ヴェルディ、代表、二次元、女子バレー 他
サカダイのフッキインタビュー
2009年03月31日 (火) | 編集 |
立ち読みですが、なかなか突き刺さる内容で。(笑)

一番のポイントは、「フッキがヴェルディの攻撃戦術の不在に大きな不満を抱いていた」ということでしょうね。何と言っても。
だから自分が”全部”やらなくてはいけなかったと。それでああいうプレイスタイルだったと。


実際に見ていた感想としては、嘘ではないけどちょっと都合よく言い過ぎてないかという気は、しないではないです。特に’07年の「股関節の不調で動きが鈍った時期に、逆にチームとの融合性が高まった」という経過を見ていた経験からは。やはり、フッキ側にも、自分の能力にかまけて”見えて”いないものはあったろうと、公平に言って。

ただこの2つは必ずしも矛盾するものではなくて、つまり知る限り多くのブラジル人選手は、あくまで自分の能力との関係で、戦術やチームプレーを考える、ということ。だから相手にしてもしょうがない(と考える)レベルのディシプリンには従わないで、自分の自由表現を優先する。”決め事だから”従うみたいな感覚が、根本の部分で無い。ま、最後のはある意味よく言われることですけど。
このインタビューの中でヴェルディについて一番そこらへんがクリティカルに出ているのが、’08年のチームにおける「FWのチェイス/プレス」の問題で、あの当時僕もそうでしたが、「なぜその程度のことが徹底させられないんだ柱谷監督!」(それくらいしか指示は無いくせに(笑))というもどかしさを、基本のトーンとして見ていたわけですね。細かいことはともかくとして、チェイスが効いていた時はあの戦術レスなチームでも、それなりの秩序が生まれていたわけで。

しかしフッキに言わせると自分が頑張ってチェイスしても、どうせちゃんと連動してフォローしてくれないので無駄になるから、それでやらなかったんだと、自分のプレーを優先したんだと。
うーん、どうだったですかね。ことプレスということに関しては、そこまで酷くはなかったような気もしますが。前がやってさえくれれば、後ろが続ける計算が立つ程度には。ただ心理的事実としてフッキがチームを、柱谷監督を、そういう意味で信頼していなかったというのは嘘ではないんでしょう。仮にそれが誤解だったとしても、それはむしろ”指導者”が納得させなければいけないところで。

それはともかく、こういう彼らの態度の基調にあるものを無駄に文化論的に広げずに(笑)ピンポイントで言ってみると、それは実は「責任感」というべきものなんだと思います。分からない?つまりですね、彼らは「責任感」があるからこそ、指示に従わないのだということです。
ま、「主体性」という言い方と併せるとより分かり易いですが、要するに本当に本気で、「得点」や(プレーの)「成功」や「勝利」を、自分の問題として考えていて、その為に最善or必然性があると考えるプレーをする、それしかしない、またはそうでないと考えるプレーをしないわけですね。

そこに更に最初に言った「自分の能力」という非常に具体的な要素が加わって、それとの兼ね合いで”どういうプレーをするか”が決まるわけです。
それでも指示破りは指示破り、個人プレーは個人プレーという面は当然あるので、とにかく”従う”というのも、「責任感」の種類の一つでは間違い無くあります。”従う”のが基本という育ち方をしながら突然「自己判断」のプレーをして、あるいは求められて、そこでそうでない、それに慣れたブラジル人ほど大胆で有効なプレーが出来るかという問題もありますし、ここらへんはほんと、”違い”ですよね、公平に言って。更に言えばこのレベルの「個人」的責任感を、更にもう一回より合わせたのが、高いレベルでのヨーロッパ的「組織」プレーであると、理想的にはそういうことですけど。

とにかくフッキはポルトでなら、指示通りに、あるいは周りに合わせるプレーをすることが、得点や勝利への最善であり必然であると、感じることが出来るからするのであると、フッキの言い分を信じるならそういうことになります。


実はこれは、かつて(’02年)エジムンドについて、基本的に一回言ったことでもあるんですよね。
というより、エジムンドのプレーを見ていて、気付いたこと。全然わがままでも全然放埓でもないじゃないか、むしろ禁欲的なくらいに、得点に、攻撃の成功に、チームの勝利に集中してるじゃないかと。日本人はあんな真面目にプレーしてるか?どうなんだ?比べるとどうも、”それらしく”やってるだけのように思えるぞと。

エジムンドの場合、”個人プレー”として目に見えて多少問題化されていたのは、「左で相馬(直樹)がフリーなのに全然ボール出さない」(ほとんど見ようともしない(笑))ということでした。
これもこういう文脈で解釈すると、要は「フリーな選手を使う」「サイドを使う」という、一般に”良い”とされているプレーの必然性、最善手としての資格を、”ヴェルディ”という環境と”エジムンド”と”相馬直樹”という具体的な選手の具体的な能力を総合的に見た時に、相馬を経由してサイド攻撃を行うというプレーに、エジムンドが認めなかったという、そういうことだということになります。別な選択肢、たいていはマルキーニョスなどを走らせてそこにスルーパスを出す(その前に自分がしつこくボールキープする)、より直線的にゴールに向かうプレーの方に、確率を認めていたと。

だから相馬がもっと上手ければ、あるいは相馬の(エジムンドからすれば)野暮ったいプレーでも有効な攻撃になるようなCFでもいれば、エジムンドも自らの「責任」において”相馬を使う”というプレーを優先順位の高い選択肢として置いただろうと。・・・・まあ、それにしても極端でした。(笑)

一方で勿論さすがにエジムンドの「責任感」と判断力のレベルは、フッキよりだいぶ上に感じましたけどね。
またレッズを筆頭とする(笑)ヴェルディ以外のチームでやらかした不適応行動を見ると、エジムンド自身に偏りや問題が無かったとも言えないとは思いますが、それでもとにかく、エジムンドはエジムンドなりに、良かれと思って「責任感」を持って、傍から見ると極端だったりわがままだったりするプレーを、あえてやっていたのだと、そういう話。


・・・・それにしても、多少翻訳の癖というのもあるんでしょうが、インタビューではフッキは実に、「知的」に見えました。「逆にポルトでの私のプレーをどう見ますか」という切り返しなど、見事。かといって過度に防衛的な姿勢にも、感じられなかったし。
なーんか、敗北感(笑)。幼かったのはこっちかよという。いやいや、待て待て、でもでも。

一方でヴェルディへの愛着、「サポーターが自分のゴールのように僕のゴールを喜んでくれた」というのも、リップサービスでなく、実感がこもっていてじーんと来ましたね。
それはほんとのことでね、僕のようなタイプの観戦者でさえ、フッキのプレーには掛け値なく熱狂していましたからね。’07年の最後の方の場合は特に、「ようやくフィットさせた」という、その感慨もセットでしたから、尚更。一つ一つのゴールがその”ご褒美”でもあって、確かに、”自分のゴール”のようであった。

そっか、もうすぐ代表でのプレーを見られるのか。そりゃ楽しみだ。
その中でも、「自分がナンバー1だと信じてる」って、凄いよねえ。淡々と言うからなあ。
やっぱ違うよねえ、文化が。言いたかないけど。そしてそれゆえの。


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