2009年02月03日 (火) | 編集 |
(ラインアップ)、(各評1)。
そう言えばファン感&TMは、寝坊で欠席しました。
レオナルドの評判が微妙にいいようで嬉しい。
[イギリス](つづき)
(戦記/教養小説系)
隠れた”イケメンヒーローもの”でもあります。最近人気の『ロビンフッド』などとも、広義の同ジャンルか。
・『ホーンブロワー 海の勇者』(’98)
この前’88年と書きましたが、’98年の間違いでした。
まさかと思いましたが「ホーンブロワー」は名字です(笑)、主人公の。最初ラッパ吹きの話か何かかと思いました(笑)。”ほら貝”とか。
実際は第二次大戦前後作の海洋冒険小説を原作にした、ナポレオン戦争あたりを舞台に、イギリスの若き海軍士官”ホーンブロワー”君が、戦功を立てて出世して行く話。
と言っても下剋上とか島耕作とかではなくて(笑)、むしろわらしべ長者的な数奇な成り行きが特徴の、立身出世物語。だから「冒険小説」なわけですけど。
特徴は「冒険」や「ヒーロー」の、文学史的に詳しいことはよく分かりませんが、何か原初的な伸びやかさを感じさせるオリジナル感というか、”第一世代”感というか。面白くしよう、颯爽とかっこよくしようという作者の努力が、非常に素直に結果に繋がっているというそういう感じ。楽しんで書いたんだろうなあという感じですが、同時に海軍の人間関係や当時の世相や男女関係などの描き込みは非常にリアルで、そこらへんは”冒険”の成り行きの様々な仕掛けや伏線の拾いの細かい上手さなどどとも、重なるところ。
そうした「冒険」や「ヒーロー」の活躍を通して最終的に伝わって来るのは、”若者”としての正しい生き様や更にそれを越えて、”戦争”や”現実”の圧倒的な強制力の中で、それでも人はどのように自分を保つべきなのか、善意や正義感を表現して行くべきなのかという、言わば今でも日本の少年漫画等が繰り返し追求し続けている、そういうテーマ性。それが非常に、納得感があり、かつ爽やか。
・・・・「二枚目」、なんですよね、ほんとに。素直に。ご都合主義にも陥らずに(むしろいじめられてるかも(笑))。ここらへんはなかなか、今の作家が描けそうで描けないところ。文化的にも日本では難しいかなという、多分キリスト教の良い部分も反映した。ヨアン・グリフィズの端正な美貌

も、よくハマって大人気。
ここらへん、なんとなく『ツインピークス』のクーパー捜査官(カイル・マクラクリン)なんかも、思い出します。
生きている”二枚目”像。
・『炎の英雄 シャープ』(’93)
というわけで年代逆になりましたが。でもこっちの方が新しく見えるけど。ただし時代状況はほとんど同じか、少し前。かつこちらは陸軍。
ホーンブロワーのヨアン・グリフィスに対して、こっちのイメンさん(笑)は『ロードオブザリング』の”ポロミア”、つってもよく覚えてませんがとにかく屈折した二枚目という印象だったショーン・ビーン主演。
2人の印象の違いそのままに、こちらはもっと文学的というか、戦争や現実の”クソッタレ”な顔が剥き出しで、ヒーローものというのには少し躊躇があります。貧困からの脱出を目指すシャープさんの”欲”もバリバリで、むしろピカレスクロマンみたいな感じ。
第一話でシリーズヒロインかと思ったかっちょいい女の人が、あっさり死んじゃったのは驚きましたね。哀し過ぎるよお・・・・。同時期の戦争でも、「海軍」と「陸軍」の雰囲気の違いというのも、確実にあるでしょうね。潮風と汚泥というか。(笑)
似たような低い身分の、しかし腕利きを揃えた(当時の最新兵器)”ライフル小隊”が、軍隊内の政治に翻弄されながら活躍する、サバイブする話で、何となく「特殊部隊もの」という感もあります。『ホーンブロワー』がヒーローや若者を描いていたとすれば、こちらは兵士気質や部隊の多くを占めるアイルランド人気質みたいなものが、その情緒の主体。
