2009年03月30日 (月) | 編集 |
僕は普通に、狂喜していましたけどね。(笑)
J2第5節 東京V ○1-0● 栃木SC(国立)
一つ一つの勝ち点が、愛おしくて仕方ありません。全ての得点は”奇蹟”です。そういうレベル。
飯尾が先発で河野が真ん中にいるので、一瞬ダイヤモンド(河野トップ下の飯尾大黒2トップ)かと思いましたが相変わらずの4-5-1か。ただもう片方のサイドハーフが滝澤なので、相対的に2トップぽくなることは多かったような気はします、ちゃんと攻められてる時はですけど。(笑)
この布陣については、一つはまず、とことん河野を”ウィング”だとは捉えていないんだなと。逆足の次は真ん中かよと。同日のナビスコのFCの大竹の、左サイドからの見事な決勝シュート(MXテレビです)などを見てしまうと、やっぱ若いもんは正々堂々、利き足サイドを強行突破(?)して欲しいよなと、どうしても思ってしまうんですが。・・・・いや、別に河野が「卑怯」だというわけではないんですけど(笑)。そもそも監督の指示だし。ただし大竹のそのプレーは、初期位置右に配置された、そこからなんかゴーッという感じに左に流れてからの、そういうプレーでしたけど。可愛い顔してやる時やるんだよね、あのコは(笑)。まあいいや。
もっと言えば、ほとんど河野を”ゲームメイカー”的に設定しているのかなと、だから片側は”砲台”タイプの滝澤でいいという、そういうこと?この前(”滝澤がゲームメーカー”)と違うこと言ってますが。(笑)
開幕戦の3トップの逆サイドも、そう言えば(本職FWの)飯尾でしたしね。もし河野がウィング属性なら、それこそレアンドロですが相対的にMF属性の強い選手を置いてもおかしくはないわけで。CFがゴリゴリでないのが、分かり切っている構成では。
更にその河野を今までは大黒の下には使ってなかったのは、このポジションが基本的には”FW”のものであるという、そういうことになりますか。これはこの前の繰り返し。
過密日程でほとんど体調管理しか出来なかったと監督がはっきり言ってるので、基本的には水戸戦とやり方は同じであると、そう考えていいわけですが。ただ見た感じとしては、このシステムでの2節セレッソ戦以来のここまでの3戦とは違う印象もあって、つまり一般的には一番ちゃんと攻撃出来たと目されている富山戦や、その後の経過ですっかり忘れられているだろう(笑)、それなりに積極的に攻撃もしていた水戸戦の序盤に見られた何人かでサイドを崩す形ではなく、各個撃破とひらめきと中央突破の、つまりは所謂”ヴェルディらしい”スタイルに、妙に近い印象が僕はあったんですけど。
前回苦境脱出の処方箋の”3”として、「システムにこだわらず、使える選手・元気な選手の効果的な組み合わせから始める」を挙げた立場としては、最初ダイヤモンドかと思ってたこともあって、思い切ってシンプルなやり方に徹しているのかなと思いかけましたが、どうも違うようなので結局単に、河野が中央に入ってサイドの攻め手が減ったので、ネガティヴな意味でヴェルディらしく”なって”しまったと、そう考える方が妥当なのかな。
でも真面目に前半はそんな悪くなかったと思うんですけどね。今まで一番、選手が素直に”踊って”いたようにも。それがなかなか決定的な形にも効率よくもならないのは、それはもう、このやり方(が低レベルでやられた時)の宿命みたいなもので。
とにかく何か、分かり易い「基本線」を引くべき、というのが、3つの”処方箋”に共通する趣旨なわけですが。
漠然と「組織的」とか言っててもねえ。監督を責め立ててもねえ。
ただそうして個人中心でバラバラな分、水戸ほどでもなかった栃木のプレスへの抵抗力に、余計問題が出易かったというのは、結果としてあるかも知れません。とりあえずのボールの運び方というのが、今までにも増して無かったので。まあ肝心の河野のトップ下自体が、余り効いたとは言い難いというのも、前提としてありつつ。
システムも含めてまだ方針自体がよく分からないので、全体的なことは次の仙台戦に、さぞかし意識を新たに練習するのだろう一週間後の試合に、持ち越しという感じです。「修正」というより「基本形」「大方針」の方を、僕は見たいと思っているんですが。この際だから4-3-3でも戦術レアンドロでもいいですよ。どんどん基準が下がってますが(笑)、実際そういう事態なんだからしょうがない。認識は変わらなくても評価は変わるものです。(笑)
で、さっさと気楽な(?)個別の話に移ると、まず今やレアンドロに次ぐイロモノ選手と化している滝澤選手ですが、実際なんかいよいよもって、妙な選手だなと。
消える時間が多いとか、シュートだけで組み立てに加われないとか、そこらへんは当たり前(涙)としても、一番あり得ねえなと思うのは、レフティのサイドハーフで、これまでの選手生活のほとんどをそういう役回りで過ごして来たはずなのに、開いてボールを受けた時に、そこから切り込んだりクロスを上げたりという具体的なイメージが、全くと言っていいほど感じられないことです。なんか、「ああ、ボール来ちゃった」と、ボーッとしてません?(笑)。やってみたけど引っかかったとか合わなかったとかそれ以前の問題で、どういうタイミングでどういうプレーをしようとしているのか、見てて全然分からない。
ちなみに藤田も結構、”ボーッ”としている瞬間がありますけど、それはやるべきプレー/やりたいプレーはあるんだけど、瞬発力的問題で実際に今それをやったら100%失敗するから、それが分かるから仕方なく立ち往生しているという、そういう事情です。(笑)
滝澤ももうすぐ31ですから(’78.4.20生)ひょっとしたら同様の問題があるのかも知れないですけど、でも藤田がやろうとしているプレーは、少なくとも俺は見てて分かるぞ?(笑)。どうなってんだ。
しかし、シュートはいい。ほんとにいい。銭取れる。ったくこの岩本テルめ。(笑)
テルもプレースキックが絶品な割りに、流れの中からはロクなクロスも上げなかったですからね。あるんですよね、”サッカーセンス”という問題が。
ほんとにどうやって使ってやろうかと、レアンドロ同様、半ば意地になって思うんですけど。(笑)
中盤で使うなら、サイドはすっぱり捨てて中央で使うか。判断や瞬間的反応に問題があるのなら、一列下げて余裕を与えたら、意外と正確なサイドチェンジで唸らせてくれたりしないか。幸いテルと違って、別に強くは無いけど守備意識に大きな問題があるわけではないですし。
でも本当はやっぱり、サイドバックでしょうね。一番近いのはノリカルか。左肩上がりの変則4バックみたいにして、彼の上がりとロング砲を、チームとして最初から意識する、重要な戦術にする。意地悪く狙って来そうなチームには・・・・出さない(笑)。後半スペースが空いてからの投入でおk。
とにかくチームのベースを作る選手として信じて疑わないらしい高木監督の認識は、速攻改めて欲しいですね。”買う”のはいいんですよ、それだけのものが無いわけではないでもない(笑)選手ですから。でも無条件に当てにするのは、止めてもらいたい。荷が重いというより、お門が違う(笑)。イロモノですよイロモノ、高木さん。
まあ和田もここらで頭の整理が必要かもしれないですし、右の方は守備の強い選手(岩倉とか)使って・・・・とか、考えるのは楽しいですけど、1週間じゃ無理か。ていうか遊んでる場合じゃない?(笑)
