東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
『蟲師』雑感
2009年08月01日 (土) | 編集 |
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原作を読み終えたので、一応まとめておきます。
書こうと思えばいくらでも書くことのある内容ですが、きりがないのでなるべく簡単に。

ていうか連載終了してたんだ、知らなかった。(笑)
読んでみるとアニメ版は、順番は変えてますが綺麗にほぼ前半分を映像化している形になっているので(Wiki)、ならばどうせ連載は終了してるのだし残り半分もコツコツと全てあのクオリティでアニメ化して、21世紀の文化遺産として残しておくべきだと思います。
・・・・まあ”時代”感的には、後世の人は少し混乱するかもしれませんが(笑)。元々分かり難いし。
「江戸と明治の間にあったかも知れない時代」とか、そんな風に作者さんは言っていますが。
では感想。


『蟲師』の”女”
・いきなりですが、作者が漆原友紀(ゆき)という女性の方だというのを、漫画読んで初めて知りました。(笑)
・全然意識してなかった・・・・。
・で、知った瞬間に、恋に落ちかけました。(笑)
・なぜかというと・・・・。元々僕は、(アニメ版)蟲師の女性キャラたちが、大好きだったからです。
・それも、かなり性的に(笑)。”セクシー”蟲師。
・典型はこんなんかな。
mushionna

・ちょっと”かわいい”サイドに偏ってるかも知れないので、こんなのも。
mushionna4

・何だか分からないでしょうから(笑)解説すると、基本的には非常に素朴な、ただの”女”の人。(子)
・画風的な特徴としては、割りと淡泊というか中性的に見えなくはないですが、今回はそれはあんまり関係ありません。あくまで”女”、俗と言ってもいいくらいの。
・たまに訪れる”男”、それこそ蟲師のギンコを、何やかやと引き留めようとしたり。
・ああ、別の蟲師を里に居つかせて所帯を持つ為に、山の”ヌシ”を殺してしまう女の人とかもいましたね。(”やまねむる”)
・ただそうした”性(さが)”的なものが、封建時代風の多くは僻地の、厳しくつつましい暮らしの中の、それぞれに必死でささやかな思いとして発せられると、それが描かれているのを見ると。
・何かもう、愛おしくて仕方がありません。
・野良猫たちに感じる”愛”と、次元的には似ているのかもしれませんが。(笑)
・そしてまたそうした暮らしの中で、はっきり言えば限られた選択肢/人間関係の中で、「男」と「女」が互いに心を寄せて、何とかして「幸せ」を編んで行こうとしている様が。
・非常に自然で美しいものに、感じられて。
・受容的な気持ちになるというの、と同時に彼女らの「性」が、彼女たちが”女”である、男ではなくて女であるという、そのミニマムな事実性が、非常にリアルにヴィヴィッドに感じられて、かつ”恵み”に感じられて。
・彼女たちとの夫婦生活や共同生活が、すんなりとイメージ出来るというか。
・性が、あるいは僕の性が(笑)、機能する為に必要なものは何か、みたいなことを。
・はははは。

”アニメ”『蟲師』
・恐ろしく原作に忠実ですね。”アニメ化”というより、”化身”という感じ。
・にも関わらず、ある意味こちらが「本物」の『蟲師』だと言ってもいいくらいの、何というか。
・原作に”不満”があるとかいうことでは、ないんですけど。
・より明確に、より鮮やかに、より完璧に、この世界が持っているものを表現し切っているというか。言い当ててるというか。
「アニメイト」すること、「映像」であることの”力”を、これ以上ないほど真正面から、示しているというか。
・しかし繰り返しますが”忠実”な作品でもあって、原作の割りと無造作に/無時間的(な印象)に画面上にばらまかれた各要素を、拾い上げて組み立てて、なるほど、それでああいう場面になるのかと、通して2回見たアニメ版を思い出して感心しながら読んだり。
・ミニマムにテクニカルな意味で、見事だなというのと、それからやはり、解釈の正確さに驚くというのと。
・ただアニメの方では分からなかった、原作の性格というのもあって。
・それは、アニメの余りの鮮やかさ、”完璧”感に、どちらかというとウンチクものというかセカイものというか、ある種出来あがった一つの知識体系を、フィクションという形で視覚化直観化した作品と、そういう印象を持っていたんですが。
・むしろこれは、折々の感興に導かれるままにさらさらとしたためた、一つ一つがある種”俳句”か何かのような、そういう性格の「ストーリー」なんだなと。
・だからクオリティは淡々と一定していて、盛り上がりや”神”回みたいなものも、基本偶然生まれるというか、それぞれの人の胸の中にあるというか。
・いつまで続いても良かったんでしょうけど、どういう心境でか、潔く終了してるなあという。
・それでもやはり、前半の方が印象的というか、緊張感の持続は、感じますが。
・2巻の「やまねむる」「筆の海」の連打とか、倒れます。
・個人的には、余り”里の者との軋轢”とかの、「人間ドラマ」寄りじゃないものの方が好きかな。
・『蟲』そのものをめぐる葛藤というか。もしくは”人と蟲”。人どうしのトラブルはいい。(笑)
・悪い奴も嫌な奴もいない、でも哀しいという。
・まあ”知識体系”ではなくて、”感性”は、確かに一つ、完成されたものが予めあるわけですけどね、話戻して。
・それに従って、一句と。(笑)

