2008年05月01日 (木) | 編集 |
についての仮説。
ほとんど開幕直後から考えていた内容ですが、なかなか書く機会が無いので時効&後出しにならないように、もう書いてしまいましょう。僕の日頃言うことも少しは分かり易くなるかも。(笑)
特徴1:最大スペック主義
基本方針。広い意味での”ベストメンバー陳列主義”で、つまりジーコやラモスのあれと近親。
開幕前のインタビューでも、「まず選手を見てそれに合わせて戦術等を考える」みたいなことをおっしゃってましたね。(これ自体は文脈によってはごく一般的な類のことですが)
とはいえ勿論同じではなく、例えばジーコやラモス、あるいはブラジルの極端な/理想的な典型としては、「上手い順に11人」選んで、それを更に上手い順もしくは守備の出来ない順(笑)に前のポジションから並べて行くというもの。分かり易く言えば「ドリームチーム」主義ですね。
それに対して柱谷監督の場合は、そこまで大胆ではない。あらかじめだいたいのフレーム/システムは用意しておき、それぞれのポジションの専門性から、典型としての適切なプレーヤー像はイメージしてある。
それに従って(同時並行的、かも)、各プレーヤーに基本的に一つのポジションを割り振り、その顔ぶれの中からスペックが最大の選手を選んでレギュラー/ファーストチョイスを決定する。
この場合のスペックというのは、恐らく「身体能力」や「ボールテクニック」などの、割合分かり易い項目が優先で、連携力や戦術理解力のような地味な項目は、その後になる。最大スケールの選手、一般的な意味で素質が高い選手と言ったらいいか。
こうして選ばれた各ポジションスペック最大の選手からなる11人が、「柱谷監督のチーム」で、まずそのメンバーの存在を考えて、それを組み合わせて動かして、チームの機能性を考える。
(具体的な表れ)
こうした発想から生まれるのが、例えば開幕時にその迷いの無さで僕を驚かせた、「混乱を恐れず土肥・那須・福西・レアンドロと主だった新加入選手をずらりと並べたスタメン」であり、”レギュラーボランチ富澤”なわけです。
・・・・つまりそうした新加入選手たちは、既存選手たちより実績も上ですし、少なくとも柱谷監督の序列の中では「本来的に」スペックの大きな選手なわけです。だから故障でもしてなければ使うのは当たり前。
菅原との比較で常に論議を呼ぶ富澤も、大きくは同一の”プレーヤー像”の中で、身体能力やボールテクニックが菅原より上であると、そう判断されて使われている(た)のだと思います。
勿論未完成なのは柱谷監督も分からないわけはありませんが、問題は「スペック」なわけで、近い将来の完成形のスケールにおいて上回る方を使う(比べてジーコやラモスは、完成度主義的だと思います)。そういう意味で”育成”的意図はありますが、ただその理由は”若手”だからではないんですね基本的に。かんぺーの方がいい選手だから、柱谷基準で。
それの裏面のようなことですが、柱谷監督が今年チーム作りを始めた当初から、廣山や飯尾のようなやや地味だけれど連携や戦術(や守備)という点で去年からチームを支えていた選手を、特に重視or特別視している様子が無かったこともこの考えで理解出来ると思います。
勿論功績や継続性を無視しているわけではありませんが、チームのスケールアップの為にはむしろ積極的に代えて行きたい、レアンドロや河野のようなもっとはっきりスペックの大きな選手に。場合によってはフランシスマールでも。(笑)
・・・・ではなぜ去年の4-4-1-1フッキシステムが誕生したかについては、”特徴2”の方で。
その他細かいこととしては、例えば大野があくまで”ボランチ”であって、トップ下としてもサイドハーフとしても、今季ほとんど考慮されていないように見えるのも、最初に固定的なポジション別役割分担とそれに伴うプレーヤー像があるからだと思います。ボランチと決まったらボランチなんです。
当然ディエゴもトップ下と決まったらトップ下なわけでしょうね。一時よく言われた”FW起用”とかは、それはもう、「別のチーム」の話になってしまう(福西のポジションなども同様)。だから実際問題那須に対しても、CB起用を確約しているんじゃないでしょうか。だから移籍して来た。
(どういうサッカーか)
誤解を恐れず言えば、「個力重視」の「分業サッカー」が基本だと思います。