でも滝澤とレアンドロを使い切れたら、多分昇格出来ますし、J1ですら通用するかも知れない。どのみち今みたいに、中盤が非力なのに漠然と”攻撃的”なサイドバックを左右揃えても、あんまり意味があるとは思えないですし。
他に注目選手は・・・・と、ああ、この試合だとあんまりいないか。永里は加入時の評判だと気まぐれドリブラーっぽくって、ウチの下部組織出身というのがまたそれに輪をかけて信頼性を疑わせていましたが(笑)、ほんとに献身的なタイプみたいですね。飯尾は勿論、河野より更にある意味盲目的に突撃する潔さがあってこれはこれで貴重な感じ。だからこそあのPKも、そんなに不自然な感じは僕はしなかったんですけどね。触れた触れないというよりも、強引に”流れ”を引っくり返す迫真性という意味でね。”やったぞ”という手応えがあった。”拾った”というより。だから割りと、素直に喜べたんですけど。
そして基本的には大黒の言う通り(「PKが入ったから勝ったというわけじゃなくて、その前に体を張ってみんなで耐え抜いたからこそ、あのPKが生まれた。そのこともわかってほしいと思います。」)で、ああいうプレーが生まれそうな感情的必然性は、チームには残っていたと思います。戦術的には棒立ちでしたが、決して切れてたわけでも折れてたわけでもなかった。
もっと酷い”ヴェルディ”やもっと酷いチーム、それこそ勝ちを「拾う」ことすら出来る状態に無いチームは、いくらでも見て来たと思うんですけどね。未整備なのはしょうがない、そうなんだから。でもそれが即ち、”腐ってる””壊れてる”ことにはならないと思いますけどね。その区別は、僕はつけたい。
勿論その未整備を放置したら、前監督と同じになりますし、幸運にも拾った「結果」を自分の正当性の強弁にしか使えないんだったら、前々監督と同じになってしまいますが、少なくとも高木監督の場合は、「結果」をむしろ恥として戒めとして感謝すべき”猶予”として、一目散に内実のフォローアップにいそしもうとする、そういう精神性は持っている人だと、僕は思ってますが。
後は出来るかどうかで。それが仕事の記者ならともかく、僕らが言わずもがなの嫌味を言って、別に鋭くもない”実態”の指摘なんてするのは、違うような気がしますけど。”分かって”なさそうなことなら(笑)、手柄面して僕も指摘しますけど。
まあ冒頭でも言ったことですけど、とにかく出発点が低いんでね。とりあえず「人心地」つく為に、現時点での結果は全く何の割引も無く、重要で貴重だと僕は思いますが。
ほとんどフィットしないままやけに嬉々として頑張る大黒の、しかも感情を前面に押し出したゴールであることも含めて、凄く”チーム”の点だなあと、勝つと勝たないとは大違いだよなあと、ひょっとしたら後々「転回点」として語られる可能性もある試合だなあと、そう割りと素直に、僕は感動していたんですけどね。
チームを作るって、大変なんだよ。必然の部分も、偶然の部分も。
拾おうとしないと拾えないものも多いし、少なくともやる気になっている人の、邪魔をしてはいけない。
あんまり理屈に走るなよ、もっともらしいものが正しいとは限らないぜ、と、これは高木監督にも言いたいですけどね。(笑)
J2第5節 東京V ○1-0● 栃木SC(国立)
一つ一つの勝ち点が、愛おしくて仕方ありません。全ての得点は”奇蹟”です。そういうレベル。
飯尾が先発で河野が真ん中にいるので、一瞬ダイヤモンド(河野トップ下の飯尾大黒2トップ)かと思いましたが相変わらずの4-5-1か。ただもう片方のサイドハーフが滝澤なので、相対的に2トップぽくなることは多かったような気はします、ちゃんと攻められてる時はですけど。(笑)
この布陣については、一つはまず、とことん河野を”ウィング”だとは捉えていないんだなと。逆足の次は真ん中かよと。同日のナビスコのFCの大竹の、左サイドからの見事な決勝シュート(MXテレビです)などを見てしまうと、やっぱ若いもんは正々堂々、利き足サイドを強行突破(?)して欲しいよなと、どうしても思ってしまうんですが。・・・・いや、別に河野が「卑怯」だというわけではないんですけど(笑)。そもそも監督の指示だし。ただし大竹のそのプレーは、初期位置右に配置された、そこからなんかゴーッという感じに左に流れてからの、そういうプレーでしたけど。可愛い顔してやる時やるんだよね、あのコは(笑)。まあいいや。
もっと言えば、ほとんど河野を”ゲームメイカー”的に設定しているのかなと、だから片側は”砲台”タイプの滝澤でいいという、そういうこと?この前(”滝澤がゲームメーカー”)と違うこと言ってますが。(笑)
開幕戦の3トップの逆サイドも、そう言えば(本職FWの)飯尾でしたしね。もし河野がウィング属性なら、それこそレアンドロですが相対的にMF属性の強い選手を置いてもおかしくはないわけで。CFがゴリゴリでないのが、分かり切っている構成では。
更にその河野を今までは大黒の下には使ってなかったのは、このポジションが基本的には”FW”のものであるという、そういうことになりますか。これはこの前の繰り返し。
過密日程でほとんど体調管理しか出来なかったと監督がはっきり言ってるので、基本的には水戸戦とやり方は同じであると、そう考えていいわけですが。ただ見た感じとしては、このシステムでの2節セレッソ戦以来のここまでの3戦とは違う印象もあって、つまり一般的には一番ちゃんと攻撃出来たと目されている富山戦や、その後の経過ですっかり忘れられているだろう(笑)、それなりに積極的に攻撃もしていた水戸戦の序盤に見られた何人かでサイドを崩す形ではなく、各個撃破とひらめきと中央突破の、つまりは所謂”ヴェルディらしい”スタイルに、妙に近い印象が僕はあったんですけど。
前回苦境脱出の処方箋の”3”として、「システムにこだわらず、使える選手・元気な選手の効果的な組み合わせから始める」を挙げた立場としては、最初ダイヤモンドかと思ってたこともあって、思い切ってシンプルなやり方に徹しているのかなと思いかけましたが、どうも違うようなので結局単に、河野が中央に入ってサイドの攻め手が減ったので、ネガティヴな意味でヴェルディらしく”なって”しまったと、そう考える方が妥当なのかな。
でも真面目に前半はそんな悪くなかったと思うんですけどね。今まで一番、選手が素直に”踊って”いたようにも。それがなかなか決定的な形にも効率よくもならないのは、それはもう、このやり方(が低レベルでやられた時)の宿命みたいなもので。
とにかく何か、分かり易い「基本線」を引くべき、というのが、3つの”処方箋”に共通する趣旨なわけですが。
漠然と「組織的」とか言っててもねえ。監督を責め立ててもねえ。
ただそうして個人中心でバラバラな分、水戸ほどでもなかった栃木のプレスへの抵抗力に、余計問題が出易かったというのは、結果としてあるかも知れません。とりあえずのボールの運び方というのが、今までにも増して無かったので。まあ肝心の河野のトップ下自体が、余り効いたとは言い難いというのも、前提としてありつつ。
