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海外ドラマアンソロジー:米国編(各評1)
2009年01月20日 (火) | 編集 |
もう代表戦か。忙(せわ)しない。
(総覧)&(法廷もの)編より引き続き。短くするのは諦めました。(いや、努力はしてますけど(笑))


(医者もの)

『ER 緊急救命室』(’94)

もう忘れてるかも知れませんが、人呼んで”メディカル・アクション”。
言わずと知れた、医者ものの金字塔。『白い巨塔』ではないですが、どこか”上流”の優雅な話みたいな趣のある作品が多かった医者ものの世界を、”ER”という最前線にして底辺を舞台にしたことによってよりリアルにハードに、ほとんど”アクション”ものに近いような感覚で表現することに成功し、大ヒットしました。
一つ一つの(人物)描写やエピソードはさほど独創的でもないと思うんですが、とにかく丹念で的確で手抜きなし、仕込みも考証もバッチリ、そしてそれら多彩な要素を(”ER”に相応しい)目の回るようなスピード感と圧縮感で最初から最後まで突っ走っていっさい破綻させない、趣味の悪さも感じさせない腕の冴えは、医者もののみならずアメドラの技術力の最良の見本の一つとして、『24』以前の日本における”海外ドラマ”の、象徴的存在だったと言っていいのではないかと思います。

まあ、なんか、NONSTYLEの漫才(もしくはいわゆるM-1式”スポーツ”漫才)みたいなところも、あるかも知れませんが。4分間でいくつボケるか。(笑)
ある意味あざとい作りだとも思うんですけど、「医療」という題材そのものの普遍的な力、それにグリーン先生やハサウェイ婦長といった名キャラクターの力によって、『ジュラシックパーク』などの”仕掛け屋”マイケル・クライトン個人の資質を越えた深みと広がりを獲得して、「名作」となりました。

現在も続く長寿シリーズですが、所詮”デパート”みたいなところもあって最初の衝撃が薄れるにつれて割合早く新たな定番化したところもありますが、いつ買いに行っても必ずそれなりの味の、”旬”なものが置いてあるのはさすが。
ちなみに僕が一番興味を引かれたキャラは”ロケット・ロマノ”、特に片手を失う事故の直前くらいまでの、単なる嫌な奴から”一面”という以上の真理の担い手へと、描写が徐々に変貌していくあたりですね。好きなのはアビー・ロックハート。あとエリザベス先生の吹き替えの上手さ。


『Dr.HOUSE』(’04)

2ndシーズンから邦題に”Dr.”がついてますが、原題の『HOUSE』のままが良かったなと。いったい何のドラマだろう?というシンプルさがカッコ良かったし、内容のスノッブさを忠実に表現もしていたのではないかと。

アメドラの論理性ということは既にしつこいくらいに言いましたし、実際問題全般的に知的である、観客の知的水準を高く設定しているのは確かだと思いますが、ただそれは要するに広い意味での文化の問題であって、やはり本当に頭のいい人、少数派の、天才に近いレベルの人を正面から、あるいは内側から、実感的に描くのは並大抵なことではなくて、描けても長期の娯楽シリーズとして成立させるのは難しいので。それに一つ、画期的に成功したのが、この作品だと思います。恐らく単純に、ライター自身が(主人公)”ハウス”先生に近い実際に高い知能の持ち主なのではないかというのが、見てて感じられるんですが。
ちなみに例のD・E・ケリーは聞いた話によると本人アスペルガーの気があるとかで、本当かどうかは知りませんが確かに奇矯な天才を描くのは上手いです。それこそ『シカゴ・ホープ』(’94)のDr.ガイガーなどは、周囲の人間関係的にもこの『ハウス』の下敷きなのではないかと思えます。

ともかくこの作品は「奇矯な天才」の奇矯ぶりと、専門分野での腕の冴えを、従来の作品のようにサーカス的に鑑賞するにとどまらず、その行動や言動に込められた内的論理や感情を、本人の口からかなり一貫した形で語らせて、しかもそれをハイブロウなユーモアとして成り立たせて商業的にも成功しました。
・・・・正直言うと僕にはハウスの”奇矯な”論理の大部分が普通に正論に聞こえて、それがどうして批判されるのかハウスと一緒にキョトンとすることが少なからずあって(笑)、改めて自分の立ち位置が不安になったりもするんですが、みんなどういう風に見てるんでしょう(笑)。”天才”抜きで”奇矯”の部分だけ一致しても、困るんですけどね。(笑)

