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実例:監督類型の試み[代表編1]
2008年12月04日 (木) | 編集 |
ヴェルディ関係がふわふわして落ち着かないんですが、続きもんなんで根性出して書きます。
・・・・こんな記事ありますけどね、これが意味あるものだといいですね。つまり増えてもいる使える日本人監督と相変わらず使えない監督の違いが、こういう分かり易い理由だと。贅沢は言わない、最低限の能力を。信頼を。
まあ僕の「分担」案だと、場合によっては”コーチ”はともかく”マネージャー”は、ライセンス要らないということもあり得るわけですけど(笑)。細かいことは誰か一人、知ってる人がいればいい。(?)
しかし高畠さん、それでいいのか?!(>関塚さんフロンタ復帰)


[代表編]

・ジーコ

岡田さんについては既に書いてますし、なんだかんだオフト以降で、あえて取り上げるほど今回の基準で偏りのあるフル代表監督って、この人しかいないんですよね。ファルカンは短か過ぎて判定不能だし。

結論だけを言うならば、松木監督と同様(コンセプト)のみタイプ。
”コンセプト”の内容含めてラモスの同類でもあるわけですが、でもさすがジーコは親玉で(笑)、ちょっとひと味違うところがあると思います。
それは、そのコンセプトの具体部分である(理論、アイデア)パートについて、例えば第一次松木は、要するに、やり方が分からなかったんですね。内容の作り方が。それで結果として、空白になった。ラモスでさえも、中盤の役割やら関係性やら、評論家としては結構もっともらしいことを言ったりするし、監督としてもたまに細かいことを気にしているような、ポーズだか言い訳だか知りませんが、そういう人並みな(笑)部分がある。

でもジーコは・・・・。本当に何も考えてなかったんじゃないですかね、それはつまり、単にアイデアが無いんじゃなくて、必要が無いと考えていたということ。本気で、”選ぶ”(並べる)ところまでで監督の仕事は終わりだと考えていた。そんな気がします。ジーコが自分の「正当性」を訴えていたことは幾度もありますが、「考えてないわけじゃない」という言い訳、”人並み”アピールを女々しく(笑)してるのを見たことがありません。
そういう意味で、無能という以前に異質な人だったのだと、改めて評価しておこうかなと。サッカー観が違い過ぎるということで、こんな分類に当てはめるのは、本当は一方的に過ぎるのかも。

トルコでの”成功”の内容は具体的には見ていませんが、鹿島での「総監督」的な仕事は、思い返しても決して馬鹿に出来るものではなかったと思いますし。正味何やってるのかは、よく分からないんですけどね(笑)。でも監督の人格力の価値を強く信じる立場としては、少なくとも優れた”マネージャー”である可能性は、十分にあるんだろうなと。”コーチ”ングはいっさい出来ないとしても。そんな俗なものには、神様は興味が無いのです。(笑)

というわけでメカニズムでないものについて(エンジニアリング)もクソも無いのでもう話を終わりにしてもいいんですが、ここ1,2年のヴェルディを見た上で改めてジーコに特徴的だったなと思うのは、「個人能力」には依存するけど実は「個人」には依存してないということかと。・・・・つまり俊輔や、ヒデや、一時の久保や、その時々ジーコジャパンの攻撃において重責を担った選手は何人かいますが、実際上、ではあからさまにそれ用のチームが作られたかというと、そんなこともない。前提はあくまで、4人なり11人なりのニュートラルな”バランス”であり、放任された拮抗関係であり、だから尚更、”担”わされた選手たちは大変だったわけですけど。(笑)

だからですね、現時点ではある種”能無し”の同義語的に使われている(笑)「戦術ディエゴ」や「戦術フッキ」ですが、伊達にその名を冠されているわけではなくて、やっぱりそれはどんなに安直に見えても、立派な『戦術』だということですね。ジーコの鬼のバランス主義、地獄の放任主義を基準にすれば。
逆に言えば何らかの意図的な”焦点”を作る、言い換えれば自然なバランスを歪める、そのこと自体が「戦術」の起源なんだなと、全体をどう構成するとか約束事がどうとかいう、高級な話以前に。

