」

当時の話に戻って。

PMRC/ティッパー・ゴアによる"検閲"的運動が、かなり具体的な政治権力として、また戦後日本が正に手本とした"リベラル"の本家、"自由の国"アメリカ発の動きとして登場したことにはそれ相当のインパクトはあったわけですが(アメリカの根っこの部分の保守性や宗教的原理主義の存在に気付くのはもっと後)、ただ「戦い」の性格としては、「敵」としてのポリティカル・コレクトネスの本質性については、一方で実は"既視感"のある部分もあったりしました。

これ知ってる。要するに「言葉狩り」だよね?

"言葉狩り"

特定の言葉の使用を禁じる社会的規制を否定的に表現した言葉。
1993年に起きた筒井康隆の作品「無人警察」における一連の事件の中で扱われ世間に浸透した。(Wiki)

あからさまに不十分な記述として運営に叱られていますが(笑)、結構これでイメージは伝わると思います、特に「筒井康隆」の名前が出て来たあたりで。
ただし'"1993年"というのは随分と新しい話で、つまりこの『無人警察』



における"てんかん"描写をめぐるある種のバッシング、筒井康隆の立場からすれば「言葉狩り」によって"断筆宣言"という決定的な事態に至った(筒井康隆Wiki)、それをもって「言葉狩り」という"言葉"が認知浸透を見たという編者の記述ですが、ではそれ以前はどうだったかというと少なくとも僕が筒井康隆を読み始めた小学校時代(遅くとも'80年代)には、既に随所で筒井康隆は各種メディア・勢力による自分の作品への表現規制の文句を直接間接に書いていたはずですし、「言葉狩り」という言葉自体も筒井康隆本人(の発案)によるかどうかは定かではないですが目にしていた記憶があります。・・・実際その"集大成"(笑)というか"堪忍袋の緒が切れ"た事態として、「断筆宣言」もあったわけでしょうし。いきなりぶち切れたわけではない。(笑)

"時期"の問題として更に付言するならば、これは今回気付いたことですがとりあえずこの"1993年"の時点では、こうした問題は「言葉狩り」の問題として扱われていたことがこの件で分かりますね。まだ"ポリティカル・コレクトネス"ではない。
ならば1996年の"キャビンアテンダント"も、そうかな?2002年の"看護師"だとどうだろう。"ブロードバンド元年"が2001年だそうですから(ADSLWiki)、そろそろアメリカの状況(言葉)がダイレクトに入って来てもおかしくない頃かも。まあいいや。

一応言っておくと、「言葉狩り」というのは"狩られる"側の言い方で、「ポリティカル・コレクトネス」というのは"狩る"側ないし中立の概念なので、最初から非対称と言えば非対称なんですけどね。
ただそれはそれとしてこの二つの言葉がほぼ同じような意味同じような事態について言っている、あるいは違う時代背景における連続的な問題意識を扱っているのは明らかだと思います。

そこから何が言えるかというと、一つは勿論、今日言うところの「ポリティカル・コレクトネス」、言葉の"正しさ"という問題は、別にアメリカ発の問題ではなくて日本にも昔から存在していた問題であるということ。
そしてそこから更に踏み込むと、「ポリティカル・コレクトネス」(を目指す事)は必ずしも今日のように"左"と結び付けられる問題ではなくて、今"右"側という自意識を多く持つ人たちが抵抗しているように、昔の日本の知識人、総じて現在の観点からは"左翼的"とされるだろう知識人たちも、同じように抵抗していたということ。(その代表として筒井康隆が相応しいのかにはいささか疑問もあるんですけど、ややこしくなるので今回は割愛。)
右翼にとっても左翼にとっても、「ポリティカル・コレクトネス」は敵であると。(笑)
まあ「言論統制」されて喜ぶ"知識人""知性"というのはちょっとどうかしてますから、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。(笑)

とにかくだから恐らく「ポリティカル・コレクトネス」や「言葉狩り」の問題を解く、説明するには、"左""右"とは別の視点が必要となるはず。"左右"の違い自体はあると思いますが、ただそれは左だから賛成するとか右だから反対するとか、そういう単純な話ではない。・・・これ以上書き出すと本論の目的からずれてしまうので、そこらへんについては余裕があれば、最後にでも論じてみようかなと思いますが。


2.上野千鶴子とフェミニズム
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ジャンル:政治・経済
今週のモーニング(’19.5.9)
2019年05月09日 (木) | 編集 |
mor190509



連休挟んで、なんか凄く久しぶりな感じ。
"日常"が帰って来たというか。(笑)
ついでに僕の都合を言うと、モーニング2が22日でアフタヌーンが25日だと月末ばかりが忙しくなるので、どっちか引っ越してくれないかなと。(笑)
引っ越すならまあ、"新参者"(モーニング2)の方でしょうけど。


『グラゼニ ~パ・リーグ編~』

アマガキ隊が3人もいて"ネットデトックス"というテーマがはっきりしていて、フォーマットが固まり過ぎているので酷く淡々と流れて行きますね。"面白い"とか"面白くない"とかいう、対象じゃないというか。多分アシスタントでも余裕で描けるというか。(笑)

『カバチ!!! –カバチタレ!3–』

結局田村の足りないところを"有能"若社長がカバーする感じに?
主人公変わろう。(笑)

『きのう何食べた?』

老人ホームか。こんな話が。

終身契約の施設から80代で出されたワケ(プレジデント・オンライン)