そうした中で、この作品の一つのお楽しみはハウスのこれは間違いなく奇妙な女性関係で、特に”担当学生”に近いニュアンスの部下のキャメロンとの、遠いんだか近いんだか上なんだか下なんだか時により転々とする関係の描写は毎回萌え萌え&抱腹絶倒。基本前向きな常識人のキャメロンが真面目になればなるほど、ずれ具合がおかしくて仕方ありません。
”コメディ”、というよりは”悲劇”なんですけどね実態としては。それゆえのおかしさ。

シリーズを重ねるごとにハウスが色々「反省」することが多くなって、それまで共感するところの多かった僕としては、ちょっと嫌な感じ。(笑)
まあ少なくとも1stシーズンは、激しく面白かったですよ。びっくりしました。


『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』(’05)

本国(&wowow)では絶賛継続中のようですが、AXNがなっかなか続きをやってくれないので、結局1stシーズンしか見れてなくて最終評価には多少不安があります。
それでもあえて今回挙げたのは、この作品が、これは『アリー』もそうですが”ドラマ”鑑賞における男子と女子の間の深くて暗い谷間を埋められる(笑)、稀有な出来上がりの作品だと思うからです。・・・・要するにはっきり女向けに(邦題で分かるように)作ってあるけど、僕も楽しめるということですけど。

いやあ、実際ねえ、例えば同じ”海外(アメリカ)ドラマ”という枠でも、女のドラマの見方や好みというのは、脳味噌腐ってんじゃないのかと思わされることも正直、多くて(笑)。お互い様のところはあるのかも知れませんが、つくづく違う生き物だなと思います。買い物中と、TVドラマを見ている時の女には、近付かないのが吉です。(笑)
もう少し冷静に言うと、「男が好きで女も好きなドラマ」というのはいくらでもありますが、一方で「女が好きで男も好きなドラマ」というのは、滅多に無いように思います。これはその例外的な可能性を持った作品の一つかと。

とは言え”女性向け”の違和感というのははっきり残っているんですけど、それを”解消”するのでも居直るのでもなく、純化する、対象化を突き詰めることによって実にスマートにクサ味を消して、僕などの口にも合うように(笑)仕上げる手際は見事で、さぞかし頭のいい人が作ってるんだろうなという感じがします。
ぶっちゃけメレディス(と三石琴乃の吹き替え)とイジーの色香に惑わなければ、ここに挙がって来たかは疑問のところもありますが(笑)、とにかく早く、続きが見たいです。音楽が好きですねえ。

・・・・逆に女の方は普段(海外)ドラマにおける”男目線”を、どう感じているんだろう、意識してるのかしてないのか、改めて考えてみると疑問はありますね。
ニュートラルに見てるのか、それともお馴染み「男社会」の単なる一例として、スルーしているのか。


(警察もの)

”こうなったか・・・・”という前回の感想は、余りに層が厚くて選び方がいくらでもあるということですけど。
アメドラの王道中の王道。


『NYPDブルー』(’93)

その”王道”の中の一つのまたスタンダード、”リアリズム””群像劇”路線(まあ富野ガンダムみたいなものさ)に市民権を獲得させたスティーブン・ボチコ(参考)の代表作がこれ。その路線のより典型的/純粋なのは『ヒル・ストリート・ブルース』(’81)の方で、これはこれで僕も実際に深夜放送で見て衝撃を受けましたが、『NYPDブルー』はそこに更に、もう一回”ヒーロー””スター”を被せたような多重的な構造の作品で、そして実際その”ヒーロー”、ケリー刑事とシポヴィッツ刑事のキャラクターで、大人気を博しました。

