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実例:監督類型の試み[ヴェルディ編]
2008年11月28日 (金) | 編集 |
(監督職分論)を元に。

さすが探り探りだけあって、あんまりピンと来てもらってないような気配もありますが(笑)、本格的にゲーム脳になってしまう前に、書けるだけ書いてしまいましょう。やりながら概念が固まることもあるでしょうし。
そうですねえ、本来の趣旨からは少し狭くなりますが、とりあえず最後に出した「コンセプト」「理論・アイデア」「エンジニアリング」の3分類を基本に、そこに総論的なものを加える感じがいいかな、比較の分かり易さということからは。

馴染みのあるところでヴェルディと代表の監督に絞ってやりますが、あらかじめ言っておくと、バランスのいい監督はやっても別に面白くないので、駄目なor偏りのある監督を、主に対象とします。
出来のいい監督は勝手にワンマンやっててくれればいいので(笑)、こんな分析自体、あまり必要無いですし。


[ヴェルディ編]

・松木安太郎

いきなり難しいな。一見凄く志のある監督で、でもそれが限度を越えて薄っぺらで、結局のところ無いも同然という人なので、どうパラメータを評価したらいいのか。

(コンセプト)
第一次にはヴェルディのブラジル・スタイルの個人技/シュートパスによる中央突破サッカーに、シンプルで大きなヨーロッパ・スタイルの効率性を持ち込むという、聞く限りは立派なコンセプトがありました。
第二次は逆に、ヴェルディどころか”讀賣クラブ”まで戻って、復古的超個人技スタイルへの原点回帰がテーマ、だったようですね。東京移転に合わせて。ただキャンプあたりでは”スペイン式4-2-3-1”みたいなことを口にしていてこの二つの関係がよく分かりませんが、それ以前の獲得(&抜擢)選手そのものはアツ、永井秀樹、小倉、前園とボールプレイヤーばっかりなので、まあ基本は前者でしょう。実際にやったことも。
・・・・とにかく、それなりにはっきりしたものが、あるにはあった人だと、評価するのが公平かと。

(理論、アイデア)
それを具現化するコンテンツの部分ですが。うーん。
第一次で言えば、「マイヤーのポストプレー」と「”ボランチ”ハンセンの大きな展開」という要素を新たに持ち込むことで、コンセプトの実現を図ったというそういうことでしょうね。・・・・彼らがオランダ人であったのは多分偶然で、元監督&コーチのバルコム等との関係で、クラブと最も繋がりのある「ヨーロッパ」がオランダだっただけで、特に”オランダ”式を意識したということは無いんじゃないかと想像しますが。
とにかく蓋を開けてみたら、その2人のそういう意味での実力がお話にならないレベルのものだったので、ただでさえ伝統と厳しくぶつかるこの試みは、かけらも上手く行きませんでした。

・・・・と、いうまとめだと、松木構想にはそれなりの具体性があり、でも悲運にして失敗したと、そんな好意的な(笑)ストーリーになりかけますが。そうなのか?
むしろどうしていいかよく分からないから、とりあえずそれらしい選手をつれて来てぶちこんだと、それらの選手自身の発信力に頼りつつ、見よう見真似で何とかならないかという、その程度の構想だったのではないかと。つまり言ってみればジョージ与那城やラモスという選手にブラジルサッカーを教わったような要領で、組織的サッカーもやれないかと、そういう無茶な構想だったのではないかと。違う違う、今度は監督がやらないといけないはずだよそれ。

だからまあ、松木にはアイデアはあったが、それは「監督」としてというよりファンやゲーマー、いいとこフロントかオーナー的な、現場外的非当事者的なアイデアだったと、そう性格付けるべきかなと。
あると言えばあるけど本当の意味では無い、という。監督としては限りなくゼロ。自分も知らないことを教えようとしたというか。(笑)

(エンジニアリング)
だから当然エンジニアリング以前なんですが、第一次については。車の内部構造をそもそも知らないので、腕がいいも悪いもない。
第二次についてはやっていたことは「マンツーマンでガッシリ止めて、取ったボールを個々人のインスピレーションで攻める」という、自分も現役時代お馴染みのスタイルなはずですが、それについてもいかなる意味でも合理性や効率性が見られなかったのは、もう何か根本的にエンジニアリングの才能が無い感じ。

逆にそこからの類推で第一次についても、「実はそれなりの理論的把握も無くはなかったのだが、腕が悪すぎて見えなかった」という可能性もあるかも知れませんが、目くそ鼻くそをかばうみたいな話なので、もうやめましょう。(笑)

まとめとしては、『コンセプトのみの夢想家』といったところでしょうか。
本当は人事管理の無茶苦茶さとかについても触れるべきでしょうが、なんかもういいかなという感じです。(笑)


