ヴェルディ等サッカー、漫画、アイドル 他
’03.8月&9月のみどりのろうごく (2ndステージ開幕しばらく)
2023年04月21日 (金) | 編集 |
8月

マドリー来日

1点取られるまではFCを応援してたけど・・・・(2003年08月05日)

ベッカムがボランチに下がってレアルが落ち着いてからは、途端にFCの技術的粗さが目立って得点の臭いが全くしなくなったので、それならそれで虐殺ショーでも見せてくれと願う羽目に(でも中途半端)

1stステージと2ndステージとの間の、中断期間というかプレシーズンというか。
"FC"東京とレアルのお祭り試合の話。
【回想録】日本でのレアル・マドリー激闘史――Jリーグ勢との5試合(2003~2005)[サカダイ]によると、フィーゴトップ下ベッカム右サイドのダイヤ(?)4-4-2でスタートして、途中からベッカムがボランチに下がってボックス4-4-2に変更したというそういう流れのよう。
ジダンは欠場、マケレレはまだいる。

しかしFCの応援は素敵でした。やっぱり攻撃性というのはしかるべき相手に向けられてこそさまになるものだよなと痛感した次第。

僕は今も昔も応援に特に興味があるタイプではないですけど、対レアルだと状況に嵌まって妙に感動したという話。"大敵"だというのと、やはり"代表戦"に準じるものがあったんでしょうね。冒頭で僕自身も"応援"で入ったと書いていますが、要は「日本人が列強外国人に対してどのように挑むか」というテーマ性の方が、応援対象クラブかどうかの方より優先したという話。
一方で国内チーム、日本人どうしでそこまでピュアな対抗意識を持つことは僕は難しいので、余程タイトルがかかったビッグゲーム(のお祭り気分)とかでもないと、なかなか煽り合いに感情移入することは難しい。日産/マリノスだけは、さすがに例外でしたけど。(過去形なのが寂しい)
・・・そう言えば「もっと真面目に対抗意識を持ってくれ」と、F東サポの友達に"説教"された記憶が(笑)。難しいことを言う。好きになる努力は出来ても嫌いになる努力は。人として。(笑)


ヴェルディ

ところで2nd展望(2003年08月16日)

一言。優勝を目指しましょう。

ほお。

既に専門誌上では変に前評判が高くなっていて痛し痒しですが、時期尚早だという意見はもっともだし現実に出来るか出来ないかと言われれば出来ないだろうと僕も思います。
ただ今の(レギュラー)メンバーを見渡してみると基本的には完成された選手ばかりで、そうそう悠長に伸びしろを期待してもいられない。いい若手も控えているし、かつてのニカノールの無理矢理オールスターチームによるなんちゃって優勝争いの時ほど後がないわけではないにしても、割合待ったなしで勝負時は迫っていると思います。

そういう意味か。
"この"チームの優勝タイミングとしては、今しかないと。多少無理でも。
まあ"ステージ優勝"なので、目標としての現実性も多めなので言えたことではあったでしょうね。
「ニカノールの無理矢理オールスターチーム」というのは、1998年、読売新聞撤退直前のヴェルディ川崎が、既に財政難は隠し切れない中前年の緊縮路線から一転しての最後の"賭け"だったんでしょう、高木琢也や"風の子"エウレルや"1億円CB"エンリケといった大物選手をかき集めて作ったチームで、雇われたニカノールもベルマーレやレイソルで見せていた成功手法よりもそのメンバーを何とか破綻せずに組み合わせることに忙殺され、それでも1stステージでは優勝を争うところまでは頑張りましたがそれを逃すと一気に無理の反動が来て崩壊、ニカノールも途中解任の憂き目に遭ったというそういうチーム。(そして讀賣には撤退の最終的な名分が)

そもそもサッカーのチームの良い状態の持続性というのは悲しいくらい儚いものなので、やれる時にやっておかないと駄目なのです。ましてやウチのようなメンバー構成の場合は。
ここで何か一つ結果を出しておけばしばらくは持つニカノールの時はそれが出来なかった)ので、その間にもう少し長期的な枠組を固めることも出来ますし。

