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Re.日本代表の昨今から思うところ 「摺り合せ」「造り込み」「熟成」
2009年10月20日 (火) | 編集 |
”漠々糊々”Marioさん、『日本代表の昨今から思うところ 「摺り合せ」「造り込み」「熟成」』より。
今いち焦点が絞れなくて、本当にコメント欄・掲示板のレスレベルですが。

そもそものMarioさんがあえてこれを書かれた中心的論点はなんだろうなあと少し悩んだんですが、ドログバさんのエントリーが並列して挙げられていることから察すると、”岡田ジャパンはそんなにきっちりしていない”(パターン化されていない)というのが趣旨なのかなあと推測しますが違いますかね。

岡ちゃんのサッカー戦術スタイルは「日本人は勤勉だけど、言われたことしかできない論」を、もっともっと助長させるスタイルであると言いたいんです。例のオシムのビブス練習はサッカーで大切な「状況判断を養うもの」であるわけですが、岡ちゃんの指導は「おれたち日本人が苦手な状況判断をなるべくしなくてもいいようなサッカー=限りなくオートマチックな日本オリジナルサッカー」を機械的に選手に仕込むものであり、それゆえにパターンにはまると強いけど、パターンが封じられるとジ・エンドみたいな感じ?


ここらへんですね。それに対してMarioさんは、そうではなくてもっとアバウトまたは選手の自主性(可塑性)が活躍していると。
僕の立場は”パターン”であり、またアバウトでもあるというものなんですけど(笑)。別に言い逃れではなくて、(書いた)最初から。

まあ、”レス”に行きます。
「全体への賛否」というより、気になったポイントだけという感じですが。


>一般的な日本人監督(あえて体育系)という・・・に比べ、典型的理系頭の文系(逆でも支障はない(笑))の監督は「異能」ですね。

そうなのかというのと、なるほどというのと、ドキッとしたというのと。
そうなのかというのは岡田さんがそういう人、「理系頭」(の文系)だというのは全く意識していなかったので、早稲田の政経ってそういうイメージなのかしらんというのも含めて(笑)、ちょっと意表を突かれました。・・・・まあ基本的には、「体育系」とのコントラストがメインなんでしょうけどね。
でも言われてみれば、仏教思想の”換骨奪胎”というレベルを越えて雑というか、つまみ食い的な理解の仕方などは、「悪気はないけど本来畑違いの人が、たまたま自分の思考に合わせられそうな部分を勝手に呑み込んでしまって教えた方苦笑い」みたいな、そんな風景ではあると思います。

そしてそういう”あっさり”感”つまみ食い”感が、岡田監督のサッカーにおける妙に要領の良い「解決」手段の見つけ方にも、見られるかも。それはしばしば当面効果的だったりもするんですが、本当にサッカー好きな人(や仏教好きな人(笑))にとっては、なんかやればやるほど根本から離れて行くような違和感というか不全感というか、そういうものが。
つまり岡田監督の”素人”性というのは、一つには単純に世代的にサッカー教養が足りないor古いというのもあるでしょうが、もう一つは「外」の人である、「異業種参入組」的なところがある(”彼はサッカー選手以前に政経学部卒の大企業サラリーマンですから”)その「自由」さ、蛮勇が、持ち味にもなっていると、そういことは言えるのかも知れませんね。明らかに独特の頭の柔らかさはありますから、「旧世代」にしては。

最後に「ドキッ」としたというのは、僕自身がつい最近、浦和のフィンケ監督を(基本ネガティヴな意味で)「理系頭」と表現していたからです。しかも一方で僕は、フィンケサッカーと岡田サッカーの類似性を、しばしば言っていた。にも関わらず、岡田さんについてはその件ノーマークだった。(笑)
Marioさんが知ってて書いたのかどうかは、知りませんが(笑)。(考え過ぎ?)
「理系頭」の論点も、大雑把に言えば同じ(パターン/局所プログラム優位、外野/”素人”性)ですが、今回は置いときます。

>監督はもっと、「次の試合に拘る」ものだと思っています。 監督の継続性は後から付いてくると・・・。

まあ当然ですね。”もっと”の部分は僕に対する反論なのかも知れませんが、それについては既に、
>>勿論どんなチームも瞬間の積み重ねで、その繰り返しで強くなって行くというのも一つの事実ですが、限度がある
という形で、但し書き(?)付きで一回まとめてあります。関連して