・加藤久

ヴェルディ時代、ベルマーレ時代、そして今回の京都時代とまとめて。

(コンセプト)
無いと思います。無いのが特徴というか。
ヴェルディ及びベルマーレの時は、義務的というか漠然とというか、攻撃的で、スキルフルで、スペクタクルでみたいなことを、一応やろうとはしていたんだと思います。それもヴェルディはともかくベルマーレ時代に、わざわざ前園や松原良香のような型落ちのスター選手を引っ張って中心に据えたことからすると、どちらかと言えば個人技中心に。
早稲田の”博士”監督として、僕も含めた大向こうが期待していたのは必ずしもそういう方向ではなかったと思うんですが、なんですかね、讀賣/ヴェルディの刷り込みなのか、ファミリーの一員としての義務感なのか。

(理論、アイデア)
その時代における久さんのチームの内容の無さは、酷いものでした。本当にやりたくもないものについて、具体性もアイデアも出て来るわけがないんですよね。好きこそものの上手なれの逆で。
”こう”という理想のイメージが、そもそも無かったわけでしょう。無いものは実現出来ない、実現の工夫も出来ようがない。だから何も言うことが、松木に比べてさえ無いわけですけど。
それが京都ではそれなりに成功しているのは・・・・。次に続く。

(エンジニアリング)
去年京都の昇格消滅の瀬戸際で就任して何とか昇格を果たし、今年昇格初年度のギリギリの戦いをここまでそれなりに凌いで来ているニュー加藤久監督の特徴は何か。一言で言えば、”リアクション”。あるいは”対応””調節”。とにかく徹底的な節操の無さですね、誤解を恐れず言えば。(笑)
「自分の」スタイルとか「理想」とか、そんなものは犬に食わせろ、とにかく相手に合わせて試合毎にメンバーを変え、状況に合わせて細かくシステムを変え、基本はカウンターでまず堅く守り、攻撃はフェルナンジーニと田原のような、これまでクセが強くて他の監督が扱いに苦労して来た選手(あるいは渡邊大剛のような特徴のはっきりした選手)を、むしろ手を変え品を変える”手”や”品”と割り切ることで効果的に使い、とにかく全体として非常にパズル的というか、メカニカルな運営をしていると思います。
それが許された/自然なのは、今回の在任中のサバイバル優先の京都の事情によるわけで、かつてのヴェルディやベルマーレのようなチームだとどうなるか分かりませんが(沖縄でも成功したとは言い難いようですし)、少なくとも今回は、概ね上手くハマっている。

何か今回の京都での仕事を通じて、覚醒したというか自己認識を果たしたというか、そういう印象がありますね。そうか、俺はこういうやつだったのか、だから今まで上手く行かなかったのかと。(笑)
コンセプターでもなくて理論家ですらもなくて、もっと素朴にメカニズムの人。エンジニアリングということで言うと、ある機械/システムをどう機能させるかというよりも、手慣れた確実性重視の手持ちのメカニズムを組み合わせて、とにかくその時の用が足りるものを作るという感じ。修理は上手だけど発明はしない。

まとめて言うと、『根っからのエンジニア、それ以上でもそれ以下でもなし』という感じ?
こういうタイプはやることを確実にやればいい、守備的なサッカーの方が合いますね。当初期待された感じとは少し違いますが、チーム作りにそれなりに学究的な趣味性みたいなものも感じられますし、目指せ和製ベニテスという感じでしょうか。


・オズワルド=アルディレス

清水・横浜M・東京V各チームで十分に成功している監督ですが、その割りにはバランスの悪い、変な人。

(コンセプト)
スキルフルで華やかなサッカーが好きという、好みというか個人的哲学はあるようですが、さりとて「監督」としてそれほどはっきりしたポリシーは無いというか、打ち出さないというか。
あくまで状況や選手次第。柔軟でもあるし、軟弱でもある。(笑)
”小”コンセプトが沢山あるという感じですかね。目標はその都度ちゃんと意識はするけど、その場限り。

(理論、アイデア)
それぞれのスタイルをとりあえず機能させるということに関しては、抜群ですね。
それも難しいことや細かいことをするのではなくて、”勘どころ”を見定めて絶妙な選手の配置で、ほとんど一瞬の内に、魔法のようにチームを作り上げる。何でしょうねえ、あの”命”が吹き込まれている感じは。
逆にそれが出来てしまうから、一つのコンセプトに基づいた長期的なチーム作りなんて地道なことはやらないし、あるスタイルの時期のチームに見られる不具合は、そこを修理・修正するのを待たず、次の同じくらいの機能性を持った別のスタイルのチームに取り換えられることによって、若干糊塗的なニュアンスで”解決”されるのが常。

既成事実的な具体性は確かにあるんだけど、背後に抽象性や理想性は希薄だし、よく見ると根拠も薄弱という。
精緻で巧妙だけど、それだけというか。
”考え”てる感じではないので「理論」とは言い難いですが、要は普通の監督なら論理的に詰めていって解答にたどりつくところをポンと感覚的にクリアしてしまうということで、手っ取り早いは手っ取り早いんですが、その分汎用性や発展性には欠けるという、そういう感じ。

