2009年02月04日 (水) | 編集 |
FW桜井直人が現役引退…大宮(報知)
一応書いておきましょうか。むしろ義務かと。
まず改めてWikiを見てみて、少しびっくり。
高校が”クラブ”扱いなのは、ユースの方に揃えてるんでしょうかとそれはともかく。
5年半、5年半、4年と、気が付けばほとんど均等に、各クラブに所属してるんですね桜井は。どうしても”ヴェルディの選手”という印象が強いですが。それは勿論、全盛期がそこにあったからですが、それにしても本人にとっては、そのヴェルディから大宮への移籍というのも、本当に人生行路の一幕という程度の重みでしかないのかも知れません。こっちの衝撃は大きかったですけど。
しかし、5年半!5年半腐らせてたのかよレッズ、いくら高卒選手とはいえ。あれだけの素材を。悪いけど、頭おかしいんじゃないの?(笑)。・・・・とまあ、言いたくはなりますが。
逆にだらだら5年半飼い続けるのも凄くて、ここらへんは何度も言ってますが、レッズの伝統的な「横着さ」というところですかね(笑)。強くても横着。弱くても横着。
その横着さが”厚み”に活きていた時期が過ぎて、これからどうなるかという今日この頃ではありますけど。
ヴェルディの場合は似てますけど、こっちは欲張りで無駄が多いという感じ。
レッズは横着で雑。
さあどっちがいいんでしょう。(笑)
え?大宮?うーん、”人格”が無いからあそこは。いずれにせよ、まだ。”性格”を言うまでもない。
さてその飼い殺しのレッズ時代を経て、極貧ヴェルディを切り回す当時の李国秀総監督に見出された桜井ですが、李時代の2年間は、正直特に好きな選手というわけでもありませんでした。興味が無い、と言った方がいいかな。さほど。
スピードと、小回りと、テクニックと、重心の低さから来る小兵ながらも競り合いの隠れた強さと、各要素が緊密に、満遍なく結びついた面白いバランスの選手で、間違い無く優秀なドリブラーではあって。攻め手の限られている当時の李ヴェルディの終盤の切り札として、デビューし立ての飯尾と組んで前線のかき回しやキープでのポイント作りなどに活躍しましたが、チーム事情からその多くが結局は余り勝利という結果に結び付かなかったのもあって(笑)、なんかこう、スカッとはしない、”喜び”や”爆発”のイメージの喚起されないドリブラーで、いい選手ではあるけどねえうーんという感じ。
どうもね、”抑えつけられている”という印象があったわけです。”ドリブル”の原初的な快感から、不自然に遠去かっているというか。使える使えないとはまた別に。
むしろその結果のある種の「堅実さ」と、意外なほど持続性のある走力の方に着目して、「北澤の後釜としてボランチ(or2.5列目)として使えないか」ということを、某カリスマサポ(当時)と掲示板上で、かなり真面目に話し合っていたなんて記憶もあります。・・・・桜井のボランチ?後の姿からするとそれこそ頭おかしいんじゃないかという感じですが(笑)、本当にそういう印象の選手だったんですよ。結論としては「攻撃力が勿体無い」ということで却下の方向ではあったわけですけど、しかし決して、ボランチそのものが「務まらない」という理由では無かったという、嘘のようなほんとの話。(ちなみにデビュー戦は右サイドバックでしたけどね。記念カキコ)
その後知将李さんが去って、松木就任にエジムンド加入と、加速度的に個人技志向を強めるヴェルディの中で、桜井自身のプレーもどんどん”解放”されて、気付けば問答無用の「喜び」と「爆発」の快感のスーパードリブラーに、桜井はなって行くわけですけど。
で、結果としては”その”桜井に僕は魅了されたわけですが、ただ逆に、いかに李さんの統制力、教育力が強烈かという、そっちの感慨もこの件についてはありますね。あそこまで騙されるかねという。(笑)
まあ合う合わないはありますけど。桜井はまだいいとして、これも何度も言う森勇介なんかは、李さんの下では一生芽が出なかったんじゃないかという気がします。勿論李さんはより高次元の完成像を森に望んでいたわけですけど、それにしても李さんの下での森の使えなさっぷりは尋常じゃなかった。サッカーやめたら?という次元(笑)。方向は逆ですが、今だったら福田健介の駄目な時、よりもっと酷いか。
その後の森を見れば、むしろ余計な指導をされないことによってこそ彼は伸びる、”指導”したいことすら自力で上手くなるというか、そういうタイプの選手なんだろうなと思いますが。経験・体でしか、覚えないというか。ある意味最初から自立した選手。
逆に李さんの下で劇的に良くなった石塚や北澤は、片や”天才肌”で片や運動量自慢の”肉体派”のようでいて、実際はそれぞれに理知的な、サッカーを頭で捉える傾向の強い選手だったんでしょう。少なくともその資質があったというか。だから李さんの指導はハマった。干天の慈雨のように。
