ヴェルディ等サッカー、漫画、アイドル 他
太公望のグループ戦術
2010年10月23日 (土) | 編集 |
太公望〈上〉 (文春文庫)太公望〈上〉 (文春文庫)
(2001/04)
宮城谷 昌光

商品詳細を見る

いや、あとがきでさんざん、史料があやふやで参ったとボヤいてる作者さんによる描写を、更に僕が思い付きで解釈しているだけの話なので、あんまり本気にしないでもらいたいんですけど。
まあでも、聴いて下さい。(笑)


太公望(たいこうぼう)とは、(夏)、殷、周、(春秋・戦国)、秦、漢・・・・と続く中国の古代王朝の内、"殷"の後の"周"を起こすについて大貢献した伝説的な釣り人、もとい大軍師さん。(一応、Wiki)
宮城谷さんの評価では更に、祭政一致の、何かと言えば人間を供犠に捧げ、その為の人(異民族)狩りを常習的に行っていた血みどろの神憑かり王朝である「殷」から、"人間"目線と"理性"の、加えて"民族の平等"をも視野に入れた新しい世、新しい中華への道を切り開いた、切り開こうとした"ルネッサンス"人でもあると、そういうイメージになっています。

ちなみに一応公平の為に言っておくと、俗に"紂王"という名で暴君として知られる殷の最後の王"受王"自身も、神政から人為に王朝を改革しようとしていた潜在的には名君であると宮城谷さんは評価していて、作家活動の序盤ではむしろ殷(商)王朝周辺の人々に感情移入した作品を、主に書いていたようです。


ともかく太公望。
"本職"である軍師としての太公望の主な功績としては、これも勿論宮城谷説ではありますが、それまで専ら(個)力と数(あと呪力)にその帰趨を委ねていた中華の戦争・軍制に、初めて本格的で意識的な「戦術」という概念を導入して、その規律正しくて効率的な動きによって、数で勝る(天下分け目の会戦時では約3倍)殷軍を圧倒して、ある意味絶頂期でもあった王朝を強引に転覆・交代させたという、そういうことです。

ここでいう「戦術」というのは、サッカーの世界で言えば「全体」「グループ」「個人」の三階層内の筆頭、「全体」戦術に当たると見なして問題無いと思いますが、一方で太公望先生は、「グループ」というものも非常に重視していて、それまで大雑把に便宜的に数(小隊・中隊・大隊的に)で括られていただけの軍隊を、個々の細かいまとまりと役割分担を中心としたものに作り替えて、むしろそちらの方が、軍制改革としては軸というか、それがあってこそ有機的な全体戦術が可能になったというか、そういう感じです。
殷軍の"数"(力)を恐れる周側の首脳に対して、あんなのは烏合の衆だと、3倍が10倍でも、準備さえちゃんとすれば確実に勝てると、"戦術"家太公望クン(基本若い)は不敵に笑う(笑)んですが、その根拠は"全体の規律"の差よりも"部分の連携"の差に比重がかかっているという、そういう描写です。

そして僕がここらへんで特に面白かったというかおやっと思ったのは、独創的な細かい設計でチャキチャキと軍をまとめ上げてビシビシと鍛える太公望監督が、焦点である"グループ"の錬成にあたって、実はあんまり"教えない"んですよね。指示しないというか。
勿論そのグループ自体の基本的な機能は、特に割り当てられた装備などによってある程度自動的に決まるわけで、そこに太公望の意思や大まかな"指示"も存在するんですけど、ではその"機能"をそのグループが、具体的にどう実現するかについては、最初だけちょっと指導して後は個々の部隊に任せてしまうんですね。細かいコンビネーションは勝手に練ろやという、そういう"放任"的態度。

非常に具体的で独特な描写なので、何かそれなりの出典はあるんだろうと、推測されますけど。
面白いですね。太公望はなぜそうしたのか。なぜそうすべきだと思ったのか。
全体は細かく厳格に指示するのに、なぜ部分は放任・委任なのか。

基本的な答えは簡単で、その方が良い、より強い軍になる、より効率的であると、そう考えたからでしょう。
全部指示出すより。あるいは各部隊の連携を、型にはめるより。
特にそれ以上の説明は書かれていないので、結論(とそこからの遡行的推測)だけですけど。

まあほんとここらへんの"グループ"と"連携"の感覚というのは読んでて面白くて、つまり比べて遥か後代の『三国志』などでも、勿論通俗の範囲ではありますが(笑)、描写として存在しているのは孔明らが指揮する「全体」の戦術と、後は「個」々の"豪傑"たち(笑)とそれに付随するその部隊の精強さという、ほぼ二つのレベルだけですからね、知る限り。それらの中間についての、意識は見えない。浸透していないというか。
太公望が突出していたのか、読み取る/観察する側の意識の問題か。勿論そういうことを分かっていた実践していた戦術家は、二つの時代の間にも個々には沢山いただろうとは、思いますが。


