2009年12月16日 (水) | 編集 |
別の"林"の件で落ち着かないですが、忘れない内に。
林 健太郎選手現役引退のお知らせ (甲府公式)
プレーについてはもう語り尽くされている感じなので、全体的な印象を言うと、「強い」人だなと。「自然体」でもある。「自然体」だから「強い」、のかも知れない。
プレーぶりからどうしても変人というか、ひねくれてる印象を持たれがちだと思いますが、むしろ素直というかひねりが無いというか、ひょっとして"天然"?みたいな疑いも持っています。(笑)
実はそんなに自意識の強い人ではなくて、そういう意味では石塚とは、似てるようで似てないかなと。ファッションリーダーには、なれないでしょう。(笑)
引退後も旅人やファッションリーダー(笑)には目もくれず、普通にサッカー界でやって行くようですね。監督稼業で泥まみれになるのも、特には厭わなそう。
一つ大きく印象を変えたのは、数年前にサカダイでやっていたコラム『MAESTROの独り言』で、正直言って僕はあんまり面白くなかったというか、少なくともプレーの面白さからすれば別人に近いなというそういう印象でした。一言で言って・・・・えらい普通だなあと。
そこからどうも、この人は素直過ぎて逆に悪目立ちするのかなと、そういう方向にプロフィールを修正したら、何となく全体が収まりがよくなって来たと、そういう感じです。
・・・・だからトルシエに本気で体当たりした(Wiki)、のかどうかは知りませんが。(笑)
ただその前に加茂監督に召集されて、ブラジル戦に先発(ポジションは3バックのストッパー)するなど一定の評価を受けながら、ある程度以上のプレーの変化要求を拒否して結局外されたのも、その後も自分からは特に代表に色気を見せたりせず、また時に難点も多く指摘される独特のプレースタイルを終始変えなかったマイペースぶりも、反骨というよりは素直に出来るプレーをしていただけという、そういう感じがします。
かといって"自分らしさ"をそれほど意識していたわけでもなく。変わってないようで、変わってたりもするんですよね。ちゃんとゾーンプレス(笑)もやってたし、甲府の走るサッカーにもそれなりに合わせてるし。変えることにも変わらないことにも執着しない・・・・て、どこの上人(しょうにん)様ですかという。(笑)
"コロコロ"PKも実は割りと単純に、観察と確率から出て来たプレーという、それだけなんじゃないですかね。
それが変だと言われたりとか、失敗したら何言われるだろうとか、そういうことはハナから気にしない。そういう、「自然体」の「強さ」。
いや、でもほんとに、日本人プレーヤーとしてはほとんど類を見ない、「個」としての強さを感じた人でした。
自分自身であることで、十分に完結出来る。それに比べたら中田ヒデだの本田ゴリラだの、マイペースなようで人の目ばっかり気にしてて、相手になるレベルではないと思います。そういう意味ではね。
近いレベルのものを感じるとしたら、実はカズなんですが、ただカズの場合は方向性としては逆なんですよね、僕が思うに。つまり、「自然体」、でないのがカズの最大の特徴で、しかし強さの秘訣。
どういうことかと言うと前にちらっと書いたと思いますが、カズは「カズ」というキャラクターになり切ることによって、そのキャラクターの歩む「成功するサッカープレイヤー」「世界/海外で活躍・活動する日本人選手」というストーリーを演じ切ることによって、あの揺るがない強さを手に入れている。
それは大きくはカズが活動を始めた、無謀に近く果敢にブラジルに渡った時代の問題が大きくて、はっきり言ってあの時代の(しかも実績も無い)日本人サッカー選手が、ブラジルや世界で"成功"する根拠も基盤も、丸っきり無かったわけでね。ストーリーにでも、"フィクション"にでも頼るしか。それで不安を押し込めるしか。
そんなに意識的にやったとは思わなくて、そういう「方法」を"選択"するまでもなく採用して突き進めたカズの、あれはあれで特異な才能なんだろうと思いますけど。ジェノアに渡ったあたりからは、だいぶ"ストーリー"の構成にも無理は見え始めてはいましたが。
まあサッカー選手だと分かり難いですけど、例えばミュージシャンなら、矢沢永吉とか長淵剛とか、そんなような感じの人は結構いますね。"成り上がり"ストーリーという意味では、矢沢永吉的ですが、キャラクター化による"強さ"の獲得という意味では、長淵剛的。
ただしこの方法は、心理学的(笑)に言うと「人格の空洞化」「虚構化」の類なので、あんまりお勧めはしたくない。林健太郎方式の方がいい(笑)。林健太郎的"強さ"の方が健全というか。