システムも含めてまだ方針自体がよく分からないので、全体的なことは次の仙台戦に、さぞかし意識を新たに練習するのだろう一週間後の試合に、持ち越しという感じです。「修正」というより「基本形」「大方針」の方を、僕は見たいと思っているんですが。この際だから4-3-3でも戦術レアンドロでもいいですよ。どんどん基準が下がってますが(笑)、実際そういう事態なんだからしょうがない。認識は変わらなくても評価は変わるものです。(笑)
で、さっさと気楽な(?)個別の話に移ると、まず今やレアンドロに次ぐイロモノ選手と化している滝澤選手ですが、実際なんかいよいよもって、妙な選手だなと。
消える時間が多いとか、シュートだけで組み立てに加われないとか、そこらへんは当たり前(涙)としても、一番あり得ねえなと思うのは、レフティのサイドハーフで、これまでの選手生活のほとんどをそういう役回りで過ごして来たはずなのに、開いてボールを受けた時に、そこから切り込んだりクロスを上げたりという具体的なイメージが、全くと言っていいほど感じられないことです。なんか、「ああ、ボール来ちゃった」と、ボーッとしてません?(笑)。やってみたけど引っかかったとか合わなかったとかそれ以前の問題で、どういうタイミングでどういうプレーをしようとしているのか、見てて全然分からない。
ちなみに藤田も結構、”ボーッ”としている瞬間がありますけど、それはやるべきプレー/やりたいプレーはあるんだけど、瞬発力的問題で実際に今それをやったら100%失敗するから、それが分かるから仕方なく立ち往生しているという、そういう事情です。(笑)
滝澤ももうすぐ31ですから(’78.4.20生)ひょっとしたら同様の問題があるのかも知れないですけど、でも藤田がやろうとしているプレーは、少なくとも俺は見てて分かるぞ?(笑)。どうなってんだ。
しかし、シュートはいい。ほんとにいい。銭取れる。ったくこの岩本テルめ。(笑)
テルもプレースキックが絶品な割りに、流れの中からはロクなクロスも上げなかったですからね。あるんですよね、”サッカーセンス”という問題が。
ほんとにどうやって使ってやろうかと、レアンドロ同様、半ば意地になって思うんですけど。(笑)
中盤で使うなら、サイドはすっぱり捨てて中央で使うか。判断や瞬間的反応に問題があるのなら、一列下げて余裕を与えたら、意外と正確なサイドチェンジで唸らせてくれたりしないか。幸いテルと違って、別に強くは無いけど守備意識に大きな問題があるわけではないですし。
でも本当はやっぱり、サイドバックでしょうね。一番近いのはノリカルか。左肩上がりの変則4バックみたいにして、彼の上がりとロング砲を、チームとして最初から意識する、重要な戦術にする。意地悪く狙って来そうなチームには・・・・出さない(笑)。後半スペースが空いてからの投入でおk。
とにかくチームのベースを作る選手として信じて疑わないらしい高木監督の認識は、速攻改めて欲しいですね。”買う”のはいいんですよ、それだけのものが無いわけではないでもない(笑)選手ですから。でも無条件に当てにするのは、止めてもらいたい。荷が重いというより、お門が違う(笑)。イロモノですよイロモノ、高木さん。
まあ和田もここらで頭の整理が必要かもしれないですし、右の方は守備の強い選手(岩倉とか)使って・・・・とか、考えるのは楽しいですけど、1週間じゃ無理か。ていうか遊んでる場合じゃない?(笑)
でも滝澤とレアンドロを使い切れたら、多分昇格出来ますし、J1ですら通用するかも知れない。どのみち今みたいに、中盤が非力なのに漠然と”攻撃的”なサイドバックを左右揃えても、あんまり意味があるとは思えないですし。
他に注目選手は・・・・と、ああ、この試合だとあんまりいないか。永里は加入時の評判だと気まぐれドリブラーっぽくって、ウチの下部組織出身というのがまたそれに輪をかけて信頼性を疑わせていましたが(笑)、ほんとに献身的なタイプみたいですね。飯尾は勿論、河野より更にある意味盲目的に突撃する潔さがあってこれはこれで貴重な感じ。だからこそあのPKも、そんなに不自然な感じは僕はしなかったんですけどね。触れた触れないというよりも、強引に”流れ”を引っくり返す迫真性という意味でね。”やったぞ”という手応えがあった。”拾った”というより。だから割りと、素直に喜べたんですけど。
そして基本的には大黒の言う通り(「PKが入ったから勝ったというわけじゃなくて、その前に体を張ってみんなで耐え抜いたからこそ、あのPKが生まれた。そのこともわかってほしいと思います。」)で、ああいうプレーが生まれそうな感情的必然性は、チームには残っていたと思います。戦術的には棒立ちでしたが、決して切れてたわけでも折れてたわけでもなかった。
もっと酷い”ヴェルディ”やもっと酷いチーム、それこそ勝ちを「拾う」ことすら出来る状態に無いチームは、いくらでも見て来たと思うんですけどね。未整備なのはしょうがない、そうなんだから。でもそれが即ち、”腐ってる””壊れてる”ことにはならないと思いますけどね。その区別は、僕はつけたい。
勿論その未整備を放置したら、前監督と同じになりますし、幸運にも拾った「結果」を自分の正当性の強弁にしか使えないんだったら、前々監督と同じになってしまいますが、少なくとも高木監督の場合は、「結果」をむしろ恥として戒めとして感謝すべき”猶予”として、一目散に内実のフォローアップにいそしもうとする、そういう精神性は持っている人だと、僕は思ってますが。
後は出来るかどうかで。それが仕事の記者ならともかく、僕らが言わずもがなの嫌味を言って、別に鋭くもない”実態”の指摘なんてするのは、違うような気がしますけど。”分かって”なさそうなことなら(笑)、手柄面して僕も指摘しますけど。
まあ冒頭でも言ったことですけど、とにかく出発点が低いんでね。とりあえず「人心地」つく為に、現時点での結果は全く何の割引も無く、重要で貴重だと僕は思いますが。
ほとんどフィットしないままやけに嬉々として頑張る大黒の、しかも感情を前面に押し出したゴールであることも含めて、凄く”チーム”の点だなあと、勝つと勝たないとは大違いだよなあと、ひょっとしたら後々「転回点」として語られる可能性もある試合だなあと、そう割りと素直に、僕は感動していたんですけどね。
チームを作るって、大変なんだよ。必然の部分も、偶然の部分も。
拾おうとしないと拾えないものも多いし、少なくともやる気になっている人の、邪魔をしてはいけない。
あんまり理屈に走るなよ、もっともらしいものが正しいとは限らないぜ、と、これは高木監督にも言いたいですけどね。(笑)
(追記)
問題の”ブーイング”の経緯についてはまぐさんが丁寧な説明をしていてそれはそれでなるほどなとは思いましたが、ただ僕などが基本的に違和感を感じる、えっと思うのは、
・そもそも、このままじゃ上がれないから選手に厳しくブーイングしようと決断
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
・ブーイング → 永里&大黒コール → 東京ヴェルディコール → 次頑張ろうの順を予定
の部分。
つまり・・・・ブーイングって相談してやってんの?という、えらい前提の部分。
ああいうのって思わず出る心の叫びだから、例え一般的観点からは”失礼”なことでも、受け止めようがあるんじゃないの?という。カッとなって殴った相手は許せても、待ち伏せして襲った相手は許せないでしょ?