チームのピークの儚さというのは、もうほんとに何というか、儚いものですね。(繰り返してるだけ)
「ここで何か一つ結果を出しておけばしばらくは持つ」
成程ね、そういう問題意識か。メンバー的に将来性が無いのも前回の最後に言ったようにある種"たまたま"揃った狂い咲きチームなのも承知はしているけれど、それはそれでここできっちり咲いておくことがチームの中長期的生存の役にも立つと。立たせてくれと。
移籍引き抜きが当たり前になった現在と違って、この頃のJリーグだとどのチームもある程度の継続性は当たり前に期待出来ていたので、だからこそあえての、"その場限り"チームへの思いがつづられています。


Fマリ戦(2003年08月20日)

それにしても元エスパの向島建解説。当時のアルディレスのサッカーの特徴はと聞かれて「攻撃は割りと自由、個々の創造性に任せる。でもまず簡単にトップに当てるという約束事は決まっている。中盤の選手はどんどん中に入っていって開けたスペースをサイドの選手が使う」。まんまじゃん。

草創期エスパルスの小兵ウィング向島さんによる、貴重(?)な証言。
エスパルスでも"トップに当てる"サッカーしてたっけ。"創設"監督のレオンは確かにやってましたが。オリバなどのドリブラーに自由を与えていた方の印象しかない。


鹿島戦(2003年08月25日)

ボマがいないのは確かに辛かったけど、少なくとも組み立ての段階で特にボマに依存していた記憶はないんですけどね。負けないで良かった。

これも前回言った、「ボールの預け所はむしろ桜井の方で、エムボマは純然たるストライカー/飛び道具化している」という状態が、そこまで続いていた模様。


海外サッカー

サッカー、エッチ論争「蹴りつかず」(2003年08月26日)

ちなみにベルギー紙の調査によれば、同国でプレーする281人の選手のうち「試合前日、よくセックスする」と答えた選手は65%。うち3%は「試合当日もする」と答えた。」(夕刊フジ特電)

試合前のセックスはプレーにプラスかマイナスかという"科学的"調査の結果、マイナスだという結論が(科学者からは)出たという報道についての記事。(笑)
当日やってるやついるんだ!と驚いてましたが、今見ると3%なのでそれくらいならまあいるかという感じ。(笑)


・・・・というのが準備原稿でしたが(2003年08月30日)

我が家にリーガエスパニョーラはやって来ないらしい。わうわう
お前か?お前のせいなのか?おベッカム。この万年鼻詰まり声のサクソンの小倅が。許さんぞ。
(中略)
あーあ、仕方ない。本腰入れてアルゼンチンリーグでも見るか。一番似てるのここだし。倉敷さんはいないけど、金田土居コンビもなかなかだし。

シーズン開幕のそのタイミングで、リーガの放送権がJskyスポーツ(スカパー)からWOWOWに移った"強奪"された衝撃の記録。
当時はオンデマンドは勿論のこと、スカパー経由でWOWOWを見ることも出来なかったので、かなりの大ごとでしたね。スカパーの時はベーシックなサッカーセット見られて、とても安かったですし。
"金田"は金田喜稔さん、"土居"は多分土居壮さんで、この二人の解説実況コンビによるアルゼンチンリーグの中継も、リーガに次ぐ楽しみとして当時のJskyスポーツでよく見ていました。スペイン系のサッカーが好きだったんですね。一方でブラジル/ポルトガルはあんまり。なんか"重"くて。



9月

清水戦にまつわるエトセトラ(2003年09月05日)

もう一つはステージ単位の話で、つまり過去のJの例を見ると15試合の短期決戦で推進力となるのは客観的なクオリティよりもそのチームの内部的なブレイクスルーが生み出す勢い、緊迫感であって、だから例えば李さん就任直後のウチなんかもあの戦力、あの得点力で危うく優勝しそうになった。

(外形的な体裁ではなくて)内部的なブレイクスルー。こういう議論好きですね今も昔も。(笑)
まあ実際そう思っている、そう"見える"からですけど。
強いチームはなぜ強いのか、勝てる/勝ち切れるチームは何が違うのか、どういう時に、チーム作りの努力はタイトル獲得レベルまで届くのか。
戦術もクオリティも大事だけれど、それだけではそれ自体では、そこまではいかない(ように見える)という、経験論運命論。

