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久しぶりのオシム
2009年12月06日 (日) | 編集 |
大した内容じゃないんですけど、何となくね。(笑)
ケンタロウ氏のことは、フル出場したらしい、甲府の最終戦を確認してから、改めて。


元日本代表監督オシム氏「夢を見すぎることはよくない」 ワールドカップ抽選会を受けて (スポナビ)

夢を見すぎることはよくない。夢がすべて現実となったら危険を伴うからだ。


ここらへんの言い方が面白いですね。決まり文句という以上の意味で、「哲学」的というか。

この(夢を見すぎることはよくないという)発言は、"現実を見ろ""現実的になれ"というような意味で広くは受け取られるでしょうし(見出しもそのニュアンス)、

デンマークやカメルーンと対戦する上で夢を見る必要はあるのか。


という続け方も、概ねその解釈で問題ないとは思うんですが、それ自体は別に誰でも言えるわけで。
オシムの面白いところ、ならではのところ、「哲学的」な雰囲気というのは、その後に紛れ込んでいる「夢がすべて現実となったら危険を伴う」の方にあるかなと。

・・・・そう、あくまで"紛れ込んでいる"のであって、ある意味これは、今回の日本代表への提言/贈る言葉という直接の趣旨には、関係無いというか別に要らないというか。(笑)
ではなぜ言うか、口に出るかと言えば、それは"夢"について、"夢"について語るという行為において、どうしても言っておきたい、言わずにはいられない本質的な事柄だからでしょうね、オシムにとって。

そんなに意識して"紛れ込ませている"わけでは、ないと思いますが。別にサブリミナルとかでは。(笑)
ただ「言葉」を発するという行為における、オシムの責任感と美意識にとって、"余談"とはいえ言わずにすますのは気持ちの悪い、事柄なんでしょう。(少なくともその瞬間に)

「夢がすべて現実となったら危険を伴う」
"夢がかなわない"ことを嘆くのでも、"夢を見て現実を見ない"ことについて苦言を呈するのでもなく。
あえて言えば、"夢がかなう"ことの危険性について。
"夢を見る"という、行為自身の中に潜む、危険というか。

ボスニアなり旧ユーゴ連邦なり、バルカンにおける「悪夢」が、権力者たちや各民族の無意識そのものの中に眠っていた「夢」が、"実現"した一つの結果であるから・・・・という説明は、分かり易いかも知れないけれど、具体的過ぎてちょっと嫌かな。オシムも嫌でしょう。(笑)
"具体的過ぎる"ものというのは、要するにこれも、やや不用意な「夢」の「実現」したものですね。
本当はまだ夢のままでいるべきだった、実現される準備の整っていないものが、うっかり現実に形を持ってしまったもの。
まあでも、うっすら発言の背景にはあるかな、その悪夢のイメージは。
"あれ"を見て気付いた、わけではなくて、ああやっぱりやっちゃった、という感じでしょうけど。

きちんと「夢」を見ることと、その「夢」を適切なやり方でかなえることと。
それが出来ないのならば、いっそ見ない方が、あるいは眠ったままでいる方が、マシかも知れない。
一方で「見」られた「夢」は、かなってしまうという恐ろしい性質も持っているので、その危険性について。


ちょっと抽象的過ぎますか。
その後の"Jリーグ"についての

日本代表を強くするのはJリーグの存在だ。外国人枠が限られているJリーグでは、当然のように日本人が多くプレーしている。つまり国内リーグの発展が代表強化につながるのだ。


という発言などから、より直接的にサッカー的に言い換えれば、"現実に根差した夢を見よ"ということかな。夢の見方を、というか。

"夢"で"現実"を置き換えるのではなくて、大部分は要は偶然としがらみで構成されている当面の「現実」、その可能態や可能性のあらん限りを汲み取って、"あり得るベストの現実"としての、"夢"を見る。
それが完全に実現することは、それこそ偶然としがらみが許さないのでいずれ夢想ではあるわけですけど、しかし無根拠ではない。またそうした"夢"なら、実現する価値があるし、運が良ければ十分に実現する可能性もあるわけで。

