東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
岡田ジャパンメモ :”塊”(かたまり)をめぐって
2008年10月20日 (月) | 編集 |
気が付いた時に書いておかないと、いつクビが飛ぶか。(笑)
真面目に、その時も言いましたがオシム突然の離任の時に懲りてるので。書くべき時にとにかく書いておくというのが、一つの敬意の表し方。サッカーについてのなにがしかの、学習・思索の機会を与えてくれた人への。


”塊”と選手起用

「親善試合UAE戦」を基に、「ポリバレンス」話も念頭に置きながら。

結局現状/ここまで、どういう性格の選手起用になっているかと考えてみますとですね。
ノーアンカーノーポストマンの、足技重視で器用で割りと似通ったタイプの選手の集まりになっている中盤から前の”塊”と、中澤・トゥーリオを基本とする剛力系CB+(比べると揺れ動いてますが)内田長友ら個人突破力の高いSBのDFライン、つまり”ユーティリティ”タイプ”スペシャリスト”タイプ折衷型という感じ。

これは比較対象としてはオシムよりトルシエの方が分かり易くて、上で「4バック版トルシエ」とか言ってますが、別な言い方をするとトルシエ+スペシャリスト型DFラインということ。
元々が(”オレ流”後は)オシムよりはトルシエに近い選手選択傾向でしたが、中盤から前=”塊”の動き方が期せずしてトルシエに近付いている現状だと、ますますこの”折衷”感があらわになっている気がします。

ただしこの”折衷”が意図してされているものかというとそうではなくて、ご存じのとおり(笑)、岡田監督には元々ボヤッとした”接近”サッカーのイメージくらいしかまとまったアイデアは無くて、それを代表監督要請を受けてから押し入れから引っ張り出してW杯予選を戦いながら作り上げる・・・・「チーム」を、ではなくて「コンセプト」そのものをという非常に無謀で異例なことをやっているので、はっきり言って行き当たりばったりないしは複数の方向性の不如意な混合が、随時見られるのは仕方のないことなわけですね。

だからDFラインがスペシャリスト指向なのはボリシーというよりは”オーソドックス”ということであって、そんなに特段の意味は無い。・・・・余談ですが寺田とか高木和道とかというチョイスを見ると、身長やパワーへの傾斜は、トルシエどころか(同じオーソドックス指向の)ジーコに比べても強いと感じられますが、一方で2人とも、まだプレーとしては特に見えませんが(笑)仕様としてはフィード力も売りのようなので、そこらへんは結構気にしてるんですよね。つまり、岩政ではない、ということですが。

中盤から前も、少なくとも”オレ”流以前はそんなに明確なポリシーはなくて、アンカー(啓太)+展開役(憲剛・遠藤)+ゲームメーカー(俊輔・遠藤)+ポストマン(巻ら)+フィニッシャー(色々)的なオーソドックスな役割分担を、基本オシムの選手たちを引き継ぎつつそこにオシムの時は重用されなかった&自分は好きなドリブラー/セカンドストライカータイプ=山瀬を加えて、その都度何となくやっていた感じ。
それが”オレ”流後は後ろに遠藤前に玉田を軸に置き、長谷部と松井という攻守のオールラウンダー/中間タイプをサポート役に加えて、急激に中盤から前の役割分担が曖昧化=”塊”化したことによって、オーソドックス&スペシャリストのままでやっているDFラインが、置いてかれたというか放置されたというか(笑)、それが今の”折衷”状態の実態だと思います。

それをどうするか、”塊”の方に寄せて(少なくともSBは)、ユーティリティ化に統一した方がいいんじゃないかというのが今のところの僕の考えなわけですが、上手くコントラストを付けて両取りというのもありはありなので、まああんじょうやってちょうだいという感じ。・・・・あのう、実は内田の機能がよく分からないんですよね。いい意味でも悪い意味でも、そんなに”スペシャリスト”サイドバックでもなくて、勝手にやらせてればその内曖昧に合って行くんじゃないかという気もする。中盤的能力自体は、基本的には駒野とかの方が高いんでしょうけど。

ちなみに”オレ流”後山瀬が外されているのは、オーソドックスな「堅い」チームとのコントラスト付けというそれまでの役割が、チームの変化で必要性が薄くなってしまったというのが大きいのではないかと思います。


