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トルシエのポリバレンスとオシムのポリバレンス
2008年10月14日 (火) | 編集 |
結構前に考えていたことですけど、タイミングが無くて。
ちょうど(といっても自分がですが(笑))トルシエを再びクローズアップしたところで、今書いちゃいます。
基本四方山話です。特に目的はありません。


”ポリバレンス”(ポリバレント)

『ポリバレント(ぽりばれんと)』

サッカー用語で1人の選手が複数のポジションや役割をこなすこと。


・・・・と、Yahoo!辞書でも新語・業界用語扱いで、実際オシムが口にして初めて耳に入って来た英語ですが。

まあそれ以前にも『ユーティリティ』なんて言葉は、それこそプロ野球の時代(時代?)からありましたし、古典的役割分担サッカーといわゆる(オランダ)” トータル・フットボール”というコントラストの中で、だいたいの概念としてはそれなりにお馴染みのものだったとは思います。

この段階であえて『ポリバレント』の意味を絞り込んだ形で把握することを試みてみると、例えば『ユーティリティ』の場合は「ユーティリティ・プレイヤー」という言い方にもあるように、どちらかというと”特定の選手のタイプ”というニュアンスが強いと思います。
それに対して『ポリバレント』は、元々のタイプは問わずに、とにかく試合の中で「1人の選手が複数のポジションや役割をこなすこと」という、(結果的な)”機能”という意味が強い。そういう違いがあると思います。

この二つは必ずしも一つの状況で矛盾しているわけではないですが、ただポリパレント”機能”の為にわざわざユーティリティな”タイプ”の選手を用意する必然性は無くて、それは「上手い選手を走らせる(か走れる選手に上手いプレーを要求するか)というようなオシムのコンセプトとして、ある時期問題化されましたね。単に器用で便利な選手を集めるということではない、ということで。


オシムのポリバレンス

ちょっと出典が見当たらない(探すのがめんどくさい(笑))ので読者の皆さんの記憶と好意に頼ることになりますが、日頃の言動からオシムのポリバレンスの意味をまとめてみると、基本的にはこういうことになると思います。

 「DFゾーンではDFのように守り、MFゾーンではMFのように繋ぎ、FWゾーンではFWのように攻める」

” MF”が”繋ぎ”というのは今イチ言語的にしっくり来ませんが(笑)、「DFのように守」るという部分を割りと強調したかったので、こういう表現に。「DFゾーンではDFのように、MFゾーンではMFのように、FWゾーンではFWのようにプレーする」の方が、通りとしては無難かも。

とにかくそういうことですね。ある意味では「役割分担」イメージも生きていて、その想定される”機能”の方に、人間が合わせるわけですね。
勿論こうした分担や分断を貫通する、(オシム)トータルフットボールならではのプレー原理もあるわけですが、その”ゾーン”に、場面に来た時には割りと厳しく、正面切ったプレー資質は問われる。鈴木啓太もちゃんと正確にシュートを打たなくてはいけないですし(しつこい?)、遠藤もポストプレーをしなくてはいけないですし、そして確かアジア杯あたりで一番オシムが嘆いていたのが、日本人が「DFゾーンでDFのように守る」ことの難しさだったと思います。

全員の技術が問われる、と、同時に、全員の基本的な身体能力も問われる、その部分が日本人には、ややつらいところ。走る/運動量の問題は、これらに比べるとある意味マイナーと言うか、頑張ればいいだけという面が。
ここらへんは、世界の中でも身体能力はむしろデフォルトで優位なオランダ(orドイツも含むゲルマン)発祥のサッカーらしいというか、同様に1対1の国らしいというか。


トルシエのポリバレンス

これに対してオシム以前に、日本に不思議なポジション概念というかマルチポジション・サッカー(参考)を持ち込んだ(Variety Footballによると元はやはりというか当然というか、トータルFだったらしいですが)トルシエのそれは、また少し色合いが違います。

中田浩二がCBをやり、明神・望月や名波/俊輔/小野がWB(ではないですが)をやり、FWにまずタスク遂行能力が求められる(これはそれ以前からですが)そのサッカー、DFの1対1を極限的に軽視し、サイドもトップも含めてとにかく徹底的にボールを回して崩して攻撃することにほぼ特化したそのスタイルは、最近では「全員中盤サッカー」というような言い方で、割りと簡単に表現されるようになりましたが。(当時はみんな面喰らっていて、あんまりそんな余裕が無かった記憶があります)

これを上のオシムの例になぞらえて言うと、

 「MFのように守り、MFのように繋ぎ、MFのように攻めるサッカー」

ということになりますか。


オシムの”選手”とトルシエの”選手”

こうした似てるところもあるけれど違うところも多い、二つのポリバレンス、二つのマルチポジション/タスクサッカーにおいては、必要とされる選手像、資質にも、やはり違いがあります。