示し合わせてやったら本当にただの圧力じゃんという。フロント相手の団交なら、結束して計画的にやるのは、当然ですけど。バラバラの個人である生身の選手相手にやることなの?という。
事実の解釈間違ってたらごめんなさいね。間違ってなかったらこれが僕の感じ方。
試合内容の評価以前の問題。
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この記事へのコメント
アトさんの疑問に答えられるかどうか分かりませんが、一応私なりに話してみると、
①団体に所属してる人間にもブーイングに対して肯定的な人、否定的な人いろいろいます。
②基本的にはしたくない、という意見が強いと私は感じています。
③最終的にチームのためになると思っているのは確かです。異論があるのは当然です。
④選手にメッセージとして届けたいと考えた場合、どうしてもある程度の数が必要になります。
⑤中心部分でブーイングが起これば、するべきだと思っていても、我慢していた人も同調できる。
⑥中心部分でブーイングをするかどうか、と悩む。(ケースバイケースです。一概に言えません)
⑦短い時間のなかで、ブーイングが起こっても止めないかどうか決断する。
という感じでしょうか。これは一例で全てじゃないし、他の人に聞いたらもう少し違う形の話もあるはずです。ブーイングは自然発生的に起こってしまう場合もあるのですが、基本的には抑制している面が強いと私は思っています。やっぱり、選手に感情をぶつけたくはないのが人情です。なんで試合中の単なる罵詈雑言(選手の人格否定とかね)というのは周りから注意されます。
そこを今後のために嫌だけどしよう、という見解なんですね。ここになるともうブーイングの意味合いをどのように位置づけるかという話になってしまうので、話がループしてしまうかもしれません。
①団体に所属してる人間にもブーイングに対して肯定的な人、否定的な人いろいろいます。
②基本的にはしたくない、という意見が強いと私は感じています。
③最終的にチームのためになると思っているのは確かです。異論があるのは当然です。
④選手にメッセージとして届けたいと考えた場合、どうしてもある程度の数が必要になります。
⑤中心部分でブーイングが起これば、するべきだと思っていても、我慢していた人も同調できる。
⑥中心部分でブーイングをするかどうか、と悩む。(ケースバイケースです。一概に言えません)
⑦短い時間のなかで、ブーイングが起こっても止めないかどうか決断する。
という感じでしょうか。これは一例で全てじゃないし、他の人に聞いたらもう少し違う形の話もあるはずです。ブーイングは自然発生的に起こってしまう場合もあるのですが、基本的には抑制している面が強いと私は思っています。やっぱり、選手に感情をぶつけたくはないのが人情です。なんで試合中の単なる罵詈雑言(選手の人格否定とかね)というのは周りから注意されます。
そこを今後のために嫌だけどしよう、という見解なんですね。ここになるともうブーイングの意味合いをどのように位置づけるかという話になってしまうので、話がループしてしまうかもしれません。
2009/03/31(Tue) 22:39 | URL | さわ #-[ 編集]
>ここになるともうブーイングの意味合いをどのように位置づけるかという話になってしまう
まあそうなんですよね。
”ブーイングのやり方”という次元と、そもそもブーイングを・・・・より正確には、ある程度以上の集団的計画的なブーイングを、「メッセージ」を「届け」る手段として用いるか、”メニュー”に入れるかという次元と。
僕が言ったのは多分、「行為」として根本の部分でマズいところがあるから、だからメニュー自体に入れるべきではないという、そういうことですかね。更に言えばその”マズ”さが、「効果」そのものも疑問視させる、つまり、”受け止め”られないだろうからという。
試合中と試合後と。
一人一人(自然発生)とまとまってと。最低2×2の4通りについて、考えるなら考えなくてはならないわけですが、少なくとも「試合後」の「まとまって」のブーイングについては、なかなか”良く”機能するイメージというのが、僕の中では現状わき難いですね。
ただ「団体」ならではの問題としては、それ自体に”熟練”する、良く機能する、伝達力に優れた集団ブーイングの作法を練り上げるとか、そういう可能性はあるかなと思いますが。要するに正規のコールとかと同じ次元でね。
”伝える”という行為は要は”伝わった”形が「正しい」のであって、伝わらなかったものが「間違っている」わけで。ある程度から先はもう、議論ではないと思いますから。やるのはどのみち、”伝えたい”人ですし。
>ブーイングは自然発生的に起こってしまう場合もあるのですが、基本的には抑制している面が強いと私は思っています。
なるほど。これは考えなかったですね。
出るべきものを、出してしまおうということですね。ふむ。
一応分かります、が、どうですかねえ。”我慢”とは言っても、別に選手が”権力”を持っていて、それでもって抑圧しているわけではない(”フロントとの団交”とは違って)わけですからね、言わずもがなですが。
結局はこれも、「ためになる」という効果の予測期待と、それと関連して、「届け」る行為の必要性の評価にかかってしまうんでしょうけどね。
「応援が力になる」なら、素敵なフェアリーテール(あえて言ってますが)でいいと思うんですけど、「ブーイングが為になる」というのは似てるようでそれよりだいぶ現実的な重さ/暗さがあるので、より慎重にというか、疑問の余地や嫌だと思う気持ちが半分くらいあるのなら、やらない方が無難ではないのかなあと、今のところの気持ちとしては。
まあそうなんですよね。
”ブーイングのやり方”という次元と、そもそもブーイングを・・・・より正確には、ある程度以上の集団的計画的なブーイングを、「メッセージ」を「届け」る手段として用いるか、”メニュー”に入れるかという次元と。
僕が言ったのは多分、「行為」として根本の部分でマズいところがあるから、だからメニュー自体に入れるべきではないという、そういうことですかね。更に言えばその”マズ”さが、「効果」そのものも疑問視させる、つまり、”受け止め”られないだろうからという。
試合中と試合後と。
一人一人(自然発生)とまとまってと。最低2×2の4通りについて、考えるなら考えなくてはならないわけですが、少なくとも「試合後」の「まとまって」のブーイングについては、なかなか”良く”機能するイメージというのが、僕の中では現状わき難いですね。
ただ「団体」ならではの問題としては、それ自体に”熟練”する、良く機能する、伝達力に優れた集団ブーイングの作法を練り上げるとか、そういう可能性はあるかなと思いますが。要するに正規のコールとかと同じ次元でね。
”伝える”という行為は要は”伝わった”形が「正しい」のであって、伝わらなかったものが「間違っている」わけで。ある程度から先はもう、議論ではないと思いますから。やるのはどのみち、”伝えたい”人ですし。
>ブーイングは自然発生的に起こってしまう場合もあるのですが、基本的には抑制している面が強いと私は思っています。
なるほど。これは考えなかったですね。
出るべきものを、出してしまおうということですね。ふむ。
一応分かります、が、どうですかねえ。”我慢”とは言っても、別に選手が”権力”を持っていて、それでもって抑圧しているわけではない(”フロントとの団交”とは違って)わけですからね、言わずもがなですが。
結局はこれも、「ためになる」という効果の予測期待と、それと関連して、「届け」る行為の必要性の評価にかかってしまうんでしょうけどね。
「応援が力になる」なら、素敵なフェアリーテール(あえて言ってますが)でいいと思うんですけど、「ブーイングが為になる」というのは似てるようでそれよりだいぶ現実的な重さ/暗さがあるので、より慎重にというか、疑問の余地や嫌だと思う気持ちが半分くらいあるのなら、やらない方が無難ではないのかなあと、今のところの気持ちとしては。
ども。相変わらず活動時間に目を見晴らされますね。
>”伝える”という行為は要は”伝わった”形が「正しい」のであって、伝わらなかったものが「間違っている」わけで。
ここは完全同意ですね。個人的には選手との関係はスタジアム内に限定したい、と思っているわけですが(選手はプレーで訴え、サポーターは反応で返す、スタジアムを出たらそこで終了)、現状お互いに理解してるだろ、と期待する部分があって後でフォローが必要になっていると考えています。
自身の記事では甘えって表現してるんですけど、ちょっと厳しすぎる言い方かもしれません。
選手の側にしても気持ちが切れていなかったのは高く評価したいんですが、その気持ちがあるならもっといいプレーができるだろう、という印象を多くの人に与えた面もありますし。
お互い「分かってくれてもいいようなものなのに」という部分があるように思えるんですよね。
私は以前からその部分を否定していた、応援にしてもブーイングにしても普遍的な説得力を持つことは難しいし、1回1回選手と確認しあうならやる意味は失われると思っているので、肯定的な意見は持っていませんが、最初のJ2陥落後、ようやくゴール裏の意思ってどう示すべきなんだろうという試行錯誤ができるようになったレベルなので、頭から否定するのもできかねるなあ、という感覚です。
>一応分かります、が、どうですかねえ。”我慢”とは言っても、別に選手が”権力”を持っていて、それでもって抑圧しているわけではない(”フロントとの団交”とは違って)わけですからね、言わずもがなですが。
結局はこれも、「ためになる」という効果の予測期待と、それと関連して、「届け」る行為の必要性の評価にかかってしまうんでしょうけどね。
です。あえて言うなら、過去のフロントとの関係においては、先方様のおかげで抑制する気持ちも失わせてくれて、自然に全体からブーイングが起こっているというのが実態ですが。
もうひとつの選択肢として、拍手も応援もしないというのをどこかで見かけましたが、逆にこれはブーイング以上にひどい行為ではないかと思うんですね。
表面的にはクールに思えるような気もするんですが、突き詰めると無視、無関係と表明しているのも同然なので。
応援者として曲がりなりにも結果を出してきた選手に対してそれはどうなんだろう、と。
仕事が追いかけてきたのでここはこのあたりで。まあ何にせよ広い意味での応援で疑念や疑問が沸き起こるのはいいことだとは思っています。
>”伝える”という行為は要は”伝わった”形が「正しい」のであって、伝わらなかったものが「間違っている」わけで。
ここは完全同意ですね。個人的には選手との関係はスタジアム内に限定したい、と思っているわけですが(選手はプレーで訴え、サポーターは反応で返す、スタジアムを出たらそこで終了)、現状お互いに理解してるだろ、と期待する部分があって後でフォローが必要になっていると考えています。
自身の記事では甘えって表現してるんですけど、ちょっと厳しすぎる言い方かもしれません。
選手の側にしても気持ちが切れていなかったのは高く評価したいんですが、その気持ちがあるならもっといいプレーができるだろう、という印象を多くの人に与えた面もありますし。
お互い「分かってくれてもいいようなものなのに」という部分があるように思えるんですよね。
私は以前からその部分を否定していた、応援にしてもブーイングにしても普遍的な説得力を持つことは難しいし、1回1回選手と確認しあうならやる意味は失われると思っているので、肯定的な意見は持っていませんが、最初のJ2陥落後、ようやくゴール裏の意思ってどう示すべきなんだろうという試行錯誤ができるようになったレベルなので、頭から否定するのもできかねるなあ、という感覚です。
>一応分かります、が、どうですかねえ。”我慢”とは言っても、別に選手が”権力”を持っていて、それでもって抑圧しているわけではない(”フロントとの団交”とは違って)わけですからね、言わずもがなですが。
結局はこれも、「ためになる」という効果の予測期待と、それと関連して、「届け」る行為の必要性の評価にかかってしまうんでしょうけどね。
です。あえて言うなら、過去のフロントとの関係においては、先方様のおかげで抑制する気持ちも失わせてくれて、自然に全体からブーイングが起こっているというのが実態ですが。
もうひとつの選択肢として、拍手も応援もしないというのをどこかで見かけましたが、逆にこれはブーイング以上にひどい行為ではないかと思うんですね。
表面的にはクールに思えるような気もするんですが、突き詰めると無視、無関係と表明しているのも同然なので。
応援者として曲がりなりにも結果を出してきた選手に対してそれはどうなんだろう、と。
仕事が追いかけてきたのでここはこのあたりで。まあ何にせよ広い意味での応援で疑念や疑問が沸き起こるのはいいことだとは思っています。
2009/04/01(Wed) 12:54 | URL | さわ #-[ 編集]
ふーむ。
総じて言うと、「やり」ながら、「試行錯誤」すると、そういう立場ということですかね。”関係”すること自体に意味があるというか。
普段からさわさんは、割りとそうですよね。(笑)(いやいや、まあいいんですけど(笑))
僕はむしろ、関係やコミュニケーションは、間接性や迂回・媒介性が本来で、特例/非常手段として直接性があるという、そんな感じて生きているもので。
興味はありますし、特段拒絶しているつもりもないんですけどね。不可視の部分の比重が大きいというか。