有料老人ホームは「終の住処(ついのすみか)」になるとは限らない。多額の入居金を払っていても、認知症の発症などを理由に一方的に退去を命じられることがあるのだ。

所詮民間ですからね。つきっきりの介護まで、実際無理ということはあるでしょうし。それにしても怖い怖い。
なんだかんだ、パートタイムのプロを頼みつつ責任は家族がというのが、現実的なのかもしれませんね。それか有料老人ホームで、更なる追加"オプション"を付けるか。(金があればね)
痴呆以外は何とかなるとは思うんですけどね。痴呆はなあ。

『会長 島耕作』

よく日本なんか待ってくれるなという感じですが、この動きの遅いがめつくない感じが、逆に"安心・信頼"のもとなのかもとか、中国の速さと比べると。(笑)

『ハコヅメ ~交番女子の逆襲~』

本当に全部見るんですね、押収違法DVD(笑)。地獄だな。
VHS時代だと、"裏"は本当に映っている内容自体が裏(本物のレイプとか)であることが多かった(つまり"表"でもそういうのがちょいちょいありましたから)と思いますが、今時はどうなんでしょう。技術的に"盗撮"が増えているでしょうから、やっぱり"裏"は本当に裏なのかな。

『ドラゴン桜2』

"バカ"がピンと来ないので、最近乗れません。

『レンタルなんもしない人』

なんかいい話で終わってますね。
"レンタルなんも解決しない人"じゃないのか。(笑)

『個人差あり〼』

むしろ異性化者を陥れる罠系の話かなとびびってましたが、本人がそうだとは。
"ドキドキ"したのは損した感じですけどね。「女の子の部屋」じゃなかったし。(笑)

『Iターン』

あれ?助けてくれないの?"奇妙な友情"は育まれないの?とずっこけてましたが、とりあえず船には乗らないで済んだようで。
来い!友情。(笑)


テーマ:漫画の感想
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気が付いたら連勝。/東京V-長崎(’19)、東京V-福岡(’19) メモ
2019年05月12日 (日) | 編集 |
勝ち"出し"たという感触はありますよね。"転がり"出したというか。

J2第12節 東京V 〇2-1● 長崎(味の素スタジアム)
J2第13節 東京V 〇3-2● 福岡(味の素スタジアム)

今までの"たまたま"勝てなかった分の回収(笑)も含めて。


長崎戦 (得点者 : 小池、佐藤優)

GK 上福元
DF 若狭、李、平、奈良輪
MF 井上潮、渡辺皓 (→85'山本理)、佐藤優、藤本 (→71'レアンドロ)、小池
FW 端戸 (→89'永田拓)


・9節琉球戦から始まった、潮音・皓太・優平のセントラルトライアングルを軸とした4-3-3中央攻略じっくりポゼッションスタイルも、かれこれ4戦目。(次の試合も含めると5戦)
・スタイル同様、かなり"じっくり"、非常に意思的に"継続""成熟"を目指している印象で、近年のJリーグの総体的基準の中でも、結構目立つ感じの"じっくり"感かなと。
・目指せ自分たちのサッカー。(?)
・それまでのホワイト監督のチーム作りには、ひときわ落ち着かない印象があっただけに、随分変わったというか一つ"線が引かれた"なという感じ、その"時期"を境に。
・スタイル選択が落ち着かないのと、スタイルの"中身"が落ち着かない(かった)のと。(笑)
・基本的には選手に合わせたということなんでしょうけど、ここはむしろ、ようやく「ヴェルディの監督」になったと言ってあげたい感じ。(笑)
・前任ロティーナと比べてもね。
・ロティーナの場合は最後までロティーナだったというか、「本来こうしたいけど相応しい選手が足りないからこう」みたいな"不全"感が、強めに残っていた感じでしたが。"ヴェルディ"<"ロティーナ"というか。
・ホワイトも不満が無いわけではないでしょうけど、より踏み込んで一つのそれはそれとして完成されたチームを作ろうとしている感がある気がします。
「普遍」と「個」の引っ張り合いで、ロティーナはより"普遍"寄りでホワイトは"個"寄り。"ヴェルディ"という環境においてね。
・その"前向き"さの分、ロティーナのチームより最終的に強くなる可能性は、結構あるかなと。

・もう一つの比較としては。
・前にホワイトの"ブロック守備"について、「ロティーナより"簡単"にやらせている分選手のストレスが少なくてその分より安定感があるところがある」ということを書きましたが。
・どうも"ポゼッション"についても同じことが言える気がします。
・ヴェルディの選手が1年も経たずに急に上手くなるわけはないですし、教え方としては多分ロティーナの方が"丁寧"なんでしょうけど。
・不思議にホワイトのチームの方がスムーズというか、より効率的に生きたボール運びが出来ているところが、最近の試合ではある気がします。
・ロティーナも就任したてのチームは、結構凄いクオリティでしたけどね。指導の厳密さがストレートに効果として出ていた時期は。
・でもある時期以降は、むしろ高い目標水準を達成"出来ていない"無力感みたいなものが、チームを覆ってしまっていたところがあったかなと。
・今のチームの方が、"出来る"ことをよりポジティブに評価出来ているというか。
・まあ最終的に、絶対クオリティの問題は無視出来ないとしても。
・それこそJ1との入れ替え戦(昇格プレーオフ決勝戦)とかに、また行った時に。(笑)

・藤本との絡みでここのところ左に入っている小池ですが。
・"今季"の印象を別にすれば、むしろこちらが本来だったようにも思いますが。
・スピードもパワーもあるけれど、そこまでの突破力も攻撃(クロス)精度も利き足サイド(右)では発揮出来ないので、むしろ逆足サイドで(カットインしての)シュートのパンチ力を活かすというのが、ここまでのプロ生活の小池の主な活用のされ方だったはず。
・今季は右サイドでも前回在籍時には見せなかったようないいプレーをしていましたが、いざ左に回ってみるとやはり"シュートの打ち手"としての迫力や動きの自在さが目立つなという感じ。"慣れてる"というか。(笑)
・いずれしてもまあ、使い勝手が良くて助かりますね。