”ギンコ”というあり方
・一つの理想ですね。
・この世の理(ことわり)や成り立ちについて、世の人より一つ、抜けた知識や認識、視野を持って。
・しかしそれもまたより広い”世”、より大きな”理”の中で再度位置づけられて、良くも悪くも己は知っている。
・でまた見逃せない要素(?)としては、遊離しているようでしっかり手に職は持っていて(笑)。たまには意外な儲けもあって。(笑)
・その”手に職”自体が、また自分の存在の根本や、当然ながら関心事と密接に結び付いた、決して単なる食う為の労働ではなくて。
いいポジションだよね。僕も狙っているライン。(笑)
・危険はあるけど、その危険自体、生の根本と結び付いたもので、場合によっては死や破滅を受け入れる準備も、一通りは出来ているし。
・一言で言えば、”自分探し”の必要の無い人。運命や必然と、しっかりしたコネクションを持っている人。
・人としてもいいやつ、魅力的なやつ。
・”スナフキン”的な永遠の(自由人)類型の一部ではありますが、と同時に時に素朴で直接な「情」の出方が、かえって自由というかニュートラルというか、はっとさせられるというか。
・活きたキャラというか。
・例えばしばしば見せる淡々とした自己犠牲や思いやり・人助けみたいなものは、あれは実はそんなに不思議ではないというか、多分僕でもこなせるというか。
・ただそういう、行為の「効果」がある程度計算出来る、あるいは意味づけのしやすいもの/局面以外での反応・行動が。
・例えば「やまねむる」の回の、自らをクチナワに食わせて、山の”ヌシ”問題を解決しようとするある蟲師に対して発した、「何かあんだろ(方法が)こんなのよりゃよ」という、蟲師的分別も”自由人”としての日頃のスタイル意識も押しのけて、咄嗟に出て来る思いがけず「人間的」な直截的な叫び。
・結局「ない」んですけどね、実際。それ以外の方法は。わずかのタイムラグを置いて、ギンコ自身もそれを認める。
「ないねえ、残念ながら」
・このセリフは見事だと思いますが。
・この時には既に、いつもの”スタイル”は取り戻している。それもまた、重い必然に基づくものだから。
・でも”その”時には、ギンコは叫ぶわけです。「何かあんだろ」と。
・そのリアリティと、ギンコの心根と。
・結論は同じでも、過程がね。
・例えば僕がギンコ的ポジション、ギンコと同様の、”世”に対するわずかの先行(力)を手に入れた時に。
・果たして同じように、柔らかくいられるかリアルでいられるかというと。
・自信が無い。
・悟って、それで終わりになってしまうんではないかと。無駄かも知れない一瞬の抵抗が、出来るか。
・実際そうした”過程”の存在が、時に思わぬ方向からの解決策を見出したり、ある「真理」のより活きた運用を、可能にしたりするものだと思いますが。
・いずれにしても、”自然”と”個人”の、なまなかな類型化の及ばない、見事なバランスを示しているキャラだと思いますが。
・何一つ無理はしていないんだけど、決して単なる分別の範疇には、閉じ込められない。
・十二分に自由で邪気もあるんだけど、完璧に融和的でもある。
コウイウヒトニ ワタシハナリタイ?(笑)

・・・・で、結局『蟲師』とは、どういう作品なのかと言いますと。そうですねえ。
例えば手塚治虫が、論理的科学的に説明/表現しようとしたもの。
あるいは宮崎駿が、表現したいとは思ってるんだろうけど、理に落ちたり情に流れたり、今一つ不得要領に終わることが多い(と僕には見える)もの。
いわく「博物学的」な世界観やら、人も動物も植物も何もかも、あらゆる存在物の平等感や無境界感や連続性、”動物”や”モノ”の一種としての人間や、その営み。思考も感情も、結局は単なる(自然)現象だ。

そうしたものを、そうした世界感覚を、ある種無造作に、ほとんど一発ツモ的にいきなり完璧な形で掴み出してみせた、そういう作品ではないかと。
ほら、これでしょ?オジサンたちが欲しいのは。言いたいのは。はい、あげる。(笑)
ご本人どういう気かは、知りませんが。(笑)
まあ才能とか資質とかいうのは、そういうものです。それもまた一種の自然物なので。あるようにある。
あんまり人のものや無理なものを、手に入れようとしても。

しかしこの人、この作品が、あわや全くこの世に出ないで終わる、寸前だったとは。
最後の記念にこれ(の一本)を投稿して、それできっぱり就職する予定だったと、1巻の後書きに。
それがいきなり講談社漫画賞だもんなあ(笑)。なんてこったい。色んな意味で。


そうねえ、京極夏彦(の京極堂シリーズ)なんかも、ある意味狙いはおんなじなんでしょうけどね。
その「ヒト」パートを、割りと念入りに描いてるというか。
ただ出来上がりが読者(のほとんど)に与えているものは、似ても似つかないというか全然あさっての方向という感じがしますが。逆サイドのタイプの人の、拠り所というか。

その”師匠”格の水木しげる先生なんかは、容易に比較連想の対象になるでしょうが、ただそれも、そのものというより妖怪を”比喩”に使った「人間」みたいな読み方を誘うところも大きくて、やはり「世界」の丸ごとの表現感として、漆原さん/『蟲師』はちょっと特別だと思いますね。
白土三平とかはどうなのかなあ。つげ義春というのもいるか。


とにかく、残りの部分のアニメ化を、是非に。
金出してくれ文化庁。
アニメ博物館とかは、要らないから。(笑)


mushishi_last

フジ地上波版の”最終回”でこのカットが出て来た時は、それ自体の雰囲気の良さもあって、余りの名残り惜しさに、悔やし泣きしそうになりました。(笑)


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