でもその場合問題なのは、林健太郎"方式"ば実は「方法」ではなくて、単に林健太郎個人の資質である部分が大きいということで、つまり彼は要するに特別にサッカーの才能があって、その強みに支えられた人間的な強さがあったという、それだけと言えばそれだけなんですよね。"自意識の薄さ"というのは、立派なことではありますけど、どのみち容易に凡俗の真似出来るものではないという意味では、同じ。(笑)
ともかく、カズの「キャラクター」であることの強さと、林健太郎の"自然体"の、言い換えれば「人間」としての強さと。そういうコントラスト。
ついでに、キャラクターになり切れなかった中田ヒデと。「キャラクター」であると同時に「人間」でもある、ゴン中山の不思議さと。
"コロコロ"を受け継いでいるだけあって遠藤ヤットには、確かに林健太郎に似たものは随所に感じますね。
ただ遠藤の場合は、それを"粋"というか"スタイル"として意識している部分がどこかにあると思いますが、林健太郎にはそれもほぼ感じない。不思議な人です。やはり"天然"?(笑)
そんな話。
最終戦の録画で、久々に長い時間林のプレーを見ましたが、全体がよく走る甲府のサッカーの中で更に活かされる、寸分も錆び付いていない林健太郎のロングパスの妙技に、これで引退するのかあと改めて残念な気持ちが。
何も、変わってないよ。魅力も、威力も、美しさも。
ま、色々と見えないところでガタは来てるんでしょうけどね。何となく永遠に引退しないような気にもなってたので(笑)、発表には不意を突かれました。甲府自体のサイクルの問題も、あったんでしょうかねえ。
本当のパスは永遠なんですよね。時代も関係無いし。だからマラドーナとかも永遠で。
そしてその本当のパスが放たれた瞬間には、それまでの/それ以外のあれやこれやが、綺麗にどうでも良くなって。
色々含めて、上手い人でした。確実に、"サッカーを見る"理由の一部を構成していた人というか。
林 健太郎選手現役引退のお知らせ (甲府公式)
この度、弊クラブに所属しております林健太郎選手が現役を引退することとなりましたので、お知らせいたします。林選手のプロフィールは下記の通りです。
■生年月日
1972年8月29日生まれ(37歳)
■出身地
東京都
■身長/体重
182cm/75kg
■血液型
B型
■ポジション
MF
(以下略)
■コメント
「今シーズン限りで現役を引退することを決意いたしました。プロサッカー選手として15年の間、多くの方々に応援していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。これからもサッカーに関わっていきたいと思いますので、温かく見守っていてください。本当にありがとうございました。」
プレーについてはもう語り尽くされている感じなので、全体的な印象を言うと、「強い」人だなと。「自然体」でもある。「自然体」だから「強い」、のかも知れない。
プレーぶりからどうしても変人というか、ひねくれてる印象を持たれがちだと思いますが、むしろ素直というかひねりが無いというか、ひょっとして"天然"?みたいな疑いも持っています。(笑)
実はそんなに自意識の強い人ではなくて、そういう意味では石塚とは、似てるようで似てないかなと。ファッションリーダーには、なれないでしょう。(笑)
引退後も旅人やファッションリーダー(笑)には目もくれず、普通にサッカー界でやって行くようですね。監督稼業で泥まみれになるのも、特には厭わなそう。
一つ大きく印象を変えたのは、数年前にサカダイでやっていたコラム『MAESTROの独り言』で、正直言って僕はあんまり面白くなかったというか、少なくともプレーの面白さからすれば別人に近いなというそういう印象でした。一言で言って・・・・えらい普通だなあと。
そこからどうも、この人は素直過ぎて逆に悪目立ちするのかなと、そういう方向にプロフィールを修正したら、何となく全体が収まりがよくなって来たと、そういう感じです。
・・・・だからトルシエに本気で体当たりした(Wiki)、のかどうかは知りませんが。(笑)
ただその前に加茂監督に召集されて、ブラジル戦に先発(ポジションは3バックのストッパー)するなど一定の評価を受けながら、ある程度以上のプレーの変化要求を拒否して結局外されたのも、その後も自分からは特に代表に色気を見せたりせず、また時に難点も多く指摘される独特のプレースタイルを終始変えなかったマイペースぶりも、反骨というよりは素直に出来るプレーをしていただけという、そういう感じがします。
かといって"自分らしさ"をそれほど意識していたわけでもなく。変わってないようで、変わってたりもするんですよね。ちゃんとゾーンプレス(笑)もやってたし、甲府の走るサッカーにもそれなりに合わせてるし。変えることにも変わらないことにも執着しない・・・・て、どこの上人(しょうにん)様ですかという。(笑)