・引き続きの課題としては、やはり繰り返される"終盤用シフト"3-1-4-2の失敗。
・今のところどうも混乱しているだけというか、固めて固まらずかつ前後分断して前にも行けなくなってといいこと無し。
・今季最初に3-1-4-2が使われた時の印象から、本来攻撃用のシフトだったものを説明不足な感じで転用しているのかなと思っていましたが。(だから説明すべきと)
・これだけ繰り返されるということは、むしろ再度"逃げ切り"or"終盤"用のシフトとして、トレーニング自体は練習でもちゃんとしてるのかなと推測。
・ただそれが実戦で上手く行かない。
・さてどうするか。



福岡戦 (得点者 : コイッチ、小池、OG)

GK 上福元
DF 若狭、李、平、奈良輪
MF 井上潮、渡辺皓、佐藤優 (→79'梶川)、藤本 (→76'李)、小池
FW コイッチ (→63'永田拓)


・端戸がコンディション不良ということで、代わりにコイッチが1トップで先発。
・林が離脱して端戸が離脱して、次から今度は藤本が抜けてと、左利きばっかり持ってかないで欲しいんだけどなあ全く。(to 神様?)
・まあどのみち藤本の代わりは"左利き"だから出来るというものでもないので、別問題と言えば別問題なんですけど。
・本来はやっぱり河野に、それくらいはね?
・機動力(突破力)かキープ力か、どちらかはせめてお願いしますよ。
・それを除けばチームとしては、引き続き過去4試合の延長戦上。
・"トライアングル"の運用は毎試合少しずつ違う感じですけど、むしろそれは全体の安定性不動性を前提としているという、印象の方が強いです。
・実際チームはほぼ狙い通り、順調に向上中という感じ。
・ただ何というか・・・"厳密"じゃないまま"完成度"が高まっているという、独特な感じもあるかなと。
・"完成度"が厳密性に依存しないというか、その代わり完成してもそれほど厳密にならないというか。(笑)

・他サポのこんな感想が流れて来ましたが・・・

「まだまだうまくいってない感」や(良くも悪くも)「精度に依存しない」部分が、"完成度"の問題というより最終的にも"特徴"である可能性があるかと。(笑)
・結構"だいたい"だけどそれでオッケーというチームになるのではないかというか。
・「選択肢」の準備整備という意味での"完成度"は高まるけれど、一つ一つのプレーにそれほどの厳密さは要求されない、個々人にスーパープレーは出ても。
・「ブロック守備」や「ポゼッション」について言った、"気楽"という特徴という、基本的には同じ話ですけどね。
・まあ何というか、それがホワイトの作る"組織"の特徴であり、要求水準の設定の仕方なのかなという。
・全体として上手く行っていなかった、結果の出ていなかった時は、それが"野蛮"に近い乱雑にも見えていたわけですが。
・ただ監督がそれでいいとしているなら、選手もそれでいいとしてプレー出来るわけで。
・要は基準とそれについての評価が共有されていれば、チームは動くわけですよね、十分に。
・ということにとりあえずはしておきます。(笑)
・実際細部の精度を上げることよりも、枠組みや手札の組み合わせで"やり易さ"を上げることの方に、ホワイト監督は重点を置いているようには見えます。
・"自然"に上手く行くように誘導するというか。"頑張れ""ちゃんとやれ"と言うよりも。(笑)
・自分にも他人にも甘い。いい意味で。(笑)

・"終盤"問題については、"後ろの枚数"と"前の枚数"の両天秤方式から、スタートからの形を基本崩さずに中盤の運動量と枚数確保の方に重点を置く方式に変更したと、そういうことのようですね。
・それによって出番を失ったのがレアンドロで、それ以前からぼちぼち使われてはいますがより存在感を増したのが、終盤(中盤に)投入される永田拓と。
・まだ一試合ですが、良さそうな感じはします。
・形を崩さないというのがポイントなので、特にアンカーの潮音には90分頑張ることが強めに要求される感じですけど。
・まあ色々と形になって来ている感じはありますね。
意外と選手も"足りて"来ているし。
・内田とヨンジが余り気味なくらいで。
・そう言えば出た時には妙に頼りになっていた森田も、しばらく出ていませんね、怪我ですか?
・まあ何にせよ、上向きなのは間違いないですね。
・ここから数試合、上手いこと勝ち点を取って行ければ・・・。
・ね。(笑)


それなしても、なんか簡単に点が取れるようになりましたね。上手く行く時はこんなもんというか。
逆の時もありますけど。(笑)


テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
今号のイブニング(’19.5.14) & 今週のモーニング(’19.5.16)
2019年05月16日 (木) | 編集 |
eve190515




「"右"と"左"」シリーズの新作は微妙に苦戦しているので、出来れば明日中にアップして、間に合わなければ週末は慌ただしいので来週アタマかなという感じ。
いずれにしても、予定以上の"大作"シリーズになりそう。(いつものことか(笑))


『めしにしましょう』

メロンはむしろ、そのもので食べるより加工した食品の方が好きですね。何なら"メロン味"の何か(歯磨き粉とか(笑))の方が。
スイカもそうなんですけど、甘さのすぐ近くにある"野菜"っぽい青臭い感じが苦手で。りんごなりいちごなりのように、安心して甘さに浸れない。

『四月一日さん家の』

亀って草食のイメージでしたが・・・
ああ、でもカミツキガメとかいるか。じゃあ捕食もするのか。
ていうか何の話なんでしょう、これ。テーマが分からん。(笑)