・・・・いやあ、階級や差別が公然と力を持っている社会では、いかに「国家総力戦」ったって混成軍だよなあと、実感させられます。むしろ傭兵の集まりというか。傭兵と伝家の職業軍人と、少数の愛国者と。
ふとした時に部隊が声を揃えて歌う歌が泣かせるんですよね。むくつけき飲んだくれのアイルランド人が、同時に生粋の詩人民族であることが、非常な説得力で持って伝わって来ます。もう歌うしかないから、歌うんですね。ヨイトマケじゃないですけど。(笑)
隠す気も無くエゴイストであるシャープが、部下や若年兵や、転戦先で行き会った人たちにふとした時に見せる優しさや惻隠の情も、エゴイストなだけに、逆に研ぎ澄まされた美しさ、ミニマムなリアリティが感じられて魅力です。
正直かっこいいですね、ショーン・ビーンは。だいたいいつも仏頂面ですが、見慣れてくると何かクマさんのヌイグルミみたくかわいく思えて来ますし(笑)。いや、髭の生え方とかがね。何とはなしに。
(ファンタジー)
・『空飛ぶ魔女学校(ミルドレッドの魔女学校)』(’98)
ハリポタの魔女っ子版。終わり。
・・・・いやいや(笑)。ただそういう素直な作りが、逆に素敵な作品です。
原作そのものはハリポタより先で、かつハリポタのようにボスキャラ倒しのRPG的展開は無くて、ただひたすら魔女っ子の日常生活が描かれているみたいです。
まああれですね、むしろ「寄宿学校もの」という、より大きなジャンルの一部みたいな感じもしますね。イギリス 特有の。
アメリカにも「学園もの」はありますけど、そちらがひたすら大人社会の縮図のいじめと差別と物質的欲求の渦巻く醜悪一方のものであるのに対して、イギリスの寄宿学校ものの場合は同じように生徒どうしのお決まりの意地の張り合いも描きつつも、それが(アメリカもののように)悪や病であるというよりは、力学や生態系として突き放して淡々と描かれているところがあって、平和に見れます。いじめっ子は復讐者によってではなく、世界の反発力によってしっぺ返しを食うというか。(笑)
先生方の権威が強いのも、それに対して生徒は生徒でまとまれるので、逆に逃げ場が出来るというか違う視点が入っていいような気もしますね。とにかくアメリカの”ミニ・メロドラマ”には、ほんと辟易しますね。繰り返し作られている(最近では『OC』とか)ということは、好きな人がいるわけでしょうけど。あれは教育上良くないです(笑)。大人の悪習を、子供に勧めているようで。
まあ実際には、単にそういう子供がそういう大人になるのかも知れないですけど。
でもある程度は、「学校」はユートピアであるべきだと思うけどなあ。
何はともあれ、魔女っ子かわいいっす(笑)。かわウィッシュ。
[スコットランド]
もっとあるかと思ったら、純粋にスコットランド製作のは『タガート』しか見つかりませんでした。
”舞台”なら、結構あるでしょうけどね。それこそ『マクベス巡査』とか。
・『刑事タガート』(’83)
そのタガート。既に言ったように『フロスト警部』と並ぶ、偏屈オヤジデカものの代表。
ただフロストがどちらかと言うと変わり者というか、煩わしいことの嫌いな自由人であるのに対して、タガートはもっと組織人で教育者で、言ってみれば”鬼軍曹”タイプ。・・・・ビシビシしごくというよりは、「習うより盗め」を徹底して、過酷に不親切という感じですけど。
いや、もう、すっげえ扱い難い、口の悪いオヤジです。1日10回ずつくらい、部下に殺意持たれてるんじゃないでしょうか。(笑)
ただこうしたタガートの偏屈さには一つ理由があって、それは実はタガートはべらぼうに頭が良いということ(特にそうは言われてませんが、見てれば分かります)。だから他人の察しの悪さに無慈悲なんですね。(笑)