"コロコロ"PKも実は割りと単純に、観察と確率から出て来たプレーという、それだけなんじゃないですかね。
それが変だと言われたりとか、失敗したら何言われるだろうとか、そういうことはハナから気にしない。そういう、「自然体」の「強さ」。
いや、でもほんとに、日本人プレーヤーとしてはほとんど類を見ない、「個」としての強さを感じた人でした。
自分自身であることで、十分に完結出来る。それに比べたら中田ヒデだの本田ゴリラだの、マイペースなようで人の目ばっかり気にしてて、相手になるレベルではないと思います。そういう意味ではね。
近いレベルのものを感じるとしたら、実はカズなんですが、ただカズの場合は方向性としては逆なんですよね、僕が思うに。つまり、「自然体」、でないのがカズの最大の特徴で、しかし強さの秘訣。
どういうことかと言うと前にちらっと書いたと思いますが、カズは「カズ」というキャラクターになり切ることによって、そのキャラクターの歩む「成功するサッカープレイヤー」「世界/海外で活躍・活動する日本人選手」というストーリーを演じ切ることによって、あの揺るがない強さを手に入れている。
それは大きくはカズが活動を始めた、無謀に近く果敢にブラジルに渡った時代の問題が大きくて、はっきり言ってあの時代の(しかも実績も無い)日本人サッカー選手が、ブラジルや世界で"成功"する根拠も基盤も、丸っきり無かったわけでね。ストーリーにでも、"フィクション"にでも頼るしか。それで不安を押し込めるしか。
そんなに意識的にやったとは思わなくて、そういう「方法」を"選択"するまでもなく採用して突き進めたカズの、あれはあれで特異な才能なんだろうと思いますけど。ジェノアに渡ったあたりからは、だいぶ"ストーリー"の構成にも無理は見え始めてはいましたが。
まあサッカー選手だと分かり難いですけど、例えばミュージシャンなら、矢沢永吉とか長淵剛とか、そんなような感じの人は結構いますね。"成り上がり"ストーリーという意味では、矢沢永吉的ですが、キャラクター化による"強さ"の獲得という意味では、長淵剛的。
ただしこの方法は、心理学的(笑)に言うと「人格の空洞化」「虚構化」の類なので、あんまりお勧めはしたくない。林健太郎方式の方がいい(笑)。林健太郎的"強さ"の方が健全というか。
でもその場合問題なのは、林健太郎"方式"ば実は「方法」ではなくて、単に林健太郎個人の資質である部分が大きいということで、つまり彼は要するに特別にサッカーの才能があって、その強みに支えられた人間的な強さがあったという、それだけと言えばそれだけなんですよね。"自意識の薄さ"というのは、立派なことではありますけど、どのみち容易に凡俗の真似出来るものではないという意味では、同じ。(笑)
ともかく、カズの「キャラクター」であることの強さと、林健太郎の"自然体"の、言い換えれば「人間」としての強さと。そういうコントラスト。
ついでに、キャラクターになり切れなかった中田ヒデと。「キャラクター」であると同時に「人間」でもある、ゴン中山の不思議さと。
"コロコロ"を受け継いでいるだけあって遠藤ヤットには、確かに林健太郎に似たものは随所に感じますね。
ただ遠藤の場合は、それを"粋"というか"スタイル"として意識している部分がどこかにあると思いますが、林健太郎にはそれもほぼ感じない。不思議な人です。やはり"天然"?(笑)
そんな話。
最終戦の録画で、久々に長い時間林のプレーを見ましたが、全体がよく走る甲府のサッカーの中で更に活かされる、寸分も錆び付いていない林健太郎のロングパスの妙技に、これで引退するのかあと改めて残念な気持ちが。
何も、変わってないよ。魅力も、威力も、美しさも。
ま、色々と見えないところでガタは来てるんでしょうけどね。何となく永遠に引退しないような気にもなってたので(笑)、発表には不意を突かれました。甲府自体のサイクルの問題も、あったんでしょうかねえ。
本当のパスは永遠なんですよね。時代も関係無いし。だからマラドーナとかも永遠で。
そしてその本当のパスが放たれた瞬間には、それまでの/それ以外のあれやこれやが、綺麗にどうでも良くなって。
色々含めて、上手い人でした。確実に、"サッカーを見る"理由の一部を構成していた人というか。
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この記事へのコメント
いつもながらのサッカー外でのコメントですが…
キャラクターに成り切った人という点では、
おそらく長嶋茂雄が最も有名なんじゃないかと思いますが、
それが出てこなかったのは単純なアトさんの世代の問題なんでしょうか?