特に石塚は人相風体から大いに誤解されているところがあって、実は誰よりも、”ちゃんとした指導”を求めていた選手だったんじゃないですかね。本人すら気付いてなかったかも知れませんが。”天才”に必要なのは、「自由」ではなかった。・・・・人の言うことを聞かないのではなくて、馬鹿の言うことは聞かないだけだったと、まあいつもそんなことを言っているわけには、いかないんですけど。(笑)
話戻してその後の桜井。
李さんから離れてしばらくの桜井は、確かに”解放”はされたんですがどちらかというと、ただ”緩んだ”だけみたいなところもあって(笑)、あれ?なんかこんな無駄の多い選手だったかなと、そういうところも少なからずありました。まあ、松木に、逆指導を受けていたのかも知れませんけど(笑)、”解放”を通り越して。
それがバチッと焦点が合って来たのは、やはりエジムンドが来てからですかね。2001年の末に。
要は「完成された偉大なオールラウンダー」の、生きた見本が間近にいたということですが。しかもどちらかというと、ドリブルでのボールキープをプレーの始点とする、同じタイプの。この時期平本も、同種の好影響を受けたのは、周知の通り。
とにかくドリブルを中心とするプレーの”自由”さが、敵への具体的で直接的な脅威として、組織されるようになった。ちょろっとトルシエに呼ばれたりなんてこともありましたね。まあ明らかに合わないですけど。(笑)
そして平本と違うのは(笑)、エジムンドが去って(2002年末)責任が大きくなった時に、縮こまるのではなくてむしろ更にスケールアップして、一気にチームの中心選手にのし上がった、というかその役を引き受けたことで、それは基本的にヴェルディを去るまで変わりませんでした。
ポジションは中盤兼用から徐々にFW専任に移行して、守備の負担は軽減されましたがそれだけの価値のある、凄まじいプレーぶり。全盛時はほとんど”ミニエジムンド”で、純粋なパス能力こそさすがに見劣りしますが、その分優れたスピードで前線を動き回り、盤石のキープ力で”桜井が動けばヴェルディが動く”という状況を、作り出していました。「幅」や「視野」を広げつつ、でも基本は”勝負”、刃の磨きにいっさいの妥協はしない、むしろ「幅」を広げつつ鋭さも増して行くという、ちょっと見ないような突き詰め方にも驚かされました。たいてい、どっちかに、なっちゃうんですよね。もしくは”勝負”に限界を感じたから、幅に逃げるパターン。
ただこの頃から次第に、小柄な体でリスクを恐れず突っ込むスタイルから、積年の疲労もあって絶えずどこかしらに故障を抱えるようになり、それがプレーヤーとしての絶頂期とほぼ重なる格好になっていたのは残念でした。でも動ける状態の時には、常に変わらず、ある意味黙々と突っ込んで行って顔色一つ変えずに”首級”を挙げて帰って来るという感じで、まあかっこいいこと。ここらへんはほぼ同時期あちらで、同じく故障を抱えながらプレイスタイルを変えないオランダのオフェルマルスなどとイメージが重なって、これが”ドリブラー”道なのかなあと、そんな感慨を持った記憶があります。
ヴェルディ在籍時の最後の方は、いよいよ体の方がヤバい感じでしたが、それはそれなりに抜き切るまでは行かなくても、少なくともボールは失わない信頼のおけるプレーぶりで、毎年状態の安定しない(笑)ヴェルディの中で、数少ない計算の立つ、前線の軸であり続けました。
ここらへん、回り回って、結局「堅実」というのも持ち味ではあったのかなと、こうまとめれば話としてはきれいですが(笑)。実際”駄目な時はただ駄目”というのがドリブラーの常で、だから使い難いと忌避されることもままあるわけですが。でも桜井には、ほとんどそういう心配はありませんでした。スタイルには頑固に、でも気が付くときちんとチーム状況に合わせているという、そういう一種”クレバー”な選手。
「考えてる」というのとは、微妙に違う感じなんですけどね。プレーの内的欲求の強さと、外的状況への反応の良さと、どちらも同じ、一つの『本能』の二つの表れというか。
勿論本当に緻密な戦術では、やはりどちらかというと使いづらい選手ではあったろうと思いますけど。あくまでセルフジャッジ前提での、調整力なんで。李さんの言うことは聞けたのも、まだ若かったからという面は大きかったでしょう。
まあ引退したことだし、一度じっくり、話も聞いてみたいような気はします。意外と、饒舌だったりしてね。
つまりはそうした安心感、頼り甲斐と、そして勿論、思う存分”爆発”している時の余人を寄せ付けぬ鬼神の働きから、いつしか人は彼をこう呼ぶようになった、「桜井様」と。
そんな彼の一代記。
・・・・あれ?大宮時代は?
