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「今まさに聞く」~セレッソ大阪 水沼宏太篇~ より/パパとロティーナと"リサイクル"
2020年01月10日 (金) | 編集 |
番組公式

岩政大樹氏がインタビュアーとして気になる選手に「今まさに」("岩政"に)聞きたいことを聞く独自のインタビューシリーズの、当時セレッソ→現F・マリノスの水沼宏太篇。
何回目かの再放送をBSスカパーで視聴。いつも面白いシリーズですけど、この回は特に面白かった。


「水沼宏太」という選手

まず僕はこの水沼ジュニア、水沼宏太という選手が昔から特別に好きで。
初めて見たのは、マリノス時代のU-17代表の時(2005-2007)だったか、U-20の時(2008-2009)だったか。(Wiki)
とにかく年代別代表での、同年代の選手たちと比べての、"エリート"性でも特に見劣りしないもののそれ以上に妙に地に足の着いたプレーが印象的でした。

特徴としては、そこそこ上手い、まあまあ速い、結構強い、パンチ力もある、かなり走れる、頭が良くて献身的で、その時々のチームの機能性にその時々で大いに貢献してくれる選手と、そんな感じ。
「万能」と言うほど華麗な感じではなく、あえて言えば「線の太い器用貧乏」。(笑)
褒め言葉です(笑)。"線の太い"というところが、味噌であり、個性かな?

そして更に特徴に感じるのは、それらの多様な能力や時々の機能性が、前提的な知識や訓練というよりも、その都度必要に応じて身に付くor引き出される、順々に学習されて行く妙に"素直"な感じ。ある意味「世代」やそれに伴うイデオロギー的な刻印から自由な。(その分"エリート"的には地味で、それほど注目を集めるタイプの選手ではないのかも知れませんが)

そこら辺に関して今回のインタビューで成程なと思ったのは、彼が「水沼貴史の息子」である事に全くと言っていい程ネガティブなストレスを感じていなかったらしいこと、それどころか親父のプレーが大好きで、子供時代は他のどんなテレビ番組や遊びよりも、親父のプレーが収録された"ビデオ"をデッキが壊れそうになるほど(笑)繰り返し見ていたと語っているエピソードの辺り。
何て幸福な父子関係だろうというのと同時に、「水沼貴史」という選手・人物自体の独特の風通しの良さ、それこそ"世代の刻印"から自由な、だからこそ今もって日本リーグ時代のサッカー人でありながら、現代のチャンピオンズリーグの解説に担ぎ出されても若いファンに失笑や不快感を特に買わずにそこにいることが出来る語ることが出来る、そういう事を思いますが。

・・・例えば「木村和司」や「金田喜稔」との比較においてね。プレースタイルとしても、彼らのような"金看板"ではない、それなりに天才的ではあってもせいぜい"銀看板"(笑)くらいの存在感にとどまって、隙間隙間で淡々とプレーしていたのが、逆に良かったのかなという感じもしますが。またはそういうパーソナリティだから、"隙間"プレーが上手だった。

水沼宏太は"遺伝"としてそういう柔軟性や軽みを受け継いでいるのか、あるいは"環境"として、父親のようなそういう前世代(前々世代?(笑))の選手のプレー(映像)とも融和的に育ったことが、"世代"の枠にとどまらない、普遍的なプレー感覚を身に付けるのに役立ったのか。・・・親父よりはだいぶ堅実ですけどね(笑)。でもその気になると、結構上手いと思います。
"環境"という事でもう一つ言うならば、彼がマリノスを飛び出して最初に受けた指導が栃木の松田浩監督だったというのは、言われてみると成程なというところがあります。彼のプレーの底堅さと、4-4-2や"サイド"MFとしてのプレーの"本職"感を見ると。"マリノスではほとんど戦術的なことは教わらなかった"そうですし。(笑)


ロティーナ&イバンの"リサイクル"

そんな水沼宏太が松田栃木の後、ユン鳥栖や城福東京を経てセレッソ大阪で出会ったのが、ロティーナ&イバンの"ポジショナル"伝道ユニット。
そこで彼は、他のセレッソの選手たちと共に、ポジショナルプレーの原理に基づいた、ビルドアップ&崩しに関する独特の"哲学"の洗礼を受けます。それは簡単に言えば"飽くなきやり直し"の哲学で、それを表す端的なワードとして、「リサイクル」という言葉をセレッソ時代二人(言葉数的には主にイバンからのようですが(笑))から繰り返し、水沼宏太選手は聞かされたようです。
・・・ヴェルディでも使われていたのかも知れませんが、(二人の)言葉としては個人的には初耳でした。

リサイクル。廃物利用・・・ではなくて(笑)、"サイクルのやり直し"ということでしょうね文字通り。
ビルドアップの。あるいは崩しの。
具体的には、特に"バックパス"の積極活用あるいはそれ以前にある種の"タブー"性の解除によって、ビルドアップ~崩しのプロセスが満足の行く水準に達するまで/達しそうになるまで、何度でも"やり直す"こと。プレー。

ヴェルディでも特に就任当初は、あからさまに不自然に見えるくらいに強い意識付けで、"バックパス"の使用頻度の高いパスワークが指導されていたのは記憶に鮮明ですが。
基本的に同じことがセレッソでも繰り返されていたらしく、それに対して水沼ら選手たちはやはり少なからぬ違和感を感じながら、「行こうとすればまだ前に行けるけどな」と心残り(?)を感じながら、指示通りバックパスの活用に重点を置いた練習・プレーをしていたようです。