なんか凄かったです、この二人は。実生活では&その後のヒット作『CSI:マイアミ』(’02)ではカッコつけのクソ野郎でしかない(笑)デビッド・カルーソですが、この作品の”ケリー刑事”は、社会の矛盾や司法の限界を、男の背中で(笑)身を挺して埋めているような、もうこんな切なくかっこいい人はいないというキャラクターで、逆に「作品」の力というものを感じさせますが。
一方のシポヴィッツはデブでハゲで口汚い、ネイティヴ差別主義者(笑)のアル中という、第一印象最悪のキャラですが、やがてその底にある情の厚さとシンプルで”政治”とは無縁な、それゆえ切実な正義感、そしてそれが容易に報われなかったり理解されなかったり、自分自身もしばしば危ういところに落ち込んだりするそのもどかしい様で、大いに泣かせてくれます。”男泣き”っちゅうやつです。(笑)

いずれも根底に絶望に近い、深いリアリズムが存在しているからこそ描ける/説得力を持ち得る”ヒーロー”像で、正に集大成の迫力、この路線でこれを越えるのはまず難しいでしょう。
・・・・なんて言いますかねえ、スタッフがこの手法を、少なくともこの時期においては本気で信じていたんだろうなということが伝わって来る、そういう気迫。同じことを今は、出来ないと思います。


『刑事ナッシュ・ブリッジス』(’96)

同じドン・ジョンソン主演の”オシャレ””カッコイイ”系の刑事ものとして、『マイアミバイス』(’84)と迷うところですが、バイスは広義の”リアリズム”ものということで上に代用して、こちらを。
ではこの作品はリアルではないのかという話ですが(笑)、ベースには大きな違いはないと思います。刑事や犯罪者や街の暮らしを生活感豊かに、立体的に描くことを基本としていることには。
ただ時期的にも最早そのこと自体がテーマにはならないのと、同時にそのタッチが手慣れて自由自在で、むしろ楽しげというか。(概ね陰鬱なボチコ物などに比べて)

簡単に言うと非常に成熟した作品で、ボチコ的”リアル””群像”も、それ以前からある例えば『白バイ野郎ジョン&パンチ』(’77)などに代表されるよりテレビ的にオーソドックスでエンターテイメント路線のものも、全て合わせて、とにかく最高の刑事ドラマを作ってやろうぜという、そういう意気込み・使命感の元に作られたものなのではないかなと。・・・・もう一つ言うと、日本なら例えば時代劇で杉良太郎がやっているように(笑)、誰よりもそのジャンルの楽しみを知っていると自認するスター(ドン・ジョンソン)が、自分が出演する為の作品を(『マイアミバイス』からの)自己進化的に作った理想郷という、そういう趣もあるかなと。『喧嘩屋右近』みたいな。(笑)

実際、理想郷です、ここは。なんか、凄いです。達人の技です。雲に乗ってます。
一言で言って、恐るべき話術です。”会話”という狭い意味だけではなく(それ自体、一つ一つ”ネタ”と言っていいくらい最高ですけど)、全体の運びが、文体が。これは脚本は勿論、演出の功績も大だと思いますが。歌うように踊るように。どんな凶悪犯罪や悲しいエピソードが出て来ても、あくまで軽やか滑らか、プロの意地にかけてお客さんにストレスは感じさせません!という感じ。(笑)

そうした徹底したエンターテイメント性と、内容の手応えと基本的なリアリズムとのバランスが、”バランス”とあえて言うのも野暮に感じるくらい、スムーズに溶け合っていて。唖然とする上手さ。まあナッシュ/ドンはモテモテですし、多少上っ調子なところは無くは無いですけどね。(笑)
しかし上手い歳の取り方をするもんだな、ドン・ドョンソンもと。あのかっこいいけど生硬なソニー・クロケット(『マイアミバイス』)が、こんな素敵な包容力のあるオジさんになるかと、つい直接関係の無い作品をごちゃごちゃにしてしまいたくなるくらい(笑)、生き生きとした演技です。


『交渉人 ~STANDOFF』(’06)

契約はしていないFOXCRIMEで放送中の、無料開放デーで数度見ただけの作品ですが、なるべく新しい作品を入れて行きたいのは、アメドラが今尚生きて進化している、”いつも全盛期”みたいな元気なジャンルであることを強調&喜びたい為です(笑)。・・・・これが例えば”映画”だと、多分モノクロ率を抑えるのに苦労することになると思いますが。

