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サカヲタ的政治改革案
2009年03月09日 (月) | 編集 |
政治不信の風潮窮まる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?(何この挨拶)
・・・・いや、別に小沢が金もらったとか麻生坊ちゃんが他人事だとか、そういう理由で書くわけじゃあないんですけどね。前からボヤッと考えていたこと。

と言ってどこまで出発点を遡っていいのかもよく分からない「政治不信」、この国やその政治への「絶望感」ですが、色々とトピックスはある中で、あえて一つだけ、要するに肝はこれだろ?と取り出してみるとすると、それは『実行能力の欠落』ではないかと思うんですけどね。”行政力”、というか。
・・・・つまり、だから小泉は人気があったわけで。正直最初はともかく、郵政選挙で小泉に大勝ちさせてしまったのには、駄目だこりゃと僕は思いましたけど。後に来るだろう後悔先に立たずの小泉叩きを、俺は聞く耳持たんぞと。入れた奴は言う資格無えぞと。

話戻してとにかく世につれ人につれ、色んな政策やヴィジョンが時々語られて、そのどれがいいかとかあるいはヴィジョンが曖昧なことが批判されたりとか、そういう論議は絶えないですが、本当に問題なのは、絶望や無関心の根底にあるのは、要はどれ一つとしてまともに実行はされまいという、妥協で骨抜きになるか、代表的には官僚等の当該既存勢力に潰されるか。ずーっと見てると、そういう運命論と無縁でいるのは、かなり難しいですよね。

ちゃんとやれというのとさっさとやれというのと、後者はそうじゃないと関連要因の数だけ増えて、そもそも良かったのか悪かったのか、どれが原因なのか、まともに「検証」して今後に生かすのも、難しくなって来る。
だからとにかく、何でもいいから「やる」「やれる」体制が作られてくれないと、どのみち一発の完璧な回答なんてあるわけないんだから、ポリシー以前に”進む”状態がまず作られてくれないと。それが民主党≒「政権交代の可能な二大政党」への儚い期待であるし、逆に民主党の頼りなさからしつこく自民党を支持する人の、実は立場違っても願い・理由は同じではないかという。

ただこれは実は日本だけの問題ではなくて、大きく”民主主義””議会制”をとっている国の国民が、多かれ少なかれ感じているジレンマだと思います。公平は結構だけど、おかげでなっかなか物事が進まないし、やたら事態が複雑になる。逆に現在「民主主義」体制にない国の責任者・権力者たちが、必ずしも自分たちの権益を手放したくないという理由だけでなく、(政治的)”民主主義”に二の足を踏む、一つの理由だとも思います。そんな明日は明日の風を吹かせるような無秩序に、それと分かってさらされるのはごめんだと。
実際特に色々と行き詰った「民主主義」国家が、その反動で”独裁者””強い指導力”を求めるというのは、古今に大小絶え間の無い例があることなわけで。大:ヒトラー、小:コイズミ?(笑)

ただそれはそれでやっばりちょっとマズい、伊達に民主主義が発明・選択されて来たわけではないんだということも、みんな普通の精神状態の時には分かっていて、それで渋々、半ば永遠の政治的停滞の中に戻って行くわけですが。・・・・と、ここまでは誰でも書ける話。


実は解決策はあるんですね。というか知ってるんですね、我々は、実例として。
我々・・・・つまりサカヲタのことですけど(笑)。まあ、別に他のスポーツでもいいんですけど。
答えは簡単です。「監督」です。我々が日々目にしている、お世話になっている。苛めている。(笑)
監督という”システム”というか。言わば「政治制度」。

具体的には、まず(サッカーの)監督は、絶大な権力、行政力、実行力を持っています。少なくとも任期中の現場では、多少のクラブ事情の差はあれど(笑)、堂々と独裁者として振る舞って、思うように、可能な限り速く、チームを自分の望む形に構成し、必要なら変革し、導いて行きます。そのこと自体には、何ら誰も原理的な反対はしません。運用によって、一部心証を害する場合はあっても。
そしてその「独裁体制」は、時により上手く行ったり行かなかったり、クラブを栄光と発展に導いたりどん底に落としたり結果は色々ではありますが、とにかく過程と因果関係と責任の所在は、一般”政治”とは比べ物にならないくらい明確迅速に形として見えます。