『ストーカー浄化団』

ストーカーは必ずモラハラをする、"モラル"という言い分を使うということが、逆に"モラハラ"自体の犯罪性を証明している感じがします。"意図"の"悪"性というか。
「束縛型のストーカー」というのは、あんまりよく分からないですけど。"束縛"出来る状況自体が限られ過ぎている気がするので、独立した分類項目として成り立つのかどうか。

『世界で一番、俺が◯◯』

これからは"見守り"側の問題が大規模に展開されるんでしょうか。
あんまりぴんと来ないんですけどね、"超然"としているところが面白みだったので。
一部イレギュラーくらいはまあいいとしても。

『ふたりソロキャンプ』

案の定、ひたすらいい奴のいい話でした。(笑)
それでいいんですけど、この作品の場合は。(笑)

『幕末イグニッション』

色々要素はありますが、とりあえず相当にかっこいい剣豪(剣術)ものという認識で、いいようですね。

『インハンド』

誰かが罰するのではなくて、自分の体に"反撃""反応"されるという形で落ち着いたのは、「ドーピング」問題の倫理的難しさの処理としては安全な方法ですね。
全然解決はしてないんですけど。
テレビドラマだとまた一段と難しそうですしね。「擁護するのか」とか言われそう。

『妻に恋する66の方法』

見てると思うのは、親が子供に軽蔑されるのは虚勢を張るからで、自ら下ってしまえば少なくとも軽蔑はされない、嫌われはしないんだなという。
人と人として、優しくしてくれるというか。子供は。(笑)



mor190516




『ハコヅメ ~交番女子の逆襲~』

警官が"自分が被疑者の時に無駄に否認しない"のは、いつもさんざん見苦しい言い逃れを見せつけられているから、ですかね。
あるいは単に、強い立場に慣れている人が急に逆の立場になるとギャップで凄く弱くなるという、一般的なパターンか。

『ドラゴン桜2』

小学校2年ね。具体的には何だろう。
実際小学校からやり直したいという気持ちになったこと自体は、理数系に関しては何度もありましたが。(笑)

『個人差あり〼』

僕は元男だと分かると出来ないタイプですかねえ。
"男と出来る"可能性と、ほぼ同じというか。

『マンガ サ道 ~マンガで読むサウナ道~』

好きな漫画だったんですけど、久しぶりに見たら裸のオッサンが大量に出て来るのでウッとなりました。(笑)
飲み食いしながら読むものではないですね。(笑)

『オランダさん』

どうも時系列がよく分からなかったです。
収容所で生き残って日本に来たの?それとも逆?
"ハンガールーム"は恐ろしいですね。安価かつ残酷。殺す方とすれば。

『Iターン』

今回は"ヤクザ側"にいる安心感を満喫出来ました。(笑)

『誰がためにブザーは鳴る』

オープニングに出て来た"主人公の親友"の印象が薄かったので、"種明かし"にしばらくぽかーんとしてしまいましたが、それを除けばよく出来ていた"新人"作品だと思います。
割りとすぐに「戦力」になりそう。
"達者"という以上に、しっかりしたものを持っている感じ。

『カバチ!!! –カバチタレ!3–』

あのM&Aの横取り話が実質"騙し"だというのは当然なんですが、例えば詐欺に問えるような数字上の明確な騙しにはなってるんですかね。ちょっとよく分からない。伝えてる数字自体に嘘は無い気がするんですけど。
250万で会社を買うと売り主に言って公には500万の値をつけて、渡す金は250万で・・・。本人たちが良ければそれでいい気もするんですけど。そもそも250万でも売るのは、値段ではなくて嫌な相手に頭を下げたくないという、プライドの問題なわけですし。
ふうむ。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック
"右"と"左"についての個人史的考察:大学生編 [番外] ~渋谷陽一の「思想」
2019年05月21日 (火) | 編集 |
(はじめに)(小学生編)(大学生編[1])


最初にお断り
なるべく"本流"に繋がるよう努力はしましたが、少なからずこじつけ臭くて結局はただの「渋谷陽一論」でしかないようにも思うので、「番外編」とさせていただきました。
無くてもこの先の話は通じるはずなので、興味がある人以外は読まなくても(笑)いいです。


大学生編目次

PMRCとポリティカル・コレクトネス 
上野千鶴子とフェミニズム 
( 渋谷陽一の音楽批評 "左""右" 双方 )
栗本慎一郎と現代思想 であり
文化人類学 
呉智英の「封建主義」 
大本教への興味 
"市民運動家"との出会い 反左



[番外] 渋谷陽一の音楽批評

"BURRN!"が出たからにはロッキングオンも!と繋げたいところですが(笑)、実際には僕はいきなり渋谷陽一の"著書"(評論集)を読んでしまったので、雑誌ロッキングオンを読むようになったのはその後というか、その流れというか。ついで(笑)というか。
きっかけは覚えてないですねえ。何らかロックへの興味だとは思うんですけど。ネットの無い時代、昔はほんと行き当たりばったりで店頭で本を"買って"、学生の時は金が足りなくてしかたなかったですね。



それぞれ初版1980年、'82年、'84年。
どれかが古本屋でたまたまあった、という可能性もあるかな?(きっかけ)
ちなみにメタル以外の(普通の?)ロックを聴くガイドに最初にしたのは、別の人です。