>以上のディティール部分が「戦術と構造」と言うのでしたら、「変幻自在(裏を返せば場当たり的・その場限り)」「継続・発展は無い」ですね。

のあたりですが、僕の岡田監督/岡田シャパンについてのイメージは、”一貫性”が無いとか”ぶれている”というよりも、「転がる石」のようだなというのが、実感に近いです。
流れ(比較的急流?急坂?)に任せてどんどん流れて、何も無ければそのまま行くけど、途中でゴツンゴツンと色んな障害物に当たって、その弾かれる方向や削られる面に任せて、ある意味勇敢に、後ろを見ずに変わり続ける。その速さ屈託の無さが、面白いと言えば面白いなと。前提としては、”スローガン”でやってるのにという。・・・・で、残りの期間でも何かにぶつかって、また”変わる”公算が高いというのが、前回の論旨ですね(笑)。例えばそれが加茂さんなら、変わりたくても変われないんでしょうけど。


こっからは多少、論争的。

>次に、『チーム戦術・構造の「主体」』ですが、「廻る三角形・車掛りの陣」(笑)。 これは「ぶれていない」と思います。

うーん、めんどくさいとこ。「戦術」「構造」「組織」「(攻撃)パターン」といった、(サッカー)用語の定義/用法の問題が絡んで来るので。
とりあえず、元記事での僕の用語法に迂闊なところがあったところは反省点で、実は書いた瞬間にもチラッとは思ったんですが(笑)、まあ意味は通じるだろうと。要するに、”セットプレー”や”サインプレー”などを極端な例とする、露骨で具体場面的な決め事としての「攻撃パターン」、それ以前に存在する基本的恒常的なチーム秩序程度の意味です。消極的一般的定義というか。
強いて言えば、「戦術」「構造」と並べるよりは、「組織」「構造」とでも並べた方が良かったかなと思いますが、大差無いか。結局のところは、前段の「攻撃パターン」についての一般論的説明が理解・同意されるかに、かかってると思うんですけど。
例えば(笑)ドログバさんはそこらへんをすんなり了解して下さったようですが、Marioさんは「戦術」という言葉の具体性に、少し引っ張られて読解されたのかなと思います。

>>「廻る三角形・車掛りの陣」(笑)。 これは「ぶれていない」と思います。 所謂「ショートパスムービングフットボール」の「役割分担サッカー」

関連して再度追加引用しますが、これについては賛成でも反対でもありません。力点の問題だと思います。
そう言ってもいい。でも僕の今回の文脈では、そう言わないという、それだけの話です。
別な言い方をすると、その戦術の「強度」の問題が絡んで来る。要求水準というか。

・・・・つまりですね、(特に)”俺流宣言”以後、”オーストラリア戦1st”までの間に開発・追求していたそれの純粋性・徹底性を重視するなら、その後の”憲剛システム”や”岡崎システム”(?)は、「変化」なわけです。でもそうでないなら、「継続性」の方を見ることも、可能なわけです。
極端に言えば、それこそ「”ショートパスムービング”だからオシムと岡田は同じだ(継続している)」と論じる人も実際にいるわけで(時に岡田さん本人も(笑))、だから尺度の問題ですね。これもそうだと言えば、そう言えるでしょう。(あんまり言いたくないですが)

で、一つこういう態度・力点の違いがどこから出て来るかと言えば、Marioさんが常に「接近なんちゃら」というような言い方で、ある意味ハナから岡田さんの実験(?)を相手にしていないように見えるのに対して、僕は少なくとも最初は、あるいは入口としては、出来る限り真に受ける、企画に乗ってみる形で、論を進めている(来た)ことがあるでしょうね。ご存じの通り。
行くところまで行ってから、否定なり変化なりを考えるという。論理的にも、現実的にも。
Marioさんの場合は、元々のご自分の「日本代表論」が、常に変わらぬ主役としてあって、そこらへんがたまに、結論が早過ぎて明確過ぎて、”岡田ジャパン”論としては読み難く感じることがあります。”大所””高所”からの論になっているというか。僕の感想ですが。