何かサッカーの精神分析というか、考古学をやっているような感じですが(笑)。最初から「近代」に生まれてしまっている身には、なかなか分かり難いですけど。まだまだ、研究の余地があります。現在苦闘中の、ウチの監督の頭の中身も含めて。(笑)


・西野朗 (Wiki)

上に書いたようにフル代表だけだと実はネタが無いので、五輪系も併せて。
と言っても西野さんは、本来はここで槍玉・・・・もとい(笑)サンプルに使われるのに適したような、能力に偏りのある監督ではないと思いますが。ただ五輪、レイソル、ガンバと道程を辿ってみると、その能力の発達・発現の仕方に、なかなか面白いところがある。

まず’95-’96アトランタ五輪代表監督としての西野さんは、ありていに言って非常に疎漏の無い仕事をした人だと思います。
具体的に言うとタイなどを相手にしたアジア一次予選までは、前園・小倉・伊東テルらの当時のスター選手たちの個人能力を3バックのオーソドックスな役割分担サッカーで素直に活かした、主に攻撃力で圧倒するチームを作って、実際に鮮やかに勝ち抜けた。サウジなど相手のレベルが上がった最終予選では、1トップや中心選手のマンマークなど、それのより守備的な運用で乗り切った。
そしてご存じアトランタ本大会では、当時反則的存在と目されたブラジルチームを、世界大会童貞とも思えない(笑)90分続く冷静で粘り強いディレイ気味のプレス守備で凌ぎ切り、実はスカウティング通りだったらしい虎の子の決勝点を守って金星を挙げました。その後3戦目ハンガリーにも勝って2勝を挙げたにも関わらず決勝トーナメントに進めなかったのは残念でしたが、大きな守備の乱れも無く、必要な得点も挙げて、まず立派な仕事と言えるでしょう。

こうして振り返ってみると、要は個人能力ベースの3バックマンツーマンのサッカーを基本に、それを相手や状況に合わせて時に攻撃メイン時に守備メインにと、器用・・・・というには少し武骨というか引き出しが少ない感じですが、ともかくも合目的的に運用し切ったと、そう評価していいと思います。
ただでは何をしたかったのか、理想のサッカーがあったのかというとそれはちょっと疑問で、だから本大会での現象だけ見て「守備的過ぎた」とか協会に評価されてしまったりもするわけですがそれもだいぶ酷な話で、要は”開国”間も無いそれこそ世界大会童貞の国の監督らしく、むしろいちいちの”状況”をこそ「コンセプト」に、でも自分の扱える方法論そのものは見失わずに、それぞれ最低限適切なエンジニアリングを施してやり切ったと、そういうことではないかと。やれることはやった、これ以上、どうしろっちゅうねんという。

その後中堅チーム柏レイソルでの、どちらかというと現実主義的な、ある種クラブの監督としての改めての修業時代を経た西野監督は、ガンバ大阪という相対的にはビッグクラブ系の、よりコンセプチュアルなチームの監督に就任し(’02)、いよいよアトランタの”リベンジ”に着手します。つまりは「攻撃」サッカーということですが。
以下は所詮他サポのチラ見なので見当違いだったら申し訳ないですが、僕の目から見ると”攻撃的”西野ガンバには、2つの段階があったように思います。1つは模索期、とにかく”攻撃的”に行こうと、機械的と言ってもいいくらい遮二無二前線に人数をかけて、ギュウギュウに押し込もうとしていた時期。「ポゼッション」というよりも「恒常的特攻」に近くて、リアクション体質のアクション初心者がアクションにこだわると、こんな露骨な感じになるのかなあと、若干皮肉な目で見ていた記憶があります。決して弱くはなかったですし、既に称賛の声もあったりはしましたが。