うーん、知らん(笑)。あんまり見てないし。やっぱり認めたくないところがあるし。強くても弱くてもいいけど、あれだけキャラの立った選手は、何らかキャラの立ったチームで選手生活を送って欲しかった。あんな半端に金持ちの、半端に都会の、万年寄せ集めみたいなチームじゃなくて。
それなりに活躍はしたみたいですけどね。いっそJ2かせめて地方のチームか。実際大宮生まれなのは、しょうがないんですけど(笑)。ゴリ森山パターンか、あるいは逆に強豪チームのスポット名物選手、レッズ岡野やジュビロゴンみたいな。なんか、普通だったな。伝記ライターとしては困るよ、物語を感じなくて。(笑)
大宮のU-12コーチか。子供は、好きそうですけどね。(笑)
そうですねえ、動ける内に、海外行ってみて欲しかったかも、知れないですねえ。
一応書いておきましょうか。むしろ義務かと。
まず改めてWikiを見てみて、少しびっくり。
所属クラブ
・1991年-1993年 大宮東高校
・1994年-1999年途中 浦和レッズ
・1999年途中-2004年 ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969
・2005年-2008年 大宮アルディージャ
高校が”クラブ”扱いなのは、ユースの方に揃えてるんでしょうかとそれはともかく。
5年半、5年半、4年と、気が付けばほとんど均等に、各クラブに所属してるんですね桜井は。どうしても”ヴェルディの選手”という印象が強いですが。それは勿論、全盛期がそこにあったからですが、それにしても本人にとっては、そのヴェルディから大宮への移籍というのも、本当に人生行路の一幕という程度の重みでしかないのかも知れません。こっちの衝撃は大きかったですけど。
しかし、5年半!5年半腐らせてたのかよレッズ、いくら高卒選手とはいえ。あれだけの素材を。悪いけど、頭おかしいんじゃないの?(笑)。・・・・とまあ、言いたくはなりますが。
逆にだらだら5年半飼い続けるのも凄くて、ここらへんは何度も言ってますが、レッズの伝統的な「横着さ」というところですかね(笑)。強くても横着。弱くても横着。
その横着さが”厚み”に活きていた時期が過ぎて、これからどうなるかという今日この頃ではありますけど。
ヴェルディの場合は似てますけど、こっちは欲張りで無駄が多いという感じ。
レッズは横着で雑。
さあどっちがいいんでしょう。(笑)
え?大宮?うーん、”人格”が無いからあそこは。いずれにせよ、まだ。”性格”を言うまでもない。
さてその飼い殺しのレッズ時代を経て、極貧ヴェルディを切り回す当時の李国秀総監督に見出された桜井ですが、李時代の2年間は、正直特に好きな選手というわけでもありませんでした。興味が無い、と言った方がいいかな。さほど。
スピードと、小回りと、テクニックと、重心の低さから来る小兵ながらも競り合いの隠れた強さと、各要素が緊密に、満遍なく結びついた面白いバランスの選手で、間違い無く優秀なドリブラーではあって。攻め手の限られている当時の李ヴェルディの終盤の切り札として、デビューし立ての飯尾と組んで前線のかき回しやキープでのポイント作りなどに活躍しましたが、チーム事情からその多くが結局は余り勝利という結果に結び付かなかったのもあって(笑)、なんかこう、スカッとはしない、”喜び”や”爆発”のイメージの喚起されないドリブラーで、いい選手ではあるけどねえうーんという感じ。
どうもね、”抑えつけられている”という印象があったわけです。”ドリブル”の原初的な快感から、不自然に遠去かっているというか。使える使えないとはまた別に。