本題に入って。
渋谷陽一。雑誌『ロッキング・オン』『CUT』の、創刊編集長。1951年生まれ。(Wiki)
渋谷陽一1渋谷陽一2

前回で既に"上野千鶴子"という本格的な"学者""思想家"の名前が出てはいるんですが、しかしより直接的に僕に「思想」的な「覚醒」、刺激をもたらしたのは、こちらの一介の(?)ロック評論家、本人に言わせると"本業はあくまで編集者"な人の方だと思います。
まあ上野千鶴子の"女性学"は、結局思想・哲学というよりも「個別科学」として読まれてしまったということではあるかと思いますね。そのスケールのインパクトだったというか。

さりとて渋谷陽一がそこまで大した哲学者であったとか包括的な思想内容を持っていたというわけではないわけですが、要はタイミングとポジションの問題でしょうね。ある種の「洗礼者ヨハネ」のような役割を、僕に対して果たしたという感じ。(ただし"救い主イエス"には未だに出会っていない(笑))
でも実際なかなかだと思いますよこの人は、読み返しても。自分の頭と体を使った「意識的思考」の、本当に出来る人。もっとつまらない哲学者や無内容なプロ評論家は、腐る程いると思います。有名な中でもね。


1.渋谷陽一の"左"的影響 ~「対象化」論

(1)「批評」と「対象化」

その渋谷陽一が展開する、直接的にはロック/音楽批評の中で、口癖のように出て来ていたワードが、「対象化」というもの。渋谷陽一の「批評」の内容はほぼこれ、あるいはこれの必要性を訴えることに尽きると言ってもいいかもしれない、中心的な概念です。
対象化。文字通りには、何かを「対象」として捉えること、あるいは捉えられるようにすること。特に特殊な概念ではないので耳慣れている人もいない人もいるでしょうが、とりあえず具体的な使い方を見て行きましょうか。
典型的には、所謂"プログレッシブ・ロック"をめぐるこういう記述。

プログレッシブ・ロックとは、ロックがロックそのものを対象化し始めた最初の動きと言える。(中略)
それまでのロックは、一種の初期衝動のみによって突き進んでいた。走り出したいという欲求があれば、すぐに走り出し、そこには対象化の努力も何もなかったのである。

(『ロックミュージック進化論』 p.113)

ロックとはもともと現実との違和を徹底的に増幅し、そのひずみを音にして来た音楽である。その違和を対象化し、原因を露にしていくのがプログレッシブ・ロックであった。

(同上 p.125)

衝動の"対象"化、違和の"対象"化。
簡単に言えば、感覚に名前を与える行為で、そこから例えば"原因を露に"することも可能になる。

今のはどちらかというと内面的事柄に特化した説明ですが、より外面的な事象だと、こんな感じ。

("アメリカ市場"という舞台において)
アメリカのバンドにとってアメリカ自身はあえて批評したり、対象化したりする必要のないものであった。(中略)
イギリスのバンドは自分たちのイギリス的な部分を対象化し、インターナショナルなスタイルを獲得しようとするのである。

(同上 p.145)

ここでは他人の目に映る"自分自身"を自分に対して客体化するみたいな意味ですかね。そもそも"イギリス的"という言い方自体に、「対象化」のプロセスが入っていますが。
客体化して「対象」として扱う。扱えるようにする。内側にぼんやりあったものを外側に引っ張り出すという意味で、"外化"などという言い方をすることもありますね。対象化・客体化・外化、全てほぼ同じ意味。

"客観"化・・・だと"主観"として意識されていたものを客観として意識し直すみたいなニュアンスが強いので、少し使いづらいかなと(使えなくはない)。むしろどういうものとも意識"されていなかった"ものをされている状態にするのが、対象化や客体化。批評の種類(客観か主観か)の問題ではなくて、批評の"無い"状態からある状態にする行為。その最初の一歩というか。

とにかくこの「対象化」というプロセスが渋谷陽一の批評の中心であり、中身であると、そう言っていいと思います。(少なくともこの時期の)
それ以上のことは、その「対象化」の具体的中身からの論理的延長。

(2)「対象化」と相対性

で、ここからが少し分かり難くて、この稿を「番外」と位置付けざるを得なかった由縁ですが。(笑)
こうした渋谷陽一の音楽をめぐる論が、僕に何をもたらしたかというと。
一言で言えば、かつて日本SFがもたらした"懐疑"(相対性)の、「その先」かなと。
世間や慣習や伝統が押し付けて来る意味や価値を、疑って相対化して差し戻す受動的なプロセスにとどまらず、逆に自分から意味や価値を能動的に見出して確定して行く、あえて言えば"押し付け"返す(笑)反撃のプロセスというか。"対象化"作業によって。

つまり"懐疑"というのは、知的にはある種の密かな優越感を持たせたりはするんですけど、一方で"信じる"力を失う分、心理的に"弱"くもさせるわけです。それだけで終わると。
その"後"の、それ(慣習的な価値と意味)に代わるものを作る作業が必要で、その手本が例えば渋谷陽一の言う「対象化」というプロセスであったわけですね。
実際渋谷陽一は、ある種の"サバイバル"戦術として、「対象化」プロセスを位置付けていたりもします。

ジム・モリソンやジャニス(ジョプリン)が死んでしまったのは、彼等が自らの内なるロックを対象化し得なかったためだ。ある意味で生き延びるしたたかさを持ち得なかったために死んでしまったといえる。
ただロックなるものが本当に言葉として対象化され、語られるには少々時間がかかったのである。社会とのかかわりの中で戦略戦術が考えだされるまでには時間が必要だった。

(同上 p.73)

自分がやっているものは関わっているものは、あるいは自分が自分の中に感じているものは要するに何なのか。それを理解・確定する(対象化する)ことによって、それを抱えながらあるいは利用しながら、社会(世界)の中でどう生き延びて行くかのプランが立てられるようになると、そういうことですね。