そしてその後に、本格的な”ガンバスタイル”の時代が来ます。つまり遠藤を中心に二川橋本ら下部組織育ちの同質的なテクニシャンの連携の良さを活かした、華麗で巧妙なパス回し、”中盤”ポゼッションを中心とした、より安定的なスタイル。定期的に「超攻撃」とか、号令はかかりますけど。(笑)
ハード的には就任当初の3バックから4バックへの本格移行と軌を一にしているのでしょうが、細かい因果関係とかは僕には分かりません。とにかく傍から見てて、こうした質的な転換があるように思えるという、そういうことです。

ここで面白いのは、アトランタ(柏も基本そう?)では手中のスタイルを言わば変化する状況/コンセプトに合わせてアレンジや運用で対応させていた西野監督が、ガンバではクラブ是的に不動の(攻撃的/アクションという)コンセプトの元で、今度はスタイル自体を明らかに変化させて来た、理論を開発して来たということです。あるいは”攻撃的”という目標に向けて、パスサッカーのコンセプト/イメージそのものを、西野監督が育てたか。
いずれにしても、異なるスタイルでそれまでそれなりにキャリアのある監督で、これ結構無理があるというか、稀な成功例と言っていいんじゃないかと思うんですけどね。数あるだろう、長期政権への不満は不満として。

(コンセプト)(理論、アイデア)(エンジニアリング)の3次元そのものについては、最初に言ったように結果としては常に程々のバランスを保っている人だと思います。ただ五輪チーム(や柏)については、第2次元の不動性を中心に第1次元の変化に対応し、ガンバでは第1次元の不動性とそれへの(第2次元の)献身が中心となっているという、違いがある。
第3次元のエンジニアリングについては、大外しはまずしないですね。外国人等本当の一流どころと比べると、やはり柔軟性に限界はあるようですが。逆に確実性を重んじる余り硬直する、つまりはエンジニアリングのし易さの方へスタイルを寄せてしまう(あるいは駒を選ぶ)傾向もあって、それもつまりは限界ではあるんでしょうけど、普通の水準であえて”弱点”というほどでは。最終的には、常にチームを形にはして来るわけで。


・・・・まあこれはね、現在鋭意”発明”作業中の岡田日本代表監督などにも言えるんですが、やはりこの世代の日本人監督の場合は、基本的に育ちの問題があって、そもそもの” サッカー”についての、知識は勿論ですがイメージの備蓄が前提として足りないわけですよね。”日本サッカー”そのもののスタートラインも低い。
だからいきなり楽しげなコンセプトとか豊かなイメージとか、面白げな戦術とかが出て来るわけがないわけですよ。まず何が”出来る”かというミニマムなところから出発して、それを目前の状況に対応させていく、リアクションと言えばそうだし、器の”中身”を継ぎ足し継ぎ足し満たして行くみたいな、そういうアプローチが自然になる。突然結論を直輸入して来る加茂さんとか、相当な変わり者です。(笑)

ただその分十分なキャリアを積んだプロ監督になっても、諦め悪く限界を設けないで挑戦を続けるところもあって、それが西野監督のガンバでの成功や、今回の岡田監督の、最も好意的な人ですら(笑)期待していなかったニュー・スタイルへの無謀な挑戦をそれなりにものにして来るような、そういう仕事に繋がって来ると、そういうことはあると思います。持たざる者の強みというか。(笑)

ちょっとただの監督論になりつつありますが、次からは本来の形に戻します。


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コメント
この記事へのコメント
浦和のこともときどき思い出してやって下さい
2008/12/04(Thu) 16:01 | URL  | 次郎 #3xs9owas[ 編集]
ははは
日程終了したらまとめてなんか書きますよ。試合は見てますので。
さすがにあの消化チームの消化試合に、何か書くモチベーションは。(笑)
優勝にすら関心が無いのが致命的です。

いいですよねえ・・・・残留決定していて。
シーズンの内容そのものは、むしろヴェルディの方が濃かったくらいだと思うんですけどねえ。非情な現実。
2008/12/05(Fri) 00:32 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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