その点で(去年の同じ時期のロリ/エジのチームと比べても)早くもフレッシュさが無くなって下手すると緩やかな下り坂に差し掛かりつつあるようにも見えるウチの状態は、1試合単位のクオリティという観点から見える以上にまずいのではないか。底力がつくもうしばらくまでの間は勢いの方に頑張ってもらわないと。

底力がつくもうしばらくまでの間は勢いの方に頑張ってもらわないと。
(笑)。
ここらへんはもう、チーム関係者への要望ではないですね(笑)。運不運も含めた周辺状況が、チームにとっていいように働くようにという"祈り"。
ただ実際そうしたものに恵まれないと、なかなか大きな結果は出ないように、これも経験的には思えて仕方がないという。

ただ一つ言えるのは”ヴェルディ”という名前にはやはり他の普通のJチームには無い特殊な魔力、場合によっては呪詛の力があって、優勝できないまでも上位争いで自尊心をキープできる状況にチームが無いと中位を通り越してあっという間に下位争いのレベルまでテンションが落ちてしまう。中位の力だから中位でコツコツというのは、少なくともリアルタイムのモチベーションとしてはなかなか難しい。
優勝か降格か、上位常駐か下位低迷か。それがヴェルディ

最近のヴェルディには、もう当てはまらないですかね。
もっと謙虚に分を弁えて、「中位の力だから中位でコツコツ」は出来る。一方で"自尊心"に基づく"勝者のメンタリティ"的なものとも縁遠くなって、まあ普通のチーム?
・・・ただし特別に"技術"的なサッカーをしようとした時に、"何か"が目覚める感じはありますね、「栄光」を知らない世代でも(代わりに下部組織が温床?)。目覚めて解放されて伸び伸びやる部分と、放埓になって締まらなくなる部分と、同時に出ちゃいますが。まあプラスマイナストントンで、最終成績にはあんまり関係無い感じですけど。


ブレイクスルーとスローダウン(前)(2003年09月10日)

成長パターン話その1。
(中略)
鹿島戦及びそれに続く清水戦で、僕はヴェルディの攻撃に一時のスピード感、勢いが無くなったことを嘆いた。
しかし個別の原因論はとっぱらって1つのパターン認識としてこれは当たり前のことでもあるので、つまりその”一時のスピード感、勢い”というのは正に「チームの内部的なブレイクスルー」によって生み出されたものであるからだ。
具体的にはそのいい流れが始まる前の混乱していた状態とのコントラスト、抜け出してくる過程で生じる昂揚感、暗闇から見えた共通の希望の光へ向けたある種無心な意志統一、こういったものが「客観的なクオリティ」を越えて敵をひるませ、観客に鮮烈な印象を与える。
(中略)
それがどれだけ持続出来るかは準備にどれだけの厚みがあったかや、その過程でどれだけ具体的な結果がついてきて勇気を補充してくれたかによるが、いずれにしても早晩そんな時期が終わってしまうのは避けられない。

「内部的なブレイクスルー」の効果・役割と限界・寿命。


ブレイクスルーとスローダウン(後)(2003年09月16日)

こうした半ば必然的な失速の後何が起こるか。当たり前だが一度崩れる、言い方を変えると前編で述べたような力強く美しいスペシャルな状態を日常的に実現するのが難しくなる。

ここからは「スローダウン」後の話。

話戻してスペシャルというのはつまりトップ、それもトップ中のトップフォームということであるが、そもそもあるチームの強さをトップフォームのみで測るのは長期的には危ういことであろう。むしろオーディナリーなフォーム、あるいは「底力」という言い方があるくらいだからボトムで測った方が見誤る危険は少ないかもしれない。
それは1つは単純で、オーディナリー以下の状態で実戦に臨むケースの方が多いのであるから、その時に一定以上の強さを発揮出来なかったらいくらトップフォームが強くても勝ち点の獲得が間に合わないからである。

チーム状態の「トップ」「オーディナリー」「ボトム」
今に至るも僕の関心は、サッカーの"トップ"や"先端"よりも、"オーディナリー"や"普通"がどのように形成されているのか、そちらの方にあるという傾向はあると思います。
単純にどうなっているのか知りたい、真に理論的な"課題"は"謎"はそっちだというのと("エコロジカル"なんかもまあ一つのそっちサイドの例)、そちらに基準を置いて、チームの行く末や方針の是非を考える方が実効性があるように思えるというのと。