個人と組織と”塊”

本当はもっと大きな論の一部として言った方がいいのかも知れませんが、とりあえず。
”塊”とは何ぞやについての補助的考察。

岡田ジャパンとオシムジャパンのサイドの使い方、特に人の流れが違う感じがずっとしていて、
最近、ようやくその違いが閃いた。
今まで受けていた感じは、岡田ジャパンは自動的な感じがして、オシムジャパンは人が湧いてくる感じを受けていた。


結論から言うと、岡田ジャパンでは、サイドに”人が寄る”ことがまずあって、
そこから、追い越しやポジションチェンジがある。


面白いと思ったけどコメントしそびれていた、sameさん『知れないの増殖』からの引用。
微妙にsameさんと強調点が違うだろうことは、予めお断りしてと。(笑)

”湧いてくる”というのはどういうことかと言うと、僕に言わせるとそれは個人連鎖ということですね。
ブロック、とかでも全体像や帰結点から逆算した役割分担でもなく。存在するのは個人と個人を結ぶ原理や規則性であって、それが結果としてどこへ向かうかは風に聴いてくれというか、青天井というか。
とは言え習慣的帰結点というのはだいたい決まっては来ますが(笑)、とにかくプレーの過程や人の関係全体を直接統御しようとする、所謂一般的な意味での「組織」的なサッカーとは、トータル・フットボールは違う。あくまで「個人」を単位とした演算なんですね。だからマンマークの方がやり易い。(ていうか自然)

それに対して”塊”はどうかと言うと、”塊”(かたま)ってるわけだから個人でないのは自明としても、では「組織」なのか組織的サッカーなのかというと、いやいやと激しく首を振るサッカー通≒岡田嫌いの人多数。(笑)
それは一つには勿論、単に現状未整備で無秩序な部分が目立つというのもあるでしょうが、それだけではなくもっと根本的な違和感、曖昧で個人任せの部分を感じるからだと思います。

「群」「集」なのは確かなんですよね。それがまずまとまって動く(”自動的”)、あるいはまとまりとして把握される。sameさんも言う通り。それはジーコとは違う。だがその先が・・・・なんかごちゃごちゃっとしていて場当たりに見える、「組織的」の名を冠するには値しないように見える。

それは多分、そうなんだと思います。だから”ジャズ”ですよ、とまで、予定調和的に結び付けていいのかどうかは分かりませんが。
ただ元のラグビーイメージを思い出してみても、何らか不定形でありしかしまとまりではある”塊”的把握と、同時にその内部での刻々即応的に反応する細かくてかつ個々人の自発性を大いに活用するスタイル、こういう「集」と「個」の二つで一つのセット的把握のイメージは、かなり最初からあるんだと思います。

より通りのいい言い方をすれば、個人や自発性を効率的に活かす為の”枠”づけ作業、「組織」化、ではなく。それが岡田監督の今回のチーム作りの、基本スタイル。”中”の曖昧さは、ある程度狙いなわけです。仕様というか。

ちなみにトルシエも基本はそうだと思います。実は僕栄光のアジア杯のチームは、あんまり好きじゃないんですよね、「組織的」過ぎて(笑)。堕落したなと。目先の効率性に転んだなと(笑)。好きなのは勿論、Wユースのチームと、それからシドニー五輪最終予選あたりのチーム。(アジア杯森島の飛び出しに代表される)逆算オートマティズムよりも、クリエイティヴMFたちからの自発的即興的発信を中心とした、かつ妙に全体的なまとまり収まりの良い、不思議なバランス。

この前もちらっと言いましたが、就任の経緯から考えてもWユースのチームは明らかに即席の速成のチームで、”オートマティズム”や”組織力”というより、’79年組の優れたセンスを、素直に伸び伸びと取りまとめたことによって成功したチームだと思います。それをもって「トルシエの功績じゃない」とか言いたがる人もいますが、基本同じメンバー/年代による、直前アジアユースまでの清雲のチームのていたらくを覚えている人ならば、それが酷い空論だということは、説明するまでもないことでしょう。
逆にその「速成」で何をしたのかというのが不思議ですが、細かいことを教えられるわけもないので、要は彼らの優れた能力センスを受け止めて収める、安心して働かす為の”器”を用意した、”枠づけ”をしたと、そういうことなんだろうと考えられます。「フラット3」が戦術的にどれだけ具体的な有効性優位性があったかはともかくとして、”枠”としての分かり易さ差別化の容易さというものは、少なくともあったんだろうなと。

