2010年02月13日 (土) | 編集 |
昨日の書き方だと、ひょっとして「中央」が"幹"で「サイド/クロス」が"枝葉"みたいに読めなくないかもしれませんが、そういうことではありません。たまたま今の岡田ジャパンのサイドアタックが、特異にオプション的な「作戦」的な位置づけで生まれたものなので、そういう構図にちょうどなってしまっただけです。
本来的には、普通に「基礎・基本」が"幹"で、「発展・個別」が"枝葉"という、そんなような意味で僕も使っています。
で、ふと思い付いたので、その実例的説明の意味も含めて、オフト以降の歴代の日本代表監督について、それぞれ"幹"派か"枝葉"派か、どのようにそうであるか、ざっと概観・分類してみようかと。
ほんとにざっとです。(笑)
・オフト
禁欲的なくらいに地道な、"幹"派。
"枝葉"の処置については、凡庸というか不器用というか、ちょっとじれったいところがある。
・ファルカン
"幹"の堅固な発育を前提とした、"枝葉"派。
ただし、幹の生育・確保能力そのものには疑問が残るので、成功する状況が限られているか、あるいは単に無能な可能性も高い。
緩い分(笑)、大駒、飛び道具(という枝葉)の扱いについては、柔軟性があったと思いますけどね。
・加茂
"幹""枝葉"一体派?
「ゾーンプレス」「ハーフカウンター」といった戦術"一点"突破みたいなところはありますが、結果的に選手の教育能力も日本サッカーへの啓蒙能力も、それなりのものを示したと思うので。
ある時のTV解説で、「ゾーンプレスを成功(完成)させるには」という問いに対して、「世界でベストの11人を揃えることです」と真顔で答えていたのが、その「一体」的なサッカー観を一つ表現していると思いますけど。戦"術"だけど、あんまり「方法」とか「方便」として、総体と分離した感覚ではないんですよね。
・トルシエ
こちらも"幹""枝葉"一体派か。ただしやや"枝葉"寄り。
「フラット3」や'00年アジア杯的パターンアタックなど、一つ一つの"意匠"が突出した印象のチーム作りではありましたが、基礎組織作りの堅固さや要領の良さは地味にレベル高かったと思います。それで戦術のリスキーさを支えていたというか。「哲学」の人でもありますしね。
ただその後の仕事や結局特定の形でしかチームを作れない様子からは、少なくとも現象としては、"枝葉"寄りと評価せざるを得ないところがあると思います。本意かどうかはともかく。
・ジーコ
"幹"・・・・ではなく、増して"枝葉"では勿論無く、強いて言えば・・・・。"根"派?"土壌"派というか。(笑)
要するに、特に意図して何も育てたりはしない。種播くだけ。
せめて耕してくれれば良かったんですが、土壌が肥沃なのが当たり前だと思ってるフシがあるから。
亜熱帯農業型というか。(笑)
クラブ任せれば、"焼き畑"くらいの努力はしてくれるんでしょうけどね。
・オシム
"幹"派。または"木"派。
ちゃんとした幹を育てれば、または幹がちゃんと育つような状況なら、枝葉の方も自ずとちゃんと育つだろうという、そういうやり方。
最初から一貫したプロセスとして、"木"の発育全体を把握している。("根"も含めて?)