・・・そう、「批評」的態度というものを学ぶと同時に、「戦略」的思考というものに触れたのも、多分渋谷陽一が初めてだったですね僕は。「性格が悪くなった」と、ごく端的に母親に言われた記憶がありますが(笑)、この時期。

そういう意味でも明らかに影響は大きいんですけど、ただその"影響"の中身を論理的に確定する(それこそ"対象化"する(笑))のは、なかなか難しいんですよね。
それは渋谷陽一のそもそもの記述が断片的なもの(音楽雑誌の投稿原稿)であるというのもありますが、それ以上にその影響が論理的に一つ一つ"教えられた"というよりも、渋谷陽一の(主には"対象化"という)言葉遣いをきっかけとして、僕の中に潜在していた諸々の思考や感情が一気に寄り集まって形を得たという、そういうタイプのものだからです。
何か全く新しいことを知ったというよりも、既に持っていたものの使い方の、手頃な例を示してもらったというか。
・・・そういう意味では別に渋谷陽一でなくても良かったんでしょうが、でもまあ"渋谷陽一"で良かったかなと思っています、結果的には(笑)。十分というか。(笑)

で、"中身"はともかくとして、問題は"影響"の「方向性」なわけですが、この論のテーマとしては。
上で"日本SF的相対主義の「次」"だという言い方をしましたが、「次」である、受動的相対化から、能動的意味確定・発見の作業に移ったという意味ではある意味変貌・転向のプロセスとも言えるわけですが、しかし僕の中の"風景"としては、この2つはどうも同カテゴリーというか、延長線上に位置しているんですよね。
あくまで結果的感覚的なものでしかないんですが、しかしそれはそれとして選びようのない一つの(心理的)"事実"として、それを前提に渋谷陽一的「対象化」を位置付けてみると。

「対象化」によって「相対化」による"心理的弱化"という問題を一部補強出来たことによって、相対主義路線での生存可能性がより高まった、つまり路線堅持と、そういう"効果"(笑)かなと。
実際のところは当の渋谷陽一の論全体が、圧倒的に「相対性」を前提として出来上がっているので、そもそもの「対象化」概念の生息環境自体がそうだったということはあります。そういう意味では、自然な位置づけ。
とにかく結果として"風景"が変わらず意識される"路線"も堅持されているので、これに関しては一応「左」的影響と、そういうことにしておきたいと思います。



2.渋谷陽一の"右"的影響 ~認識と「身体」性
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テーマ:右翼・左翼
ジャンル:政治・経済
今月のモーニング2(’19.5月) & 今週のモーニング(’19.5.23)
2019年05月23日 (木) | 編集 |
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『とんがり帽子のアトリエ』

盛り沢山な回で正直上手く消化しきれませんでした。
ちなみに"2話掲載"だからではないです。今気が付いたくらいで(笑)。むしろ長い1話という印象。
作者もやり慣れなかったのかなあと、少し思いますが。というごちゃごちゃ感。

『小さいノゾミと大きなユメ』

あらあらあら。楽しい。
そんなに目新しい設定ではないですが、逆に"王道"というか"黄金"というか、「小人」設定の楽しさを素朴に満喫出来る感じの作品。ディテールがしっかりしてるというのもありますし。

『天地創造デザイン部』

ペンギンはあんまり好きじゃないですかねえ。
"獣"としても"鳥"としても、可愛さ美しさが中途半端。
むしろ「コウモリ」と同類という感じ。(実際は"鳥"なわけですけど(笑))

『1122』

"みや"さん、一瞬例の浮気相手本人かと思いました。(笑)
髪色が似てるからでしょうけど、あんまり顔の種類は無いのかなという疑惑も。(笑)
キャバ嬢にしろ風俗嬢にしろ、そういう"ポジション"の他人だからこそ話しやすい、話したいことというのは確実にあるでしょうね。
ただその為に金を払い続けけるというのは。特に風俗の場合。
カウンセリングの方が安いは安いはず。(笑)

『ゴールデンゴールド』

今回のばあちゃんの"豹変"には、特にショックは受けなかったです。
慣れたというのもありますし、相手が相手(笑)ですし。
むしろ普通の祖母(ないし親)に言われる方が、ショックな発言かと。

『狭い世界のアイデンティティー』

"漫画で勝負したい"。
ふーん、"腕力"勝負と"漫画"勝負は、一応なのか。
単なる(腕力が漫画の)"象徴"ではないのは分かるんですけど、ある意味どちらの勝負も同じくらい価値があるという設定かと思ってました。漫画力があるから、腕力でも勝てるという。(そういう面も勿論あるんでしょうけど。)



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『グラゼニ ~パ・リーグ編~』

彼女出来ないですねえ、SNSやってても。(遠い目)
ていうか問題は"承認欲求"の方じゃなくて"女遊び"の方なのね?笑。("SNS"問題)

『レンタルなんもしない人』

ひっそり頼むのはいいけど、"人気の人"に頼むというのはなんか違う感じが。(笑)
順番待ちするほどの依頼内容ではないというか。(笑)
"なんもとない人"どうしの人気格差とかも、その内出て来るんでしょうね。原則として金銭は発生しないから"競争"しても支障は・・・というわけにはやっぱりいかないか。遠からず生臭い感じに?(笑)

『サイクリーマン』

ほとんど100%予想通りのつまらなさ。
こうなるだろうなという感じの内容。
"自転車"族の自己満足感というか自己完結感は、他のどんな業界と比べても一種独特ですよね。
それを逆手に取って成功したのが、『弱虫ペダル』と。

