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最後のツッコミ
2006年09月02日 (土) | 編集 |
to 坂東子猫殺し
元コラム本論詳述1詳述2

結論的に言うと、この人のこの文章は根本的に間違っているとか”悪い”とかいうよりも、浅はかであり迂闊であるのだと思います。繰り返しになりますが。
明らかに勉強・考察不足であり、「生命論」や「生物学的思考」のようなものに慣れていない様子がうかがえます。

>子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。

なんでしょうねこれとか。どう読んだらいいんでしょう。
確かに精子も”生命”ではありますし、また正統カソリックのように避妊自体を罪悪だとする思想もあるにはありますが、何かそういう背景が示されているわけではなく、(精子と個体の意味を同一視するような)特殊な思想を提示しているという緊張感もない。主張についての反論は予測していても、前提については特に配慮していないように見える。
当たり前のように言われてもなあ。つまりは”間違い”以前の”不足”。


最終的にやり切れない、いらつかされるのは、この人が猫や動物を嫌いだったり軽視したりしている人ではなくて、むしろ積極的にかわいがっている人だということです、見ての通り。
嫌いなものを殺すのはある意味当たり前だし、猫だろうが犬だろうがヒトだろうが、ある人がある種の生物を食用と(のみ)認識して殺して食ったりする分には、細かい道徳・生命論論議以前に、これも生物として当たり前としか言いようがない部分があるわけです。

でもこの人は違う。”愛玩動物”とはっきり認定しておいて、わざわざ無用な、少なくとも技術的には防げる殺しを行ない、”愛玩”の対象(子猫)に恐怖や苦痛を与えておいて、それを世間にアピールしている。なんだこれは。

mimiさんのこれとかが言い得て妙だと思います。そう、比較の対象としてはオウムなり、アルカイダなり、そういうテロ、宗教テロ、理念や思想を理由とする暴力の類。理念や思想のみをと言った方が意味がはっきりするでしょうか。それらがなければ存在しなかったはずの暴力。

基本的に「思想」や「選択」といったものを勘違いしてますねこの人は。
>それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
なーんてもっともらしいこと言ってますが、「選択」というのはそれこそ子供の内どちらかを殺せ(生かせ)と迫られたソフィーみたいなのを言うのです。まず不可避な状況や解決不能な現実があって、それを何とか選択したり収めるためのよすがとして「思想」はある。「思想」の方が状況を作り出してはいけないのです。

あなたのは単なる「好み」とか「スタイル」とか言うんじゃないでしょうか。”カッコイイ自分”や”正しい自分”を描き出す為のおもちゃです。
多少陳腐でも常識で大過なく処理出来るところは、サクサク処理していけばいいんです。変な自己主張はせずに。コトは生命という取り返しのつかない事柄に属するのですから。誰もあなたに「選択」なんて迫ってないように見えますが。(つづく)

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