思い出すのは、例えばかつての(フィンケ以前の)浦和レッズガンバ大阪のマッチアップ。
「個」ではレッズは負けない。どちらかと言えば勝つ。「全体」でも負けない。・・・・具体的には、あんまりこういう言い方したくないですが(笑)、ガンバのアクションをレッズのリアクションはガッチリ受け止めて、たいていは跳ね返せる、自分の試合に持って行ける。
ただその均衡が何かの要因で崩れて、もっとミクロのレベル、"グループ"のレベルの争いに持ち込まれると・・・・勝てないんですね(笑)。ズタズタにされて、負けるんですね。定期的にあった。(笑)
単純に追い付かなくなるんですね、ガンバの成熟した"グループ"のコンビネーションの淀みなさに、スピードに。回転数が違う感じになる。アワアワ。大まかな"全体"だけでは、鈍重で間に合わないというか。

そこらへんははっきり、違いを感じましたね、この2チームに。
勿論レッズにも"グループ"的なものコンビネーションは存在していて、それでもってここぞという時には(少なめの人数で)きっちり点を取って、常勝を保っていたわけですけど。ただそれは、言ってみれば「張飛と関羽が協力して呂布に当たる」的な、そういうレベルの"コンビネーション"で。ガンバのそれとの比較においてはね(笑)。それでは間に合わない場合があるというか、そんなに積極的な性格のものではないというか。

あるいはそもそも僕に、「全体」「グループ」「個人」(戦術)の三階層を、初めて言葉として明示的に教えてくれた李国秀。の、ヴェルディ。
教えてくれたはいいんですけどね(笑)、では実際に李国秀のチームを見ていて、僕が太公望軍のような"三つ"(or"中間"が)あるゆえの立体感や、ガンバ的なそれ独自で"回転"する「グループ」を感じ取れたかというと、答えはノーなんですよね。何か非常にのっぺりした、単調で鈍重な印象しか、僕は受けなかった。最終的に。"整然"とはしていましたけど。
それはなぜかと考えるに、結局は"教え過ぎ"なのかなと。全てを「李国秀」で塗り潰してしまうので、"三つ"あっても"一つ"と大して変わらないような、そういう状態が出現していたのではないかと。最早記憶の中にしか無い、チームではありますが。(笑)
だから駄目とは言いませんけど。ダイナミックじゃなかったのは、確か。


「全体」と「グループ」と「個人」の関係。(「全体」と「個」の二分法、対立図式ではなく。)
あるいは「規律」と「自由」、特に「規律」の中のどこに、「自由」を位置付けるべきなのか。チームの強さの上限を、大きく取る為に。
"パスサッカー"のチームによくある、「グループ」ありきのチーム構成の見方として。それこそ今年の川勝ヴェルディは、どこらへんまで"決め"ていてどこらへんからは、決まっていないのか。そしてそれは、何を生むのか。より"強く"なる上で、どういうプロセスやバランスが想定出来るのか。
既にして「全体」戦術としてはそれなりのレベルにあるように見えるザックジャパンの、特に攻撃の精度やコンビを上げる為に、どういうアプローチがいいのか、あるいはこれから行われるのか。

まあ色々考えますわ。
僕が例のツーロン2002のチームを愛しているのは、攻撃戦術のかなりギリギリまで組織化された(かつ最後は個人技爆発な)感じが面白かったからなわけですが、より長期的に"強い"チームを作る為には、やっぱり各グループのコンビネーションは、ある程度自然に練られるのに任せた方が、少なくとも強さの最大値は大きくなるのか。
オシムが「考えて走る」と言った時の「考え」る部分というのは、言ってみれば太公望が各部隊に与えた「自由」のようなものなのではないか、とか。
・・・・まあ相対的に言って、オシムの最大の特徴は「個人」戦術の教育力の方にあって、その延長、組み合わせとして、「グループ」もあると、そう考えるべきだとは思いますけどね。


結論としてはですね。うん。(笑)
装備の技術レベルの時代差を揃えたと仮定すれば、多分孔明は太公望には勝てないだろうなと、そういうことでしょうか。(笑)
「三国志(演義)」の範囲で言えばね。曹操だと、どうかは知りません。(笑)


太公望〈中〉 (文春文庫)太公望〈中〉 (文春文庫)
(2001/04)
宮城谷 昌光

商品詳細を見る
太公望〈下〉 (文春文庫)太公望〈下〉 (文春文庫)
(2001/04)
宮城谷 昌光

商品詳細を見る


・・・・別に"そういう"本では、ないですよ。(笑)
でも結構、心と共に、頭も洗われる本です。


スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック