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笠井潔 『青銅の悲劇 瀕死の王』 より ~「主義」と「戦術」?
2009年12月28日 (月) | 編集 |
青銅の悲劇  瀕死の王青銅の悲劇 瀕死の王
(2008/07/25)
笠井 潔

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p.475

「鷹見澤さんは天皇主義者ではないんですか」
「君のような戦後生まれは知らんだろうが、もともと主義者とは左翼のことだし、天皇制という用語も、左翼のものだ。天皇制を支持したり天皇主義者を名乗る右翼など、まがいものにすぎん。」
 老人の指摘は認めざるをえない。国学や水戸学を源流とする尊皇思想は西欧から輸入された「主義」の枠には収まりえない。厳密に言えば、「思想」という言葉も適当ではないだろう。


ある偏屈な右翼老人と周囲から目されている資産家の隠居と、作者の分身である元学生運動の闘士の小説家との対話。

ここでの「主義」「思想」"戦術"などと、ついでに「戦後」を"Jリーグ以後"などと置き換えてみれば、今日の日本のサッカー論壇(?)のある側面の、結構的確なアナロジーになるような気がします。
どんな「戦術」かではなくて、「戦術」とやらがあって当然という発想及び言葉遣い自体が、既にサッカーの見方・捉え方の、ある立場への偏向を意図せずして示しているという。戦術を示せという要求自体が、ニュートラルなものでも公平なものでもなく、最初から「主義者」的物言いであるという。

「主義」者でなければ「思想」を示せなければ、その人は物を考えていないのか。そうではない。しかし戦後のある時期、特にマルクス主義をめぐって、そういう空気はこの日本にも確かにあった。(ようです)
ここらへんの感じが分からないと、ジーコなりラモスなりのブラジル的指導者、ギド・オジェック・エンゲルスと続いた(部分的にはフィンケも)レッズのドイツ人指導者などのサッカー観、彼らがどのようにサッカーを捉え、彼らなりの整合性を持ってチームを率いようとしたのかは、なかなか想像力の範囲に入って来ない。頭がおかしいか、何も考えていないようにしか見えない。(笑)
ある世代以前の、日本人指導者でも、それは同じでしょうけどね。(川勝さんも?)

僕もダイレクトに分かるわけではないですけど。「戦術」じゃなければ何か。うーん、「サッカー」ですというくらいしか、言葉としては言えない。
でも僕だって確かに、「戦術」なんてことは考えもしないでサッカーを見て、それで特に不都合の無い時代は経験している。
例えばジーコやラモスは「個人」技頼みであるとか、こういう言い方自体に実は「戦術」派側の、"主義者"側のバイアスが、我田引水が、既に含まれているんですよね。彼ら内部の整合性はまた少し違って、だからしばしば話が通じない。"左翼"から見れば"右翼"なんだけど、彼ら自身は単に「普通」だと思ってるだけでしょう。

「保守」というのは"バランス"そのものであり、本質的に受動的なものなので、「革新」や「主義者」側のようには、積極的に自らを示せない。しかしでは何も無いのかというと、そうではない。"ノンポリ"ですら、何も考えていないということは、即ちでは意味しないわけで。単に"ポリシー"や"思想"という形では、自己規定をしないだけで。
逆に明示的「主義」や「思想」に拠ることで、実際には思考停止している輩も、全く珍しくなくそこら中に存在している。

つまり僕は「主義」者ではないわけだけど、しかし言語表現上、方法論上は、保守やニュートラルではなかなか物事は動かない。政治はともかく、現状サッカーでは特にそうですね。
サッカー=戦術だとは全く思わないけれど、さりとてジーコやラモスやエンゲルスに、自分のチームを任せたいとは思わない(笑)。そこが難しいところで。
サッカーの全体性はどこにあるのか。どこで見つけたらいいのか、あるいはどこで取りこぼしたのか。

実際の一流の監督というのは、「主義」に拠りつつ主義に頼らないか、これという思想はないけれど見事な整合性・一貫性を作り出す人か。それを不用意に言語的に"分析"してしまうと、そこらへんの全体性包括性は、しばしば蜃気楼のように消えてしまう。
結局「心構え」や「警戒心」や「細心さ」くらいしか、こちら側の"方法"としては存在していないんだけど。後はその都度その都度、考えるだけで。

上手く伝わってるかな。(笑)
つまり今は、言わば「学生運動」真っ盛りで、多かれ少なかれみんな"左翼"になっちゃってるんだよと、そんな話。
いずれ落ち着く日が来る、左翼的"主義"からは自由なところで、サッカーについての思考をめぐらすことが当たり前に出来る日が来て、その時には日本サッカーの戦闘力そのものも、より強く分厚くなっている・・・・はずだと思うんですけどね。

同じことは"Jリーグ"についても、言えるかも知れないけれど。その「理念」をめぐって。


p.484

 日本人の大多数は第二次大戦をアメリカへの敗北であると思いこんだ。日中戦争の泥沼化によって、勝利の展望など皆無の対米戦争に押しやられたにもかかわらず。日本の敗北の裏側には、日中戦争にアメリカを引きこんだ中国の戦略の勝利がある。しかし日本人は、この事実を正視することなく再出発した。


作者の分身の独白。こっちはサッカーとは関係ないです。(笑)

"あの戦争"を「直視しない」あり方としては、"正しい戦争"だったor"そんなに酷くはなかった"あたりが一般的で、いずれにしても(当時の)中国に対する優位はある程度デフォルトに折り込まれ済みで、後は道徳的問題が残るだけなわけですけど。
これはそうではなく、実際問題中国にしてやられたんだ、中国に負けたんだという、なんか意外な方向からの、"あの戦争"への「反省」

中国を持ち上げてるような、クサしてるような。(笑)


・・・・小説自体は、有名なところでは有名な、"現象学探偵・矢吹駆シリーズ"の、最新刊のような外伝のような、よく分からない作品。
要は改めて丁寧に「現象学的推理」の必然性を説明したというか、客観主義的推理の不可能性を示したというかそれだけの、やや単調な作品で、評判はかなり悪いようですけど(笑)まあ覚悟の上かなと。

やたらガンダム談義が出て来るのが、売りと言えば売り?(笑)
一応作者の分身はガンダム世代からは少し上にずれていて、モロなオタク談義には入れないでいたりしますが、でも多分、ターンAはあんまり好きそうじゃないな、むしろウィング好き?とか、そんな感じのことは読んでると想像出来たりします。(笑)


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