そもそもこのような分かり易さ話の速さが、時に国民が自らの自由と権利を多少犠牲にしても、”独裁者”を求めることのある理由なわけですが、しかしその願いの多くは、集中した権力が固定・腐敗し、自己増殖だけを目的にただただ国民から”奪う”のみというそういう事態に帰着するのは、歴史の教える通り。

でも(サッカーの)「監督」の場合は違います。この”独裁者”は、確かに独裁者ではあるんですが、一方ではいち被雇用者でもあって、えらくあっさりと首を飛ばされます(笑)、すげ代えられます。言わば、政権交代(いつでも)可能な独裁体制です。失敗した独裁者が、権力の維持だけを目的化して居座る、与えられた権力を悪用するような事態は、まず起こりません。システム的に無理です。

そしてこのほとんどお手軽にも近い”交代可能”性は、単に失敗のフォローや権力の固定の防止というだけでなく、もっと積極的な意味・メリットも持っています。それは様々な「政策」や「政治理念」を、様々な監督・為政者が繰り返し実演して入退場を繰り返すことによって、それらの妥当性や効果を、誰の目にも分かる、勿論実地に基づいた形で、検証&内容のブラッシュアップが出来るということです。更に言うならば、言語上同じような「政策」が実際に上手く行く場合と行かない場合の、様々な環境や条件や、”政治風土”などの細かい部分まで、恐らくどんな政治学者よりも恵まれたデータやケーススタディのチャンスを、ごく一般のファン、”国民”が手にすることが出来ます。(出来ています)

いやあ、凄いですね。明快で遅滞の無い実行力と、同じくらい遅滞の無い、柔軟な人材・体制の流動性・交代可能性と。両立不可能だと思われて来たジレンマを見事に解決している、夢の政治システムじゃないですか。(笑)
実際優れたモデルなのではないかと、真面目に思いますけどね。”ジレンマ”の解決された状態の、理論的というより感覚的に分かり易い、「手本」という意味でもね。こういうタイプの『監督』が活躍するスポーツを愛好する国の国民なら、明日からでも運用可能なんじゃないでしょうか。どうすればいいのか、みんな分かっている。

期間限定の独裁制。権力の”集中”と”固定”は、実は別だったという話ですが。


問題は、誰がその独裁者の”クビ”を飛ばすか仕事のチェックをするか、その決定権を握るかということですが。
サッカーの場合はご存じのとおり、クラブフロント、なわけですね、総称して。
その仕事ぶりに多くは”国民”は満足していないわけですけど(笑)、これも簡単に言ってしまえば監督交代と同じで、適宜頻繁にその「決定」がなされることによって、トータルで成功不成功が均らされるというか、仮に失敗しても”取り返し”がつくというか。現実に、凡庸な”フロント”がたまたま名監督を引いて大躍進したり、逆に良心的なフロントが考えに考えて良かれと思って破滅的な監督を引っ張って来たり、なまじ真面目だからこだわって傷を深くしたりなんてことはそんなに珍しくなくあるように見えて、悲喜劇ですよね。
・・・・つまり決定者の資質そのものは、それほど厳格に考える必要は無いのではないかと思います。それは「監督」、政策実行者の方の資質で、ほぼ代用される。要は固定されたり、「監督」の権力が職域を越えたりするのを許さなければいいだけの話。

話戻してシステム的に言えば、「監督」という現場・現実政治の実行者の職域の、「外」にもう一枚、権力機構が必要になるわけですね。歴史上の実在から連想するとすれば、どうしても「王家」や「天皇家」(特に近代におけるそれ)みたいなものが、候補として思い浮かびますが。もしくはローマの皇帝に対する、「元老院」とか。
単なる立憲君主制?いや、もうちょっと強いですね。「王」による(「監督」や「首相」等の)行政責任者の解雇に、手続き的な縛りはほぼ無いわけですから、少なくともサッカーのモデルでは。れっきとした独裁権ですけど、相手も独裁者ですからこれくらいの問答無用の強さは無いと。