まず上で考えた柱谷監督のやり方だと、”機能性”や”連携”を先にイメージして、そこから適した選手を選ぶわけではないわけですよ。一人一人としてベストな選手を使うことが優先する。
結果並べた選手たちがなかなか上手く噛み合わなかったりするかも知れませんが、それは要するに頑張って、慣れて、噛み合ってもらうしかない。・・・・ここらへんはちょっとジーコ的ですね(笑)。とにかくそういう意味で、決して「戦術」優位みたいなタイプではない。
更にそうしたベストな(最大スペックの)選手を選ぶ際に前提となるポジション概念は、割りと典型的というか一般的というか、それ自体に捻りのあるものではない。互換性とか”トータル”性とかもなくて、要するに一種の分業ですね。はっきりした役割分担。
そういう意味では古典的・保守的なサッカー観。
ただつまるところ柱谷監督の根底には何があるかと言えば、それは僕が口癖のように言う(笑)「男らしさ」。勇敢さであり立派さであり、頑張ってちゃんとやることです(”とにかく一対一で負けるな”)。一部で選手に責任転嫁する傾向があるという批判があるようですが、もしそういうことがあるとすれば、ここらへんの姿勢の表れでしょう。
優れた選手偉大な選手が(11人)集まって展開される、優れた偉大なサッカー。どういう戦術かとか細かいことを言ってはいけないんです(笑)。強いて言えば「勝つ」サッカーであるし、やはりなるべくは「攻撃的」なサッカーであるでしょう。(ラモスと比べれば、多分パスサッカーそのものには本当にこだわりはないと思います)
そしてそうした「偉大な11人」がプレーする為に必要なのは、奇を衒わない大まかなポジション概念と役割分担、それだけで十分。後はそれぞれが偉大性を発揮するだけ。
まとめて言うとやはり伊達に長年つるんでいたわけではなくて、盟友ラモスと大筋のところでは、それほど本質的な違いは無いんだと思います。ラモスよりは身体能力や守備力(特に一対一)などに、より重点はあるだろうと思いますが。
勿論最近のサッカーに背を向けているわけではないですし、”ヴェルディの監督”として、その時その時色んなことはするでしょうけどね。ただ骨組みはこうだろうと。
”2”につづく。
ほとんど開幕直後から考えていた内容ですが、なかなか書く機会が無いので時効&後出しにならないように、もう書いてしまいましょう。僕の日頃言うことも少しは分かり易くなるかも。(笑)
特徴1:最大スペック主義
基本方針。広い意味での”ベストメンバー陳列主義”で、つまりジーコやラモスのあれと近親。
開幕前のインタビューでも、「まず選手を見てそれに合わせて戦術等を考える」みたいなことをおっしゃってましたね。(これ自体は文脈によってはごく一般的な類のことですが)
とはいえ勿論同じではなく、例えばジーコやラモス、あるいはブラジルの極端な/理想的な典型としては、「上手い順に11人」選んで、それを更に上手い順もしくは守備の出来ない順(笑)に前のポジションから並べて行くというもの。分かり易く言えば「ドリームチーム」主義ですね。
それに対して柱谷監督の場合は、そこまで大胆ではない。あらかじめだいたいのフレーム/システムは用意しておき、それぞれのポジションの専門性から、典型としての適切なプレーヤー像はイメージしてある。
それに従って(同時並行的、かも)、各プレーヤーに基本的に一つのポジションを割り振り、その顔ぶれの中からスペックが最大の選手を選んでレギュラー/ファーストチョイスを決定する。
この場合のスペックというのは、恐らく「身体能力」や「ボールテクニック」などの、割合分かり易い項目が優先で、連携力や戦術理解力のような地味な項目は、その後になる。最大スケールの選手、一般的な意味で素質が高い選手と言ったらいいか。
こうして選ばれた各ポジションスペック最大の選手からなる11人が、「柱谷監督のチーム」で、まずそのメンバーの存在を考えて、それを組み合わせて動かして、チームの機能性を考える。
(具体的な表れ)
こうした発想から生まれるのが、例えば開幕時にその迷いの無さで僕を驚かせた、「混乱を恐れず土肥・那須・福西・レアンドロと主だった新加入選手をずらりと並べたスタメン」であり、”レギュラーボランチ富澤”なわけです。
・・・・つまりそうした新加入選手たちは、既存選手たちより実績も上ですし、少なくとも柱谷監督の序列の中では「本来的に」スペックの大きな選手なわけです。だから故障でもしてなければ使うのは当たり前。
