2011年01月02日 (日) | 編集 |
うーむ、楽な書き方を味わったら、もう既に少し、ちゃんとブログを書くのがタルくなっている。(笑)
危険だ。ツイッターに行った人が、なかなか帰って来ないわけだ。
昨日のBS1で、リアル決勝戦の先触れとして、過去の名決勝選みたいなのをやっていて、楽しく見ました。
讀賣ヴェルディ ●1-1(0-1)○ 日産FC横浜マリノス(1993)
得点者:水沼(マリノス)、中村(ヴェルディ)、神野(マリノス)
J開幕直前、アマ時代の最後の天皇杯で、最初はずーっと「讀賣クラブ」と「日産」と言っていて、その内徐々に「ヴェルディ」と「マリノス」になって行きましたが、別に演出のつもりではないよう。
どちらもそれぞれ、自然だったんでしょう。「横浜」はともかく、「川崎」なんてかけらも言ってないですしね。
でも一番笑ったのは、”マリノス”の前に「F」がつかないと、そっちの方に違和感を覚える、自分の慣れっぷりでした。(笑)
この試合限りのペペ監督のチームはソリッドで、このままJリーグに入りたかったなと改めて思いましたが、でも僕が見たかったのはむしろ”松木”のヴェルディのグダグダっぷりの方だったので(笑)、そういう意味では期待外れ。
それかその後の、ネルシーニョの仕事ぶりの再確認か。
ただそれはそれとしても、記憶にあるよりもひと回りくらい、讀賣ヴェルディはいいチームに見えました。
勿論今よりも更に”ブラジル”度は高いわけですが、その徹底ぶりがむしろ頼もしいというか。
なんて言いますかね、持って回してのんびりと穴を探すお馴染みの作業に、迷いが無いというか覚悟が据わっているというか。
まあ当たり前なんですけどね、ライバル日産は別としても、その後の鹿島の速攻や清水のパワープレイや、フリューゲルスのプレスなどに、言い換えれば”自分たちより下手なチーム”の「戦術」に苦しめられてやり方に悩むというような経験を、まだ基本的にしていない時代なわけで。(はずです)
結局いつものように、日産の効率のいい戦いの前に敗れるわけですが、そんなに悪い負けっぷりではなかったなと。
負け”続ける”ことにはかなりうんざりはしていたわけですが、単品として見ると割りと清々しいというか、「勇敢」よりは「滑稽」に近くは見えましたけど、これはこれでいいのかなと、納得させられる部分も小さくなかったです。
逆にこの懲りなさが、日産程の耐久力の無いチームには、さぞかし脅威だったろうというのも、容易に想像がつきましたし。
・・・・ただ実況によると、その前の準決勝と準々決勝も、延長どころかPKでやっと勝ち上がってるらしいんですよね。アジアでの戦いと並行しての苦労もあるらしいですけど、それにしても駄目じゃんという。既に通用しなくなって来てるんじゃんという、そういう感想はどうしても湧きます。(笑)
まあ具体的な戦いは、覚えてないんですけど。
そりゃその後Jリーグで苦戦するはずだわというか、松木の”オランダ改革”もゆえの無いものじゃないじゃんというか。
とは言え局面のプレーのレベルは、今の基準で見ても相当高いですね、やっぱり。
速い攻撃は意外な程速いですし、得意のパス攻撃を成功させる為のフリーランなり追い越しなりも、これも意外な程ちゃんとやってるというか、はっきり言ってこれと同レベルのものを実行している”パスサッカー”のチームは、近年のJリーグでも年に1,2チームしかいないと思います。
ゲームプランそのものは、ゆったりしているというかノープランというか、あんまり工夫もヴァリエーションも無さそうですけど(笑)。堂々と宣戦布告して、待ち合わせて合戦場に向かって、それから徐ろにという感じ。
武田なんかも、ただのごっつぁんじゃないしねえ。ボールの受け方、ゴールへの向かい方、凄く一つ一つ狙いがあるし、タイミングも鋭い。こんないい選手だったかという。
こちらもはっきり言って、ここまでやっている日本人FWは、2010年でもほとんどいないというレベル。
オフトジャパンで駄目だったのは、要はチームに入れてなかったんだなと、改めて。それが限界と言えば限界だったんでしょうけど。
永井秀樹が既に使われていて、しかも途中まではかなりいいプレーをしていたのも、意外な発見でした。