むしろその結果のある種の「堅実さ」と、意外なほど持続性のある走力の方に着目して、「北澤の後釜としてボランチ(or2.5列目)として使えないか」ということを、某カリスマサポ(当時)と掲示板上で、かなり真面目に話し合っていたなんて記憶もあります。・・・・桜井のボランチ?後の姿からするとそれこそ頭おかしいんじゃないかという感じですが(笑)、本当にそういう印象の選手だったんですよ。結論としては「攻撃力が勿体無い」ということで却下の方向ではあったわけですけど、しかし決して、ボランチそのものが「務まらない」という理由では無かったという、嘘のようなほんとの話。(ちなみにデビュー戦は右サイドバックでしたけどね。記念カキコ)
その後知将李さんが去って、松木就任にエジムンド加入と、加速度的に個人技志向を強めるヴェルディの中で、桜井自身のプレーもどんどん”解放”されて、気付けば問答無用の「喜び」と「爆発」の快感のスーパードリブラーに、桜井はなって行くわけですけど。
で、結果としては”その”桜井に僕は魅了されたわけですが、ただ逆に、いかに李さんの統制力、教育力が強烈かという、そっちの感慨もこの件についてはありますね。あそこまで騙されるかねという。(笑)
まあ合う合わないはありますけど。桜井はまだいいとして、これも何度も言う森勇介なんかは、李さんの下では一生芽が出なかったんじゃないかという気がします。勿論李さんはより高次元の完成像を森に望んでいたわけですけど、それにしても李さんの下での森の使えなさっぷりは尋常じゃなかった。サッカーやめたら?という次元(笑)。方向は逆ですが、今だったら福田健介の駄目な時、よりもっと酷いか。
その後の森を見れば、むしろ余計な指導をされないことによってこそ彼は伸びる、”指導”したいことすら自力で上手くなるというか、そういうタイプの選手なんだろうなと思いますが。経験・体でしか、覚えないというか。ある意味最初から自立した選手。
逆に李さんの下で劇的に良くなった石塚や北澤は、片や”天才肌”で片や運動量自慢の”肉体派”のようでいて、実際はそれぞれに理知的な、サッカーを頭で捉える傾向の強い選手だったんでしょう。少なくともその資質があったというか。だから李さんの指導はハマった。干天の慈雨のように。
特に石塚は人相風体から大いに誤解されているところがあって、実は誰よりも、”ちゃんとした指導”を求めていた選手だったんじゃないですかね。本人すら気付いてなかったかも知れませんが。”天才”に必要なのは、「自由」ではなかった。・・・・人の言うことを聞かないのではなくて、馬鹿の言うことは聞かないだけだったと、まあいつもそんなことを言っているわけには、いかないんですけど。(笑)
話戻してその後の桜井。
李さんから離れてしばらくの桜井は、確かに”解放”はされたんですがどちらかというと、ただ”緩んだ”だけみたいなところもあって(笑)、あれ?なんかこんな無駄の多い選手だったかなと、そういうところも少なからずありました。まあ、松木に、逆指導を受けていたのかも知れませんけど(笑)、”解放”を通り越して。
それがバチッと焦点が合って来たのは、やはりエジムンドが来てからですかね。2001年の末に。
要は「完成された偉大なオールラウンダー」の、生きた見本が間近にいたということですが。しかもどちらかというと、ドリブルでのボールキープをプレーの始点とする、同じタイプの。この時期平本も、同種の好影響を受けたのは、周知の通り。
とにかくドリブルを中心とするプレーの”自由”さが、敵への具体的で直接的な脅威として、組織されるようになった。ちょろっとトルシエに呼ばれたりなんてこともありましたね。まあ明らかに合わないですけど。(笑)
そして平本と違うのは(笑)、エジムンドが去って(2002年末)責任が大きくなった時に、縮こまるのではなくてむしろ更にスケールアップして、一気にチームの中心選手にのし上がった、というかその役を引き受けたことで、それは基本的にヴェルディを去るまで変わりませんでした。