で、結局それしかトルシエの与えられるものは、最終的にも無かったような気はするんですけどね。明らかに教科書は「1000ページ」(トルシエ談)は無かった(笑)。細部に注目すればするほど、むしろ壊れて行った。最後の方は、ほんとその場その場で妥協していただけですよね。通俗化というか。


・・・・おっと話逸れ過ぎ。
とにかくトルシエと岡田に、期せずして共通して見られる(と僕が思っている)”塊”的把握、個人の自由の「枠づけ」的チームイメージ、ブラックボックスをかなりの程度ブラックボックスのまま、制御運用しようという方向性。
それとブラックボックスを極限的にはホワイト化しようとする通常の意味での「組織」的サッカーとの違い、ここを意識しないで単に「個人-組織」類型だけで見ようとすると、見落としてしまうことがかなりあるだろうと。・・・・だから、ジーコも、噛み付く相手が少し違うと思うんですよね(笑)。トルシエじゃない、本当は。

そしてそこに、更に、「個人」をベースとしたまま特殊に(結果的な)「高秩序」なサッカーをやろうとしていたオシム/トータルフットボールという、それはそれで特異な類型が、その特異性をしばしば忘れて行きがかり上”模範”として対照として、持ち込んだりされるものだから、もう大混乱という。

ただし岡田の場合は、ここまでのところ達成度が低すぎて、「枠づけ」が「枠づけ」としてろくに機能していない面が大きくて、結果「枠」からこぼれた”個人”や”自由”が剥き出しで闊歩して、”単なるジーコだ”と言われても仕方のないところは大いにあったと思いますが。ようやく普通に、見え始めて来たところかなと。
あるいはトルシエと比べても、明らかに”ボックス”の「中身」「内部」の状態から、先に発想してそこからおもむろに外側についても考えが派生して行っているという、そういう順番ではあるかなと思いますが。それが出来上がるまでは、常識で、”オーソドックス”で支える。(支えていた)


また「展望」が出来なかったですが、それ自体について”論”が構成されつつある気配があって、困ったもの。
いや、面倒なんでね。(笑)


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コメント
この記事へのコメント
こんにちは、アトさん、sameです。
いくつか御質問させて下さい。

”塊”ですか・・・フム。
言い換えれば、CBを残して、”接近”しているともとれるんでしょうか?

■個人と組織と塊の所
読んでいくと、逆に、アトさんがイメージしている”組織的”が分からなくなりました^^;
アトさん流の”組織的”の定義を教えて下さい。
例えば、UAE戦以降、岡田ジャパンはクロスの入れ方、シュートまでの持って行き方を”決め撃ち””面倒見ている”方向性に進んだわけですが、これは、”組織的”の部類ではないんでしょうか?
 
  ジーコ   岡田      トルシエ(アジアカップ)
   ↓     ↓       ↓
個人←--------------→組織
   ↑     ↑
  オシム   トルシエ

個人と組織だけで割り振れば、こんな感じでしょうか?



※ ”湧いてくる”は、アトさんに書いて頂いた感じ、まさにです。


■CB
CBは身長の高さやヘディングの強さには、結構こだわっている感じがしています。なぜなら、前からプレスをかけに行くと、結構な割合で、相手に大きく蹴り出され、それを高確率で跳ね返さないといけないからです。
そういう考慮がはいっているように思うんですがどうでしょう?