選手はどうなんですかね。なかなか「大前提」に遮られて、生の声が聞こえて来ることは少ないですが。
逆に切れてくれるかんぺーはかわいいというところは、あるとは思いますけど。
だから割りと、”感情”のままでいいと思ってるところがあるのかな?僕は。選手も、サポも。”義務”や”選択”というより。
特にまとまってないですね。(笑)
総じて言うと、「やり」ながら、「試行錯誤」すると、そういう立場ということですかね。”関係”すること自体に意味があるというか。
普段からさわさんは、割りとそうですよね。(笑)(いやいや、まあいいんですけど(笑))
僕はむしろ、関係やコミュニケーションは、間接性や迂回・媒介性が本来で、特例/非常手段として直接性があるという、そんな感じて生きているもので。
興味はありますし、特段拒絶しているつもりもないんですけどね。不可視の部分の比重が大きいというか。
選手はどうなんですかね。なかなか「大前提」に遮られて、生の声が聞こえて来ることは少ないですが。
逆に切れてくれるかんぺーはかわいいというところは、あるとは思いますけど。
だから割りと、”感情”のままでいいと思ってるところがあるのかな?僕は。選手も、サポも。”義務”や”選択”というより。
特にまとまってないですね。(笑)
そうですね。たぶんこれってまとまることはないでしょう(笑)広い意味でのサポーター集団が自由人の集まりである限り。
関係していくことを重視しているのは、ほんと昔から変わっていないですね。>私。
直接のやり取りというより、スタジアムという超えがたい壁があることを前提とはしていますが。
選手の感情面は個々に違うのは当然ですが、今までの経験則から言うと、「一緒に戦ってくれ。できれば悪い内容のときこそ声援が欲しい」ではないですかね。
そもそものところ、チーム、フロント、サポーターというのは相反する部分をどうしても持っているもので、その中でそれぞれの価値観が最大公約数化されて共通のものになるとき、優勝や昇格という結果につながるとも言えると思うんです。
その観点からすると、このような関係の仕方はお互いの価値観の共通化を図って、いったりきたりしているとも言えるかも知れません。
話は変わりますが、
>「システムにこだわらず、使える選手・元気な選手の効果的な組み合わせから始める」
高木監督としてはこの緑監督イズムを否定して入ったのじゃないかと私は考えていたんですが、そのあたりはどうなんでしょうね。
少なくとも過去3年間は個力の積み重ねが偶然絵画のようにまとまって、結果となるということが多かったですけれども、それじゃ寄るべき場所がないでしょ、ということでのサイド重視かと思ってました。
起用選手に係わらずある程度できるイメージでしょうか。こういうこと書いていると私もやはり李さんの影響は大きいなあ、などと考えてしまうのですけどね。
どうしてもベースが欲しい、それはある程度選手に依存して欲しくないという志向は強いように思えますねえ。
関係していくことを重視しているのは、ほんと昔から変わっていないですね。>私。
直接のやり取りというより、スタジアムという超えがたい壁があることを前提とはしていますが。
選手の感情面は個々に違うのは当然ですが、今までの経験則から言うと、「一緒に戦ってくれ。できれば悪い内容のときこそ声援が欲しい」ではないですかね。
そもそものところ、チーム、フロント、サポーターというのは相反する部分をどうしても持っているもので、その中でそれぞれの価値観が最大公約数化されて共通のものになるとき、優勝や昇格という結果につながるとも言えると思うんです。
その観点からすると、このような関係の仕方はお互いの価値観の共通化を図って、いったりきたりしているとも言えるかも知れません。
話は変わりますが、
>「システムにこだわらず、使える選手・元気な選手の効果的な組み合わせから始める」
高木監督としてはこの緑監督イズムを否定して入ったのじゃないかと私は考えていたんですが、そのあたりはどうなんでしょうね。
少なくとも過去3年間は個力の積み重ねが偶然絵画のようにまとまって、結果となるということが多かったですけれども、それじゃ寄るべき場所がないでしょ、ということでのサイド重視かと思ってました。
起用選手に係わらずある程度できるイメージでしょうか。こういうこと書いていると私もやはり李さんの影響は大きいなあ、などと考えてしまうのですけどね。
どうしてもベースが欲しい、それはある程度選手に依存して欲しくないという志向は強いように思えますねえ。
2009/04/02(Thu) 12:40 | URL | さわ #-[ 編集]
”まとまってない”のは僕の考えだったんですが、じゃあそっちの意味にしましょう。(笑)
”伝える”話とも似てますが、結果として共通化されたものが正しくて、そのクラブの「文化」でもあると、こういう言い方で大きな間違いはないですかね。
>高木監督としてはこの緑監督イズムを否定して入ったのじゃないかと私は考えていたんですが、そのあたりはどうなんでしょうね。
ええ、それはその通りです。
だからこそ、というか、逆にというか、そこらへんについての繊細さというか自然な想像力みたいなのが、高木監督の足りない部分に、特に現状なっているところにも見えるので、あえて言ってみた、ということです。「河野問題」も含めて。(笑)
実際は両方同時が望ましいというか、本当にいい監督は、チームの「形」をきっちり決めつつ、それが選手の能力の掘り起こしや新たな「タイプ」性の発見に、矛盾なく繋がっていたりするものですよね。
無い袖は振れない、という可能性も少なくはないですが、(個々の)「選手」の側からも問い直してみることで、「形」の方についての解答の幅も、広がるまたは定まる可能性はあるかなと。
とにかく、何でもいいから頭をすっきりさせてくれ!と、そういうことでもあります(笑)。どうせ駄目モト・・・・いや、何でもないです。空耳です。
”伝える”話とも似てますが、結果として共通化されたものが正しくて、そのクラブの「文化」でもあると、こういう言い方で大きな間違いはないですかね。
>高木監督としてはこの緑監督イズムを否定して入ったのじゃないかと私は考えていたんですが、そのあたりはどうなんでしょうね。
ええ、それはその通りです。
だからこそ、というか、逆にというか、そこらへんについての繊細さというか自然な想像力みたいなのが、高木監督の足りない部分に、特に現状なっているところにも見えるので、あえて言ってみた、ということです。「河野問題」も含めて。(笑)
実際は両方同時が望ましいというか、本当にいい監督は、チームの「形」をきっちり決めつつ、それが選手の能力の掘り起こしや新たな「タイプ」性の発見に、矛盾なく繋がっていたりするものですよね。