ただ言ってることやってることはある意味常に正しいし、それが分かるから部下もついて来る。殺意は持っても実行はしない(笑)。たまーーーに褒められたら天にも昇る心地でしょうし、死んだ時は皆心から悲しんだ。
ここらへんは一つ、警察ものの隠れたいいところで、つまり「頭の良さ」や「優秀さ」や「正しさ」は、それ自体として尊重される。本当のバカはいない。なぜならどんなに性格が歪んてようと偏見の塊の差別主義者であろうと、結局のところ事件に対して判断が歪んだら、捜査が成功しないからです。そこで一つ、きっちり枠はハマる。ある種の「知への愛」が、共有されているというか。
そうした”枠”の中で、改めてそれぞれの性格や考えが、火事場の荒々しい雰囲気の中で激突するんですね。そこらへんが面白いというか、真剣勝負というか。
とにかくタガートは結局のところ魅力的なんですが、この現在も基本的には続行中の長期シリーズの中で、実は結構早々に死んでいます。その後を継いだ正にタガートにしごかれた元部下、これが偉大なる主人公の心配された穴をきちんと埋めて、感心していたらまた死んで(笑)、それでも続いてさほど味が損なわれていないという、この成り行きにも結構驚かされます。
キャラものであるのにキャラに頼らないというかね。
それは「人間」そのものの基本的な描写力が優れているということで、タガートと対照的なボンボンタイプだった2代目主人公が、上司になったらそれなりにタガートばりのコワモテも説得力を持って発揮し出したり、モロ男の世界の中に当初違和感含みで放り込まれた女刑事ジャッキーが、ヒタヒタと力を付けて媚びずに張り切り過ぎずに、警察世界と作品世界の中で盤石の存在感を獲得して行く(現在支えているのは彼女)様子など、非常に見応えがあります。
そう言えばファン感&TMは、寝坊で欠席しました。
レオナルドの評判が微妙にいいようで嬉しい。
[イギリス](つづき)
(戦記/教養小説系)
隠れた”イケメンヒーローもの”でもあります。最近人気の『ロビンフッド』などとも、広義の同ジャンルか。
・『ホーンブロワー 海の勇者』(’98)
この前’88年と書きましたが、’98年の間違いでした。
まさかと思いましたが「ホーンブロワー」は名字です(笑)、主人公の。最初ラッパ吹きの話か何かかと思いました(笑)。”ほら貝”とか。
実際は第二次大戦前後作の海洋冒険小説を原作にした、ナポレオン戦争あたりを舞台に、イギリスの若き海軍士官”ホーンブロワー”君が、戦功を立てて出世して行く話。
と言っても下剋上とか島耕作とかではなくて(笑)、むしろわらしべ長者的な数奇な成り行きが特徴の、立身出世物語。だから「冒険小説」なわけですけど。
特徴は「冒険」や「ヒーロー」の、文学史的に詳しいことはよく分かりませんが、何か原初的な伸びやかさを感じさせるオリジナル感というか、”第一世代”感というか。面白くしよう、颯爽とかっこよくしようという作者の努力が、非常に素直に結果に繋がっているというそういう感じ。楽しんで書いたんだろうなあという感じですが、同時に海軍の人間関係や当時の世相や男女関係などの描き込みは非常にリアルで、そこらへんは”冒険”の成り行きの様々な仕掛けや伏線の拾いの細かい上手さなどどとも、重なるところ。
そうした「冒険」や「ヒーロー」の活躍を通して最終的に伝わって来るのは、”若者”としての正しい生き様や更にそれを越えて、”戦争”や”現実”の圧倒的な強制力の中で、それでも人はどのように自分を保つべきなのか、善意や正義感を表現して行くべきなのかという、言わば今でも日本の少年漫画等が繰り返し追求し続けている、そういうテーマ性。それが非常に、納得感があり、かつ爽やか。