菅原との比較で常に論議を呼ぶ富澤も、大きくは同一の”プレーヤー像”の中で、身体能力やボールテクニックが菅原より上であると、そう判断されて使われている(た)のだと思います。
勿論未完成なのは柱谷監督も分からないわけはありませんが、問題は「スペック」なわけで、近い将来の完成形のスケールにおいて上回る方を使う(比べてジーコやラモスは、完成度主義的だと思います)。そういう意味で”育成”的意図はありますが、ただその理由は”若手”だからではないんですね基本的に。かんぺーの方がいい選手だから、柱谷基準で。
それの裏面のようなことですが、柱谷監督が今年チーム作りを始めた当初から、廣山や飯尾のようなやや地味だけれど連携や戦術(や守備)という点で去年からチームを支えていた選手を、特に重視or特別視している様子が無かったこともこの考えで理解出来ると思います。
勿論功績や継続性を無視しているわけではありませんが、チームのスケールアップの為にはむしろ積極的に代えて行きたい、レアンドロや河野のようなもっとはっきりスペックの大きな選手に。場合によってはフランシスマールでも。(笑)
・・・・ではなぜ去年の4-4-1-1フッキシステムが誕生したかについては、”特徴2”の方で。
その他細かいこととしては、例えば大野があくまで”ボランチ”であって、トップ下としてもサイドハーフとしても、今季ほとんど考慮されていないように見えるのも、最初に固定的なポジション別役割分担とそれに伴うプレーヤー像があるからだと思います。ボランチと決まったらボランチなんです。
当然ディエゴもトップ下と決まったらトップ下なわけでしょうね。一時よく言われた”FW起用”とかは、それはもう、「別のチーム」の話になってしまう(福西のポジションなども同様)。だから実際問題那須に対しても、CB起用を確約しているんじゃないでしょうか。だから移籍して来た。
(どういうサッカーか)
誤解を恐れず言えば、「個力重視」の「分業サッカー」が基本だと思います。
まず上で考えた柱谷監督のやり方だと、”機能性”や”連携”を先にイメージして、そこから適した選手を選ぶわけではないわけですよ。一人一人としてベストな選手を使うことが優先する。
結果並べた選手たちがなかなか上手く噛み合わなかったりするかも知れませんが、それは要するに頑張って、慣れて、噛み合ってもらうしかない。・・・・ここらへんはちょっとジーコ的ですね(笑)。とにかくそういう意味で、決して「戦術」優位みたいなタイプではない。
更にそうしたベストな(最大スペックの)選手を選ぶ際に前提となるポジション概念は、割りと典型的というか一般的というか、それ自体に捻りのあるものではない。互換性とか”トータル”性とかもなくて、要するに一種の分業ですね。はっきりした役割分担。
そういう意味では古典的・保守的なサッカー観。
ただつまるところ柱谷監督の根底には何があるかと言えば、それは僕が口癖のように言う(笑)「男らしさ」。勇敢さであり立派さであり、頑張ってちゃんとやることです(”とにかく一対一で負けるな”)。一部で選手に責任転嫁する傾向があるという批判があるようですが、もしそういうことがあるとすれば、ここらへんの姿勢の表れでしょう。
優れた選手偉大な選手が(11人)集まって展開される、優れた偉大なサッカー。どういう戦術かとか細かいことを言ってはいけないんです(笑)。強いて言えば「勝つ」サッカーであるし、やはりなるべくは「攻撃的」なサッカーであるでしょう。(ラモスと比べれば、多分パスサッカーそのものには本当にこだわりはないと思います)
そしてそうした「偉大な11人」がプレーする為に必要なのは、奇を衒わない大まかなポジション概念と役割分担、それだけで十分。後はそれぞれが偉大性を発揮するだけ。
まとめて言うとやはり伊達に長年つるんでいたわけではなくて、盟友ラモスと大筋のところでは、それほど本質的な違いは無いんだと思います。ラモスよりは身体能力や守備力(特に一対一)などに、より重点はあるだろうと思いますが。
勿論最近のサッカーに背を向けているわけではないですし、”ヴェルディの監督”として、その時その時色んなことはするでしょうけどね。ただ骨組みはこうだろうと。
”2”につづく。
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