東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
薔薇色の誤解
2008年11月18日 (火) | 編集 |
パーフェクト・チョイスで無料放送していた、第2回アニマックス大賞受賞作品『アズサ、お手伝いします』を何となく見ていて、ヒロインのメイドロボットの最終変身形態(笑)のアテレコが、いやに下手くそだなと思ったら杏さゆりでした
なるほど、棒読みとはこのことか。確かにものによってはかなり気になるけど、でもやっぱなんか生々しくて色っぽくて好きだなあ、その狙いもあってわざわざ杏さゆり使ったんだろうなあと、ひとりごつ。

今期放送中の『屍姫』も、ダルいんで特に見てはいませんが、ヒロイン役の秋山奈々

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(2006/05/27)
秋山奈々

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の勇ましい棒読み演技は、きっちり萌えます。一つの流行りになってるのかもしれないですね。(笑)


以上はアニメ繋がりの前置きで、本題に入るとホームドラマチャンネルで再放送中のアニメ『キャプテン』

キャプテン Vol.1キャプテン Vol.1
(2000/06/23)
和栗正明ハナ肇

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第4話をこれまた何となく見ていたら(図書館閉館中で暇なんです(笑))、ふた昔前の少年漫画によくあった設定で、墨谷二中の対戦相手が秀才マネージャーくん操る「コンピューター」「分析」で、打球の方向・位置をことごとく予測されて大苦戦するというエピソードがありました。

その「コンピューター」の予測能力についての、過大で迷信的畏怖に近いロマンチックな万能感は、いかにも1970年代(Wiki)という時代を感じさせて微笑ましかったですが、一番笑ったのはその7・3分けも爽やかな(笑)”秀才”マネージャー氏が何の気なしに口にした言葉、

 コンピューター ”を” 分析して、打球を予測する

云々という発言。

”を”?、”で”でしょ?もしくはコンピューター”の”、”による”分析。
コンピューターを分析してどうすんねん。研究者にでもなるのか。たかが中学生の野球の話じゃないか。(笑)

これがたまたまのミスかもっと強固な思い込み的勘違いか、はたまたそもそも原作の間違いかアニメ脚本の間違いかは、手元にそれ以上の資料が無いので分からないですが、少なくとも2008年の標準的知的水準の人なら、絶対にやらない間違いなのは確かだと思います。なんならPCに触ったことすらなくても。
勿論このセリフを書いた人がコンピュータに詳しくないのは想像に難くないですが、言ってもそれを職業にしている、一応言葉の専門家なわけですからね。ほんと、時代を感じます。


この間違いについて更に考えてみると、一つは勿論、「コンピューター」そのものについての当時のふわふわした認識、あたかも「魔法の箱」のような、恐らくは多くの人はただの計算機としてのコンピュータと人工知能との区別もついてなかったろう(かくいう僕も(笑))認識、従ってそれが『主体』として分析するのか『客体』として分析の対象になるのかの、言語的区別すら曖昧になりかねない、そういう状況があっただろうと。

そしてもう一つ、こっちが今回の本題なんですが、実は並べられている「分析」という日本語の把握も、それに劣らず曖昧だったという、そういう要因があるのではないかなと。
ここで分析とは何かとか、分析と総合の区別とか、そんなことは細々とは言いません。というよりも、ここで言われている「分析」は、”誤解””理解”以前に、実はほとんど何も意味していないんだと思うんですよね。

・・・・つまり、「コンピューター」が何でも答えを出してくれる”魔法の箱”であるように、「分析」も、具体的に何をするのかはよく分からないけれど(笑)、とにかく”それ”をすると完璧な正解が出て来る、素敵な、すんごく知的な何かの精神作業、そんな把握。ああ、憧れのハワイ航路。
このイメージだけの曖昧な把握の二つの概念、二つの言葉がよく分からないまま結び付けられているから、今の観点からはちょっとあり得ないようなてにをはの間違いも起きてしまった。そういうことじゃないかなと。

こんなことを言うのは実はコンピュータはともかく「分析」については、今もそんなに事情が変わってないように思うからなんですよね(笑)。作られたのは明治でしょうか、今だ日本語として、地に足が付いていない。多くの場合。
勿論理系の訓練を受けた人はさすがにそんなことはほとんどないと思いますが、それ以外は結構教育水準の高い人でも、個人的にこだわりのある人でもなければかなり漠然としているはず。具体的には「分析」の一語で、知的推論・認識全体を代表させてしまっているというか。

例えば、これはやっぱり言っておいた方が分かり易い気がするので言いますが、他人に比べた僕の文章の特徴としては、「アナロジー(比喩)と連想が多い」というのが挙げられると思います。
そしてこれでもって僕が何をするかというと、複数の、しばしば一見関係の無さそうな事象を繋ぎ合せて組み合わせて、それでもって一つの全体を構成する、”論”や”主張”を提示するというそういう作業。これは明らかに、むしろ典型的に「総合」的な作業なんですよね。それに対して「分析」とは何かというと、一つの全体をある基準やツールで細分化したり要素に分解したりして理解を進めるということであって、これは真逆なわけです。教科書的に言うと。

だからこれまでにも、全然「分析」したつもりの無い文章に対して「興味深い分析ですね」的なコメントをもらって(笑)、一瞬違和感を感じたことは何回かありますが、基本的にはまあいいんですよ。そこが問題なわけではないですし、その人も別に間違ってるわけでは(あえて「総合」を「分析」と主張しているわけでは)なくて、単に特定の意味を持たせずに習慣的に使っているだけなわけで。
ただネット上、僕の活動領域周辺にも、理系的な(もしくは比べると少ないですが哲学的な)教養や訓練を背景に物を書いているらしき人は結構いるので、時に明らかに「総合」タイプの、突飛な観念連合による妄想タイプの(笑)文章について「分析」という評が与えられてしまうと、うひゃー恥ずかしい、贔屓の引き倒しだよおと汗を掻いたことは無くはないです(笑)。ケッ、とか思われてるだろうなあと。(笑)


以上、別に深い意味は無いんですけど、おとといの重箱の隅をつつく概念の整理作業的文章が意外と好評なようなので(笑)、何となく書いてみました。
実際でも「分析」に代わる便利な日本語って見当たらないんですよね、困ったことに。だからあんまり気にしないでいいとは思うんですけど、余りにも妄想的仮説的なタイプのものについては、「説」とか「論」くらいでとどめてくれると、安心かなと。僕特に乱発しますし。(笑)

まあたまにこうして、自分なりでもいいですから言葉遣いの整理をやってみると、面白いし役立ちますよね。特別独創的な思考をめぐらさなくても、驚くほど理解が深まったり視界が開けたりする。Watch your step!という感じで。ま、僕は足元と空ばっかり見てる気がしますけど(笑)。前はあんまり見ない。


標題の”薔薇色の誤解”というのは、「コンピューター」と「分析」、双方の万能・汎用性の幻想にかかっています。
特に出典はなし。


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