・・・・「二枚目」、なんですよね、ほんとに。素直に。ご都合主義にも陥らずに(むしろいじめられてるかも(笑))。ここらへんはなかなか、今の作家が描けそうで描けないところ。文化的にも日本では難しいかなという、多分キリスト教の良い部分も反映した。ヨアン・グリフィズの端正な美貌

も、よくハマって大人気。
ここらへん、なんとなく『ツインピークス』のクーパー捜査官(カイル・マクラクリン)なんかも、思い出します。
生きている”二枚目”像。
・『炎の英雄 シャープ』(’93)
というわけで年代逆になりましたが。でもこっちの方が新しく見えるけど。ただし時代状況はほとんど同じか、少し前。かつこちらは陸軍。
ホーンブロワーのヨアン・グリフィスに対して、こっちのイメンさん(笑)は『ロードオブザリング』の”ポロミア”、つってもよく覚えてませんがとにかく屈折した二枚目という印象だったショーン・ビーン主演。
![]() | 炎の英雄 シャープ~新たなる挑戦~ [DVD] (2007/03/23) ショーン・ビーンダレク・オマーリ 商品詳細を見る |
2人の印象の違いそのままに、こちらはもっと文学的というか、戦争や現実の”クソッタレ”な顔が剥き出しで、ヒーローものというのには少し躊躇があります。貧困からの脱出を目指すシャープさんの”欲”もバリバリで、むしろピカレスクロマンみたいな感じ。
第一話でシリーズヒロインかと思ったかっちょいい女の人が、あっさり死んじゃったのは驚きましたね。哀し過ぎるよお・・・・。同時期の戦争でも、「海軍」と「陸軍」の雰囲気の違いというのも、確実にあるでしょうね。潮風と汚泥というか。(笑)
似たような低い身分の、しかし腕利きを揃えた(当時の最新兵器)”ライフル小隊”が、軍隊内の政治に翻弄されながら活躍する、サバイブする話で、何となく「特殊部隊もの」という感もあります。『ホーンブロワー』がヒーローや若者を描いていたとすれば、こちらは兵士気質や部隊の多くを占めるアイルランド人気質みたいなものが、その情緒の主体。
・・・・いやあ、階級や差別が公然と力を持っている社会では、いかに「国家総力戦」ったって混成軍だよなあと、実感させられます。むしろ傭兵の集まりというか。傭兵と伝家の職業軍人と、少数の愛国者と。
ふとした時に部隊が声を揃えて歌う歌が泣かせるんですよね。むくつけき飲んだくれのアイルランド人が、同時に生粋の詩人民族であることが、非常な説得力で持って伝わって来ます。もう歌うしかないから、歌うんですね。ヨイトマケじゃないですけど。(笑)
隠す気も無くエゴイストであるシャープが、部下や若年兵や、転戦先で行き会った人たちにふとした時に見せる優しさや惻隠の情も、エゴイストなだけに、逆に研ぎ澄まされた美しさ、ミニマムなリアリティが感じられて魅力です。
正直かっこいいですね、ショーン・ビーンは。だいたいいつも仏頂面ですが、見慣れてくると何かクマさんのヌイグルミみたくかわいく思えて来ますし(笑)。いや、髭の生え方とかがね。何とはなしに。
(ファンタジー)
・『空飛ぶ魔女学校(ミルドレッドの魔女学校)』(’98)
ハリポタの魔女っ子版。終わり。
・・・・いやいや(笑)。ただそういう素直な作りが、逆に素敵な作品です。
原作そのものはハリポタより先で、かつハリポタのようにボスキャラ倒しのRPG的展開は無くて、ただひたすら魔女っ子の日常生活が描かれているみたいです。
まああれですね、むしろ「寄宿学校もの」という、より大きなジャンルの一部みたいな感じもしますね。イギリス 特有の。
アメリカにも「学園もの」はありますけど、そちらがひたすら大人社会の縮図のいじめと差別と物質的欲求の渦巻く醜悪一方のものであるのに対して、イギリスの寄宿学校ものの場合は同じように生徒どうしのお決まりの意地の張り合いも描きつつも、それが(アメリカもののように)悪や病であるというよりは、力学や生態系として突き放して淡々と描かれているところがあって、平和に見れます。いじめっ子は復讐者によってではなく、世界の反発力によってしっぺ返しを食うというか。(笑)
