東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
『三日やったらやめられない』
2009年08月13日 (木) | 編集 |
三日やったらやめられない (幻冬舎文庫)三日やったらやめられない (幻冬舎文庫)
(2001/08)
篠田 節子
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モーニングは休み(知らなくて衝撃を受けた(笑))だし、レアンドロの件はまだ確定情報じゃないし、どうにも落ち着かなくて気合が乗らないので、こんなのでも。
言っとくけど、つまんないよ?(笑)
一応書くべき理由はあるんですけどね、ここらへんの(後半の)フォロー記事として。

僕の最近の贔屓の小説家、篠田節子さんの初エッセイ集。
基本的にそんなにエッセイ書く人ではないので、食うや食わずの時期から山本周五郎賞(’96『ゴサインタン』)直木賞(’97『女たちのジハード』)受賞後の中期までの文章が、一緒くたに収録されているのが面白いと言えば面白いです。
そうか、『女たちのジハード』でついた読者は、『ゴサインタン』や『ハルモニア』にはついて来なかったか、そうだろう、そうだろう(笑)。ちなみに僕はむしろ、逆方向にびっくりしたクチですが。


さて感想ですが。ええ、つまらないです(笑)。びっくりしました。
読んでて嫌になるとかそれほどのものではないですが、少なくとも小説の方のほとんど現代トップクラスと僕が感じるようなそのレベルとは、比べるべくもない。別人だとは思わないですが、思ってしまいたいところはあるかも。(笑)

そのつまらなさの性格は、基本的には”エッセイ”というスタイルへのこの人の馴染みの無さや相性に大きく起因していて、単純に慣れないというのと、何より本人が及び腰で、「エッセイというのはこういうのを書けばいいのかな」と世間に遠慮しながら書いているのと、そしてもっと根本的に、この人が「小説家」であるというのと。

つまりここに収録されている”エッセイ”群で語られている思想や視点や感性は、基本的にはこれまで僕がこの人の小説群で接して来たものと、大きな齟齬は無いわけです。”別人”ではない。(笑)
にも関わらず、つまらない。陳腐に感じる、浅はかに感じる。はいはい、あるよね、そういう意見みたいな読み方になってしまうことが多い。
それはより一般的には「芸術は形式だ」ということの確認ではあるんですが、この人の場合それ以上に、小説家である、フィクションメイカー/ストーリーテラーであるという本質の強烈さを、印象付けられました。

どういうことかというとそれはこの人の「素材」や「中身」との関係。それを「小説」として編んで行く過程でかかる”魔法”の問題。
一言で言って、僕が思っていた以上に、この人にとって”素材”は素材でしかないようですね。必ずしも建前ではなく、客観的というか。どちらかというと僕は、この人を内的な強い直観・衝動を、驚嘆すべき克己心で非情に相対化・客観化して、粘り強くバランスを維持して書く人というそういう方向で見ていたんですが、そうではないのかもしれない。トモダチではないのかも知れない。(笑)

むしろこの人の才能の方向としては、ある興味ある素材を調査して取材して解釈して、それをリアリティを持って、迫真的に小説化する虚構化する、「世界」を現出させる、その際に更に、僕を勘違いさせるようなもう一段上の”神”の入り方、虚構への生命の吹き込み方、それを恐らくは幾分無意識に、狙った以上の迫力で達成する、そういう資質にあるのではないかなと。
例えば小説家として姉弟子(笑)であるらしい、大きくは同タイプの宮部みゆきなどの場合、僕は最後まで冷静でいられます。篠田節子のように、引っ張り込まれて本気になったりはしません。

それが「技量」というより「資質」という感じがするのは、逆にこのエッセイで見える”素”に近い(というのも少々危険ですが)篠田さんの、言ってみれば意識的日常的な所作に、さほど感銘を受けないからですが(笑)。あんまり面白い小説を書きそうに見えないというか。(笑)


まあフィクション/ストーリーには、”神”は降りるものですけどね。そういうスイッチが人間の脳にはあるというか。
だから映像系も含めて「作家」は、まずそのスイッチを押す、”神”を迎える準備をすべきなのであって、ワレがワレがとエッセイみたいな、悪い意味で生(なま)な作りのものを平気で垂れ流してるのを見ると、イラッとしますが。さっぱり騙されないというか。

勿論エッセイにはエッセイなりの「作品」性というものがあって、更に『評論』という言い方をすれば言わずもがな。
ハナからさほど乗り気ではないらしいものの、こうして篠田さんの「小説」と「エッセイ」を読み比べてみると、一つはやはり、「自己」または「自己愛」「自己意識」の形の問題かなあと、「エッセイ」を上手く書けるかどうかは。逆に小説で”入神”しやすいかどうか、とも言えますが。篠田さんは”エッセイ”的な自己が弱いから、小説家としては天分がある。”小説家”的「自己」というか。


うーん、どうですかね、身近で言えば、正直女のブログって、平均してさっぱり面白くないと、個人的には感じるんですが。個人的であると同時に普遍的/見世物みたいな、男には持てるバランスが、持てていないというか。簡単に言うとマジ過ぎるんですけど。
かつて「日記」は「男もすなる」ものだったらしいですが(注・土佐日記)、本来的に男向きのスタイルなのか。いや、でもその後女流日記文学も隆盛したしな。(笑)

ま、よく分かりませんが、日頃みなさんが何となく読んでいる「面白い」ブログにも、それぞれに隠れた”創作の秘密”があるだろうと、そんな感じでまとめておきますか。(笑)
エッセイストとしてなら、篠田節子より僕の方が・・・・。いやいや。(笑)

女は「二次創作」の方で頑張ってくれと。いやいや。(笑)


念の為に言っておきますが、「エッセイ」とは本来、『試論』という意味ですね。
言いだしっぺはモンテーニュだそうで、篠田さん自身も書いてますが。
アメリカの学校教育とかだと、完全に『小論文』というニュアンス。
とすると僕のは長くて理屈っぽいのでエッセイらしい、とも言えるかもしれませんが同時に余り客観性に留意しないので、やっぱり駄目かという。(笑)

まあ何でもいいです。


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