FBI内に設けられた交渉人・・・・犯人との交渉による事件解決を専門にする部署の活躍を描いた作品。
と言って今やすっかりお馴染みとなった「交渉人」の仕事を取り上げたものとして、この作品が特に”決定版”ということでもないです。”交渉”だけなら、例えばAXNでやってたショート・シリーズ『キッドナップ』とかの方が、面白かったかも。
推したいのは総合的な楽しさ、特にダブル主人公マットとエミリーの恋愛関係の描写の、面白さというかかわいさというか。それをもう一方の軸とする。

エミリーさん/ローズマリー・デウィットが、何とも言えず好きでね(笑)。強くてゴツくてでも可憐で、勿論頭が良くて負けず嫌いで、でも変にイノセントで健康的でセクシーで。なんか不思議なバランスの人です。いそうでいない。
また珍しく”相手役”の男がムカつかないんですよね。妬けないというか(笑)。似たような複雑な魅力、かわいさすら感じさせる。スタッフ、特にライターが、多分元々そういう多面的な人間観を、きちっと持っている人なんだと思います。ジェンダー的なことも含めて。だから肌が合うというのと、”恋愛”が陳腐にも鬱陶しくもならずに、僕でも見続けられる。

まあ、気楽に見て下さい。アメドラ方面本日も晴天なり、という感じです。(笑)



(特殊捜査もの)

『プロファイラー/犯罪心理分析官』(’96)

ただでさえ沢山ある”プロファイリング”ものなのに、捻りも何にも無いタイトルでスルーしそうになりますが、逆にこれが代表かも。実はヒロイン(途中で交代して2人いる)はある種の「幻視」者で、まずそれをヒントにプロファイリングを始めるので、見方によっては純度は低いんですが、その割りには全体として、憂鬱なくらいに(笑)地道な印象を与える真面目な作品。
やっぱり”決定版”の意気込みはあるんでしょうね。実際にこの作品のヒロインとそのチームの宿敵の、連続殺人犯”ジャック”の凄味と頭の切れと手強さは、僕が色々見た中でもピカいち。

そしてこの作品の一番の魅力は初代サム、二代目レイチェル2人のヒロインで、超ウェットでドロドロに内向的な印象のサムと、サバサバもいいとこの男勝りのレイチェル、2人の対照的なヒロインを同じチームのエースとしてそれぞれに機能させる描写力は、特に初代サムの人気が高かっただけに、唸らされました。それに代表されるように、チームやその周りの人間関係の描き方の繊細さは、この作品を支える魅力です。
更に言うならば個人的に、”レイチェル”という2代目ヒロインはかなり興味をそそられるキャラで、好みという意味なら断然サムで、こんなヤンキーガールに興味はないんですけど(笑)、逆にその度外れた”ヤンキー”(日本のそれとは無関係(笑))ぶりに、これ絶対アメリカでしかあり得ないヒロイン像だよなとしみじみ。

何て言いますかね、「強い」といういことの意味や位置付けがちょっと違うんですよね。
それ自体は特徴というよりも前提に近いんですね。日本やイギリスだったら、間違いなく直接言及されるような、中心的特徴となるようなレベルの強さ、猛々しさなんですけど。
でもアメリカだとそれがある種当たり前のものとしてスルーされて、別に”ツンデレ”とかいう仕掛けも無く(笑)、強くて猛々しいまんま、普通にかわいかったり色っぽかったり。周り(の男)もそれをすんなり受け止めて。その様子が、見てて面白かった。たまにゴリラの交尾を見てるような気にはなりましたけど。(笑)


『CSI:科学捜査班』(’00)

もっと古い作品かと思ったなあ。地上波(テレ東)で見てたし。

「科学捜査」という独立の領域を警察ドラマのジャンルに切り開いた記念碑的な、または警察ドラマの「科学捜査」描写のスタンダードを一気に押し上げた、傍迷惑な作品(笑)。いや、実際、世知辛くなったというか、多少警察ドラマの規格化を進めてしまったところは無くはないと思いますけどね。「知的」と「クール」の方向へ。
まあでも面白かったですけど。最初見た時はびっくりしましたね。夢の時間でした。テレ東さん、いつもありがとう。