先生方の権威が強いのも、それに対して生徒は生徒でまとまれるので、逆に逃げ場が出来るというか違う視点が入っていいような気もしますね。とにかくアメリカの”ミニ・メロドラマ”には、ほんと辟易しますね。繰り返し作られている(最近では『OC』とか)ということは、好きな人がいるわけでしょうけど。あれは教育上良くないです(笑)。大人の悪習を、子供に勧めているようで。
まあ実際には、単にそういう子供がそういう大人になるのかも知れないですけど。
でもある程度は、「学校」はユートピアであるべきだと思うけどなあ。
何はともあれ、魔女っ子かわいいっす(笑)。かわウィッシュ。
[スコットランド]
もっとあるかと思ったら、純粋にスコットランド製作のは『タガート』しか見つかりませんでした。
”舞台”なら、結構あるでしょうけどね。それこそ『マクベス巡査』とか。
・『刑事タガート』(’83)
そのタガート。既に言ったように『フロスト警部』と並ぶ、偏屈オヤジデカものの代表。
ただフロストがどちらかと言うと変わり者というか、煩わしいことの嫌いな自由人であるのに対して、タガートはもっと組織人で教育者で、言ってみれば”鬼軍曹”タイプ。・・・・ビシビシしごくというよりは、「習うより盗め」を徹底して、過酷に不親切という感じですけど。
いや、もう、すっげえ扱い難い、口の悪いオヤジです。1日10回ずつくらい、部下に殺意持たれてるんじゃないでしょうか。(笑)
ただこうしたタガートの偏屈さには一つ理由があって、それは実はタガートはべらぼうに頭が良いということ(特にそうは言われてませんが、見てれば分かります)。だから他人の察しの悪さに無慈悲なんですね。(笑)
ただ言ってることやってることはある意味常に正しいし、それが分かるから部下もついて来る。殺意は持っても実行はしない(笑)。たまーーーに褒められたら天にも昇る心地でしょうし、死んだ時は皆心から悲しんだ。
ここらへんは一つ、警察ものの隠れたいいところで、つまり「頭の良さ」や「優秀さ」や「正しさ」は、それ自体として尊重される。本当のバカはいない。なぜならどんなに性格が歪んてようと偏見の塊の差別主義者であろうと、結局のところ事件に対して判断が歪んだら、捜査が成功しないからです。そこで一つ、きっちり枠はハマる。ある種の「知への愛」が、共有されているというか。
そうした”枠”の中で、改めてそれぞれの性格や考えが、火事場の荒々しい雰囲気の中で激突するんですね。そこらへんが面白いというか、真剣勝負というか。
とにかくタガートは結局のところ魅力的なんですが、この現在も基本的には続行中の長期シリーズの中で、実は結構早々に死んでいます。その後を継いだ正にタガートにしごかれた元部下、これが偉大なる主人公の心配された穴をきちんと埋めて、感心していたらまた死んで(笑)、それでも続いてさほど味が損なわれていないという、この成り行きにも結構驚かされます。
キャラものであるのにキャラに頼らないというかね。
それは「人間」そのものの基本的な描写力が優れているということで、タガートと対照的なボンボンタイプだった2代目主人公が、上司になったらそれなりにタガートばりのコワモテも説得力を持って発揮し出したり、モロ男の世界の中に当初違和感含みで放り込まれた女刑事ジャッキーが、ヒタヒタと力を付けて媚びずに張り切り過ぎずに、警察世界と作品世界の中で盤石の存在感を獲得して行く(現在支えているのは彼女)様子など、非常に見応えがあります。
[カナダ]
