ヴェルディ等サッカー、漫画、アイドル 他
ところで柱谷監督
2008年12月12日 (金) | 編集 |
まずは告知協力二つ。

12/13(明日) 10:00~の最後の全体練習でのランド集合
12/21ラウンドテーブルに向けての公開質問状作成

皆さんお誘い合わせの上・・・・(笑)。失礼。真面目に真面目に。



さて本題。

上にもあるようなこの間の騒動の過程で、様々に漏れて来た”内情”の一つに、サカダイの海江田記事による、「大野離脱後の中断期に柱谷監督が古巣と段取り付けて来た、浦和の若手MFのレンタルをフロントが一蹴した」という例のあれがありますが、その具体的な人名であるらしい西澤代志也選手自体については、僕も見たことはありますがはっきり言って大勢に影響があるとは思えないというか、それこそ吉武でいいじゃないかというそういう選手だと思います。

とにかくつまりはタイプで言えば、「ウィングに近いニュアンスの右サイドハーフ」というそういう選手なわけですが、そこからはたとひらめいたというか、やや強引ですが結構自信持って出来る気がする推論が一つ。
それは、「トップ下を置かないボックス4-4-2が、”柱谷システム”である」というもの。
”トップ下”どころじゃないかも知れないです。”ゲームメーカータイプ”すら置かないのかもしれない、2列目には。理想としては。

これは勿論、直接的にはわざわざ取ってこようとした西澤選手が(”大野の代わり”にも関わらず)そういうヴィジョンに当てはまるタイプだというのもそうですし、ディエゴの4試合離脱が決定した後、代案として多くの人が考えたであろう、福西なり柴崎なりをディエゴの位置に置いて、ディエゴの(1)トップ下が果たしていた機能性をなるべく引き継ぐというプランを試す気配が全く無かったということ。
そしてその代わりに実行されたのが、オーソドックスというか何の捻りも無いボックス4-4-2(のちその守備的な運用として2トップの1枚平本を下げ気味に使ったりはしましたが)で、本職FWの飯尾とランニングとシュートに主な持ち味のある柴崎を2列目左右に張らしたそれがさっぱり機能しなくてもそのまま最後まで通したこと、そこらへんの説明でもあります。

言い換えるとダイヤモンドなり4-5-1なりという形で”トップ下ディエゴ”を使っていたのは、あくまでディエゴ個人用、極端に言えばディエゴがいたので「仕方なく」なのであって、システムとしては本意ではないのではないか。
加えて言うならば、ラモスは試した(ボックスでの)”サイドハーフ”ディエゴを全く考慮しなかったように思うのは、一つは勿論ディエゴの特性に合わせてですが、もう一つは柱谷監督の”サイドハーフ”像に、”ゲームメイカー”的なディエゴのプレイスタイルはハナから無しなのではないかと。

で、ここから導き出される柱谷監督の「理想のサッカー」、または監督としての「自己像」は、”トップ下や特定の個人の技術には極力頼らない、スピーディで組織的なサイド攻撃主体のモダンフットボール(ラー)”というようなものなのではないかと。・・・・今となってはどの口が?という感じですが(笑)、例えば去年のラモスを補いながらやった仕事などを思い返すと、そういう”気持ち”はあったんじゃないかと、思えるところはあるかと思いますが。
そして”それ”を、「ハードワーク」「早い切り替え」でというわけで、本人的には今もって筋が通っていたりするのではないかと。

現実としては、そのクオリティがあまりに低過ぎて、「並べてる」だけのジーコ/ラモス派と事実上同一視していいような仕事しか出来なかったわけですが。気持ち的には実はそうだったのではないかと。・・・・いや、内実として選手個人の甲斐性や自然的練成に多くを期待するという意味で、間違いなく「並べるだけ」派ではあるんですけどね。ただ”枠”としては別に、ブラジルでも黄金でもない。
これに関しては全く直観的ですが意外とありそうだなと思っているのは、自分の現役時代に遭遇した、当時のJに新風を吹き込んだ’94バクスターサンフレッチェの” モダンフットボール”、トップ下もゲームメーカータイプも中盤に置かない禁欲的なボックス4-4-2のサッカー、あそこらへんが濃い目の原体験というか、基本イメージとしてあるのではないかなと。(高木コーチがそれをサポートしたということは・・・・あるかも知れないですけど、何とも。特には。)

まあ”モダン”の内容はその時々変わるわけでね、一つのイメージにこだわるわけにはいかないわけですが。逆にその少し前の”モダン”と、パス/ポゼッション的な要素を上手く融合出来ていなかったのが、結果的にコロコロ変わるというか、両極端に振れるようなチーム運営になってしまった一因であり限界だったのではないかと、自分の仮説を前提にしてですが(笑)、思います。


身の程を知るべき、と最近よく言っていましたが(笑)、別な言い方だと自らのキャラの把握と現実・・・・や、仕事への周囲の認識や評価とのすり合わせが終始上手く行っていなかった、そういう人(一年)だったのではないかなと。
「今までやって来たことを信じる」「自分たちのスタイル」という、聞いてる方にはだからそれは何なの?としか言いようが無かったものの、正体というか柱谷的答えはこういうものなのではないかなと。ほとんど本人にしか通じない話ですが。

ちなみにレッズのエンゲルスなんかも似たような”誤解”を今季生きていたように思うんですけど、まあいいかそれは今日は。


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