映画界でも活躍する大物プロデューサージェリー・ブラッカイマー指揮の下、「科学」だけでなく演出や筋運びや映像表現の面でも確かに一歩垢抜けた、新鮮な作品でした。胃カメラ式に、体の内部を直接見せる(CGですが)今では当たり前になった表現を、初めて本格的にやったのはこの作品だったと記憶してますけど。
大ヒットに乗じてその後『CSI:マイアミ』『CSI:NY』と姉妹編が作られ、それぞれヒットはしているようですが、個人的には一枚も二枚も、場合によっては三枚くらい(笑)落ちるように思います。一言で言えば『マイアミ』は陳腐、『NY』は凡庸。

「科学捜査」そのものは同じように頑張ってる、or違いがあっても素人の僕にはよく分からないでしょうけど、”ドラマ”の部分の魅力が全然落ちると思います。原因は・・・・グリッソムがいないことですね(笑)、結局。
要は”ハリウッドの敏腕プロデューサー”であってそれ以上のものではない、ブラッカイマーの作る「企画」力だけの作品に、一捻り二捻りの味を、霊感を、魂を与えていたのが本家CSIにおけるグリッソムのパーソナリティだったわけで、それを抜いて単に”熱血”(『マイアミ』)、逆に”クール”(『NY』)なだけの主人公を置いてみても、それこそ仏作って魂入れず状態なわけで。彼らをめぐるアンサンブルも含めてね。

まあ『マイアミ』あたりは、シナリオも随分安っぽいと思いますけど。警察の論理が出過ぎだろう。


『NUMBERS 天才数学者の事件ファイル』(’05)

FBIに勤める兄貴を助けて、天才数学者の弟が方程式を駆使して事件解決に尽力する話。・・・・というと何か逆に数学(&科学)万能の幻想を背景にした、子供っぽい話に聞こえるかも知れませんが、そこをきちんと説得力を持たせて、しかも数学に詳しいわけではない視聴者相手に展開して、商業作品として成立させたなかなか天晴れな作品。
ただしこの言い方で当然連想するだろう、紹介したばかりの『Dr.HOUSE』とは、比べられるようなものではありません。”数学”の部分以外は、まあ普通。”天才”や”頭でっかち”や”変人”の世俗生活との格闘の部分も含めて。

ちなみに今回取り上げなかったこの(特殊捜査もの)ジャンルの近年の秀作の一つ『BONES』(’05)も、そういう意味ではそれほどユニークな描写はなされていないと僕は思いますが、ただあの作品の場合はヒロインの”天才”(骨)科学者を演じた主演のエミリー・デシャネルさんが、インタビューとかを見ていてもかなり「本気」度が高い、つまり実際に際立って理性の勝ったパーソナリティの持ち主のように見えて、そこらへんが上手く作品に緊迫性を与えているように思えます。・・・・悩みが切実というか。(笑)


(特殊捜査機関もの?)

『こちらブルームーン探偵社』(’85)

”捜査”してたっけ?という疑問も無くはないですが。(笑)
基本的には以前書いた通りなので、そちらを。(微妙に”ツンデレ”の解釈が違ってる気がしますが)
超アダルトで本格的な、野獣と美女のトークバトル、真剣勝負。
いい意味で昔の映画みたいです。ヒッチコックとかよく見るとほとんどはこの”バトル”ですからね。

『心理探偵フィッツ』アメリカ版(’97)

正規の警察官(女)のサポートを受けつつ、大学の心理学教授がプロファイリングで事件解決に活躍する話。
というと”プロファイリング”ものみたいですけど、実際の見どころは事件解決そのものよりも、ほとんど人格破綻者の教授が自分や周囲の人に対して繰り出す、より広い心理学的な分析や講釈の、かなり本格的な迫力や示唆力の方。正直事件の記憶が全くありません。(笑)
オリジナルはイギリス作品なんですが、僕はアメリカ版の方が好きです。珍しいケースかも。
ざっと見たところ、ファンの間ではオリジナル尊重の意味も含めて、6:4~7:3の間くらいで、イギリス版派の方が多いみたいですね。別に嫌いじゃないんだけど、吹き替えと体重が重くてね。