アメリカと何か違うの?と思うかも知れませんが、違いますね。アメリカほど外面的ではなく、イギリスほど内面的でもないという感じで、数は少ないですが潜在的には凄くバランスの取れた、優秀な製作体制の国かも知れません。
まあイギリスは自然体で作ってるんでしょうが、アメリカは規格化の極端なプレッシャー(との戦い)の中で、今日に至るスタイルがあるわけで、むしろアメドラのスタイルの方が特殊なのではないかと、カナダがどうというより。ちなみに母国語を分けている「フランス」の影響は、見た範囲では無いですね。本当に「分かれて」いるのかも。
・『騎馬警官』(’94)
俺らシカゴさ行くだ。カナダの騎馬警官(森林警備隊っぽい感じ)、アメリカに出会うの巻。
とある事情で愛犬の狼犬と共にシカゴにやって来たカナダの騎馬警官が、当然捜査権は無いわけですが(とりあえず大使館づき)親しくなった地元の刑事と協力して、事件を解決しつつ事件を巻き起こす(笑)話。
「カナダってどうよ?」というアメリカ人の偏見に乗っかる形で、しかし実際には現代アメリカ文化、アメリカという”異端”の”本流”を、どちて坊や的に素朴な疑問の数々で批評し、相対化して行く作品。その過程での笑い。・・・・ただし主人公は100%真面目で頭自体もすこぶる良い人で、いっさいふざけないのでそこらへんが味です。
カナダ人警官のクラシックな正義や良識と、アメリカ人刑事の現実や常識と、どちらに共感するかは割りと見る人次第、場面次第のところもあるかと思いますが、全体としてうまく、「正論」に説得力を持たせることに成功していると思います。その証拠に?朴念仁のカナダ人は、すれっからしのアメリカ人女性にモッテモテ(笑)。またそのことに変なリアリティがある。
まああれですね、高級な『マクガイバー』みたいなところは、あるかも知れません(笑)。銃も使わないし。(参考)
面白いですよ?ていうか上手い。
・『リジェネシス ~バイオ犯罪捜査班』(’04)
これは面白い。近年屈指の傑作。仮に米加くくりで「医者もの」と並べるなら、『グレイズアナトミー』すっ飛ばして(笑)これが入ります。
副題に反して別に捜査組織ではなくて、基本は高度医学・生物学の研究団体の話です。ただ伝染病等、大きなスケールの問題を扱うので、自然テロなどの”捜査”にも関わることになるというだけ。
お馴染み人格破綻の天才主人公とそれを取り巻く人間模様ですが、一人一人の描き方がそういう類型を越えて生き生きとしています。
ひねり要素としては単に「人格」に問題のある主人公と、その友人にズバリ”アスペルガー”(症候群)という「障害」を抱えたもう一人の天才を配置して、構造を多重的にしていること。通常嫌われ役の管理者に、厳しくて現実家ながら友人でかつベビーフェイスの美人ちゃん(キャロライン)を置いて、反発と共感を錯綜させていること、それからついでに、トップ科学者たちの「恋」・・・・というよりズバリ「性」を、結構カジュアルに描いていることなどが挙げられると思います。
非常に堂々たる、生き馬の目を抜くアメドラ界でも正面から戦える感じのメジャーな作りで、でもやっぱりアメリカとは違った繊細さもあって、お気に入りです。
”捜査もの”ではないにしても、世界中の難病難現象の医学的原因を解明していく「推理」のプロセスは、かなりスリリングです。
[フランス]
・『女警部ジュリー・レスコー』(’91)
映画同様、比較的構造の緩い作品の多いフランスものの中で、意図的にむしろアメリカ的なメリハリと一般性を意識して作られたと思われる、長寿人気作品。(ここも参照)
最新シリーズでは文体が更に都会的にハードにリニューアルされていたので、それもそろそろ飽きられていたのか、あくなき向上心と言うべきか。
女だてらの警察署長レスコーさんの、ナチュラルな勝ち気と同時にナチュラルな女らしさが、万人に安心感を与える作品。・・・・最初期は結構ピリピリしてたような記憶もあるんですけどね(笑)。そこらへん、製作者側は文体は様子を見ながら変えて行く構えなのかもしれません、元から。