それともそうではないものを感じている?
キャラクターに成り切った人という点では、
おそらく長嶋茂雄が最も有名なんじゃないかと思いますが、
それが出てこなかったのは単純なアトさんの世代の問題なんでしょうか?
それともそうではないものを感じている?
2009/12/17(Thu) 14:26 | URL | 酩酊 #qSelq1sU[ 編集]
まず「世代」の問題ですが(笑)、僕がプロ野球を意識して見出した時点で、長嶋さんは既に引退していたので、思い入れが強くて盲点になっている(そういう意味ですよね?)とかそういうことはありません。そこまでの歳じゃありません。(笑)
しかも現在のラモスや王道ヴェルディ的なものに対する態度から想像出来るように、どちらかと言えば嫌いですし。まあ本人を積極的にというより、「長嶋ファン」と自称する人の最低半分が生理的にアカンということですけど。徳光とか筆頭に。
次に本題の「キャラクター」の件ですが、長嶋さん自体は色々な意味で申し分なく恵まれていた人で、別にそんな不自然な努力の必要も無いですし、元々は普通に"天然"だったんじゃないでしょうかやっぱり。
ただそれが派生して出来上がった「キャラクター」を、いつからかある程度"引き受ける"形にはなっているでしょうけどね。選手時代は知りませんが、強い必要性が出て来そうなのは、やはり"政治"がより絡んで来る引退後ですかね。
回り回ってすっかり"象徴"的な存在・人格になっちゃって、例えばゴジラ松井の大リーグ移籍の時のコメントとか、ほんともう「人形」みたいで、わあ、中身スッカスカだあ気の毒にとか思ってましたが。
まとめると長嶋さんは、より消極的後追い的に「キャラクター」を引き受けていて、はっきり言って本人にとっての幸福やメリットはほとんど無い気がします。元々のタイプも違う。
カズと比較するとすれば、むしろ新庄ですかね。あれならかなり近いでしょう。
しかも現在のラモスや王道ヴェルディ的なものに対する態度から想像出来るように、どちらかと言えば嫌いですし。まあ本人を積極的にというより、「長嶋ファン」と自称する人の最低半分が生理的にアカンということですけど。徳光とか筆頭に。
次に本題の「キャラクター」の件ですが、長嶋さん自体は色々な意味で申し分なく恵まれていた人で、別にそんな不自然な努力の必要も無いですし、元々は普通に"天然"だったんじゃないでしょうかやっぱり。
ただそれが派生して出来上がった「キャラクター」を、いつからかある程度"引き受ける"形にはなっているでしょうけどね。選手時代は知りませんが、強い必要性が出て来そうなのは、やはり"政治"がより絡んで来る引退後ですかね。
回り回ってすっかり"象徴"的な存在・人格になっちゃって、例えばゴジラ松井の大リーグ移籍の時のコメントとか、ほんともう「人形」みたいで、わあ、中身スッカスカだあ気の毒にとか思ってましたが。
まとめると長嶋さんは、より消極的後追い的に「キャラクター」を引き受けていて、はっきり言って本人にとっての幸福やメリットはほとんど無い気がします。元々のタイプも違う。
カズと比較するとすれば、むしろ新庄ですかね。あれならかなり近いでしょう。
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