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”ソフト”という比喩で見た「成長」
2006年08月30日 (水) | 編集 |
コンピュータ関係には全く、丸っきり詳しくないので、細かい用語法については大いにスーパーヴァイズを望みますが。とりあえず雰囲気で。
昨日の「成長」についての話を書いてから思い付いた比喩。具体的には「子供」”人格”から「大人」”人格”への移行と『成長』との関係について。

こういうことです。
あるコンピューターのスペックやら性能やらが向上したとして、あるいはコツコツと大量のデータを蓄積したり新しいプログラムをぶち込んだとして、それを具体的に表現するにはOSを筆頭とする何らかのソフトが必要なわけです。(だよね?)

そしてそれは必ずしもこのソフトじゃないと絶対駄目だということはなくても、より効率が良かったり使い易かったり分かり易かったり、特定の目的に適合性が高かったりというそういう差はそれぞれにあるわけですね。

で、言うところの『人格』というのは、その”ソフト”のかなり高い階層の、総合的なレベルの機能の一つの日常的な表現と考えるのはどうかと。
つまりある時期までは「子供」の『人格』というソフトの統御の元に、日々データを蓄積して処理を行ない、外界に表現してきたものを、ある時期からは「大人」の『人格』という新ソフトにそれを書き換えて引き続き同様の作業を続けることを要求される。

それまでの「子供」ソフトを使い続けても出来なくはないのですが、たいていは「大人」ソフトに書き換えた方が、一般的な意味で効率が良かったり他の人に分かり易かったりする。使いこなすまでには少し時間がかかっても。

あるいは単に「みんなが使っているから」という理由も、この場合必ずしも馬鹿にしたものではない。
ウインドウズのヴァージョン違いくらいだったら多分どれ使っても大差ないだろうと思いますが、ウインドウズとマック、あるいはこうした寡占状態が生じなかったり文明間の連絡がない状態でそれぞれが勝手に開発した統合ソフトがある日出会ったらと仮定したりすると、同じ目的の作業をやっていてもお互い何やってるか良く分からないなんて事態も想像出来る
・・・・うーん、これは”プログラム言語”のレベルか?分からん。(笑)


ただし元の「子供」(時代に使っていた)ソフトの柔軟性が高かったり、カスタマイズの腕が特別に優れていたりすれば、継続使用にも十分に耐えたりむしろその方がトータルで目的に最短距離だったりということもあり得りますが。自信があれば「子供」や「大人」という、言わば”市場”の動向とは無関係に、その都度自作するというテも。
そうでなければ大人しく電気屋(笑)に走った方が無難か。

ともかく内部の作業としての蓄積(トバタ式では『精度』の向上)そのものは統合ソフトの選択と決定的な関係はない、つまり「成長」と「大人」との間に直接的な関係はないという前回の結論に一応の変更はないとしても、それを外部に表現したり流通させることを考えるとやはり無視は出来ない問題であると、そういう話。

まあいわゆるコンピュータの使われ方と比べて、”人間”コンピュータまたは”脳”コンピュータの使われ方は遥かに多次元で、目的そのものや成立している市場自体が無限に多様かつローカルの寄せ集めみたいなところがあるので、比喩としての限界は自ずとあるでしょうが。・・・・何かの足しになったのかなこれ。(笑)

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