もう1つは理想的な状態というのは本質的に自己中心的なものであり、行った行ったで押し切れればいいがそうならなかった時の状況や相手の変化への対応という点では脆い、もしくは融通が利かない部分があるからだ。そういう意味ではオーディナリー/ボトムな状態の方がより冷静でタフな戦いが出来、結果的に多くの実利を獲得出来る可能性がある。
ただこれは難しい面があって、対応・対策にかまけているだけではいつまでたっても突き抜けられないでしまいに緊張が切れてジリ貧というパターンも多々見られる。(中略)やはりまずは多少自己中心的でも自分のスタイル、ペースを確立して押し切ることを考えるべきであろう。

牽牛星さんとの議論でも話題にした、対策かスタイルか問題。
"スタイル"が「自己中心的」だという問題意識はちゃんとある訳ですけどね。だからこそ"理想的な"状態/スタイルではなく、より日常的一般的な状態の方に軸足を置いてその身軽さを利しての柔軟な対応を身に付けるのが、"勝てる"(タイトルに届く)チームを作る為には必要だと。
ただどちらが優先かと言えば圧倒的に"スタイル"だと"自分たちのサッカー"だと、対策優位では大したチームにはならん、ここらへんの常識(という前提で語っている)ないし比重は、今とは少し違うところ。でも本当に"常識"はこっちだったんですよね、少なくとも日本国内の論調は。"対策"監督では勝てないと、経験的にはかなりの自信を持って言えた。


代表/海外日本人選手/海外サッカー

それはそうとセネガル戦(2003年09月11日)

これは身体能力だけじゃなくて技術的・戦術的に上回る相手とやった時いつも感じることですが、日本はもっと意思のはっきりしたプレーをしなくてはいけない。大きなプレーはもっと大きく、細かいプレーはもっと徹底的に細かく。なんとなく、とかこれでいけるんちゃうかなみたいなプレーの数を減らさなくてはいけない。

同じようなことでさっき「流れの中で展望が立てられない」と言いましたが、ならば流れが始まる前、もっと早く、もっと遠い間合いから展望を描いておけばいいわけです。作業の裾野が大きくなるので、これは自動的に一種の凝縮された圧力の強さとして意思の明確さにも繋がります。走り出したら止まらないぜ 土曜の夜の天使さ というわけで(?)、気がついたら局面の敵のプレッシャーも「今忙しいんだ、どけ」とあっさり弾き飛ばせるかもしれない。
・・・・いや、まじめに意志統一のはっきりしたチームの強さというのは1つにはこれだと思うんですよ。目先の作業をああでもないこうでもないとやっているのと、その先の到達目標へのプロセスとしてサクサクやっているのとでは、見かけは同じプレーでもスピード感とそこから来る迫力が全然違う

もっと大きくはっきりプレーしろ。卑近なプロセスの連なりではなく、遠目の目的に対する手段として、一つ一つのプレーを位置づけろ実行しろ。
今に至るまで言われ続ける、「和式」批判


補足セネガル(2003年09月12日)

キーワードは「個人」「海外進出」「自由」。(中略)
つまり確かに海外、あるいはよりレベルの高いリーグでプレーすることによって日本人選手の能力が伸びることは今までも、これからも、普通にあるでしょう。でも具体的にそこで何をすることによってその選手は伸びているのか。
個人練習?ノン。むしろそういう時間は制限されるので技術的に落ちてしまう危険をヒデなどは感じているという話(イタリアの例)。
ではジーコよろしく向こうの監督は選手に大きな自主性を与えてくれるので、それで個々の判断力が鍛えられて伸びるのか。言うまでもなくノー。事態はその逆。日本でのような特別扱いや理解を奪われて持ち味を発揮出来ずに苦しむというのが日本人選手のまず見せる姿。
ただ”監督との軋轢”みたいなものは1つの側面・構図でしかなくて、要は色々な監督、色々なサッカー、色々な戦術やタスクを経験し適応して行く過程で総合力を上げ、「持ち味」をブラッシュアップして位置付けし直してそれの効果的な発揮の仕方を学んで行くというのが、基本的な「海外進出によって成長する」プロセスであるように思います。
ジーコが日本人選手に植え付けたがっている時々の試合状況への自発的な対応というのもそういったものの中で、あるいはそれを基盤として行われるものであって、選手に自由を与えることはそれに逆行するとまでは言わないけど特に有効な方法として一般に認められているとは思えない。
つまりあえて図式的に言えば、「組織との関連においてこそ個人は成長する」わけ。少なくとももうほとんど絶対能力は伸びる余地がない、フル代表に選ばれるような年代の選手に関しては。