『ハコヅメ ~交番女子の逆襲~』

まあ背広とかの内ポケットに大きめの財布入れてるだけでも、結構邪魔ですからね。重心おかしくなるし。増して拳銃。
おっぱいに関しては分かりません。(笑)
男ですし太ってないですし。(笑)

『きのう何食べた?』

ドライカレーかあ。食べたことあるかなあ。
冷凍のピラフみたいなものの一種としてあったような気がする。くらい。

『個人差あり〼』

ん?奥さんとして"戻る"ことを恐れてるの?そういう話の流れだったっけ。
むしろ「勃たない」とかの方を、心配するタイミングではないかと。
ここらへんは作者が女性だからかなという感じも少ししますが。
"改まって"のセックスというのは、常に男にとっては圧迫感ありますよね。

『アイターン』

"I"がカタカナになっちゃったんですね。なんか間抜け。どのみち地味な題名ではありましたが。
先週に引き続いて、やくざの威光が利いていることに快感を覚えているいけない僕。(笑)

『カバチ!!! –カバチタレ!3–』

若社長が前向きだからいいという、締めなのか。
てっきり会社は取れなかったけど顧客は結構奪えたみたいな描写なのかと思ってましたが。


テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック
いくつかのフォローアップ
2019年05月27日 (月) | 編集 |
ヴェルディの最近二試合については、書きたいことが余り無いので先送り。("固まらない"のかも。)
僕がブログで書いた(ている)ことについて、理解の参考になりそうな他の人の言葉をたまたままとめて見つけたので、今日はその紹介をしてみます。


元記事

「ジュニアサッカーを応援しよう!」倉本×坪井対談('19.3.8) 感想('19.3.13)

ただ僕の関心は少し別なところにあって、日本人選手が観客にも分かるような変な判断をするのは、それが高度に戦術的なプレーの場合ならばそうしたプレーについての知識や経験・訓練の不足という話になるのかも知れませんが、それこそ倉本氏が上で挙げたような基本的なプレーについての場合は、むしろ"本能"が機能していない、発露が妨げられている、そっちの方が理由なのではないかと、僕は思っているところがあります。
スペースがあって人がいてボールがあって、その場にいる人間の走力等が直観的に計算出来れば、特別なプレー経験が無い人でも容易に出来るような危険の予測成功の目算を、知識や被指導経験があることによって逆に出来なくなっている、そういう状況なのではないかと。

なぜなのか、どういうことなのかというと、要は"知識が足りない"派の人の言うこととは逆で、むしろ日本人(選手)にとってサッカーが「知識」であり過ぎる、その圧迫感やそれへの劣等感が強過ぎる、(未だ)「外来」文化であり過ぎる、それが選手たちの、"本能"とも言うべき当然の自主的判断の発露を妨げ、指導者の指導のバランスや優先順位を歪ませている、そう思えるところが僕にはあるわけです。
常に「手本」を探す、「模範解答」を求める、「素晴らしい」「完璧」なサッカー・プレイではないといけないように思う。それが目が見えれば(笑)誰でも出来るはずの当然の状況判断や危険予測や利害計算を妨げる、当然すべき注意をすっ飛ばして妙に理想的な状態だけを念頭に置いた指導を行わせる。


通じるのかな?と当時書いていて少し心配していた(笑)箇所ですが、例えば西部謙二さんは、"鹿島の強さ"に触れたfootballistaのインタビュー(『鹿島アントラーズ常勝の必然。』'17.11.24)で、こんなことを言っています。

日本人には言われたことや決まり事をしっかりやる良さがある半面、今現在の状況を判断するセンサーが働かなくなりやすい傾向があると思います。
鹿島やブラジルのサッカーは良くも悪くもシンプルなので、ピッチ上でプレーしている選手は戦術遂行についてはそんなに考えずに済む。呼吸するようにプレーできるので、試合中は相手を見てサッカーができます。

ただ、(飛び抜けたクラブ規模を持つわけではない)鹿島にこれだけ勝たれてしまうJリーグの他クラブにも問題を感じますけどね。鹿島ならほとんどやらない判断ミスがけっこうあります。
高度な戦術を理解できる反面基本中の基本が抜けてしまうというのは意外と起こることです。試合の流れを読み間違えない、試合巧者の鹿島がそれで優位性を持っている現状には少し複雑な思いもあります。そうした試合を読む力は、ある意味誰でも身につけられるものだからです。本来、そこはあまり差別化できない部分だと思うんですよね。


僕の文章の"赤"が西部さんの言葉の"赤"に、"青""青"に、"緑""緑"に、"紫""紫"に、"太字""太字"にだいたい対応していると読んでもらえれば、言いたいことは分かると思います。
「問題を感じます」「複雑な思い」「本来、そこはあまり差別化できない」といった西部さんの言い方は、恐らく僕と共通するいら立ちや問題意識を表しているのだろうと思います。

こういうのはヨーロッパからいくら"最新の知見"を輸入しても解決しない、下手すると悪化するようなタイプの問題だと思います。知識の個別の"内容"が問題なのではなくて、"受容"の仕方の問題なので。新しいも古いも無いし。
どうも海外に"行った"選手の帰って来てのプレーを見ても、余り変わっていないというか単にそのリーグの「基本」「常識」を身に付けているだけのように思うので、根の深い問題だなあと。

日本では試合をやっていて点差がわからないという選手が普通にいますよ。今、スコアがどうなっているのか把握していないでプレーしているわけです。


マジですか。(笑)
でも否定出来ないです。ありそうです。(笑)



元記事
・・・は特に無いです。僕がいつも書いているようなこと。

関連したつぶやかれた一連のツイートからの抜粋ですが、一応テーマを二つに分けて。


"人格の剛性"