その「独裁者の上の独裁者」に対する、常任的なチェックが出来るか必要かというと、それはむしろノーだと思います。それを(それこそ”議会”のような)常任機関がやると、回り回って結局単なる民主主義・従来的議会制の変形になってしまう。話がどっちにも進まない状態が、また生じてしまう。そこはあえて、”恣意”でいい。「人治」というか。
ただ勿論、ここでも”集中”はいいけど”固定”はまずいので、「王」の座にも審判は必要で、そこは近代以前の王制的なものとはやはり違う。具体的には、『選挙』になるでしょうね、何らか。誰もが思い浮かべるのは、バルサ等ヨーロッパのビッグクラブの、「会長」選挙でしょうが。まああんな感じでいいですよ。

ここで言っておきたいのはですね、「監督」=行政担当者に対する、直接のチェック必要無いということです。むしろやってはいけない。監督は原則、”民意”なんてものには左右されず、信じるところを思い切りやればいい。成功しても失敗しても、そこで”白黒”つくことが、上で言った「政策研究」上の有効データともなるわけですし。そこはもう、改めて言いますが、『独裁者』でいいんです。じゃないとシステムの根本が、骨抜きになる。
勿論人間ですから”空気”(笑)は感じるでしょうし、自分のポリシーのチェック要素の一つとして「無言の大衆的知」としての”常識”や”世論”は、気にするのは悪くないですけど。ただ直接的に、クビを脅かされるのはまずい。そこはそれこそ、よくそういう発言があるように、「上」の人たちが「守」ってあげるべきです。

・・・・余談ですが、僕が好きなアメドラを見ていてよく腹が立つ、違和感があるのは、選挙で選ばれる「地方検事」や「保安官」が、次の選挙をにらんで”民意”を気にして、法的判断にバイアスがかかるという割りとあるらしい光景。
あれは我慢ならんですね。絶対導入して欲しくない。あんなんで裁かれちゃたまらん。「司法の独立」というのは、ある意味”常識”に対する”理”の独立ですから、そこに変なものが混じるのは非常にまずい。
あんまり関係ないかも知れませんが(笑)、何でも選挙と民意でいちいちやるなよという、そういう一例でした。

で、そのように「監督」そのものは別次元に置いておいて、その処遇を左右する「上」については、選挙と民意でいいと思います。それくらいの少し間接的な”影響”でちょうどいい。
この場合、ある程度任期は相対的に長い必要があると思いますけどね。・・・・つまりいち会長にいち監督では、結局監督を直接選挙で選ぶのと同じになってしまうので、平均して2,3人は、一人の「会長」の下で監督が交代するのが自然なような、そういう任期の長さは欲しい。サッカーだと監督自体が一年前後なので4,5年でいいかも知れませんが、現実の政治だともっと長くなりますかね。10年か、15年か。まあ細かいことはその時(?)に考えるとして。勿論いい「監督」だったら、ずっと続けてくれても、構わないですけど。


だいたいこれくらいで、アウトラインは見えて来るかと思いますが、いかがでしょう?(笑)
要はサッカーにおける「権力」のありように、この「監督」というシステムに、なんだかんだ概ね満足しているということですけど。誰が定めたわけでもないでしょうけど、なかなかの合理性ではないかと。
ただしその「上」については、現状ほとんどのクラブにおいて”民意”の反映はなされていないわけで、勿論不満はあります。やってみないと色々と分からないことがあるでしょうから、そのデータが得られないという、”不満”(笑)も。

” システム”という型通りの次元の話とは一応別に、むしろ近代に、議会制政党制が一般化したからこそ、実はその「外」にある”王”や”天皇”的なものに対するノスタルジーも、実は結構普遍的に無くはないんじゃないかとも、思うところはあるんですけどね。二段構えであることの、安心感というか心のゆとりというか。意外と各国民、王様好きでしょ?(笑)
そこらへんも、活かせるものなら活かしたい。

というわけで立候補します
・・・・いやいや。嘘ですけど。でも誰か使ってくれないかなこのモデル。悪くないと思うけどな。
ていうかあれですね、現行システム内でこれを実現するのはなかなかに難しくて、例えば日本でやろうとすると現実の「天皇」制とそれへ思い入れする勢力が逆にネックになるかも知れないし、何よりもそもそもの政治的優柔不断としがらみの百鬼夜行が、こんな大胆な変革の実現を許してくれるとは思えない。国民もマスコミも、習慣的揚げ足取りで足を引っ張るかも知れないし。サカヲタの皆さんだけは、味方してね?!(笑)