無い袖は振れない、という可能性も少なくはないですが、(個々の)「選手」の側からも問い直してみることで、「形」の方についての解答の幅も、広がるまたは定まる可能性はあるかなと。
とにかく、何でもいいから頭をすっきりさせてくれ!と、そういうことでもあります(笑)。どうせ駄目モト・・・・いや、何でもないです。空耳です。
テポドンだかラドンだか降ってきそうな日くらい休日出勤てなしでもいいと思うんですがね。
それはそうと、アトさんがまとまっていないというのはほとんどイコールでヴェルディを応援している人もまとまっていないと言えると私は思ったんですね。
どんなことがあろうと応援しつづけることしかしないべきだ、という人もじっくり話してみるとそうでもないかなあ、と変化したり、ブーイングも表現の一形態だと確信している人もやっぱり率先してやるのはイヤで揺らいだりしますしね。
仰るとおりで一般論として「正しい」と言うことではなく、このコミュニティの中ではここはみんな許容できる部分だよね、というのがクラブ文化になるんではないかと。
>「選手」の側からも問い直してみることで、「形」の方についての解答の幅も、広がるまたは定まる可能性はあるかなと。
うーんまあそうして解決される可能性が非常に高そうですが、それだと過程としていつもと同じなのがちょっと残念というか。
私としてはお仕着せの形はできるようになったけど、そこで監督からは引き出せるものが少なくなったから、という前提が欲しい気もします。
今までの監督とはタイプが違うのだからという部分に反発するような形でチームのブラッシュアップに挑んで欲しいと言いますか。
かんぺーのコメントなどを読んでいると既にいつもと同じ方向に行っているようで、微笑ましいような腹立たしいような。
これも文化なんでしょうけどね(笑)
それはそうと、アトさんがまとまっていないというのはほとんどイコールでヴェルディを応援している人もまとまっていないと言えると私は思ったんですね。
どんなことがあろうと応援しつづけることしかしないべきだ、という人もじっくり話してみるとそうでもないかなあ、と変化したり、ブーイングも表現の一形態だと確信している人もやっぱり率先してやるのはイヤで揺らいだりしますしね。
仰るとおりで一般論として「正しい」と言うことではなく、このコミュニティの中ではここはみんな許容できる部分だよね、というのがクラブ文化になるんではないかと。
>「選手」の側からも問い直してみることで、「形」の方についての解答の幅も、広がるまたは定まる可能性はあるかなと。
うーんまあそうして解決される可能性が非常に高そうですが、それだと過程としていつもと同じなのがちょっと残念というか。
私としてはお仕着せの形はできるようになったけど、そこで監督からは引き出せるものが少なくなったから、という前提が欲しい気もします。
今までの監督とはタイプが違うのだからという部分に反発するような形でチームのブラッシュアップに挑んで欲しいと言いますか。
かんぺーのコメントなどを読んでいると既にいつもと同じ方向に行っているようで、微笑ましいような腹立たしいような。
これも文化なんでしょうけどね(笑)
2009/04/04(Sat) 15:56 | URL | さわ #-[ 編集]
>このコミュニティの中ではここはみんな許容できる部分だよね
まあ”みんな”と言った場合でも、やはり「団体」と「個人」、まとまりと自然発生では”意見”としての性格が違うと思うので、そこらへんが難しいところですね。「団体」と「個人」の関係自体も、(ヴェルディ内)理念的に整理されているとは言い難いですし。
>それだと過程としていつもと同じなのがちょっと残念というか。
何て言いますか、僕も別に択一(の方法論)として考えているわけではなくて、弁証法的な一項として挙げているというか、そういう感じなので。だから処方箋の”1”では、ほぼ真逆なことを言ってますし。(笑)
その”1”、特に今年の大方針かと思われた4-3-3サッカーがいきなり放り出されてしまったので、何だよそれだったらぶっちゃけちゃえば?みたいな気持ちは、あるにはありますが。
あと、
>今までの監督とはタイプが違うのだからという部分に反発するような形でチームのブラッシュアップに挑んで欲しいと言いますか。
原則的にはそうなんですが、今年の陣容が余りにも「意図的」に集めたものではない、レアンドロ・大黒も含めたやや消極的な”居残り”と、要らないと言われて出戻って来たような選手の集まりで、そもそも最初から「全体構想」が存在しないようなところがあるので、今年は出来ることだけやって本格的には来年からでもいいかなというところも。
’06年の方がまだ、”狙った”メンバーですよね。改めて言うのもなんですが、気の毒。
まあ”みんな”と言った場合でも、やはり「団体」と「個人」、まとまりと自然発生では”意見”としての性格が違うと思うので、そこらへんが難しいところですね。「団体」と「個人」の関係自体も、(ヴェルディ内)理念的に整理されているとは言い難いですし。
>それだと過程としていつもと同じなのがちょっと残念というか。
何て言いますか、僕も別に択一(の方法論)として考えているわけではなくて、弁証法的な一項として挙げているというか、そういう感じなので。だから処方箋の”1”では、ほぼ真逆なことを言ってますし。(笑)
その”1”、特に今年の大方針かと思われた4-3-3サッカーがいきなり放り出されてしまったので、何だよそれだったらぶっちゃけちゃえば?みたいな気持ちは、あるにはありますが。
あと、
>今までの監督とはタイプが違うのだからという部分に反発するような形でチームのブラッシュアップに挑んで欲しいと言いますか。
原則的にはそうなんですが、今年の陣容が余りにも「意図的」に集めたものではない、レアンドロ・大黒も含めたやや消極的な”居残り”と、要らないと言われて出戻って来たような選手の集まりで、そもそも最初から「全体構想」が存在しないようなところがあるので、今年は出来ることだけやって本格的には来年からでもいいかなというところも。
’06年の方がまだ、”狙った”メンバーですよね。改めて言うのもなんですが、気の毒。
どもども。
>「団体」と「個人」の関係
正直言ってそこまでかっちりした統制力のある団体でもないので、整備される目処は立たないと思われます。
まあ確かに、試合に対する反応としては団体に依存する部分は少なくないと考えられますが、じゃあ単なるチャント中心部以外の部分については、どうよと言うと団体内外に係わらず、どのようにあるべきか考えられていないというところが現実でしょう。
