2006年11月16日 (木) | 編集 |
アジア杯予選 日本代表○3−1●サウジアラビア代表(スポナビ詳報)
お題は一つ前、10/11のインド戦に際してのこのコラム。
オシム・コードとトータルフットボール by 西部謙司
オジーの時の『林健太郎=下がり目のラモス説』あたり以来、どうも西部さんというのは僕も感じていたことを僕より早くor前後して、そして勿論僕より説得的に書いてしまう困った人なんですが。(勝手にライバル視・笑)
この時もちょっとやられた!という感じでしたね。僕が思ったのは実際にはインド戦より前で、インド戦自体についてはほとんどネガティヴな評価しかしていないんですが。
トータル・フットボール。・・・・が、何かとかいうのはもう流通済みの説明にお任せするとして、フジテレビ739の’74W杯再放送のオランダチーム全試合の見聞と、この日の”上出来”オシム・ジャパンの感想とを併せて僕の関心から強調するとすれば、「”組織的”ではあるが”幾何学的”ではないサッカー」ということかなと。
別な言い方をすると、「”機能美”は見出し得ても”形態美”は見出し難いサッカー」ということ。
前提として僕を含めた平均的日本人サッカーファンが「組織的なサッカー」と言った場合、無意識に幾何学的ゾーン的な形態/構成美をも同時に連想しているはずだということがあるわけですが。
恐らくはマンの比重が相対的に大きいというあまり馴染みのない「組織的」サッカーであり、決まり文句のレベルを越えて正に「システム/フォーメーションは本質的ではない」サッカーだということが焦点なんでしょうが。
幾何でなければ何かと言えば、代数かな。関数とか。図形ではなくて式の方ですね、乏しい数学の知識から言ってますが(笑)。これとこれがこういう(位置)関係にある、ではなく、こうなったらこうなるという時間性、運動の秩序性をキーとする。
”式”の簡潔性、機能性というのも数学的な美意識・エレガンスの代表ではあるわけですが、ちょっと抽象的過ぎてパンピー/文系にはなかなかとっつきにくい。”見て分かる”のではなく、見た事態を一定の時間枠の範囲で頭の中で再構成して把握しなければならない。美を”想像”しなければならない。
・・・・つまりかの’74オランダチームに対しては、機会があったらワンエントリーかましたいくらい僕なりに深い感動は感じたんですが、「美しい」とは全く思わなかったんですね。むしろ”無惨な”サッカー、有効で秩序立ってはいていも。勿論この感じ方を強制はしませんが。
そして(この日の)オシムのチームについてもそれは同じですね、最高に機能した瞬間ですら”美”は感じられなかった。それなりの面白味は感じても。
まあかつての李さんの「楽しい」もそうですが、オシムもそういう主観に属する部分、サッカースタイルについての倫理性/正当性(その中心としての”美”)を、ちょっと我が物顔に言い過ぎるという基本的な反発が僕にあるのは確かです。協会・マスコミ等、状況的な提言はいくらやってもらっても構わないんですが。
インド戦のエントリーで述べた、功成り名を遂げた”大物”監督が日本人を「使って」遊んでいるという印象も相変わらずありますし。(”トータル・フットボールの古い夢”の再現?)
結果・勝敗がどう出るかはまた別ですけど、”愛”の問題としてはそういうことです。
むしろ反町U−21の方が・・・・と、これは来週の試合後にでも書きますか。
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お題は一つ前、10/11のインド戦に際してのこのコラム。
オシム・コードとトータルフットボール by 西部謙司
オジーの時の『林健太郎=下がり目のラモス説』あたり以来、どうも西部さんというのは僕も感じていたことを僕より早くor前後して、そして勿論僕より説得的に書いてしまう困った人なんですが。(勝手にライバル視・笑)
この時もちょっとやられた!という感じでしたね。僕が思ったのは実際にはインド戦より前で、インド戦自体についてはほとんどネガティヴな評価しかしていないんですが。
トータル・フットボール。・・・・が、何かとかいうのはもう流通済みの説明にお任せするとして、フジテレビ739の’74W杯再放送のオランダチーム全試合の見聞と、この日の”上出来”オシム・ジャパンの感想とを併せて僕の関心から強調するとすれば、「”組織的”ではあるが”幾何学的”ではないサッカー」ということかなと。
別な言い方をすると、「”機能美”は見出し得ても”形態美”は見出し難いサッカー」ということ。
前提として僕を含めた平均的日本人サッカーファンが「組織的なサッカー」と言った場合、無意識に幾何学的ゾーン的な形態/構成美をも同時に連想しているはずだということがあるわけですが。
恐らくはマンの比重が相対的に大きいというあまり馴染みのない「組織的」サッカーであり、決まり文句のレベルを越えて正に「システム/フォーメーションは本質的ではない」サッカーだということが焦点なんでしょうが。
幾何でなければ何かと言えば、代数かな。関数とか。図形ではなくて式の方ですね、乏しい数学の知識から言ってますが(笑)。これとこれがこういう(位置)関係にある、ではなく、こうなったらこうなるという時間性、運動の秩序性をキーとする。
”式”の簡潔性、機能性というのも数学的な美意識・エレガンスの代表ではあるわけですが、ちょっと抽象的過ぎてパンピー/文系にはなかなかとっつきにくい。”見て分かる”のではなく、見た事態を一定の時間枠の範囲で頭の中で再構成して把握しなければならない。美を”想像”しなければならない。
・・・・つまりかの’74オランダチームに対しては、機会があったらワンエントリーかましたいくらい僕なりに深い感動は感じたんですが、「美しい」とは全く思わなかったんですね。むしろ”無惨な”サッカー、有効で秩序立ってはいていも。勿論この感じ方を強制はしませんが。
そして(この日の)オシムのチームについてもそれは同じですね、最高に機能した瞬間ですら”美”は感じられなかった。それなりの面白味は感じても。
まあかつての李さんの「楽しい」もそうですが、オシムもそういう主観に属する部分、サッカースタイルについての倫理性/正当性(その中心としての”美”)を、ちょっと我が物顔に言い過ぎるという基本的な反発が僕にあるのは確かです。協会・マスコミ等、状況的な提言はいくらやってもらっても構わないんですが。
インド戦のエントリーで述べた、功成り名を遂げた”大物”監督が日本人を「使って」遊んでいるという印象も相変わらずありますし。(”トータル・フットボールの古い夢”の再現?)
結果・勝敗がどう出るかはまた別ですけど、”愛”の問題としてはそういうことです。
むしろ反町U−21の方が・・・・と、これは来週の試合後にでも書きますか。
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