・・・・見てない人には分からない話ですいません。(笑)
そうですね、ハウス先生の饒舌が好きな人は、あれがよりアカデミックに全面展開すると思ってもらえれば、間違い無いかと。うるさいよ~?(笑)


『NCIS ~ネイビー犯罪捜査官』(’03)

『JAG 犯罪捜査官ネイビーファイル』(’95~’05)で一時代を築いたプロデューサードナルド・ベリサリオの、老後の糧、もとい後継ヒット作品。名前の通りどちらもネイビー=海軍もので、前者は海軍法務官(弁護士みたいなもの)、後者は海軍&海兵隊の犯罪を専門に調査する機関の話。色々あるもんだ。

”代表作”は恐らく今だに『JAG』の方なんでしょうし、僕もかつては夢中になって見ていた一級の娯楽作品であることは間違い無いんですが、あえて『NCIS』の方を推すのには勿論理由があります。
『JAG』は当初から海軍の全面協力を得て、実際に戦闘機を飛ばしてもらうなどの迫力映像で話題を撒いた作品で、別に国策映画というわけではないんですが、ある種のポリシーを持って、折りに触れて軍や”米帝”的なものに対して擁護的なスタンスで、あるいは敵対的な世論に問題提起するようなストーリー展開をよくしていた作品でした。

ところが9.11後の国ぐるみのナショナリズムの高揚の中で、むしろアイデンティティが動揺して、妙に遠慮がちだったり逆に身も蓋もなくマッチョになったり、以前の「正しいことは正しい」「言うべきことは言う」という一本筋の通ったスタンスが、危うくなっている、中途半端になっているように感じられます。
10シーズンまで続いた弊害で、作品(と出演者)の老衰も甚だしいように見えますし。(笑)

それに対してよりフレッシュな『NCIS』の方は、ハーモンとサラのダブル主人公がディベート的に常にバランスを取る『JAG』の気配りをポンと脱ぎ捨てて、海兵隊出身のバリバリの寡黙なマッチョ・ヒーロー、しばしばやり過ぎに見えるくらいの鬼軍曹タイプの上司ギブスの価値観でほぼ塗り潰されて、迷うところがありません。
一見するとそれこそ”国策映画”化したように見えますが、ことはそう単純ではなく、何と言うか今までのコンサバとリベラル、右と左のような図式では捉えられない大きなストレス、大きな決断の必要に曝されたアメリカ人の、魂の叫びというかより深く肉体的な反応というか、色々言語的に問題が残っているのは分かるけれど、ともかくこうだ!という、”ジャンプ”の結果に感じられるんですね。一つ次元の上の行動であるというか。

それが証拠に・・・・というわけでもないかも知れませんが、この作品の面白いところであり大きなお楽しみとしてあるのは、NCIS付属の鑑識部門をほぼ一人で支えている”アビー”、勤務中もパンク&ゴシックファッションで超マイペースのサブカル女というか明るいオタクというか(笑)、それをギブスが排斥するどころか贔屓もいいとこの可愛がり方をして、趣味嗜好思想一切飛び越えて尊敬に近い認め方をしている、不思議な関係と愉快なやり取りがあります。
”アビー”そのものの個人的にアメドラ史上に残るんじゃないかというくらいの、キュートで精彩放ちまくりのキャラ立ちぶりも含めて、世界観の一筋縄で行かなさを感じさせるところ。・・・・仕掛けがあるというより、感覚的で未整理なんでしょうけどね。野蛮というか。

要は見かけは全然似てませんが、実は『ボストンリーガル』と同様の、”ポスト9.11”作品と言っていいのではないかと。「大傑作」の類だとは決して思わない、どちらかというとやや粗い作品だと思いますけど、独特の魅力があるよなあと。少なくとも、”今”見る価値があるというか。


