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北京・反町まとめ(テーマ編1)
2008年08月20日 (水) | 編集 |
(編成編) より。

ゲッ、もうフル代表動き出すじゃん。さっさとやってしまわないと。出来ればもう一日待って欲しかった。(笑)
大会前に(特に僕が)想定していたテーマの達成度という観点から。


「自分たちのサッカー」は出来たのか

実は出来てる、と思いますね。表れは不幸でしたが。守れてるし繋げてるし運べてるし。
少なくとも事前に出来ていたことは、本番でも、例えばナイジェリア相手でも、基本的にはちゃんと出来ていた。
だから足りなかった/出来なかったのは、前から出来なかったことであって、そういう意味では文句を言える余地はほとんどない。

現実の敗戦(3戦全敗)を前にして、つくもんついてんのかこの野郎とサカりたくなる気持ちは僕も分かりますが、オトナならここはぐっとこらえておきたいところ(笑)。何であれ予想されたことで騒ぐのはみっともない。
不満なのは分かるけど、あらかじめ言っておいたよね?最近立ちが悪いって。またはやっぱり俺は巨乳がいいって、そういうのは付き合う前に言ってよ。

まあナマクラなチームではありました。
ただ戦前戦中これくらい変な安心感のある、計算の立つ「日本代表」も珍しくて、近年最高成績のトルシエの五輪やW杯だって、結局何にも出来ないんじゃないかとドキドキしてましたからね。そういう(種類を問わない)ドキドキ感が無いのも、実は大向こうの不満の中心にはあるんでしょうが、それこそもし『日本化』が晴れて達成されたら、むしろ10年20年の単位で、「退屈な日常」が待っているのかも知れないわけで。
スペイン代表のファンが報われるのは、次はいつになるのか。(笑)

それはそれとして出来る/出来ないの境界的な問題、または運用面でそこは責任を問われる可能性のある領域もあって、それがアメリカ戦の前半などに現れた、「日本が攻め込む」「主導権を取る」という事態の想定と内容。(の準備)
具体的には一つはいよいよゴールに迫る攻撃の際のクオリティと訓練、個々の能力と人材の選択という問題ですが、これはまあ、色んな人が言ってるでしょうから割愛。反町監督の資質も含めて、出来ないコに向かって「どうして出来ないんだ」と迫るような大人げなさも、現状付き纏う部分でしょうし。

僕がやや心残りなのは、トゥーロンで(ようやく)出来た"丁寧なリアクション・サッカー""重心のかなり低めのポゼッション・サッカー"みたいな独特のスタイルから、本番までの残り少ない期間でかなり慌ただしく前のめり気味の更なるスタイル・チェンジや人の入れ替えを行ったことで、その必要性や意味自体は分からんでもないんですが、いかにも理屈っぽいよなあ、薄いよなあと、危うくは感じていたんですよね。
ほとんどの"代表"監督というものは、本番前は変えそうで変えないというか、結局は出来ることの整理と若干の不確定要素的選手の導入くらいにとどめるのが普通なので、最後まで動く/動いてる途中で大会を迎えた印象の強い山本や反町監督みたいなのは、なんか珍しいというか日本人の若手監督らしい頭でっかちさというか。例えば本番では駄目だった香川ですが、仮に準備試合の時点でも上手く行かなかった場合、既に主力の入れ替えを行ってしまった編成で、どうするつもりだったんでしょうか。

まあ「検証」と言っても結局実際は1,2試合の話でしかないので、それがどう影響したとかは難しいんですが、結果として致命傷になった緒戦アメリカ戦の敗戦とその前半の勿体無い半端な過ごし方は、僕の感覚では「トゥーロン-カメルーン戦」の流れのチームの延長というよりは、メンバー発表後の2戦の「新チーム」によるものなので、なんかこう、釈然としないというか痛みが遠いというか。
強敵との勝負がかりの次戦で、今更自分のミニマムを確認するという悠長さ。