「剛性」とは。

曲げやねじりの力に対する、寸法変化(変形)のしづらさの度合いのこと。(Wiki)

簡単に言えば、むしろある程度の「剛(かた)さ」が前提にあるから、"柔軟"になれるという話。
柔軟な集団(チーム)を作りたければ、先に剛さが確立されていないといけない。
・・・そういえば上の「鹿島」も、シンプルで不動だから柔軟に戦えるチームの例でしたね。


"戦術"と"気持ち"


何らかのの意味でやりたいことしか上手く行かないし、知っているだけで得意(つまりやりたい)でないことをやっても強くならないという、どちらかというと「監督」について僕が日頃言っている事を、主に「チーム」について論じている箇所、ですかね。
チームに対して僕がそう思わないわけではないんですけど、ただこれをいきなり言うとどうも"甘やかし"になり勝ちなので(笑)、チームにはギリギリまで努力を要求しつつ、ただより「個人」でありかつ影響力の誤魔化しの利かない監督についてはむしろ早めの見切りを要求する傾向が、僕にはありますか。


このツイート全体については、要は「柔軟性」や「選択肢」の話をしてりゃあ済むと思うなよ?、必ずしもそういうことの優先順位が高くない場面は多いし、そもそもそれ"以前"に必要な、前提となる(あえて言えば柔軟でも客観的でもない)ことが色々とあるんだよという、そういうつまり僕がここ数年馬鹿の一つ覚えのように言っている話。
・・・を、普段特に「日本代表」「日本サッカー」について、鋭い意見だけど今一つ合いそうで合わないなあと、流れて来るツイートを見ながら思うことが多かった人が言っている(ように見える)ので、面白いなと。

そういう話です。(笑)


[続きを読む...]
テーマ:サッカー
ジャンル:スポーツ
今週のモーニング(’19.5.30) & 今号のイブニング(’19.5.28) & 今月のアフタヌーン(’19.5月)
2019年05月30日 (木) | 編集 |
mor190530



『グラゼニ ~パ・リーグ編~』

うーん。
免疫が無ければ"噛みついて"しまうのは人情として仕方の無いことで、それとプロ野球選手のネットデトックスの問題は次元が違う気もします。
何かこのエピソードが始まって以来、作者自身のネットへの馴染みの無さという印象が、どうもちらつきますね。

『ハコヅメ ~交番女子の逆襲~』

うっかりすると、「立ち合い出産ハラスメント」ですよね、これ。(笑)
要するに本人たちの意向を、全く確認してなかったわけで。
奥さんに救われました。

『カバチ!!! –カバチタレ!3–』

これもまた何か、作者が苦手そうな話。(笑)
まあメインは"バイトの法的責任問題"なんでしょうけどね。
人使うのは大変だ…。
使われる方もそりゃ大変ですけど。



eve190528



『めしにしましょう』

"漫画"の話が色々かぶってて分からない。何が終わるの?作中漫画?それともこれ自体?
カニは・・・特に美味しいと思ったことが無いですね。エビはありますが。
あ、エビピラフ食べたくなった。(そっち?(笑))

『インハンド』

おお、真面目に科学者やってますね。(笑)
科学は永遠の留保。未決。

『創世のタイガ』

おお?どういう展開でしょうね。
飼うのかな、マンモス。それくらいしか思いつきませんが。

『ふたりソロキャンプ』

なんかこの二人、凄く気持ちいいセッ〇スしそう。(真面目に言っている)

『四月一日さん家の』

とりあえず『みなみけ』みたいなものか。
字が大きい分読み易い。(謎)

『ストーカー浄化団』

ターゲットは被害者。
なんかカウンセリングみたいな話になって来ましたね。
あるいは中禅寺秋彦の"憑き物落とし"

『妻に恋する66の方法』

今回の"妻"みたいな行動は、僕が女に醒める一つの典型的なパターンです。
ああ、外面(そとづら)そんな感じなのね、そしてそれをそこまで俺より優先するのねと。
"騙し討ち"に近い感情を持つんですよね。



after1905




『無限の住人 ~幕末ノ章~』

実質初めて読みましたが、とりあえず読めそう。

『ブルーピリオド』

「テーマ」と「構図」と「描写」の3分類の話興味深い。
色んな順番の決め方がある感じもまた。
他の分野でも使えそうな話。

『波よ聞いてくれ』

なんかますます好きだな。
こういう"写実的"なタイプの絵の人を好きになるのって珍しいんですけどね。
でもこの人の場合「タチキリ」を使わないから、そこが好感度高いんだと思います。
あれ大嫌い。多用されるとそれだけで読む気が無くなる。
柴田ヨクサルさんはポリシーで使わないって言ってましたね。
"漫画"としてはそれが正しいと思います。少なくとも王道。

『はしっこアンサンブル』

なんかキャラが出過ぎてよく分からなかったです。

『マージナル・オペレーション』

遭遇戦。
サッカーで言えば、"オープンな展開"?

『プ~ねこ』

なぜ今"コピーワンス"?(笑)
確かに惨(むご)いけど、あれは。(笑)

『大上さん、だだ漏れです。』

うーん、"体質"の話から"性格"の話へ、微妙に話がずれてるというか遠くなってる気がします。
関連が上手く呑み込めない。

『フラジャイル』

普通に天才というか確実に大物になるでしょうね、将来この子は。
"エンジン"と"タイヤ"かあ。なるほど。

『概念ドロボウ』

"概念"戦面白いですね。
ただの"論理"とも少し違うんですよね。
"論理"だけのバ〇の話は概念が雑だから読む気がしないんですよね。「論理」能力だけだと「筋肉」に近い。それこそ"脳筋"。


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