となると・・・・革命かあ、やっぱり。血を見るのも恐れてはいられないだろうな。ふむ。体鍛えなきゃな。
まあそこまで行かなくても、こういう時は、これくらい大変革の提案があるのなら、直接投票の国民投票というのも、やる価値はあるかも知れないですね。
でも天皇制どうしようかなあ。やっぱ問題だな、日本の場合。僕自身別に嫌いじゃないしなあ。「外」の、更に「外」に置くか。それでもいいか。うむ。


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コメント
この記事へのコメント
うーん、内政だけなら面白いかも。でも外交まで自由だと簡単にリセットボタンを押せないので怖いかな。たとえば、遠藤を右SBにコンバートしただけなら元に戻せばいいですけど、カタールに売っちゃったら買い戻すのは大変だろうなぁ的な心配が・・・ (素人臭いツッコミですみません)
2009/03/10(Tue) 01:10 | URL  | まじぽか #Ri8SPbGE[ 編集]
コメントどうも。
僕もこの分野は、完全素人属性で書いてるのでお気になさらずに。

なぜピンポイントで”遠藤右SB”が比喩なんだろう、引退した兄貴の方の「遠藤」ならありそうだけどとちょっと戸惑いましたが(笑)、要するに具体的に何を指しているというよりも、任期中にやらかした”変化”のスケールの問題ということでアバウトに受け取ってOKなんですよね?(笑)

という前提でこちらもアバウトに答えますと、「権力」のありようとしてサッカーの監督をモデルとしているだけで、施策の種類としては基本的に今までの為政者と同じ(やって行くうちに変わる/発明されるかもしれませんが、今のところ特定までは出来ません)はずなので、そういう意味では特に新たな危険はないというイメージで書いています。違うのは「実行力」だけ。書き洩らしましたが、基本法としての『憲法』的なものの拘束力も、当然「改憲」は必要でしょうが(かなりシンプルになる?)健在という前提で書いています。

外交の一貫性の維持という問題自体は、どのような政体でも「政権交代」が行われる限りでは、つきものですしね。
いずれにしても本当にやるとなったら、大変ですね。とりあえず「行政」と「立法」の関係をどうしようというのを、喫緊の問題として考えなければなと(笑)、書いた後で。多層化かなあと思いますが。例えば「法律」と「条例」みたいに。恒常性の低いのや細かいのは、ある程度時の「監督」に好きにやらせてしまう。

根本的にはそんなに「日本」の姿自体を、変えるつもりは無いんですよね。”革命”とか言ってるのも、あくまで方便なので、”社会”自体に文句があるわけでもない。
2009/03/10(Tue) 09:14 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
ん、政治的話題とは珍しい。

ローマ帝国では「改革」するために臨時独裁官(確か5年の期限)を設けて、ひたすら政策を通して構造改革していたようですね。塩野先生も、かなり前からこれを提唱してました。最近では「大連立して2年間ひたすら経済対策の法律を粛々と通せ」と書いたような。
ただ今の日本はアメリカと中国から独立してないので、この制度を採用しても外圧が邪魔して、そんなに効果を上げないような気がしますね。

安部政権の「戦後レジュームからの脱却」が今の日本にはまず必要でしょう。麻生政権は、個人的にはよくやってると思いますよ。民主党がなんでも反対して経済対策法案が進まないだけで。あとは左翼反日マスコミ(特に朝日とTBS)が異常な揚げ足取り(+民主党への応援報道)してるので印象は良くないですがね。
ただ自民党自体は支持してません。ただ今の民主党執行部(小沢、菅、鳩山、岡田、輿石)が政権を取ると、日本はやばい状態になるでしょう。人権擁護(弾圧)法案、外国人参政権、二重国籍、日教組教育の復権、さらに沖縄&竹島&尖閣譲渡、東アジア共同体推進、で暗黒時代が訪れます。