なげえ。まだ半分。次残り


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コメント
この記事へのコメント
ぼやっと
例えば、ギブスとCSIのグリッソムの微妙なオーバーラップを感じたりします。人間性というか、生き物としてのタイプは違うような感じがしつつも、アメリカ的「理想の上司」像ってものがあるんですかねぇ・・・。
ERっていえば、グリーン先生が亡くなってもロスが葬式にも来ないってどういうことだ。そんなに偉いのかハリウッドセレブ(いや)。
2009/01/22(Thu) 15:06 | URL  | 詠 #tHX44QXM[ 編集]
ギプスとグリッソムですか・・・・。グリッソムについては確かに「理想の上司」的なものは感じますが、ただむしろアメリカ的な”上司”像の、アンチを提示しているんじゃないかと思います。
普通の意味で「理想」ということなら、ベリサリオはベリサリオでも、JAGのチェグウィデンみたいなのこそが、典型なんじゃないかと。ギブスの場合は、それに沿ってるようで更に1,2歩踏み出したというか乱暴さを増したというか(笑)、その開き直りぶりに”ポスト”(モダン?)を感じるというのが、僕の論旨ですね。
アンチとポスト。”異質”という意味では共通してるかと、強引にすり合わせ。(笑)

>グリーン先生が亡くなってもロスが葬式にも来ない
そうでしたっけ。そりゃまた酷い話ですね。(笑)
一瞬”アンソニー・エドワーズ”が死んだのかと思って、慌てて調べてしまいましたよ。

・・・・そう言えば『たどりつけばアラスカ』の方は、言われて思い出して検索してみて、多分見たと思うし面白かった気がするんですが、どうしても絵が浮かびません。
辺境・開拓地系は、よくごっちゃになりますね。(笑)
2009/01/22(Thu) 18:47 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
BONESの場合
事件自体は大したことが無くて、事件をネタとして、ブースとブレナンの見解が
どう衝突していくか、どう離れるか、どう合意点を見つけられるかという、
事件ものではなく、人間ドラマのような気もします


ブース捜査官のメンタリティは好きなのですが、ただ、ガチガチの有神論者ですので、
日本人にとってはブレナンの見解の方がわかりやすい面も多々ありますね

と言うか、ブレナンの思考は日本人に親しみやすいかも
2009/01/24(Sat) 02:58 | URL  | わたなべ #TQt3aN9A[ 編集]
僕の印象では
正直特に1stシーズンは大して面白くなくて、ブースとブレナンの関係も”人間ドラマ”部門のよくある設定という以上のものではなかったように思いますが、途中からいわゆる「キャラが動き出し」て、見る見るそこらへんが充実して来て面白くなった。

見る側の問題も含めて言うと、それは一つはブース役の人の前回の当たり役”エンジェル”(『エンジェル』のね)がむしろ内向的な悩める青年でブースの健康外向さに戸惑う&正常過ぎて物足りなく感じたのと、ブレナン役の一種禁欲的で控え目な演技の中の、「本気」に気が付くのにも時間がかかったのと。
今じゃあの二人は、実際ああなんだという感じですけどね。(笑)

>ブース捜査官のメンタリティは好きなのですが、ただ、ガチガチの有神論者
ブースの場合は確かに余りにドメスティックというか、信仰や常識にそのまんま乗っかってるだけという薄さはあって、同じ傾向のキャラの中でも今回の中で言えば例えば『ブルームーン探偵社』のブルース・ウィリスや『マッシュ』のアラン・アルダがやった役の、理屈や根拠はどうでもいいんだとにかく人間にとってそういう部分はこんなに必要なんだという、切迫感や説得力は無いですね。
・・・・『ブルームーン』の、相棒の氷の女に”クリスマスの価値を認めさせる”エピソードとか、ほんと凄かったなあ。ただブースの本当になんてことのない「いい人」ぶりは、あれはあれで魅力的だと思います。(笑)

>日本人にとってはブレナンの見解の方がわかりやすい
”信仰”や”習慣”という意味では、確かにそうですね。普通に考えて理屈だとああだというか。
ただまあ、彼女は彼女で、要するに別な意味で「素朴」なだけというところもあって、微笑ましいのは変わらない(笑)。ドラマ全体の構成としては、”折れる”前提ですしね。
ただそれでも何か(仮に折れたとしても)、残るものがある、独特の存在感を持っている人だと思います。
2009/01/24(Sat) 12:00 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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