ドリブルの鋭さと、パスの判断のバランスが、結構完成されている。むしろ後年の方が、ドリブル任せの緩いプレーをしていたような。(笑)
晩年の歌舞いたような悠然としたプレーも好きですけど、なんかこの人は道を誤った気がしますね。早い時期にヨーロッパでも行っていたらというか、少なくともとヴェルディには入らない方が、良かったんじゃないかという(笑)。悪い手本に毒されたというか。
いやあ、才能あるわ。運動量もあるしねえ。”似てる”というのとは少し違うけど、「欧州」と「南米」の兼備感は、今だったら香川に通じるものがあると思います。
しかしやっぱり凄かったのは、何と言ってもカズ。
昔から思ってはいましたが、この人のプレーの抜けているところは、何と言っても”厳格”さだと思いますね。
”正確”ではまだ足りない。頑固職人的な突き詰め方ではあるんですが、にも関わらず華もあるという、珍しい人。
マリノスに先制され後の同点シーンでの、左サイドドリブル突破からセンタリングで中村忠の頭へ合わせたプレーは、今見ても凄い。ドリブルのコース取り、強弱、勿論ドリブルそのものの正確さも、もうこれしかないというくらい”厳格”なもので、何か大地に刻み付けるが如き。
その後終盤に右サイドでルーレットみたいなのをかまして、結構苦心してゴール前までたどり着いてちゃんとシュートまで行く場面があるんですが、その”ルーレット”にまで浮ついたところというか、”軽業”感が全然無いのが笑いましたね。あくまで必要から計算しての、”厳格”なルーレット。(笑)
なんでしょうね、あれは。ブラジルで突きつけられて来た要求水準によるのか、それともあくまで個人的資質なのか。
不思議な感じです。余り見たことがない。
ブラジル人が軽やかにやるプレー水準を、日本人(カズ)がクリアする為に身に付けた厳格さ?
ただ総じて、この時代の選手のプレーは、後の(今の)選手のそれに比べて”厳格”な感じはします。
輪郭がはっきりしているというか、完成度が高いというか。
切り返しの多用を得意とする、見た目いかにも軽業師(笑)な都並さんだって、無駄なプレーやアバウトなプレーは、全然していないんですよね。比べたら今の内田あたりのプレーなんて、無責任もいいとこです。(笑)
ただではそういう彼らの「完成度」が、それ自体として世界やそれ以前にアジアで十分に威力を発揮したのかというとそれは微妙なわけですし、一方で比べたらエイヤッという感じにも見える今の選手たちのプレーが、国際試合や海外クラブでかなりの程度通用しているのも事実なわけで。
それはどういうことかというと、要は彼らの「完成度」が収まっていた”枠”や”箱”を、まず突破する必要が、先にあったということだろうと。固まることよりも、伸びたり広がったり流れたりする方が、優先したというか。
そうして限界を取り払って初めて、世界と同じ舞台(の端っこ)に立てるというか。
どんなに誠実でも、井の中のカワズはカワズでしかないというか。
あくまであるレベル内での、「完成度」でしかなかったというか。
ただいずれ日本人選手は、もう一回、もう一段上の、「完成度」や”職人”性を、身につけなくてはいけない気がするんですよね、全般的に。伸び伸びした後は、研ぎ澄まさなくてはいけないというか。じゃないと子供のまんま。
別な観点から言うと、讀賣の選手たちは確かに(ラモスやジーコが言うように(?))、「自分で考えて」プレーしているように見えます。今の選手たちに比べても。
それはあくまで日本リーグレベルではあるでしょうし、”考え”の範囲そのものはある程度限られていたのかも知れませんが、その考えて突き詰めた結果には、しばしば時代ょ越える瞬間が見えるんですよね。あ、今のはなうだという(笑)。分かり易く言えば、オシムも褒めただろうなという。
・・・・真面目な話、オシムが「結局日本人選手は考えていない(考えることを学ばなかった)」と最近のインタビューでも繰り返しボヤいているのは、僕の言う「完成度」みたいなことと、少なからず関係がある気がするんですよね。色々知ってて賢そうにはプレーしているけど、結局習ったまんまだいたいでプレーしているだけではないかという。(あるいは習っている期間だけ賢そうに)