多分与えられる選手の質が高ければ高いほど、やることはある意味無策に近い当たり前に、近付くタイプかと。それがジェフのオシムと、特に後半の日本代表のオシムの違いか。
・岡田
技(わざ)師、ならぬ"枝"師。(笑)
まあ器用に曲げること矯めること。気が付くと木そのものの生命力は、衰えていたりしますが。
素人芸術家っぽいですね。自称前衛華道家というか。(笑)
変な求心力実行力はあって、コンサやマリノス(or'98ジャパン)での成功も、堅実な基礎構造の構築力そのものというより、そういう"戦術"と定めた時の、遂行(させ)能力の高さによるものだったのかなと、今になると。ある種剛腕。
動いている時はいいけど、止まってしまうと"幹"の弱さが露わに。・・・・"動く"という時点で、「木」という比喩が無効になりかけてますが。(笑)
どんなもんでしょう。(笑)
本来的には、普通に「基礎・基本」が"幹"で、「発展・個別」が"枝葉"という、そんなような意味で僕も使っています。
で、ふと思い付いたので、その実例的説明の意味も含めて、オフト以降の歴代の日本代表監督について、それぞれ"幹"派か"枝葉"派か、どのようにそうであるか、ざっと概観・分類してみようかと。
ほんとにざっとです。(笑)
・オフト
禁欲的なくらいに地道な、"幹"派。
"枝葉"の処置については、凡庸というか不器用というか、ちょっとじれったいところがある。
・ファルカン
"幹"の堅固な発育を前提とした、"枝葉"派。
ただし、幹の生育・確保能力そのものには疑問が残るので、成功する状況が限られているか、あるいは単に無能な可能性も高い。
緩い分(笑)、大駒、飛び道具(という枝葉)の扱いについては、柔軟性があったと思いますけどね。
・加茂
"幹""枝葉"一体派?
「ゾーンプレス」「ハーフカウンター」といった戦術"一点"突破みたいなところはありますが、結果的に選手の教育能力も日本サッカーへの啓蒙能力も、それなりのものを示したと思うので。
ある時のTV解説で、「ゾーンプレスを成功(完成)させるには」という問いに対して、「世界でベストの11人を揃えることです」と真顔で答えていたのが、その「一体」的なサッカー観を一つ表現していると思いますけど。戦"術"だけど、あんまり「方法」とか「方便」として、総体と分離した感覚ではないんですよね。
・トルシエ
こちらも"幹""枝葉"一体派か。ただしやや"枝葉"寄り。
「フラット3」や'00年アジア杯的パターンアタックなど、一つ一つの"意匠"が突出した印象のチーム作りではありましたが、基礎組織作りの堅固さや要領の良さは地味にレベル高かったと思います。それで戦術のリスキーさを支えていたというか。「哲学」の人でもありますしね。
ただその後の仕事や結局特定の形でしかチームを作れない様子からは、少なくとも現象としては、"枝葉"寄りと評価せざるを得ないところがあると思います。本意かどうかはともかく。
・ジーコ
"幹"・・・・ではなく、増して"枝葉"では勿論無く、強いて言えば・・・・。"根"派?"土壌"派というか。(笑)
要するに、特に意図して何も育てたりはしない。種播くだけ。
せめて耕してくれれば良かったんですが、土壌が肥沃なのが当たり前だと思ってるフシがあるから。
亜熱帯農業型というか。(笑)
クラブ任せれば、"焼き畑"くらいの努力はしてくれるんでしょうけどね。
・オシム
"幹"派。または"木"派。
ちゃんとした幹を育てれば、または幹がちゃんと育つような状況なら、枝葉の方も自ずとちゃんと育つだろうという、そういうやり方。
最初から一貫したプロセスとして、"木"の発育全体を把握している。("根"も含めて?)
多分与えられる選手の質が高ければ高いほど、やることはある意味無策に近い当たり前に、近付くタイプかと。それがジェフのオシムと、特に後半の日本代表のオシムの違いか。
・岡田
技(わざ)師、ならぬ"枝"師。(笑)
まあ器用に曲げること矯めること。気が付くと木そのものの生命力は、衰えていたりしますが。
素人芸術家っぽいですね。自称前衛華道家というか。(笑)
変な求心力実行力はあって、コンサやマリノス(or'98ジャパン)での成功も、堅実な基礎構造の構築力そのものというより、そういう"戦術"と定めた時の、遂行(させ)能力の高さによるものだったのかなと、今になると。ある種剛腕。
動いている時はいいけど、止まってしまうと"幹"の弱さが露わに。・・・・"動く"という時点で、「木」という比喩が無効になりかけてますが。(笑)
どんなもんでしょう。(笑)
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