>「パターン」論ですが、『アーリークロス』も「メタファー」の一種で
>「練習のインセンティブを保つ為にやったであろう」「話題づくりにすぎない」『アーリークロス』作戦が決まるとは思っていなかったでしょうし


うーん、どうしてこう言えるんですかね。
『アーリークロス』という言い方自体は、本当は僕もしたくなくて、まあサポティスタみんな見てるだろうから便利だから使ってるだけで(笑)、岡田さんは(常にそうですが)そんなに”サッカー”的文脈では考えていないと思うので、そういう意味では確かに、「メタファー」でしかないと思います。
でもだからと言って、「インセンティヴを保つ為」「話題づくり」だとは。そんな真剣味の無いものだとは。
僕も別に練習を見学しているわけではないですが、中継中のレポなどを聞く限りでは、かつての(オーストラリア戦以前の)「ペナ角からの平行クロス」にしても、今回の(通称)「アーリークロス」にしても、目前の攻撃の行き詰まりを打開する為に、それなりに真剣に反復練習して、パターンを刷り込んで、そして選手は試合でそれを表現しているように見えます(聞こえます)が。

それを岡田監督が”やらせている”、その真剣味の問題と、Marioさんが論じて/主張されているその後の応用の(必要性の)問題は、別のことだと思いますが。矛盾はしないというか。
僕のも根拠と言うほどの根拠はないですが、少なくとも現象から出発した、素直な見方だと思います。Marioさんがそこまで言い切る理由は?

つまり、”パターン”は”パターン”だということになりますが、僕の立場は。位置づけは別にしても、実在しているというか。
その”パターン”性(”オートマティック”性)を、ドログバさんは「自主性や判断力の涵養を阻害するものだ」と問題視し、Marioさんは「そんなものは存在していない(余り意味は無い)」と断じて、「主体は選手たちで岡田監督は軽く方向づけしている(or選手の特性を取り込んでいる)だけだ」と反論していると、一応こういう構図なんですかね。

で、そこで僕はどこにいるかというと(笑)、”パターン”ではある。でも選手の特性の取り込みというのも、重要な本質としてある。しかしかと言って岡田監督がシャレでアイデアを出しているわけではない、やらせようとはしている。でもそれは”オートマティズム”というほど立派なものでも厳格なものでもないし、多分そこまでは考えていない。(最後のはここのコメント欄
誰の敵で誰の味方なんだか(笑)。いや、日和ってるわけではなくて(笑)、単に議論が整理されていない/上手く設定されていないんでしょうけどね。


こんな感じで、僕はまとめましたけど。
お二方色々と失礼を。

なお”「摺り合せ」「造り込み」「熟成」”については、表題になってる割りには(笑)それこそ「メタファー」で、スルーで良さそうですね。うるさく言えば、岡田論と日本人論の境目がはっきりしなくて、乱暴には感じますが。
ただ続く「可塑性」と「遺伝子」の話がかなり興味深いので、やはり「方法」として「日本人論」として、もうひと解説あると、有り難いですね。日本人論は後でおやりになるようなので、そちらに期待?(笑)。(忘れても咎めませんが(笑))


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コメント
この記事へのコメント
Re:Re:日本代表の昨今から・・・
丁寧なレスありがとう御座います。
さて、コメント欄の範囲で

中心的論点については、ご指摘の概略の通りです。
>”岡田ジャパンはそんなにきっちりしていない”(パターン化されていない)
 これまでは、攻守の「最後」の段階でこう強く思いました。 されていないというより、しようとしてしていないのか、するつもりがないのか? よく判らない所がありました。
>そうではなくてもっとアバウトまたは選手の自主性(可塑性)が活躍していると
 そうです。 パターンの「悪い側面」(ドログバさん記事の懸念)より、可塑性が出た。 パターン刷り込みをある程度やって、その結果の応用を引き出すべきだと。 それができるメンバーだと思います。

>Marioさんが知ってて書いたのかどうかは、知りませんが(笑)。(考え過ぎ?)
知ってました(笑)。

>残りの期間でも何かにぶつかって、また”変わる”公算が高い
[
「変わる」のは同感です。 場合によっては「え!?」みたいな(笑)