ポジションは中盤兼用から徐々にFW専任に移行して、守備の負担は軽減されましたがそれだけの価値のある、凄まじいプレーぶり。全盛時はほとんど”ミニエジムンド”で、純粋なパス能力こそさすがに見劣りしますが、その分優れたスピードで前線を動き回り、盤石のキープ力で”桜井が動けばヴェルディが動く”という状況を、作り出していました。「幅」や「視野」を広げつつ、でも基本は”勝負”、刃の磨きにいっさいの妥協はしない、むしろ「幅」を広げつつ鋭さも増して行くという、ちょっと見ないような突き詰め方にも驚かされました。たいてい、どっちかに、なっちゃうんですよね。もしくは”勝負”に限界を感じたから、幅に逃げるパターン。
ただこの頃から次第に、小柄な体でリスクを恐れず突っ込むスタイルから、積年の疲労もあって絶えずどこかしらに故障を抱えるようになり、それがプレーヤーとしての絶頂期とほぼ重なる格好になっていたのは残念でした。でも動ける状態の時には、常に変わらず、ある意味黙々と突っ込んで行って顔色一つ変えずに”首級”を挙げて帰って来るという感じで、まあかっこいいこと。ここらへんはほぼ同時期あちらで、同じく故障を抱えながらプレイスタイルを変えないオランダのオフェルマルスなどとイメージが重なって、これが”ドリブラー”道なのかなあと、そんな感慨を持った記憶があります。
ヴェルディ在籍時の最後の方は、いよいよ体の方がヤバい感じでしたが、それはそれなりに抜き切るまでは行かなくても、少なくともボールは失わない信頼のおけるプレーぶりで、毎年状態の安定しない(笑)ヴェルディの中で、数少ない計算の立つ、前線の軸であり続けました。
ここらへん、回り回って、結局「堅実」というのも持ち味ではあったのかなと、こうまとめれば話としてはきれいですが(笑)。実際”駄目な時はただ駄目”というのがドリブラーの常で、だから使い難いと忌避されることもままあるわけですが。でも桜井には、ほとんどそういう心配はありませんでした。スタイルには頑固に、でも気が付くときちんとチーム状況に合わせているという、そういう一種”クレバー”な選手。
「考えてる」というのとは、微妙に違う感じなんですけどね。プレーの内的欲求の強さと、外的状況への反応の良さと、どちらも同じ、一つの『本能』の二つの表れというか。
勿論本当に緻密な戦術では、やはりどちらかというと使いづらい選手ではあったろうと思いますけど。あくまでセルフジャッジ前提での、調整力なんで。李さんの言うことは聞けたのも、まだ若かったからという面は大きかったでしょう。
まあ引退したことだし、一度じっくり、話も聞いてみたいような気はします。意外と、饒舌だったりしてね。
つまりはそうした安心感、頼り甲斐と、そして勿論、思う存分”爆発”している時の余人を寄せ付けぬ鬼神の働きから、いつしか人は彼をこう呼ぶようになった、「桜井様」と。
そんな彼の一代記。
・・・・あれ?大宮時代は?
うーん、知らん(笑)。あんまり見てないし。やっぱり認めたくないところがあるし。強くても弱くてもいいけど、あれだけキャラの立った選手は、何らかキャラの立ったチームで選手生活を送って欲しかった。あんな半端に金持ちの、半端に都会の、万年寄せ集めみたいなチームじゃなくて。
それなりに活躍はしたみたいですけどね。いっそJ2かせめて地方のチームか。実際大宮生まれなのは、しょうがないんですけど(笑)。ゴリ森山パターンか、あるいは逆に強豪チームのスポット名物選手、レッズ岡野やジュビロゴンみたいな。なんか、普通だったな。伝記ライターとしては困るよ、物語を感じなくて。(笑)
大宮のU-12コーチか。子供は、好きそうですけどね。(笑)
そうですねえ、動ける内に、海外行ってみて欲しかったかも、知れないですねえ。
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