オシムの場合は、これはむしろオランダのそれをイメージした方が分かり易いですが、全員に走力があり、全員に強さ(高さ)があり、その上で必要な攻撃場面で必要なプレーをする技術を備えているという、ほとんど”超人”(鍛錬も相当にしたらしいですが)たちが、その超人性を利して従来の職人的役割分担を無視して代わる代わる必要な役割をこなす、その融通性が可能にした”トータル”で”流動的な”(”ローテーション”)サッカーだったわけです。
・・・・ちなみにオシム(とその主に率いたチームの選手)はスラヴですが、バスケットなどを見ても分かるように、一般にスラヴなんてのはある意味ゲルマン以上の、ゲルマン+柔らかさみたいな、日本人から見たらそれこそ超人みたいな連中です。(笑)

それに対してトルシエの、少なくとも日本代表を率いた時の(他は見てませんから)トルシエの場合はどうかというと、器用で献身的で球回しは上手いけど、身体能力や攻守共に1対1は頼りない日本人の中でも、特にそれっぽい(笑)選手たちを寄せ集めて組み合わせて切り貼りして、サッカーに必要な(トータルな?)プレー/機能性を、何とか全てこなさせようという、そういうサッカーです。
オシム/オランダトータルが”超人”なら、こちらは”器用貧乏”。言ってて少し、情けないですが。(笑)

どちらもパラメーターがフラットなのは同じなんですよね。だから”マルチ”なわけで。
ただし”超人”のパラメーターが全項目最高値に近いのに対して、”器用貧乏”のそれは円グラフの真ん中へんにギュッと寄っている(笑)。その違い。
・・・・逆に身体能力的に問題無いはずのアフリカ各国を率いた時のトルシエはどうだったのか少し興味がありますが、どうも見る感じ日本にいた時のトルシエはあれは好きでやっていたようにしか見えないので(笑)、そんなに変わらないというか、むしろ日本代表が天職だったような気も。後に普通に引いて守ろうとか強い選手(戸田やヒデ)を入れてからのトルシエは、どうもぎくしゃくした感じでパッとしなかったですし。


オシムの工夫?

これは参考までにですけど。

岡田監督が”俺流”の道に踏み出した初戦のコートジボアール戦のエントリーで、僕はこんなことを書いています。

オシムと岡田を比較すると、やはり自力でチームを”動かす”腕力ということでは否定し難い差があって、だから岡田監督の場合は流動性の確保を、より選手自身の資質に直接期待することになる(*だから元々マルチな能力のある選手を使う)


”腕力”に自信のあるオシムは結構独特な選手のチョイスをしていて、それはつまり「ダイナミックだけど柔らかさやボールテクニックに欠ける選手」(巻・山岸・羽生・啓太ら)と、逆に「柔らかさやボールテクニックはあるけれどダイナミズムに欠ける選手」(俊輔・遠藤・憲剛ら)の、両極端をわざわざピックアップして重用して、複雑に組み合わせてチームを構成していた。


岡田については今回は問わないとしてオシムですが、上で言ったように、「オシム」の「日本代表」には、「超人」サッカーを「器用貧乏」たちにやらせるという、基本的に無茶ぶりな部分があったと、僕の論の運びではそうなります。
まあその無理が飛躍を呼ぶ、あるいは着ている内に服が体に合って来るということもありますから、是非は一概に言えませんが。トルシエにはトルシエの無茶がありましたし、結局俊輔などには個人守備の負担が、最終的に大きくかかってしまった (というか使い切れなかった)わけですし。

ともかくジェフでの経験も踏まえて日本代表の監督に就任したオシムは、そこらへんについて独特の工夫をしているように見えるところがあります。それがつまり引用部分の、両極端をわざわざピックアップして重用して、複雑に組み合わせてチームを構成」するという手法。

これはどういうことかと言うとですね、ただ真ん中へんに寄せててもラチが開かないから、多少バランスが悪くてもまずとにかく特定のパラメーターを最高値に近く上げてしまおう(近い選手を使おう)と。
そしてその飛び石の最高値に近いパラメーターを上手く繋ぎ合わせて、チームトータルでどうにかフルパラメーターの超人サッカーを実現しようということ。そういう”マジック”。

あるいはそれこそ「上手い選手を走らせる」というような話で、突出したパラメーターを持つ選手を、使いながら鍛えながら、他のパラメーター・・・・というか実質的な機能性を、そちらの高い方に何とか合わせて行ってフルパラメーター性を実現しようと、そういうことかも知れませんが。
そういう意味でも、とことんセレクター型の監督ではないですよね。”現状”を前提として、その調和的組み合わせでチームを作る。

う、なぜかファルカンを思い出してしまいましたが(笑)。歴代監督との比較を考える内に。
あの人も現状の能力やバランスではなく、最高値や素質を基に抜擢しまくりの意外だらけの選手選択をして(岩本テル、今藤、遠藤昌、佐藤慶明(!)など)、熟成期間の問題もあって、どちらかというと穴やバランスの悪さの方がやや目立ってしまった人ですが。(参考)
基本的に、「あるかも知れない未来像に賭けた監督」という意味では、同タイプだと思いますね。本場基準、理想レベルからの逆算というか。それに比べればトルシエは、けったいなようで(笑)基本的には、日本人が「出来る」ことの延長でチームを作った。


だから何だ、というのはとりあえずはないです。見え隠れしてるとは思いますが。(笑)
これ以上は現在進行中の代表チームを論じる中で、また。
まあ、だいたい分かるかな(笑)。それをより、具体的にということで。


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