少し長いですが、
1.海外で日本人選手が成長するとしたら、それは海外チーム/監督の組織/規律への適応を通してだ。
2.所謂"自主的な判断力"も、「自由」を通してではなく「規律」との対応の繰り返しによって得られるものであって、ジーコの方法は完全に間違いとは言わないが限定的な効果しか望めないものである。
という主張。
2.に関してはカタール森保ジャパンの例だと、"ジーコ"式が有効だったという形に、今のところはなっている感じですけどね。(笑)
どうなんでしょうね。

・・・以上、まとめて「和式」問題 in 2003


マケレレ自体は要らないかもしれない(2003年09月17日)

ベッカムは要るか要らないかと言われれ(レレ?)ばこれも要らないけど、ベッカム自身は出来ることを精一杯やっていると思う。プレー自体は別に不快じゃない。特にロベカルが上がりっ放しの時はちょうどマンUでのギグスとのに似た互いに活かしあう両翼の関係が出来ていて、結構脅威を与える存在になれる。

ロベカルのギグス化
なるほど。
右のベッカムに左のギグス(ロペカル)。勝手知ったるポジション。(関係)


ヴェルディ&Jリーグ

季節はめぐる?(2003年09月18日)

余談だけど実は本当に有効なメディア&オーディエンス向けのテクニックというのは、一つ一つの巧妙な論破(ああ言えば上佑?)ではなくて積極的に問題を絞りこんだシンプルなメッセージを出して問題構造自体を自分のペースで作り上げてしまうことなのだと思う。オジーとか上手いよねそういうの。レオンも。李さんは意外と下手。人が良過ぎる。

サッカー監督(の会見テクニック)とポピュリズム。(え?)
必要なのは「論破」(議論)ではなく「メッセージ」。
李さんていかにも"ズバッと"言ってるようで実はそうでもないというか、言ったつもりでもズバッと"届"かないというか。人柄のせいなのかテクニックのせいなのか。
そしていざ本当にズバッと言うと(審判についてとか(笑))、リーグから注意の対象になってしまったりする。(笑)
まあ政治家ではないですね、論客ではあっても。評論家というか。


おやおや?(2003年09月21日)

1.セットプレー問題の解決。

いや、別に解決はしてないのかもしれないけど。
ただ僕は気が付かなかったんですが、前の神戸戦で誰もが思っていたラモンのヘナヘナキックに業を煮やしたエムボマがFKを強引に蹴ってしまってひと悶着というシーンがあったそうなんですが、この試合でも自分で獲ったPKをさっさと蹴ろうとするボマに「ちょっと待ったー」しかけたラモンをみんなで取り押さえるというシーンがありました。
別にPKくらい誰が蹴ってもいいとは思うんですが、選手たちが結果を出せていないラモンから自主的に特権を剥奪して、それで結果(PK成功)さえ良ければラモンもそれ以上ごねるでもなく、その後もFKやCKを大人しくアツと分けあって何やらそれはそれで落ちついてる感じがアダルトだなあと。つわもの揃いの大人のチームだなあとそういう印象を受けました。・・・・これかい?これが欲しいのかい?ジーコ。

そんなことが。
まあラモンはいかにも人がいい感じではあったけど、エムボマもエムボマで決して傍若無人なタイプではなかったので、よっぽど腹に据えかねたんでしょうね。(笑)
それでも再度ラモンがプレースキッカー(PKですが)をやろうとしたのは、監督にはそう言われていたということかな?