■内田
内田って、俊輔の足(機動力、スピード)を補うものとして使われていると認識しているんですが、どうでしょう? Numberでオシムがいつか言っていた使い方ままなのでは? あと、岡田監督は内田がお気に入りみたいですよ。
ご覧になったかも知れませんが、内田のボールの置き方をみて、「日本人にもこういう選手がでてきたか、と思った」と、すぽるとだったかな、インタビューで言っていました。相手側にさらしてボールをおけるところが凄いらしいです。


■レッズについて
思いっきり、場所が違いますが、レッズージェフ戦を見ての感想。
「あの、レッズさん、開幕時より酷くなっていません??」
2008/10/21(Tue) 01:39 | URL  | same #-[ 編集]
それよりもウズベク戦は?・・・・(笑)
死んでるのかと思いましたよ。
他にsameさんくらいしか、岡田ジャパンについて前向きに論じている人を知らないので、頼りにしてます。(笑)

>アトさん流の”組織的”の定義
積極的定義は特に無いです。これはまた後で書くつもりですけど、「組織」という言葉で日本で言われているのは、実際には「秩序」や「コントロール」のことだと思うんですよね。その“目的”の為に、形式化されない部分や不確定・個人的恣意の部分を、可能な限りゼロに近づけようとする動き、“手段”、それが「組織」(化)と呼ばれているんだと思います。

で、これは通常暗黙の了解で、すなわち「秩序」≒「組織」なわけですが、秩序を実現するには他の方法もあって、それが一つはオシムのように、個人/単位レベルでの規則性を極めて、それがいくつ組み合わさっても放埓にならないようにする方法。
それと恣意も不確定性も、いずれ避け難いものと認めるorその効能を積極的に利用する為に、あらかじめ「ここからここはOK」と囲い込んで枠づけする方法。それは物理的理念的双方で。・・・・『ブラックボックスをブラックボックスのまま』というやつですね。“飼い馴らす”というイメージでしょうか。釈迦の掌に乗せるというか。(笑)

後者について更に言うと、「組織+個人」という延長/余剰的ニュアンスでならたいていのチームは(否応なく)やってるでしょうが、それだけでなく、内部に、中核部分に、コンセプトのキーとして予め抱え込む、というのが、岡田的な方法ですね。不確定性の周りに、チームを作る。
アジア杯のトルシエは、整然としているだけで、何が出て来るかは読めましたからね。相手のレベルによっては平然と跳ね返されるのは、結構僕は見えてましたけど(後出し(笑))。

>”決め撃ち””面倒見ている”方向性
これはですね、一種の補助線ですね。「個人」の「自由」を発揮させる為の。主体はあくまで個人の方にあるんです。盲滅法暴れてる子供に、さあ、こんな感じで、思いっ切りやってごらん!ということです。背中を押した後は、また後ろでニコニコしているんですよ。(笑)
いずれにしても局面の話で、チーム構想そのものとは少し違うと思います。

>CB:前からプレスをかけに行くと・・・・
そうかもしれないですけど、マリノス以来の単なる趣味という感じもします(笑)。逆に受ける守り方をするのにも、同じくらいかそれ以上にパワーDFは必要なわけですし。
それよりも寺田・高木和という無名選手を発掘してまで、フィード能力にこだわることの方に、僕は興味を感じます。“標準装備”が理想なのは、当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。

>内田のボールの置き方
ふーむ、じゃあどっちかというと、テクニック面を評価しているということなんですかね。勿論スピードSB系の中でという括りですが。かの市川も、当時は攻め上がりやクロスを上げるタイミングのセンスとかは抜きん出てましたけどね。こだわってるんですかねそこらへん。
ちなみに当時の市川のイメージに近いのは、むしろ駒野のような気がします。より職人的ですけど。

レッズは短所を一部解消して、同時に長所を弱体化した感じだと思います。オジェックの時と比べて。
まあロングスパンの問題の方が、大きいと思いますが。
2008/10/21(Tue) 13:23 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
岡田同志(笑)は、UAEとの練習試合で折角視えてきたのに、ウズベクの「戦術は田中マルクス」でガッカリして、書く気をなくしてたんですが・・・。 もっと醜くなりそうな(世論が(笑))カタール戦前に何か書いときます・・・。 縦と横、分散と密集かな?
2008/10/21(Tue) 20:39 | URL  | Mario #-[ 編集]
>Marioさん
な、なぜ同志?(笑)
なんかそういうネタありましたっけ。
だいたいあんな孤立してい(自粛)

”縦”に行かないという批判は、早速出てますね。
それはまあ、そうなんですけどね、ともかくの現象としては。
楽しみにしています。(笑)
2008/10/22(Wed) 00:48 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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