讀賣の選手は日本リーグの選手は、ろくに教われなかったからこそ、自分で考えざるを得なかったという、そういうことだろうとは思うんですが。
かつまただからといって、今同じようにわざわざ放任しても、なかなかそういう結果にはならないというのは、ジーコジャパン以下が繰り返し証明してもいると思いますが。
全力で教えつつ、その環境で更に個々の選手が個人的に、突き詰めて考えて自分の完成度を高めて行く、そういう困難な努力が必要なんだろうなと。・・・・なぜ困難かというと、”高め”なくても出来ちゃうところがあるからですね、環境が良過ぎて。だいたいで、流れに乗ってれば。
だから実際問題としては、教わって満足しちゃう奴は、それ以上どうしようもないというのが、言わばオシムの述懐なのかなという。そいつの要求水準自体が、元々それだけだったということで。そこの部分だけは、なかなか難しい。
後はやっぱり、”必要性”自体を日々感じさせるような戦いの場に、絶えずさらされ続けるしかないという、結論としてはありきたりなんですけど。日本にいながら勝手に欧州並みの要求水準をキープしていた中田ヒデというのは、やっぱり凄かったなと思いますが。異様というか。”少しずつ”体験的に学んだようには、見えないんですよね彼の場合。同世代の他の選手と比較しても。
遠藤なんかは素晴らしい選手だけど、要は年齢と経験に応じて、徐々に要求水準も漸増しているだけですよね(元々”無欲”なタイプではありますが)。で、それでは間に合わないんですよね、結局のところ。日本という環境に生まれてしまった者としては。
まさかこんなに書くことになるとは。(笑)
もっとつまんない発見も色々とありましたけどね。田嶋幸三の解説は、やたら繰り返しが多くて内容が薄いくせに、妙に説教臭いというか無駄に堂々としていて、なるほど”政治家”タイプだなとか。(笑)
マリノス神野の”22歳のフル代表入り”が、ほとんど今の18,9くらいの感覚で驚異として語られていて、時代だなとか。
・・・・まあ神野は確かに凄い素質の選手だったと思いますけどね。速くて高くて強くて、決定力があって。もう少し後に生まれてればなあという。
枯れ芝の国立に入った5万6千というのも、それはそれで今とは違う迫力があるなとか。
Jリーグ開幕はまだだけど、既にチアホンは使われていたのかとか。
・・・・あと3試合ありますね、”天皇杯決勝”は。(笑)
危険だ。ツイッターに行った人が、なかなか帰って来ないわけだ。
昨日のBS1で、リアル決勝戦の先触れとして、過去の名決勝選みたいなのをやっていて、楽しく見ました。
讀賣ヴェルディ ●1-1(0-1)○ 日産FC横浜マリノス(1993)
得点者:水沼(マリノス)、中村(ヴェルディ)、神野(マリノス)
J開幕直前、アマ時代の最後の天皇杯で、最初はずーっと「讀賣クラブ」と「日産」と言っていて、その内徐々に「ヴェルディ」と「マリノス」になって行きましたが、別に演出のつもりではないよう。
どちらもそれぞれ、自然だったんでしょう。「横浜」はともかく、「川崎」なんてかけらも言ってないですしね。
でも一番笑ったのは、”マリノス”の前に「F」がつかないと、そっちの方に違和感を覚える、自分の慣れっぷりでした。(笑)
この試合限りのペペ監督のチームはソリッドで、このままJリーグに入りたかったなと改めて思いましたが、でも僕が見たかったのはむしろ”松木”のヴェルディのグダグダっぷりの方だったので(笑)、そういう意味では期待外れ。
それかその後の、ネルシーニョの仕事ぶりの再確認か。
ただそれはそれとしても、記憶にあるよりもひと回りくらい、讀賣ヴェルディはいいチームに見えました。
勿論今よりも更に”ブラジル”度は高いわけですが、その徹底ぶりがむしろ頼もしいというか。
なんて言いますかね、持って回してのんびりと穴を探すお馴染みの作業に、迷いが無いというか覚悟が据わっているというか。
まあ当たり前なんですけどね、ライバル日産は別としても、その後の鹿島の速攻や清水のパワープレイや、フリューゲルスのプレスなどに、言い換えれば”自分たちより下手なチーム”の「戦術」に苦しめられてやり方に悩むというような経験を、まだ基本的にしていない時代なわけで。(はずです)
