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”人間化”と”猫化”(つづき)
2006年08月28日 (月) | 編集 |
(承前)
つまり人間が自らの思い入れで猫を人間的な脈絡に引っ張り込むように、猫は猫で”自然”で自前な行動パターンをうまいこと応用・延長して、人間(飼い主)との生活を円滑にするわけです。
犬の場合、それが飼い主をボスとする「群れの階層関係の当てはめ」であるのはこれもよく知られた事実ですね。

ともかくもこれらは全てそれぞの生き物がなるべく快適に暮らす為の、不可避かつ能動的な、その意味において”自然な”行動であり、当たり前の適応反応であり、それを「餌をもらうための媚び/下心」と殊更ネガティヴに受け止めたり、それをもって人間側の猫への愛情行動の価値を卑下したりする必要はないわけです。
別な言い方をすると、何も人間だけが一方的に自己化=人間化を反省したり不自然だと自責したりする必要はないわけで、そっちの方がむしろ傲慢でありまた勿論自意識過剰でもあるわけです。基本的にはお互い様、ということであるし、猫を舐めるなよということでもあります。

それぞれがそれぞれのやり方で、甲斐性で、愛すれば、慈しめば、それで十分だと僕は思います。そんなに違わないですよ、ヒトと動物は。


こうしたことの一つ一つについて、直木賞作家様が分からない、全く知らないとはちょっと考えづらいんですが、どうも力点がおかしい、全体のデッサンが狂っている、または未整理であるという印象が強くあります。当面相対的に大した問題とは思えないこと(人間化)やそれに対する悲観を起点に、極端で暴力的で飛躍した、悪い意味で”人間的”な過剰反応にひた走ってしまっている。

是非以前に何か展望がある、あるいは本気で”問題”に取り組んでいるようにはとても見えないですね。自分自身の悲劇的なイメージに酔っている、単なるカッコつけ、その為に子猫の命やその死という事実を弄んでいる、そういう風に見えます。どっかの女学生かお前はという。(そうなのかもしれない)

そういう不快感。決して思想の問題でも生命論の問題でもない。本人はそのつもりなんでしょうけど。基本的な立ち居振る舞いの問題。

・・・・最後にもう一度、もう少し坂東コラムそのものに添った形で整理して、それで終わりにしたいと思います

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