さて、続きへ・・・
>「攻撃パターン」
>「組織」「構造」
>Marioさんは「戦術」という言葉の具体性に、少し引っ張られて読解
 ここは、読み違ったかもしれません。 了解しました。

>純粋性・徹底性を重視するなら、その後の”憲剛システム”や”岡崎システム”(?)は、「変化」なわけです。でもそうでないなら、「継続性」の方を見ることも、可能
 この辺がよく判らなかったので、アトさんにはツッコンでしまったのですが、了解しました。 そのためにあえて「強引な括り」の「ムービング・・・」や、「廻る・・・」みたいな喩を使ってみました。 今(これまで)は、「括る」べきもんではないし、あやふやにでも括る「枠」より、大きく自由度のある状態ではあると思っています。
 私は、この変化はチーム完成の過程の単なる仕上げと思います。 「組織・構造まで大きくは変わらない」だろう・・と。 ただそれが、長いスパンでの発展性となると、このチームの完成とは連動しないし、解散して次の監督が来て、組織・構造を引き継がない限り、継続性は無い。 と思います。

>自分の「日本代表論」が、常に変わらぬ主役
 現監督の場合、特に「パターン」を設定して、それと対比して視るというやり方をしているので・・・
>”大所””高所”からの論
 更に今回は、普段からそういわれるのに、意識的にそうかいてます。 あまり使いたくない表現もありました。

そして、
>うーん、どうしてこう言えるんですかね。・・・
>Marioさんがそこまで言い切る理由は?
 ここは「・・・なんて妄想しています。」を、ここまでの全文に繋げたつもりだったのですが、アップしてから、前段は「断定」に読まれるかも・・・と思いつつ、そのままにしました。 やはり入り口の文章としては良くなかったですね。 反省・・・、ご容赦の程。
 その上で。 「妄想した」のは、パターンやテストの一試合の成否より、もっと大きく、次のことを考えていてほしいなあ、という裏返しです。 考えているはずです。 いてほしい・・・。

>一応こういう構図
 そうです。この点はドログバさんとやります。

>”「摺り合せ」「造り込み」「熟成」”
 おっしゃるとおり、メタファーですが、現監督の手法が、結局「これ」か・・・という思いがあります。 代表監督「パターン」論との対比です。
>「可塑性」と「遺伝子」・・・
 最近仕入れた(笑)言葉で、結構気になっています。 もう少し整理して書くつもりではおります。 他にも書き残しばかりですが忘れてはいません(笑)

 それでは・・・
2009/10/20(Tue) 21:28 | URL  | Mario #-[ 編集]
おお
なんか高速パス回しのようなコメント、ありがとうございます。
かえって分かり易いですね、こっちの脳も回転するというか。(笑)

>パターン刷り込みをある程度やって、その結果の応用を引き出すべきだと。
>現監督の手法が、結局「これ」か・・・という思いがあります。

あ、ここらへんのMarioさんの”肉声”が新たに聞けて、だいぶ全体としてのおっしゃりたい感覚が分かるようになった気がします。

>私は、この変化はチーム完成の過程の単なる仕上げと思います。

どこかへ”向かって”いる(「過程」な)のか、「完成」というべきものがあるのか、そこらへんはちょっとなかなか今僕には見えません。
”転がる石”がピンボールの挙句、ど真ん中に戻ってゴールイン!とか、見てみたいですが。(笑)

結局「可塑性」(⇔「遺伝子」)の話は、いつもおっしゃる(その国のサッカーの)「最大公約数」の話、それを”作る”プロセスのより大局的見地からの言い換えになるのかなと、改めて読んで思いましたが。
では続編、期待しています。(笑)
2009/10/21(Wed) 06:54 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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■Marioさんありがとう!”漠々糊々”のMarioさんが、岡ちゃん日本代表論を書いてくれました。Marioさんは私と違って、途中から“脱アンチ岡ちゃん”という立場であったと記憶しておりますが、違っていたらすみません。まぁ私も“アンチ岡ちゃん”と自称しつつも、これだ?...
2009/10/20(Tue) 23:11:02 |  doroguba*footballcolumn*