結局いつものように、日産の効率のいい戦いの前に敗れるわけですが、そんなに悪い負けっぷりではなかったなと。
負け”続ける”ことにはかなりうんざりはしていたわけですが、単品として見ると割りと清々しいというか、「勇敢」よりは「滑稽」に近くは見えましたけど、これはこれでいいのかなと、納得させられる部分も小さくなかったです。
逆にこの懲りなさが、日産程の耐久力の無いチームには、さぞかし脅威だったろうというのも、容易に想像がつきましたし。
・・・・ただ実況によると、その前の準決勝と準々決勝も、延長どころかPKでやっと勝ち上がってるらしいんですよね。アジアでの戦いと並行しての苦労もあるらしいですけど、それにしても駄目じゃんという。既に通用しなくなって来てるんじゃんという、そういう感想はどうしても湧きます。(笑)
まあ具体的な戦いは、覚えてないんですけど。
そりゃその後Jリーグで苦戦するはずだわというか、松木の”オランダ改革”もゆえの無いものじゃないじゃんというか。
とは言え局面のプレーのレベルは、今の基準で見ても相当高いですね、やっぱり。
速い攻撃は意外な程速いですし、得意のパス攻撃を成功させる為のフリーランなり追い越しなりも、これも意外な程ちゃんとやってるというか、はっきり言ってこれと同レベルのものを実行している”パスサッカー”のチームは、近年のJリーグでも年に1,2チームしかいないと思います。
ゲームプランそのものは、ゆったりしているというかノープランというか、あんまり工夫もヴァリエーションも無さそうですけど(笑)。堂々と宣戦布告して、待ち合わせて合戦場に向かって、それから徐ろにという感じ。
武田なんかも、ただのごっつぁんじゃないしねえ。ボールの受け方、ゴールへの向かい方、凄く一つ一つ狙いがあるし、タイミングも鋭い。こんないい選手だったかという。
こちらもはっきり言って、ここまでやっている日本人FWは、2010年でもほとんどいないというレベル。
オフトジャパンで駄目だったのは、要はチームに入れてなかったんだなと、改めて。それが限界と言えば限界だったんでしょうけど。
永井秀樹が既に使われていて、しかも途中まではかなりいいプレーをしていたのも、意外な発見でした。
ドリブルの鋭さと、パスの判断のバランスが、結構完成されている。むしろ後年の方が、ドリブル任せの緩いプレーをしていたような。(笑)
晩年の歌舞いたような悠然としたプレーも好きですけど、なんかこの人は道を誤った気がしますね。早い時期にヨーロッパでも行っていたらというか、少なくともとヴェルディには入らない方が、良かったんじゃないかという(笑)。悪い手本に毒されたというか。
いやあ、才能あるわ。運動量もあるしねえ。”似てる”というのとは少し違うけど、「欧州」と「南米」の兼備感は、今だったら香川に通じるものがあると思います。
しかしやっぱり凄かったのは、何と言ってもカズ。
昔から思ってはいましたが、この人のプレーの抜けているところは、何と言っても”厳格”さだと思いますね。
”正確”ではまだ足りない。頑固職人的な突き詰め方ではあるんですが、にも関わらず華もあるという、珍しい人。
マリノスに先制され後の同点シーンでの、左サイドドリブル突破からセンタリングで中村忠の頭へ合わせたプレーは、今見ても凄い。ドリブルのコース取り、強弱、勿論ドリブルそのものの正確さも、もうこれしかないというくらい”厳格”なもので、何か大地に刻み付けるが如き。
その後終盤に右サイドでルーレットみたいなのをかまして、結構苦心してゴール前までたどり着いてちゃんとシュートまで行く場面があるんですが、その”ルーレット”にまで浮ついたところというか、”軽業”感が全然無いのが笑いましたね。あくまで必要から計算しての、”厳格”なルーレット。(笑)
なんでしょうね、あれは。ブラジルで突きつけられて来た要求水準によるのか、それともあくまで個人的資質なのか。
不思議な感じです。余り見たことがない。
ブラジル人が軽やかにやるプレー水準を、日本人(カズ)がクリアする為に身に付けた厳格さ?