歴代サブキャラもみんな良くて、捜査ものとしても人間ドラマとしても、これまた安心して飽きずに楽しめます。個人的には、アメリカの緊張感ともまた違った、割りと無頓着な人種・民族の混在感が、フランスならではなのかなとそこらへんが面白いです。別に「フランス人」になろうとも、みんな特にしていないというか(「アメリカ」と違って)。むしろ『スタートレック』でも見てるような気分になるというか(笑)。色んな宇宙人がそこらに。ここは惑星連邦か。
ファン向けに言うならば、レスコー家の娘二人、長女サラと次女バブーの印象が、成長につれてガラリと変わったのが、結構驚きでした。
あんなに天使のようにかわいかったバブーが、感情過多の分からず屋のクソガキになって、ジュリーさんとも絶縁状態に。一方で美人だけど冷たくて頑なな印象だったサラが、賢くてサバけた、母親の相談相手も務めるかなりのいい女に。怒り方もかわいいですよね、サラは。
設定とは言えバブーはもう全く出で来なくなっちゃいましたし、ここらへん、どうも役者さん本人の内面の変化と、緊密にリンクしているのではないかというのが窺えるんですが。
最新作ではなぜかそのサラちゃんに、立て続きの生命&貞操の危機。正直後者は興奮しましたけど(笑)、いとこか何かのそういうシーンを見ているようで、いいのかなあこんなのという部分も少なからず。どうしたいんだ脚本家&製作陣。
[ポーランド]
突然ポーランド。ドイツものとかもいくつか見てるんですが、まあ悪くはないけど別にという感じ。
・『デカローグ』(’88)
『トリコロール』(赤・白・青の愛)シリーズ
![]() | トリコロール/青の愛 [DVD] (2005/11/25) ジュリエット・ビノシュブノワ・レジャン 商品詳細を見る |
で有名な、クシシュトフ・キェシロフスキ監督が、テレビ用に作った1時間ものの10本連作。基本的に内容的に繋がりはありませんから、どれからでも。
この作品の肝は、何と言っても「1時間」という枠です。テレビ用の。基本的に劇場映画とやってることは変わらないと思うんですが、圧倒的に見易い。
一つは勿論、短いので集中が続くという身も蓋も無い理由ですが(笑)、でもそれだけではなく、1時間という枠そのものが、劇場映画の時に無いメリハリ、更に言うならば”メリハリをつけなきゃ”という作り手側のモチベーションをも刺激している感じ。あえて”サービス精神”と言わない方がいいように思いますが。もっと内的な、枠との関係で喚起される美意識のようなもの。
・・・・言い換えれば、(ヨーロッパ)映画がダラダラ出来るのは、長いからだということですが。様になるというか。見る方にとっては長いのを更にダラダラされて、踏んだり蹴ったりなわけですが。(笑)
「2分で何が出来るか教わった」、みたいな話もしましたね。とにかく僕は、これくらいの長さがちょうどいいです(笑)。はっきり言ってほとんどの映画は、半分、3分の1、ええい4分の1の長さですら(笑)内容的に表現できるし、むしろその方が面白くなるのではないかと。逆に沢山説明したければ、”連続もの” くらいの長さが無ければ無理ですし。
というわけで、みんな映画なんてやめてテレビドラマ作りましょう(笑)。アニメでもいい。
とにかくこれは面白いですよ。なんかやたらに。特にそれでもなんだかんだ見る僕以上に(笑)、「ヨーロッパ映画」が駄目な人は、見てみて欲しいです。これが”エッセンス”だということが分かれば、逆に長いのも見られるようになるかも。(笑)
ふう。終わった。
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