逆に言うとこの敷居の低さがご新規さまには受け入れやすく、長く熱くやっていきたい向きにはついていけない要因の1つであるかな、と思うことはあります。
>今年は出来ることだけやって本格的には来年からでもいいかな
トータル面でアトさんの仰ることは私も同様なんですが、監督にしても多くの選手にしても、来年はないんじゃないかというのが今の私の心境でして。
クラブがそもそもという背筋も凍る部分はほっておくにしても(笑)
仙台戦から後、しばらく参戦できない焦りが現れているのかもしれません。お目汚しでした。
>「団体」と「個人」の関係
正直言ってそこまでかっちりした統制力のある団体でもないので、整備される目処は立たないと思われます。
まあ確かに、試合に対する反応としては団体に依存する部分は少なくないと考えられますが、じゃあ単なるチャント中心部以外の部分については、どうよと言うと団体内外に係わらず、どのようにあるべきか考えられていないというところが現実でしょう。
逆に言うとこの敷居の低さがご新規さまには受け入れやすく、長く熱くやっていきたい向きにはついていけない要因の1つであるかな、と思うことはあります。
>今年は出来ることだけやって本格的には来年からでもいいかな
トータル面でアトさんの仰ることは私も同様なんですが、監督にしても多くの選手にしても、来年はないんじゃないかというのが今の私の心境でして。
クラブがそもそもという背筋も凍る部分はほっておくにしても(笑)
仙台戦から後、しばらく参戦できない焦りが現れているのかもしれません。お目汚しでした。
2009/04/06(Mon) 12:58 | URL | さわ #-[ 編集]
>整備される目処は立たない
なるほどね。
だからむしろ、「非団体」サポ側が、団体を特別視している部分が大きいんですかね。ただそれは仕方がないことだとも思います。結局のところ、その一種の「責務」を引き受けて行くというか、”プロ”として”クオリティ”を追求してそれを認めてもらうという形でしか、団体と一般との関係は安定しないように、漠然とですが他のチームを見てても思うんですが。
”無し”にしてしまったらどうなるんだろうと、たまにそういう誘惑にもかられますけどね。どうせあぶれもんなんだし。率先して実験。(笑)
>来年はないんじゃないか
あ、むしろだから現実妥協的というか、そういうつもりで、逆にさわさんは”長期計画”を言ってるのかと思ったら違うんですか。(笑)
とにかく今年は、昇格しないまでも、”上位”や”候補”にぶら下がることが、とても重要だと思いますね。自転車操業でも、最低限の存在感というか、ブランドを保つというか。
出来るかどうかは、知りませんが(笑)。出来なくは全然無いとも、思ってますが。
なるほどね。
だからむしろ、「非団体」サポ側が、団体を特別視している部分が大きいんですかね。ただそれは仕方がないことだとも思います。結局のところ、その一種の「責務」を引き受けて行くというか、”プロ”として”クオリティ”を追求してそれを認めてもらうという形でしか、団体と一般との関係は安定しないように、漠然とですが他のチームを見てても思うんですが。
”無し”にしてしまったらどうなるんだろうと、たまにそういう誘惑にもかられますけどね。どうせあぶれもんなんだし。率先して実験。(笑)
>来年はないんじゃないか
あ、むしろだから現実妥協的というか、そういうつもりで、逆にさわさんは”長期計画”を言ってるのかと思ったら違うんですか。(笑)
とにかく今年は、昇格しないまでも、”上位”や”候補”にぶら下がることが、とても重要だと思いますね。自転車操業でも、最低限の存在感というか、ブランドを保つというか。
出来るかどうかは、知りませんが(笑)。出来なくは全然無いとも、思ってますが。
>”無し”
末期等々力の応援実態を知っている人間としては、恐怖できますね(笑)
クラブやチームの状況も、絶対的な観客数も余裕があるシーンならむしろ面白そうなアプローチなんですが。
今のところは何かと問題はあれど、応援する有効な形として他のスタイルは考え付かないというところでしょうか。
批判する人の気持ちも十分分かるように思えるのですが、じゃあどうするという面では結局新しい団体を作るという観念からは逃れられない気もします。
想像力が足らないかも。
長期短期については、クラブの全体的方向としては、昇格を見据えるという部分では長期でいいわけなんですが、チームの形としてはなるべく早いうちにまとめとかないと、見切られてしまってまたやり直しのスパイラルに落ち込むのではないかと。
チームのもたらす結果は長期的なものでいいんですが、過程の部分は素人目にも理解できるレベルで出来上がってきている、と思わせる部分が欲しいと考えてます。
おそらく今回の評価者は通常と別の見方をするだろうという予想があって、2,3年かけて立て直してって考えているときに引っ掻き回されるのもなんだよなあ、と。
落ち着き先としてアトさんとは似ているし継続の判断としても妥当な線だと思うんですが、その前にリセットされるのは避けて欲しいという心境ですかねえ。
そういえば仙台戦の見方がだいぶアトさんと違って面白いなと思いました。それじゃまた今度。
末期等々力の応援実態を知っている人間としては、恐怖できますね(笑)
クラブやチームの状況も、絶対的な観客数も余裕があるシーンならむしろ面白そうなアプローチなんですが。
今のところは何かと問題はあれど、応援する有効な形として他のスタイルは考え付かないというところでしょうか。
批判する人の気持ちも十分分かるように思えるのですが、じゃあどうするという面では結局新しい団体を作るという観念からは逃れられない気もします。
想像力が足らないかも。
長期短期については、クラブの全体的方向としては、昇格を見据えるという部分では長期でいいわけなんですが、チームの形としてはなるべく早いうちにまとめとかないと、見切られてしまってまたやり直しのスパイラルに落ち込むのではないかと。
チームのもたらす結果は長期的なものでいいんですが、過程の部分は素人目にも理解できるレベルで出来上がってきている、と思わせる部分が欲しいと考えてます。
おそらく今回の評価者は通常と別の見方をするだろうという予想があって、2,3年かけて立て直してって考えているときに引っ掻き回されるのもなんだよなあ、と。
落ち着き先としてアトさんとは似ているし継続の判断としても妥当な線だと思うんですが、その前にリセットされるのは避けて欲しいという心境ですかねえ。
そういえば仙台戦の見方がだいぶアトさんと違って面白いなと思いました。それじゃまた今度。
2009/04/07(Tue) 00:42 | URL | さわ #-[ 編集]
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