ただ総じて、この時代の選手のプレーは、後の(今の)選手のそれに比べて”厳格”な感じはします。
輪郭がはっきりしているというか、完成度が高いというか。
切り返しの多用を得意とする、見た目いかにも軽業師(笑)な都並さんだって、無駄なプレーやアバウトなプレーは、全然していないんですよね。比べたら今の内田あたりのプレーなんて、無責任もいいとこです。(笑)
ただではそういう彼らの「完成度」が、それ自体として世界やそれ以前にアジアで十分に威力を発揮したのかというとそれは微妙なわけですし、一方で比べたらエイヤッという感じにも見える今の選手たちのプレーが、国際試合や海外クラブでかなりの程度通用しているのも事実なわけで。
それはどういうことかというと、要は彼らの「完成度」が収まっていた”枠”や”箱”を、まず突破する必要が、先にあったということだろうと。固まることよりも、伸びたり広がったり流れたりする方が、優先したというか。
そうして限界を取り払って初めて、世界と同じ舞台(の端っこ)に立てるというか。
どんなに誠実でも、井の中のカワズはカワズでしかないというか。
あくまであるレベル内での、「完成度」でしかなかったというか。
ただいずれ日本人選手は、もう一回、もう一段上の、「完成度」や”職人”性を、身につけなくてはいけない気がするんですよね、全般的に。伸び伸びした後は、研ぎ澄まさなくてはいけないというか。じゃないと子供のまんま。
別な観点から言うと、讀賣の選手たちは確かに(ラモスやジーコが言うように(?))、「自分で考えて」プレーしているように見えます。今の選手たちに比べても。
それはあくまで日本リーグレベルではあるでしょうし、”考え”の範囲そのものはある程度限られていたのかも知れませんが、その考えて突き詰めた結果には、しばしば時代ょ越える瞬間が見えるんですよね。あ、今のはなうだという(笑)。分かり易く言えば、オシムも褒めただろうなという。
・・・・真面目な話、オシムが「結局日本人選手は考えていない(考えることを学ばなかった)」と最近のインタビューでも繰り返しボヤいているのは、僕の言う「完成度」みたいなことと、少なからず関係がある気がするんですよね。色々知ってて賢そうにはプレーしているけど、結局習ったまんまだいたいでプレーしているだけではないかという。(あるいは習っている期間だけ賢そうに)
讀賣の選手は日本リーグの選手は、ろくに教われなかったからこそ、自分で考えざるを得なかったという、そういうことだろうとは思うんですが。
かつまただからといって、今同じようにわざわざ放任しても、なかなかそういう結果にはならないというのは、ジーコジャパン以下が繰り返し証明してもいると思いますが。
全力で教えつつ、その環境で更に個々の選手が個人的に、突き詰めて考えて自分の完成度を高めて行く、そういう困難な努力が必要なんだろうなと。・・・・なぜ困難かというと、”高め”なくても出来ちゃうところがあるからですね、環境が良過ぎて。だいたいで、流れに乗ってれば。
だから実際問題としては、教わって満足しちゃう奴は、それ以上どうしようもないというのが、言わばオシムの述懐なのかなという。そいつの要求水準自体が、元々それだけだったということで。そこの部分だけは、なかなか難しい。
後はやっぱり、”必要性”自体を日々感じさせるような戦いの場に、絶えずさらされ続けるしかないという、結論としてはありきたりなんですけど。日本にいながら勝手に欧州並みの要求水準をキープしていた中田ヒデというのは、やっぱり凄かったなと思いますが。異様というか。”少しずつ”体験的に学んだようには、見えないんですよね彼の場合。同世代の他の選手と比較しても。
遠藤なんかは素晴らしい選手だけど、要は年齢と経験に応じて、徐々に要求水準も漸増しているだけですよね(元々”無欲”なタイプではありますが)。で、それでは間に合わないんですよね、結局のところ。日本という環境に生まれてしまった者としては。
まさかこんなに書くことになるとは。(笑)
もっとつまんない発見も色々とありましたけどね。田嶋幸三の解説は、やたら繰り返しが多くて内容が薄いくせに、妙に説教臭いというか無駄に堂々としていて、なるほど”政治家”タイプだなとか。(笑)
マリノス神野の”22歳のフル代表入り”が、ほとんど今の18,9くらいの感覚で驚異として語られていて、時代だなとか。
・・・・まあ神野は確かに凄い素質の選手だったと思いますけどね。速くて高くて強くて、決定力があって。もう少し後に生まれてればなあという。
枯れ芝の国立に入った5万6千というのも、それはそれで今とは違う迫力があるなとか。
Jリーグ開幕はまだだけど、既にチアホンは使われていたのかとか。
・・・・あと3試合ありますね、”天皇杯決勝”は。(笑)
スポンサーサイト
| ホーム |