再び海外サッカーと日本人

ううむ。(2003年09月24日)

題して”登り坂下り坂理論”
なぜ日本人(FW)はゴール前で緊張してしまうのか。それはゴールというものを登り坂の頂点としてイメージしているから。

お馴染み"日本人FWの決定力"論。

つまり”ビルドアップ”というくらいで、途中までは確かにサッカーの攻撃というものは1つ1つ積み上げて登っていくものなんですよ。そして上に行けば行くほど要求される精度は細かくなって(一つ一つのパス、プレーのレンジが狭くなって)、難易度は高くなっていく。そしてゴール前となればそれは究極となって、あ、駄目だオカアチャン、緊張で漏れそう。何か気が遠くなって来た、コメンナサイ・・・・。これがだいたいの日本人選手の姿。

ただそれはそれとして点を取れる選手、チーム、国、状態においては、ゴール前は緊張/圧迫のエリアではなくて、むしろ解放/弛緩のエリアとしてイメージされているように思うんです。
「坂」の話に立ちかえると、ゴールへ向けての登り坂は実はペナルティの手前くらいで終わっていて、そこからゴールまでは逆にそれまで登って来た位置エネルギーを利用して一気に下って行く、むしろやれやれこれで楽が出来るというそういう過程でありうるのではないかというそういう話。

ゴール/シュートを最終"課題""難題"と捉えて縮こまる日本人FWと、課題(登り坂)を終えた後の"解放""爆発"(下り坂の疾走?)と捉えてリラックスする外国人FWという対比。
今僕があえてこの対比/比喩を使うかというと使わない気もしますけど、ただゴール前で必要なのは「集中」や「責任感」よりも「気楽」「呑気」場合によっては「無責任」なのではないかと、ハーランドを筆頭とするトップ選手たちを日々見ている最近でも、感じることではありますね。ゴールはそんな頑張って取るようなものではない、むしろ頑張ると取れない。(笑)
まあ技術的身体的ベースあっての問題ではありますが。


UEFA杯でもいい。逞しく育て。(2003年09月25日)

to バルサ。・・・・ただし優勝するように。

レアルの大風呂敷を楽しみつつ、バルサも"応援"はしていた。

何というか、アイデンティティの不明瞭さというのが今のバルサの特徴、ポイントだと思うのだけど。具体的に言うとドリームチームなのか、ただの強いチームの一つなのか。当分の間どちらの自意識で戦って行くのか。

ちょうど今のチャビのバルサも、割と似たような位置づけ/ジレンマの元にはありますね。
お金も無いし、カリスマ的リーダーもいないし。でも名前はある。
ただ目指すものとしては結局、"スペシャル"チームでしか多分あり得なくて(それでどんなに失敗しても)、この時の僕も基本的に同じ結論。

とりあえずメンバーを見渡してみる。地元スペインからルイス・エンリケ、シャビ、プジョール、第2の地元オランダからはクライフェルト、オフェルマウス、コクー、ファン・ブロンクホルスト、EU外からサビオラ(アルゼンチン)、ロナウジーニョ(ブラジル)、ルストゥ(トルコ)、マルケス(メキシコ)。有名どころ、目玉的選手を並べるとこんな感じ。これにまだ無名だがレギュラー格のビクトール・バルデス(スペイン)、クアレスマ(ポルトガル)などが加わる。
全然悪いメンバーではない。来日の予定があるそうだが、ガイジンなら何でもありがたがる日本の民放のスポーツアナなら「凄いメンバーですね、正に世界選抜!!」と煽ることも不可能ではないだろう。ただ白いチームと比べちゃうと・・・・普通。ね?

懐かしい。ちゃんと見てたんだなあ、俺。
クアレスマとか、へなちょこなんだけどなんか好きだった。
むしろクリロナよりも。(勝てると思ってた訳ではないですけど(笑))


ブログの歴史

取り急ぎガンバ戦(2003年09月27日)

急ぎついでにラテラルの箇条書き手抜きヴァージョンをパクってみたり。

ここが"箇条書き"スタイルのスタートか!
慣れてないのでまだ読み難くて、自分でも読み返すのが苦痛だったので引用はしませんが。(笑)
ラテラルは当時懇意にしていた浦和系ブログ。tkqさんと知り合った(直接対話はまだしていない)のもここを通じて。


なんか9月頑張ってますね。(笑)
"コラム"一杯。
まだhtmlらしいんですけど。


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