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”confrontation” と ”improvisation”
2006年09月13日 (水) | 編集 |
スカパーヒストリーチャンネル音楽スペシャル、『ブルースランド』より。

1920年代から約80年間に渡るアメリカンブルースの歴史を、豊富な音源と映像で網羅的に見せてくれたナイスなプログラム。
”ブルース(=Blues)”とひとくくりにされる中のどこらへんに自分は反応してどこらへんにはしないのか、ブルースの中でロックンロールは当然としてその後のいわゆる”ロック”の構成要素となっていくのは具体的にどこらへんなのかなど、色々体感的に分かって面白かったです。

ちなみに僕が特にグッと来たのはカントリー・ブルースやジャグやラグタイムやハードなギター・ブルース、逆にお眠になるのはビッグバンド/ホーン系や(ラグタイム以外の)ピアノ系、それからヴォーカルが朗々と歌う系全般。
要するに「汚いのとか素っ頓狂なのが好き」ということみたいです。ロックに入って来てるのも主にそこらへんですけどね。プラスB.B.キングが確立した単弦奏法によるリードギター。それはともかく。


その中で3人くらいのパーソナリティが代わる代わるブルースについて語るんですが、その1人 Albet Murrey という見た目”評論家”というより”生き証人”という風情の黒人の爺様が、ブルースの本質的機能性としてそこだけ妙に知的に語ったのが冒頭の2つの言葉。

まず ”confrontation” は辞書の「直面」という意味通り、

 『人生なんてロクなことはないという現実を直視する』

こと。そして ”improvisation” とは、

 『その現実を見据え、それに”遊び心”を持って対応する』

こと。

 『なぜならば遊び心を持って立ち向かえば余裕が出てくる。
 美しいものを創る余裕だな。つまり芸術さ』


この2つのプロセスによってブルースは創造され、「逆境の中、人生を肯定してくれる」(Murrey)その特有な力を得るというわけです。


これは非常に秀逸で示唆に富んだまとめだなと思いました。
まず”improvisation”という言葉ですが、これは普通「即興演奏」などと訳され、主にジャズなどで何かのテーマや叩き台的な曲・フレーズからインスパイアされるものを、その場の思い付きで展開したりそれを引き継いでまた展開したりということを延々繰り返すそういう手法を指す、広く知られた音楽用語です。

ブルースはジャズの基となった音楽ですから、当然ブルースにも improvisation という手法自体は存在してそれを前提としてMurrey爺さんが語ってるのは確かなんですが、一方で”confrontation”は僕の知る限り特に音楽用語というわけではなく、恐らく単に辞書的な意味そのままで使っているのだと思います。
だから”improvisation”も音楽用語そのものとしてというよりは、そういう音楽手法に繋がるような現実への態度、あるタイプの反応の仕方というそういう意味で使っているのではないかと。そしてそれは即ち手法としての”improvisation”の必然性の説明や起源論にもなっているという。

つまり今日”improvisation”というとなんかミュージシャンのテクニックひけらかし大会か、でなくても小難しいおジャズの世界の作法の話みたいな印象がどうしてもあると思うんですが、そうではなくてままならない/把握し難い現実をそのまま受け止めて受け流して笑い飛ばしながら生きる技術、それを音楽手法として表現したものであるとそういうわけですね。

こういう文脈で一方で improvisation の要素の皆無に近い、クッキリハッキリカッチリしたポップ・ミュージックのようなものを見てみると、受け入れ難い現実に対してこちらは全く違う、もっときれいな「別の現実」を対置して対抗している音楽であると、そんな言い方が出来るでしょうか。受け流すか逃げ切るか。
(”ブルースと俳句”編につづく)

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