で、ここからは具体的な文言というよりも主に僕が水沼選手の話しぶりから汲み取ったニュアンスに近い話になるんですが、彼の話を聞いていてまたそこで使われている"リサイクル"というキーワードが与える印象から僕が感じたのは、どちらかというと「試行錯誤」的な理解・イメージのされ方をすることが多いだろう(少なくとも僕はそうでした)、一般的にもそうかもしれませんがとりあえずはロティーナ/イバン的な"ポジショナル"、特にビルドアッププロセスの「洞察」的想像的な側面。
端的に言うと、やってみて(試行)、失敗して(錯誤)やり直すのではなくて、途中までやってみて行けそう(想像・洞察)ならそのまま進めるし、駄目そうなら行けそうなイメージを持てるまで、途中でも何度でもやり直す。直線的に、行って・戻るのではなく、"サイクル"を回し続ける、そのサイクルの「何周目」かが、"たまたま"敵との具体的な接触の機会を得て成功したり失敗したり、破壊したり退けられたりする、そういうイメージ。

ロティーナ/イバンがそういう意味であえて「リサイクル」という言葉を使ってるとまで主張するわけではないんですが、「リサイクル」という言葉のある種淡々としたというかルーティンな響きや、あるいは水沼選手の言葉で言えば「まだ行けるのに」やり直すという、そういう(初期段階での)プレーヤーたちの内部感覚の表現から、僕が抱いたイメージという事ですけど。
ドラマチックに(直線的に)成功したり失敗したりするのではなく、サイクルが回り続ける、成功しても失敗してもそれでも人生は続くサッカーは続く、ビルドアップのプロセスは続く的な。(笑)

なぜこういう事をあえて言うか言うと、ヴェルディ時代のロティーナのチームの、時に慎重過ぎるように見える失敗を恐れ過ぎているようにも見えたプレーへの不満や、あるいはそのチームからも影響を受けているはずの現在の永井監督のチームの"ポジショナル"プレーの、逆に行くだけ行って詰まってなすすべなくなる事の多い時に愚直過ぎるようにも見えるプレーやあるいは「行く」と「戻る」の余り粘りの無い関係性、それら両者の形は違えど「成功/失敗」のある種直線的な対立に引き裂かれた手詰まり感に、積年の不満(笑)というか現実の"ポジショナル"な指導への不信感みたいなものが、僕の中にどこかあるからです。
なんかつまんねえなあという。サッカーってこんなつまんなかったっけという。ポジショナルプレーって要するに頭の固いつまんないプレーの事なの?という、少なからず投げやりな。(笑)

去年のセレッソをちゃんと見ていたわけではないので、ヴェルディとセレッソで違いはあるのかあるいはロティーナ/イバンは変わったのか、僕が誤解していたとすればどのように誤解していたのか、確かな事は言えません。
ただ水沼選手の言葉の端々に感じられた、試合中に/やりながら、先々を見通しながらイメージしながら飽きずにやり直すサイクルを回し続ける、それによって"成功しそうな"ビルドアップや崩しのイメージ・予感を洞察的に探り続ける、レベルが上がり続ける、更に勿論それはチームメイトとのある種即興的阿吽の呼吸的な共同作業ですし(一人でイメージしててもしょうがない(笑))、その中でまた成功失敗を繰り返しながら、"シーズン"単位でも"リサイクル"の熟達が進んでチームがチームとしてレベルが上がって行くイメージ。
"新戦術"や、新たに仕込んだ"パターン"などは特に無くても。

なんだ楽しいじゃないかという。(笑)

いや、まず間違いなく「リサイクル」という言葉自体にそこまでの意味や意図は無いはずです。ここまで書いて来てナンですが、他ならぬ僕が保証します。(笑)
ただ"直線的"ではないプレー進行やチーム作りとその進化のイメージの中から、そういうものを一部担う形で生まれて来たor選ばれた言葉ではあるのではないかなと。
"去年"セレッソに来てから使われるようになった言葉なのかどうか、それについては場合によっては証言が取れるかも知れませんが、そうであったら話としてはより面白いですけどね。

大きく言えば、これは現実としてどうしても"決まり事"に従う面が特に低レベルでは印象が強くなってしまうポジショナルプレーにおける、"自発性"や想像性やプレーの広がりのイメージのありか、居場所の話ではあるかも知れません。
ポジショナルプレーを創造的にやる為に。規則性の逸脱ではなく、遵守しつつの運用やコミットメントという面からの。

学習という面でとりわけ"素直"な、その分も入れての"賢さ"に信用のおける水沼選手の言葉だからこそ、刺激された思考ではあるかと思いますが。彼の"疑問"と"体得"の、それぞれ双方から。


まああれなんですよね、実はこういう"やり直し"のしつこさや忍耐力や自発性というのは、別に"ポジショナル"に限らずまだ"ポゼッション"という言葉が無かった時代にまで遡っても、「ボール保持」型のプレー全般に必要なものだろうとは思います、あっさり言ってしまえば。
ただそれらが伝統的には技術自慢の選手たちの自負心に基づいたそれこそ「自発的」な回路で専らなされていたのに対して、近年はなまじ「ポジショナル」というような形で理論的に整備され過ぎてしまった為に、非自発的で機械的盲目的な"回路"に誘導されることが増えてしまった、それゆえの新たな"設問"、難題というか。大した覚悟も無く、手間のかかるビルドアップ等に手を染める輩(言い方(笑))が増えてしまったというか。そういう所はあるかも。

パパのプレーの"リサイクル"経験によって培われた伝統的普遍的感覚をも備えた水沼選手ならではの、活きた「リサイクル」理解。・・・と、調子良く持ち上げて終わらせられる程、セレッソでの水沼選手のプレーは見てないんですが。(笑)
ともかく今後の健闘を祈ります。ついでにロティーナイバンコンビも。(笑)


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