自民党の中にもこういう考えをしてる議員はいますが、民主党の方が執行部にこういう考えが多い分、やばいですね。前原誠司あたりの若手に世代交代してもらわないと2大政党制なんて危なくてできません。
まずは政界再編でしょうねえ。愛国派と親中国・朝鮮半島派と親アメリカ派と3つぐらいに別れた方が国民には分かりやすいでしょう。その後、教育、マスコミ、国防(一番の問題は対中国共産党の侵略政策)の問題を解決し真の独立をした後で、臨時独裁官でも王様システムを導入した方がいいと思います。

2009/03/10(Tue) 10:57 | URL  | ロビー #JalddpaA[ 編集]
大統領制ってこと?
2009/03/10(Tue) 12:50 | URL  | サンガサポ #-[ 編集]
>ロビーさん
エラい具体的ですね(笑)。恐縮です。
民主党が変に大きくなる前は、僕も是々非々的「政界再編」を強く願っていたんですが、一つタイミングを逃してしまった感じですね。小泉の登場も、推進するようで足を引っ張るような、変な効果になってしまいましたし。そうこうする内に”若手議員”たちも偉くなって、「立場」で発言するようになってしまって。
ただいずれにせよ現状は現状として、そもそも「政党政治」ってほんとに可能なのか的な疑問は、多くの人が絶望に近い疑問を感じているところなのではないかと思います。”再編”もその一つですが、まとまること、まとまってヴィジョンを出すこと、それで動くこと、一つ一つがどうにもめんどくさ、という感じで、滅多に実現しないかスピードが遅過ぎるか。
それでもう少し小回りが利いて、かつシステムとしてはそれなりの恒久性のあるものをということで、たまたまよく知る(笑)実例から、構想してみたということですけどね。
ローマの話は興味深いですね、勉強してみます。

>サンガサポさん
大統領=監督かという意味なら、現存する”民主主義国家”体制の中では比較的近いかもしれませんが、僕のはそれよりだいぶ権力というか自由裁量の余地が大きい感じです。
国体(?)としてという意味なら、勿論大統領制ではありませんね。大統領(にあたる行政官)の外/上に、もう一枚権力機構があるわけですから。行政官を選挙で選ばないという意味でも、そうです。
なんか誤解してませんよね?僕。
2009/03/11(Wed) 06:51 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
反応が遅くて恐縮です。
参政権を持つ有権者がデモという示威行動をすることの整合性に(投票で示せばいいじゃん的な)若干の疑問を感じる者として、人事権のないサポがスタジアムでの示威行動(例:「○○辞めろ!」というダンマク)を敢えて取ることで空気を示す→フロント・監督は基本的に空気を読む必要はないけど圧力はかかるというのは、非合理的な意思が結果的に合理的な決定を促すというよく出来た統治制度かもしれません。システムそのものに矛盾や余白を残しておくことの有用性でしょうか。フロントがサポの要求に屈するようになると逆に機能しませんが。
システムへの「天皇」制の組み込み方にかけては「ラモス」の運用で経験を積んでいらっしゃるヴェルディさんが一番分かっていると思います。
2009/03/13(Fri) 01:09 | URL  | palop #-[ 編集]
palopさんども。

>システムそのものに矛盾や余白を残しておくことの有用性でしょうか。
資本主義にしろ、民主主義にしろ、結局のところ誰もこれといった対案が無いというか、そもそもイデオロギー的な構図に持ち込むこと自体が不毛な感じがするので、後はなるべく複層的に組み合わせを工夫して、機能性と安全性(遊び)を高めて行くということかなあと。
と、加えるところの明示性が、「監督」というイメージ/比喩によって与えられるというのがこのプランの売りですが(笑)、まあ正直たまたまです。初めに「監督」ありき。あ、これ使えるじゃん!という。

なかなかね、「大衆的選択」と、複層性や留保は、相性が良くないんで。こういうんでもないと、プレゼンテーションが難しいんですよね。
本当はいい政策も散発的に出たりしてるんでしょうが、僕自身、田原総一郎に言われるまで(笑)気付かなかったりするし。

ラモスは天皇というにはちょっと生臭い(笑)というか、運用しきれてないというか。むしろそれこそペトロヴィッチの浮き世離れ性を、何やらいつの間にか、上手く実用化してるじゃないですか。(笑)
2009/03/13(Fri) 21:10 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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