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木村カエラ/ワニと小鳥
2008年04月23日 (水) | 編集 |

 涙止まらなかったんだ
 ダメな ボクは君を食べた
 好きなところばかりの君に 会えることもない
 今は少しおちついてきたよ
 でもね ボクはおくびょうだ
 自分を いじめてるつもりで 生かしてる

 だからね
 いつも頭の上に止まる 小鳥を見上げてみる
 かわいい声 君の色 全て大好きだったんだよ
 みにくいボクに 体をゆだね 心をゆるす
 戻ってきてよ

 君のステキなところも
 ボクはわからなくなってた
 1番うばってはいけないもの
 気に入らないことに ハラを立てて
 君を食べた

 後悔してるよ 思い通りにしたいなんて
 おかしな話だ
 本気で笑ってつぶやいた

 だからね
 いつも頭の上に止まる 小鳥を見上げて笑う
 君に重ねて 思い出している
 たくさん話をして 言葉を聞いて
 こんなボクなら 生かしてあげれるかな

 だからね
 いつも頭の上に止まる 小鳥を見上げてみる
 かわいい声 君の色 全て大好きだったんだよ
 みにくいボクは
 食べないよ 食べないよ もう

(木村カエラ/「ワニと小鳥」 ”Scratch”('07)より)



・・・・「誰かが誰かを傷つける」ということを、これ程見事に表現した歌詞を僕は他に知りません。
”ボク”であり”キミ”であり、(力の強い)”ワニ”であり(弱い)”小鳥”であるということから、基本的には傷つけたのは男で傷つけられたのは女だと、一応はそういうイメージでいいんだと思いますが。まああんまりこだわると味が台無しになりますけど。

関係性の方に着目するなら、「無心な信頼を寄せた側」(小鳥)と、「寄せられた側」(ワニ)となりますか。両者のデフォルトの力関係の差にもかかわらず、と言ってもいいですし、「寄せた側」は「寄せた相手」に対して無力になるという、一般的な意味でもいい。
とにかく小鳥が寄せた、裏切ってはいけないタイプの信頼を、つい、裏切ってしまったわけですね、ワニは。

僕が秀逸だと思うのは、そうしたワニの行為を、”悪”(い)ではなく、”ダメ”という言葉で表現したカエラのチョイス、センス。その鋭さと、優しさと。
そうなんですよね。”ダメ”な行為なんですよね。悪いというより。悪いから悪意があったからやったのではなくて、ダメだから、ダメなところがでてしまったから、やって”しまった”んですよ。ふっとね。その瞬間は、実は空白なんですよね。

ワニは小鳥を確かに好きで、大好きで、好きなところばかりで、それは嘘ではない。
自分の力も分かっていて、自分がそうすれば相手を傷つける、あるいは壊してしまうということも、心の底では分かっている、分かっていた。そうするのが望みなのか、そうした行為から予想されるその結果を、望んでいたのか、あえて問われれば否と答えるでしょう。
でも、やってしまったんですね。やってしまうんですね、その瞬間には。そういう瞬間があるんですね。ダメだから。ダメだったから。

曲自体は『食べないよ 食べないよ もう』と締めくくられていて、その気持ち決意に嘘はないんでしょうけど、もし仮に小鳥が”戻ってき”たとして、またワニは食べちゃうかもしれない。大好きだけど。大好きなんだけど、ダメだから。ダメな時があるから。
そうした構造全体への直観があるから、”悪”と切る/断罪するのではなく、”ダメ”と表現する、認識する、あえて言えば赦すんだと思います。

でもワニは単に懲りずに繰り返すわけでも空約束をしてるわけではなくて、ちゃんと分かってはいるんですね。起きたことを、自分がやってしまったことを。
どうすればいいかということもちゃんと考えている。分かっている。
『たくさん話をして 言葉を聞いて
こんなボクなら 生かしてあげれるかな』

と。

更に言えば”食べ”てしまった経験を通して、自分がどれほど小鳥が好きだったか、小鳥が自分にとってどういう存在だったか、一つ一つ思い出して、再確認して、間違いなくワニは前のワニではなくなっていると思います。
だから例え繰り返しになる可能性があるとしても、繰り返しになったとしても、トライするのは無意味ではないと思いますが。

でもまあ、食べちゃうかもしれませんね。ダメだから。ワニだから。


・・・・と、いうのがアルバム

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木村カエラ

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発売当時の初見(初聴)の印象・解釈でしたが。
録画しておいた日曜の『Music Lovers』のカエラのライブのかわいさを見ていて、ふと書きたくなりました。どうも全文出すのは、権利的にまずいのかもしれないんですけど。(笑)

