東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
ある名場面の解説
2010年01月24日 (日) | 編集 |
"おおかみづくし"で思い出した(笑)、書きかけて忘れていたエントリー。一応完成させてアップ。


平井和正『狼のレクイエム 第2部』(ブーステッドマン)('75)より。

現代の狼人間(or獣人)たちとそれを鏡として本質を照射された人類との関わりを描くウルフガイシリーズ、特にその不死身に近い生命力に興味と欲望を抱く、米CIAを筆頭とする各国勢力との暗闘の物語『レクイエム』の、当時中学生の僕の心を激しく揺さぶった場面の解説。

CIAの前極東支局長ドランケに、悪魔の麻薬で廃人にされた想い人を助ける手段を求めて、警戒厳重なCIA極東支局の中枢に潜入することに成功した主人公のウルフガイ犬神明少年(とその相棒で同じく獣人である"虎女"のコードネーム虎4)が、現支局長のサミュエル・ハンターと対峙する。
2人の超人に死命を握られて観念し、またその直前CIA側の裏切り者の擬超人に娘を拉致されていたハンターは、その奪還の頼みと引き換えに2人に協力姿勢を示す。

しかし正に脱出せんとするその時、いったんは2人による発電施設の破壊によって活動を停止していた、被害妄想の狂人ドランケ考案の二重三重の警備システムが、息を吹き返す。
一人目の虎4(中国語でフースー)は、ハンターが提供したIDバッジで無事通過に成功するが、それを再利用しようとした犬神明をコンピュータが見咎めて防衛装置が作動し、超高熱のレーザーが、高圧電流が、毒ガスが、次々と襲いかかり、さしもの不死身の狼人間も、危機に陥る。
その際のハンターの反応。

走れ!狼。防衛装置をぶち破れ!
ハンターの思念は絶叫の激しさだった。
狼よ、跳べ。この愚劣な科学技術の罠をかみ破れ!やっつけるんだ!おまえの疾駆を誰がとめられようか!
走れ、狼!おまえの前に敵はない!
ハンターは熱狂に駆られ、握りしめた拳で執務デスクのバネルをがんがんたたきだした。
GO! GO! GO! GO!



まずはハンターの心情の解説。
前任者のように狂ってはいないものの、とはいえCIAの大物の一人ではあるわけですから、勿論基本的にはただの善人でも無害な人物でも、ないわけです。狡知をめぐらせて、後ろ暗いことも残酷なことも、それまで沢山して来ている。娘の救出を頼んだ相手とはいえ、それだけで、この場面に込められた真情の直接性や激しさや熱狂は、理解できない。

背景にあるのは、富裕な白人の嗜みの一つとしての、「スポーツハンティング」の経験。
それ自体は、遊びの為に動物を殺すという、およそ一般的なor現代の感覚では、褒められたものとは言えない、ありていに言って無残な”趣味”ではあるわけです。そのことによって、動物好きな当の娘から、嫌悪感を抱かれたりもしている。
しかし目的や趣味としての質はともかくとして、現実に野生動物と対峙し、生命のやり取りをする中で、否応なく”自然”と近しく接することになり、ハンター自身の資質もあって、彼らへのある種の畏敬の念を、育むようになる。特にひと際知的で高貴(に見える)な、狼には。

そうした心情が、狼ならぬ狼人間の、CIAの支局という、「人間」の根城からの脱出という場面で、期せずして熱く、湧き上がっている。特に

この愚劣な科学技術の罠をかみ破れ!


の箇所は、それが切実だと思います。その後の”疾駆”とのコントラスト含めて。
自然界が造形した、狼/野生動物の美しくも機能的な肉体の躍動と、それがレーザーや高圧電流や毒ガスという、人間の手になる下品な「科学」の物言わぬ力に圧殺されて行く無残さ、悔しさ、胸の痛み。そんなことはあってはならぬという、心からの応援。

その直前にはこんな場面もあります。
”バッジ”のトリックを見破ったコンピュータが、今しも防衛装置の作動を告げようとする時、それと察した虎4が(レーザーの照準を外そうと)せめてもの抵抗で発煙筒を投げ込む。その煙の中。

ハンターは異様なものを見た。少年の肉体がなにかしら驚くべき変化を遂げつつあったのだ。身体が水平に倒れかかりつつあったとき、もはや少年は人間の形状を逸脱していた。
狼!
ハンターは叫ぼうとしたが声にならなかった。熱湯に似た感動がどっと全身にあふれだした。


つまり逃走に集中する為に、狼人間犬神明少年が、人間型から狼型に、形態を変化させた場面ですが。
その姿を初めて間近に見たハンターの、素朴な感動。

込められているのは結局作者自身の心情であるわけでしょうが、とにかくここにおいて、ある種ハンターは”許され”てるわけですね。CIAの大物として過去の悪行も、今も腹の中に吹きだまらせているものも、”スポーツハンティング”という趣味としての殺生の繰り返しも、にも関わらず内心ナチュラリストを自認する、矛盾も偽善も。
殺され、今も目の前で迫害されている”自然”(の化身)への愛と敬意と、それへのエールを共有することによって。

ほとぼりが冷めて我に返ればまたハンターは、謀略と権力と地位と、いつもの「人間」的な秩序に戻って行くのかも知れませんが、少なくとも今ここにおいては、その真情を疑われてはいない。
その描写の説得力と、包容力と。彼は”改心”したというより、ただそうなんですね。『CIAの大物』としてダーティワークをこなす彼も、『スポーツハンター』として趣味で動物を殺す彼も、職務を裏切って侵入者に積極的に協力する彼も、狼と自然を心から愛する彼も、全て彼。全て人間というか。


もう一つ、僕が感動したのは、引用部最後の、「GO! GO! GO! GO!」
これには少し注釈が必要で、つまりここらへんまでの時期の平井和正は、こういう小説を書くことからも分かるように、ある意味人間嫌い、特に現代において最も「人間」を大規模に代表するアメリカを、アメリカ文明を嫌い、折りに触れて攻撃することに、一つの特徴のある作家だったんですね。後に自ら”人類ダメ小説”などと総括したように、「人間性」やアメリカをリーダーとする現代の人類全体への絶望や断罪を、かなり赤裸々にモチーフにした小説を多く書き、その筆頭がこのウルフガイシリーズなわけで。

ところがこの場面、自然の精霊たるウルフガイ/獣人たちによる、"アメリカ"(を象徴する力と貪欲と科学の結晶たるCIAの警備システム)への激烈で悲劇的な挑戦を描いているこの一つの絶頂シーンにおいて場面を支えているのは、実は正にアメリカ的/ハリウッド映画的なダイナミズムなわけです。

ハンターは熱狂に駆られ、握りしめた拳で執務デスクのバネルをがんがんたたきだした。
GO! GO! GO! GO!


GO! GO! GO! GO!
ブルース・ウィリスやらハリソン・フォードやらが躍動するようなカタルシスシーン。音楽はジョン・ウィリアムス?観客総立ち。

直接的にはこれは勿論、当事者たるサミュエル・ハンターがアメリカ人で、だからアメリカ人的な感情表現をした、それでこういう描写になったという、そういうことなわけですけど。
しかしこの場面がつまるところで僕に伝えて来たのは、やはり一種の"許し"の感覚なんですね、サミュエル・ハンターにも与えられた。

アメリカはクソだ。バカだ。ナリだけデカい、脳味噌筋肉のイジメっ子だ。
でも・・・・でも・・・・、時々抵抗し難くカッコいい、気持ちいい、見てると血が逆流して鳥肌立ちまくる瞬間がある。それこそこんな場違いな局面でも。そう感じる自分を否定できない。
あれはあれで、一種の人間的な「自然」の姿なんじゃないかとか、まあそこまではここで言ってないでしょうけど。でも"許し"てるのは確かだと思います。

よくよく考えると、平井和正というのは技法的には実は十分過ぎるほど"アメリカン"な作家で、映画版『幻魔大戦』
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にも繋がるようなアメコミ的バタ臭さを元々持ち("アダルト"の方のウルフガイシリーズとか)、『サイボーグ・ブルース』のような形でアメリカのブラック・カルチャー的なものを表現した作品なども、早い時期に出していたりするわけです。
だからむしろ、根本の部分ではアメリカ好きな、少なくとも親和性のある、"アメリカ"達者な、そういう作家であり、それが思想的にあえて反・アメリカ的な作品を猛烈な勢いで書いた、その複雑さ屈折が、ウルフガイシリーズや人類ダメ小説の隠れた魅力というか、奥行き感だったのだなあと、このシーンを読んだ時気が付いたというか、思い出したというか。

いや、瞬間的には本気で腹を立てて本気で憎んではいるんだと思いますけどね。
でも同時に、魅力を感じている部分も否定できないし、アメリカに憧れて育った戦後日本人としての自分の生地も、忘れてはいないし無視は出来ないしという。
その潔さ、虚心さが、この場面・作品の品格を一つ、最終的に支えているというか。


そこらへん、ウルフガイシリーズも初期の作品『紋章』『怨歌』あたりだと、かなりイデオロギッシュというか攻撃・叩きが直接的というか、読み返すと身も蓋もなく感じるところもあります。(それが魅力でもあったわけですけど。特に少年・僕にとっては)
だから本当に良くなって来たのは、やはりこの『レクイエム』あたりかなあという。

その後の舞台がアメリカに移ってから(『レクイエム』第3部以降、『犬神明』で完結するまで)のは、神がかって良いと思います。"人類"や"アメリカ"への疑問・相対化という基本モチーフはそのままに、より正面から徹底的にアメリカ人(に代表される人間)たちを描いていて、うらみつらみのマイナー臭というか、"作者"の直接的な存在感が何かスコーンと抜け落ちて、説得力が圧倒的になっているというか。


ああ、でもフースー(虎4)こ○すなよ。酷過ぎるよ。(読んだ人用)
正に"咆哮"しましたね、あの場面は。初読の時。"号泣"を越えて。
もしあの時アメリカへの、または全面核戦争への核ミサイルの発射ボタンを差し出されたら、迷うことなく押していたと思います。(笑)
滅びてしまえばいいさ、こんな生き物。(少なくともアメリカ)

・・・・という、当時の心情。
今でもたまに出て来ますね(笑)、こういう部分。


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