「実現する価値」というのはつまり、その"夢"が実現した結果、"現実"がより良くなるような夢ということか。
"偶然としがらみ"で構成されたこの乱雑な現実、しかしそれと同レベルの"偶然としがらみ"でしか進行しない、質の悪い思考や想像が織りなした「夢」など、原理的に何のクオリティの向上も期待できないわけで。実現しても、ある不幸を別の不幸で置き換えるだけというか。
当面誰も邪魔しない「夢」くらい、きちんと精密に繊細に見ようよという。僕がフィクションに変に厳しい・うるさいのも、そういう理由があるのかも知れない(笑)。余りにも未整理な「夢」や、現実の追従でしかない「夢」を見せられると、イラッとする。

・・・・そう言えば"うっかり得た超能力"により、現実がむしろますます悲惨になるというストーリーは、日本のアニメなどにも沢山ありますよね。
プリミティヴに言えばまあそういうことです、「夢」の「危険」。


例によっていつの間にか段々自分の話になりかけてますが、オシム。
真意はともかくとして、こういう余談だらけという余談が本編というか、あえて言えば"質問に対する答え"ばかりでは必ずしもない、そもそも目の前の相手に話してるのか?みたいなフワフワした喋り方はオシムの特徴で、なんか独り書きの文章みたいな語りというか、ブログ書いてるみたいというか。(笑)
要は"答える""対応する"ことよりも、"言うべきだと考えていることを言う"ことが、遥かに優先するからでしょうね。

・・・・の、割りには、メディア観みたいなものは今いち古いというか型通りというか、日本の実情を把握しているようにはあんまり見えないのは現職時代と僕の印象は変わらなくて、

日本サッカーの中で欠けているもの、それは真実だ。特にサポーターは真実の情報が不足しているように思える。
そこでメディアの役割が問われる。中村俊輔の報道ばかりしてはダメだ。目立たない選手だが良い選手はたくさんいる。何が重要かを見極め、適切な報道をすること、賛辞ばかりではなく批評はしっかりすること、このことが日本サッカーの発展につながることを忘れてはいけない。


とのことですが、端的な「事実」は別にして、こと「批評」的なことに関して日本の"サポーター"が、既成・公式的な報道に今更多くを負っているとは、とても言えないと思いますが。余計な心配というか。燃料投下されれば、せっかくなのでとりあえず燃え上がって見せたりはしますが。(笑)
むしろ"監督"や"協会"や、そっちサイドの方にとっての、「問題」かと。いちいち見出しレベルの報道に振り回されるのは。取り越し苦労で変な動き(発言)をしたり。それで自分を追い詰めたり。
まあ今年のフィンケとかは、ちょっと余りにもかわいそうですけどね。来日一年目でもあるし。無理はないというのもあるし。

それはそれとしてオシムはどうも、難しいところがあるんですよね、位置づけが。
もう"上がっちゃった"人なのか、まだ現実の批評性を求める位置の人なのか。
ペレやクライフの言うことのように聞いてれば(聞き流してれば(笑))いいのか、「普遍」の観点だけでいいのか。
それともある種の"ジャーナリスト"なのか、現役の評論家なのか。

トルシエとかはそこらへん、はっきり優秀だと思いますけどね。
立場を弁えて引きつつも、「あ、見てやがる」というドキッとさせる瞬間が、随所にある。
元々そういうタイプなんだろうとも、思いますが。


"哲学者"としてのオシムは、好きですよ。
端で聞いてる人が、成立してるのかしてないのか心配になるような会話を、ゆっくりしてみたい。(笑)
黙ってるな。・・・・あ、終わったのか!!いつ?!みたいな。(笑)
何語でだかはよく分からないけど。(笑)

と、いう"夢"。
別に実現しなくていいけど。(笑)
おあとよろしい?


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