改めて検索してみたら、「ワニと小鳥」というシンボル自体は、聖書の逸話に由来するみたいですね。
それと例の、”ワニの歯の掃除をする鳥”という、有名な共生の事例。
結構話題になった歌詞らしいなと思ったら、そうか、東京モード学園のCMで使われていた曲
TREE CLIMBERSTREE CLIMBERS
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のシングルのB面?で出ていたのか。

カエラ自身はどう言ってるんでしょうね。全然違ったりして。(笑)


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コメント
この記事へのコメント
私はワニ
こんにちは。
言い方がおかしいですが、最近、人を傷つけてしまってそれを自覚し反省してました。その時この曲を聞き、どんな意味が隠れてるのかを知ろうとしてここにたどりつきました。

私は、今回はワニのほうです。
歌と同じ境遇ではないですが、相手の優しさを自分に都合よく受けそれに甘え、傷つけてしまいました。
お互いにちょうど良い距離を置こうとしたけれど、互いに傷つけたくない優しさが裏目に出ました。

私は、火付け役が得意であとは相手次第というなんとも言い難い性格です。
相手は、側にきてくれて、短くとも幸せな時を過ごせて、私も想いは強かったのですが、どうしても結ばれない環境でした。

お互い距離を置くことで思いやり、大切に思うはずだったのにワニのように私は小鳥を食べてしまったのです。相手の優しさに甘えて。
なんでも許させると思ってしまった私の愚かさでした。

この記事が気に入った理由は最後の、ダメだから。ワニだから。と締めくくりが好きで、きっと同じことがあっても以前とは違うワニであっても、やっぱり食べちゃうよね、というのが私は救われました。

自分を好きでいたいし、好きな人を思える人でありたいけれど、少しは成長したけれど、きっと私は私なんだろうなと思わされました。

語ってしまいましたが、笑いがあって救われたのは事実です。
ありがとうございました。
2023/08/29(Tue) 14:17 | URL  | muhi #-[ 編集]
こんにちは。いい曲ですよねこれ。16年前の曲ですが、変わらず感動してしまいます。

>私は、火付け役が得意であとは相手次第というなんとも言い難い性格です

"魅力"や"愛情"を感じてそれを(最初に)表現は出来るけれど、それらをどう具体的に関係性として結実・維持させたらいいのかがよく分からない、みたいな感じですかね。

>相手は、側にきてくれて

であるならば、そんな中で"きてくれ"た、言わば関係性の部分を担ってくれた満たしてくれた相手に対する、感謝や感動の思い自体は本物だったんだろうと想像しますが。

ともかくそういう相手を傷つけたいと、あえて思う筈は無いわけですが、相手(の愛情)が素晴らしいからこそ優しいからこそ、甘えや油断が生まれてある瞬間それが限度を見誤らせるということも、実は当たり前にあることのように思いますね。それを相手の"罪"とするのはあんまりですが、「愛情」関係全般に伴う宿命的な部分・現象だと、そう言える部分は必ずしも居直りでなく、あるのではないかなと。
愛してくれる相手の愛情や優しさに横着に乱暴に乗じる・甘えるみたいな行動は、最も典型的には子供が親に対してよく自覚も無くやっていることだと思いますが、世間一般の、"成人"どうしの関係でも、案外そんなに変わりはないのではないかなと。愛されると人は子供になるというか。だからカエラさんもワニを責めないというか(笑)。(悪いワニになってるよとは指摘するけど。そもそも自分が"ワニ"になった経験を歌っているようにも見えますし)

muhiさんの場合は文面からすると、"結ばれない"結果落ち着きかけた"関係"自体に不満があって、そこで一歩踏み出そうとした時に相手の方(かた)の愛情や優しさが作ってくれていた関係の枠組みや限度を壊してしまって、しまったとなったというかそこで初めて全体像が見えたというかいかに自分が相手に守られていたかが分かったというか、そんな感じですかね。(違ってたらすみません)
そうした行動や結果にどれだけmuhiさんの個人的な資質や"成熟"度が関係しているのかは分かりませんが、いずれにしても上で言ったように多かれ少なかれ誰もがある状況では犯しがちな過ちだろうと思いますし、反省はしつつもお互いに赦し合いながら(実際次はmuhiさんが傷つけられる番かもしれない(笑)ですし)、せいぜい"小鳥を食べないワニ"になるよう努力する、でもやっぱり食べちゃったらごめんねと、結局最後はそういう話に。笑
2023/08/29(Tue) 17:22 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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