(エンジニアリング)
上で言っちゃってますが、そういうわけでエンジニアリングそのものが焦点となることは、オジーの場合はありません。経験則的にざっとは心得ているんでしょうけど、それ以上の興味は無くて、性能そのものの向上よりも使い方の要領の方がメイン。
まとめて言うと、『あまり深いことは考えない、アイデアと要領の人』


たまたまヴェルディの歴代監督の中から、書き甲斐のありそうな人を選んだだけなんですが、きれいにそれぞれの偏りというか得意分野が分かれましたね。(笑)
コンセプトの松木とアイデアのオジーと、エンジニアリングの久さんと。”分業”という元々のテーマに沿うならば、とりあえず「松木総監督オジー監督久さんコーチ」とか、なかなかいい組み合わせのように見えます。(笑)

松木が決めた方針をオジーが実体化して、久さんが下支えする。うむ。
ラモスについては次の[代表編]のジーコでほぼ代用出来るでしょう。哲さんはシーズン終了後に改めて、予定では浦和のエンゲルスとセットで語りたいなと思ってるんですが、とりあえずこの3者との比較で言えば、本質的には久さんに一番近いと思っています。ただ本人そういう自己認識がまだ無いのと、腕そのものも一枚も二枚も落ちるので、現状ちょっと差があるというそんな感じ。ていうかまだ何者でもないですね、哲さんは。意気込みだけは立派ですが。坊やです。坊や哲。(それが言いたいだけ(笑))


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コメント
この記事へのコメント
アルディレス(+ペリマン)
何気に楽しく読ませてもらっているエスパサポの者です。
アルディレス(僕らはオジーと呼んでますが)って、まさに「デザイナー」だと思うんですよね。
練習の時点からいろいろなアイディアを出してきて、モチベーション付けも上手かった。
ただ、数々の引き出しも「作品」として形あるものにしていくには、
しっかりとした「エンジニア」が必要となってきます。
翻って清水時代には片腕にスティーブ・ペリマンという実直なエンジニアがおりました。
オジーのアイディアを生かすためにスティーブが具現化して、「チーム」という作品を作り出すというか、
巧く両輪が回っていったという印象がありますね。
まあ、スティーブはあるものを上手くはめ込んでいく能力はあっても、
(彼のよく発していた言葉の「ソリッド」に代表されるような)
組織を活性化させていくアイディアの引き出しに乏しい人でしたから、
2年目の2000年にはチームが硬直化を起こしてしまったわけですが。
(彼は次のレイソルでも同じような失態を犯してチームを去っています)
他の監督さんによってはややもすると「二頭政治」になりがちなのですが、
オジー&スティーブという組み合わせは巧く相方の弱点を補完しあった、
いいコンビではなかったかと今更ながら思います。

P.S 所長さんの好みを見ていく限り、自分と真逆だなあと(苦笑)
管理人さんが「もういいよ」と言ってる方の事務所の娘たちに結構関わりのある身としては。
2008/11/28(Fri) 19:42 | URL  | Palladino #JalddpaA[ 編集]
僕らもオジーと呼びます(笑)
>他の監督さんによってはややもすると「二頭政治」になりがちなのですが、 オジー&スティーブという組み合わせは巧く相方の弱点を補完しあった、 いいコンビではなかったか

オジーの場合出来ないこと興味のないことは、”ふり”すらせずに潔くやらない感じなので(笑)、やってくれる人がいるならメンツとか全然気にせずに、気持ちよくイニシアチブを委ねそうですね。そしてその成果もまた、ちゃっちゃと要領よく、チームの要素として組み込んで行く。

この前モーニングの”蹴球魂”というコーナーで、伊東テルが「ミニゲームしかしなかった」と改めて証言してましたが、要は選手たちに試合をやらせながら、それを肴にインスピレーションが下りて来るのを待つみたいな、そんな感じだったのかなあと(笑)。アーティストとモデル、というか、”監督”と俳優というか。あ、今のところこうしてみようか、ああ、良くなった良くなった。誰か書いてくれる人がいなければ、自分では特に台本は書かずに、設定とイメージだけでどんどん撮って行く。
・・・・そうか、”ディレクター”という比喩はこういう感じで使えばいいのか。(独り言)

>管理人さんが「もういいよ」と言ってる方の事務所

え、どこでしょう。野田社長のとこ?それとも逆にオスカー?ちょっと特に心当たりがありません。
自分の好みが思ったより孤立しているというのは、こういうことを始めてみて結構愕然とすることはままあります(笑)。同じ一人のグラドルでも、目の付けどころって相当人それぞれなんだなあと日々感じてますが。うわあ、それ形容詞の使い方俺と逆だよとか。
2008/11/29(Sat) 01:19 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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