勿論この"2チーム"に共通する部分はたっぷりありますし、反町監督の中では大きな齟齬は無いんでしょうけど、そこらへんについては後の項で。


「日本代表」の「攻撃」のあり方について

ここの”2”で言っていた、正に「テーマ」ですが。ちなみに同じ個所の”1”は、前項の内容に半分くらい関係していますね。

何せ「反町ジャパン型」のサンプルがほぼこれ一つしかないので、公平な比較は難しいんですが、今のところのとりあえずの結論としては、やっぱり気が狂うほど攻撃しないと、日本人が世界大会で点の取れるチームを作ろうなんて、甘いんじゃないのという話になりますか。
バランスだけ先に考えても、知れてる。あるいは"バランス"の意味を、安全性に重点を置いて考えてても埒が開かないというか。

意外かもしれないですが、実はこの結論を出すのに僕はあんまり乗り気じゃないんですよね。例に挙げた"気が狂った"チームたちへの愛は愛として。
さすがにいつまで思い出に浸っていても仕方がないというか、それらの中道を考えざるを得ないというか、実際に反町・城福のチーム作りをヒントに、最近はまた違うモデルをずーっと考えているというのもあるんですが。(まだ秘密(笑))

ただまあ、本当に、全く、点が取れる気配が無かったですからね。点を取る態勢に無かったというか。
なんか白々としてる。無礼講に紛れ込んだ下戸のように。
ただそれは今に始まったわけではなくて、予選終了後改めて本番用のチーム作りを始めてからのの戦績を見ても、

 親善試合アンゴラ戦 △1-1
 トゥーロンオランダ戦 ○1-0
 トゥーロンフランス戦 ○2-1
 トゥーロンチリ戦 ●0-2
 トゥーロンイタリア戦 ●0-0(PK4-5)
 トゥーロンコートジボアール戦 ●2-2(PK3-4)
 親善試合カメルーン戦 △0-0
 キリン杯オーストラリア戦 ○2-1
 キリン杯アルゼンチン戦 ●0-1

と、ほとんど取れてないか引き分けか、鍔競りばかりやってる印象の渋ーい戦績。
むしろこんなに2点取った試合あったっけと意外だったくらいで(笑)。挙句PKで二つ負けるなよとも思いますが。(笑)

アンゴラ、イタリア、カメルーンと、個人的にベストだと思ってる試合、全部引き分けですからね(内2つスコアレス)。点取らない、勝たないことには、正直慣れ切ってしまっていました。(笑)
とにかく別に、オリンピックだから相手が強かったからああだったわけではないわけで。

結局なぜ日本チームは、気が狂わないとバランスを先行させると点の取れる気配が無くなるかと言えば、それは一つには勿論、均衡状態から何かを起こせる攻撃陣の
個人能力の不足と、もう一つはあんまり言いたくないですけど、やっぱりマインドの問題と。
「攻める」、と決めてもらわないと行けないんですよね日本人は。行けばそれなりの可能性は無くはないんですが。攻め慣れれば意外に大胆、吉田U-20とかのように。それはそれで馬鹿正直さの表われだと思いますが。

かと言って気が狂ってばかりもいられないので(笑)、そこに反町ジャパンみたいなスタイルの検討の価値もあったわけですけど、結局ある部分から先は手つかずで。そこを埋めていた可能性があったのは、バランスや理に考慮しつつ、決然とした「超」に近い攻撃性を指向していたのは、やっぱりオシム・ジャパンでしょうね。本当の試しの機会が訪れる前に、途絶してしまいましたが。
理論的にも基本の部分は同質で、だから反町ジャパンにも敵陣に入るところまでの方法論のまま攻め切れる可能性はあったはずで、そこらへんが"境界的"だと上で言っている部分。つまり、「出来ること」の方だったかも知れないという。まあ、無理でしょうけど。(笑)


ちなみに城福さんはと言うと、「装い新たな"気狂い"系」だと思います(笑)。それが気狂い好きの、僕の琴線にも触れるんでしょう。
ただその「装い新た」な部分の効果がなかなか馬鹿にしたものでもなくて、貴重なインスピレーション源なんですけど。
岡田『接近・連続』(展開はどうでもいい)も、基本的には気狂い系です。つまり、理そのものではなくて、効果的な「理」の手離し方を模索しているチーム。ただそれを解放の悦びというより義務感的にやっている息苦しさがあるので、どうなのかという。クオリティはまた別としても。

・・・・やっぱ一回じゃ書けない。


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